アベノミクス批判 :伊東光晴

この本は、いまから10年前の2014年に刊行されたものだ。
第2次安倍政権は2012年12月から2020年9月までだから、第2次安倍政権が始
まってから1年後にこの本は書かれたことになる。
安倍政権と言えば、経済政策として掲げられた、いわゆる「三本の矢」が有名である。
・第一の矢:大胆な金融政策
・第二の矢:機動的な財政政策
・第三の矢:民間投資を喚起する成長戦略
この本の著者は、この三本の矢の他に隠された「第四の矢」があるという。
それが「日本をとりもどす」ことであり「戦後レジームからの脱却」である。
この本の中で著者はつぎつぎとこれら四本の矢を痛烈に批判し、へし折っていくのである。
第一の矢の「大胆な金融政策」を代表するのが日銀・黒田総裁の「異次元の金融緩和」策
だった。日銀にどんどん国債を買わせて市場をカネでじゃぶじゃぶにした。
結果はと言えば、この本の著者の批判していた通り、株価は上がったが景気は思ったよう
には上向かず、目標の物価上昇率2%も政権最後まで達成することはできなかった。
著者は、日銀の副総裁だったリフレ派の「岩田規久男」氏を厳しく批判している。
第二の矢の「機動的な財政出動」を代表するものと言えば「国土強靭化」政策だろう。
これは、「南海トラフ巨大地震」と「首都圏直下型地震」に対処するとして、10年間に
200兆円の対策費を投ずるというものであった。10年間で200兆円というと、年間
20兆円を投ずることになる。これは国の財政収入の状況から考えても、すでに多額の国
債累積を抱えていることからも、まったく無理筋の空論であった。
結果、その公約はまったく無視されることとなった。
この本の中で著者は、東日本大地震の経験を踏まえて、南海トラフ巨大地震に対処する道
を述べている。それは少ない費用で、しかもすぐにでも実行できる現実的な対策だと私に
は思えた。
第三の矢の「民間投資を喚起する成長戦略」を代表するものといえば、「日本産業再興プ
ラン」だろう。その具体策として六つの目標が掲げられたが、どれも目標を達成したとい
えるものはなかったように思える。
六つの目標の中には「雇用制度改革・人材力の強化」なるものもあったが、これは「雇用
特区」を設定して、従業員を必要とあらばいつでも解雇でき、安い賃金の従業員を派遣社
員として雇うことができ、労働時間が長くなっても残業手当を支払わなくてもよい労働市
場を目指す、というものであった。
この本の著者は「これほど反従業員政策を推進しようとした内閣は戦後ない」と批判して
いる。
この他の経済対策として、原子力政策があった。
これは、インドやトルコ等に日本の原子力発電の設備と技術を売り込もうというものであ
った。福島原発事故によって、日本国内の原発がひとつも動いていない状態でありながら、
海外に原発を売り込もうというのである。私には狂気の沙汰としか思えなかった。
しかも、原発から出る放射能廃棄物をどう処理するのかという問題の解決策として、
「モンゴルに最終処分場をつくる」という考えを示して売り込んでいたと言われている。
それはもちろんモンゴルの同意を得たわけでもなく、モンゴルもこれを拒否していたとい
う。
「こんな当てのない話を利用して、日本の原発の売込みを安倍首相がはかっているとした
ならば、無責任の極みである」と著者は批判している。
隠された第四の矢については、戦前を戦後に持ち込んだ祖父・岸信介の果たせなかったも
のを実現しようとしたものだとして批判している。
著者の批判は、わかりやすく説いており、私にはどれも納得のいくものと感じた。

過去に読んだ関連する本:
金融緩和の罠
アベノミクスの終焉
アベノミクスは何を殺したのか
異次元緩和の終焉
中央銀行はもちこたえられるのか
世界同時不況
「小さな政府」を問いなおす

はしがき
・「安倍晋三」首相のとなえる第一の矢である金融政策は、2013年に「黒田東彦
 日本銀行新総裁に就任して以降、実現に移された。
 それがもたらす、経済波及経路を明言した日銀副総裁「岩田規久男」氏は、金融政策は、
 人々の期待に働きかけるもので、おまじないのように思われるかもしれないとも言って
 いる。日銀の政策がそのようなものであることを、私ははじめて聞いた。
・金融政策は、経済政策の中心であり、確たるものであり、決して、おまじないのような
 ものではない。
 このような不確かな理論にもとづく政策の登場は、「レーガノミクス」と同じである。
 レーガノミクスは、税率を下げれば、税収が増えるというものであり、そのための理論
 がら「ラッファー・カーブ」であった。
 この理論には、税率と税収を結ぶ所得決定論が欠けており、同時に現在の税率の位置が
 推測にもとづくもので実証に欠けている。ラッファー・カーブも実証されていない。
・アベノミクスもレーガノミクスと同じ推測にもとづく人々の行動を前提としており、
 実証にかけ、無理論の上に立つものという点では同様である。
・安倍政権は、欧米のマスコミが書くように戦後の日本で、例外的な「極右政権」である。
 この極右政権の特徴は、日本が戦前に中国を侵略したという事実を認めないのが第一で
 ある。  
 こうした考えは、戦後自民党内につづいており、何人もの閣僚が侵略戦争を否定する発
 言を行い、中国の強い抗議を受け、辞任している。
・こうした考えの日本の政治家とアメリカの右翼政治家と結ぶ環となったのが、安倍首相
 の祖父である「岸信介」である。
 戦争中、満州国の官僚として辣腕を振るい、関東軍の司令官だった「東条英機」と知り
 合い、対米開戦を行った東条内閣の商工相であった岸信介が、なぜ先般から解放された
 のか。
 それだけでなく、講和条約発効後、ただちに政治活動をつづけることができたのか。
 その政治資金はどこから出たのか。それらは一種の謎である。
 冷戦進行下、反共の政治家として、利用価値をアメリカ軍事当局が認めたからであろう。
 それを推進したのは、アメリカの右翼政治家と結ぶ、いわゆるCIA 外交である。
・CIAは軍部と結んでいる。
 占領下の極東軍事裁判であったことから、岸は利用できる人物として釈放されたのであ
 ろう。 
 その関係は、いま安倍首相に引き継がれ、反中国を利用しての平和憲法の改変に向かっ
 ている。
 戦前社会と日本の軍隊が如何なるものだったのかを知るわたしとしては、この流れを認
 めるわけにはいかない。

日銀の「量的・質的緩和」は景気浮揚につながらない(第一の矢を折る)
・日銀が大量の通貨を供給し続けると、人々は物価が将来上がるだろうと考える。
 「予想インフレ率」の上昇である。
 すると「予想実質金利」が低下する。予想実質金利が低下すると設備投資が増加し、景
 気浮揚の力が働く。これが私が考える第一の流れである。
・しかし、このトランスミッション・メカニズム(波及経路)は、すべてあやふやなもの
 である。「物価が上がるだろう」は「だろう」であって「上がる」ではない。
 供給過剰の社会で物価があがることはない。「予想インフレ率」にしても予想は人によ
 って異なり、多様で曖昧である。
・銀行が企業に貸し出す長期金利は1%前後である。
 物価が1〜2%上がったことによる実質金利の低下はその1〜2%で、とるに足らない
 ものである。 
 これくらいの実質金利の低下で、不確実性を伴う投資を企業が増やすわけがない。
・岩田氏が考える第二のトランスミッション・メカニズムは、「予想インフレ率の上昇」 
 が実質金利を引き下げ、それが手持ち資産の価値を増加させ、「消費支出の増加」とな
