住んでみたヨーロッパ9勝1敗で日本の勝ち :川口マーン恵美 |
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この本は、いまから10年前の2014年に刊行されたものだ。 本の内容は、ヨーロッパと日本を比較したものなのだが、最後まで読んでみても、本のタ イトルにある”9勝1敗”はどこから出てきたのか最後までわからなかった。 ところで、私がこの本のなかで驚かされたのが、ドイツの「教会税」の話だ。 教会に属している人は、それぞれ所得税の9パーセントの教会税を支払わなけれなならな いという。しかも徴税は教会に代わって税務局が行ってくれるという。 これは日本でいうなら、お寺の檀家料をお寺に代わって税務署が徴収してくれるというこ とになるだろう。日本ではちょっと考えられない制度だ。 このような教会税制度がある国はドイツ以外にアイスランド、オーストリア、スイス、 スウェーデン、デンマーク、フィンランドにもあるようだ。 その他に驚いたのは、ドイツの中流階級の人は市電やバスなどの公共交通機関にはほとん どならず、自家用車で移動するということだ。 日本のように、ありとあらゆる人たちが一緒に揺られて乗る乗り物など、ドイツでは考え られないという。ドイツの公共交通機関は、学生と貧乏人と老人のための乗り物だという。 つまりドイツには、昔ながらの階級社会の名残りがちゃんと残っているということなのだ。 日本はというと、戦前は明かに階級社会だった。それが敗戦によって一時はその階級社会 崩壊したかに見えた。 しかしそれが、今また階級社会が再度構築されつつあるというのは否定できない現実だろう。 そう考えると、なんだか気持ちが落ち込んでくる。 もっとも、日本には、「ロマ」のような人々が存在しないだけでも、ヨーロッパよりは幸せ な社会かもしれない。 過去に読んだ関連する本: ・豊かさとは何か ・ドイツ流、日本流 ・ドイツで、日本と東南アジアはどう報じられているか? ・無邪気な日本人よ、白昼夢から覚めよ ・スイス探訪 ・フィンランド 豊かさのメソッド |
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まえがき(日本人にはサッカーより野球が向いている) ・サッカーの試合を観ていると、これは狩猟民族のスポーツだと思う。 ずっと走り回っている体力もさることながら、あの闘争心・・・サッカーボールを追い つつ、敵を倒そうと狙う彼らの姿は、猛獣が獲物を狙うように凶暴で、鋭い。 動物的で獰猛だ。 こんな人間が家族にいたら、物騒で仕方がない。 ・たいていの日本人は、あそこまで闘争心を持ち合わせていない。 さらに、自分が反則を犯しておきながら、それを指摘されると大仰に審判に抗議する芝 居っ気も、日本人にはとても真似できない。 足を引っかけられてもいないのに、転んだふりをしてピッチ上を五回転も六回転もして みたり・・・。 ・そうだ。日本人にサッカーは、端から向かないのだ。 我われは、鍬を片手に空を見上げ、「きょうはあめがふるから?」と思案している温和 な民族なのだ。 敵は稲穂をついばむ雀だった。 獣を追って、殺気立っていた人たちとはわけが違う。 泥棒天国ヨーロッパ ・ポーランドではしょっちゅう車が盗まれるというのは、本当の話だ。 その証拠に、ポーランドに行くというと、車を貸してくれないレンタカー会社も多い。 ・泥棒が多いのはポーランドだけではない。 チェコがEUに入り、人の往来が自由になったら、国境を接しているドイツのバイエル ン州の村では、夜のあいだに、電柱の電線から玄関のドアの取っ手まで、盗まれるよ うになった。 ・イタリアも油断できない。 ローマを訪れたとき、数人のロマの子供がイタリア語の書かれたボール紙を水平にして、 夫の鼻先に突き付けてきた。 物乞いかと、一瞬、立ち止まったところ、三秒ぐらいして、子どもたちは蜘蛛の子を散 らすように逃げた。 気がつくと、その三秒の間に、夫のジャケットのファスナー付きのポケットが四つとも 全開になり、お財布だけが消えていた。 その手際の良さに、私はいたく感心した。 ・ドイツ人の友人がローマで路線バスに乗ったら、周りから大人数に取り囲まれ、身動き が取れないほど詰め寄られた。 恐ろしく何もできないでいたが、やっとの思いで下車したら、もちろん財布はなかっ た。ローマで満員バスに乗ってはいけない。 ・イタリアのスリは、お金を抜いたあとは財布を郵便ポストに入れる。 郵便局はそれを警察に届けるので、財布も身分証明書もちゃんと返ってくる。 ・スペインもスリでは有名だ。 知り合いの日本人ビジネスマンは、やはりロマの子供たちにカバンごと盗られた。 ・近所に住んでいた日本人の家族は、夏のバカンスで、車でスペインに行ったが、道中、 高速道路のドライブインで休憩したあと、発車しようとすると、親切そうな二人組が、 パンクしていると教えてくれたそうだ。 「これはたいへん」とワサワサしていたら、二人組はタイヤ交換まで手伝ってくれた。 その後、すべてが終わってから気がつくと、助手的に置いてあった貴重品やバッグが消 えていた。 ・もっともスペインでは、ポーランドと同じく、車ごと盗まれる話も珍しくない。 ・一方、30年以上も住んでいるドイツでは、お屠蘇ものをして戻ってきた話は一つも思 いつかない。 エアロビのできないドイツ人 ・はっきりいおう。ドイツ人はリズム感が悪い。 ところが、ドイツ人は、かつてのバッハやベートーヴェンやシューマンがドイツ人であ ったというだけの理由で、自分たちが音楽的才能のある国民だと漫然と信じているので 始末が悪い。凄まじい誤解だ。 ・ドイツの民衆の生活には、複雑なリズム遊びというものはなかった。 古代の音楽といえば、歌と笛と弦になり、打楽器は入らない。 スペインやポルトガルなど、民衆の音楽に、カスタネットやタンバリンといった打楽器 が入り込んでいたところでは、人々のリズム感が違っている。 ・ドイツの音楽は、リズムよりも音や和音の響き、そして朗々とした流れに重点が置かれ ている。 詩は韻を踏むので、それなりのリズムを形成するが、音楽では打楽器は伝統的に少ない。 ドイツの打楽器は、どちらかというと行進や戦意高揚のためにつくられたような気がす る。 ・ドイツの民衆の間で好まれるのはバイオリンなどの弦楽器とフルートなどの吹奏楽器で ある。これらは、メロディーを朗々と気持ちよく流すのに適している。 不便をこよなく愛すノルウェー人 ・ノルウェーは豊かな国だ。 2011年の1人当たりの名目GNI(国民総所得)が世界一位で、日本の二倍。 その代わり、消費税率は25パーセントで、物価の高さも驚異的。 賃金が高いので、購買力もあり、国内では賃金と物価の釣り合いはとれているのだろう。 ・ノルウェーの国土の80パーセントは森林や山や湖水のため人が住めない。 国土面積は日本とほぼ同じだが、人口がたったの500万人なので、無理やり宅地を開 発しなくてもよいという利点もあるのだろうが、自然はほとんど手つかずのまま残され ている。 ・ノルウェーの南部の「ソグネ・フィヨルド」へ行った。 冬でも船で観光ができる唯一のフィヨルドだ。 小さな集落グドヴァンゲンまでバスで行き、そこからフェリーでフィヨルドを抜けフロ ムという、やはり人口350人ほどの小さな村に着く。 その間、二時間強だが、目の前に繰り広げられる大自然には息をのんだ。 ・フィヨルドとは、何千メートルも積もっていた雪が固まって氷になり、何万年もの間に その氷が低い場所に沈下するように移動する際、山肌が削られてできたものだと学校で 習った。 鋼のように硬くなった氷が、じりじりと子の切り立った絶壁を作るまで、いったいどれ だけの時間が流れ過ぎたのか。 ・さて、ノルウェーの自然というのは確かに見た眼にはロマンティックだが、しかし、逆 説のようだが、自然は、すべてを自然に任せていたから残っているのではない。 手つかずの自然を手つかずで残すためには、十分すぎるほど人間の手がかかり、叡智が 費やされている。 ・そもそも、ノルウェーは元から豊かな国だったわけではない。 第二次世界大戦ではヒトラーに占領され、独立を勝ち取るための抵抗の歴史は長い。 ・しかし、転機は1969年に訪れた。 北海とノルウェー海で石油とガスが見つかり、それまで貧しかったノルウェーは、一夜 のうちに金持ちになった。 ・オイルマネーで突然潤った国は、世界には他にもあるが、ただ、それらの国ではたいて い、外国資本と、それと組んだ一部の国民だけが富を蓄えた。 ところがノルウェー人のすごいところは、そのお金で国民全体を豊かにし、強い国を作 ったことだ。 ・美しい自然だけでなく、地下資源という宝の山まで持っているとは、実に恵まれた国で ある。 ただ、この国の人々は、これら自然の恵みの上に胡坐をかかなかった。 それどころか、あらゆることを計算し、理性で制御している。 つまり、美しい雄大な自然さえ、何もしないからではなく、全力で残そうとしているか ら残っているのだ。 ・自然を切り刻んで金儲けをしようとする人間は、投資かという名前で、世界中どこにで もいる。 彼らは常に自然を射程内におさめて、その商業化を狙っている。 彼らの札束に誘惑されないためには、自然を残そうとする国家の強固な意志と、それに 賛同する国民の理性が必要だ。 ・そういう意味では、ノルウェーの資本主義は、完全な資本主義とは少し異なるのだと思 う。 日本では、スカンジナビアというと、その個人主義と自由主義的奔放さが強調されるこ とが多く、それはそれで正しいのだが、国家の利益ということになると、だいぶ話は違 うようだ。国家の力が強い。 ・ちなみに、ノルウェーはヨーロッパで残り少ない、徴兵制を敷く国でもある。 EUにも加盟していない。 すべては国家と国民の意志である。 彼らが何も考えず、大自然のなかで、ただのどかに暮らしていると思うなら、それは大 間違いである。 ・ノルウェーの空気がきれいなのも、偶然ではない。 石油のほとんどは輸出に回し、将来の生産計画も綿密に立て、しかも自国の電力は、 ほぼ100パーセントを水力でまかなっている。 そして、アルミ精錬やITなど、電力を集約的に使う産業部門に力を入れ、豊かな水力 発電による電力を効率的に活用している。 ・一人当たりの電力使用量も、ずば抜けて世界一だ。 あのように寒い国なのに、どこもかしこも床暖房で、家のなかでは皆が真冬でもTシャ ツを着ているのを見れば、その理由はわかる。 原子力発電所はないが、原子力テクノロジーでは後れを取らぬよう、実験炉で研究が為 されている。 ここでも、すべてが考え抜かれているのである。 ・海洋技術の研究も抜きん出ている。 2000年、ロシアの原子力潜水艦クルスクがバレンツ海で演習中に爆発を起こし、 沈没した事故があった。 ロシアは最初、救援を拒んだが、そのうち手に負えなくなり、九日目に九円を要請した。 そのとき駆けつけたのが、イギリスとノルウェーの救助艇だった(潜水艦の乗員はすで に全員死亡していた)。 ・ノルウェーの産業は、大量生産ではなく、専門性が集積した、高度な技術を持つサービ スの分野に集中している。 ・地下資源は限りがある。しかし、技術力は集積できる。 ノルウェーでは、技術力は国力であるという考えが顕著だ。 それは、ほかの産業分野での活力にもつながるいし、外国に売り込むこともできる。 ・ノルウェーの豊かさの背景には、政治家と国民の知的な共同作業があると思う。 自分たち力を信じ、独立独歩で良い国を築いていこうという精神は、地下資源を持たな い日本も大いに参考にすべきではないか。 ・地下資源というボーナスを理想的に活用し、清の国益につなげるためにも、いろいろな 工夫が為されている。 政府年金基金グローバルもその一つで、2013年の運用資産は約4兆2千億のノルウ ェークローネ(約68兆円)と、世界有数の大規模政府系ファンドだ。 政府により、60パーセントは株式、35パーセントは債券、そして残りの5パーセン トは不動産を対象として運用するよう指示されている。 ・ノルウェーのもう一つの特徴は、徹底した男女共同参画だ。 すでに1968年に男女平等法が制定され、以来、着々と男女平等が進んだ。 この国では、子どもを産むのは女でも、育てるのは必ずしも女だけではない。 ・女性の社会進出と家庭生活が両立しているため、保育園や託児所は充実しており、九割 近い未就学児童が利用している。 ・そして、ノルウェー人の最大の特徴をあげるなら、「仕事よりも家庭」という彼らの価 値観ではないかと思う。 技術改革や環境保全の意志、そして、男女共同参画は、その根源をすべてこの価値観に 見出だすことができる。 政府も、国民のその価値観を守ることに力を注いでいる。 ・多くの職場では、皆早朝から働くが、その代わりに午後三時ごろ終業で、あとは家族と の時間となる。 しかも、週末には一斉に自然に回帰するのが、一般のライフスタイルという。 ・数年前、東京の高雄山に登り、下山の途中、忽然と、森の中に醜いコンクリートのビア ガーデンが現われ、「二時間飲み放題で〇〇円!」と、呼び込みがマイクでがなり立て ているのを見て、唖然としたことがあった。 ・そうでなくても緑の少ない東京の近郊に、高雄山があるだけでもありがたいのに、なぜ、 その貴重な森をわざわざ切り取って、ここに巨大なビアガーデンをたてなければいけな いのか?あの腹立ちは今でも忘れられない。 こんな建設を許可するほうがおかしい。 ・失った景観は、もう二度と戻らない。 そして今、私たちは、自然を自分で壊したことを忘れ、ノルウェーのそれを、天からの 贈り物のように羨ましがっている。 こうなる前に、日本でもできることはたくさんあったはずなのに・・・明らかに日本の 負けだ。 ・いずれにしても、私たちにとってのノルウェー人は、理性の勝った国民という印象が強 かった。 しかも、副使も教育も申し分のない国のようだが、ただ、住みたいかといわれると、 ちょっと考える。 ・まず、寒い。そして、冬が長い。そのうえ、定期的な自然回帰がスタンダードの国民の 間では、私はアウトサイダーになる可能性が高い。 週末ごとにスキーになど行きたくないし、寒い山小屋にとまるなど真っ平ごめんだ。 家族第一というのも、おそらく性に合わない。 その上、自由が手からこぼれるほどありそうでいながら、どこか国家にしっかり統制さ れているようでもある。 そして、何でも緻密に計画、実行という国民性は、とても窮屈に見えて仕方がない。 私は、計画を立てることが嫌いなのだ。 ・ある人が言った。 「この国の、寒くて暗い、生産性の停止する冬を、がしも凍死もせずに生き抜くために は、大昔から、長期的な視野と綿密な計画性が必要不可欠だったのです」 なるほど、彼らの理性と計画性は、厳しい自然に培われたものだったという論理は、 とても素直に頭に入る。 ・しかし、私はコンビニの国の住民だ。ドイツでさえ不便なのに、ノルウェーのように、 不便をこよなく愛するような人々の間では、とても生きて行けそうにはない。 スペインの闘牛と日本のイルカ漁 ・カナリア諸島はスペインの自治州で、七つの島からなっている。 サハラ砂漠から風に乗って飛んできた細かい白い砂が、悠久の時間をかけて、白く美し い砂浜を作った。ドイツ人のお気に入りのリゾート地だ。 ・ちなみに、カナリア諸島では、闘牛は1991年より禁止されているはずなのだが、 私が行ったのはもっと後だ。そして、まだ闘牛は行われていた。 今ではおそらく禁止が徹底されているだろう。 ・2012年からは、本土のカタルーニャ州(州都はバルセロナ)でも闘牛は禁止。 理由はもちろん、残酷だからである。 他の州は、闘牛はスペインの伝統文化であるとしてまだ死守しているが、動物保護団体 の突き上げは激しい。一般の興味も薄れているという。 スペインの闘牛は、近い将来、昔話になるかもしれない。 ・さて、スペイン以外で闘牛が盛んなのが、南フランスだ。 南フランスの闘牛は、2011年より無形文化財に指定されている。 ・フランスでは、 憲法で家畜やペットなどへの虐待は禁止されているが、闘牛は例外ら しい。 闘牛・闘鶏禁止法案は何度提出されても、議題に上らない。 これは伝統文化であり、ドル箱、いや、ユーロ箱でもある。 よって、禁止されず、毎年1000頭以上の牛が殺されていく。 ・大きな声では言えないが、数年前、南フランスのアルルで闘牛を見た。 ここにはローマ時代の円形闘技場(世界遺産!)が残っており、その由緒正しい遺跡ス タジアムで、彼らは由緒正しく闘牛をやっている。 ・私の周りにいるドイツ人の感覚では、闘牛は野蛮で残酷、見たら良識を疑われるような 悪しきものだ。 だから、私はいまだに、闘牛を見たことを娘たちにはひた隠しにしている。 逆勘当されては困る。 血なまぐさいものを見て、「オーレ!」とエキサイティングしている姿は、母親のイメ ージにそぐわない。 ・闘牛を観た感想を一言でいうなら、これはたいへんな残酷なシューだった。 テレビ中継が中止されたというのもわかる。 いくら伝統でも、やはり時代に合わないと思う。 ・昔なら、子供を強い兵隊に育てるために、こういう好戦的で残酷なものを見せる理由は あっただろう。 戦争に送り込むなら、男らしさを強調するのも理に適っている。 しかし、現在の教育は、平和教育だ。平和教育と闘牛は相容れない。 相容れないものを子供に見せて、混乱させてはいけない。 ・話は変わって、日本。 和歌山県太地町のイルカ漁が、世界のあちこちで非難の渦を巻き起こした。 理由は、残酷だからである。 ・アメリカと並んで、ドイツやフランスは特にうるさい。 ドイツのニュースでは、「南京対虐殺」と掛けたのか、「イルカ虐殺」などという言葉 も出てきた。日本人は、人間もいるかも鯨も殺す残酷な民族なのである。 だったら、私のみたフランスの闘牛は何なのだ? ・2014年1月、ドイツ第二テレビ放送のオンラインニュースに載った記事では、 「世界中で起こっている抗議を無視して、日本はなおもイルカを殺し続けている。 在日アメリカ大使もイルカの殺戮に対して深い憂慮を表明した」 「血なまぐさい殺戮:日本の漁民は何千頭ものイルカを捕っている。動物保護者と緑の 党の党員は憤慨している」 「毎年行われているイルカと鯨の殺戮は終わらせるべきだ」 「ドイツ政府は日本に対し、明確な意思表示をしなくてはいけない。クジラとイルカは 漁民のライバルではない。保護されるべき友である」 ・何千頭というのはちょっと大げさだが、ただ、こういうニュースは、海外に住む者にと ってはたいへん厄介だ。 なぜかというと、イルカが殺されたり、海がイルカの血で真っ赤になったりしている映 像は、誰が見ても気持ちの良いものではないからだ。 ・だから、日本人として太地のイルカ漁を弁護したくても、「これの何が悪い!」と胸を 張っては言いにくい。映像は確かに残酷だ。 さらに、「牛や豚や鶏も食べるではないか」といっても、何だか言い訳っぽく響いてよ ろしくない。 しかも、日本人の主食ではないとすれば、なおのこと、何のために殺すのかということ になる。 ・結局、情けないが、「いや、いや、まあ、まあ」と口ごもって終わり。 困ったことに、 おおかたのドイツ人は、日本全国で、こういう漁が恒常的に行われていると思っている のである。 ・和歌山県の太地町というのは人口3500人の小さな町で、捕鯨やイルカ漁では400 年の伝統を誇っている。 しかも、現在は無秩序にイルカを捕獲しているわけではなく、国が行っている科学的な 調査に基づいて、資源量が十分なイルカだけを、毎年頭数を決めて捕っている。 ・加えて現在では、ほとんど出血せずに一瞬でイルカが死ぬような漁法に改められた。 また科学的に見れば、一定量のイルカやクジラを人間が食べれば、その海域には新たに イルカやクジラが生きる生息域ができる。 