トルーマン・レター :高嶋哲夫

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この作品は、今から22年前の2001年に刊行されたミステリー小説だ。
内容は、偶然手に入れた古い手紙が、第三十三代アメリカ合衆国大統領トルーマンが愛人
に出した手紙だった。そして、その手紙の内容があまりにも衝撃的なものだったのだ。
トルーマン大統領というと、あの太平洋戦争末期に、アメリカが日本に2発の原子爆弾を
落としたときの大統領だ。
アメリカが日本に原子爆弾を落とした理由については、今でもいろいろな説が存在する。
しかし、未だにどの説が真実なのかははっきりしていない。
ところが、このトルーマンが愛人に出した手紙には、トルーマンがどういう理由から日本
に原子爆弾を落とすことを決断したのかが書かれていたのだ。
その内容は、日本人に対してあまりにも侮蔑的であり人種差別的な言葉が繰り返し綴られ
ていた。
トルーマン大統領は、選挙で選ばれた大統領ではない。ルーズベルト大統領のときの副大
統領だった。そのルーズベルトが突然病死してしまったために、棚ぼた式的に大統領にな
ったのだった。そういう背景からか、トルーマン大統領は、周囲から軽んじられていたの
ではないのかという説もありようだ。そのために、原子爆弾に使用に積極的な勢力を抑え
きれずに、日本への原子爆弾投下に許可を出したのではという説もあるようだが実際のと
ころどうだったのかはわからない。

この作品では、トルーマン大統領は変質的な人種差別思想を持つ人物として描かれている。
しかし、本当にトルーマン大統領の評価はそんなに低かったのだろうか。本当にトルーマ
ン大統領は品格のない変質者的な人物だったのか。
いくらフィクションとはいえ、このような他国の実在した大統領の品格を貶めるような内
容は、問題ではないのだろうかと思ってしまう。トルーマン大統領とは、本当はどういう
人物だったのか。この作品に書かれていることのどの部分が真実でどの部分が作り話なの
か。一度しっかり再確認する必要があるように思えた。

また、この作品を読んで、真実ならばすべて公表することが、はたして本当の正義なのか。
そのことを考えさせられた。なぜなら、真実の公表が、かえって不幸をもたらすこともあ
るからだ。真実は公表すべきと正義を振りまわすことが、すべて正しいとが限らないから
だ。
もし、このトルーマンの手紙が本物だったとしたら、それを公表したとき日米関係はどう
なるのだろうか。この作品では、トルーマンのこの手紙が公に発表されたら、日本国民の
アメリカに対する感情が悪化し、日米安保条約破棄までに至るのではないかということに
なっているのだが、実際にこのような手紙が存在し、それが公になったとして、果たして
そこまで日米関係が悪化するのだろうかと私には思える。一部の人たちは大騒ぎするだろ
うが、現代の多くの国民は、それほど激しい反発もなく受け入れてしまうのではないかと
いような気がする。しかし実際のどうなるかはわからない。

ところで米国では、核兵器を使用する場合、大統領が唯一使用を命じる権限を持ち、大統
領の核兵器を使用する命令を国防長官が確認し、統合参謀本部議長が核兵器の使用命令を
認証する手順になっているという。つまり、米国議会の承認は必要ないのだ。
しかし、果たしてこれでほんとうにいいのだろうか。というのも、大統領になる人物が、
すべて優れた人格者であるとは限らないからである。変質者が大統領になることだって、
可能性はゼロではない。例えば、前トランプ大統領については、「あの大統領が核のボタ
ンを持っていて、ほんとうに大丈夫か」というようなことが囁かれたことは記憶に新しい。
最近では、ロシアが突然ウクライナに軍事侵攻し、プーチン大統領が核の使用をチラつか
せて、西側に脅しをかけている。つまりこれは、プーチン大統領ただ一人が核兵器の使用
権限を握っているからだ。
この作品は、核兵器の使用権限を、大統領ただ一人だけに持たせている危険性を指摘して
いる作品ともいえる。
核兵器だけではない。例えば、最近日本では、岸田首相が「敵基地攻撃能力」の保有を国
会の承認なしに閣議決定だけで決めた。国会の承認なしにということは、主権者たる国民
の意思がまったく繁栄されていないということになる。
敵国の基地を攻撃すれば、これは事実上の開戦を宣言したことなる。日本は憲法で「戦争
放棄」を謳ってあるというのにだ。
そして、この「敵基地攻撃」の命令も、おそらく首相権限で行うことになるのだろう。
つまり、我々国民は、首相一人の決断で戦争に連れてゆかれることになる。そこには主権
者たる我々国民の意思が入る機会はまったくないのだ。はたしてこれでほんとうにいいの
だろうか。そんなことを考えさせられた作品であった。

過去に読んだトルーマン大統領に関連する本:
アメリカの戦争責任
日本はなぜ、「戦争ができる国」になったのか
あの戦争は何だったのか
石原莞爾 マッサーサーが一番恐れた日本人
朝鮮戦争
日本の「運命」について語ろう
原爆 私たちは何も知らなかった
昭和史の逆説
日本原爆開発秘録


プロローグ
・これは夢?
 夢だと思いたい。でも、現実だということはわかっている。
 強い体臭。息を止め顔をそむけると、草の葉が頬を刺した。荒い息が耳にかかる。
 殴られた頬が熱をもっている。
 背中に当たる砂の感触が肌の上で蠢く無数の小虫のように伝わってくる。
 全身に鳥肌がたち、自分の身体ではないようだ。これは、自分の身体ではない。そう言
 い聞かせ、閉じた目に力を入れた。
・タクシーを探して、通りを五分ばかり歩いたところだった。
 ブルーセダンが止まり、三人の男が陽気な声をかけてきたのだ。基地の兵隊。三人と
 もアメリカ合唱国海兵隊の将校だ。
 見たことがある顔だったので、気をゆるしたのが失敗だった。
・車がすでに、海に向かう道に入っている。車は人けのない海岸にとまった。 
 逃げようと暴れたが、相手にならなかった。簡単に腕をねじまげられ浜に引きずり出さ
 れた。相手は百八十センチ前後あり大男。しかも三人。
 何度か声を張り上げたが、そのたびに殴られた。ブラウスは引き裂かれ、スカートも破
 られた。下着は・・・・。
 同じような話しは、何度も聞かされてきた。でもまさかわたしが・・・。
・こいつら、日本の女をなんだと思っている・だけど・・・もう、抵抗する力も気力もな
 い。
 男が動くたびに、背中に感じていた粗い砂と草の感触も今はない。
・死のう、ふと思った。唇を噛みしめた。
 屈辱感が脳いっぱいに、ふくれあがった。
 いや、死ねない。
 こいつらに思い知らせてやる。それまでは、絶対に死ねない。
  

・私はJ大学経済学部の社会学研究室にいた。
 私は河田雄一郎教授とソファーに向い合って坐っていた。教授は、今も私が親交を保っ
 ている数少ない知人の一人だ。
・現在は、二十一世紀においてアジアが世界に果たす役割を研究している。
 彼の考えは、近い将来、世界はヨーロッパ、南北アメリカ、そしてアジアを中心にした
 西太平洋圏にわかれ、かつての東西諸国のように、激しい争いを繰り広げるというので
 ある。ただしその武器は、核爆弾ではなく経済である。
 そのキャスティングボートを握りのが、世界で唯一アメリカと対峙できる世界総生産の
 三分の一をにぎる日本と、未知なる可能性をひめた中国であるという論を展開している。
・アメリカ合衆国大統領アルバート・チェアマン四十二歳。アメリカだけでなくヨーロッ
 パはもとよりアジアでの人気も高く、世界でもっとも注目され期待されている男だった。
 この若き大統領が半月後に、国賓として日本にやってくるのだ。アジア諸国を回った後、
 最後に日本を訪問する。そして、八月六日の広島平和記念式典に出席する。政治的意図
 があからさまとはいえ、半年前までは決して考えられないことだった。
  
・J大学からJRの駅に向かって歩き始めた。
 ふと足を止めた。公園の立ち木の間から物音が聞こえた。絞り出すような低い声と、肉
 を打つ重く鈍い響き。複数の声と足音が混じっている。
 男が倒れている。坊主頭で黒っぽいスーツ。その周りに男が三人。知らない国の言葉だ
 った。男たちは坊主頭を蹴り続けている。
 木の葉の擦れ合う音がした。私の傘が植込みに触れていた。男たちの動きが止まった。
・「警察を・・・」
 私の言葉が終わらないうちに、手前の男が私に飛びかかってきた。男の頭を抱えたまま
 花壇のなかに倒れた。
 男たちは倭足を花壇から引き出し、蹴り始めた。こういう行動に慣れた男たちだ。
・男たちの蹴りが止まった。女の声が聞こえる。
 そっと顔を上げると、公園の裏手に面にマンションの窓が開き、いくつかの顔がのぞい
 ている。男たちは公園の奥に向かって走り出した。
・立ち上がり、倒れている坊主頭の腕をつかんで起こそうとした。坊主頭は私の腕を振り
 払って飛び起きた。そのままの格好で、坊主頭が走り去るのを見ていた。
・立ち上がろうと地面に手をつくと、横に雑誌が落ちている。「ニューズウィーク」英語
 版だ。無意識のうちに、雑誌をつかんで上着のポケットに入れた。  

