アベノミクスは何を殺したのか :原真人

この本は、アベノミクスから10年、安倍晋三元首相が銃撃されてからちょうど1年後の
今年(2023年)夏に刊行されたものだ。
いまや、アベノミクスの生みの親である安倍晋三氏はこの世にはおらず、「黒田バズーカ」
を放って異次元緩和を実行した黒田東彦氏もすでに日銀総裁の座を去った。
まさに「兵どもの夢の跡」である。
しかし、盛大な宴のあとの、飲み残しや食べ散らかされた宴席の後片付けや、ツケまわさ
れてきた天文学的な金額の請求書の支払いは、すべてこれから我々国民が責任をもたされ
るのである。
しかも、宴に出された高価なワインは、ほとんど我々一般国民にまでは滴り落ちてはこな
かった。特別に選ばれた人たちだけで、すべて飲み干してしまった。
そればかりではない。
安倍晋三氏が言い放った、
 「輪転機をぐるぐる回して、日本銀行に無制限にお札を刷ってもらう」
 「日銀は政府の子会社」
などによって、すっかり財政規律のタガが外れてしまった。 
安倍氏が死亡してから1年経っても、いまだ安倍理論の呪縛から抜けられず、多くの自民
党議員は、いくらでも国債を発行しても問題ないと思い続けている。
さらに、タガが外れたのは財政規律だけではない。
森友学園問題」、「加計学園問題」さらには「桜を見る会問題」などから見えるように、
政治から遵法精神や責任感がすっかり消えてしまった。
そしていま、「旧統一問題」に続き、「政治資金パーティーの裏金問題」で、自民党は安
倍派を中心に大揺れに揺れている。これも安倍氏が残した遺産だろう。
安倍氏の評価については賛否両論があり、どちらの評価が正しいのかは、まだ定まってい
ない。
しかし、安倍政治によって、日本が「ルビコン川を渡った」ことは確かだろう。

過去に読んだ関連する本:
アベノミクスの終焉
異次元緩和の終焉
金融緩和の罠
中央銀行はもちこたえられるのか


はじめに
・選挙前の講演や選挙遊説で、自民党総裁の安倍晋三は信じられないことを口にしていた。
 「輪転機をぐるぐる回して、日本銀行に無制限にお札を刷ってもらう」
 「建設国債を大量に発行し、日銀に引き受けさせる」
・次期首相に最も近い自民党総裁の発言とは思えなかった。
 安倍が言っていたのは財政法で禁じられている財政ファイナンスそのものである。
 いわば日銀を「打ち出の小槌」に仕立てようという暴論だ。
・信頼できる学者や官僚、日銀関係者らに意見を求めても一様に「危うい構想だ」と言う。
 ところが国民世論は、この甘い誘いを歓迎するようになっていた。
・安倍に近いある経済評論家は、雑誌や夕刊紙コラムで、私をたびたび批判していた。   
 安倍が経済ブレーンと頼んでいた「浜田宏一」からは、面と向かって「アベノミクスの
 天敵」と呼ばれたこともある。
 日銀政策決定会合メンバーでもあったリフレ派重鎮を取材した際には「我々にとって危
 険人物」と直接言い渡された。
・安倍は訪問先に米ニューヨーク証券取引所での講演で自信満々に「バイ・マイ・アベノ
 ミクス」と述べた。 
 良好な世界経済の追い風を受け、経済は上昇気流に乗って非常にツイている政権だった。
 その頃から安倍がみずから好んで国会や記者会見で「アベノミクスの成功」「アベノミ
 クスの果実」と連呼するようになった。
 私の思惑を離れ、アベノミクスは、さもすばらしい政策のような印象だけを国民に浸透
 させていった。 
・第2次安倍政権の強権的でポピュリズム的な政権運営、国民を分断するような政治観、
 言論統制的なメディア対応や、戦前の空気を漂わせていた。
 かてて加えて著しい財政悪化をものともせず、国の借金を膨らませ、政府が日本銀行の
 紙幣発行をまるで打ち出の小槌のように扱うさまは、まさに戦前財政と一緒だ。
 アベノミクスと呼ばれるこのやり方は、財政破綻へとつながった戦前・戦中の誤った財
 政運営の軌跡を再びたどっているようでさえある。
・アベノミクス生みの親の安倍は、選挙遊説中に襲撃され、命を奪われた。
 その不穏な時代の空気も、戦前的な政策のありようも、今もなお続いている。
・言論への執拗な攻撃は、私だけに起きた特別な出来事ではない。
 安倍政権は政策に避難的な官僚や財界人、言論人に対して陰に陽に圧力をかけた。
 安倍に近い保守派やリフレ論者たちが、反対論に対し集中的に批判を繰り広げることも
 少なくなかった。
 このため、無用な摩擦が生じるのを嫌がって、公の場で率直に意見を言うのをためらう
 識者が増えてしまったのは確かだ。

<すべてはクルーグマンから始まった>
・アベノミクスを語るとき、欠かすことのできないキーマンがいる。
 米国の経済学者、「ポール・クルーグマン」だ。
 1998年、米マサチューセッツ工科大学教授だったクルーグマンが自らのホームペー
 ジに掲載した「日本の罠」と題した論考の存在を抜くに語ることはできない。
・その内容はこうだ。
 日本は「流動性の罠」に陥っている。
 その罠から抜け出すのは容易ではない。
 日本政府が取り組んできた財政政策や構造改革では難しい。
 では、どうすればいいか。
 唯一の方法は、ゼロ金利まで下げきって無効になってしまっている金融政策を有効にす
 るために、マイナスの実質金利を生み出すことだ。
 そのためには中央銀行(日本銀行)が「無責任」であることを約束し、人々にインフレ
 期待を作り出すことが必要だ。
・安倍は、のちに自民党のアベノミクスに賛同する議員の集会で、「思い切った政策をや
 るときには権威が必要だ。クルーグマンやジョセフ・スティグリッツが指示してくれた
 ことが大きかった」と振り返っている。
 安倍は2016年に消費増税を延期する際にも、クルーグマンらを官邸に呼んで、延期
 論の旗印として彼らの提言を利用している。
・クルーグマンが権威を与えたことで、もともと「貨幣数量説」を根拠にリフレ論を唱
 えていた国内の学者たちは大いに活気づいた。
 彼らはもともと経済学界ではまったく非主流派であり、少数派だった。
 ところが再び首相となった安倍晋三の経済ブレーンを元に日銀審議委員の「中原伸之」、
 米エール大名誉教授の「浜田宏一」らリフレ論者たちが固めると、メディア露出度が飛
 躍的に増え、認知度が上がっていった。
・逆に、リフレに否定的な大多数の経済学者たちは、アベノミクスやリフレ論について、
 表立った発言を控えるようになっていた。
 なぜか。
 公の場でリフレに批判的な発言をしようものなら、すぐに安倍政権を支持するネット右
 翼の標的になり、SNS上で炎上したからだ。
 また、シンポジウムの壇上でリフレ派学者から罵詈雑言を浴び、嫌な思いをした学者も
 いた。  
 みずからの仕事にも影響しかねないことを懸念した学者たちは、次第にこの問題にかか
 わらないようになっていく。
・その結果、リフレを賛美する論ばかりがメディアを席巻するようになった。
 目にし、耳にする機会が増えた国民は、あたかもリフレ派が主流のように映るようにな
 り、その主張がまるで常識的な経済理論であるかのような印象が広がっていった。
・クルーグマン流の「中央銀行は無責任になれ」といった極端な意見に同調する声は少な
 かったし、日本のリフレ派のように「とにかく量的緩和をすればいい」という単純な貨
 幣数量説を唱える学者は、海外にはほとんどいなかった。
・FRBは、量的緩和政策を導入したものの、彼自身は日銀のようなマネタリーベースの
 量に焦点を合わせた議論をはっきり否定した。
 債券市場が機能停止しないように、量より「質」を重視して市場介入した。
 量的緩和は実行したが、金額や時期を制御しながら進め、「無責任」にはならなかった。
・クルーグマンは自身は、アベノミクスが始まって1年半ほど経った2014年秋、
 「日本への謝罪」と題して前言を翻すような論考もホームページに掲載している。
・とはいえ、いったん走り始めたアベノミクス=リフレ政策は、安倍政権が長期化するな
 かで、もはや止まることはなかった。
 そこで本人の意向とは関係なく、「クルーグマン」ブランドがずっと利用され続けたの
 である。 

翁邦雄リフレ論を巡る「岩田ー翁」大論争の当事者
・クルーグマンの「日本の罠」より何年も前の1990年代初頭、日本ではすでにリフレ
 論を巡る論争が起きていた。
 仕掛けたのは、黒田日銀で副総裁まで務めた上智大学教授の「岩田久男」だ。
 これに対峙したのは日銀を代表する論客で、当時は調査統計局の企画調査課長だった
 「翁邦雄」である。
・二人の間で繰り広げられた「岩田ー翁論争」はその後も、日銀史に刻まれる政策論争と
 して語り継がれている。
 このリフレ論の実践と位置づけられるのがアベノミクスであり、黒田日銀による異次元
 緩和だ。 
・異次元の規制緩和のせいで「失ったもの」の最たるものは財政規律でしょう。
 異次元緩和によるマイナス金利政策と大量の国債購入は政府の利払いコストを低減させ
 ました。
 それによって政府や国民の財政規律の意識がすっかり薄くなってしまいました。
 財政拡大への依存が強まるなかで、ワイズ・スペンディング(予算を賢く使うこと)の
 意識を後退させ、選挙前には与野党が公約で財政出動の規模を競い合い、バラマキ合戦
 と揶揄されるような状況を作りだしてしまったと思います。
・いくら国債を発行して財政を拡大してもかまわないというMMT(現代貨幣理論)の危
 うい部分は、自国通貨を発行しているから財政は債務残高など気にせずにどんどん拡張
 していい、インフレになれば増税すればよいという主張です。
 これは非現実的です。経済学というより政治プロセスの問題かもしれません。
 戦前の日本も高橋是清財政で拡張したあと、巻き戻しに失敗しました。
 財政規律を捨てたバラマキがいったんインフレにつながれば、それが高進していった時
 に、痛みを伴う厳しい増税で抑止するのは不人気政策だけに至難です。
・日銀が買い入れている国債はついに発行残高の5割に達している。
 これは実態つぃては大規模な財政ファイナンスがおこなわれていると言っていいでしょ
 う。
 しかし日銀は、あくまで金融政策に必要なだけの国債を買っているのであって、財政フ
 ァイナンスが目的ではないと主張しています。
 金融政策の目的が達成されれば、財政ファイナンスはおのずと解消されるというわけで
 す。
・この水掛け論が決着するのは、異次元緩和の出口に向かい局面です。
 金融政策上の目的からすれば、不要になった低利の国債購入をやめ、物価安定のために
 金利を引き上げなければなりません。
 そうなると大量の低利国債を資産として抱えていて、しかも負債の日銀当座預金に金利
 を払う必要が生じる日銀は、いじれETFの含み益なども使い果たして債務超過に陥る
 可能性があります。
 たとえば日銀が500兆円の日銀当座預金に1%の金利を払えば5兆円です。
 これは消費税で言えば2.5%分くらいの税収に相当します。
 黒田総裁が「時期尚早」と言って出口の議論を封印し続けたのは問題でした。
・今の日銀は批判や疑問に対して、問題ない、と一蹴し根拠をまともに説明しない傾向が
 顕著です。
 しかし、「黙って我々にまかせておけばいい」では世の中で通用しないでしょう。 
 もっとも、近未来に考えなければいけないかもしれない政策課題なのに、その議論その
 ものを封印してしまう姿勢は1970年代の固定相場制時代の政府・日銀にもありまし
 た。
 当時の政府・日銀は、円切り上げを議論すること自体が市場に円切り上げの可能性につ
 いて思惑を招く、という理屈で議論を封印しました。
 そして緊急事態を想定した真っ当な対策プランがないまま、円切り上げ、変動相場制へ
 の移行に直面しました。
 その結果、為替市場は大混乱し、日銀は過度の金融緩和を余儀なくされ、日本は狂乱物
 価へと突入してしまいます。
 日銀がいま採用しているイールドカーブ・コントロール(長短金利操作)という金利政
 策は、まさに国債についての固定相場制と言ってもいい。
 かつての失敗を繰り返さないために、いずれ避けて通れない問題を無視せず、議論を封
 印しないでオープンに議論しておくべきです。
・国債暴落は、いまのように日銀が国債を買い支え続けるなら、ありえないでしょう。
 しかし、円暴落やそれが引き金となった高率のインフレが絶対に起きないとは言えませ
 ん。 
 ただし、ハイパーインフレが起きる可能性はきわめて小さいです。
 というのは、専門家のあいだではハイパーインフレとは月率50%を超えるインフレ率
 と定義されています。
 これは年間で1万%を超えるようなとんでもないインフレです。
 さすがにいまの日本でそうした事態が起きるとは思いません。
・とはいえ、日銀がいまのように独立した金融政策を追求する限り、海外の金利動向によ
 っては大幅な円安が今後も進むことは十分にあり得ます。
 日本の経済政策運営に不信や不安が加われば、円売り圧力はさらに高まってくるでしょ
 う。
・パニックのきっかけになるのは、金利が上昇する局面で、何らかの理由で株価が暴落し、
 日銀の保有するETFの含み益が消え、同時に日銀当座預金への巨額の利払いによって
 日銀が債務超過に陥る、というケースです。そういう事態は十分ありえます。
 中央銀行は民間銀行とちがって債務超過になっても営業を続けられるので、「問題ない」
 と中央銀行委員は考えがちです。
 しかし、世間や市場がそのときどう反応するか、リスクを十分考えて予め説明を尽くし、
 サムライズがパニックを呼ばないようにしておく必要があります。
 サプライズが裏目に出たマイナス金利政策の導入時の失敗を繰り返さないためにも、将
 来、政策変更してソフトランディングするのを容易にする地ならしをしておきた方がよ
 いと思います。
・当初、安倍首相は日銀に2%の物価目標の早期達成を強く求め、黒田総裁はその意を受
 けて大規模な金融緩和にまい進しました。
 しかし、実は仮に物価目標達成にめどが立って本当に金利が上がりはじめたら、困難に
 直面するのは巨額債務を抱えている政府です。
 日銀が物価目標にこだわって超緩和を続け、それでも目標達成のメドが立たない。
 そういう状態こそが政府にとって最も居心地がいいという矛盾した状態が続いてきまし
 た。
 目標達成のメドが立たなければ超低金利は維持されます。
 ほんとうに2%のインフレ率が実現にしても国民が喜ぶわけではない。
 実際、2%達成が突然視野に入りはじめてから政府は突如、物価対策に追われています。
 
