ドイツ流、日本流 :川口マーン恵美

この本は、いまから10年前の2014年に刊行されたものだ。
当初、2011年に「サービスできないドイツ人、主張できない日本人」というタイトル
で刊行された本を改題して文庫本化したもののようだ。
ドイツ人の特質を日本人と比較しながら説明した内容なのだが、それはまた、日本人の特
質を認識することでもある。
ドイツ人の特質として挙げられるのは、
 ・サービスという観念がないこと
 ・食に対する関心が薄いこと
 ・自分の住居の整理・整頓に強いこだわりがあること
 ・倹約精神がとても強いこと
 ・責任の所在をはっきりさせること
などが挙げられるようだ。
これは日本人の特質と真逆だと言ってもいいのではないかと思う。
いや、「倹約精神」だけは、日本の「もったいない精神」と通じるところがある。
これらのドイツ人の特質は合理主義から来ているようだ。
合理的という観点からすると、日本のようなサービスも食へのこだわりも「合理的ではな
い」「非効率」「ムダ」ということになるようだ。
このドイツ人の特質に比べると、逆に日本人の特質は「非合理主義」「精神主義」「ムー
ド主義」だとも言えるのだろう。
この対極にあるとも言えるドイツ人の特質と日本人の特質の中間に位置するあたりが、い
ちばんいいのではないかと私には思える。

それはさておき、この本でのいちばんの主張は、ドイツと日本の教育制度の違いについて
である。
ドイツでは、小学校四年で国語と算数の成績によって三つのコースに分けられるという。
三つのコースとは、エリートコース、普通の事務員等のコース、職人コースの三つである。
これは、10歳で国家が有無を言わさず子どもたちの将来を決めてしまうと言ってもいい
だろう。日本で同じようなことをやれば、「教育の機会の平等」に反すると、大反対が起
こるだろう。
ドイツは、中世から続く職人文化のある国で、優秀な職人になるためには、小さいころか
ら職人の修業を始めたほうがいいということで、このような教育制度になったのだろうが、
職人の技がコンピュータで置き換えられつつある現代では、職人人口が急速に減少し、多
くの子どもたちがエリートコースを望むようになっており、もはや時代に合わない教育制
度になっているのではと思える。
しかし、日本にとっての問題はそれではない。教育の中身なのだ。
日本の教育は、いまだに教師が前に立ち、一方的に教えを垂れるというやり方をしている
が、ドイツではそうではない。
ドイツの学校は、何が正しく、何が間違いかについて、生徒が独自の意見を形成し、それ
を戦わせる議論の場となっているというのだ。
教わっている最中でも、生徒は受動的ではない。
何を聞いても何を読んでもそのまま鵜呑みにしない。すべてを、「本当に正しいのか」
「なぜ正しいのか」と疑ってかかる。自分の意見は何だろうといつも考える。
そして、考えたことを躊躇せずに主張する。
ドイツでは、子どものころからこのような訓練を受けているのだ。
だから、ドイツ人は、日本人の十倍ぐらい疑い深く、日本人の十倍ぐらい主張が強いのだ
という。
こうなると、ただ、知識を受動的に受けるだけの教育を受けてきた日本人は、ドイツ人に
はとてもかなわない。
国と国の交渉力においでも、経済分野での交渉力においても、日本はドイツにとても太刀
打ちできないだろう。
おそらくこのことはドイツに限ったことではないだろう。他の国でもドイツの同じような
教育が行われているだろう。
つまりは、日本は、現在のままの教育を続けているならば、とてもこれからの国際社会を
生き抜いていけないだろうということだ。
これが、この本の著者の主張なのだ。
このままでは日本はだめなのだという日本を愛する著者の熱い思いが伝わってくる本だ。

ところで、この本で読んで一番驚いたのは、ドイツには日本人が残虐な国民であると思っ
ている人が多いと言う話だ。
それは、ドイツのテレビに「南京虐殺」が歴史番組やドキュメンタリーとして定期的に登
場するからだという。
ドイツ人から「日本人は残虐な国民だ」などと言われるなんて失敬な話だが、日本人を残
虐な国民に仕立て上げて、自分たちはまだマシと思いたいのだろうか。

いままでに読んだ関連する本:
「ドイツ帝国」が世界を破滅させる
豊かさとは何か
ドイツ人はなぜ、年290万円でも生活が「豊か」なのか
浪費が止まるドイツ節約生活の楽しみ


<ドイツに暮らしてわかったこと>

食と住、ドイツと日本で大違い
・大きな家に住み、立派なキャリアを持ち、高級車を駆りながら、質素な食生活を送って
 いる金持ちドイツ人は、枚挙にいとまがない。
 食にあまり興味がないというのは、ドイツ人の国民的傾向なのである。
・ドイツ人の職に対する無関心の背景には、歴的な事情がある。
 ドイツは寒冷なうえ、土地が貧しく、野菜も果物も少なかった。
 冬のあいだは地面が凍りつき、それこそ何もなくなる。
 海が少ないので、魚介類も乏しい。
 食文化が発展する条件として、食材不足は最大のハンディである。
 さして興味が湧かなかったのも無理はない。
・また、ドイツ人が狩猟民族だったことも影響していると思う。
 ドイツ人は深い森の中で、狩猟と採集、そして家畜の飼育を生活の糧にしていた。
・ただ、だからといって、現在のドイツに美味しいものがないわけではない。
 実は、その反対で、郷土料理に美味しいものは結構多い。
 そして、多くのドイツ人はというと、そういう伝統的な、食べ慣れた料理に価値を置き、
 とてもこだわっていたりする。
 ドイツ人とは、とても保守的な人々なのだ。
・だから、レストランに行っても、知らないものは頼まないし、同席者の食べているもの
 にも、ほとんど興味を示さない。
 「おいしそうね」とは言っても、「ちょっと味見していい?」とはならない。
 去年食べたものも今年も食べ、そして、来年も食べられるなら大満足というのが、大方
 のドイツ人の考え方なのである。 
・ドイツ人の夕食は、伝統的に火を使わない。
 つまり、チーズやハムをパンに載せて、ちょこっと食べて、おしまい。
 基本的に夜はお料理はしない。
 サラダを作れば上々だ。
・日本人は、不整理、不整頓の王様だ。
 基本的に、「住」に対する関心が希薄なのだ。
 だから台所に限らず、居間も、バスルームも、限りなく雑然としていて、とにかくいろ
 いろなものが積んである。
 せっかく新築した家の中身が、一年も経たないうちに、なんだか物置のようになってし
 まうことは、日本ではごく普通の現象だ。
・それに比べて、「住」に一番の興味のあるドイツ人は、インテリアブックの挿し絵のよ
 うな部屋で暮らしている。  
 センスもよければ、お金もかかっていて、整理整頓が行き届き、そのうえ、埃一つない。
 花瓶には花が挿してあり、ふんだんに観葉植物も飾ってある。
 これは、感動に値する光景だ。
 家の中だけでなく、庭も美しい。
 地下の物置の部屋でさえも、実に完璧に整頓されている。
 特に台所は、料理をあまりしないということもあるが、無菌の手術室のように整然とし
 ている。
 こんなところで普通に生活しているのが、なんだか信じられないほどだ。
・「住」にこだわるドイツ人は、もちろん、インテリアにもこだわる。
 ドイツはもともとは職人の国だったので、ちゃんとした家具屋で家具を選ぶと、それか
 らの発注となり、納期は短くとも8週間ぐらいかかる。
 大量生産ではないので、値段もすごく高い。
・まだドイツに来たばかりで、そんなことを知らなかったとき、ベッドを買おうと思って
 家具屋へ行ったことがある。
 「ベッドを欲しいのですが」と言った私に向かって、年配の店員が見せたバカにしたよ
 うな顔は、いまだに忘れることができない。
 しかし、それが、「あんたの来る店じゃないよ」という意味だったと理解できたのは、
 ずいぶん後になってからのことだ。
 若い東洋人の私を見て、娼婦が商売道具を買いに来たと思った可能性もある。
・いずれにしても、お金のない人間は、もっと安い家具屋に行くべきだったのだ。
 さらに言うなら、ドイツでは、お金のある人間がベッドだけ買うことは絶対にない。
 ドイツ人は、ベッドというと、タンス、ワードローブから、ベッドサイドテーブルまで、
 全体のスタイルを揃えるため、一括購入することが多い。
 ベッドではなく、”寝室”を買うのである。
 居間のインテリアも同様で、カントリー風とか、クラシック風とか、現代風とか、様式
 を決めて、”居間”を買う。
・シリーズで揃えるといえば、食器もそうだ。
 洋食器の場合、オードブル皿からスープ皿、コーピーカップもデザート皿も、全部セッ
 トになっている。 
 それも、無難なように白い食器が多い。
 なんとつまらないことかと、いつも思う。
・一つ日本の素晴らしいところは、公共の場所が清潔なことだ。
 空港も、駅も、電車の中も、道路も、清掃は行き届き、ゴミをそこらへんに捨てたり、
 平気で汚したりする人は少ない。
 新幹線から降りるとき、老若男女すべての日本人が、お弁当の空箱やビールの缶を持っ
 て立つのは、凄いことだ。
 ドイツでは、公共の場所はどこも、日本の十倍くらいは汚い。
  
エコロジーと倹約精神
・ドイツは確かにサービスのない国である。
 日本ではエコバッグなどと呼ばれている、何の変哲もない木綿の手提げ袋は、ドイツで
 はすでに30年も前から活躍していたのだ。
・ドイツ人は、ゴミを出さないばかりでなく、分別も徹底している。
 ヨーロッパで一番生まじめにゴミを分別しているのがドイツ人で、その回収率と再利用
 率は他国の追随を許さない。
・ただし、だからといって、これがドイツ人の道徳心の発露の結果だと思ってはいけない。
 ドイツ人がゴミを減らし、また、分別の優等生になってしまった経緯には、わかりやす
 い理由がある。 
・つまり、それをまじめにすればするほど、お金が節約できるという仕組みになっている
 のだ。
 努力が経済的優遇となって報われるというのは、倹約家のドイツ人にはぴったりのやり
 方だ。
 なかなか賢い政策だと思う。
・ドイツでは、各家庭が、地方自治体から所定の容器を借り受け、その容器に捨てられた
 ゴミだけが回収される。
 容器の借り受けの値段は、大きさによって違う。
 つまりドイツでは、ゴミの回収の料金がちゃんと目に見えるようになっている。
 しかも、出すゴミの量によって料金が違えば、ゴミを減らそうというモチベーションは
 じゅうぶんに刺激されるだろう。 
・さて、ドイツでは、ゴミに関する節約の方法はまだある。
 包装材には、一般のゴミとは別の回収ルートがあるので、これを利用すれば、さらに一
 般ゴミの量を減らすことが可能なのだ。
・1992年、ドイツでは、「生産者と販売者は、中身を売るために使用した包装材を引
 き取らなければいけない」という法律ができた。
 目的は、包装ゴミの減量と資源としての再利用で、通称「包装ゴミ法」と呼ばれている。
・中身を売るために使用した包装材というのは、途方もなく広範囲に及ぶ。
 小さい物はヨーグルトの容器、牛乳のテトラパック、お菓子のポリ袋や、お肉やお魚の
 トレイ、ビール瓶、ケチャップの容器、缶詰の缶。
 または、段ボールの箱や、その中に詰まっている緩衝材の発砲スチールもある。
 書いていくときりがないが、早い話、生ごみと紙クズ、紙おむつなどでないかぎり、ほ
 とんどすべてが包装材であるといっても過言ではない。
・この法律ができたあと、メーカーは大あわてで、包装材の回収システムを作り上げた。
 そうでないと、客が空になったヨーグルトの容器やお肉のトレイを店に持ち込む恐れが
 ある。   
 そして、その手に負えないゴミを、今度は販売者がメーカーに返却することになるだろ
 う。
 生産者にしてみれば、悪夢のような話であった。
・その回収システムに加盟したメーカーは、その運用費用を、自分たちの製品に使用した
 包装材の量に応じて負担することになった。
 したがって、このあと各メーカーは、包装を軽減するさまざまな工夫をした。
 洗剤は濃縮され、値段は変わらないまま容器が小型化し、CDのケースは薄くなった。
 上げ底の包装などには、間違ってもお目にかかれなくなった。
 そして、どのメーカーも、回収システムに支払った経費は、実は、ちゃっかりと製品の
 値段に上乗せした。 
・それでも、リサイクルを進めるという趣旨は間違いではなかったので、消費者は、スー
 パーで黄色い所定の袋をもらってきて、歯磨きのチューブから、チーズを包んであった
 ラップまでせっせと集めて、袋に詰めて、3週間に1度、家の前に出した。
 これで一般ごみは減り、また節約ができるのだから、誰にも異存はなかった。
・ところが、日本では、ゴミの分別は国民のモラルに託され、しかも、それが大枠ではち
 ゃんと機能している。 
 日本人は、1円の得にもならなくても、律儀に牛乳パックを開いたり、発砲スチロール
 のトレイやお弁当のプラスチック容器を洗ったりしているのだ。
 日本のエコロジー精神が、節約精神ともケチ精神とも結託していないとことは、なんと
 も上品ではある。
 繰り返すようだが、これは驚くべきことなのだ。
 しかし、これが驚くべきであるという事実にさえ、日本人は気づいていない。
 他の国なら、こんなことは、独裁制を敷き、罰則を作り、密告者に頼らないかぎり、絶
 対に不可能だと思う。
・日本人の発想や行動は、その多くが性善説に基づいている。
 日本人には、見返りや罰則も、あまり必要がない。
 家を出たとたん、誰かが攻撃を仕掛けてくるかもしれないなどとは誰も考えない。
 そして、結構暢気にしていても、多くのことがちゃんと機能してきたのが、私たちの社
 会なのだ。
 その根底にあるのは、やはり、信頼なのである。
・とはいえ、ゴミに関しては、日本の自治体はいささか悠長すぎると思う。
 借金で首が回らなくなっているというのに、住人にいくらでも野放図にゴミを出させて、
 週に何度も回収してやるというのは、あまりにも人が良すぎる。
・だいたい、日本は資源の乏しい国なのだから、本来ならば、分別よりも何よりも、ゴミ
 を出さないことが先決だ。  
 そのためには、デパートやパン屋さんの例の過剰包装を皆がきっぱり断りたくなるぐら
 い、ゴミ回収の料金を上げてしまえばいいのだ。
 具体的には、所定のゴミ袋を販売して、その袋に入れてあるゴミしか回収しないという
 のが一番手っ取り早いだろう。

