サラン 哀しみを越えて :荒山徹

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この作品は、いまから15年前の2008年に刊行された「サラン・故郷忘じがたく候」
という短編集のひとつだ。
私がこの作品を知ったのは、「鉄の首枷 小西行長伝」(遠藤周作著)を読んだときに、
行長が朝鮮から日本に「おたあ」という女性を連れてきたことを知って興味を持ったから
であった。

この作品は、日本名「たあ」、洗礼名「ジュリア」、合わせて「ジュリアおたあ」と呼ば
れた朝鮮国出身の女性が主人公の物語だ。
当時10歳のおたあは、豊臣秀吉の命による朝鮮出兵の際に、当時の朝鮮国から日本に連
れてこられた。
日本に連れてきたのは、史実では小西行長のようだが、この物語では小西行長の実弟であ
った三木輝景ということになっている。この三木輝景が実在した人物なのかどうかは、ネ
ットで調べても情報が得られないため、架空の人物ではないかと思われる。
また、ジュリアおたあの出自についても、朝鮮国の両班の貴族の娘だったという説もある
が、この物語では奴婢の夫婦の娘だったということになっており、どちらが真実かはわか
らない。
いずれにせよ、当時の日本や朝鮮の為政者によって人生を翻弄された女性であることには
変わりない。
この作品のタイトルは「哀しみを越えて」となっているが、ジュリアおたあの人生を考え
ると、とても「哀しみを越えて」と簡単に言えるような、なまやさしいものではなかった。
おたあは、キリシタン禁教令が出ても、棄教の要求を拒否したため、伊豆大島への流刑に
されたわけだが、それから更に新島へ流刑され、さらに神津島へと三度も流刑にされてい
る。これは、おたあが棄教しなかったためのほかに、家康からの「側室になれ」との要求
を拒否したためとも言われているようだ。
おたあは、神津島で生涯を終えたされているようだが、神津島を出て、大阪に移動し、そ
れから長崎に移ったという説もあり、おたあの最期についても不明のままのようである。
なんだか、哀しさだけが残る作品であった。

ところで、ちょうどこの作品を読んでいる最中に、朝日新聞の天声人語に、このジュリア
おたあに関する記事が載っていたのを発見して驚いた。自分と同じように、ジュリアおた
あに関心を持っている人が未だに少なからずいるらしいことを知って、ちょっとうれしく
なった。

前に読んだ関連する本:
鉄の首枷 小西行長伝
故郷忘じたく候
臍曲がり新左
利休にたずねよ
韓国併合への道



・「倭奴が大群で攻め寄せてきた!」
 その恐るべき報せが伝わったのは、半月ほど前、四月も半ばのことだった。
 倭軍は海を埋め尽くす数の戦船で釜山浦に押し寄せてきたという。
 釜山までは、たあの住む霊山県の小村から東へわずか二日の距離だ。
・村人は恐怖に浮足だった。といって、逃げ出す者は一人もいなかった。おっつけ、実は
 間違いだったという報せが来るのを、なかば祈るように期待したからである。
・けれど、待ちに待った第二報は、釜山の砦は二刻(四時間)足らずの戦闘で陥落、守将
 の鄭撥将軍は戦死し、城兵は枕を並べてことごとく討死して果てた、と告げるものだっ
 た。
・そして、思いも寄らないことが起きた。
 一夜が明けてみると、村を支配する両班の一族と村役人たちがこぞって姿を消していた。
 一帯の土地を治めるべき漢城から赴任していた偉い役人もいなくなっていた。
 逃げたのだ。村人たちを見捨てて。
・名状しがたい虚脱状態に陥って、村人たちは荷造りの手を止めてしまった。
 これまで彼らは、およそ両班や役人の云いなりになって生きてきた。
 命令に従う・・それが彼らの人生だったのである。
・間もなく、今度は西方面の金海にも倭軍が上陸したとの知らせがもたらされた。
 城を守る徐礼元、李惟倹は、城兵や民衆を置き去りにして、真っ先に逃げ出したという。
・さらに、倭軍を迎え撃った朝鮮軍が各地で不様な敗北を重ねているという悲報まで次々
 と入ってきた。
 やくなく村人たちは衆議して決めた。怯えて逃げるのは無益。倭軍が来れば、その時は
 その時であると。
・果たして日没を直前にした頃、倭軍の一部隊が村にやってきた。
 家々の戸口は固く閉ざされ、中に籠った女子供は、息をひそめた。
 人望ある老人たちが数人、自然と代表格に推されて倭軍との折衝にあたり、残りの男た
 ちは手に手に鋤や鍬を持って交渉を見守った。
・すでに食糧や農作物は、裏山の一角に隠し終えている。たとえ倭奴が家に押し入って、
 納屋を覗き、壁をこわし、床板を引き剥がそうが、米粒一つ得られぬようになっていた。
・これど、意外にも倭軍の狙いは食糧の調達にはなかった。
 「小西摂津守行長さまが武将、三木主殿介輝景である」
 倭将は、なんと朝鮮の言葉で告げた。村人は唖然となった。
・「このたび貴国にやむを得ず押し入ったのは、明国を征するため道を借りんとしてであ
 る。朝鮮を掠め取るためではない」
 要するに、案内者が欲しいというのであった。
・漢城の先、せめて北都たる平壌までの道に通暁した者がいれば、手を借りたい。
 我はと思う者あらば名乗り出よ。  
・手を挙げる者は、誰もいなかった。
 三木輝景は言葉重ねた。協力者を得れば、村に御墨付きを与えよう。
 この先、幾多の日本軍が踏み入れるやも知らず、彼らの一部の不心得者が掠奪、暴行を
 働く恐れもなきにしもあらずだ。その時、小西摂津守行長さまのお墨付きがあれば、村
 は安泰であると。 
 男たちは顔を見合わせた。それでも名乗り出る者は一人としていなかった。


