「小さな政府」を問いなおす :岩田規久男

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この本は、いまから17年前の2006年に刊行されたものだ。
おもに、小泉政権が進めた「小さな政府」を目指した改革を評価し、その問題点を指摘し
て、小泉政権後の政策について提言している。
スウェーデンなど「大きな国」の政策などの研究は、いろいろ学ばさせられることが多い
内容であった。
ところで、この本の著者はリフレ派経済学者の第一人者と言われており、強烈なインフレ
ターゲット
論者である。
そんな著者は、アベノミクスを推進する安倍晋三首相の強い意向に沿って、2013年3
月に黒田東彦日銀総裁とともに日銀副総裁に選任され、2018年3月までの5年間を、
日本銀行の副総裁を務めている。
インフレ率を2%程度にもっていけば日本の経済は回復すると強烈な主張して、黒田日銀
の下で異次元金融緩和策を推し進めた急先鋒だった人物のようだ。
2年間で2%のインフレ目標を達成できるとしたが、2年どころか10年経っても達成で
きなかった。
その間に、日銀は間接的ではあるものの政府の発行する天文学的な額の国債を買いまくり、
それをいいことに政府は財政規律のタガがすっかりはずれてしまい、何でもかんでも国債
発行に頼るようなってしまった。そして今や国の借金は天文学的な額が積みあがってしま
っている。もはや今の日本は、屍累々続く第二の敗戦国の状態になってしまっている。
黒田東彦前日銀総裁は、日銀総裁退任時に、「異次元の金融緩和は成功だった」と強がり
を言って見せたが、こんな状態になってしまった日本の現状を見て、著者はどのように受
け止めているのだろうか。

いままでに読んだ関連する本:
中央銀行はもちこたえられるのか
金融緩和の罠
アベノミクスの終焉
異次元緩和の終焉


はじめに
小泉純一郎内閣は「小さくて効率的な政府の実現に向けて」改革を進めてきた。
 小泉改革が目指す「小さくて効率的な政府」とは、「民間でできることは民間に」任せ、
 そうした分野に政府が介入することを控えようとする政府である。
 中央政府と地方政府との関係では、「地方にできることは地方に」任せる政府である。
・しかし、「小さな政府」を目指す政策に対しては、次のような批判がある。
 第一は、「小さな政府」の思想は市場原理主義であり、民にできないことまで、民に任
 せてよいのかという批判である。 
 第二は、「小さな政府」は個人間や地域間の格差を拡大するという批判である。
 この批判によると、「小さな政府」の支持者は、一方で、経済は競争によって成長する
 主張して、競争の結果、個人間や地域間で格差が拡大することを容認し、他方で、雇用・
 年金・医療保険によるセーフティ・ネットは人々の自助努力を阻害するとして、それ
 らを縮小ないし廃止しようとしている。
 そのような弱肉強食の競争社会では、競争から脱落した低所得者は安心して生活を営め
 なくなり、貧しい地方の住民は最低限の行政サービスさえ受けられなくなってしまう。
・イギリスは戦後いち早く「小さい政府」から「大きい政府」に転換して、福祉国家のお
 手本の国になったが、1980年代には、今度は世界に先駆けて「小さい政府」に転換
 したユニークな国である。
・一方、スウェーデンはイギリス以上に大きな福祉国家であったが、90年代以降はそれ
 までよりも「小さい政府」への転換を図った。
 それでも他の先進国に比べれば依然として「大きな政府」である。
 しかし「小さな政府」の支持者が予想するほどには経済成長率は低下しておらず、依然
 として平等で豊かな国である。
 
「大きな政府」へ
・産業革命以降、産業化が進展するにつれて、自由放任の資本主義経済には三つの病があ
 ると考えられるようになった。
 第一の病は、貧困層の拡大である。
 競争の結果、所得格差が拡大し、経済成長の恩恵をまったく受けられない貧困層が増大
 したのである。
 第二の病は失業である。
 産業化が進み、市場経済の領域が拡大すると、多くの人は農業のような自営業に従事す
 るのではなく、企業に雇用されることによって糧を得るしか、生活手段がなくなった。
 しかし、産業化が大きく進んだ19世紀も後半になると、イギリス、ドイツ、アメリカ
 などで失業者が増大し、資本主義は雇用を保証できなくなってしまった。
 第三の病は、私的独占や不公正な取引による事故や損失などの発生である。
 自由放任の資本主義がかえって独占をもたらし、独占企業による価格の吊り上げによっ
 て消費者の利益が多きく損なわれる事件が頻発した。
 さらに、経済活動が複雑・高度化するにつれて、さまざまな事故や損失も無視できなく
 なった。不公正な取引による損失、医療事故、薬害公害などが代表的なものである。
・小さな政府とか大きな政府という場合に問題にしているのは、政府が民間の私的な活動
 にどれだけ介入しているかという点である。
 政府が自由市場に介入する程度の高い政府は、政府支出の対国内総生産比が低くても、
 大きな政府と考えるべきである。
・30年代のアメリカは、大量失業と農産物価格の大幅な下落による農村経済の破壊に直
 面して、フランクリン・ルーズベルト大統領の下で、ニューディールの名のもとに、政
 府による市場介入を強めた。
 破壊して通貨・金融制度を再建するための規制。企業を再建するための企業活動に対す
 る規制、農産物価格を維持するための規制、労働者の権利を守るための規制など、矢継
 ぎ早に、市場の自由な活動を統制する規制が導入された。
・戦後のイギリスでも、政府が自由な市場の活動を統制しようとする各種の規制が導入さ
 れた。 
 しかし、イギリスの市場介入の特徴は、労働党政権によって進められた私企業の国有化
 の計画である。
・戦後のイギリスは、サッチャー政権が誕生するまでの34年間、政権が保守党であるか
 労働党であるかにかかわらず、福祉国家を目指して、完全雇用を追求し、社会保障を拡
 大し、国有化などによる政府の市場への介入を強めた。
 この党派を超えた合意のもとにおける政府は「合意の政府」と呼ばれた。
・イギリス型福祉国家は60年代までは、他の欧米諸国よりも低かったものの、比較的順
 調な経済成長に助けられ、発展を遂げたといえよう。
 しかし、70年代初頭に襲った第一次石油ショック後、それまで潜在化していた福祉国
 家の危機が顕在化することになった。
 こうした福祉国家の危機はイギリスだけに特有なものではなく、世界的な現象であった。
  