 る、というものである。
・まず、岩田氏の頭にあるのは、利子率が下がると、債券の価格が上がるというものだろ
 う。 
 だが、日本人が所有している資産は債権だけではない。不動産もあれば預貯金も多い。
 債権の比率は小さいと言ってよい。
 この場合、物価が上がったなら、預貯金は減価するし、自らが住んでいる家の時価が
 1%上がったからといって、消費支出を増やす人はいないだろう。
 消費支出を増やすというのは短絡すぎる。
・より大きな問題は、岩田氏が日銀による通貨量の増加に伴う人々の予想を「一つ」だと
 しているところである。 
 人間は多様である。人によって予想は異なる。トランスミッション・メカニズムも多様
 である。それが交じり合い正反対の予想をする人もいる。
・日銀による貨幣供給量の増加が将来の物価を上げると予想する人の多くは、実質金利の
 低下予想よりも、将来物価が上がり、生活が困るのではないか、という危機感をいだく
 かもしれない。 
 こうした人は、岩田氏の推論とは反対に、それに備え、消費支出を切り詰めるかもしれ
 ないのである。
・岩田氏は、投資増、消費支出増とともに、予想実質金利の低下による内外利子率格差に
 よって円が安くなることに期待し、それによって輸出が増えることと、外国人観光客が
 増加することを述べている。
 現実経済は円対ユーロ、円対ドルにおいて大きく円安に動いた。対ユーロは30%以上
 安、対ドルは20%以上安である。
・一方、通貨大量供給による物価の上昇はどうなったか。
 政策が意図したのは、投資増、消費支出増、つまり「有効需要」の増加による物価上昇
 である。 
 だが現実は、そうした効果は見られず、大きな円安が輸入原材料価格を引き上げ、それ
 が製品に転嫁されて広く「コストプッシュ」による価格引き上げが見られ始めているの
 である。
・「量的・質的金融緩和」「異次元緩和」「非伝統的禁輸緩和」などと呼ばれているこの
 政策は、客観的には何であり、何をもたらすのであろうか。
・日本の株式市場で売買の主力は海外投資家といわれている投資ファンドなのであり、
 国内では投資信託と個人が売買に加わっている。
 投信は、利益を出すために投機的行動をとっている。
 元本の安定しないこうしたものを中央銀行が購入するのは問題であるという議論は別に
 して、こうしたものを購入することは、日銀が株価を上げるのに力を貸していると考え
 てよいだろう。
・最後のいわなければならないことは、日銀の姿勢である。
 1997年6月、日銀法が改正され、日銀の政府からの独立性が強められた。
 だが、今日の日銀中枢の人事の決定、政策の検定には首相の意向が強く働いており、
 第三者の目には、日銀の独立性なるモノは全く存在していないと映っている。 

安倍・黒田は何もしていない(なぜ株価は上がり、円安になったのか)
・株価上昇も円安も安倍政権の経済政策がもたらしたものであろうか。
 私は株価の上昇も円安も別の要因に基づくものであると断言できる。
・日銀の貨幣供給量の増加は、その大部分が日銀にある各銀行の当座預金の増加となって
 いるのである。 
 それが引き出され企業に融資されて設備投資となるなど、実体経済の活況化をもたらす
 ものにはほとんどなっていない。せいぜい日銀に売った国債の代わりに、新規国債を買
 うぐらいである。
・銀行は利子のつかない当座預金を引き出し、企業に融資し、利子を稼ぎたい。
 しかし日本の現状は、こういう借り手企業がなかなか見つからないのである。
 焦げ付くかもしれない危ない企業なら借りてはある。
 しかし、安全を考える銀行は、そのようなところには貸せない。
・日本の株式市場の特異性の第一は、株式をほとんど売買しないグループと、頻繁に売買
 するグループに分かれていることである。  
 事業会社、都市銀行、地方銀行などが前者、つまり売買しないグループの代表である。
・市場で株を売買するのは主として海外投資家と、個人と、生命保険会社、損害保険会社
 と、投資信託である。
・その株式保有率は、おおよそ、
 ・外国人     25%
 ・個人      20%
 ・生損保・投信  10% 
 である。
・外国人筋の保有は、約25%である。だが、一日にものすごい回数の売買を繰り返す。
 先物と現物を組み合わせ、株価の変化から価格差を利用して売買を瞬時に行っていく。
 その売買が株価を決め、個人がそれに乗ろうとする。
 これが日本の株式市場に特異性である。
・この場合、外国人筋の行動は何に従っているか。その背後には投資ファンドがある。
 その多くはいくつかの投資基準を示し、資金を複数の運用会社に任せ、互いに競わせ、
 業績を上げさせようとする。
 この資金運用基準には、分散投資基準とか、PBR(株価純資産倍率)を重視するとか
 がある。  
・海外投資家は、つまりファンドは、日本の株価を上げるために日本に進出してきている
 のではない。利益を得るためである。
 したがって、うまく売り抜けなければならない。
 そのためには株価が変動することが望ましい。
 ファンドとファンドとの闘いである。
・変動なしに、乱高下なしに、ファンドは勝てない。乱高下の中で、過去を見れば、個人
 は負けていく。 
・東京株式市場も大きい市場であるが、そこで主役としてプレーする者は、海外の投資家
 たちであって、日本の企業や運営会社は主役の一人として登場していない。日本を代表
 するプレイヤー野村證券ですら、世界では運用会社として100位にも達していない。
 日本は証券市場という場を提供しているにすぎないのである。
 もちろん海外投資家は、日本株を所有するとはいえ、企業経営を行おうなどとは、つゆ
 ほども思っていない。 
 所有者としての発言は株価を引き上げるため、採算性の低い部分を切り離して上場させ
 ようとするのである。
 だが、こうした投資家同士の闘いの結果生まれた企業株価が、それを所有する日本企業
 の企業損益を左右する。
 なぜなら、株価評価が時価会計になっているために、営業利益以外の子の変動で企業利
 益が左右されるからである。
・安倍内閣の「大胆な金融緩和」と株式市場とを直結する人は多い。
 だが株価上昇への力は、民主党が衆議院で多数を占め解散の声が起こる以前に動き出し
 たのである。
 新聞が書き当事者たちが自負する安倍政権とは、何の因果関係もない。

・第三の批判点は、不況対策としての経済政策についてである。
 マネタリストの経済学者も安倍首相も、不況からの脱却のために思い切った金融緩和を
 主張する。 
 だが、このような金融緩和政策は不況対策にはならない。
 通貨量が増えようと金利が下がろうと、不況期には投資対象はほとんどなく、リスクを
 考え、企業は投資を抑えるからである。
・日本市場の縮小。このことに切り込んでいる唯一の人は、私の知る限り「藻谷浩介」氏
 だけである。安倍政権批判との関連では「金融緩和の罠」の中で自説を展開している。
・歴史に「もし」という言葉はない。
 しかし、もし、すでに忘れられた野田佳彦首相が衆議院を解散していなかったならば、
 どうなっていたであろうか。
 衆議院解散は彼の独断で、解散に賛成の民主党議員はいなかったことを思い出してほし
 い。
 すでに10月から始まっていた外国人の登場市場への大量進出は1月2月、3月と株価
 の上昇をもたらし、ファンド対ファンドの闘いが展開されていたであろう。
・つまり、民主党の政権で下でも株価上昇と円安への動きは同時進行したのである。