心をこめるかお金をかけるか
・ドイツでは、自動車を登録するとき、駐車場の有無は問われない。
 街中以外では駐車禁止になっている道路などあまりないので、自分の家にガレージがな
 い人は、そこらへんに路上駐車しておけばよい。
 だから、日本人が水はタダだと思っているように、ドイツ人は、駐車はタダだと思って
 いる。
・ドイツ人は駐車がタダだと思っているので、駐車場に入れたがらない。
 皆が必死になって駐車禁止でない道路を探す。
 週末の夜などは、駐車スペースはなかなか見つからない。
 それでもドイツ人は徐行運転で、右に左に視線を飛ばしながら、延々と探し回るのであ
 る。
 その執念はなかなか凄い。
 今でも私が真似のできないことの一つである。
・ドイツ人と日本人に限っていうなら、金銭感覚にはかなり大きな開きがある。
 ひとことで言うなら、ドイツ人は後の残るもの、また、減価償却期間の長いものには、
 それがかなり高価であってもお金を出すが、サービスや、すぐに消えてなくなるもの
 には、たとえ安価であっても出し渋るという傾向がある。 
 だから、駐車場の料金は出したくないし、食事も押しなべて質素だ。どうせ食べればな
 くなるのだから、お腹がいっぱいならなら別に安いものでいいと考える。
 食にはもともとそれほど興味もない。
・ただし、これはと思ったものには、ドーンと大金は払う。
 そして、その用途が、日本人にはとても理解できない代物だ。
 たとえばドイツ人は、少しだけ煤けた家の外壁を全部塗り替えたり、まだ新しい居間を、
 壁から家具まで一気にリニューアルしたりする。
・フランスやイタリアは日本と似ていて、家の外観にはあまりこだわっている様子がない。
 つまり、そういう意味では、ドイツ人はケチではない。
 何をもっていないと思うかというところが、日本人と完璧に食い違っているのだろう。
・ドイツ人は歩くことが好きだ。
 それが、自然との最大の触れ合いなのである。
 だから、歩くことを目的とした休暇も多い。
 リュックサックを背負い、ごついトレッキングシューズを履いて、2、3週間も毎日ひ
 たすら歩く。
・もちろんドイツにも、3週間の休暇を、砂浜に寝転がってぼんやりと過ごす国民もいな
 いわけではない。
 しかし傾向としては、インテリになればなるほど、休暇の過ごし方はアクティブになる。
・ドイツ人は、彼らの祖先の哲学的な洞察や深い思索は、自然の中の散歩から生まれたと
 信じているところがある。
 もともとが狩猟や採集で生きてきた森の民なので、森が呼ぶのである 

<ドイツ人気質・日本人気質>

サービス不毛の国ドイツ
・ドイツには、サービスという観念がない。
 店員は、店の側に立った言動が為すべきだということさえ、教えられていない。
 だから、客をバカにして得意がっているバカ店員が結構いる。
 優越感を覚える場所を間違っているのだ。
・ドイツでは、一歩家を出ると、不愉快なことが山のようにある。
 この国には、サービスという観念が希薄なばかりでなく、他人の気持ちをおもんばかる
 という習慣もない。
 皆が皆、もちろんサービス業に従事している人でさえも、「攻撃されないためには、先
 に攻撃するに限る」と思っているように見える。
・なるほど、サービス精神の基本は、他人に喜んでもらおうとすることだから、他人の気
 持ちをおもんばかる習慣のないところにサービスが根づかないのは、当たり前かもしれ
 ない。  
・あえて言うなら、ドイツ人は、サービスにだけは根っから向かない民族なのだ。
 彼らは、店員が客に対して、おかしくもないのにニコニコするのは、欺瞞だと信じてい
 る。
 それどころか、夫婦喧嘩の鬱憤や偏頭痛のイライラを客にぶつけるのは、それは人間な
 のだから当然許されるとも思っている。
 しかし、気分が悪いのにニコニコするのは正直な人間のするべきことではないとなると、
 サービス業は成り立たない。
・ドイツでサービス業が発達しない理由の一つは、サービス業の位置づけの低さだと思う。
 ドイツでは、伝統的にサービス業は尊敬されない職業で、サービスを受ける人は、サー
 ビスを施す人をバカにしており、サービスを施す人は、バカにされているので、ふて腐
 れている。
 そして、チャンスがあれば、こんな職業から足を洗いたいと思っている。
 これでは、良い人材が集まるはずもない。
 だから、宅配の配達人も、そのまま強盗になれそうな物騒な雰囲気の人が多い。
・私がドイツでタクシーに乗りたくないのは、お金がもったいないからというより、タク
 シーの運転手がやはり強盗っぽいからだ。
 タクシー運転手は、かぜかたいてい外国人だが、一様に、客が載っても仏頂面で、暑い
 ときには、前をはだけたようなシャツに半ズボンといっただらしない格好で、毛むじゃ
 らの手足を丸出しにしてふんぞり返っている。
 しかし雲天は荒いし、アウトバーンは猛スピードで飛ばすし、ひどいときには、猛スピ
 ードで飛ばしながらケータイで長々と私用電話をしたりする。
 私にとってタクシーは、いまでも深夜に一人で乗るのはなるべく避けたい乗り物だ。
・ドイツでは、長距離列車が5分遅れで到着すると、皆、「ああ、今日はピッタリだ」と
 ホッとする。
 彼らの考えでは、長距離列車が5分以内の狂いで発着するなどということは、不可能な
 のだ。 
・ただ、矛盾するようだが、ドイツ人が不親切な人たちというわけでは決してない。
 たとえば、道で困っている人や、気分が悪くなった人などを見ると、助けてあげようと
 する気持ちは日本人よりも格段に強い。
 宗教心は消えていても、キリスト教の隣人愛の精神は、まだまだ残っているのだと思う。
 見知らぬ人に親切にしてもらった覚えのある日本人旅行者は、少なくないと思う。
・また、知り合いになってしまうと、ドイツ人はものすごく親切でもある。
 だから、知り合いや友人と一緒にいるときは、いやな思いどころか、素朴で心地よい雰
 囲気に浸ることができる。  
・いやな思いは、赤の他人との接触で起こる。
 スーパーや郵便局で、日常茶飯事として、ここに住むすべての人間の身の上に降りかか
 る。
 ただ他の人たちは、私たち日本人ほど打撃を受けないだけだ。
 少々のいさかいは雄々しく突っぱねてしまい、不快と感じることさえあまりない。
 要するに、当たり前のことなのだ。
・いずれにしても、ここドイツで暮らしていくには、かなり頑丈な鎧をまとって神経を防
 御しないといけない。 
 そうでなければ、あっという間にうつ病になってしまう。
 そして、この問題はドイツだけでなく、他の多くの国で暮らしている日本人も、共有し
 ているだろうと想像するのである。
 
責任の所在
・誰が何に責任があるか、あるいは、ないかということは、ドイツでは常に明確に表示さ
 れる。
 たとえば、クローク。高級レストランはさておいて、普通のレストランや居酒屋では、
 コート掛けのところに必ず、「ここで起こった盗難には、当店は責任を持ちません」と
 いう表示がある。
・ドイツ人は、脱いだコートや帽子を席に持ち込まない。
 酷寒時の彼らのコートはひどく分厚いので、ちんまりと椅子に収まる嵩ではないという
 のが理由かもしれない。 
 うっかり席に持っていくと、ウエイターが、「コート掛けはあすこです」と教えてくれ
 る。
・とはいえ、掛けたコートがなくなっては困るので、私は混み合った店でコートを掛ける
 とき、いつも少しだけ悩む。
 実際、私の知り合いで、掛けておいて上等のコートを盗まれた人もいるのだ。
 だから、観光地などでは、私は「私の責任で」コートを席に持ち込むことにしている。
・さて、一字が万事その調子なので、町の公園には、「ここでの事故の責任は保護者が負
 う」と書いてあるし、除雪のされない公共駐車場には、「ここの凍結による事故には、
 各自が責任を負う」という札が立っている。
  
