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この本は、今から10年前の2013年に刊行されたもので高橋是清の生涯を描いた上下
巻からなる長編小説だ。
私は、この本を読むまでは高橋是清という名前は知っていたのだが、どんな人物だったか
については、ほとんど知らなかった。しかし読んでみて、その経歴の凄さに驚かされた。

高橋是清は、江戸城の屏風の絵師の父親が46歳のとき、自分の家で行儀見習いをしてい
た16歳の少女に手を出して産ませた子だったようだ。世間体もあったのだろう、すぐに
仙台伊達藩の足軽の家に養子に出されている。
しかし、それからがすごい。養子先で寺の小姓に出されて初等教育を受けるのだが、偶然
の巡り合わせで、開港直後の横浜で英語を学ぶことになる。さらには、アメリカ留学の機
会を与えられるのだ。
なにしろまだ明治になる前の江戸時代の慶応三年(1867)に、実学で英語のスキルに
磨きをかけるためにアメリカに渡っているのだ。しかもまだ13歳の時だ。
これは、岩倉使節団がアメリカに渡ったのが明治4年(1871)だから、それよりも4
年前になる。
しかし、その渡航の際に、渡航の手配を請負ったアメリカ人貿易商に学費や渡航費を着服
され、さらにホームステイ先の両親に騙され奴隷として身売りもされている。
しかし、アメリカから日本に帰国してからは、東京大学の前身校に入学し、その英語力か
らまもなく教師の仕事に就いている。それもまだ16歳という若さでである。
青春時代には、毎日朝から三升の大酒をあおったときもあった。放蕩のあげく職場を追わ
れ、花街で芸妓の箱持ちをして暮らしていたこともあった。
しかし、後には日銀総裁を経験し、大蔵大臣は7回、総理大臣1回と、明治・大正・昭和
初期までの日本の国家財政を支えた無二の人物となっていく。
是清の時代の日本の国家財政は、戦争・震災・大恐慌などの危機が連続し、まさに綱渡り
の状態だった。
たとえば日露戦争での日本の戦費支出総額は、当時の日本の一般会計の歳入の約7.2倍
だったようだ。これは現在で考えると約768兆円という巨額になる。戦争はとんでもな
い額の金を浪費するのだ。これが当時の国民の肩の重くのしかかり苦しめた。
是清には、一貫した信念があった。それは、「日本が真の国力を高めるには、国防力より
も、まず経済力を高めることだ」ということだった。
このことは、現代の日本にも通じることがあるのではないか。
いまの日本政府は、中国の脅威が高まったとして、「防衛予算倍増」や「敵基地攻撃能力
の保有」を掲げて、防衛力強化に前のめりになっているが、しかしいま日本政府がすべき
最優先事項は、「経済力を高めること」ではないのか。経済力なくして国防はあり得ない。

ところでちょっと驚いたのは、鈴木直という女性の存在だ。是清が職を失い、どん底生活
を送っていた頃に世話になった妻の親類の娘で、直の父親が病死したのを機に高橋家で預
かっていたのだが、年頃になり嫁がせたのだが、嫁ぎ先での不仲で出戻ってきた。そして
高橋家で女中頭として働いていたのだが、いつしか是清と深い関係になり、四人の女児を
出産したというのだ。つまりは是清の第二夫人となっていたようなのだ。鈴木直は是清よ
り28歳年下だったようだ。
しかし、ネットで調べても、この鈴木直という女性に関する情報はほとんど見当たらない。
この鈴木直という女性は、本当に実在した女性なのだろうか。それとも創作上の女性なの
か。いまひとつはっきりせず、今後の調査課題としたい。

過去の読んだ関連する本:
昭和恐慌と経済政策
男子の本懐
五・一五事件
妻たちの二・二六事件

日本国債


序章
・昭和十一年(1936)二月二十六日、時の大蔵大臣高橋是清が私邸を満たしているも
 のは、慈しみと暖かさにあふれるもののはずだ。なにより今日は、先日嫁いだばかりの
 四女、美代子の里帰りの日である。次女の真喜子たちも、あちらの家を新築中とて、ち
 ょうど帰ってきているところだ。
・波瀾に満ちた夫の人生も、それ振り回されてきた品自身の暮らしも、ここへきてようや
 く落ち着きを見せはじめてきた。数えで八十三歳といえば、夫はとうに表舞台を降りて
 もいい歳である。
・いや、一度は退いた身であった。なのに、なにかと言っては引き戻され、国難の時だか
 らと強く求められ、そのたびごとに夫は骨惜しみせずに応えてきた。
 だが、それももはや十二分に達成したはず。この先は、できるものならいまのまま、静
 かに日々の暮らしを過ごしていければそれでいい。
・そのとき、どさりと雪の落ちる音がした。だが、音はそれだけで終わらなかった。続い
 て静寂を破ったのは、誰かが雪を踏みしめる音。いや、あれは一人や二人の足音ではな
 い。 
・「兵隊だあ!」表門のおうで大声がした。若い巡査の声だ。
 「兵隊がきます。早く、大臣にお知らせを。大臣を、大急ぎで匿ってください!」
 
金の柱の銀行
・高橋是清、幼名和喜次が生まれたのは、嘉永七年(1854)閏七月。かのペリー提督
 が、黒船を率いて初めて浦賀にやってきた翌年のことであり、井伊直弼が桜田門外で斃
 れる五年半ほど前のことだ。
・実父は、徳川幕府に仕える絵師として、もっぱら江戸城本丸の屏風の御用を務める川村
 庄右衛門守房。当時四十六歳だった守房と、川村家に行儀見習いにあがっていた、まだ
 十六歳の侍女、裕福な鮮魚商の娘だった北原きんとのあいだに生まれたのが、和喜次で
 ある。だが、生後数日もたたぬまに、和喜次は仙台伊達藩の足軽、高橋是忠のもとに養
 子に出され、そこから波瀾の人生が始まることになる。
・和喜次は高橋家に大切に迎えられ、藩には実子として届けられた。その養育は、厳しく
 も慈愛に満ちた養祖母があたることになった。
 まるまる太った和喜次が、やがて五歳になったころ、出生の経緯を教えてくれたのもこ
 の養父母喜代子であり、歩いてすぐのところにあった川村の生家とのあいだを自由に行
 き来させてくれたのも、その懐の深さちゆえだ。
・高橋家は足軽とはいえ、名字帯刀を許されていた。もっとも、住まいは愛宕神社の東に
 ある仙台藩の下屋敷、七十近くも軒を連ねる長屋住まいで、決して豊かとはいないもの
 だ。   
・「和喜次。明日から寿昌寺で働くのです。和尚が給仕をする子供が欲しいと仰せです。
 足軽では出世ができぬ」
 まさか、この一言が、後の人生を大きく変えるとは、和喜次はもちろん、このときの喜
 代子自身も思ってはいなかっただろう。
・足軽の子では、正規の藩校で学ぶことはできない。だが、藩の菩提寺である寿昌寺に小
 姓として入れば、読み書きが学べる。喜代子の狙いはそこにあった。
・下屋敷の留守居役に、時勢に敏い若侍が仙台から赴任してきたことも幸いだった。
 「どうだおまえ、横浜に行かぬか」
 仙台藩の血気盛んな改革論者である大童信太夫の言葉は、素直に響いた。
 幸いだったのは、当時の若手藩士はほとんどが妻子を仙台に残して江戸へ交替勤番だっ
 たこと。つまり、藩として英語教育に適した年齢の者を横浜に送ろうとしても、江戸で
 仙台藩士の子弟を捜すのは容易ではない。結果、和喜次ともう一人、鈴木六之助、のち
 の知雄というやはり十一歳の少年が選ばれることになった。
・和喜次と鈴木知雄が学んだのは、ニューヨークより来日していた医師でもあり、宣教師
 でもあるジェームス・カーティス・ヘボンである。前年より横浜の居留地で施療院とと
 もにヘボン塾を開き、ヘボン式ローマ字表記法を考案。
・もっとも、和喜次たちが実際に学んだのは、忙しいヘボンに代わってもっぱら夫人のク
 ララからだ。彼女の教え方は会話を中心とするもので、何度も繰り返して聞き、内容を
 質問し、相手に答えさせるという対話形式が基本だ。
・一年半経って、ヘボン夫妻が帰国したあとは、後任に託されアメリカ人宣教師ジェーム
 ス・バラー氏の夫人についた。だが、まもなく思いがけない大火に巻き込まれ、住まい
 も焼失。一同は江戸の藩邸に戻ることになったのである。
・太田栄次郎という仙台藩の訳読の教師が銀行のボーイの話を探してきた。
 話は思いがけないほど順調に進んだ。和喜次の雇い主は、英国系銀行チャータード・マ
 ーカンタイルの横浜支店支配人級で、アレクサンダー・アラン・シャンドといった。三
 人いた支配人格の重役のうちの一人であり、それぞれボーイを置いて、掃除や食事の給
 仕などをさせているという。

・「おまえは、これまでなにかあっても、どういうわけがうまく難を逃れてきました。高
 橋の児は運がいいと、いつも言われてきたものです」と祖母の喜代子は言った。
・事実、幼子のころから、自分はいつも運に救われてきた。誰よりも周囲がそのことを認
 めている。 
・おそらく三歳か四歳ぐらいのころのことである。
 仙台藩の足軽の子らは、そのころよく中屋敷の北東にある通用門のあたりで遊んでいた。
 いつものように、子守に連れられ、そこの稲荷神社の社で遊んでいたら、突然藩主の奥
 方が参詣にお出ましになったのだ。
・もちろん、すぐにみな人払いになり、その場から立ち去ったのだが、なぜか和喜次だけ
 神殿の後ろに隠れていて、気づかなかった。 
 そして、お供を連れて到着された奥方と鉢合わせをしてしまった。そうとは知らぬ和喜
 次は、拝殿にあがって、礼拝されている奥方の前に進み寄り、あろうことかその袖をつ
 かんだ。
 「おばさん、いいべべだ」
 幼い和喜次はなんの屈託もなく、そんなことまで口走ったらしい。本来ならば、そのま
 までは済まぬ無礼だが、奥方は微笑んで頭を撫でられた。なのでさらに調子にのり、そ
 の膝の上にのこのこと這いあがったというのである。
・さあ、一大事だ。その一部始終をあとになって聞かされた養父は、生きた心地がしなか
 った。 
・その夜になって、お供の者からおっ達しがあり、翌日あの子を連れて来いと藩から仰せ
 の由。
 どんなお咎めがあるのだろう。まさか、無礼千万その場で手打ち、などということにな
 りますまいか。義父の心配は募るばかりであった。
・つい朝になり、覚悟を決めて参殿すると、みなの心配をよそに、奥方はお咎めになるど
 ころか、大層喜ばれた。あろうことか、土産の品まで頂戴することになった。

・仕事にもなれ、馬の世話をする者や、お抱えの料理人たちとも仲良くなっていった。
 そして、それがいけなかった。
 連中は、夕方はもちろんのこと、朝からでも酒を飲む。賭け事もする。
 まだ数え年で十三歳の身ながら、和喜次が酒の味を覚えたのもこの頃だ。肴は鼠だった。
 鼠取りで捕まえては、シャンドがビフテキ用に使っているフライパンをこっそり借用し、
 鼠を焼くと美味いことも知った。
・これまでずっと、競い合うように英語を学んできた鈴木知雄が、あるとき和喜次を訪ね
 てきて、晴れやかな顔で告げたのである。
 「今度、アメリカに行くことになったよ。向うに行って、生きた英語修業をしてくる」
・困った。最初からずっと一緒に学んできた鈴木がアメリカに行くのに、一方の自分が行
 けないとなると、お祖母さまに申し開きができなくなる。さぞや落胆されるであろう。
・悲壮なまでに思いつめていた和喜次のところに、話を聞きつけて仙台藩士がやって来た。
 藩士は星恂太郎といい、英国式兵法を学ぶために横浜にきていたのだが、生活のためユ
 ージーン・ヴァン・リードというアメリカ人貿易商の下で働いていた。このたび藩から
 アメリア行きの決まった鈴木らのなかに、高橋も入れてやれぬかと、江戸の大童に書状
 を欠いて進言し、実現するよう取り計らってく
 れたのだ。
・かくて、慶応三年(1867)の春。藩から正式な許可が下り、和喜次は晴れて鈴木と
 ともに、留学生となれたのである。
・当時、アメリカを往復する船の便は、毎月ほぼ一便ずつ、香港、上海、横浜を経由して
 いたが、わずか六、七百トン程度の船である。
・仙台藩から一緒に旅立つことになったのは、勝小鹿、富田鉄之助、高木三郎に、鈴木知
 雄と和喜次を加えて五人だ。富田鉄之助ら三人の侍たちは、現地での学費や宿泊費など、
 藩から充分な手当が約束されており、船のなかでも上等の個室があてがわれていた。
 和喜次と鈴木は、なにせ子供の身ゆえ、そうした待遇は受けられず、下等の大部屋に押
 し込まれた。
・仙台藩のほかの三人は別として、鈴木と和喜次はまだ子供だからと、星の雇い人でもあ
 るヴァン・リードが自分の両親の家で預かり、面倒を見てやると申し出てくれていた。  
・異国で暮らすことの難しさを、和喜次はサンフランシスコに着いて間もない頃、身をも
 って教えられることになる。当時のアメリカでの生活には、思いがけない落とし穴が用
 意されていた。
・まず、食事の質が目に見えて落ちてきた。どこから見ても彼らの食べ残しにしか見えな
 いものが供される。
 だが、藩から出ている二人のための生活費や学費は、すでにヴァン・リードに直接渡さ
 れてしまっている。 
 なによりお堪忍の限界を超えたのは、犬と一緒に食べろと言われたときだった。
・そんなことが続いたある日、なにを思ったのか、和喜次だけに、オークランドの知り合
 いの家に遊びに行こうと、話が持ちかけられた。
 ヴァン・リードは、厄介払いをしたかったのだ。
・一條にも証人として立ち会えとのこと。なにをするのだろうと思ったが、三人が向かっ
 たのが公証人役場だなどとは知るはずもない。ブラウン氏が笑顔で待っていた。
 タイプで打たれた一枚の紙を見せ、和喜次と一條に署名しろとヴァン・リードが睨む。
 「どうもよくわからんがな。高橋がオークランドの屋敷に行くというようなことは書い
 てある。ただし、ここには三年間と書いてあるが、おまえはそれで本当にいいのか」
 フランス語の勉強から英語に移ってきたばかりの一條には、まだ充分な理解力はなく、
 ましてや交渉力も望めない。もとより和喜次は人を疑うことを知らず、書名の重さの認
 識もなかった。
・ブラウン家での暮らしは、順調に始まった。若い主人が毎日サンフランシスコまで仕事
 に行っているあいだ、夫人は英習字や本の読み方を教えてくれたし、家族の古着を縫い
 直して、服まで作ってくれた。和喜次も進んで台所仕事を手伝いながら、土地の料理を
 覚え、牛や馬の世話をするかわりに、自由に馬に乗ることも許可された。
 日曜になると馬で近くのロジャー農場に行き自由に馬を走らせることができた。ロジャ
 ー家の若い娘は美しく、会うたびに気さくに話しかけてくれ、そのことも和喜次を有頂
 天にさせた。
・そんななか、もう一人の雇い人であるフイという中国人コックとは、どうしてもソリが
 合わず、なにかといっては口論なった。
 「おまえは、なんで俺の仕事を取るんだ」
 フイがいきなりやって来て、唾を飛ばしながら、物凄い剣幕でまくし立てる。
・売り言葉に買い言葉とは、こういうことを言うのだろう。相手の語気に煽られ、その後
 も次々と浴びせられる聞くに堪えない罵詈雑言に、肚の底から悔しさが込み上げてくる。
 どうにも怒りがおさまらず、つい、そばにあった鉞に手を伸ばしたのは、和喜次のほう
 が先だった。 
 思わず投げた鉞は、すんでのところでフフイの身を逸れ、木戸に刺さった。さすがに怖
 くなったのか、フイはそそくさと背中を見せて逃げていく。そのとき以来、フイはいつ
 もポケットに小さな鉞をひそませるようになったのである。
・次にまた言い合いになったら、今度はあいつが手を出してくる。そうしたら、きっと自
 分は殺られてしまうだろう。和喜次は、急いで行李のしまってあるところに行き、底の
 ほうから短刀を取り出した。 
・和喜次は一晩中、まんじりともせず考えた。もっとも賢明なのは、ヤツの前から姿を消
 すことだ。思い詰めた和喜次は、主人の帰宅を待って一部始終を説明し、この家を出た
 いと申し出た。
・主人の答えは、信じられないものだった。
 「出て行くことは許さん。おまえの身体は、三年間、私が金を出して買ってあるのだか
 ら」 
・まさか、あれは自分自身の身売りの契約書だったというのか。そういえば、文面を詠み
 もしなかった。もっとしっかり確認しておくべきだった。
・迂闊に署名したことが、心から悔やまれる。ここはアメリカ、日本とはなにもかもが違
 う異国の地だ。自分の行動や周囲との交渉には、正しい理解と細心の注意が必要だった。
 些細な思い込みと怠慢が、その後の運命を大きく分ける。
 読解力のなさも、強く反省させられた。そしてなりより、この身が金で売買されていた
 ことに、十四歳の和喜次は大きな衝撃を受けていた。
・いい考えがひらめいた。ものは考えようだ。自分から出ようとするから主人もムキにな
 る。あの家をでることが許されないなら、彼らのほうから出て行ってほしいと思わせれ
 ばいいだけのことだ。 
 こうなったら、暴れてやれ、彼らが大事にしているものを手あたり次第に壊してやれ。
・だが、和喜次の目算は見事にはずれた。夫人はもちろんだが、主人までも、そんな和喜
 次の蛮行を叱るどころか、見て見ぬふりを決め込んでいる。どうやら、和喜次のひそか
 な作戦はすっかり読まれていたらしい。
・そんなことが続いていたある日、主人の父親のジョン・ロス・ブラウンが家族や何人も
 の召使いたちを連れて、勤務地だったワシントンDCから戻ってきた。
 彼は、当時の合唱国大統領アンドリュー・ジョンソンの命により、駐在米国公使として
 中国に赴任することになったというのである。  
・予想外の経緯で、和喜次を取り巻くこれまでの環境も、ものの見事に一変した。
 部屋の掃除も、ランプ磨きも、薪割りや薪挽きも、すべて召使いがやってくれる。中国
 への引っ越しの前に、牛や馬も売り払ってしまったので、和喜次が家畜の世話をする必
 要もなくなった。仕事そのものがなくなってしまったのである。
・「ワキジ、ちょっとおまえに話がある」
 ブラウン老人が、あるとき真顔で和喜次を呼びつけ、ソファに向き合って座らせた。
 「すでに聴いていると思うが、私たちはあと一週間もすれば、家族みんなが揃って中国
 に出発することになる」  
 「私たちが発ったあとは、うちの親戚のところに行くがいい。サンフランシスコの税関
 に勤めている親切な男だから」 
 「安心しなさい。悪いようにはしないから。昼間はその男について、税関の手伝いをす
 るのだ。そうすれば、英語だけでなく、事務も覚えることができる。おまえにはきっと
 役立つだろう。仕事が終わって、もし暇があれば、彼のお嬢さんが家庭教師をつけて勉
 強しているらしいから、一緒に教わることもできる」
・ブラウン老人が言っていたとおり、いや、それ以上に、税関吏の家族は親切だった。
・夜になって、勢い込んで一條十次郎のところを訪ね、これまでの経緯や、税関吏一家の
 ことを和喜次は逐一報告した。 
・「まあ、待て。おまえは今夜から、このままここにいろ。その人の家には帰るな」
 「今夜このまま戻ったら、おまえはまた三年間はそこにいないといけなくなるぞ」
 「向うはおまえの身を買ったつもりでいる。証文まで書かせたのだからな。南北戦争以
 来、奴隷の売買は御法度のはず。それを知っていて、あきらかに国禁を破っている」
・そうだった。自分は、いまも金で買われた身なのだ。その現実が、あらためて和喜次の
 胸に迫ってくる。
・税関吏の一家に対する心苦しさが消えたわけではなかったが、和喜次はついて心を決め、
 一條の言葉に従うことにしたのである。
 問題は住むところだ。だが、それもほどなくして、思わぬ出会いに助けられることにな
 る。
・「なんだ、高橋。君もサンフランシスコに来ていたのか」
 声をかけてきたのは、佐藤百太郎という男だ。横浜でヘボン夫人に英語を習っていたこ
 ろの仲間の一人である。
・異国で偶然に出会う友というのは、また格別のものがある。互いの近況を語り合ううち
 に、和喜次の身を案じてくれ、それならうちに来ないか、ということになった。
・かくして、佐藤の店に住み込むことになったのだが、案の定、そのままにしてしまった
 税関吏の家からは、いつまでたってもなんの音沙汰もなく、誰かが訪ねてくることもな
 かった。 
・一條と相談したうえで、同じ船でこちらに来た仙台藩士の大先輩、富田鉄之助を訪ね、
 これまでの経緯を詳しく聞いてもらった。
 和喜次と鈴木の渡米のためとして、横浜を発つ前、いくらかの金がヴァン・リードに直
 接渡されたと聞いている。なのに、彼が和喜次の身を売ったのはとういうことなのか、
 解せぬところを一部始終、説明したのである。
・「ブルックスに頼むほか手立てはあるまいな。こういうときのための名誉領事なのだか
 ら」 
・当時の日本は、サンフランシスコに領事は老いていなかった。その代わりに、徳川幕府
 はブルックスというアメリカ人を名誉領事に任命し、カリフォルニアにおける日本国の
 権益保護の業務を委託しているという。
・いざ具体的な和解交渉に話が戻ってみると、ヴァン・リードは相変わらず抜け目がない。
 仙台藩からの要請として、まずは高橋と鈴木の分として渡した金の清算書の提出を、そ
 して、和喜次の奴隷契約の証文の破棄を願い出たのだが、彼は一転、表情を硬くして言
 った。  
・和喜次の三ヵ年五十ドルの約束でブラウン家に売り渡したのは、横浜からサンフランシ
 スコまでの渡航費の立替金を回収するための斡旋業者としての正当な商行為である。な
 んの文句があるかとばかりに吼えたのである。 
・喧嘩両成敗とばかりに、ブルックスがおもむろに口を開いた。
「この際、藩からの前払い金の清算は別途行なうことにしてはどうかな。仙台藩はまずは
 立替金を返すこと。それをもって、ヴァン・リードは高橋の身売り契約の証文を破棄す
 ること」
・まさにこうしているあいだ、あのブルックスに名誉領事を嘱託していた江戸幕府そのも
 のに、かつてない一大変革が進行していたことを、二人は別の筋から知らされることに
 なる。
「大政を奉還すべきと、将軍に勧めたと書いてあるぞ」
 「慶応三年(1867)十月十四日とあります。ということは、われわれの船が横浜を
 出てから、三月も経たぬことではありませぬか」
・「やはり帰るか。この目で確かめるほかない」
 一條が言い出し、和喜次と鈴木、それに城山を含む四人で、ついに心を決めることにし
 た。 
・帰りの航海は、来たときよりは快適だった。来たときと同じ二十日余を経て、1868
 年の十二月になり、まもなく船は横浜に到着する。
 だが、城山の話によると、このときすでに元号は「明治」と改まり、「江戸」も「東京」
 になっているという。
・だが、留守にしていた間に、日本はすっかり様子が変わっていることを忘れてはいけな
 い。それだけに、手放しで帰国の喜びに浸っているわけにはいかなかった。
・横浜を発つにあたって、幕府から正式に発行された海外渡航の許可証には、仙台藩の百
 姓だとはっきり書かれている。されど、このたびの維新の戦では、仙台藩は賊軍側だ。
 なお、当時、百姓というのは百の姓を持つ者、つまりは一般国民の意である。
   
まわり道
・堀田端町のあたりまで来たのだろうか。一軒の古びた店の前で、城山が足を止めた。
 「この裏に隠居所があったはず」
 店には客は誰もいない。そのまま土間を通り抜ける。裏口に出ると、すぐまえに小さな
 二階建ての離れがあった。
 「今夜から、お前たち三人は当分ここで厄介になって、身を隠せ」
・城山の言う当分というのが、一月あまりも続くとは、このときは想像もつかなかった。
 外の空気も吸わず、世の中との繋がりを完全に断ち切って、ひたすら汁粉屋の主から借
 り受けた隠居所のなかに閉じ籠る暮らしは、若い三人にとっては耐え難い日々であった。
 明治元年(1868)の師走、鈴木と和喜次がともに満十四歳のときのことである。
・世はかつてない激動の時代。日本はまさに真っ二つに分かれて、向き合っているという。
 和喜次たち仙台藩の主流は佐幕派、つまり江戸幕府存続を望み、開国をめざし、維新の
 立役者「薩長」に対しては抵抗する側に属する。一條はもちろんのこと、鈴木や和喜次
 についても、洋学を志す若者の育成に腐心した大童信太夫の采配で留学が実現した身で
 あるから、当然ながらことらに分類される。
・仙台藩はあくまで賊軍であり、負け組だった。
 仙台藩主伊達慶邦、楽山公は、すでに芝の増上寺に蟄居を命じられているとのこと。
 わかっているのは、三人に迫りくる身の危険だった。見つかれば、いつどんなところか
 ら「処刑」の命が下らないともかぎらない。
・貯えも底をつき、こんな暮らしがいつまで続くのかと、三人に焦りが募り始めたある日、
 城山が勢い込んでやってきた。
 「サンフランシスコで、君らは森有礼さんに会ったことがあるそうだな。いっそ三人の
 ことを森さんに頼んでみようと思うのだが、いかがかな」
・慶応元年(1865)からイギリスやアメリカで過ごした森は、維新に到る祖国の激変
 に心を痛め、あえて動乱に身を投じる決意で帰国してきたのだという。そして、帰国後
 まもなく新政府の役人となり、外国官権判事として神田錦町に住んでいるとのこと。
・和喜次だけは、オークランドに移ったあとだったので、直接会ってはいないのだが、慶
 応三年(1867)に森が欧洲からアメリカに渡ったとき、サンフランシスコで一條と
 鈴木には出会っている。   
・まだ見ぬ森有礼に、同じ洋学を志した先輩として、言葉にし難い親近感が芽生えていた。
 少なくとも一度は会ってみたい。そんな思いがふつふつと湧いてくる。
・森有礼の決断は早かった。
 彼自身、この先に日本には英語を自由に使いこなせる若者が不可欠だということを、も
 っとも認識していた一人だったのだろう。 
 城山からの頼みを躊躇なく受け入れ、三人の仙台藩の若侍をみずからの邸内に引き取っ
 てくれたのである。
 かくして明治元年の暮れも押しつまったころ、一條、鈴木、和喜次の三人は、新しく森
 家の書生となった。このときの森はまだ満二十一歳。
・三人ともそのままの名前では、危険が及ぶからと言って、改名を進められた。
 「鈴五六郎」と、和喜次は同じようにして「橋和吉郎」と名乗ることになった。一條に
 ついてはみずから「後藤常」と決めた。
・新税府は、幕府時代の高等教育機関をそれぞれ復興させていたのだが、年が明けた明治
 二年、お茶の水にあった昌平黌を本校として、開成所と医学校を分け、総称して大学と
 呼ぶことにした。  
 開成所は英仏学を専門とし、お茶の水の南にあるので大学南校、医学校は大学東校とす
 る。
 大学南校は二つのコースに分かれ、日本人教師が訳読などを教える「変則」と、外国人
 教師が原語で教える「正則」があったが、森有礼の指示で、和喜次たち三人はこの正則
 のコースに通うことになる。
 もっとも、彼らはすでに読み書きや会話もできたので、三月の初めには教官三等手伝い
 という職を与えられ、教官用の役宅に移った。

・維新当時の仙台藩内は、尊王と佐幕に議論が二分されていた。尊王側はおもに国学者に
 よって支持されていたが、佐幕派のほうが大勢を占め、結局のところ藩としては、官軍
 に反抗する抗戦の道を選んだ。
・だが、降伏謝罪のあと、藩主は増上寺に蟄居を言い渡され、戊辰戦争の責任を問われて
 表高六十二万石から二十八万石へ減封となる。
 藩の経済破綻は内紛への火種となり、それまで燻っていた尊王攘夷派が突然奮起し、洋
 学を志す者を捕縛せよと気炎をあげる。
・日米修好通商条約の批准のため、使節団の一員として渡米し、アメリカの政治経済につ
 いて書いた「航米日録」を残した「玉蟲左太夫」までが捕縛され、たいした吟味もせぬ
 ままに斬首されたという報せには和喜次も衝撃を受けていた。
・そんな折、三人の消息を風の便りに聞いたらしく、江戸中を探し回った末、国許から人
 が訪ねてきた。 
 「楽山公が二人に会いたいと思し召しだ」
 男は浅井利平といい、和喜次や養祖母とも懇意にしていた男である。
 「そなたらがアメリカから帰国していることを申し上げたら、ぜひ話を聞きたいとの仰
 せだ」 
 「有り難く思うて、両名は増上寺に参上し、御目見え願うたらよかろう」
 そう言って、必要な手はずを整えてくれた。
・作法に従って、八畳敷の部屋で深くお辞儀をしたまま控えていると、やがて楽山公が二
 人の家来を従えてお出ましになった。 
 「御前でござるぞ、首巻は取ってはどうじゃ」
 側仕えの男が小さな声で囁いている。
 「いえ、これはネクタイと申しまして、こうして付けておりますのが礼儀でござります
 れば」 
 「そうか、そういうものなのか」
 側仕えが、さっそく楽山公にネクタイのことを説明申し上げると、二人がアメリカで修
 行してきた歳月についてや、その様子などをご下問になった。
・そういえば幼子のとき、ひょんな経緯で奥方のお召しを受け、大騒ぎをして新銭座の上
 屋敷に参殿した話を養祖母から何度も聞かされた。
 奥方は、あのときの足軽の子が、いまはこうして西洋の服を身に着て、殿様に御目見え
 していることをご存じなのだろうか。
・維新以降、新政府による制度改革は激しく一進一退が繰り返される。
 明治二年(1869)には、政治権力のトップともいえる新しい太政官制度を導入し、
 政治の中心を京都から東京に移した。このことをもって事実上の遷都といえるのかもし
 れないが、これに則して、政府は各藩の公用人を集めて公議所を創設した。
 その議長職を兼ねたていたのが、この年二十二歳になる森有礼であり、副議長は三十九
 歳の蘭学者の神田孝平だった。
・森の論は当時の社会には大きな波紋を呼ぶものだった。当然ながら巷には森を攻撃する
 声が満ちあふれる。
 一歩公議所を出れば、禄を奪われてもいまだ出身藩への帰属意識が脱ねず、堕ちていく
 武士の権威を嘆く者たちであふれている。
・その渦中において、彼らの魂ともいえる帯刀を真正面から否定する森の存在など、断じ
 て許せぬと刀に手をかけ、殺気立つ。 
・かくて外出時には、廃刀論を唱える森の乗った馬の両脇を、廃刀論者でありながら刀を
 差した和喜次と鈴木が護衛にあたるという、笑うに笑えない皮肉な日々が続いたのであ
 る。 
・廃刀の提案は否決されても、志士のあいだで森への批判の声は強まる一方だった。
 抗うことが難しくなり、降りかかる身の危険も高まるばかりで、岩倉具視や大久保利通
 といった要人でさえ、庇いきれなくなる。
・ひとまず、ほとぼりが冷めるまでというつもりだったのか、森は一旦職務を免じられ、
 やむなく鹿児島に引き込むこととなった。
・そのころ新政府は、長崎にいたオランダ人のグイド・ヘルマン・フリドリン・フェルベ
 ック
博士を東京に呼び、大学南校の教師に任命した。
・和喜次や鈴木は、森に代わってフルベッキにつき、歴史書の回読をしたり、折りに触れ
 聖書な講義を受けている。和喜次はこのころからごく自然に、聖書の教えに惹かれてい
 くのである。
・明治三年(1870)には、和喜次と鈴木は教官三等手伝いから二等、小教授の職に昇
 進し、ひたすら勉学の教職に励んでいた。

