日本はなぜ、「戦争ができる国」になったのか :矢部宏治

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この本は、戦後の日本が、どうして警察予備隊(今の自衛隊)を創設することになったの
かを、日本政府と駐留米軍との間で取り交わされた密約という面からさぐった内容となっ
ている。戦後、日本政府と駐留米軍との間では、多くの密約が取り交わされていたようだ。
代表的な例では、あの「沖縄密約」や「基地権密約」がある。このあたりは、今ではその
存在および内容が、かなり知られるようになっている。しかし、この「密約」の中には、
今でもあまり知られていない「指揮権密約」というのがあったことは、最近知られるよう
になった。
「指揮権密約」とは、「戦争になったら自衛隊は米軍の指揮下に入る」という密約である。
なぜこのような密約を取り交わすこととなったのか。それには、既に日本国憲法9条2項
が制定されたにもかかわらず、なぜ警察予備隊(自衛隊)が創設されたか、ということか
ら紐解いていかなければならなかった。
そして、この本で明らかにされているのは、当時の米軍占領下の状況が、今でも継承され
続けているということである。当然、「指揮権」についても、今でも継承されているので
はないかと思われる。
戦争になったら、自分の国の軍隊が他国の軍隊の指揮下に入るというのは、明らかに日本
はまだ独立国ではないと言える。しかも、昨年(2015年)に安倍政権が、集団的自衛
権行使可能とするために、強引に成立させた安保関連法により、自衛隊は世界のどこにで
も出て行って、米軍の後方支援することが可能となった。つまり、自衛隊は米軍の指揮下
に入って、世界中で米国の戦争に加担することになったわけである。これにより、まさに
日本は、米国の属国となってしまったと言える。


はじめに
・たしかに日米間の軍事上の取り決めには、オモテに出ない闇の部分もあるだろう。でも、
 外務省など国家の中枢には、そういう問題を全部わかっているほんとうのエリートたち
 がいて、国家の方針をまちがわないように、アメリカとギリギリの交渉をしてくれてい
 るのだろうと、私も長い間思っていました。ところが、まったくそうではなかったので
 す。現在の日本のエスタブリッシュメントたち(「安保村」のエリートたち)は、戦後
 アメリカとのあいだで結んださまざまな軍事上の密約を、歴史的に正しく検証すること
 がまったくできなくなっている。というのも、過去半世紀にわたって外務省は、そうし
 た密約に関して体系的に保管・分析・継承することをせず、特定のポストにいるごく少
 数の人間の個人的なテクニックに、その対応をまかせてきてしまったからです。そのた
 め、特に2001年以降の外務省は、「日米密約」というこの国家的な大問題について、
 ただ資料を破棄して隠蔽するしかないという、まさに末期的な状況になっているのです。
・「戦争になったら、日本軍は米軍の指揮下に入る」という密約がある。その密約の名は、
 「統一指揮権密約」といいます。1952年7月と1954年2月に当時の吉田首相が
 口頭で結んだこの密約が、その後の自衛隊の創設から今回の安保関連法の成立までつな
 がる、日米の軍事的一体化の法的根拠となっているのです。これども、これまでそれは、
 あくまで日本とその周辺だけの話だった。ところが、今後はそこから地域的なしばりを
 はずして、戦争が必要と米軍司令部が判断したら、自衛隊は世界中どこでも米軍の指揮
 下に入って戦えるようにする。そのために必要な「国内法の整備」が、昨年ついに行わ
 れてしまった。それがあの安保関連法の本質だった。
 
六本木ヘリポートから闇の世界へ
・東京を中心とした首都圏の上空は、すっぽりと米軍の管理空域になっていて、日本の民
 間航空機はそこを飛ぶことができないんです。だからJALやANAの飛行機が東から
 西へ、また西から東へ飛ぶときは、毎回この高さMAX7000メートルもある巨大な
 ヒマラヤ山脈のような飛行禁止区域を、急旋回・急上昇して、避けて飛んでいるんです。
・東京、神奈川、埼玉、栃木、群馬、新潟、山梨、長野、静岡の一部一都八県の上空をカ
 バーする広大な空間が、実は完全に米軍の支配下にあり、日本の民間航空機はそこを飛
 ぶことができない。この巨大な空域は、東京郊外にある米軍・横田基地によって管理さ
 れているため、「横田空域」と呼ばれています。  
・首都圏に上空が太平洋側の洋上から日本海近くまで米軍に支配されていて、そこをどん
 な飛行機が飛んでいるのか、日本政府はまったくわかっていない。さらにその空域の下
 には、南から横須賀、厚木、座間、横田という、沖縄並みの巨大な米軍基地があって、
 そのなかは完全に治外法権エリアになっている。ですから、軍用機で日本上空まで飛ん
 てきた米軍やアメリカ政府の関係者たちは、この空域をとおって、日本の政府がまった
 く知らないうちに横田基地や横須賀基地などに着陸し、そのままフェンスの外に出るこ
 とができるのです。
・実際、米軍になんらかのつながりのある関係者から、日本への入国はまったくフリーパ
 スで、なんのチェックもない。CIAの長官は、いつも直接横田に来るそうですし、私
 自身、それまでいつも米軍基地をとおって日本へ来ていた有名な報道写真家が、はじめ
 て成田空港を使ったとき、パスポートの提示を求められて驚いたという話を聞いたこと
 があります。そんな状態ですから、日本政府はいまの日本国内にアメリカ人が何人いる
 のか、まったくわかっていないのです。
・国家という概念を成立させる三つの要素とは、「国民」「領域(領土)」「主権」だと
 言われています。日本という国には、たしかにわれわれ日本人が住んでいますから、国
 民はいる。しかし事実上、国境がないわけですから、領域(領土)という概念は成立し
 ていない。また、首都圏の上空が外国軍によって支配されているわけですから、もちろ
 ん主権もない。ですからおの時点でもう、日本は独立国家ではないという事実が、ほと
 んど証明されてしまうんです。
・この巨大な米軍管理空域を飛んできた米軍やアメリカ政府の関係者が、空域の下にある
 横田や横須賀といった米軍基地に降り立ち、そのままフェンスの外に出ることができる
 といいました。では、彼らはそのあと、いったいどこに行くのでしょう。首都圏の米軍
 基地はすべて、都心から車で1時間ほどの場所にあるので、大きなリムジンで移動する
 のかなと思っていたのですが、彼ら米軍関係者はそんなまだるっこしいことはしないわ
 けです。そこから彼らは軍用ヘリでババババッっと、いっきに飛んでくるわけです。
 これだと基地から都心まで、20分ぐらいしか、かかりません。しかし都心には飛行場
 がない。では、そうしたヘリはどこに着陸するのか。そうしたヘリが着陸できる米軍基
 地が都心にある。なんと都心中の都心である、六本木にあるんです。ですから横田空域
 を通って、まったくノーチェックで日本に入国した米軍関係者やアメリカ政府関係者が、
 そこからヘリに乗って、たった20分で東京の中心部までやってくることができるわけ
 です。この米軍基地は地下鉄の六本木駅から、歩いて数分の超一等地にあります。基地
 の敷地内には、大きなヘリポートがひとつと、大きなビルがふたつあります。中央のビ
 ルが米軍用の新聞を発光している「星条旗新聞社」、左奥のビルが米軍関係者専用のホ