 政権が民主党であろうと自由民主党であろうと生じた経済を、安倍政権の政策の帰結と
 する愚かさから、我われは解放されなければならない。
  
「国土強靭化政策」に変わるもの(第二の矢を折る)
・安倍首相の唱える「第二の矢」の中心は「国土強靭化政策」とよばれ、近く日本を襲う
 かと思われている「南海トラフ地震」と「首都圏直下型地震に対処して、これに堪える
 強靭な国土をつくろうというものである。一見、批判の余地はないように思える。
・「国土強靭化政策」には、10年間に200兆円の対策費を投ずるとされている。
 これを見たとたん、私は自民党の公共投資待望の考えが頭をもたげたと思った。
 民主党政権が登場し、「コンクリートから人へ」と公共投資の抑制を打ち出したのが逆
 転し、再び人ではなく「コンクリートへ」が政治の表舞台に出たことを意味している。
・国土強靭化のために10年間で200兆円を投入するということは、一年間に平均20
 兆円である。  
 そんな巨額な金が投入できるのか。できればよい。しかし、国の財政収入の状況を考え
 ても、国際累積の状態からも、年20兆円の対策費は入りうる余地はまったくない。
・では年20兆円という政府の公約はどうなるのか。それは無視される。今回だけではな
 い。過去も同じであった。
・問題を考えるために、東北の津波で人や家が流された被害地の現状を見よう。
 国や県が考えることは、再び津波の被害に人々が合わないように、高台に住宅地を移す
 ことである。  
 だが被災者にとってそれは容易なことではない。
 今まで生活の基盤は海岸線の平地にあった。
 それを捨て、海岸線から遠い高台に移るためには、土地を入手するための資金がなけれ
 ばならない。一部の豊かな人を除いて買い替えができる人は少ない。
 買い替えができたとしても、隣近所の人は、今までの顔見知りではない。
 安住のコミュニティは失われてしまうのである。
・当初高台移転に賛成していた人も、高台の土地の整備が予定どおりにならず、おくれだ
 すと、もとの土地にバラックでもよいから家を建てようかと考えだす。 
 家を失った被災者が、仮設住宅に入居した直後はほっとする。ともかく雨露をしのぐ家
 はありがたいと。しかしそこで一年、二年と暮らすと、小さくてもよいから、早く、
 自分の家に住みたいと思うようになるのは自然である。
・大都会に住む人たちが気がつかないのは、田舎の土地の所有権の問題である。
 土地の所有者が、死んだ祖父の名義になっているような例がかなりある。
 登記されないまま、何十年も経っているのである。
 問題は利権者の多さである。
 昔は子どもが多かった。途中で死んだ人の子、孫と何十人もの利権者が出てくる。
 会ったこともない人も多く、そのすべての人の同意を得なければ所有権の移転はできな
 い。利権者は全国に広がっている。名前も知らない人までいる。
 東北の被災地で起こっていることがこれである。
・ここで庶民の「とりあえず主義」と、町や市の考える高台移転とがぶつかる。 
 高台移転は正論である。二度と津波の犠牲者を出してはならない。将来を見据えた合理
 的な考えだと言ってよい。
 それは明治以来、日本の行政を支配した合理主義であり、インテリの考えだと言っても
 よいだろう。
 対する「とりあえず主義」は庶民が生きていくための選択である。
 将来のことより現在の生活である。
 この対立が東北の津波の被災地の現実である。
・東北の太平洋岸でも津波対策として巨大な堤防がつくられてきた。
 何年間にもわたるプロジェクトで、これによって大津波に立ち向かおうとした。
 それがどの程度有効であったかは、わからない。
 しかし災害の結果からは、あるものは津波に乗り越えられ、あるものは破壊されている。
・「国土強靭化政策」は、堤防でも道路でも何でもよい、防ぐものを作ってほしい、そう
 した人たちの声に応える政治家のアピールであるとともに、建設頭皮に期待している各
 地の中小土木建設業という、自民党の草の根支持層へのエールである。
・だが、もしこうした堤防や道路が建設されたとしても、静岡から九州まではあまりにも
 長い。
 出来上がるのは所どころであり小間切れの堤防では、大津波を防ぐことはできない。 
 「国土強靭化政策」が意図するこうした政策は、予算制約の前に、いざという時に間に
 合わず役立たない建造物をポツンポツンとつくりだし、美しい海岸を見るものから遮断
 するものに終わるにちがいない。
・「第二の矢」の「国土強靭化政策」では南海トラフ巨大地震の津波対策にはならない。
 ではどうすればよいか。
・地震・津波対策は何よりも人の命を守るものでなければならない。
 そのためには海抜六メートルとか七メートルの海岸線沿いの土地に、遁階建ての公的住
 宅を建てる。
 この建物は海に近いところで働く人たちが住めるように設計する。
 その屋上をいざという時、津波から身を守る避難所にする。
 安全のため、さらにその上に避難所を作ってもよい。
 こうすることによって、たとえ十八メートルの津波が来てもここに駆け上がれば、命は
 助かる。
・こうした災害対策住宅は、災害を防ぐ目的でつくられたのであるから、建築費の二分の
 一を国が、四分の一を地方が持ち、これで貸すのであれば家賃は安い。
 安くても家賃収入が公的分野に入る。
 基礎が幅広く、高さ十メートルものコンクリートで固めた堤防は、巨額の費用をかけて
 も、家賃を生みはしない。 
・東北での経験から、近くの小高い裏山に向けて道をつくり、津波が来る前に、付近の人
 はここを通って高台に行く。
 これがひとつの対策だと私は思っている。
 山に行くと、山道がつくられている。付近の木を切り、それを道路の両側に杭として打
 ち込み、そこに切った木を横に並べて階段状に道がある。
・材料はそこにある。各地で自分たちの命を自分たちで守る「命の道」をたくさんつくる。
 若い人がいないところにはボランティアが行ってつくればよい。
 それこそ自衛隊が行けば作業がはかどるだろう。
 自衛隊は、
 災害が起こってから行くよりも、起こる前にいくほうがよいにきまっている。
 アメリカを例にとれば、アメリカにある大型ダムの半分は軍隊がつくった、ということ
 を知っている人もいよう。自衛隊が「命の道」を作って何の不思議はない。
 これは、ほとんど金がかからず、国の財政を破綻させることもない。
 そしてすぐにでも行動を起こすことができる。
・「命の道」と「避難ビルの建設」、それは現実にやって来る南海トラフ地震に対する時
 間との闘いの合理的「とりあえず主義」の処方箋である。
 地盤のよい高台に、人々の生活を移していく。
 長い時間を要する本格的地域政策によって補われていけばなおよい。
 しかしそれは容易ではない。
 人為的につくられた街はおうおうにして住みにくい。
 
人口減少下の経済(第三の矢は音だけの鏑矢)
・この十数年の不況期にも景気の上昇はある。
 景気動向指数が示しているように、それは二回あったが、軽い上昇にすぎない。
 そして2000年代になって、長期の好況からリーマン・ショックによる大きな景気の
 落ち込みを経て、2010年以後に三度の軽い景気後退はあるものの、長期的には緩や
 かな上昇となっているのである。
 安倍首相が就任したとき、日本経済は緩やかな上昇過程にあったのであり、必ずしも不
 況ではない。
・確かに好況感はない。しかし、明らかに不況ではない。
 これを長期の不況という安倍首相の現状認識は誤りである。
・安倍首相の「経済成長」への固執は、何を実現するためのものかという問題である。
