アメリカの戦争責任 :竹田恒泰

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今年、伊勢志摩サミットの後、オバマ大統領が現役の大統領としては初めて、被爆地・広
島の平和記念公園を訪れた。広島への原爆投下から71年に経って、やっと実現された歴
史的出来事と言ってもいいだろう。これまでにも、広島を訪れたいと希望したアメリカ大
統領もいたが、実現しなかった。その背景には、アメリカでは日本に原爆を投下したのは、
「早期に戦争を終結するためであり、原爆投下によりアメリカ兵の多くの人命が救われた」
と思われており、正義の行いだったと思われているからである。現職の大統領が広島を訪
れることは、謝罪と受け取られ、その正義だとするこれまでの正当性を否定することにつ
ながるとして、多くの退役軍人たちの反対があるため、これまで実現が難しかった。そう
いう意味においては、今回のオバマ大統領の広島訪問は、歴史的な大きな一歩だとは言え
るだろう。
しかし、だからと言って、喜んでばかりもいられない。戦後、ずっとタブーとされてきた
アメリカの広島・長崎への原爆投下が、戦争犯罪ではなかったのかという問題。アメリカ
が言うように原爆投下が、本当に早期の終戦をもたらしたのか。この本で見えてくるのは、
原爆の投下は、終戦後の世界での覇権を握るためのアメリカの政治的手段として使われた
のではないのかということだ。
確かに、だからと言って、すべてアメリカが悪いということにはならない。そもそも戦争
を始めたのは日本ではないかということに対しては、真摯に深く反省しなければならない。
そして、アメリカも、野蛮な兵器である原子爆弾を最初に使った国家として、深い反省が
求められる。
さりながら、戦後日本の平和は、そのアメリカの核抑止力のよって守られてきたという現
実もある。核兵器廃絶は理想ではあるが、その前に、武力によって問題を解決しようとす
ること自体を認めない世界にしなければならないのではないかと思う。そういう意味では、
日本国憲法第九条は世界に誇るべきものである。安倍政権は、積極的平和主義を掲げて、
この平和憲法を変えて、日本を戦争ができるにしようとしているが、これはまさに時代に
逆行する行為ではないのか。中国や韓国などから、「日本は歴史から何も学んでいない」
と批判されるが、今の安倍政権の振る舞いをみていると、私自身もそう感じてしまい、憤
りを感じる。

日本における戦後三大のタブー
・日米で、先の大戦におけるアメリカの戦争責任が公式に議論されたことはほとんどなく、
 またテレビや新聞などの報道機関が、この問題を正面から扱ったことも、ほぼないに等
 しい。その原因は明確である。日本では、連合国に占領された時期に、GHQが厳しい
 情報統制を敷き、あらゆる媒体に対して、アメリカへの批判を禁止したことが現在にま
 で影響していると思われる。
・最初に処分を受けたのは「朝日新聞」だった。昭和20年に原子爆弾の投下を批判する
 記事を掲載し、また日本軍を擁護する内容の記事を掲載したところ、GHQはこの二つ
 の記事を問題視し、「朝日新聞」に対して2日間の業務停止命令を下した。
・終戦から僅か1ヵ月後の占領下において、アメリカが原子爆弾を使用したことについて、
 「国際法違反」「戦争犯罪」と断言する記事を掲載したこと自体、驚きに値する。しか
 し、この記事が発光禁止対象とされたことで、以降、日本のあらゆる媒体は、原爆投下
 批判をはじめ、アメリカ批判を控えるようになったのである。
・GHQのもとでは、報道機関が東京大空襲や原爆投下を批判することは、法的に禁止さ
 れていたのである。無論、個人が個人の意見として言うことはできても、公人がこれに
 ついて言及すれば、たちまち袋叩きにされ、追放されたに違いない。
・アメリカ以外の連合国や、連合国一般への批判を禁止事項としたほか、GHQへの批判、
 東京裁判への批判、GHQが日本国憲法を起草したことに対する批判など、連合国への
 一切の批判も禁止事項とした。   
