パール判事の日本無罪論  :田中正明

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太平洋戦争において、米国は二つの大きな過ちを犯したと言える。一つは広島・長崎への
原爆投下であり、もう一つは東京裁判である。
この本は、その東京裁判がいかに間違った裁判だったかを糾弾している。それは、この東
京裁判が、「裁判」という体裁をとりながら、実は戦勝国による敗戦国(日本)への一方
的な復讐だったからである。そこにはまさに、「勝てば官軍、負ければ賊軍」の論理が働
いている。
この本では、この東京裁判を主催したのはマッカーサー司令官であるとなっているが、実
は、マッカーサーはこの東京裁判には反対だったようである。本国からの指示により、仕
方がなく主催したというのが実情のようである。それは、マッカーサーが米国に帰国した
後に、トルーマン大統領との会談において、「東京裁判は間違いだった」と述べたという
ことからも裏付けされる。
インドのパール判事は、だた一人、この東京裁判において、A級戦犯全員の無罪の判決を
出した。それはそもそも、このA級戦犯を犯罪者とする規定が、国際法にはなかったため
である。東京裁判は、法律のないところに無理に法律をつくり行った裁判だった。これは
法治社会において、あってはならない行為であった。いくら戦勝国といえども、敗戦国の
個人を処罰する法的な根拠はなかった。東京裁判そのものが、無効な裁判だったのだ。
A級戦犯と言うと、なんだか重大な罪を犯した者のように思っていたが、それは国際法上
は、いわれなき罪をきせられた人たちなのだ。もし、あの戦争の責任者を糾弾するなら、
戦勝国ではなく、日本国内の法に基づいて糾弾すべきものであったが、日本は未だにそれ
ができていない。自分の国の戦争責任を他国から押し付けられたままで、自分の国の戦争
責任を自分たちで総括できないこの国は、まことに情けない国だと言えるのではないのか。
我々日本人は、「東京裁判」とはなんだったのかを、もう一度見直す必要がある。


推薦のことば
・東京裁判が、国際法の常識から照らしてまったく野蛮な復讐劇であり、政治的茶番劇に
 すぎなかったことはもはや世界で認識されているのに、日本では東京裁判を否定すると、
 未だに「右翼」とか「戦争を肯定する危険思想」と言われてしまう。こんな風潮は、そ 
・戦勝国の検察官は、日本が一貫してアジアを侵略して支配下に置くために陰謀を企て、
 謀議に沿って満州事変、日中戦争、太平洋戦争を引き起こしたのだと主張し、これが裁
 判の最も重要な焦点となった。そして、この「共同謀議」をした犯人として軍人、閣僚
 など二十八人を起訴し、これを「A級戦犯」と呼んだ。ところがこの二十八人は思想も
 信条もバラバラで、お互いに会ったこともない人までいた。
・当時の日本は国会が機能しており、あくまで憲法に基づいてリーダーが選ばれていたの
 であり、共同謀議」など皆無だった。  
・パール判事はただ一人、日本が戦争に至った経緯を調べ上げ、「共同謀議」など一切な
 かったことを証明して「全員無罪」の判決を下した。これは決して日本に対する同情心
 からではない。裁判官の中で唯一の国際法学者として、この東京裁判を認定し、許容す
 ること自体が「法の真理」を破壊する行為だと判断し、こんな「裁判」が容認されれば、
 法律的な外貌をまといながら、戦勝国が敗戦国を一方的に裁く、野蛮な弱肉強食の世界
 を肯定することになるという、強い危惧を抱いたためである。
・しかも東京裁判を主催したマッカーサー自身が朝鮮戦争後に米上院で、日本の戦争の動
 機は「安全保障の必要に迫られてのこと」、つまり自衛戦争だったとはっきり証言し、
 世界中の学者や政治家も東京裁判への疑念を表明している。それなのに、日本人は東京
 裁判の不正を直視しなかった。戦勝国に押し付けられた東京裁判を自ら受け入れたがる、
 強者による敗者への復讐を受けたくてしょうがない。そんな人間があまりにも多すぎる
 のだ。 
・軍部が全部悪かった、自分たちは騙されたのだと、まるで戦前の人間は違う民族である
 かのごとに裁き、戦後の自分たちの拠点を神の座まで押し上げ、同じ民族を自ら精神的
 に分断していく。しかも終戦直後よりも、むしろ年が経つごとにその風潮はどんどん加
 速し、ますます根深いものになってしまったように私は思える。「A級戦犯」という言
 葉のイメージも一人歩きしてしまい、自民党の政治家までがA級戦犯はとにかく悪い人
 間で、それを靖国神社に祀ってあるから公式参拝反対などと言っている。
・軍事力でねじ伏せた相手に、一方的な戦勝国の論理を押し付ける「裁判」のどこが平和
 主義なのだろうか。それは、野蛮な弱肉強食の国際社会を肯定する「軍国主義」にほか
