悪だくみ :森功 (「加計学園」の悲願を叶えた総理の欺瞞) |
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この本は、いまから6年前の2017年に刊行されたものだ。 この本のタイトルとなっている“悪だくみ”という言葉は、安倍昭恵氏が、夫・安倍晋三氏 が加計学園理事長・加計孝太郎氏らと談笑する写真をフェイスブックに投稿する際に添え た有名な言葉「男たちの悪巧み」からとったものだろう。 この本は、安倍晋三元総理に対する疑惑である”森友・加計・さくら”の三つの疑惑のうち の、加計学園の獣医学部新設疑惑について、その全貌に迫ったものである。 森友学園問題は、どちらかというと安倍昭惠氏が深く関わったことで起きた事件だったと 言えるが、この加計学園問題は、安倍晋三氏自身が総理大臣という立場とその権力を使っ て、盟友である加計孝太郎氏のために、”えこひいき”して特別扱いをした事件だったと言 えよう。 これは、安倍晋三氏と加計孝太郎氏の個人的な関係から見ても、「特別扱いをしたのだ」 ということは明らかだった。そのため、マスコミや野党からの追及で、安倍晋三氏は窮地 に追い込まれることになる。 しかし、その絶体絶命のピンチに安倍晋三氏は、突然、「国難突破解散」と称して衆議院 解散・総選挙という奇策に打って出た。そしてこのとき、結果的に安倍氏を救ったのは小 池百合子氏だった。 自民党を離党して都知事選で勝利し都知事の椅子におさまった小池氏は、「都民ファース トの会」の代表となり都議選でも圧勝した。 勢いづいた小池氏は、こんどは国政政党「希望の党」を旗揚げし、密かに野党の民進党と 手を結ぶことで、政権奪取を狙った。 しかし、新党を立ち上げたわずか四日後の記者会見の席上で、調子に乗り過ぎた小池氏は 記者から問われた、左派系議員の扱いについて「排除いたします」と発言した。 そのあまりにも傲慢だった「排除」という露骨な言葉が、盛り上がっていた希望の党の陣 営に冷や水を浴びせる形となった。 逆に、これまで疑惑を追及されてもうフラフラ状態だった安倍氏は、息を吹き返したのだ。 もしあのとき、小池百合子氏の口からあんな言葉が出なかったなら、政権交代が起きてい たかもしれない。 小池百合子氏は、出張先のパリで国際会議のイベントに出席した際、「『ガラスの天井』 を破ったかなと思ったが『鉄の天井』があることを改めて知った」と言い訳をしていたが、 実際には『鉄の天井』などあったわけでなく、自らが墓穴を掘ってしまっただけだった。 もっとも、自らの不正で窮地に陥ったのに、総理大臣の専権事項と言われる解散権を行使 して衆議院の解散という蛮行に出た安倍総理の行為は、とても認められるものではない。 衆院総選挙に要する費用は600億円ともいわれるが、それはすべて我々国民の税金で行 われるのだ。この点から言っても、とてもわれわれ国民が納得できるものではない。 ところでこの本には、いま政治パーティー券裏金疑惑の自民党・安倍派幹部の名前が続々 出てくる。 第一次安倍政権で首相秘書官だった「井上義行」氏や自民政調会長だった「萩生田光一」 氏が加計学園グループの千葉科学大学の客員教授だったということをこの本で初めて知っ た。井上氏も萩生田氏も旧統一教会と深い関わりを持っていたことも知られている。 「下村博文」氏も安倍晋三氏とはとても親しい友人だったらしく、安倍晋三夫人(昭惠) と下村博文夫人(今日子)も非常に仲の良いお友だちだということを初めて知った。 安倍総理の取り巻きだった議員たちは、この加計学園問題のころからすでに”悪だくみ” に加担していたのだ。 なお、下村博文氏が文科大臣だったときに、それまで長い間、統一教会からの名称変更の 申請を拒否してきた文科省は、一転して申請を受付け、統一教会は「世界平和統一家庭連 合」へと名称を変更した。 下村氏は、この名称変更への関与について否定しているようだが、下村氏と統一教会とに 間には深い関係があるとされ、その疑惑が晴れることはない。 過去に読んだ関連する本: ・安倍官邸の正体 ・安倍三代 ・安倍政権のメディア支配 ・同調圧力 ・伏魔殿 菅義偉と官邸の支配者たち |
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はじめに ・「加計孝太郎さんは、政治家になる前からの40年来の親しい友人ではあります。しか し過去、彼が私の立場を利用して何かを成し遂げようとしたことは一度たりともありま せん」 ・そう繰り返し訴えてきた当人の釈明がむなしく国会に響き、マスコミ各社の内閣支持率 は政権発足以来の最低に沈んだ。毎日新聞などの最下点は26%である。 野党は勢いづき、それまで抑え気味だったマスコミによる追及も厳しくなった。 首相が青ざめたのは無理もない。 ・安倍内閣は重要法案審議を積み残したまま会期延長もせず、慌てて通常国家の幕を閉じ た。 だが、旧友への利益誘導疑惑は、鎮火するどころか、燃え広がるばかりだった。 ・ほとんどダウン寸前だった安倍を救ったのが、北朝鮮のミサイル発射だったかもしれな い。 疑惑や批判に対するだんまり作戦で、なんとか暑い夏を乗り切った。 そして9月末の臨時国会開会に向けて手ぐすねを引く野党に対し、衆院冒頭解散という 奇襲に出る。 ・「所信表明演説も、代表質問も、党首討論もない、臨時国会冒頭解散は日本の憲政史上 始まって以来の暴挙だ」 野党は当然森友・加計問題隠しの大義なき解散だと非難を浴びせた。 が、当人は耳をふさいで、論点をずらした。 2年後に上げる「消費税10%の使い道を問う」などという理屈を並べ、そのまま選挙 戦に突入したのである。 ・安倍晋三がそこまでしなければならないほど追い詰められたのは間違いない。 その最大の要因である加計学園問題とは、いったい何だったのか。 首相の安倍と学園を率いる加計とは、いったいどのような間柄なのか。 どんなときでも心がつながっていると安倍が自ら公言した「腹心の友」は、安倍にどの ような影響を与えてきたのか。 ・加計学園の獣医学部新設は、誰にでも開かれた道ではない。 まるで加計学園だけのために規制緩和のレールが敷かれ、それに乗ってことが進んでき たかのようだ。 ・それこそが、国民の首相に対して抱いたえこひいき疑惑の原点であり、にわかに安倍と 加計との不思議な関係がクローズアップされたのは、ごく自然の流れだったのである。 ・「国家戦略特区の獣医学部新設は加計ありきだったかどうか」 「加計学園が前提なのは共通認識だった」 文書の存在を認めた文科省前次官の「前川喜平」がそう語ってきたように、政府や今治 市、加計学園など当事者のあいだでは「加計ありき」などは自明だった。 にもかかわらず、そこに誰も疑問を差し挟んではいない。 ・また、その文科省が内閣府と闘い、獣医学部の新設をくい止めようと抵抗してきたかの ように受け止められている向きもある。 だが、それは軌道修正を試みようとした程度だ。 文科省文書が書き残された時点で前川たちは、すでに敷かれた「加計ありきの国家戦略 特区」というレールに従わざるを得なかった。それが現実に近い。 第二の加計学園 ・加計学園より先に火を噴いた疑惑が、大坂・森友学園の小学校開設である。 森友学園理事長の「籠池泰典」が、財務省から通常の8億円以上も安い破格の値段で土 地を購入し、そこへ2017年4月、小学校を開校しようとした。 籠池は、経営してきた塚本幼稚園の園児への「教育勅語」を朗読させるほど、過激な保 守思想の持ち主として知られてきた。 ・地元豊中市市会議員の木村真が、極端に右傾化した教育方針を問題視したのが、ことの 始まりだ。 