臍曲がり新左 :藤沢周平

冤罪 (新潮文庫 ふー11-4 新潮文庫) [ 藤沢 周平 ]
価格:880円(税込、送料無料) (2023/1/2時点)

藤沢周平句集 (文春文庫) [ 藤沢 周平 ]
価格:770円(税込、送料無料) (2023/1/2時点)

藤沢周平のこころ (文春文庫) [ 文藝春秋 ]
価格:825円(税込、送料無料) (2023/1/2時点)

藤沢周平とどめの一文 (新典社新書) [ 半沢幹一 ]
価格:1100円(税込、送料無料) (2023/1/2時点)

海坂藩大全 上 [ 藤沢 周平 ]
価格:1760円(税込、送料無料) (2023/1/2時点)

海坂藩大全 下 [ 藤沢 周平 ]
価格:1650円(税込、送料無料) (2023/1/2時点)

用心棒日月抄 (新潮文庫 ふー11-1 新潮文庫) [ 藤沢 周平 ]
価格:880円(税込、送料無料) (2023/1/2時点)

麦屋町昼下がり (文春文庫) [ 藤沢 周平 ]
価格:748円(税込、送料無料) (2023/1/2時点)

花のあと (文春文庫) [ 藤沢 周平 ]
価格:682円(税込、送料無料) (2023/1/2時点)

風の果て 上 (文春文庫) [ 藤沢 周平 ]
価格:748円(税込、送料無料) (2023/1/2時点)

風の果て 下 (文春文庫) [ 藤沢 周平 ]
価格:682円(税込、送料無料) (2023/1/2時点)

海鳴り 上 (文春文庫) [ 藤沢 周平 ]
価格:737円(税込、送料無料) (2023/1/2時点)

海鳴り 下 (文春文庫) [ 藤沢 周平 ]
価格:737円(税込、送料無料) (2023/1/2時点)

秘太刀馬の骨 (文春文庫) [ 藤沢 周平 ]
価格:704円(税込、送料無料) (2023/1/2時点)

新装版 闇の歯車 (講談社文庫) [ 藤沢 周平 ]
価格:583円(税込、送料無料) (2023/1/2時点)

新装版 市塵(上) (講談社文庫) [ 藤沢 周平 ]
価格:748円(税込、送料無料) (2023/1/2時点)

新装版 市塵(下) (講談社文庫) [ 藤沢 周平 ]
価格:748円(税込、送料無料) (2023/1/2時点)

喜多川歌麿女絵草紙 (講談社文庫) [ 藤沢 周平 ]
価格:682円(税込、送料無料) (2023/1/2時点)

闇の穴 (新潮文庫 ふー11-14 新潮文庫) [ 藤沢 周平 ]
価格:649円(税込、送料無料) (2023/1/2時点)

一茶 (文春文庫) [ 藤沢 周平 ]
価格:726円(税込、送料無料) (2023/1/2時点)

この作品は1974年に発表された短編の時代小説で、「冤罪」という短編集の中の一つ
だ。
内容は、治部新左衛門という臍曲がりの武士が主人公なのだが、新左衛門とその一人娘の
葭江、そして隣家の倅・平四郎の三人の組み合わせが、なんとも面白い。思わず頬が緩ん
でしまう。
ただ、この作品では新左衛門は臍曲がりだということになっているのだが、読んでみると、
臍が曲がっているのは、新左衛門の周囲の者たちで、新左衛門の臍が一番真直ぐなように
私には思えた。
ところで、この作品の中に、治部新左衛門の昔の思い出として朝鮮出兵の話が出てくるの
だが、私にとってこの朝鮮出兵というのは、いまだによくわからない。なぜ朝鮮出兵をし
たのか。何が目的だったのか。戦場はどういう状況だったのか。謎だらけだ。ただ、この
とき、戦場となった朝鮮において相当ひどいことが行われたことは確かなようだ。


・藩中で、治部新左衛門ほど人に憎まれている人物はいない。
・元和元年の夏、大坂の役があって、旧豊臣の勢力が潰えたあと、天下はひそりと鳴りを
 静め、新左衛門のように若い頃から戦場を駆け廻った人間には、それこそ欠伸が出るほ
 ど退屈な世の中に移って行くようであった。
・藩中の評判がよくないのは、新左衛門が稀代の臍曲がりであるためだった。軽い挨拶ひ
 とつにしても、人に同じるということがない。ひとひねりして返す。
 この性癖を知っているから、登城の途中新左衛門を見かけた者は、一様にいやな顔をす
 る。中にはむきつけに狼狽に似た表情を示す者もいる。しかし新左衛門は役持ちである。
 そ知らぬふりをするというわけにはいかない。
・だが治部新左衛門の性癖と容貌を憎んでも、彼を軽んじる者がいないのは、新左衛門の
 が、十八で秀吉の小田原攻めの戦陣に初陣し、以来文禄元年の最初の朝鮮出兵、慶長五
 年の天下を二分した関ヶ原の役、その後二度にわたる大坂の陣にことごとく出陣し、
 先代光覚公の馬廻りとして抜群の武功を謳われた人物であったからである。
・戦陣の間、常に新左衛門を身辺から離さなかったのは、新左衛門が武芸の一派を究めて
 いたからだという噂があった。事実、光覚公の馬印めがけて殺到してきた敵を相手に、
 新左衛門が凄まじい太刀業を揮ったのを目撃した者はかなりいる。
  