暴力的で残虐な日本人?
・ベルリンは、なにしろ大都会で、躍動的で、人々は潤達だ。
 さまざまな芸術も揃っている。
 ただ、街はひどく汚い。
・たとえばベルリンでUバーン(市内電車)に乗ると、どの窓もガリガリに傷がついてい
 る。そして、座席は黒いマジックで落書きがしてあるか、あるいは、切り裂いてあるか
 のどちらかだ。
 車内には、「器物破損の行為に及んでいる人を見たら通報してください」という張り紙
 がしてある。 
 通報が逮捕に結びついた場合は、報奨金が出るそうだ。
・人々の破壊の欲求は凄まじい。
 これはベルリンだけではない。
 ドイツ、いや、ヨーロッパの特徴かもしれない。
 家の前の歩道をきれいに掃除している律儀な人がたくさんいると思えば、あらゆるもの
 を破壊しなくては済まない人たちがいる。
・日本以外の国で、道端に自動販売機が見当たらないのは偶然ではない。そんなものを設
 置したら、夜中のあいだに壊されたり、お金が盗まれたりするのは、あまりにもわかり
 きったことだからだ。  
・ドイツから日本に帰ってくると、日本人は本当に穏やかだと思う。
 東京の雑踏の中でも、満員電車の中でも、人々は殺気立たず、罵り合うこともなく、常
 にそれなりの秩序と平安が保たれる。
 治安もよいので、一歩家を出てからといって、自分にアラームを鳴らし続ける必要もな
 い。
 だから、財布を掏られる心配などどこ吹く風と、皆、電車の中で安らかに眠っている。
・それなのに、ドイツには、日本人は残虐な国民であると思っている人間がかなりいる。
 それどころか、日本にいまだに国粋主義者が蔓延っているという主張も根強く、我々に
 はしましば二重人格的なイメージがかぶさる。
 そのため、「日本人は穏やかなようだけど、本当は・・・」というような言われ方もす
 る。ひどい濡れ衣だと思う。
・新聞に、数年前の終戦記念日の翌日、靖国神社で、古い軍服で身を飾った年老いた元日
 本兵たちが、日の丸を掲げて行進している写真がでかでかと載ったことがある。
 はっきり言って、私が見ても異様な写真だった。
 軍国主義に同調する日本人など、いまどき日本中を隈なく探してもなかなか見つからな
 いだろうから。  
・ドイツで、日本に対するこういうイメージがしばしば強調される一番の理由は、アメリ
 カと中国が戦後一貫して行ってきた「南京虐殺」のプロパガンダのせいだ。
 これは長年のあいだ、巧妙に、しかも徹底して行われたため、日本人の残虐さが、世界
 の人々の心に刻み込まれた。
 しかも、まだ終わっていない。
 それどころか、今でもドイツのテレビに定期的に登場し、しかも、歴史番組やドキュメ
 ントとして、まじめな扱われ方をしている。
・内容は、現在の中国の主張どおりで、日本人から見ると異議を挟みたくなるところが非
 常に多い。 
 多くの点で、事実にも即していない。
 それでも、日本のことなど何も知らない人々が、日本人が卑怯で残酷なことをした国民
 だと、何となく漠然と信じているというのが、今のドイツの現実だ。
・日本ではこれらの事実検証はいまだに盛んだ。
 しかし、私が言いたいのは、どんなに熱心に検証をして、日本国内で気勢を上げていて
 も、それが海外に伝わらないのではあまり意味がないということだ。
・プロパガンダに熱心な国の人々は、そもそも事実の検証などには興味がない。
 要は、自分たちに役に立ちそうな出来事を、たとえそれが事実とは違っていても、事実
 として広く世界に知らしめることが目的なのだ。
 「南京虐殺」については、その試みは、世界中で見事に成功している。
・なぜか?
 それは、日本人がそれに対して反論しないからだ。
 「ここは事実と違う」とか、「私たちの検証はこうだ」ということを、誰も言わないか
 らだ。
 いくら摩擦がきらいだからといっても、沈黙したままでいるのはおかしい。
 日本人の名誉のために、外務省をはじめ関係機関は、事実は事実として、気長に、しか
 し、徹底して世界に発信してもらいたいと思う。
 外国に住む個人の力では、所詮いくらがんばっても、潮目を変えることは不可能だ。
・実は、ナチの台頭していった背景が、私にはいまだにわからない。
 ヒトラー政権を掌握した1933年の時点では、国民のヒトラーに対する支持は一枚岩
 ではなかった。 
 批判的な意見が、まだかなり強かったのだ。
 ところが、その後急速に、ヒトラーの信奉者が増えていく。
 なぜ、これほど短期間に、ドイツ人は変わってしまったのだろうというのが、この時代
 を調べているときに、私がぶつかる疑問だ。
・人間が、利益を追求することに熱心だということはわかる。
 しかし、自分が得る利益の代償として、何が起こっていたかを、当時の人々が知らない
 はずはなかった。 
 ドイツ人は、なぜ、これほど短期間に、不正や他人の苦しみを見て見ぬふりをしようと
 決心することができたのだろう。
・しかも、ヒトラーが登場したその舞台は、ワイマール共和国という、世界で一番進んだ
 民主主義国家であり、国民の教養も高く、豊かな文化があった。
 基本的に、今のドイツとそれほど差はない。
 だから、なぜ、あのような狂気がドイツ人を捉えることができたのか、それがどうして
 もわからない。
・それらの疑問を、私はそのドイツ人に素直に語った。
 ドイツ人を攻撃するようなことは、一切言っていない。
 というのも、事実、私はこのことでドイツ人を弾劾しようなどとは、もともと思っても
 いなからだ。
・ところが、そのドイツ人は、私の質問を攻撃と受け取った。
 彼はまず落ち着き払った態度で言った。
 「あなたは当時の状況というのを理解しなければいけない。失業者は600万人にのぼ
 り、そのうえ、人々はヴェルサイユ条約で定められた賠償金に押しつぶされそうになり、
 まさに自信を喪失していた。強い指導者が求められていた。そこへ彗星のように現れた
 のが、ヒトラーだ。その魅力に誰も抗うことはできなかったのだ」
・それは理解している。
 しかし、私の疑問は別物だ。
 街中でしょっちゅうユダヤ人が殴り倒され、共産党員が半死の眼に遭わされていたのを
 見ながら、なぜ人々は平気だったのかということだ。
 戦争が人を狂わせるのは戦地でのことだ。
 しかし、まだ戦場にもなっていなかったドイツ国内で、なぜ人々は突然、心の痛みにそ
 こまで鈍感になれたのだろう。
・それは、私の今知るドイツ人の姿とあまりにもかけ離れていて、どうしても理解できな
 い。そう述べたところ、会話はたちまち堂々巡りになった。
・やがて、彼はとても冷静に、そして寛大な笑みを浮かべて、論するように、しかしなが
 ら、有無を言わせぬといった態度でこう言った。
 「日本人は穏やかで平和的な人々ですね。でも、その日本人でさえ、戦争になると、南
 京で恐ろしく残虐なことをした。それがあなたの質問への明確な答えではないか?」
・こんなとき、なんと言えばよいのだろう。
 「あなたの信じている南京事件は事実と違います」と言っても、ただの繰言にしか聞こ
 えない。 
 「あのときの南京には、30万の人間など住んでいなかった」と言ったところで、一度
 信じ込んだ考えを、私ごとき素人の反論で改めるドイツ人は決していない。
 
<男と女、恥の文化比較>

癒しとセクシー
・まじめで優秀で勤勉というのは、世界に知られた日本人のキャラクターであった。
 ところが、その日本人にいつ頃からか、猥褻、淫乱などという、ありがたくないイメー
 ジが付着している。
 初めてそれを耳にしたとき、(すでに十年も前のことだが)、一瞬、信じられない思い
 だった。
 誰かの仕組んだ陰謀であるとさえ思った。
 しかし今では、このありがたくないイメージは、静かに定着してしまった感がある。
・さて、まじめで優秀で勤勉といった堅いイメージに、猥褻、淫乱というイメージが重な
 ると、いったいどういう人間像ができあがるかというと、対外的には背広を着て、眼鏡
 をかけて、まじめな顔をしながら、頭の中では猥褻なことばかり考えているエリートと
 いった、大変ゆがんだ二重人格タイプになる。
 お相手はなるべく若く、セックスはできるだけいやらしく、という感じだ。
・その歪んだイメージにさらに輪をかけているのが、東南アジアなどで現地の売春婦を前
 に、突如サディストに変貌する日本人紳士たちだが、日本人淑女も負けてはいない。
 外国人男性とのセックスを求めて、ナンパされに海外に繰り出す彼女たちの存在が大々
 的に話題にのぼるようになってすでに久しい。
 これだけ揃えば、変態国家と陰口を叩かれても反論できない。
 日本にいる日本人は、自分たちがドイツ人からそんなふうに眺められているなどとは露
 も知らないと思うが、これは本当の話だ。
・聞くところによると、いまや日本文化の代表のようになっているマンガも、日本の淫乱
 イメージの拡張に一役買っているらしい。
 日本のマンガにはセックスシーンが多く、なかでも強姦シーンとSMシーンが異常に多
 いと、よく非難される。
・それに加えて昨今では、メイド喫茶のお嬢さんたちの写真がさらに追い打ちをかける。
 これもマンガ界からの派生なのだろうが、ドイツで新聞や雑誌を開いて、彼女たちの写
 真が眼に飛び込んでくると、はっきり言ってギョッとする。
 「いったい、これは何なのだ?」  
・ただ、最近まで、これはたわいない風俗現象だと思っていたのだが、意外や意外、メイ
 ド喫茶は世界を雄々しく進軍中らしい。
 ドイツ人の若者のあいだで、「コスプレ」という”日本語”はすでに知られており、
 さまざまなイベントまで開かれているというから、びっくりだ。
・さて、日本人のイメージが急激に悪化した直接のきっかけは、十年ほど前の「援助交際」
 についての報道だった。
 小遣い稼ぎのためにセックスを売る女の子がどんどん増え、その年齢がどんどん若くな
 っているという話だ。 
 まじめな雑誌でもニュースとして扱われ、髪を金髪に染め、スカートをお尻がやって隠
 れるまでに短くして、そこからにょきっと出た素足にはだぶだぶのハイソックスをはい
 たセーラー服姿の女の子の写真が大量に載ったので、これは何ごとかと、皆が驚いてし
 まったのだ。
 ドイツ人は、セーラー服が学校の制服だとは知らないので、すべてが異常に映ったこと
 は想像に難くない。
・ドイツでの当時の記事には、いわゆる「援助交際」について、私にとっては信じがたい
 ありとあらゆることが書かれていた。
 「あなたの国では、社会が二重モラルになっているのか」と、ドイツ人に訊かれたのも
 この頃だ。
・ただ、これらの報道によって評価が地に落ちたのは、売春する女の子のほうではなく、
 それを買う男たちだった。
 しかも、彼らが社会では普通の顔をし、よいお父さん、よい夫として生活しているらし
 いのが、余計にいやな感じだった。
 日本は歪で不健康な社会であると、多くのドイツ人は感じた。
・しかし実は、そういうドイツ人も、児童嗜愛では結構有名だ。
 インターネットの児童ポルノサイトの数は、アメリカに次いで世界で二番目に多い。
 日本などとは、比べものにならない。
・子どもとの性交はドイツ国内では最高のタブーで、刑も重い。
 児童ポルノ写真をコンピュータに保存しているだけでも罪なので、そういう趣味を持つ
 ドイツ男は獲物を求めて海外へ出る。
 現地で子どもを斡旋することを売り物にしている、いかがわしい旅行会社もあるという。
・行き先として一番有名なのはタイだ。
 子どもを相手にすれば、タイでももちろん犯罪だ。
 警察の手入れのたびに、児童虐待でよくドイツ人が捕まっている。
 最近は取り締まりが厳しくなったので、子ども狩りツアーはタイからカンボジアへと移
 動しているという。  
・卑怯なのは、この犯罪が貧困を利用していることだ。
 日本の援助交際のように、女の子たちがブランド物を買うために自発的に大の男を利用
 しているのとは、わけが違う。
・彼の国の子どもたちは、さまざまな罠で引き寄せられ、あるいは、借金のかたとして連
 れてこられ、奴隷のように扱われる。
 年齢は十歳ぐらいの子が多く、しかも、ドイツ人の趣味の反映として、男の子も多いと
 いう。お稚児さんの世界だ。
・犠牲者の子どもたちは、そのあとも貧困から立ち直れることは稀で、心の傷は一生残り、
 のちの人生も、救いのない娼婦、あるいは男娼まがいの生活から抜け出せないままだ。
・十歳というと、普通の子どもなら、親が金持ちであろうが、貧乏であろうが、人生の苦
 労知らず、無邪気に楽しく遊んでいる時期だ。
 せっかく生まれてきたのだから、せめてこの無垢な人生の黄金時代だけはどこの子ども
 であっても、どうにかして守ってやりたい。
・ところが、幼い、自分を守る術も、抵抗する術も知らないこの時期に、オトナという、
 本来なら守ってくれるはずの人間たちから虐待され、笑顔を奪われてしまうとは、いっ
 たい何ということだろう。   
・そういえば、日本の男は若い女の子に弱すぎる。
 若い女の子は、もちろん、若いというだけで綺麗だ。
 しかし、それは女に限らず、男だってそうだし、馬だって、犬だって、若いほうが美し
 い。それはわかる。
 ところが彼らは、若いだけでなく、そのうえ、少々頭の悪そうな女の子が、とりわけ好
 みのようだ。
・その二つの条件を備えた女の子といると、自分が偉くなったような気がするというなら、
 それは大変情けない話だが、しかし、その疑いを私は捨て切れない。
 対等の関係で女性と接すると委縮してしまうのが日本の男性だとまでは言わないが、た
 しかにそういう男性は多いような気がする。
・その結果、オトナの女性がどうなったかというと、モテるためにはあまり賢そうではい
 けないという知恵が働く。
 だから、なるべく幼く、バカっぽく振る舞い、猫のようにミャオミャオと話す。
 それを本当にかわいいと思い、優越感に浸るバカ男がいるのだから、悪循環も甚だしい。
 情けないと、今書いたばかりだが、それ以外の言葉が見つからない。
・ドイツでは、子どもっぽく見せるのは流行らない。
 男にモテる基準は、いかにセクシーかということである。
 だから、思春期に到達した女の子は、なるべくオトナっぽく、セクシーに振る舞おうと
 する。 
 体の発達が早いので、十三歳ぐらいになるとすごいグラマーな子も多く、そういう子ど
 もたちが、胸元を大きく開けた過激なTシャツを着て登校するところは、まさに圧巻で
 ある。
・そういえば、大きなバストに弱いのはドイツの男の特徴かもしれない。
 中年太りの、あまり美しくない女性政治家が、胸ぐりの大きいトップを着て、牛のよう
 に巨大なバストの割れ目を、有権者にくっきりと見せつけていることがある。
 私なら、かようなものを露出しては票を失いそうで、とてもできないが、もちろん彼女
 たちは意識的にやっている。
 ドイツではこの行為と支持率のあいだに整合性があるのだろう。
・一時日本で、「癒し」という言葉が流行った。
 あまり、癒し、癒しと聞くと、国民全員がくたびれ切っている印象を受けるが、日本の
 男性が求めているのは、昔から常に癒してくれるような女性だったのではないかと思う。
・さて、日本の男性にとって癒してくれる女生徒は、黙ってお茶を淹れてくれる女性でも、
 セクシーな女性でもなく、自分のことを頼ってくれる女性だ。
 つまり、「こいつは俺がいないとだめだなあ」と思わせる女。
・実際の理想像としては、次のようになる。
 「俺がいないとだめ」と思わせながらも、近所付き合いや親戚やら子育てなどの面倒な
 問題は夫の手を煩わせず解決する。
 知的であるにもかかわたず、社会で夫を出し抜いて活躍することもなければ、夜、夫が
 酔っ払って帰ってきても、休日に家でぐうたらしていても、問題提起しない。
 また、やたら自己主張をせず、家庭には常に平和が保たれる。
・はっきり言わせてもらおう。いまどきそんな女性がいるはずがない。
 現代女性の頭の中には、基本的に男女同権の思想が詰まっている。
 よほどの田舎か、あるいは封建的な境遇で育った女性でないかぎり、男だからという唯
 一の理由で男を立てることを是とする精神構造は持ち合わせていない。