・ある日、いつものように大学南校からフルベッキ邸に帰り、自分の部屋の障子を開ける
 と、立派な身なりの男たちが待ち受けていた。
 いずれも大学南校の下級生だ。福井は越前藩の元家老の息子たち、本多貴一、本多丑之
 助、駒輿楚松の三人である。
・少しずつ判明してきたのは、大層な借財があって、福井にも帰るに帰れず、かといって
 東京に残るにも残れず、途方に暮れているとのことだ。
 つまりは借金の無心である。
 その借財とはいかほどかと訊くと、三人が即座に声を揃え、答えが返ってきた。
 「二百五十両でござる」
 一瞬耳を疑った。そんな多額の金を、いったいなにに使ったのだ。だがそう問うことも、
 このときの和喜次にはなぜか憚れた。
 なんといっても元家老の家柄だ。いま立て替えて急場をしのいでやれば、いずれ金は戻
 って くる。
・「わかりかした」
 和喜次は言った。困ったときは相身互い。サンフランシスコでもそうやって助け合って
 きたものだ。   
・心当たりはあった。浅草で商いを営む牧田万象という遠い親戚筋がいる。和喜次は翌日
 早速牧田を訪ね、事情を説明した。
 牧田は二つ返事で、大きく胸を叩いた。
 次の日になると、きっかり二百五十両を揃えて持ってきてくれたのである。
 もっとも借用書の借り手はあくまで和喜次だった。遠い親戚といっても、そこはそれ商
 人のことだ。抜かりはない。
・それからしばらくして、三人に案内されて行ったのは、両国だった。店の名前は柏屋と
 いい、見るからに格式ばった老舗の料亭である。
 だが、和喜次にはなにもかもが初めてだ。
・ほどなくして、男が一人、作法どおりに襖を開け、座敷の奥まで挨拶にやってきた。
 「手前どもは日本橋の福井屋と申します。今宵はようこそお運び、ありがとう存じます」
 福井屋が二度ばかり手を打つと、やがて芸妓が次々と着物の裾を引きずりながら、座敷
 にはいってきた。順に奥にやってくる芸妓たちとも、三人は大層な顔馴染みらしい。
 一方の和喜次と言えば、芸妓を間近で見ることも初めてならば、女に酌をされて酒を飲
 むのも初めてのことだ。
・ふと、厠に行こうと立ち上がった。廊下に出ようと、襖を開けると、中庭の寒気が火照
 った頬をさっと撫でていく。と、思う暇もなく、誰かとぶつかった。
 恰好を見ただけで、すぐに芸妓とわかった。唇のすぐそばに、胡麻粒ほどのちいさな黒
 子がある。喋るたびに、それが艶っぽく上下する。
 「厠をお探しでございますか?」
 「お足下が暗うございますので、ご案内させていただきます」
 芸妓はそう言うと、やおら和喜次の手を取ってきたのである。
 細くて、驚くほど冷たい指先だった。小さな爪の薄紅色が妙になまめかしい。
 どきりとして、和喜次は思わず手を引っ込めた。
 「どうぞ、こちらでございます」
 やがて、和喜次が用を足して出てきたときは、もはやその姿はなかった。
・翌日、遣いの者やって、くだんの福井屋、銀町の福井数右衛門を屋敷に呼びつけた。
 「今度は、私からあの三人に返礼をせねばなるまい。宴を一隻持ちたいのだ。その一切
 を、そちらで取り計らってもらえまいか」
・和喜次の頭に、ふと浮かんだ顔があった。
 「こちらで頼めば、誰でも屋敷に呼んでもらえるのですか?」
 あのとき、厠まで案内してくれたあの芸妓のことが、昨夜から和喜次の頭を離れない。
 「どんな顔でございましたか。若い妓で?」
 「どちらかと言えば、落ち着いた感じで、二十四、五ぐらいにはみえたような。そうそ
 う口許に黒子が」
 「先生、さすがはお目が高い。それは桝吉のことでございます。日本橋一の売れっ子で
 す」 
・芸妓が三人座敷にやってきた。
 似ている、と和喜次は思った。やはりそうだった。あのとき、薄暗い廊下でみただけだ
 ったが、どこか懐かしさに似た、不思議な感情を抱いたものである。
 いや、それも違う。本当は、似ているとあえて思いたかったのではないか。和喜次はそ
 うも思い直すのだ。
・「東家の桝吉でございます。本日は橋先生のお座敷にお呼びいただき、まことに有り難
 う存じます。今宵も謹んで務めさせていただきます」
 落ち着いた、やや低い声である。
 座敷の隅々までよくとおる、切れのある話し方だ。桝吉は、すっくとばかりに立ち上が
 り、いっとき和喜次の顔をまっすぐに見つけた。
 その凛としたたたずまい。さすがに、日本橋界隈で一番と言われる流行妓ならではの立
 ち姿である。 
・「やはり、似ている・・・」
 「どなたさまにでございますか」
 「うん、いや」
 和喜次はそっと首を振った。
・その人の名は、きん。この世に生を享けてから、数日も経たぬうちに別れてしまった実
 母である。次に出会い、それが今生の別離になったのは、和喜次が三歳のときだと聞い
 ている。養父の覚治是忠と正妻の文に抱かれて、赤坂の氷川神社に参詣したとき、偶然
 にも境内に実母のきんが居合わせていた。
 そのときのことは、母の容貌とともに、お祖母さまから何度聞かされたことだろう。
・初めて知る花街の世界に、和喜次はたちまち魅せられてしまう。
 心のどこかに、遠ざけようと自制するものがあり、逆にそう思えば思うほど、かえって
 強くひきずり込まれてしまう実感もあった。
 その狭間で、激しく揺れている自分を意識し始めたのは、思えばやはりあの宵の、廊下
 での出会いが始まりだったかもしれない。
・あれ以来、いつもの本多らの三人は、なにかと言ってはフルベッキ邸の奥座敷まで押し
 かけてくるようになった。 
 夜遊びの果て、未明の邸まで帰ってくると、もちろんそのつど門番を起こし、門を開け
 てもらうことになる。
 あたりに酒の匂いを振りまき、鼻唄交じりに浮かれて千鳥足で部屋にたどり着く和喜次
 の様子は、おそらくフルベッキの耳にも、逐一報告されているに違いない。
・恥ずかしくてならぬ。
 和喜次は強く唇を噛んだ。こんな体たらくでは、フルベッキ先生に対しても、申し開き
 などできはしない。
 もはや、ここにはいられぬ。顔を合わせるのも辛い。だったら、邸を出るしかないか。
 十六歳の若さゆえに、和喜次は一途に、わが身を追い込んでしまったのである。
・そのころ、山岡次郎という教師仲間の一人が洋行することに決まった。くだんの三人と
 同じ元越前福井藩士で、送別会と称して、たびたび宴に呼ばれることにもなった。
・山岡がいよいよ出発というので、今度は和喜次が福井数右衛門に仕切りを頼んで浅草に
 芝居を観に行こうということになった。  
 いまやすっかり馴染みになった芸妓を連れ、特別に用意させた料理を重箱に詰めてもら
 い、たっぷり酒も持参し、くり出したのである。和喜次ならの心遣いだったが、もちろ
 ん、桝吉を呼び出す口実だったのは言うまでもない。
・宴もたけなわ。和喜次も気楽な世間話に興じていたそのとき、事件は起きた。
 「おい、顔を隠せ、見つかったらまずいぞ」
 山岡はそう言って、咄嗟に顔をそむけた。指さす先を目で追うと、花道の脇をこちらに
 向かってくる男たちと視線がぶつかった。
 三人の外国人と、二人の日本人。いずれも、大学南校の教師ではないか。向うも大層驚
 いたが、和喜次ももはや隠れようがない。
 昼から芸妓を連れて、あまつさえ女の赤い襦袢を羽織り、芝居小屋で飲んだくれている。
 そんな噂が広まっては、もはや大学南校に居続けるわけにはいかぬ。それでなくとも、
 さまざまな声が聞こえているのは知っている。いつかこうなるだろうとは思っていた。
・あの体らくでは、言い訳はできぬ。誰が見ても、放蕩でしかないだろう。
 桝吉への想いは、もっと違った大切なものだと思っていても、他人の目には、所詮は芸
 妓と酔客の戯れとしか映らぬはずだ。 
・芝居小屋から帰り、和喜次はすぐに机に向かった。辞表を書いたのである。
 和喜次の行動は素早かった。さっそく、翌朝一番でその辞表を提出した。
 だが、案の定、たちまち大学大丞の加藤弘之から呼び出しがきた。やがて東京大学の初
 代の綜理、つまりは事実上の初代総長にあたる人物である。  
・加藤の寛容さは有り難かったが、芝居小屋であんな無様な姿を見られてしまったからに
 は、これ以上甘えるわけにはいかないのだ。
 「私の良心が許しませんので」
 頑迷に言い張り、ひたすら頭を下げ続ける。
・不思議と後悔はなかった。
 仕事を失い、収入の道も途絶えてしまったが、その先のことまでは考えていない。
 しばらくは、これまでの貯えを少しずつ崩していけば、なんとかなるだろう。
 和喜次はそう考えていたのである。
・だが、そんな暮らしが長く続けられるほど世の中が甘くはないことを、切実な思いで実
 感することになる。   
 いざ、入ってくるものがなくなると、貯えの減るのがこれほど速いことも、知らなかっ
 た。またたく間に貯金は底をつき、続いて本も売り尽くした。縮緬の着物も、袴も売り、
 サンフランシスコで買った洋服までもあっけなく消えた。
・それでも、三人のために肩代わりした二百五十両の借金の利子の支払いは、そんな事情
 などおかまいなしに和喜次を追い詰めてくる。
 貸してくれるときは、あれほどにこやかだった牧田万象も、和喜次の失職を知った途端、
 それこそ打って変わって厳しく取り立ててきた。
・福井屋が和喜次を見る目は、あきらかに変わってきた。役宅を出てきただけでなく、み
 ずから職を投げ出した先の見えない男に、どうしてそこまで施してやる義務があるのか
 と、その目が雄弁に物語っている。
・貯金も、売る物もいよいよ底をついてきたのを覚った福井屋は、このうえは一刻も早く
 出て行けとばかりに、聞こえよがしにつぶやくのだ。和喜次は大きな身体を丸めてうな
 だれる。
・そんなとき、救いの手を差し伸べてくれたのが、桝吉だった。
 「先生、そんなことまで言われて、我慢なんか無用です。だったら、うちにおいでなさ
 いまし」 
 まさか、そんなことを言ってくれるとは思ってもいなかった。
・「あのお祖母さまとお約束をしましたからね。」
 桝吉は、あの朝、養祖母の喜代子が、突然福井屋の奥座敷を訪ねてきたときのことを言
 っているのである。

・ある夜、座敷がはねたあと、酔った勢いのまま、桝吉が和喜次の部屋までついて来て、
 朝まで二人で過ごすことになった。
 もちろん、いまもって忘れられない初めての夜である。このとき、和喜次は満十六歳と
 半年あまり、桝吉は四歳ばかり上で二十一歳。
 なにがどうかはわからぬうちに、ただ、たとえようもないほど満ち足りた思いで、和喜
 次は肌の温もりに包まれて、深い眠りについた。 
・「おはようございます、先生」
 はにかんだ頬に赤みがさし、朝日のなかで眩しいまでに光って見える。
 「なあ、桝吉」
 「嫌ですよ、先生。それはお座敷での名前です。お君と呼んでくださいましよ」
 そうか。ここでは花街の言葉も名前も無用なのだ。この部屋では一人の女として、自分
 と向き合ってくれているつもりなのだろう。
 「ならば、私は是清だ」
 これからは一人前の男として、高橋是清と名乗って生きると。
 
・お君が、もとは越前福井で飾屋を営む恵まれた商家の娘であったことは、同郷の福井屋
 から聞いていた。裕福な暮らしだったゆえ、子供時代から芸事を熱心に仕込まれており、
 そのことがあとになって役だったのだとの話だった。
・商いに失敗し、娘を連れて夜逃げ同然に江戸を流れてきた両親を、女の身で養うため、
 お君の三味線や踊りの腕が活かされたのだと。
・だからと言って泣き言のひとつ、不運な身の上話ひとつ口にしない潔さが、お君にはあ
 った。それも、是清が惹かれた一面かもしれぬ。
・お君は、そのあとも宴の終った夜更けにやって来て、是清のいる福井屋の奥座敷に何度
 か泊まっていった。   
・夫婦気取りでままごとのような朝食を楽しんでいたときのことである。
 襖越しに、福井屋の女房が大声で言う。
 「先生に、お客様がお見えになっておられます」
・「お祖母さま・・・・」
 そこには喜代子が毅然と立っている。
 喜代子は、つかつかと二人の前に進み、その場にぺたりと座り込んだ。
・妹芸妓の菊太郎は、震え上がった。
 いたたまれぬように尻で後ずさりをしたが、お君は咄嗟に身繕いをし、居住まいを正し
 た。喜代子と向き合いながら、丁寧に両手を畳について、作法通りに深くお辞儀をした
 のである。  
・そのさまを黙ってじっと見ていた喜代子は、やがて静かに口を開いた。
 「孫が、いろいろお世話になることと存じますが、まだ年端もゆかぬ未熟者ゆえのこと。
 なにぶんよろしくお頼みいたします」
 まったくの無表情で、何事もなかったような落ち着きぶりである。お君のほうも、なに
 やら返答したようではあったが、是清にははっきりとは聞き取れない。
 「なにとぞ、ご勘弁のほど。あの、それでは、これにて失礼を。ごめんくださいまし」
 そう言って、可哀相なほどに何度も頭を下げたあと、お君は菊太郎を促して、そそくさ
 と重箱を片づけ、部屋を飛び出していった。
・お君が持ち出した話は、だから、あの朝の喜代子から言われた言葉のことだった。
 「あのとき、お祖母さまと約束したのですもの」
 その後もなにがあるたびに、お君はそう言って、あれこれを気遣ってくれたのである。
・なにか自分でできることはないか。
 是清が、そんな思いでお君の日々の仕事振りを観察するうちに、お座敷の仕組みと、芸
 妓の制度が読めてくる。  
・以前、福井屋から聞いていたとおり、お君は両親が作った借金を、「年季」という形で
 背負って東家に身を寄せていたのである。
 状況は違っているけれど、金で買われる身のどうしようもない息苦しさは、サンフラン
 シスコ時代に是清自身が嫌というほど味わったものだ。
 しかも、いまの自分は、同じように二百五十両という謂れのない借金を背負う身だ。
 それにしても、あれはいったいなんだったのだろう。いつの間にか、本多ら三人は、
 是清の前から忽然と姿を消し、ついには大学南校からもいなくなってしまったらしい。
・いまにして思えば、なんとも釈然としないことばかりだが、つまりは、面白半分に、最
 初からすべてがあの三人によって仕組まれたことだったのかもしれえない。そうとも知
 らず、疑いすらもせず、友を救わんという一心で、まんまと信じてしまった自分が愚か
 だったというほかない。
・金というのは、まことに不思議なもの。
 いとも簡単に人を変えてしまう。金に操られ、首根っこをつかまれて、人はかくも容易
 に翻弄されてしまうものなのか。 
・お君は、お座敷に出るときには、机の引き出しに、懐紙に包んだ小遣いをそっとしのば
 せておいてくれた。男の立場を慮って、直接に手渡さないあたりが、お君らしいやり方
 だった。
 それがわかるだけに余計にいたたまれず、是清はその金をつかむと、すべてをふっ切る
 ように柳橋へ遊びに飛び出していく。鳴きはじめの蝉の声までが、切なく胸に沁みてく
 る。
・是清が、芸妓の帯の結び方を覚えたのもこのころだった。後ろに垂らした帯が、歩くた
 びに柳のように揺れる江戸芸妓ならではの結び方は、「柳に締める」と呼ぶのだが、そ
 れを習得するのにも、さほど時間はかからなかった。
 「先生は力があるから、緩まなくていい」
 お君だけでなく、三人の妹芸妓からもそう言われると、つい嬉しくて結ぶ手に力は入る。
・お君の家で、男手の必要な力仕事は、みずからどんどん買って出た。もちろん、座敷が
 はねて、疲れて帰ってくる芸妓たちの帯を解いてやるのも是清の役目だ。
・桝吉は三味線も上手いが、唄うときの声がなんとも艶っぽい。そのうえ利発で機転が利
 くので、客の性格や好みを見抜き、どうすれば宴が盛り上がるかをよく心得ている。
 だからこそ、どこへ行っても一番の人気だったわけで、贔屓にしてくれる上客も多かっ
 た。
・いったい、自分はなにをやっているのだろう。いつまでこんなことを続けるつもりなの
 か。いや、このままでは駄目だ、いいわけがない。
 桝吉を座敷に送り出したあと、路地で一人そんなことを考えていたとき、背後から声が
 した。
・いかにも役人という風情の男だった。見違えるほどの風格になっていたので、すぐには
 わからなかったが、是清がまだ横浜にいたころ、一緒に英学を学んだ仲間の一人である。
 「俺だよ。小花万司だよ」
 「なあ、和喜さん、君、唐津へ行く気はないか」
・小花が言うには、肥前の唐津藩にはまだ英語学校がなく、このたび創設することになっ
 た。その教師を探しているというのである。
・断る気にはなれなかった。なんといっても月百円である。「円」の感覚にはまだ慣れな
 いが、いずれにしても思いがけなく飛び込んできた願ってもない収入の道だ。しかも賄
 いつきという条件だから、このときの是清が捨て難く思うのは当然だった。
・それだけの収入があれば、いま抱えている借金の返済も見通しが立つ。本多ら三人のた
 めに負ったいわれなき二百五十両ではあったが、この際利子だけでなく、できるものな
 ら元金も清算して、かたをつけておきたい。
 そればかりか、桝吉の肩にのしかかっている残された年季も奇麗にできるだろう。
 そうすれば、晴れて堅気の夫婦になることもできる。
・この少し前、明治四年五月には、わが国初の貨幣法である「新貨条例」が出されている。
 旧一両は、新一圓(円)
 日本の貨幣の基準単位として、正式に「円」が採用されるようになったのである。
・嘉永七年(1854)、幕府が開国を決め、日米和親条約を結んだ年に是清は生まれて
 いる。その後安政五年(1858)には、日米修好通商条約が結ばれているが、ようや
 く鎖国を解いた途端、日本はいくつもの不平等条約に縛られ、困難に直面することにな
 る。 
・開国当時、国内では金一に対して銀が約五の交換比率、一方で西洋諸国では、金一に対
 して銀は約十五。つまりは、日本の銀の比価が三倍程度も割高だったのである。
 だが、このことを認識し、国際比率に合わせようという発想すら持てなかった日本は、
 「国内貨幣と外国貨幣は、同種、同量に通用する」という条項によって、三分の一の安
 値で金の売却を強いられることになってしまう。
・このことに目をつけた外国人商人たちは、目の色を変えて運上所に殺到した。
 洋銀、つまりメキシコ・ドルを持ち込んで、日本の銀貨と同種・同量の比率で交換する
 ためだ。次にその銀貨を金の小判と交換して海外に持ち出し、今度は国際比率で洋銀に
 交換する。すると、労無くして当初の三倍の額になるというわけだ。 
 こうして過程を経て、わが国の金は大量の国際流出を余儀されたのである。
・国内の金の流出によって、当時の貿易決済にはメキシコ・ドル銀貨が使用されることと
 なり、日本は実質的に銀本位制の国になる。
 この不当な金銀比価は、二年後に「小栗忠順」の訪米により、条約が是正されるまで続
 く。 
・この金銀の内外比価の歪みを背景に、巨万の富を得たのは、もちろん外国人商人だけで
 はなかった。
 のちの金融財閥として、三井、三菱、住友と肩を並べるまでになる「安田善次郎」もそ
 の一人だ。
・明治政府は、始まった時から借金漬けだった。幕府時代の旧体制の債務をひきずったま
 ま新体制に移行したため、いや、維新を成功させるための軍事費調達にも追われ、武士
 たちの処遇問題とともに、常に大きな財政問題に直面させられていたのである。
・金銀の内外比価が是正されたあと、蔓延元年(1860)には、幕府は銀貨の改鋳に踏
 み切った。金が大量に流出していったなか、財政逼迫のもとでやむを得なかったとはい
 え、にわかに鋳造された貨幣は劣悪で、世の中に偽金を蔓延させることにもつながって
 いく。 
・この改鋳により、幕府はその年の歳入の七割近くもの改鋳益を得て、一時的に財政赤字
 を埋めることになるのだが、その結果、年率10パーセントを超えるインフレが生じ、
 社会不安を増幅させる。
・このころ、明治政府は現代の国債に似た「紙幣」の発行にも踏み切っている。
 慶応四年(1868)五月に出された太政官札である。
 かつて福井藩で五万両の藩札を発行し、財政難を救った成功体験を持つ「由利公正」の
 進言だった。 
・だが、由利公正の当初の思惑は、現実には大きく外れてしまう。調達資金の転用を禁じ
 ても、意図に反してその大半は戊辰戦争の戦費などに消えていくことになる。
 しかもこの太政官札は不換紙幣、つまり金銀などの正貨と兌換しない紙幣である。
 もとより財政力もなく、誕生したばかりで信用もない新政府が発行したものが、額面ど
 おりに通用するはずはなかった。
・太政官札を受け取った商人たちが、手許に置いておくのを嫌がったのは無理もないこと
 だった。すぐに両替商に持ち込んで、多少の安値でもまだましとばかりに、小判など正
 貨と交換してしまうとしても、それを止めることはできない。
・そんなこともあり、是清が牧田万象から借りた二百五十両に対し、実際に唐津から返済
 した合計額は、この太政官札で三百六十両になったとされている。流通価値との乖離分
 もあったからだが、よほど高い利息を要求されていたということにもなるのだろうか。
・お君が高齢の養祖母を心配して、みずから面倒をみると申し出てくれたときは驚いた。
 お君のことは、いずれは正式に妻に迎えるつもりでいた。
 東家を辞めてまで、養祖母を引き受けてくれたお君の気持ちには、なんとしても応えて
 やりたかった。  
 当の喜代子も、甲斐甲斐しく世話をしてくれるお君を気に入ったのか、それとも反対し
 ても詮ないことと思ったからか、若い二人の仲を容認してくれているようだった。
・ついに唐津へ旅立つ日がやってきた。
 明治四年の夏、是清がまもなく満十七歳になろうとしているときのこと。
 明治政府がその年の春に新貨条例を公布し、続いて、新しい国家の行政基盤を一元化す
 るため、藩を廃止して府と県にする、いわゆる廃藩置県を断行したころのことである。
・長距離の移動には、国内でももっぱら蒸気船が使われており、神戸からはまた船を乗り
 継いで長崎に向かう。そこから渡し舟で鯛之浦に渡り、今度は陸路を唐津の領内まで行
 く。  
・唐津藩の歓迎ぶりは驚くばかりだった。国境までわざわざ少参事を出向させ、馬や轎を
 用意して三人の到着を待つという物々しさだ。
・山脇や多田は侍の姿でまったく違和感はないが、是清はといえば、堂々たる体躯でフロ
 ックコート姿、しかもサンフランシスコ仕込みの着こなし振りで、洋行時代から通して
 きた筋金入りのザンギリ頭だ。もちろん腰には大小も差していない。
・轎とともに馬が用意されていたのは、てっきり教練教師の山脇が、喇叭の多田のためだ
 ろうとばかり思っていたら、なんと二人とも当然のように轎のほうを選ぶではないか。
 ならばと、是清は迷わず手綱に手を伸ばし、慣れた仕草でひらりと馬に跨った。
 「おおっ!」
 と、背後でどよめきがあがった。
・やがて夕刻になると、歓迎振りはさらに過熱していった。大広間に通され、あっという
 間に四十人ばかりの藩士が駆けつけてきて、盛大な酒宴が始まったのである。
 だがそれは、好奇の目に満ちた、新参者たちを試すための飲み較べの宴でもあった。
・通過儀礼だろうと覚悟を決め、新任の三人で向かえばなんとかなる。そう思って頼みに
 していた教練教師と軍隊喇叭の教師は、見かけによらず、地酒の強さに怖気づいて、も
 はや飲めぬと言い出したからたまらない。
 やくなく、是清一人で、四十人の藩士を相手に盃を受けることになってしまった。
 飲み潰してやれと向かってくる四十人に強者を、一手に迎え撃つのは内心大変ではあっ
 たが、いくら酒を注がれても臆することなく盃を干し、けろりとしている様に、またも
 驚嘆の声があがる。 
 「あの洋行帰りの若造は、只者ではないな」
 「歩兵の先生や喇叭の先生より、英学の先生のほうが若いけど、ずっと偉い」
・是清は翌日から行動を開始し、城内にある屋敷を修繕して洋学校とする。第一期の生徒
 としてまずは五十人を募集したのだが、たちまちのうちに集まった。いずれ劣らず、藩
 のなかでも粒よりの向学心に燃えた若者たちだ。
・手応えは最初からあった。
 是清の出現に衝撃を受け、その一挙手一投足に目を奪われ、釘付けになる多感な五十人
 の若者たちは、少しでも是清に近づきたいと願うからだろう。
・それにしても、あれよあれよという間に、五十人全員が髷を落としてきたのには慌てさ
 せられた。是清に会うまでは、従来どおりの武士の恰好になんの疑問も持たなかった若
 者たちだ。
 それが、見よう見真似で、いともあっさりとザンギリ頭に変えてきたのである。立派な
 大小を惜しげもなく捨て、長老たちが慌てふためくのも無視して、次々と無腰になって
 いく。
・それでも、最初は生徒たち五十人のなかだけだったこんな変化が、見る間に藩のほかの
 青年たちにまで拡大するにいたっては、長老たちが黙っているはずはなかった。
・ある夜、職員仲間と城下で一緒に飲んでいたら、突然けたまましく半鐘が鳴った。
 大急ぎで外に飛び出すと、夜空が真っ赤に染まり、火の粉が激しく吹き上がっている。
 「あの方向だと、まさか火元は・・・」
・案の定、堀を渡って、洋学校にしていた屋敷の近くまでくると、それ以上は熱さと立ち
 込める煙で近づくことすらできなくなっている。
・「放火ですよ、これは」
 近所に住んでいる者が、そっと耳打ちしてきた。是清のことだけでなく、洋学校の設立
 そのものを快く思わない反対派は少なくない。それゆえ嫌がらせに違いないというので
 ある。
 耐え難い悔しさに、是清は唇を噛み、燃え盛る火をじっと見つめていた。
・怯んではならぬのだ。殿様が、反対派の攘夷の勢いを慮って、当初の考えを曲げられる
 よう、なんとしても手立てを講じないと。
・折しも、殿様は近く東京に転居される予定だという。ならば唐津藩主みずから範として、
 空いたその城を解放していただきたい。
 この際、いっそ開国進取の象徴として、城を洋学校にされてはどうかと、進言した。
・殿様はもとより、家老友常の後押しもあって、役人たちからの賛同を得ることができた
 のは、幸いだった。藩主が去ったあと、城はまもなく洋学校として生まれ変わり、
 「耐恒寮」と名づけられた。
・是清の英学にかける思いは、時を経て大きく実を結ぶことになる。教え子たちのなかか
 ら、その後さまざまな分野で社会に多大な貢献をする多くの学者が続々と輩出されたの
 だから。
・洋学校を城に移したのを機に、さらに藩費を投じて、定員を二百五十人まで増やそうと
 いうことにもなった。一期生のなかから優秀な生徒を選出し、代用教師として後輩の指
 導にあたらせたのも、大学南校のやり方お踏襲だった。
・なにもないところから洋学校を起ち上げ、軌道に乗せていくことは、満十七歳の是清に
 とって、生まれて初めて采配を揮える仕事であり、だからこそ面白くもあった。
 藩内の一部の根強い抵抗はあったものの、屈することなく進んで、達成感を味わうこと
 ができ、充実した毎日でもあった。
・ただ、そんななかでも是清は、これまでにも増して大酒を飲むようになる。
 もとより、好きな酒であった。だが、顔には出せないだけに心の奥深く封じ込めている、
 さまざまなものへのどうしようもない執着を、酒のなかに解き放っている自分がいる。
・お君からも切ない便りが届いている。離れて暮らすということは、心までも隔ててしま
 うものなのか。お君が、両親から執拗に乞われ、とうとう花街の仕事に戻るというので
 ある。あの金貸しの牧田万象が、是清の留守をいいことに、お君に言い寄ってくるらし
 い。それを邪険にするものだから、逆に酷い嫌がらせも受けていたようだ。両親の頼み
 を無下に断れないのは、お君の優しさゆえだろう。
・是清にとっては間違いなく初恋であり、初めて味わう失恋でもあった。不本意であり、
 限りなく心残りでもあるが、遠く離れた身ではなすすべがない。
・ふと、みぞおちのあたりに違和感を覚えた。口許まで突き上げてくるものを慌てて手で
 抑えると、指の間がぬらりとする。
 どれぐらい経ったのだろう。目を開けると、見知った顔があった。
 ちょうど長崎から赴任してきた唐津の医学校兼病院の医師である。
 「血を吐いて、ぶっ倒れたばい。飲み過ぎるのいけんばい」
 「ばってんな、君。これは酒毒たい。命取りばい」
   