白川方明元総裁が語る「民主主義と中央銀行」
・歴代の日銀総裁のなかで、「白川方明」ほど金融理論や金融政策を深く究めることに誠
 実で、そのことについて説明責任を果たそうと努めた総裁はいなかったのではないか。
 ただ、使命に忠実であろうとした結果、政策の副作用やマイナス面などにも言及し、政
 府側から「金融緩和の効果を弱めてしまっている」という批判をしばしば浴びた。
 とりわけ「日銀は政府の子会社」と言ってはばからない安倍晋三が2012年末に再び
 政権の座に就くと、白川日銀は激しい批判にさらされた。
・安倍によって生み出されたアベノミクスと黒田日銀の異次元緩和は、白川日銀を完全否
 定するところからスタートした。
 それは伝統的な中央銀行のあり方を覆そうという試みでもあった。
・独立した中央銀行という考え方が多くの国に広がったのは、せいぜいここ数十年のこと
 だろう。  
 この数世紀にわたっていくつものバブル崩壊と財政破綻、通過暴落という不幸な歴史を
 重ねた末に、やっとたどり着いた人類の知恵の結晶でもあった。
・通貨を発行する主体は政治から距離をおいたところにあるほうがいい。
 そのほうが通貨価値を守りやすく、経済を安定させやすい。
 そう考えられて駐法銀行が誕生した。
 その仕事に忠実であろうとしたのが白川であり、逆に批判的だったのが安倍や黒田であ
 った。
・たぶん、こうしたあつれきは民主主義のなかでは、いつでも起きうる。
 時の権力者には常に景気刺激的な金融緩和をさせたいという誘惑がつきまとうからだ。
・民主主義のもとで、日銀は(国民から金融政策を)白紙委任されているわけではありま
 せん。 
 それに日銀法で政策目的が「物価の安定」と決まっている以上、日銀は国民に対して数
 字的なイメージをある程度は説明する必要があります。
 とはいえ、経済の不均衡がすべて物価に表れるわけではありません。
 1880年代後半の日本を含め、近年の国内、海外のバブル経済はいずれも物価が安定
 するなかで起きています。
 本当は2%がいいか1%がいいか、という目標数字が本質的な問題ではなく、一つの数
 字に過度にこだわらず、金融の不均衡を含めて持続可能かどうかを点検することが大切
 なのです。
・最も重要なのは超高齢化への対応と生産性向上です。
 金融緩和とは、将来需要を「前借り」して「時間を買う」政策です。
 一時的な経済ショックの際、経済をひどくしないようにすることに意味があります。
 でもショックが一時的ではない場合、金融政策だけでは問題は解決しません。
・少なからぬ政治家は問題を十分認識していますが、痛みを伴う改革は国民に不人気です。
 その点、金融政策なら、選挙と関係なく中央銀行が決められます。
 そうなると、誰も異を唱えない金融緩和が好まれがちになります。
 これは政界的な傾向です。
 経済状況が不満足で、かつ低インフレ状態から、中央銀行も何か行動しなければ、という
 心理状態に陥りやすいのです。
 社会全体の集合的圧力に支配され、みな、身動きできなくなってきます。
・問題の本質は、金融政策の出口ではないと思います。
 国債の日銀保有比率が著しく高まっているだけに、借金財政をどう再建し持続可能にす
 るか、その取り組みこそ最大の出口政策です。
・危機は毎回「違った顔」をしてやって来ます。日本のバブルでは、我々はインフレを仮
 想敵として身構えていたら、敵は大きな資産バブルでした。
 「将軍は一つ前の戦争を戦う」という格言があります。
 今は世界的な債務膨張の影響が警戒されていますが、懸念はそれだけではありません。
 ・高齢化や人口減に社会の仕組みを合わずに不均衡が蓄積する
 ・社会の分断が非理性的な政策を通じて経済停滞をもたらす
 ・大規模な地震やサイバー攻撃が起こる
 さまざまなリスクへの備えが必要です。
 経済は自然現象ではありません。
 人間が意思をもって取り組めば変わっていくはずです。

・日銀の金融政策は、アベノミクスによって「政治的な妥協の産物」と化してしまった。
 国会でも、記者会見の場でも、黒田総裁のもとで日銀が純粋な政策論を語ることは事実
 上なくなったと言っていい。
 2%目標至上主義ありき、アベノミクスに付き従うことが前提の説明を余儀なくされた。
 幹部であれ、職員であれ、おそらく日銀の職務に誠実であろうとする者ほど忸怩たる気
 分で仕事に向き合わなければならなかったのではないか。
 
・日本では最近、過去の非常に低いインフレ率に影響を受けて、インフレ予想がそこに
 「適合的」になっているという説明をよく聞く。
 そして、日本の過去のインフレ率が低いのは、金融政策が十分に積極的なものではなか
 ったからだという。
 私はこうした議論に納得していない。
・2013年春に総裁となった黒田は「2年ほどで2%インフレ目標を達成する」と自信
 満々に公約を掲げた。
 結局、10年でも理想とするかたちで達成できなかった。
 その間、日銀は2年で達成できなかったことについて、さまざまな言い訳を持ち出した。
 ・原油価格が下がっている
 ・携帯電話料金の値下げが影響している
 といった理由だ。
 そしていよいよ他に説明のしようがなくなって持ち出した究極の言い訳が「適合的」だ
 った。
・だがそもそも、人々にデフレ心理が定着している状態を変える、というのが異次元緩和
 の当初の狙いであったはずだ。
 つまり「適法的な期待」は変えられる、という当初のふれこみだったのに、今になって、
 「適法的期待」をできない理由として持ち出すのは、そもそも異次元緩和は有効ではな
 かったと言っているようなものだ。
・いまの各国のインフレ率の違いは、それぞれもともとのインフレ率が異なることを反映
 しているにすぎない。 
 日本のインフレ率は1980年代にはG7でもっとも低い2.5%だった。
 同じころ米国は5.4%、英国は6.4%。
 もともとインフレ傾向が違っていた。
 そしてどの国も並行的にインフレ率が下がってきた結果が現状だ。
 日本が小幅のマイナスインフレに陥ったのは、もともと低かった水準がさらに下がった
 からだ。
・日本の物価がそうなった大きな理由の一つは終身雇用制度である。
 日本の企業は雇用を優先する代わりに賃金を抑えてきた。
 国際的に見れば、日本が非常に低い筆業率と抑制された賃金やインフレ率という組み合
 わせになっているのはそのためだ。
・懸念しているのは生産性の低下だ。
 アグレッシブな財政政策と組み合わせた金融緩和の長期化が、生産性の伸びを低下させ
 てしまうことを心配している。
 金融緩和の効果は、明日の需要を今日のために借りることによって生じる。
 しかし明日は必ず今日になる。
 この戦略は、ショックが一時的なときには機能する。
 日本が過去20年以上経験したことも、他の先進国が過去10年以上経験したのも、そ
 のような短期ショックではなかった。
 もし金融緩和が長期化すれば、「前借り需要」は必然的に減ってくる。
 すると生産的な投資の比率も減ってくるだろう。
 最後には、いわゆるゾンビ企業が生き続けるようになり、生産性の伸びはますます引き
 下げられてしまう。
 (量的緩和の拡大によって生じる)中央銀行の巨大なバランスシートそのものが経済を
 刺激するとは信じていない。
 ただし、量的緩和は金融システムを安定させる手段としては有効だ。
・超金融緩和を続けることは結局、「将来需要の前借り」に過ぎない。
 つまり金融政策は経済の底上げをしたり、実力を押し上げるものではないということだ。
 前借り需要はいずれ、将来需要の減少という形でツケを払わなければならない。
 要は、足もとの経済をてこ入れしようと金融緩和をやればやるほど、近い将来の経済の
 足を引っ張る結果になってしまうということだ。
・財政政策についても同じことが言える。
 日本では1990年代、政府が経済対策として累計100兆円を超える財政出動を繰り
 返した。  
 それでも経済停滞は続いた。
 これも前借りの需要のツケ払いによる不況と言えるだろう。
・こうして財政出動の効果が疑わしくなったことで、その後、リフレ論が台頭する素地に
 なった。
 それが実行されたのが2013年からの異次元緩和である。
 こちらも金融緩和で前借りをいくら続けても、日本の消費や成長率、物価は期待された
 ようには向上しなかった。
・だが、経済専門家たちがこの「前借り・ツケ払い」説を支持したかと言えば、そうでは
 ない。 
 むしろ経済が上向かないと、「金融緩和や財政出動がまだまだ足りないからだ」という
 声が高まった。
 経済界でも、「異次元緩和をやらなければ、経済はもっとひどいことになっていた。」
 という見方がいまでも多数派だ。
 「トコトン行けるところまで行け」派が多いから、日本のマクロ政策はいまも科学的な
 分析にもとづく修正ができない。

・財政ファイナンスとは、財政資金によってではなく、中央銀行が紙幣を刷ってまかなう
 ことを指す。 
 歴史的にこのやり方は持続不可能だということがはっきりしているので、どの先進国で
 もタブーとしている手法だ。
・だが安倍政権と黒田日銀は、事実上の財政ファイナンスに足を踏み入れた。
 日銀は金融政策の手段として大量の国債を市場から買い上げ、政府の財政はそれに大い
 に助けられている。
 おかげで政府はどれだけ財政が悪化して借金を積み上げても、国債金利回りが急騰する
 心配がなくなった。
 これまで考えられた以上に、政府は巨額の国債発行ができるようになった。
・新型コロナ感染対策で予算が急膨張した2020〜2年度の3年間の政府の新規国債発
 行額、つまり新たな借金は、なんと295兆円にのぼった。平時の国家予算3年分であ
 る。 
・世界最悪の日本政府の財政事情から言えば、このとてつもない規模の借金ができるよう
 はずもないのだが、いまも政府の借金残高は延々と膨らみ続けている。
・この状態について黒田総裁は「国債購入は金融政策としておこなっている。財政のため
 ではまったくない」という建設的な説明を続けている。
 だが、どう言い繕おうと政府発行済み国債の5割超、780兆円を日銀が買い上げてい
 る現状は、日銀が日銀券を刷って国債を買い支えなければ政府財政がすぐに破綻してし
 まうことを示す。  
 金融政策が財政への配慮を余儀なくされ、自由度を奪われて「財政支配」と呼ばれる状
 態になっている。
・根源的課題と言えば、人口減少、超高齢社会の到来、財政悪化、社会保障の劣化、日本
 経済の成長力の鈍化などであろう。
 こうした問題が山積しているのに、政府と日銀の取り組みは、それに挑むための協調で
 もなければ、一時的な危機を乗りきるため限定的協調でもない。
 なんとなく現状維持を続けるため、問題を先送りしていくための、恒久的な国債買い支
 えにすぎない。
・短期決戦だったはずの異次元緩和は、いつしか10年の長期戦となってしまった。
 いまだ「出口」も見えない。
 黒田日銀は異次元緩和の「総括的検証」や「点検」を実施もしたが、常に政策の方向性
 は正しく、効果が出るまでに時間がかかっているだけだ、という手前みその分析を並べ
 たものだった。
 もっと大局的で、政治意図を排した真の総括と政策の見直しが必要だ。
 
<財政破綻、日銀破綻もありうるのか>
・日銀総裁に就いたばかりの「黒田東彦」が「黒田バズーカ」と囃された異次元緩和をぶ
 ち上げてから10年。
 昨今は予期せぬ資源エネルギー高に見舞われ日本でも政府・日銀が目標としてきた2%
 インフレをはるかに超える3〜4%台の物価上昇率がもたらされた。
・当然のことだが国民はこの輸入インフレをまったく歓迎していない。
 政府は世論の反発におびえ、物価高対策に巨額の予算を投じている。
 そのなかでひとり日銀だけが物価を上げるための異次元緩和を相変わらず続けているの
 は、異様な光景と言ってもいい。
・ほんの数年前まで経済界やマーケットから称賛され、多くの国民からも支持されていた
 アベノミクス。
 この異形の経済対策は日本経済を活気づける特効薬だったのか。
 はたまた、一時の覚醒を得るためだけのモルヒネか。
 その乱用と過剰摂取が日本経済の体力をそぎ、最後に破綻してしまうことはないのか。

