原発の底で働いて      :高杉晋吾
             (浜岡原発と原発下請労働者の死)

この本は、いまから10年前の2014年に刊行されたものだ。
この本で取り上げられているのは、大きく分けて次の2点だ。
(1)原発孫請け労働者の存在とその問題
(2)浜岡原発の立地からくる危険性

私は、この本を読むまで原発の下請け孫請け労働者の存在について、いままであまり考え
たことがなかった。
そして、原発の危険性といえば、福島第一原発事故のように、地震や津波などによって原
発が故障または破壊された場合の危険性にばかり目が行っていた。
だが、よく考えてみると、そういう事故などの場合でなく、原発が平常に運転されている
場合でも、定期点検の時や故障や劣化部品の交換などにおいて、作業員が放射の危険区域
に直接入って放射線の被曝の危険にさらされながらの作業が、どうしても必要になってく
るのだ。
だが、そのような危険な作業はだれもやりたくない。必然的に電力会社は、そのような作
業は下請け会社に出し、下請け会社もやりたくないから孫請け会社で出すということにな
る。
孫請け会社では、放射能の危険性について無知な人間や放射能に危険性については知って
いるものの経済的な事情から敢えて選ぶ人間を集めて、危険な作業を行わせるのだ。
その実例が、この本に出てくる浜岡原発で孫請け下請けの労働者として働いていて白血病
を発病して死亡した20代の青年の話だ。
それだけでもショッキングな話なのだが、さらにショックなのは、原発の作業が原因で白
血病を発症した事実を医療機関を含む原発関係者が組織ぐるみでひた隠しにしたことだ。
原発の通常に作業によって作業者が白血病を発症したという事実が公になれば、原発廃止
運動にますます火に油を注ぐことになるという理由からだろう。

もう一つの浜岡原発の立地場所にからむ危険性については、地図を見れば誰でもわかるこ
とだが、まずは町の住宅地のど真ん中にあることだ。
そして立地している場所が、東南海トラフ大地震が発生した場合、まともに大津波をくら
う太平洋岸のすぐそばに立っていることだ。さらに地盤の軟弱な砂丘に上に建っているこ
とだ。そして首都圏や名古屋に近いことである。
福島原発事故のようなことが起これば、近隣の町はもちろんのこと、首都圏、名古屋、
さらには大阪までもが放射能にさらされて人が住めなくなる恐れがある。
これは日本という国の壊滅を意味するだろう。
浜岡原発は1号機から5号機までがある。1号機と2号機は廃炉が決定しているようだが、
3,4,5号機は現在運転停止中のままではあるが、ゆくゆくは再稼働をするつもりのよ
うだ。さらに、驚くことに6号機の建設計画もあるようだ。
浜岡原発の危険性については、同じ危険と言っても他の原発とは危険のレベルが違うと思
う。取り返しがつかない事態になる前に、浜岡原発はすべてを廃炉にすべきだろう。

過去に読んだ関連する本:
原発のウソ
原発の深い闇
原発の闇を暴く
日本はなぜ脱原発できないのか

はじめに(原発=国策、裏の真実)
・普通の企業なら終わりのない原発事故で、とおの昔に潰れているはずの東電は、国家が
 国民の税金で支援しているのでつぶれない。
 ただ同社社長らはへーこらへーこら頭を毎日さげているが、刑事責任も問われないまま
 である。
 調べれば調べるほど原発には不思議な謎が多すぎる。zz
 浜岡原発にも謎が多すぎる。
・浜岡原発で死んだ浜岡原発労働者・嶋橋伸之さんの死に際の状態は、「彼の体のタンパ
 ク質が放射能によって溶かされて体外に排出されていった」。
 また幻覚に襲われ「ライオンが襲ってきた」と絶叫しながら死期を迎えた。
 この状態は多くの原発労働者に共通する最後の姿である。
・原発内で作業するのは電力会社の社員では全くない。
 実際に原発の建屋に入るのは貧しい原発労働者である。
 原発は、原発労働者がいなければ一日たりといえども動かない。
 ところが、原発労働者は、個性の差はあれ、遅かれ早かれ、ほとんどが病気になり、
 中には死んでいく者も多い。 
・嶋橋伸之さんという原発労働者の死は、実は他でもない日本国民の発病であり、死なの
 だ。29歳で自分がなぜ死に追い込まれたのかわからずに死んだ彼の運命が日本国民の
 運命だということが、この書の核心である。
・静岡県御前崎市にある浜岡原発は中部、関東、近畿の中心に位置している。
 この中心部に、「世界一危険な原発」と言われている浜岡原発が立地している。
・浜岡原発が立地している南海トラフを形成する軟弱きわまりない地盤、その上の原発で
 は、致命的な事故が連続している。
 南海トラフ地震が発生したら、原発機器に共振現を引き起こし、危機は溶け(メルトダ
 ウン)、大爆発を引き起こす。
 中部、関東、近畿はすべて壊滅する。
 その結果はすへて我々自身に帰ってくる。
 我々は浜岡原発が爆発したら、自分たちが逃げ惑う場所もないままの流浪の民にならざ
 るを得ない。  
  
