原爆 私たちは何も知らなかった :有馬哲夫

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一般的に我々日本人は、先の大戦において広島や長崎に原爆を投下されたことについては、
戦争を始めたのは日本なのだから、日本が悪いことをしたのだから、その悪いことをした
日本が、原爆を投下されても仕方がないことだったと、思わされている。しかし、原爆投
下に限って言えば、はたしてほんとにそうだったのか、という疑問がいつまでもくすぶり
続けているのも事実である。
原爆が投下された当時の日本は、すでに首都東京も空爆で焼け野原となり、もはや敗戦は
目に見えていた。日本も終戦に向けていろいろ動きを見せていた。終戦は時間の問題だっ
たと言えるのだ。
しかし、米国は、そんな日本に対して、「戦争の終結を早めるため」との理由から、広島
と長崎に原爆を投下した。これは、軍事施設への攻撃ではなく、一般市民をも含めた無差
別大量殺戮だった。このことは、その後に米国がどんな言い逃れをしようとも、紛れもな
い事実だと言える。
米国が日本に原爆と投下した主の理由は、次の三つだったと言える。
 ・戦争中に議会の承認なしに莫大な予算を使って開発した原爆を使わないままにするこ
  とは、当時の政府の大きな責任を問われることになるためできなかった。
 ・終戦後のおける共産主義国家ソ連に対するけん制 
 ・トルーマン大統領の有色人種に対する個人的な差別と偏見から起因している真珠湾攻
  撃に対する強い復讐心
トルーマン大統領は、すでにロシアに日本が終戦について「懇願」しているという情報を
得ていたにもかかわらず、広島と長崎への原爆投下を承認していた。それが一般市民をも
含んだ無差別大量殺戮であることを承知の上で承認した。それは、これ以上戦争の犠牲者
を出さずに早く終わらせるためではなく、原爆を使用すること自体が目的となっていたか
らだ。私たち日本人は、しっかりとこの事実を受け止めるべきだ。
どんなに社会が発展しても、どんなに民主主義が浸透したとしても、どんなにりっぱな政
治体制だとしても、どんなにりっぱな政治家やリーダーだとしても、このような愚かな選
択は二度としないだろうと思うのは、幻想でしかない。想定外は常に起こるのだ、と私は
思う。

まえがき
・まえから強い違和感を持っていることがあります。広島に投下された原子爆弾に関する
 資料が展示されている施設が広島平和記念資料館と呼ばれていることです。長崎のほう
 は長崎原爆資料館という名称になっているのですが、原爆投下にちなんで建てられた像
 は平和祈念像とされています。なぜそれぞれ広島原爆資料館、原爆犠牲者像としないの
 でしょうか。
・私はさまざまな外国に行きましたが、多くの国々に行けば行くほど、違和感が大きくな
 ります。私が行ったことのある国々では、多くの犠牲者がでた場所、虐殺があった場所
 に記念館や記念碑が建っていますが、「平和祈念館」とか「平和の像」という名称は付
 いていません。
・私がもっとも心を痛めるのは、広島の原爆死没者慰霊碑に「安らかに眠ってください 
 過ちは繰り返しませんから」と刻まれていることです。素直に読むと「日本は誤った戦
 争を仕掛けた結果、原爆を落とされました。二度とこのような過ちは犯しませんから、
 やすらかに眠ってください」という意味にとれます。つまり、日本は戦争を仕掛けたの
 で罰として原爆を投下されましたが、もう戦争はしませんからこれからは原爆の被害に
 遭うことはないでしょう、ですから安らかに眠ってくださいということです。多くに日
 本人はそう理解するのではないでしょうか。
・これはアメリカの論理ではないでしょうか。これだと、広島・長崎の被爆者は、罰せら
 れたということになってしまいます。何に罪も犯していないのにこんな自虐的な受け止
 め方をしていいのでしょうか。被害者でありながら、原爆投下の加害者を非難するので
 はなく、相手を恨むのではなく、平和を祈ろうというのです。
・ロシア、中国、北朝鮮は日米安全保障条約で想定している「武力攻撃」を日本に対して
 する可能性のある国々です。彼らが1発の核ミサイルを首都圏に撃てば3千万人以上の
 日本人が死に、日本は壊滅します。
・そもそも私たちが持っている原爆についての知識は、最初から、根本的な部分で間違っ
 ていたのではないでしょうか。つまり、百歩譲って間違った戦争を仕掛けたとして、そ
 のことと原爆を投下されたことは関係がないのではないかということです。原爆は戦争
 を終わらせるために使われたものでさえないかもしれません。
・戦争をせず、平和を祈れば原爆の災禍は二度と起こらないという考えは、核兵器を持っ
 ている人々が理性的に良識的な人々で、それゆえ自分たちが持っている最終兵器を使う
 選択は決してしないことを前提にしています。現在、核兵器を持っている国々のトップ
 の顔を思い浮かべてそうだといえるでしょうか。 
・私たちは、これま占領中にアメリカ軍によって植えつけられてきた自虐的歴史観のせい
 で、アメリカ側の原爆プロパガンダを信じ、きわめて根源的な問いを発することをして
 きませんでした。

原爆は誰が作ったのか
・日本は終戦後7年間にわたってアメリカに占領されてきました。その間、検閲と言論統
 制が行われていました。つまり、アメリカにとって都合がいいことばかり取り上げさせ、
 都合の悪いことは報道させない状態にあったのです。1952年に占領は終わりますが、
 そのあいだに日本のマスメディアは徹底的に改造されたので、現在も親米でアメリカ寄
 りです。それは日本を離れて、ヨーロッパなどに少し長く滞在するとわかります。
・アメリカは日本と1941年12月7日(アメリカ東部標準時)に、ドイツとは11日
 に戦争状態に入りました。この戦争がどうなるか、どのくらい長く続くか誰にもわかり
 ませんでした。原爆開発もこのあとにゴーサインがでるのですが、これもまたいつ完成
 するのか、ルーズヴェルトにも誰にもわかりませんでした。科学者たちは2,3年で完
 成するといっていましたが、彼ら自身も確信はありませんでした。
・よく原子力の利用は、軍事利用つまり原爆開発が先行していて、そのあと原子力の平和
 利用が始まったと思っている人がいるのですが、これもここで違うと指摘しておきまし
 ょう。事実は逆だったのです。
・平和時だったら平和的利用だけ考えて、原爆など発想しなかったかもしれないというこ
 とです。軍事利用と平和的利用に違いは、つまるところ、どのように核分裂を連鎖反応
 させるか、一瞬に爆発的にか、持続的にゆっくりか、そのエネルギーを破壊に使うのか、
 動力などに使うのかの違いしかないのです。原子力エネルギーの利用を考えていたほと
 んどの科学者たちは、とにかく核分裂の連鎖反応を起こすこと、そこからエネルギーを
 得ること、それを利用することを考え、原爆のような使い方を発想しませんでした。   
・実際、同地もまた原子力エネルギーを開発していたのですが、彼らは「ウラン・エンジ
 ン」を開発して動力または発電に使おうとしていました。つまり、「ナチス・ドイツに
 先を越されないように」といっても、当のドイツは原子力エネルギーを動力または発電
 のために使っても爆弾として使うことは考えていなかったのです。ただし、核分裂を発
 見したのはハーンでしたし、原子炉とウラン化合物は持っていたので、原爆という発想
 を思いつけば、彼ら作った可能性もゼロではありません。
・アメリカは、アインシュタインの手紙以降、原子力エネルギー利用の研究をしていたの
 であって、原爆の研究をしていたのではありません。ルーズヴェルトが原爆のアイディ
 アを知り、その開発に関心を持ち出すのは、日本と開戦するおよそ2カ月前の1941
 年10月です。つまり、どうもドイツとの戦争が避けられそうもないとわかってからで
 す。
・ということは、原爆開発ありきではなく、原子力エネルギー開発あるきだったというこ
 とです。これまで、原爆開発はそれ自体を目的とした単発のプロジェクトとして始まっ
 たと思われてきましたが、これは違います。あくまでも原子力エネルギー開発があり、
 その一環として、またその異端的利用として、原爆の研究が始まったのです。
・つまり、アメリカはまだどの国とも戦争していないのに、ナチス・ドイツの脅威だけで
 原爆のアイディアに関心を持ったのかというと、答えはノーだったということです。そ
 うではなく、まだ戦争になっていなかったので、アメリカは原子力エネルギーの開発か
 ら始め、ドイツと戦争になりそうなので、原爆のアイディアを知った後、こちらに全力
 を傾けることにしたのです。 
・当時の科学者たちの間では異端だった、ウランの核分裂エネルギーを爆弾に使うアイデ
 ィアが最初に登場したのは、どこの国だったのでしょうか。それはイギリスだったので
 す。これまで原爆といえばアメリカだけを見てイギリスに目を向けることはありません
 でしたが、これは根本から改めなければなりません。
・ドイツの1939年のポーランド侵攻のあと、イギリスはドイツに宣戦布告し、戦争状
