原発を終わらせる :石橋克彦 |
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この本は、今から14年前の2011年7月、あの東日本大震災から4カ月後に刊行され たもので、14名の執筆者によって書き上げられている。 私がこの本で注目したのは、福島第一原発の1号機が、大津波の襲来を受ける前に、すで に大地震の激しい揺れによって原子炉系配管が破断や破損して冷却材(水)を喪失してい たのではないかと指摘している点だ。 われわれは事故の原因として、とかく大津波の襲来を受け全電源喪失したという点だけに 注目しがちだが、この大津波の襲来を受ける前に原子炉系配管が破断や破損していたとい う指摘はきわめて重要な点だと思える。 これは、原子炉の耐震性を根本から考え直さなければならない必要性が出てくるからであ る。このことは単に防潮堤をかさ上げして津波対策さえすれば、原発は大丈夫だとはいえ ないことを意味する。 また、原子炉の「圧力容器の照射脆化」問題も、興味深い内容だ。 これは、原子炉圧力容器の鋼材が中性子の照射に晒されることによって経年とともに材質 がもろくなっていくという問題だ。 一般的に原子炉の設計寿命は40〜60年とされているようであるが、この寿命を決定づ けるのはこの中性子照射による脆化だといわれているようだ。 問題なのは、この中性子照射脆化の予測式が、ほんとうに実態と合っているのかという点 だ。 この本では、玄海1号炉監視試験片の脆性遷移温度の記録データが予測曲線からまったく 外れてしまっていたという事実を明らかにしている。 つまり予測式が、まったくあてにならない、使えないということである。 そんな使えない予測式を使って決められている40〜60年といい原子炉の寿命というの もまったくあてにならないということだ。 そんな原発を、日本政府は2024年に、40年から60年、そしてさらに60年も超え て運転するグリーン トランスフォーメーション政策を承認した。 この政策では、検査やその他のオフライン期間に費やされた時間を総耐用年数から除外す ることで、運転期間を実質的に延ばすことが可能となり、10年間操業が停止した原子炉 は、70年間の操業が許可されることになる。 こんな原発を「安心・安全」だと思える人がどれくらいいるのだろうか。 また、福島第一原発のように事故を起こした原発は、解体のために長期にわたる大量の被 曝労働を必要とし、解体しても最終処分場すらない膨大な放射性廃棄物という負の遺産を 次の世代に残すことになる。 1960年に、「大型原子炉の事故の理論的可能性及び公衆損害に関する試算」と題する 報告書(原産報告)ができあがった。 それによると、被害が最も大きい場合は、損害額は3兆7300億円となっている。 1960年当時の日本の国家予算は1兆7000億円であった。 つまり、原発事故が起こった場合、国家予算の2.2倍の被害額が出ると試算しているの である。 2024年度の国家予算(一般会計総額)は約112兆円である。この2.2倍というと 約246兆円とうことになる。 福島第一原発事故による総被害額は、約23兆4000億円と試算されているようである が、まだまだこんな額では収まらないのではと思われる。 それなのに、政府は、まるで福島第一原発事故などまるでなかったかのように、原発の再 稼働や原子炉の70年までの寿命延長、そして新増設へと踏み出している。 私には狂気の沙汰としか思えない。 過去に読んだ関連する本: ・FUKUSHIMAレポート ・原発の底で働いて ・原発の闇を暴く ・原発の深い闇 ・国家と除染 ・日本はなぜ脱原発できないのか ・原発のウソ |
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はじめに ・「原子力村」の人々は日本では大事故は絶対に起こらないと言って「原子力安全神話」 を国民に押しつけた。 2007年7月の新潟県中越地震で東京電力柏崎刈羽原発の全7基の原子炉が強振動被 害を受けたとき、私は、日本列島が大地震活動期に入っているという認識を踏まえて、 97年以来警告してきた原発震災」が日本社会の現実的緊急課題になったと確信した。 新潟県でそれが生じなかったのは、地震が中型で大余震の続発がなかったなど、運がよ かったにすぎないからである。 私はリスクの高い原発から順に止めることを訴えたが、原発推進側は放射能漏れが微量 ですんだのは日本の原発の耐震安全性が高いからだなどと主張した。 ・もし、日本社会がこのとき理性と感性と想像力を最大限に働かせていれば、運転歴30 年を超える福島第一原発の全6基は運転終了したかもしれない。 痛恨のきわみである。 柏崎刈羽原発の運転再開を急ぐ東京電力や政府の「用心棒」を務めた理学・工学の大勢 の「専門家」と、批判精神を失って原発推進の広報と堕した大多数のマスメディアの責 任は非常に重い。 また世界の原子力を推進しようとする国際原子力機関(IAEA)が、批判的な意見を まったく聴取しないで日本の原発耐震技術をおだてた姿勢も許しがたいものであった。 ・この期に及んでも政府は、中部電力浜岡原発以外は安全だと言っている。 しかし、地震列島の原発が「安全だ」などとは誰にも保証できない。 <福島第一原発事故> 原発で何が起きたのか(田中三彦) ・この先、地震国日本と原発という大きな問題を議論していかなければならないときに、 我われが注意を向けるべきことは大津波だけなのか。 ”想定外”ということですべて片が付くのか。 たぶん、そうではない。 ・1号機から4号機の一連の爆発や火災の中で最も気になったのは、地震発生から25時 間足らず、早々に水素爆発を起こした1号機だった。 全交流電源を喪失した原発が水素爆発を起こすまでのプロセスはある程度思い描けたが、 それにしても早過ぎた。 爆発までのあの速さはいったい何を物語るのか。 ・1号機の「運転パラメータ」を見て私は驚愕した。 たとえば原子炉水位、地震が起きて12時間しかたっていない12日深夜2時45分に、 原子炉水位がなんと核燃料棒最上部「わずか」1メートル30セントのところまで下が っていた。 ・原発技術者たちは核燃料最上部を「有効燃料頂部」と呼ぶ。 あるいは、それに対する英語の略記「TAF」を使う。 ・地震が起きて12時間のうちに、高さにして約3メートル70センチぶんの水(冷却材) が原子炉外へ消えたことになる。 おそらく2、30トンぐらいの水が、どこかへ消えたはずだ。 なぜ1号機はこれほど速く原子炉水位が降下したのか。 ・2号機、3号機の水位の変化も決して”正常”ではなかった。 とくに3号機のそれはかなり異常だった。 しかし2号機も3号機も、少なくとも12日に原子炉水位がTAFを切ることはなかっ た。 ・格納容器は、原子力圧力容器を出入する配管が破断したり破損したりして冷却材が漏出 してしまうような事故、冷却材喪失事故が起きたときに、放射性物質が外環境に巻き切 らされないようするために存在する。 また、そのような事故時に内部で水素爆発などが起きないように、原発の運転中、格納 容器には不燃ガスである窒素が封入されている。 なお、原発が運転されているとき、格納容器の圧力は、われわれの生活空間とほぼ同じ 一気圧である。 ・仮に最大径の配管が完全破断した場合、ドライウェルには一気に大量の蒸気が噴出する だろう。 その蒸気は猛烈な勢いでベント管を通り抜け最終的に圧力抑制室内の大量の冷水、サブ レッション・プールの中に導かれて水になり、体積凝縮が起こる。 こうしてドライウェルの圧力は4気圧以下に抑制される。 ・しかし、福島第一原発1号機においてはドライウェルの圧力が短時間のうちに設計圧力 を大きく超え、一気に0.74メガパスカル(約7.4気圧)まで上昇した。 最大径の原子炉系配管が完全に破断しても4気圧を超えないはずなのに、7.4気圧ま で上昇したとはどういうことか? 圧力抑制機構が少しも期待通りには機能しなかったように私には見える。 確かにこれだけ圧力が高くなると巨大な格納容器全体が一瞬で大破壊して飛散する可能 性が出てくるから、国は「ベント」を強行した。 新聞やテレビがこのベントに伴う放射性物質の待機放出に注意を向けていたのは当然の ことだが、なぜ設計圧力を大幅に超える圧力が格納容器に生じたかに目を向けるメディ アは皆無だった。 ・外部電源喪失に陥るとすぐ、正確には午後2時47分に、1〜3号機にそれぞれ2台ず つ設置されている非常用ディーゼル発電機が自動的に起動した。 しかしその役50分後、あの”想定外”の出来事が起きた。 福島第一原発に大津波が襲来し、東電の報告書によれば、非常用ディーゼル発電設備ま たは関連機器が「被水または水没」により使用不可能になった。 かくしてすべての交流電源の使用不可を意味する「全交流電源喪失」(SBO)という 危機的状態に陥ったとされている。 ・あくまで福島第一原発事故はこのSBOからはじまった、とするなら、 それは「すべては大津波による」という表明である。 しかし、SBOより前に何か重大なことが起きてはいなかったのかという考え方も、 当然ある。 いや、あるというよりも、なければならない。 ・なるほど、東電が5月16日に公表した一連のデータからは、地震発生後に原発は正常 時緊急停止し、外部電源喪失直後には非常用ディーゼル発電機が正常に起動したように 読み取れる。 たぶん、それはそうなのだろう。 しかしそうだとしても、それによって、あの長時間の激しい揺れのなかで原子炉系配管 のひとつ(またはいくつか)が破断したり破損したりした可能性が否定されるわけでは ない。二つはまったく別の話である。 福島第一原発事故の開始点をSBOとするか、それともそれより前とするかで、原発の 安全性(あるいは危険性)に対する見方は根本的に違ってくる。 ・私は、なぜ1号機の原子炉水位が急激に降下したかをあれこれ考えた。 そして最終的に、1号機では原子炉系配管が長時間の激しい揺れに耐えられずに破損し、 原発事故の中でもっともおそれられてきた仮想事故、配管の破断や破損による冷却材喪 失事故(LOCA)が起きた可能性が高いと推断した。 ・LOCAと言っても、はじめのうち、その程度はそれほど大きくなかったかもしれない。 しかし7.0メガパスカル(約70気圧)という高圧の冷却材が破損部から流出(噴出) しつづけるうちに破損部が”なめられて”次第に大きく口を開け、それに伴って流出量も 増えるというのは、火力発電や化学プラントの圧力配管の破損でもよく見られること。 つまり、初めのうちは小規模LOCAで、時の経過とともに中規模LOCAへと移行し たかもしれない。 ・二つ目は、地震発生直後から約6時間の間、「主蒸気逃し安全弁」(SRV)が”自動 的に”、そしてもしかすると頻繁に、開閉動作をしたかもしれないということ。 ・地震発生直後の緊急停止で核分裂反応が停止しても、「崩壊熱」によって原子炉圧力容 器の中では蒸気の発生が継続する。 しかし緊急停止後すぐに主蒸気隔離弁が作動し、タービンへ向かう蒸気ラインを閉じて しまう。 その結果、行き場を失った蒸気のために原子炉圧力が上昇していく。 したがってそのまま放置すると、原子炉圧力容器そのものが大破壊を起こす気感性が出 てくる。 その危険性を回避するために、SRVがある。 ・SRVは4本の主蒸気艦それぞれについている。 1号機の場合、SRVは原子炉圧力が約7.5メガパスカル(訳75気圧)に達すると 自動的に開き、ある値(推定では約6.9メガパスカル=約69気圧)まで下がると自 動的に閉じるようになっている。 ・もし地震発生直後あたりから約6時間半の間に、このようなSRV自動開閉動作が何度 か繰り返されたのであれば、6時間半後、原子炉水位がTAFの上45センチまで降下 していても不思議ではない。 ・しかし東電が公開した過度現象記録をはじめとする一連のデータは、このようなSRV 自動開閉動作が”起きなかった”ことを強く示唆している。 ・地震発生から6分後に、A、Bに系列のICが自動起動していることがわかる。 ところがその11分後、なぜか運転員は手動で3A、3Bの弁を閉じ、ICは2系列と も停止した。 ・核反応の緊急停止直後で崩壊熱がもっとも大きく、それによる原子炉圧力の急激な上昇 が最も心配される時間帯に、運転員がICを2系列とも手動で停止してしまう。 この事実は何を意味するだろうか。 なぜ止めたのかについて、東電は、ICの冷却効果が大きかったので運転員は 「1時間につき55度以上の温度変化を起こしてはならない」 という運転規則に従って停止させた、などといろいろな場で説明しているが、 もっともらしいデタラメの説明と言わざるを得ない。 1時間に55度という温度変化率は、100年以上前から今日まで世界中のボイラーで 使われ、原発の通常運転時や通常の起動停止時にも使われている。 機器の熱疲労防止のための経験則であるカ氏100度/時を、日本ようのセ氏に変換し たものでしかない。 したがって、外部電源喪失という「緊急事態」に従うべき運転規則などではない。 もし緊急時にそんな悠長な規則を護らなければならないということになったらECCS (緊急炉冷却装置)も動作させられなくなる。 ・ではなぜ止めたのか。 圧力の高まりがほとんどなかったのでICを”いま”作動させる必要はないと判断し、 停止させたと考えるのが自然だろう。 ICを長時間作動させると復水器の温度が上がり、やがて冷却機能が失われる。 ICは8時間以上作動しないことを熟知している運転員が、”その後”に起こるかもしれ ない非常事態に備えてとりあえずICを止めたと考えるのが妥当だ。 ・その後、運転員は午後6時10分にICを再起動するが、起動してわずか15分後に再 びICを停止し、午後9時30分まで、一度も起動させていない。 ・こうしたことは、地震発生から午後9時30分まで、ICを作動させねばならないよう な原子炉圧力の大きな高まり(上昇)はほとんどなかったことを意味するだろう。 そしてもしそうであるなら、75気圧で自動的に作動するようになっているSRVが繰 り返し動作するようなことはなかったと考えられるだろう。 ・では、なぜ大量の崩壊熱が発生していながら圧力がそれほど上がらなかったのか、とい うことになるが、今やその答えは自明に思える。 地震直後に原子炉系配管のうちのいずれか1本(または複数本)が破損し、そこから圧 力が抜けていたということだろう。 ・もう一つ注目すべきことがある。 それは地震発生後約12時間後、格納容器の圧力が0.74メガパスカル(約7.4気 圧)まで上昇していることだ。 言い換えると、この頃に原子炉圧力と格納容器圧力がほぼ等しくなり始めている。 両者の圧力がバランスすると、原子炉系配管の破損部からの冷却材漏出はほとんど止ま るにちがいない。 実際、このあたりから原子炉水位は約5時間、ほとんど変化していない。 ・福島第一原発1〜5号機で使われているMarkT型格納容器の設計圧力は約4気圧で ある。 この設計圧力は、最大口径の原子炉配管が完全破断した場合を想定し、それをもとに設 定されている。 では、その設計圧力を大幅に超え、最大7.4気圧まで上昇してしまったのはなぜか? ・そもそも格納容器の圧力が上昇した原因が何かといえば、「時間的に長く激しい地震動 による原子炉系配管の破損による冷却材喪失事故」に遭ったと私は考えている。 実際、その傍証とも言える事実がある。 それは「格納容器スプレイ系起動」である。 この格納容器スプレイ系こそ、「冷却材喪失事故」が発生したときに格納容器の温度と 圧力を減じるために自動的に起動する設備なのだ。 ・地震発生から約18分後に、A、B2系列ある「格納容器スプレイ」のうちまずB系列 が、次いでその7分後にA系列が、それぞれ起動していることがわかる。 そして以後、A、B両系列合わせて毎秒400リットルという猛烈な量の水が格納容器 内に噴霧され続けている。 ・これに関して東電は、格納容器スプレイは「圧力抑制室プール水の冷却を行うために起 動したものと推定される」と、自動起動ではなく運転員が意図的に手動で起動したかの ような説明をしている。 しかし運転記録をよく調べてみると、そのときの圧力抑制室の水の温度は20度だ。 20度の水を冷却するとはいったいどういうことか? 東電の説明は意味不明である。 ・さらに、地震直後から1号機の格納容器の温度と圧力が突然上昇しはじめているが、 この事実を東電は、外部電源喪失による「格納容器空調停止に伴う温度上昇」と説明す る。 たとえ、初めの17分間はそうだとしても、その後、格納容器スプレイが2基起動し、 大量の無図を格納容器内にばらまいていたのだから、空調停止で温度が上昇したという 東電の説明はとても受け入れられるものではない。 大量の水を噴霧してもなお、格納容器の温度が上昇していく理由を別に探す必要がある。 ・問題をもとに戻して、なぜ格納容器の圧力は7.4気圧まで上昇したのか。 冷却材喪失事故が起きた場合、噴出した冷却材は蒸気となって圧力抑制室内の水(サプ レッション・プール)の中にはいり、そのため格納容器の圧力の上昇が抑制されること になっている。 しかし、もし蒸気がサプレッション・プールまでうまく導かれなかったらどうなるか。 蒸気が水にならないから、体積凝縮は起こらず、そのため格納容器の圧力がどんどん上 昇していくだろう。 ・長く激しい地震動により、圧力抑制室の中にあるリングヘッダーやリングヘッダーとベ ント管との接合部などが破損し、その結果、抑制機構がほとんど機能しなくなったのか もしれない。 ・別の重要な指摘もある。 元東芝の格納容器設計技術者の渡辺敦雄氏は、余震の際に、サプレッション・プール (水)が激しく揺れ動き(スロッシング現象)、そのため、ドライウェルからベント管 を通り抜け圧力抑制室に入ってきた大量の蒸気を水の中まで誘導するためのダウンカマ ーの先端が水面から上に出てしまい、そこから蒸気が圧力抑制室上部に噴出して滞留し、 その結果、格納容器の圧力が異常に高くなったのではないかとみている。 ・もともと、福島第一原発の1〜5号機で使用されているようなMatkT型格納容器の 圧力抑制機構は、冷却材喪失時に猛烈な勢いでドライウェルから流れ込んでくる窒素と 蒸気の動的な荷重に耐えられるのか、地震時のスロッシングにはどうか、といった「未 解決問題」を抱えていた。 ・東電は、「格納容器の圧力が異常に高くなったのは、圧力抑制室の水を海水で冷却する システムが津波で使えなくなり、水温が上昇したから」などと記者会見などで説明して いるようだが、ナンセンスである。 原子炉から圧力抑制室に回った冷却材の総量はせいぜい数十トン、それに対して圧力抑 制室内の水の総量は1750トンもある。 大雑把な計算だが、崩壊熱を考慮しながら圧力抑制室の水温上昇を計算してみると、 せいぜい5〜10度である。 その時点では、冷却など全く必要がない程度の温度上昇だ。 一方、これも大雑把な計算だが、圧力抑制機構が働かなかったとするとドライウェルの 圧力は8.4気圧になり、記録された圧力と代々一致する。 ・皮肉なことに、淡水注入直後から原子炉水位が再降下し、TAFを横切った。 そのため燃料棒表面のシリコニウム合金が高温になり、炉内の水蒸気と反応して水素が 継続的に発生した。 その水素は、原子炉系配管の破損部から蒸気とともに漏出した。 水素は軽いので格納容器最上部へ向かう。 そして、すでに蒸気の漏出が始まっていたフランジ部から、オペレーションフロアに入 る。 3月のオペレーションフロアの室温は低い。オペレーションフロアに入った蒸気はそこ で水になる。 