欺瞞と犠牲(伸之君と現地住民)
 伊藤実さんは、浜岡原発現地で反対運動を行っている。
 伊東実さんは、浜岡原発の至近距離に住んでいる。
 現地で会社を経営していたが、浜岡原発に疑問を抱き発言したところ、地域で原発を推
 進する有力者たちから非難攻撃が集中した。
・私の関心の焦点は、浜岡原発5号機に目を奪われていった。
 5号機などが立地している土台の砂丘を見、その土台の砂丘の激しい崩潰状況から、
 私の脳裏には砂上の楼閣という言葉が浮かび上がってきた。
 やがてこんな土台に建てられている5号機の危うさに関心が集中していったのである。
・私は5号機の土台に何か謎があると着目した。
 その謎を調べてゆくうちに、中部電力の数々の住民への欺瞞の連続にたどり着いたのだ。
 この着目は中部電力がなぜこんなに住民に対する欺瞞を平然と重ねてゆくのか?という
 謎が根底にあった。 
・1971年頃、原発建設で浜岡町はバブルのようにわき返った。
 伊藤実さんはある時、
 「原発は放射能を生み出す。放射能ゴミを何万年も先までどうやって管理するのだ」
 と何かの寄り合いに発言した。
 すると参加者たちは口々に、
 「そんなことは東大出の偉い先生が考えていることだから大丈夫だ」
 と言われました。
・その頃、中部電力は町の有力者を接待して飲ませ食わせの毎日だった。
 ある時、消防団の役員旅行で九州まで行ったころが消防団役員は、名古屋空港から宮崎、
 鹿児島で一泊すると、一人ひとりに芸者が付いたという。
 後で副団長に聞いたら、旅行の前日に正副団長が中部電力からかなりの金銭をもらった
 という話なのだった。 
・嶋橋伸之さんが浜岡原発で原発労働に携わったのは、1981年(昭和54年)3月に、
 中部電力の下請け中部火力工事(現在は中部プラント)のひ孫受けである協立プラント
 コンストラクト社に入社したことかで始まった。
 嶋橋伸之さんさんは、同社従業員として浜岡原発の1号機、2号機、3号機の計測装置
 等を用いた定期検査作業を行っていた。
・アメリカのスリーマイル島原発の炉心溶融事故が発生したのは、1979(昭和54年)
 3月であった。
 それは、伸之さんが入社する2年前だったので、伸之さんは関心がなく、よく知らなか
 った。
・チェルノブイリで核暴走事故が発生したのは、伸之さんが入社した5年後の1986年
 (昭和62年)であったが、事故の情報が社内に流れることはなかった。
・いずれものぶゆきさんの手がけていた中性子測定装置と密接に関係した事故であったが、
 このことも伸之さんは全く知らなかった。  
・浜岡原発1号機の長期点検作業は、1988年6月18日に始まって、1989年8月
 23日まで続いていた。
 伸之さんが「風をひいて寝ていた」のは、その長期点検開始の直後だった。
・伸之さんは会社での三ヵ月ごとの「ホールボディーカウンター」という健康診断では
 『異常なし』と言われていた。
 伸之さんは熱が出ても、体がだるくても、病院にも行かず、風邪薬を飲んで会社を休ん
 で寝て治していたようです。  
・浜岡原発の全容を眺めた。
 それぞれの原子炉に高い煙突がある。
 あれは煙突ではなく、実は気体性放射性物質の排気筒なのだ。
 中部電力は放射能を排気させるため百メートルを超える高い排気筒を作った。
 原子炉を囲む格納容器の中には放射能を含む窒素ガスが充填されているというのである。
 毎年行われている定期検査では窒素ガスを排気筒から放出して空気と交換しているのだ。
・放射能の一部はフィルターに吸着されるが、気体性放射能は、そのまま大気中に放出さ
 れる。 
 この放射性ガスについて中部電力は一度も異常な放射能の発生を認めていない。
 これが浜岡原発の重大な問題の一つだ。
・浜岡原発群の南側に遠州灘が広がっている。
 1号機から5号機までの原発が遠州灘に向かって斜めに整列しているのが一望のもとに
 眺められる。 
 その向こうの東側は駿河湾である。
 この湾曲した海の底には、30年経たずに来ると言われている東海地震の震源・南海ト
 ラフが底深く眠っている。
・その波打ち際の砂丘上に高さ12メートル、長さ110メートルの砂の堤防が建設され
 つつあるのであった。
 その砂の堤防は、中部電力が金を出し、住民が管理する佐倉財産区管理会によって管理
 されることになっている。
 しかし、砂丘上の砂の堤防は素人にも一目でわかるが、巨大地震、津波に対しては、
 全く役に立たない代物だ。
 それは文字通り、砂上の楼閣である。地震にも津波にも一瞬の防御能力もなく堤防は崩
 壊し流失するだろう。
・原発が立地している御前崎市佐倉の敷地は砂丘で高くなっているから原発は大丈夫だと
 中部電力は主張しているようだ。
 だが、砂丘の高さは5〜6メートルしかない。
・浜岡原発建設の歴史を見ると、住民が長い沈黙を強いられてきたことがわかる。
 その間、国と中部電力、地域有力者は、「国策だ」という強制の鞭、「日本の原発は世
 界最高の技術で建設されているから安全だ」という嘘、「御前崎の財政を救うものだ」
 という飴を使い分け、住民をねじ伏せてきたのである。
・浜岡原発計画が浮上し1号機が着工した前後の1970年初頭のころ、中部電力は1号
 機だけしか建設しないと言っていたのに、突然、桜地区住民に2号機の申し入れをして
 きた。 
 その後、それが中部電力の原発3,4,5号機の建設の常套手段になっていった。
・砂丘は2012年12月の台風12号でひどく崩壊している。
 ちょっとした台風でこんなに崩壊しているのに、南海大地震とそれによって巻き起こさ
 れる大津波は砂丘をひとたまりもなく消し去るだろう。
・単純に考えても21メートル(後に国は、津波は19メートルと想定を変えたが)と想
 定された東海地震津波に対して高さ18メートル、幅2メートルの防波堤で対抗しよう
 という考え方は冗談にもならない。
 津波のほうが2メートルも高い。
 最初から津波が防波堤を超えてしまう「想定」をしているのだ。
 これは素人の私も「無茶苦茶だ。全くわけがわからない」と疑問を抱かざるを得ない。
・3.11東日本大震災は、地震も津波もその規模を人間が想定することも予測すること
 もまったく不可能であったことはよく知られている。
 「自信や津波の予想雄予測」もすべてがお飾りで、あるのは利権だけだったことが証明
 されてしまったのである。
 となると予測によって建設された建築物は、成り立たないはずの予測を想定して建設さ
 れたことになる。
 融資も、資材も、周辺道路も、橋梁も、輸送も、すべてが架空のでたらめの話を、国、
 財界、官僚が住民に信じ込ませ、進行した空前の詐術になってしまったのだ。
 3.11によって壊滅した福島第一原発はそのことを証明する最大の証拠であった。
・このことを何よりも雄弁に実証したのが、釜石湾口防波堤である。
 「湾口防波堤」は、巨大さ世界一をギネスブックに記載され、釜石市が湾口防波堤の賛
 歌まで作った海中構造物であった。
・釜石湾口防波堤は、1977年(昭和52年)に計画が決まり、1982年に着工、
 2009年(平成21年)3月に完成したばかりであった。
 990メートルの北防波堤と670メートルの南防波堤の二つがある。
 この防波堤は水深63メートルにつくられていて世界一深い防波堤である。
 その大部分が海中に沈んでいるために、普段私たちは防波堤全体の高さを確認すること
 はできない。
・構築する国交省東北地方整備局は、地心や津波に対抗するための予想と数量を前提に作
 業を進める。   
 金融機関はこの巨大なプロジェクトに狂喜してざぶざぶ融資した。
・このようにこの事業を行った国家も、事業者も、建設業界も、日本が「世界に誇る」技
 術の総動員だと胸を張った。
 だから、どんな津波や地震が来ても大丈夫と自信満々だったわけで、こういう説明を住
 民にして安全、安心を確信させて計画を実行したわけである。
・このような巨大な防波堤は通常の穏やかな波浪に対しては無用である。
 経営者たちは「費用対効果」という宗教的信念を持っている。
 そこからすれば、この巨大施設は「無駄」の一言である。
 その一方、巨大地震や巨大津波にもまったく無効であった。
・マスコミの報道を見ると、災害発生後の学者らのコメントは、今回の災害の現実からも
 う一度素直に学ぼうというのではなく、逆に湾口防波堤の有効性を、地球の地震や津波
 による厳粛な照明にあくまでも逆らって、強弁しようとだけ考えて国や事業者におもむ
 いている。
・湾口防波堤が有効であると強弁する学者たちはいう。
 「湾口防波堤がなかったら被害の程度ははるかに大きかったはずだ」
 「だから、湾口防波堤が無かった場合の被害をシミュレーションしてみよう。そして実
 際に起こった3.11の津波による被害とを比較してみようじゃないか!」
・その結果、「湾口防波堤があるから二割の津浪流速低減効果が得られたと評価した」
 と発表した。
 だが、現実には東日本大震災の津波によって巨大湾口防波堤は一瞬にして無惨に崩壊し
 てしまった。 
・それどころか、湾口防波堤があったおかげで津波被害が増大したという研究がある。
 港湾空港技術研究所(有川太郎主任研究員)の調査結果である。 
・釜石市は千人の死者、行方不明者という犠牲者を出した。
・こういう世界一の湾口防波堤の有様を考えてから、浜岡原発に建てられている防波壁を
 比較してみてほしい。
 規模の比較でも浜岡原発の防波壁と比べものにならず、眼を覆いたくなる。
 しかも、21メートル(持ちの19メートルに訂正されてとはいえ)と予測されている
 津波に、18メートルの高さ、厚さ2メートルの防波壁を作るという神経は常識では考
 えられない。
 これでは、「津波の巨大さを予想した」という詭弁さえも成り立たない。
 この設計者は、津波を防ぐのではなく、逆に津波が防波壁を乗り越えて原発をぶち壊す
 ことさえも予想したのではないか、と逆説的に考えてしまいたくなる。
・中部電力は、なぜ防波壁建設でこんなに懸命になっているのだろうか?
 防波壁が建設されなければ、浜岡原発は永久停止になる。
 浜岡原発が永久停止になれば、原発建設のゼネコンなどに融資してきた銀行が困る。
 なぜかというと、原発建設に融資されたお金が戻ってこなくなるからだ。
・常に銀行に味方する国も政治家も大困り。
 電力会社からも銀行からも政治資金が入ってこなくなるのだから。
 原発に対する政府の過剰保護や、言々開発特別措置法等で地方行政に対してざぶざぶ注
 ぐ開発資金等による果てしない利権。
 融資された事業主たちは、事業に失敗しても国民の税金を果てしなくむしり取って穴埋
 めできるのだから、失敗の心配は皆無だ。
 金融機関も融資して金を取りはぐれの心配をしなくてもよい。
 だから金融機関は野放図に融資をしてきた。
・何しろ悪名高い「国と企業の癒着方式である護送船団方式」で生み出された総括原価方
 式という手品で、電力業界はどんなに赤字を出しても国民の税金が野放図につぎ込まれ
 て、赤字は埋められるわ、儲けは無尽蔵だわ、というわけで笑いが止まらないのである。
 この問題の焦点に浜岡原発の防潮堤建設が存在しているのである。
  