知られざる戦後日本の社会主義革命
・日本の政府は高度成長期までは比較的小さかったが、高度成長期の終わりから70年代
 にかけて急速に大きくなった。
 この時期に「大きな政府」を作り上げたのは、田中角栄による「社会主義革命」であっ
 た。
・戦後日本は60年代までは、高度経済成長が続き、一時期を除いて、完全雇用を達成す
 ることができた。
 ところが、73年末の第一次石油ショック後、企業の設備投資意欲は急激に衰え、74
 年には戦後初めてのマイナス成長になり、日本の高度経済成長はあっけなく終わってし
 まった。
・そこで政府は民間の需要不足を補うために、国債を発行して、公共事業を拡大した。
 しかし、その後景気のいかんに関わらず、公共事業は拡大し続け、財政はバブル景気が
 訪れる前年の86年まで赤字が続いた。
・70年代以降、小泉政権が発足するまで、公共事業関係費は景気が回復しても減ること
 は稀になった。 
 それは、高度経済成長期の民間資本の著しい増加に対して、道路や下水道といった社会
 資本整備の遅れが目立つようになったことと、公共事業によって地域間格差を縮小しよ
 うとしたからであった。
・高度成長期の60年代半ばころから、東京圏・名古屋圏・大阪圏といった大都市圏の過
 密と地方圏の過疎が高度成長の「ひずみ」として指摘されるようになった。
・地域格差の是正を早くから政治課題に取り上げたのは、自民党の田中角栄であった。
 「日本列島改造論」は空前のベストセラーになった。
 そのための手段は、「工業の全国的な再配置と知識集約化、全国新幹線と高速自動車道
 の建設、情報通信網のネットワークの形成など」であり、それを「テコにして、都市と
 農村、表日本と裏日本の格差を必ずなくすことができる」という。
 田中は首相になるはるか前から、道路整備こそ過密・過疎の弊害を同時に解消し、地域
 格差をなくす切り札であると考えていた。
・過疎・過密均衡を同時に解消する工業再配置計画を進めるためには、田中は財政の考え
 方を次の二つの観点から根本的に考え直す必要があるという。
 第一は、財政の先行的運用である。
 財政の先行的運用はそれまでの均衡財政主義からの離脱を意味した。
 「現在の世代の負担だけでなく、未来の世代の負担を考慮した積極的な財政政策を打ち
 出すことが必要である。子供や孫たちの借金を残したくないという考え方は、一見、親
 切そうに見えるが、結果はそうでない。生活関連の社会資本が十分に整備されないまま、
 次の世代に国土が引き継がれるならば、その生活や産業活動に大きな障害が出てくるの
 は目に見えている。美しく住みよい国土環境をつくるには、世代間の公平な負担こそが
 必要である。
・これは積極財政の勧めである。
 一般に、大蔵官僚(現在は、財務官僚)は骨の髄まで均衡財政主義者であるといわれる。
・田中が主張した財政について根本的に考えを改めるべき第二の点は、税制の積極的活用
 である。 
 大都市では受益者負担あるいは原因者負担の原則のもとに集積と開発利益を吸収して新
 しい国づくりの資金にあてる。
 田中が「企業追い出し税」という名で創設を提案した税は、事業所税として実現した。
・一方、集積の利益を享受できない地方には、生活・産業基盤整備、工場立地などについ
 て思い切った優遇措置をとる。
 具体的には、過疎地域に立地する企業に対しては、固定資産税を免除するとともに、補
 助金も支給し、固定資産税減免で税収が減る地方公共団体には、国が交付金などで減収
 分を埋め合わせる。 
・「大きな政府」との関わりで触れておかなければならないもう一つの70年代の弱者対
 策は、米価政策である。
 60年代の終わりには、米はすでに供給過剰になっていた。
 そこで、70年代以降、政府は稲作からの転換を図るため、転作奨励補助金を出して、
 農家に稲作面積を削減(減反政策)させ、米以外の作物の生産を奨励するようになった。
・米余りの時代が到来したため、政府は米価も抑制しようとした。
 しかし、実際には、政治加算され、政府の農家からの米の買入価格(生産者米価)は、
 70年から79年にかけて消費者物価とほぼ同じ倍に引き上げられた。
・このように、生産者米価が引き上げられたため、農家にとって米は依然として最も有利
 な農産物であることに変わりはなかった。
 そのため、農家は減反に反対し、稲作転換はなかなか進まなかった。
 なによりも問題だったのは、農家に自助努力ではなく、政府に高米価や高率関税などを
 求める政治活動によって、利益を拡大しようとするインセンティブを与えてしまったこ
 とであった。 
・政府は、米は日本人にとって特別な食料であるという理由から、一方で、米の輸入を禁
 止し、他方で、減反政策や高米価政策を続けることによって、零細小規模生産から大規
 模生産への転換を阻害してきた。
・結局、農家は国内産米価を少しでも国際価格に近づける努力をしようとせず、もっぱら、
 政治活動によって高い米価や超高率関税を要求し続けるばかりであった。
・この田中角栄創作の経済政策とそれを実施するための「利権政治」体制を「増田悦佐」
 は「角栄型社会主義」と呼び、「世界で唯一成功した社会主義である」といった。
・田中の弱者対策の論理は、どう見ても過激な社会主義革命思想ではなく、穏健な「やさ
 しい親父さんの思想」である。
 しかし、経済は「やさしい親父さんの思想」でうまく運営できるほど甘くはない。
 新産業都市だ、テクノポリスだ、リゾートだといって、どこでも他人の金をつぎ込めば
 成功するというものではない。
・起業家や投資家は自分の大事な金を使うからこそ、十分調査し、リスク以上の利益が見
 込めると思うからこそ、企業を起こし、投資するのである。
 それが他人のお金で投資可能で、かつ、失敗しても他人が始末してくれるのであれば、
 われもわれもと、自治体が採算など度外視して、新産業都市やら、テクノポリスやら、
 リゾート開発地やらに名乗りを上げ、挙句の果てには失敗して、借金を棒引きにしたり、
 国税で穴埋めせよと言い始めるのは目に見えている。
・第一次石油ショック後に、突然、高度経済成長が終わり、経済成長率が高度経済成長期
 の半分以下になった原因について、増田は、田中角栄の「結果の平等」を目指す社会主
 義革命こそが高度経済成長期を終わらせた真犯人であるという。
・確かに、生産性の高い大都市から、それが低い地方に工業を移し、生産性向上に努めな
 くても政府が高い価格や仕事を保障すれば、日本経済の生産性は低下し、それに伴って
 経済成長率も低下するであろう。

新自由主義の台頭(「小さな政府」の思想)
・新自由主義(ネオ・リベラリズム)は70年代の終わりから80年代にかけて、アメリ
 カやイギリスなどのアングロ・サクソン諸国を中心として政府のあり方に大きな影響を
 及ぼした。
 当時、とくに大きな影響力を発揮したのは、「フリードマン」であった。
・フリードマンが自らを「自由主義者(リベラル)」というときの自由主義(リベラリズ
 ム)は、
 「何人も自己の運命を自分の自由意志で切り開く自由がある」
 という思想である。 
 ただし、「他人の同じ自由を妨げない限り」という条件がつく。
・経済的自由とは、何人も自由意志に基づく自発的な契約や取引を制約されたり、自発的
 交換以外の取引を強制さてたりすることがないという自由である。
 こいした経済的自由を保障する経済システムは、これまでのところ競争的な資本主義意
 外には存在しなかった。
・自由主義は競争的な市場における個人の自発的交換による協力を重視する。
 しかし、競争的市場における自発的交換はまったく自由放任主義的な市場では達成され
 ない。例えば、取引相手が嘘をついたときの取引は自発的とはいえない。
 そこで、自発的な交換のルールを定めなければならない。
 この交換ルールは交換当事者がその都度決めることも可能である。
 実際に交換ごとに交わされたルールが積み重ねられて、商習慣が形成されてきた。
 しかし、交換のたびごとにルールを設定したり、商習慣にだけ頼って交換することより
 も、ルールを成文化し、そのルールをどの交換に対しても適応するようにした方が、交
 換費用を引き下げることができ、交換も活性化する。
 こうした一般的な交換ルールを決めることが政府の第一の役割である。
・ルールは民主的手続きによって選ばれた人々からなる議会によって決定されなければな
 らない。 
 この民主主義制度の下において初めて、人々は政府の構成員を変えるという政治的自由
 を持つことができるからである。
 共産党一党独裁の共産主義社会では、この政治的な自由は保障されない。
・しかし、政府が一般的な交換ルールを法で定めても、実際に法を守らなければ意味がな
 い。
 法を守らなかったものには市場の力以外の方法でペナルティ科す必要になる。
 警察・検察・司法制度がそれである。こうした人々に法を遵守させ、遵守しなかった者
 に対してはペナルティを科すという仕事が、政府の第二の役割である。
・企業はカルテルや談合によって、独占的利益を得ようとすることもある。
 したがって、市場を競争的に維持するためには、政府はこうした独占的な行為に対して
 制裁を加える措置を取る必要がある。
 日本では、公正取引委員会がこれを担当している。
・警察・司法サービスには、ある人がそのサービスを消費しても他の人の消費を妨げない
 という性質がある。 
 これを、お互いの人の消費が競合しないという意味で、経済学では非競合性という。
 このような消費の非競合性という性質を持つ財・サービスを、経済学では公共財と呼ん
 でいる。
・ある人がある財を消費しても他の人が同時に消費することを何ら妨げないのであれば、
 有料で供給するよりも、無料で供給して誰もが利用できるようにした方が社会全体の利
 益は高まる。 
 しかし、無料であれば民間は供給することができない。そこで、公共財は政府が提供す
 ることになる。すなわち、公共財の供給は政府の役割である。
 