 私はここで、難しい経済成長への疑念を提起しようというのではない。
 有限な資源が問題になっているとき、豊かな先進国のさらなる成長が許されるものかと
 か、経済成長と福祉の分離とか、大切であるが難しい問題を取り上げようというのでは
 ない。
 そうした問題を現在の政策当局は考えようともしていないことは明らかだからである。
 彼らは何を目的に経済成長に固執しているのか、という表層的な問題である。
・わたしの推測では、それは経済成長による税収の増加である。
 確かに財政危機は日本経済が抱える大きな問題である。
 税収増加がない限り第二の矢である公共投資を増やすことはできない。
・だがである。経済成長→税収の増加によって、財政欠陥が解決するかどうかは疑問であ
 る。  
 それを可能にするには安倍政権が考える政策の枠を超えた、新たな政策を必要とするか
 らである。
 このことに気づき、成長政策とともに財政欠陥を補填する第三の政策がなされなければ、
 安倍政権の成長政策は、たとえ成功したとしても成果を見ることはできない。

・民間投資による成長戦略が、安倍政権の第三の矢である。 
 その中心「日本西行再興プラン(産業基盤の強化)」には、「産業競争力を高め世界で
 一番企業が活動しやすい環境の整備」として次の六つが挙げられている。
 @緊急構造改革プログラム(産業の新陳代謝の促進)
 A雇用制度改革・人材力の強化
 B科学技術イノベーションの推進
 C世界最高水準のIT社会の実現
 D立地競争力の更なる強化(新特区制度等)
 E中小企業・小規模事業者の革新
・Bの「科学技術委のへーションの推進」について見ると、それが科学地術の基礎研究の
 推進を考えているのであれば、それを担う中心はアカデミズムであり、大学の理工系と
 医学系が中心になるのは当然である。 
 だが国立大学ついていうならば、独立行政法人化されてから10年近く、財務省はそれ
 への支出金を機械的に年1%削減してきている。
 これによって、どの国立大学でも運営費にも事欠く出し、それが図書費、研究費、人件
 費を削減に追い込んでいる。
 私立大学で理工系の基礎研究を担う研究を維持することはむずかしい。
 「科学技術イノベーションの推進」という時、この国立大学の現況を変える政策を用意
 しているのであろうか。
・@の「緊急構造改革プログラム」は、五つの項目に別れ詳しく説明されているが、政策
 としては設備投資減税以外、具体的なものは見当たらない。
 この場合、投資減税は投資が行われた時の優遇策であって、成長にとって肝心の投資推
 進策そのものではない。
・Aの「雇用制度改革・人材力の強化」は、「再興プラン」の中心で、それは次のような
 ものである。
 第一:「雇用特区」と名づけられた地区に立地する企業は従業員を解雇しやすいことに
    する。
 第二:業務や金道などが限定される代わりに解雇しやすい「限定正社員」制度をつくる。
 第三:不当解雇として認定された時でも、職場への復帰ではなく、金銭を支払い、解決
    できるという「金銭解決制度」を創設
 第四:小泉政権が進めた規制緩和で社会問題化し、民主党内閣で原則禁止した「日雇い
    派遣」をもとに戻す「日雇い派遣の再回帰」
 第五:現在26業務に限り許されている無期限派遣を全業務に拡大
 第六:残業代を固定給の中に一定額入れ込んだとして、残業代を支払わなくてもよいと
    する労働時間規制の適用外とする「ホワイトカラー・エグゼンプション」の創設
・従業員を必要とあらばいつでも解雇でき、安い賃金の従業員を派遣社員として雇うこと
 ができ、労働時間が長くなっても残業手当を支払わなくてもよい労働市場を目指す。
 これが「第三の矢」の「日本産業再興プラン」において、明確な内容を持つ唯一の項目
 である。
・この労働市場に対する考えの中に安倍内閣の特徴があらわれている。
 これほど反従業員政策を推進しようとした内閣は戦後ない。
・都会に住む人の中には、一生働いて自分たちの住む家の住宅ローンを返済し終えたとい
 う人が多い。西欧社会との違いである。
 西欧では、100年前、200年前、300年前に建てられた家が使われている。
 その家に一歩入ると親代々の家具があり、富(ストック)の蓄えの違いを思い知らされ
 る。
 いつまで若い世代が自分の家を建て続けなければならないのか。
 年々の生産所得はあっても豊かさを感じられないのは、ストックが受け継がれない社会
 であるからであり、所得の伸びと無関係に、豊かな社会に住むということのために、
 空き家の再利用への転換がやがて起こるだろう。
 また、人口減少社会の下では、住宅需要の減少も時間の問題であろう。
・第三の矢でいう成長戦略は、新しい技術進歩が新しい商品を生み出し、新しい市場と新
 しい経営組織に支えられて生まれることを期待しているようにも思われる。 
 だが、そうしたものづくりのための経済理論も、確かな手段も存在しない。
 「日本産業再興プラン」の内容が不明確なのは当然なのである。
 いつ実現できるかわからないプランが並んでいるだけで、時間軸なき政策。
 それゆえ第三の矢は、安倍政権存続中には、有効性をもたない音だけの鏑矢に終わる可
 能性が大きい。
・私は、日本銀行の公的文書の中に次のような一文があることに気づいた。
 「日本銀行は2%の『物価安定の目標』の実現を目指し・・・予想物価上昇率を上昇さ
 せ、日本経済を、15年津恪続いたデフレから脱却に導くものと考えている」
・問題は、この文章の中の「15年近く続いたデフレ」である。
 「15年以上続いたデフレ」とある以上、1998年に入って以来日本はデフレだった
 ということになり、内閣府が発表している経済動向指数と矛盾することになる。
 同じ日銀の公的文書の中にもこの景気動向指数はある。
 だが、景気動向指数は80年代末のバブル期に比べられる好景気を21世紀になっても
 経験したことを示している。
 両者は同じヒ地銀の文書でありながら矛盾する。
・理由は明白である。
 1998年以降日本経済はデフレにあるという考えは、日銀の従来の考えではない。
 政府の見解でもない。
 それは岩田規久男氏の個人的な考えであった。
 2009年に岩田氏は
 「日本経済は98年半ば以降現在まで、11年間もデフレが続いていることになる」
 と書いている。
・安倍首相と岩田規久男氏は同じように十数年を超える長い不況が続いていると言ってい
 る。岩田氏は自信をもって、安倍氏はいずれかの人に入れ知恵されて。
・J・M・ケインズはその主著の中で次のように書いている。   
 「誰の知的影響も受けていないと信じている実務家でさえ、誰かしら過去の経済学者の
 奴隷であるのが通例である。虚空の声を聞く権力の座の狂人も、数年前のある学者先生
 から(自分に見合った)狂気を抽き出ししている」
・私は日本の21世紀は、経済は輛ではなく質を考える時代だと思っている。
 1960年代の日本の高度成長は、高い経済成長の持続と分配の改善を推し進めた。
 これは世界に例を見ないものである。
 多くの場合、成長と分配の不平等が同時進行している。
 社会主義を標榜している中国の現状を見れば、明らかであろう。
 格差拡大はあまりにも大きい。
 90年代以後、この日本経済の分配関係が悪化し続けている
 加えて財政赤字は先進国中最高、最悪である。
 このようなことを考えると、いま必要なことは、第三の矢が志向する成長願望ではなく、