 ならないではないか。東京裁判は、野蛮な復讐のための見せしめでしかなかった。それ
 を認めない限り、とても日本は平和主義国とは言えまい。
  
東京裁判とはなんだったのか
・日本には昔から、「勝てば官軍、負ければ賊軍」ということわざがある。東洋的諦観と
 ともに、これほど正義を冒涜し、法の精神を無視した言葉はない。と同時に、これはす
 こぶる危険な思想である。
・戦争の勝敗は時の運で、正・不正は勝敗の外にあるはずだ。敗れたがゆえに罪悪なので
 はない。勝ったがゆえに正義なのでもない。
・初めは東京裁判も、国際法にのっとって裁くのだとしきりに宣伝していた。ところが、
 これまでの国際法には、戦争そのものを犯罪とする規定はどこにもない。戦争そのもの
 は法の領域外に置かれているのである。まして戦争を計画し、準備し、遂行したという
 かどで、個人が裁かれるというような規則はどこにも存在していない。ただ戦争遂行の
 方法だけに、法的規律が存在するのみである。そこで連合国は、東京裁判を行うため、
 新たに「裁判所条例」(チャーター)なるものをつくって、戦争犯罪を定義し、これに
 裁く機能を付与し、これによって日本の指導者を裁いたのである。
・法律なくして人を裁き、法律なくして人を処罰することは、野蛮時代の私刑となんら変
 わるところがない。ところが東京裁判では、法律のないところに無理に「裁判所条例」
 という法律をつくり、法の不遡及の原則までも無視してこれを裁いたのである。  
・復讐の欲望を満たすために、たんに法律的な手続きを踏んだにすぎないというようなや
 り方は、国際正義の観念とはおよそ縁遠い。こんな儀式化された復讐は、瞬時の満足感
 を得るだけのものであって、究極的には後悔をともなうことは必然である。
・多くの日本国民は「ともかく、あのような無謀な戦争をしでかしたのであるから、その
 責任者が処刑されるのは当然だ」「たくさん罪もない国民が、戦争のために死んだのだ。
 国民はどんなに苦しい思いをしたかもしれない。先だった者が死刑になるくらいは当た
 り前だ」と考えている。それはもっともなことである。ただし、それは、一般的な感情
 論であり、道義の問題である。
・われわれは道義と法律を混同してはならない。極東国際軍事裁判は、文字どおり「裁判」
 なのである。裁判は法にもとづいて裁くのであって、感情や道義で裁くのではない。法
 のないところに裁判はあり得ない。もしも一般的感情論で逮捕され、処刑されるような
 社会があるとするならば、それは文明社会でも、法治社会でもない。未開・野蛮時代へ
 の逆行である。  
・もとよりわれわれは、戦争を憎む。それがたとえ、侵略戦争であろうと、防衛戦争であ
 ろうと、戦争それ自身が「罪悪」であると、私は考える。だが、遺憾ながら現在の国際
 法では、戦争を「犯罪」とするような法律はどこにも見当たらないのである。のみなら
 ず、国際法は、防衛戦争を容認し、これを認めた上に立って、その方法論にだけさまざ
 まな規定を設けているのである。
・戦争に勝ったからといって、戦争の一切の責任を負けた国の指導者や国民に負わせ、自
 分たちの都合のいい、敗者だけを裁く急ごしらえの法律をつくり、これを昔にさかのぼ
 って裁いたのが東京裁判である。しかも、国際軍事裁判という、もっともらしい体裁を
 整え、法律の名において復讐心の満足と、占領政策の効果をねらった欺瞞性は、なんと
 しても二十世紀のおける人類文明史の最大汚点といわなければならない。
・「極東国際軍事裁判」において、インドのパール博士は、A級戦犯二十五名の被告に対
 し、全員無罪の判決を下した。全員無罪を判決したのは、十一名の判事中、パール博士
 ただ一人であった。東京裁判を構成した国は、当時、連合国として日本と交戦したアメ
 リカ、イギリス、ソ連、フランス、中国、オランダ、カナダ、オーストラリア、ニュー
 ジーランドの九カ国と、フィリピン、インドを加えた十一カ国であった。
・法廷はインド、オランダ、フランス、フィリピン、オーストラリアの各判事の少数意見
 の判決を認め、これを法廷記録に集録しながら、多数派意見をもって全裁判官の判決な
 るがごとき形式をよそおい、これのみを公開の法廷において宣告し、少数いけんの宣告
 はしなかったのである。これは公開の原則ならびに宣告の原則を無視した違法手続きで
 あった。 
・パール博士は、「ナチのごとく長きにわたって独裁政権が維持され、ヒトラーをめぐる
 少数犯罪者によって戦争が遂行されたのと、満州事変以来、何回となく内閣が更迭した
 日本の政情とを混同してはならなぬ」と前提して、検察側がデッチ上げた共同謀議論な
 るものを全面的に否定している。
・A級戦犯の彼らはこのような非道を果たして部下に命令したのであろうか。この第二次