・私たちが偽った取引から不利益を受けるのは、交換相手に関する情報を知らないためで
 ある。
 このように、取引相手の情報を知らないという状況を、取引相手の同じように情報を持
 っていないという意味で、情報の非対称性という。
・情報の非対称性の典型的な例として、医療サービスを取り上げよう。
 患者は医者の治療が自分の病気にとって適正なものであるかどうかを判断することはほ
 とんどできない。 
 そこで、不適切な医療行為から患者を守るために、医師の資格免許制度が導入される。
 この制度により医師の国家試験に合格しない限り、何人も医療サービスを供給すること
 はできない。
・情報の非対称性から取引当事者が不利益を受けることを防止する政策としては、資格制
 度意外に、登録制と認定制度がある。
 登録制は、ある事業に携わるためには、政府に登録する必要があるという制度である。
 認定制とは、JIS規制のように、一定水準の品質に達しているかどうかを政府が認定
 する制度である。
・しかし、情報の非対称性も公共財と同じように、政府の役割を増やす口実に使われるこ
 とが少なくないという点に注意する必要がある。
・ここで留意するべきは、競争的な市場には情報の非対称性問題を解決ないし大幅に緩和
 する機能があるという点である。
 供給者間の競争が十分であれば、供給者は情報を偽ったり、隠したりして消費者を騙せ
 ば、信用や評判を失って倒産などの淘汰のリスクを抱えることになる。
 企業の信用・評判は一朝一夕には築くことはできず、長期にわたって、良い製品やサー
 ビスを供給し続けることによって、初めて獲得することができる。
 この意味で、信用は企業にとって最も重要な資本である。
・しかし、このこととは逆に、短期的な利益を狙って、消費者を騙して利益を上げた後に
 さっさと逃げてしまうという供給者が存在しうることを示唆している。
 したがって、消費者もそのことを知って、政府の安全規制や検査・監視に頼るだけでな
 く、市場で信頼を獲得した企業から購入することを優先すべきだろう。
 消費者が政府の安全規制に頼り過ぎれば、消費における選択の自由が狭められてしまう。
 また政府の検査・監視に頼り過ぎれば、強大な官僚機構(大きな政府)を維持するため
 に高い税金を負担しなければならない。
・さらに、詐欺商法をする業者がいるからといって、何でもかんでも免許制にすれば、革
 新的な企業は育たず、既存の企業だけを利する結果になりかねない。
 いわゆる、角を矯めて牛を殺すことになる。

・自由主義者たちは、実際に採用されている規制は、消費者の生命・財産の安全を確保す
 る目的であるとうたわれているが、実際には、ほとんど供給者の利益を守るための規制
 であると批判する。
・一方、消費者は、供給されるモノやサービスの質について知識をほとんど持っていない
 場合には、政府に供給者の質を判定してもらうことを求めるようになる。
 政府が供給者の要望を受け入れて、資格等の参入規制を厳しくし過ぎると、モノやサー
 ビスの価格は上昇するが、それから消費者一人一人が受ける不利益はそれほど大きくは
 ない。というのは、不利益は多くの消費者に薄く広く分散するからである。
 ところが、価格上昇による利益は数少ない供給者に集中するから、供給者にとっては、
 厳しすぎる参入規制による利益の増加はきわめて大きい。
 そのため、かれらの参入規制を求める政治的な運動は極めて強大になる。
・このようにして、実際の規制は消費者の利益ではなく、供給者のためのものになってし
 まう。 
 政府に免許制のような参入規制の創設を働きかけて利益を得ようとする活動はレント・
 シーキングである。
 供給者はレント・シーキングに専念する組織をお互いに資金を出し合って創設すること
 が多い。

・官僚は建前は、国家の利益あるいは国民全体のために奉仕していると言われる。
 確かに、公務員試験を受けて官僚になろうとするときは、そのような大志を抱いていた
 であろう。
 しかし、かれらの人の子。参入規制を求める供給者による接待などを受けているうちに
 判断が鈍くなり、国民の利益だと称する供給者の意見を鵜呑みにするようになってしま
 う。
・さらに、多くの官僚は定年前に民間企業などに天下るのが普通である。
 そのため、いつの間にか天下りポストと引き換えに供給者の要望を受け入れるような体
 質になってしまう。 
・しかし、天下りポストは民間部門だけでは不足する。
 そこで、天下りポストを作るために次々に新しい組織を作ることが官僚の大きな仕事に
 なる。 
 政府系金融機関や道路公団などをはじめとするさまざまな公社・公団、さらに公益法人
 などが雨後のたけのこのように創設されてきたのは、官僚が天下りポストを確保しよう
 としたためである。
 実際に、天下りのための組織を新たに作り上げた官僚ほど出世することになっている。
・官僚は、無くてもいいようなさまざまな検査制度を作り出し、資格認定や検査のための
 機関を公益法人として創設し、そこに天下りポストを確保することが多い。
 橋下龍太郎内閣以降、規制改革と称して官庁組織の一部が独立行政法人に改組されたが、
 それらもまた官僚の天下りポストを確保するための組織になっている。
 実際に、独立行政法人はその独立法人を作った官庁の支配下にある。
 このように、消費者の生命・財産の安全性を図るという名目で、次々に政府関係組織が
 作られ、大きな政府が形成されてきたのである。
 
結果の平等か機会の平等か
・政府の仕事は市場における交換のルールを定め、市場をできるだけ競争的に保ち、市場
 の失敗を是正することに限定される。
 しかし、市場が失敗するケースでも、直ちに政府の介入が正当化されるわけではない。
 と言うのは、市場の失敗を是正しようとする政府の介入が失敗する可能性も小さくない
 からである。  
 したがって、市場の失敗よりも政府の失敗の方が無駄を発生させる可能性が大きい場合
 には、政府は市場に介入しない方が望ましい。
 このように、自由主義者は政府の役割を限定し、できるだけ個人が政府から自由である
 ことが望ましいと考えるから、「小さな政府」を目指すことになる。
 
・アメリカの独立宣言では、
 「すべての人間は平等に創られ、創造主によって、生存、自由、そして幸福の追求を含
 む不可侵の権利を与えられている」
 と謳っている。
・人はそれぞれ価値観も、好みも、能力も異なっている。
 そこでは人は他人の価値観や好みを押し付けられることなく、自分の価値観と好みに合
 った人生を送りたいと思う。
 この意味で、人は自分自身の人生を選択する自由を持つ一方、他人がそうする自由も尊
 重しなければならない。 
・「神の前における平等」や「法の下における平等の概念は、その後「機会の平等」とい
 う言葉で置き換えられるようになった。
・資本主義諸国は30年代の大不況(日本では、昭和恐慌)とそれに続く世界戦争を経験
 し、戦後、福祉国家への動きが高まった。
 そうした動きの中では、競争的資本主義は所得分配の不平等をもたらすという考え方が
 広がり、戦後、各国の政府はさまざまな所得配分政策を採用するようになった。
・この考え方を支えた平等思想は「結果の平等」である。
 しかし、「結果の平等」といっても、「すべての人々の所得がまったく同じであるべき
 だ」と考える人はごく少数であろう。
 そこで実際には、「結果の平等」を主張する人々は、「結果の平等」を「公平な所得分
 配に置き換えて議論してきた。
 その際の建前は、競争的資本主義における所得分配の不平等を正して、公平な所得分配
 を達成するというものである。  
・ここで二つの難問が持ち上がる。
 第一は、何が公平な所得分配かである。
 第二は、何が公平な分配かが決まったとして、所得再分配政策によって市場で決まった
 不公平な分配を正そうとすると、生産性が低下し、国民所得が減り、成長率も低下する
 可能性があるという点である。
 成長率が低下すれば、国民はしだいに貧しくなり、貧しい人同士で所得を再分配するこ
 とになってしまう。
・実際に、競争的資本主義国は「結果の平等」を推進しようとした社会主義国やその他の
 経済システムを採用する国よりも高い成長を達成し、そのもとで、貧困を大幅に減らす
 ことに成功してきた。
 90年代前半に、多くの社会主義国が崩壊し、市場経済に移行したが、それは何よりも
 社会主義国が生活の豊かさという点で、市場経済を基本とする資本主義国に敗北したか
 らである。
・それでは何が公平な所得分配であろうか。
 ある人が生産したモノが多かったのは、その人がよく「努力」したからなのか、それと
 も、もともと「能力」があったからなのか、あるいは単に「運」がよかったからなのか。
 これらのどれかによって、人の公平感は違ってくるのであろう。
・多くの人は「努力」に対してはそれ相応の報酬で報いることは公平であると思うようで
 ある。 
・真実は能力の差による所得格差であっても、人々はそれを認めたがらず、不公平だと感
 ずるというのである。
・所得分配の公平の問題を追求していくと、さまざまな問題にぶつかる。
 そして、それらの問題に対する人々の考えはさまざまである。
 そうであれば、さまざまな人々の公平に関する考えを、一つにまとめて、これが「公平
 である」と誰が決定するのであろうか。
 特定の誰かあるいはグループが所得分配の公平基準を決めなければならないのであろう。
 そのうえで、自分たちが公平な所得分配と考えるよりも多くの所得を得ている人からは
 多くを取り上げ、より少ない分配を受けている人に与えていくことになる。
・それでは、公平な分配を達成するための所得はどのようにして生まれるのであろうか。
 分配するための所得を生み出す方法は、モノやサービスを生み出す活動からしか生まれ
 ない。そこには二つの問題が持ち上がる。
 第一は、ある人が他人への所得の分配を強制される場合に、その人はその所得そのもの
 を生み出そうと努力する誘因を持つかという問題である。
 第二の問題は、自ら働いたり、リスクをとらなかったとしても、公平な分け前を得られ
 るとすれば、苦労して働いたり、リスクをとったりする人がいるだろうかという問題で
 ある。 
・「結果の平等」を目指して、公平な所得分配の観点から、手厚い「セーフティ・ネット」
 を張れば張るほど、公平な分配を達成するために必要な生産物そのものが減ってしまう
 というジレンマに陥る。