 成熟社会に見合った政策であり、人口減少社会に軟着陸するための英知であり、少なく
 とも経済成長した時、財政が黒字になる構造改革と、戦後労働憲法とも言われた”有料
 職業紹介所の禁止”を復活し、若年者に悲惨な生活を強いる派遣労働を禁止し、福祉社
 会を指向することである。

予算から考える
・論者の中には、中央銀行による通貨の増大、あるいはゼロ金利下の貨幣供給の増加は、
 欧米諸国でも共通に見られる政策で、日本も同様であるとして、これを正当化する者も
 いる。だが両者はまったく異なる。
 なるほど表面的には、欧米でも日本でもゼロ金利下にある。
 だがその目的は異なる。
 欧米の場合は、倒産の連鎖をくい止めるためである。
・日本の2014年の日銀の長期国債の大量買入れは、低金利を持続させるものの、この
 欧米のように危機に対処するというような、やむを得ざる政策ではない。
 ただ、いままで続いた大量の国債発行による予算編成をつづけるために過ぎない。
 そこには欧米のように、どのようにしてゼロ金利から脱却し金利機能を復活させ、正常
 な社会に戻すか、という議論が生まれる余地がない。
 なぜならば、金利が正常に戻るということは、国債の利払いが巨額になり、予算編成が
 不可能になってしまうからである
 したがって、財務省が選ぶ道は、発行した国債を日銀が引き受けつづけ、低金利をつづ
 け、国際は累積し、問題を将来へ順送りするだけである。
・赤字国債の発行は2000年代に入って巨額化し、ここ6年間は毎年35兆円前後を続
 けているのである。 
 これを正す力は官僚にはない。官僚にできることは、問題を先送りすることである。
 だが先送りすればするほど、改革は大きな痛みをともなう。
 改革は財政の現実を直視することから始めなければならない。
・バブル崩壊によって布教に入った90年代、ひとつには不況対策としての減税という考
 えから、ふたつめには、アメリカに倣えという考えから、法人税も所得税も引き下げ、
 所得税は累進性がゆるめられていく。
 その結果、1980年代まで、歳出と歳入が並行して上昇していたものが、歳出はその
 ままのび、歳入が下降し、両者が大きく離れている。
 財務省の人はこれを、ワニの口が開いたまま、閉じることができない、と言った。
 「開いた口がふさがらず」である。
 それなのに安倍首相は、2014年4月の衆議院で、法人税の引き下げに意欲を示し、
 自民党税制調査会がこれに難色を示した。
 安倍首相は、これが自らの第三の矢のひとつだというのであろう。
 財務省は冷ややかに「開いた口が・・・」である。
・繰り返そう。第三の矢の中で意図している。
 法人税引き下げによって、景気を上向きにし、税収増をはかるという考えは、1990
 年代に試みられ、失敗し、財政悪化をいっそう強めてしまったものである。
・安倍政権の第三の矢は、経済産業省の関係者が書いたといわれている。
 財務省はこれを無視する。
 問題にせず予算を編成した。
 こうした傾向は今後も続くものと思われる。
 なぜならば、安倍首相が志向するのは政治であり、経済ではない。
 戦前体制への復帰であり、再軍備と対中国強硬政策だからである。
・経済政策上起こりうることは、消費税10%引き上げだけである。
 このとき、公明党との約束にとって、品物によって低い税率を課す軽減税率導入される
 ことになるだろう。  
 安倍首相は、憲法解釈変更その他で、自分の主張を押し通し、公明党は、これを認めて
 きた。何としても政権にとどまりたいという思いからである。
 政権与党となった旨みを手離したくないからである。
・5%から8%への消費税の引き上げによる税収増が、政策上見るべき効果がないように、
 10%へ引き上げも軽減税率を導入しなくても予算編成上のゆとりを与えない。
 導入すればされにである。
 こうして政権は経済政策上の行き詰まりで追い込まれ、財務省はさらに問題の先送りに
 とって病を悪化させていくにちがいない。
・日本の納税の現実は、極論すれば、法人税は大企業の税になってしまった。
 法人税の七割近くが税を納めないのであり、金額的にはこのように言えないこともない
 のである。
 他方、所得税は、これまた極論すれば給与所得者の税になっている。
 租税回避と脱税、このもとで消費税の引き上げが行われ、にもかかわらず完全雇用余剰
 は実現できず、国際累積に追い込まれる。
 これが戦前社会を志向している政権の向かう道である。
 
三つの経済政策を検討する
・三本の矢以外で目立つ安倍政権の経済政策は三つである。
 第一:原子力政策
 第二:労働市場政策
 第三:TPP(環太平洋戦略的経済連携協定)に示される国際貿易政策
・原子力政策は、インド、トルコとうにわが国の原子力発電の設備と技術を売り込もうと
 いうものと、何とかして国内で原子力発電所の再稼働を認めようというものである。
・安全であることは当然の前提である。
 だが原子力発電には、その前に二つの難問が存在する。
 第一は原発稼働によって生ずる放射性廃棄物処分場が日本には存在しないという問題で
 ある。  
・日本では核燃料再処理工場から出てくるプルトニウムを含む高レベル放射性廃棄物をガ
 ラスと混ぜて固め、地下に埋めるとしているが、このガラス固化体をつくった直後は、
 1時間当たり1500シーベルトの放射線を出し、近づくと20秒弱で人は死ぬという
 とんでもないものである。
 当初は高温を発しているので、50年近く、地上施設で冷ましたのち、地下処分すると
 いう。
 どこで冷やすかだけでなく、その後の地下処分に適した土地を求めることが難しい。
・広大なアメリカでも適地が見出されていない。
 せかいでも地層処分場が建設されているのはフィンランドのオルキルオト島だけである。
・フィンランドのオルキルオト島の最終処分場「オンカロ」は島の中央部にある。
 6基の出す高レベル放射性廃棄物9000トンをここにすべて埋める予定だという。
 日本は54基の原子力発電所があることを考えると、単純に考えて、こうした「オンカ
 ロ」を9倍作らなければならないことになる。
・フィンランドはスカンジナビア全体を覆っている極めて古い地層の真ん中にある。
 堆積岩ではなくて19億年前に形成された結晶質の岩石だ。
 火山や地震活動はほとんどない。
・日本にはこのような土地はない。火山列島であり、地震は頻発し、いくつかクレートが
 列島の下に沈み込んでいる。
 層をなしている水成岩であり、地域全体がひとつの岩で、水が敷く込むことのない広大
 な岩山などない。 
小泉純一郎元首相が、原子力発電反対に転じたのは、このフィンランドの最終処分場を
 見て、こうした土地は日本にないことがわかったからである。
・問題はそれだけではない。
 この処分場であっても将来どうなるかわからない。
 プルトニウムの放射線が2分の1の量になるのは2万4千年の後、4分の1になるのは
 約5万年後、16分の1になるのが約10万年後である。 
 とてつもない長い年月のうちに何が起こるかわからない。
・もちろん10万年先のことなど誰にも分らない。
 10万年後無害になるわけではない。
 問題の解決を将来に委ねるというのは、一種の欺瞞である。
 現在解決できないものは、解決できないのである。
 放射能を無害にする科学技術があって、はじめて現実に利用すべきものを、それなしに
 実用化した誤りがここにある。 
・放射性廃棄物をどう処理するか。どのように言って、安倍首相は、トルコ、インド等に
 これを売り込もうとしたのであろうか。