・「わしは応じようと思うのだ」
 父の言葉に、母は顔色を変えた。たあにとっても、およそ信じ難い一言だった。
 「わしは平壌で生まれ、平壌で育った。その先、義州まで使いして、明との国境の鴨緑
 江を望んだこともある。わしほどの適任はおるまいよ」
・たあの両親は奴婢だった。朝鮮社会最下の身分階層に属する奴隷であり、つまりは賤民
 である。
・奴婢といっても、公奴婢と私奴婢の二種類があった。公奴婢は官庁の所有物だ。私奴婢
 は両班貴族に仕えた。
 たあの父は平壌の公奴婢だったが、事情によってさる両班の私奴婢となり、物のように
 転売され、あるいは交換され、贈与もされて、最終的に、この村を支配する両班の私奴
 婢に落ち着いた。そして、その家に仕えていた奴婢の女と夫婦になり、たあが生まれた
 のである。
・なお、奴隷制国家たる李氏朝鮮には「一賤則賤」という原則がある。
 両親の一方が奴婢であれば子供は是非なく奴婢身分となる。
 したがって、両親ともに奴婢であるたあは、生まれながらにして、死ぬまで奴婢として
 生きてゆかねばならない宿命を負っているのだった。
・母の目にみるみる涙が盛り上がった。
 「倭奴は、この国を、わたしたちの国を侵しているのよ。その手先になるなんて、国を
 売ることだわ」
・「わたしたちの国?朝鮮が?」
 「おまえ、本気でそう思っているのかね。わたしたちを奴隷にしてこき使い、両班だけ
 が栄えるこの国を自分の国だと、本気で考えているのかね」
 「両班さまは、わしたちを見捨てて逃げ出したのだよ。わしたちは捨てられたのだ」
・「朝鮮はわしたとの国ではない。両班の国だ。尊大な顔をして威張り、奴婢を牛馬のよ
 うに働かせる。いいや、家畜以下だな。奴婢を物としてしか見ず、物だから殺しても平
 然としていられる。そのくせどうだ、いったん倭奴が攻めてくれば、民を捨てて一目散
 に逃げ出してしまう。それが両班だ。それが朝鮮という国の正体なのだ」 
・「倭奴を、信用するというの?」
 「あの倭将、三木輝景といったか、若いが信じてよい面構えをしている。少なくとも、
 鄭家の奴等よりも幾倍もましだな」
 鄭家というのが、この村の両班、すなわち、たあ一家の所有者であった。
・「村のためにもなる。小西行長の免状があれば、この村はもう安全だ。おまえもたあも、
 毎日倭軍に怯えて暮らさずともすむ。誰かが行かねばならんのだ」
・ほどなく父は家に引き返してきた。思ってもみないことに、なんと倭軍の主将と肩を並
 べて、他に護衛らしい五人の倭奴が従っていた。父の顔に卑屈の色は微塵もなかった。  
・たあは母のチマの陰に隠れるようにして異国の武人を観察した。生まれて初めて目にす
 る倭人である。その倭人、三木輝景は、若者だった。二十歳になるやならずやの若さだ
 ろうか。そのことに、たあはまず新鮮な驚きを覚えた。
・倭奴は禽獣の類いと聞かされていたのに、実は自分たち朝鮮人と変らぬ面体であり、
 それどころか別けても輝景は目鼻立ちの涼しく整った貴公子であることに、倍する驚き、
 衝撃といっていいほどの感情を味わった。
・もう一つ、たあの目を惹いたものがあった。
 輝景の首に、糸のような細い鎖で懸けられている装身具である。小さな十字形のものだ。
 黄金でできているのだろうか。薄暗い室内の燭火にキラキラと美しい光を放った。
・輝景は膝を揃えると、母の前に両手を支え、深々と頭を下げた。
 たあはびっくりした。誰かが母に頭を下げるなど、これまで見たこともない。
 母にしても初めての経験に違いなかった。目を白黒させている。
・輝景の目が、たあの視線を捉えたのは、その時だった。
 たあは思わず顔を引っ込めようとした。だのに、なぜか金縛りにあったようで身体が動
 かない。
 輝景はにっと笑った。兄のような笑みだった。
 

・三木輝景は、小西行長麾下の別部隊の長であった。
 輝景は朝鮮民衆に協力者を得るという任務を与えられ、近隣の村々を回っていたのであ
 る。だが、釜山に近ければ近いほど、村は全員が恐れをなして逃げ出し、無人となって
 いた。この霊山の一山村でようやく孔ヒ謙という案内者を見出すことができたのは幸い
 であった。
・たあと母は村外れまで父を見送った。
 倭軍に連れて行かれる父。けれども、たあの心は自分でも驚くばかりに平静だった。
 認めたくはなかったけれど、それは輝景という異国の若武者に対する信頼感のようなも
 のから発しているように思えた。
・村人の中でヒ謙の選択を褒めそやす者がなかったわけではない。そんな彼らはやはり、
 奴婢階級に属し、日頃から酷使されている者たちだった。
 だが、大多数の村人は、たあ母子に白い目を向けた。
 あからさまに口に出して云わないのは、曲がりなりにもヒ謙が協力を申し出たことで、
 倭軍が一晩の進駐で村を去ってくれたからだった。
・だが、彼らの評価を劇的に転換する日が間もなく来た。五月の半ばを迎えた頃、またし
 ても村に倭軍が踏み入ってきた。
 今度の倭奴は、輝景の率いていた部隊とは明らかに違っていた。
 まずもって言葉が通じない。言葉の代りになったのは、抜き放たれた白刃であり、槍の
 威嚇であり、筒先から凄まじい轟音を放って村人の心胆を冷やした鳥銃だった。
・村人たちは容赦なく家から引き出され、両班の屋敷前の広場に集められた。
 倭奴の兵士は、意味の分からぬ倭語をがなりたてた。食糧を差し出すように命じている
 のだ、とは察せられても、如何ともしようがない。誰も顔が蒼ざめ、震え、女子供は泣
 き叫び始めた。
・主将らしい粗野な顔つきの倭奴が鋭く何かを叫ぶと、配下の兵士たちが村人の中に分け
 入って、男女を問わず手当たり次第に十数人を引きずり出した。
 倭兵の抜きつれた白刃が彼らに向かって振り下ろされようとした時、たあの傍らで母が
 すくっと立ち上がった。
 母は倭奴の主将の前に駆け寄ると、突きつけるように、一通の書状を主将の顔前にかざ
 した。
・一瞥した倭将の顔に、一転して驚きの色が浮かんだ。
 ほどなくすると、彼らは刀をおさめて、憤懣をぶちまけるように何かを口汚く罵りなが
 らも、しかし村人に何ら危害を加えず、何一つ奪うことなく、村から立ち去っていった
 のである。
 母が示した書状こそ、三木輝景が書き残していった”お墨付き”だった。
・その後も倭軍は幾度となくやって来た。そのたびに母が書状を見せ、彼らはしぶしぶな
 がら引き返していった。
・「ヒ謙のお陰だ」
 誰もがそう云い始めた。ヒ謙こそは村の守護神だと。母のもとに村人がひっきりなしに
 訪れるようになった。あまりと云えばあまりの変わりようである。
・六月も終わりに近づいた頃、ついに平壌も倭軍の手に落ちたことが伝えられた。
 すでに、漢城が倭軍に占領される直前、王に置き去りにされた民衆が、憤激して王宮に
 火をつけてまわり、司隷院も焼き討ちにされたという報せがもたらされていた。 
 司隷院には奴婢の管理名簿が収められている。それが灰となった。
 つまり奴婢はもはや奴婢ではなくなったことを意味する。
 その報せが、村の奴婢たちの反権力意識を煽り立てた。
 王、両班何するものぞ。その意気は平民にも伝わり、平壌陥落を知るや彼らは歓喜を爆
 発させたのである。