藤巻健史異次元緩和の危うさを最も厳しく問うた
・円安はかなり行くと思います。1ドル400円、500円になってもおかしくない。
 1000円になったら日銀はもう潰れてしまっているでしょうね。
 日銀が債務超過になったら紙幣は紙切れ、石ころと同じです。
・どうも日銀は「債務超過になってもそれほどひどい事態にならない」と楽観的に構えて
 いるようです。 
・日銀が債務超過になったら、海外の金融機関は日銀の当座預金を閉じて、日本市場か
 ら引き揚げるでしょう。
 そのことの重大さがあまり理解されていないようです。
 日銀の当座預金口座がなければ、日本市場では銀行の仕事ができません。
 すべての銀行間取引に必要な口座です。
 約束手形だって資金の動きは日銀当座預金を通じてのやりとりです。
 全部の金融取引が日銀当座預金を経由するわけです。
 とくに重要なのは為替取引です。
・私が米モリガン銀行に移って一番驚いたのは、「政府も中央銀行も、もしかするとつぶ
 れるかもしれない」という前提で取引枠が設けられていたことです。
 邦銀では取引相手がG7の国だったら、国債取引でも中央銀行取引でも、取引金額に制
 限がなく青天井でした。
 しかしJPモルガンでは、この国とはここまでしか取引しちゃいけない、という制限が
 ありました。 
・だから日銀が債務超過になったら、外国銀行は日銀との取引枠を減らしていくでしょう。
 邦銀はそんなことはやらないでしょうが、日銀が債務超過になり、改善の望みがなけれ
 ば、外銀は日銀の当座預金口座を閉鎖するはずです。
 株主の監視の目が厳しい米系の金融機関はとくに厳格にやるでしょう。
 そうなったら日本企業はドルを買う手段がなくなります。
 日本で外国為替取引ができなくなってしまうことだって十分ありうる。
 そうなったら日本経済は干上がってしまいます。
 外資企業はみな撤退してしまうでしょう。
 国債や株式は投げ売り状態になります。
・日本経済にも、日本の市場にもまだまだ魅力はあります。
 そのときは日銀をつぶして、健全財政の新しい中央銀行を作れば、外銀もまた戻ってくる
 でしょう。
 たしかに日銀は自分で紙幣を刷れますから、資金繰り倒産はしません。
 しかし信用を失った場合、通貨の信用も失墜しますので、その国の通貨の信用を回復す
 るためには日銀を廃し、新しい中央銀行を作らざるを得ないのです。
・政府がいくら借金してもまったく問題ないのだとバラマキ政策を求めるMMT(現代貨
 幣理論)論者たち。
 彼らがしばしば持ち出す論拠に「財務省も先進国の自国通貨建て国債のデフォルトは考
 えられないと言っている」というのがある。
・これは2002年4月、日本の不良債権問題がくすぶるなかで、外国格付け会社3社に
 対し、財務省が「黒田東彦財務官」の名前で送った抗議書簡のことを言っている。
 書簡にはこう書かれていた。
 「日米など先進国の自国通貨建て国債のデフォルトは考えられない」
 なぜなら「日本は世界最大の貯蓄超過国」であり、「国債はほとんど国内で極めて低金
 利で安定的に消化されている」からと言う。
・MMT論者たちはここ数年、財務省書簡を根拠に「だから政府債務の拡大は問題なし」
 という宣伝材料に使い始めた。
 いま財務官僚たちは「あのとき、苦し紛れにあんな意見書を出したのは明らかに失敗だ
 った」と悔やむ。
・日銀のある現役幹部は「2000年代前半、財務省は日銀に対して『もっと国債を買っ
 てくれ』とかなり言ってきた。その中心が黒田財務官だった」と話す。
・財務省の有力OBの話もそれを裏付ける。
 「黒田さんは財務官当時から『日銀は中長期金利もターゲットにすべきだ』と主張して
 いた。日銀は、自分たちができるのは短期金利操作だけで中長期金利にでは出せないと
 言うが、それはおかしいと黒田さんは考えていた」
・この異形の政策は、実は黒田自身が総裁に就任するかなり前から温めていた政策だった
 ということだ。   
・このあと日本でもインフレが加速していくのなら円安を止めないと、とんでもないイン
 フレになってしまう。
 今の円安放置は最悪だと思います。
 だからと言って円安を止める手段はないと思いますが。
・本来、中央銀行は通貨の信用を守ることが最も大切なことです。
 本当は、債務超過になる可能性を高めるような資産を買ってはいけなかったのです。
 他の中央銀行はもちろん金融政策目的で株なんか買っていません。
 危ないものを買わないFRBやECBと、債務超過の可能性が出てくるものを買い進ん
 でいった日銀とは、同じ金融緩和でも危なさのレベルがぜんぜん違うのです。
 日銀はすでに中央銀行の体をなしていません。
 いずれハイパーインフレになるのは不可避でしょう。
・政府の借金がたまってしまったら増税で返すか、踏み倒すしかありません。
 あと戦争で他国の資産を強奪するというのがありますが、今の世の中でじゃ論外です。
・ハイパーインフレというのは、借金の実質価値を著しく小さくすることによる事実上の
 踏み倒し政策です。
 日本の政治経済状況から言っても大増税は不可能ですから、踏み倒すしか考えられませ
 ん。   
・戦後のドイツもハイパーインフレを沈静化するために、旧中央銀行を廃止し、新中央銀
 行を創設しました。
 日本も同じように中央銀行を取り換える必要があります。
 いまの日銀のままでは本格的なインフレになっときに金融を引き締めたら債務超過にな
 ってしまうからです。
・もう一つの方法は日本が昭和21年に採ったものです。
 日銀のままだが、通貨だけを新しくする、という方法です。
 でも、この方法は憲法違反ではないかと思う。
 円という私有財産の剥奪になるからです。
 だから新中銀方式しかないでしょう。
 通貨円は日銀の負債です。
 日銀が破綻したら、それは私有財産の剥奪ではなく、単なる倒産会社の負債を処理する
 話です。
 日銀を廃するということは、日銀の負債である円を処理するという話なので、私有財産
 の剥奪には当たりません。
・お札を合法的に紙切れにするしかないということです。
 私有財産権の剥奪と言われず、訴訟を起こされないためです。
・そのような危ない市場環境のときの国民の自衛手段は米ドルを買うしかないでしょう。
 1923年にドイツで起きたハイパーインフレのとき財産を失わずに済んだ人は、中立
 国に資金を逃がしていた人たちだったそうです。
 インフレに強かったのは農業などの実業をやっていた人。
 ダメだったのは公務員、政治家・・・・。
 そういう歴史の経験を生かして備えるしかないですね。
・日銀の破綻は、国の財政を破綻させずにやれるのではないかと思います。
 やり方を失敗すれば長期金利が上がり(国債価格が下がり)財政破綻してしまうでしょ
 うが、うまくやれば日銀破綻だけで済ませることもできるのではないかと考えます。
 ハイパーインフレというのは、ある意味では究極の財政再建策ですからね。
・しかしハイパーインフレで「財政再建」をするとなると、国家は生き残るけれど、国民
 生活は悲惨なことになってしまうでしょう。
 日銀を取り換え、政府が究極の財政再建をするという展開では、国民生活は非常に苦し
 いものになります。 
 でも残念ながら、財政赤字拡大を許してきてしまったツケが回ってくるということです。
・もう止めるのは無理でしょう。
 すでに日銀はルビコン川を渡ってしまいました。
 もう戻れません。渡っちゃった以上、もはや方策はありません。
 黒田日銀は大河を渡ってしまった。
 異次元緩和は「黒田バズーカ」などと言われて、もてはやされましたが、あれを撃った
 段階で終わりでした。
 すでに真の中央銀行はこの国にはありません。
 インフレを抑えられない中銀では、中銀の体をなしていません。
・アベノミクスはいわば、「あとは野となれ山となれ」政策です。
 別の言い方それば「ジリ貧を脱しようとしてドカ貧になる」政策でしょう。
 市場をお金でじゃぶじゃぶにすれば、景気が良くなるのは当たり前。
 でも、その後の弊害が恐いから誰もやらなかった。

中曽宏金融危機は、また来るのか
・これまでの対峙してきた金融危機で、対応が最も困難だったのは、日本の金融危機です。
 とくに1997年秋からの1年間です。
 97年の「暗黒の11月」には、山一證券や北海道拓殖銀行など4金融機関が相次いで
 破綻し、信用不安が瞬く間に全国に広がって心底恐怖を感じました。
 日本の金融システムが最もメルトダウンに近かったときだと思います。
・当時の当局や金融機関では、異常事態への対応続きで心が折れたように自ら命を絶った
 方たちもいました。
 一方で金融機関は破綻に瀕したとしても営業を続けなければなりません。
 危機下の日本の金融機関は、まるで沈んでいく船で最後まで持ち場を離れない乗組員の
 ように、職員たちが統率を失わずに業務を続けました。
 これは驚くべきことです。
 彼ら彼女らの高い職業倫理がなければ、危機の混乱はもっとひどいものになっていたは
 ずです。
 そうした努力、失われた犠牲は決して忘れてはいけません。
・金融危機は、いつどんな形で起きるのかわかりません。
 だから備えが必要です。
 さまざまな制度の安全網は整えましたが、その時、大事なのはそれを動かす人間です。
・第一に、危機の予兆はいつも見逃されがちです。
 だから悪いニュースほどいち早く見つけて、それを組織で共有しておかないといけませ
 ん。
・第二に、最悪の事態を想定しておくことです。
 結果的に何も起こらずオオカミ少年扱いにされたとしても、本当に危機が起きるよりは
 ずっといい。
・第三には、強い使命感とチームプレーでしょうか。
 マニュアルや研修も大事ですが、何よりテクノクラート(専門的な知識を身につけた担
 当者)として持ち場の実務能力を磨くことが重要です。
 実務は地味で退屈なことが多いのですが、実際に危機が起きた際には、必ずその巧拙が
 決定的な意味合いを持ちます。
・日銀が買い入れた国債の保有残高は、政府発行残高のほぼ半分と非常に大きいです。
 その影響で経済情勢に応じて価格が変動する市場機能が働いていません。
 これを回復させなければなりません。
 日銀が正常化に乗り出せるのはしばらく先でしょうが、世の中が落ち着いたら緊急モー
 ドを脱し、物価と金融システムの安定をめざす通常の日銀の仕事に戻るべきです。
 それまでは正常化で先行する米国の経験をよく学び、出口戦略を研究しておくことが大
 事です。 
・近年、程度の差こそあれ、多くの先進国で巨額の財政支出を国債発行でまかなって、そ
 れを中銀が金融市場で買うという、財政と金融の一体的運営が行われてきました。
 いずれそのコストが生じることも考えておかなければなりません。
 フリーランチ(ただ飯)はないのです。
・日本でも今後物価の上昇圧力がさらに増せば、日銀は国民から嫌がれてもどこかで利上
 げをしなければいけなくなります。 
 金融機関が日銀に預けている当座預金の利息を引き揚げることになり、日銀にとっては
 支出が増え、収益も減少します。
 その分だけ政府への国庫納付金が減り、政府収入も減ります。
 最終的にはこれを増税、あるいは歳出削減によって穴埋めしなければいけません。
 たとえそうせずにインフレを放置したとしても、国民は物価上昇を通じて結局は負担す
 ることになります。

石弘光平成は「財政不健全化の時代」だった
・平成という時代は、財政不健全化の繰り返しでした。
 あるいは官民を挙げて財政健全化を避けた時代とも言えます。
 平静を振り返って思うことは、政治家は景気が良くなっても、増えた税収を使い切ろう
 とすることです。
 景気が悪い時の財政出動は理解できますが、景気が良くなれば歳出を削減して、財政の
 健全化を図るのがあるべき姿です。
・しかし、歴代の政権は、好不況による歳出の調整ができませんでした。
 今や財政について議論されることもないくらい(財政赤字と政府債務)問題が放置され
 ています。 
 このままでは財政再建を果たすのは不可能でしょう。
・もし再建ができるとすれば、条件が二つあります。
 第一の条件は「断固やるべきだ」と首相が本気になって、政権をかけて自分のテーマに
 できるかどうかです。 
 ただ、現実にはこれまでそんな政権は存在しませんでした。
・もう一つの財政再建のための条件は、長期金利の上昇や国債格付けの引き下げなど、市
 場からの「外圧」がかかることです。
 そうすれば、時の政権は必死になって再建に取り組まざるを得ません。
・高齢化が進み、社会保障にかかる費用が増える中で財政再建を図るには、消費税を中心
 とした増税は避けて通れません。
 欧州各国では日本の消費税にあたる「付加価値税」の税率が20%前後あります。
 日本だって本来は同じくらいの消費税が必要ははずです。
 しかし福祉の水準を守るために欧州では可能だった増税が、日本では実現できませんで
 した。  
・「アベノミクス」を打ち出した安倍政権は、高めの成長を見積もり、それによる税収増
 を期待して財政を再建しようという安易な道を選ぼうとしました。
 経済を成長させるから増税しなくてもいい、とおいう「リフレ派」「上げ潮派」呼ばれ
 ると人たちの主張に魅力を感じる国民も残念ながら少なくありません。
・いま、まともな財政学者で日本の財政が破綻しないと考えている者は、おそらく1人も
 いないと思う。 
・いまの日本は、破局の崖に向かって猛スピードで走る高速列車のようなものだ。
 安倍政権はまともな提言、本音の警告をする政治家や官僚、有識者を次々と排除してい
 った。 
 その結果、乗員や乗客に危険を知らせる警報装置がどんどん失われてきた。
・戦前の政府債務の膨張の帰結は、敗戦時に政府が実施した預金封鎖や新円切り替え、
 財産税や戦時特別補償税といった負担増であり、さらに物価が何倍にも跳ね上がる高イ
 ンフレだった。 
 要は、日本政府は国民から富を収奪することで政府財務をチャラにし、国民は生活地獄
 に陥ったのだ。
 戦後日本は国民生活の犠牲の上に身軽になって出直したのである。
・MMT論者たちの言う「政府がいくら借金を積み上げようと財政破綻はしない」という
 のは、ある意味では間違っていないかもしれない。
 ただし、それは国民生活がどうなってもいい、という前提つきだ。
 政府は国民の富を収奪することで生きながらえられる。
 しかし、そのとき国民生活が守られる保証はまったくない。
 それが歴史の教訓である。