・「治部どの、大事が起きてござる」
 「斬り合いが始まってござる。お出頂きたい」
・若い侍が抜刀している。青白い顔をして、何か叫んだのがみえた。その前にもう一人の
 武士が、立ち向っているが、これはまだ刀を抜いていない。
・「篠井、刀を退け」「城中だぞ。気を鎮めろ」などと声をかけているが、誰も身を挺し
 て仲裁を買って出る者はいないようだった。
 刀を構えている方が篠井という名前らしかった。
・「わからん奴だ。のぼせを醒ませ」
 背を向けた方は、落ち着いた声で言っている。
 隣の倅ではないか、と新左衛門は気づいた。
・刀を構えている男は錯乱状態だった。説得を受け入れる余地を失っている。その危険な
 男に、素手で立ち向かっているのは、時々生垣越しに娘の葭江をからかったりしている、
 隣家の総領尤飼平四郎だった。
・尤飼家は、平四郎の父郡兵衛が去年の秋城中で倒れ、それ以来床についたまま隠居して、
 今年になって平四郎が家督を継いだばかりである。
・平四郎は、垣根越しに葭江とこそこそ話し合っているところを見つかっても、「やあ」
 などと平気な顔をしている無礼な男である。狼狽する気配が全くないのが面憎い。
・そういう無礼きわまる男と、嬉しげに話をしている娘も娘、と葭江にも腹が立つが、新
 左衛門はそれを言うことができない。葭江には負い目がある。
・葭江はこれが治部新左衛門の娘かと、聞かされた者があんぐり口をあくほどの美貌だが、
 十八になる今日まで縁談らしい縁談がない。一人娘だから家中から婿を迎えることにな
 るが、婿のなり手などは腐るほどいる筈なのに、それらしい話が持ち上がっても、すぐ
 に立ち消えになるのは、先方が治部新左衛門という名前を聞だけて二の足を踏むからで
 ある。そういうことが、新左衛門には最近ようやく解ってきている。即ち親の不徳の致
 すところで頭が上がらない。
・加えて新左衛門は、二年前に妻を病気で失っている。女中、下僕を置いているが、細か
 いことは葭江に面倒みてもらわねばならない。こういう負い目がある。
・だがいつかは、ぐわんと一発言ってやる。日頃新左衛門はそう思っている。だが、ここ
 は平四郎が斬られるのを、黙って見過ごしはできないところである。そう思ったとき、
 なぜか斬られては葭江が悲しもうとちらと考えたのはいまいましいことであった。
・篠井が平四郎に斬りかかった。平四郎は辛うじて剣先をのがれた。篠井はすはやく第二
 撃を送ろうとした。そのとき、二人の間に新左衛門がすっと身体を滑り込ませた。篠井
 は一瞬動きをとめて新左衛門をみたが、上げかけた剣先を青眼に戻すと、じりじりと後
 退した。飛び込んだときの間合いを崩さずに、新左衛門は小幅に足を移し、篠井を追い
 つめていく 
・ついて篠井の背は、石灯籠にぶつかった。篠井の眼は張り裂けんばかりに瞠かれ、身体
 は瘧に襲われたようにふるえている。
・踊りあがるように身体をねじって、篠井が刀をふりかぶった。そのとき、凄まじい声が
 新左衛門の口を衝いて出た。
 「やッ、やーッ、やッ」 
 その声で、篠井はがくがくと膝を折り、地面に坐り込んでしまった。
 その手から刀を奪い取ると、新左衛門はぐいと襟を掴み上げ、いきなり篠井の頬を殴り
 つけた。殴られながら、篠井は朦朧とした眼で新左衛門を見上げていた。
・肝をつぶしたのは篠井だけではない。まわりにいた者も身ぶるいした。中には危うく腰
 を落としそうになった者もいる。腸を抉るようななんとも強烈な声だった。
  