・モテる男というのは、まず姿勢と身だしなみがよい。
 そして、年齢にかかわらず、色気がある。
 しかし、一番大事なファクターとなるのは会話。
 話題が豊富で、その中身が知的で、しかも、ユーモアに満ちている。
 体験談はできるだけ盛沢山なほうがいい。
 一方、女性の話もちゃんと聞いてくれなくてはならない。
・絶対に必要なのは、女性に、そこはかとない尊敬の念を抱かせる力のあることだ。
 女性は基本的に、尊敬できない男には惚れない。
・ただ、男性が女性に尊敬の念を抱かせるためには、絶対的条件がある。
 猥褻な行為に及ばないということだ。
 私が言う男の色気というのは、そういうこととは別物だ。
 いずれにしても、会話が楽しければ、女性は別れたあとでもそれを思い出し、また会い
 たいと思うだろう。  
・さらに、モテる男の共通項を挙げるなら、彼らはまめだ。
 ちょっと時間を作って、ちょっと会うということを面倒がらずにやる。
 メールを出せば、すぐに返事が来るし、何か頼むと、たちまちいやがらずに片付けてく
 れるのも彼らの特徴だ。
 そして、ふとしたところに、女性を喜ばせるさりげないひとことがある。
 たとえば、「ご連絡をありがとうございました」のあとに、「元気な声が聞けてよかっ
 た」が入る。
 女ごころには、そのひとことがジーンと響く。
 
ラブホテルから見える性の二重モラル
・日本のラブホテルがドイツでも結構知られた存在だということは、つい最近まで知らな
 かった。
 インターネットのドイツ語のページで検索してみたら、「これぞ日本文化!」という感
 じで、ぞろぞろ出てきたのだ。
 しかも、ラブホテルという和製英語が、そのまま通用している。はっきり言って、ショ
 ックだった。
・ドイツでは、若者は十八歳になると家を出ることが多いから、ラブホテルなど必要ない。
 もっともそれ以前でも、親のいる自宅に堂々と恋人を連れて来て泊めることのできるの
 が、ドイツのお国柄だ。
 恋人たちがセックスをする場所には困らない。
・私の見解では、ラブホテルの利用者は、学生など若い人たちと、あとは、やはり夫婦で
 はないカップル、つまり、浮気カップルのほうが断然多いのではないかと思っている。
 要するに、ラブホテルの匿名性にありがたさを感じる人たちだ。
・世界の国々での、年間のセックス回数の調査がある。
 2007年の結果では、日本はほぼ最下位で48回。
 一週間に一度もない計算だ。
・しかし、それではあのラブホテルの乱立はいったい何なのだ。
 電車に乗っても、ドライブをしても、ラブホテルの看板が見えないところはない。
 都下の高速道路の降り口などでは、ラブホテルの看板が林のように立ち並び夜空に煌々
 と光輝いている。
 この現象は、一週間に一度のセックスではとても説明がつかない。
・興味深いのは、戦後のドイツでは、有名無実になってはいたものの、まだ姦通罪が生き
 ていたという事実だ。 
 西ドイツでようやくこの法律が正式に効力を失ったのは、1973年のことだ。
・今のドイツでは、カップルになっている男女の場合、若かろうが若くなかろうが、また、
 結婚していようがしていまいが、彼らが肉体関係を持っているという事実だけは誰も疑
 わない。 
 そして、それはふしだらなことでも、淫靡なことでもない。
 そういう開放的な風潮に対して、古い世代の人々が眉をひそめる可能性はもちろんある。
 しかし、彼らにしてみても、それは個人の問題であり、他人の自分がとやかく言うこと
 ではないということは納得している。
 法律に触れない限り、人は自分の人生を好きなように演出できる。
 ドイツ人は、根っからの個人主義者なのである。
・だからドイツには、結婚はしていないが、夫婦のように暮らしている人たちがたくさん
 いる。 
 ちなみにメルケル首相は、1998年、CDU(キリスト教民主同盟)の幹事長になっ
 たとき、長年の同棲相手と結婚している。
 キリスト教を標榜している党の重鎮として、同棲はやはりまずかったらしい。
 若い女性の大臣は、ボーイフレンドと同棲中だし、外務大臣はゲイなので、やはりボー
 イフレンドがいる。 
 しかし、ドイツの社会では、こういうことはすでに問題にはならない。
 問題になるのは、不倫だけだ。
・日本社会の不健全なところは、今どき、若いカップルが処女と童貞であるなどとは誰も
 思ってはいないにもかかわらず、彼らがセックスをしているという事実を、皆でなんと
 なく陰蔽していることだ。 
・ドイツの若者を見ていると、セックスまでのハードルは低いが、彼らは決してふしだら
 なわけではない。
 二人でのあいだでの規律は結構きちんとしていて、実に誠実なものである。
 高校時代からの恋人たちが、そのまま結婚してしまうというケースもたくさんあるので、
 セックスに行き着くまでのハードルの高低は、その後の結びつきの強さとか、貞節の度
 合いとかとはあまり関係ないのだと思う。
・そう思って見ていると、結局、日本人のモラルの縛りはきついようでいて、本当はドイ
 ツ人よりもゆるいのではないかと思えてくる。
 だからこそ、ラブホテルが繁盛するのかもしれない。
・一つだけ言えるのは、二重モラルを行使しなくてよい環境は、若い人たちの精神にとっ
 ては絶対にプラスだということだ。
 それに比べて、窓のない部屋で隠れてセックスをしなければいけない日本の若者を、私
 はとても不幸だと思う。  
・さて、若い人たちが素直に愛情とセックスを謳歌しているドイツだが、二重モラルが横
 行しているとすれば、それはたいてい既婚の人々のあいだでのことである。
 いまや人生は長いので、一度結婚してしまったからといって、その後二度と恋に陥らな
 いとは限らない。
 それどころか、遅ればせながら本物のベターハーフに巡り合うという不幸な事態は往々
 にして起こり得るのである。
・ところが結婚という制度は、もちろんそれが目的でもあるのだが、たとえ愛情が消えて
 しまっても、すんなりとは解消できないように作られている。
 特にドイツではそうで、夫と妻の両者が同意していたとしても、サイン一つで離婚で
 きない。 
 少なくとも一名の弁護士を立てて(両者のあいだに争点がある場合は、弁護士は二名必
 要となる)、決めるべき然々の条件を取り決め、それを離婚の申請書とともに家庭裁判
 所に提出しなくてはいけない。
・裁判所での審査が終わると、離婚したい本人たちが裁判官に召喚され、事情聴取を受け
 る。
 そして、裁判官が取り決められたことのすべてを妥当と認めたら、ようやく離婚させて
 くれるのだ。
 弁護士の費用やら、裁判所の手数料やら、お金もたっぷりかかる。
・ただ、常々不思議に思っていたのは、ドイツの浮気カップルは、いったいどこでセック
 スをするのだろうかということだ。 
 言うまでもないが、ラブホテルはない。
 いくらドイツに森や林が多いからといっても、そんな”アウトドア”のようなことが浮気
 カップルのスタンダードだとは考えにくい。
 それにドイツは寒い国なのだ。
 かといって、普通のホテルは、どんな小ぢんまりしたところでも、必ず身分証明書を提
 示しなくてはいけない。
 浮気と身分証明書は、とても相性が悪いような気がする。
・そこで、あるとき友人に尋ねてみたら、意外な答えが返ってきた。
 街中、あるいは近郊の、階上がホテルになっている小さなレストランが、往々にしてラ
 ブホテル的機能を担っているらしい。
 それを聞いた私は、変な言い方だが、目から鱗という感じだった。
 長年の謎がようやく解けたのである。
・二十年以上もドイツに住んでいると、たしかにときどき家庭的で感じのよい小さなレス
 トランに遭遇する。  
 そして、そのレストランが階上に質素なホテルを経営していることを知り、誰がこんな
 ところに泊まるのかしらと思ったことは一度や二度ではない。
 能天気な私は、そこがまさか浮気カップルの格好の逢引場所になっているということな
 ど、想像さえしなかったのである。
 レストランでるから、万が一の緊急事態が勃発しても、ご飯を食べに来たと言い逃れが
 できる!なろほど・・・。
・さらに彼女の話では、普通のホテルでも、時間単位で滞在できるところがあるという。
 これも知らなかったが、ご休憩ホテルはドイツにも存在するらしい。
 
