故郷忘じたく候 :荒山徹

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この作品は、いまから15年前の2008年に刊行された「サラン・故郷忘じがたく候」
という短編集のなかのひとつだ。

「とき」という朝鮮国出身の女性が主人公だ。ときは、豊臣秀吉の命により朝鮮に出兵し
加藤清正軍の武将だった黒田孫兵衛に日本に連れ帰られ、妻となった女性であった。
これは朝鮮側から見れば、敵国に捕らわれ強制連行された女性ということになるのだが、
とき自身はそういう感情は持っていなかったのだ。
なぜなら、当時の朝鮮国は、両班という王族や貴族そして官僚・文人などの一部の特権階
層が支配する国であり、それ以外の農民や商人など下層の人々にとっては、差別的で不公
平な社会であり、下層に属したときにとっては、生き難い国だったからである。
ときは、心ならずも異国の日本に連れてこられたのであるが、武将の黒田孫兵衛が彼女を
正妻として迎え大切にし愛した。ときも孫兵衛に心を許し、二人は仲睦まじい夫婦として
暮らしていたのであった。ときにとって、日本での生活はとてもしあわせだったのだ。
しかし、日本と明・朝鮮との和平交渉が成立したことによって、そんなときのしあわせな
生活が一変するのである。
朝鮮国側は国の名誉を守るため、そして日本の徳川幕府側は朝鮮との交易回復による経済
的メリットを考えて、日本に連れてきた朝鮮人を朝鮮に返すことになったのだ。
しかし、すでに二十年近くも日本で暮らした朝鮮人たちにとって、祖国へ帰れと言われて
も、それぞれ事情が異なったはずだ。朝鮮国で特権階層にいた人々にとっては、再び特権
階層に戻ることであり、喜ばしい話だったのだろう。
しかし、ときのように、朝鮮国において下層階層にいた人々にとっては、それは必ずしも
喜ばしい話ではなかったのだ。
こうした事情を考慮せず一括りにして、国の名誉利益のために物事を決めらると、一般庶
民はただ翻弄され、苦しめられるだけなのだ。
国のため国家のため国民のためと、為政者や権力者は口にするが、実際は自分自身のため
に行動することが殆どだ。国民や庶民のことなど考えてはいないのだ。いつの時代も、ど
んな政権でも、その状況は変わらないのだ。特に政権が長期間長続くほど、このような弊
害は顕著に現れるのだ。この作品に出てくる朝鮮国の政権も二百年続いたという。

戦後の日本を振り返れば、一時は政権を失った時期もあるが、ほとんどが自民党政権が続
いてきた。最近の政治をみれば、このような弊害が大きく現れているように特に感じる。
われわれ一般の国民には、できることは限られるが、しかし選挙という制度がある以上、
長期政権を終わらせることは可能だ。われわれ一般の国民は、そのことをよく考えなけれ
ばならないのではと思うのだ。
そんなことを考えながら、この作品を読み終えた。

過去の読んだ関連する本:
耳塚賦
巾車録
韓国併合への道
鉄の首枷 小西行長伝
臍曲がり新左
利休にたずねよ



・「近く、韓使の一行が海を渡って参るそうな」
 下城した孫兵衛が、開口一番、ときに告げたのは、元和三年(1617)も半ば過ぎた
 七月初旬の、とある夕刻のことだった。前回の朝鮮使節の来日から、すでに十年の時が
 流れていた。
・大坂の豊臣氏が滅んだのは、二年前、慶長二十年五月のことだ。
 太閤秀吉の命じた出兵により国土を徹底的に蹂躙された朝鮮にとって、豊臣氏こそはま
 さしく不倶戴天の敵。いわば大坂の役とは、朝鮮に代わって徳川氏が成し遂げた、事実