・女子英学校の基礎を作ろうということになった。ここまできたら、外国人教師の招聘も
 必要となる。図書も相当のものを揃えるべきだ。海外から購入しなければという話にな
 り、ならばフルベッキ博士に相談し、斡旋を頼もうと、是清が上京することになった。
・ところが、是清が不在中に、唐津では思わぬ騒動が起きていたのである。
 是清の留守中に唐津藩から密告者が出て、藩営である製紙業の帳簿に不正が発覚したと
 いうのだ。 
・この前年、明治四年の夏に、唐津藩は唐津県となり、その後、佐賀や厳原と合併して伊
 万里県になっていた。
 そんな折、伊万里県体制への移行業務が具体化し、各藩の財政を統一する過程で、藩営
 となっていた製紙業などの帳簿も調べられた。
 製紙業の年間利益金から一部が差し引かれ、耐恒寮の運営費に充てられていたのだが、
 そのあとの残金は、合併によって収入源を失うのを案じて藩士たちに分配されていたら
 しい。
・そのことが問題となり、友常典膳以下、関係者がことごとく身柄拘束されただけでなく、
 耐恒寮そのものも閉校になったというのだ。
・是清はすぐさまフルベッキを訪ねた。
 今回の騒動を一部始終伝え、先日頼んだ図書の購入はやむなしとしても、外国人教師の
 派遣はひとまず中止したいこと。さらには、学校復活について、政府への働きかけを依
 頼するためだった。 
・フルベッキは長崎にいたころ、佐賀藩が作った英学校、知遠館で教鞭をとっていた。
 新政府の中核である大隈重信は、その長崎時代の彼の教え子だとも聞いている。
 是清はみずから出向いて陳情した。伊万里県のやり方は、役所でも極端だと理解され、
 しかるべき手配をしてくれることになった。
・唐津に戻るとすぐに伊万里県の唐津出張所に出向いた。
 さすがに中央政府の威光はてきめんだった。
 ひとまず洋学校の存続だけは約束され、一週間ほどのあいだに再び開校のはこびとなる。
・是清は、ここまでに培ってきた人の繋がりが、新たな縁となって自分を支えてくれてい
 るのを実感した。  
 どんな問題が起きたときに、どこの誰に頼めばいいのか。信念を貫き、思いを訴えてい
 けば人は動いてくれる。役所や政府の人脈がいかに動くかも、あらためて実感すること
 になった。
・一年余の短いあいだではあったが、唐津では洋学校創立という大仕事を成し遂げ、存続
 への見通しも立った。是清は満ち足りた思いで東京に帰ることになる。満十八歳になっ
 て間もない、明治五年(1872)秋のことである。
 
広き世界へ
・東京に帰ってくるという是清を心待ちにしていたのは、幼馴染の鈴木知雄だった。
 「駅逓頭の前島密さんが、お前のことを話したら、とにかく一度会ってみたいと」
・英国での視察を終え、それを参考に日本の郵便制度の創設に着手していた前島だが、事
 業はすべてが始まったばかりだ。 
 いずれ外国郵便の扱いも始まり、すぐに外国人顧問も来ることになっている。その通訳
 を頼みたいとのこと。それまではアメリカの郵便規則の翻訳でもしていてくれればいい
 という。
・通訳や翻訳の仕事なら難ないことと、是清がすぐに承諾したら、ただちに大蔵省から呼
 び出しが来た。駅逓寮は、財政や造幣、戸籍などとともに、大蔵省の管轄下にあった。
・当時の大蔵卿は大久保利通で、二番目の地位になる大蔵大輔の井上肇から辞令を渡され
 たのだが、フルベッキの厚意で、またも彼の屋敷に住まわせてもらうことになり、役人
 暮らしが始まった。 
・是清はここでも枠にはまりきらぬ豪快さを見せる。だが、昼食時に近所の蕎麦屋から酒
 を取り寄せて飲む姿は、役所では浮いてしまう。そのうち是清は、前島に在宅勤務を願
 いでた。
・やるべき仕事さえきちんとしていれば、周囲の目など気にならない。そんな合理的な考
 えは、だが前島には届かなかった。一旦は承諾したものの、途中から出勤を命じてきた
 のだ。前田との齟齬は、やがてどうしようもない亀裂となり、思いがけないことで爆発
 する。
・駅逓寮での勤務はわずか半年ほどしかもたなかった。そのあいだには直属の上司から嫌
 がれせとしか思えないような仕打ちを受けたこともある。どうにも釈然としない辞め方
 だった。
・意に染まぬと思えば、傍目など気にせず、みずからあっさりと職を捨ててしまう。信念
 を持っての行動ではあるが、これが初めてではない。是清は、これまで繰り返してきた
 そんな行為を、決して良しとしていたわけではなかった。
・自分はもっと修業が必要だ。そんな結論に達して、あらためて試験を受け、無地合格し
 て学生となるのである。かつて教える側であった大学南校が、その後整備さえた開成学
 校となっていた。かつての教え子と同級だった。
・このころ開成学校の名に戻っていた元大学南校は、再三の改編を経て、いまや法学、理
 学、工学、鉱山学、諸芸学などが整備され、英語仏蘭西語でも講義が行われていた。
 自分の知らない学問の分野が、この世にはなんと多いことか。未知なる世界への渇望が、
 若い是清を駆り立てる。
末松謙澄と知り合いになったのは、ちょうどそんなころのことだった。
 聞くと、佐々木高行の家で書生をしているという。フルベッキの長女のところに、英語
 を習うため佐々木家の令嬢、静衛が定期的に通ってきているのは知っていたが、末松は
 彼女のお供で送り迎えについてきているらしい。
 「なあ君、英学をやらないか」
 「私が君に英学を教える」
 「そのかわり、君は漢学を教えてくれ」
 「本当か。君が英学を教えてくれるのか」  
 末松の眼が俄然輝きだした。
 自分も、漢学を習いたい思いは、同じぐらい切実なのだ。
・末松の優秀さは普通ではない。英語の覚えの早さだけでなく、漢学の力もずば抜けたも
 のがある。それは互いに教え合って実感した。
・是清自身はというと、英語は自在に操れるものの、いざ日本語に翻訳する際に、漢学の
 素養がいまひとつ欠けているのを身に沁みて感じる。日本語の訳文に重みが出ないのだ。
 漢学は日本の知識人の基本中の基本だった時代である。
・あるとき、是清は突然大きな声をあげた。
 「これだ。そうだこれだよ。末松。いいことを思いついた」
 両手に一部ずつ持った新聞を、それぞれ頭の上に掲げてひらひら揺らしてみせる。
 是清が左手に持っていたのは、英字新聞である。
・「外国の新聞にはなかなか面白い記事が載っている。とくにロンドンの絵入新聞なんか
 本当に読みごたえがある」 
・ところが、このころ日本ではまだ日刊紙が出始めたばかり。時事や政治関係で注目はさ
 れていたが、ほとんどが国内の話題で、外国のことなどまったくといっていいほど紹介
 されていない。是清はそこに目をつけたのだ。
・是清は早速フルベッキの承諾を得て、最近の英字新聞をどっさり借り受けてきた。
 なかからそれぞれの分野の違う記事をいくつか選び出して、口頭で日本語にしていく。
 それを、末松が新聞記事らしく書き直していったのである。
・是清たちは、記事の売り込みを合計三社もまわって売り込みしたが、ものの見事に断ら
 れた。 
・「いや、あきらめるのは早い。まだ東京日日には行ってなかったじゃないか」
 明治五年、東京で最初に発行された日刊紙で、のちに毎日新聞となる。当時話題の新聞
 社である。 
 「おいおい、あそこは一番の難関だぞ」
 だが、ここでも運は是清の味方した。
・「あれ、あの人は・・・。先生、岸田先生」
 訪ねた先で、思ってもいない懐かしい顔を見つけたのである。
 是清がヘボン家で英語を習っていたころ、眼病を診察してもらった縁で夫婦で漢字を教
 えに通っている男がいて、何度も顔を合わせたものだった。
 そのときの岸田吟香が、東京日日新聞の主筆だったとは、思いもしなかった。 
・是清が事情を説明するやいなや、岸田はすぐに見本の記事を奪い取って、読み始めた。
 「いや、こいつは面白い。いいよ、高橋君。どんどん訳してくれ。もっと読んでみたい」
 「翻訳記事は、1枚五十銭。どうだ、それでいいかな?」
 「ただし、全部が全部採用できるわけではない。採用した記事に限り翻訳料を支払う」
・その夜から、二人の猛烈な翻訳作業が始まったのである。
 できあがったものから、次々と新聞社に届けた。実際に自分たちの記事が掲載されたの
 を見た瞬間、末松は廊下を飛び跳ねて喜んだ。
・是清の思いつきは見事に当たったのである。自分たちが書いたものが世に出て、金にな
 る。それは、末松はもちろん、是清とっても初めてあじわったたしかな手応えであり、
 悦びだった。 
・もっとも、そのころ是清は脚気を患い、しばらくは静養が必要だった。そしてようやく
 体調が戻ったころ、二年余りの駐米を終えて帰国していた森有礼を訪ねたのである。
 「おいおい、君はもうそんなことをしている時代ではない。ちょうどよかった。先日、
 文部省で雇ったモーレイ博士というのがいるが、通訳がまだ決まっていないからそれを
 やれ」  
・森の裁量で、今度こそ役人暮らしが始まることになる。思いがけなくも文部省出仕を命
 じられ、幼馴染の鈴木知雄と同僚になったのである。
・役人になったからには、いつまでも佐々木家に居候というわけにもいかない。
 そう思った是清は、家族を連れて、芝愛宕下の懐かしい仙台藩屋敷にある長屋に引っ越
 すことにした。
・幸いだったのは、芝愛宕下の長屋は、是清の生母きんが嫁いだ新銭座の塩肴屋に近かっ
 たことだ。きんはとうに他界していたが、異父妹の香子がすでに九歳ほどになっていて、
 義父母に連れられ、たびたび訪ねて来るようになった。
・明治維新後の社会の激変で、禄を失い暮らし向きに困った御家人や旗本の子女が、茶屋
 女になることが多かった時期である。
 それを聞いた養父母は、放ってはおけぬとばかりに眉をつり上げた。
 「おまえの妹ですぞ。芸妓になどやるわけにはまいりませぬ。いっそのこと、うちで養
 女にもらい受けることにします」
・話はすぐに決まった。最初は喜代子の厳しい躾に戸惑ってか、たびたび塩肴屋に逃げ帰
 っていた香子も、やがては馴染んでくる。
 それではと末松の友人が下谷で開いている塾に入れて、読み書きを学ばせようというこ
 とになった。
 そうこうするうちに、もっと近くに篠田雲鳳という老女史の開いている婦女子向けの塾
 が見つかった。かつては開拓使の女学校の先生だったとのことで、すこぶる評判も良い。
・ある日、養祖母の喜代子が遠慮がちに是清を呼んで言った。
 「良い女がこられてな」
 香子が通っている篠田雲鳳塾の生徒のなかに、大層世話になっている娘がいるらしい。
 「お柳さんというんです。気立てがよくて、いかにも良い女だと思うので、そなたにど
 うかと考えて・・・」
・養祖母は、かねて是清が独り身でいることを気にしていたらしい。
 妻を持てば、是清も少しは落ち着いて勤めを続けてくれるのでは、そう思ってひそかに
 相手を探していたとしたら納得がいく。  
 「いいですよ」
 是清はあっさりと答えた。篠田雲鳳の優秀な弟子。戸籍上の名前はフジといった。
・結婚も悪くない。それは是清の本心だった。塾では甲斐甲斐しく香子の面倒をみてくれ
 るというから、やさしい女なのだろう。
・新妻柳から懐妊らしいと知らされたのは、明治十年(1877)三月、待望の長男是賢
 が無事誕生した。
・明治十年四月には、開成学校と医学校が統合され、東京大学が発足している。それにと
 もない東京英語学校は、東京大学予備門となった。
    
・明治十年、西南戦争の戦費は四千百万円を超え、当時の国家予算に匹敵する額だった。
 大蔵卿の大隈重信は、予算不足分を穴埋めするため、二千七百万円におよび不換紙幣を
 発行した。 
・紙幣を濫発するうえに、もとより輸入超過であるから、正貨の流出は止まらない。
 建前では紙幣一円につき銀貨一円であるはずなのだが、横浜や神戸などでは銀貨と紙幣
 の交換相場に大混乱を生み、銀貨一円が紙幣では一円八十銭にまで高騰するという状況
 だった。
 はては、紙幣での受け取りを拒む者まで現れて、貿易の決済に多大な支障をきたしてい
 た。
・運の悪いことに、中国の飢饉で米価が急騰し、国内でも米が不作だった。当然ながら米
 価は上昇、激しいインフレに見舞われていた。
・明治十三年からの急激なインフレは、平均四割強もの金利の急騰をもたらし、公債価格
 の暴落で、借金漬けの政府の財政をさらに追い詰める。
・そんなある日、茅野が是清にそっと耳打ちしてきた。
 「近々、大蔵省が横浜で大量の銀売りをやるそうなんです。銀紙相場があまり乱高下す
 るので、政府が介入して相場を冷やすわけですな」
 「いかがです。先生も一口乗られては?大蔵省が銀を売り出せば、紙幣の価値は間違い
 なく上がります」
・「わかりました。私も加えてください」
 是清は心に決めたのだ。インフレの時代なれば、通貨価値自体の目減りにも注意せねば
 ならぬが、銀行に預けたままではそれも心配だ。
・それから二週間ほど経っただろうか。予想どおり利益が出たという報せが届いた。
 本当に儲かった。こうなると、もっとやってみたくなるのが相場というものらしい。
 その後も、銀紙相場での売買は続けられた。
・ほとんど仲買人の采野という痩せた老人に任せっきりだったが、当初はたびたび利益が
 出て、お陰で是清の貯金もそれなりに増えてくる。
・そうなると気持ちもいくらか大きくなってきて、銀紙相場以外にも、築港計画実現によ
 る地価高騰を狙った、宮城県野蒜原野の土地投機にも一口乗ってみたりした。
・ところが、そのうちに銀紙相場の思惑がはずれ、大きな損失を出して、采野は破産の憂
 き目に遭う。 
 そもそも銀の保有が贅沢とはいえない大蔵省のことだ。銀の売りを出し、一時的には値
 が下がっても、何日かするとまた元に戻ってしまうのを見てあきらめ中止を決めたのだ。
 それを知らず、まだ売りを託されているままだとばかり思って、いつまでもカラ売りを
 続けてきたことが、采野の損失の原因だった。
・失敗の原因は自分の判断力の欠如。なにもかも他人任せだったからではないか。
 是清は思った。ならばいっそもっと勉強することだと。 
 相場の具体的な仕組みや、相場師たちの思惑がどんなふうに働くかを、正しく理解する
 ためにも、この際しっかり研究しなければ。
・是清はさっそく、采野の相談相手として、たびたび彼の店に出入りしていた横田広太郎
 という男に声をかけた。
 「相場のカラクリを知りたければ、実際にお客を扱ってみることです」
 「あくまで研究のためで、本業として長くやるつもりはない。どのぐらいやればいいで
 すかね?」 
 横田は少し考えて、少なくとも三月は必要だろうとのこと。
・かくして、米の仲買店を開くことになった。
 開店のために持たなければならない取引所の株を買い、運転資金や、その他の諸経費な
 どでかかった総額六千円は、横田と二人で折半した。店は「六二商会」とした。
・是清には教職があるので、毎日とはいかなかったが、たびたび店に出て奥座敷で商売の
 様子を観察した。 
・もっとも、わかってみると相場師の現実は、あくまで自己の利益が最優先、都合のよい
 虚実ない混ぜの世界だということだった。
 客をうまくあしらい、豪勢な昼食を餌におだてあげ、彼らから受け取る注文を踏台にし
 て、みずからの相場を張る。「天下の糸平」とて、影武者を立てて相場の空気を巧妙に
 演出し、わが身の益を追求している。
 つまりは、どんなに周到に相場を読み、どれほど巧みに売買を組み立てようとも、客は
 いずれは損をするように仕組まれているのだ。
・真実を目の当たりにし、それならと真似て相場を仕掛けさせてみたりもしたが、結局の
 ところ、手仕舞ってみると負けている。
 決算すると、当初の六千円の資本金以外にも都合千五百円ほどの損失を出し、是清は四
 カ月であっさりとこの「六二商会」を廃業した。
 
・明治十四年の春になると、友人たちに文部省入りを勧められる。いつまでも教師だけに
 甘んじでおらず、教育行政に携われというのだ。
 現場で培った経験や情熱を、この国の教育に広く活かすべきたと言われてその気になっ
 た。 
・是清は文部省御用掛りとなり、地方学務局勤務、大学予備門兼務に着任した。
・文部省に通い始めて一ヵ月も経たないというのに、是清のところに農商務省から引き抜
 きの話がきた。
・推薦したのは山岡次郎だった。ひと昔前、アメリカ留学を前にして、是清が餞別にと彼
 を芝居見物に誘い、桝吉の赤い襦袢を羽織って酒盛りをしているのが見つかって、大学
 南校に辞表を出すことになったあのときの男である。
・明治七年のころのことだ。ヘボン博士が編纂したわが国で最初の和英辞書「和英語林集
 成」の再販をするにあたり、ヘボン自身が日本でも版権を得ておきたいと文部学監のモ
 ーレイに相談した。それがモーレイを通じて、通訳をしていた是清に下りてきたのだ。
・当時、外国人は治外法権を持ち、国内法が及ばなかった。つまりそれは、法律による保
 護ができないということでもあった。  
・ヘボンは、なんといっても自分を英学の世界に導いてくれた恩人だ。
 いや、それだけではない。あの和英辞書が日本にもたらしたものは、単に英語と日本語
 の架け橋という次元をはるかに超えている。
 それなのに、わが国は彼の版権取得すら拒むのか。現実を知らされた是清は、黙ってそ
 のまま放置しておけるわけがなかった。
・だが、丸善に出向いたりなどしていくら調べても、前例もなければ基となるものもない。
 実情を報告すると、モーレイは言った。
 「アメリカではこうした知的財産は、財産のなかでも最も重要だとされているのですが
 ね」 
 「知的財産、ですか?」
 初めて聞く言葉に、是清は目を見開いた。
・おまけに日本人は器用なので、すぐに外国製品を真似たり、商標を盗用して贋物を製造
 し、あたかも舶来品のようにして売っている。これは由々しきことで、海外ではとても
 迷惑しているというのである。 
・ようやく日本にもそうした分野の制度設計について認識が芽生え始めた。当初モーレイ
 が助言してくれたように、わが国にも知的財産の保護が叫ばれる時代が来ようとしてい
 るのである。
・機は熟した。いま必要なのは、西洋の法律を読みこなし、理解したうえで、それをもと
 に日本の現状にあった法制度を立案できる人間だ。
 ならばこの手でやるしかない。是清は心に誓うのだった。外国人に依存せずとも、モー
 レイがかつて教えてくれた知的財産を保護する法律は、この自分が必ず作ってみせると。
・実際に着任してみると、農商務省ではなぜか「雇」という立場への辞令になっていた。
 以前の文部省での役職だった半任「御用掛」からは降格である。もっとも、そんなこと
 は、是清には一向に気にならなかった。
・着任早々から、すぐに大きな壁に直面した。
 これまでの経緯を尋ねてみると、前年に商法会議所に試問した結果がすでに出ており、
 それによると大坂では賛成してくれたうえ、発明専売の規則も制定を望んでいるとのこ
 とだが、東京では強く反対しているというのである。
・理由を訊くと、どうやら商標と暖簾との区別がついていないらしい。商標登録が法律化
 されたりしたら、代々商家に伝わっている、忠義の番頭に分家させる「暖簾分け」とい
 う日本古来の商習慣が、著しく阻害されると思い込んでいるようなのである。
・特定の企業による固有の商品名と、一般的な商品との区別を説明するのは骨が折れた。
 商標の解説に訪ねてまわる相手、とくに反対を唱える東京商法会議所側の面々は、いず
 れ劣らぬ論客ばかりである。
 大蔵省当時から、諮問に対して反対を表明していた論文のなかには、あの福地源一郎
 渋沢栄一といった名前も並んでいた。
・明治十七年六月、是清が部下たちとともに練り上げた商標条例は、無事公布された。
 この年の十月よりの施行と同時に、農商務省の敷地内に商標登録所が創設され、是清は
 初代の所長に就任する。
  
・明治十七年の一月、是清が仕事で多忙をきわめていたころに、妻の柳が待望の女児を出
 産した。だが、ひどい難産で、生まれたときから母子ともに具合が悪く、手のほどこし
 ようがない。
 生まれた女の子は、お七夜を迎えることなく、ついには一度も目を開けることのないま
 ま、あっけなく逝ってしまった。
・不幸は、それだけでは終わらなかった。
 以前はあんなに溌剌としていた柳だったのに、産後の肥立ちが悪かったうえに、我が子
 を失った悲しみが重なって、痛々しいまでに痩せ細っていくのだ。 
 それから半年後の八月、手厚い看護の甲斐もなく、ついに帰れぬ人となってしまったの
 である。
 是清はまもなく三十歳、養父母の喜代子は八十歳、長男是賢が七歳で、次男の是福は三
 歳になるころのことだ。

・発明専売の調査で忙しくしている是清に、会いたいと言ってきた男がいた。
 彼は前田正名。是清のことは、森有礼から聞いたという。
 是清は、出会った瞬間から強く惹かれるものを感じた。
 こんな男がいたのだ。
 日本には殖産興業が急務だと説く彼の国家観を聞いて、身体の震えを覚えた。
 国家とは、個人と切り離して別に存在するのではない。国家と自己とは一体でなければ
 ならぬ。是清は目を洗われる思いがしたのである。
・一方、国会開催までに財政の整理が必要だとして、松方正義大蔵卿からは経費節減の厳
 命が下っていた。 
 松方大蔵卿の大胆なインフレ抑制策は、一面では成功だった。
 明治十二年から続いてきたインフレを抑えるため、政府は歳入確保のための紙幣発行や
 国債発行をやめるだけでなく、発行済みの紙幣の償却が必要だと考えていた。
・大隈に強く異論を唱え、一度は大蔵省を去った松方が、省内に返り咲いて蔵相に就任し
 たときは、インフレによる金利急騰のころ。
 積みあがった大量の交付国債の利払い費が膨らみ、国債費が軍事費の倍以上、総予算の
 四割近くを占めるという状況だった。
・だから松方は、徹底した歳出削減に軸足を置いた。明治十六から十九年度まで連続して
 一切の予算額を据え置いたのである。
 いわゆる「松方デフレ」が政策として通用したのは、時代的な背景もあった。
・財政再建に舵を切り、インフレ制圧に対しては確かに一定の実績をあげた松方財政だっ
 たが、その皺寄せは庶民生活を直撃する。
 西欧列強との対等な競争に参加しようとする中央の殖産興業策の一方で、地方経済には
 光があたらず疲弊していく現実があった。
・前田正名が行った徹底的な地方の実態調査にもとづく「興業意見」は、大蔵省トップ松
 方の政策が生んだ地方経済の深刻な陰の現実を、鮮やかに浮かび上がらせてしまったの
 である。 
・地方経済と庶民生活の犠牲のうえに政府の産業育成は成り立っている。まさに本末転倒
 だとばかりに断じた松方財政への痛烈な批判は、その鋭い視点と、容赦ない表現ゆえに、
 大蔵卿をいたく刺激した。
・組織の力学として、もちろんそのまま放置されるはずがなかった。
 松方は、すぐさま配付された未定稿の回収を求め、多くの修正削除を命じた。地方経済
 の救済を訴える主張は大きく削られ、軍部の利益優先や中央志向の強いもととなった。
 明治十七年末、新たに配付し直された「興業意見」は、骨抜きにされた単なる資料提供
 に姿を変えていたのである。
・熾烈な権力闘争の軍配は、最終的には松方側にあがった。
 新しい農商務大臣には、殖産興業には関心のない軍人の谷干城が就任したのだ。
 谷はすぐさま省内の粛清に着手し、多くの前田派の人材は農商務省から追放される。
 前田正名は非職、つまり給与は一部もらえるものの仕事が与えられない、という立場と
 なってしまう。
 前田らはその後も政府の中核からは外されるのに対して、是清だけは一年間の海外視察
 を命じられる。 
・明治十八年(1885)十二月、これまでの太政官制を廃止して内閣制が敷かれた。
 初代の総理大臣には四十四歳の伊藤博文が就き、森有礼が三十八歳で文部大臣となった。
  
浮くも沈むも
・今回起案した三条例、つまり商標、意匠、発明を総称する「工業所有権保護」の議案
 は、これから日本が国際社会と向き合い、伍していくためにも、不可欠なものである。
 殖産興業にとって、いかに重要な鍵となるものかを伝えよう。そして、制定はでき
 るだけ早く急ぐ必要があるということも。
・「特許局長の高橋是清と申します」
 大臣室に通されて、まずはそう名乗って一礼した。初めて間近で見る松方は、口をへの
 字に結び、こちらを射るように見つめている。
 初代大蔵大臣松方正義、そして、是清はこのとき三十三歳。
・大臣の椅子にゆったりと座り、黙って一部始終を聞いていた松方は、一瞬是清をまじま
 じと見つめ直し、ふと表情を緩めた。
 「よろしい。事情はよくわかった。そういうことなら、この私が承知したと言って、法
 案を提出しなさい」  
 松方には、ことの重要性が即座に理解できたようである。

・家庭においては、この年、明治二十年に新しい妻をもらい、息子たちもようやく馴染ん
 できたところである。
 二十二歳の原田品との縁談は、前田正名が勧めくれたものだ。海軍技監原田宗助の妹だ
 と紹介されたとき、なんと美しい女かと、目を瞠った。妻にしたいと、一目で思った。
 是清よりひとまわりほども若い、品が加わって、家のなかは急に花が咲いたように明る
 くなり、満ち足りて、心が弾む。

・明治二十一年が明けても、三条例はいまだに保留のままだった。やはり最後まで議論の
 焦点となったのは特許を与える際、誰に審判の権限を与えるかというところだ。
 特許局長に権限を持たせるべきとする是清案に、真っ向から異を唱えたのは、井上毅
 った。農商務省の一部下にすぎない特許局長が、申請書類の適否を判断し、特許を下す
 最終決定権を持つなど、そもそも国の法制度を根本から否定するものだと噛みついてく
 る。
・さすがに困った是清は、独学で学んだ欠陥を例にあげ、日本の特許裁判もいまだ過渡期
 なのだと指摘した。裁判官が真に必要なのは科学的知識を持つようになるまでの、これ
 は応急措置なのだと。  
・それでやっと井上毅も折れ、明治二十一年十二月、三条例が発布に到る。
 こうして日本は、ついに発明を保護できる法律を持つことになったのである。
 