 大戦において、非戦闘員の大量殺戮を命令したものがあるとすれば、それはトルーマン
 大統領が広島・長崎に投下を命じた原爆の悲劇である。これこそ人道の名において裁か
 れるべきである。
・今日、世界各国が理解している戦争犯罪者ということの意味は、戦争の法規、慣例を犯
 した罪という意味で、その実例として常に挙げられているものは、@非交戦者の戦争行
 為、A掠奪、B間諜、C戦時反逆、の四つであって、戦争自体を計画し、準備し、実行
 したことを罪とする、というようなことは、ポツダム宣言当時の文明各国の共通観念で
 はなかった。 
・トルーマン大統領は「世界の歴史がはじめってから初めての、戦争製造者を罰する裁判
 が行なわれつつある」と声明したが、いったい戦争製造者を処罰する法則や法律が、国
 際的に、いつ、どこで認められたというのであろうか。いやしくも、あるいは法則が国
 際法となるには、世界各国がこれに関与するか、あるいは、多年の慣行で、人類の承諾
 した観念が生じたとき、初めて認められるのである。  
・平和に対する罪を裁く裁判である以上、国際裁判の構成は、当然に、戦争の勝敗とは関
 係なく考えられるべきである。すなわち、あくまで厳正なる国際法廷において、国際法
 に準拠し、世界各国民に対して普遍的になされるべきものである。裁く者は戦勝国民だ
 けで、裁かれる者は戦敗国民だけであるというのでは、公正なる国際裁判ということは
 できない。 
・被害を受けた国が、敵国国民に対して、刑事裁判権を行使することは、犯罪者側の国民
 からは、正義というよりむしろ復讐であると考えられ、したがって将来の平和保障の最
 善策ではない。戦勝国による戦争犯罪人の処罰は、国際正義の行為であるべきものであ
 って復讐に対する渇望を満たすものであってはならない。敗戦国だけが自己の国民を国
 際裁判に引き渡して、戦争犯罪に対する処罰を受けさせなければならないというのは、
 国際正義の観念に合致しないものである。戦勝国もまた戦争法規に違反した自国民に対
 する裁判権を、独立公平な国際裁判所に進んで引き渡す用意があって然るべきである。
・幾十万という女・子供を含めた銃後の非戦闘員を、一瞬にして皆殺しにしてしまった原
 子爆弾の投下を、命令し授権した責任者が、なんら戦争裁判の対象ともならず、問題と
 もされなかった事実。中立条約を一方的に踏みにじって、満州になだれこみ、婦女子を
 強姦し、住民の財産を掠奪し、大量の日本人をシベリアに連れ去って虐待し、奴隷労働
 を強いたソ連の非常無惨なる行為がまったく容認されたかたちで、東京裁判は終わった
 のである。  
・原子力時代の今日、戦争が正義の行為などと信ずる人は、ほとんどおるまい。もしおる
 とすれば、それは、ほんの一部の職業軍人か、ナショナリズムの囚となった狂信的な政
 治家か、それとも軍需産業で巨利を得ている資本家くらいなものであろう。
・戦争、これこそ、人類の最大の恥辱であり、最大の犯罪であり、最大の悲劇である。一
 部の職業軍人や、駆り出された将兵が、「戦場」という一定の地域内で、殺し合い、傷
 つけあって勝敗を決していた時代ならばいざ知らず、もはや今日の戦争は、前線も銃後
 もない。否、核戦争には、敵も味方もなく、中立国もないといわれている。ボタン一つ
 で、ほんの一瞬に、数百万人の敵国の人民が、この地上から姿を消してしまう。その報
 復はただちに他の敵国の人民を、さらに大量に殺傷する。この核兵器の投げ合いは、同
 盟国の軍事基地にも打ち込まれるであろうし、放射能の毒素は地球を覆い、ついには全
 人類にその禍害が及ぶであろう。  
・現在の国際社会は「力の支配」する社会である。戦争を肯定し容認する、無法・無政府
 社会である。各国は独立の存在であって、どんな統制にも服さず、かつ自己より上位の
 ものを認めない。国家主権は最高絶対であって、これを規制し、または限定する法律も
 なければ、政府もない。それぞれの国家には、法律があり、政府があり、法律を施行す
 るところの警察があり、司法裁判所がある。国内の平和はこれによって保たれている。
 しかるに、ひとたび国際社会になると、政府も法律も警察も裁判所もない。いわゆる無
 法、無政府社会である。無法社会を支配するものは暴力である。武力肯定、戦争容認の
 社会である。このような社会にあっては、平和は保たれようはずがない。そこに存在す
 るものは、現に見るごとき、力の政策であり、軍拡の悪循環であり、戦争の恐怖である。
・一切の戦争を悪とし、戦争の準備をなしつつあるもの、戦争を開始したもの、戦争を遂
 行したもの、これらを処罰するところの世界法の制定が必要である。平和に対する脅威、
 平和の破壊および侵略行為に関する行動を厳格に規定し、その違反者は、集団全体であ
 ろうと、個人であろうと、これを処断することができる法律の制定が必要である。この