 「日本は、トルコなど新興国に輸出した原発で使用した核燃料の引き取り先としてモン
 ゴルを活用したい考えだ」という。
 モンゴルに最終処分場をつくるというのは、国内に適地がないアメリカが国際原子力機
 構(IAEA)を通じて言い出したことであって、モンゴルの同意を得たわけではない。
 もちろんモンゴルはこれを拒否している。
・この当てのない話を利用して、日本の原発の売り込みを安倍首相がはかっているとした
 ら、無責任の極みである。
・原子力発電所を直ちに止めなければならない理由は、稼働すれば処理できない放射性廃
 棄物がたまるという問題とともに、発電所に勤務する労働者が、放射線に曝され、生命
 の危険に直面しているからである。
・このことに関連して書かねばならないのは、福島の原子力発電所でのことである。
 最初の原子炉はそこが弱いことわかり、ジェネラル・エレクトリック社(GE)が責任
 上これに補強工事を行ったという。
 このとき放射線を受けながら黒人労働者が作業をしたというのである。
 これを見た人がわたしに言ったのである。
 「原子力発電所を維持することのできる国は、人種差別がある国だ」と。
・では日本では誰がその維持にあたるのか。
 いうまでもなく下請けの労働者である。
 大企業の下請けに中小企業が組み込まれ、そこで働く労働者である。
 原発は派遣労働者の命によって維持されている。
・日本において、原子力発電所の立地の多くは適地が選ばれたものではない。
 新潟県柏崎刈羽原発についていうと、刈羽村から柏崎市にかけての広大な海岸線の松林
 を利用して、市や町の経済の振興を図ろうとする小林治助柏崎市長が、東京電力に原発
 誘致を働きかけたのである。
 適地があり、これを電力会社が買ったのではない。
 私が調べると、付近に断層がない原発は全国で二か所であり珍しい。
・それだけではない。地盤の弱さが隠されているかもしれない。
 御前崎の浜岡原発がその例である。高杉氏の「原発の底で働いて」には、原発建設メー
 カーが安全性についての虚偽データをつくったことが記されている。
 このようなデータの改ざんがあった時、原子力安全委員会は、それを見抜くことは不可
 能であろう。 

安倍政権が狙うもの(隠された第四の矢を問題にする)
・安倍政権は、戦後最も右に政治の軸を置いた政権である。
 安倍首相には戦争責任という考えはまったくない。
 東京裁判は勝者が敗者を裁いたものであり、意味を持たないというものである。
 安倍首相には対中国侵略を反省する心はない。対中国強硬策、それが安倍政権の一つの
 政策の軸となっているのである。
・改憲をもくろむ安倍首相の当面の目的は、アメリカの支援を得て国内での憲法解釈を変
 えることで、集団的自衛権を認めることである。
 同盟国が攻撃された時、憲法解釈を変えることによって自衛隊が同盟国の軍隊と協力し
 て戦闘に加わることを可能にしようというのである。
 具体的には、アメリカ軍が他国から攻撃された時に自衛隊がアメリカ軍に協力して戦う
 というもので、アメリカが望むものであり、その可能性を尖閣諸島をめぐる周辺の日中
 の緊張関係を利用して実現しようというのである。
・韓国では竹島を「独島」という。
 「独島は韓国のものだ」と幼稚園児たちが声をあげて一斉に叫んでいる姿を見ると、
 何も知らないでいる子どもたちにこんなことをさせているという気持ちよりも、国民国
 家形成期の国境問題が持つ意味の恐ろしさを感ぜざるを得ない。
 ナショナリズムが渦巻いているのであって、その強烈さは、とうてい日本では考えられ
 なものである。
 韓国の政治家は、このようなナショナリズムの大きな圧力を受けている。
・日本による満州国家の建設から中国各地への進攻、それによる人的物的損害に対して、
 中国は賠償請求権を放棄した。
 朱恩癩総理のリーダーシップで行われたこの決定は、中国が受けた痛み、損害は決して
 金で換算できるものではない、それは金よりもはるかに重いものであり、今後の日本の
 中国に対する友好関係で償われるべきであり、日本と中国の歴史を考えると長い友好関
 係があり問題の時期は一時期に過ぎない、という周総理の言葉によくあらわれている。
・日本は戦後、アジア各国に賠償を支払っている。
 ・ビルマ(現ミャンマー:1954年): 720億円  
 ・フィリピン(1956年)     :1980億円
 ・インドネシア(1958年)    : 803億円
 ・南ベトナム(1959年)     : 140億円
・賠償とは明記しなかったけれども、韓国のような準賠償は、ラオス、カンボジア、タイ、
 マレーシア、シンガポール、ミクロネシア、ベトナム、モンゴルなどである。
 この事実も日本人は知らなすぎる。
・最大の被害国中国がこのような決着であったこと、その重みを日本人は考えなければな
 らないのである。  
・だが、この心の問題を踏みじる日本の閣僚の発言が次々にあらわれ、これに対する中国
 の強い抗議が行われた。日中関係はそのたびに揺らいだ。
 その最たるものが、羽田均内閣の「永野茂門」法務大臣の発言や、村山内閣の「桜井新
 環境庁長官の発言である。
・長野法務大臣は、1994年5月に
 「(太平洋戦争について)侵略戦争という定義付けは、今でも間違っていると思う。
 私は南京事件(日本軍による南京大虐殺)というのは、あれ、でっち上げだと思う」
・桜井環境庁長官は、1994年8月に
 「(日本は)侵略戦争をしようと思って戦ったのではないと思っている。だが日本だけ
 が悪いという考え方で取り組むべきではない」  
・永野法務大臣も桜井長官も、発言を不適切とし辞任している。
・「村山富市」首相は1995年、戦後50周年にあたって日本の歴史認識を明確にしよ
 うとして、村山談話を発表した。
・ドイツの場合には、戦争の責任をすべてナチスによるものとした。
 もちろんこれはナチスを支持したドイツ国民も同罪のはずである。
 だがナチスのみの責任とすることによって国民の心をナチス批判に向かわせることにな
 り、国旗も国家も変えさせることになっていく。
 こうしてナチス批判は国民の間に浸透したのである。
・他方日本は、戦争遂行の最高責任者は責任を問われることがなかった。
 ドイツのように悪者を集中的に批判することもなかった。
 戦争に国民を駆り立てた国家神道の中心靖国神社も、これを支えて神官たちも、批判さ
 れることもなく安住しつづけた。
 若者を戦場に送った責任を問うという相手もつくられなかった。
 それに代わって一億総懺悔であった。
・戦前体制を支持した国民に責任があるのは、ドイツ国民も日本国民も同じである。
 だが、それを認め一億総懺悔ということは、誰もが責任を取らないということでもある。
 国民すべてが責任を取るということで、責任の主体は失われた。
 国旗も国歌も変わることなく、戦前が戦後につづいていく。
 逆に国民の責任を回避したドイツのほうが、戦争責任を強く意識していくのである。
・そして連合国軍が戦争責任を問うたA級戦犯は、天皇を輔弼したがゆえに天皇に代わっ
 て死んでいった犠牲者になり、国民を戦争に駆り立てた国家神道の中心靖国に犠牲者と
 して祀られたのである。
・識者の多くは戦争責任の追及を国民自らが行わなかったことが問題なのだと言う。
 だが、戦争に協力した国民が、そのようなことをおこなうことができるはずがない。
 ドイツとても同じである。
 違いは、ドイツでは連合国軍が戦争の責任者を裁いたのである。
 連合国軍の、ドイツと日本での政策の違いが、戦争責任についての両国民の意識の違い