・明治二十二年二月、朝のことだった。
 宮中での式典に参列するため、文部大臣森有礼は、大礼服に身を包んで、永田町の官邸
 を出ようとしていた。
 そこに、見知らぬ訪問客がやって来て、小倉の袴に隠し持っていた出刃包丁で斬りつけ
 たのである。
 暴漢西野文太郎は、その場で護衛に斬り殺され、森はそばの西洋便所にはいって施錠し
 てしまう。 
 報せを受け、是清が駆けつけたとき人工呼吸を受けていた森は、翌日、手当ての甲斐も
 なく、四十一歳の生涯を閉じた。
・別離は、続いてやってきた。
 三月、井上馨の直々の推薦で東京農林学校長に就任したときは、病床に臥しながらも、
 あれほど喜んでくれた養祖母の喜代子だったのに、それから一週間も経たぬうちに、眠
 るように逝ってしまったのである。 
・森有礼の突然の死に際しても、養祖母喜代子の最期を看取っても、どういうわけか涙は
 出てはこなかった。そのかわり、身体のどこかにぽっかりと穴が空いてしまい絶えず大
 事ななにかが流れ出したような、そんな強い虚脱感に襲われた。こんな感覚は初めての
 ことだ。
・このとき、二人を失ったことがまるでなにかの暗示ででもあったかのように、是清の身
 に大きな暗雲が近づいてきた。
 その話を持ってきたのは、前田正名だった。
 最初は、特許局長である是清も出資に参加して、株主にならないか、という話だった。
・前田に押し切られ、相手が前田では断わるわけにもいかないと、是清はひとまず一万円
 を上限として出資することになった。話はそれで終わるはずだった。
 ところが、しばらくして前田がまたやって来た。
 あちこち奔走して、二十人余人の出資者を集め、資本金五十万円の日秘鉱業株式会社の
 設立にこぎつけたというのである。
・前田が、井上馨と直談判して、是清の身柄を貰い受けて来たきたというのである。
 是清は言葉に窮した。大臣が承諾していると言われたら、もはや逃げる道はない。
・あえて自分にペルーに行けと言うからには、それなりの意義があるからにほかならない。
 二十人の出資者を集めたと言っていたが、聞けば錚々たる顔ぶれである。
・ペルーはあまりにも遠い。もしおお祖母さまが健在ならば、置いてゆくには忍びないと
 断固辞退しただろうが、すでに天寿を終えてしまった。子供たちを品一人に任せて行く
 のも気掛かりだったが、義姉の幸子がいてくれるという。
 是清は、心を決めるほかなかったのである。
・海外渡航はこれで三度目となる。だが、今度の行先は南米の奥地。どんな未開地かは行
 ってみなければ想像がつかぬ。動じることこそなかったが、どこまでも緊張感がつきま
 とった。   
・このたびのペルー行きは鉱山採掘という大事業である。株主の利益追求であるのは当然
 だが、それだけでなく、日本にとって、今後の海外発展の可能性を占う試金石ともなる
 のだ。
・海外からの視線も意識し、自身の言動を慎んで、日本人としての誇りを持って立ち向か
 わなければならぬ。是清は自分に言い聞かせた。
・今回赴任するのは、鉱山経営の全権を担う是清のほかにあと二名、現地調査に赴いた後、
 一旦帰国していた理学博士の田島晴雄と、スペイン語のできる雇人の屋須弘平である。
・是清は思わず身震いをした。みぞおちのあたりに妙なざわめきを感じる。こんなことは
 いままで一度もなかった。  
・事前調査の結果によると、これから赴くカラワクラという地は、日本のそれと比べると
 鉱脈は三、四十倍。埋蔵量は百倍とのことである。そこまでの好機を前にして、日本と
 の距離の遠近を案ずるのは無用なことだ。
・オスカル・ヘーレンは船まで迎えにきてくれていた。港から汽車でリマへ、そこから馬
 車に乗り継いで、一行は無事彼の別邸に着いた。
・最後まで揉めたのは、協同事業のなかでの農場経営についてだ。ヘーレンの思惑は当初
 から勤勉な日本人農民の確保だが、日本側は目指すのはあくまで鉱山採掘。できるもの
 なら農場経営は事業計画から削除したい。
・ヘーレンの言い分としては、農地の取得だけでなく、軽便鉄道のレールや農業機器など、
 すでに投資金額は相当に及んでいて、いまさら農場を止めることはできない。
・一行はついにカラワクラ銀山を目指して出発する。
 当初の予定では、田島が道案内をするはずだった。だが、昨夜の喧嘩で怪我をしたとか
 で、やむなく是清が代わった引率することになる。
・それにしても寒い。何枚下着を重ね着しても、悪寒が背中を伝い、身体の震えが止まら
 ない。そのうえ、空気が薄いせいか、胸が絞めつけられるようで息苦しい。頭痛と吐き
 気が、絶え間なく襲ってくる。我慢できず、是清はその場にしゃがみ込んだ。
・チクラの宿には二泊した。厳しい環境ではあったが、それでも身体は慣れ、時間ととも
 に順応するものである。体調が回復してきたことを互いに確かめ合い、いよいよチクラ
 をあとにする。 
・覚悟してきたとはいえ、正直なところこんな地で本当に仕事などできるものなのだろう
 か。なにをするにも、不便きわまりない環境だった。火を熾そうにも、使えるものとい
 ったら苔ぐらいしかない。
 そのアンデスの苔で、飯を炊くのである。しかも気圧のせいか、炊きあがっても半分も
 煮えておらず、生米同然だ。仕方がないので初日はみなに缶詰を配ったのだが、早くも
 坑夫たちからぶつぶつと不平の声があがっている。
・だが、本当に背筋が凍る事件が発覚するのは、それから一ヵ月足らず後のことになる。
 その日、是清にとって生涯忘れられない日になろうとは、もちろん直前までは想像だに
 していなかった。
・蒼い顔をして小池技手が突然山を下りてきたのである。
 「なにかあったんだな。また、坑夫らが諍いでも起こしたのか」
 てっきり、地元の坑夫と衝突して、騒ぎにでもなっているのだろうと思ったのだ。
 小池は首を振り、あたりを見まわして誰もいないことを確かめてから、声をひそめて言
 った。
 「とんでもないことになりました。大至急、お知らせせねばと思いまして、山口君とも
 相談して、みんなには内緒でまいりました」
 よほどの深刻な事態らしい。是清は小池を自分の部屋に招き入れた。
・「あの坑内はまるでがらんどうです。底の底まで、もうすっかり掘り尽くされています」
 「がらんどう?いったいどういうことだ」
 すぐには理解できず、是清は訊いた。
 「私も、そんな馬鹿なと思いまして、あちこち掘らせてみたんです。それで、なんとか
 鉱脈らしいのにぶつかったのですが、よくよく調べてみたら、それも石を積み上げた支
 柱でした」 
・「間違いないんだな?」
 「残念ながら、間違いありません。あの鉱山はどこもかしこも空っぽです。すでに何百
 年もかけて掘り尽くしてしまった、廃墟です」
 「本当なんだな?」
  小池が嘘を言うはずはない。それはわかっていても、念を押さずにはいられなかった。
 「はい、山口君も私も検査の結果を見て、いまさらながら驚きました」
・是清は、取るものも取りあえず、田島を叩き起こして詰め寄った。 
 「山を買うとき、調査をしたのは君だったな」
 田島技師はペルーに来てから一度も山にも登らず、ずっとリマに居残っていた。
 「はい、そうですが、それがなにか?」
 ふてぶてしいほどの言い草である。
 「君、本当にあの山をしっかり調べたのか。さきほど小池がやってきて、なかはがらん
 どうだと言ってきたぞ。数百年掘り尽くした廃鉱だと」
 田島の顔がみるみる蒼ざめてくる。
・「そ、そんな・・・。実は、あのときは時間がなくて、実地調査はできませんでした」
 「君の報告書には、四鉱区を買収したとき、実地調査をやったとはっきり書いてあった。
 だからみんなそれを信用したのだ。しかし、君はその目で現場を見てきたわけじゃない
 のか」 
 「申しわけありません」
・あきれてものも言えなかった。いまさら泣きつかれても、もう遅い。牧場の用地は、十
 年から十五年の期限で借地契約を結んでしまった。
・唯一の救いと言えるのは、ペルー到着後にヘーレンと調整した改正後の契約書に、是清
 がいまの時点ではまだ調印していなかったことか。
・確信を得た是清の全容をヘーレンに伝えると、ひどく不機嫌な顔で噛みついてくる。
 「いや、田島も小池も鉱山に登ることを許さない。あの山の所有者はこの私です。改正
 後の契約書に調印するまでは、断じて許可できない」
 「そう言われても、こちらとしては、再調査をするまでは、調印などできませんよ」
 是清としても譲れるわけがなかった。
・「私の資産に疵をつけるような言動は許さない。再調査が必要なら、まずは調印してか
 らだ」  
 ヘーレンは頑として言い張った。
・是清は結論を出すしかなかったのである。
 だがその結果、ヘーレンと折半した十二万五千円もの資金は、無残にも消えてしまうこ
 とになる。十二万円余といえば、あの特許局の建物を新築する予算にも匹敵する金額だ。
・それでも、投資の心得としてもっとも大事なのは、損切りなのだ。以前米相場を経験し
 たとき、身をもって学んだ鉄則だった。
 情に流されたり、当初の案に固執したりして、ずるずると損失の増大に歯止めがきかな
 くなることだけは避けなければならない。
・あれこれ思案のあげく、是清は巧妙な解決法を思いつき、ヘーレンに提示した。
 まず、田島と井上が結んだ初期契約を無効とする。日本側の株主は新会社を設立し、ヘ
 ーレンの所有分を六万ポンドで買い取る。この金額は最初の契約時の資本金に相当する
 ものだ。  
 ただし、これらの実行の猶予期間は六カ月以内とし、もし期限内に実行できない場合は、
 日本側の鉱山および施設に関するすべての権利は喪失するものとする。
 真意も知らず、ヘーレンは喜んで合意した。
・しかし問題だったのは、ペルーという国は通信制度がまだ成熟しておらず、ヘーレンが
 電信局と内通して、東京への打電内容をことごとく入手していたことだ。
 だから、是清が迂闊に本意を日本に報せると、細工が漏れて、こちらの不利になりかね
 ない。そのために、是清は、あえて微妙な電文を送った。
 「さらに増資をしなければ、山は見込みなし。自分は一旦帰朝する」
 つまり、自分が帰国するまでは、金を送金しないで待てと、悟らせるつもりだった。
 だがこれで、はたして真意は伝わっただろうか。限りない不安を抱え、是清はペルーを
 あとにした。  
・だが、案の定、帰国してみると、是清の真意も、巧妙な細工をしなければならなかった
 事情も、まるで伝わっていなかった。
 それどころか是清の対応に不満を抱き、鉱山経営の能力を問う声すらあがったようで、
 別の人間をペルーに向けて送ったというのである。
 送られたのは山田直矢とその妻で、是清がそのことを知ったのは、彼らがちょうどサン
 フランシスコに到着したという電報が届いたばかりのときだった。
・とんでもない。そんなことをしたら、せっかく苦労してヘーレンとの契約を破棄しよう
 と画策しているのが、水の泡となってしまう。
・是清は慌てて株主を一堂に集め、これまでの経緯や、田島の不心得な調査など、詳しい
 事情を丁寧に報告した。
 なぜ帰国するまで待ってもらえなかったのか。もしも山田直矢がペルーに着けば、契約
 が生き返って、さらに膨大な損失を生むことになる。是清は懸命に訴えた。
・一部始終を聞いた株主らは、思ってもみなかった真相に驚き、是清の意図を理解しなか
 ったことを謝罪して、山田を呼び戻すこととなった。
・ヘーレンに向けても電報を打った。新たな事業のための資金調達はできなかったと伝え
 るためである。  
 そのことにより今回の日秘共同事業は継続不能となり解散。日本側がこれまで投じた資
 金と鉱山の権利は、すべて放棄する旨の通告だった。
・報せを受けたヘーレンは衝撃を受け、大層悲しんで、声をあげて泣いたようだ。
 それでも、彼は契約どおりそのことをカラワクラに残っていた山口にきちんと伝え、坑
 夫ら一行は日本へ引き揚げる手配をすることとなった。
・日本では、事業の失敗を伝え、一方的に是清を批判する新聞記事が出回った。
 事情も知らず一大疑獄のように扱われて、一時は是清を誹謗する噂で持ち切りとなる。
・傷心を抱え、ひたすらペルー事業の処理に追われている是清を、さらに不孝が襲う。
 是清の帰国を喜んでいた妹の香子が、突然肺炎に倒れたのだ。異父妹とはいえ、是清に
 とってはただ一人、生母きんの面差しを受け継いだ存在だ。
 農商務省での部下だった小出に嫁ぎ、一男一女を得ていたが、長男は三歳で亡くしてい
 た。二十八歳のあまりに短い生涯であった。
・そもそもは、事前の基礎的な調査に欠陥があった。是清は今回の失敗で大きな教訓を得
 たのである。  
 ヘーレンが最初に送ってきた見本鉱石を検査したのが巖谷立太郎という鉱山学の権威で
 あり、彼が推薦したというだけで、田島を単純に信用したのが間違いのもとだった。
 このことだけは、肝に銘じて今後に生かしたいと思う。
・田島はすでに帰国して、豪邸を建てているという情報を、小池技手が伝えてきた。
 やり方があまりに酷いというので、株主を代表して藤村がついに田島を告訴し、裁判の
 結果有罪となって、三年半の懲役刑に処せられた。
・大きな損失を出して会社が解散した結果、是清は一万六千円もの債務が残った。
 残っていた貯金一万円を全額これに充てても足りぬので、一家が住んでいた大塚窪町の
 私邸を売って、穴埋めするほかなくなったのである。
・一切を処分し、債務を返済して、文字通り丸裸になってしまった是清は、元の屋敷のす
 ぐ裏にある家賃六、七円という長屋に引っ越した。質素な借家である。
・「旦那さま、どんなに小さな家でも、わたくしはかまいません。ただ、どうせ移るので
 したら、せめて少しぐらい遠方になさっては・・・」
 是清のすることに、滅多に口など挟まぬ妻の品が、さすがにそう言ってきた。
 無理もない。つい先日までは大きな屋敷の住人として、何人も人を使っていた身なので
 ある。  
 それがいきなり裏の長屋に引っ越したのだから、近所づきあいも、どんな顔をしればい
 いかとさぞ困ることだろう。いろいろと心無い噂も流れている。
・品としてみれば、後にも先にも、生涯たった一度の切なる頼みだったかもしれない。
 だが、近くのほうが引っ越し費用もかからぬし、なにかと便利ではないか。
 是清はまったく意に介さなかった。
・かくして、是清が担ったペルー銀山の採掘事業は、完全な失敗のもとに幕を閉じた。
 日本からペルーに向けて本格的な集団移民が始まるのは、それから九年後お明治十二年、
 新潟、広島、山口などの出身者七百九十人が佐倉丸で渡ったのが最初とされている。
 ブラジルへの集団移民については、それからさらに九年あとの明治四十一年、サントス
 港に七百八十一人が到着するのが最初となる。

・明治二十四年五月には、長女が誕生する。
 一家にとって初めての女児である。是清は大層喜んで、「和喜子」と名付けた。
・和喜子の誕生と前後する五月、第一次山縣有朋内閣が倒れ、松方正義が総理大臣となっ
 た。 
・ところが、それから間もなく、世に言う「大津事件」が起きる。
 来日していた大国ロシア帝国の皇太子ニコライ、のちのロシア皇帝ニコライ二世が、訪
 問先の滋賀県大津町で、警備にあたっていた巡査、津田三蔵にサーベルで斬りつけられ
 るという暗殺未遂事件だ。 
・このころ是清のもとには、周辺の友人たちからいろいろと再就職の話が舞い込むように
 なった。いずれもが、もう一度官職に就いてはという勧めばかりだった。
 だが是清は、素直に首を縦に振れなかった。
・いまのような状況で官職に就けば、たとえ自分の信条と異なっていても、上司の命令に
 従って働かなければならない。これまでの自分なら、たとえ上司でも、正しくないと思
 ったら敢然と持論を述べ、それで衝突したら辞表を叩きつけることもしてきた。
 それもこれも、立場にしがみつかなくて済むだけの貯えがあったからだ。
・だが、いまは違う。食べるために働くのでは、これまでのように純粋に国家のために尽
 くすことは、到底できない。自己を優先などしては、まともな仕事などできるはずがな
 い。
 自分にはじぶんなりの信念がある。だが万策尽きた。こはやこれまでだ。
・品が毛糸を編んで、わずかな工賃を食事に充てているらしい。
 心配をかけまいと、これまで一切黙り通してきた是清だったが、ペルーでの経緯を、つ
 いに家族全員に打ち明けた。 
 「こうなったら運を天に委せ、一家全員心を合わせて懸命に働こう。それでもなお飢え
 るときは、みな一緒だ」
・黙り込んでいた長男のかわりに、次男が言った。
 「もしものときは、私が蜆を売って歩きます」
 このときばかりは、さすがに是清もこみあげるものを抑えるのに苦労した。
 是賢は十四歳、次男の是福はまだ十歳である。そして、一歳に満たない和喜子がいる。
・わが身だけに受ける苦痛ならば、どんなことでも耐えられる。
 だが、これまでは屋敷を構え、それなりに暮らしてきた家族に、いまやろくな着物も着
 せてやれず、食べ物も与えてやれない。その苦しみが、これほどのものとは。
 是清は、無念さをひたすら噛みしめていた。
・一旦は覚悟を決め、一家揃って地方に引き込もうと思ったが、結果的にはそこまで至る
 ことはなかった。   

・品の弟、原田彦熊の妻は悦といったが、その実兄にあたる鈴木という男が、初めて一家
 を訪ねてきたのは、いつごろだったろうか。
 風の便りで一家のことを聞き、ペルーでの経緯を知ったようだ。一身にその責任を負っ
 て、大きな屋敷を売り払い、すぐ裏の長屋に引っ越した潔い是清に、いたく感じいった
 らしい。 
・本所で手広く味噌問屋を営んでいるという鈴木は、最初は遠慮がちにやって来て、ひと
 しきり話をして帰っていった。そのうち、たびたび訪ねて来るようになり、そのつど食
 べ物を持ってきて、こっそり品に手渡したり、子供たちに言って、着る物を置いて帰っ
 たりした。
・鈴木としては、一家五人のあまりに質素な暮らしぶりを見かねての厚意だったのだろう。
 可愛い妹、悦の嫁ぎ先の縁で親戚となったのである。黙って放っておけなかったに違い
 ない。
 是清としても、心苦しくはあったけれど、鈴木の親切は身に沁みて有り難かった。
・「田舎に引っ込むなどとおっしゃらず、よろしかったら、うちの近くにおいでになりま
 せんか」 
 鈴木はどこまでも是清を鄭重に扱い、あるときそんなことまで申し出た。
・幼い子供を抱え、手内職に精を出す健気な品についても、いかにも不愍に思えたはずだ。
 是清とて、子供たちの健康を考えると、鈴木の新設を無下には断れない。
 品とも相談した結果、本所にある鈴木の店からほど近いところに、いまより広い住まい
 を用意したとの勧めに、思い切って甘えようということになった。
・鈴木夫婦には、直という名の一人娘がいた。是清一家が初めて直に初めて会ったのは、
 彼女がまだ九歳のときである。
 もちろん鈴木が、それを最初から意図していたわけではなかっただろう。だが、しばら
 しくして是清は、娘にも外国の話を聞かせてほしいと、頼まれるようになる。
・是清がこの直を家に預かり、英語を教えてやるようになるのは、さらにずっとあとのこ
 とだ。 
・当時、医者を目指す者たちは、内務省「医術開業試験」という国家試験に合格しなけれ
 ばならなかった。
 どこで聴いてきたのか、そのころ「鷲山彌生」という女性が苦労の末にこの試験に合格
 したことを知り、幼いながらも、直はひそかに彼女に強い憧れを抱いたらしい。
 そして、こうした鈴木直との出会いが、是清にとって、その後の思いがけない人生へと
 繋がっていくのである。
 
実業の世界へ
・「川田さんが、君に会いたいと言っていたぞ」
 前田正名が長屋にやって来て、そういってくれたのはつい先日のことだ。
 「川田さんって、日銀総裁のあの川田小一郎さんがですか?」
・おそらく前田は、自分が持ち込んだペルー銀山の話ですべてを失うことになった事態に
 責任を感じ、このところの是清の窮乏ぶりに心を痛めているのだろう。
 前田の心遣いを素直に受け止め、さっそく訪ねてきた是清だったが、川田はまるで前々
 から約束でもしていたかのように笑顔で迎え入れ、すぐに座敷に通してくれた。
・「一度君に会って、直接ペルーの話でも聞きたいと思い、おいでを願ったわけだ」
 「おそれいります。そういうことでしたら、二時間、私に時間をいただけますでしょう
 か?」 
 「かまわないから、話なさい」
 川田は顔色ひとつ変えるでもなく言った。
・長い話に飽きる様子もなく、川田はひたすら聞き入ってくれた。
 「よくわかった。このあと君はどうする気だ」
 「なにも政府の役人になるばかりが能ではない。どうだ、いっそ実業界に入らないかね。
 君の身体を私に任せてみないか」
・「ありがとうございます」
 是清は間髪容れず答えた。
 それこそが、自分の望むところだからだ。
 「ただ、それにつきましては、ひとつだけ、私からもたってのお願いがございます」
 「実業界はまったくの初めてであります。ですから、どうか丁稚奉公から始めさせてい
 ただきたく」  
・屈託なく言ってのける是清に、川田は一瞬驚いたように口を閉ざし、こちらの目の奥を
 じっと覗き込んできた。
 「君の決心のほどはよくわかった。まあ、これからはときどきこうして訪ねて来なさい」
・あるとき、川田がまた是清を呼びつけた。
 「ちょうど山陽鉄道の社長のいすが空いたんでね。誰かしかるべき後任者を推薦してほ
 しいと頼まれている。どうだね、やってみないか」
・是清は咄嗟にかぶりを振った。
 「鉄道には、なんの経験も知識もありません。それがいきなり社長では、ご迷惑をかけ
 るだけでなく、信念のなさに私の良心が許さぬので」
 「なんと、君は断るというのか。山陽鉄道の社長の職なんだぞ」
・あきれた顔でしばらく是清をじっとみつけていた川田が、やがておもむろに口を開いた。
 「妙なことを言う男だな。まったく面白い奴だ。しかし、君の言うことはもっともだ」
 「よし、君を銀行にいれようと思う」
 「ただし、銀行というところは、なによりも信用を重んずるところだ。いますぐ正社員
 として採用するわけにはいかぬ」
・五月なかばに、また川田から呼び出しがきた。
 川田が言うには、いま日本銀行が新築工事をやっている。そこには建築所というのがあ
 り、総監督には安田善次郎が就いている。その下に技術部の監督がいて、またさらに下
 に事務部がある。その事務部の支配人になる気はないかということだった。
 「喜んでやらせていただきます」
 「ひとつ気になることがあるのだが。事務部の支配人なら、日銀の正社員ではないので
 一向に差支えはない。だが、君の上司になる技術部の監督というのが気になってな。以
 前君の教え子だったことがあるそうだ。辰野という男のようだが」
 「ああ、あの辰野金吾君ですか。彼でしたら、唐津の英学校で教えたことがあります」
 「事務部にはいると、君は、その辰野の下の立場になるのだぞ。それでもかまわないの
 かね」
 「そんなこと、まったく気になりません。喜んで働かせていただきますので、よろしく
 お願いいたします」
・「建築所事務主任を命ず、年俸千二百円を給す」
 破格の待遇である。川田から手渡された文面を何度も頭のなかで反芻し、是清は本所の
 住まいまで小走りに駆け戻った。はやく品に見せたくて、気が逸る。
 家の戸口から大声で品を呼び、何事かと出てきた目の前に広げて見せた。
 これまで何度か辞令を受け取ったことがあるが、このときほど一枚の紙を有り難いと感
 じたことはない。 
・「おめでとうございます。旦那さま」
 そういって顔をあげた品の目に、うっすらと涙が浮かんでいる。
 その肩に手をやって、是清も笑みを浮かべた。 
・ペルーから帰ってから約二年、その間にこの品には、言葉にはできぬほど苦労をかけた。
 一言も文句を口にしなかったが、品なりに堪えてきたものが多かったはずだ。
 幼い子らにも肩身の狭い思いをさせてきた。
・日銀に入ってからの是清は、まさに水を得た魚のごとく事務所内を動きまわり、一時た
 りともじっとしていられない気分だった。  
辰野金吾とも久々に再会した。彼は是清と同い年で、あのあとジョサイア・コンドル
 師事し、英国留学を経て、いまや日本の近代西洋建築の業界を牽引する気鋭の設計家と
 なっていた。
・建築資材の購入方法についても、自分なりに調べているうちに、少しずつ全容がつかめ
 きた。まずは技術部で業者と売買契約を結び、その事務手続きは是清の所属する事務部
 が担当する。もっとも、その後納品された資材はそのまま倉庫に運び込まれて保管され、
 その管理はすべて技術部で行っている。
・そんな業務の流れを、是清なりに把握し始めたある日、技術部の人間が突然か駆け込ん
 できて、鉄製の棒を大至急注文してくれと言ってきた。
 慌てて発注はしたが、製造元はそんな急にはとても間に合わないと言ってくる。とはい
 え技術部は聞く耳など持たず、矢の催促だ。
・板挟みになった是清が、業者をさんざん急かせて、無理して搬入にまでこぎつけ、いざ
 倉庫に運び入れとみると、隅のほうにまったく同じ物が埃をかぶって堆く積み上げられ
 ている。 
 「なんだ、これは・・・」
 是清は思わず大きな声をあげた。
 そもそも計画性のある発注と、在庫管理がまったくできていないのである。
・辰野の承諾を得て、是清はすぐさま倉庫内を逐一調べ上げ、資材管理の台帳を作ること
 にした。金銭出納簿と同じ要領で、発注と納品状況を突き合わせ、常に最新の在庫数値
 を把握できるようにしたのである。
・このことで事務の効率もてきめんにあがり、目に見えて無駄の削減ができるようになっ
 た。結果的に、ごく自然に是清の権限が拡がることにも繋がっていく。
・正確な資材管理の台帳とともに、そのつど細かく数字を書き込んでいくと、それにとも
 なう請求書や支払いについても管理できる。するとその過程で、ほかにも問題点が見つ
 かった。 
・建築資材のなかには海外から輸入するものも多く、すべては建築を請け負っている大倉
 組が仕切っていた。だが、是清が決済日と実際の為替相場の動きを照合してみると、彼
 らが相場の変動に合わせて請求期日を操作し、不当に為替差益を得ていることがわかっ
 たのだ。
・問題を見つけ、それを解決する適切な処理能力はいかんなく発揮され、貴重な現場経験
 として、是清のなかに蓄積されていく。
 日を追うごとに、是清は建築事務所での仕事に確実な手応えを感じるようになっていっ
 た。
・せっかく望み通り「丁稚奉公」から始められたのだからと、まさに実業界の一年生のつ
 もりで、手当たり次第に勉強を始めた。
 資材管理の業務や、為替を通じた資金決済の事務はもちろんだが、それだけにとどまら
 ず、銀行業務全般について、あるいは経済全体についても、是清は着実に研究を進めて
 いった。
・明治二十四年十月、岐阜県美濃地方と愛知県尾張地方はマグニチュード八の内陸直下型
 巨大地震に襲われた。世に言う「濃尾大地震」の被害は甚大で、それを受け、辰野は日
 銀の石造りによる三階建て建築に懸念を覚え始めたという。
 「上の階にいくほど軽い素材を使わないと危険なんだ。だから、日銀でも、二階には石
 材の代りに普通の煉瓦を、三階にはさらに軽量にするため、穴あき煉瓦を使うことに決
 めた」
・数日後、是清は思いがけなくも、このことで川田総裁の逆鱗に触れることになる。
 近ごろ川田総裁は病気がちで、日銀に顔を出すことが滅多になくなってきた。
 そのため是清は、毎週必ず一度は屋敷を訪ね、仕事の経過報告はもちろんだが、その他
 さまざまな話をすることにしていたのである。
・「私の在職中に、ぜひとも新館へ移転したいと楽しみにしているのだが、聞けば工事が
 ずいぶんと遅れているそうじゃないか」
 「先日辰野君に尋ねましたところ、二階より上は煉瓦を使い、さらに三階は穴あき煉瓦
 というものを使うよう設計変更したようです。そういたしますと、当初の計画だった全
 部石造りと違って、工事の進行がぐんと早くなるそうです」
 「なに、煉瓦を使うだと?けしからん!」
 「いったい誰がそんなことを許した。建物全体を石造りにするということで株主総会の
 承認を得たのだ。それを、現場の勝手で煉瓦造りに変えるとは、まったくどういうつも
 りなのだ!」  
・辰野から設計変更の話を告げられたとき、すでに総裁の承諾を得ていると思い込んでし
 まったのだが、これは面倒なことになってきた。
・驚いたのは辰野も同じだった。
 「まさか、それは本当なのか?自分は、もちろん安田監督には報告しておいたんだから
 監督のほうから総裁に伝えて、すでに承認を得てもらっているものと思い込んでいた」
・二人ですぐに安田善次郎のところに行って事情を訊くと、とんでもない思い違いが生じ
 ていることがわかった。   
 「なんだと?あの変更案は、君が総裁の承諾を得たものではなかったのか」
・「監督、お願いします。総裁にとりなしを」
 辰野がすかさず安田に乞うた。だが、安田は易々とうなずくことはしない。
 辰野はもちろん、安田とて嫌な役回りは避けたいのだ。だから、互いに譲り合った末、
 どうせなら打たれついでに、まずは是清が二人に代わって川田に直談判に行けというの
 である。 
・いくら不本意でも、是清は辰野の深である。そして、安田は辰野の上司なのだ。
 「わかりました」
 是清は引き受けるほかなかった。
・なにか方法はないのだろうか。
 「外観、石造り」
 「軽量、煉瓦と穴あき煉瓦」
 是清は、相反する二つの要素を文字にして頭の中で並べ、口の中でぶつぶつとつぶやき
 ながら、両者を重ねてみたり、対比させたり、あるいはそれぞれに入れ替えてみたりし
 た。 
・冷静に考えてみれば、やはり煉瓦や穴あき煉瓦へは変更せざるをえないのだ。それが石
 造りの建物に見えれば、それでいいのでは。
 「ああ、そうか・・・」
 そうなのだ。外観さえ石造りなら、川田は文句を言うまい。
 建物が完成してしまったら、壁の内部構造までは見られない。
・スライスだ。そうだ薄切りだ!
 「中心な煉瓦にする。しかし、外側だけは薄い石材を貼り付ける」
・説明を聞き終え、辰野は黙り込んでしまった。突然の提案を彼なりに咀嚼している様子
 だ。その口許をじっと見つめ、返事を待ち受けている是清に、やがて辰野は静かにうな
 ずいた。  
 「できるだろう。いや、そんなに難しいことではないと思う」
 「だったら、決まりだ。これでいこう」
 是清は、意を強くして言ったのである。
・「実は、工期のことについても、考えがあるんだ。大倉組との交渉も、私に任せてもら
 えないだろうか。これまでの遅れの原因を探っていて思いついたことがある」
・建築工事全般は大倉組が請け負っているが、実際には四人の親方に作業を下請けさせて
 いる。その親方たちが雇っている石工は、みな関西から連れてきた孫請けの職人たちだ。
 彼らがたびたび賃金の値上げを要求し、そのつど条件を呑まないと、仕事を中断させて
 しまう。遅れを生んでいる主な原因はここにある。
 「この際、大倉組に請負わせているのを一切やめて、全部事務所の直営にすべきだ」
・すぐ安田に説明に行き、了解を得たのち、翌朝にはまた川田を私邸に訪ねた。
 外部に石材を貼るので、外観は石造りそのものの仕上がりになること。そのうえ軽量で、
 自身の被害への憂いも減る。なにより、工期が早まることなどを、詳細に述べたのであ
 る。
 「初めて聞く工法だが、妙案だ。強度も問題ないだろうな」
 「石材を丈夫な鉄棒で繋ぎ、煉瓦とのあいだも鉄棒とセメントでしっかり固着しまので、
 非常に堅牢なものになると。それと、肝心の経費につきましても、これなら六、七万円
 の増加程度で抑えられるとのことでした」
・「よしいいだろう」
 「それから、私からもう一点、ぜひともお願いがございまして」
 「私にあと一万円だけ、自由に使える予算を与えていただきたく存じして」
・「親方四人とは個別に契約を結び、建物の四面を一角ずつ、独自に請け負わせ、互いに
 工期を競争させることにいたしました」
 「遅れた者からは一日五百円の罰金を徴収するつもりです。反対に、期日前に仕上げて
 きた者には、同じく一日五百円の賞与金を与えます。一万円は、その賞与金に使わせて
 いただきたいと考えておりまして・・・」  
 「よろしい。よろしい。いやあ、なかなかの名案だ」
・四人の親方たちが、褒賞を目当てに先を争うように働きだしたので、遅れるままになっ
 ていた工事が、面白いほど予定の期日に追いつき始めた。
・この一件を通して、川田小一郎は、高橋是清という逸材を見出したおのれの目が正しか
 ったことを、あらためて実感することになった。
・現状を正しく把握し、その問題点を冷静な視点で分析する。そのうえで、自由かつ柔軟
 な発想と、周到な策をもって、果敢に、しかも現実的に解決していく。
 そんな是清は、それから数ヵ月後、ついに日本銀行の正社員として採用されることにな
 る。「丁稚奉公」で入行して以来、さまざまな海外の情報や法令集などを読み漁り、緻
 密な研究を積み重ねてきたことが、いよいよ実務に活かせる機会がやってきたのだ。
・高橋是清という男に、あらためて一目置くことになったのは、当時五十四歳だった安田
 善次郎も同じであった。 
 かつて、鋭く相場の綾を読み、情報の優位性を活かして巨額の金融資産を築き、財閥の
 仲間入りを果たした安田である。それゆえに、是清の機転や、物怖じしない行動力には、
 感じるところが大きかったにちがいない。
・明治二十六年九月、日本銀行における職制の改革がなされた際、是清はそれまで一年三
 ヵ月におよぶ建築事務所での業績を買われ、日本銀行支配役に取り立てられる。ついに
 正規職員として採用になったのだ。
 同時に、新たに設立が決まった日本銀行西部支店の支店長として、馬関(山口県下関)
 に赴任するのである。年俸は一気に二千円となる。 
・なにかにつけ、いつもそんな役回りを担わされる是清だが、結果的にはそのことで、す
 ば抜けた才能を発揮し、かえってその存在価値を周囲に認めさせることになる。
・馬関に赴任する日が迫ってきたころ、是清は本所押上町に土地付き一軒家を三百五十円
 で手に入れる。このころの家族は全部で六人、妻の品と息子が三人、娘一人になってい
 た。 

・是清が赴任後にすぐに調査に着手したのは、第百十国立銀行の内情だった。
 この銀行の救済に日銀西部支店の資金を投じることを決めるのだが、これこそ後年、彼
 が大蔵大臣として采配を揮う姿を彷彿させるものであった。
・百十銀行は、この時期の他の銀行と同様、金禄公債を主に原資に、資本金六十万円で設
 立された銀行だが、多額の資金を投じた名古屋港の埋め立て工事が、相次ぐ嵐による被
 害で壊滅的になり、六十万円もの焦げ付きを出していた。
・ただ、是清が詳しく調べてみると、金禄公債の市場価格が上昇しており、時価では額面
 以上になっている。にもかかわらず株金として払い込みを受けた際の金禄公債は、額面
 百円のところ六十円に見積もっていることがわかった。
 公債の時価と見積もり価格との差益だけで四十万円もあるのだ。これに積立金の二十万
 円を取り崩して足せば、損失の六十万円は補填できることになり、債務超過に陥ること
 はない。  
・このことを確認した是清は、百十銀行に対して、ただちに西部支店から必要な資金を融
 通することを伝えた。
 それだけでなく、ここに到るまでの背景や財務状況の真相を、地域内の他の銀行いも開
 示したので、一時やりとりを見合わせていた周囲の銀行が、次々と百十銀行との取引を
 再開するようになった。その結果、彼らの営業状況が劇的に改善していったのである。