・「大変なことになった。逃げろ、ともかく逃げろ」
 そう喚きながら駆け込んできたのは、父が最も親しくしていた奴婢仲間の一人で、土気
 色に変じ引きつった顔で走り去ってしまった。
・理由はすぐにわかった。入れ替わりのように家の中に兵士が踏み込んできた。
 「売国奴、孔ヒ謙の妻と娘でございます」
 「すべては、あの者たちの仕業に」
 憎々しげな声で告げたのは、つい先日もにこやかに笑顔で食べ物を差し入れてくれた懇
 意の夫婦だった。そして彼らが嚮導してきた兵士は、倭兵ではなく、朝鮮兵の一団であ
 った。
・たあは母と共に縄を打たれ、乱暴に家から連れ出された。
 村は、朝鮮兵に”制圧”されていた。義兵の一団であった。
・村人は、またしても広場に集められていた。
 「義兵将、郭再祐閣下である」
 傍らにいた副官らしい若者が、冷たい声を出した。
 たあの母は、後から突き飛ばされるようにして郭再祐の前に跪かされた。 
・たあは恐怖で生きた心地もなかった。倭軍はどこにいるのだろうと思った。
 三木輝景の面影が、一瞬、脳裡をかすめた。
・郭再祐は宜寧という土地の名門両班で、数百人の奴隷の所有者だった。倭軍侵入の報せ
 に接するや、憤を発して義兵を組織し、宜寧に本陣をおいて遊撃戦を展開した。
 洛東江の渡河を図る安国寺恵瓊軍を撃退したのは、他ならぬ彼の義兵軍団である。
・村の長老が必死に郭再祐に弁解している声がたあの耳に聞こえてきた。
 「孔ヒ謙という不心得者が、金に目が眩んだのか、とにもかくにも村の恥にごぜえます
 だ」
・誰かがひときわ高く声を放った。
 「この女の家をお捜しになってくだせえ。倭奴の書付が出て参りますだ。それが何より
 の証拠でごぜえます」 
・家捜しが終わった。三木輝景が残した書付は、これまで幾度となく村を救ってきたお墨
 付きは、郭再祐の手に渡った。江衣の義兵将はそれを一瞥するや、唇を歪めて、直ちに
 破り捨てた。  
 「この女と娘を牢にぶちこんでおけ。汚らわしい売国奴が戻ってきたら、三人揃って斬
 って捨てるのだ」
・たあは母と一緒に土牢に閉じ込められた。未だ主の帰らぬ両班の屋敷の牢である。
 「どうか娘の命だけは助けてやってくださしまし」
 母は咽喉を切り、血を噴くまで叫び続けたが、聞き入れてもらえなかった」
 「売国奴め」
 吐いて捨てるような声の、それが答えだった。
・「お父ちゃん、帰ってこないで」
 昨日とはまったく逆のことをたあは祈った。
 帰ってきれば父は殺される。帰らなければ父も母も自分も、とりあえずは無事でいられ
 る。


・祈り疲れて、いつしか眠りに落ちていたたあは、母の押し殺したような叫び声で目を覚
 ました。
 いつのまに押し入ってきたのだろう、牢の中には五人の男たちがいた。
 郭再祐が村に残して去った配下の兵士たちであった。彼らが母に群がっていた。
・たあは母が裸に剥かれ、これまた裸同然の兵士たちに組み敷かれている。
 激しく抵抗してはいるが、如何せん、女一人に男五人。裸身を彼らの自由に変形させら
 れ、その仄白い肌に、男たちの武骨な指やら、泡立つ唾液にぬめる舌やらが、見るもお
 ぞましい具合に這いまわっているのであった。
・たあは恐怖に痺れ切って、身動きもままならなかった。叫びたいのに、咽喉を塞がれた
 ように声が出ない。
 「娘が起きたようだぜ」
 「なあに、かもうものか。見せてやれ。男と女はこうやって・・・」
 別の兵士が下卑た笑いをあげ、聞くに耐えない淫らな言葉を口にした。
・「たあ」
 母の叫び声が耳を搏った。今まで一度も聞いたことのない悲痛な声だった。
 その瞬間、たあの呪縛は解けた。
 「お母ちゃん」
 咽喉を通過した熱い塊は、絶叫となって迸り、男たちは一瞬、ぎょっとしたように母の
 身体の上で動きを止めた。 
・たあは母から男たちを引き離そうと、一人にむしゃぶりついていった。
 けれども、横合いからにゅっと伸びてきた別の男の手にお下げ髪を掴まれ、そのまま引
 き回されるように転げ倒されてしまう。
・「大人しく見てろや、弟か妹をつくってやろうというのだぜ」
 「でなきゃ、おまえも裸にして・・・・」
・その声は、次の瞬間、人間のものとは思われぬ咆哮に変じた。男の一人が母の身体から
 跳び上がるように離れると、両手で股間を押え、狂ったように辺りを転がり始めた。 
 両手の間からこぼれるように血が染み出ている。
 「噛みやがった、この女っ」
・呆然としていた四人の男が、口々に罵りの言葉をあげながら、母に襲いかかってゆく。
 「やめて、やめて、やめて」
 たあに出来たのは、そう叫ぶことだけだった。
・たあは涙にかすむ目で、母を見つめた。裸の母は、首も手足も不自然な格好で折れ曲が
 っていて、ぴくりとも動かない。美しかった顔は、血まみれの肉塊の無惨な盛り上がり
 に過ぎなくなっていた。  
・「とんなことになったな」
 「何、どうせ斬る女だったのだ。かまうものか」
 「だが、この張り切り息子サマが、かまわなくはないと云っているぜ」
 「おれのもだ」
・四人の目は、たあに向けられた。好色さが甦っている。   
 この異様な状況下で十歳のたあが母親の代用に耐え得ると、血と欲望に狂った男たちの
 目に映ったのはあやしむに足らなかった。
 四人の男たちは、たあに向かってそろりと歩き出した。股間に突き出た角のようなもの
 を醜悪に揺らして。
・父はいない。母は死んだ。この時、たあの脳裡に浮かんだのは、またしても三木輝景の
 顔だった。
 「たすけて、お願い」
 思わず叫びかけていた。
 男の手が肩にかかった。乱暴に引き起こされる。たあは目を閉じた。
・「何の用だ」
 不機嫌そうな声がした。
 目を開けた。四人の頭は、土牢の入口へと向けられている。太い木の格子越しに、村人
 の顔が見えた。牢内の様子に息を呑み、今にも腰を抜かさんばかりだ。 
 村人の口は、開閉を繰り返している。話す気はあるのだが、言葉が出てこないという風
 情だった。
 「・・・も、戻ってきました。孔ヒ謙が」
 