こうして温度が下がり、水素爆発の環境が整う。 そして大爆発が起きた。 ・3号機の水素爆発も、基本的には同じようにして起きたのだろう。 ところが、2号機は圧力抑制室の「外」で水素爆発が起きたと考えられている。 では、なぜ、「外」での爆発なのか。 2号機の場合、たぶん主蒸気逃し安全弁経由で水素が圧力抑制室に回ったと思われる。 ところが、たとえば圧力抑制室とドライウェルとの結合部のベローズが、あるいはトー ラスの現地溶接部が、地震発生直後に、長くて激しい地震動で破損していたため、そこ から水素が外に漏出し、爆発したものと推定される。 ・結論として、 ・1号機においては、地震発生直後に、なにがしかの原子炉系配管で小規模ないし中規 模の冷却材喪失事故が起きた可能性がきわめて高い。 ・1号機の圧力抑制室の一部が地震発生直後に破損したか、激しいスロッシングが起き たために圧力抑制機能が有効に作用しなかった可能性が高い。 ・2号機において、圧力抑制室の外で水素爆発が起きたのは、地震直後に圧力抑制室が 損傷したためと推測される。 事故はいつまで続くのか(後藤政志) ・福島第一原発では、運転中の1号機から3号機まで、核反応を「止めること」には成功 したが、炉心を「冷やすこと」と放射性物質を「閉じ込めること」に失敗した。 ・1号機の格納容器の圧力は、3月11日夜にはすでに設計上の限界圧力を超え、12日 未明にはその2倍近い圧力にまで増加しており、ガス抜き(格納容器ベント)が必要な 事態になっていた。 温度も、設計上の限界を相当超えていたものと思われる。 こうした圧力、温度が加わり、格納容器にある多くの貫通部のシリコンゴムやエポキシ 樹脂でシールしている部分から、放射性物質や水素を含んだガスが漏れ出していた可能 性が高い。 ・プロセスは異なるが、結果として、1位号機、3号機、4号機(定期検査で停止中であ った)の原子炉建屋は水素爆発で吹き飛ばされ、大量の放射性物質が外部に放出された。 圧力容器や格納容器内で大規模な爆発が起きなかったのは、不幸中の幸いである。 ・格納容器の役割は、配管が損傷するような事故時に放射性物質を閉じ込めることである。 格納容器は、1日当たりの全漏洩率0.5%を10倍あるいは100倍以上超えたので はないか。 そうでなければ、水素ガスや放射性物質の格納容器外への漏洩を説明できない。 0.5%以下に全体漏洩率を抑えておけば、敷地境界での放射線量が基準値を満足でき る。 逆に言えば、この値以上漏洩量があるということは、たとえ見かけ上健全であっても、 格納容器としての機能は喪失していることになる。 ・東電は事故から2カ月も経って、1号機から3号機まで、すべて炉心溶融を起こしてい たと発表した。 炉心溶融の可能性は、多くの外部の人には3月12日から13日頃には予測されていた ことであり、あまりに遅い事実関係の把握と発表にはあきれるばかりである。 ・問題は、溶けた核燃料や炉内構造物(溶融デブリ)がどこにあるかである。 溶融デブリは今後何年も冷やし続けなければならないが、それがまだ圧力容器内にある のか、格納容器内にどれだけ出ているのか、あるいは格納容器の底を捨てに抜けている のかなど、状況がつかめていない。 圧力の値から見ると、圧力容器に穴が開いており、炉心の放射性物質は格納容器内に出 ている可能性が高い。 格納容器自体に漏れているため、炉心は外界と直接つながっていて、現在も放射性物質 を出し続けているという危険な状態である。 ・確実に安定した冷却を可能にするため、格納容器に水を満たす[水冠」にするという計 画であった。 しかし炉心溶融したことを東電が発表した後、格納容器の損傷があり水冠は不可能であ ることが判明した。 そもそも2号機は、格納容器圧力抑制室に穴が開いていることがわかってきた。 1号機、3号機もそれと同様の困難をかかえていることがわかったわけである。 ・使用済燃料も、発熱量は比較的少ないとはいえ、炉心同様に冷却し続ける必要がある。 しかし設備のポンプが壊れているため、外務から冷却せざるを得ない状況が続いている。 ・4号機は定期検査で停止中であったが、1300体以上の使用済燃料が保管されている プールで水素爆発が起きて損傷した。 1300体は原子炉内に通常装荷されている燃料の2倍以上の量があり、崩壊熱が非常 に大きく、万一プールが崩れ落ちて使用済燃料がばらまかれると、そのままでは冷却で きない状態になる。 ・水素爆発で原子炉建屋の上部が吹き飛んだ1、3、4号機では、使用済燃料がむき出し になっている。 何らかの理由で冷却ができなくなると燃料が溶け出したり、あるいは竜巻や台風によっ て損傷する危険がある。 ・冷却用に注入した水は、破損した格納容器から、原子炉建屋やタービン建屋の下部に高 濃度の放射性汚染水として漏出し続けている。 発電所前提ですでに10万トンもの汚染水がタービン建屋の地下に溜まっており、年内 にさらに10万トンもの汚染水が出るという。 また梅雨や台風で雨が増えれば、原子炉建屋の屋根がないため、さらに汚染水が増える ことになる。 ・格納容器が閉じ込め機能を失っている以上、放射性物質の確実な漏洩防止は望むべくも ない。 どこに亀裂が入っているかわからない建物に何ヵ月も高濃度の汚染水を放置することは、 海や地下水への漏出の危険である。 ・陸上の水処理施設や、建物の周囲の地中に水をせき止める壁をつくることも検討されて いるとのことであるが、構築するまでに何カ月もかかるし、水のせき止め機能も限定的 である。 ・フランスの原子力メーカー、アレバ社が汚染水の処理技術を提供しているようだが、 これだけ大量の汚染水をどこまで処理できるかは結果で見るしかない。 しかしどんな技術を使おうと、格納容器から外へ出てしまった放射性物質は元に戻せる わけではない。 高濃度の汚染物と比較的低レベルの汚染物を分けて青森県六ケ所村の再処理施設へ運び、 今後半永久的に管理していくことしかできない。 ・事故を起こした原子力プラントの解体は容易ではない。 特に炉心溶融が起こった原子炉本体や、溶融デブリが移行したか格納容器などは、放射 線が強すぎて10年近く経たなければ調査すらできないであろう。 事故を起こしていない老朽化した原子力プラントの廃炉処理すら10年近くかかるとい われている。 ・事故で高濃度に汚染された福島原発の廃炉費用は7400億〜15兆円程度との試算が、 民間のシンクタンクから原子力委員会に出された。 されに所得補償を含め、20キロ圏内の住民の土地の買い上げ等を実施すれば、総額5 兆6700億〜19兆300億円程度かかるという。 新規原発1基の建設費を約4000億円前後とすると、これは14〜50基分に相当す る。 ・事故を起こした原発は、解体のために長期にわたる大量の被曝労働を必要とし、解体し ても最終処分場すらない膨大な放射性廃棄物という負の遺産を次の世代に残すことにな る。 ・福島で6メートル程度と想定していた津波が実際には10メートル以上であったとなる と、「想定外」では済まされない。 「想定」を超える地震動も観測された。 ・安全性の哲学を欠いた電力会社、産業界、学会の議論が、原子力関係の専門家の間で安 全神話となって引き継がれてきたことが、今回の福島第一原発事故の根底にある。 それが多くの宣伝費を使ったテレビ広告で流布され、国民が日々見て信じてしまったこ とから、地震国日本は極めて危険な原発大国になってしまった。 ・アメリカのスリーマイル島原発事故、旧ソ連チェルノブイリ原発事故を経験した後も、 それらは日本とは違い「原子炉の型式が別」「原子炉の核反応の特性や制御棒に欠陥が ある」「原子炉格納容器がない」「運転の規則違反があった」「運転員が捜査を間違っ て緊急炉心冷却系を止めてしまった」等の理由を挙げて、日本では過酷事故は起こり得 ないとされた。 日本の原発は多重防護により十分な安全性対策ができており、過酷事故の発生確率は工 学的には無視しうるほど小さいとした。 ・日本はモノづくりの技術力が高いからものの信頼性が高く、故障することも少ないので 安全だといった神話の上にあぐらをかいてきた。 しかし、物が故障しにくいことと、万一のときに安全を確保することとは本質的にちが う。 ・3月12日の夜、福島第一原発1号機の格納容器の圧力は異常に上昇し、格納容器の破 壊を防ぐため、格納容器のベントを実施した。 しかし、二つある弁のうち一つは手動で動かしたが、もう一つの弁は圧縮空気による動 力を必要としており、なかなか開くことはできなかった。 格納容器の圧力が設計上の限界の二倍近い圧力まで上がりさらに上昇していたので、 必死でコンプレッサーを用いて圧縮空気で便を開くことに成功した。 ・もし、この時点で格納容器ベントに失敗し、格納容器が圧力で爆発していたら、事態は はるかに厳しい状態になっていた。 1号機が壊滅すると、放射能が強すぎて2号機、3号機にも近づけなくなり、2機とも やがて炉心溶融から格納容器破壊にいたり、さらに4号機を含む4機すべての使用済燃 料が冷却不能になることまでは一本道である。 そもそも格納容器は設計上、炉心溶融に耐えるようになっていないからである。 そうなれば、おそらくチェルノブイリ事故よりはるかに大規模なおせんになったと推測 される。 ・原発の潜在的な危険性は、内部にある放射性物質の量で決まる。 チェルノブイリでは4号機のみが事故に関係したが、福島では1号機から4号機まで合 わせてその三倍以上の大量の放射性物質が外部へ放出される可能性が高い、きわめて危 険な事態が続いていた。 ・格納容器ベントに成功しても、炉心の溶融デブリが原子炉内あるいは格納容器内で水蒸 気爆発を起こす可能性があった。 水蒸気爆発は、同じような条件でも怒ったり起こらなかったりする確率的な現象だと言 われている。 つまり、水蒸気爆発が起こらなかったのは偶然にすぎない。 ・大規模な原子炉または格納容器の爆発があった場合、200キロ離れた首都圏でも決し て安心できる距離ではない。 首都圏が矯正避難地域になった場合には、日本は壊滅する。 ・われわれは、すべての技術が制御可能だと思ってきたが、それは幻想である。 原子力の道を歩むことは、ネズミの大群が海に向かって進んで行き、やがて海岸で気が つくが、もはや止まることができず、海に次々と飲み込まれていくような破局への道を 進んでいることになる。 福島原発避難民を訪ねて(鎌田遵) ・アメリカでは、軍事目的にしても、商業目的に関しても、歴史的に原子力開発は辺境で 暮らす弱者を押しつぶしながら発展してきた。 ・アメリカの原子力開発によって、先住民の大地と健康が破壊さて続けてきた。 現在に至るまで、誰も立ち入れなくなってしまった聖地は、数えきれない。 先住民は植民地主義政策のもとに土地を略奪され、労働者として使い捨てられ、そのあ と、エコサイドによってまたもや国家に土地を奪われ、伝統文化を継承することができ なくなった。 ・福島第一原発周辺から非難してきた人たちの、これからの困難を、私はアメリカ先住民 の歴史と現在と重ね合わせて考えている。 ・原発のある双葉町の町民(約6900人)のうち、およそ1400人が避難している。 埼玉県加須市騎西高校(現在は廃校)を訪ねた。 複数の市町村から避難した人たちが生活する調布市の味の素スタジアムとは異なり、 ここには「原発の町」の一部が、そのまま移動していた。 ・非難した人たちの多くは、3月19日、町が準備したマイクロバスに分乗して、埼玉ス ーパーアリーナに移動した。 自分の車町が指定した駐車場に置いて、町職員に促されるまま避難してきた。 ところが3月30日、避難所と町役場は、そっくり旧騎西高校に移された。 双葉町も車社会だが、避難先の旧騎西高校も、最寄り駅から3キロも離れ、周辺に田園 風景が広がっていて、車がないと不便な環境だ。 そこで町の人たちは、避難所から自宅や職場に戻って、車を運んできた。 ・1960年代の終わりごろ、浪江町では、東北電力が「棚塩原発」を建設しようとして いた。 もしも、棚塩原発ができていたら、被害はさらに大きくなっていた。 ・双葉町は、原発誘致と引き換えに膨大な額の「電源三法交付金」を受けながらも、ハコ ものづくりで資金を使い果たして財政難に陥っている。 ・原発事故によるエコサイドは、そこに住む人たちの土地を強奪し、生活文化を破壊し、 未来の希望を奪い、強制的に移住させて流民化させる。 アメリカ先住民のように、事前環境に根ざし、プライドを持って生きてきた人たちが、 ある日突然、日々の営みや、その中で育ててきた周りの人たちや動植物との関係を断た れる。 ・国家による切り捨てと放置、そして差別という道を、日本政府が原発被害者に歩かせる のならば、これから何世代にもわたって、根深い禍根を残すことになる。 ・避難所の人たちは、放射能に翻弄されているだけでなく、責任を回避しようとする国と 東京電力の過剰な防衛意識にも振り回されている。 繰り返される数値の訂正、不明瞭な情報開示のあり方は、ただでさえ不安な避難所での 暮らしを、いっそう暗澹たるものにしている。 それは絶対安全を謳い、「想定外」を連発する、原子力産業の虚像そのものである。 ・今回の福島第一原発事故で、たくさんの人たちにとって大切な土地、精神の風土が奪わ れた。 海で生計を立ててきた漁民、大地とともに生きてきた農民、そして故郷福島に根付いて 生きてきた人たちが、いま、エコサイドの悲惨な経験をしている。 私が避難所で聞くことができたのは、膨大な歴史の証言のほんの一部にすぎない。 <原発の何が問題か(科学・技術的側面から)> 原発は不完全な技術 ・原子炉の核分裂を継続させるにはいくつかの工夫が必要になる。 一つは中性子のスピードを遅くすること。 もうひとつはウラン235の密度を高くすることである。 中性子のスピードを遅くするには、減速材を使う。 代表的な減速材は、黒鉛(炭素の鉱物)、重水(水分子中の水素の質量数が通常の二倍 のもの)、軽水(ふつうの水)である。 ウラン235の密度を高くするには、ウランの中のウラン235の存在比を遠心分離器 など物理的な手段によって高める。 ・1986年に事故を起こした旧ソ連のチェルノブイリ原発は、黒鉛を減速材に使ってい た。 日本最初の原発である東海原発は、黒鉛を減速材、二酸化炭素を冷却材とする原子炉で あった。 カナダなどには、重水を減速材としているカナダ型重水炉がある。 2003年3月に廃炉になった新型転換炉「ふげん」も重水炉である。 現在ある日本の商業原発はすべて、軽水、すなわち普通の水を減速材としている「軽水 炉」と呼ばれる型の原子炉で、ウラン235の濃縮度を3〜5%にまで高めたものを核 燃料としている。 ・軽水炉では、蒸気を発生させる仕組みの違いによって、沸騰水型炉(BWR)と加圧水 型炉(PWR)がある。 原子炉内で蒸気を発生させ、原子炉→発電用タービン→復水器→原子炉、とめぐって蒸 気が水になって帰ってくるのがBWRである。 PWRの方は、原子炉内ではなく蒸気発生器で発生させた蒸気をタービンへと送る。 原子炉→蒸気発生器→原子炉とめぐる一次系と、蒸気発生器→発電用タービン→復水器 →蒸気発生器とめぐる二次系からなっている。 ・BWRでは、原子炉の中を通る水が、原子炉が入っている建物(原子炉建屋)を超えて タービンが入っている建物(タービン建屋)まで行くのに対し、PWRでは、原子炉を 通る水は原子炉建屋内にある蒸気発生器で戻ってくるのでタービンの側には行かない。 このため、一般にBWRのほうが放射性物質を環境中に放出しやすいと考えられている。 しかし、PWRが放射性物質を絶対に漏らさないかといえばそうでもない。 実際には、蒸気発生器の中にある熱を受け渡すための直系2センチ、厚さ1.5ミリの 細い管(細管)に大きな無理がかかる。 細管に穴が空いて、タービンへ向かう蒸気の中に放射性物質が入り込む事故が繰り返し 起きている。 ・PWRは、原子炉の中にギュッと燃料がつまっていてコンパクトなつくりになっていて、 出力密度が高く、原子炉内壁と燃料との距離が近い。 そのため、燃料から漏れ出てきた中性子が原子炉の内壁にあたり、原子炉を脆くする。 これを中性子照射脆化といい、冷たい水が炉心に注入されると原子炉が破壊する恐れが ある。 ・BWRは、制御棒が原子炉の底から重力に逆らって挿入されるしくみのため、脱落防止 のためさまざまなケースを想定して安全装置を取り付ける必要があった。 しかし、それらの安全装置は簡単に破られ、制御棒が複数本脱落し、臨界事故が起きて しまった。(1978年11月の福島第一原発3号炉と1999年6月の志賀原発1号 炉) BWRの原子炉には、出力をコントロールするための再循環ポンプが再循環系の配管と ともにぶら下がるように取りつけられている。 その構造から、耐震上脆弱な装置であり、地震時には配管の破断事故が起こるのではな いかと考えられている。 ・原子炉の運転は、炉心の中央部に仕込んである中性子を放出させるカプセルをあけ、 炉心から制御棒をゆっくりと引き抜くことで始まる。 原発を1サイクル(約1年間)運転し始めるときには、ウラン235などの核分裂物質 を、臨界を十分維持できる以上に装荷しておく。 生後病を全部引き抜くと臨界超過の核暴走の状態になってしまうので、部分的に制御棒 を挿入したまま運転を行い、燃料がへたってきたところで制御棒をさらに引き抜く。 ゆえに制御棒の操作に失敗すると核暴走が起こりうる。 ・燃料棒の被覆管やスペーサーグリッド(間仕切り)にジルコニウム合金を使っている理 由は、中性子を吸収しにくいからである。 しかし、ジルコニウムには軽水炉で使う上で非常に困った問題がある。 それは、高温になると水と反応して水素を発生させることである。 約900度になると水とジルコニウムの反応が始まり。温度が高くなると激しくなる。 しかも、この化学反応の過程で熱を発するので、さらに反応が進むとう悪循環に陥って しまう。 ・このように原発では、核反応のコントロールや燃料棒の冷却などに、非常に神経を使わ なければならない。 しかし、苦労して運転する原子炉で発生させる熱の3分の2は廃熱として海に捨ててし まい、電気になるのは3割に過ぎない。 ・原発の事故の中で最も怖れられている事故として、核暴走事故と冷却材喪失事故がある。 設計上問題がある制御棒を緊急挿入したことによって、核分裂の制御に失敗して核反応 が暴走し、爆発炎上して放射性物質を環境中にばらまいたのがチェルノブイリ原発4号 炉での事故である。 また、PWRの二次系の弁の操作ミス、蒸気弁の開放など小さな事故が重なって冷却水 が失われ、原子炉の空だきまでいたったのが、スリーマイル島原発2号炉の事故である。 ・福島第一原発では、マグニチュード9.0の地震によって原発が停電になり、さらにお そらくは原子炉の重要な配管類のいくつかが破損し、そのあと襲来した大津波にとって 予備の電源まで奪われた結果、大規模な炉心溶融を引き起こした。 せっかく備わっていた緊急炉心冷却装置も、電源がなくなって、ほとんど役目を果たさ なかった。 ・国内・海外問わず、原発の小規模な事故はあとを絶たない。 ・燃料棒を破損したことによるとみられる放射能漏れ ・制御棒が誤動作する事故 ・配管がすり減って薄くなっていたりひび割れが起きていた事例 ・機器の異常が見つかって点検・修理のために原子炉の運転を止めた事例 など、重要度の高いものもあれば、作業員が線量計を身につけずに放射線管理区域に入 ろうとした事例や、点検記録の不備・不正などさまざまである。 ・原発の保守点検作業は、主として人の手で行われる。 点検作業は放射線管理区域の中での作業であるから、被曝は避けられない。 