・あらためて明治維新を振り返ると、そもそも西欧列強からの軍事的脅威をきっかけに起
 こったものだ。だが、新しい統一国家の実現には、討幕が避けられず、結果として、新
 政府を作ったのは討幕に成功した下級武士たちだった。
・富国強兵、つまり軍備の強化は、明治十年代半ばから増え始める軍事費の上昇に窺うこ
 とができる。明治十四年度の政府の歳出総額に占める軍事費の割合が十六パーセントだ
 ったのに対して、明治二十三年度の軍事費の割合は三十一パーセントまで増加している。
・日清戦争の勃発で、是清は銀行家としてさまざまな経験をする。
 日清戦争は、先進諸国に遅れつつも、ようやく国家統一を成功させた日本にとって、初
 めての帝国主義競争だった。
・日本軍は、成歓、牙山と攻略し、ついには平壌をも占領した。それまでの宗主国の清の
 保護下にあった朝鮮内地の治安維持を、日本が担うことになったのだ。
 戦争による政府の資金需要は高まり、軍事費だけでなく、朝鮮政府への借款に充てる費
 用も必要になる。日本国内で調達するため、議会でも軍事公債の発行が議決に至った。
・もっとも、未曽有の国難を前に、愛国心を煽られた国民は、こぞって公債募集の勧誘に
 応じたのである。なかには田畑を抵当に入れ、銀行から借金をしてまで応募する者が出
 る始末だ。  
・戦争がもたらす特異な昂揚感と、その一方で国民に課せられる過酷な現実を目の当たり
 にした是清は、歯止めなく膨張していく軍事予算と、国民経済について深く考えさせら
 れたのである。
 政府の資金は相変わらず逼迫するばかりで、日銀にもさらに圧力がかかってくる。
・明治二十八年二月初旬、川田が大坂の鴻池の別荘で療養中と聞き、急いで見舞いにいく
 ことになった。
 久しぶりに会う川田は気分の良さそうで、上機嫌に語りかけてきた。朝鮮政府に対し、
 独立を助ける費用として三百万円を用立てることになった話についてだった。
 「日本銀行に骨を折ってもらいたいと、伊藤さんに頼まれたので、もちろん引き受けて
 きた。ただし、その貸金については、これこのとおり、日本政府の保証は得てきたから」
 総理大臣伊藤博文から渡された書状を差し出す顔は、誇らしげだった。
・伊藤の書状について忌憚のない意見を述べることにした。川田が驚いたように目を見開
 いて、まっすぐにこちらを見つけている。
 「この書付では、日本銀行に対して政府が保証すると謳っていますが、内閣総理大臣伯
 爵伊藤博文、ただ一人の匿名があるだけです。政府の保証は帝国議会の承認がないと、
 その効果を生じないと思いますが」
 「少なくとも関係する大蔵省や外務省ぐらいは、それぞれの大臣の署名があるのではな
 いでしょうか。ところが、これにはそれもありません。つまり、明らかに閣議を経てい
 ないものだということです。この書付では政府保証の効力を生じないかと。言ってみれ
 反古同様、空手形のようなものだと私には思えるのですが」
・川田は顔を真っ赤にして、敷布団から身を乗り出してきた。
 「なにを言うか。総理大臣の署名と捺印があるものを、反古同様とはいったいどういう
 つもりだ。まさか、私が空手形をつかまされてきたとでも言いたいのか」
 物凄い剣幕である。
・しまった、と思った。川田のためにと正直に指摘したつもりだが、こんなに怒らせてし
 まっては、身体に障るのではないか。
・「高橋さん、まあ、こちらへおいでなさい。ちょっと庭の景色でも見ましょう」
 「もしや、あなたは藤田伝三郎さん・・・」
 「病人を相手に、あまり議論をしてはいけません」
・川田には暇乞いもせず、是清はそそくさと鴻池の別荘をあとにした。
 その足ですぐに日銀大阪支店に行き、支配役大阪支店長の鶴原定吉を訪ねて、川田と藤
 田との経緯を詳しく聞いてもらったのである。
 「悪いが、私の辞表を、君から総裁に取り次いでもらえないだろうか」
・「君は総裁の真意をわかってないぞ」
 「いま、井上さんは朝鮮に行っているだろう。それで、藤田が訪ねてきたのを幸いに、
 彼の前であえて君にその話を持ち出したのだ」
 「藤田伝三郎に聞かせるためか?」
 「そうだ。つまり、総裁がいかに朝鮮金融のために尽力しているかということを、藤田
 に聞かせて、あの藤田伝三郎の口から井上馨にそれを伝えさせようという肚だ。総裁と
 井上の仲は、これまではあまりうまくいっていない。そこへ持ってきて、君が書付をけ
 なしたものだから、総裁はカチンときたんだな」
 「つい、思ったことを口にしてしまった」
 「心配するな。もちろん、辞表を出すことなど考える必要はない。まあ、俺に任せろ」
・あとになって聞いたところでは、三井も三菱も引き受けには応じず、結局は公債を発行
 するに到ったということだった。 
・やがて、日清講和条約の交渉が始まった。
 今回、清国からの賠償金については、松方蔵相はロンドンで受け取る。それもポンド建
 てでの受領にするつもりでいること。そしてそれをもって、ドイツの例に倣い、日本を
 金本位制に移行させようと考えている。
 日本が金本位国になることは、列強と肩を並べていくための絶対条件であり、外国の資
 本を国内に注入させて、日本の産業の振興を図ることがいまこそ必要である。
・三月、伊藤博文と李鴻章が初めて顔を合わせ、第一次会見が行われた。
 李は、講和条約交渉中の軍事行動の停止を求めてきた。
・翌日、伊藤は覚書を提示し、休戦に合意すると回答した。
 ただし、まだ制圧に至っていない首都近くの三都市、大沽、天津、山海関を日本軍が占
 領し、その地に駐留する清国軍は降伏する。一切の軍器軍需および天津、山海関の鉄道
 の支配権は引き渡す。休戦中のすべての日本軍の軍事費は清国の負担、という条件つき
 だ。   
・李は、黙ってこの覚書を読んだあと、「苛酷、苛酷」と連発したという。
 清国から再考を求めてきたが、日本は聞き入れない。
 第二次、第三次の会見を終え、ようやく講和条約案を提示することに話は落ち着いた。
・その直後のこと、凶漢が李を襲ったのである。
 李が交渉会議を終えて、宿舎に向かう途中のことだった。
 群衆から飛び出した男、小山豊太郎が、懐に隠し持っていたピストルで李を狙撃し、重
 傷を負わせたのだ。   
・李鴻章が襲撃に遭い、清国内の批判や怒りが高まるなかにも拘わらず、三週間の休戦期
 間を経て、彼らは日本の要求をほぼ受け入れた。日清講和条約はついに調印に至ったの
 である。
・もっとも、調印からわずか六日目に、ロシアはフランスとドイツの支持を得て、日本政
 府に対し、遼東半島の租借権を清国に返還するよう公式に管掌を提議してきた。
 この三国の干渉はまさに青天の霹靂。わが連戦連勝の矜持に一大鉄槌を下したものだ。
 これほど日本にとって悲痛な衝撃は、これまでなかっただろうと、是清は思う。
・御前会議は連日開かれ、日本は苦渋の決断を迫られる。協議に協議を重ねた後に、つい
 に遼東半島の還付を容認する旨、三国政府に回答することとなった。
・勝利に沸いていた国民は、三国干渉に屈するしかなかった日本政府の決断を知り、出鼻
 を挫かれ意気消沈するしかなかった。そして、みなが「臥薪嘗胆」という言葉を口にす
 る。  
・八月になり、是清は川田から突然、横浜正金銀行の話を切り出された。
 横浜にある正金銀行の本店支配人として、是清に言ってくれないかというのである。
 海外との貿易の決済業務や、外国為替に特化したかつての東京銀行、現在は合併されて
 三菱東京UFJ銀行になっているが、その前身となる銀行だ。
 正金というのは正貨のこと。つまりは金貨や銀貨の意味で、外貨といってもいいだろう
 か。
横浜正金銀行の創業は明治十三年。金貨や銀貨は海外に流出するばかりで、正貨準備高 
 はほとんど底をついていた。
 西南戦争をきっかけに、日本は不換紙幣の増刷を余儀なくされ、正貨と紙幣の価格差は
 開く一方だった。
 紙幣に総流通量に対する正貨準備高の割合は、明治五年ごろまではそれでも二割程度で
 あったが、横浜正金銀行の設立時には五パーセント強まで落ち込んでいたのである。
・これ以上の正貨流出を抑え、輸出を促進して、なんとか流入を増やさねばならぬ。
 だが、当時の貿易の分野は、居留地の外国商人による独占状態で、その決済業務につい
 ても、ほとんどが、外国銀行の独擅場だった。
・もはや日本人による日本の貿易金融が急務である。そんな切実な目標を掲げ、政府から
 の出資が百万円、貿易商人や銀行家などによる民間からの出資二百万円により、資本金
 三百万円で設立されたのが当時の横浜正金銀行だった。
・川田の狙いはすぐに理解できた。横浜正金銀行の支配人になるとしても、いわば、日本
 銀行から送られる監視役のようなものだろう。
 つまり、日本銀行としては、低利の金を横浜正金銀行に貸し出し、それをもって貿易を
 さらに促進させたいと願っているのだ。
・「最初から取締役で行かせたいと思っていたのだが、あいにくいまは空きがない。ひと
 まず支配人ということで承知してくれぬか。君一人では困るだろうから、山本達雄を正
 金での平取締役にして、日本銀行営業局長と兼務させることにした」
 川田は、いずれ重役の席を空けるからと、何度も念を押してくる。
・是清は四十一歳を目前にして、横浜正金銀行本店支配人の辞令を受けた。
 是清が着任したばかりの頃の正金銀行は、内勤と外勤を合わせて行員がわずか八十人足
 らず。 
 頭取の園田孝吉と、取締役の相馬永胤は、二階の頭取室で執務。是清は、山川勇木、
 別次兵吉、川島忠之助といった三人とともに、一階の支配人室で机を並べ業務にあたっ
 た。 
・とはいえ、国際金融については、是清は資料で読んだ程度の知識しかない。
 主な為替事務は戸次の担当だったので、この戸次と、こうした分野の専門家である山川
 の二人に毎日のように相談した。
・いろいろ詳しく調べを進めるうち、是清は、ここでも日銀の建築事務所や、西部支店の
 ときのように、正金銀行の日常業務のなかにいくつかの問題点を発見する。
・「急いで改める必要があると思うのは、毎日の為替レートについてだ。外国銀行の相場
 が建たねば、自分たちのレートを決められないなどいかにもおかしい」
 「日本の為替の建て値は、ロンドンの銀塊相場をもとにしているのです。ですからどう
 しても・・・」  
 戸次が首を横に振り、不服そうな声を漏らす。
・「ロンドンの銀塊相場の値動きや終値は、うちにも毎晩届いているのだぞ。
 しかも、香上銀行などより、朝は一時間も早く、九時から店を開いている。
 それなのに、外国銀行が開店する十時になるまで、レートを建てないで客をただ待たせ
 ているなど、まさに不見識というものではないか」
・「それから、もっと得意先を増やすことだ。まずはこのあたりの主たる輸入業者を勧誘
 し、うちの得意先にせねばなるまい。その次は、外国商館にも顧客層を拡げる」
・「私に考えがある」
 「正金銀行は、朝店を開くと同時に為替相場を発表する。もはや香港上海銀行が開くの
 を待たずとも、客は朝の九時から為替取引ができる。それと輸入為替、つまりは客は金
 を払う側だから海外送金になるわけだが、これについては、外国銀行よりも正金銀行に
 任せたほうが、十六分の一だけ客の得になるように値引きしてやる」
・山川は、是清の意図するところが即座に理解できたらしい。
 他より安くする。なんのことはない。わかってみれば至極当たり前、単純なことである。
 ただ、経験という名の思い込みに囚われて、自由に発想ができなくなっていただけだ。
・「しかし、そんな値引きなど聞いたことがない。正金にはこれまで前例がありません」
 戸次はどこまでも懐疑的だ。生真面目で忠義の人だけに、一人で正金を背負っているよ
 うな自負がある。
・「前例がないのなら、その前例をわれわれが作ればいい。そう思わないか」
 是清は言った。
 「仮にうちがやりたくても、はたして大蔵省が許可するでしょうか」
 「それは私の仕事だ。大蔵省には私が行って、なんとしても掛け合ってくる」
・是清の案は、ここでも見事に的中した。
 三菱、郵船といった国内の大口顧客はもちろん、スタンダード石油など外資系大手企業
 までも、次々と正金を使うようになったのである。
・明治二十九年三月の株主総会において、是清は取締役に選ばれ、本店支配人も兼ねるこ
 ととなった。 
・明治三十一年三月、金本位とする貨幣法が署名に至り、日本はイギリスを中心とする金
 本位制国の一員となった。
 その前年、明治二十九年十一月には是清を実業の世界に導いた川田小一郎が他界。後任
 の日銀総裁には、岩崎弥之助が就任している。

・いずれは起き上がってくるだろうと、その潜在力を怖れられていた「眠れる獅子」清国
 を、日本が敗戦に追い込んだことで、西欧列強がこぞって租借地を奪い合う引き金とな
 った。 
・三国干渉を経て、このあとロシアは旅順や大連を、ドイツは膠州湾(青島)を、フラン
 スは広州湾を、そしてイギリスは九龍半島と威海衛をと、それぞれ租借して海軍基地に
 していく。
・日清戦争での日本の勝利は、皮肉にも日本の危機を高める結果となり、やがて日露戦争
 勃発につながる道を生んでしまったのである。
 
列強の男たち
・明治三十一年九月、伊藤博文内閣は退陣。政権は大隈重信の手に移り、板垣退助との連
 立による日本初の政党内閣、いわゆる隈板内閣が誕生した。
 大蔵大臣も、憲政党の松田正久に代わった。
・是清が正金の業務改革に取り組んでいる一方で、就任してまだいくらも経たない岩崎総
 裁が、突然辞任することになった。
 岩崎と松田蔵相とのあいだで、なにかといっては意見の食い違いが起きていることや、
 二人はソリが合わぬと日銀の鶴原がたびたびこぼしていたことは、是清も知っている。
 日銀の金融政策に、政府が逐一口を挟んでくるというのである。だが、まさか総裁の辞
 任にまで至るとは、思ってもいなかった。
・このところの財界はまたも不況に直面している。日清戦争直後は、軍需関連産業を中心
 に活気づいていたのだが、その反動がきていたのだ。
 事態を憂慮した岩崎総裁は、利下げに踏み切った。ところがその決断が遅きに失したな
 どと、松田が表立って批判の声をあげたりもしたのだから、ついに岩崎の怒りが爆発し
 た。 
 「大蔵省からこうも度重なる干渉を受けるのでは、日銀総裁など要らぬではないか」
 激怒した岩崎は、辞表を叩きつけたという。
・突然の辞任劇に一時は騒然となったが、当然ながら、今度はにわかに後継者選びが注目
 されるようになった。 
 日銀内部からは河上謹一を推す声が強かったが、日銀の周辺では山本達雄を推す流れも
 起き、真っ二つに分かれていた。そこへ、政府側からはまったく別の候補者の名前がい
 くつかあがってきて、日銀関係者は慌てたのである。
 日銀のなかに、これ以上政府の思惑が入り込んできては困る。そんな懸念が、逆に日銀
 内に結束を生み、ついに第五代日銀総裁には、四十二歳の山本達雄が就任すると決まっ
 た。

・このころになると是清は、なにかと言っては呼び出され、横浜と東京を何度も往復し、
 いくつもの会議に顔を出す。なにかに背中を追い立てられるように毎日が過ぎ、本所の
 自宅に帰ってのんびり家族と過ごす時間もままならない日々が続いていた。
・是清が葉山の一色に別荘を手に入れたのは、たとえひとときでも自分を取り戻せる場所
 が欲しいと願ったからである。 
 真名瀬海岸の筋向い、夕陽が沈む相模湾と、はるか遠くに富士山が望める絶景の地で、
 子供たちとともに過ごす週末は、忙しさが増せば増すほど、かけがえのないものになっ
 ていく。
・年が明け、明治三十二年の正月を迎えると、休みの日は葉山で過ごすことがさらに増え
 た。冬の陽射しのなかで、本を片手に縁側に座って寛いでいると、かすかに潮騒が聞こ
 えてくる。本所のあたりや横浜に較べると、心なしか風までも優しげだ。
・本所の屋敷のことは、品に任せっきりだったが、このところ役所の人間や書生などの出
 入りが激しくなり、品も手伝いの女たちを取り仕切って、忙しくしているらしい。
 「そうそう、旦那さまがお留守のあいだ、あの味噌問屋の鈴木さんが亡くなりましたの」
 「え、そうか。残念なことだったな。あの人にはずいぶん世話になったものだが」
 鈴木は品の弟嫁、悦の兄である。
 「それで、あのときのお嬢さんをうちでお預かりすることになりました。英語を習いた
 いと言っていましたので、家事を手伝わせながら、気のすむまで勉強させてやりたいと
 思いまして」 
 品の縁続きの娘である。たしか、直といったはずだ。もう十六、七ぐらいにはなるだろ
 う。

・前年の秋、ようやく日銀出身の山本達雄総裁が誕生したのだが、その後二十日も経たな
 いうちに隈板内閣が倒れ、第二次山縣有朋内閣では、松方が大蔵大臣に返り咲いていた。
 期待された初めての政党内閣だった隈板内閣は、五カ月ももたない短命であった。
・政府からの横やりを防ごうと、一度は結束した日銀内部だったはずだが、今度は山本総
 裁をめぐって不協和音をたて始めていた。
 理事たちにしてみれば、自分たちの仲間から総裁を出したのは、互いに融和をはかり、
 物事を相談して決められると思っていたからだ。
 ところが、いざ総裁となった山本は、かの「法王」川田小一郎や、前任者の岩崎弥之助
 のようになりたいのか、なにかにつけても独断でやりたがる。それが理事たちには気に
 入らない。 
・河上や鶴原らといった理事の一派と、総裁とのあいだがぎくしゃくしていることは、鶴
 原自身からもたびたび聞かされていた。
 是清は、山本と鶴原を食事に誘い、三人で話す機会を作った。両者のあいだに入って、
 なんとか折り合いをつけようと試みたのである。
 しかし、こじれた遺恨はどこまでいっても平行線で、埒が明かぬ。せっかくの会食も物
 別れに終わった。
・土曜日の午後から葉山に出かけていた。追いかけるように東京から一通の電報が届いた。
 発信人が山本達雄になっている。
 「もしや・・・」
 やはり、予感は当たっていた。
 河上謹一以下、理事らに続いて、なんと十一人もの職員が辞表を出したというのである。
・ただ、是清の思いとは裏腹に、当の総裁である山本自身は、意外なほどけろりとした顔
 をしている。  
 是清は山本邸を辞したあと、その足で大蔵大臣松方正義を訪ねた。
 松方は、山本総裁を切るつもりである。
・「今回のことは、内情はどうあれ、職員が結託し、政府が任命したはずの総裁に対して
 排斥運動を起こした、いわば同盟罷業です。なのにいま政府が総裁を交代させるならば、
 海外の目に、日本の中央銀行はどう映ることでありましょう」
・職員同士のつまらぬ感情的もつれで、総裁を交代させたら、日本の中央銀行の権威と信
 用が失墜する。政府と日銀の齟齬となればなおさらだ。中央銀行の信用失墜は、とりも
 なおさず日本という国の信用低下を意味する。
 それだけは、断じて避けなければならない。
・やむにやまれぬ思いで、辞表を出した理事たちの気持ちもわからぬではない。彼らは、
 是清個人にとっても友人であり、仕事仲間なのだ
 だが、西欧列強の仲間入りをしとうとしている日本にとって、いまなにを優先させるべ
 きかは、明らかだ。ここはなにより日本のため、冷静になって判断すべきである。
・松方蔵相から、官邸まで来るようにと呼び出しがきた。
 「内閣の協議で、山本はそのまま日銀総裁に据え置くことが決まった。ただし、総裁と
 三野村理事だけでは日銀の重役会が成立しない。よって、副総裁を置く必要が出てきた。
 ついては、君をその副総裁に据えるから、そう心得ておいてもらいたい」
 「そんな重責は、私にはとても・・・」
 「いや、これはもう内閣で決まったことなのだ。正式な辞令もまもなくここに届くはず
 だ」  
 松方がそう言うと、隣で前田が嬉しそうな顔で何度もうなずいてみせる。
 「良い話ではないか。ぜひお引き受けなさい」
 しきりに承諾するよう勧めるのである。
・あの因縁のペルー行きを持ちかけた前田である。だからこそ、高橋一家はどん底暮らし
 に陥ったのだが、そんな是清に再就職の道を探し、川田小一郎を紹介してくれ、救いの
 手を差し伸べてくれたのも、この前田だった。
 そしていま、日本銀行副総裁の地位に就こうという是清を、心から祝福してくれている。
・松方は、優秀ではあるがいささか頑なな一面のある山本総裁を補佐する人間として、自
 分を必要と考えてくれたのだろう。  
 金本位制への移行を果たし、いよいよ国際金融の世界に踏み出すこととなった日本の中
 央銀行として、これからは世界と伍して渡り合っていかねばならなくなる。
 是清は、みずからの方に担うものの重みを、ひしひしと感じていた。
 
・明治三十三年から三十四年にかけて、九州地方で銀行が次々と経営難に陥り、取り付け
 騒ぎにもなった。第九銀行、肥後銀行、第百十銀行、第十七銀行などから救済措置を求
 められ、文字通り奔走したのである。
・経営難の理由はいくつかあった。当時は概して、九州地方は資金不足が常態化しており、
 そのためいくらか高めの金利でもかまわず融資を受けるという傾向があった。
 好況のときは、それを狙って大阪あたりの余剰資金を積極的に貸し付けるが、一旦不況
 になると途端に資金を引き揚げてしまい、容赦なく貸し剥がしを受ける。そんな無理が
 積りに積もって、普段は堅実な銀行まで身動きができなくなってしまったのだ。
 是清はみずから九州に出向いて支援するだけでなく、再建のための徹底したルール作り
 に乗り出した。 
・是清には、一貫した信念があった。
 われわれが目指すべきは、日本という国を、そしてなにより国民生活を豊かにすること
 である。
・日清戦争、三国干渉を経て、国防力の必要性はだれもが実感した。だが是清は、列強の
 なかで日本が真の国力を高めるには、国防力よりも、まず経済力を高めることだと考え
 る。
・日本の輸出力の活性化をはかることこそが、日本の貿易不均衡を是正する最善の方法だ。
 そのためにも、製造業者に低利の資金を提供できる金融制度の確立を急がなければなら
 ない。必要に応じて低利の融資が行なえる。柔軟な対処のできる実力を備えた金融機関
 が不可欠である。
 日本銀行の資金を投下して、経営難にあえぐ九州地方の銀行を救済したのも、そうした
 考えに基づくものだった。
・もっとも、こうした是清の信念は、当時は決して多数派ではなかった。
 幕末時代から続く経済の低迷は、過剰な政府支出を削減し、金利を引き上げ、国民に倹
 約と貯蓄を奨励することによって解決できると考えられていたからだ。
 現に山本達雄は日本銀行の総裁として、明治三十二年から三十三年にかけて、六回も利
 上げを実施している。
・それに対応するように是清は、山本の反対を押し切って、長期貸出を短期貸出に転換で
 きるような対策を実行した。
 満期が来ても継続的な資金需要がないものは、安易に継続させず、多少なりとも返済さ
 せ、資金の融資先が固着化せぬよう、期限満了ごとに柔軟に対応すること。それが日本
 銀行の方策だと説いたのである。
 資金の偏在を極力減らし、世の中に広く循環するように、固定化した資金の貸出先を見
 直し、流動性を高めることに努めたのだ。
 結果、是清が副総裁に就任したあと十年余の間に、日銀の貸出回転率は約二倍と、飛躍
 的に伸びている。
・山本が総裁に就任したとき、理事以下、局長や支店長なども一斉に辞めることになった
 ので、ロンドンのバーズ銀行で研修中だった「井上準之助」や、「土方久徴」を急いで
 呼び戻している。
 だからというわけではもちろんないのだが、是清は幼馴染みのあの鈴木知雄を日銀の出
 納局長に起用している。 