 上の敵討ちにも等しい。 
・ときの思いは朝鮮に向かない。いつもの如く夫の胸宇に、ぴたりと心を寄せている。
 夫の貴田孫兵衛は、物頭禄三百石。肥後五十四万石という大藩にあっては小身ならが、
 先代加藤清正公の子飼いの武将たるを何よりの誇りとしていた。その清正公が逝去して、
 もう六年になる。
・足利幕府より、朝鮮からの使節は「通信使」と称していた。信を通わすという意味であ
 る。だが、前回から名称は「回答兼刷還使」となり、今回も変わりはないようだ、と孫
 兵衛は云った。 
朝鮮の役が終わって、もう二十年近い歳月が経過していた。あしかけ七年に及んだ出兵
 で、なるほど、数多くの朝鮮人が日本に渡ったのは事実である。けれど、それも当然だ
 った。 
 朝鮮という国は、徹底した身分差別制度を統治の根幹とし、両班と呼ばれる一部の特権
 貴族階層が、二百年にわたって大多数の常民、賤民を虫ケラの如く使役し、酷使してき
 た。
 そのような国に攻め入った日本軍が、朝鮮民衆から、いうなれば”解放軍”として歓迎さ
 れないわけがなかった。
・緒戦では破竹の進撃を示したものの、やがて戦局は日本軍に不利に傾き、秀吉の死で撤
 退が決まった。したがって、彼らに協力した多くの朝鮮人が海を渡って異国の土を踏ん
 だのは、やむを得ざることというべきであった。いや、それどころか、自ら積極的に日
 本に来ることを望んだ例を、ときは自分の目で見て知っている。
 たとえば、陶工たちがそうだった。母国で身分低き彼らは、自分たちの技術が日本では
 厚遇されると知り、匠、技術者の誇りにかけて日本行きをこいねがったのである。
・しかし、朝鮮本国は、彼らの実相を見ようとしなかった。朝鮮は文明国であり、その文
 明国に属する人間が、こともあろうに、倭人の住む未開の絶域に自らの意志で渡すはず
 がない・・・。 
 かく名分にこだわる両班たちが彼らに与えた呼称こそ”被慮”であった。すなわち、日本
 軍によって虜にされ、強制的に連れ去られた者たち、と一方的に臆断したわけである。
 よって朝鮮は、その名分にかけて、彼らの本国送還を推進した。それが被慮の刷還だ。
 使節の来日は、国書の交換とともに、被慮刷還を目的の一つとしていた。
・前回の朝鮮使節を迎えた慶長十二年(1607)、その意を受けた幕府は、帰国の意志
 ある朝鮮人に便宜をはかるようにと、各藩に対し厳しい通達を出した。にも拘わらず、
 このとき”母国”に帰ったのは千二百余人に過ぎなかったのである。
・「愚かなことよ。誰が帰りたいと願うだろうか。帰国とは、すなわち両班の奴隷たる身
 分に再び戻ることを意味するのだから」
 呆れ果てたように、苦笑交じりにそう歎息したのは、当時、清正公の側近として仕えて
 いた金宦で、ときはその場に居合わせて直接耳にした。
・ここ肥後の地は、清正公の徳を慕い、公に頼り、すがるようにして海を渡ってきた朝鮮
 の民が数多い。金宦なども、かつて朝鮮は咸鏡道で清正公が捕虜にした朝鮮王子の侍臣
 を務めていた人物なのである。
・その金宦は、公が逝去すると、「清正公に離れ、一日片時もながらふべきに非ず」と切
 腹をして果てた。 
・「もし里心がついたならば、そなたが朝鮮に戻るのを止めはせぬぞ」
 それは、以前にも夫が口にした言葉であった。
 それから十年が過ぎて、ときは四十四歳になっている。孫兵衛は五十二歳である。
 その言葉が、妻を気遣う夫の愛情から来たものであることを、ときは承知していた。
・孫兵衛の力強い手が肩にまわされ、分厚い胸板に引き寄せられた。ときは目を閉じた。