 テルです。ファンスがあって、ゲートがあって、銃をもった警備員がいて、オフィスビ
 ルがあって、宿泊設備があって、ヘリポートから軍用機が発着している。小さいけれど、
 フルスペックの米軍基地なわけです。けれども、米軍は、ここに星条旗新聞社があるか
 らという理由で、この基地に「赤坂プレスセンター」という、とても可愛らしい名前を
 つけているんです。だから、ますます基地だとわかりにくくなっている。
・私たちは米軍基地というと、すぎに沖縄の話だと思ってしまいます。でも、こうして東
 京のど真ん中にも、フルスペックの米軍基地があるわけです。星条旗新聞社のビルのな
 かには、日本の先端技術の情報を収集する陸軍や海軍の研究所や、CIAなどの情報機
 関などが入っているそうです。そうしたCIAなど情報機関のメンバーたちが、この横
 田空域などを通って米軍基地にノーチェックで降り立ち、なんの妨害も受けずに日本中
 で活躍しているのです。
・六本木ヘリポートからアメリカ大使館までは車で東へ5分ほど走ればいけるのですが、
 もうひとつ東京の都心には非常に重要な米軍施設があって、車で南へおりていけば、や
 はり5分ほどで到着することができます。その施設の名を「ニュー山王ホテル」といい
 ます。ここは米軍専用の高級宿泊施設と会議場を兼ね備えた、いわゆるコンファレンス
 センターで、通称では「ホテル」と呼ばれていますけれど、正式名称は「ニュー山王米
 軍センター」。つまり米軍基地なんです。よく見ると、やはり入り口には銃をもった警
 備員が立っている。そんなホテルはありませんよね。そして、ここで毎月開かれている
 のが、問題の「日米合同委員会」なんです。
・日米合同委員会というのは、基本的には日本に駐留する米軍や米軍基地など、軍事関係
 問題について日米で協議するための機関です。でも、アメリカは日本中に基地をおいて
 いて、さらには日本国内のどんな場所でも基地にできる法的な権利を持っている。
・このニュー山王米軍センターで1回、外務省が設定した場所で1回の月2回、すでに
 60年以上にわたって会合を続けている。そしてもっとも問題なのは、この委員会で合
 意された内容は外部に公開する義務がなく、ほんの当たりさわりのないものしか公開さ
 れていないということ。つまり毎月、秘密の会議をおこなっているということです。
 過去60年間にわたって、ときには日本の憲法を機能停止に追い込んでしまうような重
 大な取り決めが、国民の目には一切触れないまま、ここで決定されてきているのです。
・たとえば、1953年9月に日米合同委員会で次のような取り決めが合意されている。
 「日本の当直は、所在地のいかんを問わず、合衆国軍隊の財産について、捜索、差し押
 さえまたは、検証を行なう権利を行使しない」  
・「米軍基地内において」となっていたら、わだわかる。米軍基地のなかについて日本の
 捜査権はおよばない。治外法権になっている。これならまだ、ギリギリわかります。
 ところがそうではなく、この取り決めでは、「所在地のいかんを問わず」となっている
 のです。
・冷静になって考えてみると、この密室で合意された取り決めのもつ重大さに驚かされま
 す。つまりそれが意味する現実は、たとえば在日米軍の軍用機が墜落したり、移動中の
 車両が事故を起こした場合、たとえそれがどんな場所であっても米軍が現場を封鎖して、
 にほんの警察や消防や関係者を立ち入らせない法的権利を持っているということだから
 です。
・記憶に新しいのは2004年の沖縄国際大学への米軍ヘリ墜落事故で、そのときはその
 とおりのことが起こりました。米軍ヘリが落ちた大学のキャンパスを、となりにある普
 天間基地からなだれこんできた米兵たちが、あっというまに封鎖してしまった。
 一方、日本の警察は、米軍から許可をもらってようやく大学構内に入ることができると
 いうありさまで、まさに植民地同然といった日本の現実があきらかになった瞬間でした。
・これは沖縄だけの話ではありません。少し前の話になりますが、1977年には横浜の
 緑区(現在の青葉区)の住宅街にファントム偵察機が墜落し、3歳と1歳の男の子が全
 身にやけどを追って翌日死亡しました。ところが、そのときすぐに現場に飛んできた自
 衛隊のヘリコプターは、日本人の負傷者に対してなにも救助活動をせず、なんとパラシ
 ュートで脱出して無傷だったふたりの米軍パイロットだけを乗せて、厚木基地へ帰って
 しまいました。 その後、被害者が米軍パイロットなどに対して行った刑事告訴は、3
 年後に不起訴となりました。つまり日本の国土は、実はすべて、米軍に関して治外法権
 状態にあるということです。
・注目したいのは、この日米合同委員会の組織図に書かれている日米の役職名です。日本
 側の代表は外務省の北米局長、アメリカ側の代表は在日米軍司令部副司令官とまってい
 ます。なぜ、東京のど真ん中にある米軍基地で、外部に情報をほとんど公開することな
 く、米軍の司令官と異本の外務省官僚が直接、秘密の交渉を続けているのでしょう。
・この日米合同委員会というシステムがきわめて異常なのは、日本の超エリート官僚が、
 アメリカの外務官僚や大使館員ではなく、在日米軍のエリート軍人と直接協議するシス
 テムになっているというところなのです。 
・日米合同委員会のメカニズムに存在する米軍司令官と日本政府の関係は、きわめて異常
 なものです。本来なら、他のすべての国のように、米軍に関する問題は、受け入れ国の
 中央政府の官僚とアメリカ大使館の外交官によって処理されなければなりません。とこ
 ろが、日本における日米合同委員会がそうなっていないのは、ようするに日本では、ア
 メリカ大使館がまた存在しない占領中にできあがった米軍と日本の官僚とのあいだの異
 常な直接的関係が、いまだに続いているということなのです。
・アメリカ国務省は、日米合同委員会のアメリカ側代表を、米軍司令官から外交官に交替
 させて委員会全体を駐日大使のコントロールのもとに行おうと何度も試みています。し
 かし、そのたびに軍部の抵抗によって、拒否されてしまうのです。米軍側は、「日米合
 同委員会はうまく機能しており、日本政府がその変更を求めている事実はない」と繰り
 返しているのです。このことは、横田空域に代表される日本の事実上の占領継続状態が、
 けっして「アメリカの陰謀」などによるものではなく、「戦後日本という巨大な権利を
 手放したくないアメリカ軍部と、それに全面的に服従する日本の官僚組織が原因だとい
 うことをよくあらわしています。
・この米軍による日本支配の構造を遠くから眺めていると、どうしようもない無力感に襲
 われます。どんな交渉をしようと、最後はアメリカ側が過去の密約を出してきて、結局
 ということを聞かされてしまう。むしろ交渉すればするほど、前よりもっと不利な条件
 をのまされてしまうことになる。それならいっそう本格的な交渉などせず、ひたすら現
 状維持、つまりできるだけアメリカを刺激しないようにして、いまある権利だけを守っ
 ていたほうがいいじゃないか。そういう気持ちになるのも、よくわかります。
・考えてみると、戦後日本のリベラル派というのは、そういう無意識の大戦略のもとに憲
 法9条を押し立てて、自衛隊の海外派兵という一点だけは、なんとか阻止してきた。そ
 ういう歴史だったのではないかと思います。9条2項の「戦力不保持」のほうは、もう