「小さな政府」への闘い
・福祉国家の目的の一つは完全雇用である。
 イギリスは、失業率は60年代までは2%以下に抑えられていたから、完全雇用の目標
 はほぼ達成されたといってよいだろう。
 しかし、イギリスの他の欧米諸国に比べて低い生産性の伸びは、じわじわと福祉国家の
 基礎を侵食していた。
 イギリスは高失業率・高インフレ・低成長という典型的なスタグフレーションに陥った
 のである。
・サッチャー改革以前のイギリスの労組は法律に守られて、経営者と政府との交渉におい
 てきわめて強い力を持っていた。
 経営者は労組の同意なしには、新しい技術や設備を導入することも難しかったし、社会
 保障で保護された労働者の勤労意欲も高いとはいえなかった。
・さらに、組合員による投票なしにストが行われるなど、労組は幹部に牛耳られ、非民主
 主義的に運営されていた。 
・こうした非民主主義的で強すぎる労組が大きな一因になって、生産性の向上が停滞し、
 技術進歩も遅れ、低成長、高インフレ、高失業の英国病をもたらしたと考えられる。
 英国病にかかっている限り、当時のイギリスのような高度な福祉国家を維持することは
 不可能である。
・かくて、イギリスは主要国の中でももっとも厳しいスタグフレーションのもとで、福祉
 国家の危機にとどまらず、まさに体制の危機を迎えていたのである。
・サッチャー革命とまでいわれるサッチャー改革を理解するには、サッチャーは自由主義
 というゆるぎない信念に基づいて政治を進めたという点に留意する必要がある。
・サッチャー以前の戦後のイギリスの政治は「合意の政治」のもとに、完全雇用と高度な
 社会保障を目指して、戦闘的な労組との妥協を繰り返してきた。

・自由主義思想に基づくサッチャーの経済政策はどのようなものであったのか。
 経済政策は次のように三つに分けて考えると理解しやすい。
 ・第一:安定化政策
 ・第二:構造改革
 ・第三:所得分配政策
・経済安定化政策(インフレの抑制)
 手のつけられないほど高くなったインフレを鎮めることであった。
 サッチャーはマネタリズムに従ってマネーサプライをコントロールすることによってイ
 ンフレ率を引き下げようとした。   
・構造改革
 イギリスの強すぎる労組は、自由で競争的な市場が持っている勤勉、節約、革新への動
 機付けといった重要な機能を麻痺させてしまった。
 サッチャーは自由で競争的な市場の機能を取り戻すために、この強い労組とも戦わなけ
 ればならなかった。
 労組の力を弱めるために、雇用法と労働組法を改正し、それまで組合幹部によって、牛
 耳られていた労組の運営を民主化し、第二次ピケット(直接労使関係がないものにたい
 してもピケを張ること)などの行為に対しては組合免責を剥奪することとした。
 たとえば、それまでイギリスでは免責を受けることのできる労組争議が広く定義され、
 労組は使用者側から損害賠償請求を受けることなく、ストなどの闘争手段を行使するこ
 とが法的に認められていた。
 これは組合免責と呼ばれるが、82年の雇用法改正で、組合免責が認められる労働争議
 に枠がはめられた。
・所得分配政策
 税制改革により、所得税率をそれまでの27%から60%を、構造を簡素化して25%
 と40%の二本立てにした。
 付加価値税の税率は、8%と2.5%の二本立てから一律15%に引き上げた。
 法人税については、税率を引き下げた。
 以上の税制改革により、直接税の比重が低下し、間接税である付加価値税の比重が増大
 した。 
・サッチャー政権は、社会保障のうち年金については、公的年金は基礎年金のみとし、二
 階部分の所得比例年金は廃止し、基礎年金以上の年金は職域年金(日本の企業年金)や
 個人年金でカバーする改革を目指した。
 しかし、世論の強い反対にあって、給付の削減にとどめざるを得なかった。
・サッチャー政権時代の社会保障改革は、
 「社会保障はその必要性が最大のである人を正しく認識して支給することが重要である」
 という考え方を基本とした。
 この基本から、失業保険給付や補足給付(所得補助)などについては、「働くよりも、
 社会保障給付を受けたほうが税・公的保険料控除後の純所得が大きくなるため、働かず
 に社会保障で生活する」という「貧困のワナ」や「失業のワナ」を解消する改革が実施
 された。
・サッチャー改革には経済格差の拡大が伴った。
・それでは、サッチャー政権時代に、政府は小さくなったのだろうか。
 政府支出の対国内総生産比は、サッチャー政権時代は労働党政権時代よりもわずかに上
 昇した。 
 政府支出のうち、社会保障支出の対国内総生産比は11%から13%に上昇した。
 この上昇は、失業率が上昇したため、失業給付と補足給付(所得補助)が増大したこと
 が主たる原因である。
 政府収入の対国内総生産比もわずかに上昇した。
 税金と社会保険負担の合計の対国内総生産比(国民負担率)は47%から50%へと上
 昇した。
・サッチャー政権時代、労使関係の改善、民営化、金融ビッグバン、行政ビックバンなど
 による政府の市場介入の縮小という点では、政府は小さな政府へと大きく転換した。
 しかし、政府支出や政府収入の対国内総生産比などの数値で見る限り、政府の大きさは
 労働党政権時代よりもわずかに大きくなった。
・サッチャー政権時代に、インフレ率は大幅に低下したが、失業率は大きく上昇しピーク
 時には11%にも達した。
 しかし、サッチャー政権後期は、失業率は着実に低下し続け、4.9%まで低下した。
 イギリスは欧州連合(EU)の中では、雇用の優等生になった。
・イギリスが低インフレと低失業のもとで安定成長を続けているのは、金融政策の目的と
 して、インフレ目標を採用したことにより、マクロ経済が安定したため、サッチャー改
 革の成果が花開いたからである。
・インフレ目標政策はメージャー政権時代のマクロ経済政策であるが、同政権時代のミク
 ロ経済改革として重要なものに、PFIの導入がある。
 これは社会資本の管理・運営に民間のノウハウを導入することによって、社会資本サー
 ビスの供給における効率化を図り、財政負担を減らそうとする制度である。
 PFIはサッチャー政権時代から構想が練られ、メージャー政権下から採用されるよう
 になった。 
・PFIは従来からある外部委託とはまったく異なる。
 PFIによる民間の行政サービスの提供は、施設の管理・運営をすべて民間が担い、そ
 れに伴うリスク(赤字にリスクなど)の多くを民間が負うという点で、従来からの外部
 委託とは異なっている。
・日本には官と民が共同で出資してリゾート地を開発したりする第三セクター方式がある
 が、これもイギリスのPFIとは似て非なるものである。
 イギリスのPFIの場合、責任体制とリスク負担がはっきりしている。
 それに対して、採算セクターは官民の責任体制とリスク負担がはっきりしていないため、
 赤字を垂れ流したり、倒産したりして、財政負担を増大させるケースが続出した。
 
