耳塚賦 :荒山徹

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この作品は、いまから15年前の2008年に刊行された「サラン・故郷忘じがたく候」
という短編集のなかのひとつだ。
愛蓮という女性が主人公で、愛蓮は明智光秀の側室の子だという設定である。明智光秀が
本能寺で織田信長を討ったあと、備中高松城を攻めていた羽柴秀吉が、一転、敵の毛利と
講和し、電光石火のごとく軍を返して明智軍を破った。光秀は敗走中に横死。光秀の居城
であった坂本城では、明智秀満がもはやこれまでと明智一族の子女を残らず刺殺し、自ら
は天守閣に火を放って自刃した。しかし、愛蓮だけがひそかに城を抜け出して舟で逃れ、
その途中で嵐にあって漂流し、朝鮮に流れ着いたというのである。
そこで申恪という朝鮮の将軍に救われ、愛蓮は申恪の妾となって、幸せな暮らしをするよ
うになっていた。
しかし、秀吉が朝鮮出兵を命じて、日本の大軍が朝鮮に進攻してきたのである。
愛蓮は一度ならず二度までも秀吉によってその人生を踏みにじられたのだ。

ところで、この明智光秀という人物であるが、謎の部分が多く、子供が何人いたのかとい
うのも、しっかりした定説はないようだ。
3男4女だったという説もあれば、いやいや側室を含めて6男7女だったという説もある
ようだ。そう考えると、この作品のように側室の子が密かに逃れ、偶然にも朝鮮に流れ着
いたという話も、あり得ない話でもないかもしれない。

この豊臣秀吉が朝鮮出兵をした時代の朝鮮半島は、この作品のなかにも記されているよう
李氏王朝の時代で、西人と東人の2つの(貴族官僚支配)の勢力が、主導権争いを続け
ていた時代だった。貴族官僚支配による圧政や腐敗政治のため国は疲弊し、一般民衆は貧
しく、軍事力も貧弱な状態だったようだ。
そんな状態だったから、1592年4月に始まった文禄の役では、朝鮮軍は各地で敗北を
重ね、豊臣軍は開戦後半月で首都の漢城まで攻め進むことができたようだ。勝負にならな
かったのだ。
朝鮮国内の民衆の中には、それまでの貴族官僚支配による圧政や政治腐敗に不満を持って
いた人々も多く、豊臣軍に味方した民衆も相当数いたと言われている。政治腐敗は亡国を
招くのだ。
翻って現代の日本を見たときに、今の日本の政治は、はたして真っ当な政治と言えるのだ
ろうか。私にはすっかり腐敗してしまっているようにしか見えないのだが、どうだろうか。

この作品の中に出てくる言葉に、
「いたずらに隣国の武を懼れ、国防に力を傾けるは、国庫を空費し、民を疲弊させるばか
りである」
というのが出るくるが、なんだか今の日本にピタリと当てはまる言葉のように私には思え
た。