つまり、海を放牧場としてたんぱく源を得ることができる・・・。 ・しかし、そんなことをいっても、欧米人はきく耳を持たない。 自分たちのイメージでは、イルカは犬が猫と同じお友達で、殺したり、食べたりしては いけない動物なのだ。 ・腹の立つことに、太地町で抗議運動を扇動しているのは、「シー・シェパード」という かなりの問題のあるゴロツキ集団だ。 2013年2月、米サンフランシスコの連邦最高裁は、シー・シェパードを「海賊」と 認定している。 創設者は「ポール・ワトソン」といって、米サンフランシスコの連邦最高裁の裁判長が、 「常軌を逸した人物」と評した。 この裁判は、調査捕鯨を実施している日本鯨類研究所が2011年12月、シー・シェ パードの妨害行為差し止めと海賊認定を求めて同州の連邦地裁に提訴したものだ。 日本の調査捕鯨団に対する妨害行為は目に余り、裁判長いわく、「船を衝突させ、酸入 りのガラス容器を投げつけ、スクリューを破壊せるため金属で補強したロープを使用す るならば、どんな信条を持とうと、疑いもなく海賊だ」とのこと。 ・しかし、もっと腹の立つのは、これまで数々の嫌がらせや、ほとんど違法行為といって もよい妨害行為を行なってきたこの悪名高きゴロツキ集団の言い分を、世界が支持して いることだ。 反イルカ漁のアウトローたちが、太地町に忍び込んで作った、違法行為満載の映画、 「ザ・コーヴ」も、彼らの仕業であった。 ・とはいえ、あの血だらけのイルカやら、網に引っかかって夜通しもがいているイルカの 映像は、ちょっと勘弁してほしい。 スペインの闘牛も残酷だが、イルカの殺されている映像も残酷だ。 どちらも伝統であると主張しているが、いくら伝統でも継承できないものもあるという のが、私の正直な意見である。 ・ちなみに、太地町とおなじ「たんぱく源を獲る」という論理でイルカ・クジラ漁を行っ ているデンマーク領のフェロー諸島が、イギリスのわずか300キロ北にあることを、 ここに明記しておきたい。 そして、彼の地でシー・シェパードの「海賊」たちが妨害行為を働いたおりには、本物 の海賊、バイキングの末裔たる漁師たちが、彼らを、いわゆるボコボコにした。 偽の「海賊」は、二度と戻ってこなかったという。 ケルン地下鉄建設と池袋の道路工事 ・ドイツでは、工事は朝の七時ごろから始め、遅くとも夜の七時には終わる。 日曜日は休み。 そのため、アウトバーンの工事などでは、絶望的な渋滞が終日、そして、場合によって は何ヵ月も続くが、そんなことはお構いなしだ。 ・何キロにもわたってアウトバーンの半分以上を封鎖している工事現場を見ながら、のろ のろと進んでいくと、工事作業員がちらほらとしかいないこともある。 そして、その数少ない作業員にしても、きびきびと仕事をしているようには見えない。 「これでは封鎖の意味がないでしょう!」と腹を立てると、その鼻先に看板が現れる。 日本なら「申し訳ありません。ご迷惑をおかけしております。」と書いてあるアレだが、 そこには「あなたのために工事をしています」と書いてある・・・。 ・それにしても、交通量の多い時間、主要幹線を何キロにもわたって渋滞させるという神 経が理解できない。 嫌がらせならわかる。 いずれにしても、国民経済の見地からはたいへんな無駄だと思う。 ・ドイツ国は、首都ベルリンに新空港を造ろうとしている。 ベルリン市、ブランデンブルク州、そして、国が共同で進めてきたプロジェクトだ。 三者のホールディング結成されたのが1998年。当初の開港予定は、確か2007年 だった。 ・ところが、この空港ができあがらない。 開港は何度も延期され、最後の開港予定日は2012年6月3日だった。 それが、予定日まで四週間もない5月8日になって、突然、延期と発表された。 ・開港延期は初めてではないとはいえ、このときは、とりわけひどかった。 最高の茶番は、延期発表の直前まで、「すべて順調」といわんばかりのニュースが華々 しくながれていたことだ。 ・当局の発表に信憑性が欠けるという点では、ドイツも北朝鮮に負けない。 いずれにしても、プロジェクトの中枢のところに、超絶無責任者がいたとしか思えない。 ・開港ができない主な原因は、防火設備の不備だそうだ。 火災が起きたときの煙の排出が完全ではないという。 担当の設計事務所が倒産したとか、新しい安全基準がどうのこうのとか、4000に及 ぶドアの非常時の自動操作がうまくプログラミングできないとか、いろいろな理由が並 べられているが、はっきり言って納得できない。 ・ケルンは古い町である。ベルリンのような新興都市ではない。 だから、今でも多くのローマ遺跡が見られる。 ・さて、そういう古い歴史を誇る重要な都市で地下鉄工事をするのは、とても難しい。 あっちを掘っても、こっちを掘っても、遺跡にぶつかる。 それでもグングン掘り進んでいたら、突然、聖バプティスト教会が傾いた。 1080年に建てられたという由緒ある教会が、「ケルンの斜塔」になってしまったの だ。もちろん、地下鉄工事のせいである。 ・その後は、もっとひどいことが起こった。 2009年のある日突然、地面が広範囲にわたって陥没し、そこに立っていた四階建て の古墳書館が崩れ落ちたのだ。 それだけではない。 その周りの建物群もドミノ倒しになり、住人二人が死亡した。 ・ドロドロになって古文書は一個一個掘り出され、必死の修復が図られた。 しかしながら、すべてを助けられなかったことは言うまでもない。 損害は取り返しがつかない。 ・ただ、それから五年が経とうとしているが、責任者探しは迷宮入りになりそうな気配だ。 事故の原因を作った疑いがあるとされる人間は89人もあげられているが、罪のなすり 合いで、まだ一人として、事実関係を証明できていない。 関係者のなかから一人、自殺者が出ただけだ。 この一人に、すべての罪が被せられるのだろうか。 ・2012年12月、ようやく地下鉄の一部が開通したのだが(でも1駅だけ!)、なん と、それ以来、10分ごとに、大聖堂がかすかに振動するらしい。 ・思えば、地下鉄などなくても、市民は不自由なく暮らしていた。 あえて言うなら、ひどい渋滞があっただけだ。 ・現在、ケルン地下鉄は2019年完成ということになっている。 日本の百倍ひどいヨーロッパ食品偽装 ・2013年2月、イギリスで販売されていた冷凍食品のラザニエで、牛の代わりに馬の ひき肉が使ってあったことが発覚し、大騒ぎになった。 ・イギリスには、競馬やポロといった上流階級の伝統的な娯楽があるし、優秀な軍馬は軍 人の誇りでもある。 それは庶民の間でも同じで、いうなれば、馬はお友達のようなものだ。 それを知らずに食べてしまったというのは、私たちが、知らずに犬を食べてしまったよ うな感じだろうか?まあ、大騒ぎになるのはわかる。 ・ドイツでも、馬を食べる習慣はない。 数年前、ベルリンの屋台で、馬肉のサラミを販売しているのを見たことがあるが、これ など例外中の例外だ。 ・馬肉はおそらくドイツでは、一部のグルメ用かゲテモノのどちらかで、高級肉屋では見 かけることがある。 日本的になったドイツの宗教事情 ・日本人は、どの宗教も自分の宗教であり得ると思っている。 お寺さんも、お宮さんも、教会も。ひょっとすると、モスクも、シナゴーグも。 ・ドイツ人は、もちろんこの奔放な考えとは無縁だ。 そもそも、ドイツでは、キリスト教の信者か信者でないかは、はっきりとわかる仕組み になっている。 信者とは、洗礼を受けていて、そのうえ十代のときに、自分の意思で堅信という儀式を 経て教会の正会員になり、収入を得るようになってからは教会税を払っている人だ。 ・近年は、宗教に社会的な意味がなくなってしまったし、教会材をはらいのもバカバカし いと、教会に属さない人がとても多い。 すると、当然のことながら、教会で結婚式を挙げてもらえなくなる。 私の夫も脱会者なので、私たちは市役所での結婚式(ドイツでは紙を出すだけでは済ま ない)とパーティーはしたが、教会では結婚式を挙げていない。 ・ドイツでは昨今、信仰心はひどく弱まり、私の周りでは日曜にミサに行く人など誰もい ないが、それでも若い情勢のなかには、結婚式だけは教会でロマンティックに挙げたい ので、そのために教会とは縁を切らない人がかなりいる。 そういう意味では、ドイツ人も、少しずつ日本人的になってきた。 ・そもそも、今どきのドイツ人は、宗教などにあまり興味を示さない。 ・日本人の宗教とはいったい何だろうというとは、私なりにときどき考える。 確かなことは一神教の宗教ではないということだ。 大木にも巨岩にも、神様が宿っていると考える。 路傍のお地蔵さんにも手を合わせる。 では、それらの神様はどんな格好をしているのかと問われると、よくわからない。 でも、まったく不信人なわけでもない。 ・有名な仏教学者、「鈴木大拙」が喝破している。 日本人はしっかりとした宗教心がある。ただ、その形が西洋のものとは違うだけだ」 と。 ・他の宗教に対しても寛容で、柔軟で、ひどくこだわることもなく、宗教をめぐって争う こともしない。 窮境に起因する抗争は、室町時代までは少しはあったが、でも、200年近く続いた十 字軍や、三十年戦争などとは比較にならない。 ・織田信長の本願寺攻め、比叡山攻めも、おそらくその本質は宗教弾圧ではない。 寺が勢力を蓄え、武装し、信長に盾突いたから、敵として攻めただけのことであろう。 以来、日本では表向き宗教が政治力を持つことはなくなったのである。 ・日本は何においても、原理主義の育ちにくい国だ。 世界の三大宗教はキリスト教、イスラム教、そして仏教だが、キリスト教徒イスラム教 は原理主義者が存在するが、仏教原理主義というのは聞かない。 ・原理主義の特質は、自分たちの信じる宗教以外は正しくなく、悪であると決めつけると ころだ。 悪は是正されるか、さもなくは駆逐されなければならない。 