・労働党は97年に18年ぶりにトニー・ブレア党首のもとで政権を取り戻した。
 ブレアが掲げる社会経済モデルは「第三の道」と呼ばれる。
 これはそれ以前の二つの社会経済モデルに代わるモデルとした考えられたものである。
・「第一の道」は戦後のイギリスなどの西欧モデルが採用した社会民主主義的福祉国家で
 ある。 
 「第二の道」は「小さな政府」を目指したサッチャーリズムである
 「第三の道」は福祉国家の危機を克服しようとしたサッチャー改革の意義を認めつつ、
 効率と社会正義とを両立させようとするものである。
・ブレア政権の経済政策を検討すると、社会正義とは「結果の平等」ではなく、「機会の
 平等」を達成することであることがわかる。
 この点では(新)自由主義思想と変わらない。
・ブレア政権の自由主義的側面を三つあげると、
 ・第一:資格要件を満たさないものを社会福祉サービスや社会保険給付の受給から排除
     したことである。  
 ・第二:福祉から雇用への転換である。
     失業者に対するカウンセリング、訓練、職業経験の提供や雇用を増やす民間企
     業に職業補助金を支払うといった政策によって、雇用を増やそうとするもので
     ある。 
 ・第三:教育を重視している点である。
     人々が現代の企業が必要とする知識や技術・技能を持っていなければ、求人は
     あっても、人々に雇用される能力はない。雇用される能力がなければ、失業し
     てしまう。その解決のためには教育改革が不可欠であった。
・サッチャー政権時代にジニ係数で見た可処分所得の格差は拡大した。
 メジャー生還時代も格差の拡大に歯止めがかからなかった・
 イギリスの有権者が、メージャー率いる保守党に代えて、ブレア率いる労働党を政権党
 に選んだ一因は、格差の拡大にあったと考えられる。
・それでは、機会の平等を目指してブレア政権時代に、格差は縮小したであろうか。
 可処分所得のジニ係数は、ブレア政権時代にもわずかではあるが上昇したが、格差拡大
 には歯止めがかかってきたといえる。
・ところで、ジニ係数は所得が高所得者に偏れば大きくなり、その場合、格差は拡大した
 と解釈される。 
 それに対して、「ある期間にジニ係数が大きくなっても、所得が一定以下の貧困層が
 減れば、その期間の改革の成果は貧困層にも及んだことになる。したがって、その期間
 の改革は所得分配の観点からも望ましかった」と考える評価基準もありえる。
・機会の平等を進めると、どの所得層の所得も増加するが、中所得層以上の所得がより大
 きく増加するため、ジニ係数で測った格差は拡大する。
 しかし、絶対的貧困層は減少するのである。
・ブレア政権も基本的には、サッチャー改革が敷いた「結果の平等」から「機会の平等」
 への転換によって絶対的貧困を消滅させる路線を基本的に踏襲しているといえる。

スウェーデン型福祉国家の持続可能性
・スウェーデンは福祉国家で有名であるが、その福祉国家のあり方はスウェーデン・モデ
 ルと呼ばれる。
 スウェーデン・モデルは、一言でいえば、「高福祉・高負担」の「大きな政府」である。
・「小さな政府」論者の主張によれば、「高福祉・高負担は人々の勤労意欲を阻害し、企
 業家精神を枯渇させ、経済の停滞を招く」はずである。
 経済が停滞すれば、福祉国家といっても「平等に貧しい社会」に過ぎない。
・ところが、スウェーデンは一人当たりの国内総生産が日本とほぼ同じで、豊かな国であ
 る。 
 失業保険、医療保険、年金制度が充実し、高齢者・障碍者福祉サービスも行き届いてい
 る。 
 失業しても、歳をとっても、障害者になっても生活が保障されていて、安心である。
 保育サービス、育児手当、十五ヶ月現金給付付き育児休暇など、至れり尽くせりの子育
 て公的支援があるから、安心して子供を受ける。
・これほど福祉が充実していて、誰もが安心して豊かな生活を送れるのであれば、「小さ
 な政府」よりも「大きな政府」の方がいいのではないだろうか。
 それにもかかわらず、なぜ、日本をはじめ多くの国はスウェーデン型福祉国家を目指そ
 うとしないのだろうか。 
・スウェーデンの政府支出と政府収入の国内総生産比は、それぞれ、57%と58%であ
 る。日本は37%と31%である。
・税金と社会保険料負担の合計を国民所得で割った国民負担率は、日本の37.7%に対
 して、スウェーデンは71%に達している。
・スウェーデンの産業を担っているのは民間企業である。
 スウェーデンの民間企業における賃金の決定は、自由主義経済のそれとは大きく異なる
 ユニークなもので、賃金決定モデルは、連帯賃金政策と積極的労働市場政策とから構成
 されてる。 
・連帯賃金政策とは、労使の中央賃金交渉にあたって、個々の産業や企業の違いを超えて、
 「同一労働・同一賃金」を原則とする政策である。
 この政策が文字どおり実施されば、労働生産性の低い産業では、労働生産性を上回る賃
 金を支払わなければならない。
 そのため、そのような産業では企業の退出がおこり、産業そのものも縮小する。
 一方、労働生産性の高い企業では、労働生産性以下の賃金を支払えばよいから、大きな
 利潤が生まれる。 
 そこで、そのような産業は、大きな利潤を活用して積極的に生産規模を拡大する。
 このようにして、労働生産性の低い産業は縮小し、労働者たちは拡大する労働生産性の
 高い産業に吸収される。
 これがうまく機能すれば、完全雇用と平等な所得とが両立する。
・しかし、低生産性部門で必要した人が高生産性部門でただちに働らけるわけではない。
 というのは、両部門で必要な能力が異なるからである。
 そこでスウェーデンでは、失業者に雇用訓練に関する各種のプログラムに参加させ、そ
 れでも就職できなかった場合には、失業給付を支給する政策がとられてきた。
 これを積極的労働市場政策という。
・積極的労働市場政策には、公的な職の斡旋に止まらず、構造不況地域から発展地域へ労
 働者を移動するための助成、産業間・職業間の労働力需要のミスマッチを調整するため
 の公共的な職業訓練・教育と企業内職業訓練の助成、障害者・高齢者・母子家庭などの
 社会的弱者に対する雇用助成などがある。
 こうした政策のため、スウェーデンでは、単に失業手当をもらっている失業者よりも、
 所得保障を受けながら公的な機関や私企業で職業訓練を受けるものの方が多い。
・スウェーデンの労働市場のもう一つの特徴は、女性の就業率と雇用全体に占める政府の
 雇用比率がともに極めて高いことである。
 男女の就業率格差はほとんどない。 
・スウェーデンの家族政策は、公的な子育てサービスの供給、給付付きの育児休暇制度、
 育児手当と住宅手当などである。
 @公的な育児サービスの供給
  就学前の子供の6割は公的な育児サービスを受けている。
  残りの子供の多くは、育児獣化制度を利用した両親によって育てられている。
  育児休暇中の親は政府から手厚い手当を支給される。
  公的な育児サービスでは、平均的に親がコストの10%を負担し、残り90%を公的
  部門が負担している。
 A両親保険と育児休暇
  出産前後15ヶ月間の休暇と子供(12歳まで)1人について1年間に60日間の休
  暇が認められる。
  両親保険によって、15ヶ月間のうちの12ヵ月は従前所得の80%が公的に支給さ
  れる。残りの3ヵ月は定額保障である。
 B育児手当
  16歳以下のすべての子供に対して育児手当(約1万4千円)が支払われるようにな
  った。育児手当を受ける時の親の所得制限はない。
 C住宅手当
  家族の所得、子供の数および住宅価格に応じて住宅手当が支給される。
  