・新左衛門は苦り切っている。平四郎が先日の礼だといって、母親が漬けたという山ごぼ
 うの味噌漬を持ち、挨拶にきたのはよい。持参したものは新左衛門の好物である。あの
 ときは平四郎の命を救ってやったと思っている。山ごぼうぐらい喰う権利はある。
・だが平四郎が、家の中に上ってきたのは予想外であった。もちろん新左衛門は上がれ、
 などとひと言も言っていない。風采こそ立派だが横着で、掴みどころのない気色の悪い
 男だ、と日頃思っている。上がれと言ったのは葭江である。
・呆れたことに、葭江のひと言で、平四郎はのこのこ上がり込んできたのである。
 それがまず気に喰わない。新左衛門の考えをいえば、たとえ上がれと言われても、一応
 辞退するのがこの際の礼儀である。それが武家のたしなみである。
・その上、座敷に通してからの平四郎の態度がまた気に入らない。葭江が茶を運んでくる
 と、辞儀もなしにひょいと座を立って廊下に出、「なかなか見事な庭ですな、家の方か
 らはこの庭は見えない」とか、「あれは何の木でござるか」とか、葭江をつかまえて聞
 きながら、庭を眺めている。
・葭江も葭江で、慎みもなく親に臀を向け、男と肩をならべて立ちながら、どこか浮き浮
 きした声音で男に答えている。   
・「や、これはご無礼」
 平四郎は平気な顔でそう言い、葭江はさすがに羞じらうふうに微かに頬を染めたのはよ
 いが、平四郎に続いて座敷に入ってきたものだ。茶をお相伴するつもりらしい。みれば
 盆の上には自分の茶碗もちゃんと載せてある。
・「大変なお声でござりますな。あれが戦場声というものでござるかな」
 大変な声とは何だ、と新左衛門はむっとする。
・「何の声でございますか、平四郎さま」
 「いや、さきほど申し上げたとおり、父御に救われたのだが、そのおり父御が篠井を一
 喝された声が物凄かった」
 「まあ」
 葭江は顔を赤らめた。
 「変な声を出したのでございましょ?父はご存じのとおり変わった人ですから」
・余計なお世話だ、と新左衛門は思う。昔はあのぐらいのかけ声で驚くような人間はいな
 かったのだ。戦場の味も知らない若い奴らが、肝を潰したり、物珍しげに評判する。
・篠井主馬を、顔がひん曲がるほど殴りつけたのも、新左衛門のやり過ぎだという評判が
 聞こえたが、昔はあのぐらいの折檻は日常茶飯事だった。荒々しく、それでいて折り目
 正しかった。
・「それにな、父君に殴られた篠井の頬が腫れてな、四、五日は瘤ができたようなあんば
 いでござったぞ」
 「まあ、お気の毒に」
 二人は顔を見合わせて、くつくつ笑っている。
 
・「仲が良くて喧嘩するということはあるまい。故に仲が悪いかと聞けばそうでもないと
 いう。では、そのいろいろとあるいきさつをうかがおうか」
 「お父さま。平四郎さまはおっしゃりたくないのでございますよ」
・このいけしゃあしゃあとした男の面の皮をひん剥いてやろう。それが葭江のためにもな
 る。  
 「言いたくないいきさつなどというのは、だ。大方女子の話と昔から決まったものでな」
 新左衛門はにたにた笑った。
 「いかがかな。そのあたりの話をうかがおうか」
・「何ということをおしゃるんですか、お父さま」
 葭江は顔を掌で覆った。
 「わたくし、恥ずかしい」
・「いやいや、女子の話ではござらん。誤解されるな」
・なにが誤解だ、と新左衛門は舌打ちしたくなる。まるで言い交した女子に言いわけでも
 しているようではないか。
 そう思ったとき、新左衛門はぎょっとした。ひょっとしたら二人は言い交しているので
 はないか、と思ったのである。そう思って見ると、平四郎を見る娘の眼に、情があり過
 ぎるような気がする。  
・犬飼家には男二人と女子一人の子供がいる、ぐらいの知識は新左衛門にもある。総領が
 平四郎で、次が佐久という女子、末弟は名前を源之助といって、まだ学問所に通ってい
 る子供である。
 しかし、娘と平四郎が、どのようなつき合いをしてきたか、などということは新左衛門
 の推測の及ぶところではない。もし二人の間に何かあれば、それは憂うべき事態だった。
 平四郎は総領で、葭江は婿を入れる立場である。
 そして何よりもこの礼儀知らずの厚かましい隣家の倅が、娘と何かあるなどということ
 は耐えられないではないか。