 ような法律の制定がなされたとき、初めてわれわれは、戦争犯罪者を裁くことができる
 のである。法律おないところに法律をつくり、戦勝の余勢を駆って、敗戦国に対して復
 讐裁判を行うがごとき野蛮なる行為が、どうして平和に寄与することができるだろうか。
・戦勝国の国民であろうと、敗戦国の国民であろうと、万人すべての法の前には平等であ
 るという鉄則が貫かれないかぎり、われわれの渇望する法の支配する世界共同体の形成
 は不可能である、というのである。 
・国際法にもない罪名をもって起訴したり、戦勝国の裁判官だけで国際裁判所を構成した
 り、事後法まで犯して日本の過去の戦争を裁いたり、勝手に侵略戦争の定義を下したり、
 その犯罪を個人にまで及ぼしたりといった、この一連の不法行為は、いったいどのよう
 な名目によって行われたかというと、それはマッカーサーがつくった「極東国際軍事裁
 判所条例(チャーター)」によるものである。 
・このチャーターは、戦犯とは何であるかを定義し、平和に対する罪、人道に対する罪を
 勝手に定め、これによって裁判をせよと命じ、同時に裁判官の権限さえも規定したので
 ある。それが国際法とどんな関係に立つのか、実定法や慣習法とどんな関連があるのか、
 将来の国際社会に及ぼす影響は何であるか、そうしたことには一切おかまいなしに、至
 上命令として発せられたのである。 
・国際軍事裁判はあくまで国際法によって裁く裁判でなければならない。法の根拠はすべ
 て国際法にあるはずだ。戦勝国だけが集まって、裁判のやり方をどうするかということ
 を決めるのはまだしもとして、法の根拠である国際法までもねじ曲げ、勝手な解釈や定
 義を下すことは許されない。ましてこれが国際法に優位するものだなどということは、
 とんでもない越権である。 
・このような裁判を行えということは、それ自身本裁判所は、司法裁判ではなくして、た
 んなる権力の表示のための「道具」であることを証明するものである。これこそ復讐の
 欲望を満たすために、法律的手続きを踏んでいるようなふりをするものだ。
・いかに戦勝国といえども、かかる裁判を施行するための、法律を確定する立法の権限は、
 国際法も、文明国も認めていない。
・この条例なるものは国際法とはなはだしく矛盾したものであり、戦勝国の司令官によっ
 て作文され、戦争犯罪の親観念まで創作したものである。いかに戦勝国の最高司令官が
 絶大なる権力をもっているにせよ、国際法までねじ曲げて、これに従って裁判せよと判
 事たちに命令することはできないはずである。法律に準拠しないで、予定された意図を
 遂行するために、裁判を行なうのであれば、初めから裁判所など設置しないで、いきな
 り被告たちを処刑したほうが、簡明直截である。それをわざわざ手数をかけて、ものも
 のしく国際軍事裁判所と銘打って、「平和に対する罪」「人道に対する罪」などと、も
 っともらしい罪名のもとに裁判をしたことは、自己の復讐意志を公正らしく見せるため
 の欺瞞行為といわざるを得ない。 
・復讐の権利は別として、戦勝国は疑いもなく、戦争法規に違反した人びとを処罰する権
 利を持っている。しかしながら、戦勝国が任意の犯罪を定義したうえで、その犯罪を犯
 した者を処刑することができると主張することは、そのむかし戦勝国が占領下の国を火
 と剣をもって蹂躙し、その国内の財産一切を、公私を問わず没収し、住民を殺害し、あ
 るいは捕虜として連れ去ることを許されていた時代に逆戻りすることにほかならない。
・法はさかのぼらず(法の不遡及、事後法の禁止)ということは、法治社会における根本
 原則である。これを侵すことは、罪刑法定主義の違反である。およそ法治国家、文明国
 家においては、あり得ないことである。しかるに、東京裁判においては、これをあえて
 侵しているのである。 
・日本のA級戦犯は、法律によらずして逮捕され、拘禁され、処罰されたのであって、明
 らかに罪刑法定主義を蹂躙したものであり、人権を踏みにじったものである。文明に対
 する冒とくといわざるを得ない。人権宣言は、暴虐なる封建的専制政治に対して、民衆
 が血をもって闘いとった尊い遺産である。二十世紀の今日、みずから文明国と称する連
 合国が、勝者のゆえをもって、権力を濫用し、人権宣言を蹂躙し、裁判という形式をと
 って、この暴挙をあえてしたことは、文明の恥辱として、後世史家の弾劾を受けること
 は当然であろう。
・全面的な完全なる無条件降伏であったとしても、「占領なくして制服はないが、しかし、
 占領と制服を混同してはならない」のである。すなわち、「占領は武力をもって敵の領
 土を占有することであり、その領土を十分に占拠し終わると同時に、その行為は完成さ
 れるものである」「交戦国は敵の軍隊を殲滅し、その全領土を占領し、もって武力戦を