・日清戦争での勝利によって、清国から多額の賠償金を得たはずだったが、それが民間を
 潤わせることはなかった。賠償金のほとんどが、軍備の拡張や造船、製鉄所の建設、あ
 るいは災害準備基金などに充当されたからだ。
・いや、それでも資金はまだ足りなかった。鉄道や通信、製鋼といったインフラ整備の必
 要性から、政府はこれらの資金調達の目的として、明治三十三年には、ロンドン市場で
 一千万ポンドの四分利付英貨公債を発行している。
 明治六年に、金禄公債償還の原資を調達するために行われた七分利付英貨公債の発行以
 来、このときが二十六年ぶりの起債となる。
・なぜなら、岩倉遣欧使節団として海外視察から帰国した大久保利通が、征韓論反対の意
 見書で外債依存の危険性を強く訴えていたからだ。
 征韓は巨額の戦費を必要とする。その財源確保には重税か、外債発行しか手立てがない。
 とはいえ外債依存は、返済の目途が立たなければ、紙幣増発で穴埋めを強いられる。
 紙幣の増刷はインフレを誘発し、国民生活を直撃する。しかも軍備品の輸入依存は、金
 貨の流出を意味し、国内の疲弊、国家財政の破綻に至る。
・国力の低下により、外債の償還が不能となれば、それを口実にイギリスは日本への国内
 干渉を行ない、日本は属領と化すほかない・・・。
 だがこうした外資導入忌避の思考は、日清戦争の勝利で打ち消され、さらには金本位制
 への移行とで、政府内に弾みと驕りが生まれていた。
・かくして踏み切った久々の外債発行は、だが完全に失敗に終わっている。ロンドン市場
 のニーズや、極東の小国である日本に対する世界からの評価は、かけ離れた発行条件だ
 ったからだ。
 なによりまず、一千万ポンドという発行総額が大き過ぎた。ロンドンの金融市場の反応
 は冷ややかで、興味を示す者などほとんどいない。
 仕方なく、日本は発行額の相当な部分を日銀に応募させ、それでも足りない分は、清国
 からの賠償金でみずから買い戻すしかなかった。なんのことはない。タコが自分の脚を
 食すに近い行為である。 
・明治三十五年、第一次桂太郎内閣では、五千六百万円規模での米国の起債も試みられた
 が、これも失敗に終わっている。
 是清はこのことで、外債発行がいかに難しいかを、身をもって学ぶことになったのであ
 る。 
・母国を外から見る視点を養うことがいかに重要か、あらためて思い知らされた気がする。
 是清は息子たちの将来にも思いをいたす。
 亡き前妻、柳とのあいだの長男是賢は、もう二十五歳になる。早いうちに海外に出して
 やりたいと思っていたので、品とも相談し、ロンドンに留学させていた。
・明治三十四年の十二月、日銀内でまたも問題が起きる。行員たちの年末手当のことでち
 ょっとした騒ぎになったのである。  
 山本総裁は就任以来、何事につけても独断で強行してしまう傾向があり、この年末手当
 についても、突然廃止すると言い出した。
・たしかに是清は、日銀内の経費節減のため、なるべき宴会の接待は避け、質素倹約を旨
 とするように唱えている。 
 しかし、職員の待遇改善にも腐心し、七日間の公休を認め差せたりもした。
 ところだ、どういうわけかこの山本の案が事前に行員たちに漏れてしまい、騒然となっ
 たのだ。
・しかも、手当の廃止を言い出したのはなぜか山本総裁ではなく、副総裁の是清だとして、
 まことしやかに囁かれているらしい。重役会で行員たちの昇級や協議になると、各局の
 局長が出す提案に、高橋副総裁がことごとく異を唱えるというのである。
 事実無根の噂で、全行員の怨みの的のような存在にさせられてしまうなど耐えられない。
・日銀を辞めたい。そう思ったのは、なにも今回の手当のことだけが原因ではなかった。
 いっそ葉山にでも引きこもり、日がな一日海を眺めて、好きな本を片手に過ごせればど
 れほどいいか。 
・考えてみると、日銀での日々は、横浜正金時代とは同じ金融でも大きな違いがあった。
 正金に勤めていたころは、たとえてみれば、野に咲いた菊のような気持ち、とでも言え
 ばいいだろうか。世間の人に認められるような派手さこそないが、なんの気苦労もなく、
 きわめてさっぱりとした雰囲気のもとに、伸び伸びと仕事に集中することができた。
・それに較べると、日本銀行での勤め心地は、ちょうど香り高く咲き誇る美しい薔薇に似
 ているかもしれない。 
 仕事は派手で、世間からも注目されはするが、その見事な花の陰には棘があることを感
 じないではいられないのである。
・明治三十六年、経済は一向に回復せず、日本銀行では活性化のためここは利下げを断行
 しようと、重役会を開いて、協議を重ねた。
 やがて合意に達し、利下げを決定したあと、蔵相の許可を得るため、山本総裁が大蔵省
 に出向いた。
 普段はすぐに済むことなので、会議は解散せずそのまま総裁の帰りを待った。
・利下げの発表は、午後四時の株式取引所の引け後を狙って、また後年には当時の夕刊に
 間に合わない時刻を見計らって、記者たちを集め発表するのが通例となっている。
 ただ、いつまで待っても山本が帰ってこない。なにかあったのかと、心配している矢先
 に大蔵大臣官邸から電話があった。是清にすぐ出頭せよとの要請だ・
・是清の顔を見るや、曾禰荒助蔵相は、
 「山本君が利下げの許可を得に来たが、大蔵省としてはその時期にあらずと思うておる。
 それで、君に来てもらったわけだ」
 「時期でないとされる理由はなんですか」
 「今秋、もしも米が不作であったら、間違いなく輸入超過になる。日本銀行のほうで米
 が不作でも輸入超過にならぬと保証できるなら、金利を下げてもよい。それが無理なら、
 いま利下げするわけにはゆかぬということだ」
 「はて、神ならぬ身ですので、今年の天候や、米の出来不出来など、私には予測できま
 せん」 
 「なんだと」
 「いまはいかにも金利が高く、そのため産業は不振に陥り、製品価格は高止まりしてい
 ます。経済界に活をいれるため、ここは利下げが必要です」
・是清の遠慮のない進言は、まっすぐなだけに迫力がある。国を思う大局的な立場に立っ
 たものであり、なにより的を射た正論である。それゆえ、さすがの曾禰蔵相とて、日銀
 の申請通り利下げを認可するほかなかったのである。
・そんなことが続いた明治三十六年十月、山本総裁が突然更迭されることになった。
 「今朝、大臣官邸に呼ばれて行ったら、そう言われた。後任は理財局長の松尾君だそう
 だ」
 官邸から戻ってきた山本は、幽霊でも見てきたような顔をして言った。当の山本だけで
 なく、唖然としたのは、誰も同じだ。
・するとまもなく、是清にも曾禰から呼び出しが来た。
 「新総裁に不服のある行員は辞めてもらっていい。留まる者は助けてもらいたい」
 曾禰は一段と大きな声で宣言した。
・日銀に戻る道すがら、気持ちが落ち着いてくるとやはり釈然としない。大蔵省のこんな
 やり方はいかにも唐突で、横暴ではないか。
 家の手伝いや、下働きの者に暇を出すときでさえ、最低でも一ヵ月前ぐらいには予告を
 するものだ。  
・いやしくも中央銀行の総裁に対して平気でこんな扱いをされては、なにより日銀の権威
 が失墜する。ひいては海外への信用にも関わる。
・総理大臣桂太郎と会ったとき、彼が予想もしていなかった言葉を漏らした。
 「いま日露のあいだに重大なる問題が起きようとしている。万一の事態になったら、い
 まの日銀総裁では大蔵大臣の任務が充分に尽くせない。大臣本人がそう言うから、やむ
 を得んのだ」 
 そうだったのか。ついに、日露の事態はそこまで緊迫してきたのか。
・これで背景が読めてきた。原因はロシアか。ただ事情が事情だけに仕方がないとしても、
 日銀総裁の今回の処遇は、また別の問題だ。是清は、副総裁の立場としても、日銀の存
 在が軽視されることだけは放置できないのである。
・「しからばです。すでに決定したことは致し方ありませんので、この際、総裁には過失
 なしとして、在職中の功績をお認めいただき、叙勲など、なにか配慮をお願いできない
 ものかと」  
 「叙勲は無理だが、貴族院議員ならどうだ」
 山縣が折れてくれた。これなら納得がいく。
・かくして、山本は円満に総裁の職を退き、大蔵省から来た松尾臣善が新総裁に着任した。
 独断専行型の前総裁と違って、松尾は是清に絶大な信頼を寄せてくれる。
・明治三十七年が明けた。
 新しい年の最初の取引が行われる。東京株式取引所の大発会がどんな反応を示すのか。
 是清はひそかに思いを詰めて見守っていた。
 大発会といえば、取引所のなかでも新年を祝う礼装、紋付き姿の男たちであふれ、華や
 いだ雰囲気に満たされる。 
 年始めのご祝儀相場として礼儀的に取引はするが、あとは一年の商い繁盛を祈って三本
 締めで終わるのが例年の慣らいとなっていた。
 ところが、この年ばかりは様子が違っていたのである。
 ぎくしゃくしてきた日露関係を嫌気して、年末ごろから下げ気配は続いていた。
・なにかの合図ででもあったかのように、買いが一斉に引っ込んだのである。
 かと思う暇もなく、今度は堰を切ったかのように大量の売りが押し寄せる。
 たとえば優良銘柄の日本郵船も、年末の終わり値では七十八円ぐらいの水準を保ってい
 たのだが、一気に売り浴びせられ、あっという間に七十円を割り込んで、
 するすると六十八円にまで値を下げてしまった。 
・暴落の背景にあったのは、もちろん日露が戦争に突入するのではという予測である。
 この時点ではまだ開戦には至っていないのだが、巷にはさまざまな風説が流れていた。
・相場というのは、世の中の変化をもっとも敏感に察知し、先を争って動くものだ。
 やがて、のちの先物取引にあたる「定期取引」の立ち会いが始まると、売りが売りを呼
 ぶという様相になった。市場はまさに売り一色。
・海戦ともなれば、ロシア帝国の前には日本などひとたまりもない。日本に対する海外の
 目は冷ややかだった。軍備すら自国で賄えず、輸入に依存するしかない日本だが、その
 ために必要な正貨もまともに持ち合わせていないのだから。
・日本側は交渉の対象を「満州と韓国」と設定していたのに対し、ロシアはあくまで対象
 は韓国だけに限るとして譲らない。しかも、満州およびその沿岸は、すべて日本の利益
 の範囲外と決めつけてきたのである。
・日本側は、日露相互の権益を認め合い、妥協案を探ろうとするのに対して、届いたロシ
 ア側の返答は、どこまでも自国優先のもの。
・とはいえ、満州と韓国というのは、両国にとっていずれも他国である。その地を巡って
 の日本とロシアの覇権交渉には違いない。だが、日本としては、到底これを受け入れる
 わけにはゆかぬのだ。  
 なぜなら、ロシアは満州を保護領下に治め、すぐに韓国まで降りてくるからだ。そうな
 ると、日本列島は目と鼻の先。いずれはこちらの喉元に、刃を突きつけてくる。
 一歩、また一歩と敵が迫ってくる。日本側には言い知れぬ恐怖があった。
・日露は戦争に突入した。
 もとより、海外からの資金調達抜きには、できるはずもない戦争だ。
 無い袖を先に振ってしまったのである。政府もそのことは、充分すぎるほどわかってい
 た。 
・このうえは、早急にしかるべき人間を財務官としてロンドンに送り、時機を窺い外債募
 集にあたらせることだ。問題なのは、誰を送るかである。
・元老院の松方正義は、まず真っ先に是清の名前を挙げた。
 だが、是清は頑として首を振る。
 「私では無理です。とてもそのような大役が務まる器ではありません」
・事態はもっと切迫している。実情を真に理解していれば、どれだけ困難な仕事かはわか
 ろうというもの。むしろ、正金前頭取の園田幸吉こそが最適だと、是清は訴えた。
・ならば園田はどうかというと、海外渡航は健康上無理だとして、本人が断わってきた。
 人選は暗礁に乗り上げた。
・年初の大発会以来、もしも戦争に突入したら日露の国力の違いは明らかだ。敗戦は目に
 見えているとして、弱気一色の株式市場だったのに、いざ開戦となった途端、今度は一
 気に強気に転じたのだ。
 巷は祝勝ムードに沸いて、松明行列なども行われた。
・だが、母国の善戦に酔うそんな日本人たちを嘲笑うかのように、ロンドンでの日本公債
 の暴落振りは、目を覆いたくなるほどの酷さだった。 
・開戦を機に、ほぼ同時に暴落を呈した日露両国の既発公債は、やがてロシア公債が少し
 ずつ回復を見せたのに対して、日本公債は底なしのようにずるずるとさらに値を下げて
 いる。
・欧州の投資家は冷静である。日本の国力の実態を知る者なら、奇襲攻撃の成果ぐらいで
 単純に喜んでいられるわけがない。
 是清は、新発外債発行の行く手にかかる暗雲を、はっきりと認識していたのである。
・是清はまたも呼び出しを受ける。今度は井上馨からだった。
 「光栄とは存じますが、そのお話につきましては、先日はっきりとご辞退申し上げたか
 と」 
 是清としては精一杯の抵抗だった。
・「君よりほかにおらんのだよ。無論、国内での態勢は盤石にしておく。この際、園田を
 日銀の顧問にして、現地の君との電信の往復も、特別にやりやすいようにしておくから」
 井上の声は、哀願の色が滲んていた。
・「ひとつ、お願いがあります」
 「仮に、もしも私がこの大任を拝命いたしますなら、政府には堅く約束してもらわねば
 ならぬことがあります」
・ああ、ここまできたら、もう逃げることなどできはしない。自分はまたしても、とてつ
 もないものを背負わされようとしているのか。
・ロンドンでは、こうしているいまも日本公債が売られ続けている。もとより無謀とわか
 っていながら、すでに始めてしまった戦争である。
・だが、ここで誰かが正貨を調達しなければ、九には間違いなく破綻してしまう。家族の
 ためにも、いや、すべての国民のために、それだけはなんとしても避けなければならな
 い。  
 誰かがやらねばならぬ仕事だ。
・「まず、林公使の全面的な支援を得られることです。それから政府は、委任した人間つ
 まり私を全権者として絶対に信頼を寄せること。外債を募集しようと試みた途端、国内
 外に拘わらず必ず仲介者たちが現われて、手数料を得ようと接触してきます。その場合、
 いかなる相手のいかなる申し出に対しても、政府はいささかの関心も示さず、もちろん
 一切取り合わず、すべてに必ず私の承認を得ていただきたい。政府にその覚悟がない限
 り、私は到底この大任を果たせませんので」
・「君の言うのは、まことにもっともなことだ。政府はそれを堅く約束する」
 強く手を握ってくる井上の目が濡れている。上座に目をやると、他の重臣たちも肩を叩
 き合い、目頭を拭っていた。
 日本はそこまで綱渡りの状況に直面していたのだ。
・国の資金は最初から不足しており、開戦時にまず実施されたのは大増税だった。
 四月になると、地祖と主として各税一律の増税のほか、葉煙草専売税も対象が拡大され
 六千百万円強の税収増を図っている。
 国内債ももちろん最大限発行されたが、軍備品の輸入にあてる正貨確保はどうしても必
 要で、やはり外債発行の成否が国の運命を決める。
 あらためて現状を知るにつれ、是清の全身に震えが走った。
・明治三十七年二月、秘書役として日銀職員の深井英五ただ一人を伴い、是清は中英財務
 官として、外債募集の命を受け、アメリカに旅立った。
 あと半年もすれば五十歳になる是清と、英語は読み書きともにずば抜けてできるものの、
 まだ三十一歳の小柄な深井、彼を推したのは松方だったが、是清は、英語さえ堪能なら
 誰でもいいとして、なんの拘りもなく受け入れた。
・サンフランシスコに着いた是清は、ひとまず現状を把握しようと、すぐに三、四人の銀
 行家と面会の約束を取り、それとなく話をして、探りをいれてみる。
 日露開戦についての彼らの関心は予想以上に高く、共通して得られた感触は日本への共
 感であり、称賛だった。一方で、無謀な戦争であることは彼らにもすっかり見透かされ
 ていて、「怖いもの知らずの子供が、巨人に飛びかかっていくようなもの」と表現され
 たときは、是清もさすがに苦笑せずにはいられなかった。

・海外に出ると、日本にいるときとはどこか違う不思議な昂揚感を覚えるものだ。国内に
 いては到底縁のないような人との出会いも、つかのま心をなごませてくれる。
 是清にとっては、船上で親しく言葉を交わすようになったある女性との出会いも、そん
 なひとつだった。 
・彼女の名はリリー・ラングトゥリー。その美貌ゆえに、生地である英領ジャージー島に
 ちなんで「ジャージーの百合」と呼ばれ、絶大な人気を誇る、是清と同年代の女優であ
 る。  
 なにより、女優になる前、当時のエドワード皇太子、のちにイギリス国王になるエドワ
 ード七世の恋人だったことでも知られている。
・船がリバプールに着いた。港には、山川勇木と是賢が迎えに来てくれていた。五年ぶり
 に会う長男は、すでに二十七歳。
・ロンドンでの外債募集については、ほとんど望みはない。それは、既発の日本公債の値
 下がりを見ていれば誰もが感じることだろう。
 とはいえ、開戦後まだ間もないというのに、すでに正貨は確実に底をつき始めている。
 なにがなんでもここで調達しておかねば、金本位制の維持すら危うくなる。
・日露の衝突はますます激しさを増していた。
 旅順港では、ロシアに学び、ロシアという国を第二の故郷と慕い、ロシア人大佐の娘に
 思いを寄せた広瀬武夫少佐が、閉塞船「福井丸」を指揮して、海に散ったのがこのとき
 だ。  
・是清は、ロンドンに着いてすぐ、一月からこちらに来ているという末松謙澄と会った。
 久しぶりに再会だ。末松はあのあとケンブリッジ大学を卒業し、伊藤博文の次女と結婚
 した。
・金は咽から手が出るほど欲しい。
 だが、それは億単位のまとまった金であり、長期間借りていられるものだ。すでに始め
 てしまい、いつ終わるとも知れない日露戦争の戦費が安定して賄えるものでなければ意
 味がない。
・一方、ロンドン市場では、日露開戦以降ずっと下がり続けていた既発の英貨建て日本公
 債が、にわかに反発を見せていた。
 どうやら前日、旅順沖において、ロシア海軍の旗艦ペトロパブロフスクが、東郷平八郎
 率いる日本艦隊の機雷に触れて沈没。ロシアの名将マカロフ提督と参謀長をはじめとす
 る、五百人の兵士たちが戦死したことが影響しているようだ。
・条件の詰めはともかくとして、ひとまずは協力を得られる銀行団ができつつある。
 だが、本当にこれでいいのだろうか。
 自分はこのまま銀行団だけに頼っていいのだろうか。是清は揺れていた。
・銀行というのは、あくまで一般の顧客から預金という形で金を預かり、それを運用する
 のが仕事である。だから、基本的には短期の運用に向いている資金で、公債のように長
 期の運用資金を潤沢に持っているわけではない。
・そう考えると、やはり大物投資家と独自に交渉して、可能性を探ってみるべきではない
 だろうか。彼らの膨大な資金力を以てすれば、単独で全額を引き受けることも充分可能
 なのだ。   
 となると、日本公債に対する市場での一般人気がどうであれ、そんなこより日本という
 国の将来に、なんらかの手応えと魅力を見出してもらえるように説得すればいい。
 だが、どこに資金源を求めるかは、日本の将来にも関わるはずだ。
・考えれば考えるほど、深みにはまっていく感覚があった。
 そのうち、自分ではどうにも判断がつかなくなって、途方にくれた是清は、第三者の意
 見を聞きたくて、ふとある人の名前を思い出す。
 日本を発つ前、駐日英国マクドナルド公使から紹介されたジョージ・スーザーランド・
 マッケンジー卿のことだった。公使夫人の姉婿にあたり、イギリスの大手汽船会社の社
 長でもあり、信用のできる人格者だと聞いていた。
・もしも今回の外債発行に失敗したら、そのことがロンドン市場を経て、世界に知れ渡っ
 てしまう。そうなれば、日本が軍費不足と理解され、既発債がさらに暴落するばかりで
 なく、戦況や戦線の兵士たちの士気にも影響する。
・穏やかな面差しで、じっと聞いていたマッケンジー卿は、やがて静かに言った。
 発行条件から言うなら、資本家に頼るよりも銀行のほうがよい。資本家は私人なのでと
 かく強欲になり、厳しい条件を提示してくるものだ。それに一度彼らの手を借りれば、
 日本政府はその次も彼らに頼らなければならなくなる。
・そうだ。たしかにその通りだ。話を聞いていくうちに、頭のなかが整理されていくのを
 実感した。もう迷わない。積極的に話を進めよう。
・問題が持ち上がったのは、そんな矢先のことだった。
 「支障になるのは、日英同盟だと言うんです」
 銀行団のからあがってきた声を、正金の連中が是清に訴えてくる。
 「局外中立に反せぬかと心配しているようなんです」
・明治三十五年に調印され、即時に発効した日英間の軍事同盟では、清韓両国における権
 益を相互に認める。そして締結国、つまり日本が他国と交戦に至った場合、イギリスは
 中立を守ると宣明していた。
 そんななかで、日露間の戦費調達に加担することは、局外中立を標榜する国際法に違反
 するおそれがあるのではと言うのである。
・「おそらく背景にある本音は、実は人種問題なのではかいかと・・・」
 「このたびの日露戦争は、いわば黄色人種と白人との戦争です。それなのに、イギリス
 だけが日本に味方するのでは、白人社会に対して多少心苦しさがあると言うんです」
・だが、ロシアにはフランスという強力な後ろ盾があり、戦費には困っていない。兵力を
 較べてもその差は明らかだ。つまり、あれこれ理屈をこねていても、結局は日本に勝ち
 目がないことで、日本の公債発行を躊躇っているだけだ。
・その後、銀行団でも、独自に法律や過去の実例などを詳しく検討した。専門家の意見と
 しては、イギリスが日本の戦費調達に関わっても支障はないということで意見が一致し、
 彼らも安心して前に進むことになったのである。
・是清は、ここで一気に強気を演出した。
 かといって、銀行団に公債の引き受けを強いるのではなく、彼ら日本を理解してもらえ
 るように努めるという手に出たのだ。
・燃ゆるがごとき情熱で、是清は訴える。   
 日本人がいかに忍耐強く、律儀な国民であるかについて、武士道や、家族を大切にする
 人間と人間の強い繋がりについて。
 そして今回の戦争が、自衛上やむず起きた国家生存のためのものであることも。
 そんな日本が、みすみす戦争に負けるわけがない。だから日本の公債を買えば、きっと
 利益をあげられる。銀行団に向けては、終始そうした雰囲気で押しまくったのである。
・日露の開戦により、ロンドン市場に上場していた両国の既発公債は揃って下落した。
 開戦前に80ポンドだった日本公債は、いまや60ポンドに暴落している。その後、ロ
 シアのほうは徐々に回復しているのに較べ、日本はいまも低迷を続けていた。両者の利
 回りの格差は、開戦前に1パーセント程度だったが、二カ月を経た三月末には2.2パ
 ーセントを超えて拡大している。
 日本が旅順沖の海戦でいくら相手を撃沈しようとも、少なくともロンドン市場では、誰
 も日本が勝つとは考えていなかったことがわかる。
・日本の正貨準備が八千八十二まんえんと、すでに危険水域にまで落ち込んでいる。
 国内兌換紙幣の発行残高が三億六千万円だから、金本位制度を持続するにも、
 わずか22.4パーセントしか正貨の備えがないことになる。
・政府は、初回の発行額をなんとか五百万ポンド以上に引き上げるようにと強く言ってき
 た。悲痛な叫びにも似た訴えだ。もはや待ったなし。正貨不足はそこまで逼迫している
 のだ。大蔵省は、大蔵省証券ではなく、やはり債券の発行を銀行団と交渉してほしいと
 も伝えてきた。 
・正貨の保有にそこまで窮しているからといって、金輸出を禁じることはできなかった。
 そんなことをして金本位制を離脱してしまうと、その瞬間に日本は信用を失うことにな
 る。
 そうなると外貨建ての公債発行だけでなく、資金調達の道が完全に途絶えてしまう。
 軍費の調達ができなければ、戦争そのものの行く末は容易に想像できる。
・是清がなにより注意を払ったのは、事前の情報漏洩だ。とくにフランスの金融筋が日本
 の公債発行に反対しているとの噂があるだけに、邪魔が入ってはすべての苦労が水泡に
 帰す。 
 話が決まったら、募集は急ぎたい。だが周囲の日本人からいくら進展状況を訊かれても、
 林公使以外は、一切の情報を伏せた。
・五月二日、思いがけないニュースが飛び込んできた。
 ああ、このことだったのか。日本を発つ前、曾禰蔵相が口にしていた四月初めの衝突と
 は、この内陸戦を示唆していたのだ。そしていま、一ヵ月に及ぶ前線の苦闘が実を結ぶ。
 あのとき曾禰は時機には充分注意せよと言っていた。
 いまこそが、その時機なのだ。
・最初の陸上戦の勝利。
 陸軍大将、黒木為驍ェ率いる第一軍が、清国と朝鮮との国境を流れる鴨緑江を渡り、九
 連城と安東付近を占領した。海戦はともかく、陸戦では体格的にも不利と思われていた
 日本軍が、強敵ロシア軍を追いやり、勝利したのである。ニュースはロンドンを駆け巡
 り、世界に波及するだろう。
 機は熟した。是清はごくりと唾を呑む。
・是清は、欧洲の大資本家たちの動向を視野に入れていた。決して表には出てこなくても、
 水面下で虎視眈々とタイミングを見計らっているはずだ。まず彼らに儲けさせること。
 そして、ひとたび彼らが動けば、またたく間にその噂は拡がっていくだろう。今回の公
 債発行が成功するか否かは、その動向に関わっている。投機家は常に利益を追求する。
 どこまでも儲けに貪欲で、敗者に賭ける者はいない。それが市場というものだ。
・ようやくのことで、公債発行の仮契約にまでこぎつけたのである。
 そんな是清の心情を慮ってか、銀行団との仮契約を祝う晩餐会を開こうと申し出てくれ
 る友人が現われた。是清の正金時代の旧友であり、かつて日本を訪れたことのあるアー
 サー・ヒル。自宅におもな関係者たちを招いてくれるという。
・錚々たる顔ぶれである。だが、その晩餐会の席で、あんな出会いをしようとは、もちろ
 んこの時点での是清には、まだ想像すらもできなかった。
 見事にセッチングされたテーブルで、決められた席に着く。その隣に座っていたのが、
 彼だった。
 だが、初めて挨拶を躱したときから、是清は彼に不思議な親しみを覚えた。
 是清は日本について話をした。日本経済や産業界の現状、日本人の勤勉さについて、い
 つもの調子で熱弁をふるったのである。
・衝撃が走ったのは、翌朝のことだ。
 どんなときにも紳士然として、滅多なことでは顔色など変えることのないシャンドが頬
 を真っ赤にしてやってきた。  
 「今朝一番でミスター・シフから使いが来まして、今回の日本公債の残り五百ポンドを
 引き受けたいとおっしゃるのです」
 「昨夜あなたの隣に座っておられた、クーン・ローブ商会のミスター・シフですよ」
・彼はシャンドが勤めるバーズ銀行の取引先で、いまのアメリカでは、モルガンと肩を並
 べるまでに台頭してきた日の出の勢いを持つ財閥だとのこと。そんなことも知らず、是
 清はすっかり打ち解け、昨夜は話に興じていた。
・公債募集にアメリカの参入を受け入れるかどうかの決定権は、あくまで発行主である日
 本にあり、是清が持っている。
 「もし銀行団がシフ氏の参加を歓迎するなら、異存はありません。その方向で話を進め
 てください」  
・この話が本当なら願ってもない申し出だ。これで残っいた五百万ポンドも発行できるな
 ら、希望だった額面一億円の調達が実現する。
 すぐに、シフという人物とクーン・ローブ商会について、詳しく調査を始めた。
・明治三十七年(1904)五月、是清はクーン・ローブ商会の参加について、日本から
 の承諾の返事を待っていた。 
 林公使から小村外相に宛てて出しておいた問い合わせに対する政府の回答であり、是清
 に対する訓令だった。それがないと、是清は財務官としてアメリカとの正式な交渉には
 入れない。
・政府は、さほど重要とも思えぬ些細なことばかりに拘泥し、優先すべき大局の決定がで
 きないでいた。このままではせっかくの好機を逃しかねない。是清は焦れていた。
 ひたすら待つしかない時間ほど、長く感じられるものはない。
・アメリカの参入は歓迎すべきだ。政府からの了承を得られ、もしも英米両国と同時に募
 集活動ができるなら、日本にとってはかり知れない利益となる。単に財政上のことにと
 どまらず、政治上においても多大な意味を持つはずだ。
・夜を徹しての懸命の電信連絡の甲斐あって、ついに政府からの回答を受け取った。
 このとき、日本に残してきた妻、品の実家の父、原田金右衛門の訃報も知らされる。
 そばにいてやれない品が不愍だが、気丈な女だ。うまく切り抜けるに違いない。
 東京の家族に思いをいたす暇もなく、是清はすぐに詰めの交渉に入った。
・記者の質問に対しても、内心はともかく、是清は強気の姿勢を崩さなかった。ロンド
 に来る前、ニューヨークでの取材にも同じように答えたが、市場は敏感だ。ましてやい
 まは注目度が増している。取材への対応にも細心の注意が必要だった。
・もちろん、日本の戦費がこれで足りるはずはない。気を緩めてはいられないのだ。
 是清の脳裏にいまも蘇ってくるのは、日本を発つとき見送りにきた松方正義がつぶやい
 た言葉だった。   
 「今回の戦争には、この先いったい何億かかるか、はかり知れん・・・」
 あれが松方の本音だろう。そして、日本が直面している疑いのない現実なのだ。
・ロンドンの「サンデー・タイムズ」が、金融街の噂話として「日本は財政面でもロシア
 を破った」とまで書き立てた。 
 アメリカが引き受けに加わったこと、しかもそれがクーン・ローブ商会という利益に敏
 感な大手投資家であることがわかった途端、市場の空気が露骨なまでに一変した。
 一気に注目が集まり、誰も先を争うようにして、日本公債を欲しがりだしたというので
 ある。
・かくして、いよいよ待望の瞬間。ロンドンとニューヨークで、それぞれ新発日本公債の
 募集が開始されることになった。まさに天祐なり・・・。
・公債募集の活況ぶりが世界に伝わると、ゲンキンなもので、途端に日本国内の正貨流出
 までが止まったというから不思議だ。 
 一時期は、金本位制の維持が危ぶまれ、正貨調達を急ぐ悲鳴にも似た要請が、日本から
 届いていた。

人として
・公債募集を無事終えたから、すぐにでも帰国しようと思っていたのだが、ロンドンでの
 払い込みが済むのを見届け、すべての後始末をするまで帰るわけにはいかなかった。
 政府からも滞在を延期するようにとの要請があったので、どうせならその間に一度ニュ
 ーヨークに行って、アメリカ側で払い込まれた資金の処理もしておこうと考えていた。
 おそらく政府としては、是清をしばらくロンドンに滞在させて、次の公債募集に備えさ
 せようとの思惑もあったのだろう。
・それゆえ、この滞在期間に是清が心を砕いたのは、ひとえに国際社会における強固な人
 脈作りと、欧州やアメリカの金融界における周辺情報や現場の実務の習得だった。
 国債金融市場を動かしている真のキーマンはどういう人間なのか。日本が本当に望むこ
 とを達成させるためには、誰の心をつかみ、どんな人間をどう動かせばいいのか見極め
 たい。 
・日本人が欧米社会に理解され、列強の男たちに自然に受け入れられなければ、有利な資
 金調達などうまくいくはずがない。
 地球的な視野で百戦錬磨を重ねる投資家たちと対峙してみて、そのことを身をもって知
 らされた。 
 だからこそ自分の築き上げた人々との繋がりを、さらに拡げ、強固なものにして、日本
 の若手官僚たちに受け継いでいくことだ。
・日銀の松尾総裁は、今後の戦局のシナリオを見直し、戦費を新たに見積もって、十億円
 近くまで膨らむと、以前の予測を修正していた。
・その三分の一が外貨で必要という当初の論でいくなら、三億三千万円の調達が要ること
 になる。苦労の末に、ようやく第一回の起債に成功し、額面一億円は発行できたものの、
 実際の手取り額となると八千七百万円でしかない。
・政府が焦るのも無理はなかった。外貨調達の道は、まだまだ先が長いのだ。
 いまの状況なら、二億円の調達は不可能ではない。だが、いくら急ぎたくとも秋までの
 起債は避けたほうがいい。少なくとも第一回の支払いが終わるまでは待つべきというの
 がほとんどの意見だった。   
・世論でいえば、第一回の起債の大成功についても、英米での好評とは裏腹に、日本では
 是清に対してかなり批判的であることも聞いた。
 応募倍率があそこまであがったのは、日本がそれだけ厳しい条件を呑んだからだという
 のが主な論調で、鴨緑江での勝利という決め手があったのだから、もう少し発行時期を
 遅らせれば、もっと好条件で発行できたはずだというのである。

・赤坂表町の家から手紙が届いたのは、そんなある日のことだった。差出人はNawoと
 ある。きっとあの鈴木直が家事を終えたあとにでも、幾晩もかけて懸命に書いたのであ
 ろう。 
 直が手紙を送ってくるなど、もしやなにかあったのではないか。逸る気持ちを抑えて是
 清は急いで封を切った。
 薄い紙に、余白がないほどびっしりと、几帳面な英文字が並んでいる。内容は、なんの
 ことはない。是清が出発したあとの赤坂表町の様子や、家のなかのこと。季節の移ろい
 や、品や子供たちの細々した毎日が、たどたどしい英語で綴られているだけだ。
 きっと英語の上達ぶりを報告しているつもりなのだろう。読み進みながら、是清はいつ
 しか笑みを浮かべていた。
・直の手紙からは、東京に残してきた家族の日常が、鮮やかに浮かび上がってくる。
 是清はペンを取り、返事を書こうと新しい便箋を取り出したが、すぐに思い直した。
 そして、直の手紙をもう一度開き、ところどころにある英単語の綴りのミスや、言い回
 しの間違いを丁寧に添削してやる。
 そして、便箋の裏に「ありがとう。是清」と一行だけ、やはり英語で書いてから日本に
 送り返してやった。 

・公債発行が公表されると、またも募集前からプレミアムが付いた。価格を低めに設定し
 た読みが当たったのである。
 募集は今度も成功だった。ロンドンでは13倍強の倍率、ニューヨークでは1.5倍の
 応募数を記録した。なかには、既発債を価格の安いニューヨーク市場で買い、ロンドン
 市場で売るという裁定取引をする者もいたという。
・だが、今回の好評が、またも国内での批判を買うことになった。日本軍が連戦連勝で、
 常に優勢に展開しているのに、なぜ前回と同じ条件でしか発行できないのか。是清が同
 じ銀行団ばかりと交渉しているからだというのである。
・だが、この時点での正貨準備率はわずか21パーセント。二回目の募集で得られる金額
 を加えても28パーセントに満たず、日本の金本位制がどれほど際どい自転車操業で維
 持されていたか、彼らは知る由もない。
・戦費調達はまだ続く。いま下手な小細工をして、銀行団や投資家たちの信頼を失っては
 元も子もない。是清はそう判断したのである。
 それなのに現場の状況も知らず、無責任に責め立てる報道は腹立たしかった。

・短いニューヨーク滞在を精一杯人脈作りに活用したあと、明治三十八年一月、是清と深
 井英五は、およそ一年ぶりで横浜に帰り着いた。
・新聞などによるバッシングは、欧洲での現実を知らぬゆえの理不尽なものだったが、政
 府や元老たちは是清の業務を高く評価してくれていた。
 今回の外債募集の功績により、是清は貴族院勅選議員、翌月には従四位となる。さらに
 閣議決定を経て、「帝国日本政府特派財務委員」に就任した。
 是清がなにより安堵できたのは、これで身分が明確になり、海外での仕事がやりやすく
 なることだった。 

・ペテルブルグの冬宮前広場には、ロシア正教会のガポン司祭に先導された六万人もの労
 働者による行列ができていた。
 決して打倒皇帝を叫ぶデモ隊ではない。非道な工場主や役人たちに反省を促し、労働条
 件の改善を望む、あくまで平和的な請願隊だった。
 だが、皇帝に請願するこの労働者の列に、軍隊の銃弾が浴びせられる。
 のちに「血の日曜日」と呼ばれる悲劇の日である。