<成長幻想も経済大国の誇りも、もういらない>

佐伯啓思アベノミクスをなぜ見放さないのか
・社会に漂う不穏な空気がどこか戦前に似ているという人も多い。
 だけど、やはり戦前とは少し違うと思う。
 戦争前夜とまでは思わない。
 戦前は、日本は国内の矛盾が引き金になって海外に軍事進出しました。
 今日、それはまず考えられません。
 それよりむしろ逆に、戦前の危機感のような強い政治的信条でテロを起こすだけの、
 政治的な強さがあるのかどうかと思うのです。
・戦前は、日本全体が閉塞感のなかに追い込まれ、そのなかでテロが起きました。
 そして、そういう社会不安を背景に、日本は大陸に侵攻していった。
 しかし、いま日本が侵略戦争を起こす可能性はゼロです。
 逆に日本が攻撃される可能性の方があります。
安倍元首相殺害事件の特徴は、安倍さんを狙った犯人の政治的意図は皆無なのに、結局
 は標的が安倍さんにいってしまったという点であって、非常に妙なことでした。
 もちろん、後になって旧統一教会と自民党議員のつながりが論議されますが、それが山
 上徹也容疑者の認識でも目的でもなかった。
 本来の目的と関係がないのに、妙なところにスライドして狙いが政界トップにまで行っ
 てしまった。  
 この奇妙さの方が何か不気味な印象を与えます。
 しかも、彼は判断能力の欠如した人物どころか、きわめて周到に準備している。
 この辻褄の合わなさのほうが、現代的な居心地の悪さを感じさせます。
・第2次安倍政権は、基本的に、しかも大規模に米国の真似をしたと言ってよいでしょう。
 米国からサジェスチョン(示唆)があったのだと思います。
 政権発足後2年ほど経ったとき、ポール・クルーグマンやジョセフ・スティグリッツと
 いったノーベル経済学賞を受賞した米国の経済学者たちを官邸に呼んだでしょう。
 なぜ日本の経済政策の立案に対して、わざわざ米国の経済学者を招くのか、と思いまし
 た。
 まあ、日本の経済学者の大半は、米国の受け売りですから仕方ないかもしれません。
 でも、これが実態です。
 米国の経済学者の考え方を、安倍さんは全面的に受け入れたのです。
・しかも、グローバリズムのもとでは世界経済が繋がっているので、日本だけ独自の道を
 ゆくといっても、その独自が何か誰にもわかりません。
 しかもグローバリズムのもとでは、世界経済が繋がっているので、日本だけ独自の道を
 ゆくといっても、その独自が何か誰もわかりません。それだけのことです。 
 しかし、政治はあくまで相対的なもので、アベノミクスにも一定の評価はすべきだと思
 います。
 批判はいくらでもできますが、では他にどのような政策がありえたのか。
 あの程度でも、それまでと比べれば、かなり経済のムードを変えました。
・米FRBのパーナンキ元議長は、議長就任前には政府に「ヘリコプターマネーをばらま
 け」と言っていましたが、自分が議長のときにそこまでやりませんでした。
 量的金融緩和はやりましたが、出口政策も考慮した、ある程度抑制の利いたものでした。
 しかし日本にはその後も「大胆にやれ」と言っていた。
 これでは日本市場を実験場扱いしたようなものです。
 それを真に受けたアベノミクスは、日本に無責任さを蔓延させ、政治を壊してしまった
 のではないですか。 
・一番の問題はアベノミクスのいわゆる第3の矢、成長戦略だと思います。
 結局、戦略的に成長経済を作ることはできなかった。
 実際、今日、いかなるイノベーションをやったって、日本経済は容易に成長できる状況
 にはありません。
 最近はAI(人工知能)やら、量子コンピューターやロボットやら、自動運転やら新し
 い技術が出てきた。そして宇宙開発。
 これらが米中の国家間競争の潮流になった。
 それを無視できないと思います。
・安倍さんの政策的失敗かどうかは断定できません。
 もっと構造的な原因だと思います。
 第一に人口減少。第二に、あまりに急激なグローバリズムのなかに飛び込んでしまった
 こと。
 日本企業はそれに対応できる体制が整っていなかったにもかかわらず、一気にグローバ
 ル競争に巻き込まれてしまった。
 大企業はともかく、中小企業はコスト競争で賃金を上げる余裕がなかった。
 第三は構造改革です。
 構造改革の発想は、「需要はいくらでもあるから成長できない、だから供給側の制限を
 外せばいい、という考え方です。
 だけど、実際には需要そのものがないのです。
 所得が発生しないから需要がない。
 消費意欲がない。
 そんなときに供給側で競争をやれば、当然デフレになります。
・安倍晋三は首相のとき、「世界の大国にふさわしい責任」といった言い回しを好んで使
 った。  
 大国という言葉をこれほど頻繁に使った日本の首相はいなかったのではないか。
・国内総生産(GDP)の規模では現在(2022年)、3位が、国民の豊かさを示す1
 人当たりGDPでは30位とさえない。
 「大国」をことさら強調するのも実際は中身が伴わなくなってきたからだろう。
・コロナ危機のもとで、私たちはあまりにもお粗末な政府の対応ぶり、日本の脆弱な社会
 基盤の現実を目のあたりにした。
 象徴的なのは感染者を特定するPCR検査の能力不足である。
 日本の人口千人当たり検査数は感染拡大当初、2.2人と経済協力開発機構(OECD)
 加盟37ヵ国中36位だった。
・それだけではない。
 人口当たり臨床医師数、集中治療設備数、給付金手続きを進める電子政府のレベル、小
 中学校のオンライン学習の普及度などでも、日本は先進国の平均レベルに達していない
 状況が露呈した。   
・これらは「現場の判断ミス」という類いの失敗ではない。
 必要なところに必要な予算を回せない、マンパワーを確保できないといったところに原
 因がある。
・そして日本は1200腸炎の国と地方の債務を抱え、財政健全度では世界最悪の国とな
 っている。
 つまり日本はいま、行政機能の劣化と、財政赤字の拡大という二重の国難を同時に招い
 ているのだ。
・政界には「自国通貨を発行する国は財政破綻しない。だからもっと債務を増やせ」とい
 うMMT(現在貨幣理論)に染まった国会議員も増えている。
 それでもこれまでは日本の国債や通貨円の信認がかろうじて保たれ、財政は破綻せずに
 すんだ。
 日本にはまだまだ増税の余地があると市場から見られているだめだろう。
 とはいえ、その余地も超高齢化と経済の成熟化とともに次第に縮小している。
・コロナ危機で政府は巨額の対策費をつぎ込み、財源として2020〜22年度の3年間
 だけで新規国債発行額は空前絶後の195兆円にのぼった。
 この異常な借金膨張を前に、政界にまったく危機意識が見えないことが不思議でならな
 い。 
 いま財源確保の必要性を訴える国会議員は数えるほどしかいない。
 この風潮をつくったのは安倍政権だ。
 これでは大国は大国でも、まあに「劣化大国」だ。
・財政政策の失敗というだけではなく、もっと根本的な問題があるということでしょう。
 1980年代にバブル経済になりましたが、そのとき日本はおカネの使い方を間違えま
 した。
 日本企業が米国のロックフェラーセンターを買収するとか、土建関連や地上げなどと絡
 んで、ただただバブルを作って喜んでいました。
 そのときにもっとも学術や福祉、研究開発、国土保全などにおカネを使っておけばよか
 った。
 90年代に米国がIT革命をやったときには、日本もそれに対抗できるような戦略をも
 って人材を育てるべきでした。
・あるインド研究者が「インドには偉大な政治家が生まれる。だが偉大な政治家が生まれ
 る社会がいい社会とはかぎらない」と言っていました。
 それで言えば、偉大な政治家が生まれなくなった日本は、それほど悪くない社会という
 ことなのでしょうか。 
・今日の日本の政治かというのは、余計なことはしないほうがいい、と感じています。
 一つの理由は、いま日本社会は限界まできている。
 何かをやればかならず反発が出る。
 そのこと自体が政治を不安定にする。
 政治をコロコロ変えていかざるを得なくなる。
 やるとしても、ほんの微調整くらいで、いまある状態を維持することくらいしかできな
 いだろうと思うのです。
・本当の問題は、日本社会が何をやってもうまくいかないところまで来てしまった、とい
 うところにあります。
 その認識をまず前提にして、そのなかでやれることをやりましょうと言う以外にないで
 しょう。
 現状をとにかく維持することが第一で、我々の本当の幸せは何か、文化や地方生活どう
 あるべきか、そういう問題設定をすればよかった。
 この混沌たる世界の中で、まず自足できる国を作ってゆく。それしかありません。
・しかし政治もメディアもそれをやらなかった。
 政治家だけにやれと言っても無理です。
 やるならメディアが提言して世論を動かしていかないとだめです。
 結局、政治も大衆世論で動きますからね。
 そこに一番影響を与えるのはやはりメディアです。
・財政規律の崩壊とか、金融政策の政治化は、アベノミクスがもたらしたというよりも、
 もう少し根本的な問題が原因だと思います。
 それは戦後日本社会そのものです。
 戦後の日本社会の基本的価値観は自民党も含めてリベラルです。
 それは近代主義的な価値観です。
 これにあらがうことはできなかった。
・集団より個人が大事、人間の作為とか合理性を超えた神聖な領域は存在しない、合理的
 なものが進歩であり、非合理的な古いものは批判する。
 これが近代主義の価値観です。
 道徳や規範は自由と対立すると見られました。
 そのうえで、経済成長を追求すればよい。
 カネを生み出せば幸せになるはずだ。
 それを後押しするのがイノベーションだ。
 という考え方です。
・このいわば近代主義の価値観を米国も欧州も、そして日本も受け入れてきました。
 しかし、それは日本社会にうまく根付きませんでした。
 というより、根付きようがなかった。
 完全にそういう社会を作るのは無理だったのです。
・日本は戦後、前近代的な封建社会を変えろ、ということになり、共同体も家も地域も、
 仏教も神道もぜんぶ間違いだとされてしまいました。
 西洋の近代主義の表面的なところだけ受け入れました。
 それではうまくいくはずがない。
 だから日本的なものは前近代的として否定され、かといって近代的な市民社会になるわ
 けでもない。 
 個が確立するわけでもない。
 それなのに家も地域社会も宗教の支えもなくなってしまった。
 個人は行き場がなくなってしまいました。
 それが根本の問題としてあります。
・保守はそれを立て直すべきでした。
 しかし安倍さんでも立て直せなかった。
 立て直すどころか、かつてなく経済中心にしてしまった。
 近代主義をかえって加速してしまった。 
 それは安倍さんの罪というより、戦後日本社会の全体の問題です。
 リベラルも保守も同じです。
 野党も与党も同じです。
 保守とリベラルの対立の背後に、もう一つ別の何か伝統的なものがあるのです。
 それをうまい具合に浸かっていかないといけない。
・いま日本銀行がやっている財政ファイナンス的な手法は、もともと米FRBのパーナン
 キ議長が始めたものです。 
 日銀は「米国があそこまでやるのなら日本も追随せざるをえない」ということになりま
 した。
 しかし米国は問題が起きたら修正できる国です。
 だからいまFRBは超金融緩和をやめて、猛烈な勢いで出口戦略を進めています。
 一方、欧洲はいったん動いたらなかなか変えられない文化なので、中央銀行は財政ファ
 イナンスに動くことに慎重でした。
 その後、始めましたが少しやっただけなので、いま引き返すエネルギーが小さく済んで
 います。
 しかし、日銀は異次元緩和に動いたら、どっぷりそこにはまり込み、いまもなかなか引
 き返すことができない。
 まさに日本に近代主義の思想もシステムもないことを物語っています。
・米国は理論を唱えるけれど、それにとらわれず、いくらでも平気で変更する。
 彼らからすれば「僕たちが主役なのだから調子が悪くなったら変更するのは当たり前だ
 ろう」という考え方なのです。
 一方、我々は彼らから理論だけを受け入れてくるから、かえってそれに縛られてしまう。
・問題は西欧が生み出した近代社会をどう理解するか。
 それを本当に日本に持ち込むことができるか、ということです。
 近代主義というのは、絶えず現状を変革し、人間の自由や幸福を増大し拡張しようとす
 るものです。 
 しかもその近代主義がついに宇宙開発などのイノベーションにまで進み、スーパー近代
 主義になろうとしています。
 近代主義でさえアップアップしていた日本が、果たしてその潮流にくっついていくこと
 ができるのかどうか。
 いや、追いかけるのがよいのかどうか。
・ある程度は欧米につきあわないと仕方ないですが、本当に大事にすべき共同体的な価値
 とか、日本的な価値についても考えておかないとだめです。
 スーパー近代主義を我々の生活や文化にどう採り入れていって、それによって日本的な
 ものが表面的に崩壊していったとしても、中身はちゃんと残っているとかね、そういう
 ことを考えないと仕方ない。