 態に入りました。これはアメリカが日本およびドイツ、イタリアと戦争に入る2年前で
 す。したがって、イギリスこそまさしく「ドイツに先を越されないようにする」必要が
 あったのです。 
・さて、原爆を最初に作ろうと思い立った国はイギリスだったのですが、では誰がこの異
 端的ウラン・エネルギーの使い方を考え付いたのでしょうか。それはオットーとパイエ
 ルスでした。そしして皮肉なことに、彼らはドイツ系でした。彼らは1940年3月に
 原爆の可能性についてのメモ(覚書)を書きました。このメモは、物理学上の原爆の可
 能性を指摘していたことも重要ですが、もう一つ重要な考えを含んでいました。それは、
 なぜ原爆を作るかということです。メモには「ドイツがこの兵器(原爆)を持っている、
 あるいは将来持つと仮定すると、これから身を護れる大規模で効果的なシェルターはな
 いことに気づく。もっとも効果的な方法は同じような爆弾で脅威を与えることだ。攻撃
 の手段として使用するつもりはないとしても、できるだけ早くこの爆弾の製造を始める
 ことが大切だ」と記されていました。彼らは、このような威力をもった兵器から身を守
 るすべはない。だから、使わせないようにしなければならないのだが、最適な方法は同
 じ威力の兵器を持つことである。やれば、やりかえされると思わせることだ。これによ
 ってドイツに原爆の使用を思いとどませることができる。だから、われわれは原爆を作
 らなければならない、と考えたのです。
・つまり、使うためではなく、使わせないために原爆を作る必要があるという考えです。
 この「抑止論」は、原爆開発に関わった科学者たちのほとんどが持っていた考え方です。
 彼らは自分たちが作っているものが、実際に使われて、何十万人ものなんの罪もない一
 般市民を焼き殺すことになるとは考えたくなかったのです。 
・原爆の威力は非常に大きいので、それをドイツが完成させたら、それまでどんなにアメ
 リカやイギリスが優勢であっても、一挙に形勢は逆転してしまう。戦争がどんなに有利
 に展開したとしても、ドイツが原爆を持つ可能性があるうちは、アメリカとイギリスの
 勝利は確定しない。だから、ドイツに確実に勝つためには、原爆を完成させなければな
 らない。これは戦争が少し進んだあとの「対抗論」といえると思います。
・アメリカはいまでも「戦争終結を早めるために」あるいは「数十万の日米将兵の命を救
 うために」原爆を使ったといいます。レトリックは巧みですが、要するに、これは「攻
 撃論」です。相手に甚大な被害を与え、大量殺戮し、戦意を喪失させ、戦争継続をあき
 らめさせるということです。これによって、戦争終結が早まり、それによって数十万の
 日米の将兵の命が救われるという考え方です。 
・これは原爆開発に携わった科学者たちの論理ではありませんでした。それに彼らのほと
 んどは、ドイツが原爆を持ち、永久にヨーロッパを支配することを怖れていました。ド
 イツの原爆の利用を抑止するために、あるいは対抗するために、連合国側は原爆を持つ
 べきだと考えたのです。
・イギリスでは原爆の可能性を検討する「モード委員会」が設置された。そこでの結論は、
 原爆の製造は理論的には十分可能だが、それには巨額の資金、巨大な工場設備、膨大な
 量の資材と薬品、大量のウラン鉱石が必要だ。これは当時のイギリスの状況を考えると、
 ほぼ不可能だということでした。
・私たち日本人はアジア地域での戦争のことは比較的よく知っていますが、ヨーロッパ地
 域での戦争、特にドイツとイギリスの戦争のことはあまり知りません。イギリスは、戦
 争に勝ったのだから、たいして被害がなかったのだと独り決めています。しかし、実際
 には、特にロンドンなどがドイツ空軍の爆撃で大きな被害を受け、あと少しで降伏せざ
 るを得ないところに追い込まれていたのです。
・1941年の春には、ドイツ空軍によって撃ち落される軍用機(爆撃機、戦闘機、輸送
 機)の数がイギリスが生産する軍用機の数を上回り始めていました。つまり、あと数カ
 月でドイツ空軍がイギリス本土の制空権を握るところまで来ていたのです。これはイギ
 リス本土上空ががら空きになり、ドイツ空軍がどこでも好きなところを思い通り爆撃で
 きる状態になるということです。戦争末期の日本と同じ状態で、これは、イギリスの敗
 北を意味します。
・幸い、そのことを知らなかったヒトラーが、同年の6月いソ連侵攻を始め、それに航空
 兵力を割いたので、イギリスは九死に一生を得ることができたのです。
・1943年8月にアメリカとイギリスは協定を結び、原爆を共同開発することにします。
 これが「ケベック協定」と呼ばれるものです。この協定によって、原爆の開発は、アメ
 リカ、イギリス、カナダの3カ国が共同して行うこととなっています。日本ではこの協
 定のことはまったくといっていいいほど知られていないのですが、極めて重要です。こ
 の協力体制がなければ、1945年8月に日本に原爆を投下することはできなかったで
 しょう。
・カナダは他の2カ国と同格になっています。ウラン鉱石を輸出するだけでなく、それを
 加工してイギリスやアメリカに輸出していたのですから、ウラン資源の消費国でもあっ
 たからです。カナダはアメリカとイギリスのポーカー・ゲームを傍で見ていただけでは
 なく、自分もそこに加わっていたということです。 
・そうすると「原爆は誰が作ったか」という問いの「誰が」の部分に、国として、アメリ
 カとイギリスのほかにカナダも加えなければならないことになります。

原爆は誰がなぜ使用したのか
・原爆はアメリカが単独か独力で製造したのではありません。重要なアイディアはイギリ
 スのものでしたし、ウラン鉱石や重水や資材などはかなりの部分カナダに依存していま
 した。費用こそほとんどアメリカが負担したものの、原爆はアメリカ、イギリス、カナ
 ダが共同で開発したものなのです。
・おそらくアメリカは、イギリスとカナダ抜きでも原爆を作れたでしょう。しかし、そう
 していれば原爆は1945年8月の時点で完成していなかったと思います。また、使っ
 たあと自分たちに対して使えなくする体制、つまり国際管理やウラン資源の独占もアメ
 リカ一国で構築することなど考えられませんでした。
・日本に原爆をしようと最初に言い出したのはチャーチルだったということです。
 1944年9月にハイドパーク会議で提案するのですが、相手のルーズヴェルトは、チ
 ャーチルのいう通りにするか、それともアメリカ国内での実験のみにとどめるのか、当
 時はまだ決めかねていたのです。
・原爆を使用する場合、どのように使用するかを決める必要がありました。実は、原爆の
 使用に関してこの点がもっとも重要だったのです。イギリスもこの使用法に関して注文
 を出していました。にもかかわらず、日本では、特にマスコミでは、こちらの決定のこ
 とはまったく無視されてきました。
・「原爆を日本に使用すると決定した」イコール実際に広島や長崎に投下されたように、
 「女性も子供も沢山いる人口が密集した年に無警告で使いことを決定した」のだと捉え
 がちです。事実は、そうではありませんでした。日本に使用するといっても、大きく分
 けて3つの選択肢が存在しました。
 ①原爆を無人島、あるいは異本本土以外の島に落として威力をデモンストレーションす
  る。
 ②原爆を軍事目標(軍港とか基地とか)に落として、大量破壊する
 ③原爆を人口が密集した大都市に投下して市民を無差別に大量殺戮する
・また、使用するにしても、2つの方法がありました。
 (A)事前警告してから使用する
 (B)事前警告なしで使用する
・日本に原爆を使用するという決定を下すとしても、使用したあとにおこることを考えて、
 事前にさまざまな手を打つ必要がありました。原爆という兵器が日本にのみ使用され、
 その後は誰も使わないものになるのならば、そんな必要はないでしょう、しかし、過去
 の歴史を見てもそんなことは考えられません。そうであるならば、どう自分たちにとっ
 て都合のよい状況を使用後につくるのかまで考えなくてはならないのです。
・つまり、具体的には原爆の所有と使用によってソ連や世界世論を敵に回さないこと、日
 本に使用したのち自分たちに対して使用されないようにすることです。  
・ボーアら科学者たちは、原爆の感性が視野に入ってきたとき、ドイツの敗戦が必至の情
 勢になっていることに心を悩ませていました。ドイツの脅威がなくなったあとで原爆が
 完成すると、当初科学者がちが考えていた「対抗・抑止」兵器ではなく、「攻撃用の大
 量破壊兵器」になってしまいます。これは彼らがもっとも恐れていたことです。
・本来ならルーズヴェルトに原爆の開発をやめるように要請すればいいのですが、アメリ
 カはすでに巨額の予算を使っています。ボーアもそれは知っているので大統領に開発を
 やめて、原爆を完成させないでくれとはいえません。それに、もう最終段階に進んでき
 ているので、アメリカが製造をやめたところで、ノウハウがすでに蓄積されていて、完
 成させなくとも、その気になればいつでも作れます。
