FUKUSHIMAレポート (原発事故の本質) :FUKUSHIMAプロジェクト委員会 |
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この本は、いまから12年前、あの3.11東日本大地震から10カ月後の2012年1 月末に刊行されたものだ。 福島第一原子力発電所の事故を、完全な第三者の立場から調査・分析し、そこから得られ る教訓を後世に伝えることを目的に発足したというのがFUKUSHIMAプロジェクトだ。 このプロジェクトの大きな特徴は、活動資金の一部とレポート発行の費用全部を賛同者か らの寄付金によってまかなっていることで、特定組織の意向や市場原理に左右されること のなく活動を進め、目的を達することを試みたという。このため、委員は無給で活動を進 め、書籍の印税も受け取らないという。 この委員会のメインバーは、以下の8名である。 水野博之、「山口栄一」、「西村吉雄」、「河合弘之」、飯尾俊二、仲森智博、川口盛之 助、本田康二郎 私この本の中で一番注目したのは、福島第一原発の悲劇の真の原因は非常用ディーゼル発 電機が地下に設置されていたことであるとしている点である。 津波に襲われて全交流電源を喪失しても、非常用ディーゼル発電機が地下ではなく地上階 より高い所に設置してあれば、メルトダウンは回避できたとしている。 実際、福島第一原発の1号機から6号機までの各原子炉にはそれぞれ2台ずつ、合計13台 の非常用ディーゼル発電機が設置されていたという。しかし、いずれも地下に設置されて おり、あとで6号機に追加した13台目だけが唯一地上階に設置されていたという。 そして、この唯一上階に設置されていた13台目だけが津波による水没を免れて機能し、 6号機と5号機に電力を供給し核燃料の冷却を続けることができたのだという。 なぜ、非常用ディーゼル発電機を地下に設置したのか。 それは、設計がそうなっていたからだ。 なぜそんな設計にしたのか。 それは、東京電力が原子力発電所を一番最初に導入したのは福島第一原発のであったが、 もちろん当時は、自前で原子力発電の技術を持っていなかったので、米国ゼネラル・エレ クトリック社(GE)の技術をそのまま導入した。GE社の設計そっくりそのままを日本 に持ち込んで福島第一原発発電所を建設したのだという。 そして、GE社の設計では、非常用ディーゼル発電機は地下に設置するようになっていた のだ。 なぜ、GE社では非常用ディーゼル発電機を地下に設置するような設計になっていたのか。 それは、「竜巻やハリケーン」に備えてのことだったという。 本来ならば、日本においては、「竜巻やハリケーン」ではなく、「地震や津波」に備えた 設計にしなければならなかったはずだ。 いくら米国から技術導入したからといって、日本の事情に合わせた「設計変更」がなぜで きなかったのだろうか。米国の技術にただただ盲従してしまったことが残念でならない。 実際、後で追加した13代目の非常用ディーゼル発電機は日本人の設計によって地上階に 設置したようだ。 2024年12月26日に東北電力の女川原発が14年1カ月ぶりに営業運転を始めた。 一方、福島第一原発は2024年11月7日に、初めてデブリの取り出しに成功した。 と言っても、やっとの取り出し成功で、その量はなんと約5ミリグラム、耳かき一杯の量 だ。こんな状態で廃炉が完了するのは、いったいいつになるのか。まったく先が見えない 状態だ。 さらに言うなら、高レベル放射性廃棄物の廃棄場所の選定も、まったく見通しが立たない。 このまま原発の運転を続ければ、高レベル放射性廃棄物の行き場がなくどんどん溜まるい っぽうだ。将来は高レベル放射性廃棄物に埋もれて暮らさなければならなくなる。 これは子や孫の世代に核のゴミを押しつけるということである。 自分たちの世代さえよければ、次世代の人たちのことなど知っちゃこったないということ だ。そんなことで、ほんとうにいいのだろうか。 過去に読んだ関連する本: ・原発のウソ ・日本はなぜ脱原発できないのか ・原発の深い闇 ・原発の闇を暴く ・原発の底で働いて |
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<メルトダウンを防げなかった本当の理由(福島第一原子力発電事故の核心)> はじめに(何かが見逃されている) ・なぜ、「海水注入」が遅れてしまったのか それをひと言でいえば、「遅れたのではなく、遅らせた」ということだ。 東電が12日「制御可能」な時点での2号機と3号機への「海水注入」を意図的に拒ん だのである。 理由は用意に類推できる。 海水を注入すれば、その原子炉は再び使用できなくなる。つまり、廃炉だ。 そうなれば、東電は膨大な経済的損失を被ることになる。 ・実は、菅直人総理大臣は12日に早期の「海水注入」を求めていた。 しかしその場にいた東電の代業者はそれを拒む。 もちろん、頭から拒絶するほど傲慢ではなかった。 それらしい技術的説明を交え、早期に踏み切る妥当性をやんわりと拒否してみせたので ある。 さらに、同席していた原子力安全・保安院、原子力安全委員会の代表者とも、東電の 「不行使」に同調した。 ・東電は、さまざまな場面で「津波は想定外だった」と繰り返した。 彼らにとっての「想定」とは国が定めた設計指針であろう。 「それを遵守してきたなお防ぎ得ないような事態が発生した」と説明しているわけだ。 もちろん言外に「だから責任はとれない」という主張がある。 ・では、原子炉の設計に携わるエンジニアも、そのような非科学的な判断を共有していた のであろうか。 多くのエンジニアの方々と接してきた経験からいえば、それはどうも違う。 科学を学んだものが「原子炉は全体に安全だから、その安全を疑ってはならない」とい う「お上」の方針を非科学的と感じないわけがない。 設計指針がビジネス上は絶対的なものであったとしても、実効的には鵜呑みにできる種 類のものではないことに気づいていたはずである。 そうであれば、「想定外」を「想定」し、「最後の砦」を準備しておくべきと考えるの がエンジニアの倫理観というものであろう。 ・その想像があたっていたことを知ったのは、3月29日のことだった。 「最後の砦」と呼ぶべき装置が、実はすべての原子炉に設置されていたのである。 その装置は、たとえ全交流電源が喪失したとしても、無電源(または直流電源)で稼働 し続けて炉心を冷やすものであって、1号機に備えられているものを「非常用復水器」 (IC)、2〜3号機に備えられていたものを「隔離時冷却系」(RCIC)と呼ぶ。 非常用復水器は、電源なしで約8時間、炉心を冷やし続けるよう設計されていた。 隔離時冷却系は非常用復水器の進化系で、直流電源で炉心を20時間以上冷やし続ける 設計が施されている。 ・「最後の砦」があれば、地震後にこれらが自動起動したか、運転員が手動で稼働させる のは当然である。 それをしなければ、原子炉が「制御不能」になるのは自明のことだからだ。 そして「最後の砦」が働いて原子炉を「制御可能」に保っている間に、なるべく早く対 策を講じなければならない。 ・ただ、地震で外部からの電源がすべて絶たれた状況では、その復旧が数時間でなされる ということに大きな期待を抱くわけにはいかない。 現実的には、敷地内のタンク内にある淡水をまず使って冷やし、同時に「海水注入」の 準備をし、淡水がなくなる前に海水に切り換えるしかないだろう。 簡単な理屈である。けれども、それは実行されなかった。 ・私は、事故後の公開データを調べ上げ、原子炉の水位と原子炉内の圧力との経時変化を プロットしてみた。 その結果は、1号機の非常用復水器については設計通り8時間の間稼働していたこと、 3号機の隔離時冷却系については20時間以上の間稼働していたこと、さらに2号機の 隔離時冷却系については70時間の間稼働していたことを示唆するものであった。 ・三つの原子炉とも「最後の砦」は動いて原子炉の炉心を冷やし続けた。 ところが、原子炉が「制御可能」であったときに海水注入の意思決定はなされなかった。 よって東電の経営者の「技術経営」に、重大な注意義務違反が認められる。 事故は、どのように起こったか ・地震発生の約40分後の15時27分頃に到来した高さ14メートルの津波のより、 各原子炉建屋やタービン建屋の地階(海抜0メートルから5.8メートル)に設置され ていた非常用電源(ディーゼル発電機)や配電盤が冠水した。 ・ただし6号機のみ、空冷式非常用電源が3台目として1階に設置されており停止を免れ た。 その結果、6号機とそれに隣接する5号機には電源供給できたものの、それ以外のすべ ての原子炉(1〜4号機)は、15時42分までに「全交流電源喪失状態」となって、 「非常用炉心冷却装置」(ECCS)が動かなくなった。 さらに配電盤が、2号機の半分を除いて水没したため、電源車が到着しても電源を復旧 できなかった。 ・津波によって6号機の3台目を除くすべての非常用電源が喪失してしまった原因は二つ ある。 第一に、原発装置の海抜が10メートルであったこと。 第二に、各原子炉に2台ずつあった非常用電源のほとんどが地階に設置されていたこと。 ・「ベント」について不思議なことに気づく。 圧縮空気などをつかってついにベント開放に成功したのは、12日14時30分。 