・テレビをつけた。
 <金城由佳里さんは支援団体とともに上京後、直ちに政府関係者に会う予定です>
 若いアナウンサーが言った。
 金城由佳里。彼女を初めて写真週刊誌で見たとき、水着のキャンペーンガールかと思っ
 た。沖縄の海を背景に、はじけるように笑っていた。
・上着のポケットから週刊誌を取り出した。七月二十七日の日付がついている。英語版の
 「ニューズウィーク」は、日本で印刷されていない。日本ではまだ発売されていない最
 新号だ。そのままクズ籠に放り込んだ。
・会社を辞めて十カ月あまり、マンション、貯金、退職金を振決め手私の所有していたす
 べてのものは妻と娘に残してきた。そうしなければならないという強い思いがあった。
 娘に対する義務感。妻に対する謝罪の気持ち。
   
・ドアの鍵穴にキーを入れて、思わず身体がかたくなった。鍵が開いている。ゆっくりと
 ドアを開けた。ドアが弾かれたように開き、額に強烈な衝撃を受けた。
 男が二人、階段の方に走っていく。
・ひっくり返っていたクズ籠を立てた。床に中身が散らばっている。そのゴミを拾ってク
 ズ籠に戻した。半分ちきれた雑誌がある。
 なにげなく手に取って、ページをくっていた。その真ん中あたりで手が止まった。封筒
 がある。水を吸って、宛名のインクは水で滲んでいた。
・注意して封筒をはがした。封はしていない。便箋が三枚入っている。ひと目で古いもの
 であることがわかった。保存状態もよくはない。
・崩れた字体を目で追って行った。明らかに日本人が書いたものではない。達者な筆記体
 のうえに、独特な癖を持ったものだ。それでも、いくつかの単語は読むことができた。
 戦争、決意、不安・・・愛・・・大統領・・・原子・・・日本・・・・。
 
・園田美弥子は大学時代の英文科の同級生だった。短い期間だが一緒に暮らした時期もあ
 る。大学を卒業すると、私は念願の新聞社に就職し、彼女は大学院に進学した。今は私
 立大学の助教になっている。 
・「これね、読んでほしいものって」
 「きみの語学力ならなんとかなるだろう」
 「これじゃあ、語学力以前の問題よ」
 「だれかのラブレター?」
 私は聞いた。美弥子はうなずいた。
 「ラブレターとはね」
 私はため息をついた。love・・・そして、かろうじてジュージア・ホフマンの名が
 読み取れる。
・「どこで手に入れたの」
 「公園で、傘と引き替えに」
 「この手紙、私にくれない?」
    
・「どこにいく」
 「大学」
・デモ隊が歩いて行く。ユニークなデモ隊だった。若い人が多く、なかには子供づれもい
 た。 
 沖縄米軍基地即時撤去、女性の人権、裁判勝利、核兵器反対、自民党解散、イラクの子
 供たちを救え、世界に平和を。
・なんのデモだ」
 「新聞、読んでないの。沖縄の女性暴行事件の支援団体」
 「女性の性が政治に利用されている」
・「性が政治を利用しているとも言える」
 「貪欲なマスコミとバカな大衆。そのあいだで踊らされている当事者だ。不幸は大きけ
 れば大きいほどいい。病人の患部をさらけ出し、えぐり取って大衆にさらすのがマスコ
 ミの役割だ。それを見て自分の不幸を忘れ、狂喜するのが大衆だ」
・工学部、情報科学研究室のプレートのあるドアの前に立ち止まった・
 「佐々木っていうの。工学博士。教授よ」
・「これを読んでほしいの」
 美弥子は男の前に封筒を突き出した。
  
・昨年十月まで、私は全国紙A新聞社会部の記者だった。
 去年の春、あり少女の記事を書いた。『十七歳の心と体、そして性』
・当時、女子高生の覚醒剤濫用が社会問題になっていた。私はあるルートを使って、首都
 圏の女子高の生徒が覚醒剤に関係しているという情報を得た。
 私は、匿名を条件に当事者の女子高生の一人と会った。
 明るく、素直で、私の娘の暁美をそのまま大きくしたような少女だった。
 しかし、その口から出る言葉は衝撃的だった。
 売春、覚醒剤、校内暴力、妊娠、堕胎・・・。
・私はありのままを書いた。私の記事だけなら問題はなかった。
 しかし、その記事は大きな反響を呼び起こした。すぐに週刊誌が追随した。さらに、テ
 レビのワイドショーのレポーターが押し寄せたのだ。
・いかに大人びていても、いかに強がっていても、やはり十七歳の少女だった。
 処女は自殺した。マンションの十四階から飛び降りたのだ。   
・非難は最初に記事にした新聞社にきた。配慮が足りなかったというのだ。
 そのときは、私には新聞社を辞める気などなかった。私の記事は嘘はなかった。週刊誌
 の記事も詳細に読んだ。多少の誇張はあっても、真実といえるものだった。
・その真実が一人の少女を死に追いやったのだ。真実という武器をふりかざし、いつしか
 その裏側にある心を見失っていたのではないだろうか。
 あの一見、とらえどころのない少女の内心は、私たち大人には信じられないほど壊れや
 すかったのだ。
・真実とはなんだ。私の精神に生まれた疑問だった。私が書かなければ彼女は死ななかっ
 た。
 やがて、私の少女の関係が噂されはじめた。少女が妊娠していたと、まことしやかに言
 われた。
・少女とはふた月の間に十回近く会っていた。その間に特別な感情を抱き始めたかもしれ
 ない。あのなにかを求めるような目を見ていたら、私の精神に熱いものが流れた。
 私は、少女に群がる男どもを憎んだ。そして、嫉妬した・・・。
 私は恐れていたのだ。少女に抱きはじめていた私の心を。私は辞表を出す決心をした。

・弁護士の安西寛子。三十八歳。
 彼女は那覇市の弁護士会でも辣腕弁護士として名が通っている。一貫して、女性の人権
 と吉問題についての裁判を手掛けている。
・「金城由佳里支援団体、杉並区の・・・三百名はくるわよ」
 「六時からテレビよ」
 「テレビはやめて!」
 「なに言ってるのよ。うまく使えば、一番効果的なのよ」
 「絶対に嫌、もう嫌なのよ!」
 「強くなるって約束だったでしょう。これから同じような目に何度もあうって。レイ
 プされた女性が裁判で闘うことは、二重にレイプされるようなものだって」


・<愛するジョージア。私は今、ホワイトハウスの大統領執務室だ>
 確かにそれはラブレターだった。ハリー・トルーマンのラブレター。第三十三代アメリ
 カ合衆国大統領、日本に原爆を落とした男のラブレター。
・<この決断は私の生涯でもっとも重大な決断となるだろう。この決断は、史上類を見な
  い重要なものとなるだろう。・・・この決断を下したものは、生涯、そしてその死し
  てのちも、その決断ゆえに地獄の業火に焼かれねばならないだろう>
・<野蛮で、冷酷で、容赦なく殺し、犯す、慈悲の心など微塵もない髭のボス猿に群がる
  狂信的なジャップどもを皆殺しにすることにためらいなどない。野獣を相手にすると
  きには、野獣として扱わねばならない。あの黄色い猿どもには、ふさわしい死をあた
  えねばならない>  
 <・・・どうかこの私のために祈ってほしい。神のご加護を>
・「本当なのか」
 「こんなの嘘に決まっているでしょう」
 「あの原爆は戦争を早く終わらせ、日米両方の犠牲者を最小限にするためじゃなかった
  の」   
・「公式にはね。アメリカ政府は日本本土上陸作戦でのアメリカ兵の戦死者数を五十万人
 と推定していた。そのアメリカ兵の生命とそれ以上に日本人の命を救うために、原爆を
 使用したと発表している。アメリカ人の多くも、日本人でさえもその発表を信じている。
 だが戦死者数、五十万人の根拠はないらしい。実際は原爆の威力を実戦で確かめるため
 だとか、戦後ソ連に対するアメリカの影響力強化のためだなど、いろいろ言われている
 が、決定的なものはない」
・「たまらないわよ。一個人のエゴと偏見と見栄で、何十万人も殺されたんじゃあ」
 野蛮で冷酷なジャップ、皆殺し、野獣、黄色い猿、死に値する奴ら・・・手紙は、差別
 と偏見と憎しみの言葉に満ちていた。
・「一国の大統領がこんな手紙を書くはずないわよ」
 「矛盾しているところもあるわ。地獄に落ちるだろう、といいながら、神の加護を願っ
 ている」
・「人間の本質だ。強い男が弱さをもち、残酷な人間が優しさをもっている。矛盾のかた
 まりだ」   
・「この手紙は本物よ」
 「人間はね、どんな人間も狂気の部分をもっているの」
・「確かめるのが先決だ」
 「筆跡鑑定ね」
・「トルーマンの自筆なんて手に入るかしら」
・「J大学の河田雄一郎教授が、第二次世界大戦前後の世界情勢を専門に研究していた。
 トルーマンに関する本も書いている。資料も持っているはずだ。その中にサインのある
 ものもあると思う」  