原発と労働
・1988年6月、浜岡原発1号機では第十回定期検査が始まっていた。
 嶋橋伸之さんは、この定期検査のために原発1号機の底の放射能汚染地区で危険な作業
 に長期間携わっていた。
 若干の感覚はあるにしても、翌89年8月23日までの長期間、汚染区域での定期検査
 をしていたのである。
 就職しで数年間、伸之さんは週末に横須賀の良心の家に帰ってきていた。
 伸之さんはその頃、友人の結婚式の帰り道に、一言「俺はあの会社を辞めたい」と漏ら
 したことがあった。
・会社の仕事内容も知らず、またその仕事によって伸之さんの命が損なわれてゆくという
 ことも知らなかった両親は、伸之さんの一言に対して、就職初期の若者にありがちな単
 なるわがままだと考え「最初の2〜3年は誰にもつらいものだよ。それを乗り越えてこ
 そ一人前になれるのだよ」と、親ならだれでも考え、口にする言葉で伸之さんに人生訓
 を話したようだ。 
 だから今、そのことを語る時、母の美智子さんは自責の念に胸を衝かれ、涙をこらえ、
 言葉を途切らせるのである。
・1988年(昭和63年)、浜岡原発1号機では定期検査が始まっていた。
 嶋橋伸之さんは、六人の班のリーダーとして作業に加わっていた。
 もうその頃になると、伸之さんは横須賀に帰ってきても「辞めたい」と漏らすことはな
 くなっていた。
・伸之さんの仕事場は、次のような作業現場だった。
 ・除染作業
 ・汚染マップ作成作業
 ・原子炉に入り、中性子測定装置の解体の準備
 ・作業区域の清掃
 ・動力器具やモーターなどを置く場所の設定
 ・インコアモニター関連作業
 等々である。
 除染作業などというが、それは手拭きのモップ(雑巾)で放射能汚染された箇所を拭う
 (除染を行う)ことである。
・伸之さんは中部電力の管理棟で三ヵ月ごとに行われる検診(ホールボディカウンター)
 で「異常なし」という診断を受け続けていた。
 だが、この診断結果こそ、異常というしかない。
 放射能汚染を疑われなければならない職場で働く彼が「風邪の病状、鼻血を出し、異常
 な寝汗、高熱、倦怠感」を訴えれば、医学的常識を持ち、放射能汚染を知る医者ならば、
 だれでもすぐに内部被ばくによる白血病の可能性を疑うだろう。
 だが彼を診断した医師たちは彼を「異常なし」と診断し続けていた。
 ここに原発に癒着する医療の奇奇怪怪な側面がある。
・伸之さんの仕事は炉心の燃料の間に挿入されている中性子の量を計測する装置である
 インコアモニターハウジングの点検と交換作業だったという。
 このインコアモニターハウジングは、原子炉の原動力である核分裂を起こす中性子の動
 きを測定し管理する機器である。  
 もし、インコアモニターハウジングに小さな亀裂でも生じれば、それを操作する労働者
 は放射能による致命的な障害をうけることになるのだ。
・1989年(平成元年)9月、正秀さん、美智子さん夫婦は浜岡に引っ越してきた。
 引っ越してきてからわずか数日後、引っ越しの片づけをしていた美智子さんも伸之さん
 も体調がすぐれなかった。  
・1989年9月、美智子さんと伸之さんは正秀さんに連れられて町立浜岡総合病院に行
 った。
・伸之さんは両親が浜岡に引っ越してくる前、東海検診センターの医師に「異常なし」と
 いう診断結果を申し渡された。
 しかし実際は1988年6月の血液検査では、正常値なら白血球数は4000から90
 00であるのに、昇之さんの場合はなんと1万3800という異常値が出ていたのに、
 医者はその事実を隠していたのである。
・美智子夫婦が新しい住宅を建てて幸せに浸っていたころ、浜岡原発2号機では住民のだ
 れも知らない恐ろしい秘密が進行していた。
 2号機の設計にあたった谷口雅春さんが、技術者の良心に賭けて内部告発したのである。
・谷口雅春さんという人は、1969年に東京大学香華区部舶用機械科の修士課程を修了
 し、東芝子会社の日本原子力事業に入社。1972年当時、申請直前だった中部電力の
 浜岡原子力発電所2号機の設計に携わった。
・1972年5月頃、驚くべき事態が起こりました。 
 部門ごとの設計者の代表が集まった会議で、計算担当者がいろいろと計算したが無理だ
 った。
 計算担当者は「この数値では地震が来ると浜岡原発はもたない」と発言したのです。
 設計担当者がそう話した理由は二つありました。
 第一に、花岡玄雄圧建設地の岩盤が弱いこと。
 第二に、核燃料集合体の固有振動数が想定自身の周波数にちかいこと。
 耐震計算の結果、浜岡原発の燃料搭載部分はその共振が著しく、地震が起きたらもたな
 い、との結果が出たのです。
 会議では、さらに驚くべきことに、計算担当者が「データを偽造し、地震に耐えうるよ
 うにする」と述べたのです。
・偽造は次の三点でした。
 第一に、岩盤の強度を測定し直したら、浜岡原発以前に東電が建設した福島原発なみに、
 岩盤は強かったということにする。
 第二に、核燃料の固有振動数を実験値ではなく、技術提供先である米ゼネラル・エレク
 トリック社(GE)の推奨値を使用することで地震の周波数は近くないことにする。
 第三に、原発の建築材料の粘性を、実際より大きいことし、これにより地震の振動を減
 退していることとする。 
・私は、それを聞いて「やばいな」と思い、しばらく悩んだ末に上司に会社を辞める旨を
 伝えました。
 私が、自分の席に戻ったところ、耐震計算結果が入った三冊のバインダーが無くなって
 いました。
 そのため、証拠となるものは何も持っておりません。
・それから一ヵ月くらい慰留を受けた後、谷口さんは技術者の良心に従い、警告の意味を
 込めて、退社した。 
 しかし谷口さんが告発した事実は、実は浜岡原発のすべてを見事に言い尽くす重大な問
 題提起だったのである。
 彼の告発した事実は、その後発生する事故や地震などの諸事件によって次々と証明され、
 動かすことのできない真実そのものとして明らかになっていくのである。
 
・1979年3月、アメリカの東部ペンシルベニア州のスリーマイル島の原発で事故が起
 きた。
 原子炉炉心部分が、冷却水不足のために溶けてしまった。
 最初は、本体から遠く離れただれにでもある「うっかりミス」という小さなトラブルか
 ら事故が始まったのである。
 @蒸気発生器への給水が止まってしまった。
 A原子炉に冷却水をいれなければならないのに、ランプの表示が不適切だった。
 B炉心の水位計が正しい水位を示さなかった。
・スリーマイル島の原発の運転員も、水位を外部から見ることができないために蒸気発生
 器が止まっていることに気づかなかった。 
 運転員が、この三つの単純な理由で、作動していた緊急炉心冷却装置を止めてしまった
 ことから恐ろしい炉心溶融が始まったのである。
 この結果、原子炉容器の圧力が上昇し、圧力を逃がす弁が開きっ放しとなり、原子炉の
 冷却水が漏れてしまった。
 冷却水がなくなるととうことは原発にとって致命的な事故なのである。
 そのために原子炉の空焚きが起き、その熱で炉心が溶けてしまうメルトダウンが発生し
 原発の崩壊に至った。
・スリーマイル島事故は、どこにでもあり、誰もが起こすちょっとした不注意や、偶然の
 諸条件が重なって致命的な事件に至った。
 しかも無数に頭を出しながら連続していることがわかる。
 しかも諸事件は隠蔽され続けているのである。
 スリーマイル島の事故は誰にでもあるミス、不注意などが招く人類破滅の大事について
 警告している。 

・会社の健康診断では「異常なし」だったが、伸之さんの体は異様な倦怠感に襲われてい
 た。
 異常なしと言われていた伸之さんは自分の異常な倦怠感を風邪のせいだと考えていた。
 だから、会社で働きながら、家では寝転がって疲れを癒せば、風邪は治ると思っていた
 のである。
・美智子さんは言う。
 「白血病の病状は、初期には風邪に似た病状が現われるということを後で知りました。
 疲労感、食欲不振、体重減少、寝汗等ですね。伸之は、まったくその通りの病状だった
 ことに後になって気がつきました」
 そう語る時、美智子さんは苦しそうなのだ。
 伸之さんに起こっていた事実や背景に無知で、息子の苦しみを知らなかったことへの自
 責と後悔の念に言葉を詰まらせ、涙が流れるのであった。
・浜岡町立総合病院(現在は御前崎市立御前崎総合病院)は丘の上にある。
 伸之さん親子が行った時は設備の充実した立派な病院であった。
 「中部電力から来る電源開発特別措置法のお金で立派な病院になったんです」
 浜松医大千葉大などから引き抜いた医者がたくさんいた。
 これには多くの費用がかかっただろう。この中部電力が出したかのように思えるお金も、
 もとをただせば電力会社が電源開発特別処置法で国民の税金から交付金として出された
 ものなのである。 
・伸之さんと連れて病院で検査を受けて薬をもらって家に帰ってきた。
 お父さんと三人で昼食を取っていると、病院から電話がかかってきた。
 伸之さんの検査のやり残しがあるから午後から来てくださいとのことだった。
・この時の美智子さんはむしろ病院への感謝の気持ちさえ持っていたので不思議とも思わ
 なかった。
 「なんて親切な病院なんだろう。土曜日の午後なのに」と思ったのである。
 「だけど、伸之帰ってきません。一時からの検査なのに、三時になっても四時になって
 も帰ってきませんでした」
 五時になって帰って来たので美智子さんは伸之さんを叱りつけた。
 「何していたの?検査が終わったらさっさと帰って来たらいいじゃないの」
・すると伸之さんは悲しいような、怒ったような、嫌な顔をして言った。
 「違うんだよ。病院ではベッドに泣かされて麻酔を打たれたんだ」
・美智子さんは、伸之さんの様子があまりにもおかしかったので、伸之さんの話を改めて
 聞いてみてショックを受けた。 
 「あの検査って麻酔をかけられて胸から骨に穴をあけて骨髄液を抜いたんだよ」
 と言うのだ。
・それで初めて病院の態度が気がかりになり、伸之さんの病状について「これは変だわ!」
 と急に不安になってきた。
 伸之さんは検査だと言われて、骨髄液を抜かれたのだ。
 骨髄液というのは、血液になる手前の原液である。
 この検査は非常に不思議な検査である。
 この不思議な検査について美智子さんも放置できないと感じた。
 
・浜岡の現地では、原発建設をめぐる攻防が行われていた。
 清水一男さんはその事情を語る。
 浜岡原発は1968年(昭和43年)に建設が始まりました。
 でも当時は賛成する人はいなかった。
 当時は、浜岡原発対策佐倉地区協議会はできていませんでした。
 当時は一般の住民には原発の話はなく、有力地権者に対する話が中心で、地主が「うん」
 と言わなければ原発用の土地取得はできない。
 ここは農業地帯で零細農家が多かったんです。
 地区の三分の一くらい原発に土地を取られると仕事がなくなってしまう。
 だから当然、誰一人さんせいはできなかったのだ。
 今でも、誰ひとり本当は誘致賛成ではないんです。
 なぜ最初に原発を入れられたか。
 当時、この浜岡町は県下一の貧乏町で陸の孤島といわれ、財政力も弱いので何とか上の
 衆は町財政の再建を考え、この地の出身者である「水野成夫」さんに相談した。
 すると、水野さんは、
 「原発を誘致したらどうか。原爆とは違い、爆発はしない。平和利用だから大丈夫だ」
 と説明してきた。
 我々は何もわかりません。
 我々は素人ですから、地盤や耐震の問題はあったけど、原発が危ないというだけでは反
 対にはならなかった。
 でも、結局は承諾したことにされ、昭和43年10月ころ、地権者190名くらいで承
 諾してしまいました。
 当時の町長も、起爆剤になるならいいじゃないか!と言っていた。
 佐倉の住民たちも、それ以上のことはわからないので「まあ町が良くなるというのだか
 らよいか」とだまってしまった。
・中部電力は「4号機で原発建設は終わり」という今までの説明が何の納得のいく理由も
 ないままに5号機の建設が申しだされましたが、当然のことに住民の97%が反対しま
 した。 
 その時、浜岡町長に対して出された佐倉住民の意見書があります。
・しかし中部電力は、住民の反対を完全に無視し、
 「これは国策だ。おかみに反対することはできない」
 「日本の技術は最高だから地震や津波など怖くない」
 「困窮している浜岡町の財政を救う」
 こういう趣旨の欺瞞政策を、専門用語と難解語で押しまくった。
・この住民の意見書は、少なくとも「佐倉対策協議会」が住民の原発批判を協議会の意見
 として受け入れた唯一の公式見解であった。
 だが、なんとも不可解な事件が起こった。
 1998年12月、「佐倉対策協議会」の一部幹部は突如、住民の総意を無視して緊急
 役員会を開き、5号機増設不同意の意見書を撤回してしまったのだ。
・この撤回は、町議会全員協議会が5号機増設を容認したことに連動する動きであった。
 この動きを見ると、一体議会とは何か、という疑問が生じるのである。
 住民によって選ばれたといっても、住民が望まないことを住民の意見を聞かずにやって
 しまうところまで住民は議会に託しているはずがないのに、無人の野を行くような暴走
 を議会が行う。
 これでは議会という名のファシズムではないか?
 