 だれが見てもあきらかな矛盾とごまかしがあったわけですが、その点には目をつぶり、
 9条1項の理念、つまり武力によって国際紛争の解決をしない、自分たちだけは自衛以
 外の戦争をしないという「戦争放棄」の大原則だけは、守り続けてきた。 
・日本の支配層が伝統的にもつ反民主主義な体質や、アメリカの軍部から加えられる軍事
 的一体化への強いプレッシャー。そうした圧倒的に不利な状況のなかで、なんとか抵抗
 を続け、「権力者をしばる鎖」としての立憲主義のリソースを、憲法9条1項(戦争放
 棄)の理念に集中させてきた。つまり憲法9条を、日本政府というよりも、むしろその
 背後にいる米軍をしばる鎖として使ってきた。そして米軍をすばることによって、同時
 に日本の右派の動きも抑え込んできた。おそらくそれが日本の戦後70年だったのだと
 思います。
・しかし、その鎖は何年も前から周到に準備された計画のもとに再登場した、安倍晋三
 という政治的プレイヤーの手で、すでに引きちぎられてしまいました。その結果、大き
 な矛盾を内側に抱えながらも、長い平和な暮らしと経済的な繁栄、そして比較的平等な
 社会を半世紀以上にわたって実現した「戦後日本」という政治体制は、ついに終焉のと
 きを迎えることになったのです。 
・日本人にとってあきらかな希望がある。私たちのおかれた現状を「あまりにもおかしい」
 と思っている人たちが、実はアメリカ政府のなかにもたくさんいる。だから諦める必要
 などまったくない。しかし、現実には、アメリカ政府がこれまで何度も検討した米軍の
 大規模な撤退計画に対し、日本政府自身が反対し続けできたという事実があります。そ
 して駐留経費を肩代わりしてまで「占領の継続」をたのみ、アメリカの外交官でさえ驚
 くような米軍への従属状態を自ら望んで続けてきてしまった。そういう長い倒錯の歴史
 があるのです。

ふたつの密約
・日本の官僚が日米合同委員会で米軍と結ぶさまざまな密約。それらはひとことでいうと、
 在日米軍のの本国内での「違法行為」を、すべて合法化するために結ばれたもので、私
 たちの日々の生活にも大きな影響を与えています。
・日米合同委員会における密約と、戦後の首相たちが結んできた密約。それはどちらも行
 政機関のもっとも上流で生み出された「目に見えないルール」であり、その影響には、
 はかりしれないほど大きなものがあります。ひとつの密約が下流にいくにつれて無数の
 ウソを生み、そうした無数のウソをごまかすために、また何倍ものウソが必要となって
 くるからです。ひとことで言って、まさに「大混乱」といった状況にあるのです。
・これまで日本とアメリカのあいだで結ばれてきた膨大な数の密約は、そのほとんどが日
 米安保に関するもの、つまり軍事関係の取り決めでした。それらは大きくいうと次のふ
 たつのジャンルに分けることができます。 
 @米軍が日本の基地を自由に使うための密約(基地権密約)
 A米軍が日本の軍隊を自由に使うための密約(指揮権密約)
・第2次世界大戦で多くの戦死者を出し、激しい戦いのすえに日本に勝利した米軍は、占
 領が終わった後も、日本の国土を自分たちの基地として自由に使いたいという欲求を持
 ち続けました。それを実現するための密約が「基地権密約」です。加えて米軍は、日本
 軍が二度とアメリカの軍事的脅威にならないよう、占領終結後も日本の「軍隊」を自分
 たちの指揮下におき続けたいという欲求を持ち続けました。それを実現するために密約
 が「指揮権密約」です。 
・一方、そうした米軍の要求に対する日本政府の対応は、簡単にいうと次のようなもので
 した。  
 ・「日本の基地を自由に使う権利」については、核兵器の地上への配備を除いて、結果
  としてほとんどすべての要求に応じ、密約を結んできた。
 ・「日本軍を指揮する権利」については、自衛隊を創設して、それが戦時に米軍の指揮
  下に入ることは密約で認めたものの、その行動範囲はあくまで国内だけにとどめ、国
  外での軍事行動については拒否し続けてきた(2015年まで)。
 そして戦後70年のあいだ、米軍が駐留する日本を攻撃してくる国はどこにもなかった
 ので、結果としてほとんどの日本人は「戦争」とは無縁の生活をおくることができたの
 です。
・これまで本や新聞、テレビなどで取り上げられてきた日米間の密約は、ほとんどすべて
 が「基地権密約」、つまり、「米軍が日本の基地を自由に使うための密約」というジャ
 ンルに入るものでした。戦後長らく続いた冷戦の時代、「太平洋の対岸に浮かぶ日本の
 国土全体を、基地として自由に使う権利」は、アメリカの世界戦略にとって、はかりし
 れないほど重要な意味を持っていたからです。
・一方、「異本の軍事力」については、「基地の利用」にくらべると優先順位が低かった。
 そのため「指揮権」の問題については、とりあえず日本国内で自衛隊を米軍のコントロ
 ール下においておけば、それでよいと考えられていた。海外への派兵まで求めて反発を
 まねき、日本の米軍基地が使えなくなるようなリスクはおかしたくない。そういう判断
 が米軍にもアメリカ国務省にも1990年代まではずっとあったようです。そのために
 日本は、実際にこれまで、さまざまなかたちでアメリカの戦争に協力してきたのですが、
 自分たちが国外へ出て戦うことだけは拒否することを許されてきた。だからいままで
 「指揮権密約」、つまり「米軍が日本の軍隊を自由に指揮するための密約」については、
 ほとんどが議論されることがなかったのです。
・ところが安倍政権が成立させた昨年(2015年)の安保関連法によって、状況は一変
 してしまいました。もしこの「指揮権密約」を残したまま、日本が海外で軍事行動をお
 こなうようになると、「自衛隊が日本の防衛とはまったく関係のない場所で、米軍の指
 示のもと、危険な軍事行動に従事させられる可能性」や、「日本が自分でなにも判断し
 ないうちに、戦争の当事国になる可能性」が、飛躍的に高まってしまうからです。
・1957年2月に、東京のアメリカ大使館からワシントンの国務省の送られた「在日米
 軍に関する極秘報告書」には、次のような内容が書かれていました。
 ・日本国内におけるアメリカの軍事活動の驚くべき特徴は、その物理的な規模の大きさ
  に加えて、アメリカの持つ基地権の範囲の広さにある。
 ・(旧)安保条約の第3条に基づく行政協定は、アメリカが占領中に持っていた、軍事
  的活動を独自に行うための権限と権利を、アメリカのために大規模に保護している。
 ・(旧)安保条約のもとでは、日本政府とのいかなる相談もなしに、「極東における国
  際平和と安全の維持に貢献するため」という理由で」米軍を使うことができる。
 ・行政協定のもとでは、新しい基地についての条件を決める権利も、現存する基地を持
  ち続ける権利も、米軍の判断に委ねられている。
 ・こうした「基地」のあり方は、将来、もしも在日米軍が戦争にまき込まれたときには、
  日本からの報復を引き起こす原因となるだろう。
 ・行政協定のもとでは、新しい基地についての条件を決める権利も、現存する基地を持
  ち続ける権利も、米軍の半あんに委ねられている。
 ・それぞれの米軍基地についての基本合意に加え、地域の主権と利益を侵害する数多く
  の補足的な取り決めが存在する。
 ・数もわからない、非常に多くのアメリカの諜報機関と防諜機関のエージェントたちが、
  なんのさまたげもなく日本中で活躍している。