木村は2016年9月、小学校用地の土地取得について、財務省近畿財務局に情報公開 請求をした。 その情報公開請求に対して応じなかったため、調査を始めた木村は、新聞記者たちに不 自然な土地取引の話をし、朝日新聞が森友の土地取引を真っ先にスクープしたと伝えら れる。 ・もっとも当初は、朝日の記事に後追いもなく、しばらくは世間もあまり騒がなかった。 火がついたのは、やはり新設される小学校に安倍夫婦が深く関わっていたことが浮上し てからだといえる。 ・籠池は安倍首相をバックアップしてきた後援組織「日本会議」に所属してきた。 その縁で、「安倍昭惠」に声をかけ、塚本幼稚園で講演を依頼するような間柄になる。 そうして、一度は新設予定の小学校を「安倍晋三記念小学校」と命名して生徒を募集し、 夫人の昭惠を名誉校長に据えることを計画した。 ・「安倍首相ばんばれ」 「安保法制成立よかったです」 幼稚園の行事で園児たちにそう唱えさせる籠池の指導に感激し、涙を流した昭惠の姿が、 テレビ画面で何度も映った。 過激すぎる教育に疑いも抱かず、一も二もなく小学校の名誉校長を引き受けたファース トレディの軽さに、世間は唖然とした。 安倍昭惠は開校前の15年、名誉校長の就任をいとも簡単に引き受けてしまったのだ。 ・日頃から各種団体の講演やゲストに招かれ、どこへでも出向く昭惠は、森友以外にも学 校法人の名誉職を引き受けてきた。 その一つが、兵庫県神戸市に開園した加計学園グループ「御影インターナショナルこど も園」である。 ・「小学校を開設されるなら、すごくよい教育をしている学校があるから、見学に行って みてはどうですか」 昭惠は森友学園理事長の籠池をそう誘った。 そしてこの年、籠池は夫人の諄子や長女の町浪を引き連れ、御影こども園を視察に訪れ た。 ・「お金儲けばかり考えている雰囲気やった」 驚いたことに、視察後、籠池の妻・諄子が、そう昭惠にメールを送っていたことまで後 に明らかになる。 馴れ馴れしく鼻っ柱の強い諄子らしい逸話でもある。 ・まだそれだけではない。 籠池夫婦が御影こども園を視察した翌2016年のことだ。 「英数学館小学校も見に行かれたらいいですよ」 安倍昭惠は籠池に電話し、広島県福山市の「広島加計学園英数学館小学校」を見学する よう薦めた。 実際、籠池ファミリーは電話から二日後、広島まで出向いて小学校を視察している。 ・森友学園が小学校新設を計画できたのは、「大阪維新の会」の橋下による私学教育の自 由化政策があればこそだった。 ・橋下率いる維新の会が提唱した学力に応じた公立小中学校の児童・生徒の学校選択制度 の導入や民間校長の登用は知られたところだろう。 ・この基本概念を謳った「教育基本条例案」を練ったのが、維新の会の市議で弁護士の 「坂井良和」だったとされる。 規制緩和による学校教育の格差を不安視する声に対し、坂井は朝日新聞のインタビュー にこう答えた。 「自由に学校を選べる環境を整える。学区を撤廃し、学校選択制を導入し、学力テスト の結果も学校別に公表する。そうすれば親と子が学校を選べる。自分で選ぶのだから結 果責任も取れる。私は格差を生んでもよいと思っている」 ・当時、維新の会が掲げたのは、教育の規制緩和だけではない。 国旗の掲揚や国歌の斉唱を義務付けようともした。 教育に関する橋下らの政策は、安倍政権と相通じるところがある。 ・かつては森友学園の籠池も、安倍晋三をバックアップする保守陣営の一員だった。 日本会議大坂支部の幹部として名を連ね、「稲田朋美」やその夫を顧問弁護士に雇って きた。 ・稲田は、2003年4月以降、「南京事件」の(百人斬りの)日本軍少尉の遺族である 原告代理人として、新聞各社との名誉棄損裁判に携わり、自民党本部で講演したことが 縁で安倍と知り合ったという。 ・小泉純一郎政権の幹事長代理だった安倍は稲田をいたく気に入り、本人は2005年9 月に福井一区から出馬し、みごと初当選を果たした。 以来、安倍は稲田を寵愛し、「将来の女性首相候補」とほめちぎってきた。 ・実は、森友学園が教育勅語の暗唱を園児に強要しようと思い立ったきっかけが、第一次 安倍政権がおこなった2006年の教育基本法改正だとされる。 騒動の渦中、籠池は「我が国と郷土を愛する態度を養うためだ」と語った。 そうして籠池は、昭惠を取り込み、小学校の開設に邁進していく。 ・森友学園による小学校新設の計画づくりは、折しも自民党総裁として首相に返り咲いた 安倍が、衆院三回生の稲田朋美を党三役の政務調査会長に大抜擢し、稲田が霞が関の官 庁との人脈を広げていった頃のことだ。 ・政治の世界で安倍一強と呼ばれるようになるこの間、森友学園の籠池は新設小学校開校 に向けて計画を進めた。 大阪府に対する学校設置許可と同時並行で、小学校用地の持ち主である財務省の窓口で ある近畿財務局と交渉を重ねたといえる。 ・表向き大阪府の学校設置は、大阪府私学審議会の審査に委ねられる。 私立小学校の新設では、私学審議会の認可適当というお墨付きさえあれば、新入生の募 集ができ、学校の施設建設を進めることができる。 ・森友学園の籠池は、2014年、大阪府へ小学校設立の認可申請をした。 このときはまだ土地の買い取りどころか、借地契約すら結んでいない。 従来なら、小学校の設置申請者は学校用地を自前で持っていることが前提条件だったが、 そこも規制緩和により曖昧になっている。 それゆえ、森友学園はまだ土地を手当てできていないにもかかわらず、申請から三ヵ月 後の2015年1月、大阪府の私学課や私学審議会が小学校新設を「認可適当」と判断 した。 ・大阪府の私学審議会は、他の多くの諮問会議と同じく、大阪府の方針が正しいかどうか を審査するいわゆる有識者による第三者委員会として位置づけられる。 が、その実、審議内容は、自治体の意向に沿って結論を出す場合がほとんどだ。 ・府知事の「松井一郎」などは森友学園の認可適当という判断について、「性善説でやっ てきた」「常識的には許可できない」とあたかも他人事のように言っていた。 が、認可適当は府知事の結論であり、その責任は免れない。 今度の問題が発覚するまで、松井本人が大阪府知事として、あたかも森友学園が有利に なるよう認可基準を緩和してきた。 ・そして次に籠池は、小学校の建設用地を借地から所有に切りかえた。 買い取り価の法外な値引きの裏で、安倍夫婦の影がちらつく。 ・財務省は森友学園が買った豊中市の国有地に対する価格について、8億円以上も値引き した理由を、敷地内のゴミ処理費用だとしてきた。 一方、土地を買った籠池自身は、値引きの感想を聞かれ、国会の証人喚問で「神風が吹 いた」と語った。 財務省が怪しげな値引き工作の実態を明かさないのは想像の範囲内だが、得をした当事 者さえ、根拠はわからないという。 しかも籠池は、意図的にそれを隠しているふうでもない。摩訶不思議な話なのである。 ・定期借地契約を結んだ際のはじめの2015年の時点では、不動産鑑定人がゴミ処置費 用を7千万円と見積もっていた。 校舎を建設した業者と別に建設会社が、この年のうちにゴミや土壌処理、コンクリート 片の撤去などを終えた。 森友側はその費用が1億3千万円まで膨らんだとして、財務省にその分を請求している。 それを手伝ったのが、安倍昭惠だ。 ・籠池は昭惠に対し、「(財務省には)年度内である2016年3月までに1億3千万円 を支払ってもらいたい」と要望し、首相夫人付きの秘書官・谷査恵子が財務省にそれが 可能かどうか、問い合わせたのである。 そのファックスでのやりとりが、国会でも取り上げられた。 ・ゴミ処理費用の算定が大きく膨らんだのは、まさに安倍首相夫人と籠池夫妻のこうした やり取りのさなかである。 当初、7千万円だったゴミ処理費用が十倍以上の8億2千万円に急増している。 