・私と美弥子は河田教授の研究室にいた。教授はおもむろに手紙の一節を読みはじめた。
 <ここの主になってすでに、三ヵ月近くがすぎようとしている。ここには、掃除人、コ
 ック、ピザの配達人、国務大臣、大統領補佐官を含め、日々、数百人のスタッフ、訪問
 者が出入りしている。しかし、私は常に孤独だ。奴らはいつも私とルーズベルトを比較
 して、腹のなかで笑っているのだ。あの気取った大統領にへつらい、機嫌をとることに
 のみ神経を遣ってきた奴らだ。奴らは私をバカにしている。大統領の器ではないと、陰
 では言い合って笑っているのだ>
 <トルーマンが大統領になれるのだったら、隣の親父でも十分だ、と陰口をたたく奴も
 いる。奴らは私が副大統領の間は、この屋敷や議会でぐれちがっても挨拶すらしなかっ
 た。タイム誌が私とルーズベルトを比較した言葉を覚えているだろう。ルーズベルトは
 「皇帝のように堂々としていた」が、トルーマンは顔もしぐさも話し方も、「つぶれた
 洋品店の親父」だと書きたてた>
・「トルーマンはアメリカ合衆国大統領のなかでは、きわめてめずらしい存在でした。ル
 ーズベルトが六十三歳で死去した後、副大統領から大統領に昇格しました。就任当時は、
 もっとも影の薄い大統領といわれたものでした。選挙の洗礼も受けていないというだけ
 ではありません。大学教育も受けていません。彼自身、自分はミズーリ州の一農夫にす
 ぎないと思って育ってきました。その男が、突然アメリカ合唱国大統領になったのです。
 やはり、普通ではいられないでしょう」副大統領時代はルーズベルトの側近グループに
 さえ加えられず、大統領が出席する会議には二度出たにすぎません。彼は『ホワイトハ
 ウスの小物』と呼ばれていました。そういう中で彼が指導力を発揮するには、『断固と
 した姿勢』を示すしかありませんでした。その結果、トルーマンは『決断力のある大統
 領』をめざし、最終決定はすべて、私が下すと宣言したのです。すべての責任は、自分
 が持つと。そういった意味では、この手紙は非常に信憑性があります」と河田教授は言
 った。
・<この事実はホワイトハウス内でも、ごく限られた者しか知らない。バーンズ国務長官
  とグローブズ将軍は賛成だ。奴らは血に飢えたハイエナだ。弱り果て、すでに立つ力
  もない獲物に対して、涎を流し牙をむいて向かっていく。
  スティムソン陸軍長官と、この計画を成し遂げた科学者のオッペンハイマーは、反対
  だと主張した。奴らは腰を抜かしたハムスターだ。私は腐肉あさりのハイエナと腰抜
  けハムスターに取り囲まれて、この椅子に座っているというわけだ。ハイエナとハム
  スターの言葉なぞ、聞く耳を持たない。私は私自身の判断で決断を下す>
・「アメリカの歴史は、本質的に人種間の戦いの歴史なのです。イギリスからの移民は、
 先住民族を『野蛮人』『冷酷な野獣』と呼んでいました。1882年には中国人排斥法
 を成立させ、中国移民の流入を阻止しています。さらに1912年にはカリフォルニア
 州議会は日本人移民の土地所有を禁止する州法を可決しています。また、太平洋戦争時
 における日系人強制移民は周知のごとくです・とくにトルーマンという人物は、南部育
 ちです。彼自身の家もかつては奴隷をもっていましたし、プライベートな会話では常に
 ニガーという蔑称を遣っています。ジャップという言葉についても同様です。彼が人種
 偏見を持っていたことは明らかなのです」
・「大統領の権限が強すぎるのです。特に戦時においては絶対的な権限をもっている。国
 民も大統領に幻想を抱きすぎる。彼らは神ではない。おろかな、ひとりの人間にすぎな
 いのです」
・「本物といっていいんですか」
 「現在のトルーマン研究と矛盾した点はありません。しかし、私はコピーを見ただけで
 す断定はできません」

・「本物よ。ただし筆跡から鑑定すればってこと」」
 「今度は文体面からの考察。この伝記に出てくる彼の手紙と、あの手紙の文章を分析す
  るの。彼の文体、性格、性癖、嗜好、育った環境、教養、すべてよ」
  
・「トルーマンの自伝を読み終わったわ。自分で書いたことになっているけど、半分以上
 はゴーストライターね。もしくはだれかがかなり手を入れている。文体がページによっ
 て違っているもの。彼にはこれほど冷静で品のある文章は書けない」
・「じゃあ、役には立たないだろう」
・「慌てないでよ。なかにいくつかの手紙が挿入されてるのよ。そして、あの手紙の文体
 はこの本の手紙とほぼ一致している」
 「薄汚い子猿、腰抜けハムスター、腐肉あさりのハイエナ。みんなトルーマンが好んで
 使った表現。狂信的なジャップっていうのも何度も出てくるわ」
 「トルーマンについても、多少わかったわ。かなり屈折した人物。強いていうなら、自
 分で自分を演出した、へたな悲劇役者。スポーツはまったくダメ。いくじなしと呼ばれ
 て、いつも一人だったそうよ」
 「ミズーリ州の田舎で生まれ、大学は出てないわ。第一次世界大戦に従軍してから、洋
 品店を経営したけれど失敗している。『つぶれた洋品店の親父』と呼ばれていたのは本
 当だったのね」
・「戦時の彼の頭にあったのは、ジャップは皆殺しにしろだったんだと思う。それに自分
 でも、大統領がつとまるほどの器ではないと認めてるのよ。ルーズベルトもトルーマン
 のことはほとんど知らなかったし、家族をホワイトハウスの食事に招いたこともなかっ
 た。そんな男が突然大統領になったのよ。まさに運命のいたずら。とにかく、彼はまわ
 りに自分を認めさせようと必死だった。そのために、ことさら自分が強い男であるよう
 に見せようとしたのよ。そして、それはある程度成功している。ポツダム会議では議長
 をつとめたし、スターリンに対しても強い態度をとり続けた。それには、力が必要だっ
 た。それが原子爆弾だった。そして、その爆弾を自分の決定で使うことが必要だったの
 よ。決断力のある、強い大統領であることを示すためにね」
・「トルーマン宣言てのがあるのよ。彼は朝鮮戦争でも原子爆弾を使おうとしたの」
 「ジョージアについても出ていたわ。トルーマンより二歳年上の人妻。でも、故郷の友
 人の奥さんとして出て来るだけなのよ」 
  
・河田教授が新聞の切り抜きのコピーを私たちの前においた。
 「アメリカ、ミズーリ州の地方紙です。アメリカの友人が送ってくれました」
 「トルーマンの生まれ故郷ですね」
・「独立記念日の朝、ホワイトロック墓地を訪れた人がジョージア・ホフマンさんの墓に
 掘り返されたあとを発見し、地元警察署に届け出た。調べたところ、墓は掘り返され棺
 には開けられたあとがあった」
 美弥子は私のために訳してくれた。小さな記事だった。
・「ジョージア・ホフマン、トルーマンの手紙の相手ですね。独立記念日というと、二十
 日前です。手紙はこのとき盗まれたものだと」
 「わかりません、しかし、可能性はあるということです。この婦人のことは、私も自伝
 で読んだことがあります。あまり詳しくは書かれていなかったが、実在した人物です。
 婦人は、ニューズウィーク誌のインタビューで、私とトルーマン氏のことは墓場までも
 っていきますと答えています。トルーマンとの手紙や思い出の品はいっさい公表されず、
 一緒に埋葬するという意味です」
・「これで決まりだな。あの手紙は本物だ」
・「新聞社に持っていけば発表できるでしょう」
・「戦後六十年がすぎた。この飽食の時代だ。だれがそんな黴の生えた手紙をありがたが
 る」
・「世の中、堕落した。程度の低い日本人ばかりとは限らないわ。この手紙にこそ真実が
 ある。世界のなかの日本がある。そして、人間が背負っている苦しみがある」
・「やめたほうがいい。少なくとも今の時期には」
・「あなたジャーナリストでしょう。歴史を記録するのが、務めじゃなかったの」
・「今、発表すると大変なことになる。これはマスコミに関わった者の常識だ」
・「対米感情は悪化するでしょうね」
・「悪化なんてものじゃない。自分たちの同胞、それも数十万単位の民間人が一人の男の
 差別感情や政治的野望の犠牲になったんだ。ひとこと言ってやりたくなるのが、人情っ
 てものだろう」 
・「60年安保のことを知っているだろう?」
 1960年6月、日米安全保障条約の改定をめぐって、日本中が揺れ動いた。
 アメリカ大統領新聞係秘書ハガチーが大統領訪日日程打ち合わせのために来日したが、
 羽田空港付近でデモ隊五百人に取り囲まれ、アメリカ海兵隊のヘリコプターで脱出する
 という騒ぎが起きた。
 さらに学生約七千名が国会に乱入、一人の女子学生が死んだ。その夜、三十万を超える
 デモ隊が国会を包囲して抗議行動が行われた。
・「少なくとも、大統領が帰国するまでは待ったほうがいい」
・「真実はみんなが知るべきなのよ。特にこの真実はね」
・「真実というものは、人によって意味が違ってくる。報せなくてもいい真実もある」
 