 そうされると、初めて出会った二十歳の時に戻ったようになる。夫の胸こそは、ときの
 祖国であった。 


・被慮刷還状況は、ときの予想した通りに推移した。帰国を望む朝鮮人は、前回にもまし
 て少なかったのである。
 大坂では、帰国準備の資金を与えておいた百七十人のうち、なんと半数近くが金を持ち
 逃げしてしまうという有り様だった。
・孫兵衛が重苦しい顔つきになって城から帰ってきた。かすかな不安がときの胸をよぎっ
 た。今までついぞ見たことのない夫の顔色だったからである。
 「何ごとがございました?」
・ときの問いに、孫兵衛は最初、言葉を濁そうとした。だが、険しい表情はそのままに、
 やがて重い口を開いた。
 「本日、八代のご家老様が、お城に参られてな・・・」
・八代のご家老様とは、筆頭家老の加藤右馬充のことである。
 右馬充は、ずばり本題に斬り込んだ。
 「ご妻女を朝鮮に帰すつもりはないか」
 予期だにせぬ言葉に、孫兵衛は措辞を失った。  
・右馬充は理詰めで論を進め、
 「幕府は、朝鮮との国交をことのほか重んじておるようだ。されば、肥後領内の朝鮮人
 どもを、他藩より一人でも多く帰国の途に就かしむることこそ、将軍家の御意に叶うと
 いうものであろう」
・十年前に来日した韓使に、豊前小倉の細川忠興は四十人を送還したという。
 では、当肥後藩は今回、五十人は帰さねば面目が立たぬ、と右馬充は続けた。
・「それでは、わたくしの妻も差し出せと仰せになりますか」
 「なんとかご妻女を説き伏せ、帰国に同意させてくれぬかと頼んでおるのだ。ご妻女も
 年であろう。ひょっとしたら、内心ひそかに故郷に帰りたがっておるやもしれぬではな
 いか」 
・「お断り申し上げます」
 「ご妻女との絆は、このわしも知らぬわけではない。しかし、もとはと申せば、そこも
 とを殺そうとした朝鮮女ではないか」


・ときは目がくらむ思いであった。孫兵衛に随って日本に渡ってから、すでに二十五年近
 くの年月が流れている。人生の半分以上を、この国で、孫兵衛と連れ添って生きてきた
 のだ。それを、今さら朝鮮に帰れとは、あまりにむごい仕打ちとしかいいようがない。
・「案ずるな、とき」
 「いざとなれば、わしは武士を捨てる。そしてな、そなたについて朝鮮に渡ろうぞ」
 「かつては、そなたがわしについてきてくれた。今度は、わしがそなたについてゆく番
 が巡ってきたのかもしれぬ」 
 それは孫兵衛の偽らざる思いだった。
・こともあろうに家臣の妻を離縁に追い込まんとして恥じぬ藩に愛想が尽きた。その落胆、
 失望もあったであろう。まして、二人の間には子もなく、いずれ親戚の中から養子を迎
 え貴田家を継がせることにはなっていたが、しょせんは取り潰されて構わぬ身の上であ
 り、家門であった。 
・「けれども、朝鮮はわたくしの故郷ではございませぬ。故郷でないところに、なんで戻
 れましょう」
・故郷どころか、ときにとって朝鮮とは、彼女の人生を踏みにじった国であった。
 戦乱の中で孫兵衛と運命の出会いをし、自分は生まれ代わったのだ・・・と、ときは思
 っている。
 自分のほんとうの人生は、孫兵衛と出会った二十歳の時に始まったからなのだ。そして、
 孫兵衛という、たった一人の男のため、愛する男のためだけに生きてきたのだから。
・加藤家の家臣団はこの頃、二派に分裂していた。筆頭家老加藤右馬充を領袖とする一派
 と、清正の従弟婿である加藤美作を頭に戴く一派とである。孫兵衛は美作派である。
・夜も更けて美作の屋敷から戻ってきた孫兵衛は、弾んだ声で、ときに笑顔を向けて告げ