 を生んだ一因ではないか。
 これが戦前と同じ国際感覚の政治家をつくり出しているのかもしれない。
・歴史認識で海外からの批判を受け閣僚を辞任した人の発言を見ると、この感を深くする。
 「日本は侵略戦争をしようと思って戦争をしたのではない」
 「白色人種がアジアを植民地化した。それなのに日本だけが悪いとされた。あの当時日
 本にはそういう侵略という意図はなかったと考えている」  
・他国に軍隊を進めるのに侵略のためという国はない。
 戦前日本は、「東洋平和のため」とか「アジアの解放」とか「アジアで五族協和の楽土
 建設」とか言ったのであるが、それに類する言葉が、こうした閣僚の口から出てくるの
 である。
・国民は確かにこうした言葉に騙されたかもしれない。
 だが戦後、政治家たる者がだました言葉を自己弁護に仕えると思っているのであろうか。
・戦前と戦後を同じ政治家が変わることのない考えで政治の中心にいた。
 それが「岸信介」である。
 もちろん安倍首相の祖父で、首相が範とする男である。
・岸は満州国建設に尽力し、東条内閣では「大東亜戦争の目的は大東亜共栄圏の確立」に
 あると言い、巣鴨プリズンに収監されると、東条内閣を退陣させたのは自らの力である
 等で占領軍に近づき、自由党入党後、常に政治の表舞台を歩んだ。
・政治の第一線から退いた後、岸は終生日本の憲法を改正し再軍備を行うことに拘泥し、
 自主憲法制定国民会議議長として保守政党内右派のシンボルとなった。
・岸と同じように戦前の思想を戦後に持ち込み、政治の表舞台にあった政治家としては、
 「奥野誠亮」などがいる。
 奥野は戦前の内務省に入り、次官になり、長く自民党の代議士を務めた。
 官僚時代、岸と同じように切れ者として知られ、戦後も頑固なタカ派であった。
 文部大臣の時、日教組と対決し、竹下登内閣の国土庁長官の時、靖国神社公式参拝問題
 に関連し、
 「ケ小平氏の発言に振り回されている」
 「日中戦争で日本は侵略の意図はなかった」
 と言って、大臣辞任に追い込まれている。
・アメリカの対日外交は、その表向きとは異なり、常にリベラルを退け右を助けるという
 ものであった。いわゆるCIA外交である。
 このアメリカの外交政策はアメリカにとって不幸であると思っている。
 アメリカによる日本の軍事力増強を回避するのに努力した「宮澤喜一」首相は、アメリ
 カ側にとって要注意人物とされ、いざという時のシーレーン(海上輸送路)の防衛を日
 本の自衛隊が担うことを認める中曽根氏が首相になった。
 中国接近と見られた「小沢一郎」氏はある種の陰謀で政治力が削がれ、東アジア共同体
 に力を入れた「鳩山由紀夫」首相はアメリカのCIAの圧力の前に政権を投げ出したと
 言われている。
・アメリカの対日政策にとって重要な布石は北方領土問題である。
 北方領土の日本への返還要求は日本のナショナリズムを煽り、反ソ・反ロシアの感情が
 生まれ、日本はソ連・ロシア側から離れると彼らは考えた。
・同じように日中間の領土問題が浮上すれば、反中国感情が日本に浸透し、日本はアメリ
 カに接近せざるを得ない。 
 これを可能にするものとして尖閣諸島が浮上したのである。
・2010年6月、民間人として初めて中国大使になった「丹羽宇一郎」氏は、2012
 年に12月に退官するまで、北京で尖閣諸島問題に終始したという。
 丹羽氏は、領土問題はないけれども係争はあると言いつづけるいがいになかった、と。
 そして次のように書いている。
 「北京から日本を眺めていてつくづく思うのは、日本には本当に国際感覚はない、とい
 うことです。あれだけのこと(中国侵略)をやっておいて、十年一日のごとく『領土問
 題は存在しない』で押し通すのが外交方針だと言う。これでは国際社会からの理解は得
 られません。あの頃、私たち大使館の人間は答えようにも答えられず、本当に困りまし
 た。私は本国に電話した時に言ったんです。なぜ今、国有化なのかと。相手がホットヘ
 ッドになっているときを選んでやることではないだろう。
 東京都に代わって国が買うほうがいいか悪いか、そんな次元の問題ではないんだ。そん
 な理屈、国内では通用しても国際社会では通用しない。国際社会に通用することを日本
 政府は言わなきゃいけないんだよ、と。これは、中国にいた当時の大使館員たち皆に共
 通した心情だと思います」と。
・丹羽氏は、国有化をおこなった野田首相が2012年9月に中国の「胡錦涛」国家主席
 とウラジオストクで会った時を重視している。
 話の内容はわからない。
 しかし胡錦涛の言ったことを無視して翌10日、尖閣諸島の国有化を宣言したことで、
 中国のトップは顔に泥を塗られたと考えた。
 これ以後、中国は強硬な態度になっていったと考えられる、と。
・野田首相は、衆議院解散の時期を誤っただけでなく、国際感覚がなかったのは丹羽氏が
 感じている通りである。 
 なぜか。
 野田首相は右の思想の持ち主であり、右翼が独善的で国際感覚を持たないのは洋の東西
 を問わず共通するものである。
 野田首相は「松下政経塾」の出身であり、松下幸之助は自民党に飽き足らず、より右の
 政治のために松下政経塾をつくったと言われている。
 それゆえ、「前原誠司」、野田首相などの国防政策は自民党右派の再軍備論と変わるこ
 とがないといわれてきた。
 何のための再軍備かと私は問いたいが、想定する敵は中国以外にない。
・岸信介は冷戦後の米ソ対立を利用し、戦争中、自らは共産主義に対抗するためにドイツ
 と防共協定を結んだのであり、中国進出も中国の赤化を防ぐためだったと獄中から主張
 してアメリカの歓心を得ようとしたという。 
 再軍備論もまた同じ手法を用いて、アメリカの右の力を支援者と考え、反中国を唱えて
 再軍備を実現しようとしている。
 その最たるものが安倍首相である。 
・安倍首相が目指すものは、彼が口にする「日本を取り戻す」「戦後レジーム(戦後体制)
 からの脱却」の中にある。
 彼の言う戦後レジームとは平和憲法が意図した平和国家であり、憲法九条を改正し、
 軍隊を認め、交戦権を認めることにする。
 そこに至るために、まず憲法解釈を変えて集団的自衛権を認め、同盟国が攻撃された時
 これを支援するために自衛隊が武力を行使することができるようにする。
 その後、憲法九六条、つまり改憲手続き、衆参総議員の三分の二以上の発議が必要、を
 改正し過半数にする。
 次いで憲法改正に至るというものである。
 祖父岸信介の果たせなかったものを実現しようというのである。
 安倍首相はそのための布石を一歩一歩進めている。
・精神科医の野田正彰氏は次のように書いている。 
 「安倍首相は、弱者に対する思いやりや想像力を決定的に欠いている。戦争での外傷体
 験を持つ中国の人たちが、靖国神社にどれほどの思いを抱いているのかわかっていない。
 両国間の関係が悪くなることで、国内でも弱小の企業などどれくらい多くの人たちが経
 済的な損害を受けることか。思い上がっていて、傲慢な行為だ。
 一方で、自信も弱い人で虚勢を張っている面も見える。
 自分の行為で緊張を煽っておきながら『国民を守っていく』と言い、国防費を増やすこ
 とを正当化していく。
 特定秘密保護法を通したときもそうだが、反対されることを押し通すことで、今までの
 政治家より自分は立派なことをしている、とおもいこんでいるのではないのか」
・私は弱者だけではなく、強者のことも含め相手を知ろうとする努力が決定的に欠けてい
 ると思っている。 