・一カ月くらいたって浜岡病院から
 「浜松医大の病院に行って検査をもう一度してください」
 と言われた。
 こうして1990年10月、息子伸之さんを連れて、父親の車で二時間かかって浜松医
 大付属病院に行った。
・美智子さんが浜松医大病院に行ったら、「内科ではなく血液科に行ってください」と言
 われ、血液科では、本人のいない所でかなり年配の医者と面談した。
 そこで医者に「伸之さんは白血病という血液の癌です」と告げられた。
・その時、お医者さんの様子が変でした。
 「膝ががくがくと震えていたんです」
 美智子さんは不審な思いで医師を見た。
 医師はひどい緊張ぶりである。
 「このお医者さんは私たちに病名を告げただけなのに、なんでこんなに震えているんだ
 ろう」 
・あくまでも類推だが、この医者が震えていた理由は、伸之さんの白血病の原因が原発作
 業に由来していることを中部電力や病院がぐるになって隠している事実を、知っていて、
 自分もその加担者である良心の呵責に耐えかねていたのだと思う。
 他にふるえる理由はない。

・伊東実さんたちの「浜岡町原発問題を考える会」も5号機意見書の撤回に対する批判の
 火の手をあげた。 
 「浜岡町原発問題を考える会」会報10号(1999年1月)では次のような批判の記
 事が掲載されている。
 昨年、佐対協は緊急役員会を開いて5号機増設不同意の意見書の撤回を決定した。
 これは住民に諮れば紛糾することを恐れた推進派による暴挙である。
 住民側の5号機増設不同意の意見書には、何回もわたる地域懇談会での意見を集約し
 たもので「これ以上の原発はいらない」ということが明確に書かれている。
・この不同意撤回の影には佐倉の有力者たちと中部電力の陰の関係があるというのは浜岡
 原発で作業員として働いていた川上武志さんだ。 
 川上さんは宝島社で「原発放浪記」を欠いて原発労働の実態を暴露したライターである。
 「中部電力の最初の話では、浜岡原発は4号機までしか建設しない約束でした。ところ
 が、4号機が建設されると話が違ってきました。地元の人々の強い要望があったという
 ことで、5号機建設が提案されるようになったのです。一部の地元の人々の強い要望と
 いうのは確かに行われたようでした」 
・川上さんの証言は次のようなものでした。
 1993年に4号機建設が終わると、全国各地から集まっていた工事関係の労働者は引
 き上げてしまい、浜岡の町はむかしのようにひっそりとしてしまった。
 だから、「原発のバブルよ、もう一度!」ということで、一部の民宿経営者や飲食店の
 店主らが「もうひとつ原子炉を増設して欲しい!」と名古屋にある中部電力本社に陳情
 に行ったのだという。
・5号機に建設めぐって、地元の人々の間で賛否の議論が沸騰していた頃、あるニュース
 が日本中を駆け巡った。
 1995年1月17日の早朝、あの阪神淡路大震災が起こったのである。
 テレビ画面では、神戸市内の高速道路やビルが倒壊した様子が連日流され、さすがに原
 発立地の優等生と言われた旧浜岡町民も不安を感じた。
 浜岡でも5号機反対の意見が多数を占めるようになった。これが意見書の引き金となっ
 ていたのである。
・伊藤実氏はわたしに言った。
 「不同意の意見書ってねえ、実は5号機だけにはんたいするものじゃないんですよ。
 1号機からすべてが反対意見を嘘で押さえつけて、最後に佐倉地区住民が怒って意見書
 を出したのですからねえ」
 「浜岡原発全体が住民に対する徹底した連続の嘘によって建設されてきたんでしょう。
 だから、あの意見書はねえ、浜岡原発全体に対する絶対反対の意思表示なんですよ」
 「ところが佐倉対策業議会の一部指導部は、町議会全員協議会が5号機増設を容認する
 と、公然と『あの不同意の意見書は佐倉地区が中部電力から増設の見返り、つまりお金
 をもっと出させるための方便だったんだ』と、とんでもないことを言い出しはじめたん
 です」
・不同意の意見書を住民に相談なしに撤回しただけでも悪いわけだが、住民の反対意見を
 冒とくし侮辱するひどいことまで書かれていたのである。

・2001年11月、浜岡原発1号機で、非常用冷却系の蒸気配管であるECCS系配管
 で大規模な破断事故が起こった。
 ECCSというのは緊急炉心冷却装置のことである。
・水を冷却材として用いる原子炉の炉心で、冷却水が大量に失われるような事態や配管が
 破れて緊急に冷却水が流失した場合には、熱によって炉心のメルトダウンが起きる。
 この熱を冷却するための緊急炉心冷却装置がECCSである。
 ECCSが作動して、炉心に大量の冷却水を注入することで核燃料を長期にわたって冷
 却し燃料棒の崩壊熱による破損を防止するのである。
・別の言い方をすれば、ECCSが作動したときは、原子炉が緊急停止する時なのである。
 これは原発の安全を守るための最後の砦にあたる。
 ECCSが作動するとうことは原発が最後の臨終を告げられた時であり、これが作動す
 れば原発は止まる。  
 作動しなければ大事故につながるのだ。
・何らかの事故で、原子炉のパイプが破損して冷却水が減少すると、このECCSが緊急
 に冷却水を送って、炉心の溶融や放射性物質の漏出を防いでくれる。
 要するに、原子炉が空焚きになることをふせぐための最後の砦となる安全装置なのであ
 る。
・さらに2001年11月に、圧力容器の底にある制御棒駆動装置から冷却水漏れが起こ
 った。
 これは、浜岡原発のようなBWR原発(沸騰水型原子炉)の構造的欠陥が老朽化によっ
 て顕在化したものである。
 いかに電力会社の利益のためにいい加減な報告を続ける国自身もショックで蒼くなり、
 「非常に重大なトラブル」と言わざるを得なくなったのだ。
・配管破断事故の通報は約6時間も遅れ、住民は、テレビニュースによって、初めて事故
 の発生を知らされた。
 さらに破断事故での通報の遅れが批判された直後、冷却水漏れという重大な事実を約8
 時間も公表しなかったのである。
・配管事故というものは、放置すれば死に至る病であり、場合によっては即死する病であ
 る。だから電力会社は必至になって配管事故を隠蔽するのである。
 中部電力は、毎日70リットル以上の冷却水を、配管の亀裂によって四カ月以上にわた
 って漏らし続けていたのである。
 中後電力は、冷却水漏れを示す水量の増大を知りながら、「夏特有の傾向だ」として、
 冷却水漏れの可能性をいっさい検討せず、何の調査も実施してこなかったのである。

絶望の労働、爆発招く取水塔
・1990年10月、伸之さんは浜松医大病院に入院させられた。
 浜松医大に入院した最初のころ両親が最初にびっくりさせられたことは、入院している
 伸之さんの顔がひどく歪んでいたことであった。
 美智子さんは母親らしい常識で伸之さんの奇怪に歪んだ異様な容貌を見つめショックを
 受けた。
 実は伸之さんのボロボロになった血管が、一晩のうちに切れるから、そのうっ血が溜ま
 ったことが歪んだ容貌の原因だったのだ。
・伸之さんは、朝から口の中のあっちからこっちから血液漏れであった。
 道子さんは脱脂綿とテッシュでその出血を止め、しょっちゅうテッシュペーパーを詰め
 込み、拭いてあげるのである。
 その血液漏れがひどい時は院内の口腔外科に車椅子で伸之さんを押して行き血が漏れて
 いるところを電気メスで焼くのであった。

・浜岡原発の資料館には、実物大の原子炉が作られていて、その複雑な炉内の巨大な等身
 大の典模型がある。
 頭の上から制御棒駆動装置への多数の機器が、まるで鍾乳洞の鍾乳のようにぶら下がっ
 ている。その間にインコアモニターの配管が下がっている。
・インコアモニターというのはステンレス製の円形の筒の管である。
 長さ4メートル。直径約5センチ。肉厚約6ミリの管で炉内計装管という名前である。
 伸之さんは内部の中性子測定装置を引き出しながら、交換し、移動式の起動装置を分解
 点検し、消耗品の交換もしなければならない。
・全体としてどのような配管や機器がぶら下がっているのだろうか?
 伸之さんの頭の上にぶら下がっていた機器類というのは一例をあげれば、すぎのような
 多種類のものである。
 ・出力領域モニター   172個
 ・中間領域モニター     8個
 ・中性子源モニター     4個
 ・中性子源         7個
 ・制御棒        185本
   合計        375個(本)