・ニュースに金城由佳里が出た。
 <沖縄は今も、本土のために、犠牲になっているのです。日の丸を燃やしたい日本人も
 いるということを忘れないでください。日の丸には民族の血と怨念がしみ込んでいるん
 です> 
 <最初わたしは、わたしをレイプした人たちに、なんとかして思いを知らせてやりたい、
 仕返しをしてやりたいと思ってきました。今でも彼らが憎いことには変わりがありませ
 ん。しかし、少しずつではありますが、私の気持ちが変わりつつあることも事実です。
 彼らもまた、ある意味で被害者ではないでしょうか。遠く祖国を離れ、異国で暮らして
 いるのです。あてもない、人殺しの訓練に明け暮れているのです>
 
・ビールを飲みながらテレビをつけた。目は画面に釘づけになった。
 <今日の正午過ぎ、区民会館で開催された広島・長崎被曝者の会と沖縄・婦女暴行事件
 支援団体の合同集会から出てきた被爆者の会代表と沖縄の米兵暴行事件被害者、金城由
 佳里さんたちのグループに爆弾を積んだ乗用車が突っ込み、爆発しました>
・病院で金城由佳里の記者会見がはじまった。
 <わたしたちは最後まで闘うつもりです。どんな脅しにも屈しません。暴力にも負けま
 せん> 
 <真実とは、明らかにし、たちむかうものです。決して、逃げるものではありません。
 それから逃げることはわたしにとって、人間としての尊厳を捨て去ることなのです>

・今朝、アメリカから届いた手紙には、キャサリン・モーガンのサインがあった。わたし
 をレイプした二十四歳の白人少尉の母親だった。裁判のときの彼の顔が忘れられない。
 憎しみと軽蔑の入り混じった怒りの視線だった。わたしを嘘つきとののしり、あの女の
 ほうが誘ったとうそぶいたのも彼だ。 
・手紙の文字には叩きつけるような激しさがあった。
 <あなたは嘘をついている。私の息子がそんなことをするはずはない。息子には国にか
 わいい白人のガールフレンドがいる。なぜ日本人のあなたなんかと・・・。あの子は死
 ぬ覚悟で国のために尽くそうとしていた。あなたの国を守るために、遠い外国で訓練を
 受けていた。それなのにあなたの国は・・・。これ以上、あの子と私たち家族を苦しめ
 ないでほしい>
・「忘れなさい。どこにでも馬鹿な母親はいるものよ。自分の子供だけを無条件に信じて
 る」 
・「アメリカ人のなかにはトルーマンの昔から日本人を憎んでいる人もいるのよ。人種差
 別は理屈じゃない。子供のころから刻み込まれたその人の歴史なのよ」
・今日はあの人はこないだろうか。あの明るい声を聞いて、笑顔を見ているだけで心が安
 らぐ。いっときでも、嫌のことを忘れることができる。どうして、あんな明るい笑顔を
 浮かべることができるのだろう。 
 

・やはり相談できる相手は一人しか浮かばない。渡辺健介。私と同期の社会部記者だ。
・「手紙は持っているのか」
 「ここにはない」
・「三流週刊誌なら一発記事として飛びつくだろうが、うちが扱うには危険すぎる。かな
 らずクレームがつく。その場合、反論の根拠が弱すぎる。この時期だ。日米政府はこぞ
 って否定するだろう。こういう問題でトラブルが起こると、デスクどころか社長の首が
 とぶ。慎重にならざるをえない。まず無理だね」
・「しかしおもしろい話ではあるな。いや、特ダネだ。この時期では扱いようによって、
 日本がひっくり返る特ダネだ。わかっているだろうが、こういうものには公のお墨付き
 が必要なんだ。大学の一教授の意見ではなく、公の機関の公式見解がね。それがなけれ
 ば、ただのゴミだね」  
・「しかし詳しく話を聞いた方がいいようだ。島田にいかせよう。そのほうがお互いに気
 分がいい」

・「手紙は持っていますか」
 美弥子は手紙のカラーコピーと、それを翻訳したものをテーブルの上においた。
 島田は十分もかけてそれらを読んだ。
・「僕は発表には賛成ですね。アメリカ大統領がくる。いい機会じゃありませんか。悪い
 ものは悪い。はっきりさせるべきです。日本はアメリカの属国じゃない」
 と島田は美弥子に同意を求めた。美弥子は何度もうなずいていた。
・「日本は戦争中、アジアでひどいことをやった。南京大虐殺、バターン死の行進、捕虜
 虐殺、慰安婦問題、朝鮮人強制連行。数えあげればきりがありません。それは事実です。
 外交的に決着がついていても、人道的には時効なんてありません。何世代かかっても償
 うべきです。  
 アジアで原爆投下をなんて言っているか知ってますか。『神の救い』です。日本の残虐
 行為から、神が人々を救った。シンガポールの戦争博物館に、キノコ雲の写真といっし
 ょに書いてあるんです」
・「しかしアメリカもベトナムで数限りない残虐行為をやった。アメリカ、イギリスのド
 イツ大空襲は正当化されるとはいいがたい。ハンブルク無差別爆撃では、一夜で五万人
 の死者が出ました。東京大空襲もしかりです。あの爆撃で犠牲になったのは、大半が民
 間人です」
・「金城由佳里さんをご存じですか」
 私と美弥子はうなずいた。
・「金城さんの闘いにも、大きな意味を持ってくると思います。彼女は今、反米闘争のシ
 ンボルです。同時に、日米両政府から大きな弾圧を受けています。今の日本の指導者は、
 アメリカに対して弱すぎる。借りがあるとでも思ってるんでしょうかね。それとも、ア
 メリカコンプレックスの世代が大半を占めてるせいですかね。でも日本は、日本として
 の「意思をつらぬくべきだ」
・「金城由佳里を個人的に知ってるのか」
 「記者会見やインタビューで、何度か会いました。強い人だ。正直で純粋で、美しい。
 素敵な人です。あんなに一途で真剣に生きている人は見たことがありません」
 島田は力を込めて言った。
・「峰先さん、社を辞めて後悔してませんか」
 思わず、島田を見据えた。
 「後悔しない生き方をするつもりだ」

・美弥子のバッグをとって携帯電話を出した。110番を押した。「新宿署です」という
 声が返ってくる。
 「傷害事件だ。グレーのセダンに乗った男に襲われた。男が一人、車に撥ねられて倒れ
 ている。至急、救急車と警察官をよこしてほしい。彼らは銃を持っている」
・私はもう一度携帯電話のボタンを押して新聞社の渡辺に電話した。
 「襲われて島田が怪我をした。車に撥ねられ、道路で頭を打った」
 「もう救急車に収容されていると思う。こっちも銃で撃たれ、逃げ出してきた。病院を
 調べて、様子を報せてくれ」

・もう一度渡辺に電話した。病院の名前を聞くと教えてくれた。番号案内で病院の番号を
 調べて電話した。電話に出た夜勤の看護師は私の質問に丁寧に答えてくれた。しかしわ
 かったのは一時間前に運び込まれ、今手術中だということだけだった。
・四度目に電話したとき、手術は終わっていた。優しい声をした看護師は、現在集中治療
 室に入っていると言われた。容体についてはわからないとも言われた。
・次の新聞社に電話した。渡辺が出た。
 「おまえ、なにをしたんだ」
 「襲われたんだ」
 「人が死んだんだぞ」
 「島田か」
 「島田は意識不明の重体。死んだのは別の男だ。ナイフで胸を刺されてな」
 「警察はおまえを重要参考人として捜しているらしい」
・それにしても、と言って言葉を切った。
 「捜査がはやすぎる。昨夜の今日だ。もう重要参考人として、マスコミに流される。普
 通はもっと慎重だ」 
  

・嫌な予感がする。胸の奥を絞めつけるような不安だ。
 あの人は今日もこなかった。連絡さえもしてくれない。インタビューに来ていたA新聞
 社の記者は、まだ二十歳代の女性だった。なにかが起こったのだろうか。あの人の記事
 はいつも私に好意的だった。記者に聞けばいいことだが、とてもその勇気はなかった。
・テレビでは、
 <・・・マンション前で起った乱闘事件で、行方不明になっている峰先清司三十七歳を、
 重要参考人として手配することを発表しました。なお、重傷を負ってK大学附属病院に
 入院している島・・・・>
・「消して!」
 私は声をあげた。今はなにも聞きたくない。テレビが消え、辺りは急に静かになった。
・安西さんが横に坐り、私の手を握った。
 「強くなるのよ、もっと」
 安西さんの声がすごく遠くに聞こえた。