 ・米軍の部隊や装備なども、地元のいかなる取り決めもなしに、また地元当局への事前
  の連絡さえなしに、日本に自由に出入りすることを正式に許されている。 
 ・すべての米軍の決定によって、日本国内で大規模な演習がおこなわれ、砲弾の発射訓
  練が実施され、軍用機が飛び回り、その他、非常に重要な軍事活動が日常的におこな
  われている。それらの決定は、行政協定によって確立したアメリカの基地権に基づい
  ている。
 このような強制された基地のあり方に対し、これまで日本人は驚くほどわずかな抵抗し
 かせず、日本の主権が侵害されるなか、米軍基地の存在をだまって受け入れてきた。
・アメリカが「極東の平和と安全のために必要」と判断すれば、米軍は日本の国内でも国
 外でも、どんな軍事行動でも行なうことができると、旧安保条約(第1条)や新安保条
 約(第6条+密約)で、はっきると定められているのです。
・ここで最大の問題は、軍事行動が必要だとするアメリカの「判断」について、私たち日
 本人がいっさいかかわれないということです。だから独立国であるはずの日本の国内で、
 米軍は「日本政府とのいかなる相談もなしに」自由に行動することができるのです。
・横田空域の問題や、普天間基地(沖縄)や横田基地(東京)へのオスプレイの配備など、
 いくら住民の反対があっても日本政府が「やめてくれ」と言えないのは、そうした条約
 上の権利を米軍が、もともと持っているからなのです。  
・基本的に米軍は日本国内でどんな行動もできるわけですから、基地をつくる権利も持っ
 ています。逆に普天間基地のようにどれだけ危険な基地であっても、日本政府は米軍の
 了承がないと、米軍基地に指一本ふれることができない。もともとそういう取り決めに
 なっているのです。
・在日米軍の本質は、「とにかく日本国内で、なんの制約もなく自由に行動できる法的権
 利を持っている」ということです。しかし軍隊が自由に行動すれば、さまざまなかたち
 で住民の生活に被害を与えることになる。その事実を隠蔽し、米軍が日本の法体系にな
 かで行動しているようにみせかけるために結ばれたのが、行政協定や地位協定です。け
 れども、本質は「米軍は自由に行動する」ということですから、どうしても住民の人権
 を大きく侵害してしまう。その問題を密室で処理するためにつくられたのが日米合同委
 員会なのです。 
・安保改定を手がけた当時の岸首相と藤山外務大臣のふたりは、この行政協定の改定問題
 について、「ウラでどんな密約を交わしてもよい。オモテの見かけが改善されていれば、
 それでよい」という立場をとっていたというのです。
岸首相が政治生命をかけて成し遂げようとした安保改定は「条約期限の設定(10年)」
 や「内乱条項の削除」などという、実質的な改定を実現した点もありました。しかしそ
 の一方で、米軍が日本国内の基地を自由につかう権利(基地権)については、旧安保条
 約時代の特権を密約によってすべて継続させてしまったのです。つまり「ほとんど占領
 状態の継続だ」という評価が国民に広く共有されていた、旧安保時代の米軍の権利、だ
 れよりも岸自身がもっとも強く批判していたその治外法権的な特権を、この密約によっ
 て、すべてそのまま未来へ引き継いでしまったということなのです。
・実は現在、アメリカがもっている在日米軍基地の権利(基地権)には、「基地のなか」
 だけでなく、「基地の外でも自由に動ける権利」が含まれているのです。ちょっと信じ
 られないかもしれませんが、事実です。  
・首都圏にある「横田」「厚木」「横須賀」といった重要な基地について、米軍はこの条
 文に基づき、国外から自由に出入りできる「絶対的アクセス権」を持っている。昔から
 持っていたし、いまでも持っている。だから首都圏全体の上空が、太平洋の上まで米軍
 の管理空域になっているのです。
・「基地権密約」において、地位協定のなかの「関係法令の範囲内で」という表現に関し
 て、もし日本の法律が米軍の権利をじゅうぶん保障しない場合は、それらの法律の改正
 について、日米合同委員会で協議する、という内容が書かれています。「日米合同委員
 会で協議する」と書かれているときは、「国民にみせられない問題について、アメリカ
 側のいうとおり密約で合意する」という意味なのです。
・安保と基地の問題について大きなタイムスパンで考えるとき、1960年に改定された
 新安保条約や日米地位協定の条文に基づいて議論することに、それほど意味はありませ
 ん。岸が「見かけ」にこだわった結果、条文に書いてあることと事実が、あまりにもか
 け離れてしまっているからです。
・基地権密約の主役は岸信介でしたが、指揮権密約の主役は吉田茂ということになります。
 このふたりはいうまでもなく、旧安保条約と新安保条約の締結という「戦後日本」の最
 大のターニングポイントで、それぞれ舵取りをまかされた日本のリーダーたちでした。
・「日本区域において戦争または差し迫った戦争の脅威が生じたとアメリア政府が判断し
 たときは、警察予備隊ならびに他のすべての日本の軍隊は、日本政府との協議のあと、
 アメリカ政府によって任命された最高司令官の統一指揮権のもとにおかれる」これは、
 吉田茂が口頭で結んだ統一指揮権密約のもとになった条文です。
・日本の独立から3ヵ月後、1952年7月に、吉田首相が口頭で1回目の「統一指揮権
 密約」を結ぶことになりました。吉田は、有事の際に単一の司令官は不可欠であり、現
 状のもとではその司令官は合衆国によって任命されるべきであるということに同意した。
 この合意は、日本国民に与える政治的衝撃を考えると、とうぶんの間、秘密にされるべ
 きであるとの考えを吉田は示した。 
・日本の指揮権道約の問題は、ずっと朝鮮戦争および国連軍の問題とリンクしながら展開
 していくことになる。この文章は、基地権密約文書とはちがい、国と国の代表が正式に
 サインして取り交わすためのものではなく、軍の最高司令官のものとはいえ、ただの機
 密公電にすぎません。ですから、正式な密約文書ということはできません。しかしこの
 文書がその存在を証明した「指揮権密約」の重要性は、「基地権密約」よりも、はるか
 に大きいといってよいでしょう。なぜなら「指揮権密約」は「基地権密約」とちがって、
 その実態がほとんど目に見えない。けれども国家主権の侵害という点では、その弊害は
 比較ならないほど深刻なものがあるからです。外国軍による基地の使用というだけなら、
 まだ弁解の余地がありますが、もしも軍の指揮権を他国が持っていたとしたら、それは
 だれがみても「完全な属国」ということになってしまうからです。 
・たとえひとりでも自衛隊に友人がいるかたは、現在の日本の自衛隊が、「戦争になった
 ら、米軍の指揮下にはいる」というような、なまやさしい状態ではないことは、よくご
 存知だと思います。そもそも現在の自衛隊は、独自の攻撃力が与えられておらず、哨戒
 機やイージス艦、掃海艇などの防御を中心とした編成しかされていない。「矛と盾」の
 関係からいえば聞こえはいいが、けっして冗談ではなく、自衛隊が守っているのは日本
 の国土ではなく、「在日米軍と米軍基地」だ。それが自衛隊の現実の任務だと、彼らは
 いうのです。しかも自衛が使っている兵器は、ほぼすべてアメリカ製で、コンピュータ
 ー制御のものは、データも暗号もGPSもすべて米軍とリンクされている。「戦争にな