原子炉に近い場所での作業や、放射性物質が漏れた事故後の除染作業では、被曝するこ とが仕事だとでもいうように、非常に強い放射線のもとでの労働が強いられる。 原発を動かす限り、放射線管理区域内での労働はなくならない。 ・原発には、ウラン鉱石の採掘にはじまって、ウランの精練・濃縮、燃料の加工・製造、 そして、発電した後の放射性廃棄物の処理・管理、使用済燃料の再処理などの各段階に おいて、放射性物質の放出と労働者の被曝が避けがたくついてまわる。 ・日本では使用済燃料に再処理という化学処理を施し、燃え残ったウランと燃料内に新た に生成されたプルトニウムを取り出すことにしている。 青森県六ケ所村に再処理工場を建設し、そこで日本国内の原発から排出される使用済燃 料を再処理することになっていた。 ところが、高レベルガラス固化体の製造工程で、ガラスの温度コントロールがうまくい かないなどの故障が続き、私見僧形の段階でストップしている。 そのため、原発の運転が続けられれば、各原発のサイトでは使用済燃料が溜まり続けて いくことになる。 ・六ケ所再処理工場の工程では、使用済燃料を剪断し、硝酸にペレットを溶かし、リン酸 トリブチルという有機剤を使ってウランとプルトニウムを抽出し、ウランとプルトニウ ムをいったん分離し精製する。 アメリカとの協定により日本は淳髄なプルトニウムを所有できないため、ふたたびウラ ンとプルトニウムを混合し、酸化物の粉末として貯蔵する。 ・取り出されたプルトニウムにも需要がない。 本来ならば、高速増殖炉でプルトニウム利用を進める計画であったが、研究開発段階の 原型炉「もんじゅ」が事故停止してからは、見通しがたたない。 ・それを解決するべく、軽水炉でプルトニウムを使用する「プルサーマル」を推し進めよ うとしているが、現在までに玄海3号炉、伊方3号炉、高浜3号炉、福島第一原発3号 炉でわずかに装荷されたのみにとどまっている。 原発は先の見えない技術(井野博満) ・原発は、先のことがわからぬまま開発されてきた歴史を持つ。 「廃炉」の大変さも考えられてこなかった。 また、放射性廃棄物(死の灰)の処理を考えてこなかったことは、「トイレのないマン ション」と揶揄され続けた。 それはいまだ解決の方法がない。 1000年以上も管理せねばならない高レベル放射性廃棄物を必然的に生み出す。 先を予見できない技術。 原発は”技術と言えない技術だ”といってよい。 ・「圧力容器の照射脆化」もそのひとつである。 照射を受けた鋼が40年先どうなるか、確かでない予測でスタートしたのである。 ・金属材料は、さまざまな原因で壊れる。 そのひとつに「照射損傷」がある。 原子力の研究において「照射損傷」がなぜ大事な研究テーマがというと、原子炉が核分 裂を起こさせて発生する中性子線が原子炉の容器や配管などに当たる金属材料を傷つけ るからである。 特に問題なのは、原子力発電所の心臓部である原子炉圧力容器鋼の中性子照射脆化で、 これが破損すれば制御できない大事故へと直結する。 ・結晶中の原子はきちんと格子状に並んでいるが、中性子照射を受けると原子がはじき飛 ばされ、そこに穴ができる。 これが「空孔」。 はじき飛ばされた原始を「格子間原子」という。 さらに、空孔や格子間原子が動いて集って「空孔クラスター」などをつくる。 金属中の不純物原子(鋼原子など)も動いて「不純物クラスター」をつくる。 これらの「欠陥」が、金属の特徴である”柔らかさ”を失わせ、材料を”硬化”させてしま う。 ・この中性子照射による金属の”硬化”の度合いを表わすのが「脆性遷移温度」である。 この温度以上では、鋼は柔らかく塑性変形できるが、この恩小値賀では比較的小さな力 がかかっただけで陶磁器のようにパリンと割れてしまう。これを「脆性破壊」という。 ・脆性破壊は、鉄という材料の特性で、中性子照射を受けなくても、低温では起こる。 船の技術屋の間では以前から恐れられている現象である。 タイタニック号が大西洋で流氷にぶつかり、その衝撃で船体が真っ二つに割れ沈没した のも、この脆弱性破壊が原因である。 その後の調査で、タイタニック号の船底や外板には質の悪い鋼材が使われていて、その 脆性遷移温度は27度だったという。 ・この税制遷移温度が、原子炉圧力容器では運転中にどんどん上昇する。 中性子照射が与える影響はその照射量だけで決まっていて、その照射速度、つまり、 長い時間かけてゆっくり照射するか、一度の大量に速く照射するかには関係ない、 という考え方が前提となっている。 ・この考えが現実と合わないことは、すでに10年以上前に、筆者たちの研究グループが コンピュータ・シミュレーションで示し、敦賀第1炉や福島第一1号炉などの圧力容器 監視試験結果でも明らかになっていた。 それにもかかわらず、経産省の高経年化対策委員会では、合わないのはデータのばらつ きの範囲などと事態を軽視し、これら原子炉の寿命延長を承認した。 ・その後、照射脆化は中性子照射量だけでなく、照射速度によって大きく変わることが明 らかにされ、学界の共通認識になった。 ・さて、では、最新の研究成果を取り入れた新しい脆化予測式は、日本の原発の照射脆化 を適切によそくできるようになったのだろうか。 この予測式でいけそうだと思われていたところに、とんでもない監視試験結果が明らか になった。 玄海1号炉監視試験片の脆性遷移温度の記録データが予測曲線からまったく外れてしま っていたのである。 こういう原因不明の大きな値が出ってしまうのでは、予測式はまったく使えない。 ・原子炉圧力容器は、何かのトラブルで緊急に炉心を冷却しなければならないときには、 300度前後に保たれている原子炉に冷水を急激に注入するので、目に見えないクラッ クがあれば一気に破断してしまう恐ろしい大事故となる。 ・脆性遷移温度が問題となるのは緊急炉心冷却時だけではない。 通常の運転開始や終了の際の昇温・降温運転において、脆性遷移温度以下で炉心に圧力 を加えることは危険である。 ・玄海1号炉をはじめ、1970年代に建設された古い原発は、中性子照射脆化が進んで いる。 美浜1号炉・2号炉、大飯2号炉、高浜1号炉、敦賀1号炉、福島第一1号炉などであ る。 原発の危険性は地震や津波によるだけではない。 原発はもともと30年ないし40年の寿命を想定して設計された。 これらの老朽化原発は早期に廃炉にすべきである。 ・”原発は技術と言えない技術だ”と主張する大きな根拠は、核分裂生成物(死の灰)の廃 棄物処理である。 ウランが核分裂した後に残される核分裂生成物が出す放射能の量は、もともとのウラン 鉱石が出す放射能に比べて桁違いに大きい。 使用済核燃料の放射能はおよそ5万倍にも増幅され、それが元のレベルに復するには数 万年を要するのだ。 ・日本では青森県六ケ所村に再処理工場が建設されている。 使用済燃料棒を硝酸溶液で溶解し、ウランとプルトニウムを分離・抽出する一方、残り の核分裂生成物(高レベル廃液)をホウケイ酸ガラスと混ぜ合わせて、ガラス固化体に する。 ・ガラス固化体は、肉厚19センチの円筒形の炭素鋼オーバーパックに包まれ地下300 〜500メートルに埋設されることになっている。 炭素鋼は最も安価な金属材料であり、かつ、環境中での腐蝕データや経験が豊富である ことが選定理由にあげられている。 ・オーバーパップの厚さ19センチのうち15センチがガラス固化体からの放射線が環境 中へもれないための遮蔽で、残り4センチが腐蝕代であるとされている。 炭素鋼が腐食される深さは、1000年間に32ミリ以内なので、このオーバーパック は放射能を1000年密閉できると結論している。 しかし、それを確認する腐蝕実験は1年しか行われていない。 ・「オーバーパックの長期耐食性に関する調査」(2006年)という報告書がある。 この報告書は、日本の腐蝕研究の中心的な地位にある6人の大学研究者が、基礎的な調 査研究をおこなったものである。 その内容は学術的なもので、その実験の進め方や結論の出し方には、高レベル放射性廃 棄物の地層処分を認めることを前提とするような、意図的な偏りがあるようには思われ ない。 ・問題は、報告書のタイトルである。 「長期耐食性に関する調査」を謳いながら、実は、いずれの研究も、1000年にも及 ぶ長期の予測につながるような内容ではないということである。 それはそうならざるを得ないのであって、これらのレポートはせいぜい年オーダーの実 験研究にもとづく結果を報告しているにすぎない。 これらの研究の委託をした財団法人原子力安全研究協会がもっとも欲しいのは、このタ イトルで有名大学で研究がおこなわれたという実績なのではなかろうか。 ・報告書は、これらの研究結果をうまくはめ込んで「オーバーパックは1000年間大丈 夫だ」というストーリーをつくりあげている。 基礎研究を行った大学研究者はこのストーリーに責任を負う構造にはなっていない。 しかし、安全ストーリーをサポートし、対外的信頼性を高めるという役割を果たしてい る。 ・こういう大学研究者の役割は、価値中立的ではない。 なるほど自分の研究内容自体は、その分野の学問の常道に則った方法でおこなわれた客 観的なものであったとしても、その研究はオーバーパックの長期耐食性を証明するとい う目的に明確に組み込まれて行われている。 工学は多かれ少なかれ、そのような目的をもって研究が行われる。 それは工学研究の宿命であり、研究者はその目的性を自覚して研究を行わねばならない。 ・私たちが郊外の歴史から学んだことは、郊外をつくり出しておいてその廃棄物対策に終 始するのではなく、発生源から止めることの必要性であり、それが対策の基本だという ことである。 原子力発電でもその同じ発想が必要である。 高レベル放射性廃棄物(死の灰)処理の困難さは、再処理などの核燃料サイクルを廃止 すること、さらには原子力発電そのものを廃止するべきことを強く促している。 