裸と「音姫」:「恥の文化」ゆくえ
・ドイツと日本で、「恥ずかしい」の感覚が一番違うのは、裸に関してだと思う。
 二十年以上も前のことになるが、ドイツで初めて婦人科に行ったときに、びっくりして
 しまった。
 日本ならば医者と患者のあいだにあるはずの内寝台のカーテンがないのだ。
 だから、下半身をさらけ出した患者は、白衣を着た医者と堂々と向き合いながら、診察
 を受けることになる。
 世間話もする。その横を、看護婦が何食わぬ顔で通り抜ける。
・スポーツジムに行って女子の更衣室に入ると、ここの風景も日本とはまるで違う。
 全裸の人たちが、服を着た人たちのあいだを、あたかも服を着ているように、堂々と歩
 き、話をし、くつろいでいる。 
・慣れとは恐ろしいもので、こういうところで暮らしていると、いくら私が日本人だとい
 えども、だんだん感覚が狂ってくる。
 最初はずいぶん粗野で野蛮に感じたことも普通になり、何が恥ずかしいかさえ、わから
 なくなる。
・そんな私でも、絶対に慣れることのできないものもある。
 たとえば男女混合サウナ。
 これは、理解もできない。
・いつだったか日本でそんなことを話したら、日本では明治時代の半ばまで、銭湯や温泉
 は男女混浴だったと言われた。
 それどころか当時、そのあまりの自然な様子に驚愕した欧米人の記述が、たくさん残っ
 ている。 
・「徳川期の日本人は、肉体という人間の自然に何ら罪を見出していなかった。それはキ
 リスト教文化との決定的な違いである」と書いたのは、「渡辺京二」である。
・1856年(安政3年)、下田に着任したハリスがある温泉を訪ねたとき、湯には子連
 れの女が入っていた。 
 「彼女は少しも不安げもなく微笑を浮かべながら私に、いつも日本人がいう『オハヨー』
 を言った」
・1856年、英国の将校トロンソンも函館に上陸し、さっそく浴場を訪ねた。
 そこでは男も女も子どもも一緒にかがみこんで湯を惜しみなく使っていたが、トロンソ
 ンたちが入っていっても、誰も気にしなかったという。
・1856年、ティリーも書いている。
 「あらゆる年齢の男、そして婦人、少女、子どもが何十人となく、まるでお茶でも飲ん
 でいるように平然と、立ったまま体を洗っていた。
 そして実を言うと、入ってきたヨーロッパ人も同様に気にもされないのである」
・明治14年(1881年)に小田原付近を旅したクロウはある漁村での見聞をこう書い
 ている。  
 「あちこち、自分の家の前に、熱い湯につかったあとですがすがしくさっぱりした父親
 が、小さい子どもをあやしながら立っていて、幸せと満足を絵にしたようである。多く
 の男や女や子どもたちが木の桶で風呂を浴びている。桶は家の後ろや前、そして村の通
 りにさえあり、大きな桶の中に、時には一家族が、自分たちが滑稽に見えることなどす
 っかり忘れて、幸せそうに入っている」
・行水や入浴以外にも、日本では裸を自然なものとみなす文化があったようだ。
 明治の初期に日本に滞在したグリフィスは、暑い時期は「身体にすっかり丸みのついた
 ばかりの若い女でさえ、上半身裸でよく座っている。無作法とも何とも思っていないよ
 うだ。たしかに娘から見ると何の罪もないことだ。日本の娘は『堕落する前のイヴ』な
 のか」と書いている。  
・裸と性とは無関係で、娘たちは、男を誘惑するために身体を見せびらかしていたのでは
 なかった。 
 日本では元来「裸と道徳のあいだには直接の関係はなかった」と書いた亡命ロシア人、
 メチニコフも、結局、同じことを言っているのだろう。
・ところが、女性の裸見たさに、服を着たまま浴場をのぞき込んだのは、欧米人たちであ
 った。 
 日本に着いた彼らはまっさきに、どこに行けば浴場があるかという情報を教えられた。
 そして、ワクワクしながらそれを見たくせに、そのあげく、顔をしかめて道徳を説き、
 「日本人は世界で最もみだらな人種の一つ」と決めつけた聖職者もいる。
 性は罪で、裸は誘惑であるとするキリスト教の倫理が絶対であることを疑いもしなかっ
 たのだ。
・また、彼らの妻たちは、ふんどし姿の労働者を見て、顔を覆い、悲鳴をあげた。
 しかし、彼女たちの夜会での服装こそ、首筋や肩や腕をさらけ出し、体型の凹凸を一番
 効果的に男性に見せつけるものであることには、気づいていなかった。
 日本人の女性なら、そういう目的で肌を露出することに対しては、ひどく嫌悪感を持っ
 たに違いない。
・いずれにしても、このおおらかな日本文化は、欧米人たちが日本政府を焚きつけたため
 に、あっという間に取り締まるべきものとなってしまった。
 無邪気なイヴが、突然自分が裸であることに羞恥を覚えたように、日本人は未知の文化
 を強制され、裸であることを恥じるように強いられた。
 その結果、浴場は男女別に分けられ、ふんどし姿の男たちは、巡査に追いかけ回された
 のである。
・しかし、それから百年後、キリスト教の権威が綻び、急速に性の自由化が進んだ欧米で
 は、裸を自然のものとみなそうという動きが盛んになった。
 それはある意味では成功している。
 というのも、現在の彼らは、裸でいることをまったく恥じない人々となったからだ。
・しかし、欧米人の性は、日本にかつて根づいていたような完全に自然な形として解放さ
 れることは、ついになかった。 
 裸体からは、たしかに羞恥心は取り外されたものの、裸体と情欲との関連性が消え去っ
 たわけではない。
 彼らの頭の中では、裸体と情欲は、いまだに密接につながっている。
 ただ、つながっていないようなふりをしているだけだ。
・一方、日本人が強制され、近代化の一環として受け入れた羞恥心も、次第に日本人の血
 肉となって定着してしまったようだ。
 今の日本には、裸を自然とみなす習慣はない。
・ちなみにドイツにも、男女混合サウナを敬遠する人はたくさんいる。
 私の友人もその一人だが、彼女はその理由を、恥ずかしいからとは言わず、「見られる
 のも不快だし、見るのも不快」と表現した。まったく同感である。
・そういえば、今は亡き東ドイツには、不思議な裸カルチャーがあった。
 余暇を裸で過ごすのだ。ただし、プライベートではなく、公共の場所での話。
・元東ドイツでは、皆がバカンスに出かけいく場所は、ほぼすべてがヌーディストクラブ
 のようだった。 
 全裸の人は、浜に寝転がっておとなしく日光浴をしていたのではなく、皆で楽しくビー
 チバレーボールをしていた。
 あるいは、車座になってトランプを切っていた。
 とにかく、男も女も子どもも、みんな素っ裸。全裸のコミュニティーができあがってい
 た。
・ベルリンの「東独博物館」に、当時のそういった光景を収めた写真が展示してある。
 それを目にしたとき、明るく開放的というよりも、なんだか異様な感じに捉われた。
・東ドイツが密告の社会だったことは有名だ。
 シュタージ(秘密警察)に関わっていた人の数は、非公式な協力者も入れると150万
 人と言われ、実に全人口の10人に1人の割合だった。
 つまり、庶民の生活は普通に営まれていたとはいえ、口に出してはいけないことがあり、
 用心して付き合わなければならない人々がいた。
 職場でも住宅でも絶えず監視の目があり、党に逆らえば、子どもを大学に行かせること
 もままならなかった。 
 ひどいときには、もちろん監獄行き、つまり、陰鬱なプレッシャーは、常に人々の上に
 のしかかっていた。
・そんな中、夏のバカンスだけが、それらのプレッシャーから解放される唯一の時間だっ
 た。
 浜辺では上機嫌で、軍服も肩章も、何もなかった。
 党の幹部も、裸になれば、文字どおり、平等であるかに見えたのだ。
・江戸時代の春画で、男性器が極端にクローズアップされているのは、反権力の精神に根
 ざしているという説がある。
 当時の社会ではサムライが威張っていたが、男性器の大きさは身分には関係ない。
 そこで春画の中のヤサ男に、将軍様も敵わない大砲のような一物をくっつけて、鬱憤を
 晴らしていたというわけだ。
・これを聞くと、東ドイツの裸カルチャーも、抑圧された人たちの不満が起爆剤になって
 いたのかと思えてくる。
 燦々と日の降り注ぐ浜辺で、全裸ではしゃぐ人々の姿は、厳しい政治的圧迫へのささや
 かな抵抗だったのだろうか。
 同じ裸は裸でも、その意味はいろいろなのかもしれない。
・日本文化を「恥の文化」、西洋文化を「罪の文化」と名づけたのは、ルース・ベネディ
 クト
だ。
 彼女の著書「菊と刀」は、第二次世界大戦中、日本人を分析し、占領後の統治に役立て
 るために、アメリカの陸軍が発注した研究書だ。
・それによると、西欧人は神と一対一で向かい合って、自己の良心に善か悪かを問いかけ
 ることによって自立的に行動するが、日本人は世間の視線や批判だけを気にして、こん
 なことをしたら笑われるかどうかを基準に他律的に行動を規定する。
 つまり、日本人には善悪の意識が希薄で、倫理的には欧米人に劣るということになる。
・日本人が、恥を重んじた国民であったことは、嘘ではない。
 あまり人と違うことをしにくに社会だというのも本当だ。
 人と違うことをしたがる人間が多いと、平安が乱される。
 日本人は本能的にそれをきらう。
・しかし、善悪の意識がないというのは違う。
 「嘘つきは泥棒の始まり」という諺は、世間体ではなく、善悪を基準にしたものだし、
 日本人はキリスト教という神は持たなかったが、その代わりに、常に「お天道様」に見
 られているという意識は持っていた。 
 決して世間体に左右されていただけではない。
 「お天道様は」で世間ではなく、何かもっと大きな、時空や生命を超えた権威だ。
・いずれにしても、日本人は、あえて言うなら性善説で生きてきたので、「悪」や「罪」
 をそれほど意識せずに暮らせたのだと思う。
 「悪」を意識しないからこそ、戦前までは、日本の多くの家では皆、鍵もかけずに暮ら
 していた。 
 ましてや、セックスが原罪であるなどとは、誰も考えたこともなかったはずだ。
 そんな日本人の本質を、理解できる欧米人は少ない。
 日本人の「恥」については、もっと違った考察がなされてしかるべきだと思う。

大きなドイツ人、小さな日本人
・ドイツ人と日本人のあいだには、繊細さという面では、かなりの差があると思う。
 はっきり言って、ドイツ人は繊細ではない。
 それは、とくに女性において顕著に表れる。
 物腰が、よく言えば堂々としているが、悪く言うなら、淑やかさや優美さに欠ける。
 また、表現が直截的で、日本の感覚から言えば、人を傷つけるようなことをかまわず言
 う。
・明治半ばに華族学校で教鞭を執っていたアメリカ人アリス・ベーコンは書いている。
 「日本人の中で長年暮らした外国人は、美の基準が気づかぬうちに変わってしまい、小
 さくて穏やかで控えめで優美な日本女性の中に置くと、自分の同胞の女性が優美さに欠
 け、荒々しく攻撃的で不様に見えるようになる」
・しかし、日本女性を愛でたのはアメリカ人だけではない。
 それより前の1858年(安政5年)、咸臨丸の練習航海で鹿児島に上陸したオランダ
 の水兵たちは、薩摩娘たちの優美さに感激して、「もうここへ錨を下ろして、どこへも
 出港したくない」とごねたという。
・ただ、ここで書き添えておかなければいけないのは、普通のドイツ人男性は、日本女性
 が議論や主張に熱心ではないことを、物足りなく思う傾向もあるということだ。
 そのあげく彼らは、日本女性は自分の意見がないと見下したり、あるいは、何を考えて
 いるかわからないと、訝しがったりするのである。  
・彼らのとっては、日本女性が小柄であることも、物足りない要素の一つだ。
 日本女性は痩せ過ぎで、小さな胸が貧弱で、後ろから見るとお尻は平べったく、しかも、
 態度が堂々としておらず、X脚で、膝を曲げたまま歩くので見苦しい。
 容姿に関しては、残念ながら、まあ、たしかに当たっていることは多いだろう。
・日本人は、もともとあまり美形の民族ではないので、見目形だけを比べるなら、若い欧
 米人のほうがもちろん華やかで綺麗だ。
・現実問題として、「彼女たちが白桃のみにみずみずしく、小鹿のように軽やかなのは、
 若いあいだのひとときだ」などとは、私のひがみのように聞こえると困るので、決して
 言わないが。 
・ただ、どんなにかわいらしい女性でも、本当に恋人や妻にしようと思うと、ドイツ人女
 性のみならず、少なくとも西ヨーロッパの女性は、日本男性の手に負えないことが多い
 と思う。 
・まず、レディファーストで育っているので、彼女たちは男性のためにそれほど甲斐甲斐
 しくは働かない。
 そのうえ、ドイツ女性はとにかく主張が強い。
 日本女性なら、はっきりとNOと言わずに自分の意思を通す術を知っているので、意見
 の相違がすぐさま正面衝突につながることが少ないが、ドイツ女子の場合、些細なこと
 でも、自分の主張をのぼりのように掲げて、真正面から立ち向かっていく。
 つまり、男性がうまく避けなければ、正面衝突になる危険性は限りなく高い。
・さらには、彼女たちは議論が大好きときている。
 口論で相手をやっつけることに生きがいを感じているのではないかと思うほどだ。
 しかも、それが論理的ならばまだいいけれど、当の女性の頭が悪ければ悪いほど、主張
 は理不尽になっていく。 
 だから、心穏やかに暮らすには、男性はかなりの忍耐が必要だ。
 