・「広島・長崎核兵器廃絶グループ」の事務所は井之頭通りに面したビルにあった。十二
 階建ての近代的なビルだ。
・「企業とは聞いていなかった」
 美弥子の言葉に私も同意した。
・目的の事務所はその奥にあった。看板を見て納得した。『環境保護グループ・トレジャ
 ーアース』となっている。「広島・長崎核兵器廃絶グループ」はその中の一つのセクシ
 ョンだった。  
・「『トレジャーアース』の代表、真鍋敏之です」
 男は名刺を出した。四十前後の色白の男だった。
・「二カ月前、私たちの組織を通じて、ある高校で原爆についてアンケート調査をしまし
 た。そのなかの項目に、日本への原爆投下が正しいかどうかというのがありました。
 結果は、<正しくない>が65%、<正しい>と回答したものが25%。残りは<どち
 らともいえない>です。
 原爆をはっきり、悪だ、と言い切れない日本人がいる。私たちにとって驚くべき結果で
 した。
 これがアメリカとなると、ほとんどすべての子供たちが原爆投下を正しい行為と信じて
 います。その理由は、本土決戦による日米両国の兵士の戦死者を救った。終戦を早めた。
 今までアメリカが公式に発表してきた、根拠のない作られたデータにもとづくものです。
 あやまった資料が信じられているのです。恐ろしいことだとは思いませんか」
・「河田先生のお話だと、日本への原爆投下に関する衝撃的な手紙をお持ちだとか」
・真鍋は用紙を手に持ち、目を走らせた。
 <私は近日中に、さらに重大な決断を下さなければならない。日本に関することだ。こ
 の決断は薄汚い子猿の住む東洋の沈没しかかった泥船ばかりでなく、世界に大きな影響
 を与えるものだ。具体的なことは言えない。こうして貴女に書くことさえ、大統領とし
 ての資質を問われることになるのだ。しかし私は書かずにはいられない。孤独な私の心
 を癒してくれるのは、貴女だけなのだから。・・・ハイエナとハムスターの言葉なぞ、
 聞く耳は持たない。私は私自身の判断で決断を下す>
・<私は絶対に、奴らの言いなりはならない。私は決して世間の奴らが言っているような
 「意気地なし」ではない。「腰抜け」でもない。決断力のある大統領なのだ。今後はだ
 れも私を指導力のない、偶然に大統領になった男とは呼ばないだろう>
・<私は奴らを憎んでいる。死んでいった者たち、また残された者たちのためにも、私は
 地上からジャップを抹殺しなければならない。・・・私はここの気取った無能な奴らと
 ジャップに思い知らせてやるつもりだ。そして、私が真の男であることを奴らの骨の髄
 まで叩き込んでやる>   
・<もし私がフランクリン・ルーズベルトであるならば、この決断は下さないであろう。
 私がハリー・トルーマンであるがゆえに、この決断を下すのだ。そして、この決断ゆえ
 に、私、第三十三代アメリカ合衆国大統領、ハリー・S・トルーマンの名は、永遠に歴
 史に残るだろう> 
・<この一週間内に、貴女はアメリカがなした重要な事実を知るだろう。しかしそれは、
 アメリカ政府がなしたものではない。この私がなしたものなのだ。ハリー・トルーマン、
 この私の決断なのだ。第三十三代アメリカ合衆国大統領の決断なのだ。そして、その男
 はハリー・トルーマンなのだ。私はこの決断を決して後悔しない。たとえこの身が地獄
 の業火に焼き尽くされようとも。ジョージア、どうかこの私のために祈ってほしい>
・「もし、この手紙が本物なら・・・私は許せない」
 真鍋の口から震えるような声がもれた。
・「私は間違いないと思う。これはトルーマンの書いたものです」
 教授は言った。思わず教授を見た。彼がこのようにはっきり言い切るとは思っていなか
 ったからだ。
・「この種の話は昔からありました。しかしだれも本気で取り上げようとはしなかった。
 それは、マーシャル・レポートというものがあるからです。マーシャル陸軍参謀長がト
 ルーマン大統領に報告した、『五十万人のアメリカ兵の命を救う』というアメリカ公式
 発表資料の重さからです。このレポートに従い熟慮のすえ、アメリカは原爆投下に踏み
 切った。これが一般に公表され、信じられている原爆投下のシナリオです。もっともこ
 の五十万という数字が根拠のないものだということは、当時の政府関係者の大部分が知
 っていたことです。
 今ここでこのトルーマンの手紙が発表されても、黙殺されるか政府に徹底的に阻止され
 るに違いありません。マスコミも頼りにできないでしょう」
 納得を求めるように、真鍋は私を見た。私はうなずいた。
・「日本人というのは、忘れっぽい民族だ。おまけに、すべてを都合のいいように解釈す
 る。歴史に対する認識が薄いのでしょう。中国文化を伝承している国にしては、いささ
 か情けないですな」 
 教授は独り言のようにつぶやいた。
 
・「『トレジャーアース』についてわかったか」
 待ってくれと言って、渡辺は数秒の間をおいてメモを読み上げた。
・「ボランティア組織というより、営利組織と呼んだほうが適切な団体だ」
 「どういう意味だ」
 「金儲けがうますぎる。そして儲けすぎている」
 「しかし環境保護団体だ。一種のコーディネーター。環境に関するトラブル全般をあつ
 かっている。隣家のピアノ騒音から、ペット公害、工場の廃水汚染、マンション建設時
 の日照権、新幹線の騒音公害などの裁判コーディネート。あらゆる環境問題を商売にし
 ている。特に高額の賠償金や補償金が絡む問題だ。もちろん合法的ににだ。大半は示談
 に持ち込んで、金を搾り取っている」
 新種の総会屋のようなもんだ、と言って笑った。
 

・ホテルから坂道をおりて、駅に向かって歩き始めた。
 脇道に入ったとき、私たちを追い抜いていった車が突然右に曲がり行く手をさえぎった。
 反射的に美弥子の腕をつかんで駈け出そうとしたとき、数人の男たちが私たちを取り囲
 んだ。車のドアが開き、後部座席に押し込まれた。
・「あんたはだれだ」
 「要するに、あんた方は手紙を発表されたくないわけだ。少なくともアメリカ大統領が
 日本にいる間は。あの手紙が発表されると、なにが起こるかわからない」
 「そこまでわかっていらっしゃるなら、ご協力願いませんか」
・「彼らとは何者なんだ」
 「実は、私たちも十分に把握できていないんです。今、東京には世界中からテロリスト
 が集まっています。国家的な組織もあれば、単なる犯罪組織もあります。なぜだかおわ
 かりでしょう。なかにも手紙のことをかぎつけた者もいるでしょう」
 「あの手紙は使いようによっては政治的にも利用できるし、金にもなる。しかも半端な
 額じゃない。アメリカも日本も、買い取るのに金に糸目はつけないでしょう。他のどの
 国もね」   
 「それできみたちは、アメリカから派遣された組織なのか」
 「ご想像にまかせます。とにかく、ご協力願えれば安全にお帰しします」
・「手紙は手に入れなくていいのか」
 「そりゃあ、手に入ればそれにこしたことはない。おとなしく渡してくださればね。で
 も、そうはいかないでしょう。私たちはテロリストでもマフィアでもない。最悪の事態
 が避けられればいい。真実は真実です。私の力でねじ曲げようとは思っていません。私
 も歴史の真実に対しては、いささかの敬意を払っています」
・「手紙のことですが」
 「そんなものは知らない」
 「あなたに聞けばいいのかな。それともこのご婦人?」
・「俺だ。あれは俺が手に入れたものだ」
 「手紙は俺が取ってくる」
 「場所を言ってくれませんか。我々が取ってきます」
 「信用しろというのか。だったら彼女を自由にしろ。自由になったのを確認してから話
 す。でなければあきらめるんだな」
  
・管理人は建物の一つに案内してくれた。彼は塔の前で立ちどまり、合掌した。
 塔に入ったとたん、香の匂いが鼻をついた。
 管理人は位牌に合掌し、扉の閉め方を説明してから丁寧に頭を下げて事務所に戻ってい
 った。 
・私は手を合わせた後、位牌をずらして遺骨の収納部をのぞいた。
 手紙はあった。

・バックミラーを見ると、追ってきた車のライトがいつの間にか消えている。思わず辺り
 を探った。闇が続いているだけだ。
 バーンという音とともに、左腕に衝撃を感じた。焼けた棒を打ち込まれたようで力が入
 らない。
 左手からライトを消した車が飛び出してきた。
 アクセルを踏み込む。通り抜けたと思ったとき後部に強い衝撃を受け、激しくスピンし
 た。間の前にコンテナが迫る。激しい衝突の後に、身体全体が強い力で締め付けられた。
 目の中が白い光であふれる。一瞬、意識が遠のいていく。
 気がつくと、車はエンジンを吹かせたまま止まっていた。
・振り向くと、追ってきた車が倉庫の外壁に衝突している。つぶれた運転席にうつぶした
 男の姿が見えた。助手席と後部座席から男がはい出してきた。
・ガソリンの臭いが鼻をついた。
 車のエンジンをきろうとキーを廻したがかたくて動かない。あきらめて助手席を見ると、
 美弥子がシートでぐったりしている。ガソリンの臭いがますます強くなった。ガソリン
 がもれているのだ。  
・美弥子の身体を車の外に引き出す。美弥子を支えて、車から十メートルほど離れたとこ
 ろで車が炎を上げ始めた。
・「手紙が・・・」
 美弥子が車の方を振り向いて叫んだ。
・ボンネットから炎が噴き出し、運転席にひろがっている。
 「爆発する!」
・炎が美弥子を包む。私は美弥子を抱いて、道路を転がった。
 倒れている美弥子の左手が燃えている。つかんだ封筒が炎を上げている。
    