・東京に一ヵ月あまり居ただけで、またも外債募集のために、横浜からアメリカに向かう
 こととなった。明治三十八年二月のことである。
 政府は二億か二億語千万円と見積もっていたが、是清は三億の公債発行を目論んでいた。
 英米の投資家たちは、ロシアがなんらかのダメージを受けるのを内心望んでいる。
 だからこそ戦争を仕掛けた日本に資金提供をしたのだが、日本が倒れてしまうことは避
 けたいはずだ。 
・それは出発前のある料亭でのこと。
 「あ、せんせ。高橋先生ではございませんか」
 「覚えておいでではありませんか。菊太郎でございますよ」
 「ああ、おまえは東家の・・・」
 あれからもう三十五年になるだろうか。夫婦気取りで桝吉こと、お君と迎えた朝、いき
 なりお祖母さまに怒鳴り込まれたあのとき、朝食を運んできていた妹奴である。
・「お君は、元気にしているのか」
 訊いた途端、胸のあたりが締め付けられるような思いがした。
 「先月です。私には最期まで先生の話を・・・」
・別離のあと、亭主を持ち、日本橋で待合茶屋を始めて繁盛している話は、風の便りに聞
 いていた。だが、亡くなったとは知らなかった。
・可哀相なことをしたとずっと思ってはきたけれど、お君のほうはとうに許してくれてい
 たのである。 

・明治三十八年五月、二日間におよんだ日本海海戦は、日本海軍の見事な完全勝利となっ
 た。ロシアの精鋭を集めたバルチック艦隊はその三分の二余が撃沈、あるいは拿捕され
 た。
・是清ら三人は、このニュースをボストンで聞く。払い込み金の処理のためロンドンから
 ニューヨークに来ていたのだ。
 夏季は市場関係者が長期休暇をとるので、残っていたも無駄だから帰国したいと政府に
 打診したが、なかなか許可がおりない。
 やるべきことはやり尽くしたのだ。もはや長居は無用だと伝えても、まだ残れという。
・日本海海戦の戦捷を機に、今度は整理公債としてあらたに三億円、できればそれ以上を
 英米で募集できないかという問い合わせである。
 だが、あれからわずか二カ月、ロンドンではいまだ支払いすら完了していない。それな
 のにもう次の募集を、しかも三億円かそれ以上の額を行なうなど、どんな顔をして言え
 ようか。いったい政府はなにを考えているのか。

・是清らがロンドンに向けて大西洋を渡っているまさにそのころ、黒海ではロシアの新鋭
 戦艦ポチョムキンの船内で反乱が起こっていた。
 日本海開戦で敗北してから一ヵ月、皇帝に向けた不信感は軍の内部にまで拡がっていた。
 これ以上戦争を続けると、国内に革命が起きる。皇帝はそれを避けるため、講和に向か
 うしかなくなった。  
・ルーズベルト大統領の引き合わせにより、アメリカポーツマスの地において、日露の講
 和会議が開催された。日本からは外務大臣小村寿太郎が、ロシアからは元大蔵大臣セル
 ゲイ・ウィッチが送り込まれた。小村といえば、是清とは大学南校時代からの仲だ。
・この時代、西欧列強と極東の弱小国との戦争において、戦勝国となった側は戦費を賄う
 ために巨額の賠償金を手にするのが常だった。
 だが、その「当たり前」を、日本は獲得することができなかった。
・日露講和条約はついに調印に至ったが、旅順や大連など遼東半島の一部の租借権と南樺
 太を日本に譲渡するとは記されているものの、賠償金に関する条項が盛り込まれること
 はなかったのである。  
・日本政府の最優先事項は、とにもかくにも戦争の終結だったからだ。軍事力においても、
 財政の面にからも、もはや限界。これ以上戦争を継続するのは不可能なのだ。
 それはロシアも同様だった。財政的な逼迫はもちろんだったが、「血の日曜日」以降、
 内紛状態は拡がる一方だ。それでも、ニクライ二世には敗戦の認識がない。奉天で大敗
 し、バルチック艦隊を失いはしたが、それはあくまで局地的なもの。首都ペテルブルグ
 を日本軍に征服されたわけではない。
・日本政府が講和条件を呑んだのには、やむを得ない背景があったからだが、国民はこれ
 まで実情が知らされてこなかった。だから、増税など多大な経済的負担に耐えに耐え、
 ようやく戦争に勝利したというのに、賠償金を獲れないとは何故かと、国民の不満が爆
 発する。 
・講和の前には、国内で無責任な予測が飛び交っていた。学者たちが賠償金を二十億円だ
 の、最低でも十億円だのと取り沙汰し、国民の期待を煽っていたのだから無理もなかっ
 た。
・条約調印の日、東京の日比谷公園では講和に反対する決起集会が開かれた。集まった群
 衆は暴徒と化し、首相、外相、内務大臣官邸を次々と襲ったうえ、勢いにまかせて新聞
 社や交番、教会などにも火を放つ。
・欧州では、当初の講和条約の調印を高く評価し、賠償金に固執せず戦争を終結させたこ
 とに誰もが賛辞を送っていたが、日本国内での暴動が報じられると、途端にロンドン市
 場が反応した。日本公債が大暴落を始めたのである。
  

・是清が担った外債募集は合計六回。戦費のための資金調達が八億円。戦後、より低利で
 償還の長いものへの借換債四億七千万円を含めて、発行総額は十二億七千万円に達した。
 開戦直前の一般会計の歳入が約二億六千万円とすると、約五倍にもなる金額だ。
 日露戦争の戦費支出総額は約十八億七千万円とされているので、そのうちの四十三パー
 セントを、是清が欧米で調達したことになる。海戦から三年三ヵ月、彼は太平洋を六回、
 大西洋を八回も渡った。
・戦争に勝利しても、ロシアからの賠償金は獲得できなかったので、これらの借金は最終
 的には国民の負担となり、国の財政の圧迫要因となった。それでも、少なくとも金本位
 制の維持のために、何度も究極の綱渡りを成功させ、危機を乗り切ったことは事実であ
 る。 
・次々と迫りくる苦難に打ち勝ち、六回にも及ぶ外債募集を成功させたとして、その功績
 を高く評価され、明治四十年九月、是清は爵位を与えられ、男爵となる。
・戦費の工面に明け暮れた日々からは解放されたものの、結果的に日本は巨額の対外債務
 を背負ってしまった。日露戦争の前には政府支出の15パーセントだった日本の元利返
 済額は、明治四十一年には25パーセントに達している。
・国内では戦後恐慌の嵐が吹き荒れ、企業の倒産や銀行の支払い停止、取り付け騒ぎなど
 が続出する。是清は日銀副総裁として、今度はこうした難局に立ち向かわなければなら
 なかった。
・明治四十二年九月には、品の長兄である原田宗助が病死した。最初の妻、柳を亡くした
 ころ、海外赴任中の是清に代わってお祖母さまや子供たちの世話をしてくれたあの義姉
 の幸子までが、翌十月にはあっけなく逝ってしまった。
・さらには、日露戦争終結の後処理で、韓国統監府初代統監として満州に赴いていたこと
 がある伊藤博文が、ハルビン駅のホームでロシア兵の閲兵中に、独立運動家、安重根に
 よって射殺されるという事件が起きた。

・もとより痩せ型の品がさらに細くなり、なんとなく顔色も冴えない。しきりと空咳をす
 るようになったのも、いつごろからだったろうか。
 気心知れた家事手伝いとして、近ごろはずいぶん頼りにしていた鈴木直だったが、先方
 からぜひにと強く求められるまま、高橋家でそれなりに支度を調えてやり、嫁がせた。 
・もちろん、直に良かれと考えてのことであり、別の手伝いを雇いもしたのだが、直がい
 ない分だけ品の負担が増えているのかもしれない。
・そんなことが気になっていたある夜のこと、誰かが雨戸を叩く音がした気がして、是清
 は二階の書斎から玄関に降りて行った。 
 こんな夜更けに客が訪れるとなると、またなにか悪い報せなのではあるまいか。そんな
 思いをふっ切るるように、是清は、戸を力任せに引き開けた。
 暗闇を背に、女が俯いて立っていた。
 「直、直なのか」
・この雨のなか、傘もささずに来たのだろう。着物はぐっしょりと濡れて、肩先の色が変
 わり、うなじに張り付いた髪からは、滴が垂れている。足下に目をやると、下駄も履か
 ず足袋はだしで飛び出してきたらしく、着物の裾も泥まみれだ。
・「どうしたんだ。いったいなにがあった。さあ、早くなかへおはいり」
 直は身体ごとぶつかるようにしてしがみついてきた。
 「先生、私・・・。私・・・」
 直はそう繰り返すばかりで、是清の胸のなかで激しく泣きじゃくっている。
 いつもはほとんど感情を表に出さない直である。少女のころから芯の強い子で、利発な
 だけになんでも飲み込んで耐えるところがあった。その直が、ここまで取り乱して逃げ
 てきたのだ。よほどのことがあったのは間違いない。 
・「どうした。早く上がって着替えなさい。誰か読んであげよう。そのままでは風邪をひ
 くぞ」
 是清がそこまで言うと、直は初めて顔をあげ、また思い出したように首を横に振る。
 誰にも見られたくない、とでも言いたげな顔だ。明るいところでよく見ると、頬や目ふ
 ち、首筋にまで殴られたようなアザがある。
・「いいから、今夜はおまえの部屋でゆっくり休みなさい。あれから少し物を置くように
 なってはいるが、いまもおまえの部屋だ。とにかく今夜は眠って、あとはまだ明日にな
 ってからだ」
・直が、落ちついたようなのを見届けてから、是清はまた静かに二階の自室に戻った。
 だが、気になって眠れない。じっとしていられないほどの胸騒ぎがするのである。
 我慢できなくなった是清は、布団から跳ね起き、階下に降りて、明かりの漏れている直
 の部屋を覗き込んだ。
 「やめろ!」
 それは、間一髪のことだった。
 是清は、叫ぶよりも素早く、その頼りなげな直の手から、剃刀を取り上げていた。
・「直は嫌でございます。もうあの家には帰りとうございません。私は、私はもう・・・」
 泣き崩れ、激しく震えるその肩を、是清はしかと抱きとめていた。親のない娘だ。直は
 ひとりでそこまで思い詰めていたのである。
・ずっと、この家にいなさい。是清が言うと、直は震える手で下腹をそっとさすってみせ
 た。
 「ですが、私のお腹には・・・」
 やはり思ったとおりだ。子供ができたことを言い出せず、ひとりで悶々としていたのだ
 ろう。 
・嫁がせた先は、しっかりとした商家だと聞いていたが、自分の嫁が、英語ができると知
 った途端、豹変したのだという。女医を目指して便湖油していたことがあったのも気に
 入らなかったらしい。   
・「帰らんでよい。直はこのままずっとこの家にいるんだ。安心してここで産めばよい。
 父親が要るというなら、私がいくらでもなってやる」
 直が不愍でならなかった。十六、七のことから同じ屋根の下で暮らしてきたのだから。
・翌朝、品を呼んで昨夜の事情を話すと、もちろんこのまま直を引き取ることに同意して
 くれた。いや、むしろ是清がそこまで言い出してくれたことを、心底喜んだのである。
 「ひとつ、お願いがあります」
 あらたまって品が言う。
 「生まれてくる子供は、高橋家の子供として育ててやりたく存じます」
 直の子としてではなく、品自身の子供として、自分も母親になって育てたいという。
・それからまもなく、直は流産した。逃げ出してきたとき、冷たい雨に打たれて長い間外
 にいたのが身体に障ったのだろう。
・だが、これを機に、直は生涯高橋の家で暮らすことになる
 年々増えていく書生たちや雇い人、看護婦といった者たちを仕切る有能な女中頭として、
 品を助けて働くようになるのだ。
・そして、直はこのあと大正六年までのあいだに、真喜子、喜美、美代子、栄子と名付け
 られた四人の女児を授かるのである。   
 さらにもうひとり別に、利一という男児もいて、いずれも是清の子供であったが、品は
 すべてを受け入れた。
・夫が直と交わった夜は、品にはすぎにわかった。なぜならその翌朝は、是清が必ず品の
 ところまでやってきて、いつも以上に優しい言葉をかけてくれたから。
 そして、普段どおり甲斐甲斐しく働く直が、そういう朝は、品とは決して目を合わせよ
 うとしなかったからである。 
・品はこのころ、自分の身体が少しずつ病に蝕まれていることも実感していた。
 それが憎むべき肺の病気であり、可愛い子供たちへの伝染を避けるため、彼らとの接触
 をできるかぎり制限すべき性質のものであることも、切ないほどにわかっていた。
 やがて病が進むにつれ、やむなく家族と距離を置く暮らしを強いられた。離れの土蔵の
 三階を改築して、品ひとり隔離されるようにして、寝起きすることを余儀なくされてい
 く。それでも、品はすべてを毅然と受け入れた。
・原田の実家には、長兄の原田宗助をはじめ、品の上に三人の兄、下には弟が三人いて、
 品は七人の兄妹のなかでたった一人の娘として育った。
 志高く、だから仲の良い家族として成長したはずのその兄弟たちが、明治十年に起きた
 西南戦争のとき、政府軍と西郷軍と分かれて戦うことになってしまった。なかでも二番
 目と三番目の兄が互いに衝突し、実の兄弟ならが敵味方に分かれて刃を交え、結局はと
 もに戦死したのである。 
・人の世のなんと脆く、皮肉なものであることか。ならばこそ、縁あって身体を寄せ合っ
 て生きるうちは、兄たちのようにぶつかってはならぬ。前妻柳の二人の息子にも、わが
 腹を痛めた三人の子らにも、直の子にも同じ思いをさせはしない。
・肉親の結びつきに心のどこかで飢えていたのは自分だけではない。品はあらためて思う
 のだ。是清とて、生後わずか数日で両親から離されている。実の母のぬくもりを知らず
 に育った身なのである。高橋家の養子になった経緯については、品が嫁いできたばかり
 のころ、養祖母の喜代子から何度も聞かされたものだった。
・あの直にしても、商家の娘としてなに不自由なく育ち、一途に女医を目指してきた途中
 で、溺愛してくれた父が突然亡くなってしまった。以来、十七歳年上の叔母にあたる自
 分のところよりほかに、いまは身を寄せるところすらない。
・品は、あらたに授かった小さな五つの生命を、わが子として心から慈しんだのである。
 そうすることで、誰もが救われるのだからと。
・ただ、直はといえば、品が優しく接してくれる分だけ、直なりに、子供らに対しては一
 層厳しくならざるをえなかった。
 たとえどんなに愛おしくとも、生涯母と名乗ることはない。それでいて日々を同じ屋根
 の下で生きると決めたのである。ならば、すべての執着を捨て、それを貫き通すことこ
 そが自分に課せられた道ではないか。
 決して表に出ることなく、女中頭という身に徹して生きようと思いを定め、直は、なに
 があっても頑なまでに身を律していたったのである。
   
国難のとき
・日清戦争に続いて、日露戦争までも経験した日本は、当然ながら軍事支出が増加の一途
 をたどっている。  
 明治二十三年から大正元年のあいだだけで、その額はインフレ率を調整済みでも、ゆう
 に六倍超になっていた。
・帝国議会は衆議院と貴族院による二院制だが、衆議院議員が選挙で選ばれるのに対し、
 貴族院は公選ではなく、皇族や華族、勅任議員によって構成され、多くの議員の任期が
 終身だった。 
 もっとも、衆議院銀を選出する際の有権者も満二十五歳以上の男子、しかも多額納税者
 に限られており、明治二十三年に行われた初の総選挙では全人口のわずか一パーセント
 程度に過ぎなかった。
・幕末の時期から、日本は極限状態の債務国として、危うい綱渡りをずっと続けてきた。
 日露戦争を経て、大正三年のころになると政府債務はすでに二十六億五千万円に達し、
 同時期の国民総生産の三分の二を超えていた。
 しかも、政府の抱える借金残高のうち十五億円までは対外債務、つまり海外から借りた
 もので、これに対する正貨準備高はわずか三億四千万円余。あわや債務不履行、まさに
 破綻寸前と言ってもいいほどの状態だった。 
・だが、そんな日本の財政を一変させたのが、第一次世界大戦による戦争と特需である。
 大正三年から七年まで続いたこの大戦により、日本経済は目覚ましい活況を呈し、国民
 総生産が三倍にも膨らむことになる。
・第一次世界大戦では、主な戦場が欧洲であったことも日本経済にとっては追い風だった。
 なぜなら、イギリスをはじめとする欧州列強は、彼らの工業生産を民需から軍需に向け
 てシフトせざるを得なくなり、日本はそんな彼らに代わって、それまで彼らの輸出先だ
 った東南アジアに進出することが可能になったからだ。
・日本の鉄鋼や造船といった重工業部門も、大戦前はイギリスなどからの輸入に依存して
 いたが、国内で賄う必要が生まれてきた。このことで、むしろ生産力が強化され、日本
 は農業国から工業国へ、さらに債務国からアメリカに次ぐ世界第二位の債権国へと生ま
 れ変わっていくのである。  
・陸軍出身者、朝鮮総督の寺内正毅内閣が誕生する。
 発足当初の大蔵大臣は寺内自身が兼任したが、やがて大蔵省出身の勝田主計が就き、経
 済の活況の力を借りて、積極財政を打ち出した。
・さらに、寺内内閣が執った政策のなかで、のちの日本経済や財政に大きな影響を残すこ
 とになるのは、大正六年九月に実施された金輸出の禁止だった。
 このときの日本の国際収支はとくに問題はなく、金輸出を禁ずる切迫した必要があった
 か否かについては疑問符がつく。
・かくして、第一次大戦によって工業化への道を進みだした日本だったが、好況の反面で
 新たな困難にも直面していた。結果的にはそれが寺内内閣に幕引きを迫ることになる。
 景気過熱によるインフレである。
・好況によって、労働賃金は飛躍的に改善された。どの分野でも、男女揃って上昇はした
 のだが、残念ながら一律というわけではない。
 農民の賃金は35パーセント、工業部門の男子は38パーセントも上がったのに対し、
 織工など女子の工業従事者はわずか15パーセントの増収にとどまっていた。
 しかも、その賃金上昇率は経済の拡大率に匹敵するほど充分なものではなかった。
・その一方で、物価は急激に上がっている。   
 大正三年の物価指数を100とすると、大正五年は122、大正七年はなんと202に
 達していたのである。
・日本人の主食である米の価格ももちろん例外ではない。大正七年の米価は、大正三年に
 較べると2.5倍に急騰し、しかも大正六年から七年の一年間で65パーセントも上昇
 している。
・大戦による好景気で生活が向上した農民たちが、それまでの雑穀から米食になり、潜在
 的な実需が高まったという背景もあった。
 それに加えて、寺内首相がシベリアへの出兵を発表すると同時に、物資不足になるとい
 う噂が駆け巡った。それが投機を狙った米の買い占めを誘い、さらに新聞各社がこぞっ
 て書きたてた。
・それがもとでこの年、大正七年の八月から九月にかけて、全国の町や農村で次々と米騒
 動が起きた。
 騒ぎの発端は、富山の漁師町の妻たちの行動だった。寄港中の船への米の積み荷を止め
 て、一部を住人に売ってほしいと嘆願したのだ。海辺の町の素朴な出来事に過ぎなかっ
 たものを、また新聞各紙が先を争うように「女一揆」と取り上げた。その裏には、寺内
 内閣打倒を目論向きの思惑が見え隠れする。
・ともあれ、騒ぎの矛先はやがて米問屋や資産家に向けられていく。北陸に片隅からの切
 なる女たちの願いは、米の放出を求める全国的な抗議行動へと拡がり、最終的には七十
 万人もの国民を巻き込む暴動となるのだ。米騒動に始まった放火や破壊行為がいつの間
 にか待遇改善を訴える炭坑労働者にまで飛び火して、ついに二万五千人を超える検挙者
 を出す。 
・五十日間におよんだ一連の騒動は、まわりまわって寺内政権に引責解散の引導を渡した。
 その結果、後任の首相となったのが、立憲政友会総裁の原敬である。
 大正七年九月、これまでのように海軍主導でも陸軍トップでもない、日本における初め
 ての本格政党内閣の誕生だった。
・この原内閣で、是清は大蔵大臣に命じられる。満六十四歳、二度目の入閣である。
 日本がまさに歴史上の大きな転換期を迎えていたときに、是清はまたも大蔵大臣の任に
 就くことになった。
・原内閣がスタートしたのは、前政権が決めた「シベリア出兵」の実際的な派遣のさなか
 だった。   
・ロシア革命によって、ソヴィエト政府が政権に就いたのはこの前年、大正六年のことだ
 ったが、連合国軍がウラジオストクに大量の軍需品を貯蔵していたので、シベリアには
 五万人ものチェコスロバキア兵を残留させたままだった。
・このとき、戦争特需の追い風を背景に、着実に国力を貯えつつある日本が、この地に単
 独で介入するのをなにより恐れたアメリカは、連合国として二万五千人の派兵を決める。
 その際、アメリカ大統領ウィルソンから、寺内首相は七千人の出兵を要請されたのであ
 る。 
・それを受けた陸軍参謀本部は、あくまで連合国軍とは別行動を取りたいと主張したが、
 寺内はその声を抑え込んで、連合国の一員として、一万二千人におよぶ兵士の派遣を決
 定する。
・だが、案の定いざ行動開始となるや、陸軍は寺内にも連合国軍にも背を向けて、最終的
 に当初予定していた派兵の六倍、総数七万三千人近い兵力と数億円単位の戦費を投じる
 ことになる。
・大正九年の軍事費は、歳出予算総額の48パーセントにまで達していた。それも、シベ
 リア出兵費を除いての数字なのだから驚かされる。
・大戦は終結したものの、経済の膨張はすぐには止まらない。戦争による欧州の打撃や混
 乱は簡単には回復しないだろうと見る向きや、「二十一箇条の要求」によって満州など
 で得た利権に商機を求める者もいた。
 国内にはそんな思惑が根強くはびこっていて、大正八年の春ごろから、各地で出遅れて
 いた産業部門に火がついたのである。
・日銀は金利を引き上げて過熱する経済を冷やそうと試みるが、にもかかわらず銀行の融
 資は膨張していった。
 物価高騰も著しく、そうなると投機熱も高まる一方で、生糸や綿糸などの商品相場は異
 常な高値を記録する。株式市場も空前の活況となり、戦時バブルだったうえに、性懲り
 もなくさらにバブルを重ねることになっていくのである。
・だが、バブルは所詮いつかは弾けるものだ。膨らみに膨らんだあげく、やがては必ず限
 界点に達し、そこから先は無残に弾けて、あとは一直線に落下する。
 大正九年三月は、まさにそんな悪夢の始まりだった。
・まず、東京と大阪の株式市場が一斉に暴落が起きる。生糸相場を筆頭に、商品市場も直
 撃を受ける。
 四月上旬には、大阪の増田ビルブローカー銀行が破綻し、これがいわゆる「反動恐慌」
 の引き金となったのである。
・不安に駆られた預金者たちが通帳を手に銀行窓口に押し寄せ、払い戻しを求めて列をな
 す。取り付け騒ぎはまたたくまに全国に拡がった。
・政府も日銀も早々と救済対策に乗り出したので、五月中旬にはひとまず騒ぎも収まるか
 に見えた。だが、そんな矢先、横浜の七十四銀行が突然休業を発表した。
・政府や日銀の救済措置の発表で、一旦は落ち着きを取り戻していたはずの金融市場が、
 またも大きく動揺する。
 再燃した取り付け騒ぎは、全国各地の銀行に波及し、本店や支店を含めると百六十九行
 もの店頭で起きた。
 さらに、そのうちの二十一行が休業を余儀なくされ、廃業に追い込まれるものや、別の
 銀行に吸収合併されるもの、さまざまな辛酸をともにするのである。
 ようやく沈静化されるのは七月を過ぎてからのことだった。
・このころ日銀総裁には、蔵相である是清の任命を受けた「井上準之助」が就いている。
 以前是清が、山本達雄日銀総裁の下で副総裁をしていたころ、土方久徴とともに金融の
 研究のためロンドンに留学していたのが彼だった。
・帰国して日銀本店営業局長となった井上とは、その当時懇意になったのだが、是清は早
 くから彼の資質を見抜き、将来に期待を寄せた。
・是清は、井上を高く買っていた。彼とのあいだにも、意見の相違はまだなかった。 
・その後、思いがけず大蔵大臣として初めて入閣することが決まると、是清は三島を日銀
 総裁に、井上を横浜正金の頭取に任命する。そして原内閣で二度目の蔵相に就任したと
 きには、井上を日銀総裁に就かせたのである。
・三月から続いた恐慌の影響は、激しい税収の落ち込みとなって、是清たちを悩ませるこ
 とになった。歳入不足に陥るのは明らかだ。この難局をどうやって乗り切るべきか。
 是清は、ここで公債増発を提言する。
・戦争特需に沸いた時代が終わったいま、通貨供給量を下げて、過熱する経済を抑える政
 策が求められる。
 そのことはもちろん十二分に理解し、公にも認めていた是清だったが、行き過ぎた引き
 締め政策が景気を冷やし過ぎることを怖れてもいた。
・是清の主張は一貫していた。
 財政危機を改善するためには、「入るを量りて出ずるを為す」しかない。
 それはその通りなのだが、悩ましいのはその順序だ。
 歳出を抑え、利上げをして、経済を緊縮させることが常道かもしれないが、是清は、そ
 れよりもいまは、まず需要を送創出することが先だとしたのである。
・政府が鉄道や道路、学校などといったインフラ建設に金を回せば、将来の経済成長に向
 けた基盤を確保することができる。低金利を維持しつつ、民間に新たな設備投資への意
 欲を、なにより雇用の創出をめざすことが肝要なのだ。
 いまは引き締めではない。生産性を上げ、生産量を増やすほうを優先させるべきだ。
・もちろん、反対派が黙ってはいなかった。
 「そんなものは放漫財政だ。けしからぬ」
 「このうえの公債増発など、通貨を膨張させる。さらにインフレ懸念が高まるではない
 か」
 野党は口々に異を唱え、議会では猛烈な攻撃に遭った。
 後年、首相の座につく浜口雄幸や、彼に与する日銀総裁の井上準之助までが、引き締め
 派の側にまわって反対する。
・それも、もとより覚悟のうえだった。
 「日本人には投資余力がある。償還時期の短い短期債ならば、いくら増発しても問題は
 ない」
 是清は、平然と応じたのである。
・是清が議会で放漫財政家のそしりを無視し、楽観主義すら演じた裏には、理由があった。
 どんな時代でも、バブル経済のソフトランディングは至難の業である。減速の調整を少
 しでも間違うと、たちまち経済が失速し、大量の失業者を出すことになる。
 それだけはどうしても避けねばならぬ。是清が一途に考えてきたのはそのことだ。
・もうひとつの理由は、原首相が直面している軍との関係、ひいてはその背後に控えてい
 る山縣有朋の存在である。
 山縣の支持がなければ、原内閣そのものの存続も危うくなる。だから本心はどうであれ、
 山縣との良好な関係維持が不可欠なのだ。
・山縣にしてみれば、伊藤博文が暗殺されたあと政友会を引き継いだ西園寺公望を支え、
 とうとう総裁まで昇りつけてきた対極の政治家が原なのである。
・是清がもっとも危惧していたのは、軍部が天皇の統帥権を振りかざし、首相や政府を露
 骨なまでに無視してかかることだった。  
 彼らが発言権を誇示することは、国内の政治上の障害になるだけでなく、日本が軍国主
 義であると海外に印象づけることにもなっている。
・西欧列強のまっただなかに身を投じて外債募集の苦労を経験し、欧州の現実をつぶさに
 見てきた是清である。年々強大化してくる軍部への懸念とともに、侵略的に過ぎる対中
 政策についても不信感を隠しきれなかった。
・なにがどうとは言えないのだが、原の目のまわりが黒っぽく澱んでいて、なんとなく輪
 郭がはっきりせず、どこか寂しげでもある。影が薄い気がしてならないのだ。
 「なあ、原君。京都の大会なんか、なにも君が行かなくてもいいのじゃないか」
 思い余って是清は言った。
 「そうはいかぬ」
 「いや、やめたほうがいい。そんな党のことは他の人間に任せて、もっと国の政治のほ
 うに力をいれたほうがいいのではないか」
・何度か押し問答のあと、力なく笑みを浮かべて、原は背中を向けた。まさか、それが原
 をみる最後になろうとは、思ってもみなかった。
・ほんの一ヵ月半ほど前には、安田善次郎が大磯の別荘で右翼の浪人に刺殺されたばかり
 だった。
・そこに緊急電話がはいった。
 「総理が殺られた!」
 「東京駅で若い男に刺されたんだ」
・どうしてあのときもっと強く引き止めなかったのか。今朝、原の顔に表れていた死相に
 気づいていながら、なぜ行かせてしまったのか。せめてあと一言、いや力ずくでも、ど
 んな無理をしてでも、止めるべきだった。
・暗殺の背景になにがあったのか、この時点ではまだ確定できなかったのだが、原内閣で
 推し進めようととしていた軍備縮小の動きに反対する者の犯行ではないかとの嫌疑もあ
 った。
・山縣有朋と松方正義は、後継総理に西園寺公望を望んだらしい。党の幹部も総裁には西
 園寺との思いだったようだが、当の西園寺はそれを固辞し、代わりに是清を推薦したの
 だという。
・是清は六十七歳。思えばこの夏以来、思いがけない別れが続き過ぎている。
 義弟の是利が六十一歳で逝ったかと思うと、そのあとすぐに、あの前田正名が七十一歳
 で急逝した。
 それから一ヵ月半ほどしか経たないうちに、今度は安田善次郎が殺され、さらに原の横
 死へと続いたのである。

それでも言はむ
・それは、未明からの激しい雨も止み、秋の訪れを感じさせる晴れた日の正午少し前のこ
 と。正確には大正十二年九月一日土曜日、最初の揺れは、午前十一時五十八分。
 突然、地の底で得体の知らないなにかが吼えるような、気味の悪い地鳴りがした。
 次の瞬間、声をあげる間もなく、大地がのたうつように上下に波打ち始めた。いわゆる
 「関東大震災」の発生だった。
・このころの東京府の人口は四百万人ほどだったなか、死者や行方不明者は十万人をゆう
 に超えた。
 日清戦争での死者が約一万三千人、日露戦争が約八万四千人だから、この震災の犠牲者
 がいかに多かったかが窺える。
・火災は、東京市内の総面積に46パーセント、横浜市内の28パーセントにまで及び、
 国民総生産の三分の一を超える五十五億円といわれる未曽有の被害をもたらしたのであ
 る。
・この国難の時期、初めての入閣で大蔵大臣になったのは五十四歳の井上準之助で、彼は
 当初、震災被害を百億円と見積もった。
・井上がまず踏み切ったのは支払猶予、いわゆるモラトリアムで、直後の九月七日に公布
 した。
 続いて手形について二年間の猶予期間を認め、さらに一億円の政府保証をつけたうえで、
 日銀が手形の再割り引きに応ずるという緊急勅令も発表した。
・この再割りの総額は、結果的には四億三全万円という膨大な規模にまで膨らみ、のちの
 整理吸収に苦慮するだけでなく、やがては昭和初期の金融恐慌につながる要因ともなっ
 ていく。
・当時の蔵相市来乙彦は、まだ建造中だった戦艦や巡洋艦の製造続行を取り止めただけで
 なく、十二隻もの旧艦の廃棄処分も実施。舞鶴、鎮海、旅順などの軍港や要港の大胆な
 整理縮小にも着手。一万一千人余の兵員削減も断行した。
・大震災からの復興をめざすべく、急いで帝都復興院が創設され、ときの内相、後藤新平
 が総裁に就く。
 後藤は、ただちに総額四十億円という破格の規模の帝都復興計画を打ち立てた。
 だが、外部環境はあまりに厳しかった。
・震災復興対策で、歳出は膨らむ一方だった。そのうえ歳入はといえば、震災による租税
 の減免措置で、減少を止めることはできない。
 となると、不足分は公債発行に依存するほか手立てはなかった。
・公債の発行残高は、肥大の一途をたどっていた。震災の前年、大正十一年には歳出総額
 の8.1パーセントに留まっていた国債費も、大正十三年には16パーセントに達する
 ことになる。
・諸々の悪条件が重なったこともあり、最終的には、発行にあたって6.5パーセントも
 の他界利率でも呑むしかなく、「国辱公債」と批判を浴びることになった。
・大震災の真っただ中で誕生し、震災対策に翻弄され続けた第二次山本権兵衛内閣だった
 が、わずか四カ月も経たぬうちに、「虎ノ門事件」によって、幕を閉じることになる。
 摂政として、議会開院式に出席するため貴族院に向かっていた皇太子の車が、虎ノ門外
 で無政府主義者の難波大助によって狙撃されたのだ。
 幸い皇太子は無事だったが、報せを受けた山本権兵衛は、内閣総理大臣として、ただち
 に辞表を提出し、閣僚たちに総辞職を言い渡した。
   