・この職場で、実際の放射能による汚染が続いていないはずがない。
 冷却水が漏れてくれば乾燥して放射能を含んだ粉となって飛散する。
・現場の労働者はぶ厚い被服の熱さに耐えきれず、マスクをはずす。
 「非社員」の原発作業員は、飛散する粉末を吸って大量被ばくすることになる。
 だから被ばくしたのが伸之さんだけどということはあり得ないわけだ。
 だが、電力会社は「原発で死んだ人は一人もいない」という常習的な嘘を主張している。
・1991年10月、伸之さんは浜松医科大学附属病院で息を引き取った。
 その日、協立プラントコンストラクトの社員が数人できた。
 協立プラントコンストラクトの社員は言った。
 「労災でもらえる金額は大体わかっていますよ。私どもはそれより高額に払います。
 大体3000万円です。労災では厳しい審査があって何年たっても、なかなかもらえま
 せんよ。我々は3000万円をすぐに払います」
 「まして原発なんていうのは一人の死者も今までに出ていませんから、原発で死んだな
 んて言っても、因果関係の立証はできるものじゃありません。立証できなければお金も
 出ません。我が社のほうで労災に見合ったお金を差し上げますから、労災で騒がないで
 静かに合意しましょう」
・これが原発で発病した労働者の家族が認定を求める際に、事業者が否定する常套的な言
 葉である。社員たちは、こういうことを毎週のように家にきて話していった。
・その頃、私たち夫婦は「これから暮らしていくにはどうしようか?」、「立てたばかり
 のこの家を売ってしまおうか」。そうした話が続いていました。
 でも、ことらから「お金をください」と言ったのではないのに、あちら様から「あげま
 す」という話ですから、「そうですか!」という話になりました。
 それも、中部電力から協立プラントコンストラクトの社長に言わせるわけです。
 「うちで稼いで誠意をもって払うから、これで勘弁してもらいたい」と言っていました。
・ところが段々と様子がおかしくなってきた。
 「お金がないから、分割して払う」と言い出したのである。
 美智子さんは激怒した。
 「うちの息子が死んだのに、その命を月賦で払うとは何事ですか!帰ってください」
・それで会社と夫婦の間でこういう誓約書を交わした。
 「一回につき1000万円ずつ、三回に分けて払います」
 誓約書にはこんなことが書かれていた。
 1.私たち夫婦が労働者災害補償保険法に定める遺族補償給付を受けることになった場
   合には、遺族補償給付に相当する額を返済すること。
 2.この覚書をもって問題がすべて解決したことを確認し、息子の死について第三者に
   対しても名目のいかんを問わず、意義を述べず、一切の請求をしないこと。
 夫婦は、こういう誓約書にサインさせられた。
・「原発被曝労働者救済センター」を設立し、全国で公演活動を展開した「平井憲夫」さ
 んは平素、原発について次のような発言をしていた。
 「世間印鑑では、原発や新幹線、高速道路などは官庁検査によって、きびしく検査が行
 
 われていると思いま。日本の技術水準は世界一だから、地震で橋が倒壊するなどという
 ことは絶対にない、などと例の安全神話を述べ立てていました。だが、この豪語は阪神
 大震災でみじめに崩壊し、地震で崩壊した高速道路はビルが醜態を世界にさらけ出して
 しまいました。新幹線の橋脚部のコンクリートの中には型枠の木片が入っていたし、
 高速道の支柱の鉄骨の溶接は溶け込み不良でした」
 「エリート階層が、机上の空論を、自分の出世と利権のために、現実に原爆を担う労働
 者階層を踏み台にして地盤を増段させているからです」
 「原爆にしろ、建設現場にしろ、作業者から検査官まで総素人によって造られているの
 が現実ですから、原発や新幹線、高速道路がいつ大事故を起こしても、不思議ではない
 のです」
・平井さんは言う。
 私が水戸で公言していた時、会場から『実は恥ずかしいんですが、まるっきり素人です』
 と科学技術庁の者だとはっきり名乗って発言した人がいました。その人は『自分たちの
 職場(科学地術庁)の職員については、被曝するから絶対に原発の職場に出さなかった。
 折から行政改革で農水省の職員が余っているというので、昨日まで、はまちの養殖の指
 導をしていた人を、次の日には原発専門検査官として(原発現場に)赴任させた。そう
 いう素人で何も知らない人が原発の専門検査官として原発の運転許可を出すんです。
 美浜原発にいた専門検査官は、三カ月前まではお米の検査をしていた人だった』と、
 その人に実名を挙げて話してくれました」。
・私はこの証言を聞いて暗澹たる思いに駆られた。
 これでは「住民の安全よりも原発推進だけが大事、無検査で許可する」という証拠では
 ないか。 
 素人が原発建設の許可を出していた。
 3.11歳外の現実を知ったすべての日本人にとって身震いするような話ではないか?
・原発の世界はわれわれの日常的な感覚の世界をぶち壊すものすごい世界なのだ。
 これが日本のエリートたちが生み出す超現実の世界なのか!と。
・この平井憲夫さんが伸之さんの入院中に浜岡の家を訪ねてきた。
 「お母さん、伸之さんの問題はたいへんな問題なんですよ。医者の診断書とか書類とか
 放射線管理手帳というものを本人が持っているはずだからもらいなさい」
 「放射線管理手帳?そんなの伸之が持っていることなんか知りませよ」
 「それは、免許証みたいに本人が持っているものなのですよ。お母さんがご存じないと
 は・・・。やはりねえ。会社は教えてくれないんですねえ・・・」  
 「じゃあ早く会社から貰いなさい」
・「放射線管理手帳を返してください」
 美智子さんが問うと、
 「待ってください。今訂正中ですから」と会社は言った。
 「え!訂正中?」。
 美智子さんは耳を疑った。まるで患者のカルテを訂正するような感じに受け取れたので
 ある。 
 カルテの記載は、患者のその日、その場、その時間に状況を実態のままに記載するもの
 だろう。
 それを訂正することは事実を消してしまい、事実に反することを記載することになる。
・だがそこには、もう一つの浜岡原発の重要な要素が絡んでくることによって、さらに複
 雑な様相を呈し始める。 
 その重要な要素とは何か?
 浜岡原発が立地している浜岡砂丘と、その砂丘海岸の遠州灘の沖600メートルに浮か
 んだ冷却水取水塔こそが状況をさらに複雑化させる要素なのである。
・原発は冷却水の取水なしには成り立たない。
 浜岡原発では冷却水は遠州灘の取水塔から海水を取る。
 だが、この取水塔は30年以内に発生することが予測されている南海地震によって取水
 トンネルが埋められ、破断されるおそれがある。
 破断すると、冷却水の取水はストップし、原発の炉は高熱によって溶融(メルトダウン)
 し爆発する。これは冷却水の供給停止の場合の致命的な事故である。 
・しかし、このような地震や津波がまだ発生していないにもかかわらず、致命的な事故が
 発生することが証明された。
 この事故は2011年5月14日に発生した。
 5号機に取水塔から海水が400トンも流入し、原子炉本体にも5トンが浸水したのだ。
 
・2006年6月、浜岡原発5号機で発電タービンに異常振動が発生し自動停止した。
 調査したところ、ダービンの140枚の羽根を持つ羽根車の一つが3枚に1枚の割合で
 破損またはひび割れが発見された。
 さらに別のタービンの同じサイズの羽根車についても4枚の羽根を点検したところ、
 すべて破損またはひび割れが生じていた。
・同5号機は2005年1月に運転開始したばかりの最新鋭改良型ABWR(低濃縮ウラ
 ンを燃料とし、減速材および冷却材に水を用いて、これを炉心で直接沸騰させ、蒸気を
 発生させる方式の原子炉沸騰「水型原子炉)であり、2006年1月に初の定期点検を
 受け、4月に運転を開始してから、わずかに2ヵ月しかたっていないのに致命的な事故
 が発生したのである。 
・中部電力は炉の冷却を待って、調査を開始した。
 直列に3台並ぶタービンの2台目で羽1本が根元から折れて脱落し、下部に落下してい
 た。
・この事件について原発災害を防ぐ全国署名連絡会はおよそ次のように述べている。
 タービンで怖いのは、タービンミサイルという事故だ。
 もぎ取られた羽が高速の弾丸と化してタービンを覆っているカバーを突き破って飛んで
 行くものだ。
 タービンは分速1800回転だ。
 浜岡5号機で壊れた羽の先端は時速1220キロという音速に近い超高速で回転してい
 た。
 破断した羽は重さ9キロである。
 これがタービンカバーに激津市跳ね返って羽根車の軸に噛み込んで止まったものと見ら
 れている。
・この事件は地盤の軟弱さに伴う共振性が起こしたものとも言われており、谷口雅春氏の
 内部告発による指摘が完全に正しいことを証明している。
 将来起こるであろう駿河湾地震の問題と共に考えるとさらに深刻な惨害が発生すること
 が予想される。
・2011年5月、「冷温停止」作業をしていた中部電力浜岡原発5号機で復水器から海
 水が流入した。
 中部電力は、復水器と復水器につながる系統で、塩分除去作業を開始したと発表した。
 大量の海水が入った復水器系統は塩分濃度が高く、塩分除去作業が必要だった。
 このトラブルの原因は、タービンを回した蒸気を冷やして水に戻し、再び原子炉に送る
 復水器内部で細管が損傷したためで、細管内を通る海水約400トンが流入したことに
 ある。
 このうち約5トンが原子炉に入ったとされる。
・2012年5月、中部電力は運転中止中の浜岡原発5号機で前年5月に復水器に海水が
 流入した事故原因について、復水貯蔵槽に穴やへこみ計40ヵ所ができた原因について、
 貯蔵槽内に粉状のさびが堆積して鋼材が化学反応を起こし、腐食しやすい環境になって
 いたと発表した。 
・貯蔵槽は、原発の運転中に原子炉冷却のための水を一時的にためる設備。
 内部が縦約7メートル、横約33メートル、深さ約13メートルで、厚さ4ミリの鋼材
 で造られている。
 