・わたしは一人で東京を歩いたことがない。講演や集会以外では、ホテルから出ることさ
 えほとんどなかった。食事も支援団体の人と一緒か、ホテル近くのレストランか、コン
 ビニの弁当ですませている。
 しかし車から見る東京は華やかで、若々しさにあふれている。
 一年前のわたしなら、どっぷりとそのなかに浸りきっていたかもしれない。
 でも今は、その華麗さの裏側に潜む闇の部分が見えるようで近づく気にはなれない。
・「わたしはこの街が好きになれない」
 「だめよ、そんな気持ちじゃ。まだ二十四でしょう。人生を楽しみなさい」
 「先生は楽しむだけの人生じゃ意味がないと言ったでしょう。人は生きた証を残さなけ
 りゃ生まれてきた意味がないって。わたしもそう思った。裁判をやろうって決心した理
 由の一つ」 
・「違ってたら悪いんだけど・・・」
 安西さんが一瞬ためらって後、思い切ったように言った。
 「あのA新聞の記者、島田って言ってたっけ。好きだったんじゃない?」
 鼓動が激しくなるのがわかる。
 「やめなさい。確かにいい男だけど、プレイボーイタイプ。好意的な記事であなたの気
 を引こうとしたのかもしれないじゃない。あなたが乗ってこないのであきらめたのよ。
 そんなの記者として最低よ。人間としてもね」
・昨日のあの人、折り重なった人の中から引っ張り出してくれた男の人。きれいな女の人
 と一緒だった。お礼を言うこともできなかった。
   

・「とにかく手術はうまくいきました。詳しいことは明日話します」
 その夜、私は病室ですごした。ベッドの横においた椅子に座り、美弥子の顔をみつめて
 いた。美弥子は薬で眠っていたが、ときおり苦しそうな声を出した。
・ドアが開き、看護師が入ってきた。
 「容体は安定しています。午後になれば目が覚めるでしょう。それまで横になられたら
 どうです」笑顔で言った。一瞬頭の血が抜け、身体が軽くなった。
・昼前に医師に呼ばれた。昨夜手術をした医師が、レントゲン写真を見せながら傷の説明
 をしてくれた。  
 説明を聞き終え、今後の治療の方針を話し合った。私が礼を言って立ち上がったとき、
 医師が呼び止めた。
 「奥さんが握っていたものです」
 引き出しを開けて、ビニール袋を出した。
 袋には五センチ四方の紙片が数枚入っていた。手紙の一部だ。握っていた部分が焼却を
 免れたのだ。私は受け取ってポケットに入れた。
 
・「ここは・・・」
 「病院だ。もう心配ない」
 私はベッドに顔を近づけて、ささやいた。
 美弥子はかすかにうなずいた。
・「手紙・・・手紙はどうなったの・・・」
 「燃えたのね」
 「そうだ。燃えてしまった。しかしだれの責任でもない。なかったほうがいいものだっ
 たかもしれない」
・ノックの音がした。ドアを開けると、河田教授が立っている。わずかだが髪が乱れてい
 た。息も乱れていた。初めて見る教授の姿だった。よほど急いできたのだ。
 「お気の毒なことです・・・」
 「それで・・・手紙は・・・」
 教授は震えるような声を出した。
 「燃えてしまいました」
 教授の顔が青ざめた。全身が細かく震えているようにさえ見えた。
  
・ノックの音がした。私が答える前にドアが開いた。緊張した顔の戸隠が立っている。  
 「先週、スチュアート・グリッドマンって男が死にました。世界有数の金持ちです。ロ
 ーマのホテルで首を吊りました。人間、首を吊るときは、やはり家族のところで吊りた
 くなるんじゃないですか。自分の家の近くで、彼は幸福じゃなかった。いくらお金があ
 って地位があって美女に囲まれていても、幸福じゃなかった。帰りたい家も、近くで死
 にたいと思う家族もなかったんですから」
 「何が言いたい」
 「世界有数の金持ちが幸福でなかったように、世界一の美女が世界一幸福だとは限りま
 せん。美弥子さんは、美しかったが幸福ではなかった。人の幸福は、他人にはわからな
 いんです。本人の気持ちの持ちようです」
 「帰る家がある。待っていてくれる人がいる。最高にいいことです。人はみな最終的に
 は、それを求めているんじゃないでしょうか。美弥子さんも例外じゃない」
・「手紙のカラーコピーがあると言ってましたね。差し障りなければ、見せてくれません
 か」 
 「それも燃えてしまった。コピーもコンピュータ処理した原文と翻訳もだ。彼らの車に
 あったんだ。コピーや翻訳はパソコンに残っているとは思うが」
 「そうですか。じゃあ、写真も残っているかもしれません。最近は写真や画像も簡単に
 データ化できるんです。もし美弥子さんの許可があれば、僕が調べてみます」
・「どうかしたのか」
 「骨董屋の興味ですよ」
・「手紙の切れ端だ。美弥子が握っていた」
 「細胞のように増殖してもとに戻るなんてことはないだろう」
 「しばらく貸してくれませんか」
 「好きにしてくれ。俺個人としては見たくもないものだ」
  
・八時すぎたころ渡辺がやってきた。渡辺は私を喫茶店に誘った。
 「警視庁がおまえの重要参考人の指定を取り消した」
 「いい加減なもんだ。法治国家がこんなことでいいのか」
 「手紙は燃えてしまった。すべて終わったんだ。まったく、悪夢としか言いようがない
 ね」
・「島田が意識を回復した。それを言うためにやってきたんだ」
 「右半身に麻痺が残る。かなりの麻痺らしい。リハビリでどこまで回復できるか。医者
 にもわからんそうだ」

・「私は歴史を消し去ってしまった」
 美弥子はぼそりと言った。
 「もともと、あんなものはなかったと思えばいい」
 「私は確かに見たし、この手で触った。あれはトルーマンの手紙だった。彼の心だった。
 歴史の真実だった。そして被爆者の怒りなのよ。それを私は・・・」
 「きみの責任じゃない」
 「私が余計なことをしなければ、少なくとも手紙は残った。どんな形であれ、いつかは
 人々の目に触れる可能性があったのよ」
・「あのサングラスの人はだれなの」
 「今の時期に手紙を公表されたくない奴ら。日本政府に影響力のある組織の人間。そし
 て、少なくとももう一方の連中よりは紳士的な者」
 「アメリカの組織かもしれない。それも、政府関係の」 

・夕刊を買って戻ってきた。一面の大半を「アメリカ大使館銃撃」の見出しが占めていた。
 <今日正午すぎ、アメリカ大使館が何者かによって銃撃された。黒い乗用車から銃弾六
 発が大使館に向けて発射され、銃弾三発は大使館の窓ガラスにあたったが、けが人はな
 いもよう>
・大使館銃撃の記事の下に、顔写真入りの記事があった。
 <東京湾に男性二人の水死体。中国マフィアの抗争か?見出しの下に二人の顔写真が並
 んでいる。二人は麻薬密輸で手配中の中国人と判明>
・右側の男には見覚えがあった。美弥子の頬を傷つけ、焼いた男。
 
・「真鍋敏之、知っているのな。『環境保護グループ・トレジャーアース』の代表だ」
 「真鍋が人質を取ってマンションに立て籠もった。今、警察と銃撃戦をやっている。
 すでに二人の警察が撃たれた」
 「彼が麻薬を密売していたことは知ってたか」
・そんな男を河田教授が紹介するはずがない。しかし、まったく否定する気にもなれなか
 った。密売はともかく、使用している可能性はある。あの手紙を読んだときの興奮は、
 普通ではなかった。
・テレビのカメラは原宿のマンションの五階、カーテンのかかった部屋をとらえていた。
 ときおり人影がのぞき、銃声が響いた。そのたびに画面がゆれて、レポーターの興奮し
 た声が入った。銃を撃っているのが真鍋だとは、信じられなかった。
・事務所のボランティアと事務員にインタビューが集中していた。ひとりの女性が真鍋は
 被曝二世であり、原爆をひどく憎んでいたことを話していた。
・突然、窓が開いた。パジャマ姿の女性が出てきた。腕をたらし、よろめくような足取り
 だ。隣の部屋のベランダに待機していた警官が立ち上がった。部屋のなかから男が飛び
 出し、女の腕をつかんだ。真鍋だ。しかしその顔は私が知っている真鍋ではなかった。
 上半身裸で、赤く染まっている。血だ。カメラが近づいた。真鍋の上半身には無数の切
 り傷がある。薬物中毒者は幻影を見て、自分の身体を傷つけることがある。
・バーンという音とともに、女の顔から黒いものが散った。女が真鍋の腕から抜け、ベラ
 ンダにたおれた。真鍋の顔から狂気が抜けた。一瞬真鍋は女を見て、部屋を振り返った。
 そして銃を頭に向けた。銃声が響く。
・<ただ今、警視庁から発表がありました。人質の親子三名は死亡。真鍋はヘロインを使
 用していました。今後の捜査は共犯の有無にしぼられます。共犯が確認されれば、大統
 領訪日予定にも大きな影響が考えられます>
・「彼は本気で大統領を殺すつもりだったのかな」
 「彼の目、きっと本気だった」
 
・新聞社に電話すると若い記者が出て、渡辺を捜してくれた。
 「チェアマン大統領の訪日が中止になった」
 「五時のニュースでは、大統領は日本に向けて韓国を飛びたったはずだが」
 「決定は飛行機のなかだ。外務省に連絡が入った。今、大統領は太平洋の上だ」
 