しかし、外部から消防ポンプを使って淡水を注入することができたのは、それより9時 間も早い5時46分。 元来、ベントを開放しない限り圧力容器内の圧力を抜くことはできず、したがって水を 注入することができないはずだ。 ところが、この1号機では、ベントを開放する前に、外部から水を注入できている。 なぜそんなことができたのだろうか。 ・おそらくは、11日21時頃より12日0時頃の間に圧力容器に亀裂のようなものが入 り、圧力容器の水蒸気が格納容器に漏れたのではなかろうか。 そうであれば、圧力容器内の圧力が66気圧から8気圧に下がり、消防ポンプによる淡 水注入が可能になったとしても不思議ではない。 ・2号機と3号機は、1号機とは異なる「最後の砦」が取り付けられていた。 隔離時冷却系と呼ばれる非常用復水器の進化形である。 この隔離時冷却系は、炉心の発熱で発生して蒸気で回る専用タービンを回転させ、その 回転でポンプを駆動するシステムであって、 非常用復水器よりも持続時間が長く設計されている。 ・3号機は、3月11日15時5分から12日11時36分まで、隔離時冷却系によって、 「制御可能」の状態に保たれ、それが止まった後も、ほぼただちに稼働し始めた高圧注 水系によって「制御可能」の次元に保たれ続けた。 とくに12日20時頃から圧力容器内の圧力は8気圧以下になったので、逃がし安全弁 を開くことで、ベント解放することなく消防車による海水注入が可能であった。 しかもその圧力は、現場の運転員がリアルタイムで測定しており、それを現場は知って いた。 ・しかしながら3月12日2時44分、高圧注水系は稼働を停止する。 その結果、約2時間後の5時までに原子炉水位は、なんとマイナス3.5メートルにま で下がり、8気圧程度だった圧力容器内の圧力は70気圧を超えてしまった。 ・13日8時41分、ベント操作作業が開始されるもののなかなか開かない。 ようやく約40分後の9時20分からドライウェル内の圧力が下がり始め、圧力容器へ の注水が可能となる。 こうして13日9時25分、消防ポンプによる原子炉への海水注水が行われた。 ・すなわち3号機は13日2次44分から9時25分までの6時間43分、空焚き、つま り「制御不能」状態に放置されたままであったのである。 12日9時25分から海水注入をしたところで、3号機の暴走をとめるには遅すぎた。 ・しかも、この3号機のベント解放は、福島の人々のみならず東日本の人々を長期的に苦 しめ続けることになった。 3月13日3時頃までであれば、たとえベント解放しても炉心は溶解し始めていないの で、ベント解放で放出されるのは蒸発して生じた水蒸気だけだ。 この水蒸気は、ごく微量の放射性物質を含むのみで、ほとんど被害をもたらすことはな い。 ところが13日8時41分以後のベント開放は、炉心溶融が始まって3時間以上も経っ ているので、燃料被覆体は破れており核反応生成物であるヨウ素やセシウムなどの放射 性同位体がすでに冷却水に漏れ出している ここでベントを開けてしまえば、これらが大気中に放出され、最悪の事態に陥る。 ・結局のところ、この事態は起きた。 福島第一原発を中心とする東日本一帯は、高濃度かつ長期的に放射能汚染されるという 史上最悪の結末を迎えた。 ・もし3月12日のうちに、あるいは遅くとも13日2次44分までに、東電が海水注入 を行なっていれば、この事態は確実に回避できていたはずだ。 ・2号機では、3月11日14時50分に隔離時冷却系が手動で起動されている。 津波到来による15次37分の全交流電源喪失後、3号機と異なり2号機は直流電源も 機能喪失して、高圧注水系も使用できなくなった。 しかしながら、隔離時冷却系は起動されたまま運転が継続した。 そのため、原子炉水位は4メートル弱に保たれ、圧力容器内の圧力は63気圧以下に保 たれたまま2日以上が経過した。 ・3月14日13時22分頃、隔離時冷却系はついにその稼働を停止する。 圧力容器内の圧力は14日12時から14時にかけて、60気圧から74気圧まで急上 昇、結局、18時3分に逃がし安全弁が「開」操作され、圧力容器内の圧力が消防ポン プの加圧力(6〜7気圧)以下にまで下がった。 そこで、19時54分に消防ポンプにより海水注入がなされた。 それは、2号機が14日13時頃に隔離時冷却系が稼働を停止した約7時間後のことで あった。 ・2号機は、3月11日14時50分から14日13時までの約70時間、隔離時冷却系 によって原子炉水位は4メートル弱に保たれ、炉心はずっと「制御可能」の次元にあっ た。 圧力容器内の圧力は63気圧以下に保たれており、かつドライウェル内の圧力は12日 の深夜まで1気圧程度であって、逃がし安全弁を開ければ圧力容器内の圧力を6気圧以 下にすることは容易であった。 その後も、逃がし安全弁をあけて圧力容器内の圧力を6気圧以下にすることができた。 すなわち、14日13時までにおいても、いつでもベント開放することなく消防ポンプ による海水注入が可能であったということだ。 しかも3号機同様、そのことを現場は知っていた。 ・もしも3月14日13時までに、東電が圧力容器の逃がし安全弁を開けて「海水注入」 を行なっていれば、2号機は物理限界を超えて「制御不能」の次元に陥ることはなかっ た。 そして3号機同様、東電の経営者は、「海水注入」の意思決定を確実にできた。 しかし彼らは、ここでもその意思決定を行わなかったのである。 かくて2号機からの放射能汚染が、追い打ちをかけた。 ・ところが、2号機が「制御不能」になった14日の夜、東電の経営者の態度は一変する。 なんと「清水正孝」社長は、海江田万里経済産業大臣に「(制御不能になった原発を放 置して)撤退したい」と要請する電話をかけたのだ。 ・一部の政府関係者および専門家も、撤退やむなしと判断。15日3時に菅直人総理に伝 える。 しかし、菅総理は「いま撤退したら日本がどうなるのかわかっているのか」とどなりつ け、清水を呼びつけたうえで東電の「撤退要請」を却下、即座に東電本社に乗り込んで、 そこに総合対策本部を設置した。 ・この原発事故の本質は、東電の「技術経営」にある。 1号機については、3月11日14時52分に非常用復水器が自動起動したときから、 それが数時間内に止まることは100パーセント予見されていた。 2号機と3号機については、同日14時50分ないし15時5分に隔離時冷却系を手動 起動させたときから、それがやはりいずれ止まってしまうことは100パーセントわか っていた。 いずれも津波の後に原子炉が得た、暴走までの「執行猶予」に他ならなかった。 ・会社の経営者が文字通りの経営者として機能し、この「執行猶予」の期間中に「海水注 入」の意思決定を行ってさえいれば、東日本が被った史上最悪の放射能汚染事故は、 100パーセント避けられた、ということができるだろう。 ・5月15日日曜日、東電は緊急の記者会見を行う。 「1号機は津波到着後比較的早い段階において、燃料ペレットが溶融し、圧力容器底部 に落下したとの結論が得られた」 という発表だ。 ・しかし、そのグラフには小さな文字で「主要な解析上の仮定:15時30分頃の津波到 達以降、非常用復水器系の機能は喪失したものと仮定」と書かれているのだ。 つまり、「解析結果」と書かれたこのグラフは、単に非常用復水器が止まったと仮定し た時のモデル解析(計算機シミュレーション結果にすぎないのである。 はたして非常用復水器が機能したかどうかを論じているわけでもなく、核燃料の溶融が 本当に始まったかどうかを論じているわけでもない。 よって、この記者発表は、事実と認定されていない仮定に基づいて計算された結果とい うことになる。 ・ところが、翌日の5月16日から翌々日の17日にかけて、新聞各社は一斉に「1号機 は3月11日のうちにメルトダウンが始まっていたことを、東電は隠していた」と報じ た。 ・東電による5月15日の記者発表は、すべてのマスメディアにおいて「津波発生5時間 半後には燃料溶融が始まった」と、「事実」に「転換」され、広く流布された。 しかも、官邸まで「津波発生5時間半後の1号機の燃料溶融の始まり」を、「事実」と して信じた。 ・すなわち、「非常用復水器が働かなかったと単に仮定すると、3月11日18時時点で 燃料棒が冷却水から気体(水蒸気)中に露出し始める。よって燃料溶融が始まる」とい う単なる古典的モデル解析が「伝言ゲーム」の結果、「3月11日のうちに炉心の燃料 溶融が始まった。このメルトダウンの事実を、東電は隠していた」という「事実」に 「転換」されてしまったのである。 ・東電は5月14日まで「たとえ3月11日に原発事故が起きたものの、これは『想定外』 の津波によるものであって、原子力発電という技術自体は安全である」と主張し続けて きた。 ところが、5月15日に突然「原子力発電という技術は危ない。全交流電源喪失のとき を想定して備えられた『最後の砦』さえまともに動かなかった」と態度を豹変させた。 ・そうだとすると、その理由はただ一つ。 1号機の非常用復水器が少しでも働いて「執行猶予」が存在してしまった場合には、 回避できた事故の「経営責任」を問われてしまうからである。 ・1号機の海水注入をした3月12日19時4分の時点においては、少なくともそれ以外 の原子炉は3号機も2号機も「制御可能」の次元にあった。 