山口二郎「より良い未来」をあきらめた民意と長期政権
・実はアベノミクスというのは体系があるようで、ない政策です。
 3本の矢(大胆な金融緩和、機動的な財政出動、成長戦略)に貼り合わせですからね。
 スローガンも「一億総活躍」とか「女性が輝く」とか、とっかえひっかえで、新しいも
 のが出ては消えていく。その繰り返しでした。
・アベノミクスの本質は日銀が紙幣を刷って政府財政を支えた「財政ファイナンス」でし
 た。
・安倍元首相が何百回、何千回と「アベノミクスの成功」「アベノミクスの果実」と繰り
 返し言っているうちに、国民には「すばらしい政策だ」とすり込まれてしまったようで
 す。 
・これだけ異常な財政ファイナンスがおこなわれていても、メディアも国民もたいして問
 題にしてきませんでした。
・これは、日本国民に「正常性バイアス」が働くようになったためではないかと考えてい
 ます。
 災害や事故が迫っていても自分だけは大丈夫だろうと思い込み、危機を回避する行動を
 とらないことを心理学ではそう呼んでいます。
 よりよい未来はありえない、という意識が国民のなかに浸透してくると、今度は嘘でも
 いいからある種の安心感を持ちたくなる。
 マインドのなかに秩序を作りたいと思うようになるのです。
 人は不安のなかで生き続けることはできません。
 現状肯定とか、自己正当化という心理が働くようになります。
 その結果、不都合な現実から目を背けることになるわけです。
・このような傾向は日本特有の現象です。
 他の国の政治を見れば、最近もそれなりに政権交代とか政治的な変化が起きていますか
 らね。 
・第2次安倍政権時代に官僚たちが言っていたのは、どんなにひどいことを言っている政
 権だとしても「長期政権というのはいいものだ」ということでした。
 外交でも存在感を増し非常に楽になった。
 成り立ての政権のように、よけいな心配をしなくてもいい。長期政権は楽だ、という雰
 囲気がありました。
・政治学の観点からみれば、安倍晋三という政治家は全体の評価は別として、権力の使い
 方を非常に心得た人でした。 
 とくに人事がそうです。
 ここまで権力を政権運営のために有効に使った総理大臣は戦後珍しいのではないでしょ
 うか。
・権力維持がここまで目的化してしまった政権がかつてあったでしょうか。
 普通はあにかやりたい政治目的があって、その実現のために権力を取りにいくというの
 が常識でした。
 しかし安倍政権は、いわば権力を維持していくための装置としてアベノミクスのような
 危うい政策を引っ張り込んできたように見えます。
・安倍元首相に、あまり思想はないんじゃないですか。
 小泉元首相は、明らかに小さな政府を求め、市場メカニズムを信奉していました。
 けれど、安倍さんという人には、あまり思想を感じません。
・思想がないということで言えば、まさに「旧統一教会問題」がそうでした。  
 あれだけ韓国に敵対的な態度をとっていた安倍氏が、旧統一教会の文鮮明、韓鶴子夫妻
 のパトロンのようになっていたのです。
・安倍元首相が辞任後、最初に受けた読売新聞インタビューで
 「あなたの政策レガシーは?」
 と問われ、
 「2回増税をしたこと」
 と答えていましたので、思わずひっくり返りそうになりました。
 ただ、それを読むと、安倍氏も「財政を破綻させてはいけない」という最低限の常識は
 あったのかなとも思いました。

・岸田政権が、財源の裏付けもいいかげんのまま、防衛費を大幅に拡大するのを見ている
 と、政治の世界で何か大事な秩序のようなものが壊れてしまった感じがします。
・結局、岸田首相も権力維持が最終目的になっているのではありませんか。
 防衛費増額の顛末を見て思うのは、いまだアベノミクスの呪縛が続いているということ
 です。
 結局、そんなことができるのは、当座は日銀による買い支えのおかげで国債増発ができ
 るからです。
 政治家たちが財政ばらまきをやってもへっちゃら、ということになってしまっているの
 は異常です。
・そもそも防衛費をまかなうために税外収入だ、剰余金だ、歳出カットだ、というのは、
 まったくナンセンスであることは明らかです。
 5年間で税外収入と剰余金と歳出カットで11兆円強を生み出すというが、その11兆
 円は、そのあとは増税になるわけですよ。
 こんなものは一時的な収入であって恒久財源にはならない。
 これは国民を欺く重大な犯罪です。
・国家安全保障の文脈で防衛費増額案がでてきたのだとしたら、財源の問題が不確かでは
 安全保障にならないはずです。
 それに国債価格が急落して財政が弱体化したら、防衛装備だって安定して増やしてはい
 けません。 
 この問題をそんな不確かな枠組みでやろうというのがおかしいですね。
・本当に不誠実で無責任です。
 岸田さんという人の良心を疑いたくなる。
 国民に説明して納得してもらって信頼を得る、という正攻法を放棄したということです。
 これは自民党政権の危機というより、国難です。
・歴史は繰り返すということを、最近防衛論議を聞いていて感じます。
 1930年代後半、2.26事件で軍ファシズムに向かっていく時代に、広義国防とか、
 狭義国防かという論争がありました。
 狭い意味での国防とは軍部を増強していく、防衛費を増やすということです。
 これに対し広義国防とは、国の経済力とか国民の生活水準や健康のことまでを含めて国
 力を高めていくという考え方です。
 当時は失業とか農村の疲弊とか社会経済問題が深刻で、いまでいう格差貧困が大きかっ
 た時代です。
 だから陸軍の一部には、労働組合とか社会民衆党などとも連携して広い意味での国防を
 考える必要だという意見もありました。
 たしかに国民生活をまったく考えず、格差・貧困問題も放置していたとすれば、それで
 政府はいったい何を守るんだという感じがします。
・日本にとっての脅威は、実は内側にありますよね。
 1年間に生まれる子どもの数が80万人を切り、1人当たりのGDPでもどんどん順位
 を下げているとかです。
 円安で物価が上がり、食料、エネルギーの価格が重荷になるとか、いろいろなことに国
 力の衰退が表れてきています。
 国を守るというなら内側も充実させていかないといけないし、そのための予算はきちん
 と使っていかないといけないと思います。 
 そもそも、子どもの数がこれだけ減っていったら戦争する能力だってあやしくなります。
・特効薬はないけれど、一つは、野党が責任感をもって政権構想を打ち出していくという
 ことが大事です。 
 人気取りで消費減税とか訴えるのではなく、国民に大きな見取り図を示し、もう一回政
 権をとる意欲を示すということを野党側がやるべきです。
 次の綜理総裁を目指す人たちがこの政治の体たらくは我慢できないと、かつての自民党
 リーダーの行動に学んで党内で論争なり権力闘争なりを仕掛けてほしいですね。
 
藻谷浩介人口減日本の未来図は十分に描ける
・「人口原因説」に最も強く異論を唱えてきたのが、アベノミクスを支持するリフレ論者
 たちでした。
 「金融緩和で物価や株価を上げれば、消費も増える」という彼らの空論を信じ込んだ安
 倍元首相は鳴り物入りで異次元緩和を日銀にやらせました。
 その結果、株価は急騰しましたが、肝心の消費はほとんど増えませんでした。
・1980年代後半のバブル経済の後の20年間の金融緩和で、10年前にはお金の量は
 3倍になっていましたが、それでも効果がなかったのですから、アベノミクスの結果は
 最初から明らかでした。
・現役世代は所得を消費に回しますが、高齢富裕層は欲しいものがなく、消費より貯金が
 快感になってしまっています。
 こうした預金フェチの人に貯めこまれてしまうので、金融緩和や財政刺激をしても需要
 は伸びないのです。  
・需要なき生産拡大は値崩れを起こすだけです。
 (現在主流の)生産に重きを置く経済学の枠組みは時代遅れです。
 人口成熟のもとでの成長の条件は、現役世代の所得が増え、人口当たりの消費額、時間
 当たりの消費額が増えることです。
・政府が返済計画の立たない借金を積み重ねる姿は、社会の病理を感じます。
 だから当然ながら財政規模を肥大化してきましたが、内需はほとんど増えていません。
 さらなる財政拡大を提唱している、最近はやりのMMT(現代貨幣理論)論者たちは、
 その事実を見ていません。
・戦争や天災など何らかの理由で金利が急騰したら、巨大な借金を抱えた政府機能は即刻
 止まってしまいます。
 そうでなくとも南海トラフ地震は近未来の発生が想定されていますし、豪雨災害も続く
 でしょう。
 いざ本当に財源が必要な時のために備えがどうしても必要です。
・やれることはたくさんあります。
 たとえば自然エネルギーや、国内産の食料・飼料の生産を増やして自給率を上げて、輸
 入額を抑えることです。
 日本の農業がまだ試していない技術革新の材料はいっぱりあります。
 世界には降水量、日照量、土地などの好条件がそろわない国が多いなかで、実は日本に
 はそのすべてがあります。
 現在4割ほどの自給率を6〜7割にすることは十分可能です。
 それに生産年齢人口が減ったとしても、AI(人工知能)とロボットによる省力化でこ
 れも乗り越えられるはずです。
・高齢者の多くが金銭面の不安を抱えているのは確かですが、一方で高齢者の富裕層が膨
 大な金融資産を抱え込んでいる現実もあります。
 持てる高齢者が生涯つかわない貯蓄の一部を、持たざる高齢者の生活資金に回す。
 それだけで若者に負担をかけずに事態は改善できるはずです。
・年金は、現役世代の保険料で今の高齢者の年金原資を賄う「賦課方式」になっています。 
 これを制度通り運用して支給額を減らし、貯金のある間は取り崩して生活してもらうよ
 うにする。
 他方で、生活保護制度の運用を改め、貯金の尽きた高齢者がすぐに生活費を受給できる
 ようにする。
 そうすれば、受取額が年金より多くなる人も増えます。
 全体でみれば財政負担は減り、消費は増えるでしょう。
・人口減の理由は少子化です。
 だから、むしろ過疎自治体の方が生き残る確率は高いと思います。
 2020年までの5年間に0〜4歳の乳幼児人口が増えた過疎自治体は100以上あり
 ました。 
 逆に首都圏1都3県は、地方から親世代となる若者を集め続けたにもかかわらず5%減
 です。
 出生率の低い大都市圏の日本人は、生物集団として見ればすでに絶滅に向かう状態です。
 3人以上産んでも普通に暮らせる職住環境がないと、人口は維持できません。
 東京ではとても無理です。
 でも人口が数百人規模の過疎集落なら可能かもしれない。
・日本には国際観光地としての絶対的な優位性があるのです。
 緑の山と青い海に恵まれた日本がいかに例外的な場所か。
 世界から見た日本の自然や環境は、四季折々に訪れたい庭園のような場所なのです。
 しかも、とびきりおいしい食事までできる場所なのです。
・問題は日本の観光政策が、客数だけを目標に安売りに走ってしまったことです。
 客数を増やす目標はもうやめた方がいいです。
 日本経済の付加価値を効率よく高めるためには、中長期の滞在客に地場産品をより消費
 してもらう。
 そういう戦略に転換すべきです。
・中国では高齢者が増加しており、少子化も止まりません。
 20年遅れで日本を後追いしている感じです。
 日本の世界が中国の消費に依存して成長するのは早晩難しくなっていくでしょう。
 日本はかつて労働力不足の穴埋めに日系ブラジル人を呼び集めました。
 中国も同じように東南アジアに広がっている華僑を呼び集めざるを得なくなると見てい
 ます。  
・日本は、主要国で最初に65歳以上人口が増えない時代を迎えるはずです。
 すでに全国約1700自治体のうち、過疎地を中心に300近い自治体で70歳以上人
 口が減りはじめました。
 こうなれば福祉予算を減らして、子育て支援に予算を振り向けられるようになります。
 それで子育て環境が整えれば、子どもが増え始めるでしょう。

<エリートの背信が国民益を損なう>
・第2次安倍政権が2012年末、リフレ政策(その後、アベノミクス、異次元緩和と呼
 ばれるようになった)をひっさげて発足したとき、霞が関の官庁街では、自民党に政権
 が戻ったことを歓迎する空気が強く、そちらが先に立って安倍政権のリフレ政策に関心
 を抱く官庁は必ずしも多くないように見えた。
 アベノミクスに批判的な意見が目立ったのは財務省や日本銀行など、マクロ経済政策を
 担う政策当局の幹部たちくらいだった。
・金融緩和のレベルを上げるよう直接圧力をかけられた日銀、国債市場や外国為替相場の
 安定に直接かかわる財務省の幹部たちは、大いに危機感を募らせていた。
 このまま突っ込めば日本経済に何か不測の事態を招きかねたい。
 それほど危うい政策だと受け止められていた。  
・とはいえ、総選挙で国民の信任を得た政権が「一丁目一番地」で掲げる政策である。
 安倍は選挙期間中も「日銀に量的緩和をもっと激しくやらせる」と遊説で繰り返し公約
 していた。
 その安倍が首相になって政府の公式な指揮系統で政策を発動させるのだ。
 財務省や日銀の幹部たちが簡単に否定することなどできない相談だった。
・日銀が紙幣を刷りまくって国債を買い上げる。
 それによって国債価格は上昇し、長期金利は低下する。
 一見すると景気刺激的だし、大量の国債消化にいつも苦労している財務省にとっては国
 債管理政策で助かる面もある。
・ただ、そのような「財政ファイナンス」まがいの政策が金融市場でどこまで続けられる
 だろうか。  
 海外勢がこんなやり方を黙って見逃すだろうか。
 国債市場に何か予期せぬ事態が起きないか。
 仮に日銀が国債を買い支えて国債市場の暴落を防げたとしても、それにとって通貨円の
 信認を失いことはないか。
 およそ持続可能な政策とは考えられなかった。
・とはいえ、いまさら安倍官邸にそれを見直すべきだと掛け合ったところで、耳を貸すは
 ずはない。もともと安倍は財務省嫌いなのだ。
 だから財務省幹部たちは多くの疑問と懸念を抱えつつも、それを飲み込んで、政権方針
 に黙って従うことにした。
・そのころまさにアベノミクスのエンジンとなる役割を申し渡された日銀でも、組織的な
 動揺が広がっていた。
 リフレ政策に賛同することで安倍から日銀総裁に指名された黒田東彦が2013年3月、
 日銀総裁として着任した。
 4月の最初の金融政策決定会合で、黒田はいきなり「2年で、2%物価目標を達成する」
 「そのためにマネタリーベースを2倍に、国債買い上げも2倍にする」という異次元
 緩和を提案し、決定した。
・この政策パッケージを立案したのは、当時の企画局長の内田真一だ。 
 その後、企画担当理事となってマイナス金利政策や長期金利操作の企画・設計にも携わ
 り、黒田日銀の異次元緩和を「雨宮正佳」副総裁とともに支えた。
 内田は植田日銀で副総裁として、そのまま金融政策の中枢に残ることになった。
・おそらく内田にとっては、さほど矛盾したことではないかもしれない。
 時の政権のもとで「機能」として求められている仕事をこなしているだけだ。
 日銀内では「究極のテクノクラート」との評がある。
・ただ、日銀職員のなかには、やすやすと政権の「機能」に徹することに抵抗を感じる者
 も少なくなかった。 
 黒田体制にとなって、日銀内には自由に政策論議をしにくい雰囲気が漂っていた。
 リフレ政策に批判的だった元総裁「白川方明」時代の方針をおおっぴらに指示すること
 ははばかれたのである。
・日銀OBたちには「このままでは金融政策も日銀組織も壊れてしまう」という強い危機
 感が広がった。
 栗田日銀が発足したすぐ後、ある有力OBは「現役幹部たちはポストを追われることに
 なっても、はっきり総裁に抵抗すべきだ」と強く訴えた。
 その声は現役職員らの耳に届いた。
 だが、当初は異次元緩和に反対意見が多かった日銀組織内でも、いつしかそうした声は
 小さくなっていた。