 終熄せしめた場合でさえも、その占領した領土を併合することによって、敵国家を滅亡
 させることを択ばないかもしれない。そして敗戦国と講和条約を締結し、その政府を再
 建し、そして占領した領土の全部あるいは一部をその政府に返還するかもしれない。征
 服は、交戦国が敵の軍隊を殲滅し、その領土を占領したのち、その占領した領土を「併
 合」することによって、敵の存在を破壊した場合に初めて起こるものである。それゆえ
 に、征服とは、正しく定義すれば、戦争において交戦国の一方が、他方の軍隊を殲滅し、
 その国を占領したのち、その領土を併合することによって、その国を「滅亡」させるこ
 とである。いずれにしても日本は、征服されたものではなく、併合されたものでもなく、
 滅亡させられたものでもない。敗戦国として「主権」は存在しているのである。「たん
 なる占領、敗北、あるいは条件付き降伏、または無条件降伏は、決して、敗戦国の主権
 が、戦勝国に付与されたことを意味するものではない」ということは、国際法学会の定
 説である。戦勝国が戦敗国の人民を、勝手に、審理もせずに処刑したり、奴隷にしたり、
 陵辱したりしたのは野蛮時代のことである。
・国際連盟では戦争を非難している。しかし侵略戦争をやった国の個人を、政府、国家で
 なく、一人一人の個人を犯罪とするような規定はまだ設けていない。
 
太平洋戦争はなぜ起きたか
・A級戦犯のA級たるゆえんは、満州事変このかた、太平洋戦争にいたるまで、日本が行
 ったいわゆる「侵略戦争」に対して、被告が共同謀議に参画したか否かによって、逮捕
 状が出されていたからである。
・検察側がこの裁判に「共同謀議」なるものを持ち込んだのは、ニュルンベルク裁判の模
 倣である。長きにわたるヒトラー独裁政権の戦争計画をそのまま日本にあてはめ、ヒト
 ラーの独裁政権と日本の十一代にわたる内閣とを同一視したところに、そもそもの根本
 的な誤りがある。  
・1928年以来、東條内閣の成立まで、十四の異なった内閣が成立し、瓦壊している。
 しかもその瓦壊の原因は、ほとんどが国内的な事情、閣内の不一致や、テロや、疑獄事
 件や、議会の反対、軍部の反対、などによるものであって、決してヒトラー政権のよう
 に、長期独裁政権ではなかったのである。  
・原子爆弾はすべての利己的な人種感情を破壊し、われわれの心の中に、人類和合の念を
 目覚めさせたと、これを投じた側の国では宣伝しているが、果たしてそうだろうか。人
 種的偏見は、まだ世界のいたるところに潜んでいはしないか。最初の原子爆弾の実験台
 として、決して彼らは白人国を選ぶようなことはしなかったであろう。これを投下した
 国から、われわれはいまだに、真実味のある、心からの懺悔の言葉を聞いていない。
・ソ連は日本の戦力が完全についえ、国内は原子爆弾の洗礼で動転しているとき、しかも
 日本国政府が最後の頼みとして、ソ連を通じて和平交渉を依頼しているとき、突如、な
 だれ打って満州に侵略してきた。日ソ中立条約は、スクラップペーパーとして破棄され
 た。終戦一週間前のことである。国際条約の違反は、ソ連にこそあって、日本にはなか
 ったのである。その日本が、ソ連の検事や判事に裁かれ、これを無条件で支持したのが
 米英であり、連合国の判事・検事であったというこの事実は、まさに笑えぬ喜劇である。
 ソ連の満州侵入は、言語に絶するものであった。掠奪、強姦、暴行の数々は、世界の戦
 史の上にも特記されるべきものであろう。婦女子は暴行を受け、戦争にはなんら関係の
 ない移民までが、俘虜の名で、何万、何十万とシベリアの牢獄に送り込まれ、強制労働
 に服せられた。国際法上の戦争法規の違反は、公然と行われたのである。俘虜・戦犯と
 いう名の奴隷生活は、何年も続けられた。奇妙なことに、東京裁判はこれについては一
 言も触れることを許されなかった。
・ソ連に、日ソ中立条約の破棄をそそのかしたのは、アメリカとイギリスである。三国の
 背信行為によって日本は敗れたのである。その敗れた日本を、米英は侵略者ソ連と一緒
 になって、日本の防共政策は侵略の陰謀であったなどと、いかめしく、大まじめに宣伝
 し、「国際裁判所」を設け、国際法の名において裁いたのである。これほど国際法の冒
 とくが、いったいどこにあろうか。子供でもわかるような違法と矛盾にことさら耳をふ
 さいで、強盗が裁判官に居直ったのである。
・国際法の基本原理によれば、もし一国が、武力紛争の一方の当事国に対して、武器、軍
 需品の積み出しを禁止し、他の当事国に対して、その積み出しを許容とすれば、その国
 は必然的に、この紛争に軍事干渉をすることになるものであり、宣戦の有無にかかわら
 ず、戦争の当事国となるのである。 