・動かぬ母を見下ろす。皮膚が割れ、肉がはじめた血まみれの顔、凄まじく膨れ上がった
 身体。目を背けず見つめ、母ではないのだと自分に言い聞かせた。
 股間を両手で押えた男は、牢の隅でこれも動かない。 
・たあは、のろのろと牢内を見回した。入口の頑丈な格子扉がわずかばかり開いているの
 が目についた。では、あの四人の男たち、慌てふためいて飛び出していったが、鍵をか
 けるのを忘れたに違いない。 
 「お父ちゃん」
 たあは扉を押し開け、牢を抜け出した。
・おおい、こっちだ、向うへ行ったぞ、という声が彼処で叫び交わされていた。
 「お父ちゃんが追われている」
 直感だった。こんな夜中に、父は帰ってきたのだ。
・わあという囃し立てるような声が聞こえてきた。斬れっ、売国奴を斬れっ、という叫び
 も。  
・「たあが来たぞ」
 村人たちは次々に行く手を開いた。ぎくりとなって、あるいは顔を背け、逃げるように
 飛び退く者もいた。皆、憑き物が落ちたような顔をして、一様に後ろめたい表情を浮か
 べていた。 
・あの四人の男たちがいた。母を汚し、命を奪った男たちの足元に、今度は父がすでに息
 絶えて転がっていた。 
・「おお、あったぞ、あった」
 すぐに卑しい声があがった。父が背負っていた布包みが奪い合いの末に裂け、中から黄
 金の粒が流れ落ちた。
 「すごい量だな」
 「倭奴め、気前よく弾んだものだ」
・その時、一人がたあに気づいた。
 「おい・・・」
 四人は押し黙って、たあを眺めやった。その目に、ついさっき牢内でたあを母親代わり
 と見立てた狂った欲情の色はなかった。彼らは今や黄金にのみ狂っていた。
 「ついでだ。娘のほうもやってしまえ」
・たあは逃げなかった。足を踏みしめ、せいいっぱいの憎しみを目に込めて男たちをにら
 みつけた。  
 「この餓鬼・・・」
 たあの怯まぬ態度に逆上したように、最も近くにいた男が白刃を振りかぶった。
・シュッという音をたあは聴いた。鋭く空気を裂く音だった。
 今にも刀を振り下ろさんばかりだった男が、ぐらりと不自然によろめいた。
 たあは目を瞠った。男の片方の目で羽根が揺れている。矢羽。男が態勢を崩したのは、
 飛来した矢に片眼を貫かれたからだった。
・三人に残されていたのは、不審と驚愕、その濃淡の叫びを上げる時間だけだった。
 矢は間髪を入れず次々と、しかも恐るべき正確さで襲いかかり、等しく喉笛と左胸に命
 中した。  
・「倭奴だっ」
 背後で恐怖に動転した叫び声を耳にした。村人たちが炬火を打ち捨てて、我先にと逃げ
 出してゆく。
・「遅かった。許してくれ」
 不意に耳元で沈痛な声がした。たあは振り向いた。
 三木輝景が立っていた。
・「来て、くれた?」
 これは夢か。案の定、すぐに輝景の顔は輪郭がぼやけ始めた。
 たあの身体はふわりと平衡感覚を失って、前のめりに倒れ込んだ。
 だが、次の瞬間、輝景に抱き留められた。その腕の力強さが、決して夢ではないことを
 教えてくれた。たあは意識を失った。
  

・たあの前には、土饅頭が二つ、今なお湿った土肌を曝して、仲良くこんもりと盛り上が
 っていた。見事な手際でこれを造った三人の男たちは、背後に離れて控え、たあは輝景
 と並んで両親の墓に手を合わせている。
・村からは誰も追っては来なかった。目の前で、屈強な兵士が四人、瞬時に仕留められた
 のである。追跡しようという気を起こすはずもなかった。 
 そのうえ村人たちは、恐怖に駆られて、倭軍の一部隊が襲ってきたと錯覚しているに違
 いない。何ぞ知らん、その数わずかに四人だったとは。
・失神からは直ぐに目覚めた。
 「村を出るぞ」
 輝景の言葉に、たあは躊躇いもなくうなずいていた。
・すぐに輝景は、たあに云った。
 「遠くにゆこう。村人に暴かれないところに埋葬しなくては。お母さんは?」
 たあは土牢に案内した。
 母の死体を目にするや、輝景は不思議な仕草をした。片膝をつき、右手で目の前に十字
 を描いたのである。 
・村を出て間もなく、たあは全身の力が抜けて歩けなくなった。身体がだるく、熱っぽい。
 たあは輝景におぶわれた。三番目の男が抱えようとするのを、「その子はおれに任せろ」
 そう云って遮り、輝景自らが優しく背負ってくれたのだ。
・「乳を無事に返す、その約束をおれは破ってしまった。だから、おたあ、おれにはおも
 えを衛る務めがあるんだよ」 
 「といって、平壌に連れ帰り営中に置くこともままならぬ。だいいち、おまえのような
 不憫な娘に、このうえ血腥い戦場など見せたくはない。だから、決めた」
 「日本へゆけ」
・たあは目を瞬いた。日本、倭国へ。思ってもみない言葉だった。
 「心配することは何もない。おれの父に預けるのだから。それに、殿の奥方さまがおま
 えをきっと実の子のように可愛がってくださるだろう」 
・たあは、抗わなかった。自分は孤児になったのだ。売国奴の娘。この国で生きていかれ
 るはずがなかった。
・別れ際、輝景は金色の首飾りを外し、たあの首に懸けてくれた。
 「サンタ・クルスといって、西洋人が身につけるお守りだ」
 たあはそれを掌にのせてみた。冷たいはずの金属を介して、輝景の肌の温もりが伝わっ
 た。