・「少しお時間をいただけませんか」
 丁寧な言い方だったが、いつも命令し慣れた者の尊大さをふくんでいた。
・「きみは何者なんだ」
 「長谷川優一といいます。アメリカの日本大使館職員、一等書記官です」
・「すべての発端は、アメリカ大統領の広島平和記念式典出席にあったんですよ。まった
 く馬鹿げた話だと思いませんか。人気のあることと、有能なこととは必ずしも一致しな
 い」  
 「しかしとにかく、今回のアメリカ大統領の日本訪問は、外務省としては反対だったん
 です。いくら人気のある大統領だといっても、あまりにリスクが大きすぎる。JFKの
 二の舞になる。それがアメリカ国内であれば、私たちは関係ないが、日本で起これば取
 り返しがつかない。太平洋戦争の再開です。
・「おまけに、トルーマンの手紙が日本に持ち込まれるという情報を得ました。ロスのマ
 フィアからの情報です。香港マフィアもからんでいるらしい。手紙には、日本への原爆
 投下に関する極秘情報事項が書かれていると判断したのです」
・「手紙の内容については知っていたのか」
 「想像はつきます。外務省には各国首脳のファイルがあります。手に入るかぎりのあら
 ゆるデータです。アメリカ大統領のファイルは特別厚い。なかでも、トルーマンのファ
 イルは電話帳並みです。内容も、とても大統領のファイルとは思えない。だからこそ私
 たちは大慌てした。しかし日本の公安にとっては、半世紀も前の大統領の手紙なんてク
 ズも同然だったのでしょう。当然といえば当然ですがね」
 警察の気持ちも理解できた。私にとっても変質者の薄汚れたラブレターにすぎなかった。
・「実は私はロサンゼルスで生まれました。父は商社マンでしたね。アメリカ滞在中に生
 まれたのです。ですからアメリカンの市民権も持っています。もちろん国籍は日本です
 がね。以後、高校まではアメリカです。しかし夏休みの二カ月間は、九州の祖父の家に
 帰っていました。私も日本の生活が嫌いではなかった。日本は豊かで清潔だ。田舎では
 友人もできました。大学は日本です。外務省に入ってからはアメリカです。アメリカで
 の生活のほうが圧倒的に長いんです。要するに身体は日本人、生活様式はアメリカ。残
 るは精神ですが、これが自分でもよくわからない」
・「私はアメリカが好きです。日本よりも私には合っている。じゆうで明るく力強く、ま
 たおそろしく傲慢でわがままで思いあがりが強く涙もろい国だ。まるで、昔のガキ大将
 のような国です。腹のたつ国でもあるが、どこか憎めない。無邪気で一途で、いつも若
 々しい。
 ところが日本は不思議な国です。というより、日本人は不思議な民族です。常に几帳面
 で礼儀正しい。謙虚で情に厚いかと思えば自我が強く、自分たちこそ世界で一番すぐれ
 た民族だと思いあがっている」
・「漆原逸人アメリカ大使をご存じですか」
 「私の上司です。彼の命令は手紙をなんとしても手に入れろ、手紙の存在をアメリカ側
 に気づかれるな、政府や警察にも手紙については極秘でことを運べ、でした。大統領よ
 り手紙を優先させていました。大統領の代りは、いくらでもいるというわけです」
・「手紙の入手に成功すれば、アメリカの秘密を握るものの一人として、私の将来は約束
 されていたんですがね」 
 
・私が美弥子の病室のドアを開けたら、戸隠はベッドの横の椅子に座っていた。
 「手紙が燃えたことは相当ショックだったようだ。自分の手で、歴史をねじ曲げたとで
 も思っているんだ。学者の思いあがりだ。ただの年寄りのラブレターが燃えたと思えば
 いいんだ」  
 「本当にそう思いますか」
 「これなんですがね。帰ってから、調べてみたんです」
 「文字の部分なんてほとんどないだろう。とても読める状態じゃない」
 「文字じゃありません。紙ですよ。紙が作られた年代がわからないかと思いましたね」
 ビニール袋から慎重に紙片を取り出した。
・「紙の原料は針葉樹と広葉樹の五十パーセント混合パルプ。約半世紀前のものです」 
 「トルーマンの時代だ」
 「問題ないんじゃないか」
 「慎重を期して、アメリカの骨董屋の友人に手紙の写真を送りました。彼は古文書ディ
 ーラーなんです」
・「返事は?」
 「いくらで手放すか、しつこく聞かれました。七桁の値段を言いましたよ。もちろん、
 ドルです。歴史的資料としての価値ではない。別の目的に使うんでしょう」
・僕が新しく作って送ってもよかったんですがね、と戸隠は冗談とも思えない口調で言っ
 た。そして、筆跡、文体、内容、まったく矛盾はありませんでした、完全なシロです、
 と言いそえた。
・「以前にもきみは、あの手紙は本物だと言ったはずだ」
 「本物と同じだと言いました。サインは僕のすべての知識を動員して調べても本物と同
 じでした」 
・「それでも不審が残るというのか」 
 「骨董の世界では、本物というのは限りなく本物に近いということです。あらゆるチェ
 ック項目を、本物に近いとしてパスするということなんです」
 「だったらそれでいいと思うのだが」
・「あまりに完璧すぎるものは問題がある。すべてが完全なものは、どこかしっくりこな
 いんです。これは理屈じゃない。本能です。僕は手紙のサインを見たときから、どうも
 腹にすわらないと思っていました。実物の写真を見て、ますますおかしいと思い始めま
 した。すべてが完璧すぎる。読めないようで読める。敗れてはいるがなんとか判読でき
 た。内容にも矛盾はまったくない。書くべき人が書いた。納得のいく内容」
 「しかし、あまりに完璧すぎる。まるで僕たちの疑問点をあらかじめ予測していたよう
 な感じさえする。それで大学の後輩に頼んで、走査型電子顕微鏡とエックス線マイクロ
 アナライザーにかけてみました」 
・「で、結果は」
 「紙の繊維から、グアラコール・クロルフェラマイドが出ました」
 「グアラコール・クロルフェラマイドは、導尿病の薬に含まれている分子です。あとか
 ら付いたのではなく、紙の製造過程で混入したものです。紙の製造者の中にこの薬を飲
 んでいる者がいて、なにかの拍子に偶然、繊維にすき込まれたのでしょう」
・「・・・偽物ということか」
 「そうです」戸隠は言い切った。
・「六十年前の材料を使い、六十年前の手法で作られていた。しかしその紙には、二十年
 前に初めて合成された薬品が混ざっていた。結果は明らかです。この手紙は、驚くほど
 手間や時間をかけてつくられた偽物です。我々専門家をこれほど完璧にだますことなど、
 個人でできるものではありません」
・「美弥子さんにも話そうと思っています。あれが偽物だったと知れば、いくぶん気持ち
 が休まるんじゃないですか」 
 「河田教授にも相談してみる」
 「あの中国の方ですか」
 戸隠は言った。えっ、と私は聞き返した。
  
・美弥子黙って聞いていた。彼の話が終わったとたん、嘘よと低い声を出した。
 「私は信じないわよ」
 「あの手紙はトルーマンの恋人、ジュージアの墓を掘って、盗み出したものなのよ。河
 田先生が新聞の切り抜きを見せてくれた」
・「そんな記事があるんですか」
 戸隠が声を出した。
・「僕が調べてみます」
 と戸隠が言った。
 「どうやって」
 「新聞社に直接問い合わせればいいことです」
・「もし偽物なら・・・、私は許せない。たとえどんな理由があろうとも、原爆で死んで
 いった人たちをもてあそぶようなことは、私は許せない」
 美弥子の目が、大きくふくらみ、揺れた。
   

・戸隠はなにも言わずに机の上にプリント用紙を差し出した。
 ジュージア・ホフマン。彼女は存在した。彼女の墓は確かに掘り返された。盗まれたも
 のは、イミテーションのネックレス、ブレスレット、そして、手紙。掘り出されたのは
 独立記念日の前夜から朝にかけて。つまり、七月四日。記事は本物だった。しかし、河
 田教授が見せた記事には年号が書かれていなかった。新聞社によると、その記事が載っ
 たのは2000年。ジュージア・ホフマンは1998年死亡。三十八歳だった。彼女が
 生まれたのは1960年。戦後だ。トルーマンの恋人と同姓同名の女性。
・「骨董で贋作を作る理由は単純です。金儲けです。今度の場合も、やはり金儲けなんで
 しょうかね。少々手がこみすぎていると思いますが」
・「しかし河田先生が関係しているとなると、金儲けじゃない。あの人は金で動く人じゃ
 ない」   
・「この発信人の名前を見てください。驚きました。中国共産党の若手幹部の一人です」
 「中国が関係しているということか」
 