・なぜチャーチルが原爆をしようすべきだ、それも「持たざる」日本に対してそうすべき
 だといっているのでしょうか。ドイツに使う必要がなくなっていることは明らかだが、
 日本にも使用しないことになったら、アメリカは原爆の製造を中断、ないしはスピード
 ダウンするかもしれない。アメリカはこの未完の新兵器に途方もない資源と資金を割い
 て無理しているからだ。日本に使うことに合意させれば、中断もスピードダウンも防げ
 る。さらに、原爆開発がこのままいけば、国際管理の問題が解決しないうちに、ケベッ
 ク協定体制のもとで原爆が実戦に使われる可能性は大である。また、ソ連の勢力拡大を
 抑える意味でも、使用は望ましい。国際管理の問題が未開勝のまま、原爆を日本に使用
 すれば、科学者たちもいっているように、ソ連は威嚇と受け止めるだろう。とすると国
 際管理のことを持ち出しても、身の危険を感じ、猜疑心の虜となっているソ連は、原爆
 の即時共有を持ちかけない限りは話し合いに応じてくる可能性は低い。だが、19億ド
 ルもの巨費を投じて完成させたばかりのアメリカがすぐにそこまで踏み切れるはずもな
 く、交渉しても決裂するだろう。かくして、アメリカをして日本に対して原爆を使用せ
 しめれば、ケベック協定のもとで米英の協力体制が戦争のあとも続き、ソ連はそこから
 排除されるというイギリスが狙っている方向に向かう。ハイドパーク覚書自体からもそ
 のようなチャーチルの姿勢がうかがえます。つまり。日本に使うべしとした一方で、ケ
 ベック協定の第3条をもとにソ連に対する情報提供に拒否権を発動するということです。
・自国では原爆開発を行わず、アメリカの原爆開発に全面的に協力することで、戦後にそ
 の成果を共通することを目論んでいたチャーチルは「原爆開発」を中断しないでくれ」、
 あるいは、「スピードダウンさせないでくれ」という代わりに「原爆を日本に対して使
 ってはどうか」といったと考えられるのです。
・これは日本人、特に広島や長崎の被曝者からすると、とんでもないことではないでしょ
 うか。要するに、当時の軍事的・政治的必要性とはあまり関係なく、戦後アメリカとと
 もに原爆・原子力エネルギーを展開したいという思惑から、チャーチルは日本への原爆
 使用を提案したことになるからです。要は損得勘定、営利目的だったということになり
 ます。
・戦後、このイギリスから日本が、原爆開発の成果の一つである原子力発電所を輸入した
 ことは歴史の皮肉といえます。日本の原子力発電はここから始まったのです。
・チャーチルは日本に対して使用することを前向きなのに対して、ルーズヴェルトはそれ
 ほどでもなかったことがわかります。彼がアメリカ国内で実験して、その威力をなんら
 かの方法で日本に示して早期降伏を促すことも選択肢に入れていました。ということは、
 やはりハイドパークでチャーチルに対して日本に原爆を使うかどうかについてはっきり
 と使うという言葉を与えていないということです。 
・この原爆開発がこのころのアメリカの自動車産業全体と同じ規模で、かつ20年後にロ
 ケットを月に到着させるプロジェクトと同じ規模だったといわれています。戦争中にも
 かかわらず、アメリカは自動車産業と同じ規模の原爆産業を作った、それは20年のち
 の宇宙産業と同じ規模だったということです。
・大統領令で1941年に原爆開発がスタートしましたが、平時では予算の充当は議会の
 承認が必要です。しかし、戦争中だということで、議会によるチェックを一切拒否して
 いたのです。
・興味深いことに、上院議員時代のトルーマンがトルーマン委員会の委員長として原爆開
 発について調べようとした際、スティムソンは軍事機密だとして拒否していました。大
 統領になってからようやく情報開示を受け、「こういうことだったのか」とトルーマン
 はいっています。このように、スティムソンはノーチェックで、この完成するかどうか
 もわからない新兵器に、戦争のさなか、予算も資材もほとんど無制限に、しかも他の軍
 事プロジェクトに優先させて回していました。普通ならば、いかに戦時でもマスコミに
 知れると大スキャンダルになりますが、これもまた検閲によって報道を封じていたので
 す。
・これだけのことをしておいて、使うべき相手のドイツがもう崩壊寸前なので、原爆製造
 を止めますと開発最高責任者として言えるのでしょうか。開発をやめれば、あまり時を
 置かずこの未完の新兵器にどれだけのお金と物資を使ったのかを議会や国民やアメリカ
 の将兵に明らかにしなければならなくなります。税金を使ったから当然です。
・完成させながら、使うのをやめた場合はもっと大変なことになります。使うために開発
 を始めたのではないのか、使えば戦争が早く終わり、多くの将兵の命が救われたはずだ、
 といわれるでしょう。アメリカ軍のトップとしてはアメリカ軍の将兵の命のことをいわ
 れると何も言えなくなります。 
・原爆投下後の声明でも述べているように、原爆開発を始めた以上、完成させる、完成さ
 せたら使用するというのがスティムソンの役回りだったのです。原爆開発のトップとし
 て、議会と納税者とアメリカの将兵に対する義務を果たそうと考えていたとしても、ア
 メリカ側の話として聞くなら、少しもおかしくありません。
・ということは、ドイツが敗色濃厚でも、完成させる、そして完成させたら使うというの
 はスティムソンにとっては既定路線だったのです。ただし、スティムソンも最初からで
 はなく、プロジェクトとその支出の全容がわかるにつれて、日本への実戦使用へと傾斜
 を深めていったのだと思います。
・もしもスティムソンの説明を聞いたならルーズヴェルトも実験ではなく、実戦に使うと
 いう結論を出していたと思います。彼はマンハッタン計画を承認し、その実行をスティ
 ムソンに任せたのですから、特に理由がない限りはこの勧告にしたがったはずです。そ
 して、特に反対する理由はありませんでした。
・日本を追い詰めていたマッカーサーは、原爆の使用は必要なかった、これがなくとも日
 本はまもなく降伏していた、といっています。そして、必要がないのになぜ原爆を使っ
 たかについては、そうしなければスティムソンが議会に対し巨額の出費に関して説明で
 きなかったからだ、と述べています。実際、英米の研究者もこの巨額の出費と議会に対
 する説明責任を原爆使用の理由としてよくあげます。
・このように、原爆開発のような巨大プロジェクトはいったん立ち上げられると、それ自
 体が自己目的化してしまいます。つまり、何のために作るのか、どのような状況で使う
 のかより、完成させること、状況とは関係なく、実戦で使うことが目的になってしまう
 のです。
・1945年4月25日にトルーマン新大統領に原爆のことを引き継ぐにあたって、ステ
 ィムソンはグローヴスに作成させたメモを前もって渡して説明を行っていますが、その
 メモの中で製造目的は、戦争終結を早め、アメリカの将兵の損失を少なくすることだと
 明記しています。この表現はトルーマン自身もいろいろな機会に原爆の使用についての
 説明で使っていますので、彼もそのように受け止めていたといえます。
・ルーズヴェルトはある意味で独裁者でした。一握りのインサイダーたちで何でも決め、
 議会を含め、アウトサイダーにはまったく関与させず、情報も与えませんでした。原爆
 開発がまさにその一例だったのです。ところが、その独裁者はいなくなってしまいまし
 た。大統領に昇格したトルーマンは、副大統領になったのさえおよそ3カ月前でした。
 つまり、完全なアウトサイダーだったのです。原爆のことについてはなんら決定に与っ
 ていないし、知識もありませんでした。
・トルーマンは上院議員時代にトルーマン委員会の委員長として原爆に関して調査したと
 スティムソンに申し入れましたが、拒否されています。大統領になって引き継ぎを受け
 てから、その全貌を知ることができたのです。
・さらに、彼は選挙で選ばれたわけではなく、ルーズヴェルトの死去によって、民意を得
 ずしてなった大統領です。しかも、彼が副大統領候補になる過程にさえ大きな問題があ
 りました。正副大統領候補を選出する1944年の民主党大会では、副大統領の最有力
 候補であるヘンリー・ウォレスを嫌った保守派の党員が、彼に対するほかの党員の投票
 を妨害したのです。そのおかげで第1回の投票ではほとんど票が得られなかったにもか
 かわらず、当選したのはトルーマンでした。
・ですからトルーマンは、重要な決定を下す最、ルーズヴェルトのように「国民の支持を
 得て大統領になった私が決めるのだ」と胸を張っていうことができません。トルーマン
 自身も、大統領になって戸惑っていましたが、政権周辺の人間はもっと途方にくれてい
 ました。戦争が終わりに近づき、重要な決定がいくつもなされなければならないのに、
 即断即決で、自分の責任でそれをしてくれるルーズヴェルトがいないのです。
・原爆をどう使うかの軍事判断は、アメリカ軍全体の最高司令官である大統領がしてもい