その理由として財務省は、地中のレーダー調査により、さらに基礎のくい打ち後事によ って9メートル90センチまでゴミが出たという分を含め、撤去費用を算定したのであ る。 ・実際にどのくらいのゴミが埋まっていたのか、その調査はおこなっておらず、算定根拠 は極めてずさんというほかない。 ・値引き後、籠池に提示した1億3千4百万円という土地の売却価格は、森友側にゴミ処 理代として支払った1億3千万円と同額に近い。 とどのまつり、タダでプレゼントするわけにはいかないから、ゴミ処理代に4百万円だ け上乗せし、はじき出した数字がこの1億3千4百万円ではないのか。そう勘繰りたく なる。 ・こうして森友学園は不動産鑑定価格9億5千6百万円の土地を文字どおりタダ同然で手 に入れることができた。 ・財務省が国民の財産である国有地のとり扱いについて、本来見積もっていたゴミ処理費 用の1億3千万円を大幅にオーバーするのにあっさり飲み、森友学園の意のままに交渉 に応じている。そんなバカな話があるだろうか。 ・森友学園問題では、値引き疑惑が浮上した当初、安倍晋三は自らの支援者である籠池夫 妻に対し、多少なりとも気遣いをしていた。 問題発覚当初の国会答弁に立ったときも、余裕を見せていた。 それがみるみるのうちに変化していった。 ・「この学校がやっていることについてはまったく承知していない」 そう言葉を濁し始め、あげくには賛同していたはずの教育についても、籠池批判に転じ た。 ・「教育者の姿勢としてはいかがなものか」 そう突き放し、妻の小学校名誉校長就任について野党から質問を受けると、鼻であしら うように笑いながら答えた。 「(籠池は)そう簡単に引き下がらない方。非常にしつこい」 籠池の人間性にまで踏み込んで個人攻撃をした。 ・だが、籠池泰典、諒子という風変わり夫婦は、安倍が想定していたより、もっとたくま しかった。 首相の豹変ぶりに意気消沈するどころか、集まって来る報道陣を相手に、安倍や昭惠に 対する怒りをぶっつけ始めた。 マスコミはその芝居がかった権力に対する抗議を面白がり、籠池夫妻はヒールを演じな がらワイドショーの主役となって指示を得ていった。 ・籠池夫妻は、大坂地方検察庁特別捜査部に逮捕された。 容疑は新設小学校の建設工事費を水増しし、国の助成金を騙し取ったという補助金詐欺 だ。 そこから塚本幼稚園の職員や障害児教育の助成事業でも、詐欺を働いたとして再逮捕 された。 が、夫婦ともめげる様子は微塵もない。 ・「これは国策捜査だ」 籠池夫妻はそう叫び続けた。 事実、国策捜査という表現はともあれ、多くの国民が本丸は土地代問題だと感じるだけ に、籠池人気は衰えない。 ・8億円の土地代を値引きしてもらったこの森友学園に対し、加計学園は37億円のキャ ンパス用地を無償譲渡されている。 獣医学部開設用地として愛媛県今治市から提供された土地を巡り、スケールの大きさが 評判を呼んだ。 小学校と大学という違いがあるにせよ、二つの学校法人で取り沙汰されてきた疑惑には、 共通点が多い。 ・だが、決定的な違いもある。 それは安倍晋三との距離感である。 有体にいえば、「切り捨てられた」側と「変わらぬ腹心の友」という立場の違いである。 安倍は加計孝太郎を決して批判することはない。 安倍にとって、加計は大切な友人である。 したがって加計も、マスコミの取材にはいっさい応じず、だんまりを決め込んできた。 悪友サークル ・”男たちの悪巧み” 加計学園問題が浮上すると、安倍昭惠がそう題したフェイスブックの写真が、数えきれ ないほどマスコミにとりあげられるようになる。 加計問題では、男たちだけでなく、その妻たちも大きな役割を担ってきた。 ・写真は2016年のクリスマスパーティではなく、前年のそれだ。 そこでは男性の四人組がリラックスしてソファーにもたれ、銘々がワイングラスを手に 持ち、ポーズを決めている。 メディアによって安倍と加計だけを掲載し、残る二人にはボカシをいれてわからなくし ているところもあるが、ボカシている一人三井住友銀行副頭取だった高橋で、もう一人 が鉄鋼ビルオーナー家の増岡である。 ・安倍と加計、高橋の三人は、1977年秋から南カルフォルニア大学に留学していたと きの同窓生であり、40年来の付き合いがある。 残る増岡は首相動静にもあまり登場しないが、安倍とは30年近い付き合いだという。 ・増岡聡一郎は、広島県の中堅ゼネコン「増岡組」創業一族であり、安倍を中心とする二 世、三世の素封家メンバーといえる。 とはいっても加計や高橋たちのような留学仲間ではない。安倍とは十近くも歳が離れて いる。卒業した大学も慶大と成蹊大と異なる。 ・増岡家の家業ともいえる「増岡組」は、自民党の古手議員にとって馴染みの深い企業で ある。 いわば日本軍御用達の出入り業者として発展してきた増岡組は、130年近い社歴を誇 る名門企業となる。 焦土と化した国鉄東京駅の八重洲一帯の再開発を担う。実に、終戦二年目の1947年 のことである。それが原罪の鉄鋼ビルとなる。 鉄鋼ビルは終戦から6年後の1951年、増岡組が建設した日本初の高層ビルである。 増岡聡一郎の母である洋子さんは、鳩山由紀夫、邦夫兄弟の従姉妹にあたる。 洋子さんの母・百合子さんは、元首相の鳩山一郎の長女である。 ・その増岡と安倍家の付き合いのはじまりは、ほかでもない、昭惠である。 増岡は加計とも親しく、安倍抜きでも会っている。 ・そもそも安倍と増岡の知り合ったきっかけは何か。聡一郎の古くからの友人が打ち明け てくれた。 「もともと昭惠さんと聡一郎君が友だちだったと聞きました。たぶん昭惠さんの短大時 代、慶大の学生だった聡一郎君と合コンで知り合ったのではないでしょうか。昭惠さん はその頃からずいぶん酒が強く、交遊関係も広かったみたい。それで、結婚したあと、 友だちの聡一郎君を安倍さんに引き合わせた」 昭惠と聡一郎は1962年生まれの同じ歳だ。 ・旧鉄鋼ビルは、建物が老朽化したうえ耐震構造に問題が生じ、建て替えを余儀なくされ た。そして2015年、地上26階、地下3階の近代ビルに生まれ変わった。 ・南カリフォルニア大学の留学組である安倍、加計、高橋のほか、もう一人、この頃から 親密な交友を結んできたのが「初村謙一郎」である。初村も同じ時期に米国に留学して いた一人だ。 「細川護熙」の側近の代議士だが、1995年から96年にかけて政界を揺るがせた 「オレンジ共済組合事件」で、ミソをつけた国会議員といったほうが通りがいいだろう。 安倍と同じく二世議員である初村もまた、40年来の交友だといえる。 ・なお最近になって、オレンジ共済組合事件で暗躍していた政治ブローカー、斎藤衛の白 骨死体が埼玉県の山中で発見され、話題を呼んだ。 収監中の死刑囚で住吉会系組長だった矢野治が獄中手記を週刊新潮で寄稿し、改めて殺 人犯として逮捕された。 ・米国時代の安倍は、加計や高橋よりむしろ初村と気が合ったようだ。 休みになると、ロングビーチからロサンゼルスに行き、一緒にドライブを楽しんだ間か らだという。 以来、安倍はオレンジ共済組合事件を経てなお、ずっと初村との旧交を温め続けてきた。 現在、安倍事務所で政策秘書を務める初村滝一郎はその長男である。 「息子の滝一郎君は安倍首相の懐刀であり、安倍首相本人が目に入れても痛くないほど 大切にしてきた。昭惠夫人もずいぶん、気に入っていて一時は養子にするのではないか、 とも囁かれました」 ・米国留学から帰国して間もなく、安倍と加計が再会し、遊び歩くようになる。 そんな安倍の友だちの輪に、いつしか初村も加わった。 政策秘書の息子ともども、家族ぐるみの付き合いだ。 ・安倍晋三は、敵とみなした相手に対し、子供のようにムキになって攻撃する癖がある。 