・広島と長崎に投下された原子爆弾について日本人が批判的に論じることは、惨事を引き
 起こした責任をアメリカに負わせようとする誤った考え方であるから、発光禁止処分の
 対象とされた。
・一度できた「空気」は容易に変わるものではない。占領下、GHQによって作られた
 「空気」は、占領が解除されたあとも日本社会に残り続け、現在にまで至る。
・終戦70年を迎えても、あの戦争についてアメリカを批判し、あるいは日本を肯定、も
 しくは擁護する論調は禁忌として、日本社会のみならず、国際社会に根強く残っている。
・原子爆弾の投下が、真に正義の行動であったと信じるなら、そのありのままの情報が発
 信されても不都合はないはずであって、批判的な言論をGHQが法令で制限する必要は
 なかったはずである。ではなぜ、GHQは原子爆弾についての言論を神経質なまでに制
 限したのであろうか。  
・アメリカは正義の戦争を遂行して、邪悪で野蛮な軍国主義国・日本を降伏に追い込んだ
 という大義名分がある。アメリカとしては、原爆投下の非人道性について指摘されるこ
 とは、その大義名分に矛盾することであるから、絶対に避けなければいけなかった。ま
 して「人道性」の欠片もない日本に、原爆使用の「非人道性」で糾弾されるほど、アメ
 リカにとって不名誉なことはない。もし原爆投下が非人道的と評価されたら、日本人は
 「被害者」になり、アメリカ人は「加害者」になってしまう。それは、アメリカの戦争
 の大義が否定されることを意味する。 
・IS(イスラム国)のあまりに非人道的な行為に戦慄を覚えたが、まもなく発せられた
 オバマ大統領の声明にえも言われぬ違和感を覚えた。なぜなら先の大戦で広島と長崎に
 原子爆弾を投下して30万人以上の民間人を焼き殺し、東京をはじめ、日本中の都市に
 空爆を敢行し、東京だけで10万人以上の民間人を殺めたアメリカに、ISを非難する
 資格があるのかと疑問に思ったからだ。しかも、アメリカは大戦後も、ベトナム戦争
 枯れ葉剤を撒き、イラク戦争で容赦なく劣化ウラン弾を使用するなど、人道上問題のあ
 る戦闘方法をとってきた。「人間を生きたまま焼き殺す」という点においては、ISの
 蛮行とアメリカの原爆投下や東京大空襲は同じである。いや、カサスベ中尉は軍人だっ
 たが、アメリカが原子爆弾と焼夷弾で殺傷したのは日本の民間人だった。しかも、これ
 までにISは何十人もの外国人を処刑してきたが、米軍が殺害した日本の民間人は
 100万人と推計される。無論、平時と戦時の違いはあるが、たとえ戦時であろうとも、
 国際法は民間人の殺傷を禁止している。
・大空襲と原子爆弾で多くの日本人が命を落としたことにつき、アメリカ側に責はまった
 くないのであろうか。ところが、原爆投下の責任については、戦後の日本では「日本が
 悪い」→「原爆を投下されても仕方ない」という理屈で語られることはあっても、アメ
 リカの行為自体の合法性や、責任について公に論じられることはなかった。
・広島平和記念公園に設置されている原爆死没者慰霊碑に刻まれた文言をめぐって論争が
 ある。そこには「安らかに眠ってください。過ちは繰り返しませんから」と彫られてい
 る。「安らかに眠ってください」ということから、この言葉は、原子爆弾の犠牲者の御
 霊に語りかける言葉であることは明白であるが、「過ち」というのが誰の過ちなのか、
 つまり加害者はだれであるのかが必ずしも明白ではない。
・もし慰霊碑の「過ち」を「人類の過ち」とするのであれば、実際に原子爆弾を投下した
 アメリカがそれに同意しなければ意味をなさない。現にアメリカでは、「原爆投下は正
 義である」という見方が一貫して政府の公式見解になっている。
・アメリカで共有されている、原子爆弾と核兵器に関する考え方を整理すると、次のよう
 になる。    
 @広島・長崎への原爆投下は、戦争を早期に終結させることに貢献したため、結果的に
  多くの生命を救った
 A核兵器はできれば世界からなくなるほうがよい
 Bだが、他国が核兵器を持つならアメリカも持つべきである
・アメリカ人の約3分の2が、広島と長崎への原爆投下を「正しかった」と考えていて、