 いでしょう。あるいは、革命的兵器ではあっても、所詮は兵器なのですから、その使用
 についての判断はアメリカ軍の現場トップがすべきことで、大統領の出る幕ではない、
 といえなくもありません。実際、グローヴスはそう考えて、原爆目標選定委員会を設置
 して、会議では横浜、京都、小倉、長崎の都市の名前がすでに目標としてあがっていま
 した。 
・問題は、原爆に関することにトルーマンがイニシアティヴを発揮しようとしないことで
 した。何も知らないアウトサイダーの身から大統領になったトルーマンにしてみれば、
 さあ決めろといわれてもどう答えていいのかわからなかった、というのは事実です。し
 かも、ケベック協定書はあるものの、そのあとの「ハイドパーク協定書」がないのです。
 つまり、現在どんな約束が英米間であったのかわからず、大統領にしっかりした引き継
 ぎができていないのです。したがって、このあとしばらくトルーマンは原爆に関して決
 断を下すことにきわめて消極的になりました。 
・アメリカと違って、イギリスは対日戦に関してはあまり役割が大きいわけではありませ
 ん。ですから、原爆を使うかどうかという決定については、アメリカにあまり口出しで
 きる立場にありません。その使用はアジアにいるイギリス軍の将兵にも影響を与えます
 が、アメリカ軍ほどではありません。しかし、本心ではイギリス側、特に、チャーチル
 は、原爆を日本に使用することによって、ソ連のヨーロッパでの勢力拡大を抑えたいと
 思っていました。 
・一般論としても、情報公開を早くすれば、それだけ早くソ連の原爆開発がスタートし、
 原爆の独占も早く崩れ、ソ連に対する米英の優位も失われ、ソ連のヨーロッパ進出への
 歯止めもそれだけ早くなくなります。ですからイギリス側は、情報公開に踏み切らざる
 を得ないのでアメリカに原爆を使用するなとはいわないものの、少なくとも使用するま
 では、情報公開を控えるよう繰り返し要請していたのです。
・イギリス側はこのままいけば、原爆はアメリカが単独で開発したことになり、そこに果
 でしたイギリスの貢献は忘れ去られることになるとも恐れていました。だから、原爆は
 あくまでアメリカ、イギリス、カナダが共同で開発したものであり、そこで果たしたイ
 ギリスの功績が大きいことを世界に伝えなければならないと思っていました。そして、
 イギリスは今でこそ原爆を保有していないが、製造する技術を持っており、この面にお
 いて依然アメリカとともに世界のリーダーだということを、国際社会に、特にソ連に対
 して、示したかったのです。
・バーンズは戦後のロシアの振る舞いについて懸念していた。ロシア軍はルーマニアとハ
 ンガリーに入り込んでいて、これらの国々から撤退するよう説得するのは難しいと彼は
 思っていた。そして、アメリカの軍事力を印象づければ、そして原爆の威力を見せつけ
 れば、扱いやすくなると思っていた。
・戦後スティムソンは原爆開発責任者として、また元陸軍長官として、アメリカの原爆投
 下を正当化するために「ハーバーズ」誌に「原爆投下の決定」を発表しましたが、この
 なかで無警告投下した理由については、不発弾になる可能性があったからと書いていま
 す。つまり警告しておいて不発弾になると、それが原爆だと予告しているので、日本軍
 がこれを手に入れてしまうということです。それにこんな間抜けなアメリカ軍に降伏す
 るなどするものかと、継戦意思を固めてしまうかもしれない、ということもあります。
・当然ながらこの説明は信じられません。なるほど、原爆が1発しかなくて、それが不発
 弾になって、あとはもうないのだから、日本軍の士気はあがったでしょう。しかし、生
 産ラインが出来上がっていたので、アメリカ軍はこの年の終わりまでに9個完成させる
 ことができたのです。うち2個は使用可能ではありませんでしたが、7個ありました。
 1発不発弾になったとしても、そのあと成功すればなにも変わりありません。不発弾が
 日本軍の手に入ってしまうという問題も、そうしたところで日本軍は使えないだろうと
 いう答えが返ってきます。原爆はアメリカ軍の誇る爆撃機B-29でしか運べませんで
 した。日本にはこんな爆撃機はありません。あっても制空権を完全に失っているので、
 それをアメリカ軍に対して使うことはできません。それはアメリカ側もよく知っていま
 した。
・アメリカの研究者の中には「警告なし」を正当化する理由として、「日本の戦闘機に原
 爆の搭載機が待ち伏せされる」というものを挙げる人もいます。これはたしかにありえ
 たかもしれませんが、マーシャルの案の通り、複数都市を指定したら、迎撃態勢がない
 に等しいので、防衛は難しかったと思います。爆撃予告日も1日ではなく、数日の幅を
 もたせれば、迎撃は一層むずかしくなります。
・このように考えると、事前警告なしにする積極的な理由は見つかりません。
・あらゆる可能性を検討した結果、やはり無警告にしたのは、バーンズ(と、その背後に
 いるトルーマン)がもっとも国際社会に(とりわけソ連に)衝撃を与える大量殺戮兵器
 として使いたかったからだ、と結論せざるを得ません。   
・だからバードは反対したのです。彼もこの使い方が日本の戦争継続遺志をくじき、終戦
 を早めるうえでもっとも効果が大きいことは承知していたでしょうが、そこまでやる必
 要はないと思ったのです。これはイギリス側、チャーチルでさえ同じです。
・戦争に勝ためなら、大量破壊兵器として使うので十分なのに、わざわざ大量殺戮兵器と
 しての使い方を選んだ理由は、トルーマンのバーンズが日本人に対して持っていた人種
 的偏見と、原爆で戦後の世界政治を牛耳ろうという野望以外に見当たりません。 
・トルーマンは、ポツダム会談でチャーチルと原爆のことを議論したときも、原爆投下の
 あとの声明でも、アメリカキリスト教協会の幹部にあてた手紙でも、繰り返し真珠湾攻
 撃のことに言及しています。この点は見逃しません。
・つまり、真珠湾攻撃をした日本に懲罰を下したかったのです。真珠湾攻撃が彼の復讐心
 を掻き立てるのは、被害が大きかったというよりも、自分たちより劣っているはずの日
 本人がそれに成功したからです。 
・トルーマンは若い頃、のちに妻になる女性に送った手紙のなかで「おじは、神は土くれ
 で白人を作り、泥で黒人を作り、残ったものを投げたら、それが黄色人種になったとい
 います。おじさんは中国人とジャップ(日本人の蔑称)が嫌いです。私も嫌いです。多
 分、人種的偏見なんでしょう。でも、私は、ニガー(黒人のこと)はアフリカに、黄色
 人種はアジアに、白人はヨーロッパとアメリカで暮らすべきだという意見を強く持って
 います」といっているのです。大統領になってもこの人種的版権から抜け出せていなか
 ったことは、アメリカキリスト教協会宛の手紙で「けだものと接するときはけだものと
 して扱うしかありません」と記していることからもわかります。彼が「けだもの」と呼
 んでいるのは「ジャップ」のことです。人種差別が歴然としてあった当時としても、大
 統領の言葉として著しく穏当を欠いた言葉です。
・真珠湾攻撃は、彼が考えているような卑怯な騙し討ちではありませんでした。それはハ
 ルノートを突きつけるなどルーズヴェルトの強硬姿勢によって日本が追い込まれてした
 ことです。それがどれほど効いているかについて、正確な情報を得ていたので、ルーズ
 ヴェルトは日本が先制攻撃する日をほぼ正確に知ることができたほどです。 
・このような人種偏見と思い込みに囚われたトルーマンが、戦争に克ことよりも無差別大
 量殺戮で相手に復讐することを優先したのですから、その行為は、必要のない殺戮を禁
 じているハーグ陸戦法規に明確に違反しています。イギリス側やアメリカ側の軍人たち
 が原爆の無警告使用に反対したのは、彼らもそう考えたからだと私は思います。
・スティムソンは原爆投下後の生命の中で「原爆は新しい、そしてきわめて大きな破壊力
 を持つものと考えられているが、現代の戦争で使われる他の非常に破壊力のある兵器と
 同じく合法的である」といっています。わざわざ「合法的」だと断っているのは、原爆
 そおものはそうであっても、日本への使用の仕方は彼自身やましさを感じていることの
 あらわれではないでしょうか。 
・トルーマンは、バーンズを通じて、世界にもっとも大きな衝撃を与える大量殺戮兵器と
 しての使用の決定に関してイニシアティヴを発揮したのです。
・1945年2月にルーズヴェルトとスターリンはヤルタで秘密会談を行います。日本を
 降伏させるためにルーズヴェルトはソ連の参戦を促そうと考えました。そのために、ソ
 連に対して戦後、千島列島、東清鉄道、南樺太を与えることまで約束してしまいます。
 これがヤルタ極東密約です。
・その密約の通りになったら、ソ連はすでに押さえていた東ヨーロッパに加え、中国と東
 アジアにも進出してしまいます。アメリカの将兵の命と引き換えに日本を中国大陸と朝
 鮮半島から追い出そうとしているのに、そのあとにソ連が入ってきたのでは何のために
 払った犠牲なのかわかりません。 