 た。
 「美作様はおっしゃられたぞ。右馬充の仕儀、あまりに理不尽なり。かかる理由で家臣
  の妻女を生別させては清正公以来の義がすたる、とな。もはや安心じゃ、とき」
・それから数日は何事もなく過ぎた。隠居したとはいえ、いまだ藩政に隠然たる力をふる
 う加藤美作が、約束どおり孫兵衛の後ろ盾もなってくれているに違いなかった。
・その間にも、ときの耳には、さまざまな風聞が入ってきた。肥後領内で朝鮮人が狩り立
 てられ、加藤右馬充の別邸に監禁されている、と。その数は五十人になんなんとしてい
 る。夫と引き裂かれた妻がおり、妻と別れさせられた夫がいた。老いた老父母を後に残
 さねばならぬ者もいた。子を生した者は、わが子を手放すよりほかになかった。倭奴と
 の混血児を連れ帰ることは韓使がよろこばぬであろう、との判断からだという。
・ときの憤りは、右馬充一派には向かわない。昔もそうであったように、憤怒の鉾先は朝
 鮮に対してのみ向けられた。彼女の生まれ、育ちからして、その思考のありようは当然
 のことだった。朝鮮は両班の国である。彼ら両班が帰国事業を推進するのは、倭地に暮
 らす民を哀れむという、あくまでもその名分ゆえだ。結局のところ、他ならぬ自分たち
 のためにすぎぬのである。それがときには、なんとも憎らしかった。
・その朝、いつもと変わらず出仕していた孫兵衛が、変わり果てた姿で戻ってきた。


・葬儀が終わるまでを、ときは夢うつつの中で過ごした。あまりに突然のことに、感情の
 整理がつかなかった。
 悲しみはもちろんのこと、夫が死に至った原因を聞けば、憎しみを感じて当然であった
 のに。
・ある日、登城した孫兵衛は、主君忠広の面前に呼び出された。忠広の傍には加藤右馬充
 が端座していた。孫兵衛の顔が硬直した。右馬充は藩主を動かすことに成功したのであ
 る。
・「孫兵衛、妻女を朝鮮へ返すのじゃ」
 十七歳の少年藩主は、英邁な父君の血を引いたとはとても思われぬ愚鈍な顔を向け、
 うつろな面持ちで云った。
 それが一人に人間にとって、武士にとって、どれほどの屈辱的なことであるかを、まっ
 たく理解していない表情だった。ついで、これでよいかと確認を求めるように右馬充の
 ほうを向いた。
・孫兵衛は伏せていた面を振りあげた。血の気の失せた真っ青な顔が、君主とは名ばかり
 の、実のところ筆頭家老の操り人形にすぎぬ少年を見据えた。
・「ひっ」
 次の瞬間、忠広の口から小さな悲鳴があがった。孫兵衛の全身から放たれた殺気の嵐を
 浴びたのだ。孫兵衛は憤怒の形相になって立ち上がった。すわ乱心かと、右馬充が忠広
 を庇って脇差の柄に手をかける。と、仁王立ちになった次の瞬間、孫兵衛の身体がゆら
 りと傾いた。六尺余の巨体はそのまま前のめりに倒れ、凄まじい音を立てて畳を震わせ
 た。
・加藤美作が広間に飛び込んできたのはこの時である。美作は、孫兵衛が主前に呼びつけ
 られたことを聞いて右馬充の企みを察知し、主君を諫止すべく息急き切って駆けつけた
 のである。だが、遅かった。美作が孫兵衛を抱き起こした時、すでに事切れていた。
 死因は、今でいう脳溢血であった。
・そうした事情を、ときは葬儀の前に美作が差し向けた用人の口から聞かされた。
 すなわち、夫を死に追い込んだのは藩主加藤忠広と家老加藤右馬充であり、その源を遡
 れば、自分の体面のために”被慮”の刷還に拘泥する朝鮮使節であった。
・放心状態にあったときに代わって、葬儀のいっさいを仕切ったのは、一門の最長老格で