門間一夫:「効果なし」でも、やるしかなかった
・日銀は、最初は2%をめざして全力で緩和を進めるしかありませんでした。
 ただ、問題はこの期に及んでいまだに2%目標というものに重点が置かれすぎているこ
 とです。  
 いま起きている国債市場の機能低下とか、市場とのコミュニケーションがうまくいかな
 いといった問題は、日銀が2%に固執するあまり起きていることです。
・2022年に急速な円安を招いたのもそれが原因でしょう。
 2%目標も大事かもしれないが、もっと他のこともバランスよく考えたほうがいい。
 目標そのものが変えられないのなら、それを掲げながらも、もうちょっとウェートの置
 き方を軽くする認識を政府と共有できれば、それはそれで意味のある変更になります。
・形式的には黒田総裁が勝手にやったということになりますが、その黒田総裁の任命も含
 めて政治の力が働いており、さらにその外側にそれを是とする世の「空気」があったわ
 けです。  
・異次元緩和をやっていなければ、日銀はひどい批判を受けていただろう。
 白川総裁のときの世間からの日銀批判はひどいものだった。
 あの状況ではそれしか選択肢がなかったのは確かだ。
・時の世論の大勢に逆らってでも正論と思うところを訴えることは、国家のエリートの務
 めだったはずだ。 
 もはやそんな時代ではなくなったのだろうか。
 それは民主主義とも相いれないことなのか。
・戦争や自然災害など他の理由で円が暴落する可能性は否定しませんが、日銀が国債を
 500兆円もっているという理由で円が暴落することはありません。 
 日銀の国債保有シェアが6割7割になるかどうかわかりませんし、仮になっても、どう
 いう理由で7割になったかによると思います。
 その国の基礎的な強さ、つまり財やサービスを生み出す力が大幅に低下すれば、通貨は
 暴落する可能性が高まります。
 でも財政赤字が大きいとか、中央銀行が国債をたくさん持っているというだけで通過は
 暴落しないと思います。
・日本の潜在成長率が上がって長期金利が上がるなら、税収もガバガバ入ってくるので問
 題ないでしょう。
・問題が生じるのは供給能力が低下する時です。
 人々が動かなくなる、あるいは災害等でサプライチェーンが完全破壊されて、まともに
 モノを作れない、運べないということになれば税収も入ってきません。
・それでもモノの値段は急騰するので金利は上げなければならなくなるかもしれません。
 供給能力が最大の問題なので、国を挙げて供給サイドの強靭性を確保すべきです。
 それは日銀が国債を持つとか持たないとかという話ではありません。
・大災害が起きても、最終的には供給能力さえ確保できれば必ず経済は復活し、そのとき
 の税収でファンディング(財源、資金調達)できます。
 財政破綻が起きている国というのは、多くの場合、モノ不足になったり人々が怠惰にな
 ってしまったりして、国そのものがダメになったことが財政問題にもなっているのです。
 財政赤字が破綻の原因なのではなくて、その国が落ちぶれてしまったことが、インフレ、
 財政赤字、生産性低下などのさまざまな問題につながっているということです。
・MMT(現代貨幣理論)にも一定の合理性はあります。
 いくらでも国債を出してもいい、お札を刷っていいという議論に私は乗りません。
 ただし特定の債務水準を超えてはいけないという機械的の財政緊縮論よりは、インフレ
 や資金余剰などの実態に照らして適正な規模を上回らないかぎり、国民に役立つ財政支
 出を出してもよい、あるいはすべきだ、とい考え方のほうに魅力を感じます。
・岸田政権も一応は防衛費増強でも必要財源の4分の1くらいは税収で、と言っているし、
 子育て支援にしても財源を見つけると言っています。
・異次元緩和によって財政がブレーキをなくしてしまった面はあります。
 いまや財政拡大の財源は「国債を発行すればいい」と言う政治家ばかりになっている。
・日銀がブレーキをかけるというよりも、財政を巡る情報発信を充実させるべきと考えて
 います。  
 我々は2%物価目標の実現のために全力で金融緩和をする、だけどそれが財政規律をゆ
 るませてはいけない、という分析や説明はした方がよいでしょう。
 いまの日銀は「その責任は私たちにはないので政府に聞いてください」という言い方で
 す。
 しかし、日銀の政策が財政規律を失わせているという批判が少なからず存在する以上、
 それに真摯に向き合う責任が日銀にもあると思います。

・門間説は「異次元緩和は最初から効果がないとわかっていたが、日銀は国民からの信頼
 を守るために全力でやるしかなかった」というものだ。
 だが、その論理が成り立つなら、たとえば、太平洋戦争で「アメリカに勝てるはずがな
 いとわかっていたが、皇軍は国民の信頼を守るために全力でやるしかなかった」という
 弁解も成立しかねない。
・勝てないとわかっていた戦争に突っ込んでいった太平洋戦争での旧日本軍。
 それとどこか似たような、何か組織的で構造的な問題を日銀が、あるいは日本という社
 会が内蔵しているのではないか。
 もし、それがこの国のあらゆる組織に共通する宿痾であるなら、日本はまた失敗の歴史
 を漫然と、これから何度でも繰り返していくことになりはしないか。
・一昔前の財務省なら、国家財政を脅かすことであれば時の政権だろうと与党の大物政治
 家であろうと、言わねばならぬことを言い、拒まねばならぬことを拒んだだろう。
 それが国家の屋台骨を支える財政当局としての責務だと、組織の誰もが信じていた。
・ところが、第2次安倍政権の7年半で、そのありようは様変わりした。
 官邸主導の予算バラマキ路線に、主計局が積極的に手を貸す事例が出てきたのだ。
 2020年の新型コロナウイルス感染防止のための1次補正、2次補正予算の編成をめ
 ぐって、あまりの放漫ぶりに省内や財務省OBたちから批判が噴出するほどだった。
・経済底支えのため、安倍内閣は大型対策を打ち出した。
 2020年4月末に成立した2020年度予算の第1次補正で25.7兆円、6月に成
 立した第2次補正で31.9兆円。合計57兆円の補正予算を組んだ。
 財源はすべて新たな国債発行で捻出した。事業費総額は234兆円。
 首相の安倍晋三は、記者会見でこれが「空前絶後」「世界最大」と誇った。
・これには多くの批判の声がつきまとった。
 1次補正では通称「アベノマスク」が批判の対象になった。
 配布スピードが遅く、経産省などの発注手続きの疑惑も指摘された。
 ようやく配布が始まったときには、すでに世の中に市販マスクが出回っており、そもそ
 も必要だったかという批判が出た。 
・「GoToキャンペーン事業」と名づけられた観光・飲食振興策には約1.7兆円もの
 巨額の予算が計上されたが、これも世間のニーズとずれていた。
 外出自粛や休業要請が続くなかで観光振興の予算など執行できるはずがない。
 不要不急なのに、なぜか医療への支援予算より手厚くなった。
 医療現場では人でも資材も不足し、悲鳴があがっていた。
・2次補正では10兆円という大規模な予備費が計上されたことが問題になった。
 通常なら1会計年度の予備費はせいぜい数千億円だ。
 危機対応とはいえ、けた違いの予算額が設けられた。
 野党からは「安倍政権に巨額予算を白紙委任しろということか」「国会軽視だ」と批判
 が相次いだ。  
・補正予算編成にまつわる批判を一身に浴びたのは、当時の主計局長、「太田充」だ。
 千億円単位、兆円単位の重要予算項目について省内議論を飛ばし、1人で安倍官邸側と
 結論を決めてしまったからである。それもほぼ官邸側の「言い値」でだった。
・太田のやり方はシンプルだった。
 経済対策を決めるに際し、まず経済産業省の筆頭局長である経済産業政策局長だった
 「新原浩朗」と、主要政策の規模や中身についてすり合わせる。
・新原は内閣官房の要職も兼務するいわゆる「官邸官僚」の1人だ。
 安倍の右腕である首相補佐官「今井尚也」の経産省の後輩で腹心でもある。
 新原の要求は「安倍官邸の意向」といってもよく、新原と握れば官邸と握ることにもな
 った。  
・新原も経産省内で独断専行するタイプだった。
 部下たちには相談せず、何事も1人で今井や太田と調整し、結論を決めてしまう。
 それを経産省に持ち帰って部下に指示する。
・太田と新原のやり方は同じで、今井との間で合意した内容を省に持ち帰り、次官ら主要
 幹部に説明する。 
 「官邸の了解済み」ということで押し通し、部下にはそれを前提に作業を進めるよう指
 示した。
・財務省なら本来はまずそれぞれの担当主計官たちが担当する主計局次長のもとで、関係
 省庁と相談しながら具体的な予算編成を進めていく。
 それらをあわせて主計局長のもとで最終調整するのがオーソドックスな手順である。 
・太田のもとでは上意下達で次々と主要歳出の詳細を決めていく予算編成になった。
 このやり方だと、財務省内の議論が意味をなさず、その事業が本当に必要かを吟味する
 のは難しい。

・2019年初め、ちょっとした「事件」があった。
 前年の暮れには、消費税率10%への引き上げに伴う対策として、キャッシュレス決済
 の買物へのポイント還元、プレミアム付商品券など気前の良すぎる事業が盛り込まれた
 2019年度予算案が閣議決定されたなかりだった。
・年明け早々、財務省や旧大蔵省の事務次官OBたちと現役幹部との恒例の新年会が都心
 のホテルで開かれた。  
 出席した歴代次官の最長老の「吉野良彦」があいさつに立った。
 かつて中曾根康弘首相に率直な批判を面と向かって言ったという勇ましいエピソードを
 もつ吉野だが、この会では例年、予算編成作業での後輩官僚たちの仕事ぶりをねぎらっ
 ていた。
・だが、この日は吉野があいさつを始めると場の空気が一気に凍りついた。
 吉野が近くにいた現役主計局長の太田を名指ししてこう言ったからだ。
 「太田君も嫌々やらされているのだろうが、韓信の股くぐりにも限度があるぞ」
・「韓信の股くぐり」とは、将来に大志を抱く者は屈辱にも耐える、という意味だ。
 そこで吉野が言わんとしたのは、消費増税の実現やみずからの次官昇格のためとはいえ、
 安倍官邸の言いなりになりすぎて限度を超えてしまっていないか、という太田への叱責
 だった。
・当時、「森友学園」をめぐる文書改ざん問題で国税庁長官の「佐川宣寿」が辞任、
 セクハラ問題で財務次官の「福田淳一」が辞任と、財務省は不祥事続きだった。
 だから次官の「岡本薫明」としては、できるだけ省内に波風を立てたくないという心理
 も働き、同期の太田のやり方にもあまり口を出していなかった。
・次期次官まちがいなしの要職にあって、官邸とも良好な関係を結ぶ太田に対し、省内で
 物申せる者はほとんどいなかった。
 そのなかで、しばしば異論を唱えたのが主税局長の「矢野康治」だ。
 財務省きっての財政健全化派として知られる論客である。
 太田と矢野の対立は外部にも漏れ伝わるほど激しかった。

・安倍はもともと財務省嫌いで知られる。それどころか、異常なほどの財務省への不信、
 猜疑である。
・安倍は「財務省と党の財政再建派議員がタッグを組んで、『安倍おろし』を仕掛けるこ
 とを警戒していた」と率直に語り、あろうことか「私は秘かに疑っているのですが、森
 友学園の国有地売却問題は、私の足を掬うための財務省の策略の可能性がゼロではない」
 とまで述べている。
・そんな政権のもとで財務省が従来のように財政健全化を唱え、消費増税の必要性をいく
 ら訴えても、果たして事態を改善できるのか。
 ならば財務省も現実的な選択をしていくべきだ、ときに政権に妥協してでも、というの
 が太田の問題意識だったのだろう。
・とはいえ、「国家の金庫番」としての役割まで放棄してしまって良かったか。
 そこに国家運営上の本質的な問題があるのではいかと思う。
・いまの国会は、政権から与野党に至るまで、ほとんどの政治家が「財政バラマキ」と
 「増税反対」の一色に染まっている。
 増税や歳出削減のような苦い薬を飲むように国民を説得しようという政治家はほとんど
 見かけない。 
・憎まれ役を常に引き受けてきた財務省までその役割を放棄してしまったら、もはやこの
 国に財政のブレーキ役は存在しなくなる。