・スウェーデンが戦後比較的平等な所得分配と高福祉・高負担および完全雇用の達成とい
 う、一見、困難と思われる三つの組み合わせを長期にわたって実現できたのはなぜか。
・スウェーデンでは「同一労働・同一賃金」の理念の下に、税引き前の所得の平等化が進
 んだ。  
 この所得の平等化が政府雇用の増大を生み出し、政府雇用の増加を維持するために高い
 税負担が必要になったという。
・スウェーデン・モデルでは、低生産部門で生ずる失業を、政府部門が吸収した。
 高福祉政策の下で、公的に医療、教育、各種の福祉サービスが供給されたから、実際に
 は、それに伴って公的部門の雇用も増え、民間部門で生ずる失業を吸収できたのである。
・高福祉を支えるためには、高負担にならざるを得ない。
 租税と社会保険料を合計した国民負担率は71%に達した。
 個人所得税率の累進度は高く、所得税の最高税率は72%であった。
 個人所得税率の累進度が高いために、賃金が増えても、税引き後の所得はほとんど増え
 ない。
・賃金格差が小さいために、労働者は職探しに時間を割こうとせず、転職率も低くなる。
 賃金格差が小さい上に、所得税率の累進度が大きく、社会保障給付も寛大であるから、
 労働者は長時間頑張って働こうとはしない。
 そこで、有給休暇を完全にこなし他の労働者と仕事を分け合うというワーク・シェアリ
 ングが実現した。
 ワーク・シェアリングは雇用需要を増やしたから、これも完全雇用の実現に寄与するこ
 とになった。
・ところで、スウェーデンの福祉は、労働することによって初めて受けられるという点に
 特色がある。
 例えば、失業した場合には、まず、紹介された職を選ぶか、公的な職業訓練に従事する
 かのいずれかが要請される。
・病気やケガで働けなくなった時に受けられる傷病手当の額は、最低保障の定額分と従前
 所得の比例部分とから構成される。
 そのため、働いて賃金を獲得するほうが、病気やけがになった場合より多くの傷病手当
 金を受け取ることができる。
 給付付きの育児休暇制度も働いて初めて受けられる制度である。
・このように、働くことによって初めて受けられる社会保障制度のために、スウェーデン
 では、高福祉・高負担にもかかわらず勤労意欲が失われる度合いは小さかった。
・連帯賃金政策のもとでは、未熟練労働者の賃金はかれらの生産性よりも高くなる。
 それでは、誰が生産性の低い労働者に高い賃金を払うというコストを負担したのであろ
 うか。
・一つの回答は政府部門出る。すなわち、賃金が高いために民間部門で失業したかれらを
 政府が雇うのである。
 スウェーデンの雇用の増加のほとんどは地方政府部門であったことがこのことを示して
 いる。
 政府雇用の財源は税金である。したがって、賃金平等化のコストの一部は納税者が負担
 したことになる。 
・もう一つの回答は消費者である。
 スウェーデンでは、生産性の低い産業は貿易競争にさらされないサービスなどの非貿易
 財部門である。
 非貿易財部門では、労働者たちに生産性を上回る賃金が支払われたから、その分消費者
 が支払う価格が高くなった。
 このようにして、消費者は非貿易財部門における高い価格を通して、生産性の低い労働
 者に高い賃金を支払ったのである。
・しかし、賃金平等化はこうした直接的なコストだけでなく、次のような間接的なコスト
 も発生させた。 
 ・第一の間接的なコスト:
  労働時間が短くなることによって、生産が減少するというコストである。
  スウェーデンの社会保障制度は、働くことを前提に構築されているため、労働参加率
  は極めて高い。しかし、寛大な社会保障と累進度の高い個人所得税のため、労働者の
  働く時間は短くなった。スウェーデンは日本よりも年間200時間も少ない。
 ・第二の間接的なコスト:
  賃金平等化が社会全体の生産性をひく上げることによる国内生産性の減少である。
  賃金格差の縮小は、労働者が高い賃金を求めて自分に合った仕事を探す誘因も弱めた。
  この結果、労働者達が就いている仕事は、かれらの能力を最大限引き出すような仕事
  でない可能性がある。これも国内総生産の減少をもたらしたのであろう。これも賃金
  平等化の間接的なコストである。 
・スウェーデンの税制は、個人所得には平等主義の立場から高度な累進税が適用された。
 最高個人所得限界税率は85%超で、フルタイムの労働者の74%は50%以上の限界
 税率である。
 中立性の原則から法人税の法定税率は28%に引き下げられた。
・スウェーデンでは、主たる税として付加価値税があり、その税率は25%である。
 さまざまな税が個人の所得に課せられた結果、標準的な夫婦子供二人の世帯の総所得に
 対する税率は79%にも達する。
  
日本の「小さな政府」への挑戦と挫折
・80年代に起きた「小さな政府」への流れを主導したのは、80年と83年にそれぞれ
 設置された臨時行政調査会と臨時行政改革推進審議会の答申であった。
・これらの答申の精神は、鈴木善幸内閣から中曾根康弘内閣、橋本龍太郎内閣を経て、小
 泉純一郎内閣まで脈々と受け継がれている。
・80年に設置された臨時行政調査会は、昭和30年代後期にも同名の調査会が設置され
 たことがあったため、第二次臨調と呼ばれた。
 第二次臨調の答申も行革審の答申も基本的な路線は同じなので、両者を区別しない。
・第二次臨調が設置されたのは、第一次石油ショック後に成長率が大幅に鈍化する中で、
 巨額の財政赤字の発生などの困難な財政事情が発生したため、行政の改革・合理化を進
 めることが政府の重要課題になったからであった。
・臨調答申は行政の目指すべき二大目標として、「活力ある福祉社会の建設」と「国際社
 会に対する貢献」を掲げ、これら二つの目標を達成するためには、財政再建と行政改革
 が不可欠であるとし、「増税なき財政再建」を強く主張した。
・中曽根内閣が果たした大きな構造改革は、日本電信電話公社(電電公社)の民営化と電
 気通信業の規制緩和および日本国有鉄道(国鉄)の民営化であった。
・電電公社は85年4月に民営化されてNTTになった。
 それと同時に、電気通信事業への新規参入を可能にする規制緩和が実施され、87年に
 は長距離電話に民間三社(第二電電日本テレコム日本高速通信)が参入し、長距離
 電話の分野でサービス・値下げ競争が始まった。
・87年4月には、国鉄が民営化されて六つの旅客鉄道会社(JR)と日本貨物会社に分
 割されるとともに、それらが営む事業についても規制が緩和され、JRは駅構内でコン
 ビニや旅行代理店を営業できるようになった。
・電電公社と国鉄が民営化されたのは、経営を効率的にするためであったが、国鉄の民営
 化の場合は、民営化前の国鉄は巨額の赤字を抱え、政府はその赤字を税金を投入して埋
 めてきたため、国鉄の赤字は納税者にとって大きな負担であったという事情も大きかっ
 た。

・90年に入るとバブルが崩壊し、景気は91年2月に後退期に入った。
 そのため、政府は92年度と93年度の公共事業費を前年度比30%と42%も拡大し
 た。
・その後も、景気回復が不十分だったため、96年度まで六回にわたる景気対策が採られ、
 公共事業費も12兆円から13兆円台に維持された。
・こうした景気対策により、96年度の成長率は2.6%まで回復した。
 この回復を見て、橋本内閣は財政再建を目指して、97年度に消費税の税率を3%から
 5%に引き上げるとともに、公共事業費の前年度比10%の削減に踏み切った。
・しかし、日本経済はこの財政引き締め政策に耐えられるほど回復しておらず、景気は消
 費税増税の翌月の97年5月にはピークをつけ後退し始めた。
・景気が後退し始めたといっても、それは後からわかることで、政府はそれに気がつかな
 かった。
・橋本内閣と大蔵省は、92年以降の景気対策によって拡大した財政赤字と累増した国債
 残高に強い危機感を持っていたから、97年4月に消費税を増税しただけでなく、97
 年11月には財政構造改革法を成立させた。
・しかし皮肉にも、財政構造改革法が成立したまさにその月に、三洋証券、北海道拓殖銀
 行、山一証券と立て続けに大きな金融機関が破綻するという、前代未聞の事件が発生し
 た。 
・大型の金融破綻の発生、さらなる景気の悪化と選挙の敗北の責任を取って、橋本内閣は
 98年7月に小渕恵三内閣に政権を譲った。
・小渕内閣は景気浮揚のためふたたび積極財政に転じ、98年12月には財政構造改革法
 を破棄し、恒久減税や公共事業費の増加などの政策を採用した。
・89年4月に、中曽根内閣を引き継いだ竹下内閣により、3%の消費税が導入された。  