 ある 貴田勘解由であった。その勘解由が、親類一同が居並ぶ中、ときに告げ渡した。
 「とき殿、そなたは朝鮮に戻っていただくより他にない」
 その一言で、ときはおのれが身を襲う現実と向き合わざるを得なくなった。
・むごいことだった。夫を失ったばかりの女に対して、余りに残酷な仕打ちと言わざるを
 得なかった。  
・「わたくしは髪を下ろして尼になるつもりです。孫兵衛の菩提を弔うために」
 あえぐようにときは云った。方便ではなく、本心からである。
 孫兵衛に丹心を捧げ尽くして生きてきた女に、尼になること以外、この先ほかに何がで
 きるというのか。
・「それはならぬ。とき殿があくまで我を張り通すというのであれば、嗣子なきこの家は
 武家の掟どおり取り潰しとなろう」
 「我を張り通したところで、帰国は絶対命令じゃ。とき殿は縄に括られてでも朝鮮に送
 り返されよう。されば貴田の家は跡絶え、孫兵衛の菩提を弔うことも叶わなくなる」
・「美作様は・・・」
 咄嗟にときは、縋るような思いでその名を口にした。そうだ、この絶望的な苦境を救っ
 てくれる者がいるなら、加藤美作をおいてはないはずだった。
・勘解由は無言で、この時初めて双眸に憐みの光を浮かべた。その瞬間、ときはすべてを
 察した。
 かつて美作は云った。かかる理由で家臣の妻女を生別させては清正公以来の義がすたる、
 と。生別、つまり孫兵衛が生きていればこその”義”なのだ。
・その日のうちに、ときは加藤右馬充の屋敷に身柄を預けられた。収監であった。
 屈強な体躯の腰元が二人、身の回りの世話をすると称して、四六時中ときにぴたりとつ
 いて離れなかった。ときが絶望の余り自害しないかと警戒しているのである。
・「自害はせぬ!」
 ときは、自分にそう云い聞かせた。唇をかみしめて強く念じ、ともすれば挫けそうにな
 る気力を奮い立たせ続けた。
・「あなた、ときは意地を立て通してご覧に入れます」
 孫兵衛の魂に呼びかけた。
 背筋を鋼のように伸ばして端座し、鋭い眼光で虚空を見据えて動かぬときから、警固の
 腰元たちは頬を緊張に硬くして、一瞬たりとも目を離すことができなかった。


・二十四年前、西暦でいえば1593年のこと。ときは二十歳だった。
 朝鮮の普州は九万の日本軍に包囲された。その前年十月、細川忠興、木村常陸介、片桐
 且元ら二万の軍兵が普州城を攻めて陥落を果たせず、その腹いせのため、秀吉が再度の
 攻略を諸将に厳命したのだった。
・細川忠興らによる前年の攻撃は、全羅道への侵攻、制圧を目的として行われた。
 しかし、それから一年足らずで日本軍は王都漢城からの撤退を余儀なくされ、明との間
 に講和交渉を進めている最中であった。今さら全羅道に攻め込み、これを経略する実力
 は残っていなかった。
・熱心な講和推進派である小西行長は、そうした内情を明側に極秘通報し、普州の兵を救
 うためには城を明けるのが最善の方策である、と促したほどである。
 それに理ありとみなした明軍は、当然、普州城への援兵を見送った。
 当の朝鮮軍にしてからもそうであった。
・前線で王命を代行する都元帥の金命元らの諸将は、こぞって普州城を見捨てて後退する
 か、あるいは遠地から傍観した。
・悲劇を招いたのは、普州城に、金千鎰という名の五十八歳になる倡義使が入城したこと
 による。
 あるがままを直視せず、空理空論を弄ぶのは両班の常である。
 現実を把握しないこの老義兵将は、理念のみを徒にして絶叫し、信州の民を強制動員し
 て防戦準備を進めた。
・九万の日本軍に対する朝鮮軍の兵力は三千八百人。ときを含む六万の普州の民は、日本