 「間違いだった」と回答したのは僅か22%に過ぎなかった
・原爆投下を命じたのは、トルーマン大統領だった。トルーマン大統領が主張する原爆使
 用の正当性は、 
 @日本は国際法違反の悪行を働いたのでその報復として原子爆弾を使用した
 A原爆投下は戦争終結を早め人命を救った
 の2点に集約される。
・日本政府が、長崎に原子爆弾が投下された翌日の昭和20年8月10日、中立国のスイ
 スを通じて「米機の新型爆弾による攻撃に対する抗議文」をアメリカ政府に発したこと
 は、今日あまり知られていない。 
 「このたび米国が使用した原子爆弾は、その性能の無差別かつ惨虐性において、毒ガス
 その他の碧を遥かに凌駕するものである。従来のいかなる兵器にも比較できない無差別
 性を有するこの爆弾を使用するのは人類文化に対する新たな罪悪である。帝国政府は、
 自らの名において、また全人類および文明の名において米国政府を糾弾すると共に、即
 時このような非人道兵器の使用を放棄するべきことを厳重に要求する」
・昭和38年の原爆裁判で、日本政府は次のように主張した。
 「原子爆弾の使用は日本の降伏を早め、戦争を継続することによって生ずる交戦国双方
 の人命殺傷を防止する結果をもたらした。かのような事情を客観的にみれば、広島・長
 崎に対する原子爆弾の投下が国際法違反であるかどうかは何人も結論を下し難い」
 しかし、この政府の主張は明らかにおかしい。原子爆弾の投下が国際法上違反であるか
 どうかは、当時の国際法に照らし合わせて、アメリカ軍の原爆投下の行為が戦争犯罪に
 該当するか否かを判断すればよいのであって、終戦を早めて犠牲を減らしたうんぬんと
 いう「効果」とは無関係である。  
・昭和55年、鈴木善幸内閣は、112カ国が賛成して採択された「核兵器の使用は人道
 に対する罪悪である」と明記された国連決議に、アメリカと共に反対票を投じた。原子
 爆弾によって多くの死者を出した日本が、その非人道性を否定する立場にたつなど、お
 よそまともな判断とは思われない。
・日本政府もトルーマン大統領の声明以来、アメリカ政府が踏襲してきた「原子爆弾は戦
 争終結を早め人命を救った」という「早期終戦・人命節約論」と同じ立場に立ってしま
 っているのだ。だが、二個の原子爆弾で日本の民間人30万人以上が死亡しているにも
 かかわらず、日本政府が「アメリカ兵の人命が救われたならそれでよし」とするのは、
 あまりに国民を蔑んではいまいか。
・日本は原子爆弾の被害を受けた唯一の国なのだから、その犯罪性を追求しなければなら
 ないし、人類の名においてそれを行なう責任があるのではないか。アメリカの戦争責任
 を論じることは、平和主義を採用する国家としての義務だと思う。
・アメリカでは、原子爆弾の真実は今も封印されたままである。日本人にとって原子爆弾
 のキノコ雲は恐怖と屈辱の象徴であるが、アメリカ人にとって、それは勝利と正義と栄
 光の象徴なのであり、その雲の下で苦しんだ人々のことに目を向けるつもりはないよう
 だ。まして、犯罪性を直視しようとする空気は存在しない。
・これまで、第二次世界大戦は「政治」の問題であったが、終戦70年を迎えた今、そろ
 そろ「政治」ではなく「歴史」の問題として語ることができる時代に入ったと思う。単
 に時間が経過したというだけでなく、戦争を知らない世代が人口の大部分を占めるよう
 になり、感情を抑えて、冷静に客観的に分析ができる条件が整ってきた。
    
原爆投下を正当化するアメリカの教科書
・原子爆弾の被害があまりに大きかったことは、あるいはアメリカにとっては誤算だった
 のかもしれない。30万人以上の民間人を焼き殺す正当性を説明するのは、至難の業で
 あろう。物事を冷静に見ることができるようになった今、日本の犯した戦争犯罪と、そ
 れに対する懲罰として行われた原爆投下などが釣り合っていないことは、少し考えれば
 誰にでもわかることである。
・アメリカが広島だけでなく長崎にも原子爆弾を投下したことについては、あらためて問