・そこで彼はスティムソンにヤルタ極東密約を見直すよう働きかけます。彼を引き込むこ
 とに成功したら、一緒に大統領に決断を迫るつもりでした。ところが、スティムソンは
 密約にある領土と利権は、いずれにしても日本の敗戦によってソ連の手に渡ってしまう
 もので、それを阻止するためにアメリカ軍の力を割く余力がないという判断でした。
・グルーは、それなら日本側が飲めるような降伏条件を示して、ソ連の参戦前に日本を降
 伏させたいと思いました。これはのちのポツダム宣言へと発展していくものですが、こ
 の降伏勧告・条件提示に皇室維持条項が含まれていました。というより、この条項が全
 体の眼目だったのです。 
・第一次世界大戦後、王室が廃止されたドイツとロシアは共産化しました。ドイツの場合
 は共産化もしましたが結局、国家社会主義、すなわちナチスにとってかわられました。
 ですから、日本も皇室を廃止すれば共産化すると彼らは恐れたのです。共産主義とアメ
 リカの資本主義は相いれないのですから、日本が共産化すればまた戦争をしなければな
 らなくなります。
・ところが、この皇室維持条項を含む勧告案には大きな障害がありました。ルーズヴェル
 トは1943年から無条件降伏を唱えていたのです。つまり、相手国が無条件で降伏し
 ない限り戦争を止めないというのです。しかし、本来、降伏にあたって無条件を求める
 というのはありえません。これは当時も今もそうです。というのも、無条件だと、国民
 がすべて抹殺され、国土が全部奪われても文句を言えないということになります。これ
 では相手国は降伏できないので、最後まで戦い、味方にも犠牲者が増えてしまうと軍の
 幹部たちは反対しましたが、ルーズヴェルトはこれをかえませんでした。自国民受けを
 狙ってのことです。原爆の使用法にせよ、降伏条件にせよ、軍人が穏当なほうを主張し、
 政治家が極端なほうを主張する傾向があるのは興味深い事実です。
・ルーズヴェルトを引き継いだトルーマンも、前大統領の政策をそのまま引き継ぐと両院
 合同会議で宣言し万雷の拍手を浴びました。したがって、トルーマンが前任者の政策の
 中心である無条件降伏方針を変更することには問題があります。 
・それに、トルーマンは真珠湾攻撃の復讐がしたいのです。この点でも、無条件降伏を条
 件付き降伏に変え、しかも世論調査で死刑にすべしという意見が多かった天皇をそのま
 まにするというのではトルーマンが飲みそうにありません。
・グルーの目的は「原爆投下阻止」、「ソ連の参戦阻止」だったのですが、スティムソン
 のほうは、この段階では、「ソ連の参戦」を阻止しようとは必ずしも考えていませんで
 した。むしろ、日本を確実に降伏させることが第一目的で、そのために必要ならソ連の
 参戦に原爆の使用を絡めることもあり得ると考えていたのです。それほど日本を降伏さ
 せることは難しいと考えられていました。
・それに、原爆がどのくらいの威力があるのかまだわかりません。また、この降伏勧告・
 条件提示も実際に使ってみないとその効果はわかりません。ですから強力な代替案をで
 きるだけ多く用意しておかなければなりません。原爆という鞭の使い方ではもっとも厳
 しい使い方をするという決定が出てしまいました。それなら降伏勧告・条件提示という
 アメのほうは、できるかぎり甘くする必要があると考えたとしてもおかしくありません。
 そして、このほうが日本を確実に降伏させる上で効果が高いのです。
・7月2日にスティムソンがポツダム会談に向かう準備をしているトルーマンに渡した最
 終版では次の重要な部分がありました。「日本人が日本国民を代表する責任ある平和的
 政府を設立したならば連合国軍は速やかに撤退する。このような政府が二度と侵略を希
 求しないと世界が完全に納得するならば現皇室のもとでの立憲君主主義を含めてもよい」
 さらに後に次に一文が加わった「日本にとってこれに代わる選択は迅速で徹底的な破壊
 である」 
・要するにスティムソンやグルーの心の中では、降伏勧告・条件提示案が原爆の使用の事
 前警告になったということです。事実、スティムソンは大統領に宛てた説明文の中で、
 終始「降伏勧告・条件提示」ではなく「警告」と呼んでいます。そして、これ以降も
 「警告」で通します。
・日本側は原爆のことについてまったく知らないのですから、「警告」ならばもっとはっ
 きり原爆のことに触れるべきなので、これは事前勧告を出そうとしないトルーマン(バ
 ーンズ)に対する皮肉も込めていると私は考えます。
・いずれにしてもグルーはもちろんのことスティムソンも、原爆の使用に事前勧告をしな
 い、日本人がもっとも望んでいる皇室維持の保証もしないというトルーマン、バーンズ
 の決定に不満で、それをのちにポツダム宣言となる「幸福勧告・条件提示・警告」を彼
 らに声明として出させることによって変えようとしたということです。このような事情
 が「警告」、つまりのちにポツダム宣言となっていくものの成立過程を複雑なものにし
 ているのです。 
・ベルリン郊外のポツダムで米英ソの首脳が一堂に会して、戦後体制について話し合おう
 としたポツダム会談が開かれたのは7月17日から8月2日間。まさのこの最中、7月
 16日には、初めて原爆の実験が米国本土ニューメキシコ州で行われ、成功しています。
 スティムソンが総責任者となっている原爆の実験が行われ、彼が作成した大統領に持た
 せた日本への警告・降伏勧告・条件提示のこともあるにもかかわらず、スティムソンが
 外れているのは不自然です。原爆の使用の仕方を決めた5月31日から次第に、そして
 スティムソンが皇室維持条項を復活させたころからははっきりと、トルーマンとスティ
 ムソンの間がぎくしゃくするようになった。 
・にもかかわらず、数十万のアメリカ軍の将兵、日本軍の将兵、日本の民間人の命にかか
 わることを認識しているスティムソンは、プライドをかなぐり捨てて、あえて7月15
 日に自らポツダムに乗り込みました。原爆の実験のことをいち早く大統領にと伝えると
 いうのがいい口実になりました。
・7月16日、スティムソンは原爆実験の成功の第一報を自分の口からトルーマンに伝え
 ます。その一方で、彼はその前にもう1件、日本の特に広島と長崎の人々の運命を変え
 ていたかもしれない情報を得ていました。これまでほとんど注目されてこなかったポイ
 ントですが、彼の日記にはこうあります。「私は日本人の平和工作についての重要な文
 書を受け取った。日本に対して警告を始める心理的に見ていい時期にさしかかっている
 ようんだ。日本の側からロシアにアプローチを試みているという最新のニュースが届い
 ているので、早く警告を出さなければならない。ハリソンの原爆に関する最初のメッセ
 ージが届いた。私はすぐにそれを大統領の宿舎にもっていきトルーマンにバーンズに見
 せた。情報はまだおおまかなものだが2人はもちろんとても興味を示した」
・スティムソンは、まさしく原爆の実験が成功する直前に、日本が降伏しつつあるという
 ことを知ったのです。そして、彼は同じく配布先に指定されている大統領にも同じ情報
 が届いていることも承知していました。 
・事実、日本側もポツダム会談が日本の運命にとって重要な会議になると思って、6月下
 旬ころから終戦への動きを活発化させていました。東京の東郷外相は、モスクワの佐藤
 駐ソ大使に三者会談(ポツダム会談)が始まる前にあらゆる手段を講じてソ連を平和交
 渉にひき入れよよ命じています。7月17日には東郷は佐藤に緊急電報を打って「状況
 の切迫により我々は密かに戦争終結を考慮している」と告げています。12日には、や
 はり緊急電報で「天皇の戦争終結の意思をロシア側に伝えて、三者会談の前に交渉を進
 展させよ」と指令しています。13日にも緊急電報で「天皇の戦争終結の「懇願」を
 14日のモロトフ外相がポツダムに発つ前に伝えよ」と指令しています。天皇が戦争の
 終結を「懇願」したという部分については、アメリカ軍関係者たちも息を飲みました。
 これらの日本の終戦に向けての動きに関する情報は、スティムソンやマクロイが伝える
 までもなく、頻繁に直接にトルーマンのもとに届けられていました。
・スティムソンはこの翌日の7月17日にバーンズと会いました。そして、すぐに大統領
 に「警告」を出すことを勧めます。つまり、ソ連の参戦後に出すとしていたのを変更し
 たのです。これは、日本が降伏しつつあるという情報を複数受け取ったことと、原爆の
 威力が相当のものだということを実験結果から確かめた結果だと考えれます。のちに世
 界から後ろ指を指されることになる原爆の無警告使用を覚めるためなら、皇室維持条項
 付きの「警告」によって日本が降伏してしまい、その結果、原爆を使う機会が失われて
 も仕方ない、というのがこの時点でのスティムソンの考えでした。 
・それ以前の彼の立場は19億ドルもの巨額の資金を費やしたプロジェクトなのだから、
 とにかく完成させ実験で使おうというものでした。しかし、ここへきてそうした呪縛か
 ら彼が脱したことを意味します。原爆の目的が戦争終結を早め、将兵の損失を少なくす