 軍に包囲される前に、劣勢の朝鮮軍によって虜にされたも同然だった。
・全羅兵使の宣居怡は普州城を訪れ、撤退を助言した。どう見ても籠城は無謀である。
 民が犠牲になるのを憂慮してのことだった。しかし、金千鎰は首を横に振った。
・加藤清正、黒田長政、鍋島直茂、島津義弘、小西行長、宇喜多秀家らは三隊に分かれて
 陣形を組み、普州城を攻囲した。見渡す限りの倭兵に取り囲まれた普州の民は戦慄し、
 自分たちの運命を悟らざるを得なかった。
・その日から八日間にわたって継続した籠城戦は、軍によって戦闘に駆り立てられた老若
 男女にとって、まさしく生き地獄の一語に尽きた。 
・金千鎰の手兵は漢城で召集した者たちで、ほとんど役に立たなかった。
 彼らを率いる金千鎰にしてからが、自信だけはたっぷりなくせに、軍事を知らない役立
 たずなのだった。
・かくして、普州六万の民の運命は、軍事を知らぬ軍人の、あるいは功や名誉を欲する将
 帥の、死出の道連れとなることに決せられたのである。
・加藤清正の軍が、新案の攻城兵器・”亀甲車”を繰り出して普州城の城壁を突き壊すこと
 に成功すると、日本軍は城内に一斉になだれ込んだ。落城には必ずつきものの凄惨な殺
 戮が始まった。
・長い戦国の世を戦い抜いてきた日本軍にとって、城の籠る者はすべて兵士だった。
 一方、無益な戦いを構えて民を虜にし、督戦するだけ督戦して酷使し、結局は死に駆り
 立てた将軍たちは、彼らは、城の南を流れる南江に臨み、次々に身を投じていった。
 これが彼ら両班たちの名誉の”戦死”なのであった。
・ときは、そうした普州城の悲惨な戦いを生き延びた一人である。そして後になって知っ
 た。金千鎰らが普州三忠将として国家から大いに称賛されていることを。
 

・熊本平野を一望に収め、天下の名城も眼下に望んだ、その立田山の一角に今、目にも鮮
 やかな緋毛氈が敷き詰められ、時ならぬ酒宴が催されていた。
 阿蘇山に水源を発する白川が山麓を刻んで、自然の望楼ともいうべき断崖絶壁を形成し
 た辺りである。被慮を連れ帰るべき熊本に現れた韓使を迎接するための、これは宴であ
 った。
・紅葉はまだ盛りというには間があるが、葉の淡い色づき以上にこの場を艶やかに盛り上
 げているのは、花の如く咲き乱れ、蝶もかくやと飛び回る、美しく着飾った女たちの一
 群だった。熊本城の腰元、女中衆がほぼ総動員されているのである。
 韓使の後ろには徳川幕府が控えている。宴席が盛大かつ華やかなものにならざるを得な
 い所以であった。 
・韓使はすでに機嫌よく酔っていた。
 主席からやや離れた辺りに、異様な姿の一団があった。
 酒肴を山と積んだ卓子を囲みながら、それに手をつけるでもなく、互いに話をするでも
 なく、通夜の席の如くにうなだれ、打ちひしがれていた。本来なら、この宴の主役とし
 て遇されねばならない刷還被慮たちであった。
 その数、きっかり五十人、加藤右馬充が必死になってかき集めた成果である。
 宴に先立ち、ここで韓使に引き渡されたのだ。
・韓使は最初、ねぎらいの言葉をおざなりにかけたのみだった。
 それきり、もう彼らに見向きもしなかった。
 五十人の中に、彼らの同類たる両班が一人もいないと聞いた以上、下賤の者たちに親し
 く口をきく謂れなどなかったからである。
・時間の経過とともに、彼らは次第に飽き始めた。
 彼らの関心は倭国の女たちに移り、そして被慮の中にも、熊本城選りすぐりの美女衆に
 勝るとも劣らぬ、極上の女がいることに気づいた。
・「あの女をこれへ」
 好色な関心を隠さぬ声で韓使は云った。