 わなければならないであろう。アメリカの目的を達成するために、仮に原爆投下が必要
 だったとしても、二発目が必要であったかについては、実に疑わしい。
・アほうメリカの教科書は、原子爆弾二個による犠牲者をかなり低く見積もっている。そ
 の数を11万人と12万人と記載していて、日本の教科書とは著しい開きがある。アメ
 リカの中学・高校用の歴史教科書で、原子爆弾の犠牲者につき、日本側の見解に沿って
 記したものは極めて少なく、犠牲者数を掲載しないか、しても多くは公式見解の半分ほ
 どで放射線による長期的な健康被害について述べた教科書もほとんどないという。
・そして、犠牲者を少なく見積もることも然ることながら、アメリカの教科書が総じて放
 射線被曝などの長期的影響について触れていないのは、原子爆弾の非人道性から目を背
 けようとする自己防衛本能の現れではないだろうか。アメリカにとって原子爆弾のキノ
 コ雲は、対日戦争の勝利を象徴するものであって、あの雲の下でどれだけ多くの日本人
 が苦しんだかについては「知りたくない」というのが、多くのアメリカ人の心情なので
 あろう。 
  
「無条件降伏」論が早期終戦を妨げた
・アメリカ政府は、国民の真珠湾攻撃への恨みを煽って戦争に邁進してきた。アメリカ国
 民は日本を恨んでいて、大統領には日本を叩き潰すことを望んでいた。もし大統領が
 「完全な勝利」をめざさないのであれば、国民からの指示を失い、最悪の場合失脚する
 ことも考えられたであろう。「無条件降伏」というのは、国民受けのよい言葉だった。
 つまり、大統領は「完全なる勝利」を望む国民と、「日本人は最後の一人になるまで戦
 う」と信じられていた日本に対して完全な勝利を収めることの困難性とのあいだで、板
 挟みになっていたと思われる。
・「無条件降伏」の意味を明示して、天皇の地位を変更する意図はないことを講和条件の
 なかに盛り込んで発表すべきである、と各棒面から繰り返しトルーマン大統領は勧告さ
 れた。そうすれば日本は降伏するであろうというのは、大統領に勧告を与える立場にあ
 る当時の国家指導者たちの、ほとんど共通する見解だった。
・アメリカ国民の9割は「完全な勝利」、つまり日本と交渉せず日本を打倒することを望
 んでいた。ゆえに大統領が「無条件降伏」から「条件緩和」に政策を変更させたと見ら
 れたら、国民の支持を失う危険があったのだ。
  
トルーマンの手中にあった四つの選択肢
・日本への原子爆弾の使用が決定されたのは、昭和19年(1944)9月18日にルー
 ズベルト米大統領
チャーチル英首相とのあいだで締結されたハイドパーク協定だった。
 同協定は、原子爆弾が開発されたら日本に使用することを決めた秘密協定である。した
 がって、ルーズベルト大統領が原子爆弾の「使用の可否」を公式に決めたのはハイドパ
 ーク協定であり、後任のトルーマン大統領が原子爆弾の「使用方法」を公式に決めたの
 は、暫定委員会の勧告を受けて同意を与えた6月1日だったことになろう。原子爆弾の
 「使用の可否」についてトルーマン大統領は、前大統領の決定をそのまま継承し、自政
 権下で公式に再検討することなく使用に踏み切ったのである。
・ということは、日本に原子爆弾を使用すること自体は昭和19年(1944)9月に、
 またその使用方法は昭和20年(1945)6月に決定していたことになる。つまり、
 日本に降伏条件の緩和を伝える声明(のちのポツダム宣言)を出し、それに対して日本
 がどう反応するのかの如何にかかわらず、日本への原子爆弾の投下は既に決定されてい
 たのだ。 
・アメリカの国家指導者たちは、「天皇の地位を保障する」と明記した講和条件を発する
 ことで、日本は降伏すると考えていた。このことは「原子爆弾を使用せずに日本を降伏
 させられる」というのが、アメリカの国家指導者たちの共通の見解であったことを示し
 ている。ではなぜ、それにもかかわらず、日本への声明を出す時期が7月26日のポツ
 ダム宣言の時とされたのか。その答えは、原子爆弾の完成が間近に迫っていたため、今、