絶望を克服、戦いへの日々
・その後、いくつかの紆余曲折を経て平井憲夫さんを通じて慶応大学の「藤田祐幸」助教
 授を紹介された。
 放射線管理手帳の訂正の謎を解いて欲しい。その一心だった。
・1993年3月、慶応大学日吉校舎で藤田先生と会うことができた。
 伸之さんの放射線管理手帳を見てもらった。
 藤田先生は放射線管理手帳をじっと見つけていた。
 そしてぱらぱらとめくっていたが、顔をあげて美智子さんを見たとき、藤田先生の顔色
 が変わっていた。
 「こりゃ大変なことですね」
・美智子さんは、はっとして藤田先生を見なおした。
 美智子さんは、この手帳の謎を解きたいと、幾度も人を訪ねては失望を繰り返してきた。
 「大変なこと」と藤田先生が言った一言は謎が解けるかもしれないというかねてから強
 く期待してきた瞬間であった。
 「先生、伸之は放射能を浴びていたのですか?」
 「いや、浴びているなんてものじゃありません」
 「伸之さんの血球数値は1万3800個/立方ミリメートルと記載されていますよね。
 正常値は4000から9000個ですよ。伸之さんの白血球の数値は正常値の1.5倍
 から3.5倍ですよ。それなのに総合判定は異常なしとなっているでしょう」
 「伸之君はものすごくたくさん被曝していますよ。手帳の訂正される前の数値もひ
 どいが、数値だけの問題じゃない。体内被曝といって口や鼻、皮膚から放射能を取り込
 むこともあるんですよ」  
・「やはり・・・」
 思わず大きな声が出た。
 「やはり息子は、自分の落ち度などで死んだのじゃなかった」
 「原発という恐ろしい職場で、放射能を被曝して内臓まで溶かされて死んだのだ」
 「これで長く続いたもやもやが晴れそうだ。藤田先生にお会いできてよかった」
・だが藤田先生はそういう美智子さんの顔を見つめ直して言った。
 「だけでこれからが大変ですよ。この問題は残すことなくすべてを社会に明らかにしな
 ければならないんです。中途半端に引っ込み思案にしていると完全に潰されますよ」
・藤田先生の言葉には、美智子さんが一歩も引くことを許さぬ響きがあった。
 道子さんはたじろいで藤田先生を見返した。
・その時、彼女の心には、浜岡、池新田での「村八分」という言葉が心の片隅に浮き上が
 ってきた。   
 また、原発のことを何にも知らずに、伸之さんを送り出してしまったという後悔の念が
 勃然と沸き起こってきた。
・その一方で、なぜそんなところで我慢して働いていたのだろうか?
 なぜ私たちに、危険な職場だと教えてくれなかったのか?
 安全教育を受けていたのに、危険な職場だと思っていなかったのだろうか? 
 伸之は、なぜ安全だと信じ切って働いていたのだろうか?
 美智子さんの心にそういう気持ちも浮き上がってくるのだった。
・藤田祐幸先生はその場で受話器を取り上げた。
 彼は知り合いの「海渡雄一」弁護士に電話をかけたのである。
 「これは公にしなければならないよ」
 美智子さんは、その言葉を聞いてひるんだ。
 「待ってください」とは言えないまま彼女は言葉を飲み込んだ。
 おろおろしている間に、藤田先生は海渡弁護士と会う日を約束してしまった。
 その数日後に、慶応の日吉校舎で嶋橋さん夫婦は藤田先生と海渡弁護士に会った。
・いきなり藤田先生も海渡弁護士も、鋭い眼をして「嶋橋さん。マスコミに発表するよ」
 と言った。
 「あの・・・」マスコミに発表されて大騒ぎにされるのは本意では・・・と彼女は言い
 かけた。 
 「私たちは浜岡によそから移り住んできた者ですから、浜岡の人たちの気性はわかりま
 せん」
 だから、余計なこと、目立つことを地域でしたら、村八分になるのではないか、という
 気持ちもあった。
・このためらいを藤田先生も海渡先生も見抜いていた。
 「嶋橋さん。ためらっている場合じゃないですよ。ズバリ、堂々と正面から撃ち合わな
 いと・・・」
 「そうなんですよ。急を要します。これはためらっていると浜岡原発やほかの勢力から
 妨害が入ります。そうしたら手がつけられなくなりますよ」
 美智子さんは言いかけた言葉を引っ込めざるを得なかった。
・藤田先生は言った。
 「実はね、今まででも被曝労働者の労災を申請しようという話いくらでもあったんです
 よ。でも企業がお金を出してもみ消そうとしたり、国も一緒になって、脅迫したり、
 飴と鞭で妨害してきてから、ほとんど揉み消されていたんです」
 「一瞬たりとも時間をゆるがせにはできません。嫌がらせの電話や脅迫もあるかもしれ
 ません。だからこそ早くマスコミに知らせた方が良いんです」
・「私たち夫婦はその場は保留しました。でも、私たち夫婦も二人で覚悟を決めていまし
 た。たじろぐ自分の心を必死で打ち消しました。『私たちが悪いことをしたわけではな
 い』。何度も何度も、そう自分に言い聞かせました」
・1995年5月、ついに美智子さん夫婦は会社に電話した。
 「私どもはこれから労災の申請をいたします」
 これは会社に対する一歩も引かない戦いの宣言であった。
 すると中部プラントの人がすぐに美智子さんたちの家にやってきた。
 「ねえ、そんなこと、おやめなさい。労災の申請などをしましても、原発反対派に利用
 されるだけですよ」   
・「いいじゃありませんか!息子は原発で働いて、その放射能で殺されたのは間違いあり
 ませんから、その通りの事実を労災申請で認めていただくだけのことです」
 「そうですか。それじゃあ労災申請はしかたがないかもしれませんが、マスコミで騒い
 だりしないほうが、あなた方のためですよ」
 「ご心配のようですが、原発反対派に利用されるですって?」
 「この際、どちらが真実がということだけしかありません。敢えて利用というなら、
 私たちが息子のためには原発反対派が人質を語ることを『利用』すればよいだけのこと
 です」 
・1993年5月、藤田祐幸先生、海渡雄一弁護士、水野彰子弁護士、伊藤良徳弁護士と
 美智子さん夫婦は磐田労基署に向かいました。
 労基署では多くのマスコミ関係者が私たちを取り囲みました。
・労災認定の論点は次の労災認定基準に伸之さんが適合するかで争われた。
 @相当量の電離放射線に被曝した事実があること。
 A被曝開始後、少なくとも一年を超える機関を経たのち発生した疾病であること。 
 B髄性白血病またはリンパ性白血病であること。
・この労災基準に、党派を超えたみんなの努力によって、次第に、@ABのすべての項目
 について確固とした実証が明らかになった。
 そして労災認定は1994年7月、ついに磐田労働基準局で下されたのである。
・だが中部電力は、謝罪をもとめる夫婦に対して、「今回の認定が浜岡原発における被曝
 と白血病に直接の因果関係があったことを意味するものではない」と言い放っている。
・そして政府は、2012年7月15日は仙台、16日は名古屋で「2030年時点で原
 発比率をどうするか」というテーマで意見聴取会を開催した。
 この集会は、政府が提示した
 (1)  0%
 (2) 15%  
 (3) 20〜25%
 の三案に対し、抽選で選ばれた一般国民、各三人計九人が意見を述べるという官製の集
 まりであった。 
・この集まりは政権の原発推進の露骨な目論見がみえみえで、出席者から
 『やらせの集まりだ』 
 という批判が続出するありさまとなった。
・二カ所で行われた「聴取会」では、それぞれ東北電力、中部電力の幹部社員が参加し、
 「原発推進」の20〜25%案に賛成を表明。
 中部電力の幹部社員は、
 「放射能の直接的な影響でなくなった人はひとりもいない」
 「5年、10年たっても状況は変わらない」
 と言い放ったのである。
・この認識は後の自民党高市早苗政調会長の「原発事故死者ゼロ」発言につながっている。
 高市氏は2013年6月、神戸市で講演し、原発の再稼働問題について
 「福島第一原発で事故が起きたが、それによって死亡者が出ている状況ではない。
 最大限の安全性を確保しながら活用するしかない」
 と述べた。
・電力会社の幹部も自民党の幹部も、中部電力の幹部も認識は一致している。
 原発による死者はいない。
 原発は安全であり今後も大いに活用するというのである。