・アメリカは1938年7月(太平洋戦争開始3年半前)から、日本に対して経済的な抑
 圧策をとりはじめた。そして、その翌年の39年7月に、対日通商条約を一方的に破棄
 し、日本に過酷な経済的重圧を加えてきた。つまりアメリカは、戦争の瀬戸際まで、日
 本経済を追い詰めていくことにより、日本の屈服を期待しようとしたのである。底の浅
 い日本経済はたちまちその影響を受け、日本の軍需産業はもとより、民間人の生活まで、
 その窮乏は及んだのである。
・ことに、石油の禁輸は、日本にとって全くの致命傷であった。日本の石油生産量は、需
 要の5パーセントに満たない。当時日本の石油貯蔵量は、日本海軍の通常消費で2年、
 戦時消費で半年分しかなかったのである。
・アメリカの軍法会議および上下医院の合同調査委員会で明らかにされたところによれば、
 日本の真珠湾攻撃によりも前に、ルーズベルト大統領は秘密命令を発して、戦争指令を
 していたことが判明し、アメリカの世論を愕然たらしめた。開戦当時、太平洋艦隊司令
 官は、その著「真珠湾の最後の秘密」の中で「真珠湾は日本に最初の一発を放たせるた
 めのオトリであった」と証拠をあげて、はっきりと告白している。日本を窮地に追い込
 み、日本を挑発することにより、日本に戦争をしかけさせ、これによってルーズベルト
 大統領は第二次大戦参加へのきっかけをつくった。
・効果的な禁輸がもっと早くから実施されなかったわけは、合唱国が当時日本に対して友
 好的であったからではない。当時一般に行われた見解は、もしも全面的な禁輸を実施し
 たら、日本は壊滅にいたるであろうということであった。そうなると日本は戦うより道
 はなくなる。しかし、そのときアメリカにはまだ対日戦争の危険を冒すだけの用意がな
 かった。ドイツが太平洋方面において、アメリカを攻撃することができないという店が
 十分確かめられるまでは、米国としては、うかうかと太平洋において全面戦争を招来す
 るようなことはできなかったのである。   
 
戦争における「殺人の罪」
・日本は盧溝橋事件以後の、日中の交戦状態について「事変」と称し、「戦争」とは呼ば
 なかった。もちろん宣戦布告という国際法上の手続きもとらなかった。それは当初、日
 本がこの紛争を局地にとどめようとした意図によるものであった。後には全大陸に及ぶ
 大戦争となったのであるが、日本がこれをあくまで戦争と名づけなかったのは、それに
 よってケロッグ・ブリアン条約の拘束からのがれることを期待したからでもあろうし、
 たんに宣戦を布告しないということにより、戦争を行っているという非難を逃れ、また
 戦争の遂行について、国際法によって課せられたる義務を回避することができると考え
 たからであろう。
・中国もまた、日本が真珠湾攻撃によって米国と交戦状態に入るまでは、この敵対行為を
 戦争と名づけることを欲しなかった。中国がこれを戦争と名づけることを欲しなかった
 のは、おそらく中国が、公然と戦争状態に入ることを極力回避することにより、中立諸
 国の援助をほしいままにすることができると考えたからであろう。
・米国もまた同様に、これを戦争と名づけなかった。おそらく米国は、交戦国への武器や
 軍需品の積み出しを禁止している「中立法の禁止事項」に触れることを恐れたためであ
 ろう。ともかく米国は、この敵対行為を戦争と認めず、中国への援助を継続する一方、
 日本と平和関係を続けてきたのである。それが後になって、実はあれは戦争であったと
 宣言し、その戦争行為を裁くというのでは筋が通らない。
・戦争という異常心理の中において、海外に送られた百万人の将兵の中には、たしかに残
 虐行為や非人道的行為が行われたであろう。もともと戦争そのものが残虐なものであり、
 非人道的な最たるものである。人道的な戦争などというものはありようはずがないので
 ある。「人道に対する罪」を裁くというならば、戦争そのものを裁かねばならない。戦
 争は殺人、強盗、掠奪、放火、暴行、およそ地上の悪虐を、国家行為の名において容認
 し、むしろころを名誉とするものであるからだ。国のためなら殺人、強盗もかまわない
 というのが戦争だ。裁かるべきは、国家主権の名をもって呼ばれるこのような国家行為
 であり、国家の意志でなければならぬ。
・東京裁判のねらいが、戦場における日本軍隊の残虐性を世界中に宣伝し、日本国民の脳
 中に拭いがたい罪悪感を烙印することがその一つであった。このために、おびただしい
 証拠と証人が市ヶ谷の法廷に集められた。  
・戦争というものは、国民感情の平衡を破り、ほとんど国民をして狂気に追い込むもので
 ある。同様に、戦争犯罪という問題に関しても、激怒または復讐心が作用し、無念も感
 に左右されやすい。ことに戦場における事件の目撃 というものは、興奮のあまり偏見