・葭江が部屋を出ると、新左衛門唐突に言った。
 「尊公は幾つに相なるな?」
 「二十五ござる」
・いよいよ怪しむべきだ、と新左衛門は思った。二十五と十八。何かとぴったりの年配り
 ではないか。これまで気づかなかったのは迂闊であった。
・「嫁はまだか」
 「嫁をもらうほどの重みに架けるとみられてり申すようで、まだそういう話はまとまっ
 ておりませぬ」   
 「もっともだの。しかし自分で承知しておるのはよろしい」
 平四郎は苦笑した。しかし気を悪くした様子はない。
 新左衛門は拍子抜けする。普通このぐらいずけずけ言うと、大概のものは気を悪くする。
 だが平四郎に向けた言葉は、力のない遠矢のように、目指す敵に届かずに手前で落ちる
 感じで、張り合いのないこと夥しい。
・「じつはわが家の佐久が絡んでおりまして」
・側用人の篠井右京から犬飼家に対して、佐久を城勤めに差し出すように、という命令口
 調の話が持ち込まれたのは、半年ほど前である。犬飼家では即座に断った。
・篠井右京が、家中の者の娘を城に入れるのに熱心なのは、娘たちを藩主の大膳亮信隆に
 奨めるためであることは、公然と噂されていることだった。事実、娘の縁で、人も驚く
 ような立身を遂げた家は、二、三にとどまらない。
・大膳亮は、先代の光覚公にくらべると数段人物が落ちる凡庸な藩主である。右京はそう
 やって大膳亮の歓心を買う一方で、女たちの縁に繋がる藩士を自分の勢力下に引き入れ、
 閨閥に似た堅い結束を藩中に育ててきた。
・犬飼家では、そういう立身出世を潔しとしなかったのだが、篠井右京はそれを権勢並び
 ない自分に対する公然たる敵意と受け取ったようだった。  
・平四郎の父犬飼郡兵衛が、城中で卒中を患って倒れたのも、その日親戚筋で八百石の大
 身である三神八郎左衛門と激論しているときだった。
 三神は一度は中老を勤めたことのある人物で、右京の口利きで末娘を側室に上げた縁で、
 篠井右京と固く結ばれている。 
・主馬と喧嘩になったのは、あの日城中ですれ違った主馬が、
 「眼前にある出世が、眼に入らぬ石頭か」
 と冷笑して過ぎたからである。
・「なるほど、これが女衒の甥か」
 と平四郎が切り返したことから、争いになった。
・「ほっほっ」
 と新左衛門は奇声を挙げた。
 「言ってやったか」
 「はあ、言ってやり申した」
 「しかし初めて知ったぞ。お主も苦労しておるわけじゃな」
・厚かましく、思慮が浅い若者とみていた平四郎が、これまでそんな重荷を背負っている
 翳りを見せたことのないのを、ふと健気に思った。
・不意に篠井右京に対する怒りが押し出してきた。篠井右京は藩政などというものは何の
 興味もないが、篠井がこれまで何をしてきたかは解っている。
・「それがでござる。じつは女子の臀だけでござりませんで」
 「篠井右京どのは、お上に女子を周旋するだけでなく、ここ数年にわたって歴然たる失
 政があることが明らかになってござる」
  
・「詳しいのう」
 「いや、これはすべて加藤さまの受け売りでござる」
 「加藤?加藤図書か?」
・加藤図書は次席家老である。しかし藩政は筆頭家老の推野彦兵衛と篠井右京、それに中
 老の山県滝蔵らが切り廻し、加藤は閑職同然の立場に置かれている。重要な施策が、加
 藤を除外した場で決定され、ここ二年ほどは、図書はほとんど登城することもなく屋敷
 に引き籠っていた。 
・篠井右京は藩内に培った強大な勢力を背景に、度重なる賄賂で筆頭家老の推野を骨抜き
 にしていた。
・「篠井右京の専横は、もはや見過ごし出来ぬところにきていると、ご家老は考えておら
 れます」
・「ところで、ひとつお願いがござります」
 「一度ご家老に会って頂けませぬか」
 「じつはご家老に、ぜひにもお誘いしろ、と言われたのでござるが」
 「意気地のない連中だ。お主もその一人だがな。儂ならうじうじと徒党など組まん」
・「それに図書ならちょっぴり昔の貸しがある。儂に頼みごとがあるなら、もう少し丁寧
 ・「葭江、平四郎どのをお送りしろ」
 「では折角です故、これを頂戴してお暇申し上げる」
  平四郎は餅菓子に手を伸ばしている。葭江はいそいそと熱い茶すすめた。
・喰い意地まで張っている、と新左衛門は憮然として部屋を出たが、ふと思い出して振り
 返った。  
 「佐久は幾つに相なる?」
 平四郎は頬張っていた餅を、あわてて飲み込もうとしている。かわりに葭江が答えた。
 「十四でございますよ」
・「十四か」
 あれが、十四だと言ったな。新左衛門は思った。
 加藤図書という名前に触発されて浮かんできた遠い記憶である。それは異国の少女の顔
 だった。
 