これからの世界・これからの日本
・ドイツの小学校の教師というのは、夢のように素敵な職業だ。
 午後の授業はほとんどなく、週に四日は遅くとも一時半で終業となるが、そのとき、た
 いてい先生も生徒とともに、さっさと家に帰る。
 そのうえ、六週間の夏休みも二週間のクリスマスやイースターの休みも、その他のさま
 ざまな休みも、学校の休暇中に就業の義務はない。
 夏休みのプール指導などというものもなければ、林間学校もない。
 休み中に登校するのは、年度初めである九月の新学期の直前くらいのものだろう。
・それでも公務員であるから、雇用条件は男女平等で、産休その他の社会保障は完備、給
 料は月初めに出るし、体調不備の場合は寛大な措置が取られる。
 また、退職後の恩給は潤沢で、しかも、繰り返すようだが、休暇日数はおそらく、ほか
 のどの職種よりも多い。 
・ドイツには今まで、ごく少数の例外を除いては、私立の学校というものはなかった。
 特に私立の小学校はほとんどない。
 ドイツ人の頭の中には、学校はタダという観念が強く根づいていつので、あえて授業料
 を払おうという人がいないのも、その一因だと思う。
・ドイツでは公立の小学校は四年までで、そのあとの進路が三本に分かれる。
 この制度が現在の教育における諸悪の根源だと思っている人は少なくない。
・実は私もその一人だが、この三つの進路がどのように決定されるかというと、小学四年
 生後半の国語と算数の成績だけで振り分けられるのだ。
 だいだい、これがまずおかしい。
 なぜなら、これでは、国語と算数以外の教科は、小学校四年のあいだ中、たいして重視
 されないということになる。
 理科も社会も体育も、結局はどうでもいい。
・ドイツの小学校は、運動会もなければ、団体演技のようなものも一切やらせない。
 だから、子どもたちは何かを皆で徹底して練習するという訓練は受けることのないまま
 に成長してしまう。
 そもそもドイツでは、学校で「全員に同じことを仕込む」ことに対するアレルギーが強
 い。ヒトラーの時代の負の遺産である。
・ドイツの学校には部活も存在しない。
 したがって、この国で音楽や運動に秀でている人たちは、スイミングスクールや音楽教
 室やサッカークラブといったプライベートの領域で鍛えられてきたことになる。
 言い換えれば、経済的に恵まれない家庭の子どもは、音楽やスポーツの才能があっても、
 それを伸ばす場がなかなかないということだ。
  
教育格差が国を滅ぼす
・ドイツの小学校は四年までで、さらに、四年次・後半の国語と数学の成績で、その後の
 進路が三つに分けられる。
 その三種の学校をわかりやすくするため、今、仮にA校、B校、C校と呼ぶことにする。
・A校は将来大学に進む子どもが行く九年制の学校だ。今では半分以上の子どもがA校に
 進む。
・B校は実業学校といい、大学へ行って学問をするつもりはないが、工場労働者や職人に
 なるつもりもないという子どもが行く。例えば、警察官のほとんど、看護師、公務員や
 銀行員の多くがB校である。
 なお、B校は六年生。ここを卒業しておけば、もっと勉強したくなった場合は、専門大
 学に進むこともできる。
 ただ、最近の傾向としては、今まではB校卒でじゅうぶんだった職種も、だんだんA校
 卒が進出してきている。それは、職務の内容が細分化され、高度になってきたという理
 由によるものだ。
・C校は基幹学校といい、五年制。小学校の四年と基幹学校の五年を合わせると九年にな
 り、義務教育が満了する。こちらは職業訓練が付随していて、授業と実習が並行して進
 められる。たとえば、パン職人になろうとする子なら、パン屋での実習が週に三日、学
 校が週に二日というようなシステムになっていたりする。
 実は現在、諸問題のるつぼのようになっているのが、この基幹学校である。
・さて、この三つの針路がどのように決定されるかというと、子どもたちは、小学四年生
 後半の国語と算数の成績で、自動的にABCのどれかに振り分けられることになる。
 つまり、A校に進むには、小学校からA校への推薦状をもらわないといけない。B校も
 C校も同様である。
 ただA校の推薦状があればB校にもC校にも行ける。B校の推薦状があればC校に行っ
 てもよい。しかし、C校の推薦状では、C校にしか行けない。
 ちなみに、C校は、元はと言えば職人になる子どもの行く学校だった。
・ドイツという国は、中世以来、優秀な職人の文化があった。
 職人の中でも特に優秀かつ、上昇志向のある人間は、さらに修行を積んでマイスター
 (親方)の資格を取る。独立し、工房や店を開くことができるのはマイスターだけで、
 彼らは生業のかたわら弟子を雇い入れ、自分の工房で未来の職人を養成していった。
 この後継の養成には、今では国から補助金が出る。
・ドイツの職人はつい最近まで、それなりのステータスがあり、世間で尊敬される人々だ
 った。
 ドイツの国の屋台骨は、科学者や哲学者や教師や牧師といったアカデミックな人たちと、
 職人という二本の柱によって下からしっかりと支えられていたのだ。
 何百年も前からつい最近まで、このシステムは実にうまく機能してきた。
 アカデミックな層と職人の層は、きれいに棲み分けができており、混じり合うことはな
 かったが、互いに尊敬し合っていたのである。
・ところが今では、自分の子どもを職人にしたい親はあまりいない。
 職人の世界が崩れつつあることは、すでに誰の目にも明らかだ。
 かつて厳しい修業でものにした職人技術など、コンピュータ制御が完璧にやってくれる。
 また、近代化された職場になればなるほど、コンピュータの操作ができないと処理でき
 ないことが増え、マインスターは、弟子に教えるどころか、若者の脅威にさらされると
 いう事態に陥っている。 
・だから今日のマイスターは、たとえ自分の子どもに家業を継がせるにせよ、できること
 なら大学に進学させ、従来の職人芸にハイテクの付加価値を上乗せしなくては、と考え
 る。昔ながらのことをやっていては、家業の発展どころか、存続さえも危うくなるのだ。
・したがって、子どもはC校でもB校でもなく、A校に行かせなくてはならない。
 跡を継ぐ息子や娘のほうも、たとえば自動車の整備工なら、親と同じく油まみれになっ
 て働くよりも、コンピュータを駆使して、なるべくスマートな仕事をしたいと思ってい
 るから、A校に進むことに異存はない。
・要するに、従来どおりの職人になりたい人間は、どこにもいないことになる。
 だから、小学校四年の終わる時点で、自分の子どもがC校への許可しか手にできなかっ
 た場合、親は小学校に捻じ込み、結構な大騒ぎになったりする。
 C校はそれほど忌み嫌われているのである。
・当然のことながら、今のドイツではC校の生徒に矜持などない。 
 その結果、何が起こったかというと、C校の転落である。しかしそれは、私に言わせれ
 ば、起こるべくして起こっていることでしかない。
・考えてもみてほしい。
 小学校四年というと、まだ将来自分が消防士になるか税理士になるか、あるいは、大学
 へ行くのか行かないのか、わかっているほうがおかしいように年齢だ。
 それに、今はまだぼんやりしていて国語も算数も苦手だが、あとで急に伸びるという子
 どももいる。
 そんな幼い子どもたちを、ドイツの学校では、さくさくと三つにわけてしまうのである。
・C校に振り分けられた子どもたちは、たかが十歳というえども劣等感だけは感じる。
 そして、十歳のときに張りついた「どうせ僕なんか」「どうせ私なんか」という悲しい
 感情は、一生その子につきまとう。
・だいたい、こんなスタートを切った学校生活で、希望に燃えて勉強しろというのは無理
 な相談だろう。  
 そんなわけで、C校に入学した時点で、勉強はほとんど投げ出してしまっている。
 進路を十歳で分けることと、C校の存在は、それこそ百害あって一利なしだと、私は思
 っている。
・そもそもC校に流れ着くのは、親のサポートが受けられなかった子どもたち、つまり、
 家庭が崩壊しているケースと、ドイツ語がおぼつかない外国人労働者の家庭のケースが
 断然多い。
 言い換えるなら、少々勉強ができない子供でも、親がちゃんと後ろ盾になっていれば、
 C校に行き着く前に、親の手によって何らかの対策が打たれる。
 つまり、C校はいまや、社会的弱者と落ちこぼれの吹き溜まりになってしまっているわ
 けである。
・さて、もともと劣等感の強い、家庭からのサポートの乏しい子どもたちが集まっている
 のが、C校であるから、学校の荒れ方は甚だしい。
・一方、エリート校であるはずのA校にも問題はたくさんある。
 昔は、将来の”学士様”が行く学校であったため、それなりに優秀な子が集まってきて
 いたのだが、ここ三十年ぐらいで社会構造は様変わりが激しく、それこそ皆がA校へ行
 きたがる。 
・能力がそれほどない子どもまでが、親に尻を叩かれてA校に入学するものだから、留
 年が多い。
 留年しても解決しない場合は、B校に格下げになる。
 これははっきり言って、子どもの時間と税金の無駄遣いだ。
 なぜなら、B校に格下げになった子が、心を入れ替えて勉強するようになることは、ほ
 とんどないからである。
 その反対で、やる気をなくす場合のほうが多い。
・A校は、いまだに学力の程度を下げないように努力しているが、押し寄せる生徒の波に
 飲まれて、じわじわと程度が下がっている事実も否めない。
・とりわけ困るのは、A校の卒業試験であるアビトゥアに受からなかった場合だ。
 アビトゥアとは、A校の卒業試験であると同時に、大学の入学資格試験でもある。
 最後の三年間の試験の結果と、最後の一発勝負の大試験アビトゥアの結果が、複雑な計
 算の末、最終的なアビトゥアの成績となる。
 はっきり言って、最後の一発勝負の大試験は、かなりの難関だ。
・ドイツの大学には入試はない。
 アビトゥアが取れれば、原則的には大学に入れるのである。
 しかし、それは言い換えれば、アビトゥアに受からなければ、高校を卒業することも、
 大学に入学することもできないということである。
・アビトゥアは、一度滑ると、翌年にもう一度受けられるけれど、二度目も失敗すると、
 一巻の終わりとなる。三度は受けられない。
 身の振り方が宙に浮いてしまうということになる。
 もちろん大学には行けないが、だからといって、これからB校やC校の生徒とともに職
 業訓練を受ける気にもならないだろう。
 こうなると、飲み屋の亭主か政治家にでもなるしかない。
・A校には、それ以外にも問題は多い。
 日本の高校のように、学校がコミュニティーになっていないため、クラス内の結びつき
 は希薄で、担任やその他の教師とも、ただ授業でつながっているに過ぎない。
 学業のほうは、試験の成績だけで、あっさりと進級か落第が決まっていく。
 学校生活において気分転換になる行事は極めて少なく、部活はなく、しかも、その状態
 が十歳から十九歳まで延々と続く。
 勉強のできない子にとって、学校はまさに地獄だ。
・B校もそこらへんの事情は似たようなもので、教師とのつながりも、学級内の生徒同士
 のつながりもとても弱い。  
 同じ母校を共有している同窓生という意識もあまりない。
・ただ、B校では、やはり自分はもっと勉強がしたいと気づいた生徒たちと、やる気のな
 い生徒たちとに、はっきり二分している。
 前者は、まじめに授業に臨み、卒業した後、さらにアビトゥアを取得するための学校に
 進学するか、あるいは、ちゃんとして就職先に収まるが、後者は就職先も見つからずに
 宙に浮くことが多い。 
・私が、日本の学校で何よりも素晴らしいと思うのは、小学校で教師が生徒と一緒に給食
 を食べること。そして、生徒が学校の掃除をすることだ。
 指導要領がどう変わろうと、教育委員会が右寄りになろうが左寄りになろうが、この二
 つだけは、絶対に変えるべきではないと思う。
・ドイツの学校では、教師と生徒のつながりはほとんどない。
 教師は、その授業の時間にいるだけで、教師間の横のつながりも希薄だ。
・学校の掃除は、小学校もその上の学校も、常に清掃業者が入る。
 学校で義務として生徒に掃除などやらせたら、絶対に文句を言う親が出てくるに違いな
 いからだ。  
 掃除を修行と見るのは仏教の考え方であり、ヨーロッパでは、ある階級の人たちにとっ
 ては、掃除は下人のすることだ。
 ドイツ派、日本と違って、まだまだ階級社会なのである。
・また、ドイツの学校では生活指導も一切ない。
 プライベートなことは教師の干渉する領域ではないというのが、ドイツの学校のスタン
 スだ。
・ドイツの教師と生徒のあいだには、しばしば、日本では考えられないほどの確執が生じ
 る。
 それでも教師が生徒に負けない理由はただ一つ、成績表という武器を手にしているから
 だ。
 だから生徒はさらに教師を疎み、教師はなおのこと、こんややつらと関わりたくないと
 思う。
 そして、教師と生徒のつながりは、さらに希薄になっていくのである。
 この教師と生徒の闘争は、ときに激化し、教師をノイローゼに陥れたり、生徒の心に深
 い傷跡を残したりする。
・日本で、早期エリート教育を提唱する動きがあるが、私は、そんなものはなくてもよい
 と思っている。
 そもそも、エリート教育の一番の弊害は、エリートでない人々を大量に生み出すという現
 実である。
 エリート教育が盛んになればなるほど、そこから落ちこぼれた人間の学力は下落してい
 く。それはドイツのC校を見ればよくわかる。
 しかも彼らは、「どうせ俺なんか」という劣等感に深く苛まれていく。
・日本が戦後、これほど早く、これほど確実に国を再建できたのは、それまでの百年の教
 育が盤石で、人々の学力の底辺が高かったからだと思う。
 庶民が全員ちゃんと「読み、書き、算盤」ができたのだ。
 こういう国は、現在でも世界の主流ではない。
 この事実がいかに貴重で、かけがえのないことであるか、日本人はまるで気づいていな
 い。 
 早期エリート教育などにうつつを抜かしていると、この一番大切なことを失ってしまう。
・本当の国力というものは、その国にいかに優秀な人がいるかということではなく、いか
 に多くの人が然るべき初等教育を受けたかということで決まる。
 つまり、一握りのエリートと、その他大勢の蒙味な人間がいる国は、大量生産はできて
 も、一流品を生み出す一流国には決してなれないということだ。
・また、教育は、モラルの善意の土壌になる。
 社会の一定層の人間に、ちゃんとした初等教育を受けるチャンスを与えないまま、モラ
 ルと善意だけは持って生きろと言っても、それは無理だ。
 だからこそ、強く安定した国を作るためにも、教育途上で脱落していく人間は、できる
 だけ少ない方がいい。  
・貧富の差のある国は、豊かな国ではない。
 少数の大金持ちがいて、彼らがどんなにすばらしい生活を送っていたとしても、その国
 は、豊かではないし、安定もしていない。
・貧富の差がどこからくるかというと、人間の能力の差ではなく、教育の差から生じる。
 満足な教育を受けられず、社会のどこかで漂流してしまった人々が、職に就くチャンス
 を逸したまま、貧困層を形成する。
 そして、彼らの不満は、いつか爆発する。
・ドイツでは、学力の高低と貧富の相関性が、他の先進国と比べて高いという調査結果が
 ある。
 つまり、裕福な人ほど高い教育を享受しており、貧しくても学を為す二宮尊徳のような
 人物が出にくい国であるということだ。
 ドイツの憲法は教育の機会均等を謳い、事実、誰でも大学に行ける道が整備されている
 が、実は、そこに行くずっと手前に、大きなハードルが置かれているといえよう。
・日本の教育は、しかし、そういう意味で、これまでとてもうまく機能していたと思う。
 日本という国に、国民を二分してしまうほどの貧富の差がないのは、国民を二分してし
 まうほどの教育の差がなかったからだ。
・そして、教育の格差が小さい理由は、大方の日本人が、子どもを早くから分けてしまう
 などという無意味なことをしなかったからである。
 だから、日本は、治安が安定していた。
 暴動もなければ、深刻な社会不安もなかった。
・義務教育のあいだ、勉強のできる子も、できない子も、なんとなく皆で引きずって、
 九年後にともに卒業する。
 この、ゆるい学校制度は決して悪くない。
 世の中には、さまざまな暮らしをするいろいろな考え方の人間がいるということを、
 幼いときに身をもって体験するという意味でも、絶対に有益だと思う。
・生まれたこのかた、同じような環境の、同じような経済力の、同じような能力を持った
 人間ばかりの世界で育った人間が国を動かすことになったら、日本はいずれ階級社会に
 なる。
 上層階級は一般に人間の気持ちが見えなくなり、やがて、自分たちの財産と権利を守る
 ことに腐心しなくてはいけなくなるだろう。
 少しそうなりかけているのが、今の日本だ。
 これでは日本の良い伝統が消えてしまう。
・日本ほど、社会にいろいろな意味で溝のない国は、世界でも例を見ない。
 それを日本人は、誇りを持って自覚すべきだ。
 早期エリート教育の魅力に負けて健全で平等な初等教育を放棄すると、あとで来るツケ
 が大きい。
 日本には、階級社会は絶対に似合わないと、私は思う。
  