過去の読んだ関連する本:
韓国併合への道
鉄の首枷 小西行長伝
臍曲がり新左
利休にたずねよ



・自分を見る家中の目が一夜にしてこれほど変わろうとは、愛蓮には信じられない思いだ
 った。驚きという以上に、悲しみが強かった。愛蓮が日本の女であることは、誰知らぬ
 者ない公然周知の事実である。
・萬歴二十年(1592)四月のことである。李朝二百年の王都たる漢城は一片の急報に
 激震した。
 「海を渡って倭奴の大軍が押し寄せ、鎧袖一触、釜山城を陥して北上中である」
・日本軍の来寇は、朝鮮にとって全く不意打ち、というわけではなかった。その可否を巡
 って国論が二分し、一部では着々と国防準備も進められていた。 
・そもそもは、海を隔てた隣国に、新たな覇者が誕生したことに端を発した。その名を豊
 臣秀吉という。
 この者に不穏の兆しあり。その真意を探察すべく、朝廷は百五十年ぶりに通信使を日本
 に派遣した。
 漢城に帰還した両使は、自らの眼でしかと観た秀吉の状貌を王前で復命した。
・秀吉の来寇、有や無しや。朝論は紛々として一に帰し難かったが、やがて大勢は副使の
 主張に傾いた。すなわち兵禍は無かるべし、と。
・いたずらに隣国の武を懼れ、国防に力を傾けるは、国庫を空費し、民を疲弊させるばか
 りである。さらに武臣をつけあがらせることになりかねない。
・東班(分臣)と西班(武臣)を以て両班(支配貴族階級)としながら、その実、この国
 の権力構造は歪なまでの文臣優位となっていた。
 文臣から見れば武臣など牛馬にも等しい。武は賤しむべきもの、武臣にはいかなる権限
 も委譲したくない。それが文臣たちの本音であった。 
・とはいえ、万が一の場合も考えておかなければならない。朝廷は、辺地の行政官にすぎ
 なかった李舜臣ら一部の武臣を抜擢し、全国の要衝地に配置した。
 また、名のある将軍を呼び寄せて漢城に住まわせた。これは、いわば、待機命令に等し
 い措置である。愛蓮の夫、申恪もその一人であった。
・漢城への異動が発令されると、恪は病床の妻を一族の者に任せ、妾の愛蓮を連れて平山
 を発った。それがちょうど一年前の四月下旬のことである。
・もう十年、正確には九年だった。その頃から愛蓮は秀吉を知っていた。一度だけだが直
 接目にしたこともある。父に連れられて登城した安土の城で、主君織田信長を囲む綺羅
 星の如き宿将たちの中に秀吉を見た。あの頃は確か、羽柴秀吉を名乗っていたはず。
・秀吉、抜け目のないお調子者。あの男が、海を渡って異国を攻める?この朝鮮を侵寇す
 る?いいえ、考えられない。
 でも、秀吉が天下を獲ることだって、あの頃は考えられもしなかったではないか。
・秀吉の来寇など、愛蓮は想像すらしたくなかった。
 大きな戦乱もなく二百年の太平楽を謳歌する文の国、朝鮮。
 百年以上も戦国乱世が続き、各地に割拠した群雄が我こそは天下の覇王たらんと、武器
 を求め、兵を養ってきた武の国、日本。
 彼我の差はあまりに大きい。朝鮮は手ひどく踏みにじられるだろう。つまり愛蓮の幸福
 が蹂躙されるのだ。しかし、それを憂いたところで、女の身一つではどうすることもで
 きない。
・秀吉は攻めて来ないのではないか。時が経つほどに警戒的な空気が薄れ、楽観の雰囲気
 が広がっていった。弘文館の副提学に昇進した金誠一が、”行き過ぎた国防”に警鐘をな
 らし、李舜臣の罷免を王に上奏したと耳にしたのは、去年の秋頃であった。


・敗戦の報せは連日のように王都にもたらされた。次々に落城しているという。敗戦が一
 つ届くたび、愛蓮に向けられる家人の視線はますます冷たく、険しさを増した。
 彼らの目は、日が経つにつれ、あからさまな敵意を含み始めた。もはや女主人を見る目
 ではなく、朝鮮を寇する倭奴の一味と糾弾し、烈しく睨みすえる目だった。
・私は日本の女ではあるませぬ。朝鮮の女なのです。もう十年も前から、朝鮮の女になる
 と誓って生きてきました。秀吉を憎む思いは、あなたたちの誰より強いのです。なぜな
 ら、秀吉はこれで二度もわたしの・・・。
・男たちは疑惑の目を向けさえした。倭の間諜ではあるまいか。朝鮮を探る意図を以て、
 この国に流れ着いたのではなかろうか。そして、あの美貌と色香で旦那さまを骨抜きに
 し、妾の座にありついたのだ。
・殆どの家人が愛蓮に厳しい敵意と疑惑、憎悪を向ける中にあって、一人だけ味方と呼べ
 る下女がいた。最も年の若い香丹である。今年二十歳、愛蓮より六歳年下で妹のように
 可愛い香丹は、控え目で物静かな娘ながら、家中の敵意から庇うようい常に側を離れな
 かった。
・漢城は日に日に混乱を増していった。高位高官の者が家族を郷里に送り始めた。王宮の
 下人が市場で縄鞋(貴人の外出靴)を買い占めたことは、王が今日にも都落ちするとい
 う噂となって、漢城を烈風のように駆け巡った。誰もが浮足立った。
・直ちに宮中では王の都落ちが決定された。北の平壌に輿駕を遷し、宗主国である明に援
 兵を請うのである。
・月のない夜、王都は大混乱に陥った。暗闇の中、あらゆる衝突が繰り返された。
 炬火を点すのを極力ひかえているのは、自分たちの漢城脱出を民に悟られ、行く手を遮
 られはしないかと高位高官が怯えたからである。
 なにしろ彼らは、守るべき民を弊履の如く見捨ててゆくのだ。
・「どういうことだ、愛蓮」
 思いもしない姿に身を変えた愛妾を見出した。
 美しかった黒髪をざっくりと切り落とし、白布で鉢巻を締めている。
 男装というより、これはもはや軍装である。その周りには武具が並べられていた。
・「愛蓮もお連れ下さいませ」
 覚悟の込められた、凛烈な声音だった。 
・「女の身で何を申す」
 愛蓮が後ろの壁にすっと手を伸ばした。長さ七尺近い棒が立て掛けてあった。一方の端
 に、幅広い短刀が結わえつけられている。愛蓮が自ら作ったものらしく、朝鮮の武器の
 月刀、狭刀に似てはいるが、柄の長さに占める刀の割合は幾分小さい。
・「薙刀」と愛蓮は云った。
 刹那、恪は思わず後ずさった。
 「豊臣秀吉は、父の敵なのです」
 