・この日、珍しく加藤図書が登城した。不意に新左衛門の詰めの間に訪ねてきたのである。
 図書は慇懃に新左衛門を仲間に誘った。
 「篠井が藩内に植えた勢力は強大でな。彼を廃そうとすれば、こちらも相当のまとまり
 がいるのだ」
 と図書は言った。
・「何でさように手間ひまをかけられる。ためにならぬ奸物とはっきりした以上、やれば
 よい」 
 新左衛門は斜めに手刀を振りおろした。
・「いや、血は流したくない」
 「お家騒動とみられるのはまずいのだ」
 図書は遠く江戸幕府を気遣っていた。慶長から元和、寛永に入ってからも、幕府はしき
 りに諸国の大名を取り潰していた。取り潰しの理由には藩内の騒擾を咎められた例も少
 なくなかった。
・「どうじゃ、加担せぬか」
 図書は言った。穏やかな口調だが、図書の声は、いまは露骨に権力への欲望を隠してい
 ない。
 いずれが貉か、狸がというものじゃな、と新左衛門は思う。図書には篠井右京に代って、
 一挙に権勢を手に入れようという野望がある。
 図書は篠井の失政を、自分の勢力拡大の好機としているに過ぎないのだ。必要以上に用
 心深いのも、その腹があるからだ。
・図書は平四郎が言うように、人格清廉な人間ではない。
 そう思ったとき、新左衛門の眼の奥に、幻のように、四十年近くにもなる昔の、異国の
 戦場が浮かんだ。  
 その戦場で、同じ馬廻組にいた図書は新左衛門の手から、一人の少女をかすめ取り、光
 覚公に献じた。
・「断る」
 荒々しく新左衛門言った。
・「お主、まだ、昔のあのことを怒っておるのか」
 「おう、怒っておるとも、貴様に加担するなど真平よ」
・図書の家は元来藩内屈指の名門だったが、その頃は没落して図書は馬廻りにいたのであ
 る。だが祖先以来の政治的に立ち廻る才覚が、図書の血の中に濃く流れていたらしい。
 図書は次第に立身して、光覚公が歿する直前には一千石の家老になっていた。
   
・胸糞悪い男だ、と城門に急ぎながら新左衛門は、加藤図書の顔を浮かべて胸の中で罵っ
 た。
・「小父さま」
 不意に呼ばれた。
 城門警備の灯が漸くとどく城壁の内側に、白い顔がのぞき、手招きしている。
 新左衛門はぎょっとした。城内に本物の狐狸が出たかと一瞬眼を疑ったのである。
・「治部の小父さま、ここです」
 手がまた新左衛門を招いた。新左衛門が近づくと、白い着物をまとった少女が蹲ってい
 た。仄暗い闇に立ち上がった娘の顔をみて、新左衛門は肝を潰した。
・「佐久ではないか。こんなところで何をしておる」
 娘は隣家の佐久だった。この娘は時どき葭江を訪ねてきて、縫物などを習っているので
 よく顔を知っている。 
・「小父さま、私をお城から出して下さいますか」
 と言って、佐久は手を合わせた。
・「無論だ。連れて参る。それにしても何じゃ、この恰好は。着ておるものは寝巻ではな
 いか」
 新左衛門は叱りつけるように言ったが、佐久が青ざめた顔で唇を噛んでいるのをみると、
 不意に何事が起きたかが腑に落ちた。
・「さ、これを着よ」
 羽織を脱いで佐久に着せると、新左衛門はここ何年も使っていない優しげな声を出して
 言った。
 「案じることはないぞ、佐久」
 奇妙な組み合わせの道行きをみて、番士たちは呆気にとられた顔をしたが、咎める者は
 いなかった。番士たちは顔をそむけ、かかわり合いを避けるふうだった。
・「ありがとうございました」
 佐久は辞儀をしたが、不意に新左衛門の胸に縋ると、わっと泣き出した。その泣き声の
 激しさが、この娘がこらえていた恐怖の深さを示していた。
・「武家の娘はそのように泣いてはいかん。何事があったか話せ」
 新左衛門は佐久の肩を叩いた。すると寝巻の下にある肉の薄さが胸を衝き、新左衛門は
 不意に篠井右京に対する怒気が膨れあがるのを感じた。

・佐久が話した事情は、ほぼ新左衛門が推測したとおりであった。
 昼過ぎ、佐久は本家筋にあたる三神八郎左衛門の家に行った。三神の家の娘の祝い事に
 招かれたのである。
 祝い事が終わり、ご馳走を頂いて夕方駕籠で送られた。三神家は、親戚ではあるが犬飼
 家とは比較にならない大身で、裕福な家である。駕籠に乗せられたのを、佐久は少しも
 不審に思わなかったが、降ろされたとき城内にいた。
・茫然としている佐久を、二、三人の腰元風の女たちが湯船で洗い、化粧をほどこし、着
 換えさせたのである。佐久が逃げる隙を掴んだのは、大膳亮信隆の寝所と思われる場所
 に閉じ込められた後である。
・仄暗い夜の中に、うなだれた佐久の白い首筋が浮かぶのをみながら、新左衛門はそばの
 佐久が四十年も昔に会った異国の女で、篠井右京があの時の加藤図書であるような錯覚
 にとらわれていた。  