 るということなら、同じ目的を達成するこの警告・降伏勧告・条件提示を先に試すべき
 なのです。その結果、原爆を使用する機会が失われても、目的が達成されればそれでい
 いのです。
・アメリカのマスコミや議会からあるいは叩かれることになるかもしれませんが、原爆の
 犠牲となる日本人のことを考えると仕方ありません。敵国人といえども人命は尊いので
 す。そしてなにより、自らが開発最高責任者である原爆が戦争犯罪と結び付けられるよ
 うになることは避けなければなりません。ところが、バーンズの答えは「警告を前倒し
 ですぐに出すのは反対だ」というものでした。
・チャーチルは無条件降伏という方針を緩めて、独立国家としての存続や軍事的名誉(つ
 まり無条件降伏ではない有条件降伏)を認めて日本の降伏にみちびき、アメリカとイギ
 リス将兵の犠牲を少なくしてはどうかといっているのですが、トルーマンは拒否します。
 ここでも彼の真珠湾攻撃に対する復讐心の強さがわかります。
・18日のトルーマンの日記には、スターリンが日本の天皇が和平を懇願する電報を送っ
 てきていることをチャーチルにすでに告げていたこと、そしてこの電報に対するソ連の
 回答をトルーマンに読み聞かせたことを記述しています。 
・18日のチャーチルとの原爆についての議論の過程で、トルーマンは依怙地になって日
 本を無条件降伏させる意思を固め、しかもスターリンからも天皇が和平を切望している
 と聞かされ、日本がまもなく降伏するという確信をいよいよ深め、原爆だけで十分で、
 それ以外の代替案つまり「警告」とソ連の対日参戦はもう必要ない結論に至ります。例
 によってバーンズを間に入れて、直接スティムソンに向き合おうとしないのも、彼が自
 分の意に反してポツダムに押しかけてきていることもあるでしょうが、うっかり会って
 皇室維持条項は入った「警告」を成行きで出すことになってしまったら、自分が考えて
 いた通りにできなくなるからです。
・原爆という切り札を持ったことでトルーマンは、舞い上がってしまいました。チャーチ
 ルは三巨頭会談でトルーマンが何かにかなり勇気付けられていたことに気づいた。そし
 てトルーマンはロシアに対して断固として立ちふさがり、いろいろな要求に対して絶対
 それらを与えるつもりはない、アメリカはまったくロシアに反対すると断言したとステ
 ィムソンに語った。
・チャーチルは「これでトルーマンに昨日何があったのかわかった。昨日はわからなかっ
 たが。彼がこの報告書を読んだ後で会議に来たときすっかり別人になっていた。彼はロ
 シア人にどこで乗り、どこで降りのか指図していた。そして会議全体を指揮っていた」
 と述べた。
・ソ連の参戦が必要なのは、アメリカが本土上陸作戦を行うとき満州にいる関東軍が日本
 本土に移動して日本軍に合流するのを防ぐためだが、すでにソ連軍は満州国境に集結し
 ていて関東軍は動けないので、必ずしも必要ないかもしれない。ただし、ソ連軍が満州
 に侵入して欲しいものを手に入れることはどうしようもないだろうということです。つ
 まり、ソ連が満州に入り込むことを防止する効果はないが、日本を降伏させるためだけ
 なら原爆の使用で十分だというのです。
・7月24日、トルーマンは原爆投下命令書に承認を与えます。現代史でもハイライトと
 なるべき場面をスティムソンは実にあっさり日記に記述しています。あまりにもあっさ
 りしているので気づく人がほとんどいないほどです。
・トルーマンが「これこそ私が欲しかったものだ、とてもうれしい」といえば、スティム
 ソンではくとも誰でも、原爆投下の予定日の承認、そして投下の承認ととります。仮に
 承認しないならば、あるいは前提条件があるならば、このときに言えばいいからです。
 それを言わずに極めて肯定的なことを言ったのですから、そのまま承認したということ
 になります。
・ティムソンは日本人に天皇制がどうなるかについて保証することの重要性を説いた。ス
 ティムソンはこれを警告文に入れるかどうかは、日本人が警告を受け入れるかどうかを
 決める上で重要だといった。だが、スティムソンはバーンズから、天皇制存置条項を入
 れたくない、もう蒋介石に送ってしまったのだから変えることはできないと聞かされた
 と、トルーマンは言っていた。
・トルーマンとバーンズは「警告」から皇室維持条項を削除してしまっていたのです。し
 かし、トルーマンとバーンズにしてみれば、条件の中でもっとも日本人がこだわってい
 る重要なものだからこそ削る必要があったということになります。これを含めて日本人
 がポツダム宣言を即座に受け入れて降伏してしまい、原爆の投下によって真珠湾攻撃の
 復讐をすることができなくなるからです。つまり、今やトルーマンとバーンズにとって
 は、これ以上の戦争の犠牲者を出さずに日本に降伏させることではなく、原爆を使用す
 ることが目的となってしまっていたのです。
・日本側が降伏へ向けてすでに動いているので、皇室維持条項の入った「警告」だけで十
 分で、あとの代替手段、つまり原爆とソ連の参戦はいらなくなる公算が高くなりました。
 原爆の使用もソ連の参戦も日本側に数十万人の犠牲者を出すのですからこれは結構なこ
 とです。原爆の使用のあと、現在までに広島で30万人以上、長崎で17万人以上、併
 せておよそ48万人の方が原爆死没者名簿に登録されています。ソ連軍による満州・樺
 太・千島への侵攻によって21万5千人の死者と57万5千人のシベリア抑留者が出て
 います。
・ですから当然この「降伏勧告・条件提示・警告」で日本を降伏させるべきなのです。た
 しかに皇室維持条項を含めてしまったのでは無条件ではなく、有条件のイメージが強く
 なりますが、そもそもポツダム宣言自体が条件提示なのです。ここを譲ったところでこ
 の宣言の意味がどれだけ変わるのでしょうか。それに、結局、トルーマンは戦争の後も
 皇室を廃止しませんでした。
・ところが、トルーマンとバーンズは、日本側に膨大な数の犠牲者を出す原爆投下のほう
 を選び、犠牲を出さないで済むほかの代替手段のほうを捨てようとするのです。これは
 合理的でも理性的でもない判断であり、戦争犯罪になります。やはり、もともと日本人
 に対する人種的偏見があるところに原爆実験の成功で舞い上がって理性的な判断ができ
 なくなってしまった、としか考えられません。
・私たち日本人は、ポツダム宣言はポツダム会談で三巨頭が話し合った結果を共同声明で
 出したものだと思っています。しかし、そう単純なものではありませんでした。会議の
 途中でイギリスの選挙の結果がわかってチャーチルが退陣することになりました。トル
 ーマンは原爆と手に入れ、これを使って日本を降伏させ戦争を終わらせた後のほうが状
 況は圧倒的に有利になるので、ポツダムでいろいろ話し合うつもりはありません。アメ
 リカはイギリス代表と相談したうえでソ連と話し合うという順序をちりますから、これ
 ではスターリンともこれ以上話すことはできません。ですから、ポツダム会談は三巨頭
 がただ顔を見せ合わせ、話し合っただけで、声明として出すようなことは何も決めてい
 ません。このためトルーマンも声明の出しようがなくて困ってしまいました。そこでト
 ルーマンはスティムソンがしつこく出せといってきた「警告」を流用することにします。
 トルーマンは無条件降伏方針にこだわっていましたから、降伏勧告・条件提示の内容を
 持つこの「警告」をあまり出したくなかったのですが、ポツダム会談ではほとんど議論
 ができず、宣言も出せそうにないという事情になっていたタイミングでスティムソンの
 要請がきたのです。実は、ソ連側も宣言案を用意してきたいたのですが、トルーマンは
 それを一切無視して、一方的にプレスリリースしてしまいました。
・こういう事情なので、ポツダム宣言の文書にはアメリカ大統領、イギリス首相、中国
 (中華民国)元首の署名欄はあるのですが、ソ連元首の署名欄はありません。つまり、
 ソ連は除外されたのです。3カ国首脳の署名欄もすべてトルーマンが署名しています。
 「警告」をポツダム宣言に流用することになったので、このようなとんでもない不備が
 起こったのです。
・ポツダム宣言はソ連を除外していたばかりか、米英中3カ国が話し合って同意した内容
 ですらないのです。したがって、後のソ連は「日本がポツダム宣言を拒否した」といっ
 て日本に宣戦布告し、あたかもソ連がポツダム宣言の署名国であるかのようにミスリー
 ドしますが、正しくは、「日本はソ連が除外された米英中3カ国共同の降伏の呼びかけを
 無視して」とするべきです。
・トルーマンとバーンズは、ヤルタ極東密約を引き継ぎたくないので、(あとでこの密約
 が議会から糾弾されることは目に見えているので)、ソ連は連合国の合意を得ることな
 く、勝手に対日参戦したということにしたかったのです。そして、結局、そうなったの
 です。
・もともとカイロ宣言にしても、ヤルタ宣言にしても、ポツダム宣言にしても、議会の承
 認を得ていないので、密約にすぎなせんが、ポツダム宣言の場合は日本が受諾すること