・明智光秀は正室妻木氏との間に三男三女を儲けたが、その他にも側室から二人の庶子を
 得た。どちらも女児で、愛蓮はその年長にあたる。
 長岡忠興に嫁いだ異腹姉の玉子(ガラシヤ)とは四歳の開きがあった。幼少より愛くる
 しい美貌で父の寵愛を独占し、長ずるにつれて武芸を好み、いつしか荒馬を乗りこなし、
 弓射を能くし、薙刀にも長じた異能の姫君に成長した。
・十年前、愛蓮が十六の年、父光秀が主君織田信長を討った。天正十年(1582)六月、
 いわゆる「本能寺の変」である。
・備中高松城を攻めあぐねていた羽柴秀吉が、一転、敵の毛利と講和し、電光石火の早業
 で軍を返すと、これを山崎の天王山で迎え撃った明智勢は、一大敗北を喫して自潰、光
 秀は敗走中横死、と伝えられた。
 光秀の女婿である明智秀満は、もはやこれまでと覚悟した。明智一族の子女を残らず刺
 殺し、自らは天守閣に火を放って腹を切った。
・この凄惨な落城劇に、本来なら愛蓮も命運を共にしているはずであった。だが愛蓮は、
 義兄秀満の手にかかり従容と死ぬよりも討死を選んだ。ひそかに誂えてあった甲冑を装
 い、二の丸い急いだ。
 阿鼻叫喚の渦巻く中、厩舎にたどり着き、馬にうち跨ろうとしたその時、
 「姫さま」
 振り向くと、老臣安江助右衛門が、片足を微かに引きずり近づいてきた。
・「討って出られますや」
 「供してくれるか、じい」
 声が弾んだ。その一方で、助右衛門の笑顔に涙ぐみそうにもなる。
・助右衛門は、光秀が浪人をして全国を放浪していた頃からの忠実の従僕で、光秀の信頼
 ことのほか厚く、戦場にあっては常に傍に仕えたが、伊勢長嶋の一向一揆に臨んで被弾、
 片足が不自由となり愛蓮の守役として付けられていた。  
・「さすがは光秀さまの御姫君。喜んでお供つかまつりまする。だれど、姫さま、明智の
 血を絶やしてはなりますまいぞ」
 「何を云うのじゃ」
 助右衛門が大刀の柄頭で愛蓮の鳩尾を突いた。愛蓮は気を失って馬上から崩れ落ちた。
・目覚めたのは、助右衛門の背に負ぶわれ比良の山中を進んでいる時だった。坂本城が燃
 えているのが木の間から望見された。愛蓮は助右衛門をなじった。泣き喚いて、城に戻
 ると云い張った 
 「明智の血を絶やさぬためでございます」
 それだけを繰り返した。結局、愛蓮は折れたのである。
・「毛利を頼る」
 それが助右衛門の策であった。
・助右衛門は漁師から舟を買い受けた。なれる山中の強行軍で疲労の極に達した愛蓮のた
 めであった。小さな帆掛け舟を、助右衛門は巧みに操った。
・その夜、暴風雨が舟をさらった。助右衛門の腕がなかったら、凄まじい風浪に舟はたち
 まち転覆していただろう。夜明けとともに嵐は去った。だが、もはや沿岸は見えず、舟
 は西へ西へと流されていった。水も食料もすぐに尽きた。
・漂流してどれだけ日を重ねたのだったか。励まし続ける助右衛門の声を遠く、憔悴の果
 てに愛蓮はついに意識を失った。  
 