つまり、正しい宗教に改宗しないものは殺してもよい、という理屈になる。 極端な話、「そうすることによって神は喜ばれる」という思想だ。 ・わりと純粋にこの宗教上の意図では遂行されたのが、初期の十字軍遠征だ。 これはキリスト教の理念と沽券に基づいて、エルサレムの聖都をイスラム教徒の手から 奪還するという目的があった。 その惨虐非道な手段は、ちっともキリスト教的ではなかったといえるが、あるいは、 キリスト教は残虐な宗教であるという考え方も可能だ。 ・エルサレムの十字軍以外にも、たとえば、13世紀ごろより、東ヨーロッパからバルト 海沿岸にかけての異教の土地で、キリスト教の布教という名のもとに、ドイツ騎士団に いる侵略が行われたが、これはまさに殺戮に次ぐ殺戮であった。 ・また、有名な「異端審問」も、裁判とは名ばかりで、不当で非人道的で残忍という点で は群を抜いていたといえるだろう。 ・いずれにしても、ヨーロッパでのキリスト教をめぐる争いの多くは、もともとの十字軍 の動機のように、純粋に神を喜ばせるためのものではなくなっていく。 それは往々にして権力闘争であり、宗教と政治はその時々の利害で、結びついたり、 敵対したりを繰り返した。 ・そもそも、政教分離が完全に行われているところでは、宗教戦争など起きないはずだ。 どの宗教を信じていても、あるいは、信じていなくても、差別もなく、与えられた権利 に何の差もなければ、争う理由はないからである。 ・現在のドイツもそれと同じで、カトリックとプロテスタントがほぼ半分ずついるが、 今や、誰が何を信じているかということは、普通の生活では話題にさえならない。 結婚式が教会で挙げられるか否かの差ぐらいだ。 ・そういう意味では日本の図ととても似ているが、日本と違うのは、ドイツではどう見て も政教分離とは思えない社会構造が、未だにしかと存在することである。 ・信じられない話だが、ドイツの各州は、教会に多額の賠償金を払っている。 何に対する賠償金かと聞けば、1803年から支払われている領地を奪われた教会に対 しての賠償金だ。 ・ただ、教会の決定的な財源は、実はこの賠償金ではなく、教会の信者の腹っている教会 税だ。 教会税の起源も、さかのぼればやはり1803年に行きつくのだが、1919年、ワイ マール共和国の政府は、境界が税を徴収する権利を、ワイマール憲法に正式に盛り込ん だ。それがなぜか、いまでも生きている。 ・したがってドイツでは、教会に属している人は、それぞれが所得税のほぼ9パーセント の教会税を支払わなければならない。 徴税は、各州の税務局は委託されているというから、教会にしてみれば、取りこぼしが なくてありがたい。 ・教会税の収入が、何に使われているかというと、教会や修道院の修復にも、また、教会 経営の病院、福祉施設、学校などの経営費にも使われていない。 ほとんどが聖職者の給料や年金になるのだそうだ。 ・そういえば、昔からドイツの牧師は立派な官舎に住み、休暇もふんだんに取り、働き過 ぎている風はまるでなく、公務員のようだと思っていたが、お給料が税金で支払われて いるなら、まさに公務員だ。 いや、税金で食べていても、公務員ではないため、教会や付属施設の運営では、かなり フリーハンドが許されているから、公務員よりも良いかもしれない。 ・日本でも、神社仏閣が宗教法人として優遇されているということが、ときどき問題にな るが、裕福なのは観光資源や金持ちの檀家を持っているところだけだ。 ドイツの教会は、それとは比べものにならないほどの優遇措置を享受しているといえる。 ・将来、ドイツで宗教にまつわる争いが起こってくるとすれば、それはカトリックとプロ テスタントではなく、イスラム教徒との間に起こるだろう。 というのは、この宗教はすでにドイツで二番目に多い信徒を抱えているだけでなく、 政治的な力を伸ばすことに並々ならぬ意欲を見せているからだ。 ・イスラム教徒を抱えて苦労している国は、他にも多い。 ロシアも中国も、東南アジアも、そしてアフリカも、皆そうだ。 日本はこれがないので、宗教問題には疎い。 ・思えば、日本にはキリスト教が浸透しなかった。 これは、とても興味深いことだ。 ・日本人はおそらく、教理も説かれず、勧誘もされない宗教が好きなのだ。 それが、仏教と神道だ。 そして、ときどきお寺や神社に行っては手を合わせ、おみくじを引いては、すぐに忘れ る・・・考えてみれば、これほど平和な宗教観はない。 ・ときどき入り込んで切るほかの宗教とは、喧嘩もしないが、信じることもしない。 日本人の宗教観は、緩いようで、しかし、手堅いのである。 歴史の忘却の仕方(ヨーロッパとアジア) ・日本人は、何でもあっけないほどすぐにあきらめてしまう。 家が火事で焼けても、同じものを復元しようなどと思わない。 悲しみが去れば、「さて、今度はどんな家を建てようか」と前向きになる。 燃えてしまった家のことはときどき懐かしむが、立ち直れないほど悲しみはしない。 不幸は果敢に振り切る。 ・だから、原爆を落とした相手のことも恨まない。 過去に執着せず、すぐに前向きになることが日本人の強みでもある。 落としたアメリカ人にしてみれば、なぜ怒らないのか、薄気味割るかもしれない。 ・そういえば、ドイツの心理学者が、「過去を振り返らない性格は、心理学において、 日本人固有の性格として認識されている」といっていた。 それを聞いたとき、私は「日本人固有の性格ではあるかもしれないが、アジア人固有の 性格ではない」と念を押したものだ。 ・ドイツ人には、日本人も中国人も韓国人も、曲等のアジア人として一緒くたにする癖が ある。 しかし、私にいわせれば、韓国人と中国人は、見目形は似ているが、日本人よりはずっ と執念深い。 過去の嫌だったことを、すぐに忘れたりはしない。 それどころか、「水に流したりは絶対にするものか!」と心しているようにさえ見え る。 ・しかし一方、先祖代々の土地に住み、先祖代々の稼業を営もうとする執念は、日本人の ほうが強いようだ。 だから、現在の日本には、150年以上血づいた老舗企業が2100社以上あるが、 中国には5社しかないという。 ・中国人の場合、同じ場所で、何代にもわたってじっくりと商売をすることはあまりなく、 うまくいかないとさっさと店じまいして、違うところで新たに旗揚げするらしい。 それはそれで一つの発展の道ではある。 ・それと比べて日本人は、ひとところで頑張る傾向が強い。一所懸命だ。 ただ、それは日本人がとりわけ執念深かったり、粘り強かったりするからではなく、 長く家業を営める地盤が整っていたためであると、私は思う。 ・日本では、総領息子がぼんやりしていて、ずるい商売相手や悪い叔父などに家業を乗っ 取られたり、潰されたりすることはあっても、敵が攻め込んできて、一気に形勢が入れ 替わり、逃げ延びなければいけないというような不安定な政情は、戦国時代以来、第二 次世界大戦までほとんどなかった。 ・つまり、私たちは敵に略奪される心の準備などしなくてもよかった。 店を畳んで逃げる必要はなく、いつも同じ場所でじっくりと商売ができた。 要するに恵まれていたのである。 それが、日本人を土地に拘る民族にした。 だから、いまでも銀行は、土地が担保となると喜んでお金を貸してくれる。 ・話がそれたが、ここ20年ぐらい、ずっと私たちが責められ続けている南京事件や慰安 婦や靖国神社に関しての韓国と中国の言い分には納得できない。 ・南京大虐殺30万人はひどい嘘だし、慰安婦の件でも組織的な強制連行や奴隷労働など はありえない。 これらがほんとうと思っている日本人は、勉強不足である。 ・だいだい日本人は、戦時中の本当にあった不法行為に関しては反省し、謝罪し、賠償金 代わりの多くの援助も支払っている。 それどころか、犯してもいない犯罪についてまで誤った政治家もいる。 それでもなお、不誠実であるといわれればどうしようもないが、日本人が不誠実である という認識は、少なくとも私にはない。 ドイツに比べても、誠実さで引けは取らないはずだ。 ・そもそも、日本人が不誠実なら、日本はこれほど健全な発展を成し得なかったはずだ。 皆が思いやりを持ち、助け合ってきたからこそ、戦後の経済発展の果実が、一握りの人 間の手だけに落ちることなく、国民全体の富として行き渡ったのではないか。 ・また我々は、国内では誠実、外国に対しては不誠実などと態度を使い分ける器用さを持 たない。 そもそも二股をかけることさえ、たいへん不得手な民族である。 ・ヨーロッパの国の人々は、複雑な外交をしながら生き延びたり、滅びたりしてきたので、 平気で七股ぐらいかける。それが歴史的伝統ともいえる。 ・戦争はよいことではないが、当時の状況で、エネルギーを絶たれたまま、アメリカの挑 発に対して、日本がただただ平和主義を唱えていたなら、列強がワッと寄ってたかって、 日本は早晩、アメリカかソ連かイギリスの植民地になり、その後15年ぐらい経って解 放され、今はフィリピンのような感じになっていたに違いない。 ・靖国神社には、それを防ぐための戦い、死んでいった人たちが祀られているのだから、 今でも感謝のお参りに行く人がいるのは当然のことだ。 戦争に負けたが、植民地にならなかったのは、彼らのおかげだ。 ・安倍晋三首相のいうように、「御英霊に対する哀悼の誠」と「恒久平和の誓い」こそ、 靖国に行く多くの日本人の正直な気持ちではないか。 ・感謝の気持ちには、政治家と一般の区別などない。 参拝に関してこれ以上とやかく言われるのは内政干渉だと思う。 ・戦争の被害者は勝者と敗者の両方にあるが、しかし、多くの場合、加害者は特定できず、 償いを求めることもできない。 国家には、戦争をする権利があるからだ。 ・だから、心の平安を得るためには、忘れなければいけないということになる。 やられたことは、忘れた方が気持ちは楽になり、前向きになれる。 その方がずっと生産的で、かつ、健康的だ。唯一の解決法である。 ・ところが、それを絶対に忘れさせないための学校教育を行っている国がある。 和睦の意思がないということだ。 ・忘れないでいると、恨みは膨らみ、本人たちはいつまでも苦しい。 恨みの感情ほど、人間の心を疲弊させるものはない。 その苦しい感情を、何も知らない子供たちにまでわざわざ注入し、未来永劫、踏襲させ ようというのは、考えてみればかわいそうな話だ。 ・最近、「あれっ」と思ったことがあった。 チェコにあるナチの強制収容所跡で解放何周年記念かの式典が開かれ、ドイツの「ガウ ク大統領」が献花とスピーチをした。 そのときの大統領が、「我々は、当時のドイツ人とは違います」といったのだ。 ・「ドイツ人は謝罪し、日本人はしていない。少しはドイツを見習え」というのが巷の理 論が、私には、ここに根本的な誤解があるように思えてならない。 ・ドイツの場合と日本の場合には、同列に並べられない違いが二つある。 まず一つ目は、ドイツのユダヤ人に対するホロコーストは、ほとんど証拠が揃っている。 証人もたくさんいる。 写真も書類もある。 ニュルンベルク裁判が下した「人道に対する犯罪」という罪状が妥当かどうかは別とし ても、ユダヤ人の大量虐殺は、動かぬ事実であろう。 ・ところが、南京大虐殺や慰安婦問題は、証拠が挙がらない。 それどころか、そんなものはなかったという証拠がどんどん出てきている。 ただ、それを認めようとしない人々が力を持っているのである。 ・二つ目は、ドイツ人の場合、ホロコーストが事実であることは認めているが、その犯罪 があまりにも大き過ぎ、また、惨虐過ぎて、「そんなことのできる人間がいるなんて、 信じられない」という思いを多くのドイツ人が持っている。 だから、そのような悪いドイツ人がいたことについては謝るが、心の中で単純に、 「自分にはそんなことはできない」と感じている。 それを素直に表現したのが、ガウク大統領の言葉、「我々は、当時のドイツ人とは違い ます」となる。 ホロコーストをやったのは悪いドイツ人で、今いるのは、違うドイツ人なのだ・・・。 ・ところが、日本人の気持ちのなかには、良い日本人と悪い日本人がいない。 まず、南京大虐殺や慰安婦に関しては、そんなことはなかったと信じているので、誤れ ない。 一方、戦争なのだから、その他に非道な行為はあっただろうとは思っている。 それについては謝る。 ・ただ、ドイツ人の場合と違うのは、その非道な行為を犯した日本人に対する私たちの感 情だ。 「我々は彼らとは違う。なぜそんなことができるのか。自分には信じられない」とは思 えない。 どちらかというと、「戦争という極限状態のもとに置かれたら、私も同じことをしたか もしれない」と思う。 ・すなわち、ドイツ人は、70年前の人間の行為と現在の自分との間に連続性を見ていな いが、日本人にとっては、70年前の人間も「我々」なのだ。 「彼らが犯した過ちは、ひょっとしたら、私も犯していたかもしれない」という一体感 が存在する。 ・つまり、日本人が南京で本当に30万の人間を殺したのだとしたら、そのときは謝るだ ろうが、日本人としての連続性や一体感は持てなくなると思う。 そして、おそらく、「そんな残虐なことができるなんて信じられない」という思いのほ うが強くなり、ドイツ人と同じように、「そういう日本人がいて本当に申し訳なかった。 でも、私たちは違います。私たちはよい日本を作ります」と言うだろう。 ・チェコでは、戦時中、多くの人間がナチの手によって殺されたが、戦後は、ドイツの占 領地に残っていた多くのドイツ人が報復を受け、苛酷な条件のもとで命を落とした。 それを指しているのだろう、ドイツのガウク大統領のスピーチに関してインタビューを 受けていたチョコの青年が、「今度は僕たちが謝る番だ」といっていたのが、とても印 象的だった。 チェコ人は、ガウク大統領の「我々は、当時のドイツ人とは違います」という言葉を受 け入れ、許したのだ。 ・いずれにしても、「ドイツを見習え」というのは、ちょっとピントが外れている。 それよりも、日本政府は、事実を真摯に検証し、それをちゃんと相手に伝える方向に、 針路を定めるべきだと思う。怨念は誰にとっても毒である。 奴隷制度がヨーロッパに残した「遺産」 ・制度としての奴隷の活用。合法の奴隷制度。悪辣さでは犯罪のはるか上を行く。 それが、欧米では長くあり、日本にはなかった。 ・欧米の場合、近隣諸国とは陸続きだったので、しょっちゅう戦争が起こり、負けた国の 人間は奴隷にされるという不文律が古代より近世まで実行させた。 しかし、日本にはそういうルールが、かなり早くに消えてしまった。 島国だから、ごっそり奴隷を連れて帰ってこられるような戦争もなかった。 ・奴隷の売買に言及している興味深い著作がある。 「松原久子」氏の「驕れる白人と戦うための日本近代史」だ。 「近東、インド、東南アジア、中国、日本といった古い文化の中心地に比べて、 中部および北部ヨーロッパはかつて荒涼とした貧しい土地だった。その事実はいくら 壮大な大聖堂を建設しても覆い隠すことはできなかった」 「地中海の向こう側の人たちを魅了できるものをヨーロッパは提供することができな かった」 「オリエントとのヨーロッパの公益は慢性的な赤字だった。ヨーロッパ人は、ヨーロッ パ外の地域から購入したものはすべて、金・銀で支払わなければならなかった。何トン もの金・銀がアラブ商人の懐に消えていった」 「しかしヨーロッパ上流階級の人々のオリエント商品への渇望は、貪欲で飽くことを知 らなかった」 「そこで、何世紀にもわたってアジアへの輸出のために特別な商品が用意されたのだっ た。その商品とは、ヨーロッパ人の奴隷である」 ・ただ、松原氏の著書によれば、この生きた商品について、ヨーロッパの歴史書にはほと んど記載がないらしい。 ・歴史を書き換える。美化する。あるいは、都合の悪いことを削除するのが上手なのは、 何もアジアの国だけではない。 どこの国でもやっていることなのだ。 程度の差こそあれ、日本もやっているだろう。 そして、欧米の国々は、おそらく一番上手にやったのである。 ・歴史は支配者の数だけあり、また、支配者が替わるごとに書き換えられる。 ・ いま歴史として定着しているのは、長年のあいだ他の多くの物語と競い合って、勝ち 残った物語ということだ。 ・昔のことは検証不可能なので、それが事実であったかどうかは問題にはならない。 もちろん、滅びてしまった民族が持っていた歴史は、とっくに消えてしまっている。 ・一方、近年の歴史となると、民族はそう簡単には滅亡しないし、記録が正確になってい るので、怒った出来事自体をごまかすことは難しくなる。 しかし、それでも、同じ出来事が、見る人の立場によって、まったく異なった物語とな り、それが、それぞれの場所で史実として扱われるという点は同じだ。 ・つまり、一つのできごとを巡る歴史が一つではなく、たくさん存在するという状況は、 現在でも変わっていない。 今、通用している歴史が真実であるという証拠は、まったくないのである。 ・奴隷といえば、アフリカ大陸からアメリカに連れて行かれた奴隷ばかりが有名だが、 西洋がアラブに輸出した白人奴隷は、現在通用している世界史から跡形もなく削除され ている。 「しかし真実は、奴隷はヨーロッパのオリエントへの主要な輸出商品の一つだった。 なぜならば、ヨーロッパは奴隷意外に商品価値を持ったのは何も提供できなかったから である」と、松原氏は確信を持って言う。 ウヤムヤにできた理由は、おそらく、ヨーロッパ人奴隷の特徴が、アラブ人やペルシャ 人と混血してしまうと薄まって、二代も経てばほとんどわからなくなってしまったから ではないか。 ・その点、アフリカ人の肌の色は、混血しても長い間克明に残るし、あまりにも違いがは っきりしているため、白人のほうが躊躇し、混血の勢いも鈍かったのだと思う。 ・何が政権を握るずっと前より、スラブ人は野蛮で遅れている民族と見做されていた。 18世紀の歴史を読んでいると、ドイツのプロセインのお姫様が、ロシアのロマノフ王 朝からの客人に対し、おっかなびっくり接している様子が出てくる。 ・ナチが政権を握ってからは、スラブ人ははっきり劣等民族として扱われ、また、みなが そう信じていた。 ・奴隷というのは、人間扱いされていない人間のことだ。 神厳を人間扱いせず、生殺与奪の権を奪い、商品のように売買することは、常識で考え れば犯罪である。 ・ところがそれが合法となると、話が違ってくる。 常識で考えれば犯罪であることを、皆が上手に詭弁を弄し「これは犯罪ではない」と定 義づけ、どうするのだか私にはわからないが、とにかく良心なども傷まないようにする。 奴隷に焼き印を押してあっても、奴隷は家畜と同じなので、それも普通のことだと思う ようになる。 そして、奴隷制度に皆で積極的に加担する。 なぜか? 加担しないと損になるからである。 ・16世紀から18世紀まで繁栄した奴隷貿易というのは、三角貿易であった。 まずヨーロッパから、鉄砲やガラス玉やラム酒、あるいは綿製品などをアフリカに運ん で、奴隷と交換する。 鉄砲はわかるが、ガラス玉というのはひどい。 その奴隷をアメリカ大陸に連れて行って売り、今度はそこで、佐藤、コーヒー、綿かな どの貴重品を積んで、ヨーロッパに持ち帰った。 ・取引した奴隷は、イギリスだけでも300万人以上といわれている。 ビクトリア朝時代にイギリスの富裕層のほぼ20パーセントは、奴隷貿易から何らかの 利益を得ていたという。 とにかく、ひどく利益の多い交易だった。 その副産物として、18世紀のイギリスの金持ちの家では、黒人の奴隷を置くのが流行 にもなった。 ・ようやくイギリス政府が奴隷制度を廃止したのは、1833年のことで、このとき、 2000万ポンドもの賠償金が支払われた。 誰に支払われたかというと、奴隷制度廃止のせいで不利益を被った奴隷のオーナーたち に、である。 ・書いているだけでも、だんだん腹が立ってくるが、しかし、すべては、奴隷を商品とし て売買することが犯罪でなかったからこそ成り立った話である。 ・その点、私たち日本人は、「人間を家畜扱いすることが犯罪ではない」と定められてい る社会を想像しにくい。 近所の人を見て、「ああ、あの人は昔、奴隷だった人だなあ」と思う機会もなかった。 ・日本における格差というのは、貧乏人か金持ちかという違いだけで、所詮、同質の民族 なのだ。 学歴が違っても、決定的に教養が違うわけではない。字が読めない人がいるわけでも、 言葉が通じないわけでもない。 支配した階級と支配された階級はあったが、人間と非人間というほどキッチリとわかれ ていたわけでもない。 士農工商の区別はあったが、商人はお金を持っているので、かえって強い部分もあった。 それに、武士がしょっちゅう切り捨て御免をやっていたわけでもない。 ・現在の日本人というのは、どちらかというと、全員が大昔から同じような過去を共有し て、今も同じような週刊誌を読み、何となくゆるりとつながっている。 目下の敵も、所詮同じ日本人なので、あまり叩くと自分に跳ね返ってくるかもしれない というような、同根の感情で束ねられているのが日本社会なのだ。 ・ドイツでは、ゆるりとつながっているという感覚が、国民全体のなかにはない。 親戚とはしっかりつながっているし、学校の同窓生や職場の同僚ともちゃんと団結して いる。 そこだけ見れば、同質の、とても心地よい社会だ。 ・しかしそれは、言うなれば一つの階層、つまり仲間うちの話であり、他のグループとは つながっていない。 仲間うちの一体感が階層の境界を超えることもない。 しかも、違うグループとは物理的にもあまり交じり合わない仕組みになっている。 唯一の例外がサッカースタジアムだろう。 ・簡単な例をあげるなら、ドイツには、成長してからは公共の交通機関にはほとんど乗っ たことがないという人たちがかなり多く存在する。 別に、一番上流でもない。 中流の上ぐらいが、すでに自家用車と、せいぜい遠距離列車と飛行機にしか乗らない人 たちだ。 ましてや、東京の地下鉄のように、毎日、ぴったりとくっつくようにして、ありとあら ゆる人たちが一緒に揺られている乗り物など、ドイツではあり得ない。 この国の市電やバスは、学生と貧乏人と勤労者の一部、あとは環境頬主義者や都会住ま いの老人たちのための乗り物だ。 ・だから、車にしか乗らない人たちのなかにも階層はある。 昔ながらの金持ち、成金、中産階級、学生、貧乏人と、貧富の差が、乗っている車から 垣間見える。 ・いずれにしても、ドイツというのは、目を凝らせば、いまだに階級社会の名残りがちゃ んと見えてくる社会なのだ。 ・すでに階級などなきものであるかのように思い込んでいるのは、往々にして下の階層の 人たちで、上の階層の人たちは、その勘違いをうまく利用しつつ、自分たちの特権をち ゃんと維持して暮らしている。 要するに、自分たちの特権をしっかり自覚しており、それを変えようなどとは微塵も思 っていない。 ・私の考えでは、いまでも、ヨーロッパの人々の頭の中にある平等の観念と、日本人の頭の 中にあるそれは、大きく違うような気がする。 日本人の考えでは、誰に教えられなくても、人間はなんとなく、みな平等なのだ。 年功序列というヒエラルキーは明確にあるが、階級という観念は極めて希薄である。 ・だからだろう、ヨーロッパに出かけた日本人は、チップをあげるのが下手だ。 スーツケースを運んで切れた人などに小銭を渡すのは、相手をバカにしているような気 がして、どぎまぎする。 その国の習慣だからとはいえ、子どもの使いじゃあるまいし、大の大人にはした金をあ げるのは、申しわけない気分だ。 ・2013年の11月、ジャマイカなど、カリブの14ヵ国が、奴隷制度による被害の賠 償を、イギリス、フランス、オランダの三国に求めることを決めたという。 これらの国には、アフリカから連れてこられた奴隷の子孫が多く住む。 16世紀から始まった奴隷貿易で連れてこられた奴隷の子孫だ。 ・宗主国といわれている国々は、それまでの二百余年のあいだ、植民地にした地域から、 資本も、生産手段も、教育の機会も、すべてを奪い、アフリカから連れてきた奴隷を 「しゃべる家畜」としてこき使っておきながら、突然、解放と名のもと、放り出したの である。 ・すべてを奪われた人々は、唐突に与えられた自由を、うまく活用できなかった。 苛酷な過去の負の遺産は、いまだにこれらの国の正常な発展を妨害している。 つまり、彼らが今、直面している困難の原因は、奴隷制と植民地化である。 だから賠償金を支払え、というわけだ。 ・彼らの反人道的な行為の実施された場所は、三角貿易の当該国だけであない。 特に、イギリスが行ったアヘン戦争は、非道という点では、右に出るものがないのでは ないか。 しかし、アヘン戦争に関しては、中国はイギリスにもっと食いつけばよかったのに、 なぜか、さっさと水に流してしまった。どうも理解できない。 ・どちらを向いても、世界には、善良な日本人には到底太刀打ちできない国が多すぎるよ うだ。 同性愛者が英雄になるヨーロッパ ・私の知り合いの女性は、プロテスタントの牧師で、レズビアン。 レズという言葉は日本語ではオフィシャルに使われていないが、ドイツではテレビニュ ースでも使われる正式な名称だ。 ・男性の同性愛者は、ドイツでは「シュヴール」という。 ホモセクシャルというのは、元来、同性愛の総称で、男女共通。 ところが日本では、女性の同性愛者はレズと呼ぶが、男性の同性愛者を表わす言葉はホ モで、シュヴールにあたることばが見当たらない。 ・カトリックは男性社会なので、ホモが多いのは周知の事実だが、公式にはそんなものは ないことになっている。 一方、結婚も恋愛も離婚も自由なプロテスタントでも、同性愛は結構多いらしい。 こちらではカトリック教会ほど極秘にする必要はないようだが、それでも、大手を振る ところまでは行かない。 ・同性愛者というと、日本では誤解されているところがあるが、彼ら彼女らは、性同一障 害者ではない。 ただ、好きになったが異性ではなく同性で、同性の人間をパートナーとして選んだだけ の話である。 ・ホモもレズも、カップルのあいだには性交渉があることが前提。 つまり、ホモやレズのカップルとは、夫婦(あるいは恋人)の同性版だと思えば間違い はない。 そして、そういうカップルは、ドイツでは結構たくさんいる。 ・同性愛の場合、愛がなくなれば一緒にいる理由は希薄になる。 税制の優遇も制限されているし、たいていの同性カップルにはカスガイとなる子供もい ない。 そういう意味では、愛に支えられたロマンティックな関係が同性愛の特徴であるともい える。 ・同性愛カップルを見るといつも思うのだが、世界が二人きりで完結してしまっている。 具体的にいうと、まなざしが穏やかで、二人で見つめ合っている時間が長く、しかも、 見つめ合いながら微笑んでいる。そして周辺には、いつしか優しい空気が充満する。 ・ドイツでは、2001年、SPD(ドイツ社会党)と緑の党の連立政権時代、同性愛の カップルが結婚できるようになった。 この法律は、直訳するとライフパートナーシップ登録法といい、管轄の役所に届けを出 し、それが受理されると、今までの恋人関係であったものを法的に拘束力のある「婚姻」 の形にすることができる。 ・正確に言えば、ライフパートナーシップと結婚は百パーセント同一ではないから、婚姻 という言葉は正しくないかもしれないが、これより、同性のカップルも夫婦と同じく世 帯を持ち、同じ名字を名乗りたければ名乗り、財産を共有し、互いの面倒を見合い、 ひとりが病気になれば、もう片方は家族として医者の説明を受けられるようになり、 また、ひとりが死亡すれば、残された相手は遺産の相続ができるなど、さまざまな夫婦 の義務と権利が、同性のカップルにも備わったのである。 ・ただ、同性夫婦は市民権を得ても、法律的にはまだ従来の夫婦とすべてが平等なわけで はない。 一番大きな違いは、養子を取れないことだ。 子供がどちらかの実子である場合は、もう片方がそのこと養子縁組をして、ふたりでめ でたく「両親」となることができる。 しかし、まったく血の繋がっていない他人の子供を、二人の養子として取ることは認め られていない。 ・ということは、レズの場合、女性のひとりがどこからか精子をもらってきて子供を産め ば、話は簡単だ。 しかし、ホモの場合は自分で産めないだけに、子供を持つ可能性はかなり薄れる。 子供を産んでくれるだけの女性を見つけるのは、至難の業だろう。 ・新旧のモラルがぶつかり合っているというと、今フランスがすごい。 2013年5月、フランスが同性愛者の全権を認めたことは、記憶に新しい。 ただ、それは国が二つに分かれるほどの大論争と、参加者が10万人を超えるようなデ モを引き起こし、抗議のための自殺者まで出た。 ここでも一番の争点が、やはり養子問題だった。 その混乱は、法律が成立した後も続き、その後また再燃している。 ・スペインは、フランスと同じくカトリックの国であるが、すでに2005年より、同性 のカップルが養子を取ることが認められている。 しかも、ちゃんと結婚の登録をしていなくても、養子は取れる。 ・現在、フランスやスペインと同じく、同性愛者の結婚を、異性間同士の結婚と、まった く同権利で認めている国は、16ヵ国ある。 オランダ、ベルギー、カナダ、南アフリカ、ノルウェー、スウェーデン、ポルトガル、 アルゼンチン、ブラジル、イギリスなど。 ・現在の西ヨーロッパの風潮は、結婚するのは異性同士でも同性同士でも良くて、両親は パパとママが一人ずつでも、あるいは、パパが二人でも、ママが二人でも良いというも の。 そこに疑問を呈すれば、たちまち保守反動、差別主義者の烙印を押されてしまう。 ・私は、同性愛に対して偏見はない。 