原発事故の災害規模(今中哲二) ・原発緊急時対応の原則は「止める・冷やす・閉じ込める」であるが、電源喪失の結果、 福島第一原発で「冷やす」がうまくいっていないことを示している。 炉心に給水できなくなると、水位が下がって燃料がむき出しになり高温になって融けは じめる。 おまけに、燃料棒被覆管の材料であるジルコニウムという金属は、1100度を越える と水と急激に反応して水素を発生する。 ・1979年のスリーマイル島原発事故では、原子炉の圧力逃がし安全弁が開きっ放しに なったのに運転員が気づかず、炉心の水が減ってしまった。 事故がはじまって13時間後にポンプを起動させ、事態は収拾に向かったが、炉心燃料 の約半分が溶けてしまった。 スリーマイル島原発事故では、原子炉建屋や格納容器は破壊されず、放射性物質の放出 はもっぱら排気筒経由であった。 ・福島原発事故の規模は、3月12日の段階では1999年の東海村JOC臨界事故と同 じ「レベル4:敷地外への大きなリスクを伴わない事故」であり、3月18日になって スリーマイル島事故と同じ「レベル5:敷地外へのリスクを伴う事故」となり4月12 日になってようやくチェルノブイリ原発事故と同じ「レベル7:深刻な事故」と認定さ れた。 ・「原発はどんなことが起きても安全」と宣伝されながら推進着てきた。 しかし、そうした建前にもかかわらず、原発事故が起きたらどんな被害が出るかという 推定が、日本で原発建設が始まろうとしていた50年前に行われていた。 ・当時、同じく原子力発電を積極的に進めようとしていたアメリカでは、原子力委員会の 委託を受けて、ブルックヘブン研究所が原発事故の災害規模を推定する研究を行ってい た。 WASH740と呼ばれるその研究報告の試算結果は1957年に発表された。 被害の大きさに驚いたアメリカ議会は、電気事業者のリスクを軽減し原子力発電を推進 するため、事業者の賠償責任を一定額で打ち切るプライス・アンダーソン法を制定した のであった。 ・アメリカにならい日本でも、プライス・アンダーソン法に相当する原子力損害賠償法を 制定することになった。 そのためには、日本の原発で事故が起きた際にどれくらいの被害が出るかを見積もって おく必要がある。 科学技術庁(当時)の委託を受け、日本原子力産業会議がWASH740を手本に原発 事故規模の試算を実施した。 1960年に「大型原子炉の事故の理論的可能性及び公衆損害に関する試算」と題する 報告書(原産報告)ができあがった。 試算結果があまりにも大きなヒ被害を示していたため、原賠法の審議を行っていた国会 には一部が報告されたのみで全体はマル秘扱いとされた。 ・原産報告の概要が一般に明らかにされたのは1973年であった。 それによると、被害額が最も大きい場合は、損害額は3兆7300億円となっている。 1960年の日本の国家予算は1兆7000億円であった。 ・日本の原子力発電は、万一の場合には、原子力事業者のみならず国家経済が破綻してし まうことを承知ではじめられたのである。 ・原子力安全委員会が定めた「原子炉立地審査指針」には、原発の立地条件として「大き な事故の誘因となるような事象が過去においてなかったことはもちろんであるが、将来 においてもあるとはかんがえられないこと」と定められている。 原子力開発を今後も進めようとする側からは、 「今回の東北大地震は1000年に1回の地震であり、想定外の津波が福島原発事故の 原因である」 といった声が聞こえたりしている。 原子力エネルギー源として利用することの危険性を直視することなく、 「原発は安全です」 とゴマカシを言い続け、ついにはそれを信じてしまったかのような、日本の原子力安全 文化」の行き着いた先が福島原発事故であったと考えるべきであろう。 地震列島の原発(石橋克彦) ・原発が大地震で損傷して大規模な放射能災害が生ずるのではないかという懸念は、 少なからぬ地元住民や科学者によって1970年代から示されていた。 しかし、政府や電力会社は、耐震設計に万全を期しているから大丈夫だと言ってきた。 ・2011年3月11日14時46分に発生した東方口等太平洋沖地震によって、東京電 力福島第一原発の1〜4号機が国際評価尺度レベル7(最高位)の深刻な事故を起こし た。 ・運転中の1〜3号機は自動的に緊急停止して「止める」機能は働いた。 だから原発は地震動では無事だったのであり、事故が起こったのは「想定外」の大津波 で非常用ディーゼル発電機が働かなくなり、全電源喪失に至ったためだとされている。 ・しかし、本震の地震動によって1号機では配管破損などによる冷却材喪失事故が、 2号機では圧力抑制室の破損による水素とお放射性物質の漏出が発生した可能性が高い。 つまり、地震動そのものによって「冷やす」「閉じ込める」機能を失うという重大時価 が起きた疑いが強いのである。 ・事故の津波原因説に関連してひとつの「神話」が作られた。 それは、福島第一原発の耐震バックチェックを審議する2009年の委員会(事務局は 保安院)で、委員の一人が869年の「貞観地震」の大津波を考慮するように強く求め たのに、東電がそれを無視して津波対策を先送りしたことが事故の大きな誘因になった というものである。 しかし、これは事実と違うし、地震・津波国の原発の安全性を考察するときに誤りをも たらす。 ・実際は、最終報告書に含まれるはずの津波ははじめから対象外だった。 委員も貞観地震を考慮しないのはおかしいと指摘したにすぎない。 もし津波そのものが非常に重要だと思ったなら、津波の検討と対策を急げと言うべきだ ったが、それはせず、東電の報告を認める事務局案を了承した。 ・これは委員を責めるのではなく、この問題にこそ原発の地震・津波安全性の根幹、福島 原発災害の教訓がある。 つまり、委員も保安院も東電も、貞観地震津波の再来(に近いもの)がまさか2年以内 に起こるとは思わなかったのだろうということである。 しかし、それは起こった。 私たちはこの事実を厳粛に受け止め、「起こる可能性のあることは、すぐに起こる」 を肝に銘じ、予防原則に立って地震列島の他の原発のことを考えなければならない。 ・なお、福島第一原発の周辺では今後何年も、M6〜8級の余震や誘発地震が起きて、 激しい揺れや大津波が原発に破局をもたらす恐れがある。 そうならないためには、ひたすら祈るほかはない。 これが、地震列島の原発の事情なのである。 ・保安院は、福島第一原発事故の津波原因説に立って、2011年3月末に電力各社に津 波に対する緊急安全対策の実施を指示した。 各社は、大津波で全電源喪失が起こった場合に備えて電源車や可搬式ポンプを配備する などして原発の運転を続けるとともに、定期点検中の原子炉も順次再開しようとしてい る。 しかし、一連の動きには二つの根本的な問題がある。 第一は、地震動に関する新指針とバックチェックの不備を不問に付していることである。 津波対策をすれば安心などということではなく、新指針を抜本的に見直した地震リスク の評価基準をつくって、日本の全原発の耐震安全性を再点検しなければならない。 第二は、大津波をかぶって全電源が喪失し、電源車や可搬式ポンプに頼らなければなら ない状況を想定すべきような原発は、1964年に原子力委員が決定した「原子炉立地 審査指針」に違反するのに、それを無視していることである。 ・立地審査指針は、原子炉の立地条件として「大きな事故の誘因となるような侍妾が過去 においてなかったことはもちろんであるが、将来においてもあるとは考えられないこと。 また、災害を拡大するような事象も少ないこと」が原則的に必要だと明記している。 ところが保安院は、日本中の原発に、大津波という大災害と、それによる全電源喪失と いう大事故を想定しろと指示したのだ。 これは完全に自己矛盾である。 日本列島は原発の立地条件を満たさないことを保安院自らが示したのだから、全原発を 廃止すべきだろう。 ・そもそも、たかが発電施設にすぎないのに、非情な危険を内包する原発を大津波の恐れ がある場所で運転しようとするのは、正気の沙汰ではない。 これに関連しては、15メートルの津波を想定すべきだったとする日本社会の東電批判 が、そういう想定のもとで原発を動かせというのであれば、技術過信に毒された迷妄だ といえる。そんな場所からは撤退すべきなのだ。 ・津波対策さえすればよいという考え方自体に唖然とする。 次の事故を考えるなら、今度は地震動や大余震や地殻変動にも注意するのが当然だろう。 そして、全国の原発が福島第一原発なみの津波を想定せよというなら、地震動に関して も、柏崎刈羽原発1号機が2007年に経験した1699ガルを全国の原発が想定すべ きだろう。 ・「原発と地震」の問題を考える際には、つぎの4点をあらためて肝に銘じる必要がある。 @原発の安全性は、莫大な放射性物質を内蔵することから、ほかの施設よりも格段に高 くなければならない。 A原発は完成された技術ではない。 B地震というものは、最大級の様相を呈すると本当に恐ろしい。 C人間の地震現象に関する理解はまだまだきわめて不十分で、予測できないことがたく さんある。 ・これら4点を謙虚に受け止めれば、地震列島の海岸に54基もの大型原子炉を並べるこ とがどんなに危ういことか、人としての理性と感性があればわかるはずだ。 ・地震列島の原発は、原発災害のほかにも地震に対する大きな弱点を持っている。 放射能漏出事故は起きなくても大地震に襲われれば必ず止まり、運転再開までに長時間 を要する。 これは火力発電所などとは違っていて、電力の安定供給特性が悪い。 同時に、電力会社の経営リスクと立地自治体の財政リスクが大きいことも意味する。 また、地震時の緊急停止による遠隔都市圏の突発大停電の危険性も秘めている。 これらのことは、本震によって日本列島全域の地震活動が一層活発化するのではないか と考えられている現在、大きな問題である。 