1号機の惨状を見てしまった東電は、同じことが3号機や2号機でも起こることを断固 として阻止すべく12日夜に「海水注入」の意思決定をしてもよかった。 良識ある人間ならば、当然そうする。しかも東電の経営者は、12日夜の「海水注入」 の意思決定を確実にできた。 ・ところが結局のところ、東電の経営者はその時点において、3号機として2号機への 「海水注入」の意思決定をすることはなかった。 なぜか。 それは「海水注入によって原子炉を廃炉にしたくなかった」からではないだろうか。 ・「現象が物理限界を超えたとき、人間はもはやそれを制御できない」という「技術経営」 の根本法則を経営者が知らなかった、ということではないか。 であるならば彼らは、経営の根本能力(コンピタンス)を持っていなかったということ になる。 そんなことが、この成熟した先進国の一流企業の、立派であるべき経営者にあり得るの だろうか。 ・総理大臣が早くやれと主張しているのに、なおやらない。 総理大臣は「ベント開放と海水注入をせよ」と、「措置の具体的中身」まで現場に命令 する直接の権利をもっていないのです。 ですから、総合対策本部を作って東電本社に乗り込んだことに対して、法律違反だと批 判している人がたくさんいます。 その根拠となる法律は何もない。 総理大臣が現場に対して直接持っている命令権は、「避難のための立ち退きまたは屋内 への退避勧告または指示」つまり「避難命令」だけなのです。 12日朝ヘリコプターで現場に飛び、吉田所長に向かって「ベント開放をやってくれ」 と依頼したのは、そういう事情からです。 ・菅総理がヘリコプターで現場の飛んだとき、原子力の最高執行責任者(CTO)である 武藤副社長が現場にいました。 だから武藤さんと吉田さんが総理の対応をしました。 そのときすでに1号機は暴走していましたが、3号機と2号機はまだ「制御可能」の状 態でした。 ・武藤副社長は、取締役で原子力・立地本部長ですから内部統制権は持っています。 よって、武藤さんはベント開放と海水注入を執行する権限を持っていたはずです。 つまり、3号機と2号機の暴走は、彼の不行使によって起きたということは明確になっ たと考えます。 JR福知山線事故との類似性 ・12日21時頃、東電は意図をもって海水注入の不行使を意思決定していた。 菅総理が、それ以前から終始強く「海水注入」を主張し続けても、東電は言を左右にし て、いうことを聞かなかった。 なぜか。「廃炉にすることが嫌だったから」だ。 つまり東電の経営者は、技術が「制御不能」になるとはどういうことなのかを学習する 根本的能力(コンピタンス)を持てなかったということなのである。 ・もう一つの理由が存在する。 それは、電力会社の安全対策マニュアル自体が「隔離時冷却系が止まってからベント開 放をし、海水注入をする」と書かれているという事実である。 マニュアル自体が、廃炉ぎりぎりまで避けることを最優先にしていて、結果的に技術経 営の根本能力(コンピタンス)をまったくもって疑わしめる内容となっているのである。 ・東電が起こしたこの原発事故の本質は、実は2005年4月にJR西日本が起こし、 107人が死亡した福知山線転覆事故の本質と酷似したものであることがわかってきた。 JR福知山線事故は、「1996年12月に線路曲線を半径600メートルから304 メートルに変更した際、転覆限界速度が直前の制限速度よりも小さくなってしまう」と いう科学的真理を経営者が看過してしまったことによる。 ・当時、北方の伊丹駅から事故現場まで6・6キロメートル続く直線部の制限速度は、時 速120キロメートル。 事故現場の曲線の直前で制限速度は時速70キロメートルに転ずる制度設計になってい た。 直線部を通過するのに約3分かかる。 したがって半径304メートルの場合、この約3分間に運転士が人事不省に陥りそのま まこの曲線に侵入すれば、100パーセントの確率で転覆することが予見可能だった。 そして「3分間」とは、人間が肉体的・精神的に人事不省に陥ってしまうに十分な時間 間隔である。 ・すなわち、この線路設計変更によって、将来必ず転覆事故が起きることが「予約」され てしまったということだ。 良識ある技術倫理をもつ線路設計エンジニアならば、そのことを容易に想像するし、 それができる。 だから半径600メートルを半径304メートルに設計変更などしないし、さまざまな 制約でそれをせざるを得ないときは、ATS−Pと呼ばれる自動列車停止装置を必ず設 置する。 ところが経営者はその物理学と技術倫理とを無視して、線路曲線の変更を「意思決定」 した。 「技術には常に『物理限界』が存在する」という科学的真理を理解し得なかったからで ある。 ・この破滅的な原発事故においても同じことが起きた。 東電自体は、「全電源喪失は起きない」という「自信に基づいて、さまざまな安全マニ ュアルをつくり安全対策をしていたのかもしれない。 しかし、原子炉の設計エンジニアはそこまで非科学的ではなかった。 彼らは、全電源喪失が起きても動く「最後の砦」として非常用復水器あるいは原子炉隔 離時冷却系と原子炉に付けていたのである。 そして現場のエンジニアは、その全員が「この『最後の砦』は数時間ないし数十時間し か作動しない。作動したら、事態は『制御不能』の次元に陥ってしまう」ということを 十分に理解していた。 だから現場の長は、「最後の砦が動いている間に可及的速やかに海水注入をせよ」と本 社に進言した。 ・しかし経営者は、この現場の意見を無視し続けた。 1号機がついに暴走し、彼らは「技術が制御不能になるとはどういうことなのか」とい う物理的真理を理解しようとしなかった。 ・技術に立脚する企業は、その境界の位置と特徴と構造を根本から知悉しておかねばなら ず、しかもその境界を超えるような「本当に想定外」の事故が起きたら、経済を超えて リスクをいかに最小限に抑えるかに専念しなければならない。 私たちはそれを「技術経営」と呼ぶ。 JR福知山線事故の本質も、この原発事故の本質も、根本は同じ「技術経営の決定的な 何が明らかになり、何をあきらかにすべきか ・いま、私たちがただちにやるべきこと。 それは、現場での作業員の被ばくや放射能汚染に基づく精神的苦痛について、犯罪被害 者をはじめとする市民が、東電の経営者の「過失」犯罪を刑事告発するとともに、被害 者の被った損害を賠償させるべく民事告訴することである。 第一の被害者は、自らに故郷を追われ、多大な精神的・財産的利益を被った10万人以 上の福島の方々である。 そもそも東電から送られてきた「補償金請求書」に書き込む必要はない。 なぜなら、東電が被害者に支払うべき対価は「賠償金」すなわち「違法な行為による損 害に対する支払い」であって、「補償金」すなわち「適切な行為による損害への支払い」 ではないからである。 第二の被害者は、東電の従業員に他ならない。 彼らは、何の罪がないにもかかわらず、社会的に迫害を受け、毎日、わが身にせまる危 険に怯えながら隠れるように暮らしている。 そして第三の被害者は、日本で働く一人一人だ。 この事故によって日本は「日本」というブランドをひどく損なった。 もしこの事故の本質的原因をきちんと解き明かすことをしなければ、日本は立ち直れな いとさえ思う。 ・日本にあっては、会社の経営者とは社員(従業員)が昇進したあげく最後になる職位。 日本はボトムアップ型社会なのだから、会社の運営はみんなで、全体でやっていく。 だから経営者の役割は全体を調整すること。リーダーシップをとる必要はない。 そのような空気が、会社経営において支配的なのだろう。 そのため、経営者の下した意思決定(ないし意思不決定)の責任を社会が問う、という コーポレートガ・バナンスに意識が欠落しているのではないだろうか。 ・しかし会社経営とは、漆黒の闇夜を手探りで飛行する行為にほかならぬ。 突如立ち現れたリスクには、すみやかに意思決定し、ダメージを最小限に食い止める。 その意思決定が誤っていた時には、潔く責任を取る。 未来は全く見えないけれど、それでも会社の浮沈を定めるような意思決定を下すパイロ ットたちを、私たちは「経営者」と呼ぶ。 経営者には、それをすることのできる胆力が必要なのである。 ・だから、JR福知山線事故で「経営者は、科学的考察なしに線路の曲率半径を半分にす ることを決定し、転覆の発生を『予約』してしまったということも、福島原発事故で 「経営者は『海水注入』の意思決定をしなかったために、原子炉の暴走を『予約』して しまった」ということも、「物理限界を知らなかった」では済まされない。 そもそも、自社の技術の物理限界を知らない人間を経営者にすることなど、あってはな らないのだ。 だから、東電の経営者の不行使に対して過失の刑事罰を問うことは、日本社会を「責任 の取れる社会」に変えていくうえで重要な契機となる。 ・なぜ同じ「技術経営の誤謬」が繰り返されたのか。 それは根源をたどると、JR西日本も東電もイノベーションの要らない会社だからでは ないか。 熾烈な世界競争の中にあるハイテク企業の場合は、ブレークスルーを成し遂げないか ぎり生き抜いていけない。 一方、JR西日本や東電は、事実上の寡占ないし独占企業であって、イノベーションの 必要性はほとんどない。 ・こうした状況下で人の評価がされるとすれば、その手法は「減点法」にならざるを得な いだろう。 「減点法」の世界では、リスク・マネジメントは「想定外のことが起きたときにいかに 被害を最小限にとどめるか」という構想力ではなく「リス」に近寄らない能力」という ことになってしいがちだ。 その雰囲気が、人から創造力や想像力を奪う。 ・人が創造力や想像力を存分に発揮できる組織にするためには、事実上の独占環境をなく して競争環境を導入し、人々が切磋琢磨できるようにすることだ。 東電の場合、発電会社、送電会社、配電会社、そして損害賠償会社に4分割する。 そして損害賠償会社は、この原発事故の原因が「技術経営の誤謬」にあったのだという ことを深く自覚し、自らの「技術経営」の失敗を国民につけ回すことなく最後まで、 自分で自分の尻を拭く覚悟を持つ。 ・その上で、「制御可能」と「制御不能」の境界を経営する最高責任者としてのCSOを 新設する。 CSOは、通常存在しているCTOのように日々の技術とその改善に責任を負うのでは なく、「知」全体の「グランド・デザイン」とそのイノベーションに責任を持つ。 それが達成されるまで、独占企業に原発の経営は無理だ。 ・実際、東電の経営者は「海水注入」を拒んだあげく、少なくとも二つの原子炉を「制御 不能」に持ち込んでしまい、ようやく自分たちが「物理限界」の外にいることを悟って、 原発を放置したうえ撤退することを要請した。 自らが当事者ではないという意識で経営していたからだろう。 ・さらには、現状の原子力経営システムをそのままにしておくことは罪が深い。 そもそも事故後に保安院が東電などにつくらせた安全対策マニュアルによれば、今でも 「隔離時冷却系が止まってからベント開放をし、排水注入する」というシナリオになっ ている。 ・何のことはない。事故に帰結した福島第一原発の措置と、全く同じだ。 この期に及んでも廃炉回避を優先しているのである。 これでは、ふたたびまったく同じ暴走事故がどこかの原発で起きる。 この国の原子力経営システムの闇は深い。 ・この原発事故が日本の喉元に突きつけたもの。 それは、「ブレークスルーしないかぎり、もはや日本の産業システムは世界に通用しな い」という警告ではなかっただろうか。 ・電力産業に限ったことではない、農業にしてもバイオ産業にしても、分野ごとに閉鎖的 な村をつくって情報を統制し、規制を固定化して上下関係のネットワークを築きあげる。 その上下関係のネットワークが人々を窒息させる。 イノベーションを求め、村を越境して分野を越えた水兵関係のネットワークをつくろう とする者は、もう村に戻れない。それが日本の病だ。 ・だから、私たちが今なさねばならないことは、村を超えた「回遊」を人々に促すことで ある。 そして分野横断的な課題が立ち現れたときに、その課題の本質を根源から理解し、その 課題を解決する「グランド・デザイン構想力」を鍛錬する。 そのためには、科学・技術と社会とを共鳴させ、「知の越境」を縦横無尽にしながら課 題を解決する新しい学問の構築が必要となる。 日本は、この事故をきっかけにして図らずもブレークスルーの機会を与えられた。 <3.11に至るまでの日本の原子力安全規制> (国はなぜ「全交流電源喪失を考慮する必要はない」としたのか) 事故を防げなかった国の安全規制 ・福島第一原発には、合計13台のディーゼル発電機があった。 内訳は、1〜5号機に2台ずつ、6号機には1台追加した3台である。 ・3月11日の地震直後には、それらの非常用ディーゼル発電機が自動的に動作を開始し、 発電所に給電した。 しかし、まもなく、そのうちの12台が機能を失ってしまう。津波のためである。 非常用ディーゼル発電機は、ほとんどが地下に置かれていた。 地下に置いたのは、米ゼネラル・エレクトリック(GE)社の設計に従ったからだとい う。 ・東京電力福島第一原発は、GE社の設計に基づいて建設された。 当時、GE社の技術に寄せる東京電力の信頼は信仰にも近かった。 なるべくGE社の設計通りに建設しようとしたと考えられる。 その結果の一つが、非常用ディーゼル発電機を地下に置いたことである。 ・それ以前にもうひとつ、発電所敷地を海抜10メートルにまで下げていたことがある。 これもGE社設計の原発をそのまま設置するのに都合がよかったからだという。 そこへ14メートルもの津波が来る。 GE社の設計はおそらく、地震も津波もほとんど意識していなかったろう。 ・13台の非常用ディーゼル発電機のうち、6号機に追加された1台だけは1階に置かれ ており、この1台は故障を免れる。 結果的に、6号機と、電源がつながっていた5号機には電気を供給できたため、5号機 と6号機は大事に至らずに済む。 ・電源復旧作業は難航した。 しかし、東京電力には、長期間にわたる全交流電源喪失を考慮する義務はなかった。 原子炉に関する安全設計審査指針は、それを要求していない。 その指針「電源喪失に対する設計上の考慮」についての「解説」には、こう記されてい る。 「長期間ヒわたる全交流動力電源喪失は、送電線の復旧または非常用交流電源設備の修 復が期待できるので考慮する必要はない」 ・今回の福島第一原発の場合、電源の復旧・修復には長期間を要した。 しかし、東京電力の設計には国の指針に違反していなかったのである。 ・6号機の非常用ディーゼル発電機の1台だけが故障しなかった。 13台あった非常用ディーゼル発電機のうち、この1台だけが比較的高いところ(1階) に設置されていたからである。 しかも、この1位台は空冷だった。水冷だったら、冠水を免れても機能しなかったろう。 海水をくみ上げる冷却用ポンプが津波で流されていたからである。 空冷式が存在したのは偶然ではない。 冷却機能がいっぺんに失われる事態を考え、設備を改造した結果だ。 そのおかげで6号機には非常用電源供給が可能になる。この電源は隣の5号機にも融通 される。この結果、5、6号機とも深刻な事態にならずに済んだ。 ・5号機と6号機は定期点検中で、原子炉は停止していた。 ただし、核燃料は炉内に入っている。 冷却を続けなければならない。 両号機とも、海水ポンプは津波で機能を失っている。 電源確保だけでは冷却を継続できない。 当初は復水移送ポンプを使用して炉内への注水を行なう。 その後、仮設の海水ポンプを設置して起動し、冷却機能を回復させる。 ・1台だけ高い所にあり、かつ、その1台が空冷だった。 これだけのことで、大きな効果があった。 他の号機にも、この程度の配慮ができなかったか。大して費用もかからなかったろうに と、つい、思ってしまう。もちろん結果論である。 ・2010年6月、同じ福島第一原発の2号機で、発電機に異常が発生した。 対応して原子炉が自動停止し、原子炉に給水するポンプも止まる。 そこで、代替ポンプ(原子炉隔離時冷却系)を主導で起動して注水し、水位を回復させ た。 このときは非常用ディーゼル発電機が起動し、事なきを得ている。 ・状況は3.11事故に似る。 外部電源喪失の恐ろしさや、非常用ディーゼル発電機の重要性などが、十分に学べる機 会だったはずだ。 ・原子力施設の停電は、その他にも起こっている。 1991年2月に、日本原子力研究所(原研)の東海研究所で1時間50分、動力炉・ 核燃料開発事業団の東海営業所で1時間35分の停電が起きている。 いずれも非常用発電機は機能しなかった。 重大事故にならなかったのは、停電時間が短かったためだ。 ・実は、1993年に原子力安全委員会の作業部会は、全電源喪失事象を検討の対象にし ていた。 この際、内外の状況や事例などを調査し、分析している。 「日本では重大な事態に至る可能性は低い」 これが検討結果だった。 ・米国とフランスも、全電源喪失に近い事態を何回か経験している。 それらの経験を踏まえて、両国では全電源喪失への備えが強化されたという。 日本では、過去の類似の事故からの教訓、内外事例の調査・検討といったものが、安全 基準に反映されることはなかった。 ・安全設計審査指針は、なぜ単一故障を仮定しているのか。 「班目春樹」の証言がわかりやすい。 これは、2007年2月に開かれた浜岡原発差し止め訴訟第8回証人尋問における証言 である。 班目は現在、原子力安全委員会の委員長で、当時は東京大学教授として証言している。 「非常用ディーゼル2個の破断も考えましょう、こう考えましょうと言っていると、 設計ができなくなっちゃうんですよ。つまり何でもかんでもこれも可能性ちょっとある。 そういうものを全部組み合わせていったら、ものなんか絶対造れません。だからどっか では割り切るんです」 ・複数危機の同時故障を考慮すると、なぜものが造れなくなるのか。 それは、コストが高くなるからだろう。 「絶対に安全」は存在しない。 安さを求めれば安全性は低下する 安全性を高めればコストは上げる。 安さと安全はトレードオフ(二律背反)の関係にある。 工学では常識だ。班目の証言は、その意味では常識を述べているにすぎない。 ・トレードオフ関係にある安さと安全。両者をどこで妥協させるか。 例えば情報津新記紀などの場合には、5年以上も故障しないような製品は過剰品質だと いう考えがある。 情報通信分野はハードウェアの進歩が速い。 3〜4年もたてばコスト・パフォーマンスは4倍になる。 