別に人に迷惑をかけるわけではなし、社会人としての義務を果たし、平和に生きている のなら、皆、好きな人と一緒に暮らせばいいと思っている。 ・ただ、同性夫婦が普通だと思う人間が増えることが、社会の進歩だとは思っていない。 そして、その同性夫婦が子どもを持つのが普通かどうかということも、よくわからない。 ・幼い子供には、自分の置かれた状況を相対的に見る能力はない。 自分の意見が持てるようになるのは、外からの知識が入り、自我がある程度育ってから のことだ。 それまでは、自分の置かれた環境が普通であり、すべてとなる。しかし、問題はそこだ。 ・私には、たとえば、むくつけき中年男2人と幼い女の子からなる三人家族が、どうして も普通には見えない。 それが普通であるならば、私は、時代遅れで、政治的に正しくない考えの持ち主である。 「移民天国」か「難民地獄」か ・難民は、引き受けたあとは、衣食住はもちろん、医療、語学コース、職業訓練、生活保 護など、さまざまなケアが必要だ。 彼らが就業できることは稀なので、そのケアがほとんど永久に続くことも多い。 ・また、住居の場所にしても、いざとなると、近隣住民の反対や、難民自身の抵抗などで、 あっちこっちで暗礁に乗り上げる。 ドイツ国民は、難民は気の毒なのでもっと受け入れろといいながら、自分の目にふれそ うなほど近くに来られるのは好まない。 ・EUでは、難民が一人でも増えないようにと、各国とも必死だ。 現在のEU法では、漂流している難民を救助すると、不法入国ほう助で罪になる。 そこで、漁師たちも、ほとんど遭難に近いような難民ボートを発見しても、救助を躊 躇する。 後で罰金を取られたり、漁船が没収されたりということが、実際に起こっているからだ。 なお、命からがらEUの一角にたどり着いたからといって、不法侵入者がそこに留まれ るわけでもない。審査に合格しなかったら強制送還だ。 ・難民問題の根本は、EU周辺国の経済格差があまりにも大きいことだ。 だから、貧しい国からEUへと、あたかも水が高いところから低いところに流れるよう に、人間が流れてくる。 ・ドイツ人にはリベラルな人が多いので、総論としては、難民をもっと受け入れろという 意見が強い。 しかし、いざ、難民の住宅が自分の死んでいる町に計画されると大反対になることが多 い。 ・そのため何が起こるかというと、国境をさらに厳しく監視しようという考えの人々と、 もっともっとたくさんの難民を受け入れようとする人々の対立が激しくなる。 人権団体などは、躊躇する政府のお尻を常に叩き続けている。 この対立は、ドイツだけではなく、EUの各国で火を噴き始めている。 ・ヨーロッパに住んでいると、不法滞在者は、しょっちゅう目につく。 難民受け入れが比較的少ないのはイタリアだが、しかし、イタリアに行ってみるとよく わかるが、既にこの国には、ものすごい数のアフリカ人が入っている。 海岸などで、日よけ帽子やアクセラリーやらココナッツを売っている人たちは、警察が 来ると一目散に逃げる。 不法滞在者であることは、一目瞭然だ。 だから、イタリア人が、これ以上、難民が増えては困ると思い気持ちはよくわかる。 ・思えばEUは、美しい理念で始まった。 ヨーロッパは一つという夢、アメリカやアジアに対抗する強い経済圏を形成するという 夢、そして、皆が豊かになれるはずのグルーバル構想という夢・・・。 ・しかし、それはことごとく破れ、EUは今や要塞だ。 自分たちの富を囲い込み、まずい国の人々を寄せ付けないための要塞である。 ・しかも、ヨーロッパは一つどころか、EU内でもしょっちゅうナショナリズムがぶつか り合っている。 EUがこれほど排他主義と利己主義の集団になってしまうことを、20年前に誰が考え たことだろう。 ・そもそも、難民であろうがなかろうが、外国人の割合が一定以上に増えてくると、人々 は不安を感じ始める。 実際、現在のドイツには、純粋な外国人は9パーセントだが、すでにドイツ国籍を取っ た人や、ドイツで生まれた二世、三世を入れると、ほぼ20パーセントが外国人か、 または元外国人ということになる。 都会では、外国人の割合が四割を超えるところも多い。 私は、この数字はそろそろ限界ではないかと感じている。 しかし、現実には、外国人はこれからまだまだ増えていくだろう。 ・「人間みな兄弟」というのは、利害のないところでは容易に成立するテーゼだ。 きれいな民族衣装を着て踊っているグループを見るのはエキゾチックで楽しい。 何の問題もないし、誰も文句を言わない。 ・しかし、そのグループが、自分たちに経済的な負担をかけ始め、それが果てしなく続く かもしれないとなると、途端に関係は変わる。 民族衣装や、自分とは違う肌の色、解せない言葉など、エキゾチックなものから不愉快 なものへ変わっていく。 その速度は、極めて速い。 ・人間は、苦しみや悲しみを共有することはできるが、富の共有はなかなか難しい。 ・ジン減の移動の自由は、さまざまなメリットをもたらす。 たとえば、ドイツでは質の良い熟練労働者が不足しており、それを外のEU国から補充 している。 熟練労働者というのは、工場などの生産過程で必要な技能を持つ労働者で、彼らなくし ては、立派な施設があっても、潤沢な生産につながらない。 ・熟練労働者がドイツで不足している原因の一つは、ある程度優秀な人は、「労働者」で はなく「技術者」になりたがるからだ。 一方、熟練労働者になるべきドイツの若者たちは、質が悪くて使い者にならないことが 多い。 そんなわけなので、困り果てたドイツの産業界は、外国から優秀な人材を確保しようと、 鵜の目鷹の目で探している。 ・医療関係施設の外国人労働者への依存も極めて高い。 ドイツの病院や老人ホームでは、介護士の半分が東欧からの労働者で、今や彼女らなし ではドイツの井料は機能しないというところまで行っている。 ・それでも足りずに、このごろは、経済が破綻している南欧の国々からも介護士を誘致し ているほど。 ドイツの老人の面倒を見てくれているのは、貧しいEU諸国への人々なのである。 将来、老人人口はさらに増えるので、外国人介護士もますます増えるはずだ。 ・また、労働力が足りない職種としては、高度な資格を要する職種も挙げられる。 そのため医師や歯科医や技師などが、やはり東欧からやって来る。 ドイツのほうが給料は比べものにならないほど高いので、移動は当然の成り行きだ。 ・ドイツの医者は辺鄙なところに行きたがらないから、地方では特に不足している。 何人でも、医者が来てくれればありがたい。 ・結果として、チェコやポーランドの一部では医師が不足するという現象が起こり、 ドイツでは医師がドイツ語をよく解さないという新たな問題が持ち上がっている。 それでもドイツ人は、無医村になるよりはずっとましだと思っているのだろう。 ・EUは、将来はさらに資格などの統一を図っていくので、そのうちあらゆる職場に、 外国人が入ってくることが予想される。 貧しい国の人々がどんどん入ってくれば、経営者にしてみれば、賃金の上昇が抑えられ るので好都合かもしれない。 もっとも、そうなると、ドイツ人の賃金も上がらないから、外国人と競合するドイツ人 にとっては、良いことばかりでもなさそうだが、おそらくこの流れはもう抑えようがな い。 ・ドイツでは近年、ロマ(ジプシーという言葉は差別語なので使わない)の物乞いがもの すごく増えている。 ロマは、EUのなかではルーマニアやブルガリアなど東欧に、そしてEU外ではバルカ ン半島の旧ユーゴスラビア諸国にたくさんいる。 ・イタリアやスペインではロマの物乞いが昔から常にいたが、ドイツではあまり見なかっ た。 ・ドイツの従来の物乞いは、単に食い詰めて、社会から脱落してしまった人たち。 しかし今、流れ込んでいるロマは、組織された物乞い集団だ。 ・ロマが管理され、各国に物乞いとして送り出されている背景には、それを運営している 犯罪組織がある。 彼らが一日、地べたに這いつくばって集めたお金は、彼ら自身の収入になるわけではな い。 夜になると元締めが集め、物乞いたちは逃げないように見張られる。 ・ロマは、ない時代はユダヤ人と同じく迫害され、絶滅させられそうになった。 あるいは、殺されないまでも、「劣等人種をこれ以上増やさない」というナチの政策で、 多くが去勢された。 つまり、れっきとした「ホロコースト」の犠牲者だったのに、戦後、財力も組織力もな かったため、何の賠償も取れなかった。 ・ユダヤ人が強力なロビーを形成して、ドイツ人にできるかぎりの償いを指せたのとは対 照的だ。 そして、いまでも東欧やバルカン半島全体で差別されている。 ・アルバニアは、貧しい国だ。 今でもヨーロッパで一番貧しいのではないか。 1990年代までは鎖国をしており、ちょうどヨーロッパの北朝鮮のようだった。 現在では社会主義からは足を洗ったが、汚職やら不敗やらはなくならない。 2013年の総選挙では殺人まで起こったような物騒な国だ。 ・ただ、国土は海があり山がありでとても美しく、観光客の誘致も、最近、やっと動き出 した。 人の心は優しく、純朴で、風景と同じく、まだ商業化されていない。 ヨーロッパの最後の楽園とも言われる。 EUには加盟していないが、EUとのつながりはすでに深く、往来にビザは要らず、 IDカードだけで事が足りる。 ・そして、この国は多くのロマを抱えている。人口の4パーセントといわれている。 アルバニアのロマは、他の地域のロマと同じく、ひどく差別されている。 というよりも、あたかもロマの問題など存在しないような無視のされ方だ。 ・電気も水道もないようなひどいバラック街が、どこかの町はずれ村はずれにあって、 いないはずのロマは、そこで信じられないような凄まじい生活をしている。 ・生業は、何千年も前から、物乞いとゴミ漁り、そして、スリや泥棒。 誰も雇ってくれないから、その他の糧を得る手段がない。 有史以来ずっとといってもよいほど長い間、彼らはそうやって暮らしてきた。 