・私は2013年3月、伊藤実さんと会って嶋橋伸之さんの死因について語り合った。
 「嶋橋伸之君が浜岡原発で働いてきたとき、原発労働者の健康管理をする医療体制は、
 は浜岡原発との癒着関係で成り立っていたんですね。癒着の根源は、原発立地を推奨す
 るために設けられた電源開発特別措置法交付金事業ですよ。御前崎市は病院から学校、
 公民館、遊戯場、実に立派な施設が地区ごとに並び立っています。これらのすべてが電
 源開発特別措置法による交付金事業によるものなんですね」
 と伊藤さんは言う。
・嶋橋伸之君が自分の死因を知らないまま死んでいった。
 医療は彼が死んだ白血病の発病の原因を社会的に歴史的に疾学調査すべきなのに調査を
 しない。そればかりか、原因を隠す。伸之君のデータを捏造する。という謎の行動を終
 始とっている。
・伊東さんはその経緯を次のように述べる。
 「その問題については御前崎市立病院の元病院長の佐々木龍平さんの話があります。
 彼は、病院を憤懣やるかたない思いでやめたんですよ。
 調節のきっかけは御前崎病院に医者がゼロになった。
 なぜ来ないんだ、ということが市議会で問題になった。
 そのとき、佐々木さんは、『昔は研修医が病院長の指示で離島でもどこにでも行った。
 しかし、今では医者たちの状況が一変し、この病院には浜岡原発があるし、怖がって来
 たがらない。病院長が指示してもだめだ』、ということを正直に話した。
 すると議員たちが『花岡原発があるから医者が来ない』と言う佐々木氏の発言を問題視
 して、議事録を削除しろという騒ぎになったのです」。
 「市議会にそういう原発隠しの意図があるなら、良心的な佐々木院長を呼ばなければ良
 いじゃないかねえ。変な市議会だねえ」
 と私が言うと、伊東さんは
 「病院には素人である我々には考えられないような学閥至上主義がある。縄張り意識で
 すね。たとえば菊川市立病院も、掛川病院も名古屋大学医学部が握っている。浜松医療
 センターは長崎大学医学部が縄張りだとか。
 今時分、封建制の大名支配がまかり通っている。
 研修医の派遣も縄張り大学から回されてくるのです。
 だから、浜松医科大学の教授が研修生として御前崎病院に行けと言うんだが、そこは設
 備も整っていないし、原発もあるから怖いし嫌だ。
 医者も、自分の子供が放射線を浴びるのが怖い。
 だから御前崎病院には行かせない。
 佐々木龍平院長は『何で御前崎病院には医者が来ないんだ』、と参考人として出席して
 議員に問われた時に、そう答えたんです。
 そんなことを本音でいってはいかんのです。
 これが議員たちの激怒をかって大騒ぎ、議事録を削除されたということです」 
・病気があれば、その社会的、歴史的な因果関係を調べる。
 それが医療の社会的役割であろう。
 嶋橋伸之さんについても彼の白血病の社会的、歴史的な因果関係が調査されなければな
 らない。
 だが、嶋橋伸之さんの死に至る経過のあらゆる場面で、彼の病気の起因する原子炉内の
 作業実態との結びつきを病んなど医療関係者が調査した形跡がない。
・伸之さんが死に至る数年間は、浜岡原発が彼の働く場所であった。
 彼お健康に関する管理は職場のホールボディーカウンターによって診断されていた。
 重症化した後は、市立浜岡病院と、浜松医科大学病院血液科であった。
 伸之さんが白血病であると診断されたのは、浜松医科大学病院に入院してから後である。 
・職場で彼の健康は、すべて「異常なし」という診断であった。
 しかし、どう考えても職場のあらゆる場面で放射能と白血病の因果関係が疑われる状況
 に彼は置かれていた。
 事実を分析してみれば、どう考えても彼の白血病の原因は職場の放射能に起因すること
 になる。
 ところが、これを医療関係者は隠し、だましていた。
 労働者や住民の命を守ろうというのが医学的常識のはずなのに。
・だが原発関係者の中部電力も、彼を雇った下請け企業も、浜岡病院も、伸之さんの病気
 を認めず、彼の病気が放射能による白血病としか考えられない病状にもかかわらず、
 白血病の血球数をごまかし、病気の原因となった原発による被爆の事実を追求せず、
 白血病がわかった段階でも原発による発病の原因を隠し、放射線管理手帳を渡さずに死
 後まで隠し、死後に渡したときには放射線管理手帳を改ざんし、最後まで彼の死と病気
 の発病の原因を偽り、隠し通した。 
・以上の事実から中部電力、その下請け、孫請け企業、それらに関わる医療も、国策とし
 ての原発推進のために、伸之さんと両親をだまし、伸之さんを死に追いやった。
 この事実は歴然としていて隠しようもない。
・原発労働なしには原発の稼働はできない。
 原発が労働者を殺すという。病気と原発の関係を隠さなければ、原発労働者の募集は不
 可能である。 
・医療機関が原発と伸之さんの白血病との因果関係を隠しておけば、伸之さんを死に追い
 込んだのが原発であることを隠すことができる。
 そうすれば、労働者を安心して原発で働けと言い続けることが可能である。
・電力会社と産業医の行為には国民、労働者、住民の命を守ろうという視点がまったくな
 い。
 彼らの視点は財界、政界、官界の利権を最重点の視点として尻尾を振って自己の利益を
 守るという姿勢があるだけだ。

激論・死闘、中部電力対高杉晋吾
・浜岡原発がメルトダウンし、大爆発して関東、中部、近畿を壊滅に導いたときに多くの
 人々が放射能にさらされ、発病し、死の淵に追いやられる。
 その際に、被爆者たちは「あなたが電力会社の放射能でやられたというなら、その因果
 関係を立証してごらん」と病院から言われる。
 原発政策に追随する医療は原発が招いた発病の原因を究明するどころか、それをことご
 とく隠し、証拠を改ざんし、放射能による害を隠蔽することに狂奔してきた。
・こんな医療では国民に忌み嫌われるだけだろう。
 医療が国民から忌避される。
 こういう不信感が広がっていることは恐るべき事態ではないか?
・こういう医療を国民の前で「これが日本の医療である」と誇りにすることができるだろ
 うか?
 繰り返すが今後、安倍内閣の下で行われる、原発総再稼働の果てに必ず起きるメルトダ
 ウン、大爆発に結果として、放射能は全国に降り注ぎ、誰もが逃げ惑う結果になる。
 国民の大多数が放射による死病に侵された時、病院はあなたに告げる。
 「騒ぐんじゃないよ!あなたの発病が原発によるものだという因果関係を立証できない
 だろう!放射能を浴びても発病しないんだよ。黙っていなさい!」
 これが原発政治に国策動員された医療の姿だ。
 こういう医療は国民の手によって批判の対象としていかなければならない。
 国民の命と健康を守るために。
 
経営者たちの脱原発
・金融機関でありながら浜岡原発裁判の原告となり、真正面から脱原発を掲げて経営に取
 り組み成功している城南信用金庫の「吉原毅」理事長にお話を伺った。
・吉原:
 私の顧客の自動車産業の方も地域を大切にするという企業はたくさんあります。
 一番困るのは大企業です。サラリーマン企業ですよ。
 役員が自己保身で生きてきた企業は始末が悪い。つまり組織のしがらみですよね。
・高杉:
 自己保身と特権階級の中で生きていると、その特権の配分の中でしかものを考えなくな
 るんですね。 
 もう一つは談合であるとか、天下りとか、その中の金で仕事の配分の仕組みでがんじが
 らめに支配され、沈黙しながら従って生きる。国や官が主導する。
・吉原:
 電力会社や、大企業、銀行、生保などの関係者の方々は、直接的な国の意向には背けま
 せん。
・吉原:
 電力会社も膨大な融資を受けて原発に投資している。
 原発をストップすると融資の返還が不可能になり、かつてない膨大な不良債権を抱える
 ことになる。 
・高杉:
 住民が被害に怒って抗議すると頭をさげて見せるが、内心は、
 「今に見てろ、おれたちが電気を起こし送ってやっているんだ。最後に頭をさげるのは
 お前たちだ」
 と舌を出しているんですね。
・吉原:
 あの人たちはエリートじゃないですか。地位もある。
 退職金も非常に高くいただいて、その後も天下り先が用意されている。
 そういうものが目先にちらつけば、それを手放したくない。
 まして社会や国の為に考える人たちではなく、自分の地位と金のためにようやく手に入
 れた特権階級の地位を失いたくない。 
 そういう方々が目先にある利益を必死で手放さないのは当然ですよね。
・高杉:
 エリートたちの自己保身は、それは個人的な行為だけではなく、個人から社会まで、
 特権階層の権益を守ることを至上目的にした。
 日本全体の国家社会的規模で経済的、政治的、社会的に制度化された行為なんでしょう
 ね。
 個人的な欲望も絡んでいますが、談合を通じて仕事配分の支配体制をつくり、従わぬ者
 にはそういうシステムや地域からも追放し、生きていけないようにする。
 民主党支持と言ってきた労働組合のかなりの部分も、そういう仕組みに入って腐敗政治
 の手先になっていますね。
 問題は日本社会そのものが公平公正な基盤を滅ぼして、特権階層による支配のシステム
 化された社会になってしまっているということではないでしょうか?
 公正取引委員会がありますがお飾り的な組織ですよね。
 時々思い出したように摘発と称する行為をやるが、肝心の原発の談合は取り締まること
 さえできない法的システムとなっています。
・高杉:
 官僚の天下りもますます盛んです。
 国会議員は凄まじいばかりに金銭的に国民から離れて特権化しています。
 政官財の特権システムがはびこった社会だと思っています。
 こんなですから電力会社には政官財上げて逆らえない始末です。
 こういう中では資本主義社会なりの公平公正の筋を頑として通す企業の存在は重要です
 ね。
 腐敗の城の城主が年貢の取り立てで住民を抑圧している時に、住民の見方が腐敗の城の
 中で住民の旗を翻るようなものですか。
・吉原:
 彼らが特権層の城を築いて脱原発に抵抗して頑張るのは金が絡むからです。
 特権層の金は庶民が考える規模の金ではない。
 彼らが必死になって「脱原発」に抵抗するのは、脱原発になれば原発に賭けた膨大な投
 資がまるまる失われる。
 その損失が特別損として発生する。株が下がる。すると償却損になります。
 売却損。それから債権も不良債権、元金が返ってこない。
 金融機関が掛けた融資も返ってこない。
 すると企業の役員は気が気じゃない。
 何とか利益をあげて返済させたい。
 そうしないと自分の地位が危なくなる。
 その気持ちが最大優先する。
 だから原発で住民が放射能汚染被害を受けようが、故郷を追われようが、そんなこと
 は絶対に考えない。
・将来、彼ら自身が「脱原発」しかないと悟るかもしれない可能性が仮にあったとしても、
 今、そんなことを言っている場合じゃない。
 今の自分の身を守らなくてはならないから、頭をペコペコ下げてでも、鉄砲玉が頭の上
 を通り過ぎるのを塹壕の中で待って、静まったら「それ再稼働だ!」と突撃する。
 だから、原発再稼働を頑として譲らず、形だけは頭をさげて見せる。
 これが彼等の擬態であり彼等の本心ですよね。
・幸いにして首都圏にあるうちでは原発利権等はありませんので、直接的な抑圧関係はあ
 りません。  
 ただ電気がなくなったらどうするんだと脅かされる。
 それなら我慢し、節約しますよ、ということで責任を果たせます。
・そのほか、火力発電だって天然ガスなどのよる十分に性能の高いものがあるじゃないか
 と。
 明らかに原発に頼る必要はない。
 問題はお金の怖さです。
 私たちはお金を扱う企業です。
 だからお金の扱いを誤ることは非常に怖いことだと知っています。
 再稼働して、事故が起こっても、「大きな目的の前には少しぐらい犠牲があってもしょ
 うがない」などと言っている人を見ると直ちに融資をやめたくなります。
 欠陥があって稼働して大事故が発生しているんです。
 3.11はそういうことです。
 だから私たちは原発をぜひやめなさいというんです。
 我々の日常感覚から言うとそういうことです。
 