それは今も昔も変わらない。 朝日新聞などをはじめとしたメディア対応などを見ると、第一次安倍政権時代のそれを 彷彿させる。 ・反面、いったん心を許した友人に対しては、この上なく篤い情を示してきた。 安倍晋三は多感な17歳の高校生のときに潰瘍性大腸炎という難病を発症し、口に出せ ない悩みや苦労を重ねてきた。 ある意味で孤独な青春時代を過ごしてきたからこそ、大人になってからの友人を大切に してきたかもしれない。 留学時代はもとより、神戸製鋼に勤め始めてからも難病を克服することができず、アル コールも口にすることができなかった。 そんな時代をともに過ごしてきたのが、40年来の友だったのである。 ・学生時代の友人関係をこれほどまでに大事に保ち、情愛を示してきた安倍晋三のような 国会議員は稀である。 多忙を極める内閣総理大臣なら、なおのことだろう。 安倍はとりわけ加計孝太郎に対して不変の友情を示してきた。 加計の野望 ・加計は千葉科学大に危機管理学部と薬学部を設置しようと計画し、事実そうなった。 しかし、当初の構想では設置する学部はそれだけではなかった。 実は加計が目論んでいたもう一つの学部が、「獣医水産学部」だったのである。 獣医学部の新設は、このときから加計孝太郎が抱き続けてきた野望でもあった。 ・南カリフォルニア大学では、留学仲間の中でも、加計は他の学生とは違い、独身寮には 入らなかった。 留学中に前妻と結婚し、夫人をカリフォルニアに呼び寄せて夫婦暮らしを始めてからだ。 加計にとって米国時代は新婚だった。 そのため、他の日本人留学生たちと一緒に遊び歩いたわけでもなかったようだ。 安倍と高橋は大学が併設したロングビーチ独身寮に暮らし、初村はロサンゼルス校だっ たので、少し離れた生活をしていた。 したがって留学時代の安倍と親しくしていたのは、初村と高橋だったようである。 安倍と加計が急接近したのは、二人が帰国してからだ。 ・「岸信介」や「安倍晋太郎」の血を引く安倍は、政界のサラブレットに違いないが、サ ラリーマン時代は自由になる小遣いなどあまりない。 一方、加計はといえば、加計学園の後継者として早くから学校経営に携わってきた。 米国留学から帰国してほどなく学園の副理事長となり、学校法人を経営する父親の補佐 をしてきた。 いきおい彼らの遊びは、もっぱら時間と資金力のある加計任せだ。 加計が安倍に声をかけ、それに応じるかっこうで、盟友関係がのちのちまで続く。 ・安倍が昭惠と結婚すると、加計は昭惠の面倒まで見るようになる。 昭惠とも30年来の付き合いだ。 昭惠は夫同様にゴルフ好きで、そこそこの腕前だという。 ・「52年間もつくらせなかった岩盤規制をぶちやぶろうとした」 加計学園の獣医学部問題が起きて以降、首相の安倍をはじめ内閣府や首相官邸サイドの 関係者は、口をそろえてそう主張してきた。 その「岩盤規制」とは、文科省による「告示」を指す。 医師、歯科医師、船舶作業員、それに獣医師の4業種については、将来過剰になる恐れ があるため、養成する大学の学部新設を認めないという方針だ。 ・だが、実はこの文科省による規制は、そう古くから存在していたものではない。 「官邸はわれわれが抵抗してきたから、50数年間も獣医学部ができなかったという。 しかし、これは事実と違います」 日本中医師会顧問の北村直人はこう指摘する。 「文科省の告示ができたのは、(第一次)小泉内閣、安倍官房副長官時代の平成15年、 つまり文科省は2003年に、初めて正式に獣医学部の規制をしたんです。その前は諮 問会議などで抑制することはあったものの、国としては獣医学部開設の門を開いていま した。 けれど、獣医師がうま味のあるビジネスになると考えていた者は少なかった。 だから大学も新たに獣医学部をつくろうとはしなかっただけ。 大学設置の申請ができなかったわけではなく、申請者がいなかったのです」 ・「われわれの時代は、大学で獣医学科を目指す、なんて言ったら『どうしちゃんたの?』 と変人扱いされたものです。30年くらい前まで獣医師は本当にマイナーな仕事でした。 だから、大学進学の競争率も高くはありませんでした」 自ら獣医師でもある日本獣医師会の北村は、自嘲気味にそう話した。 北村に言わせると、意外なことに職業として獣医師の人気が高まった理由は、少女漫画 がきっかけなのだとか。 「きっかけは、獣医をモデルにした漫画のヒットでした。子どもたちが自分の家で飼う 犬猫に『病気になったら、私が治してやりたい。将来獣医師を目指したい』というよう になるほど、爆発的に漫画人気が出て、女性まで獣医師になるようになった。それとと もにペットブームが起き、ますます獣医師を目指したいという子どもたちが増えてきま した」 ・そんな獣医師人気やペットブームとともに、都市部に小動物相手の動物病院が増えた。 いきおいペット病院の経営というビジネスチャンスが生まれ、さらに獣医師の需要が増 えたというのである。 他方、自治体の行政獣医師が不足し始め、医師と同じように、都心部と地方の獣医師の 偏在が顕著になる。 ・こうした傾向をどうとらえるか。 いたずらに獣医師の門戸を開ければいい、という問題ではない。 少子高齢化社会にあって、このまま将来的にペットブームや獣医師人気が続き、獣医師 が足りなくなるとも思えない。 なにより、当座獣医師が足りずに困っているのは、自治体であり、産業獣医なのである。 単純に獣医師を増やせばいいという話ではない。 ・千葉科学大学では、2008年4月から第一次安倍政権で首相秘書官だった「井上義行」 が客員教授に迎えられ、2010年4月からは、落選中の「萩生田光一」も客員教授を 努めてきた。 そして萩生田は後に首相補佐官として、国家戦略特区の樹医学部新設を強力に推し進め ていく。なぜ通名を使っているのか、そこは不明だ。 ただ、かけファミリーには母子、姉弟の確執があり、ひょっとすると、そのあたりが理 由なのかもしれない。 海外戦略の手助け ・加計孝太郎は本名を晃太朗という。 とうぜん学校法人には、理事長としてその晃太朗名で登記されている。 芸能人でもないのに、なぜ通名を使っているのか、それは不明だ。 ただ、加計ファミリーには母子、姉弟の確執があり、ひょっとすると、そのあたりが理 由なのかもしれない。 ・広島県の予備校から身を興した創設者の加計勉は、岡山県内で加計学園傘下の岡山理大 と順正学園の吉備国際大という二つの大学を中心に、学校経営を飛躍的に広げた。 そのカリスマ的創立者が2001年、理事長から名誉理事長に退くことになる。 ここから、長男の幸太郎が加計学園の二代目理事長に就き、孝太郎体制に移行していく。 ・一方、加計学園グループでは孝太郎の実姉の美也子が、もう一つの中核法人である順正 学園の理事長として就任した。 勉の生前は姉弟で学校経営のすみ分けをしながら、それぞれの大学や専門学校における 人事の交流もあった。 ・その美也子はあるときから、弟の学校経営に対して苦言を呈してきた、とこう話した。 「私ども順正学園も拡大路線ではあるのですが、やはり弟のそれとは違うのです。学園 の運営方針を巡って弟とは6年前から絶交しました。それで、私ども順正学園のホーム ページから加計学園を外してあります。もともと別法人ですが、以来、理事の兼務など も解消し、交流もありません」 ・実の姉弟が絶交とは穏やかではない。個人的に許せない出来事があったのだろうか。 「母は弟の再婚相手と折り合いが悪く、いろいろあったのは確かです。でも、私はそん な個人的なことではなく、学校経営のやり方の違いで対立したという以外にはありませ ん」 ・美也子が異を唱えた「学校経営のやり方」が千葉科学大学の新設であり、今治市におけ る岡山理大獣医学部の開設である。 