・たあは思い切って、輝景がどんな人か、と訊ねてみた。
 小西家の重臣、三木宗右衛門貞時さまの御嫡男。実は養子なのですがと付け加えた。
 その実、小西行長の末弟で、ゆえあって三木家の跡を継ぐことになった。これは公然の
 秘密である、と云う。
 さらに、宗右衛門さまは老妻を亡くされたばかり、輝景さまは未だ妻を娶っておらず、
 よっておたあさまを養育するのはジュスタさまとなりましょうと。
「ジュスタさま?」
「殿の奥方さまです」
・やがてたあは眠りに落ちた。
 目が覚めた時、世界がゆるやかに揺れていた。
 たあが眠っているうちに釜山に着き、折よく人馬を補給すべく宇土に向かおうとしてい
 た小西家の船に乗り込んだのだった。
・輝景の父、正確には養父というべきか。三木宗右衛門は、還暦を過ぎた老人だった。
 たあを前に輝景の書状を読み進めるうち、滂沱と涙を流し始めた。
 「不憫なり」
 宗右衛門は叫ぶように云った。
・その日のうちに、たあは宇土城の本丸で行長の正室に対面していた。
 ジュスタ夫人は、たあが二番目に目にする高貴な女性だった。一番目は、もちろん霊山
 の両班鄭氏の夫人である。鄭氏の正室が撒き散らしていた驕慢さは、ジュスタ夫人には
 寸毫も感じられなかった。楚々として、慈愛に満ちた眼差しをもった女性であった。
・夫人はまず、彼女に宛てられた輝景の書状を幾度も読み返し、報告に耳を傾けた。
 最後に宗右衛門が、三木家の養女にいたしましたというのを聞いて、静かにうなずいた。
 「わたしも力を貸しましょう」
 その目には光るものがあったが、激情に身を委ねることを抑制しているようだった。
・「おや、クルスを懸けているのですね」
 夫人が注意を向けた。
 「奥方さま、このクルスは・・・」
 「輝景さまからいただいたものです」
・ジュスタ夫人の顔にかすかな驚きの色が刷かれた。
 夫人は膝を進めて、たあの胸元を覗き込んだ。
 「まさしく、輝景どのが洗礼を受けたとき、頂いた大切な聖十字架。これを、この子に
 与えたとは、よほど・・・」


・四年後の慶長元年(1596)、十四歳になったたあは洗礼を受けた。
 近く講和が結ばれて、戦争が終わるかもしれないという噂が流れていた。
・「輝景さまが帰ってくる!」
 そう思うと、たあは、輝景から贈られた黄金のクルスにかけても洗礼をしておかねばな
 らないと急いたのだった。同じキリシタンとなって輝景を出迎えたかった。
・宗右衛門は、老いの楽しみを見つけたようにいきいきとなってたあに接した。
 初孫を得たるがごとしと、周囲の揶揄的な微笑を誘っているのも気にしなかった。
 ジュスタ夫人も同じだった。夫人はたあを側に上げ侍女として側に置きながら、礼儀作
 法を学ばせた。一年と経たぬうちに、たあは日本語の読み書きができるようになり、そ
 してキリシタンの信仰へと接近していった。  
・異国に生まれた御教えが、もしや自分を救ってくれるかもしれない、教え導いてくれる
 かもしれないと、たあは期待を抱いた。ジュスタ夫人に随って聖祭の日には必ず礼拝堂
 に参列し、意味の分からぬなりに祈祷の言葉を繰り返し覚え、熱心に唱えた。福音書を
 読み込み、教理を理解しようと努めた。
 この世に神も仏もいないのだとたあは頑なに思い続けていた。母を裸に剥いて、悪鬼の
 ように群がっていた男たち、撫で斬りに殺されて、血を噴いている父の死体。神、ある
 いは仏が存在するなら、あのようなむごいことを、魔界でのような出来事を、どうして
 お止にならないのか。そう思うと、神を信ずる気にはなれなかった。
・それでも、輝景に出会えたことが神のお導きだと思えは、信仰にも次第に身が入ってい
 にった。ひとえに輝景を思えばこそだった。
・洗礼への請願が認められ、洗礼式は、主の昇天の祝日に、内藤如安こと飛騨守忠俊の屋
 敷で執り行われた。
 主の如安は行長の名代として講和交渉のために赴いた北京から帰った後も引き続き朝鮮
 に留まっており、式を主宰したのは妹のジュリアだった。 
内藤ジュリアは、後に「都の修道女」という名の、日本で最初の女子修道会を設立した
 ことで知られる。
 徳川幕府の禁教政策で兄の如安や高山右近らとともに追放され、マニラで客死。当地で
 も日本女性の修道女会「聖ミカエル会」を組織し、信仰に一生を捧げた。
・たあの洗礼名が厳かに告げられた。
 ジュリア
 ジュスタ夫人も一目置く熱烈な信者内藤ジュリアと同じ霊名である。
・この時、たあと同じく受洗してクララという霊名を授けられた少女がいた。
 現世名をお品といい、ジュスタ夫人の遠縁にあたり、その侍女として仕えていた。
 たあと同じ年、四年前から二人は親友で、たあが日本語をすぐに読み書きできるように
 なったのは、お品の力添えによるところが大きかった。 
 お品は聡明かつ好奇心旺盛な少女で、たあには朝鮮の言葉を教えてくれるようにせがん
 だ。今では二人とも二つの国の言葉を自由に操れる。それが二人をますます強い絆で結
 びつけていた。
・輝景へのほのかな思慕は、とうにお品に見抜かれていた。輝景の洗礼名がペドロという
 ことは、お品が気を利かせて教えてくれたものだ。
・お品は、たあの耳もとに口を寄せて囁き、いたずらっぽく目をつぶってみせた。
 たあは真っ赤になった。
 その夜のうちに、たあは輝景へ手紙をしたためた。
・輝景からの返信は、たあの受洗を温かい言葉で祝福していた。
 「これからはおまえも、神の愛に導かれて生きてゆくように」
 愛、すなわちサランと、朝鮮の文字ではっきりと書き記されている。
 サラン、久しく聞いたことのない言葉だった。
 「サラン、サラン・・・・」
 たあは幾度も呟いた。
・棄てた国の言葉なのに、サラン、サランと。その優しくも、深みのある響きが、日本の
 言葉「愛」という語感よりも、たあの胸を熱くふるわせた。
 神の愛、神が愛というものならば、わたしにも信じられる。そう思った。  
・その年の秋九月、大坂城で太閤秀吉は明使を引見した。そして講和は決裂し、秀吉は再
 征を号令した。
 どうしてそんな無惨な結末に終わったのか。たあには理解できなかった。わかったのは、
 また戦いが始まり、輝景の帰ってくる日が遠のいてしまったということだけだった。
 明使を導いて日本に戻っていた行長は、太閤の怒りに触れ、直ちに出陣を命じられた。
 彼は宇土に戻る余裕すらなく、虚しく朝鮮へと引き返していった。 
・二年が過ぎた。たあは十六歳になった。
 その整った美しさも、次第に人々の口の端にのぼるようになった。
 実際、あどけなさを脱して成熟の入口に立ったたあは、宇土の城下でも、一、二を争う
 ほどの美しさだった。憂いを秘めて嫋々とけぶる瞳と、異国人という出自が相俟って、
 たあを一種、神秘的な存在に押し上げたのだ。まさしく朝鮮の美姫ではあるまいか。
 そう人々は噂した。
・後に流布されることになる、「ジュリアおたあ」は行長が連れ帰った朝鮮貴族の娘、と
 いう俗説も、この国で好まれる貴種流離譚、その一つとして、宇土時代にすでに形作ら
 れていた。
・ともかく、この慶長三年八月、たあの祈りがようやく通じたかの如く、豊臣秀吉は死ん
 だ。当然のように、直ちに朝鮮からの撤退が始まった。
・だが、またしてもたあは気をもまなければならなかった。
 行長が新たに城を構えた順天は本営の釜山から最遠方の地にあったため、その撤収は遅
 れに遅れた。ために陸路を明軍に、海路を朝鮮の李舜臣の水軍に阻まれ、封じ込められ
 ているという状況が伝えられたのだ
・たあは寝食も忘れ、礼拝堂に籠って一心不乱に祈り続けた。
 追いかけるように、朗報が飛び込んできた。隣国薩摩の島津義弘が水軍を率いて順天城
 に救援に向かい、李舜臣を破って小西軍の退路を開いたと。
・寒々とした宇土の港に、敗残も同様の姿を晒した軍船が次々に入ってきた。
 宇土の町は一気に歓びに包まれた。
・たあは港に出なかった。火の気のない屋敷の奥で待っていた。
 港から戻ってきた宗右衛門の、けたたましくたあを呼ぶ声が屋敷中に響き渡った。
 そえでもたあは立たなかった。何やら宗右衛門をなだめすかすような気配があって、
 ただ一人の足音が廊下をことらに向かってくるの聞いた。 
・襖が開いた。
 たあは目を上げた。輝景が、立っていた。
 六年ぶりに目にする輝景。肌は陽に黒く灼け、戦塵に汚れて、逞しさと男くささは増し
 ていたが、貴公子のような容貌は、間違いなく輝景のものだった。
・「帰ってきたよ、おたあ」
 かすれ声で輝景は云った。
 お帰りなさいませ、ジュスタ夫人に躾けられた礼儀作法で、たあは両手をつかえて迎え
 るつもりだった。こんなに立派に成長したのだという立ち居振舞いを見てもらいたくて。
・だのに、ジュリアという霊名ではなく、六年前のあの日のままに、おたあとよばれた瞬
 間、たあは小鹿のように跳ね上がり、がっしりとした胸板に飛び込んでいた。
 「輝景さまっ」
 