 ったら、米軍の指揮下にはいる」のではなく、最初から米軍の指揮下でしか動けない」
 「アメリカと敵対関係になったら、もうなにもできない」もともとそのように設計され
 ているのだというのです。
・1950年10月に米軍がつくった旧安保条約の原案は次のようになっていた。
 ・この協定(旧安保条約)が有効なあいだは、日本政府は陸軍・海軍・空軍は創設しな
  い。ただし、アメリカ政府の決定に、完全に従属する軍隊を創設する場合は例外とす
  る。
・戦争または差し迫った戦争の脅威が生じたと米軍司令部が判断したとき、すべての日本
 の軍隊は、アメリカ政府によって任命された最高司令官の統一指揮権のもとのおかれる。
・日本軍が創設された場合、日本国外で戦闘行動を行うことはできない。ただし、アメリ
 カ政府が任命した最高司令官の指揮による場合はその例外とする。
  
ふたつの戦後世界
・私たち日本人は、自分ではもうすっかり忘れているのですが、この時期の日本の独立に
 むけた安全保障の構想には、「日本のための安全保障」と「日本に対する(周辺諸国の)
 安全保障」というふたつの側面があったことを、つねに意識しておく必要があります。
・アメリカが密約で「日本軍の指揮権」にこだわり続けたのも、そこには、「日本を軍事
 的に利用したい」という目的のほかに、「日本がふたたび軍事的脅威にならないよう、
 完全なコントロール下においておきたい」という、もうひとつの目的があったからなの
 です。 
マッカーサーはだれもが知るとおり、アメリカの陸軍士官学校を史上最高の成績で卒業
 した飛びぬけた秀才で、軍事的にもまちがいなく、「天才」の域にまで到達した人物で
 した。しかし、国際法の世界においては、やはりダレスの前では赤ん坊同然だったのだ
 なと思わざるを得ないのです。というのもマッカーサーは、自分が日本占領において夢
 見た「国連軍構想」、つまり個別国家は戦争をする権利をもたないとする新しい時代の
 集団安全保障構想を、できる前からつぶすことを決めていた人物こそ、いま自分の前に
 座って、にこやかに助言をしてくれているダレスであることを、最後までわかってなか
 ったように思えるからです。
ダレスはマッカーサーほど有名ではありませんが、やはり世界史上の巨人といっていい
 でしょう。むしろ、いま私たちが生きている「戦後世界」という観点からみれば、その
 影響はマッカーサーよりもはるかに大きい。彼は国連憲章のきわめて重要な条項の執筆
 者であり、その意味で「戦後世界の設計者」のひとりといえるからです。タカ派のイメ
 ージが強く、冷戦構造の構築者として有名なダレスですが、意外にも牧師の父を心から
 尊敬していた彼は、青年時代からずっとキリスト教的世界観に基づいて戦争と平和の問
 題を考え続け、いったいどうすれば世界に平和がもたらされるかというテーマを生涯追
 求し続けた人物でした。
・一派には国連憲章の基本理念になったとされている大西洋憲章ですが、ダレスによれば
 そこにサインしたときルーズベルトは、現在の国連のような国際機構は想定していなか
 った。 
・とくにダレスが非現実的だと考えていたのは、マッカーサーがその実現を夢見ていた国
 連軍構想でした。大国による軍事政策などは、ますあてにはならない。大国の政治的合
 意を前提としているが、そうした合意はこれまでほとんどおこなわれたことがない。そ
 もそも大国の合意があれば、それだけですでに平和が保障さえrているはずではないか。
 つまり、大国というのは、常に自らの国益だけに従って行動するものだから、大国同士
 がいつも協調して行動することを前提としたり、大国の主権を制限するようなかたちで
 の安全保障構想は、まったく非現実的だと彼は考えていたのです。
・昨年(2015年)日本でも大きな議論となった「集団的自衛権」について定めた51
 条をみてみると、この条文は、個別国家が独自に戦争をすることを違憲とした国連憲章
 のなかで、その例外規定として定められたものです。もし、国連加盟国に対して武力攻
 撃が発生した場合は、「安保理が必要な措置をとるまでのあいだ」に限って、「加盟国
 は集団的自衛権を行使することができる」つまり、そのあいだは国連加盟国が、「独自
 の軍事同盟も基づき、国連の許可なく戦争する」ことを可能にした条文なのです。 
・アメリカ議会ではこの51条(集団的自衛権)の内容について、「国連安保理は、常任
 理事国として拒否権を持つアメリカの同意がなければ、なにも行動できないのですから、
 軍事行動を安保理を通じておこなうか、それとも安保理の決議に反対票を投じたのち、
 独自の軍事同盟に基づいておこなうかの決定は、アメリカが国益に応じて自由に選択す
 ることができる」と説明しているのです。
・歴史的な流れをたどってみると、非常に残念なことではありますが、その後の平和条約
 と旧安保条約をめぐる日米交渉で、もし日本が早期の独立をめざす方針をとるとすれば、
 米軍基地を受け入れる以外の選択肢はもともと存在しなかったということがわかります。
 交渉における現実の課題は、それをどのようなロジックと「見かけ」のもとで受け入れ
 るか、ということでしかなかったのです。吉田首相はそのことを、「日本が自尊心を傷
 つけられずに承諾できるような条約をつくってもらいたい」という言葉で表現していま
 した。
・もともと占領軍の本来の位置づけは、ポツダム宣言に基づいて日本を占領し、徹底的に
 その軍事力を破壊したで、二度とアメリカや世界に危害を加えない民主的な国につくり
 かえる。その目的が達成されたときは、平和条約を結んで、ただちに撤退するというも
 のでした。
・ところが、日本は占領終結後も「国連のようなアメリカ」との間に、「特別協定のよう
 な安保条約」を結んで、「国連軍基地のような米軍基地」を米軍に提供することになっ
 てしまいました。そして当然のように次のステップとして求められたのが、「国連軍の
 ような在日米軍」の戦争に協力することだったのです。  
・「指揮権」という観点から歴史を振り返ってみると、朝鮮戦争中の出来事は、次の2つ
 でした。
 ・非正規なかたちでの国連軍が組織され、そこでアメリカに「統一指揮権」と「国連旗
  の使用」が認められたこと。
 ・朝鮮半島へ出兵した米軍のあとを埋めるため、事実上の軍隊である7万5千人の警察
  予備隊が創設され、さらには海上保安庁の掃海艇部隊が実質的に参戦して、戦死者ま
  で出してしまったこと。
・1950年7月、トルーマン大統領が国連の安保理決議を受けて、マッカーサーを「朝
 鮮国連軍」の司令官に任命したのです。これはマッカイサーにとって、もちろん大きな
 出来事だったでしょう。考えてみると皮肉なことですが、彼が目指した「正規の国連軍」
 と「日本の非武装中立」を完全に否定するダレス的世界観のもとで、「非正規の国連軍」
 が誕生し、自分がその指揮を任せられることになったのです。ただ、ひとつはっきりし
 ていることは、このときマッカーサーが自分のそれまでの占領政策を完全に覆す、非常
 に重大な決定をすぐに下したということです。司令官に任命された同じ日に、彼は吉田
 首相への手紙によって、7万5千人の警察予備隊の創設と、8千人の海上保安庁の増員
 を指示したのです。それは、ほとんどすべての朝鮮半島へ出勤してしまった在日米軍の、
 あとを埋めるためにおこなわれた措置でした。日本政府としては、まだポツダム宣言に