 と臆測によって、とんでもない妄想を起こしやすい。われわれは感情的要素のあらつる
 妨害を避け、ここにおいては戦争中に起こった事件について考慮をはらっていることを
 想起しなければならない。そこには、当時起こった事件に興奮した、あるいは偏見の眼
 をもった観測者だけによって目撃されたであろうという特別の困難がある。
・いったいあの場合、アメリカは原子爆弾を投下すべき何の理由があったであろうか。日
 本はすでに降伏すべき用意ができていた。ヒロシマに原子爆弾が投下される二ヶ月前か
 ら、ソ連を通じて降伏の交渉を進める用意をしていたのである。当時日本は、連合国と
 の戦いにおいて敗北したということは明白にわかっていた。彼らはそのことを十分知っ
 ていたにもかかわらず、実に悲惨なる破壊力を持つところの原爆を、あえて投下したの
 である。しかもこれは一種の実験としてである。われわれはそこに、いろいろな事情を
 汲み取ることができないでもない。しかしながら、これを投下したところの国から、い
 まだかつて真実味のある懺悔の言葉を聞いたことがない。これからの世界の平和を語る
 上において、そのような冷酷な態度が許されていいものだろうか。 
・原爆を投下するということは、男女の別なく、戦闘員と非戦闘員の別なく、無差別に人
 を殺すということである。しかも、もっとも残虐な形においての大量殺人である。瞬間
 的な殺人であるばかりでなく、放射能による後遺症は徐々に人体をむしばみ、戦争がお
 わってから後も、多数の市民が次から次へと倒れ、あるいは、悪性な遺伝子に悩まされ
 ている。生きながら地獄の苦痛にあえいでいる善良なる市民が、今日なお巷にあふれて
 いるのである。
・しかしながら、彼らの原爆投下の説明、あるいは口実は何であるのか、「もしこれを投
 下しなかったならば、幾千人かの白人の兵隊が犠牲にならなければならなかったろう」
 これがその説明である。われわれはこの説明を聞いて満足することができるであろうか。
 いったい、幾千人の軍人の生命を救う代償として、罪のない老人や子供や婦人を、ある
 いは一般の平和的生活を営む市民を、幾万人幾十万人も殺していいというのだろうか。
・戦勝国は、戦敗国に対して、憐憫から復讐まで、どんなものでも施し得る立場にある。
 しかし戦勝国が戦敗国に与えることのできない一つのものは「正義」である。少なくと
 も、もし裁判所が法に反し、政治に根ざすものであるならば、その形や体裁はどうつく
 ろっても、正当な裁判とはいえない。われわれのいう「正義」とあ「実は強者のための
 利益にほかならない」というような正義であってはならないのである。結局、この裁判
 は、「法」に基づくものではなく、要するに政治的・政策的なものであったというきわ
 めて割り切った、かつ峻厳な判定を下しているのである。
・人類は今世紀に入って二回も世界戦争を繰り返したが、その本質的な原因は何であった
 か。「公の秩序と安全」がつねに脅かされている。われわれはこれに対する将来の脅威
 をいかに防止するか、こうした問題が徹底的に究明されなければならなかったはずであ
 る。しかるに本裁判において「かような将来の脅威を判断する資料」は皆無であった。
 真に世界の平和と安全を保障する途は何であるか。これを脅かすものは何であるか。こ
 の脅威からのがれるためには、世界は将来どうあるべきか。このような重大なる問題に
 対する「証明すべき事実」は、なんら提示されなかったのである。
・当時、連合国の判事たちは、戦争に勝ち誇った自国の国旗を背景にして、ずらりと雛壇
 に並び、平和とか人道とか文明とかいう名のもとに敗戦国を裁いたのであるが、すでに
 その裁判の途中から仲間割れを演じはじめ、復讐裁判にプラス国家エゴイズムの醜悪な
 陰謀が渦を巻いていたのである。 

東京裁判のもたらしたもの
・この裁判を指令し、十一名の裁判官を任命して、裁判所条例までつくった最高の責任者
 であるマッカーサー元帥は、東京裁判から二年半の後、解任されて帰国した。彼は朝鮮
 戦争を拡大して、満州へ原子爆弾による爆撃を企画し、中央大陸への進攻を企て、アメ
 リカの指導者を狼狽せしめ、急遽呼び戻されたのである。帰国すると、彼はアメリカ上
 院において査問された。そのとき彼は「日本が第二次大戦に赴いたのは安全保障のため
 であった」と証言し、トルーマン大統領との会談においてははっきりと「東京裁判は誤
 りであった」と報告した旨、アメリカ政府自身が暴露的発表を行ったのである。
・およそ、あらゆる刑罰には基準があり、それが明文化されていて、裁判官はそれに準拠
 して判決を下すのが文明国の裁判というものであるが、東京裁判にはその基準たるべき
 ものが初めから何もない。つまり、刑量をはかる尺度がないため、判事たちは目分量で