・たあが輝景と結ばれたのは、やや時間がかかって、明くる年の初秋の候だった。
 予想以上に美しく成長したたあに、輝景は戸惑い気味であったようである。
 だが、ある夜、決然とたあを抱いた。
 誰にも知られぬはずだったのに、真っ先にクララお品の気づくところとなった。
・幸福のあまり、たあの美しさは輝やかんばかりで、お品以外にも気づかれるのは時間の
 問題と思われた。 
・次に察知したのは宗右衛門だった。主君の弟を養子として、輝景にやや遠慮気味のとこ
 ろが無きにしも非ずだった宗右衛門は、怒った。
 「何をぐずぐずしておる」
 早く祝言をあげてしまえ、というのだ。異国の女性を正室にするに何の障害もあろうは
 ずはなかった。
 「登城じゃ、登城」
 宗右衛門は追い立てた。必要なのは主君の許諾のみである。折よく行長は大坂から戻っ
 てきていた。
・輝景が苦笑して、登城の支度にとりかかったところへ、城から呼び出しがかかった。
 「大阪へ行け、主殿介」
 行長は命じた 
 「しばらくの間、おれの名代として事を処してほしいのだ。ともかく、このままでは済
 むはずがない」
 行長の顔は、無常の深淵を覗くが如くだった。
・たあの落胆は大きかった。晴れて夫婦となるはずが、輝景と離れ離れになろうとは。
 たあにとって輝景は、いわば運命の男だった。契りを結んだ相手、いずれ夫となるべき
 男という存在を超え、運命の絆で固く繋がれた”サラン”なのだった。
・両親が相次いで惨殺された夜に、自分を救けに来てきれた。かけがえのない輝景、たあ
 のすべて。その輝景と一つになれたというのに、また離れて暮らさなければならない。
 たあは涙が溢れて止まらなかった。 
・「何を泣くことがある。祝言こそあげね、おれたちは夫婦、離れていても一心同体だ」
 「いつ戻ってくださるのです」
 「早く帰れるよう、神に祈ってくれ、おれも祈祷を欠かさぬつもりだ」
 その夜、輝景は明け方近くまでたあを愛しつくした。身体は痛みが数日も残ったほどの
 激しさだった。
 「忘れるな、おたあ。そなたは、おれの妻だ」
 輝景はそう言い残して船上の人となった。
・しばらくの間、たあが密かに期待したことがあった。お腹に、輝景の子が宿るのではな
 いかと。だが、いくら待っても妊娠の兆候は訪れなかった。 
・一年が過ぎた。輝景は戻ってこず、今度は行長自らが大兵を率い、慌ただしく大坂へと
 出陣していった。
 慶長五年(1600)夏のことである。徳川家康と石田三成の間で戦になりそうだとの
 噂が、宇土の城下でも頻りに流れていた。まもなくそれは現実のものとなった。
 九月も半ば過ぎ、行長の留守を狙いすましたように、加藤清正の軍勢が宇土城を囲んだ
 のである。
 後から思えば、遠く美濃国関ヶ原で行われた天下分け目の合戦は、このときすでに西軍
 の敗北で決着を見ていた。
・それよりも宇土の留守将兵をして暗澹たらしめたのは、同じキリシタン大名であり、
 かつ朝鮮の陣で苦労を共にした有馬晴信、大村喜前らの兵までもが、轡を揃えているこ
 とだった。
・宇土城の守将は、行長の弟、小西隼人正行景である。兄行長とともに平壌、順天で二度
 の籠城戦を経験した彼は、猛将清正の月余の攻撃に耐え抜いた。
 しかしながら、関ヶ原での敗北と行長処刑の報せが動かし難い事実と知るや、開城を決
 断して潔く腹を切った。
・たあの運命は激変した。女として幸せの絶頂にあっただけに、朝鮮から日本に渡った十
 歳の時よりも衝撃は遥かに大きかった。
 輝景が戦死したことは、開城の前夜、行景の口から直接に伝えられた。関ケ原の残兵が
 城に戻り、合戦の一部始終を報告した。そのうちの一人が自ら目撃したこととして話し
 たのだ。
 三木主殿介輝景さまは、行長さまを落ち延びさせるために身を挺し、敵の鉄砲に胸を貫
 かれて即死したと。
・たあは、ジュスタ夫人、クララお品らとともに肥後隈本城の奥に収容された。
 以外にも清正は仁将ぶりを発揮した。一命を以て、行長とのその約定を守り、城兵すべ
 てを助命したのである。
・内藤ジュリアは、仏教徒の清正に仕えることとなった兄の如安と別れ長崎に向かった。
 身寄りを失った女子供は、いったん隈本城に移されたが、身の振り方さえ決まれば城を
 出てかまわぬとは、清正の明言であった。彼は敵将の女たちを遇するに憐れみと徳を以
 てしたのである。
・たあは、また孤児になった。養父の三木宗右衛門は籠城戦の最中、老齢に鞭打って出撃
 し、再び帰っては来なかった。その行方は杳として知れず、何処かで討死して果てたも
 のと思われた。つまり、たあは養父と夫を続けて失ったのだった。
・「いずれのわたしたちも長崎へ行くことになりましょう。内藤ジュリアが手はずを整え
 てくれているはずです」
 ジュスタ夫人は、信仰にのみ生きることを決意し敬虔な顔で告げた。
・形ばかり数珠を手に祈祷を唱えながら、たあの心はうつろだった。
 祈って輝景が返るなら、死ぬまで祈り続けてもよい。祈れば祈るだけ、心の暗黒が大き
 く口を広げてゆく。たあが祈っているのは、ただジュスタ夫人やお品に合わせているに
 過ぎなかった。
 