 声明を発表して日本が降伏してしまったら、原子爆弾を使用する機会が失われると考え
 たからと思われる。
・ソ連は欧州でドイツとの戦争に勝ってからというもの、日露戦争でロシア帝国が失った
 権益を取り戻そうと考えていた。ヤルタ会談で、対日参戦の条件として、アメリカのル
 ーズベルト大統領に、南樺太ち千島列島の領有を認めさせ、ドイツ降伏から3ヵ月で対
 日戦に参戦することを約束する秘密の協定に調印していた。
・原子爆弾の開発に失敗した場合、原子爆弾を投下しても不発だった場合、原子爆弾を投
 下しても日本が降伏しなかった場合、という三つのいずれかの事態が生じたら、ソ連参
 戦によって日本を確実に降伏に追い込む必要があり、ソ連参戦はそのような事態が生じ
 た時のための保険のような役割を期待されていたのである。

なぜポツダム宣言から「天皇条項」は削除されたのか
・どうやらトルーマン大統領は、口頭で原子爆弾投下を命令したようである。大統領が原
 爆投下を命令した書面はこれまでに発見されていない。大統領の直接の署名のある命令
 書はもちろんのこと、大統領の承認を得たことが確認できる書面すら見つかっていない。
 一つの都市を消滅させるだけの威力をもつ兵器が、口頭の指示だけで行使されようとし
 ていたのは、驚くべきことである。
・戦後、トルーマン大統領は折に触れて、原爆投下については後悔したことはないという
 発言を繰り返し、「眠れなかった夜など一度もない」という表現をよく用いた。
・原子爆弾の破壊力を知ってもなお、トルーマン大統領は原爆投下を回避するための具体
 的な行動をとることなく、その恐ろしい兵器を使用することの可否について、側近たち
 の意見を求め、議論する機会も持たなかった。それどころか、大統領自ら語ったように、
 指をパチンと鳴らして即決するほど、これを簡単に決めたというのである。原子爆弾の
 恐ろしさは、少なくともトルーマン大統領にその使用を躊躇させる効果はなかったよう
 だ。 
・トルーマン大統領は当初、ソ連参戦に熱い期待を寄せていたが、トリニティー実験の詳
 報が届くと、原子爆弾の威力に魅せられてしまったのか、ソ連参戦への熱は急に冷めて
 しまった。それどころか、ソ連参戦が少しでも遅くなることを、また少しでも早い時期
 に原子爆弾を落とすことを考えはじめるようになったと見受けられる。
・ポツダム宣言は、日本を「降伏させる」ための勧告ではなく、日本を「降伏させない」
 ための韓国だったと見るほかないであろう。では何の目的で日本を降伏させないといえ
 ば、それはソ連参戦よりも前に日本が降伏してしまったら、日本に原子爆弾を落とすこ
 とができなくなってしまうからではなかったか。
・トルーマンとバーンズにとって最大の悩みは、日本が降伏しないのではなく、日本が降
 伏してしまう危険性だったと考えられる。日本がポツダム宣言を受諾してしまったら、
 原子爆弾を使用する機会が失われてしまう。原子爆弾を使用して大戦を終結させること
 と、原子爆弾を使用せずに大戦を終結させることを比較したら、明らかに前者がアメリ
 カにとって外交上優位であった。
・トルーマン大統領とバーンズ国務長官は「ポツダム宣言発表」→「日本が拒絶」→「原
 子爆弾投下」→「日本降伏」というシナリオを描いていたのに対し、スターリンは「ポ
 ツダム宣言発表」日本が拒絶」→「ソ連参戦」→「日本降伏」というシナリオを描くこ
 とになる。

原爆投下前の対日参戦をもくろんだソ連
・ポツダム宣言の建前は、日本を降伏させ、早期終戦を実現することだった。ポツダム宣
 言が発せられると、日本でもこれを検討する動きがあり、ソ連を仲介役とした和平実現
 に向けて弾みがついた。アメリカもその様子を、暗号を解読して知っていた。
・アメリカ政府は、あえてラジオを流すことによって、日本政府を介さず、日本国民に直
 接訴えるかたちをとった日本の反応は、やはり天皇がどうなるかがいちばんの問題とさ
 れた。
・ポツダム宣言にスターリンの署名がなかったことは、スターリンにとって思いもよらぬ
 効果を生んだ。つまり、ソ連は対日参戦を開始するまで、日本を油断させておきたかっ