 決めるほかなかったのである。感情で裁いたか、それともあらかじめ刑量を決めておい
 て、あとからそれに結びつけた、としか思われない。 
・この裁判所は、法律執行機関としての裁判所ではなくして、権力の表示としての政治機
 関であった。すなわち、この裁判は、法律的外貌はまとっているが、実は、ある政治的
 目的を達成するために設置されたもので、それは占領政策の宣伝効果をねらった「興行」
 以外のなにものでもなかったのである。
・この裁判の最中に、毎日流されていった法廷記事なるものは、半分は嘘であった。司令
 部が新聞を指導し、いかにも日本が悪かったのだ、日本軍人は残虐行為ばかりをしてお
 ったのだと、日本国内はむろんのこと、世界のすみずみにまで宣伝した。しかもわが方
 としては、これに対抗する手段は封ぜられていた。それゆえ、世間では、日本の旧軍人
 は、戦時中敵国の俘虜の虐待や、婦女の陵辱ばかりしておったのかしら、日本政府は強
 盗やギャングのような侵略戦争の共同謀議ばかりしておったらしい。マッカーサーは偉
 い。マッカーサーのおかげで、天皇閣下は戦犯ともせられず、お助かりになったのだ、
 というような感想を深く国民に植え付けてしまった。
・悪いことに、権力追随の事大主義的ジャーナリズムが、これを日夜煽りたてた。戦時中
 軍閥の意のままに操縦されたと同じように、占領軍の意のままに操られたのである。
 「真相はこうだ」という放送は毎夜続いた。昨日まで軍部に迎合していたいわゆる文化
 人も官僚も、たちまち豹変して、占領政策を謳歌し、軍部の悪口を並べたてた。「挙世
 滔々」という言葉があるが、まさしく世をあげて、流れる大河のごとく、日本の伝統や
 権威までも抹殺して、占領政策の片棒を担いだのである。 
・敗戦後、日本人が民族的自尊心を失い、卑屈になり、劣等感に陥ってしまったことは、
 否定できない事実である。敗戦を通じて、過去の日本のあやまりや失敗を正しく反省す
 ることは、当然のことであり、それは正しいことである。だが、不当なる劣等感に陥り、
 誤った罪悪感を抱くということは行き過ぎである。自分が罪を犯したという意識をもて
 ば、卑屈にならざるを得ない。この意識をことさらに煽りたて、事実をねじ曲げて、過
 去の日本のすべてを罪悪であると決めつけたのが東京裁判である。 
・当時アメリカは、東京裁判の被告は、A級戦犯の二十八名ではなくて、日本国民全体で
 あると公言していた。東京、幾万人というB・C級戦犯はもとより、日本の指導的立場
 にあった幾十万の人びとが、戦犯の名によって追放処分を受けた。そして残念なことに、
 日本国民のほとんど全部が、この占領軍の裁きを当然の処置として受け入れ、戦争に協
 力した罪を互いになすり合った。同胞間の醜い罪のなすり合いと、密告、讒訴が横行し
 た。国家・民族への忠誠心こそ、最高の道徳であると信じていた日本国民は、これがと
 んでもない間違いであったという宣告を受けるや、自分たちはいかに非国民的であった
 かということを公然と誇るようになり、ことさらに国を恨み、同胞を悪しざまにののし
 りはじめた。日本人として生まれたことは恥辱であるとさえ信じるようになった。価値
 は完全に逆転したのである。
・東京裁判を、多くの日本人は、平和と人道による正しい裁判である、妄信した。そして
 日本人はすべて、この断罪に服することによってのみ更生することができると信ずるよ
 うになり、「一億総懺悔」というような言葉が、まことしやかに唱導され、国民はこれ
 に服したのである。誇張していえば、日本民族あげて、前科者、または犯罪者として、
 見えざる捕縛につながれたのである。
・パイパンとはみずからの貞操を売って外国人に生活を依存する、不幸なる女性を指す
 言葉だが、戦後日本の政治・経済・文化そのものが、パイパン政治であり、パイパン経
 済であり、パイパン文化であった。その影響は今日に及んでいる。敗戦によって、日本
 に民主主義がもたらされたといわれる。人間性の解放とか、民主主義の発達とか、その
 言葉は美しいが、どう考えても、敗戦後日本人のモラルが急速に低下したのは事実であ
 り、そこから派生する戦後の日本の社会現象が、手に負えないものとなっていることも
 事実である。 
・国民は騙されたといい、指導者は責任のなすり合いをやり、いわゆる文化人は勝者にこ
 びへつらって、牛を馬に乗り換える。これが当時の風潮であった。日本の官僚、政治家
 をはじめ、学者やジャーナリズムの多くは、戦時中は軍部に、敗戦後はアメリカに、
 占領が終わると親ソ反米に傾く。それはちょうど、波が来ると、右へ左へ大きく揺れる
 木の葉舟のようである。あるいは、自分の色を持たない、変色自在なカメレオンのそれ
 である。この風潮は今日なおお尾を引いて、日本の社会心理をきわめて不安定なものに
 している。