平たく言えば、安倍を頼りに、あたかも教育をビジネスとしてとらえて加計学園を拡大 させていくような学校経営が、美也子にとって許せなかったのだという。 ・加計孝太郎の野望は、関東進出だけではない。 千葉科学大学の創設に奔放するかたわら、米国に頻繁に訪れるようになる。 それは米国の小学校との事業提携を進めるためだった。 そこには安倍晋三だけではなく、夫人の昭惠も付き合った。 というより、昭惠のほうが熱心だったといえる。 加計は昭惠とも30年来の親交があり、加計にとっては政治家として多忙な当人より、 彼女のほうが付き合いやすかったかもしれない。 森友学園理事長の籠池泰典が昭惠の名前や存在を使って財務省との交渉を有利に運ぼう としたように、加計はその利用価値を計算していたようにも受け取れる。 ・事実、加計は安倍本人だけでなく、夫人の昭惠との付き合いをことのほか大事にしてき た。その親密な交際は、日本国内のクリスマスパーティやゴルフ、飲食にとどまらない。 海外にもいっしょに頻繁に出かけた。 ・なによりも昭惠と加計の二人は、嗜好が合う。 昭惠は居酒屋を経営するほどアルコール好きで知られ、加計は日本酒を一升飲み干して も素面という酒豪だ。 ・もっとも昭惠は加計と遊んでばかりいたわけでもない。 先の加計学園の大学関係者が、こう言葉を補った。 「安倍夫妻は何度もアメリカに行っていましてけど、そこにしょっちゅう同行していた のが加計さんでした。 それに下村博文の夫人(今日子)もいました。 加計さんの目的は、米国で昭惠夫人や下村夫人と現地の学校を回ることだったのでしょ う」 ・昭惠が加計学園傘下の「御影インターナショナル子ども園」の名誉園長だが下村今日子 もまた、この広島加計学園の教育審議委員に就いている。 ・加計学園が愛媛県今治市での獣医学部開設の実現に向け、目まぐるしく動き始めたのは、 第二次上げ政権誕生から第三次安倍政権発足以降だ。 そこで加計の相談相手になったのは、40年来の腹心の友だけとは限らない。 盟友の部下である下村博文もまた、加計が頼りにしてきた国会議員だった。 ・首相のお友だちの一人と揶揄されながら、文科大臣という重要ポストに就いた下村が、 私大の獣医学部設置の許認可権限を握っていたのは言うまでもない。 まさか首相に返り咲いた安倍が、加計のために下村を大臣に就かせたわけではないだろ うが、昭惠と同じく、下村夫人の今日子もまた、加計学園とは切っても切れない旧知の 間柄として、加計のために尽力してきた。 二人の夫人は、夫に代わって加計と酒を飲み交わし、親交を重ねてきた。 悲願の獣医学部新設に燃える加計孝太郎にとって、安倍、下村の両カップルは、ことの ほか大事な友人というほかない。 ・安倍昭惠は1962年、のちに森永製菓社長となる「松崎昭雄」の娘として生まれた。 森永の創業者が曾祖父である。母方の祖父、実父と四代続いて森永製菓の社長を務めて きた。 典型的なお嬢様育ちの昭惠は、「聖心女子学院」初等科から高等科へとエスカレータ式 に進学したが、勉強嫌いで四年制大学には進まずに聖心女子専門学校に入学した。 短大卒業後、電通に入社し、25歳のとき安倍晋三と結婚する。 ・天衣無縫と称される昭惠は文字どおり神出鬼没で、とにかく話題が多い。 無邪気なファーストレディは国内や米国だけでなく、海外を飛び回ってきた。 韓流ドラマにはまり、下村夫人の今日子と韓国をたびたび訪れ、アカスリエステにも通 ったという。 ・第二次安倍政権をスタートさせてから半年の後の2013年5月、安倍晋三は日本の総 理大臣として43社の企業経営者を引き連れ、東南アジアに飛び立った。 外遊の目玉が、ミャンマー訪問だった。 ミャンマー国内を視察する際、ヤンゴンからネピドーに移動する政府専用機に加計を同 乗させていた。 ・そこを野党銀から追及されたのである。 「なぜ学校法人の理事長が政府専用機に乗っているのか」 民進党の「宮崎岳志」の質問に対し首相に代わって外務省大臣官房参事官の「志水史雄」 が答えた。 「加計学園はミャンマーに学園の支局を設置し、留学生受け入れなどを進めていたこと から同行してもらいました。(政府専用機の利用は)所定運賃を払ってもらっています」 ・加計学園ミャンマー支局の責任者が、昭惠とともに寺子屋事業を進めてきたメコン総合 研究所の岩城である。 ・米国の大統領などは自ら外遊に国内のメジャー企業を引き連れ、訪問相手国の政府に売 り込む。 いわば安倍も、同じようにミャンマーにトップセールスをかけたといえる。 それ自体はさしたる問題ではない。 ・第二次安倍政権では、政府の教育方針として海外留学生の受け入れを掲げてもいる。 そこに熱心な加計学園の理事長を連れて行ったという論法も、成り立たなくはない。 ただし、それが、なぜ加計学園なのか、そこに不信の種が見え隠れする。 ・学校経営を飛躍的に拡大させるそんな加計孝太郎に対し、奇しくも盟友の安倍晋三はそ の政治家人生にとって最も深刻な時期を迎えた。 政局のストレスによる潰瘍性大腸炎を悪化させた姉は2007年9月、唐突に首相の座 を投げ出した。 ・この年は、加計学園にも激震が走った。 2007年4月、創設者の勉が物故するのである。 頭のあがらない父親の死と前後して、その後加計本人は長年連れ添ってきた先妻と離婚 した。 ・加計の先妻、光子は千葉県野田市に生まれた。 親族によれば、実父が中小企業を経営し、裕福な家庭に育ったという。 加計は立教大を卒業しているので、光子とはおそらくそのとき知り合ったのだろう。 大学卒業後の1977年に南カルフォルニア大に留学していた頃、光子と結婚し、夫婦 は新婚時代を米国で過ごした。 そこからはしばらく円満な夫婦生活を送っている。 ・加計家では、仙台加計学園理事長の勉、順正学戦理事長の美也子、二代目理事長の孝太 郎という三家族が、岡山理大の麓にあるひとつながりの広大な敷地にそれぞれ屋敷を構 えた。 舅姑、実姉夫婦たちと隣り合わせ暮らしてきた加計ファミリーは、岡山の政財界で知ら ぬ者のない名家である。 ・だが、勉が入院し、孝太郎が千葉科学大学の設立に向けて頻繁に関東出張を繰り返すよ うになると、その様相が一変した。 やがて加計夫婦の仲は冷え切ってしまい、別居同然になる。 前妻の光子は、いつも家を留守にする夫に耐え切れず、ついに家を飛び出した。 ・親族の一人が家庭の内情を明かしてくれた。 「光子さんはでしゃばることを嫌い、あまり人前に出ない糟糠の妻タイプでした。舅姑 の関係もよく、とくにお母さんは気に入っているようでした。でも、孝太郎さんは派手 に飲み歩き、女性関係の噂も絶えない。 安倍総理や昭惠夫人ともしょっちゅうゴルフや会食をする。だけど、光子さんはそれを 嫌がって、友人関係のパーティには顔を出しませんでした。孝太郎さんはそれが不満だ ったのでしょう」 ・光子と離婚した孝太郎は2010年6月、東京で知り合ったという現在の妻の泰代と再 婚する。 だが、20歳以上も若い女性との歳の差結婚だけに、母親思いの子供たちは、後妻に対 するアレルギーがあった。 ・加計が泰代との結婚式を挙げたのは、父・勉の亡くなった2年後だ。 披露宴は沖縄県の高級リゾートホテルでごく少人数で催された。 孝太郎の子供たちを説得した姉の美也子は、そこにも参加した。 だが、姑は結婚に反対し、沖縄には行かなかった。 ・結婚には反対しなかった姉が弟と決裂したのは、沖縄での披露宴のあった1年後である。 その原因について、旧友に尋ねると、こう推し量った。 「問題は加計さんの新しいお嫁さん、泰代さんが家族に馴染めなかったのではないでし ょうか。前の奥さんに比べてあまりにも若いし、ちょっと飛んでいるような派手な感じ。 ゴルフも大好きで、安倍さんたちとよくラウンドしています。 