戦争を拡大したルーズベルトの非常さ :杉原誠四郎

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これは2014年の月刊誌「Voice」に掲載された記事である。タイトルに興味を持
ち読んでみた。
あの真珠湾攻撃時に、ワシントンの日本大使館の事務失態によって、アメリカへの最後通
告が一時間半遅れ「騙し討ち」となってしまったことに関して、当時の大使館の関係者が、
責任を問われるどころか、栄転したことについて、鋭く批判している内容である。
関係者を栄転させたのは当時の首相であった吉田茂だったようだが、どうして吉田茂は、
これらの関係者を栄転させたのか。事務失態を起こした関係者であることは知っていた
と思うのだが、それに関しては何も触れられてはいなかったのは残念である。
また、当時のアメリカの大統領であったルーズベルトが、日本を戦争の誘い込んだのは、
周知の事実であると述べられている。確かに、そういう主張が存在するのは、私も知って
はいるのだが、そういう主張が何を根拠としているのか、それに関しても何も触れられて
はいなかったのは残念である。
新しい発見もあった。それは、アメリカが日本との開戦を決議したとき、それにただ一人
反対した女性議員がいたことだ。当時のアメリカ議会にそういう議員がいたことを、これ
を読んで私は初めて知った。
しかし、それにしても不思議なのは、このワシントンの日本大使館の事務失態について、
結局、だれも責任をとらなかったことだ。当時の日本の陸軍や海軍においても、責任を曖
昧にし続けていたようだが、政治家や官僚においても、それは同じだったようだ。責任を
曖昧にするのは、昔からの日本の伝統なのかもしれない。

ところで、先日(2022年12月21日)、ウクライナのゼレンスキー大統領は、突然、
米国を訪問し、米国の上下両院合同会議で演説した。その演説の最後にゼレンスキー大統
領が引用したのが、この本にも出ているルーズベルト大統領が日本からの真珠湾攻撃を受
けた翌日、日本との戦争を議会で宣言したときの演説に使われた次のフレーズと同じもの
だった。(ただし、アメリカをウクライナに置き換えている)
「この計画的に行われた侵略に対してはいかに長い年月を要しようと、アメリカ国民は正
義の力のよって絶対的な勝利を勝ち取るでありましょう」
つまり、昭和の太平洋戦争は、日本が計画的にアメリカを侵略した戦争だったが、今回の
戦争はロシアが計画的にウクライナを侵略した戦争だ、ということだ。
これを聞いて、日本人の一人である私は、なんだかとても複雑な気持ちになった。
「そうか、昭和の時代の日本という国は、今のロシアと同じだったと世界からは見られて
いるのだ」と。

過去の読んだ関連した本:
日本人はなぜ戦争へと向かったのか(メディアと民衆・指導者編)
パール判事の日本無罪論
ソ連が満州に侵攻した日
撤退戦の研究
日本原爆開発秘録
昭和16年夏の敗戦


日米戦争の性格を一変させた事務失態
・十二月八日は、ワシントンの日本大使館の事務失態により「最後通告」の手交が予定よ
 り約一時間三十分遅れ、そのために日本海軍の本来の意図に反して無通告の攻撃となり、
 アメリカから見れば「騙し討ち」となった日だった。
・もし、予定どおり日本海軍の攻撃の三十分前に手交しておれば、戦争のさなかの和平交
 渉も可能性はわずかではあれあり得、戦争の規模は少しは小さくなっていたのではない
 か。日本の徹底的敗北ということは変わらないとしても、その敗北はもう少し柔かいも
 のになっていたのではないか。
・しかし手交は攻撃後の約一時間後になってしまったのだから、アメリカからすれば日本
 の真珠湾攻撃は明らかに「騙し討ち」に違いはなかった。
・ワシントンの日本大使館の事務失態に起因する真珠湾「騙し討ち」は日米戦争の基本的
 性格を一変させたといってよい。
・日本側から見れば、アメリカに対する戦争に自衛戦争であった。「最後通告」に記され
 ている文は意味不明のことを長々と書いたものとして、いまでも評判は悪いが、要は日
 本側の言い分は自衛のための戦争だというものである。
・したがって、そのことを明確にアメリカ国民に伝えるためには、攻撃の前に「最後通告」
 を手交するという手続きはどうしても守っておかなければならなかった。
・ワシントンの日本大使館の考えられないような事務失態によって手交が遅れ、日本側の
 言い分は伝達不可能になってしまった。
 