・気がつくと、布団の中に寝かされていた。心配そうな顔でのぞき込んでいる助右衛門が
 眸に映じた。
 助右衛門は滂沱の涙を流して愛蓮の恢復を寿いだ後、
 「どうか、驚きになりませぬよう」
 卒然と容色を改めて告げた。
・「姫さまが今おわすは、朝鮮国でございます」
 なんと舟は異国に流されてしまったのである。
 「されどご心配には及びませぬ。この助右衛門、実は朝鮮の出なれば」
・そうとわかればわかったで、新たな不安が込み上げた。朝鮮のことは何一つ知らない。
 無事に日本へ帰してもらえるのか。そもそも、日本から来たと知られて無事に済むもの
 なのか。 
・夢現の境で見た謹厳武骨な風貌が、たちまち心に蘇った。では、あれが申恪だったのだ。
 「あの男ならば・・」
 信じていい。それこそ女の直感で愛蓮は思ったことである。
・山野が紅黄に色づき始めた頃、愛蓮は助右衛門に自ら云った。
 「じい、わたしに朝鮮の言葉を教えて」
 凛とした声音に、助右衛門は言葉の裏に込められた決意を悟った。
 「では、姫さま・・・」
 「そうです。わたしは朝鮮の女になろうと思うのです。日本には帰らない。際限のない
 殺し合い、奪い合いを続けて已まないあの血みどろの国になぞ、もう帰りたくないので
 す」
 「明智の再興など考えない。秀吉を父の敵を討とうとも思いませぬ。そのようなことよ
 り、朝鮮の女として、この平和な美しい国で、新しい人生を生きてみたい。じい、これ
 は明智の女として許されないことでしょうか?」
・助右衛門は老いた頬を濡らした。
 「許すも許されぬもありませぬわ。姫さま、お心のままにお生きなされい」 
・愛蓮の願いを、恪はすんなり許した。向化倭人という言葉がある。
 李朝は倭寇懐柔策の一環として、日本人の朝鮮籍帰化(向化)を積極的に認めていた。
・愛憐は恪に自らの素性を明かさなかった。朝鮮の地とはいえ、明智光秀の娘が生きてい
 ると知られたら、後々どのような禍を招くか。それを恐れたのだった。父母にもらった
 名前を捨てることにした。朝鮮の女として生きる以上、当然の覚悟である。朝鮮名は自
 分で決めた。屋敷の中庭に大きな蓮池があり、毎朝そこに咲く花を恪が愛でていると知
 って、愛蓮と。
・年が明けて愛蓮は十七歳になった。恪は愛蓮を妾として正式に娶った。
 恪は愛蓮より二十年上の三十七歳である。二人の仲は傍目にも睦まじく、正夫人の鄭氏
 が黄海道平山の本宅で病身だったこともあり、以後、赴任地には必ず愛蓮を伴った。 
・愛蓮は幸福だった。彼女の幸せを見届けて、まもなく助右衛門は大らかな笑みを老顔に
 刻んで逝った。その急な死と、恪との間に子供が恵まれないことにさえ目をつぶれば、
 愛蓮はどんな嘆きとも悲しみとも無縁といってよかった。
・「どうか愛蓮をお傍に」
 己が素性をすべて明かし、今一度、恪に迫った。
 今の愛蓮には、恪の傍にしか身のおきどころはなかった。そして恪は一徹な武人である。
 緒戦で確実に死ぬだろう。ならば武臣の妻として殉じよう。異国の漂流者たる彼女を慈
 しみ、戦乱の日本では考えられなかった幸福を与えてくれた。この世で唯一無二の男に、
 顔所の心にあるのは、添い遂げたい、その思いだけだった。
・「たわけ!」
 「わしは朝鮮のために戦うのではない。儒教の経文を諳んじるしか能のない蛆虫どもの
 国に命をかけるなど真っ平だ。わしはな、愛蓮、おまえを守るために戦うのだ」
 愛蓮の胸はわなないた。
 「案ずるな」
 「わしは、そう簡単には死なぬよ」
 