 西欧諸国だけでなくアメリカ政府がどう反応するかの想像力を欠き、靖国神社に参拝し、
 虚勢を張って、どこの久野の指導者も戦場で死んだ人の墓にお参りしていると言う。
 中国に対して「いつでも対話の窓が開かれている」と言うのも虚勢である。
 平和憲法が求めている国際外交への努力をすることなく、平和憲法を否定し、中国を敵
 視している人に、大和ができるわけがない。
 学生時代の彼を知る人によると、気が弱い一方、虚勢を張っていたという。
 調子に乗って大見得を切るのも好きである。
・私は、庶民にとって生きやすい社会とは、社会字句がリベラルにある社会だと思いって
 いる。
 右であれ左であれ、一元的で硬直した社会は望ましくない。
 そのためには、権力が分散していなければならない。
 政治権力と経済権力が分かれ、政治から教育が独立し、司法も立法も行政から独立し、
 何よりも言論界が政権からは独立していなければならない。
 NHKのトップ人事を誠司のトップが決めるなどあってはならないし、戦後の理想主義
 はこのような分権的社会構造の上に考えられたはずである。
 それは戦前の一元的国家神道による支配の社会を知る私たち世代が強く望むところであ
 る。
 安倍首相の周りの人たちに、私は戦前社会の、暗い、黒い影を感じざるを得ない。
 
おわりに
・NHKが定期的に行っている、時の政権支持率調査の項目に「実行力がある政権だから」
 支持するという一項がある。
 これには大きな違和感をいだく。
 もしもその政権がナチスのように、ユダヤ人虐殺を意図していたとしたら「実行力があ
 る」のは大変なことになる。
・政権の評価は、それが何を目指しているかによる。
 その目的が評価されるものであって、はじめて、それを実行する力の有無がとわれるべ
 きなのである。
 政権の目指すものが悪であったなら「実行力がある」はとんでもないことになる。
・安倍政権は、その実行力という点ではかなりのものである。
 目的のためには手段を選ばない。
 権力主義的な政治行動を是認する「マキャヴェリズム」だと考えて間違いない。
・安倍首相は、その権限を最大限に使っている。
 政府の各種委員会のメンバーは、安倍首相の息のかかった人たちに入れ替えられている。
 委員選出には、広く多くの考えを集めるために一定の暗黙のルールがある。
 それがしだいに無視され、特定の思想の持ち主たちが新委員になっていく。
 さらに、委員会のメンバーの選出をこえて、政治の力が及ぶ任命権を利用して、動かせ
 るものは動かすという方向に向かっている。
 それは周知にNHKの会長のように目に見えるものだけでなく、独立行政法人の長を政
 治の意向に従わせるということまでに及び出した。
 そのひとつが、独立行政法人の資金を利用する市場介入である。
・2014年6月、安倍首相は、田村厚生労働相に、年金資金運用基金の運用の見直しを
 前倒しするよう指示したことが明らかになった。
 見直しのポイントは、現在運用資金の6割を占める国内債券比率の引き下げと日本株比
 率の引き上げだ。
 独立行政法人である年金資金運用基金は現在約130兆円という巨額な資金を運用して
 おり、ファンドとして、世界最大規模であると言ってよい。
 この基金の資金の17.2%が日本株の保有となっているからこの比率をちょっと引き
 上げたならば、何兆円という金が日本株の買いにまわり、株価は上がる。
・こうした「官製相場」は危うい。
 企業業績がよく、その繁栄として株価があがるのならば健全である。
 誠司がつくった人為的相場は維持しつづけられないからである。
 さらに、これを利用して利益を得ようとする一種のインサイダー的取引の危険性を生む。
・力で押し通すのは、集団的自衛権行使容認の閣議決定を、何が何でも行うとするだけで
 はないのである。
 それは内部(インサイダー)だけに見えるけれども、外からはわからないという形で、
 教育現場にもおよんでいる。
 公立高校の校長が、上からの指示によるのだろう、日本史の担当者を呼んで、今まで使
 っていた教科書を除外することを強く命じたという。
 これを聞いた教員たちは、高校の現場に力の政治が及んできたことを感じたという。
・一口に民主主義といっても多様である。
 だが、それは多元的な社会でなければならない。
 立法、司法は行政府から独立していなければならず、それが互いに他を規制しているか
 らである。 
 そこには絶対的な権力は存在しない。
 言論も行政から独立し、経済の権力も分散していなければならず、教育もまた同じであ
 る。
・しかし安倍首相は、自ら制約している憲法の解釈を、内閣の力によって買えるという
 「憲法解釈の改変」を試み、政治の力で自らへの制約を排除するなど、力の政治を強行
  している。
・このような「力による政治」はマキャヴェリズムといわれるが、マキャヴェリズムとア
 メリカ政治の関係について、ボストン大学名誉教授のハワード・ジンがその著書である
 「甦れ独立宣言――アメリカ理想主義の検証」のなかで次のように書いている。
 「アメリカの中南米、アジアその他の外交政策はマキャヴェリに従っている。
 目的のために事実を隠し、国民に真実を語らず、力で解決しようとしている。
 軍隊とCIAからなるこの動きの前に、ケネディ大統領とリベラル派のそのアドバイザ
 ーたちも、抗することはできなかった。
 それはアメリカの独立宣言に書かれている理想主義を踏みにじるものである」 
・ケネディと、それを支えたシュレジンガー・ジュニアなどが抗することができなかった
 このような力の前に、どうしてオバマ大統領たちがこうすることができるだろうか。
 オバマは、軍とCIAと一体化し、アメリカ軍の傘下に、日本の自衛隊を組み込むとい
 う戦略を取り、これを受けて安倍政権は、海外で戦闘参加漢方な体制をつくり出し、つ
 いで軍隊の復活、そして、それが目ざす戦後の平和主義の否定、安倍首相の言葉を借り
 るならば「日本をとりもどす」「戦後レジームからの脱却」を目指している。
・注目すべきは、アメリカのマキャヴェリズムの、軍隊・CIAの推し進める外交と日本
 のマキャヴェリズムの政治が協力し合っていることである。
 マキャヴェリズムが敵とするのは理想主義である。
 理想、ユートピア、希望、善悪、これらは、マキャヴェリが拒否するものである。
・もちろん理想はひとつではない。
 戦後日本のそれは、何よりも戦争を再びしない、そして豊かさを求め、福祉社会への志
 向であった。
 経済学者ケインズが求めたものは、経済的効率と社会的公正そして他に寛容な個人的自
 由であった。
 そのいずれをとっても質を異にする複数の理想である。
 それゆえに、その達成には、手段が問題となるのであり、その手段いかんが大切になる
 のである。
・だが、マキャヴェリズムにとって、手段は力であり、国家間では、それは武力であり、
 戦争であった。
 20世紀、世界は二つのマキャヴェリズムの体制を持った。
 ヨーロッパでのナチズム、ファシズム、アジアでの天皇制軍国主義である。
 そのいずれもが、国家間の紛争の解決の手段として戦争に訴えた。
・戦後になっても、国家間の紛争解決の手段として戦争はなくならない。
 アメリカもまた、紛争の解決のために武力を用いている。
 それは宣戦布告のない軍事力の行使である。
 イスラエルと新具との問題が解決しないかぎり、アメリカへのテロ行為は続き、これに
 対抗するアメリカの武力行使も続くだろう。 
 しかしそれが解決をもたらすものでないことも明らかになるだろう。