 基づいて占領されている最中ですから、イエスのノーもありません。そのためマッカー
 サーの手紙ひとつで、事実上の軍隊の創設(=再軍備)が突然、決定してしまったので
 す。ここが日本の戦後史にとって、文字どおり、決定的な分岐点だったといえるでしょ
 う。憲法9条2項の破壊という点では、米軍の駐留継続よりも、この「日本軍の創設」
 のほうが、もちろんはるかに深刻な問題だからです。そのため憲法の安全保障条項(9
 条2項)という、国家にとってもっとも倫理的整合性の必要な問題が、その後、議論の
 足場を完全に失い、合理的に議論することがまったくできなくなってしまったのです。
・38度線を越えて南下した金日成の軽率な行動が、いかにその後の世界に悪影響を与え
 たか、考えるだけでため息が出るような思いがします。こうした歴史の偶然によって、
 日本は自分がまったく知らないうちに、アジアの冷戦構造の最前線に立たされてしまう
 ことになりました。そのため、1950年7月に突然起こった「警察予備隊」の創設と
 いう大問題についても、これまでニュートラルな議論、つまり政治的立場を離れたかた
 ちでの議論は、ほとんどおこなわれてこなかったように思えます。なにより「これは警
 察力の延長なのだ」という粉飾が政府によってなされていたため、どのような立場の人
 間にとっても、あえて触れずに済ませることが可能な問題でもあったわけです。
・日本の警察予備隊が創設された当初、そのほんとうの目的を知っていたのは、ごく少数
 のアメリカ人と日本政府の最高指導者たちだけだった。朝鮮戦争が始まった直後の大き
 な混乱のなか、軍事顧問団に与えられた最大のに任務は、挑戦に出撃した米軍部隊がい
 なくなった基地に、ただちに日本の軍事部隊を配備することだった。軍事顧問団が事実
 上の警察予備隊の本部となった。そして各基地には、日本人の部隊千名について1名、
 ひとつの基地ごとに最大2名の少佐級の米軍将校を配備することを決めた。そうした米
 軍の将校たちは、日本人の新入隊員を基地に収容し、衣食住を与え、大隊へ編入し、ま
 た新入隊員の中から部隊長を選び出し、さっそく軍事教練を開始した。
・基地でトレーニングを受けていた最初の数カ月間、警察予備隊のすべての計画と実施は、
 アメリカ人がおこなったのである。警察予備隊はアメリカが創設した、アメリカの作品
 とおっても過言ではなかった。警察予備隊の創設にあたった米軍の軍人にとって、自分
 たちがいま作りつつあるものが軍隊であることに、疑問の余地はなかった。だが、それ
 をあたかも警察の新しい組織であるかのようにカムフラージュすることが求められた。
・日本の警察予備隊を、米軍にならって組織せざるを得ない理由がいくつかあった。なに
 より重要なのは両軍が同じように編成・装備されていることで、日米共同作戦を行なう
 場合、それが非常に大きなメリットとなる。両軍の指揮、幕僚機構、通信系統、兵站部
 門をスムーズに統合することができるからである。結局、警察予備隊は米軍を小型にし
 たようなものになった。
・現在の米軍と自衛隊における完全に従属的な関係の根底には、「指揮権」という法的な
 問題の前に、こうした極めて異常な状況のもとでおこなわれてしまった「日本軍」の創
 設の経緯があることがわかる。 
・1950年10月、仁川上陸作戦の成功から半月後、大久保長官はアメリカ海軍参謀副
 長だったバーク少将から、掃海艇の元山への派遣について依頼を受けます。実はポツダ
 ム宣言にもとづくGHQの命令のなかには、日本と朝鮮の水域における機雷は、アメリ
 カ海軍の指示に従って日本が掃海するという項目がありました。しかし、それはあくま
 で平時の話であって、もちろん戦争中の話ではありません。また、戦争のさなかに敵軍
 が設置した機雷を掃海することは、当然、完全な参戦を意味することになります。
 大久保長官は、同日、吉田首相に面会してバーク少将の依頼を報告します。すると、
 「国連軍に協力するのは、日本政府の方針である」と掃海艇の出動を許可される一方、
 平和条約交渉が動き出した微妙な時期であることを理由に、その行動は秘密のうちにお
 こなうということになりました。 
・きびしい環境のなか、元山上陸作戦のための掃海作業をおこなっていたところ、出動か
 ら11日後、1隻の掃海艇が機雷にふれ、一瞬で爆発し、沈没。死者1名、負傷者18
 名の犠牲者を出すことになりました。
・掃海艇部隊は、それからさらに1ヵ月以上、アメリカ海軍の要請に従って掃海作業を続
 け、12月に解散しました。結局2ヵ月以上にわたって、元山のほか、仁川、海州、群
 山、鎮南浦などの朝鮮水域で、300キロメートルにわたる水路と、600平方キロメ
 ートルの停泊水域の掃海をして、27個の機雷を除去したのです。
・こうして1950年の7月から12月にかけて、日本は「軍隊の創設」と「参戦」とい
 うふたつの重大な憲法違反を犯してしまうことになりました。もちろん占領中におこな
 ったことですから、日本政府が抵抗しても拒否することはできなかったでしょう。しか
 し最大の問題は、日本政府がその事実を完全に隠したうえで、むしろ積極的に戦争支援
 をおこない、平和条約を自国に有利なものにしようと考えていたというところです。ま
 たそうした積極的な戦争支援の結果、朝鮮特需とよばれる米軍から日本企業への莫大な
 金額の発注が生まれ、敗戦で大きく傷ついた日本の経済が完全に息を吹き返したことも
 事実でした。  
・しかしその一方で、このときおこなわれた「憲法違反」の影響は、あまりにも大きなも
 のとなってしまいました。結局、歴史を振り返ってみると、こうした占領中の朝鮮戦争
 への協力過程で生まれた米軍への完全な従属関係が、その後の2度の安保条約によって
 法的に固定され、現在まで受け継がれることになったからです。

最後の秘密・日本はなぜ、戦争を止められないのか
・現在の私たちはすっかり忘れてしまっているのですが、いまから66年前、まだ米軍の
 占領下にあった日本は、朝鮮へ出撃する米軍部隊に対し、強力な兵站活動を行っていま
 した。兵士の輸送や弾薬の調達、車両や兵器の修理など、さまざまな形の後方支援活動
 を官民一体となって、フル回転で行っていたのです。さらには、米軍基地を防衛するた
 めの警察予備隊の創設や、海上保安庁による機雷掃海など、実質的な「参戦」をいえる
 レベルの軍事行動を行ってました。
・もちろん占領下なわけですから、兵站活動も、警察予備隊の創設も、すべて日本政府の
 判断ではなく、占領軍からの一方的な命令で行われたものに過ぎません。そもそも日本
 の基地から出撃していく米軍部隊が、いつどこでなにを攻撃する予定なのか、日本政府
 はなにも知らなかったのです。それなのに、そうした占領下で行われた「戦争協力」に
 ついて、平和条約の締結後もそのまま継続しろというのですから、日本の独立をいった
 い何だと思っているのかと、びっくりするような内容です。しかし、そんなことで驚い
 ている場合ではないのです。この「国連軍への協力」をめぐる取り決めは、マッカーサ
 ーの失脚後、信じられないほど滅茶苦茶な内容に変更されていくことになるのです。
・1951年4月、トルーマン大統領がマッカーサーを解任すると発表したことで、日本
 中は大騒ぎになりました。とくに長年、マッカーサーの絶対的な権力と一体化する形で