・清浦内閣が発足。
 政党からは一人の閣僚を入れることもなく、貴族院の有力会派、研究会による傀儡内閣
 の誕生だった。
・これに真っ向から対立の姿勢を掲げ、衆議院の各党が結集した。
 高橋政友会総裁は断固、清浦内閣を支持しない。それだけでなく、爵位を譲り、貴族院
 議員の立場を棄て、衆議院議員となるべく選挙に立候補すると発表したから、総裁辞任
 を予想して疑わなかった党員たちに驚きが走った。
・政友会は、原の遺志を継いで預かった党である。だが、原が真に目指したものは、党の
 存続だけでは決してない。その先を見据えていたものがあったはずだ。
 それなのに日本の議会政治は、いまや存続の危機に瀕している。いや、そもそも安定し
 た軌道にすら乗っていなかったかもしれぬ。 
・明治のころから元老という圧倒的な存在に支配されてきたが、翻弄され続けていたので
 は、せっかく芽生えた日本のデモクラシーも、このままではあまりに心もとない。
 立ち上がるしかない、と是清は思った。なんとしても、放っておけぬと。
・あれこれ散々揉めた末、「原の後継選挙なのだから、出馬は是が非でも原の故郷である
 盛岡でなければ」と市会の決議書まで持参してきた熱心さに押された恰好で、最終的に
 は盛岡から出馬が決定した。
・ひやりとさせられたのは、是清が盛岡で演説をして東京に帰る途中の飢者での出来事だ。
 途中までは、福島出身の堀切善兵衛と一緒だった。ただ、彼は仙台で下車したので是清
 が一人残り、長町にさしかかったときのこと。突然、轟音とともに汽車が激しく横揺れ
 を起こし、やがて大きく傾いたまま、がくんがくんとばかりに上下し、急停車した。
 機関士や車掌のあいだで死者も出たようで、それはもう大変な騒ぎとなった。
 もちろん負傷者も多数いた。是清は幸い無事だったものの、すぐ隣に婦人客が倒れ込ん
 できたので、是清が手を貸して斜めになった窓をこじ開け、そこからようやく救出され
 るという一幕もあった。  
・転覆事故の話を聞きつけ、堀切がすぐに駆けつけてきた。原因は、線路の前に貨車が置
 き忘れてあったとかで、それに衝突したのだとの弁解じみた説明だったという。
・いよいよ開票の日、事前予想では誰もが田子一民の当然を疑わぬなか、いざ開けてみれ
 ば是清の得票数は859票と意外な伸びを見せた。一方田子は810票。わずか49票
 という僅差だが是清の当選である。
 政友会総裁としての面目も、これで辛うじて保たれることになった。
・次々と押しかける訪問客の応対に息をつく暇もないほどに追われ、直とともに女中たち
 に指示を出しながらも、品は知らずしらずのうちに浮かんでくる笑みを抑えることがで
 きないでいた。  
・夫は今年でもう満七十歳。品も五十九歳になる。そろそろ楽をすることを考えてもいい
 年齢ではないか。無理を押しての出馬だっただけに、夫の健康が心配でならぬ。
 
・立憲政友会そのものも、田中への総裁交代を機に、大きく変貌を遂げる。是清が率いて
 いたそれまでの自由主義的な政党から、保守派政党への道を突き進むのである。
・互いの顔色を窺いながら背中を押してみたり、足を引っ張ったり。はてしない我欲と策
 謀が複雑に絡み合う政治の世界を離れ、とにかくにも是清は、ついに平安な日々を手に
 入れた。
・政治の最前線から離れても、学びの姿勢は生涯崩すことがなかった。
 子供のころから正規のエリート教育を受けてきたわけではないだけに、是清はむずから
 研鑽を積み努力によって知識を得る姿勢を当然のことと思ってきた。
 欧米の新聞や専門書を丁寧に読み込む習慣はどんなときも変わらなかったし、海外赴任
 や出張から帰国した者たちが、必ずといっていいほど是清を私邸に訪ねてきた。

・「ぜひとも、大蔵大臣をお引き受け願いたい」
 田中義一は後継首班の大命を受けると真っ先に、逸る気持ちを抑え、その足で是清の私
 邸を訪ねた。
・是清はこのときすでに七十二歳。体調が思わしくないことを理由に一旦は辞退した。 
 だが、どうにも気になって仕方がない。
 「事態が収まる、までのあいだ、そうだな。おそらく三、四十日というところだろうが、
 その間だけの大臣でいいのなら」
 高橋是清、四度目の蔵相就任である。
・金融恐慌の最大の波が迫っていた。
 だが、是清の対応は素早かった。七十二歳とは思えぬ回転の速さと、行動力である。
 全国的な支払猶予令を取り決め、臨時議会の召集もかける。
・その手応えを実感できた是清は、予言通りとも言える四十三日間の対応処理を終え、混
 乱を確実に収めてきって、さっさと蔵相から退くのである。
 あれほどの全国的なパニックを、わずか四日間で収拾させた。その後ほんの四日間の審
 議で、議会での法律的裏付けも取り付けた。
・是清が蔵相を退陣する少し前、市来乙彦に代わって、井上準之助が日銀総裁に就いた。
・憲政会と立憲政友会とが合流し、浜口雄幸を総裁として民政党が誕生した。
 その翌日、是清は予定通り蔵相を辞任。
 今度こそはと、赤坂表町での静かな隠居暮らしを取り戻すのである。

・相変わらず規則正しい毎日のなかで、娘や息子たちとじっくり話をしたり、庭の盆栽の
 手入れをしたり、さらには、これまで折々に書き綴ってきた膨大な量のメモや日記を整
 理したりと、忙しくも満ち足りた日々である。
・自分が関わった現場の正確な記録を保存しておくことの重要性は、欧米の記録保管の実
 態をつぶさに見て、むずから肝に銘じてきたことであった。
・そんな是清のすべての記録を、上塚司が丁寧に項目別に分類し、年代順に整理してくれ
 ている。そのうえに是清自身の記憶を語り足し、口述筆記でできあがったものにさらに
 是清の手で加筆修正を加え、完成させようとしていた。
 気の遠くなるほどの工程ではあったが、上塚は労を厭わなかった。   
・上塚が是清の一代記をまとめている話はやがて漏れ伝わり、すぐに新聞社が興味を示し
 た。
・公になった是清の一代記は、世にある華々しい立身出世の物語とは一線を画していた。
 青春時代、毎日朝から三升の大酒をあおったころの話も、放蕩のあげく職場を追われ、
 花街で芸妓の箱持ちをして暮らしていたことも、赤裸々に打ち明けた。いや、そもそも
 足軽の家に養子に出された身で、正式な教育を受ける機会がなく、試験には受けっては
 いながら、そのまま大学教師にさせられた経緯も隠さずに書いた。勇んで渡ったアメリ
 カでは、この身を金で買われ、強制労働をさせられたことまでもである。
・いまは亡きお祖母さまの話では、高橋家に養子縁組が決まる前、三田聖坂の菓子屋の大
 店が養子に欲しがっていたのだという。もしもひと足違いでそちらに決まっていたら、
 是清の人生はまったく別のものになっていたはずだ。
・もとより人間は、無一物でこの世に生を享ける。その後、どんな波瀾や苦難に直面しよ
 うとも、所詮自分の始末は自分一個の腕でつけるものだ。その時々で骨惜しみせず、
 おのれの信ずるままに精一杯生きて、なにも残さず、裸で堂々と死んでいけばそれでい
 い。 
・是清が信じ、むずからに課してきたそんな独立独歩の生き方を、ほかならぬ子供たちに
 こそ正しく伝えたかったのである。 

・鈴木直とのあいだに生まれた娘たちも、多感な年齢に差しかかっている。「ママ」と呼
 んで慕い、母と信じて疑わなかった品が、実はそうではないらしい。本当は女中頭の直
 が実母らしいと、薄々感じ始めていることにも気づいていた。
・娘らの本心まではわからないが、彼女らなりに受けた衝撃も大きかったに違いない。
 それでも、直は変わらず女中頭の身に徹している。娘たちから迫られる真偽への問いか
 けを毅然とはねつけ、品をどこまでも尊重する姿勢を崩そうとはしない。
 そんな直もあっぱれなら、娘らも、もちろん品の生き方も見事で、その誰もがいじらし
 く、是清には愛おしく思えてならないのだ。
  
・第一次世界大戦を経て、第二次世界大戦に至るまでの中間点で、日本は深刻な不況に陥
 っている。その背景のひとつは昭和四年(1929)十月の大恐慌だが、もうひとつの
 大きな要因は、その大恐慌に向っている矢先に当時の政府が取り決めた、大戦前の旧平
 価による金本位制への復帰であった。
・井上は、公の場で是清に対する痛烈な批判を展開したこともあった。
 だが、たとえ激しい政策論争をしても、互いに見識を認め合う姿勢を崩さぬ是清は、昭
 和二年の金融恐慌で急遽蔵相となったとき、この井上を日銀総裁へ再登板させている。
 それでも、今回ばかりは違っていた。
・戦争により債務国に転じたイギリスは金本位制を解き、金為替本位の時代に突入する。  
 金との兌換に応じず、一定の為替相場での救済だ。それまで金本位制に参加していた各
 国も、流出を怖れて金の輸出を禁止。日本も大正六年九月にはその流れに追随して金の
 輸出を禁じていた。
・やがて大戦が終結すると、各国の課題は金本位制への復帰に集中。金の輸出禁止を解く
 方向へ、つまりは金解禁への流れが始まった。
・大戦需要で多額の金が国内に流入したアメリカは大正八年、交戦国のなかで最初に金本
 位制に復帰した。日本もこの年の正貨保有額は二十億五千万円に達していたが、アメリ
 カの動きには追随せず、解禁には踏み出さなかった。
・国内の主な識者は井上と同じで、旧平価での金本位制復帰を是とする者が大半を占めて
 いた。是清も基本的には金本位制論者である。だが、原内閣時代蔵相だった是清は、
 おその時機ではない」と解禁に反対した。
 「中国の将来的な経済発展を支援するため、その投資資金としての金や準備資産は、い
 まはしっかり確保しておいたほうがいい」
 是清の主張は一貫していた。
 「ひとたび有事になれば、海外に置いてある金など頼りにはならぬ。だからこそ、いま
 は国内での正貨の確保が欠くべからざるもの」
・誕生まもない浜口内閣は、「十大政綱」を高らかに発表する。
 金本位制への復帰は、大正十一年ジェノバ国際通貨会議で先進各国が公約した。
浜口雄幸と井上準之助は、燃えるような使命感と高慢な自負をもって、宣言したのであ
 る。
 だが、そもそも井上は、入閣の直前までは金解禁反対を唱えていた。関東大震災と金融
 恐慌を経て、ようやく一命を取り留めたばかりの「肺病患者にマラソンをさせるような
 もの」と、皮肉たっぷりに否定していたぐらいだった。
・井上とて、金解禁が痛みを伴うことはもちろん理解していた。しかし自分ならできると
 の慢心があった。デフレ策を強行し、それを乗り越えたなら真の経済発展が期待できる
 と。 
・ただ、旧平価で金解禁に踏み切るには、円を一割以上も切りあげなければならない。
 そのためには国内の金融財政を引き締めに転じる必要があった。国内消費と輸入を極限
 まで抑制し、国民生活には節約を迫り、金利を上げ、政府支出を削る。
・しかし、日本経済の観点からすると、それはまさに「大恐慌という巨大台風の到来を前
 に窓を全開させる行為」であり、国民生活に苛酷な苦難と悲劇とももたらすものであっ
 た。
・明治三十年に松方正義が金本位制を導入したときは、是清の強い勧めに従い、旧平価を
 半分に切り下げた新平価で実施したものだ。
 今回の場合も、現実にフランスなどでは新平価を用いて解禁されていたので、日本にも
 新平価による解禁を唱える学者はいて、もしそうしていれば結果はずいぶん違っていた
 かもしれない。ただ、いかんせん少数派だった。
・ニューヨーク証券取引所では株価が大暴落。後の世で言われる「暗黒の木曜日」が起き
 ていた。
 このことが日本の新聞の経済蘭でも大々的に取り上げられはしたが、それが今後のどん
 な悲劇を予告するものであり、どれほど大規模な世界恐慌の始まりであるかを人々が理
 解するには、まだ長い時間が必要だった。米国経済に対する強気な見方はまだ世界中に
 根強く残っていたからである。
・国民に極度の我慢を強いただけに、いずれ大きな期待に背く結果が出ると、是清はかっ
 きりと予見し、すでに解禁後の対処について、為すべきことに考えを巡らせていた。
 イギリスやフランスの三分の一程度の経済規模しか持たぬ日本が、欧米列強に一員であ
 ることを証明したいと見栄を張っても、火傷をするだけだ。それよりもまず確固たる経
 済発展を遂げ、内外に日本の存在を知らしめるのが先だ。
 井上と是清とでは、やはり優先させるべきものが根本から違っていた。
・そんな金解禁から一年も経たぬ十一月のこと。原敬のときと同じ月であり、同じ場所で
 もある東京駅で、またも惨劇が起きる。浜口雄幸首相が至近距離から狙撃されたのだ。
・幸い浜口は即死は免れ、一時は回復した。だが結局は致命傷となった。浜口の綜理辞職
 を受けて若月礼次郎内閣が発足したが、蔵相は井上が再任となる。井上による緊縮政策
 の継続と、次第に影響を拡げてきた世界恐慌は、社会の最も底辺にある貧困層をさらに
 痛めつけていく。
・金融恐慌は欧洲でも、まずオーストリアで、次いでドイツで起きた。ロンドンへの波及
 に危機感を抱いた列強諸国は、次々とイギリスから資金を引き揚げる。
 これに耐えかねたイギリスは、翌昭和六年(1931)九月、ついに金の輸出禁止を決
 めたのである。
・それでも井上は強気な姿勢を崩さなかった。
 「日本が再禁止するなど見当違いも甚だしい」
 頑迷に面子にこだわる井上によって、日本は貴重な選択肢をみずから放棄してしまった。
 国際金融の世界ではまだ充分な実力のない日本にとって、イギリスに追随して金輸出の
 再禁止ができる絶好のタイミングだったのに、逃したのである。
・市場はそんな井上を完全に見くびっていた。いずれ音を上げる。アメリカより先に金本
 位制から離脱せざる得なくなるそうでなくとも解禁により金が大量に流出している。
 正貨準備が低下し通貨が収縮、「円」に対する信用が失墜する。ならば円安に向かう千
 載一遇の投機チャンス。円売りを狙うならいまだ!
 一斉にドル買いが殺到する。
・井上は、これに負けじと対抗した。
 「かまわないからドルを売れ。買い手があきらめるまで、際限なく売りまくってやれ!」
 横浜正金銀行に無制限のドル売りを命じてしまったから、悪夢としかいうほかない。
・日銀副総裁の深井英五や大蔵省国庫課長の青木一男が政策転換を強く求めたが、井上は
 取り合おうともしなかった。かくして国内の健全な銀行融資は絶たれ、新規設備投資は
 完全に止まる。失業は深刻化し、株式市場は下げを繰り返す。  
・若槻内閣はついに総辞職に追い込まれた。
 宮中において組閣の大命を受けた政友会総裁犬養毅は、すぐに是清を訪ねて蔵相就任を
 要請した。
 犬養も七十六歳なら、是清も七十七歳の老齢だ。
 「体調がもつあいだだけでもいいなら」
 是清はそう言って、生涯五度目になる大蔵大臣を引き受けることになった。
・次の日には、さっそく日銀副総裁の深井英五が会いにきた。
 彼とても、やむにやまれぬ思いがあったに違いない。
 「すぐに金本位制から離脱し、一刻も早く金輸出を禁ずることです。それから、国内で
 の兌換も禁止する緊急勅令の準備を進めましょう」
 深井は堰を切ったように訴える。
・「ただちに政策の方向転換する。金輸出再禁止はもちろん即刻実施せねばならぬ。しか
 し、兌換禁止までやるのは・・・」  
 是清には拭いきれない懸念があった。
・深井の考えは理解できる。金本位制からの離脱に踏み切っても、たとえ数日間であれ国
 内で円を金に換えることが可能ならば、投機筋は円の大量売りを続け、金に交換するだ
 ろう。ならばこの際、兌換そのものも禁止し、そうした投機的な動きを封じようという
 のである。 
・だが、それにはどうしても危うさは残る。是清が逡巡していると、深井がその日のうち
 に再度やってきて、またも兌換禁止を迫った。
 「急を要します。大臣、急いでご決断を」
・「なあ深井。それならこうしてはどうだろう」
 是清は、ついに折衷案を見つけ出す。
 「まずはとにかく円売りの投機熱を冷やしたい。しかし、通貨の信用は安定も守りたい。
 それゆえ、ひとまず兌換は大蔵省の許可制とする」 
 「え、許可制ですか?」
 「そうだ。許可さえ得られればいつでも兌換できる。ただし、それを得るのは相当な手
 間がかかり、ひどく面倒だったらどうする?」
 意味あり気な目つきで、是清は深井を見た。
 「面倒?ああ、なるほど。投機家は時間が勝負です。彼らの動きを封じるため、円と金
 の兌換取引の扱いを、実際には日銀の窓口を一つしか開けず限定的に行なうとか?」
 「そうだ。しかも逐一詳細な報告が必要で、取引の理由を延々と詳しく説明させられる」
 二人は悪戯を思いついた子供のように顔を見合わせ、思わず笑みを浮かべただ。
・それにしても、日銀マンとして長年インフレと闘ってきた深井が、こともあろうに金と
 の兌換を外し、管理通貨制度への移行を進言してきたのが可笑しくてならなかった。
 しかもそれに対し、巷で「放漫財政家」と批判されてきたこの自分が、逆に強く難色を
 示しているのだから痛快でもある。  
・是清はまたもそれを三日でやってのけ、無事に緊急勅令を公布することになったのであ
 る。
 そしてこの勅令の結果、輸出を刺激するための事実上の縁の切り下げが実現。
 円は、約二年間で40パーセントも値を下げ、日本製品は海外市場で価格競争力を得た。
・輸出総額も、昭和六年には、井上の緊縮政策によってほほ半減していたのだが、是清が
 金本位制か らの離脱を実現させた途端、拡大に転じることとなった。
・年が明けた昭和七年一月、帝国議会が開かれると、是清はまず貴族院で先陣を切って演
 説をした。金輸出禁止に踏み切った背景を理解してもらう必要があったからだ。
 いつになく前任者の政策を批判する内容である。井上がやった金解禁とその後の財政経
 済政策が、いかに国民の期待を裏切るものであり、国民経済に極度の困憊と前途暗澹た
 る思いを招くものであったかを説いた。 
 貴族院からは期せずして拍手が起こる。
・野党になった井上は質問の立ち、もちろん激しい論戦を挑んでくる。
 「高橋大臣こそ誤っている。正貨の流出を誇張しています。根本的に金本位の維持が出
 来ない理由がどこにありましょう」  
 どちらが優勢だったかは、井上の演説に拍手がなく、冷ややかだったことを見れば明ら
 かで、その後の解散を経て、選挙の結果にも如実に顕れることになる。

・昭和七年一月、第一次上海事変が勃発した。陸軍大臣荒木貞夫は、
 「これは決して先制攻撃ではない。在留邦人の生命や財産を護るためにも不可欠なこと
 だ」
 是清はこともなげに言った。
 「ならば在留邦人を上海から引き揚げさせたらどうかね。部隊など覇権せずに済む」
・是清がなにより怖れていたのは、衝突が拡大することだった。長期化すれば財政が耐え
 られなくなる。二人は閣内で真っ向から対立した。
・陸軍部隊はやがて上海郊外に上陸し、戦闘に突入する。その矢先、満州が中国国民党政
 府から分かれて独立宣言をした。帝国陸軍は、もはやソ連軍と直接向き合うことを迫ら
 れる事態になった。 
・こうした軍事的行動は、だが、国内では熱狂的に支持されたのである。大正時代に芽生
 えたデモクラシーを背景に、恐慌下における生活苦によって、国民心理が徐々に過激な
 方向性を持ち始めていた。太恐慌を経て保守主義に走るアメリカの関税制度や、日系移
 民への迫害行為などが報道されるにつれ、強い日本を標榜する軍に救いを求めるのも無
 理ないことだった。
・さまざまに鬱屈した国民心理が、軍部の行動を支え、日本の政治や外交までも変質させ
 ていく。さらには国内でのクーデターや、暗殺といった動きに拍車をかけ、軍部や右翼
 のテロリストといった一部の「国粋主義者」が、次々と暴力によって自由な言論を封じ
 ていくのである。
・昭和七年二月には、投票日を目前に控えた選挙運動の遊説先で井上準之助が、三月には
 団琢磨が、血盟団員によって射殺される。
・「三月事件」や「十月事件」と称される未遂の軍事クーデターは、すでに犬養内閣が発
 足する前から計画されていた。恐慌による生活苦をもっとも強く味わった小作農民と、
 軍縮による不満をもっとも感じていた下級士官とが同調し、さらには財閥銀行の投機的
 なドル買い事件などに義憤を掻き立てられ、行動に出たのである。
・そして五月十五日の日曜日、完成してまもない首相官邸で、乱入してきた海軍士官の一
 団に襲われ、首相犬養毅までが非業の死を遂げる。
・昭和七年五月、斎藤内閣が誕生する。是清にとってはこれで六度目の蔵相就任である。
 すでに七十七歳になる是清を、時代はなおも必要としていた。
・臨時議会が始まると、農民救済を求める声が殺到した。是清は二度にわたる財政演説を
 し、明確な政策変更を提案する。大幅な財政出動で、護岸工事や港湾改修、新規道路建
 設など公共工事を進めるのだ。   
・これらの支出は、その大部分は不況に苦しむ農村地域に向けられる。だから雇用が生み
 出せる。それだけでなく、今後の長期的な経済成長に必要なインフラの拡充にも繋がる
 ものだ。
・是清は、中央政府からの支出で三年間で六億円を投入する提案をしたが、これに地方財
 政からの支出を合わせると総額はこの倍以上だ。
 さらに満州における軍事費が加わるので、予算はかなり思い切った規模になる。不況の
 ために激減していた税収と、拡大する財政支出との差額は五億円。この不足分は国債発
 行で賄うこととし、政府は昭和七年度歳入補填公債法の公布に踏み切った。これがのち
 に「高杯財政」と呼ばれる「赤字国債」発行の始まりである。
・その結果、高橋財政のもとで昭和八年から十一年にかけては、実質経済成長率は7.2
 パーセント。それでいてインフレ率は2パーセントに抑えられ、のちに「日本の最も安
 定した経済時代、でかつ発展した理想的な時期」と評されることになる。

絶たれた声
・財政の神様ともてはやされ、財界の守り神とも称された是清だが、このため予算のこと
 では、荒木陸相とたびたび衝突を繰り返している。
 「国防が重要なのはわかっている。だが、可能なかぎり抑えておかないと、いずれ国の
 財政がもてなくなる」
 ことあるごとに是清は強く訴えた。
 「国の外交力、国防力、そして財力が相互に均衡してこそ、初めて国としての成り立ち
 が持続可能になる」
・昭和九年、「帝人事件」は発生し、斎藤内閣は総辞職に追い込まれる。
 代わって岡田啓介内閣が誕生した。ただ、今度ばかりは大蔵大臣への要請を引き受ける
 わけにはいかなかった。是清は、自分に代わりに藤井貞信を強く推した。
 あの井上準之助に「お前は絶対に手放せない男だ」といわしめた逸材である。
 ただ、気になるのは藤井の健康状態だった。
・閣内の衝突は予想以上に激しかった。公債発行の漸減を貫こうにも、若い藤井に対し、
 陸相だけでなく、各省から容赦ない予算の復活要求が突き付けられる。あまりに激務に
 ついに喀血して倒れ、閣議の席にも出られる身となった。別室のベッドで輸血を受けな
 がらの応酬となったが、それでも藤井は一歩も譲らなかった。  
・藤井が忍耐に忍耐を重ね、文字通り命を賭けた昭和十年度の予算案と増税案は、ようや
 くのことで正式に決着した。
 それを見届け、力尽きたかのように病床に臥した藤井は、重態に陥った。
・「この難局を決する後任者は、高橋さんをおいてほかにはありえない」 
 岡田は悲痛な面持ちで迫ってくる。
 「引き受けましょう」
 藤井の後任として、生涯七度目の蔵相を引き受けた。
・国債発行と、日銀による直接引き受けは、日本経済の危機を救うために編み出し、やむ
 にやまれぬ思いで実行に移した財源捻出のための奇策だった。
 それによって可能になった財政出動と、金融緩和政策によるポリシー・ミックスは、世
 界でも見ない、まさに時代を先取りをするような方法であり、その結果日本はいち早い
 恐慌を切り抜けることに成功した。 
・だが一方で、軍事費調達への道を拓くことに繋がったことも事実である。そしてその奇
 策に限界が見えてきたいま、誰かが軍部の暴走を止めなければならなかった。
・増え続ける軍事費と、それを支えるため膨張の一途をたどる国の借金。いま誰かが阻止
 しなければ、この国はとんでもないことになる。是清は敢然ち、そして公然と、軍部批
 判に乗り出したのである。
・昨年から、赤字公債発行によるインフレが顕在化している。日銀からの市中への国債転
 売も一時99パーセントまでだったが、77.2パーセントまで急落した。もはや限度
 だ。これ以上の悪化はなんとしても食い止めねばならぬ。
・「予算は、国民の所得に応じたものでなければならぬ。打ち続く天災で国民は甚だしく
 痛めつけられていることを、軍部はよく考えてもらわねばならぬ。国力あってこその国
 防であるべきだ。財政の信用は最大の急務なのだ」 
 「国防というのは、攻め込まれないよう守るに足りればいいのだ。だいたい軍部は常識
 に欠けている。いったいアメリカ、ロシアと両面作戦をする気なのか。ニューヨークや
 ワシントン、モスクワを占領できるとでも本気で思っているのか」
 是清の目は、川島陸相を鋭く見据えていた。
・昭和十一年。岡田内閣は政友会を追い落とすとして議会を解散する。天皇の統治権を問
 う国体明徴問題が背景にあった。 
・二十三日から降り始めた雪は、昭和十一年二月二十六日の東京を白一色に変えていた。
 「兵隊だあ!兵隊が来ます!」
・表通りにはすでに兵士が約百名。機関銃二基を備えて交通を遮断する一隊、屋敷をぐる
 りと包囲する一隊、さらには警戒中の巡査たちに銃剣をつきつけ監視する一隊。それぞ
 れが分かれて所定の位置についていた。
 実弾数百発と、小銃、拳銃などを手にみなが物々しい重装備である。 
・「外で、変な音がします」
 異様な気配に飛び起きた看護婦兼女中頭の阿倍千代が、是清の寝室に声をかけた。
 「雪でも落ちた音じゃないか」
 是清も起きていたのだろう。薄明りのなかから穏やかな声が返ってくる。
・「動くな!女でも殺すぞ!」
 数日前から孫を連れて来ていた次女の真喜子も、別の部屋では五女の栄子までもが兵士
 たちに銃剣を突きつけられ、監視されていた。 
 物音を聞きつけ、電話室に走り込んで、赤坂表町署に電話をかけて直後に兵士につかま
 ったのだ。
・「動いたりなんかしませんよ!」
 真喜子はわざと大きな声をあげた。お腹には三ヵ月になる子供がいる。
・「なにをする!なにをする!」
 二階の十畳で是清の声がしたのはそのときだ。
 と、つぎの瞬間、乾いた銃声が数発聞こえた。
・我慢できず真喜子が階段に向かったとき、兵士が降りてきた。
 男を突き飛ばすようにして寝室にいくと、なにかが流れるような、吐くような音がした。
 「パパ、どうなさいました!」
 その壮絶な姿を見て、真喜子はその場にへたりこんだ。
 肩や背中に刀傷を負い、鼻と口から大量の血が流れて、羽枕に沁みている。
・土蔵の三階にいる品のところに報せが来たときは、すでになにもかもが終わったあとだ。
・夫は逃げなかった。私心も我欲もなく国民を豊かにするため一心に尽くしてきた八十一
 歳の生涯。丸腰の無防備の老人を、完全武装した多数の軍人が殺す正義がどこにある。
 しかもここまで無残な姿でだ。銃によって絶命したあとも、さらに死体陵辱ともいえる
 残虐な刀傷。品は、胸の奥底で煮えたぎるものに、全身が震えてとまらなかった。
・軍部の増長の先にあるものを明確に予見していた「無私の人」高橋是清の声は、暴挙に
 よって完全に絶たれてしまった。そのことで、高橋財政も、軍備膨張への最後の歯止め
 も、なにもかもが崩れ去った。

あとがき
・繰り返される政権交代、関東大震災、そして世界的な大恐慌という背景のなかで、当時
 この国が向き合わされてきた厳しい財政問題が、いままさに日本が直面している現代の
 それと、あまりに類似していることにあらためて愕然とした。
・この物語を書き進めてまもないころ、ご親族により思いがけない経緯で発見されたのは、
 二・二六事件から一年あまり経った昭和十二年(1937)に帝国ホテルで「故高橋是
 清翁追悼會」が開かれたときの資料だ。
 着席スタイルでの正統派フランス料理による晩餐会の献立や、六百十七名に及ぶ克明な
 出席者芳名簿も残っており、生々しい貴重な資料である。
 イロハ順に整然と並んだ出席者たちの綺羅星のごとき名前のなかに、あの陸軍皇道派の
 重鎮、荒木貞夫の名前を見つけたときは、さすがに胸が騒いだ。彼はこのときいったい
 どんな思いを秘めてこの席にいたのだろう。