小泉改革
・橋本内閣の財政再建と行政改革は、98年のマイナス成長とそれをケインズ政策で乗り
 切ろうとした小渕内閣の誕生によって頓挫してしまった。
 しかし、小渕内閣も2000年4月に小渕首相の急逝により総辞職し、一年間の森喜朗
 内閣を経て、01年4月には小泉純一郎内閣が誕生した。
・小泉首相は初閣議で「構造改革なくして景気回復なしとの認識のもとに社会経済構造改
 革に取り組み改革断行内閣とする」と決意を表明し、小渕内閣がとったケインズ政策路
 線からの決別を宣言した。
・03年には、「簡素で効率的な政府」を目指すと、「小さな政府」への転換を明確に宣
 言した。  
・小泉構造改革の中で最も際立っているのは、公共事業費の大幅削減である。減少率は三
 割以上に達した。
・小泉内閣の規制改革は橋本内閣時代に提示されたものがほとんどで、新たな改革のスピ
 ードはそれ以前よりも遅くなり、大きな成果を挙げた改革は実施されていない。
 小泉改革独自の規制改革が進まない理由としては、経済的規制よりも、安全・健康など
 に関わる社会的規制の改革に対しては、その規制により保護されている業界や担当省庁
 の抵抗が極めて強いことが考えられる。
・規制改革を進める上で重要なのは首相のリーダーシップである。
 社会的規制改革に関して、小泉首相に郵政民営化ほどの熱意がないことも、改革が進ま
 ない大きな理由だろう。
・小泉首相といえば、首相になる前から、郵政三事業(郵便、郵便貯金、簡易保険)の民
 営化論者で知られていた。
 しかし、首相になってまず着手したのは郵政事業の民営化ではなく、住宅金融公庫の住
 宅ローンの縮小・廃止とその独立行政法人化であった。
・次に、高速道路公団が05年10月に民営化された。
 しかし国土交通省の息のかかった諮問機関が建設が適当であると判断すれば、国は民営
 高速道路会社の債務返済を保証しつつ、民営高速道路会社に道路を建設させることがで
 きるようになった。 
 そのため、今後の採算の合わない高速道路を建設し、赤字を垂れ流すという従来のパタ
 ーンを繰り返される可能性がある。
 そうなれば、何のための民営化かということになってしまう。
・次に、郵政民営化であるが、自民党守旧派との妥協の産物で、真の民営化とはいえない
 ものになってしまった。 
・小泉内閣が実施した04の年金改革は、年金保険料は上げるが、逆に、年金給付は現役
 時代の体力が落ちればそれに合わせて引き下げるという、従来にない改革であった。
 すなわち、厚生年金などの被用者年金の保険料率を決められた上限に向けて年々引き上
 げる一方、年金給付を保険料などの年金収入の範囲内に納めるという「マクロ経済スラ
 イド方式」を導入した。
 この04年改正により「百年までの安心年金」が確立したと政府は主張した。

「小さな政府」
・小泉改革を見ると、これまで「結果の平等」に重点を置いてきた政治と経済政策を、
 「機会の平等」に重点を置いたものに変えようとする改革といえる。
 こうした改革が本格的に進めば、個人間でも企業間でも地域間でも競争が激しくなり、
 その結果、個人間の所得格差、企業間の利益格差、地域間の所得や行政サービス水準の
 格差などは拡大すると予想される。
・97年から02年にかけて、すべての年齢層で所得格差が拡大したのは、正規社員と非
 正規社員との賃金格差が拡大するとともに、雇用者に占める賃金の低い非正規社員の割
 合が高まったからである。
・失業率が上昇し、非正規社員が急増した大きな要因は、92年以降の長期経済停滞であ
 ろう。とくに、97年後半からのデフレ不況の影響が大きい。
・非正規社員が増えた第二の要因は、99年と04年の労働者派遣法の改正である。
 小泉政権による04年非の労働者派遣法改正は、労働者派遣の自由化を進めることによ
 り、非正規社員を増やし、所得格差を拡大させた可能性がある。
 しかし、労働者派遣の自由化が進まなかったならば、雇用は実際よりも増えず、失業率
 は上昇した可能性がある。 
 失業率が上昇したならば、所得格差は実際よりもさらに拡大したであろう。
 したがって、労働者派遣の自由化による失業率の低下を考慮すると、労働者派遣法改正
 が所得格差を拡大したとはいえない。
・非正規社員が増えた第三の要因として、グローバル競争の激化が考えられる。
 例えば、ある製品を中国で安い賃金で造れるようになれば、日本で造るよりも多少品質
 が落ちても、中国で造った方が有利となる。
 そのため、比較的熟練を要しない労働が賃金の高い正社員から低い非正規社員に置き換
 えられるようになった。 
・小泉改革がすべての年齢層の所得格差を拡大させたとも、生活保護世帯を増やしたとも
 いえない。
 しかし、そのことは、政府は非正規社員の低賃金と不安定な雇用に対して何もしなくて
 もよいことを意味しない。
・小泉政権に格差拡大の責任があるとすれば、小泉政権が「したこと」にではなく、
 「しなかった」ことにある。
・小泉首相は「再挑戦できる機会があれば、格差は問題ない」と主張した。
 しかし、小泉首相は「非正規社員や失業者が再挑戦できる機会を拡大する政策」には積
 極的に取り組まなかった。この意味では、小泉政権に格差拡大の責任がある。
・失業者をなくし、非正規社員が正規社員になれる確率を高めるためには、景気の安定化
 させて失業率を引き下げるマクロ経済政策と、未熟練労働者の知識・技能を高めるミク
 ロ経済政策の両方が必要である。 
・景気を安定化させるマクロ経済政策は金融政策である。
・失業者や非正規社員の所得獲得能力を高めるためには、仕事のための知識や技術を学べ
 る機会をかれらに提供することが必要である。
 しかし、こうした機会を失業者や非正規社員が負担できる範囲で提供するのは、民間で
 は困難であろう。 
 したがって、かれらに知識や技術を学ぶ機会を提供しようとする企業や学校などに政府
 が補助金を出したり、かれら自身に直接、補助金を支給したりする必要がある。
 かれらのさまざまな相談にのったり、かれらを指導したりする公的なコンサルタント・
 サービスの提供も必要である。

・地方財政改革は地方自治体ごとではなく、国民経済全体の立場から考えなければならな
 い。
 今後も、田中角栄型の「結果平等主義」を貫こうとすれば、日本経済全体の生産性が低
 下し、「結果の平等」のための財源自体がやがて枯渇するであろう。
 とくに、少子・高齢化が進む日本では、今後ますます希少になる労働力を生産性の高い
 地域で活用する必要がある。
 そうした地域は大都会である。
 大都会にこれまでよりも多くの公共事業を集中して、生産基盤を整備しなければ、日本
 経済は活性化しないし、日本経済が活性化しなければ、地方も活性化しない。
・国の地方に対する干渉や援助を縮小すると、地方の中には人口が減り、現在よりも貧し
 くなる地方が出てくる可能性がある。
 そうした地方自治体にもナショナル・ミニマムの行政サービスは保障し、格差拡大に歯
 止めをかけるべきであろう。 
・しかしいずれにせよ、地域格差は現在よりも拡大するであろう。
 地域格差の拡大は、「結果の平等」を追求する「国土の均衡ある発展」政策を放棄して、
 国全体の生産性を高める政策を採用することの代償である。
 長期的に見れば、この政策への転換は地域格差拡大という代償を払っても、国民全体を
 より豊かにすると考えられる。
 したがって、地域格差の拡大は阻止すべき政策課題と考えるべきではないであろう。
・今後、産業と雇用の構成も製造業から第三次産業に移行するであろう。
 製造業は生産性上昇率が高いため、同じモノを生産するために必要な労働は少なくてす
 む。この傾向は今後も続くであろう。
 したがって、モノに対する需要がよほど増えない限り、製造業では雇用は増えない。
 今後、雇用の増加が期待できるのは、第三次産業であり、第三次産業を牽引するエンジ
 ンは大都市に存在する。
 こうした発展する大都市が存在するからこそ、衰退する市町村の住民も職を得ることが
 できる。
・日本の地方自治体の首長と住民にも、民間の知恵と活力を最大限に活かした主体的・自
 立的なまちづくりへの挑戦を望みたい。
・そのまちづくりは、郊外の大型店の立地を規制して、無理やり中心市街地を活性化させ
 ようとするものではなく、旧市街地の魅力そのものを引き上げることによって、人と産
 業を呼び込もうとするまちづくりである。
・市町村には、自立を求められると人口が減ってしまうと嘆くのではなく、むしろ人口減
 少を生産性向上のバネに変えるくらいの自主独立の気概を求めたい。
 例えば、農業については、人口減少を機会に、一戸当たり農地面積を拡大して、本格的
 に農業生産性を高める政策に転換する時期が到来してからすでに久しい。
・農地面積の拡大を阻んでいる要因があれば、地方自治体はそれらを徹底的に排除する政
 策を採るべきである。   
 日本では、05年に法人による農業参入が解禁されたばかりで、06年現在、法人によ
 る農業経営は例外的である。
 しかし、農業は天候に左右されるためリスクが大きい産業であるばかりか、バイオ技術
 などを駆使するハイテク産業であるから、個人経営よりも法人経営のほうが向いている。
・地方の自立性を高めるための産業は、生産性向上に成功した農業だけではない。
 倉敷や金沢のような観光で特色を持たせる都市もあるし、岡山のように生命科学の産業
 が根付き、文化的施設も充実している都市もある。
・日本の地方自治体には、国に頼ることなく、自主的なまちづくりの障害になる規制、税、
 財政制度や国の干渉を排除しようとする自主独立の精神こそが求められる。
   