・鈴廣かまぼこ、鈴木悌介副社長へのインタビュー
・鈴木:
 お金で測れない価値がありますから、それをちゃんと認めていかないとこれから日本と
 いう国が人口が減っていってGDPが下がっていってしまう。
 これは当たり前の話なんですよね。
 ところがお金という物差しでしか豊かさが図れなくなってしまいますと、GDPが下が
 る、イコール豊かではないということになってしまう。
 だったらこれからの時代は暗い時代になってしまうよ。次世代がかわいそうだ。
 そうではなくお金に代わる物差しを持ちたいねえ。
・鈴木:
 中央集権は効率的だというが、何か不測の事態が起きるとかちっと止まってしまう。
 そこでものを言うのは独立型、直接型の顔が見える関係が必要だなということを痛感し
 た。どちらも必要ですが。
・鈴木:
 世の中二割、六割、二割っていう分け方をしますけれど、それを無理やり原発エネルギ
 ーに当てはめてみると、どうしても原発がなければだめだという人が上の二割にいます。
 下の二割は昔から原発は嫌だと言う人がいます。真ん中の六割は、今まで原発について
 考えたこともなくて、福島で3.11の原発災害が発生して、初めて「え?」って思っ
 た人たちです。
 ところが、上の二割は「経済界は原発がないと電気がなくなる。すると産業が空洞化し
 て、GDPが下がって日本経済は沈んでみんな不幸になりますよ」って。
 マスコミも含めて経済界は声が大きくてそんな声を発しています。
 一方、初めから原発嫌だという人たちに対しては「あの人たちは偏っている」とか
 「イデオロギーからあんなことを言っている」とか言われている。
 六割の人たちは「原発は怖いけど、発言してご飯食えなくなったら困る」って黙る人も
 結構いるわけですよ。
・鈴木:
 私は浜岡現地に行ったこともないし、専門家でもないから、技術的なお話もできません
 が、原発について二つの面から考えています。
 一つは原発を動かすこと。なんか万一のことが起きたら、取り返しがつかない事態にな
 ってしまうということですね。
 もう一つは使用済額燃料の問題が解決していませんねえ。
 どうすることもできない問題を未来に・・・。
 それも一年や二年じゃなく何万年ということにまで伸ばしてしまう。
 そのことと原発という仕組みにまつわりつく妙なお金の流れかたがわからない。
 利権という言葉でよいかどうかはわかりませんが、電力料金や税金という形で吸い上げ
 られたお金が、どこかで集められどこかわからない形で振りつけられて、地域ではお金
 が欲しいですから、アップアップしながらそのお金を貰っているという状況ですね。
 いまだに国が上にあった地域が下にあるという仕組みがある。
 これからは地域がいかに自立してゆくのかという時期にあるのだから、この仕組みを直
 していかなくてはなりません。
 そういうおおきな観点二つで原発問題はあると基本的に認識しています。
・鈴木:
 再稼働については、今エネルギー環境会議で、2030年でエネルギー率がという議論を
 国民に提起したということになっていますけど、そもそも、電気が足りない足りないと
 いう根拠がすごくわかりにくいですよね。
 たとえば、大飯の原発が再稼働しなくてはならないという根拠が関西の電力不足だとい
 うのですが、たぶん、多くの不通の方に聞いてみますよ、夏になると四六時中15%足
 りないと思っている人が多いのではありませんかね。
 そんなことは全くなくて、あれはピークの話なんですね。
 ピークの話と、一定期間にどれだけ電力を使うかという総電力使用の話は全く違います。
高杉:
 ピークと平均をごちゃごちゃにした論議ですよね。
 ピークの時間に付そうするかもしれない論議を平時でも足りない足りないいって言われ
 るから、皆そう思い込んでしまう。
鈴木:
 そうですよ。それで夏になってエアコン使えなくて、寝苦しくて、爺ちゃんばあちゃん
 死んじゃったら困るって思うじゃないですか。
 ところがそんなことはまったくなくて、実際上の電気は、夜余っていますから、あえて
 言えば夜はバンバン、エアコン使って快適にくらしてもらえばよいわけです。
 問題は夏の暑いさ中の電力需要のピーク時に、どれだけ電力使用を下げるかということ
 です。   
 これは、今までの経験で、いつ暑いか、いつ頃暑いかということは大体わかっています
 から、それは皆で協力して工場はとりあえず稼働の時間や電気の利用の仕方をどのよう
 にしようかねって協力し、計画して使えばできるはずですよね。
 それをやらずに電力会社は足りない足りないって言って原発を稼働すると言っている。
 ところで電力会社の場合、電力が足りないから原発を動かしているかと言えばそうでも
 ない。
 足りなくて動かしているならば、企業が電力の節約をしてしまうと原発の電力は要らな
 いということになる。
 いわば脱原発とおなじことにある。
 脱原発が実際上行われれば、電力会社のバランスシートが崩れる。
 電力の供給が要らなくなる。
 電力料金が取れなくあり収入が減る。
 融資されたお金が返せなくなる。
 こうして融資されたお金は不良債権になる。
 減損処理しなくてはならなくなる。
 するとバランスシートがひっくり返ってしまって、貸し込んでいる銀行が困っちゃう。
 
全国焦土作戦? 脱原発?
・安倍首相の動きは自民党の軍国主義化への陰謀に連動している。
 原爆による武装の路線は、自民用によって周到に用意されていた。
 最近、原子力規制委員会設置法案にひそかに挿入された「核開発はわが国の安全保障に
 資する」という付則がそれである。
・日本において3.11歳外ですでに明らかになったことを私なりに項目化すると、
 ★安全な原発などない。
 ★地球上の地盤で危険きわまる原発を建設できるところはない。
 ★原発建設促進は差別と貧困を利用した方法しかない。
 ★建設地は都市ではなく、農山村の人口の少ない土地である。
 ★住民には「国策である」「安全である」「困窮している地方財政にお金を与える」と
  いう欺瞞で釣る。 
 ★原発労働力は仕事のない貧困な人々から集める。
 ★地方自治体でも財政困窮の市町村に対する電源三法などの交付金、事実上の賄賂で釣
  る。
 ★労働者や近辺住民には放射能による発病や死が襲うがこれを医療が隠し、証拠を偽造
  する。
 ★これらを推進する勢力は貧困や放射の現実にまったく接触しないエリートたちである。
 ★このエリートたちは、原爆ミサイルで脅かしたつまりになって逆に穏やかに、不気味
  に説得されて、振り上げた手のやり場に困っている輩である。
・日本ではこうした坊やたちが差別を利用して政官財の支配者として為政してきた。
 「坊やが権力をもつ」「坊やが独裁システムの元で暴力装置を操る」「坊やが暴走する」
 この行動は世間知らずの「坊や」の特徴である。
 だが、この恐怖を惨めな思いで受けるのは、悲惨な自国民である。
 自国民が受ける苦しみや結果について彼らはまったくわかっていない。
・日々の暮らしに追われ、失業や低賃金労働など、貧困や底辺に生き、差別されて生きる
 人々の心も状態も見えないエリートを、私は「坊や」という言葉で括るのである。
 だから坊や=エリート集団は恐ろしい。