・家康が、たあを求めていると伝えられたのは、年が明けて三ヶ月を経った頃だった。
 名指しである。加藤清正の庇護のもとに、ジュリアおたあなる朝鮮貴族の娘がいる、
 目の覚めるような美女らしい、という話が、家康の耳に入ったもののようであった。
 たあにとって家康は主家の敵、何よりも夫輝景の仇敵である。だが、今や押しも押され
 ぬ天下人の命令とあっては、是非もなかった。
・「奥方さま、わたくしは徳川内府のもとに進んで参りとうございます」
 たあは自らそう告げて、ジュスタ夫人を驚かせた。
・「ジュリア、貴方からは、何か主の御教えとは遠いものを感じます。わたしの思い過ご
 しであればよいのですかれど・・・」 
 たあの目から清冽な涙がこぼれおちた。
・「拒めば、皆にどんな迷惑が及ぶか、わたしくにはそれが恐ろしいのです」
 ジュスタ夫人の表情が和らいだ。
・「主よ、どうかお許しください。この心清らかな聖女の献身を一度でも疑ったわたしの
 罪深さを。貴女一人では心配です。クララを付けましょう。二人で励まし合って行きて
 ゆくのですよ」  
・たあは、お品とともに隈本城から伏見へと護送された。慶長六年、たあは十九歳になっ
 ている。
・伏見城でたあと引見した家康は、何よりもその美しさに心を奪われたようだった。
 絢爛たる成熟ぶりに、憂愁の翳りが艶めかしい彩りを添えて、並み居る側室、侍女、
 女中たちなど霞むほどだった。
・「わしは朝鮮国との結びつきを修復する腹積もりでおる。なんとなれば、治世の亀鑑は
 朝鮮にこそあり。朝鮮王は剣を使わずして民どもを奴隷のごとく従えておるのだからな。
 この家康も、それにあやかりたきものよ」
 たあを奴隷の、奴婢の子とは知らず、朝鮮貴族の娘という俗言を信じて洩らした家康の、
 それは本心であった。
・「日本の新しき支配者となった徳川どのが、その宮殿で、豊太閤の無謀な侵略で孤児に
 された朝鮮の娘を手厚く世話をしておる。朝鮮がそれを知れば、多少なりとも心を和ら
 げるであろう」
 たあはようやく合点した。そのために自分は呼ばれたのだと。
 そして笑うべし、家康のディレンマもまたそこにあったのである。
・「よって惜しいや、わしはお前を側女にするわけには参らぬ。朝鮮孤児の哀れな境遇に
 付け込んだと邪推されては、交渉ごとは御破算になろうからな」
・たあは、ほっと安堵した。キリシタンは自害せぬもの。神が禁じているゆえ。
 だが、自分はもう、それでもたあにはキリシタンとしてなすべきことがあった。
 だからこそ、おめおめと夫の仇の元へ、召されるがままおのれが運命を委ねたのである。
・「輝景さま、サラン、サラン・・・」
 心の中でつぶやいた。
・たあとお品は、家康の側室の一人、お梶の方の侍女として付せられた。
 その年の十一月、家康は江戸に入った。たあの江戸城における奥女中としての生活が始
 まった。 
・五年後の慶長十一年(1606)、ジョアン・ロドリゲス・ジラン神父は、ローマのイ
 エズス会総長に宛てた念じ報告書の中で、以下のように記している。
 「宮殿で公方(徳川家康)に仕える女性の中に、何名かのキリシタンがいます。その一
 人は高麗人で、アグスチノ摂津守殿(小西行長)の妻に仕えたこともあり、極めて信心
 深い生活を送っています。その信仰生活は、俗世を離れて世間の煩わしさや慣習に束縛
 されない修道女に劣らぬほどです。彼女の徳の最も感嘆すべきは、いまだ若くて人生の
 花の時代であり、ことに容姿が秀れているにもかかわらず、いばらの中に咲く薔薇の花
 のように、きわめて多い誘惑の機会にも、霊魂を汚すよりは死を選ぶという決意を抱い
 ていることなのです」
・翌年、家康は江戸より駿府に移った。たあとお品の住まいも、駿府城の奥となった。
 この慶長十二年、家康の念願叶って朝鮮から一大外交使節団が派遣された。
 ただしこの時は、文禄・慶長の役で日本に渡った”被慮”朝鮮人の刷還を目的としてい
 たため正式名称は「回答兼刷還使」であった。
・家康は、朝鮮使を駿府城に迎えるに先立ち、お梶の方を通じ、たあに下問した。
 帰国の意志はあるや否や。
・「今さらにございまする」
 それがたあの答えだった。実のところ使者の顔すら見たくなかった。彼らは奴婢を我が
 物顔に酷使していた両班なのである。
・当時、家康はキリシタンに好意を見せていた。むろん、南蛮貿易の利益を確保せんがた
 めの措置に他ならなかったにせよ、秀吉の所謂「バテレン追放令」を緩和し、土地は限
 定しながらも宣教師たちに布教を許可していたほどである。
 だが、いずれは終わりは来ると、たあは予見していた。キリシタンの熱が冷めた身なれ
 ばこそ察し得たことだ。キリシタンは神以外の存在を主として認めない。かかる貞烈な
 信仰の徒を、秀吉であると家康であるとを問わず、現世の支配者が受け容れるはずもな
 かった。それは自明の理であろう。 
・たあは自らに誓ったのだ。輝景へのサランにかけて、来るべき禁圧の日まで、能う限り
 キリシタンを増やしておく。
 宣教師たちは、見事に、たあに欺かれていたのである。
 なるほど、それは確かに表面的に見れば布教であった。布教以外の何ものでもなかった。
 しかし、たあが謀ったのは、夫・輝景の仇を討つべく、徳川に対抗し得る勢力を増殖し、
 増強する、その一点にあった。弾圧されたキリシタンが衆を頼めばどうなるか。徳川政
 権に敵対する恐るべき脅威となるであろう。キリシタンを以て徳川に一矢報い奉る。
 すなわちキリシタンは、たあの復讐の具に過ぎぬ。
・だが、このときすでに、たあの運命をみたび劇変させることとなる事件が、彼女のあず
 かり知らぬうちに進行していたのである。
 「岡本大八事件」と称されるものこそ、それだった。
 二年前の慶長十四年十二月、肥前高来のキリシタン大名、ドン・プロダジオこと有馬晴
 信が、ポルトガル船ノッサ・セニューラ・ダ・グラサ号を長崎港外に襲って爆沈させた。
 生糸貿易のもとれに端を発するともいわれるが、ともかく晴信はこの”手柄”を駿河に
 自ら出向いて家康に直接報告し、恩賞を期待した。
 しかし思ったほどのものを得られず鬱屈していたところに、岡本大八が言葉巧みに接近
 したのである。
・大八は、家康の最側近たる本多正純の与力で、パウロの霊名を持つキリシタンでもあっ
 たが、恩賞の斡旋費と称し、晴信から多額の金品を巻き上げるだけ巻き上げると、後は
 頬かむりを決め込んだ。焦った晴信が正純に直接催促したことから大八の悪事が露見し、
 慶長十七年三月、両者に裁きが下った。
 大八は火刑、晴信は配流のうえ切腹である。晴信の処分が重かったのは、大八によって
 長崎奉行暗殺計画を暴露さて、申し開きができなかったからだとされている。
・事態は、しかしこれだけに終わらなかった。晴信と大八がともにキリシタンであったと
 いう点を家康は重く見た。
・岡本大八が駿府市中引き回しのうえ、安倍川河原の刑場で火あぶりにされた三月、家康
 はキリシタン禁教を発令した。