ルーズベルトのなした戦争宣言の要請演説
・真珠湾攻撃の翌日、ルーズベルトは下院で日米戦争の宣言を要請する演説を行なった。
 そして最後のあたりで次のように述べた。
 「この計画的に行われた侵略に対してはいかに長い年月を要しようと、アメリカ国民は
 正義の力のよって絶対的な勝利を勝ち取るでありましょう」
・一人だけ反対する議員がいた。女性議員のジャネット・ランキンだった。徹底平和主義
 者で、このとき反対してアメリカ国民から手ひどいブーイングを受けることになるのだ
 が、戦争の経緯がよくわかった今日、彼女の行動は、結果的にアメリカの良心の証しと
 して輝いている。  
・歴史の経緯が大いに判明している今日、このときのルーズベルトの演説にはいかに多く
 の嘘が入っているかわかる。
・この演説を聴いたとき、議員の誰もが、真珠湾攻撃の前日の夜九時、ルーズベルトが解
 読した日本の「最後通告」を読んで、「これは戦争を意味している」と言ったことを知
 らなかった。というより、日本の外交電報をことごとく読んで、ルーズベルトは日本政
 府の意思と行動を手に取るように知っていたことを知らなかった。
・ルーズベルトは真珠湾攻撃の前日夜、天皇に向けて日米戦争回避のための親電を打つ。
 しかし、戦争開始の気配が至るところから押し寄せているこの時点で、天皇宛て親電を
 打ってももはや戦争を止めることはできない。そのことをよく承知したうえで、歴史の
 記録をよくするために親電を打ったのだ。
・この年の八月、日米交渉で追い詰められた首相近衛文麿は、ルーズベルトに向けて首脳
 会談を申し込んだ。  
 イギリスのチャーチル首相との会談から帰ってきたばかりのルーズベルトは、この近衛
 の首脳会談の申し込みを大歓迎した。しかし本心は、いささかも応じるつもりはなかっ
 た。
・アメリカ国民にも知らせないで秘密裏にチャーチルと会談をして帰ってくれば、戦争に
 関して何か約束をして帰ってきたのではないかと新聞記者が執拗に追求するのは必至だ。
 それを避けるために、日米和解に向かって進み始めたという印象を与えようと、近衛の
 首脳会談の申し込みを大歓迎するかのように見せたのだ。
・ルーズベルトは少なくとも、日本が「最後通告」を手渡す時刻は十二月七日ワシントン
 時間午後一時であることを事前に明瞭に知っていた。そしてそれが遅れて午後二時二十
 分になったのは、連続する解読電報の内容からして、日本大使館の事務失態によるもの
 であることを事実上十分に知っていた。しかし戦争の宣言を要請する下院の演説では、
 アメリカは突如、計画的に攻撃されたと演説した。
  
通告遅延に対する日本側の対応
・「最後通告」は14部のうち第13部まではワシントン時間六日午前六時三十分までに
 送られていた。最後の第14部が送られたのは、ワシントン時間七日午前二時である。
 本省が一度に送らなかったのは、一度に大量に発信して異常を気取られることを避ける
 ためだった。
・「最後通告」の第13部まではワシントン時間六日午後三時ごろまでに届いていた。
 電信員の解読作業は午後八時ごろまでに終えた。
 とすると、解読電報を清書する担当の一等書記官、奥村勝蔵は直ちに清書作業に取りか
 からなければならなかった。しかし、奥村はそれをしないで館外に遊びに出かけたので
 ある。翌日、午前九時ころから奥村は清書に取り掛かったが、もはや間に合わなかった。
 したがって「最後通告」遅延の直接の原因は、担当者の奥村勝蔵が前日夜館外に遊びに
 行ったことにある。
・さらにもう一人の責任者を挙げれば、「万端の手配をしておくように」との電報が来て
 いるにもかかわらず館内に緊急態勢を敷かなかった参事官の井口貞夫である。
・「午後一時を期し手交あり」という手交時刻を指示する電報は、ワシントン時間七日午
 前三時三十分に本省より発信された。この電報が大使館内で午前十一時ごろ解読され、
 指定された手交時間が明確にわかった。
 三等書記官の八木正男は、この手交時間が明確になった時点で、はたして間に合うかど
 うかの判断をどうして大使館としてしなかったのかと言う。
 手交時間が判明した時点で間に合わない恐れがあるとすれば、大使館員を非常呼集して
 全員で青書に取り掛かるべきであったと言うのである。
 その指示を出す責任者は井口であったが、井口は奥村の後ろに立っておろおろしている
 だけだった。  
・このような時に指導性を発揮できないのは外務省がもともともっていた体質で、奥村と
 井口のこのときの行為は外務省の人間ならではの行為であった、と八木は言っている。
・「最後通告」をアメリカの国務長官に手交したとき、大使野村吉三郎はまだ日本海軍の
 真珠湾攻撃を知らなかった。
・知っていたハルは、すでに内容を知っている「最後通告」を、初めて読むかのように激
 怒しながら、
 「私は、五十年の公職生活を通じて、これほど恥知らずな偽りと歪曲に満ちた文章を見
 たことがない」  
 と言い放った。
・「騙し討ち」に関する大使としての野村の責任は大きい。「最後通告」を指定時間に手
 交できなかったことの直接の原因をつくったのではないとしても、大使としてできる指
 示を出さなかったことの責任は大きい。
・手交が遅れてからの野村の行動はさらに愚かしくなる。野村には考える力がなかった。
 事務失態のために日本海軍の真珠湾攻撃が「騙し討ち」になったことをアメリカ国民に
 何としてでも知らせておかなければならないはずである。  
 大使館の周りには、真珠湾の攻撃を受けて多くの新聞記者が押し寄せていた。この人た
 ちに何とかして本来の手交時刻は午後一時であったことを伝えなければならない。
 だが、野村はまったくそのようなことを考えなかった。
・その夜、野村は指定時刻どおりに手交できなかったことに自責の念に駆られて自殺する
 のではないかと、陸軍武官などが彼の部屋を見張った。
 このように心配したことについてのちに野村に伝えると、野村は意外そうに言った。
 「私はなぜ自殺しなければならないのか。私は外交官である」と。
  