日本に必要なのは「主張力」
・ドイツのギムナジウムを見ていて感じるのは、勉強の目的は知識の量を増やすことでは
 なく、後々まで使える底力のような能力を培うことの重点が置かれていることだ。
 簡単に言うと、「論理を構築する力」と「主張する力」と「妥協点を見つける力」であ
 る。
 日本の高校生の勉強が往々にして、全方面的に知識の集積と、大学受験のためのテクニ
 ックの習得のようになっているのとは、だいぶ違う。
・日本とドイツの高校生の学力を比べたら、知識の量は日本の生徒のほうが断然多い。
 また、初めて教わることを理解するのも、日本人の方が素早い。
 ただ、日本の生徒の知識は、ほとんどが受動的な知識なので、いざ、その知識を能動的
 に駆使するとなると、ドイツの生徒のほうが俄然強くなるだろう。
・しかし、ドイツも、昔からこういう教育をしていたわけではない。
 戦前のギムナジウムでは、暗記や、膨大な知識を吸収することが重視されていた。
 教育の方法が画期的に変わったのは、1970年代の初めころだ。
・教師が前に立ち、一方的に教えを垂れるという従来のやり方は、権威的であるとされ、
 あっという間に下火になった。
 何が正しく、何が間違いかという既存の枠はできるかぎり取り外され、学校は、生徒が
 独自に意見を形成し、それを戦わせる議論の場となった。
・そういう教育をくぐり抜けてきているので、ドイツ人と話していて感心することは多い。
 まず彼らは、何を聞いても何を読んでもそのまま鵜呑みにすることはない。
 すべてを、「本当に正しいのか」「なぜ正しいのか」と疑ってかかる。
 「懐疑的であれ」ということを徹底的に教え込まれているのだ。
 それは70年前、この国がヒトラーを盲信し、一丸となって破滅へ突き進んだことへの
 反省でもある。
・彼らは、教わっている最中でさえ受動的ではない。
 自分の意見は何だろうといつも考えている。
 そして、考えたことを躊躇せずに主張する。
 ドイツ人とは、おそらく日本人の十倍ぐらい疑い深く、日本人の十倍ぐらい主張の強い
 人々だ。
・それに比べると私たちは、もともと人を疑ってかかるより、信頼に基づいて暮らしてき
 た民族だ。
 人間が二人寄ると、相手の立場を理解し、相手の気持ちを考えて、まず、なるべく仲良
 くやろうというベクトルが自然に働く。
 懐疑的、批判的な能力はそれほど必要なかったし、教育の場においても、それはいまだ
 にあまり重要視されていない。
 他人を理屈でねじ伏せる訓練は受けておらず、闘争のDNAもあまりない。
 日本では、素直であることが美徳であり、相手を理解する能力が重要なのだ。
・そして今までは、黙っていても、持ち前の優秀さと勤勉さが技術を伸ばし、国を豊かに
 してくれた。 
 この島国では、すべてが結構平和に回ってきたのである。
・ただ問題は、日本人がこの平和な島の中で、考えを同じうする人々とだけ暮らしていけ
 た時代は、とっくに過ぎてしまったということだ。
 今や、国際的なビジネスや人間の交流が盛んになった結果、人に気持ちをおもんばから
 ない、主張の強い人たちと対峙しなければいけない状況に出くわすことが多い。
・国という単位で見ても、国際関係は次第に複雑になり、より力のある外交力が必要とさ
 れる。  
 何と言っても私たちの周りには、日本人の足をすくってやろうと虎視眈々のタフな人た
 ちがたくさんいるのだ。
・日本から一歩外に出ると、意見のない人間は頭が悪いと決めつけられ、主張のない人間
 は、これ幸いと使用されるのが常だ。
 日本の伝統的な美徳である思いやりや奥ゆかしさなど、ひとたび海を越えると、はっき
 り言って何の焼きにも立たちはしない。
・だから、いつまでも黙ったままでいると、私たちは近い将来、今まで築き上げてきたも
 のさえも、あっという間に失いかねない。
 