ただ、姑さんはそんな都会から来た若い嫁が気に入らなかったみたい。お父さんの命日 の日なんかにも行事に顔を出さない。で、姑さんが部屋に行っみると、なんと寝そべっ てテレビを見ていたそうです。そんな感じだから、折り合いが悪くなっていったのは仕 方がなかったでしょうね」 政治とビジネス「商魂」 ・ワンマン理事長の加計にとって、学校運営はビジネスの一環にすぎない。 さしずめ獣医学部の開学は、新規の有望事業に感じているだろう。 ビジネスであるがゆえ、その場は立地条件が最優先であり、今治市にこだわる必要もな い。 もとをただせば、加計学園グループを率いる加計孝太郎が最初に獣医学部の開設を目指 したのは、千葉科学大学だったが、たまたま条件が整はなかっただけだ。 ・国家戦略特区のあり様を巡って日本国中に不信感が募る中、加計学園は2017年3月 末、獣医学部の新設を文科省に申請した。 加計学園の獣医学部構想は、8月末に予定される設置審の判定を待つ段階まで来ていた。 あとは設置審の答申を受け、文部科学大臣が正式に許認可を決断する。 悲願の獣医学部新設までもう一歩というところだったといえる。 だが、国家戦略特区というレールに乗って順調に進められてきたかのように見えた加計 の思惑に、大きな誤算が生じる。 国家戦略特区というレール ・愛媛県今治市の獣医学部新設についてどう感じるか、順正学園理事長の加計美也子に意 見を求めてみた。 「獣医学部は、弟が十年以上前からやりたがっていました。私は今の時代に獣医学部を 新設しようとは思いませんが、法人の自由ですから、表立って反対したことはありませ ん。このようなことになって、加計学園と同じように扱われて迷惑しています。決裂す る前に、弟が(順正学園の)九州保健福祉大に昭惠さんを連れてきたので、ご案内した こともありますけど、それだけのこと。私たちは安倍家とは何も関係ありませんから」 ・安倍昭惠が宮崎県延岡市にある大学までわざわざ足を運んだ理由が、精神カウンセラー の「江原啓之」に会うためだった。 江原は順正学園傘下の吉備国際大学や九州保健福祉大の客員教授として、ときおり講演 や講義をおこなっていきた。 熱烈な江原ファンである昭惠のたっての願いを聞き入れ、加計が昭惠を宮崎まで同行し てきたという。まだ姉弟仲が決裂する半年ほど前の出来事だ。 ・「(加計学園を設置母体とする獣医学部の新設は)民主党政権のあいだにも七回にわた って要望があり、それまで『対応不可』とされてきた措置が、平成21(2009)年 度の要望以降は『実現に向け検討』に格上げされている。安倍政権がそれを前進させ、 実現させた」 加計学園と安倍政権との関係が取り沙汰されるさなかの2017年5月に、官房長官の 「菅義偉」は、定例記者会見で記者たちにこう説いた。 女房役の菅をはじめ首相サイドは、「獣医学部新設は民主党時代に検討課題に格上げさ れ、安倍政権でそれを進めただけだ」と首相の関与を薄めるかのような発言を繰り返し てきた。 ・「総理のご意向」で行政がねじ曲げられ、加計学園の獣医学部が新設されようとしてい るのではないか、との批判に対し、獣医学部の新設は民主党政権時代でも進めていたか ら、安倍政権独自の政策ではない、といわんばかりの弁明だ。 ・だが、ことの経緯を細かく追うと、その主張はかなり的が外れている。 文字どおり特別な区域のみ許される事業を定める特区制度の決定権は、ときの首相にあ る。 加計にとって、構造改革特区制度の下、獣医学部計画をつくったときは、古くからの友 人が首相だったが、特区構想を申請したときは、すでにそのポストに見ず知らずの政治 家が就いていたことになる。 政治的な安倍不在のなか、加計や今治市はなす術なく、獣医学部の新設計画は進展しな かった。 ・今振り返ってみれば、獣医学部新設計画の構想改革特区で15回も却下され続けてきた のは、2007年9月の第一次安倍政権崩壊が最大の要因だったのかもしれない。 仮に、そのまま安倍政権がずっと続いていれば、状況はもっと違っていたかもしれない。 ・そして2012年12月、加計孝太郎の40年来の友人が政権トップの座にカムバック した。 加計学園や今治市にとって、第二次安倍政権が発足したあたりから、政局の様相ががら りと変わったといえる。 それまで絶望的だった獣医学部新設の環境が一変したのは、首相とその周辺の政界にお けるポジションだ。 とどのつまり、ときの政権の強力な後押しが、国家戦略特区制度の中で働くようになっ た、それだけである。 ・獣医師会の北村は次のように指摘する。 「構造改革特区のときには、内閣府も含めたすべての省庁が『(獣医学部は)構造改革 特区に馴染まない』と言っていました。それが、第二次安倍政権ができ、その翌年に国 家戦略特区が生まれた。国家戦略特区の規制改革を検討する民間人が中心のワーキング グループで、『獣医師は自由業だから、獣医学部をつくりたい大学には、どんどんやら せればいい』とそんな話まで飛び出すようになったんです」 ・もっともこうした状況の変化は、首相一人が代わったからだけではない。 第二次安倍政権が発足すると、安倍は学部設置の許可を与える文科大臣に腹心の下村博 文を抜擢した。 加計の相談相手は、40年来の腹心の友だけとはかぎらない。 盟友の部下である下村博文もまた、加計の頼りになる有力な国家議員だったといえる。 ・ここから安倍と加計、そして下村のトランアングルができあがる。 そのトライアングルには、それぞれの夫人も加わり、いっそう結びつきを強固にしてい った。 加計、安倍、下村のネットワークが、強力なエンジンとなって獣医学部新設を推し進め ていったとでもいえばいいだろうか。 ・2014年3月、「加計・学園」理事長の加計孝太郎は、「日本中医師会」を訪ねた。 相対したのは、獣医師会会長の「蔵内勇夫」と会の事務局を預かる顧問の北村直人だ。 「加計さんは、第二次安倍政権が発足した明くる2013年から、すでに文科省に何度 も足を運び、いろいろな動きをしていました。そして2014年3月になると、突然、 日本獣医師櫂に『蔵内会長に会いたい』と電話がかかってきたんです」 ・この日の会談は、加計がその獣医師会に伺いを立てるためにセッティングされたように も見える。 しかし、その実、当の加計本人は具体的な話をせず、会談は単なる表敬訪問に終わった。 ・実はこのとき「首相が後ろ盾になっているので獣医学部の新設は大丈夫だ」と加計が胸 を叩いたという話がある。 実際、その議事録が存在するという説もあった。 そこで北村に議事録の件を尋ねると、次のような意味深長な話をした。 「そんな議事録があったら、安倍政権がぶっとんじゃうよ。だから私は『ない』と答え るしかない。相手は自民党の党友でもある安倍さんですから、口利きだってすべて駄目 だとは言いません。ただ思うと、『安倍さんでしょ?あなたの後ろにいるのは』と尋ね たとき、加計さんはなんとなく頷いたかな」 ・北村の印象によれば、加計は獣医師会の重鎮に冷たくあしらわれてなお、慌てる様子も なく自信満々だったという。 一見すると、何の成果も得られず、彼らの上京は徒労に終わったのかのようにも見える。 ・だが、そうではなかった。すでにこのとき、国家戦略特区の流れが決まっていた。 獣医学部新設特区を申請し続けてきた今治市と加計学園にとって、最大のキーパーソン が、第二次安倍政権で文科大臣に就任した下村博文だった。 下村文科大臣の献金疑惑 ・加計孝太郎と下村博文の二人は2014年3月、密かに会った。 下村が床柱を背に腰掛けようとした瞬間だ。 挨拶もそこそこに、いきなり下村が切れのいい声を加計に向けた。 「おろしましたよ」 言葉の意味については加計はもちろん、秘書役も承知している。 