十一
・「来るべきものが来たのだわ」
 たあは蒼ざめ、唇を噛んだ。来るべきものがついに来た。それも、思ってもみない迅さ
 で。サランが崩れゆく音を、たあは聴いた。
・駿府城内でキリシタンのあぶり出しが始まった。仮借なき追及の手は、たあの身にも直
 ちに迫った。 
・探索の結果、予想を遥かに上回る数のキリシタンの存在することが明るみに出た。
 彼らは厳しく棄教を迫られた。うち敢然と肯じなかったのは、十四人の家臣と、三人の
 奥女中である。
・家康は彼らの家財を没収して召し放ちに処し、諸大名に触状を出して仕官するを得ざら
 しめた。
・奥女中の三人とは、たあ、お品、そして、たあが改宗に導いたルシアという洗礼名の女
 性である。
・たあは負けなかった。必死になって自分を支えていた。
 転べという改宗命令に従うことは、すなわち徳川への敗北に他ならぬ。輝景へのサラン
 にかけても、屈服するわけにはいかなかった。
・大島への遠島が命じられた。お品が同行を願ったが、認められなかった。
 三月下旬、たあは流刑の途についた。
・たあの敵、輝景の仇は、徳川家康だけではなかった。
 彼女から愛しい輝景を奪い去った神に対しても、たあの恨みは向けられていた。
 否、むしろ神こそが主敵だった。
・神よ、神よ、私の両親がなぶり殺しの目にあうのを黙ってご覧になられた神よ、
 わたしの大切な夫、かけがえのない男を、わたしからお取り上げになった神よ、
 それでもあなたはそのような女に祈れとおっしゃるのか、信仰せよと強いるのか。
・たあは自分の胸に誓った。サラン、サランと心の中で唱えながら、サランはたあの祈祷

 サラン、サラン、このままでは終わらない。終わらせはせぬ。断じて終わらせなどする
 ものか。いつかは赦免の日も来るだろう。わたしは必ず戻ってくる。戻って来て、また
 始めるのだ。この限りない哀しみを超えて、そして、いつかは輝景のもとへ。
 
十二
・ジュリアは、その後、一月足らずで大島から新島に移され、さらには遠方の神津島に送
 られたと耳にしました。名こそ神の島とは申せ、流刑の地に選ばれるほどの島にござい
 ます。絶海の孤島であること以外、わたくしには見当もつきかねました。
・あの忌まわしい岡本大八事件から一年半が経った慶長十八年十二月、幕府は第二次の禁
 教を発令いたしました。これは全国に及ぶもので、各地で取り締まりが始まり、日本に
 いられなくなったパードレの方々、高山ジュスト右近さま、内藤如安さま、内藤ジュリ
 アさまらが翌年、マカオやフィリピンのマニラへと追放されてゆきました。
 国を追われた信徒の数は百四十八名を数えたそうでございます。そのほとんどは異郷
 で帰らぬ人となりました。
・それから八年を経た元和八年八月には、長崎西坂でパードレ九名、イルマン十三名が火
 あぶりとなり、信徒三十三名が首を斬られて殉教致しました。
 世に申します「元和の大殉教」がそれでございます。
・わたくしはでございましょうか?網代でジュリアを見送った後は、駿河のお城にも帰れ
 ず、京へと参りました。内藤ジュリアさまの女子修道会「都の修道女」を頼ったのでご
 ざいます。
 けれども、マニラに向かう船には同乗いたしませんでした。わたくしは、あくまで日本
 に残って、神の道を実践することを選んだのでございます。
・多くの人が、ジュリアは神津島で生涯を終えたと、今なお信じているようですが、それ
 は誤りという他ございませんね。その後、ジュリアは許されて島を出ました。正確な年
 はわかりませんけれども、わたしくが最初に耳にいたしましたのは、確か元和五年、長
 崎での布教活動を奉行に禁止された、という話でしたから、つまりその前には戻ってき
 ていたことになります。おそらく、その三年前に公方が亡くなり、翌年には第二回の朝
 鮮使節が日本に来ておりますから、その頃に恩赦が下ったのではないか、と思われます。