 によって効力を持ちました。
・その一方、ヤルタ極東密約、つまりソ連に対する南樺太の返還、千島列島の引き渡しを
 決めた協定はポツダム宣言に引き継がれていないうえ、ポツダム宣言第8条にある「本
 州、北海道、四国、九州およびわれわれの決める小さな島」の「われわれ」に署名国で
 はないソ連が含まれません。つまり、ソ連は南樺太および北方四島を含む千島列島を占
 領するいかなる国際法上の根拠も持っていないということです。
・アメリカ議会はとどめを刺すために1951年、サンフランシスコ講和条約を結ぶ際に
 正式にヤルタ極東密約を破棄しています。 
・ソ連や、その意を受けた日本の政治家やマスコミにプロパガンダのせいで、日本のかな
 りの人々が、ソ連が北方四島を含む千島列島と南樺太を占領しているのはヤルタ宣言や
 ポツダム宣言に基づいている、つまり合法なのだと思い込んでいますが、それは間違い
 だ、とここではっきり指摘しておきます。ソ連およびその後継国ロシアに対しては、こ
 れらの島および半島の南部はかつても今も日本の領土です。
・したがって、ロシアは、アメリカが沖縄、小笠原諸島をそうしたように、これらの領土
 を日本に返還しなければならないのです。返還しないのであれば、日本政府はいつの日
 かロシアから取り返さなければなりません。そして、そこに住んでいた日本人の子孫に
 返還する義務があります。
・日本でよく、ポツダム宣言を発する前に原爆投下の指令が出されていたことを問題にし
 ますが、実際には原爆投下指令書はスティムソンの承認を得て25日に正式なものにな
 ったのですから、ポツダム宣言と原爆投下命令はほぼ同時なのです。また、もしポツダ
 ム宣言に対して日本が肯定的な反応をしていたなら、スティムソンは喜んで投下命令を
 保留ないし、取り消ししていたでしょう。それは大統領も了承せざるを得ません。
・命令が先に出ているのだから日本が受諾しても、しなくても原爆を使用していたと考え
 るのは間違っています。問題はそこではなく、ポツダム宣言から皇室維持条項を削除し
 て日本が受諾しにくくしたことです。 
・こうして、8月1日以降の天候がよく、効果が目視できる状況のもとで、広島、小倉、
 長崎のいずれかに2発つづけて原爆を投下することになりました。なぜ2発だったのか
 ということも日本でよく問題にされます。理由は、広島に投下されるものはウランが、
 長崎に投下されるものはプルトニウムが原料で、爆発のさせ方も違うので両方ためしか
 ったということです。
・ウラン濃縮に大変な時間がかかり、量産できないので、アメリカは広島のあとはすべて
 プルトニウム型にするつもりでした。ニューメキシコ州の実験で使ったのもプルトニウ
 ム型です。
・仮にイギリスで考案されたウラン型しか作っていなかったら、歴史は相当変わっていた
 と思います。つまり、8月6日の時点で1個しか使えず、そのあともこの年の末までに
 1個が限界だったからです。プルトニウム型のほうは、そんなに時間がかからなかった
 ので、この年の終わりまでに使用可能なものを7個作っていました。
・これが2発の原爆がウラン型とプルトニウム型と違うタイプのものだった理由です。日
 本にちっては不幸なことに、両方とも不発にならずに爆発しました。
・ソ連はというと、8月6日に広島に原爆が投下されたことを知ったスターリンは参戦の
 機会を失ったと思ってしばらく沈んでいましたが、気を取り直して「8月の嵐作戦」を
 2日繰り上げることを命令します。これを受けて8月9日にソ連軍は満州侵攻を始めま
 す。
・天皇はソ連の参戦を知って、ようやくポツダム宣言受諾を決意します。ソ連の参戦が原
 爆よりも決定的だったのは、それが非常な脅威だったというより、もはやソ連の仲介に
 は頼れず、アメリカと直接交渉するしかなくなったという点です。
・それまで天皇と日本の指導者は無条件降伏ではなく、ソ連を仲介として有条件、それも
 少しでもいい条件を得ようとしたのですが、そのあてもなくなったので、選択肢はもは
 やポツダム宣言にある降伏条件の受諾しかないということです。天皇は、ポツダム宣言
 を受諾しても皇室維持ができるとスイスなどからの情報を得て確信し、御聖断に踏み切
 ったのです。 
・日本側は「天皇の当時の大権」の承認を条件としてポツダム宣言を受諾するとしていま
 した。やはり皇室維持の保証が欲しかったのでしょう。これに対しバーンズが「降伏の
 ときから天皇と日本政府の統治権は、降伏条件を実施するうえで必要と思われる手段を
 とる連合国軍最高司令官の下におかれる」と回答しました。
・これまで、このバーンズ回答を日本は受け入れたとされていましたが、私が降伏通告を
 仲介したスイスの公文書にあたったところ、そうではないことがわかりました。バーン
 ズ回答に対する日本側の回答は、要約するなら、天皇の大権のもとに連合国軍最高司令
 官の占領政策に協力するというものでした。つまり、占領後、連合国軍最高司令官がや
 ってきても、天皇のもとに占領政策を行うようにというのが日本側の回答だったのです。
・したがって、日本はバーンズ回答を受け入れて降伏したという、これまでの定説は誤り
 です。実際には受け入れていません。しかし、アメリカ側は日本側のこの回答を無視し
 て、バーンズ回答に対する日本側の回答をポツダム宣言受諾とみなすと一方的に通告し、
 アメリカ軍に戦闘停止命令を出し、日本はポツダム宣言を受諾した、という大統領声明
 を8月14日に勝手に発表してしまいます。  
・日本側もバーンズ回答に対する日本側の回答が受け入れられたか受け入れられていない
 かアメリカ側に確認しないまま、受け入れられたものとして一方的に15日に玉音放送
 を流してしまいます。つまり、日米とも、バーンズ回答にイエスなのかノーなのか曖昧
 なままにすることにしたのです。きちんと詰めると話が壊れることを恐れたのでしょう。
・原爆を投下されたので降伏したのでも、ソ連の侵攻は始まったから降伏したのでもなく、
 皇室維持が可能だと判断したので降伏したのです。ソ連を仲介とする降伏交渉でよりよ
 い条件を得ようと思っていましたが、そのソ連が参戦してその見込みがなくなったので、
 ポツダム宣言にある条件でも皇室維持が可能だろうと判断して、これを受諾し、降伏し
 ました。 
・したがって、原爆の投下がなくとも、ソ連の参戦がなくとも、皇室維持の保証があれば、
 そしてこれ以上の条件は勝ち取れないと判断していれば、日本は降伏していたと思いま
 す。この意味で原爆投下は不必要でした。
・こういうと、欧米の研究者は、いや原爆の衝撃があったから天皇も指導者も降伏を選ん
 だのだといいます。一種の原爆信仰です。 
・こうした論者に欠けているのは、日本の戦争指導者たちがどれだけ広島、長崎の状況を
 把握できたかという視点です。そもそも、当時の新聞は「焼夷弾爆弾」とか「新型爆弾」
 としか書いておらず、原爆とは書いていません。
・仮にポツダム宣言に政体選択の自由がなく、皇室の維持の可能性がなく、またスイスな
 どからのアメリカやイギリスは皇室を廃止するつもりがないというインテリジェンスが
 来ていなければ、原爆を投下しても降伏しなかったでしょう。
・8月10日の御前会議でも、14日のそれでも、国体護持ができるかどうかだけ話し、
 原爆のことは問題にしていません。これらを総合的に見ると、皇室維持ができなければ、
 最後まで戦うつもりだったと考えざるを得ません。少なくとも天皇は、国体護持の可能
 性がなければ、いくら原爆を投下されても降伏に向けてのイニシアティヴをとらなかっ
 たと思います。  
・また。原爆のほうはいくらでも作れるかもしれませんが、残った有力な目標都市は小倉
 しかありません。候補を広げて新潟と横浜にも投下するとして、あとはどこにするので
 しょうか。 

原爆は誰がなぜ拡散させてしまったのか
・私たち日本人は、2発の原爆投下を終わりと感じます。この新兵器を使ったあと日本が
 降伏して戦争が終わったので、そう感じるのです。しかし、世界的視野から見れば、原
 爆投下は始まりです。つまり、現在の状況に至るまでの核兵器の拡散の始まりです。今
 の状況の始まりなのです。すべてではないにしても、世界の多くの人々はそう感じてい
 ます。
・この大量破壊・殺戮兵器をどう管理するかを考えずに平和構築はできない。今回の大戦
 は二つの超大国を作りだした。アメリカとソ連だ。この2カ国を無視した戦後体制とい
 うものもない。アメリカがと強くなりすぎるのも問題だが、それよりも問題なのはソ連
 の横暴な振る舞いだ。ドイツを追い払ったあとの東ヨーロッパ各国を属国とし、民主主
 義を圧殺している。そのソ連が原爆を持ったらどうなるだろうか。
・ソ連がまだ開発にもかかっていないうちに、そのノウハウを共有することを条件に共同
 で原爆を国際管理することを申し出たらどうだろうか。ソ連は必ずや原爆とそのノウハ
 ウを欲しがってこの申し出にのってくるだろう。共同管理となれば、ソ連の自由に使え
 ないが、アメリカも自由に使えない。その代わり、お互いを原爆の脅威から守ることが