・渋谷駅近くにあるビジネスホテルに行った。フロントで、A新聞の者だが部屋を教えて
 ほしいと言った。
 数分してエレベーターが開き、背の高いがっちりした男がフロントに歩いてきた。私は
 カウンターの上の名刺を男に渡した。
・部屋は八階だった。部屋のドアが開くと、白のTシャツにブルージーンズの若い娘が立
 っていた。水着のポスターから抜け出したような娘だった。とても悲惨な体験をし、今
 もつらい闘いを続けている女性には見えなかった。金城由佳里が立っていた。
・<素敵な人です。好きなんです>
 私は島田の言葉を納得した。
・半年前初めてテレビで見たときは、若く美しい普通の女性だった。しかし今日の前に立
 っている女性は、美しさのなかに強さを感じさせた。そして凛々しさも感じさせる。
 彼女は変わった。試練は人を変える。私はこの古風な言葉を信じたくなかった。
・「「A新聞の方ですね」
 ぎこちない笑みを浮かべ、少し戸惑った顔をした。がっかりした顔のようにも見えた。
・「A新聞の男の方というと、てっきり島田さんかと・・・」
 彼女は島田の名前を遠慮がちに口にした。
 「彼でなくて申し訳ない」
 「その島田のことでやってきました」
・「島田は怪我をして入院しています」
 金城由佳里は一瞬、息を止めたようだった。黙って私を見つけている。
・「もう、だいぶよくなりました」
 「何者かに襲われて、頭を打ちました。後遺症が残っています」
・「襲われたというのはわたしが原因ですか。島田さんには、ずいぶん好意的な記事を書
 いていただきましたから」   
 震えるような声で言った。
・「あなたとは関係ありません。島田はトラブルにまきこまれた一方的な被害者です。
 それに島田は好意的な記事を書いたのではありません。真実を書いたのです」
・「よかったら、会いにいってやってください」
 私は立ち上がり、レターデスクの上のメモ用紙に病院の名前と住所を書いた。
・「この三週間、とても不安でした。もう島田さんはきてくださらないのかと思って。や
 はりわたしは、汚れた・・・」
 震えるような声が私の背を打った。私は振り返った。
・「彼はあなたのファンだと言ってました。強く純粋で、美しい方だと。そしてあなたの
 ことが好きだと」  
・「今はどんな具合です」
 「会っていません。親族しか面会できないんです」
 「じゃあ、わたしがいっても・・・」
 「しかし、恋人なら会えるかもしれません」
 私はドアを閉めた。
 
・金城由佳里はカメラに生真面そうな目を向けた。
 <わたしを支えてくださった方々に感謝します。私は負けません>
 差し出されたマイクに向かって、はっきりと言った。一瞬戸惑ったような表情を見せた
 後、
 <東京にきてよかったと思います。日本人であることに、誇りを持てそうです>
 と付け加えた。そして、かすかに笑顔さえ見せた。初めて見る、金城由佳里の笑顔だっ
 た。

・ドアを開けると、島田はベッドの上に上半身を起こして私に視線を向けていた。頭の包
 帯が痛々しかったが、顔には笑みさえ浮かべている。
 「先輩ですか」
 嬉しそうに声を上げた。意外だった。
 「よく看護師さんが通してくれましたね」
 「甥の見舞いに来たと言ったんだ」
 島田はうなずいた。
・「先輩が来る前に、だれが見舞いにきてくれたと思いますか」
 「金城さんですよ。金城由佳里さん。羽田にいく途中、よってくれました。」
 「あの看護師がよく通してくれたな」
 「彼女、なんて言って通ったと思います」
 私は肩をすくめた。
  
・「なにかいいことがあったの」
 安西さんが聞いた。わたしはただ微笑んでいるだけだった。
 「あなたの笑顔、本当に素敵」
・「飛行場に来る前、どこにいってたの。一人で出かけたの初めてでしょう」
 「秘密です」
  
10
・河田雄一郎教授が私を見つめていた。
 「あの公園で、私は襲われた男を助けました。彼こそ、あなたが待っていた人物ではな
 いのですか」
 「私の出現に襲っていた男たちは逃げさりました。そして襲われていた男も逃げてしま
 った。一通の手紙を残しましてね。その手紙こそ、あなたが受け取るはずのものでした」
・「それがトルーマン・レターですかな」
 教授が口を開いた。
・「あなたは血眼になって手紙を捜したはずだ。ところが二日後、私が手紙を持ってここ
 に現れた。あなたは驚いたに違いない。そして取り戻す方法を考えた」
・「しかしすぐに、方針を変えたほうが賢明であることに気づいた。私たちに手紙を公
 表させることです。あなたの目的は手紙の公表にあった」
・「園田美弥子のマンションの前で、拉致されそうになった私たちを逃がしたのも、あな
 たたちの仲間だ。私たちが日本側の組織につかまれば、手紙の公表ができなくなる。彼
 らは、そのために殺人まで犯した。そして一人の若者にとりかえしのつかない、障害を
 あたえた」
・「夕刊に一つの記事が出ました。二人の中国マフィアが殺され、車ごと東京湾に沈めら
 れていたというものです。二人は拷問されたうえ、息のあるうちに海に沈められた。あ
 れは仲間への見せしめのためだ。違いますか」
・「あの手紙は金にもなるものです。それも億単位の金です。あなた方の組織は、手足に
 中国マフィアを使っていたのではないですか。その一部の者が欲を出した。イデオロギ
 ーより実利を選んだ」 
・「祖国よりも、金に目がくらんだとおっしゃるのかな」
 「そうです。それに気づいたあなた方は、見せしめのために拷問したうえで殺した」
・「なるほど、あなたの考えはわかりました。ところで、あのような手紙が公になって、
 私のどのような利益があるというのでしょうか」
・「偶然、あなたが中国の方であることを知りました」
 「あなたのお祖父様の時代に日本に帰化しています。お祖母様も中国人ですね。あなた
 の両親は日本で生まれた日本人だが、身体を流れる血は純粋な中国人だ。だからあなた
 の身体に流れているのは、完全に中国の血だということになります。戸籍上は完全な日
 本人でありながら、完全な中国人なのです」
・「1997年、香港が中国に返還された。これで、中国は長年の夢であった世界に対す
 る経済の窓口ができた。しかし国内の経済発展は思うようにいっていない」
・「中国が中国として生き残る道、それは日本との同盟しかないと考えたのではないです
 か。もし日本とアメリカ以上に親密な関係を結ぶことができれば、それには日米安保
 条約はなんとしても破棄させなければならない。そうなれば日本は、北朝鮮の脅威から
 逃れるためにも中国との接近をはからざるをえません。さらに在日米軍がいなくなれば、
 台湾統合も夢ではない。台湾の経済力、それは喉から出がでるほど魅力的なものでしょ
 う」
・「あなたは一つの計画をたてた。アメリカをアジア地域から追い出すもっとも有効的な
 手段、日米安全保障条約を破棄させる手段です。あなたが目をつけたのは、日本人の核
 に対する民族的ともいえる嫌悪です」
・「中国は伝統的に、模写技術の発達した国です。模写を一つの芸術として認めている。
 当然、その技術は高い。六十年前の製造、模写など贋作を製造するのに必要な技術を持
 ったエキスパートが集められた。加えて、心理学者、社会学者などの学者の手により、
 トルーマンの性格が徹底的に調べられた。そしてできあがったのがあの手紙です」
・「手紙はトルーマン自身は書かなかった。しかしトルーマンの精神が書いたものです。
 いや、当時のアメリカそのものだったかもしれない。あの手紙が公になれば、日本国民
 のアメリカに対する感情は大いに変わるはずです」
・「あなたの意見はわかりました。私がなぜ、そのような手のこんだことをしなければな
 らない必要があるのです。私には野心などありません。ましてや、金など興味がありま
 せん。現在のこの静かな学究生活に満足しています。妻もいない。家族もない。私にと
 って、地位も名誉も富も無縁なものです」
・「一つには、民族の血ではないですか。中国を愛し中国の発展を願う、あらがうことの
 できない中国人としての血です」
・「私の友人の知り合いが、もう一つ教えてくれました。娘さん、佳子さんのことです。
 娘さんは大学時代、恋に落ちた。若い女性としては当然のことです。しかし相手が問題
 だった。日本に留学中のアメリカの青年だった。彼女は妊娠し、あなたは激怒した。相
 手が日本人であっても同じでしょう。あなたは自分の民族の血に、他の血が入るのに耐
 えられなかったのだ。しかし娘さんは、その青年とともにアメリカに渡ってしまった。
 二十四年前の話です」
・「それ以来、あなたは娘さんとは会っていない。かたくなに拒否し続けている。ところ
 が数年前、あることが起こった。あなたのお孫さん、愛華さんのことです」
・「河田愛華、二十三歳。彼女は三年前に北京大学に留学した。これもやはり、民族の血
 というやつでしょう。彼女は中国に関心を抱いたのです。そして中国で彼女は事件に巻
 き込まれた。彼女は逮捕され投獄された」
・「そのお孫さんが、十日前突然釈放されアメリカの母親のところに帰っている」
 「あなたはお孫さんの釈放とひきかえに、取引をしたのではないですか」
・「愛華。私はこの孫に会ったことはありません。写真を見るのも、あれが初めてでした。
 しかし紛れもなく私の血を引くものだ。写真を見てひと目でわかりました」
・「彼女は今、北京です」
・「二日前に娘の佳子から連絡がありました。愛華は中国に帰ったと」
 「彼女には二歳になる子供がいるそうです。愛華は獄中で子供を産んだ。女の子です。
 どのようにして生まれた子かは知りませんが、自分の子には違いない。愛華はその子を
 愛していた。その子供がまだ中国にいたのです。彼らは、愛華しかアメリカに帰さなか
 った。いずれ愛華が子供恋しさに戻ってくることを承知していたのでしょう。今度は、
 自分の意思というやつでね」
 「彼らは、私たち家族に逃れられない罠をしかけたのです」
 「彼らは私が利用できるかぎり、愛華とその娘を自由にはしないでしょう」