ハードウェアは4〜5年で取り換えた方がいい。 5年以上も故障しないようにする設計は「遅れた技術思想である。『安全安心』をキー プしつつ、部分的には壊れながら5年間だけは動く部品と5年間だけは完璧に運用でき るシステムこそが、最先端である」という世界がある。要は、優先順位の問題である。 ・原子炉が事故を起こさないように設計する。これは、誰が責任を持つべき仕事か。 常識的には電力会社である。だから、事故を起こしたら、まず電力会社が責任を問われ る。 ・一方、国が決めた安全基準を電力会社が守らなければならない。 では、安全基準を守るとコストが高くなって利益が出ないという試算になったらどうす るか。 民間企業の営利事業なら、その段階で転宅も選択肢に入る。 しかし、原発事業では、電力会社に撤退の自由はない。なぜか。 「国策民営」という推進体制のせいである。 ・「国の安全規制が厳しすぎる」。 電力会社がこう考えたとしよう。 何しろ、天体の自由がないのだから、利益が出るように国に配慮してもらわなければ困 る。 ・このようにして、電力会社は国の設計基準を守れるようになった。 すると 「守っている以上は安全だ」 「くにの基準以上の安全対策なんて要らない」 といった思いが、電力会社に芽生える。 ・規制が厳しすぎると訴えた会社が悪いのか、会社に配慮して規制を緩めた国が悪いのか。 利益が出ないと困る会社と、会社に撤退されては困る国。 ここで、責任の所在がわからなくなる。 ・とにかく現実に、国の安全設計指針は安さを優先し、少なくとも結果的には安全性を犠 牲にした。だから、3.11事故は苛酷になった。 すべては想定されていた ・1997年、神戸大学の教授だった「石橋克彦」は、原発にとっての大地震の怖ろしさ として次のように警告していた。 「平常時の事故と違って、無数の故障の可能性のいくつもが同時多発することだろう。 たとえば外部電源が止まり、ディーゼル発電機が動かず、バッテリーも機能しないとい うような事態が起こりかねない」 「冷却水が失われる多くの可能性があり、(自己の実績は多い)、炉心溶融が生ずる恐 れは強い。そうなると、さらに水蒸気爆発や水素爆発がおこって格納容器や原子炉建屋 が破壊される」 ・石橋は2005年の衆議院公聴会でも、同様に警告している。 ・同じ2005年に、早川篤雄は福島原発の地元を代表して、東京電力の「勝俣恒久」社 長に次のように申し入れた。 「現状のままではチリ津波急によって発生が想定される引き潮、高潮に福島原発は対応 できない。抜本的な対策を求める」 ・東京電力自身も、10メートルを超える津波の可能性を試算し、2007年7月の国際 会議でそれを発表していた。 この試算結果は、2008年に、当時の東京電力原子力立地本部副本部長や原発担当副 社長に報告されている。 さらに東京電力は、震災直前の2011年3月7日には経済産業省原子力安全・保安院 に説明していた。 ・これだけの警告、要請、試算がありながら、なお「想定を超えた」と言えるのだろうか。 結果として、石橋の警告も地元からの要請も、東京電力自身による試算結果さえも、 安全対策には生かされなかった。 ・「女川原発」の建設に際しては、「貞観津波」についての文献調査や、地質学的な調査 を行った。 その結果、「想定」される津波の高さは9.1メートルとなった。 これに「総合的判断」を加え、敷地を14.8メートルの高さに造る。 高い所に置かないといけないと言い張った伝説の技術者がいたと読売新聞は紹介してい る。これが結果的に、効果を発揮した。 ・東日本大震災によって女川原発の地盤は1メートル沈下する。 そこへ13メートルの津波が来た。 わずか80センチメートル。 この差が女川を救う。 女川原発でも地震の被害はあった。 それでもともかく、福島原発のような大事故には至らなかった。 国策民営体制(責任の所在が不明確) ・東京電力は国の安全基準を順守していた。 それでも過酷な事故が起こった。 安全基準を作ったのは誰か。 ・日本の原子力事業を推進してきたのは「国策民営」と呼ばれる体制である。 この体制では、国家計画と民間事業の間に一線を引くことが難しい。 どこまでが国の責任でどこからが民間企業の経営責任なのか、区別がはっきりしない。 責任の所在が不明確なこの体制の下で安全基準がつくられてきた。 ・もうひとつ、日本の原子力行政は二元体制である。 通商産業省(現・経済産業省)と科学技術庁(現・文部科学省)、この二つの省庁が 原子力を所管してきた。 どちらが責任を持つべき事項か、そこに曖昧さや責任の押し付け合いがあった。 ・二元体制の下で国策がつくられ、そこに電力会社や関連メーカーなどの企業が参入し、 研究者・大学人が加わり、さらにマスメディア・言論界が巻き込まれる。 いわゆる「原子力村」は、こうして形成された。 そこでは、誰が推進し誰が規制しているのか、あるいは誰が主体で誰が客体かといった ことが不分明である。 個々の政策について、原子力村に、いつの間にか「空気」が形成され、その「空気」が、 事を運んでいく。 ・ただし、「空気」のせいにして、個々の経営者や担当政府高官が責任を取らない事態を 許すべきではない。 経営者に就任すること、高官の職に就くことは、自動的に結果責任を負うことを意味す る。 それは、個々の経営者・高官の専門知識の範囲と無関係である。 この意味での結果責任は、固有名詞を伴ってきちんと言及されなければならない。 ・3.11事故の場合、自己の責任を負うべきは、第一には、もちろん東京電力だ。 福島第一原発を所有し、そこで発電事業を経営してきたのは東京電力だからである。 特に地震発生以後、現場がどのように対処して経営陣がどう指揮したか、その結果どう なったか、これらの責任は東京電力に帰する。 ・しかし、全電源喪失と複数機器同時故障が今回の事故を重大にしたのは確実である。 この二つは、国の安全設計審査指針が「考慮しなくていい」としていたものであり、 東京電力はその指針に従っただけだ。 個の安全設計指針を策定したのは原子力安全委員会である。 それなら原子力安全委員会にも責任がある。 こういう主張が当然、出てくる。 ・原子力安全員会委員長は「責任」を国会で追及されているが、委員長の班目は「責任と いう意味がよくわからない」と答えている。 確かに、電力会社の事業について、原子力安全委員会には安全規制の実務は担わない。 原子力安全委員会(内閣府所管)の実態は実験の伴わない諮問機関で、安全審査の実務 を担当するのは原子力安全・保安院(経済産業省所管)である。 保安院が審査するのは、東京電力の施設が安全設計審査指針に適合しているかどうかで あり、実際、適合していた。 ところが、適合していたのに事故を防げなかった。 そして、そんな指針を作ったのは、原子力安全委員会だ。 こうして責任はたらい回しにされる。 ・指針の書き換えが先か、発電所への対策が先か。 どちらも実行されないうちに事故が起こってしまった。 警告に耳をかさなかった責任は誰が取るのか。 ・安全設計審査指針を策定したのは、原子力安全委員会である。 同委員会は、日本における原子力安全規制の最高機関と位置づけられており、現在は内 閣府に属する。しかし、実権はないという。 ・電力会社の原発事業に関して、安全規制の実権を掌握しているのは原子力安全・保安院 である。 しかし、その保安院も安全基準を自ら作るわけではなく、実際に柵瀬ウするのは原子力 関連企業だという。 それも、電力会社ではなく、請け負っているメーカーである。 ・安全審査は専門家から成る安全審査会が行う。これはセレモニーだ。 事前に詳細なレビューを行っているのは原子力安全・保安院の担当官である。 ただし、実態は文章のチェックだという。 そこには、外部電源が失われたらどうなるか、津波の高さは大丈夫なのかといった本質 的な諮問を真剣に考える姿勢はなかったという。 ・国策民営体制においては、国家政策と矛盾しない範囲内でだけ、民間企業の自由裁量が 認められる。 そのため、民間事業であってもすべての経営責任を民間が負う必要はなく、損害やリス クは政府が肩代わりすべきだという考えが出てくる。 一種の無責任体質が生じることとなる。 ・2002年8月、東京電力による自主点検記録の不正問題を、原子力安全・保安院が公 表した。 その責任を取り、東京電力では当時の社長、会長、副社長に加え二人の相談役(いずれ も社長経験者)が辞任する。 ・発端は、協力会社社員による内部告発である。 まず、2000年7月に統治の通商産業省資源エネルギー庁に告発文書が届く(この時 点では原子力安全・保安院は設立されていない)。 点検に協力していたゼネラル・エレクトリック社の米国人技術者が告発したもので、 福島第一・第二原発の自主点検記録に改ざんがあると指摘した。 ・2001年1月からは、新設の原子力安全・保安院が事実関係を調査する。 内部(協力会社などを含む)からの情報提供は、その後も続く。 ゼネラル・エレクトリック社も調査に協力し、不正の可能性がある事案についての情報 を寄せた。 そして2002年8月、東京電力も不正を認める。 ・調査の過程で、原子力安全・保安院は内部告発者を東京電力に知らせていたとの指摘が ある。 内部告発者は、東京電力の協力会社を辞任せざるを得なくなる。 ・内部告発はその後、保安院ではなく福島県に寄せられるようになったという。 事態が福島県に届いて表沙汰になると原子力安全・保安院は態度を変え、「正義の味方」 として振る舞うようになる。 保安院は、1980年代後半から1990年代に実施さえた自主点検作業時の記録に不正 記載の疑いが29件あるとして、2002年8月に公表する。 その後の調査結果のよって、2003年4月には東京電力の持つすべての原子炉が停止す るに至る。 ・原子力発電所の事故は過去に少なくない。 中でも苛酷な事故として、次の三つが挙げられる。 @米国のスリーマイル島原発事故(1979年) :レベル5 2次系冷却系給水ポンプの停止(復水器のトラブル) メルトダウンに至り、放射性物質の放出 周辺住民の避難も実施 A旧ソ連のチェルノブイリ原発事故(1986年) :レベル7 実験がきっかけ 外部交流電源喪失を想定し、非常用ディーゼル発電機が立ち上がるまでの約40秒の 間、タービン慣性運転を利用した発電によってシステムの安全性を維持できるという ことを実験で確かめようとしたが失敗 炉心はメルトダウンし、放射性物質が漏洩 死者と被ばく者と避難民を生み出した B日本の東京電力富木島第一原発事故(2011年):レベル7 地震と津波により全交流電源を喪失し、原子炉の冷却ができなくなる。 やがて炉心はメルトダウンし、水素爆発が相次ぎ、放射性物質が放散 何人かの負傷者と大量の避難民が発生 ・三つの苛酷事故の結果は共通している いずれも、メルトダウンと放射性物質放出を起こしたことだ。 もうひとつ、共通点がある。 当該企業と政府当局が重要情報を隠蔽しようとしたことである。 ・3国に共通するのは、苛酷な原発事故をおこしたという事実である。 この事実を重く見れば、福島第一原発事故の原因を「日本」に求めるのは見当違いだろ う。 国策民営でなくても、事故は起こった。 地震がなくても津波が来なくても、原発事故は起こる。 ・なぜ原子力にだけ「原子力損害の賠償に関する法律」という特別な法律があるのか。 それは、原子力が特別危ないものだからだろう。 この法律の第三条に「無過失責任」という言葉がある。 その意味を「加藤一郎」が、こう説明しているという。 「原子力災害についての無過失責任というのはどこの国でもきめていることです。 その根拠としては、一緒の危険責任たといえる。 こういう危険な事業を、危険があると知りながら施設を作ってやる以上は、当然そこか ら生じた損害を賠償すべきだということが基本だと思います。 また過失責任を認めないと、原子炉を作ろうと思ってもおそらく住民の反対が強くて作 れないという問題も起こるでしょう」 <日本の原子力政策(核兵器製造力とエネルギー自給を高速増殖炉に託す)> ・日本の原子力政策が目ざしてきたものは何か。 本当の目的は、 「核兵器製造力の保持」 「実質的エネルギー自給の実現」 この二つである。 ・いずれも安全保障を強く意識している。 そのせいもあって、二つとも経済合理性に欠ける。 安いエネルギー源の実現という経済政策を隠れみのに、経済合理性に欠ける政策を推し 進めてきた。これがにほんの原子力政策の実態である。 ・2003年9月に「原子力未来研究会」は、1967年の「長期計画」を国策と位置付 ける。 その中身はつまるところ、高速増殖炉を国家プロジェクトとして強力に推進することと、 わが国に適した核燃料サイクルの確立(使用済み核燃料の再処理とプルトニウム利用な どを国内で行うこと)である。 ・この二つの国策は先に挙げた二つの目的、「核兵器製造力の保持」と「実質的エネルギ ー自給の実現」に共通して欠かせない。 なお、原子力未来研究会は、1967年以来不変の国策を、2003年9月時点で時代 遅れとし、この国策の下では原子力に未来はないと断じている。 核兵器製造のポテンシャルを保持する ・1974年のインドの核実験は国際核不拡散体制にとって衝撃的だった。 カナダから輸入した研究用原子炉を陰田は用いた。 使用済み核燃料の再処理によってプルトニウムを取り出す。 そのプルトニウムで原子爆弾を造り、核実験に成功する。 全くの研究用施設を用いて核兵器を造れることが明らかになってしまった。 ・原発はプルトニウム製造工場でもある。 というより、原子炉はもともと、プルトニウム抽出のために開発されたとも言える。 原子爆弾の材料を作り出すためである。 もったいないから原子炉を発電にも併用しよう。歴史的には、この順番で原発が実現し た。 ・3.11以降、日本、ドイツ、イタリアは、脱原発へと動き出している。 この3国が第二次世界大戦期のいわゆる枢軸国であり敗戦国であることは、おそらく偶 然ではない。 東西冷戦がとっくに終結しているのに、ここへきて第二次世界大戦構図が見え隠れする。 ・原発が普及するのは、これからは主に新興諸国だろう。 急速な経済発展とともに新興国はエネルギーを欲する。 原発だって何だってほしい。 一方、自国原発市場が飽和した先進国は、原発輸出の魅力に抗し難い。 ・原発普及は止められない。しかし、核拡散は止めたい。原発テロも止めたい。 これらの難問が、国際核不拡散体制にとって、今後の中心課題だ。 その観点から見ると、非核保有国であるが核兵器製造技術を保有している日本、プルト ニウムを造り続ける日本は、核不拡散体制の問題児である。 プルトニウムは日本国内に存在しているだけではなく、英国とフランスに預けている分 もある。 再処理を英国とフランスに委託し、抽出されたプルトニウムを預かってもらっているの である。 合計すれば原子爆弾数千発分のプルトニウムを、既に日本は持っていることになる。 ・3.11の処理を通じて、危機対処能力の弱さを日本は世界に示した。 周辺国に迷惑もかけている。 放射性物質からの住民保護の不手際、テロ対策の不備、これらも世界の知るところとな った。 その日本に、プルトニウムは有り余るほど存在している。 「早急に原子力の世界からは、日本はお引き取り願いたい」。 これが、米国をはじめとする国際世論のホンネではないか。 高速増殖炉によるエネルギー自給に固執 ・日本の原子力政策の目的は、核兵器を製造する力を持ち続ける。これに加えて、原子力 でエネルギーの実質的自給を可能にすることである。この二つの目的を達成するため国 産高速増殖炉を実用化する。 以上が日本の原子力政策の根幹である この政策体系は半世紀以上にわたって不変だ。 しかし事実上、既に破綻している。 高速増殖炉に実現の可能性が、ほとんどなくなってしまったからである。 ・増殖炉の国産化、これを初めての「原子力の研究、開発及び利用に関する長期計画」 では目標に据えた。1956年のことである。 このとき、日本に動いている原子炉は1台もない。 その早い時点で既に、目標は増殖炉だった。 ・次の「長期計画」(1961年策定)では、より具体的に、目標は「高速増殖炉」とな り、その商用運転の開始を1970年代後半とする。 2011年現在、日本で実用化されている普通の原子炉数十台、これらはすべて、増殖 炉実現までの「つなぎ」という位置づけである。 ・日本の原子力政策は、なぜ高速増殖炉を目標に据えてきたのか。 その理由は、核兵器製造力の保持(兵器路線)とエネルギー自給(自給路線)、この二 つを実現するためである。 ・高速増殖炉は夢の原子炉と呼ばれる。 1950〜1960年代には、多くの国が増殖炉計画を立てた。 計画が実現していれば、21世紀の今ごろは世界中で多数の高速増殖炉が実用に供され ていたはずである。 しかし、2011年現在、商用稼働している高速増殖炉は一つもない。 実験段階の炉はたくさん造られた。そのほとんどが、いまは運転をやめている。 日本の原型炉「もんじゅ」も事故で停止中だ。 ・米国、英国、ドイツは、増殖炉計画を放棄した。 増殖炉に最も熱心だったフランスも、実証炉のフェニックスを停止した。 商用規模となるはずだったスーパーフェニックスは計画が放棄された。 後継の計画はない。 ただし、ロシア、中国、インドなどには計画が残る。 2010年に韓国がナトリウム冷却の実験施設の建設を始めたという報道もある。 ほとんどの国は夢から覚めた。あまりに金がかかる。あまりに難しい。 ・ウランは思っていたよりも安く入手できる。これも、増殖炉の必要性を遠のけた。 供給面では、ウランは当初の予測よりも豊富にあることがわかった。 需要面では、原発が予測ほどには伸びなかった。 21世紀初頭における世界の原子力発電容量は、1970年代初頭の予測の10分の1 ほどでしかない。 従って、プルトニウム増殖の緊急性はない。 ・高速増殖炉には普通の原子炉とは別の危険性がある。 冷却材に溶融ナトリウムを使うからである。 普通の原子炉なら冷却材は水だ。 ナトリウムは空気に触れると、水分と反応して燃える。 高速増殖炉でナトリウムが漏れると火災を起こす。 実際、ほとんどの増殖炉が火災を経験している。 もんじゅも1995年に火災を起こした。原因はナトリウム漏れである。 ・もんじゅは、日本の高速増殖炉計画における「原型炉」と位置付けられている。 新型の原子炉は、実験炉、原型炉、実証炉、商用炉と段階を踏んで実用化される。 その2段目の原型炉がもんじゅだ。 1968年に予備設計を開始し、1985年に着工した。 動力炉・核燃料開発事業団(動燃)の所管だったが、動燃解散後、現在は日本原子力研 究開発機構(JAEA)が管理している。 