そして、現在の再処理政策では、地震列島ゆえに、使用済核燃料の処分が非常に困難に なる。 <原発の何が問題か(社会的側面から)> 原子力安全規制を麻痺させた安産神話(吉岡斉) ・福島原発事故の直接の原因は、地震動と津波だが、安全対策が劣悪だったことが事故の 深刻化を招いた。 安全対策における主要な欠陥について、以下3点に整理して述べる。 ・第一の欠陥:重大事故についてのシミュレーションの欠如 第一に、最悪の場合にどのような事態が生じるか、それにたいしてどのように対処すべ きか、についてシミュレーションが実施されていなかった。 たとえば長時間の全電源喪失を想定しておらず、東京電力関係者は、遠方から電源車を 搬入するなど泥縄式の対処しかできなかった。 また、圧力容器・格納容器の破壊に関するシミュレーションが実施されておらず、それ を防ぐ対策も不在であった。 さらに圧力容器・格納容器の破壊後の事故対処に関するシミュレーションが実施されて おらず、その対策も不在であった。 安全審査をパスするための建前として圧力容器・格納容器の破壊はあり得ないことにな っていた。 それが方便であり建前に過ぎないことが忘れられた結果、容器破壊後でもなお効果的な 事故対処が可能な設計をしていなかった。 ・第二の欠陥:指揮系統の機能障害 原子力緊急事態宣言を受けて首相官邸に設置される原子力災害対策本部(首相を本部長 とする)が総司令部となり、そこが政府機関・地方行政機関・原子力事業者に指示を出 すこととなっている。 また官邸対策本部のサテライトとして原子力災害現地対策本部が、緊急事態応急対策拠 点施設(オフサイトセンター)内に置かれ、そこで現地における事故対処作業の指揮を とることが想定されている。 この仕組みの中で、官邸対策本部と現地対策本部の双方において、原子力安全対委員会 が専門的助言を行うこととなっている。 ・ところが今回、実際の指揮系統はまったく異なるものとなった。 現地対策本部はほとんど機能せず、東京でほとんどすべての意思決定がなされた。 ・つまり首相官邸、経済産業省原子力安全・保安院、東京電力の三者が協議をし、東京電 力の主導権のもとに、東京電力の現地本部を前線司令部とし、事故対処作業が進められ た。 東京電力に実質的な拒否権が与えられていた。 それにより初動対策の実施が決定的に遅れた。 その後も現地での事故対処作業が政府主導ではなく東京電力主導のため、事故対応での 人材の有効活用がなされていない。 ・第三の欠陥:原子力防災計画の非現実性と避難指示の遅れ 今回の事故に対処できるような原子力防災計画が立てられていなかった。 そのため住民避難等に著しい支障をきたした。 ・日本では、原子力事業の性格をあらわすものとして「国策民営」というキーワードが使 われてきた。 原子力事業を中心的に担ってきたのは電力業界をはじめとする民間企業であるが、 その事業は政府方針に基づくものだった。 民間は「国策」に服従する見返りに、組織や事業の安泰を政府によって保障されてきた のである。 原発依存の地域社会(伊藤久雄) ・「過疎地域市町村」という捉え方がある。 それは過疎地域自立促進特別措置法(過疎法)に定められており、その要件は人口と財 政力とがある。 人口要件は、1960年から2005年までの45年間の人口減少率が33%以上であ ること。 1980年から2005年までの25年間の人口減少率が17%以上であることなどで あり、そのいずれかに該当し、かつ財政力は、2006年度から2008年度までの平 均の「財政力指数」が0.5以下の市町村である。 ・これらの過疎地域の人口は首都圏や中京圏、近畿圏に流入し、今日の大都市圏、とりわ け首都圏の繁栄を形作る要因のひとつとなった。 そして、それら大都市圏に電力を供給してきた一つが原発立地市町村であった。 ・原発立地市町村であって過疎地域に該当する市町村は、青森県東通村、宮城県石巻市、 新潟県柏崎市、石川県志賀町、福井県おおい町、島根県松江市、愛媛県伊方町、鹿児島 県薩摩川内市の8市町村である。 多くの原発立地市町村は、「過疎地域」ではない。 ・福島県には、「過疎地域市町村」は23存在するが、原発が立地する双葉町、大熊町、 富岡町、楢葉町の4町は該当しない。 ・福島県の「一人当たり所得」が最も高いのは広野町であり、以下、原発立地の4町が続 く。 広野町には広野火力発電所が立地する町で、5機の火力発電所が稼働している。 ・福島県の「一人当たり所得」は、上位10市町村のうち6市町村まで大規模発電所が立 地していることになる。 ・福島県内の「一人当たり市町村民所得」の平均は、もっとも多い広野町の約半分である。 ・原発立地市町村といえども、その半数は財政が悪化している。 「なぜ原発があるのに、交付税が交付されなければならないのか」 「なぜ多額の原発関連交付金が交付されるのに、借金が多いのか」 などの疑問の声があがるのも当然である。 ・原発関連交付金は、当初は公共施設(いわゆる「ハコモノ」)や道路、港湾などのハー ド事業にのみ使途が認められていたが、2003年度から地場産業の振興や福祉サービ スなどのソフト事業にも使途が拡大された。 ・固定資産税は償却資産に対して課税される。 原発施設の償却資産課税は、税制上の耐用年数が16年であるため、運転開始から5年 で半分になり、以下毎年減っていき、20年以降は約1億円程度になる。 ・原発関連交付金は運転開始以降も安定的に交付されるのに対し、固定資産税は、運転開 始以降、毎年激減していく。 このため、稼働し始めたばかりの原発のある市町村と、古い原発ばかりの市町村では、 固定資産税収入に大きな開きが出ることになる。 固定資産税収入の激減した市町村は、その一部を交付税に頼るとともに、交付金の増額 や使途の自由化などを要望し、さらに次の新たな原発建設を誘致する動機づけにもなる のである。 ・原発による巨額財源は過大な施設建設を促し、その過大視越の維持経費が財政を圧迫す る。一旦肥大化した財政を縮小するのが困難なことは、家計と同様である。 原発立地市町村の原発依存の構造は、強固で揺るがしがたいものになってしまっている のである。 ・福島第一原発の大事故は、事故終熄の見通しが立たず、1号機から6号機まで、すべて 廃炉になることは確実である。 これかで、原発マネーによって豊かな地域社会を築いてきた双葉、大熊の両町は、第一 原発の廃炉によって「豊かさの基盤」を一挙に失うことになった。 また第二原発のある富岡、楢葉の両町やその周辺の町村も、全域もしくは一部避難を余 儀なくされている。 今後の復興の道のりも険しいものがある。 原子力発電と兵器転用(増え続けるプルトニウムのゆくえ):田窪雅文 ・2011年5月、ウィキリークスが一連の米国の外交公電を公開した。 その多くが、日本の原子力施設の防護体制に対する米国側の懸念を示していた。 ・原子力施設の防護が問題になるのは、 @攻撃を受けた施設が放射性物質をばらまく兵器の役目を果たす A施設内の核物質、放射性物質が盗み出され兵器として使われる という蓋宇野可能性があるためである。 ・2007年2月の公電では、文部科学省の管轄下にある東海村の原子力施設の警備体制 について驚きを表明している。 「プルトニウムの主要貯蔵施設のひとつである東海村施設に武装警備員が配置されてい ない点について文部科学省に質問したが、その答えは、現地の必要性と利用可能な態勢 に関して検討したところ、この施設での武装警官の配置を正当化するのに十分な脅威は 存在しないとの結果が得られたというものだった」 米国の原子力発電所では、警備にあたっている民間会社の警備員は武装している。 ・フランスは、9.11直後から三週間にわたって、ラアーグの再処理工場の周りに対空 ミサイルを配備した。 これらを考えると、原子力施設の警備は、日本の制度・社会が対応できるようなものな のかという疑問がわく。 ・もともと、再処理で取り出されたプルトニウムは、高速増殖炉用MOX燃料のためのも ののはずだった。 軽水炉用MOX燃料はプルトニウム含有度が4〜9%なのに対し、高速増殖炉用では 20〜30%となる。 高速増殖炉は、発電しつつ、使用した以上のプルトニウムをつくり、無尽蔵のエネルギ ー源となるという「夢の原子炉」だ。 ・だが、1995年のナトリウム火災事故を起こした高速増殖原型炉もんじゅは2010 年5月にやっと運転再開したものの、8月に燃料交換用炉内中継装置の落下事故を起こ し、またもや運転中止となった。 ・こうして、利用の目処の立たないまま、日本のプルトニウム保有量は、2009年末現 在で約46トンに達している。 この状況でプルトニウムを作り続けることを正当化するために推進されているのが、 プルサーマル計画だ。 ウラン資源を有効利用するためには、六ケ所再処理工場でプルトニウムを分離し、これ をプルサーマルで使うことが必要だと説明されれる。 ・だが、六ケ所工場を今、無理やり動かそうとしているのは、ウラン資源の有効利用など いろいろ公に説明されていることのためではなく、使用済燃料貯蔵対策である。 各地の原発の使用済燃料プールが満杯になりつつあり、その行き先を確保するために六 ケ所工場の横にある受け入れプールが必要なのだという。 このプールも満杯に近づきつつある。 そこで、このプールの使用済燃料を再処理工場に送り込んで、空きをつくろうというこ とだ。 ・出てくるプルトニウムを無理やり使うのがプルサーマル計画だが、福島第一原子力発電 所事故で、この計画の遂行は今までにまして困難となった。 使用済燃料対策が必要なのあれば、その問題を正面から取り組むべきだ。 ・必要のないプルトニウムをつくり続けるという不可解な政策をとる日本の意図に外国が 疑問をもってもしかたがない。 