 たところ、ポツダム宣言にスターリンの名前がないことで、東郷外相は「ソ連に脈あり」
 と判断した。そのため、アメリカと直接交渉するのではなく、ソ連の仲介によって終戦
 交渉をすすめるべきと考えたのである。しかし日本にとってはこの判断が命取りになる。
 もしこの時点で日本がアメリカとの直接交渉に乗り出していたら、アメリカは原子爆弾
 を投下する口実を得ることができなかったであろう。
・7月27日の開かれた閣議では、ソ連からの返答次第でポツダム宣言を基本に戦争を終
 結するという方針が決定され、そのため政府としては、同宣言を肯定も拒否もすべきで
 ないことが確認された。ところが、鈴木首相がポツダム宣言を「黙殺」すると日本で報
 道されたところ、アメリカではこれを「拒否」したと報道されてしまった。これは、帝
 国政府としては、まったくの誤算だった。
・トルーマン大統領が、原爆投下の報せを受け取ったのは、ドイツ・ポツダムから帰国す
 る途中の大西洋を渡る巡洋艦の船上だった。乗組員たちと昼食を共にしていた大統領は、
 海軍大佐からメモを受け取ると、舞い上がり、海軍大佐の手を握って「これは歴史上最
 も偉大な出来事である」と述べた。そのメモを見たバーンズ国務長官も歓喜の叫び声を
 上げたという。
・原爆投下が日本に一定の衝撃を与えたことは確かである。しかしそれが直ちに終戦を決
 定する流れを作ったかといえば、そうではなかった。7日の朝の閣議でも、外相がポツ
 ダム宣言による終戦を提言しても、議題にすら上げられなかった。8日に昭和天皇の思
 召が伝えられてから、ようやく9日の朝に最高戦争指導会議が開催される運びとなった
 ほどである。結局、原子爆弾の投下は、政治に一定の影響を与えたが、ポツダム宣言が
 による終戦に直接結び付けられることはなく、原子爆弾が日本を終戦に導いたという事
 実はない。
・広島への原爆投下の報せを受けたスターリンは、大きな衝撃を受けて落胆したに違いな
 い。アメリカが原子爆弾を使用するより前に対日参戦するつもりだったからである。ト
 ルーマン大統領が、ポツダム宣言にソ連を署名させなかったのは、ソ連を関与させるこ
 となく日本を降伏させる意図があることは明白で、ソ連に対する敵対行為以外の何物で
 もなかった。しかし、日本は原子爆弾を投下されても直ちに降伏する気配を見せなかっ
 た。このことがスターリンを勇気づけた。むしろ日本は原爆投下によって、今まで以上
 にソ連を依存するようになった。事実、日本はすがりつくような思いで、ソ連から和平
 への仲介の回答を催促していたのである。

原爆でもソ連参戦でもなかった降伏の真相
・ソ連参戦への報せは、日本を絶望の淵に陥れた。ソ連を仲介役として和平交渉を妥結に
 導くというのが日本の終戦方針だったが、ソ連参戦でこの目論見は瞬時にして崩れ去っ
 た。また、日本の本州でのアメリカを迎え撃つ本土決戦は、ソ連が中立であることを前
 提にした作戦であったため、ソ連参戦によってこれも根底から覆った。
・ソ連参戦から約11時間後に長崎へ原子爆弾が投下されているが、トルーマン大統領は
 なぜ、ソ連参戦の事実を知りながら、長崎への原爆投下を中止しなかったのであろうか。
 少なくともトルーマンは長崎への攻撃中止を命じなかったし、それを検討した形跡も見
 られない。もちろん、大統領が側近たちに、長崎への原爆投下の可否を検討させた事実
 もない。もし原子爆弾が、トルーマン大統領が自ら言うように、戦争終結を早めること
 が目的ならば、少なくともソ連参戦が事実のものとなった時点で、長崎の原爆投下は不
 必要だったはずである。
・トルーマンとバーンズは、戦争を早く終わらせるため、という軍事的必要性ではなく、
 政治的な目的で原子爆弾を使用したと考えざるを得ないのだ。 
・なぜ昭和天皇はソ連参戦まで降伏を決意なさらなかったのであろうか。一つ目の理由は、
 陸海軍の一部には、最後まで徹底抗戦すべきであると考える好戦派がいて、天皇が早期
 に戦争を終結させようとした場合、かなりの確率で彼らがクーデターを起こすと心配さ