・文禄元年五月、治部新左衛門は釜山から小白山脈を越え、錦江のほとりにある小邑に到
 着すると、そこで駐屯した。二十歳であった。
・光覚公が所属する軍団は、さきに安骨浦に上陸し、金海城から昌原、景州を席捲して京
 城に進んだ黒田長政、大友義統の第三軍の後方を固める位置についたのである。
・邑は錦江の悠然とした流れを望む、東岸の丘の麓にあった。静かな邑だった。静か過ぎ
 るのは、村人が逃げて無人だったからである。
・ある日、治部新左衛門は、村端れの一軒の百姓家に入って行った。
 そこであの女を見つけたのである。女は戸が破れた納屋の隅に積んである、稲わらの中
 に隠れていた。女がなぜ家族と一緒に逃げなかったかは、すぐに解った。女は腿と負傷
 していたのである。傷は明らかに槍で突かれたもので、傷口は腐敗し、膿を持っていた。
・女を見つけたとき、新左衛門の脳裏を走ったのは、この女を誰にも見られてはならない
 という考えだった。それは恐怖に似た感情だった。
 この村に到着した時、新左衛門は村人と思われる半ば腐敗した死骸を五体ほど見ている。
 それが京城に去った第三軍がしたことであることは、家々に残された破壊の跡を見れば
 明らかであった。そしていまこの無人の村に留まって退屈している三百の兵も、何かの
 きっかけがあれば、たやすく狂気の虜になる筈だった。女を彼等の眼にさらしてはなら
 ない。
・新左衛門はいったん納屋の外へ出、人影がないのを確かめてから戻ると、女の傷を治療
 しにかかった。
・女は飢餓状態の中にいた。手足は驚くほど痩せ、十歳ぐらいの少女に見える。新左衛門
 が青白い腿に口をつけて膿を吸い出し、庭隅の井戸から汲んできた水で傷口を洗い、携
 行していた膏薬を塗り込めて手当てするのを、女は虚ろな眼で見ていた。
・「心配するな。夜になったら飯を持ってきてやる」
 新左衛門が笑いかけて言ったが、女は仰向けに寝たまま黙って新左衛門を眺めているだ
 けで、身動きもしなかった。新左衛門は女をまた藁で隠した。
・その夜、新左衛門は、握り飯を持って納屋に行くと、女に喰わせた。口の中で柔らかく
 噛み砕き、指に乗せてしゃぶらせたのである。初めの間女は、ひとつまみの飯粒を容易
 に飲み下せなかったが、やがて米飯の味を思い出したらしく、歯を噛み鳴らして新左衛
 門の指をしゃぶり、しまいには指を噛んだ。
・こうして十日ほど経った頃、女の乾いた肌に艶が蘇った。手足はまだ細かったが、頬に
 は血の色が戻り、黒眸にきらめきが宿った。傷口は一日ごとに塞がって行った。女はま
 だ何も喋らなかったが、新左衛門をみると、微かな笑いをみせるようになった。
・ある夜帰ろうとする新左衛門に、女が早口に何か言い、不意に半身を起こして腕を掴ん
 だ。中腰でいた新左衛門は、思わず女の上にのめったが、すぐに火に触れたように立ち
 上がった。女の上に突いた手が、思いがけなく熟した胸の膨らみを掴んだのであった。
・女は、まだ新左衛門の片腕を掴みながら、しきりに自分の横の藁を指さしている。柔か
 な藁床には窓から豊饒な月の光が差し込んでいた。
 新左衛門は首を振り、女の指を外して外に出た。体の中を、まだ熱い血が駈けめぐって
 いた。 
・だが、その血は不意に凍った。月光を浴びて、庭に人が立っていたのである。近づくと、
 黒い人影は倭戸と呼ばれている朝鮮人の通事の一人だった。黄という三十年配の男であ
 る。
・「あの女は、傷ついて隠れていたのだ。手当てをしたら漸く元気になってきた」
 そう言ったが、新左衛門は女に対する正確な気持ちを、黄にわからせることは難しいと
 気づいた。
 黄は単純に、日本兵が村娘をかくまって慰んでいるとしか見ないだろう。その見方を変
 えさせるような言葉を、新左衛門は持ち合わせなかった。
・「誰にも言うな。ほかの者に気づかれたら、あの女は皆の慰みものにされるぞ」
 「はい、解っております」
 「聞いてみてくれんか。あの女の名前と、年を」
・黄は納屋に入って行った。女が驚いて藁の中に半身を起こすが、外にいる新左衛門から
 見えた。早口に激しい言葉のやりとりが、黄と女の間に交わされているが、勿論新左衛
 門は彼等が何を喋っているかは解らない。
・やがて出てきた黄が言った。
 「十四だそうです。名前はスウナです」
 「ほかにお主は何を言ったのだ」
 「べつに、何も」