着工から約10年後の1994年4月に初臨界に達して、運転を始める。 ・しかし、1995年12月、ナトリウム漏れによる事故を起こす。 漏れ出したナトリウムは空気中の水分や酸素と反応して燃焼し、空気ダクトや足場を溶 かした。 ・事故現場を撮影したビデをからナトリウム漏洩状況が写っているシーンをカットするな ど、動燃は事故情報を隠蔽・捏造しようとした。 隠蔽・捏造工作の露見後、動燃はもんじゅ建設所所長以下4人を更迭した。 さらに1996年1月には当時の科学技術庁が動燃理事長を更迭する。 その翌日、陰蔽・捏造事件の社内調査担当者だった動燃の総務部次長が、ホテルの敷地 内で亡くなっているのが発見される。警察は死因を自殺と発表した。 ・2010年5月、約14年半ぶりに運転を再開する。 ところが 8月に再びトラブルが発生し、運転を停止する。 燃料交換に使う「炉内中継装置」を原子炉容器内に落下させたのである。 ・復旧作業は難航する。 そして、この復旧作業に従事していた日本原子力研究開発機構の燃料環境課長が自殺す る。 遺体は2011年2月、福井県敦賀市内の山中で発見された。 同課長は、落下した装置を引き上げて改修する作業を任されていたという。 ・2011年6月、ようやく引き上げに成功する。 ・夢の原子炉は、やはり夢だったようだ。 しかし日本は、まだ夢を見ている。 これまでの原子力計画を進めていくためには、覚めるわけにはいかない夢になっている。 実現時期は先へ先へと送られる。現在は、2050年に商用運転を開始すると計画され ている。 ・高速増殖炉計画を放棄すると、使用済み核燃料の再処理も不要になる。 プルトニウムを使う必要がなくなるからである。 しかし、高速増殖炉と再処理の路線(核燃料サイクル)の放棄は、日本の原子力政策の 破綻を意味する。 ・しかし、夢は、いつかは覚める。覚めるのは早いほうがいい。 覚めるのが遅くなるほど、後始末にかかる時間も費用も大きくなる。 核燃料サイクルと再処理 ・「再処理」という用語は、原子力業界では、各原子炉から出てくる「使用済み核燃料」 からプルトニウムを抽出する工程を指す。 抽出したプルトニウムは、核兵器の材料として用いるか(兵器路線)、高速増殖炉の燃 料とする(自給路線)。 ・原子爆弾を造らないのなら、プルトニウムの第1の用途はなくなる。 高速増殖炉を諦めると、プルトニウムの第2の用途もなくなる。 つまり、プルトニウムは要らなくなる。 ただし、プルトニウムを普通の原子炉(軽水炉)の燃料としても用いる方式もある。 これがプルサーマルである。 ・プルトニウムが不要なら、それを抽出する必要もなくなる。 従って、「再処理」は不要だ。 各原子炉から出てくる「使用済み核燃料」は、そのまま使い捨てる。 この方式は「直接処分あるいは「ワンススルー」と呼ばれている。 この直接処分方式が、現在は世界の主流である。そしてこの方式がいちばん経済的であ る。 ・プルトニウムを消費する具体的な計画がないと、再処理事業を進められない。 すなわち、六ケ所再高速増殖炉で使うべき処理工場を稼働できない。 ・高速増殖炉計画を放棄しないとしても、近い将来に計画が実現できないことは推進論者 でも知っている。 高速増殖炉ができるまでの間、プルトニウムをどう消費するか。 六ケ所再処理工場を稼働させるためには、そこから出てくるプルトニウムの使い道を確 保しなければならない。 これが「プルサーマル」計画の目的である。 ・プルトニウムとウランの混合酸化物(MOX)を、普通の原子炉で核燃料として使う。 これがプルサーマルだ。 本来ならばMOX燃料を、普通の原子炉を使う。 プルトニウムを消費できるからだ。 ・プルサーマル運転には危険性も指摘されている。 普通の原子炉はプルトニウムを使うようにはできていないからである。 これを考慮し、青森県大間町に建設中の大間原発の原子炉は、MOXを使うことを前提 にして設計されている。 MOX燃料、すなわちプルトニウムの消費をひろげるためである。 ただし、高速増殖炉ではなく普通の原子炉(軽水炉)だ。 ・プルサーマル運転は高くつく。MOX燃料コストは、再処理コストを含めると、ウラン 燃料コストの10〜20倍だという。 ・プルサーマルは高速増殖炉ができるまでの「つなぎ」のはずである。 その高速増殖炉実現の見込みはない。 ・プルトニウムを消費するにはプルサーマルしかない。 プルトニウム消費計画なしには六ケ所再処理工場を稼働させられない。 再処理路線を維持するためには、プルトニウム消費計画が必要なのだ。 ・再処理事業に電力業界は一貫して消極的だった。 高速増殖炉の実現が無理なら、使用済み核燃料の再処理は、本来は不要だ。 高速増殖炉の商用稼働を前提にしたビジネスには参入したくない。 営利企業の経営者なら、再処理事業には手を出したくないだろう。 ・1960年代後半から再処理民営化の議論が始まる。 しかし電力業界は尻込みする。 紆余曲折を経て電力業界が積極姿勢を表明したのは、1975年7月である。 ・実際、再処理の経済合理性は、はなはだ疑問だと「大島堅一」立命館大学教授は言う。 「六ケ所再処理工場で40年間に使用済み核燃料を3万2000トンを再処理するのに 11兆円かかるというのが試算です。さらにMOX燃料加工に1兆1900億円かかり ます。こうして12兆円かけて獲得できるMOX燃料にどれだけ価値があるかというと、 ウラン資産換算で9000億円程度という数字が政府の審議会で報告されています」 ・2004年3月に「19兆円の請求書」と題する「良質な怪文書」が霞が関を駆け巡っ た。改革派官僚による告発文書とみられる。 再処理事業が高コストで経済合理性がないことを指摘し、直接処分への政策転換を求め ている。 ・「経済産業省は、本気で核燃料サイクルをやめる気かもしれない」。推進派は慌てる。 しかし、村田成二事務次官の意に反して、当時の原子力政策課長は六ケ所村での再処理 を推進した。 後に多くの配置転換が行われたという。 その一例だろう、2004年夏、経済産業省の幹部官僚が左遷される。 電気事業連合会の意向による「電力辞令」だったという。 この官僚は再処理の問題点を指摘する文書の作成に関わっていた。 ・経済産業省事務次官と東京電力社長という、いわば当局のトップ二人が「やめよう」と 合意している。 それでもやめられない。不思議である。 原子力村の「空気」が「中止」ではなかったということか。 ・」2004年当時の経済産業大臣は、故・「中川昭一」である。 ・内閣府原子力委員会にも動きがあった。 2004年6月、新計画策定会議を設置する。 次の長期計画策定のためである。 そこでの最大の争点は、再処理路線の継続か凍結か、だった。 コスト評価では、再処理よりも直接処分に軍配が上がる。 ・けれども策定会議は「政策変更コスト」というシナリオを用意する。 サイクルを途中でやめれば使用済み核燃料の行き場がなくなり、原発がストップする。 そうなると、火力発電への代替費用や再処理工場の廃棄処分経費がかかる。 これらを加えれば、直接処分の方が高くなる。 こういうシナリオである。 2004年11月の「核燃料サイクル政策についての中間とりまとめ」はこのシナリオ を採用し、全量再処理をベストとした。 ・2004年12月、六ケ所再処理工場はウラン試験に踏み切る。 これにより、工場の放射能汚染が始まってしまった。 ・2005年10月に閣議決定された原子力政策大綱には「使用済み燃料を再処理し、 回収されるプルトニウム、ウラン等を有効利用することを基本方針とする」と明記され た。 ・この時期、六ケ所再処理工場の凍結・中止を、何人かの論客が唱えている。 ・「原子力発電はこれからも必要との立場で見ても、青森県に完成した六ケ所村再処理工 場は稼働させるべきではない。経済的に見合わないばかりか、当初考えられていた仕組 みが崩れ、再処理工場を必要とする状況がなくなっているからだ」 と「櫻井よしこ」は主張した。 ・「猪瀬直樹」は「国民かれ19兆円が盗まれる」と題する文章を「週刊文春」に載せて、 「六ケ所村の施設は稼働しない方がいい、とじつは学者も電力業界も、役人ですら常識 になっている。日本というコンセンサス社会は、誰かが責任を取ると明言しないと、 集団自殺へ向かう。19兆円コストは、当然プルサーマルでは見合うものではない。 ・・・小泉さん、ここは総理が決断すべきです。おかしな話、そうすれば関係者はむし ろホッとするのです」と提言している。 ・「船橋洋一」は核拡散の懸念から、 「日本はプルトニウムを大量に有している。六ケ所は日本『特別扱い』の象徴的存在と して批判の対象になりかねない。イランや北朝鮮などの『核疑惑国』に要らぬ口実を与 える恐れも強い。日本は六ケ所村計画を一時凍結するのがよい」 と主張している。 ・2004年秋の論客の主張は、7年後の2011年の秋、残念ながらすべて当てはまる。 事態は先送りされただけで、何の一つの改善もされていない。むしろ事態は悪化してい る。 ・六ケ所再処理工場は試験運転を停止したままだ。使用済み核燃料を再処理すると高レベ ル放射性廃液が残る。これを封じ込める「ガラス個体」を造る設備で故障が続いている。 日本独自の技術にこだわったせいだという。 1997年の稼働予定は遅れ、計画延期は18回に及ぶ。 