・「結果の平等」のための政策を縮小して、政府を小さくするだけでは、雇用は増えない
 し、非正規社員の賃金を引き上げることもできない。
 それでは、小さな政府は「勝ち組」と「負け組」を作るだけである。
・マクロ経済安定化政策には「財政政策」と「金融政策」がある。
 財政政策は狭義のケインズ政策と呼ばれ、海外では60年代から70年代にかけて採用
 されたが、80年代以降は、金融政策が主流になった。
・海外で財政政策が採用されなくなった理由としては次のものが挙げられる。
 例えば、経済全体の供給能力の増大に応じて、経済全体の需要が増えないために、モノ
 やサービスが売れずに、景気が悪化したとしよう。
 そこで、政府が景気を回復させようとして、公債を発行して公共投資を増やすとしよう。
 これにより、政府と民間は投資のための資金を奪い合うようになる。
 そのため、金利が上がる。
 金利が上がると民間の設備投資が減って、公共投資によって増えた需要を相殺してしま
 うため、経済全体の需要は増えない。
 経済全体の需要が増えなければ、雇用も増えないし、景気も回復しない。
 したがって、むしろ、財政赤字を減らして、公債発行を減らしたほうが、金利が低下す
 る分だけ、民間企業の投資を活性化することができ、景気の安定化に役立つ。
・さらに、政府支出をまかなうために発行された公債の残高が増えるにつれて、財政破綻
 のリスクが増大し、政府は政府支出の削減や増税などの国民に不人気な政策をとらなけ
 ればならなくなる。  
 しかし、不人気だからといって、財政再建を先送りすれば、財政破綻のリスクはますま
 す大きくなり、結局は、大増税、歳出の大幅削減などに追い込まれる。
・こうして理由から、海外では金融政策によって物価安定を図ることによって、経済全体
 の需要を安定的に増やしていく政策が、マクロ経済の安定化政策として主流になってい
 る。 
・海外で成功した金融政策の経験のよると、インフレ率を1%から3%程度の範囲の変動
 に収め、長期的には2%程度に安定化させることが、雇用を適切に維持しながら、経済
 が潜在的に持っている成長能力を実現する上で有効である。
・このように、中央銀行が2%程度のインフレ率の達成目標に金融政策を運営する手法を
 インフレ目標政策という。 
・インフレ率が2%程度で安定すると、金利も安定し、設備投資計画や住宅投資計画が立
 てやすくなり、成長率と雇用とがともに安定するからである。
・経済が潜在的に持っている成長能力を潜在成長率という。
 潜在成長率は政府や企業の構造改革などによって労働の生産性を高めることにより上昇
 する。
 しかし、これまでの各国の経験は、インフレ率が安定していなければ、供給能力の増大
 に見合って、経済全体の需要が伸びないため、潜在成長率は実際の実質成長率として顕
 在化しないことを示している。
・したがって、日本銀行は、インフレ目標政策によってインフレ率を2%程度に安定化さ
 せることが望まれる。
 あるいは、政府がインフレ目標を設定して、その実現は日本銀行にまかせるという役割
 分担も考えられる。
・構造改革によって高められた潜在成長率が実現すれば、生産性の上昇を反映して、未熟
 練労働者を含めた労働者の賃金も上昇する。
 生産のために必要な雇用も増えるから、非正規社員がより賃金が高く、雇用の安定して
 いる正規社員になれる可能性も増大する。
・失業を減らし、熟練労働者だけでなく、新卒や非正規社員の賃金も引き上げ、非正規社
 員が正規社員になれる可能性を高めるためには、
 @すべてに労働者の生産性を引き上げる構造改革
 Aインフレ目標政策の導入により、インフレ率を2%程度に安定化させる
 ことにより、経済全体の需要を生産性の上昇による供給能力の増大に合わせて増やして
 いくことが必要である。 
・構造改革とは、具体的には、市場を自由競争的に維持することによって、人々の自由な
 創意と工夫を引き出し、教育切符制度によって教育の機会均等を促進し、人々が仕事に
 役立つ知識や技術を身につけようとするときの費用の相当部分を、政府が援助すること
 である。
・日本では、@の構造改革さえ進めば、実質成長率は上昇するという考え方が有力である。
 しかし、1990年代以降の各国の経験は、@とAのいずれの政策が欠けても、実質成
 長率を高めることはできないことを示している。
・日本の絶対的貧困率は80年代半ばから90年代半ばまでは低下したものの、90年代
 半ばから2000年にかけては上昇した。
 日本の絶対的貧困率が90年代半ばから2000年にかけて上昇したのは、規制緩和な
 どの構造改革が進んでことによって、@の条件はある程度満たされたものの、98年か
 らデフレに陥ったため、Aの条件がまったく満たされなかったからであろう。
・小泉改革は「小さくて効率的な政府」を目指して、「官から民へ」と「中央から地方へ」
 をスローガンに行政改革を進めてきた。
 小泉首相はこの政権方針を貫くために、自民党派閥にとらわれない、官邸主導の政治を
 進めてきた。
・この姿勢は高く評価したい。
 特に、田中角栄型の地方への公共事業のばらまきをやめ、公共事業費を大幅に削減する
 とともに、削減した公共事業費を重要な四分野に重点的に配分してきたことは、角栄後
 のどの政権もできなかったことを考慮すると、高く評価されるであろう。
・しかし、「改革、改革」という掛け声の割には、改革の中身に問題があったり(高速道
 路公団や郵政民営化など)、改革の緒についたばかりで、ほとんどまだ成果が上がって
 いなかったり、アイディアの段階にとどまっているものが少なくない。
 非正規社員や失業者が再挑戦できる機会の創造にいたっては、ほとんど手がつけられて
 いない。
・小泉改革には中途半端なもの、真の民営化とはいえないもの、改革を始めるのが遅すぎ
 たものなど少なくない。
 それは第一に、小泉政治がサッチャー首相ほどの「信念の政治」ではなく、官僚などの
 抵抗勢力と妥協する「合意の政治」から完全に抜け出すことができなかったからである
 と思われる。
 第二に、不良債権処理や産業再生機構による債務超過企業の再生といった、デフレ下で
 の後ろ向きのバブル処理に手間取ったからであろう。
・ポスト小泉後の「小さな政府」へ向けた政策課題は、次のようにまとめられる。
 @公正なルールを持った競争的市場と効率的な政府の確立
  「民にできることは民に任せ」、公務員の仕事を「民間にはできないが、社会的には
  必要な仕事」に限定する行政改革および国と地方の財政を持続可能で効率的なものに
  する財政構造改革を推進する。
 A「小さな政府」のもとで発生する格差問題に対する政策
  真に助けを必要としている人に手厚い社会保障制度と多くの人が自立できるための
  「機会の平等」を拡大する改革を推進する。
・構造改革が実を結ぶためには、長期的にインフレ率を2%程度に維持する金融政策が重
 要である。