 れたからであろう。実際に8月14日にポツダム宣言受諾を決定すると、8月15日未
 明、本土決戦を望む陸軍の青年将校たちが決起した。幸いにして未明のうちに鎮圧され、
 事なきを得たが、一つ間違えば終戦は水泡に帰す可能性もあった。戦争継続が絶望的と
 なったソ連参戦後ですから、このようなクーデター未遂事件が起きたのであるから、ま
 してソ連参戦前に、天皇が和平を決定したと伝われば、必ずや大規模な叛乱が起きたで
 あろうし、そうなると信じられていたのである。
・アメリカが所有していた原子爆弾は二個だった。広島と長崎に一個ずつ投下したあとは、
 いつ日本が降伏してくれてもよい。いや、原爆を二個投下したからには、早く日本が降
 伏してくれないと具合が悪い。よって、原子爆弾の投下が官僚しるまでは日本が降伏し
 ないように「天皇の地位の保障」を拒み、投下が完了したあとは、むしろ早く日本に降
 伏してほしいから「天皇の地位の保障」を伝えたのではないか。もしそうだとしたなら
 ば、日本人の心は原子爆弾を落とすための道具として活用され、ゲーム関学で弄ばれて
 いたことになる。 
  
アメリカの行為は疑いなく戦争犯罪である
・原子爆弾の投下が正当だと言い得るには、二つの条件を満たす必要がある。一つは、軍
 事的必要性があったか、もう一つは、人道的配慮があったかである。
・もし、日本侵攻作戦で100万人の戦死者が見込まれると提案されていたなら、はたし
 てトルーマン大統領はその作戦に許可を与えたであろうか。100万人の犠牲者を見込
 む作戦を提案したら、瞬時に却下されたに違いない。ということは、トルーマン大統領
 は、一体何を守るために原子爆弾を投下したというのであろうか。100万人の命を守
 るための決断を下したというのがフィクションであることは、大統領自身がいちばんわ
 かっているのではないか。いや、そもそも戦闘員の犠牲を抑えるために、民間人を無差
 別で殺戮することが許されるという理屈はない。
・トルーマン大統領は、自ら一度も原子爆弾を投下することの是非を検討した形跡はなく、
 それを側近たちに検討させた形跡すらない。ルーズベルト大統領の時代に決定されたこ
 とが、そのまま継承され、トルーマン政権として再検討をしないまま、原爆投下に踏み
 切ったのだった。
・ほとんどの一般的な現代アメリカ人は、原爆投下が終戦を早め、100万人のアメリカ
 兵の命を救ったと信じて疑わない。原爆投下を命じたトルーマン大統領は偉大な大統領
 であり、キノコ雲は勝利の象徴であって、原子爆弾はアメリカの誇りなのである。しか
 し、実際は「原子爆弾は日本の降伏を早めなかった」「原子爆弾は100万人の米兵を
 救っていない」と結論をせざるを得ないのだ。
・真珠湾では戦闘員が攻撃対象だったのに対し、アメリカの原爆投下では非戦闘員が対象
 になっていることをあらためて協調したい。アメリカ人の多くは、原爆投下の正当性と
 して「リメンバー・パールハーバー」を持ち出すが、比較の対象にはなり得ない。
・広島と長崎の商業地・市街地が、つまり非武装の民間人が原子爆弾の投下目標にされて
 いた。広島と長崎への原爆投下は、歴とした戦争犯罪であり、アメリカは原爆投下によ
 る戦争責任を負うべきであると言わざるを得ない。  
・実際に原子爆弾が投下されると、大統領の側近たちのなかには、嫌悪感を書き残した人
 もいた。リーヒ大統領付参謀長は、「自分の意見としては、広島と長崎で使ったこの野
 蛮な兵器は対日本戦に実質的に役立つようなものではなかった。日本の敗戦はすでに明
 白であり降伏の用意もできていた。私の個人的な感覚では、この兵器を最初に使った国
 家として、我々は暗黒時代の野蛮人たちの倫理基準を採用してしまった。私は、そのよ
 うなやり方で戦争を遂行することなど教わったことはないし、婦女子を殺して戦争に勝
 つことなどできない」と記している。
・東京大空襲をはじめ日本中の都市への無差別爆撃が常態化することで、アメリカの国家
 指導者たちの人道的価値観は急速に低下し、無差別爆撃を行なうことが普通になってし