・2009年9月、グダニスク(ポーランド)で、ポーランド政府主催の、第二次世界大
 戦開戦の70周年記念式典が行われた。
 招待客である各国首脳の中で一番注目を集めていたのが、かつての「侵略国」の代表で
 あるドイツのメルケル首相とロシアのプーチン首相。
 二人がどんなスピーチをするかということが、ポーランドのメディアで、事前から大い
 なる関心を集めていた。 
・メルケル首相のスピーチは、心のこもった追悼の辞だった。
 第二次世界大戦を、「ドイツが引き起こした戦争」と定義し、「ドイツの首相として、
 ドイツ占領軍の犯罪の下で言い尽くせない苦しみを味わったすべてのポーランド国民の
 ことを忘れません」と述べる。
・激しい風で眼前に覆いかぶさる髪を掻き上げることもせず、毅然と発せられたドイツ首
 相の言葉、「犠牲者の前に、深く頭を垂れます」を、ポーランド人は静かに受け止めて
 いるように見えた。
・現在の独ポ両国は、歴史上初といえるほどの最高の関係を享受している。
 とはいえ、この関係は、実に微妙なバランスの上に成り立っている。
 ドイツはポーランドに対して、絶えず気を遣い、援助も怠らない。
 そして、ポーランドはというと、ドイツの心遣いを評価してはいるものの、それと同時
 に、ドイツに対する不信感が完全になくなったわけではないということを、どこかでち
 ゃんとドイツに感じさせている。  
・どちらの国に力があるかというと、経済的にも政治的にも軍事的にも、もちろんドイツ
 である。
 しかし、心情的・道徳的には自分たちに分があるということを、ポーランド政府はよく
 心得ている。
 ポーランド人の心の中には、常にドイツ人が加害者で、自分たちは被害者なのだ。
 つまり、この両国の関係は、表面上は友好的で、外交上も抜かりはないが、だからとい
 って、その友交が心からとは言い切れない冷ややかさもある。
・そのあたりは、たとえば、ドイツ側がちょっとでもポーランドを非難するようなことを
 口にすると、ポーランドはいきなり攻撃的になることでわかる。
・その一つが、ドイツ人の追放問題だ。
 第二次世界大戦後、ドイツ東部の広大な土地がポーランドに割譲された。
 ソ連が戦後、ポーランド侵攻の際に奪った土地を返還しなかったため、連合国軍はその
 代償に、ドイツ人が固有の自国領と信じていた領地をごっそりと割いてポーランドに与
 えたのだ。  
・不幸だったのは、昔からそこに住んでいた350万のドイツ人で、彼らは、ポーランド
 人のドイツ人に対する6年間の恨みを一身に引く受ける形になった。
・すでに国体が崩壊していたドイツには、自国の難民を援助する力は、もちろんない。
 とはいえ、ドイツに対して恨み骨髄のポーランド人に、ポツダム会談で米英ソが取り決
 めた「秩序立った人道的な移住」の遂行を期待するのは、酔狂な話であった。
 結果として、想像を絶する悲惨な状況のなか、ドイツ人は資産を剥奪され、着の身着の
 ままで故郷を追われた。
 そして、ドイツへたどり着く前に多くの人が命を落とした。
 (チェコ、ハンガリー、ソ連からの引揚者を含むと、犠牲者は211万人ののぼると言
 われている)
・ドイツに、そういう引揚者たちが作った「追放者同盟」という組織がある。
 最近、彼らがベルリンに、追放の悲惨な記憶を留めるための記念館を造る計画を立てた
 ため、ポーランドで激しい非難が巻き起こった。
 ポーランドは、ドイツ人が「追放」という言葉を使うことさえも許せないらしい。
 彼らの攻撃の仕方を見ていると、「ドイツ人にだけは言われたくない」という感情が、
 ありありと見える。
・メルケルは、しかし、ポーランドの抗議に屈せず、この日のスピーチも、「我々の果た
 すべき歴史的責任において、何一つ書き換えるなどということはしません。責任はすべ
 ての基盤であり、それをしっかり自覚することによってのみ、我々は今、かつての戦争
 のために故郷を失ったドイツ人のことを思うことができるからです」と、この問題に言
 及しているのです。 
 ポーランドへの礼は崩さず、しかし、自国の見解と自国民への援護をしっかりと主張し
 ているところは見事だ。
・ドイツが今、世界で信頼され、EU(欧州連合)の主導国の役割を担っている背景には、
 彼らが常に疑問を呈し、真実を模索し、そして何よりも、主張してきたという事実があ
 る。
・自国の国益を主張できない国は、決して信用されない。
 経済援助ばかりでは、他国を思いやり、紛争を仲介し、指導力を発揮できる国にはなれ
 ない。
 今の日本は、この能力が一番欠けている。
・さて、対照的だったのがロシアのプーチン首相のスピーチ。
 彼によれば、当時のヒトラーと結んでいたのは英仏も同様であるという。
 1938年のヒトラーのチェコ侵攻を、イギリスとフランスが黙認したことを指してい
 る。 
 確かにこれによってヒトラーに力が急速に伸長し、第三帝国の立場が確固としたものに
 なったのは事実だ。
・さらにプーチンによると、そのヒトラーのチェコ侵攻には、ポーランドも一役買ってい
 るという。
 なぜなら、ポーランドは、ソ連より早くドイツと不可侵条約を結んでいたからだ。
 それどころか、ポーランドとドイツは、ソ連侵攻も目論んでいたという。
 それを聞いて、かなり過激な右派であるカチンスキ大統領は、もちろんカンカンになっ
 た。 
・そのカチンスキ大統領は、7ヶ月後の2010年4月、ロシアのモクレンスクで行われ
 た「カチンの森」の犠牲者の追悼式に行く途中、飛行機事故で亡くなったのだが、
 「カチンの森」事件というのは、1940年、ポーランドの将校をはじめとする2万人
 もの軍人や知識人が、旧ソ連軍の秘密警察に一網打尽に銃殺された事件だ。
・プーチン首相のスピーチも、メルケル首相とは趣旨がだいぶ違うが、やはりロシアの国
 益が明確に主張されているところでは絶対にぶれることがない。
 ポーランド人のロシア人に対する反感は、今でも激しい。
 ロシアはドイツと違って、つい最近までポーランドを力で抑えていたからだろう。
 しかし、プーチン首相はそんなことは意に介さない。
 そして、第二次世界大戦ではソ連がファシズムと戦い、ヨーロッパを救ったという立場
 は崩すことはない。 
 ポーランドに侵攻したことなど、おくびにも出さない。
・とりわけ興味深かったのは、彼がスピーチを結んだ言葉だった。
 「ポーランドとロシアの関係も、いつの日か良好にならなければいけない。ポーランド
 とドイツのそれのように」
 それを聞いた私は、ヨーロッパの首脳は、皆、凄い!と、ほとんど戦慄を憶えたのだっ
 た。
・しかし、感心している場合ではない。
 現実には、私たちはこういう人々と交渉し、争い、また、共生していかなければいけな
 いのだ。
 絶対に必要なのは自己主張にほかならない。
 日本の利害を主張することなしには、相手がドイツであれ、ロシアであれ、中国であれ、
 私たちは生き延びることはできないだろう。
 世界の主要国からの転落は、もう目の前に迫っている。
・欧米の国々の外交や交渉のやり方を見ていると、最初の要求はかなり水増しで打ち出し
 ておいて、交渉の末、妥協の体裁を装いながら、本来望んでいた目標に近づけていくと
 いう方法がとられる。 
 その際、自分たちの妥協がなるべく大きく見えるよう、いかにポーカーフェイスでやる
 のかが、腕の見せどころだ。それが皆、実にうまい。
 バカ正直な日本人が、一番苦手とするところである。
 ただ、苦手だといって逃げていると、国益はどんどん損なわれる。
・したがって、必要なのは学校教育の転換だ。
 自分たちを守り、さまざまな問題を解決し、しかも、自己の利益を損なわないようにす
 るためには、他人の意見に無抵抗に取り込まれてはならないし、すぐに遠慮して引いて
 しまってもいけない。 
 脅されてひるんでは、もっといけない。
・自身の論理を構築し、できれば和やかに、あるいは、たとえ和やかではなくなったとし
 ても、主張すべき意見は主張できるよう、議論の仕方や、妥協の仕方を学校で訓練する
 べきなのだ。 
 そのためには、論文の制作が非常に重要だということも、忘れてはいけない。
・「主張」を学校教育に取り入れていくことは、これからの世界で生き残っていくための
 緊急課題であると思う。
 いろいろな科目にディベートを取り入れ、また、自分の意見を盛り込んだ、質の高い長
 い論文を書くこと。 
 そうして手にした能力を、日本人本来の思いやりや優しさといった美点の上に、うまく
 重ねていければ最高だ。
 
あとがき
・ドイツには現在、ドイツのパスポート(国籍)を手にした外国人が850万人いる。
 ドイツの人口は8200万人なので、全人口の10分の1以上が元外国人というわけだ。
・そして、そのほかに、私のように滞在許可は持っているがドイツ国籍を持たない、真の
 外国人が720万人。
 つまり、ドイツに住む人間の5人に1人は外国人、あるいは元外国人ということになる。
 そして、外国人の4人に1人がトルコ人である。
・ドイツでは最近、これまでの外国人政策の不備が取りざたされている。
 ドイツで外国人問題というと、トルコ人問題に等しい。
 それほどトルコ人は多いのだが、一方、彼らほどドイツに馴染んでいない外国人(ある
 いは元外国人)集団も少ない。
 そろそろ四世が生まれようというのに、ドイツに溶け込む意思は希薄で、考え方はイス
 ラムの教えのまま。
 ドイツで生まれたトルコ人でも言葉が拙く、義務教育さえ終えずに落ちこぼれてしまう
 ケースが多い。 
 そういう若者は当然のことながら、就労においても取り残され、それが貧富の格差、社
 会からの脱落、犯罪の増加、不満の膨張、さらには社会不安につながっていく。
 すべてが悪循環で、今、ドイツ政府はその是正に大わらわなのだ。
・ただ、そのニュースを聞きながら、ふと思う。
 はたして私はドイツに溶け込んでいるのだろうかと。
 もちろん、ドイツ語は話せる。本も読めるし、議論もできるし、必要とあらば、喧嘩の
 一つぐらいできる。
 ドイツの法律も順守し、子どもたちももちろん学校を卒業した。
 我ながら、模範的な外国人だ。
 確かに、そういう意味では多くのトルコ人の女性とは違う。
 ドイツ人は、私を見て満足しているに違いない。
・ただ、あなたは何人かと訊かれたら、私は日本人以外の何者でもない。
 表面的にはちゃんとドイツ社会に馴染んで暮らしているが、心の根っこのところは日本
 人のまま。  
 ドイツ人のことはいまだにデリカシーがないと感じるし、四半世紀経った今でも、腹の
 立つこと、また、慣れることのできない現象は多い。
 だから私も基本的には、頑なにトルコという祖国を引きずって生きているトルコ人たち
 と、それほど変わらないのではないかと思う。
・ドイツには現在、約400万人のイスラム教徒がいて、2百以上の回教寺院があり、
 2千以上のお祈りの施設がある。
 イスラム教徒の半分以上がトルコ人である。
・ドイツ人は、この現象をキリスト教文化に対する攻撃と感じ始めている。
 そして、ドイツ文化に馴染む気がないのなら、トルコに帰れという声が高まっている。
・しかし、と私は思う。
 もし私がドイツで和服を着て、こんなに動きの制約される服は女性蔑視だと言われたら、
 どう感じるだろうと。
 日本のクジラ文化は実際、常にやり玉に挙げられる。
 そして、そのたびに、私はいつも不当に非難されていると感じる。
 トルコ人と違うのは、私は、ドイツ各地に神道の神社を造ろうとはしないことだが、
 それは私が信心深くないからに過ぎない。
・メルケル首相は最近、ドイツ人は外国人を分け隔てなく受け入れるということを強く強
 調する意味で、「私はドイツ国に住む人々全員の首相です」と言ったが、私はいくら長
 くドイツに住んでいても、彼女が私の首相だとは思えない。
 家族がいても、ドイツ語を話しても、私にとってドイツは慣れ親しんだ外国でしかない。
 しかし同時に、少なくとも、私はドイツのインサイダーであり、ドイツのシンパである
 とも自負している。
 それが、私のドイツ生活の成果であり、また、知独日本人としてのこの役割に、私は結
 構満足している。

・私たちは、日本という国の中で、安心しきって暮らしていた。
 日本という国を意識することはなかった。
 それは当たり前のように存在し、しかも、”苔のむすまで”存在し続けるはずのものだっ
 た。
 その安心感の中で、政党は争い、企業は競争に明け暮れ、国民は不景気を嘆いていた。
 オイルショックがあろうが、バブルが崩壊しようが、それは一時的な危機であり、試練
 であった。
 それによって、日本という国が力尽きて倒れるという危惧することはなかったのだ。
・ところが、その安心感が震災で崩れた。
 「日本はどうなってしまうだろう?」という恐怖が、皆の心の中を駆け抜けた。
 そのとき初めて、私たちは自分たちが日本人であることを気づいた。
 否が応でも運命共同体「日本」の一員であることを、はっきりと意識したのである。
・ただ、残念なことは、震災直後に芽生えた日本人という一体感が、あっという間に薄れ
 てしまったことだ。  
 頑張ろうという心意気も萎んだ。
 状況は何も変わっていないはずなのに、もう一丸とはなれない。
 問題から目を逸らすことだけがうまくなり、皆が個人の世界に閉じこもっている。
 「日本」と聞いただけで、悪しきナショナリズムに結びつけたがる人たちも、舞い戻っ
 てきた。
 安全保障もエネルギー問題も、日本の悪口をあげつらっていても、何も良くはならない
 のに。
・そもそも私に言わせれば、愛する母国を持たない人間が、良い世界づくりに貢献できる
 はずはない。
 国の発展よりも市民の生活が第一とか、あるいは、日本ではなく地球を愛そうなどとい
 うのは、多いなる矛盾だ。
 日本人が何かを達成するためには、盤石な日本国が必要なのだ。
 長いあいだ、その盤石な日本で繁栄を謳歌した私たちが、青色吐息の日本を子どもたち
 に残すことになっては申し訳ないと、まず、そこから考えるべきではないのか。
・ドイツという国に長く暮らし、周りで起こっていることを観察していると、EUのよう
 に協調が高らかに謳われている舞台でも、水面下では、国家間の壮絶な争いが見え隠れ
 する。 
 そういう厳しい世界で、日本人が美点を失わず、しかも、自らの利害を守り、そのうえ
 で、さらに世界に貢献していくたけには、日本人としての自覚が絶対に必要だ。
・長いあいだ、私たちの先達は、他人とぶつかり合わない知恵を駆使して、協力と協調で
 生き抜いてきた。 
 その特質をなるべく崩さずに、これからも前進していくためには、自らの強みを知り、
 同時に、対峙する相手の考え方を知らなければならない。
・異文化の良いところを見抜く能力、柔軟さ、思いやり、そして、矛盾するようだが、
 完璧主義が私たちの強みだと思っている。