そのひと言で、張り詰めた空気がいっぺんに緩んだ。 ・繰り返すまでもなく、「おりしました」という表現は、加計学園側が文科大臣の下村に 相談した用件にかかわる話だろう。 必ずしも獣医学部新設に限った件ではないかもしれないが、なにかしら学園側の要望を 叶えるよう文科省の担当部署に指示を下したというふうに受け取れる。 ・文科大臣時代の下村はトップダウンで事務方に指示し、政策を押し通してきた。 それだけに文科省の官僚たちは、剛腕大臣に神経を使いながら、獣医学部の新設をかろ うじて阻んできた。 そのせいで構造改革特区の下では、やはり学部新設に向けた議論は、さほど進まなかっ たが、獣医学部の申請が国家戦略特区に替わったとたん、事態が転がり始める。 ・首相のお友だちの一人と揶揄されながら、文科大臣という重要ポストに就いた下村博文 が、私大の学部設置における許認可権限を握っていたのは言うまでもない。 まさか安倍が盟友のために下村を大臣に抜擢したわけではないだろうが、大っぴらに当 事者たちが大学や学部の話をするわけにもいかない。 やはり水面下の話し合いにならざるを得ないのは、想像のおよぶところである。 ・下村今日子は、加計学園における獣医学部新設の成否を握っている文科大臣の妻であり ながら、夫の大臣就任から三ヵ月後の2013年3月に広島加計学園の教育審議委員に 就いている。 年に5回以上も、岡山や広島を訪ねていたのは、学園の仕事のためにほかならない。 ・加計学園の獣医学部新設は、こうした夫人の動きと無縁だと言い切れるのか。 むろん下村と加計のつながりは、夫人を介したそれだけではない。 先の料亭での密会もその一つではあるが、まだまだある。 取材を続けると、裏献金疑惑まで浮かんできた。 まさにそれは、文科省をはじめ関係省庁からことごとく却下されてきた獣医学部の計画 が実現に向けて動き出した時期のこと。政治とカネの話だ。 ・安倍晋三の「側近四天王」の異名を取る下村博文。 「安倍四天王」とは、もともと実父の晋太郎が派閥の領袖だったとき、その側近である 森喜朗、三塚博、塩川正十郎、加藤六月が「安倍派四天王」と呼ばれていたことに由来 する。 ・当の安倍晋三本人が2017年5月、実父の偲ぶ会に出席した折、「ゆくゆくは安倍派 として『四天王』をつくりたい」と周囲に語り、新安倍四天王の名称が広まった。 いかにも安倍らしい軽いノリかもしれない。 自ら挙げた政治家は、「稲田朋美」、「松野博一」、そして下村博文だが、もう一人は 「萩生田光一」ではないか、ともされる。 ・下村の支援組織「博友会」の主催してきた政治資金パーティーで加計学園側が2012 年に20万円、2013年と2014年にそれぞれ百万円ずつのパーティー券を購入し ているとパーティー券収入を記録した一覧表に記録されているのである。 おまけにパーティー券の購入という形を借りたこれらの政治献金は、総務省や選挙管理 委員会に提出を義務付けられる正式な政治資金報告書にいっさい記載されていない。 ・下村博文は、安倍四天王と命名されるほど、政権中枢に近い。 だが、これほどの大物政治家になった割には、日ごろ本人の政治活動を支えている秘書 や事務所スタッフは、心もとない。 「僕は芸能事務所を辞めたあと、政治を志2013年に下村事務所に入りましたが、伝 手やコネなどないので、リクナビを使って探しました。たまたまそれが下村事務所でし た」 元公設第一秘書「平慶翔」は自嘲気味に語った。 ・愛梨、祐奈という人気スターを姉と妹にもつ平慶翔は、本人もドラマ「金八先生」でデ ビューした元タレントではあるが、性格はいたって生真面目である。 もっとも、まったくずぶの政治の素人で二十代の若さである。 そんな平をすぐに事務所の要職に就かせなければならないほど、他に人材がいなかった。 平の公設第一秘書起用は、下村事務所の人材不足の裏返しにも感じる。 ・そんな下村事務所の中で、最も頼りにしてきたのが、衆議院第一議員会館に常駐してい る公設秘書の榮友里子だ。 もともと榮は今日子のママ友だった縁から、事務所を任されるようになったという。 やがて下村と今日子のスケジュールいっさいを管理し、榮の指示に従って他の秘書が動 くという事務所のシステムができあがったようだ。 ・パーティー記録(博友会パーティー入金状況)によれば、2012年から2014年ま での3年のあいだ、加計学園から220万円の政治資金を受けている。 加計学園によるパーティー券の購入は、大臣就任前である2012年の20万円から、 翌2013年に100万円に跳ね上がった。例年の5倍だ。 ・なぜそこまで大きく跳ね上がったのか。 理由を単純に考えれば、文科大臣になったからだろうが、元来、2万円のパーティー券 10枚で総額20万円なら、政治資金収入報告書に記載義務の発生しない上限ラインに 抑えていたことにもなる。 それが2013年以降、違法疑惑の生じる100万円に急増しているのだから、問題視 されないわけがない。 ・国や自治体から大きな助成を受けている私学が、こんな多額な政治資金パーティーのチ ケットを購入していいのか、という疑念をはらむからだ。 それがわかっていて、なぜ100万円もの大口献金をしたのか。 つまるところ、それはばれないと甘く見ていたからではないだろうか。 入手したパーティー入金リストは、あくまで未公表の帳簿類である。裏帳簿といっても 差し支えない。 だからこそ法律違反かどうかなどは歯牙にもかけず、そのまま記載した。 そう考えたほうが妥当ではないか。 ・ところが、その下村のパーティーが2015年になると、ぱったりなくなる。 そこには明確な理由があった。 この年、週刊文春が博友会の政治資金疑惑キャンペーンを張ったからだ。 パーティーそのものが開かれなくなるのは、それまでやましかったことの反動と考えるほ かない。 ・下村について取材過程で私は、パーティー入金記録とともに、もう一つ、加計学園との 深い関係をうかがわせる内部資料を入手した。 数年間にわたる下村博文事務所の日報である。 日報の作成者は、文科大臣秘書官を務めていた榮友里子だ。 下村の最も信頼する秘書の榮は、事務所の日々の出来事を書き留めてきた。 書かれている内容は、日によって分量や重要度がまちまちであり、毎日の日誌なので年 間通じると膨大な量にもなる。 それをめくっていくと、やはりそこにも加計学園がたびたび出てくる。 ・2014年2月の日報は、下村が<松先生>なる人物を加計に客員教授として推薦し、 秘書の中山が対応に戸惑っていたところ、翌日<松先生>自身から連絡があって、問題 が解決したという話ではないだろうか。 永田町によくある就職あっせんの類。いわゆる教員の口利きのように受け取れる。 が、その実、秘書ではなく閣僚の下村本人が学校法人の理事長い声をかけるところに、 その濃密な関係性が透ける。 ・加計学園の元教員に聞くと、ここに出てくる<松先生>はおそらく、公明党衆院議員だ った「松あきら」だという。 日報の日付からひと月あまり後の2014年4月の「平成26年度千葉科学大学教員一 覧」にも客員教授として、「松あきら」の姓名が掲載されている。 本名、西川玲子、宝塚歌劇団の元花組トップスターだった。 ・ちなみに2014年の千葉科学大学客員教授の名簿には、「中田宏」も名を連ねる。 千葉科学大学には客員教授として「井上義行」や「萩生田光一」もいる。 井上にしろ、萩生田にしろ、千葉科学大学危機管理学部の客員教授として報酬を得てき たのは紛れもない事実だ。 つまり安倍が用意した側近たちへの救いの手が、盟友の経営する大学の客員教授ポスト だったということだろう。 前川の乱「疑惑の核心」 ・実は「森喜朗」は、第二次安倍政権の発足にあたり、下村文科大臣就任を快く思ってい なかったという。 