 通辞たちが伴ってきた小袖の女を見るや、右馬充、美作らの顔が僅かに引きつった。
・女とは、ときであった。しかし、すぐ彼らは、具合の悪いような感情も忘れて、惚けた
 ようにときに魅入った。それほど、この日のときは美しかった。
 これまでの清楚な優雅さとは打って変わり、この世のものとは思えぬ妖しい艶美さで、
 若いきらびやかな腰元たちを圧倒していた。
 韓使がときに目を止めたのもぬべなるかなであった。 
・ときは両手を支えたが、面は下げず、とろけるような微笑を浮かべて韓使を見つめた。
 うっとりとなっていた韓使の顔に、不審の色が滲み、すぐに驚愕となって弾けた。
 韓使は思わず叫んだ。
 「もしや、そちは論介と申す普州の官妓ではないか」
 

・ときの目にも驚きがあった。至近で見る韓使の顔に、かつて見知った者の面影に留めら
 れていた。
・「わしは雀弘宇じゃ」
 韓使は自ら名乗った。まさしく、普州城の守将の一人、雀慶会の甥である弘宇だった。
 雀慶会の率いる部隊の軍官を務め、叔父の権威をかさに、城中で大層な羽振りをきかせ
 ていた男。では、生き延びていたのだ。民衆を戦闘に駆り立て、悲惨な目に合わせてお
 きながら、この男はのうのうと命永らえていたのだ。
・「これには驚いたぞ。普州に論介ありと知られた伝説の名妓がまさか倭国で生きていた
 とは。しかも、昔にまして美しい」
・雀弘宇の好色な視線に弄ばれるがままに、ときは頬を染め、上体を艶めかしく揺すって、
 恥じ入るような声で答えた。
 「故郷忘じたく候」
・雀弘宇は笑い出した。当然のことながら、倭地に暮らして汚れた身で故郷に帰るわけに
 はいかない、という意味に解釈したのである。 
・「よいわ。しょせんは妓生の身じゃ、恥ずることなど何もない。朝鮮に戻ったれば、
 なんなりとわしを頼って参るがよいぞ。さあ、もっと近う寄れ。わしとおまえの仲では
 ないか」
・妓生とは、遊宴などで歌舞を売る芸妓のことをいう。官庁に属する者を特に官妓と呼び、
 官吏として赴任する両班の侍寝もつとめた。身分的には最下層の賤民で、奴婢随母法
 いう法律により、妓生の娘は妓生として生きる宿命だ。論介の母も妓生であって、つま
 り論介は生まれた時からその人生を朝鮮という国家、両班という特権階層に、踏みにじ
 られてきたのである。
・金千鎰らが籠城を始めた時、論介は百人近い同僚官妓たちとともに、将軍たちの夜の相
 手をつとめなければならなかった。姜希悦ら二十四将すべてが、慰みのため論介を抱い
 た。将軍たちは、昼間は熾烈な戦闘に民衆を追い立て、夜ともなれば矗石楼で性の狂宴
 を催していたのである。
・普州城が陥落して、論介が日本軍の捕虜になった。見方を変えるなら、彼女は日本軍に
 よって救われたのである。このとき論介の胸は、彼女の二十歳の肉体を汚し尽くした将
 軍たちへの憎悪と侮蔑で、張り裂けんばかりだった。
・金千鎰、雀慶会らは、結局、自らの手では敵を一人も殺すことなく、女のように川に身
 を投じて死んだのだ。
・ならば、わたしが自分の命と引きかえに倭将を一人、殺してみせる。
 日本軍に対する憎悪からではなかった。
 朝鮮への忠節でも、殉国でもない。
 意地立て、それだった。
・自分を差別した国に対し、せめて賤民であっても、このくらいのことはできるのだと、
 あてつけでやりたかった。無能で、尊大なだけの将軍たちを、辱めてやりたかったので
 ある。 
・日本軍は普州占領を祝って盛大な酒宴を開いた。場所は、普州城の南側を流れる南江の
 ほとり、矗石楼である。その宴席に論介は侍らされた。生き残った官妓たちが一緒だっ