・王が民を見捨てて都落ちしたことに激昂した民衆は、暴徒と化して王宮に押し入り、掠
 奪をほしいままにしたあげく、非人間的な身分制度で差別されてきた日頃の憤懣を晴ら
 すべく、壮麗な宮殿に次々と火をかけてまわったのである。すなわち、朝鮮軍が守るべ
 き王都は、敵の侵入を受けずして灰塵に帰してしまったのだった。
・朝鮮軍の兵力はわずか一千。その実質的な士気は申恪に委ねられていた。
 上官の金命元は還暦を来年に控えた老齢の文臣であり、作戦の立案すらその手に余った。
・敵は加藤清正、鍋島直茂の率いる第二軍、朝鮮軍の実に二十一倍の兵力であった。
・「怯えるな。敵はたやすく河を渡れぬはずぞ」
 しかし、日本軍が鉄砲を撃ちかけ始めると、もういけなかった。漢江の河幅は射程距離
 を優に上回る。冷静に見極めれば誰にも分かることであったが、緑の対岸が幔幕を張っ
 たように一斉に白煙に包まれ、次の瞬間、凄まじい轟音が河面を揺るがすや、兵士たち
 は被弾したかのような恐怖にかられて逃げ出した。
・いや、真っ先に逃げたのは・・・
 「元帥、何処へ行かれますや!」
 甲恪は語気鋭く叫んだ。
 金命元が官服を目立たぬ平服に改め、側近たちと馬に乗ろうとしていたのである。
・都元帥は、名ばかりの幕僚を従え北に逃れ去った。総司令官が真っ先に戦線から離脱し
 たのである。 
 士気は一気に阻喪した。兵士たちは我先にと潰走した。
 一度決壊した堤の水勢は、恪の手を以てしても止めることができなかった。
・「これでは戦にならぬ」
 やくなく恪は彼らを率いて漢城の東北、揚州の地へと向かった。
・日本軍は、漢城に入城を果たすと、いったん進撃を中止した。
 偵察、あるいは食糧を調達すべく小隊が近郊各処に放たれるは必定である。
 その動静を探りつつ、恪は山中で兵を鍛え、策を練った。  
・陣を撤して北に向かった直後、日本軍の一部隊と遭遇した。まさに出会い頭だった。
 敵は百人を数え、牛馬を牽き、食糧を荷車に満載して麓路を南下してくる。
 山中の村を掠奪して漢城に戻る途中と見えた。
 荷車には数人の女たちも乗せられていた。いずれも惨たらしく半裸に剥がれ、倭兵が下
 卑た笑い声を浴びせている。
・「かかれっ」
 侵略者への憎悪をたぎらせた彼らは、恪以上の阿修羅と化して奮闘する。
 数で勝る倭兵が不利だったのは、まず以て朝鮮兵の憤怒があたるべからざる勢いだった
 ことに加え、遭遇戦では彼らの恃む鉄砲が役に立たなかったからである。火縄に点じて
 いない者が殆どだったのだ。そのうえ掠奪の成果に酔い、実際に美酒をくらって大半が
 酔っていた。
・息絶えた倭兵の数は六十余。恪の部隊は二人が深手を負ったほかは、被害損傷というほ
 どのものは特にない。小規模な戦闘ながら、まぎれもない勝利。撤退に撤退、敗北に敗
 北を重ねてきた朝鮮軍にとっては、これこそ初めての勝利であろう。
・最も昂奮したのは、部隊と行動を共にした伝令の姜炳錫だった。
 「国王陛下に報告せねば、王はどんなにかお喜びになるでありましょう」
 感涙に咽ぶ声で幾度も繰り返した。
・「勝利の証が必要です」
 急ぎ平壌に戻って捷報を伝えるべく、炳錫はそう力説した。戦勝の証とは、無論、首級
 のことである。
・「人数は出せぬ」
 格はにべもなく云った。王の歓心を買うために人を割けるわけがなかった。
・「されば、耳を」
 炳錫は執拗に食い下がった。証拠がなければ務めは果たせない。
 「よかろう」
 余儀なく恪は諒とした。
・そもそも、戦場において敵を殺した証拠に左耳を切り取ることは、朝鮮が宗主国と仰ぐ
 中華の伝統的な作法なのである。
・屍から一体残らず左耳が切り取られていった。いかにも柔らかそうな耳片が小さな山を
 成して積まれていく。恪は眉をひそめた。吐き気を催す光景だった。やがて、六十余枚
 の耳を数え終えると、炳錫は布袋に納め、意気揚々と北に駆け去った。  
・格は一部の兵士たちの不審げな様子に気づいた。彼らは倭兵の屍を指さしながらしきり
 に首をひねっている。
 どの屍にも、喉首に矢が深々と突き立てられていた。
 「私たちの矢ではないのです」
 朱塗りの矢を指して、一人が困惑したように云った。
 