 まった。このことはトルーマンの「獣に対処するためには相手を獣として扱うしかない」
 という言葉に見出すことができるのではないか。アメリカが人道的価値観を失ったこと
 は、一つの重要な原因だろう。「人種差別意識」についても、「獣として扱うしかない」
 という言葉からも、大統領は日本を「獣」と見ていたことが推察されるが、現在でもア
 メリカには黒人はもとより、有色人種に対する根強い差別意識があるのであるから、当
 時の大統領が日本人に差別意識を持っていたというのはむしろ当たり前のことで、不思
 議ではない。
・アメリカの首脳は、一個の原子爆弾で日本を降伏させられると信じていたのであって、
 二個で必要十分であるとの検証は行われていない。仮に二個で必要十分なら、軍事的に
 は必ず予備を用意するはずであるから、二個で不十分だったときに備えて、三個目を用
 意していなければおかしい。一発目の原爆投下の必要性をどのように考えるかはともか
 く、8月9日に長崎に落とされた二発目の原爆は、ほぼ間違いなく不必要なものだった。
 原爆投下指令は、二個の原子爆弾を順次投下することを指示していたことから、広島と
 長崎は一体となっていたことがわかる。つまり、原子爆弾は二個で一体と考えられてい
 たのだ。そして、広島に投下されたのはウラニウム爆弾で、長崎に投下されたのはプル
 トニウム爆弾であるから、二種類の原子爆弾の効果の違いを知るために(しかも、せっ
 かく二種類開発したのだから)、二カ所に投下したのではないか。   

日米が真の友好関係を構築するために
・はたしてアメリカ軍が行った、東京をはじめとする日本中の都市を焼夷弾によって焼き
 払った行為と、広島と長崎に原子爆弾を投下した行為に正当性があるのだろうか。依然
 として、アメリカでは政府が「早期終戦・人命節約論」を支持していて、国民の多くは
 「原爆神話」を信じているため、急に価値観が変化することはないかもしれない。しか
 し、あと半世紀や一世紀が経過すれば、歴史が正しく評価されるのは確実である。いつ
 か「原爆神話」が否定されるときが来るならば、それは日本やその他の国から言われて
 気づくのではなく、アメリカ人が自発的に自らの過ちに気づき、それを表明したほうが
 よいであろう。少なくとも無差別空爆と原爆投下については、アメリカ人たちがその正
 当性を議論する日は、必ず訪れる。
・その一方で、日本は核兵器使用による唯一の被爆国として、アメリカのとった行動につ
 いて批判する歴史的な責任がある。アメリカ人があの惨虐な行為を「正義」と理解して
 いたら、アメリカは将来、必ず同じことを繰り返すであろう。戦争というものは、正義
 が常に勝つとは限らない。だから、アメリカ人が戦争に勝ったことをもって正義だと思
 っていたら大間違いであるし、日本人も戦争に負けたからといって卑屈になっていはい
 けない。日本にも日本なりの正義がある。
 
おわりに
・それにしても、トルーマン大統領がソ連参戦を許してしまったのは、日本だけでなく、
 アメリカにとっても大打撃だったのではあるまいか。もしソ連参戦がなければ、おそら
 く朝鮮は分断されずに済んだであろう。中国の内戦の行方も違った結果になったかもし
 れず、中華人民共和国が成立していなかった可能性もある。アメリカがうまくやれば、
 満州国が親米国として残存できたかもしれない。それに、ベトナム戦争も防げた可能性
 がある。アメリカは、ソ連にたった一日の借りをつくり、これが大きなツケになってし
 まった。
・トルーマン大統領とバーンズ国務長官は、とにかく日本に原子爆弾を落とすことで精一
 杯になってしまい、そこから先の国際情勢を見据える余裕がなかったのであろう。実際
 にアメリカは、朝鮮戦争とベトナム戦争で大きな苦労を抱え込み、多大な犠牲を払うこ
 とになったのである。
・トルーマン指導部は、ソ連に原爆投下を見せつければソ連に対して優位に立てると思っ
 ていたようだが、ソ連軍を南下させないことのほうが、アメリカにとってはるかに有利
 であったことに気づかなかったのだろうか。