 た。
・隙を見てその場を離れ、南江を万丈の真下に望むけわしい岩のいただきに立った。
 論介は苧の白衣を優美になびかせて舞い踊りつつ、倭将を手招いた。
 矗石楼の倭将たちは、酔った勢いで歓声をあげて応じるものの、彼女が待つ危険な場所
 に近づこうとする者はなかった。
・と、論介は危うく足を滑らせかけた。一人の倭将が矗石楼から下りたのは、この時であ
 る。微醺を帯びた足取りで近づいてくると、論介の前に立った。
 顔立ちこそ厳つくて豪快だが、どこか温かなものを感じさせる武士だった。論介を見か
 ねて救けに来たのである。しかし、それを気にしてはいられなかった。
 論介は差し出された手に掴まって立ちあがると、縋りつくふりをして両手をその武士の
 腰に巻き付けた。論介の体重がかかって、酔っていた武士の大勢が崩れた。それこそ論
 介の待ち望んだ瞬間だった。すべての力を込めて足下の岩場を蹴り、武士を抱えたまま
 崖に飛び込んだ。
・論介の願いは、しかし、叶えられなかった。最初のうちこそ水中に、南江の水底に沈ん
 でいく感覚があったけれど、まもなく身体は押し上げられるように浮上していった。
 武士が力強く水を蹴っているのだ。ぐんぐんと上昇する感覚が論介をうっとりと酩酊さ
 せた。いつしか彼女が武士を抱えるのではなく、武士が彼女をしっかりと抱きすくめて
 いた。  
・水の上に顔が出た。武士は大きく息を吸った後、論介の顔を食い入るように見つめ、そ
 れから豪放に笑い出した。
 「その意地、気に入った。どうだ、おれの嫁にならんか」
 それは日本語だった。にも拘わらず、不思議なことに、論介は即座に貴田孫兵衛の言葉
 の意味が理解できたのである。

・さあ、もっと近う寄れ、わしとおまえの仲ではないか。そう云って、雀弘宇がときの手
 を取り自分の膝に引き寄せるや、加藤右馬充が眉宇を顰めた。二十四年前、右馬充は矗
 石楼の宴席におり、孫兵衛がときを救ける一部始終を見ていた一人である。
 その後、夫婦となった孫兵衛とときの仲がいかに睦まじいものであったかも知っていた。
・ときを朝鮮に返上するよう画策したのは、あくまでお家大事の一念からであり、他意は
 なかった。結果、あたら忠臣を一人死なせてしまい、その妻だった女が、昔の経緯はど
 うであれ韓人に引き寄せられるのを見ては、黙っていられなくなった。
 「故郷忘じたく候」というときの言葉を、右馬充なりに解釈して云った。
・「されど使者殿、これなる女性は、かつて普州にて我らが武将を一人、殺さんと謀った
 のでござる。貞女、烈女と申すべきではありませぬか」 
・雀弘宇は、たわごとを聞いたとでもいう表情になって答えを返した。
 「官妓は淫娼なり、貞烈と称すべからず」
・右馬充はうなだれ、ときを哀れみの目で見た。だがこの時、右馬充に目に映ったのは、
 艶やかな笑みを浮かべ、妖しく身をくねらせて韓使にしなだれかかっていくときの姿だ
 った。 
・甘い声で何ごとかを韓使の耳に囁いているのに、通辞、訳官たちが眉根を寄せ、顔を見
 合わせているだけなのを見れば、聞き取れなかったのではなく、訳すに値せぬ痴語なの
 だろう。
・まもなく韓使は、酔った笑い声をあげ、ときを抱きすくめながら立ち上がった。一同が
 唖然として見守る中、二人は蹣跚とした足取りで踊り始めた。それはさながら、毒虫と
 美蝶の舞いだった。毒虫が美蝶を手中に収めたと見えて、その実、美蝶が毒虫を誘引し
 ているのである。 
 誘っている。酒席から徐々に離れて、白川を見下ろす断崖絶壁へと。