建設費は構想当初の6900億円から2兆2000億円と、3倍に増えている。 放射性廃棄物の処分 ・放射性廃棄物の処分問題は、原発事業の未解決の難問である。 原発を「トイレなきマンション」に例えるのは、廃棄物処分のメドが立っていないから だ。 原発を直ちに全廃しても、この廃棄物処分問題は残る。脱原発しようとしなかろうと、 放射性廃棄物の処分問題を避けて通るわけにはいかない。 ・世界全体では、使用済み核燃料の75%(発電容量換算)が直接処分されている。 冷却プール内で数年間(最大20年間)保管した後、空気冷却の金属製容器(キャスク) に入れて乾式貯蔵する(ドライキャスク方式)。 再処理よりも安く、再処理よりも安全だという。 プルトニウムを取り出さないから、テロに狙われる恐れも小さくなる。 ・こうして数十年間貯蔵した後の最終処分、これについては多くの国が地層処分を第一候 補としている。 ガラス固化してから容器(キャニスター)に入れ、地中深く埋める。 以後の管理期間として、米国は100万年、欧州諸国は10万年と想定している。 しかし、現実に実行している国はない。 ・日本も高レベル放射性廃棄物の最終処分としては地層処分を想定している。 候補地は決まっていない。 現在、処理の住んだガラス固化体は、日本原燃の六ケ所高レベル放射性廃棄物貯蔵管理 センター(青森県)に保管されている。 ・処理コストも直接処分の方が安い。これが世界の常識である。 ・原発事業を民間企業の収益事業として成り立たせるためには、使用済み核燃料は直接処 分するしかないと「齊藤誠」一橋大学教授はみる。 再処理と高速増殖炉からは、電力会社は撤退しなければならない。 ・これに加えて齊藤は「高レベル放射性廃棄物を永遠に貯蔵する一方で、その管理は途中 で放棄する」という地層処分方式は、経済的には受け入れられないとする。 それに代えて齊藤が提案するのは全量地上貯蔵方式である。 原発敷地内または核燃料貯蔵施設内の地上で長期間貯蔵する。 「地上」に、浅井「地中」を含めてもいいだろう。 また「長期間」とは、画期的な処分技術が開発されるまで、と考えられる。 「当面、手許にある手段できっちりと対応しつつ、前向きに確信ができる状態が到来す るまでひたすら待つ。それが最適な対応である」 と齊藤は主張する。 ・実はこの方式は、世界中の多くの地域で現に行われている。 先に紹介したドライキャスク方式が、それである。 その先、ガラス固体化したものも、実態としては地上で保管されている。 日本も、名目はともかく現実には、多少は行われている。 その意味では、最も現実的な処分方式と言えるかもしれない。 ・日本における問題は、使用済み核燃料の置き場所である。 核燃料サイクルを途中でやめれば使用済み核燃料の行き場がなくなり、原発がストップ する。そうなると、火力発電への代替費用や再処理工場の廃棄処分経費がかかる。 これを加えれば、直接処分のほうが高くなる。 ・使用済み核燃料の大規模貯蔵施設は青森県になる。 六ケ所再処理工場で「再処理」することになっているからである。 ただし、再処理工場稼働を前提に、それまでの「中間」貯蔵として、青森県は使用済み 核燃料を受け入れてきた。 再処理しないのなら「中間」貯蔵ではなくなる。 追加受け入れを拒否するだけではなく、これまで受け入れてきた分も返す。 こう言い出すかもしれない。 日本の原子力政策への提案 ・提案1:高速増殖炉計画は中止する。原型炉「もんじゅ」は廃炉にする。 ・提案2:使用済み核燃料の再処理は中止する。六ケ所再処理工場の商用稼働は断念する。 ・提案3:使用済み核燃料はすへて直接処分とする。 ・提案4:放射性廃棄物(=使用済み核燃料)は地上(浅い地下を含む)に貯蔵する。 ・提案5:稼働中の原子炉は早期停止が望ましい。停止時期は立地地域の決定に委ねる。 ・日本政府の政策は「自給」について強迫的である。 エネルギー政策も食糧政策も、自給に高い優先順位を置く。 ・日本政府(農林水産省)の食料自給率向上策を、何人もの専門家が批判している。 合理性に欠けるという。強迫障害の特徴である。 ・高速増殖炉の実用化を前提とする自給政策に合理性はない。 この自給政策にこだわるのは、やはり強迫障害だろう。 <原発が地域にもたらしたもの> 原子力は雇用増と所得増をもたらす ・原発関連施設はムラに雇用をもたらす。 福島第一原発では、4000〜5000人が常勤として働いていたという。 彼らは地元に住んでいる。 ・定期点検時には、さらに加えて、1000人前後の労働者が外部からやって来る。 原発には、この流動労働者が必ず必要になる。 流動労働者を主な顧客とする宿泊・飲食などのサービス業も成立する。 ・福島第一原発の場合、東京電力を頂点に5次下請けまでのピラミッド構造で、作業を支 える。 作業員や労働環境の管理は容易ではない。 「作業員全員の健康状態まで東京電力や元請け業者が把握するのは不可能」と、3次下 請けの建設会社社長は言い切る。 作業員の被曝検査をしなかったなどとして、これまで4回、東京電力に対して厚生労働 省は是正勧告を行っている。 ・危険な環境(例えば放射線レベルの高い所)における作業に地元住民が就くことは、ほ とんどないらしい。 ・資源エネルギー庁の調べによると、日本国内の原発には、400人近い外国人労働者が 働いていた。 彼らの放射線被曝量は、日本人作業員の10倍に計画されていたという。 外国人労働者の元請け会社には、米ゼネラル・エレクトリック(GE)社の関連企業も 含まれる。 福島第一原発の原子炉はGE社の設計であることと、つながりがあるだろう。 ・苛酷な環境の仕事に、在日・在外の外国人や日本社会の下層労働者が従事する。 労働者の確保には、時に日本の伝統的裏社会が関与する。 この裏社会はまた、原発立地の確保でも、時に暗躍する。 <風評被害を考える> 風評の恐ろしさ ・海外メディアの関係者たちとこの風評問題について論じるときに、彼らが口をそろえて 指摘するポイントは大きく六つある。 @(政府や東京電力など)の発表する情報が絶対的に少なく、憶測を呼んだ A当局の発表する情報が一元集約されておらず齟齬が頻発し、憶測を呼んだ B当局の発表する情報が生データではなく加工されており、透明性を疑われた C当局の発表する情報がたびたび修正され、信頼性が失われた D日本メディアの情報も当局情報の受け売りとわかり、信頼性が失われた E日本に残留した海外メディア関係者が少なく、限られた情報の解釈で憶測を呼んだ 総論としての日本論 ・アジア圏は概して報道を信頼する傾向が強い。なかでも日本は、マスメディアへの信頼 性が極めて高い。 ・一方、欧米圏(西欧、オセアニア、米国)では、人々は報道内容をうのみにしないよう だ。 乱暴に言うと、信頼度は新聞読者率に比例しているようだ。 英国やフランス、イタリア、米国の読者率は30〜50%程度で、半分ぐらいの人は新 聞を読む習慣がない(ドイツや北欧は70%以上)。 要するに、彼らはそもそもマスメディアの報道を丸ごと信じてはいないのだ。 ・多くの日本人は、マスメディアの報道を決して丸のみにしていない、というかもしれな い。けれども調査結果は、世界から見ると、日本の人たちがかなり特殊な感覚を持って いることを示している。 さっくりと言えば、日本の人たちは報道内容や、その根拠となる政府・東京電力の発表 内容を7割が信用している。 ・これに対して、米国や英国、ドイツ・フランスの人たちは3割程度しか信用していない。 どうせ政府発表の7割ほどは責任逃れの曖昧な内容で、新聞はそれに乗っかった無責任 な内容を報じているだけだし、インターネットで流れる噂の7割はそれをベースにさら に脚色されたものに違いない。 そう斜めに構えて疑いの目で世の中を眺めている、といった感じだ。 ・日本のコミュニケーション・スタイルや報道を信じる姿勢は、相対的に言えば正直で、 受け身で性善説である。 一方、欧米的、あるいは世界の標準的な姿勢は、常に性悪説的に疑いの目を持って情報 に接し、それに対して意見を持ち、主張し、齟齬があれば意思を明確に伝えながら修正 していくというものだろう。 ・自分の意見を持ち、それを明確に主張することをしない。 例えばそのような風潮が組織内に蔓延すれば事なかれ主義がはびこり、リーダーの暴走 を誰も止めることができなくなるうえ、一部の人たちだけを利する不条理な構造ができ ても、それを是正することはできないだろう。 それは、国でも同じである。民の側からのフィードバック機能が作用しなければ、当時 の質は低下する。 ・こうした状況下で保護政策を進めれば保護行為自体が目的化し、最後には保護政策を推 進する組織の保護が自己目的化する。 こうして、寄生者だらけのパラサイトシステムが出来上がってしまうのである。 そして、それを是正する行動はもちろん、意見する人もほとんど現れないという状況が 生まれる。 ・もちろん、国や官僚だけの問題ではない。 利権があれば必ずそれを享受する者が出てくる。 そうして享受者たちが、現状を常態化させようと希望するのは無理からぬことであろう。 時には徒党を組み、連帯し、その状況を永続させんと策を講ずる。 こうした構造が生まれるのは必然かもしれないが、それを解消する作業が停滞しれば、 組織はたちまち活力を失う。 |