・元首相「吉田茂」は著書「回想十年」のなかで大蔵省についてこんな一文を書いている。
 「予算編成の都度、各省からの強請、強要、威嚇を厳重に阻止する機関がなくては、国
 家財政は破綻する。この機関は民主政治において最も重要な機関である。それが今日の
 わが国においては大蔵省である。為政者たるものは、かかる期間が厳としてその権威を
 保持するよう仕向けるべきである。閣僚もまた大蔵官僚の専門的知識より来たる意見は、
 虚心坦懐にこれを徴収する雅量を持たねばならぬ」
・吉田の主張は現代にも通用する話だが、実行されるかどうかは時の政権次第ということ
 か。  
 安倍政権は吉田の想定になかったタイプの政権だった。
 「権威を保持するよう仕向けるべき」財務省に対して、むしろ権威を弱め、官邸の僕と
 なるように画策してきた。
・財務省が財政健全化をまじめに主張し続けたとしても、安倍政権下では何事も成就しな
 かっただろう。
 それでも財務省には理想を主張し続けてほしかったと思う。
 たとえ主張が官邸にはねつけられたとしても、少なくとも「はねつけられた」という歴
 史的事実は残り、財務省が抵抗しても実施されたバラマキ政策だということが国民の目
 にはっきり認識される。そこが大事なのだと思う。
 そうでなければ何が「正論」なのか、人々には判断するための座標軸がなくなってしま
 う。
・財務省が財政健全化の正論をつきつけ、ときに官邸に押しつぶされ、握りつぶされたと
 しても、「当たり前」でないことが行われていることを国民に知らせる意味はある。
 財政健全化を唱え続ける「頭の固い財務省」であり続けることは、長い時間軸のなかで
 十分意味があることなのだと思う。
・安倍政権で内閣人事局が設けられ、官庁幹部人事の最終権限を官邸が一手に握るように
 なり、官僚たちは官邸に物言えぬ空気が蔓延している。
 官邸から嫌われたら要職から外される。
 そんな恐怖心が官僚に植えつけられてしまった。
 これでは健全な国家運営も官庁の仕事も全うできないのではないか。
 時の政権の意向にあまりに寄り添いすぎると、財政のような「国家百年の計」が必要な
 ことがらの座標軸は大きくぶれてしまう恐れがある。

柳澤伯夫正論を吐かぬ主計局の責任は大きい
・日本の財政状況は悪化するばかりです。
 財政状態の国際比較によく使われる、国内総生産(GDP)に対する政府債務の比率が
 日本は先進国で最悪、世界でも財政破綻国に匹敵する高水準です。
・理屈のうえでは消費税を30%にすれば解決します。
 しかし現実にはそんな大増税はできません。
 不思議なことに、これだけ借金財政になっても、政府の信用はなくならず、日本国債を
 買ってくれる人がまだいるからです。
・日銀の異次元緩和は5年経っても、黒田東彦総裁が掲げたインフレ目標を達成するには
 ほとんど効果を生みませんでした。
 リフレ政策がなぜ効かないのかを解明することに経済学者はもっと力を尽くすべきでし
 た。 
・我々の世代は単純化されたケインズ理論にかなり影響を受けていたかもしれません。
 「宮沢喜一」元首相がそうでした。
 株価が下がると「政府が(株を)買えばいい」と言う。
 財政支出がオールマイティーだと思っていたみたいでした。
 あれほど頭のいい方がそう単純に考えるのが不思議でした。
・大蔵官僚の責任も大きいと思います。
 かつては「村上孝太郎」、「大蔵真隆」両大蔵次官のように強く警鐘を鳴らした立派な
 官僚もいました。
 この2人はガッツがありました。
 しかしその後、大蔵省は正論を吐かなくなりました。
 みんな政治が要求することを受け入れてしまいました。
・政治はもともとレベルが低く、期待はできません。
 がんばらないといけなかったのは大蔵省と、その理論的支柱となる経済学界です。
 彼らがもっとちゃんと論陣を張ってくれていれば・・・。
・今後は歳出をよく見直す必要があると思います。
 いくら消費増税をやっても、歳出がザル状態ではどうしようもない。
 毎年度の政府予算はいま100兆円規模ですが、そんなバカな、と思うほどの規模です。
 そこまで膨らませてしまった財務省主計局の責任は大きい。
・今は財政破綻したギリシャより悪いじゃないですか。
 それなのにどうして平気でまだやっているのかと思う。
 最近の(防衛費増などの)状況はますます財政悪化に拍車をかけている。
・僕は黒田日銀の罪は大きいと思う。
 本来ならこの財政状況に国債市場が反発して、むちゃくちゃやるなというシグナルを出
 すべきだが、そのシグナルを日銀が(国債買い支えで)止めちゃったからね。
 黒田総裁が先日の記者会見で、日銀の国債大量保有について「反省していない」と言っ
 ていたのは、本当にひどいと思った。

石原信雄:「官邸の大番頭」が語る官邸と官僚
・官僚は昔に比べ、権限を骨抜きにされました。
 1996年の橋本行革以来、政治主導が掲げられ、役人は政治家の指示に従えばいい、
 重要な政策判断をすることはまかりならん、ということになりました。
・私が官邸にいた時代は、官僚が自分たちの責任であるという問題意識が強かったのです
 が、今回はどうも、内閣が権限を持っているので、内閣が何かをやってくれるだろうと
 指示待ちになっていたようです。
 それなら内閣が前面に出て強力に施策を決めていけばいいのですが、そうなってもいま
 せん。 
・私は政治主導というのは、重要施策は政権担当者が決め、それを官僚がフォローする、
 というやり方が最もいいと思います。
 ただその場合、役人の組織はいったん事が決まったらスピーディーに進めるだけの強力
 な体制になっていないといけません。
 今は、なんとなく内閣に権限を集中したものの、役人の力がなくなってしまっただけと
 いう感じがします。
・官僚組織が強かった時代の役人は、各行政各分野で自分の責任において実行するという
 意識が強かった。
 しかし今は「政治家に決めてもらえば、お手伝いはする」というように、当事者意識が
 薄くなっています。

・官僚機構が正常に働いているかどうかが疑われる事例が明らかになった。
 経済再生相の「西村康稔」が記者会見で、コロナ感染対策のため酒類の提供自粛を求め
 ても応じない飲食店に対し、「金融機関などを通じて働きかけを強める」と発表したの
 だ。 
 これにはすぐさま業界団体から抗議が殺到し、与野党からも反発の声があがった。
 結局、政府はこの方針をすぐに撤回せざるを得なくなった。
・零細店に言うことを聞かせるために金融機関や卸売業者が圧力をかけるのは独占禁止法
 が禁ずる「優越的地位の濫用」である。
・この方針は西村がいきなり持ち出したわけではなく、金融庁や財務省、経済産業省など
 関係官庁にも事前に連絡され、首相の菅らにも報告されていたことが明らかになった。
 事前の調整過程でなぜ官僚が誰も止めなかったのか。
 少なくとも経済政策にかかわっている官僚ならすぐに筋悪とわかる話だ。
・似たような話はいくつも起きた。
 ワクチン接種のスピードを上げていく過程で、必要なワクチン数が確保てきない自治体
 がいくつも出てきた。
 これに対し当時のワクチン担当相の「河野太郎」は、一部の自治体がワクチンを抱え込
 んでいると決めつけ、そのような自治体への供給を絞る方針を示した。
 すると自治体側から「在庫を抱え込んでいる実態はない」と反発の声があがった。
 大臣と現場の認識にずいぶん落差があった。
 その落差を埋めるために汗をかくべき官僚が機能していないことを疑わせる事例だった。
 
<モノあふれる時代の「ポスト・アベノミクス」>
・首相の岸田文雄が「新しい資本主義」を政権の看板に掲げた。
 もっとも岸田が言う「成長と分配の好循環」が、成長重視の安倍政権がやろうとしたこ
 とと何が違うのかは判然としない。
 「高成長の日本よ、もう一度」というアベノミクス路線を取り込んでいくのか、それと
 一線を画して分配重視に方向転換するのか、あるいはまったく別の道を目指すのか。
 今のところ、どっちつかずで、何とも言えない。
・少なくとも今、間違いなく言えることは、政府と日銀がこの10年進めてきた「アベノ
 ミクス資本主義」は完全に的はずれだったということだ。
・日銀がお札をどんどん刷って金融市場にばらまく、政府は国民に現金を給付し、コロナ
 下の消費を盛り上げようと試みる。
 結局は、目標とする経済成長も物価上昇も実現できず、人々は給付金を使わず貯蓄を積
 み上げただけだった。
 残されたのは巨額の財政赤字である。
 膨大なコストをかけた壮大な「社会実験」の結果を、政府も日銀も、さらには私たち国
 民も謙虚に受け止めて反省材料にすべきだろう。
・気がつけば日本は先進国のなかで、それほど裕福な国とも言えなくなった。
 日本政府の実態は、さまざまな行政サービスのために十分な予算を投じられないほど、
 「小さな政府」となっている。
 崩壊寸前の社会保障政策や子育て政策をみれば、その立て直しが喫緊のテーマであるは
 ずなのに、国民負担を増やすことを避けて続けている。
 政権も国民も進むべき道を決めあぐねているようだ。

水野和夫アベノミクスの本質は「資本家のための成長」
・「アベノミクス」とは、すでに終わってしまった近代を「終わっていない」と勘違いし
 ている人たちが作った支離滅裂のフィクション(幻影)と言えましょうか。
・フランスの歴史家「フェルナン・ブローデル」は「成長はあらゆるケガを治す」と言い
 ました。 
 まさに彼の時代はそういう時代でした。
 成長すれば税収や保険料収入も増えるから、社会保障政策もうまくいく。
 人手不足になれば賃上げが起こり、生活水準も上げって、中産階級ができる。
 そうすると政治も安定して不都合なことは何もない。
 成長さえしていれば、すべてうまくいくと考えられていました。
 しかし、そういう時代はおそらく1970年代、80年代で終わったのだと思います。
・この20〜30年で起きたことは、資本は成長しているけれど賃金が下がっている、
 ということです。
 「成長があらゆる問題を解決する」というのは、いまや資本家だけについて言えること
 です。 
 その背後で働く人々は踏み台にされ、生活水準を切り詰めることを迫られています。
 先進国はどこも一緒です。
・アベノミクスが失敗したのは、そもそも近代の土台となってきた、中間層を生み出す仕
 組みがなくなってしまっているためです。 
 いままでは成長で中間層が増え、みなの生活水準が上がっていった。
 そこまでは、成長はいいことだ、ということで良かったのですが、成長しなくなったと
 き、いったい何をめざしたらいいのかわからなくなってしまったのです。
 安倍晋三元首相も成長の先にどういう社会をつくりたいのか、結局言えませんでした。
 本当は「成長」は最終目的ではなくて、中間手段のはずなのです。
・アベノミクスの第3の矢は「成長戦略」です。
 ただ、それは安倍政権に限らずこの何十年も歴代政権が打ち出してきたことです。
 経済学はここ数十年、サプライサイド(供給重視)が主流だったので、政治も経営者も
 「供給側さえ強くすれば景気がよくなり経済が強くなる」といい発想になっています。
・経済学の目的である「豊にすること」はあくまでも中間目標です。
 その先にあるのは「明日のことを心配しなくていい社会」です。
 そのためには社会保障を充実しないといけない。
 困ったときには援助の手が差し伸べられる。今なら国家によってです。
・労働問題でいえば、非正規労働者が3年勤務して更新できないなんて問題も最近はあり
 ます。 
 非正規労働、派遣制度はすぐやめるべきです。
 勤めている人の最大の特権は辞める自由です。
 だけどいまは会社が「辞めさせる自由」をもっている。
 これはおかしい。
 働く人は労働力を提供しないと生きていけない。
 だが資本家はAさんの労働力を買わずともBさんを買う自由がある。非対称的な関係で
 す。
・辞める権利は労働者側にはあるが、辞めさせる権利は会社側にはない、というような仕
 組みにしないといけない。
 そうなれば、人事担当は真剣に採用しないといけないし、入ってからの研修制度も充実
 させないといけないということになる。
 働いている人も、引退した人も、明日のことを心配しなくていい社会にしないといけな
 い。
・次にやらないといけないのは労働時間の短縮です。
 ドイツでは派遣・非正規も含め1人当たりの年間労働時間が1300〜1400時間で
 す。
 日本では1700時間ほど。300時間余分に働いて1人当たりGDPはドイツより劣
 っています。
 もし日本人の能力が3割劣っているのなら長時間労働もやむを得ないのですが、そうで
 はありません。
 付加価値につながらない仕事をいっぱいやっているからです。
・近代社会じゃない社会をつくり直すしかないです。
 それは社会主義ではないです。
 資本主義も社会主義も近代社会から派生してきたものです。
 資本主義は市場の合理性を信じ、社会主義はテクノクラート(官僚)の合理性を信じた。
 ソ連のノーメンクラトゥーラ(エリート層・支配階級)の人たちが1年間の生産計画も
 すべてわかっているという前提の社会主義は、先に崩壊してしまいました。
 人間に対して合理性を信じた社会主義が崩壊し、いま市場に対して合理性を信じた資本
 主義がおかしくなっている。
 一度崩壊したら、もはやリフォームはできないものです。
・中国の国家知権主義のようなやり方は、資本主義と社会主義のダメなところを両方合わ
 せたようなシステムです。 
・米国ではアルコール中毒や薬物中毒の患者たちによる絶望死が増えているそうです。
 50代、60代の白人男性が多いとも。
 近代社会、自由社会のチャンピオンである米国でさえ、そうなっている。
 長い間、みなが信じていたシステムがいったん崩れたとき、おそらくもう戻れないのだ
 ろうなと思います。
・私が言えるのはせいぜい無理に成長を目指す必要はもうない、ということだけです。
・ロシアのプーチン大統領は、国内が貧しいから内政の失敗を国外に目を向けさせて、ご
 まかそうとしました。
 しかし、欧洲、米国、日本のような国々はもはや外に領土を取りに行く必要はないし、
 資本をこれ以上増やす必要もない。
 まだ貧しい国は資本主義をやってもいいが、必要なものをどこにいても調達できるよう
 になった日本のような社会では、もはや資本主義は必要ないのではないでしょうか。
・日本はたぶん中国の30年くらい先を走っているだけです。
 この先、どの国も日本を追いかけてゼロ金利の世界になっていくと思います。
・どの先進国も出生率は(人工を維持できる水準の)2を割っています。
 移民を増やさない限り人口は減ります。
 日本は移民を増やしていないから人口が一番減っています。それだけのことです。
 結局はどの国も日本を追いかけることになります。
・日本は韓国に追い抜かれてそうになってくやしいと言っていますが、日本だって戦後、
 英国やフランスを追い抜いてきたのです。でも英国人がくやしいなんて言わないじゃな
 いですか。 
・日本はこれまでの目標をひっくり返すことです。
 今度は、よりゆっくり、より近くに。
・資本主義の定義が「資本の自己増殖」だとすれば、すぐにやめられます。
 無用な拡大をやめて適正利潤にすればいいだけのことですから。
・株式会社は、もう上場しなくていいと思います。
 株式会社というのは資本調達をするのに有利です。
 だけど、いまの企業は内部留保が潤沢となり、資本調達しなくてもいい状態です。
 あとは企業が減価償却分をまかなうだけの資金を確保できればいいのです。
  