・二日後、納屋に行った新左衛門は、藁の中にスウナの姿がないのを見た。傷はだいぶよ
 くなってきていたが、まだ遠くまで歩ける筈はなかった。女は一人で出て行ったのでは
 ない。 
・新左衛門は村の中を走った。倭戸のいる家を探すと、黄はいた。
 「女をどこへやった」
 「殿さまのところへ行きました」
 「何だと!」
 「加藤さまが、殿さまのために女を探しておりました。仕方なくスウナのことを話しま
 した」
・衝きあげてくる憤怒のために、新左衛門はその声を最後まで聞かなかった。
 抜き打ちに黄を斬った。黄を斬り捨てた血刀を下げたまま、新左衛門はさらに光覚公の
 宿舎に走った。完全に逆上していて、寝所に斬り込み女を奪うつもりになっていた。
 だが、加藤図書に阻まれた。そのころ新左衛門は図書の敵ではなく、軽がると投げられ、
 手足を縛られて空家に閉じ込められたのであった。
・「女衒めが!」
 新左衛門は昔、異国で加藤図書に投げつけた言葉を、今の胸の中で篠井右京に吐きかけ
 た。主君の手から女を奪えなかった無念と悔恨が蘇ってくるようだった。
・篠井右京は、北城門前の濠端に宏大な屋敷を構えている。
 案内を乞うでもなくそのまま玄関に上がり込み、奥へ進んだ。見咎めた家人が立ち騒い
 だが、新左衛門のひと睨みでその場所に立ち竦んでしまった。
 右京は座敷に人を集めて、酒宴の最中だった。突然踏み込んできた新左衛門をみて、座
 敷の中は一瞬静まり返った。
・「おのれ、何ごとだ新左。無礼にも程があるぞ」
 酒の酔いに怒りが重なって、右京の顔は赤黒く膨らんでいる。いきなり手にしていた盃
 を新左衛門に投げつけた。   
・「犬飼の娘・佐久に対するなされよう、すべて承知いたしてござるぞ」
 右京の顔に一瞬狼狽が走った。
・「何のことだ。儂は知らんぞ」
 「人非人の致し方だ。お命頂くぞ」
・右京の肥満した体が、一瞬のぞけるように後ろに伸びて、床の間の刀を掴み取ろうとし
 た。その肩を、片膝を起こした体勢から、新左衛門の刀が据え物を斬るように斬りおろ
 していた。  
 凄まじい悲鳴を挙げて、右京の身体が仰向けに倒れた。驚くほどの大量の血が、床の間
 の掛軸に走って、水をまいたような音を立てた。
・「ごらんのとおり、いささか含むところがあって討ち果たしたが、余人にはかかわりご
 ざらん。では帰らせて頂く」
 新左衛門が動くと、取り囲むようにしていた数人が無言で路を開けた。
・だが、部屋を出ようとした新左衛門の前に、一人の巨漢が立ちはだかっていた。手はす
 でに抜いた刀を握っている。
・「そこを通して頂こうか」
 新左衛門は注意深く相手をみながら、そう言ったが、男はにやりと笑っただけだった。
 新左衛門が一歩近づくと、男はするすると次の間にしりぞいた。男が部屋の隅までしり
 ぞいたとき、新左衛門はほとんど男と胸を接していた。
 カッ、カッと硬い金属の音が、二人の腹のあたりで鳴った。鍔と鍔を打ちあてるような
 その音は、長く続いた。新左衛門の睨んだ男の額が、みるみる噴き出す汗に光るのが、
 見ている人たちの眼に異様に映った。
・男が、遂に横に逃げた。その一瞬、一歩しりぞいた新左衛門の手もとから光芒が走った。
 男は身体を捩じってそれを受け止めたかに見えたが、やがてがくりと膝を折ると、その
 まま身体は横転した。男の脇の下から、こんこんと血が噴き出して、畳に黒いしみをひ
 ろげていく。
・「いまのは石切りと申す太刀でな。久しぶりに遣った」
 刀を鞘におさめ、襟もとを直しながら新左衛門は言った。
・「逃げも隠れも致さん。家に戻って待ち受けるゆえ、無念と思われる方々があれば討ち
 込みをかけられよ。治部新左衛門十分にお相手致す」
 ごめん蒙る、と新左衛門は背を向けたが、後を追う者は誰もいなかった。
・新左衛門が戻るのを、平四郎は治部家にいて待っていた。   
 なにか戯れ言を言って葭江をよろこばしたらしく、新左衛門が家へ入ったとき、茶の間
 から二人の高い笑い声が聞こえた。
・少し大げさに言えば、命を張った働きをして来たのである。それも知らずに太平楽にい
 ちゃついているとは何事だ、と言いたくなる。 
・むっつりした顔で、新左衛門は事情を話し、いまにこの家に篠井一族が押しかけてくる
 ぞと脅かした。
 葭江はさすがに顔が青ざめたが、平四郎は、
 「それでは拙者も支度をして、こなたへ籠ることと致そう」