 政権を運営してきた、吉田首相の衝撃は大きかったでしょう。その後の日米交渉でおこ
 った出来事を見てみると、やはり朝鮮戦争が始まったあとの段階でも、まだマッカーサ
 ーは日本にとって、米軍からの無理な要求を食い止める最大の防波堤だったことがわか
 ります。 
・フランスの国際法学者ジャン・ロッシュは、こうしたダレスのトリックを、「他国の領
 土を併合することなく、併合と同じ利益を実現する手段として、これほど巧妙な方法を
 私は知らない」と述べています。「吉田・アチソン交換公文」と「国連軍地位協定」を
 中心とする、「国連憲章上の義務を根拠としながら、日本がまだ国連に加盟していない
 時期に構築されたアメリカへの戦争協力体制」は、現在の日本が沖縄と同じ、国際法上
 の真空状態にあることを示しています。ロッシュの言葉を借りれば、「戦後日本」とい
 う国全体が、「国連憲章にも、正規の二国間協定にも基づかない、ただ恐怖におびえた
 顔を持つ「法的怪物」なのです。
・朝鮮戦争への軍事支援を行うために生み出されたこの「占領下の戦時体制」という「戦
 後日本」の基本構造を、よりしっかりとした法体系のなかで作り直すこと。いわば急造
 のバラック小屋だったものに鉄筋を入れ、堅固なビルに建て直すこと。それこそが「安
 保改定」の本質だったといえるのです。
・1959年3月、砂川事件の一審判決で東京地裁の伊達裁判長は、在日米軍は憲法9条
 2項で持たないことを定めた「戦力」に該当するため、その駐留を認めることは憲法違
 反であるとしました。そして、在日米軍に対して特別な法的保護を与える刑事特別法に
 合理的な根拠はないとした。在日米軍を真正面から「憲法違反」であるとしたこの判決
 が、その後の60年安保や70年安保の原点にもなったとされる。有名な「伊達判決」
 です。
・ところがその後、アメリカ側の工作によってこの判決は同年12月に最高裁で覆されて
 しまうのです。その理由は、翌年に予定されていた安保改定に影響が出ることを恐れた
 マッカーサー駐日大使が、判決の年内破棄を目指して激しい政治工作を展開したからで
 した。そして同年12月に最高裁で一審判決を破棄させたのです。このとき最高裁判決
 のなかで示された、「国家の存立にかかわるような高度の政治性を持つ問題については、
 裁判所は憲法判断ができない」という判例によって、以後、日本政府がいくら重大な違
 憲行為を行っても、国民が裁判によってそれをストップさせることが不可能となり、日
 本国憲法は事実上、その機能を停止してしまうことになったのです。
・ですから現在の日本では、権力側が腹をくくれば、国民の人権は一瞬で「合法的に」奪
 いとられてしまう。沖縄で、福島で、そしていま安保関連法をきっかけに日本全体で起
 こりつつある憲法破壊の根源が、この駐日アメリカ大使の工作によって出された最高裁
 判決にあるのです。  
・この砂川事件の最高裁判決の要旨は、大きくわけて次のふたつのことを述べています。
 ・米軍の国内駐留は合憲である。
 ・安保条約のような「わが国の存立の基礎に重大な関係を持つ高度の政治性を問題」に
  ついては、それが「一見きわめて明白に違憲であるもの」以外は、裁判所は憲法判断
  ができない。
 しかし、この判決には非常に奇妙な点があるのです。というのは、「米軍駐留合憲論」
 については議論が出つくしています。そしてこの裁判は、米軍の駐留が合憲か違憲かを
 めぐって争われた裁判です。ですから、本来は「ゆえに、日米安保条約に基づく米軍の
 駐留は違憲とは認められない」という判決だけを出せば、それでよかったはずです。
 ところが、「日本版・統治行為論」という、最高裁の職責放棄そのものといったような、
 だれが見ても問題のある「論理」をわざわざ展開し、そのうえで判決理由では、東京地
 裁の一審判決は、「裁判所の司法審査権の範囲を逸脱し(=日本版・統治行為論)、憲
 法9条2項および憲法前文の解釈を誤ったもの」なので「破棄を免れない」という、完
 全に支離滅裂な理屈を述べているのです。
・砂川裁判・最高裁判決では、「米軍駐留合憲論」については15人の裁判官全員が同意
 していたのに対し、「日本版・統治行為論」については、3人の裁判官が次のように重
 大な異議を唱えていたのです。
 ・(もし条約について憲法判断ができないとすれば)他国との間で憲法に違反する条約
  を結ぶことにより、憲法改正の手続きを取ることなく、容易に憲法を改正するのと同
  じ結果が得られるようになり、甚だしく不当なことになる。
 ・(もし条約ついて憲法判断ができないとすれば)憲法96条の定める国民の承認によ
  る改正手続によらず、条約(の締結)によって憲法改正と同じ目的を達成できること
  になり、理論上、三権分立の原則を損ね、基本的人権の保障に反する変更もできるこ
  とになる。日本国憲法は、はたしてこのような結論を認めているのだろうか。
・この3人の裁判官の言葉を聞いて、なにか思い当たることはないでしょうか。
 「政府が憲法違反の条約を勝手に結ぶことで、正規の手続きを経ることなく、実質的な
  憲法改正を行なうことが可能になる」
 そうです。まさにこれこそが、昨年(2015年)の安保法案の審議において、私たち
 の目の前で起こった出来事だったのです。 
・57年前に3人の最高裁判事が予言したとおり、この最高裁判決が下されたあと日本で
 は、例えば「日米安全保障協議委員会」で日米の外務・防衛担当4大臣が協定を結んで
 しまえば、国民の意思に関係なく実質的に憲法改正を行って、三権分立の原則を無視す
 ることも、基本的人権を弾圧することも、自由にできるようになっているのです。  
・昨年(2015年)9月に成立した安保関連法と、その採決をめぐる大混乱は、日本社
 会にひそむ「ウラの掟」の存在を、だれの目にも見える形であきらかにしたものでした。
 「日米安全保障協議委員会」でアメリカとの軍事上の取り決めがすでに結ばれている以
 上、日本政府にとって、国会の審議も、憲法をめぐる議論も、デモによって示される国
 民の民意も、本質的にはほとんど意味を持たなかった。それらはどんな異常な手を使っ
 てでも、無視し、乗り越えるべき対象でしかなかったのです。
・「日本はなぜ、基地を止められないのか」「日本ななぜ、原発と被爆を止められないの
 か」「日本はなぜ、戦争を止められないのか」これらの問題は、すべてひとつの大きな
 構造のなかにあり、同じ原因によって生み出されたものです。そしてその大きな構造の
 根幹に横たわっているのが、まだ占領下にあった時代のアメリカへの戦争協力体制が、
 66年後の今も法的に継続し続けているという「戦後日本」の歪んだ国のかたちなので
 す。
・サンフランシスコ平和条約を結び、日本占領を終結させた当時のアメリカは、わずか6
 年前まで敵として戦っていた日本に対し、強い不信感を持っていた。ところが朝鮮戦争
 の勃発により、その信用できない日本を再軍備させて同盟国にしなければならないとい
 う深刻なジレンマを抱えることになった。そのジレンマをアメリカは、日本を恒久的な
 軍事的従属のもとにおく米日の軍事同盟を構築することによって解決した。事実、占領
 終結時に両国が結んだ旧安保条約は、第2次大戦後、アメリカが各国と結んだ条約や協
 定のなかで、もっとも不平等なものだった。
・岸首相は確かに有能な政治家でありましたが、従属的な日米関係を固定化する土台を作
 った人だと私は考えます。