小野善康デフレとは「お金のバブル」
・アベノミクスは、まったく効果がないのに昔の経済理論がまだ通用すると思ってやって、 
 案の定、失敗した壮大な実験でした。
 ムダに流動性(貨幣)を増やし、あとの収拾がつかない状態まで持っていってしまいま
 した。
 途中で失敗とわかっているのにやめなかった。
 それは金融緩和と財政出動のマクロ政策だけではありません。
 生産性向上とか働き方改革、女性活躍など、成長戦略と言われる分野にも同じことが言
 えます。
 どれも需要が増えないのに一所懸命に労働を増やし、供給力を増やす政策です。
 これでは1人当たりの生産性を下げざるを得ません。
・結局、安倍政権のマクロ政策には、お金をどうやってばらまくかという視点しかありま
 せんでした。
 金融でばらまくか、財政でばらまくかの違いだけです。
・マクロ政策で本当に大事なことは、どうやってお金を渡すかではなく、どうやって人
 (労働)を生かすかです。
 成長戦略も本来は需要の成長戦略が求められるのに、供給の成長戦略ばかりやっていま
 す。  
・真の国力は需要と供給の両方がかかわっています。
 貧しいときは必ず需要のほうが供給を上回っているから、供給力のことだけを考えれば
 よかった。
 しかし供給力がこれだけついてしまった日本では、今は国力の向上には需要のほうが効
 いてきます。
 つまり我々自身がどうやって生活を楽しむことができるか、芸術や音楽を楽しむとか、
 公園をきれいにするとか「新しい需要を考える力」、それこそが国力です。
・日本の1人当たりのGDPがなぜ30位まで落ちたかと言えば、それは日本人の美徳の
 ようなものによります。 
 1人当たりの家計純資産は世界ベスト10に入っているほど金持ちなのに、贅沢にどん
 どんお金を使わないという国民性のせいです。
 つまり日本人は大金持ちなのにモノを買わなくなったので、長期不況になっているとい
 うことです。
・でも過度に悲観する必要はないと思います。
 日本人1人当たりGDPの水準はフランスとほぼ同じくらいです。
 生活を楽しむ力のあるフランス人と同じくらいだというのは、ある意味で相当いいのだ
 と思います。
・日本の国力は今も落ちてはいないと思います。
 ただ、生産力のほうが力を持ちすぎています。
 政策当局がそのことをわかっていないから、もっと生産を強くしろとか、カネをばらま
 けばいいとか、そんな社会実験をアベノミクス以前から延々繰り返して、せっかくの生
 産力を活用できなかったのです。
 アベノミクスも結局その延長にあって、同じ失敗を繰り返しました。
・政府の借金財政をもっと拡大してもかまわないというMMT論者たちは、その供給力が
 ある以上は政府がどれだけ借金を膨らませても政府財政が破綻することもハイパーイン
 フレが起きることもないと主張しているが、供給力の問題とハイパーインフレはぜんぜ
 ん関係ありません。
・ハイパーインフレは貨幣現象です。
 財政や通貨円の信用をぶっ壊すのは簡単です。
 日本政府はいま1000兆円を超える借金がありますが、1兆円の1万倍は1京ですが、
 もし日銀が1000京円のお金を刷って国民みんなに配れば、そのときは日本の生産力
 に関係なく、さすがにみんな「円は危ない」と考えて、モノや外貨に換えようとするで
 しょう。
・日銀がいくら無尽蔵にお金を発行しても、それでもみんながお金をありがたかって、
 かつ、ケチケチしかつかわなければ、インフレにはなりません。
 しかし、もしみんなが派手に使い始めたら、そのお金で欲しいモノが買えないことが、
 いっぺんでばれてしまいます。
 その需要に対応できるほどのGDPの規模(供給力)がないのですから。
・つまり、日本人が日銀券を霊験あらたかなお札として信じている限り問題はないのです。
 その日本人の「信心」に甘えきっているのがアベノミクスです。
 しかも問題なのは、それに甘えきってお金をいくらばらまいても、政治的に人気を得る
 ことはできますが、経済的にはまったく繁栄しないということです。
・長期停滞は程度の差こそあれ、近年では米欧などの先進国でもおおむね同じような現象
 が見らえます。  
 長期停滞に陥ることは資本主義の宿命と言ってもいいくらいです。
 人々がある程度豊かになって、モノが満ち足りた成熟社会になると、「もっと買いたい」
 という欲求が少なくなるからです。
 そういう社会では、「お金のまま保有しておきたい」という欲求が逆に高まります。
 これこそが長期停滞の原因です。
・お金にはもう一つ大きな特徴があります。
 時間を超えて購買力を「保蔵」できる機能です。
 経済が拡大してくると、この機能の魅力がどんどん増してきます。
 何を買おうか具体的な目的がなくとも、お金の保有そのものに魅力を感じるようにな
 るわけです。 
 この欲望のことを、私は「資産選好」と名付けました。
 いまの日本経済はその資産選好が異常に高まっており、貧しかった時代のモノの経済か
 らお金の経済へと変わってきたのです。
・資産選好とは、人々が持つお金や資産そのものへの執着心のことです。
 従来の経済学では、株価が上がって人々の手持ちの金融資産が増えれば消費を増やすし、
 金融緩和で金利が低ければ金融資産の保有が不利になるから、それでも消費を増やすと
 いうのが常識でした。 
 ところが、もし人々がお金を持つことそのものに幸せを感じているなら、いくら手持ち
 の資産が増えても消費を増やそうとはしないでしょう?
 これこそが現在の日本が直面している事態です。
・モノが先でカネがそれと並行して動くというのが供給の経済学の考え方です。
 それに対し旧ケインズ経済学は、カネが増えればモノの需要が創出できるという発想に
 なってしまいます。
 もしそうなら、政府はカネをばらまくだけで簡単に需要が作れるということになる。
・この理論の影響で、景気が後退すればバラマキ的な財政金融政策をおこなうという風潮
 がいまだに各国政府に根強いのです。
・この二つの経済学の考え方は違いますが、お金にとらわれているという点で共通してい
 ます。  
 相いれない両者の主張をごちゃまぜに採り入れてきたのが近年の日本政府です。
 歴史上まれに見る累積赤字をため込みながら大規模なカネのばらまきを続け、一方で成
 長戦略と称して生産効率化、労働市場の自由化、流動化を進め、生産能力を拡大してき
 ました。
 その結果、デフレ続き、消費は増えませんでした。
・政策論争で本当に必要なのは、カネをばらまくかどうかではありません。
 モノやサービスへの政府需要を増やすか減らすかです。
・満腹の人に、さらにごちそうを出しても食べられないように、消費というのは必要以上
 に増やそうとすると、かえって苦痛になるものです。
 しかし、お金だったらいくら持っていてもうれしいでしょうし、苦痛も感じない。
 だから生活に必要な金額以上のお金を持っていてもまだ満足せず、もっと持ちたいとい
 う欲望に支配されてしまうのです。
 この欲望が強くなりすぎると、モノが十分売れなくなります。
 すると企業は人手がいらなくなって、失業問題が起きる。
 次第に陳羣も物価も下がる。
 日本の長期デフレ不況はこうやっておきました。
・成熟経済のもとでは、財政出動や金融緩和でいくらお金を配っても、人々は資産として
 貯め込むだけなのでモノの購入は増えません。
 そのことを日銀が異次元緩和を10年続けて実証したようなものです。
・重要なのは新たな需要を作ることです。
 もちろんそれは簡単ではありません。
 今では誰もが「どうしても欲しい」と思えるものが見当たらないからです。
・道路や鉄道などの公共事業で需要をつくることが効果的だった時代もありました。
 でも人口減少時代の今は、巨大インフラが本当に必要かという問題があります。
 だからそれとは別の使い道を考えないといけません。
 たとえば、音楽や美術、スポーツ、観光インフラなど民間企業では採算に乗りにくい分
 野で、政府が思い切ってお金を使う。
 そうすれば国民が自主的に消費を拡大したのと同じ景気刺激効果が生まれるはずです。
・まだまだ供給が足りない保育、医療、介護などの分野、きれいな空気を提供したり温室
 効果ガスの排出を削減したりといった企業努力だけでは実現が難しい分野も対象です。
・どこでお金を使うのかを選択するのは国民です。
 どれほど魅力的な需要をつくれるか、国民の知恵が問われていますし、それがGDPに
 は表れない形で本当の意味での国力増強につながるはずです。
  
おわりに
・アベノミクスの生みの親の安倍晋三は襲撃によって命を奪われ、いまはいない。
 そして、異次元緩和というバズーカを放って市場の称賛を浴びた黒田東彦も、すでに日
 銀総裁の座を去った。
 それぞれの開始当初の熱狂を思えば、いまは「兵どもが夢の跡」の静けさだ。
・とはいえ、宴を終えれば、すべてが無事完了と相成ったわけではない。
 飲み残し食べ散らかされた宴席の後片付けも、ツケ回されてきた請求書の支払いも、す
 べてこれからの話だ。 
 どれも国民が責任をもたされる重荷ばかりである。
・20世紀に世界最速で経済大国に駆け上がった日本は、21世紀になってゆっくりと階
 段を下りる時代を迎えた。
 人口動態からも成熟経済の実態からも、それはほぼ運命づけられた未来である。
 ならば、そのための国家としての新しい行き方を考え、準備し、態勢を整えるのが賢明
 な政治、全うな政策というものだろう。
・ところがその大事な時期に、さらに経済大国の高みに無理やり駆け上がろうと逆噴射し
 てしまったのがアベノミクスということになる。
 その時代錯誤の罪は大きい。
・かろうじて均衡を保っているように見える日本の財政や金融政策には、巨大な崩壊のマ
 グマがたまっている。
 何かの拍子にそれが噴き出せば、日本経済はひとたまりもない。
・何かの拍子というのも、けっして小さな確率とは言えない。
 まず南海トラフ地震や首都直下地震、富士山噴火といった近未来に起きる可能性がかな
 り高いとされる自然災害リスクがある。
 台湾有事など東アジアの地政学リスクが勃発する確率も近年著しく上昇している。
 こうしたイベントリスクが現実になったとき、プリンティングマネーに頼った日本のマ
 クロ政策は巨大なツケを一気に払わされることになりはしないか。
  
・安倍政治が破壊したものは、財政や金融政策にとどまらない。
 政治から節度と責任感を追いやり、官僚組織や中央銀行の矜持を踏みにじり、日本の国
 家システムの根幹をかなり壊したしかった感がある。
 そう考えると、アベノミクスを単に経済政策としてだけとらえていては、真に私たちが
 抱えた問題を見誤ることになりかねない。
・安倍本人は、アベノミクスとは「『やった感』でなく『やってる感』だ」と言っていた
 そうだ。 
 まさに空気や風潮をどう作るか、どう世論を作るかに関心と本質があった。
・要は、アベノミクスとは国家を率いる政権の「たたずまい」の変質を総称したものだっ
 たのではないか。 
 政府の借金の大膨張も辞さない未来に対する無責任さ、批判的なメディアを排除し、記
 者会見で説明責任を果たそうともしない民主主義への不誠実さ、第2次安倍政権が全体
 として醸し出していた強権的な空気・・・。
 すべてを包含した言葉としてアベノミクスをとらえるべきだろう。
・そう考えれば、安倍をバックアップした保守勢力やリフレ派が、なぜあれほど批判的な
 メディアに対し弾圧的な態度をとったのかも理解しやすい。
・アベノミクスの後始末はそういう意味では想像以上にやっかいな取り組みだ。
 表面的な政策修正だけでは、とてもおぼつかない。
 政官界やメディア、経済界、国民を覆っている、えも言われぬこの”空気”を大浄化し
 なければならないからだ。
 そうでないと、本当の意味でアベノミクスから脱却することはできないのではないか。