 と言った。ひょこひょこ出て行って、それっきり何の音沙汰もない。
・平四郎が出て行ったあと、新左衛門は大いそぎで防戦の支度をした。
 葭江と下僕の芳平にも武器を持たせ、芳平に命じて庭に篝火を焚かせて、こうして待ち
 受けているのである。 
・葭江は甲斐甲斐しく襷、鉢巻で装い、小妻をからげ、皮足袋を履いて手槍を手にしてい
 る。下僕の芳平は門脇に立って、曲がった腰をのばしのばし、時どき路を眺めている。
 芳平も手槍を持っている。
 話を聞かせたとき、芳平は顔色を変えたが、長年治部家に奉公して、新左衛門に従って
 戦場にも出たことがある男だけに、弱音は吐かなかった。
・「その何だ・・隣の倅とえらく気が合っとるようだが・・・」
 唐突に新左衛門は言った・
 「何ぞ約束でもしておるのではあるまいな」
 葭江はまじまじと新左衛門をみたが、やがてぷっと噴き出した。
・「何かのお考え違いでございましょ。何にもございませんわ」
 「お隣同士だから、仲よくしているだけでございますよ。それに何かあったらお父さま
 がお困りでしょ?私は婿を迎えなければならない身。平四郎さまはお隣の跡取り。それ
 ぐらいは心得てりますゆえ、ご心配なく」
・「む、それが解っておればよろしい」
 新左衛門はいかめしい口調で言ったが、何となく物足りない気がした。たったそれだけ
 のつき合いか、と思い平四郎は二十五にもなって、一体何をしておるのかとも思ったの
 である。
・それに、考えてみれば葭江はもう十八である。葭江本人は簡単に婿をもらうつもりでい
 るが、情勢がそれほど甘くないことは、誰よりも新左衛門自身がよく承知している。臍
 曲がりの父親は、かなり徹底して敬遠されているのだ。
・葭江が、手槍をもてあそびながら言った。
 「ずっと以前に・・・平四郎さまが、犬飼家は佐久に継がせて、葭江どのの婿にでもな
 るか、などと冗談を おっしゃったことがございましたよ」
・見ろ。きゃつやっぱり葭江に気があるのだ。それを真直ぐ言えもしないで、娘の木を引
 きおって。卑怯な男だ。
 「責任をとらせろ、葭江。それは冗談で済む話ではないわ」
 「どういうことですか。まあ、そのようにいきり立って」
 「奴はお前を好いとるのだ」
 「まあ、お父さま」
 葭江は槍を離して手で顔を覆った。
・「構うことはない。ビシッと責任を取らせろ。好きなら好きと、けじめをつけろと言っ
 てやれ。隣などまだ佐久もいるし、下に源之助もいるではないか」
・「謙之助さんですよ」
 弾んだ声で葭江が訂正した。
・「それにしても平四郎は何をしておる」
 「あいつ刀も振り廻せぬ臆病者で、布団をかぶって寝込んだか」
・葭江はきっとなって抗議した。
 「平四郎さまは、谷本道場で師範代を勤めておいでですよ」
 新左衛門黙り込んだ。それは初耳だったのである。
・不意に門から平四郎が入ってきた。襷も鉢巻もない、出て行ったときのままの恰好であ
 る。    
 「いやもう、ご心配なく」
 「万事うまく納まり申した」
・平四郎は治部家を出ると、真直ぐ加藤図書の屋敷に行って事情を話した。
 加藤の処置は、まるでこういうことがあるのを待っていたように迅速だったのである。
 城の登り、寝所に入っていた大膳亮に会って連名の意見書を提出した。
・いま城中から加藤の屋敷に使いがあって、篠井一族の追放、筆頭家老の推野と中老の山
 県は閉門に決まったと報せがあったのだ、と平四郎は言った。
・「うむ」
 と新左衛門は言っただけだったが、ほっとした気分は否めなかった。
・この転機は、婿としてはどういうものか、などとちらと考えたが、すでに平四郎を婿の
 位置に据えている自分に照れて大きな声で言った。
 「芳平、門をしめて、篝火を消せ」
・振り返った眼に、平四郎に寄りそった葭江の姿が見えた。
 平四郎が言っている。
 「なかなか似合いでござるぞ、今宵の葭江どのは、一段ときれいにみえる」
・何を歯が浮くようなことを申しておる。親の前もはばからずに。と新左衛門は舌打ちし
 た。
・家の中で、二人の笑い声がするのを、新左衛門は芳平が篝火を始末している庭に立った
 まま聞いた。その声を聞いていると、葭江の方も平四郎を好いているのがよく解った。
 そばに寄ってきた芳平が、皺面を綻ばせて言った。
 「お似合いのお二人でございますな」
・「む、む」
 と新左衛門は渋面を作った。