・小枝をかき分ける物音で愛蓮は目を覚ました。
 次第に音は近づきつつあった。敗残兵か?愛蓮は静かに朱塗りの矢をつがえた。
 昨日、恪の小隊に敗れた掠奪隊の生き残りが、漢城に戻る道を失って、歩き迷ってい
 るに違いない。 
・弓を引き絞りつつ愛蓮はまたも自問した。
 なぜ自分は恪の前に姿を晒さなかったのだろうか、と。
 いや、これまでのように、ひそかに後を追うだけでもよかったのだ。
 だのに、どちらもできなかった。
 倭兵の屍に遺した朱塗りの矢で、恪は愛蓮の存在を知ったはず。だからこそ、だった。
 情理を尽くして平山へ帰れと論してくれた恪を、結局は裏切った。 
・男が姿を現わした。愛蓮は弦を戻した。白いチョゴリとパヂの上下、黒の長胴衣に青い
 帯。彼女と同じ朝鮮の軍装である。
・「泳煥」
 愛蓮は叫び声を上げた。おとこはまさに家令の金泳煥だった。
・「奥さまっ」
 愛蓮と認めるや、泳煥はその場にがばっと這いつくばった。
 「どうぞ、わたくしどもをお許しください。奥さまの心がわからず、なんとも愚かで恥
 知らずな振る舞いを・・・お詫び申し上げます」  
・「なぜ、ここにいるのです」
 泳煥は汗をかきかき説明した。
 王の元へ首を運ぶには人数を割くのを拒んだ申恪が、愛蓮を必ず探し出すようにと命じ
 郎党七人をことごとく放ったのだという。
 「絶対に連れ戻して参れと、それは厳しいお申しつけで」
 「この先、臨津江に面して大灘という村がある。そこで陣を布いて待っているとのこと。
 奥さま、どうぞ私の馬をお使いくださいませ」
・愛蓮は馬を駆った。一心に、北へと向かって。
 緑の樹々の中、金糸銀糸の錦繍で縫い上げられた堂々たる副元帥旗をはじめ、各種の戦
 闘旗、督戦旗が色鮮やかに川風に翻っている。
・愛蓮は馬を進めた。近づくにつれ、副元帥旗の横に燈竿の如く一本な青竹が高々と立て
 られているのが目に入った。竹竿の先には燈籠が掲げられている。
 あれは何という燈籠だろうか。燈籠にしては、ゆらりと重たげに風に揺れているようだ
 けれど。愛蓮は目を凝らした。

・申恪の最期については各種の朝鮮史料がこぞって記している。
 すなわち、漢江撤退の原因は申恪の不服従にありと金命元が弾劾し、これを受けて右議
 政の兪泓は恪の斬首梟門を上奏した。
 王が裁可し、刑を執行すべく伝令が派遣された。その後申恪の初めての勝利の捷報がも
 たらされたので、朝廷は直ちに中止命令を出したが、もはや手遅れであった、と。  
・五年後の朝鮮再出兵、いわゆる慶長の役に際し、豊臣秀吉は朝鮮軍兵に対する大規模な
 鼻切りを命じた。
 「秀吉は、朝鮮人に罰を与えようと意図したのではないだろうか」
 と推察されている。
 切り取られた鼻は、十五の桶に塩漬けされて日本へ送られ、慶長二年(1597)九月、
 京都方広寺の大仏殿前の塚に埋葬されて、盛大な法要が営まれた。
 本来なら鼻塚と呼ばれてしかるべきその塚は、なぜか「耳塚」と呼ばれ今日に至ってい
 る。あたかも耳を切り取られた者をこそ弔うかのように。