疑いを持たれたくなければ、今回の事故を契機に再処理計画は即座に中止すべきである。 <原発をどう終わらせるか> エネルギーシフトの戦略(原子力でもなく、火力でもなく)」飯田哲也 ・日本はかつて、太陽光発電の普及と生産の両方で世界のトップを走っていたが、急拡大 する世界の太陽光発電市場と激しさを増す競争のなかで、今や大きく後れを取っている。 風力発電は普及に関しても世界で18番目、製造でも国内トップメーカーの三菱重工業 が世界のトップ10にはいることができない。 ・「日本の伝記の3割は原発」だと漠然と思われている。 それは原発震災前の「古い固定観念」だ。 日本の原発はこれから急速に減るという「新しい現実」に直面している。 震災直後には、日本の電力の2割強に急減した。 ・しかも日本の原発の多くが老朽化している。 事故を起こした福島第一原発もちょうど寿命の40年を迎えはじめた時期であった。 今後、ほかの原子炉も次々に寿命を迎える。 その一方で、新しい原発はいっさい建設できないし、してはならない。 ・そうすると、10年後には半分以下にまで減少してしまうのだ。 その前に全廃することも十分できる。 それを前提に、より望ましい未来に向けてじっくりと備えるべきだ。 ・原発以外に、もう二つ考えなければならないことがある。 それは、石炭や石油などの化石燃料のコストが高騰して、私たちの暮らしや経済を直撃 する恐れがあること。 そして人類が直面する最大の環境リスクである地球温暖化問題へ対応することだ。 ・この両方の問題に対して、「節電発電所」は最も効果的である。 「節電発電所」とは耳慣れない言葉かもしれないが、少ない電力で済むようにすること を指して、欧州ではこう呼んでいる。 節電開発の余力は大きい。 さらに10年あれば、これからのエネルギーの本命である自然エネルギーを飛躍的に増 やすことができる。 ・10年後までに原発をなくしながら、節電発電所で20%、自然エネルギーで30%を 賄う。 そして2050年までには化石燃料も全廃し、節電発電所で50%、自然エネルギーで 50%とすることを目指してはどうか。 原発立地自治体の自律と再生(清水修二) ・福島第一原発で破局的な事故・災害が起こったことにより、原発誘致という選択がどん なに巨大なリスクをはらんでいるか明瞭になった。 にもかかわらず、原発を抱え込んでいる地域が一斉に脱原発に向かって動き始めたかと 言えば、必ずしもそうではない。 各道県知事が原発の危険性への懸念を割と率直に表明しているのに対し、原発の地元市 町村長は逆に、福島事故の余波で原発が運転停止になることへの懸念を抱いている印象 がある。 ・原子力施設の誘致に走るのは、農漁業等の地域産業が衰退し、若者が流出して高齢化が 進んでいる地域と相場が決まっている。 原子力施設は『忌避施設・迷惑施設」だから、立地条件さえ整っていれば、手を挙げた ところには喜んでやって来る。 国策に貢献するという名分も立つ。 建設投資の規模は巨大であり、運転中の雇用効果も水力や火力と比べて格段に大きい。 市町村民所得は一気に県内トップクラスに跳ね上がり、地域財政収入も潤沢になる。 手っ取り早い地域振興策として為政者の目には確かに魅力的に映るのである。 ・経済的なメリットを享受する代わりに迷惑施設を受け容れるというこのパターンは、 あたかも市場での取引であるかのように見える。 しかし「取引」の当事者である都市と農村は、高いに対等平等の関係にあるとは到底言 えない。 そこに浮き上がって見えるのは、一種の支配従属関係、あるいはあえて言えば「差別の 構造」である。 社会的なリスクの分配を市場取引の感覚で「解決」しようとする発想は、都市と農村の 関係を大きく歪めてしまう可能性がある。 今度の福島原発の災害に関して、福島県側には首都圏に対する怨念じみた感情が生まれ ている。 逆に首都圏の側からは、これまで長年にわたって享受してきた金銭的ないし経済的利益 に目をつぶるのはふとうだとの反発の声が聞かれる。 原発のない新しい時代に踏み出そう(山口幸夫) ・アメリカのスリーマイル島原発2号炉の事故によって、「原発安全神話」が崩壊した。 事故は1979年3月に起きた。 運転開始して3月にもならない新設の原子炉が冷却材を喪失し、炉心溶融(メルトダウ ン)に至った。 冷却材とはこの炉の場合、水であるが、炉心から熱を取り出して発電に使うと同時に、 炉心が過熱して融けないように冷やすという重要な役割を担っている。 先進国アメリカでのこの事故によって、原発は何重にも安全装置がほどこされていて、 「どんな事態になっても安全だ」という主張は根拠を失った。 ・事故調査が進むと、偶然の幸運が重なって被害は最小限にとどまったことがわかった。 しかし、原子炉の中がどうなっているか、専門家のなかでも意見が分かれた。 原発推進の学者たちは、「炉内の温度はせいぜい2500度どまりで、炉は融けていな かった。そうたいした事故ではなかった」と言い張った。 冷静に見る学者たちは、「炉内はもっと高温になったはずであり、相当の部分が解けて いる」と主張した。 ・カメラで炉心を撮ることができたのは3年後だ。 6年後、アメリカ政府による調査報告書は、「事故発生後2時間半で、炉心部の金属は ウラン燃料とともに解けだした」と発表した。 2815度の高温になった炉の中心部は原形をとどめていなかった。 どろどろになって崩れ落ち、瓦礫と化した燃料を取り出すことができたのは、10年後 である。 ・瓦礫は1999年に、厚さ60センチのコンクリート製のキャスクに封じ込められ、 アイダホの国立研究所に保管された。 50年間の安全を図ってつくられたのに、2011年4月の段階で、コンクリートが崩 れ始めて、劣化が進んでいることが判明した。 水の侵入と、熱さ・寒さの繰り返しによるものと推測されている。 ・1986年4月未明、ウクライナ(当時はソ連のウクライナ共和国)で、チェルノブイ リ原発4号炉が「暴走」を始め、二度、三度と爆発が起こり、火柱が吹きあがった。 最新鋭の黒鉛減速・軽水冷却の沸騰水型原子炉で、運転開始からまだ2年しか経ってい なかった。 大量の放射性物質が環境に放出され、風に乗って拡がった。 ソ連の指導者たちは、たいしたことはなかった、と真実を隠そうとしたが、お互いの内 密な会話では「ヨーロッパの中央部で起こった核戦争」と呼んでいた。 ・放射能が外へ洩れ出さないように、事故を起こした原子炉はコンクリートと鋼鉄で覆わ れた「石棺」と化した。 しかし、コンクリートのひびや穴から放射能が洩れ、石棺が崩れる心配が出てきたため、 巨大なかまぼこ型のアーチ構造物で丸ごと覆ってしまおうという計画が進んでいる。 その大きさは、パリのノートルダム寺院がすっぽり入るほどだという。 しかも、その場で工事はできない。 放射線のレベルが高いからだ。 耐久性は100年とされるが、そこまで持つだろうか。 ・日本の原発の第一号は、東海発電所にある。 イギリス生まれで、コールダーホール型原子炉と呼ぶ。 燃料は天然ウラン、冷却は二酸化炭素という国内ただひとつのもの。 1966年7月から1998年3月まで運転された。 ・この原発の廃止をどうすすめるか。 原子炉の中の放射能の減衰のため約3年間待って、2001年にようやく生国のイギリ スへ燃料を運び出した。 原子炉の領域は2019年までに、建屋等をふくめてすべてが解体撤去されるのは 2020年という予定だ。 運転を32年、解体撤去に22年、という時間スケールの世界である。 ・福島原発のような事故炉の場合は、高い放射線量のため作業はきわめて困難である。 解体撤去が不可能になり、結局のところ、その場での密閉管理にならざるを得ないので はないだろうか。 ・ウランの核分裂を制御して、電力生産に役立てようと科学者や技術者が夢を描いたのは 無理もなかった。 新しいことに挑戦したいと心を躍らせるのは科学者や技術者だけでなく、人間の性とい うべきものだろう。 ・しかし、原子力は平和的に利用可能なのか、考え直す時がやって来た。 人々が原子炉の爆発と放射能におびえ、不安におののきながら暮らすことは、とうてい 平和とは言えない。 スリーマイルの炉心溶融、チェルノブイリの核暴走、そして福島第一原発の炉心溶融と 水素爆発、事故がいつ収束するのかわからない恐怖、そしてまた、仮に、事故がなかっ たとしても、10万年つづく放射能のあと始末。 人類には核分裂の制御はできないことがあきらかになった。 ・日本で原子力研究が始まったとき、放射性廃棄物はどう考えられていたのだろうか。 私は原子力を学んだのは1959年だが、その時からずっと疑問に思ってきた。 ・「伏見康治」氏は学術会議に茅・伏見提案を示して、慎重だった学者たちを原子力研究 に踏み切らせたご本人だが、その伏見氏に公開の席で問うたことがある。 1983年のことだ。私の質問を受けて伏見氏はしばらく沈黙していたが、 「じつは、当時、放射性廃棄物がこれほど深刻なものになろうとは考えていなかった。 その後、たいへんな問題だと気づかされたのは、この会場にいるあなた方、若い科学者 たちのおかけだ」というものだった。 正直な告白だと思ったが、しかし、その責任はどうなるのか、納得できるものではなか った。 ・3月11日の福島第一原発の事故発生後、4月1日に、これかで原子力を推進してきた 中心的な学者たち16人が連名で国民に陳謝するという、異例の記者会見があった。 元原子力安全委員長が2名、元原子力委員3名、元原子力学会長3名が署名に加わった。 「原子力雄平和利用を先頭だって進めてきた者として、今回の事故を極めて遺憾に思う と同時に、国民に深く陳謝致します」 と言う。 「謝って謝れる問題ではないと思うが、失敗した人間として社会に対して問題を解決す る方法を考えたたかった」 と解決法を建言した。 が、その中身はきわめて原理的なもので、具体性に欠けていた。 |