子供はたくさん生まれるが、出生届を出さないことが多いので、そうなると戸籍もなく、 学校にも行けない。自分の国に異ながら、不法滞在しているようなものだ。 ・EUの加盟国ブルガリアにも、ロマはたくさんいて、やはり忌み嫌われている。 ブルガリア第二の都市、プロヴィディフを訪れたとき、町の広場では、ロマの男の子が 虚ろな目でシンナーを吸っていた。 その子が私たちを認め、近寄って来ようとした。お金をもらおうと思ったのだろう。 しかし、それを見た途端、その場にいた大人たちは、近寄るなどばかりに、少年を足蹴 にした。 ・いずれにしても、これまでは東欧とバルカン半島のものであったロマの問題が、EUの 拡大とともに今、怒涛のように西ヨーロッパに、そしてスカンジナビアにまで流れ込ん でいる。 普通の労働者の流入も、短期的な利益はもたらしても、長期的に見れば決してヨーロッ パ全体のためにはならないと私は思っているが、ロマなどの貧困者の流入は、さらに危 急の問題といえる。 ・2014年の初頭、ドイツでは、この貧困移民の流入についての議論にひょんなことか ら火が点き、紛糾する事件があった。 事の始まりは、CSU(キリスト教社会同盟)が党大会で、「詐欺をするものは追い出 される」という過激なスローガンを打ち出したからだ。 「詐欺をするもの」は誰かのことかというと、ドイツの社会福祉システムを目当てに流 入する外国人を指す。 ドイツの社会福祉システムが、一部の外国人に悪用されているのは、周知の事実なので ある。 ・不正受給をもくろむ者が狙うのは、子供手当てと生活保護費だ。 子供手当ては、ドイツに住民登録をしたEU市民なら、すぐに誰でも受給できる。 ・一方、生活保護費は職に就いている人にしか支払わないので、外国人はその対抗手段と して、事実を申請する。 正装請負でも、アイロンかけでも何でもよい。 一人でも事業は申請できるし、申請時に、その仕事が機能する可能性があるかどうかは 問われない。必要なのは、26ユーロと住所だけ。 そして、登録した申請が十分な収入をもたらさない場合は、少なくとも3ヵ月後から生 活保護費がもらえる。 ・実は、ドイツの生活保護費を最も多く悪用しているのは、移民の数がずば抜けて多いト ルコ人で、トルコ人の不正受給だけで、ドイツでは年間、2億ユーロ以上の損害が出て いるといわれている。 ・ちなみにオランダも、副使の悪用による損害金額は1置く7400万ユーロで、ほぼ半 分がトルコ人によるもの。 トルコに抗議しても話が進まないので、オランダ政府は近年、トルコにまでひとを派遣 し、独自の不正受給者を追跡している。 ・スイスも数年前に調査機関を作り、2011年には811万スイスフランを取り返した が、そのうち60パーセントがやはり外国人だった。 ・しかし、ドイツ当局だけは、不正受給の実態をちゃんと調べようとしない。 そんなことをすると、ドイツ国内にいるトルコ人が怒り出し、せっかく積み上げてきた 外国人統合政策が崩壊、治安が不穏になるばかりでなく、トルコとの外交的問題にまで 発展しかねない。 それを思えば、不正受給を黙認するほうがいいだろうということだそうだが、本当にそ のほうがよいと国民が思っているかどうかはわからない。 EUはローマ帝国になれるか ・ヨーロッパというのは、アルプスの北と南でその様相は全く違う。 気候が違えば、人種も違うし、食べ物の種類も嗜好も、人間のメンタリティーも、こと ごとく違う。 気候はともかくとして、他のすべては、アルプスが障壁となり、往来が稀だったことか ら生じた違いであると言っても過言ではないだろう。 ・ずいぶん昔、初めて一人でヨーロッパを旅行したとき、私も、アルプスをこえて光が変 わるのを体験したことがある。 11月、イギリス、ドイツと移動し、私はその暗さと寒さに辟易としていた。この国に は太陽は出ないのかと思ったほどだ。 そこで、何かのはずみのように夜行列車に乗って、ミュンヘンを後にした。行き先は、 フィレンツェ。 インスブルック、ボルツァーノという町を経由して、私はこの晩、アルプスを越えた。 そして翌朝、フィレンツェに降り立ったのだった。 このフィレンツェの駅前の光景が、30年経った今でも忘れられない。 抜けるような青空と眩しい光。暗くて憂鬱だったドイツと、なんと対照的だったことか。 人々の来ているものまでが明るかった。 ドイツでは、人々が身につけていたのは黒や深緑のような暗く沈んだ色ばかりだったが、 フィレンツェでは、あちこちから真っ赤や真っ青といった鮮やかな色が目に飛び込んで きた。 ・さて、日本はというと、こちらは南ヨーロッパと比べても、少しも引けを取らない豊饒 の国だ! 関東から南は、冬でも何かしら生えているので、ぼんやりしていても、すぐに飢え死に することはない。凍え死ぬほど寒くもならない。 北海道や東北はそれなりに寒いが、しかし、それを補って余りある魚資源がある。 お米も穫れる。お酒もおいしい。やはり恵まれている。 ・宮城県に行ったときは、その緑の深さに感動した。 いろいろなトーンの緑が、それこそ折り重なるように迫ってくる。 都会にいると、自然を壊し過ぎたとしばしば空恐ろしい気分になるが、都会を離れると、 突然、山と森が目に飛び込んできて、ああ、これが私たちの命の源だったのだと感じる。 ・冬のドイツはすごく寒いし、太陽がたましにしか照らない。 スカンジナビアに行けば、たまにも照らない。 地面は何メートルも下まで凍てつき、農業はもちろん、建設工事もできなくなる。 そういう国では、昔から、短い夏の間に一年分の生産をし、冬の間に何を食べるかまで、 綿密に計画を立てて暮らさなければならなかった。 ・それを思うと、日本で、冬、頭上に青空が広がっているのを見るたびに、僥倖だと思う。 日本人の呑気さと性善説の考え方は、気候の穏やかさから来るに違いない。 春には桜を愛で、秋には紅葉を愛で、私たちは暮らしてきた。 これらの恵みによって、日本人は生き続けてこられたのだと思う。 ・ヨーロッパ人の心のなかには、いまだ無意識的にローマ帝国がある。 ただ現実には、このロマンティックなローマの夢からずいぶんかけ離れてしまった。 今や、北は豊かで、南は貧しい。 田舎者と蔑まれていたドイツ人が、せっせとカエサルの末裔の生活を援助しなければい けなくなるとは、誰が想像しただろう。 ・それでもイタリア人は、経済も政治も破綻危機の混沌の国に暮らしながら、当然のよう に、優雅にドイツ人を見下ろしている。 そしてローマには皇帝こそいなくなったが、今でも法王が、世界の12億のカトリック 教会の信者を従えて君臨している。 ・しかしながら、ローマ帝国というヨーロッパの権威を復活させるにしては、現在のEU は、下手に間口を広げ過ぎてしまったようだ。 ・アルプス越えは簡単になり、子供でも老人でも難なく越えられる。 そして、南には、今でもさんさんと太陽が降り注いでいるが、それ以外のものが足りな 過ぎる。 劣化するウィーン・パリ・フランクフルトvs進化する東京 ・フィレンツェは優雅な街だった。 中世からルネサンス期にかけては、ヨーロッパの商業と金融の重要な中心地のひとつで あり、一方、それと連動するように芸術も最高潮に達した。 特に14世紀以降に興ったルネサンス文化、そして、メディチ家の隆盛は、イタリアの みならず、ヨーロッパの歴史と芸術においても重要な役割を果たしている。 いずれにしてもフィレンツェは、貴重な建築物や文化遺産がここかしこにあり、街中が 博物館のような都市でもある。 ・この街に初めて立って、何に驚いたかというと、街の中心に新しい建物がなかったこと だ。 そして人々は、何百年も前に建てられたと思われる古めかしい建物のなかで、普通に生 活していた。 ホテルにエレベーターはあったが、それはただの箱で、自分でドアを開け、そして、 閉め、ボタンを押すと、ガチャンという大きな音を立てて内扉が閉まり、ガラガラと昇 降した。日本のほうがよほど近代的だと、そのときは思った。 ・大聖堂からベッキオ橋に至る高級ブティック街も同様の眺めだった。 知らないブランド店が軒並み続き、それが途方もない高級店であることはわかった。 世界をリードするファッションと、ルネサンスの優美が、何ら矛盾することなく融合し ていることに、私は衝撃を受けた。想像を超えた風景だった。 ・フィレンツェからベニスを通って、最後は夜行列車でウィーンに行った。 当時のウィーンは、これまた面白かった。 この街は、第二次世界大戦であまり被害を受けなかったため、ハプスブルク王朝の遺産 である建物がそのまま残っている。 それら壮麗な建造物が、街中にいかにも古めかしい雰囲気を醸し出していた。 ・そして、そこで生きている人間はというと、それら前世紀の古めかし建物のなかで日常 生活を送っていた。 工夫やら妥協をしながら、不便を物とせずに暮らしていた人々に、私はまた衝撃を受け た。 古い者を残すというのは、こういうことなのだと、初めて悟ったのである。 ・ドイツ人は頑固だというが、ひょっとすると、より頑固なのは南ヨーロッパの人間なの かもしれない。 特に、田舎に行けば行くほどオリジナリティーは保たれている。 イタリアのトスカーナも、南フランスのプロヴァンスもそうだった。 人々は伝統やら風習を残そうと努力しているのか、あるいは、それをかえる気などさら さらないのか。 いずれにしても、のんびりと素朴な生活をしていた。 これこそが、おそらく豊かな生活というものなのだろう。 ・東京は魅力的だが、その風景は混沌としている。 私たちは、統一した景観をつくるということに関しては大失敗してしまったようだ。 統一は日本人の苦手とするところであるが、同時に、おそらく私たちはそんなものは求 めてもいないかもしれない。 ・ただ、これほど多くの人間が住みながら、これほど清潔で、これほど多くのことがスム ーズに機能する都市は、東京をおいて世界のどこにもない。 |