自虐史観から立ち直れない原因
・昭和二十年九月、アメリカ上院では天皇を戦犯であるとして、天皇を逮捕、裁判にかけ
 ることを決議した。乗員議員にとって日本はそれほど悪い国だと思われていたのである。
・日本が計画的に「騙し討ち」をしたと思い込んでいたから、日本に原爆を投下するとき
 にもアメリカ国内ではそれほど抵抗は起こらなかったのだ。
・他方、日本国民も日米戦争が真珠湾の「騙し討ち」によって始まったことを知らなかっ
 た。戦争のさなか、そのためにアメリカ兵が日本兵に怒り狂って襲いかかってきている
 ことを知らなかった。  
 「騙し討ち」によって戦争が始まったことを知ったのは、戦争が終わって、昭和二十二
 年八月、東京裁判によってである。
 開戦当時、一等書記官としてワシントンの日本大使館にいた結城司郎次が出廷して証言
 したことにより、「騙し討ち」が日本大使館の事務失態によって起こったことを知った。
・日本では、当時は占領軍の厳しい検閲下にあったので、この「騙し討ち」が日本にとっ
 てどのような意味を持つのかを議論することができなかった。 
 そのことをよいこととして、日本ではとんでもないことが起こった。
・占領下、この事務失態の張責任者、奥村勝蔵と井口貞夫は、処分を受けるどころか、当
 時の吉田茂首相の采配で、いずれも占領解除前後に外務次官に栄進し、官僚として最高
 の勲章を授与されたのである。 
・余計なことだが、野村吉三郎についても見て見ると、野村は新憲法の下、参議院議員を
 二期務める。
・あれほど戦争を凄惨にした責任者が吉田の采配によって、処分されないだけでなく最高
 の出世を遂げた。
・吉田茂は占領が終われば、直ちにあの戦争は何であったのか、あの戦争はなぜ避けられ
 なかったのか、識者を集めて調査会を設置すべきであった。
・しかし真珠湾「騙し討ち」の責任者を外務次官に出世させていたのだから、このような
 調査会を設けられるはずはない。結果、外務省は自己の戦争責任を隠したことになる。
 そうすれば、外務省は東京裁判を開廷した占領軍占領政策の延長で、すべての戦争責任
 は日本にあり、日本は悪い戦争をしたのだと言い張るほかない。
 日本が自虐史観から立ち直れない最大の原因はまさにここにある。
  
日本からルーズベルトはどう見えるか
・ルーズベルトは日本を騙して戦争に誘い込んだことは確かな事実である。しかし、それ
 ゆえ、戦争を始めた日本の責任が軽くなると考えてはならない。国と国の争いにおいて
 は、騙したほうも悪いかもしれないが、騙されたほうも同じに悪い。
 真珠湾の「騙し討ち」についても、たとえ事務失態によるものであれ、結果として遅れ、
 真珠湾攻撃が「騙し討ち」になったことについて、責任はやはり日本にある。「騙し討
 ち」によって、戦争が最大限に凄惨なものになったことの責任はやはり日本が負わなけ
 ればならない。
・しかしあれから七十年以上経って、いろいろなことがわかってきて、ルーズベルトに対
 して日本からだけでなく、アメリカからも次のようなところまで言える状況には至って
 いるといってよいだろう。
・ルーズベルトは、日米戦争は実際にはアメリカが日本を誘って引き起こした戦争である
 ことを、自らそれを主導した張本人とし十分に知りながら、自ら仕組んだ外観にある結
 果に基づいて、日米戦争、さらには世界戦争を最大限に拡大したことは確かだ。