 できる。 
・たしかに、巨額と投じて開発した原爆の秘密をソ連にただで提供するのには抵抗がある
 かもしれない。しかし、ソ連が自前で原爆を開発に成功したらどうなるだろうか。その
 時はソ連に対するいかなる歯止めもない。ソ連が原爆を大量に作って、それを相手の嫌
 がる所に配備して脅しをかけようと、実際に使用しようと、アメリカもイギリスもどう
 することもできない。それなら今のうちに、何らかの協定に引き込み、その中でしばり
 をかけるというのが最善の策だ。
・ルーズヴェルトは、このような事態になったらどうしようと「死ぬほど心配」したそう
 です。そして、必ずこの原爆の管理についてチャーチルと話し合うと請け合いました。
 しかしチャーチルは「そんなことには同意しない」お一点張りだったようだ。なぜチャ
 ーチルは受け入れなかったのか。もっとも大きな要因は、チャーチルの大英帝国復活へ
 の妄執でしょう。大きな犠牲を払ってようやくドイツを倒しつつあるのだから、せめて
 戦前のイギリスの姿に戻したい。しかし、そのドイツを頽勢に追い込んだ立役者である
 ソ連が東ヨーロッパだけでなく西ヨーロッパまで勢力を拡大している。どうしてもソ連
 の勢力拡大を食い止めなければならない。それも戦争が終わった後ではなく、今のうち
 に手を打っておきたい。これがチャーチルの考えです。
・そのソ連を原爆の国際管理に加えたのでは、国際的威信が高まってしまって、ますます
 多くの弱小国がソ連になびくことになります。また、ソ連も加わったのでは、米ソ2極
 体制になってしまってイギリスはその間にあって埋没してしまいます。
・それに、チヤーチルはイギリスも原爆を持ち、それを大英帝国復活に結び付けたいと思
 っていました。それを国際管理にしたのでは、戦後イギリスのために最大限利用すると
 いうことができなくなります。  
・トルーマンとバーンズの論理はこうでした。今は戦争中なのだから、一日も早く勝利を
 得るため、原爆を早く完成させることを最優先にさせるべきだ。完成したなら、19億
 ドルもの血税を注ぎ込んだのだから、戦争を早く確実に終わらせるために使わなければ
 ならない。軍事的に使うとなれば、それは高度の軍事機密だから、ソ連はもちろん、他
 国に漏らすわけにはいかない。使った後は、世界各国がこの兵器について知り、ソ連も
 含めて先を争って開発競争をすることになるので、その中で優位を保たなければならな
 い。だから情報提供などできない。
・科学者たちによる、いわゆる「フランク・レポート」が提出された。この「予言の書」
 のなかで科学者たちは要約すると次のようにいっています。
 ①原爆製造のノウハウは世界中に広まっており、製造法も改良されるだろう。将来アメ
  リカ以外の複数の国が原爆を所有することは確実だ。したがって、平和を守るために
  は国際管理が必要だ。    
 ②ソ連に情報提供と国際管理を持ちかけるのは、原爆が完成していない今が最適である。
  完成してから、そして実験してからでは、ソ連の態度が違ってくる。日本に実戦で使
  った後では、ソ連はそれを脅威と感じるだろうから、一層頑なになるだろう。情報の
  価値から考えても、今が一番大きく、日本に使用したあとでは一番小さくなる。
 ③日本に実戦で原爆を投下すると国際管理ができなくなる。なぜなら、国際管理によっ
  て今後原爆の戦争での使用を禁じなくてはならないのだが、自らが一度戦争で使って
  おきながら他の国には禁止するといっても説得力を持たないからだ。 
 ④それでも原爆を使用するなら、無人島に投下してデモンストレーションにとどめるか、
  さもなければ事前通告をして住民を避難させてから行うべきだ。 
 ⑤デモンストレーションであれ実戦使用であれ、原爆をいったん使用したらその時から
  原爆開発・軍拡競争が始まる。世界の各国はあらゆる資源と技術をためしてより威力
  のある原爆をより効率的に安価に数多く作ることに取り組む。さもなければ、自国を
  守れないからだ。
 ⑥今後、原爆を持つ可能性のある国はイギリス、フランス、ソ連などが考えらえる。
 ⑦現在、ソ連はウラン資源確保の点でアメリカに後れをとっているが、世界の陸地の5
  分の1を占めるソ連からウラン資源が出てこないと考えるのは危険だ。  
 ⑧核戦争に耐えられるのは、国土の広いアメリカ、中国、ソ連であるが、アメリカとソ
  連が核戦争になったとき、人口と産業の集中化が進んでいるアメリカに較べ、これら
  が広い地域に分散しているソ連は有利である。
 ⑨したがって、情報の共有と国際管理体制ができていない今、日本に対して実戦におい
  て原爆を使用することはできない。それをすることはアメリカにとって極めて不利な
  核戦争の危険にアメリカ国民をさらすことになる。
 この「予言の書」が提出されたが、暫定委員会で結論が出た後だったということはかえ
 すがえすも残念なことでした。
・科学者たちや閣僚たちにとっての障害は、肝心の両国首脳が「予言の書」を理解できな
 かったことです。というより、ソ連に対する敵愾心と増悪のために理解しようとしない
 ことです。特に彼らが無視ないし軽視するのは、ソ連が数年のうちに確実に原爆を保有
 して、核軍拡競争が始まるということです。
・1945年10月の合同方針決定委員会の会議で、バーンズとトルーマンは驚くべき提
 言をしていました。
 ①原爆を用いた戦争を違法とする。
 ②原爆およびそのノウハウは、国連が管理し、一国家が武器として保有できないように
  する。
 ③もしくは、原爆は廃絶する。
・しかし、イギリスとカナダの反応は、冷ややかでした。ケベック協定で定めた原爆およ
 び原子力開発に関する成果物とそのノウハウの両国への提供に触れていないからです。
 アメリカは、原爆を完成させ、なおも研究開発を進めていましたが、イギリスとカナダ
 に成果物もノウハウもまったく提供していませんでした。戦争中にしないのは理解でき
 ますが、戦争が終わった後、繰り返し要請しているのに応じないのです。両国としては、
 協定を守ってイギリス、カナダに原爆製造のノウハウを提供したあとで、国際管理の話
 をするのが順序ではないかと当然ながら思います。
・トルーマンは、国際管理なしで、どうやってアメリカを原爆の脅威から守ろうと考えた
 のでしょうか。彼は科学者たちやスティムソンではなく、グローヴス陸軍少将の言葉を
 信じたのです。科学者たちと違って、グローヴスはソ連が原爆を持つのに20年か30
 年かかると主張していました。それは、ソ連の科学技術がアメリカよりも遅れているか
 らというほかに、もう一つ根拠がありました。ウラン資源の独占です。
・アメリカはイギリスとカナダと共に世界中のウラン資源の開発と独占を進めていました。
 3カ国で97パーセントのウラン鉱石を独占しているので、ソ連は原爆が作れないし、
 仮に1、2発くらい作れたとしても、アメリカが作る原爆の圧倒的数の前では問題にな
 らないし、したがって、ウラン資源の独占がある限り、アメリカはソ連の核攻撃を受け
 ることはないというのです。
・現実は科学者たちのいう通りでした。ソ連は東ドイツのサクソニアに質と量ともに十分
 なウラン鉱山を見つけました。そして、科学者たちの予言どおり、アメリカに遅れるこ
 と4年の1949年8月に原爆実験に成功しました。
・ソ連の原爆保有を止めることができなかったのを見て、国連の常任理事国の一つである
 イギリスも1952年に原爆実感を行い、成功させます。これに同じく常任理事国のフ
 ランスが1960年に、中国が1964年に実験を成功させて続きます。国連は拒否権
 を持つ常任理事国の核武装を止めることができないのです。  
・1974年には常任理事国ではないインドが核武装しまいた。インドと国境紛争をした
 隣国の中国が核武装したのだから、自衛上そうする必要があるという主張です。同じ理
 由でインドの隣国で敵対関係にあるパキスタンが1998年に核保有します。2006
 年には国際法上未だアメリカと戦争状態にある北朝鮮も核武装しました。もはや歯止め
 はありません。日本に原爆を使用する前に築いておかなければならなかった国際管理体
 制がないからです。 
・科学者たちが原爆を開発しているときから絶対必要だとし、文明の終わりを到来させな
 いためにも作らなければならないと、その後も何度もアメリカとイギリスの首脳に要求
 してきたにもかかわらず、トルーマンは個人的な感情から原爆を使用することを先行さ
 せ、そのあとも意味のあることはまったくせずに終わってしまうのです。
・これまで、トルーマンが犯した過ち、彼の大統領としての欠陥を指摘してきましたが、
 現在核保有国のトップとなっている大統領、元首、首相の顔を思い浮かべてみましょう。
 彼らはトルーマンより、ましでしょうか。このような過ちを犯しそうになく、人間的欠
 陥もなさそうでしょうか。彼らの周囲には優秀な閣僚、側近、官僚、科学者はいるでし
 ょうか。そうだとして、国家のトップたちは、彼らの英知に素直に耳を傾け、常に理性
 的な判断ができるでしょうか。