・日本にある米軍基地は、朝鮮戦争や、ベトナムやカンボジア、最近もイラク戦争などで
 使われた。これらの戦争は必ずしも正義とは言えないのに、日本は常にアメリカに従い、
 意見を言うことすらできなかった。これでは将来、アメリカが世界で始める戦争に、日
 本は巻き込まれることになるでしょう。歴史家として見ると、これらのことはすべてサー
 ンフランシスコ・システムに起源しているのです。アメリカへの全面的な軍事的従属体
 制であるサンフランシスコ・システムは、もう終わらせなければならない。そうしない
 と、今後アメリカが勝手に引き起こす不正な戦争に、日本は巻き込まれてしまうことに
 なるでしょう。
・アメリカの軍司令官(マッカーサー司令官)がつくらせた日本国憲法によって、日本は
 陸軍、海軍、空軍を持つことを禁じられていると、当時はわれわれすべてが考えていた。
 それにもかかわらず、日本政府に憲法違反の軍隊(警察予備隊)を組織させたアメリカ
 はまちがっていた。最近になって、日本国憲法は自衛のための戦力を禁じていないとか、
 憲法9条はマッカーサーやアメリカが強制したものではないという解釈が登場してきて
 いるが、いずれも説得力に欠けている。
・1947年に憲法が発布されてからの数年間、憲法9条は再軍備を禁止する条項として
 占領軍が出撃したとき、完全に崩壊した。憲法9条2項による禁止と、自衛権も放棄し
 ているという吉田首相の国会答弁があるにもかかわらず実行された、この警察予備隊の
 創設と再軍備をいくら正当化しようとしても、それは詭弁以外のなにものでもない。
 1946年にマッカーサーがおこなった高貴なる実験(憲法9条2項の制定)は、4年
 後、朝鮮戦争の砲煙のなかで消滅してしまったのである。
・占領軍が日本に、永久に再軍備ができないような憲法をつくらせた以上、アメリカは日
 本政府が憲法に違反することなく占領軍の命令を実行できるようにする義務を、日本と
 共同で持っていたはずである。アメリカが日本の保守政権と足並みを揃えて日本の憲法
 を無視した事実は、いかなる詭弁を使っても正当化できるものではない。日米両国にと
 ってきわめて重大な、日本の再軍備問題について、こうした原理原則のないやり方をと
 ったことは、アメリカン・デモクラシーを大きく傷つける行為だった  
・日本が戦争に敗れ、国民が悲惨な経験を味わったことは、大日本帝国の軍隊の指導者が
 道を誤ったからである。にもかかわらず、戦後の新しい軍隊の将校の資格や人選の基準、
 昇進の要件および訓練方針といった極めて重要な問題が、日本では一度も国会で討議さ
 れたことがない。おおやけに論議されたこともない。将校の資格や養成の問題は、すべ
 て内閣の決定にまかされている。言い換えれば、政権与党が好きなようにできるのであ
 る。
・アメリカではすべての将校の任官および昇進は、上院の確認を必要とすることになって
 いる。その結果、民主党にも共和党にも、新しく任官する士官候補生の資格や素養、過
 去の成績などを検討する機会が与えられている。しかし、日本の国会にはそのような権
 限はない。
・結局、民主主義とは、どのようにして軍部をコントロールするかにつきる、ということ
 です。国家にとって最も難しいその問題を、日本は60年以上にわたってアメリカに丸
 投げし、ただ経済面だけの発展に力を注いできてしまった。その路線が冷戦期に経済的
 大成功をおさめたため、日本は繁栄と引き換えに、身動きできなくなってしまったので
 す。そして、そのまま現在に至り、打開策を見出すことが困難になっているのです。そ
 して、軍事に関する問題をすべてアメリカ任せにし、国民から見えない密室で処理し続
 けたことが、日本からのシビリアン・コントロールも、アメリカからのシビリアン・コ
 ントロールもかかりにくい、在日米軍という「法的怪物」を生み出してしまった。
・もっとも悲しむべき出来事は、世界がアメリカを見放すきっかけとなったイラク戦争を、
 アメリカ政府は日本占領モデルでやったということです。日本のあまりにも従属的な態
 度、「法的怪物」としての成功例が、立憲主義の祖国であるアメリカのデモクラシーを
 傷つけ、アメリカ自身を「エセ国連軍」を武器とする新しいタイプの帝国へと変貌させ
 てしまった。 
・この「サンフランシスコ・システム」を終わらせ、戦争へ向かう道を食い止めるために
 私たちに必要なことは、専守防衛で絶対に先制攻撃をしない最小限の武器を持ち、それ
 に国会を中心とした国民全体でシビリアン・コントロールをかけるということ。そのた
 めに体制を自分たち自身で構築するということなのです。
・アメリカのエリートたちはぼんとうに優秀で、とくに政府には驚くほど頭脳明晰な人材
 が集まっている。しかしその一方、彼らもまた、あらゆる国民がそうであるように大き
 な弱点も持っています。その代表が「アメリカ例外主義」という「思想」です。ここに
 はやはり、かれらの最大の弱点である「歴史経験の短さ」が典型的に現れているのです。
・「アメリカ例外主義」、それは人間にたとえると「3歳の幼児の論理」だからです。も
 ちろんアメリカは特別に重要で、例外的な国だと彼らが主張することは正しい。しかし
 それは、どの国も自国いついてそう主張する権利があると知っているのが「大人の国」
 というものです。「いーや、ちがう。アメリカだけはそういうレベルではなく、ほんと
 うに世界で一国だけ、特別に重要で、例外的な国なのだ」これはまさに幼児の論理に過
 ぎないのです。

私たちは、なにを選択すべきなのか
・これまでの憲法改正の是非論は、どちらかといえば思想上の争いでした。戦後の体制
 に恨みをいだく信念としての改憲派と、みずからの主観的な憲法解釈を客観的な憲法そ
 のものと考えている信念としての護憲派の思想がぶつかっている。 
・日本の憲法改正のやり方については、アメリカ型の追加条項方式しかない。つまり、
 「現行憲法の本文はそのまま残したうえで、修正条項を追加していく方法」しかない。
・アメリカでは、憲法の文章は歴史の産物であり、それを削除することは、自分たちの先
 祖が作ってきた歴史を削除することにほかならない、という認識がある。この追加条項
 方式は、かつて自分たちの先祖がつくったすばらしい憲法は、基本的な内容においては
 今も適切であるという自負もあらわれている。歴史的事実を抹消しないという歴史に対
 する責任の自覚もある。 
・この追加条項方式のメリットは、広い合意のできた部分から改正することになるから、
 憲法典(=明文憲法)の漸進的な改正、改良に適している。また条文の削除という、後
 ろ向きで、しかもその条文を支持している市民グループの頑強な抵抗を引き起こさずに
 済むことも大きい。この追加条項方式こそは、多様な価値観が存在する実際の政治状況
 において、民主的にことをはこぼうとするなら、この形しかないという、アメリカやイ
 ギリスの立憲主義の苦心の産物であったのだ。
・朝鮮半島において、少なくとも平和条約が結ばれれば、朝鮮国連軍も国連軍地位協定も
 法的な根拠を失います。平和条約や統一の前提となるのは、アメリカや中国、ロシアに
 よる承認ですから、在日米軍も在韓米軍も、そもそも駐留の口実がなくなってしまう。
 万一、部分的な駐留が継続された場合でも、ドイツのように国内法を厳格に適用して、
 米軍の行動に厳重なしばりをかけることもできるようになります。