「第二次安倍政権が発足したとき、森さんの意中の人は「馳浩」さんであって、下村さ んではありませんでした」 ・前文科次官の「前川喜平」が、第二次安倍政権における組閣の内幕を明かしてくれた。 「森さんは馳さんを息子みたいに可愛がっていましたから、東京の五輪招致を馳にやら せたいと思っていたようです。で、あとから聞くと、森さんは安倍さんに馳さんを推薦 していて、下村さんは環境大臣にどうか、と話していたみたい。それで、下村さんは、 環境大臣や総務大臣など三つのポストを提示されたみたいだけど、『文科大臣じゃない から入閣しなくていい』とぜんぶ断ったといいます。そうして、文科大臣に就いたよう です」 ・森と下村の確執が顕著になったのが東京五輪の国立競技場建設をめぐる費用の問題が浮 上したときだ。 2012年初めに千三百億円と見積もられていた英国デザイナーの「ザハ・ハディド」 設計の国立競技場建設費が、2015年になると三千億円を超えると判明した。 そこで文科大臣の下村はこの年の五月、修正案を示した。 予定されていた開閉式屋根の設置を五輪後に先送りし、可動式観客席を仮設にするとい った施設の簡素化計画を発表する。 ・が、混乱は収まらない。 やむなく七月になって首相の安倍が乗り出し、ザハ案の白紙撤回を発表せざるを得なく なってしまった。 ・「森さんがいちばん悔しい思いをしているのは、2019年ラグビーW杯に新国立の建 設が間に合わなくなったことでした。 新国立競技場の建設は日本ラグビー協会会長としての国際公約でもあった。 それが反故にされたから、そのきっかけとなった都知事と大臣の会議に「なんであんな ことをしたんだ」と今でも起こっていると思います」 ・もとより国立競技場建設の見直しについては、森より下村たちの言い分が正しい。 世論を味方につけたともいえる。 おかげで下村は、森と対峙しながらも第二次安倍政権発足から二年十ヵ月の在任期間、 文科大臣として強権を握ってきた。 加計孝太郎にとっては、この上なく好都合な大臣だったといえるだろう。 ・防衛族であると同時に農水族議員としても知られる「石破茂」は、第二次安倍政権で地 方創生の内閣府特区担当大臣を拝命した。 安倍によってライバルと目されてきた石破を閣内に取り込むことによって、反安倍の動 きを封じるという官邸側の目論見が透けて見えた半面、石破は農水族議員として獣医学 部の新設に異を唱えてきた。 ・かたや加計と気脈を通じる安倍四天王の下村が、安倍と同じく保守タカ派の教育方針を 政策の軸に置き、獣医学部新設推進の旗を振ってきたのは言うまでもない。 その下村は文科省内において、過去になり剛腕大臣だとの評判もあった。 ・剛腕の文科大臣と反対派の農水族農水族議員、下村と石破のあいだで折り合ってできあ がったのが、「『日本再興戦略』改訂2015」の閣議決定である。 獣医学部の新設を認めるケースとして、 ・既存の獣医師養成でない構想が具体化し ・ライフサイエンスなどの獣医師が新たに対応すべき分野における具体的な需要 ・既存の大学・学部では対応が困難な場合 ・近年の獣医師の動向も考慮しつつ、全国的見地から本年度内に検討を行う という四条件を閣議決定したのである。 ・後にこれが規制の撤回に高いハードルを課した「石破四条件」と呼ばれるようになる。 この四条件について、獣医師会や文科省内では、新設の獣医学部ではとてもクリアーで きないと考えた。 実際、今に至っても加計恪園が要件を満たしていないと主張している。 ・ただし、これが曲者だった。 四条件は、国家戦略特区の中でクリア―すべき四条件ともいえた。 本当にクリアーしているかどうか、そこがグレーゾーンとなっている。 事実、後に内閣府は「クリアーした」と主張し、前川たちはクリアーできていないと反 論した。 ・石破四条件は、国家戦略特区における獣医学部の方向性を定めた方針であり、それは、 「下村大臣時代の四条件」となる。 つまりこれにより、獣医学部新設へのレールが敷かれたと見る関係者も少なくないので ある。 ・加計学園にとって最大の転機となる2015年。そこには見落とせない出来事がある。 今治市企画課の首相官邸訪問だ。 ”獣医師養成系大学の設置に関する協議” そう記された今治市の内部文書の存在が明るみに出て、2017年の通常国会でも取り 上げられた。 しかも、今治市の首相官邸訪問には、加計学園の関係者も同行していたという。 週刊朝日が、その事実をすっぱ抜いた。 ・今治市の関係者がこう明かす。 「実は、問題となっている訪問には、複数の加計学園幹部が同行していたのです。加計 学園から今治市に連絡が行き、官邸訪問が実現したようだ。当時はまだ国家戦略特区の 枠組みがどうなるかもわからない段階。首相秘書官から『準備、計画はどうなのか』 『しっかりやってもらわないと困る』という趣旨の話があった。最初から『加計ありき』 を疑わせるような訪問で、萩生田、柳瀬両氏が国会で頑なに資料、記憶がないと言い張 ったのは、詳細を明かせば、それが一目瞭然でバレてしまうからではないのか」 ・首相の秘書官から加計、今治市というルートで官邸訪問の話があり、会談が実現したと いう話である。 ここに出てくる「柳瀬」とは、経産省から首相秘書官として出向していた「柳瀬唯夫」 を指す。 柳瀬は、次ぎの事務次官と囁かれる大物経産官僚だ。 加計とも顔見知りであり、河口湖畔で首相が催したゴルフコンペにも参加している。 ・その柳瀬が今治市の職員たちの面談相手だとされ、国会で追及を受けた。 そこで「記憶にございません」を連発したのは、周知のとおりだ。 内閣府や他省庁ならいざしらず、地方の市町村の課長や課長補佐による官邸訪問事態が 極めて珍しい。 しかも首相側近の秘書官と面談していたというのだから、なおさらだ。 ・「面会のため一行が官邸内に入ると、下村博文文科相(当時)もやってきて言葉を交わ したそうです」 ・今治市の職員に同行した加計学園の関係者とは、事務局長の渡辺良人だけだという話も もあれば、理事長の加計孝太郎がいた可能性も否定できない。 官邸訪問という極めて重要な場面であり、わざわざ下村が、「やあ、加計さん」と呼び かけた相手だから、やはり加計孝太郎自身が官邸に行ったと考えたほうが妥当だろう。 このとき下村も官邸にいたことを合わせて考えると、ますますそう感じる。 ・この件に関して、首相官邸では面談記録が存在しないといい、安倍本人もまた秘書官の 柳瀬から報告すら受けていないと釈明してきた。 むろん加計とは会っていないともいう。 とすれば、首相の秘書官が独断で市町村の職員を官邸に招き、一時間半も打ち合わせを したことになる。 秘書官と会うだけなら、官邸でなくてもいいはずであり、当事者たちの説明は、どう見 ても不合理だというほかない。 ・だが、仮に加計孝太郎の強い希望を安倍晋三が叶えるため、今治市の職員を引き連れて 官邸で首相に会うというデモンストレーションを演じたとすれば、それなりに合点がい く。獣医学部問題の主役は加計なのだから、官邸訪問の主役も加計だと考えたほうがし っくりくる。 ・そしてこの加計の官邸訪問から二ヵ月後、今治市は予定どおり構造改革特区から国家戦 略特区に提案の申請をやり直した。 これを受けた首相の安倍は「『日本再興戦略』改訂2015」を閣議決定し、国家戦略 特区において獣医学部新設のための四条件のルールを示した。そういう流れだ。 ・内閣府は第二次安倍政権で編み出したこの国家戦略特区をこう定義づけている。 「構造改革特区の祈誓の特例措置について、国家戦略特区計画に記載し総理の認定を受 けることで活用が可能」 ・特区制度そのものが他の地域に課せられている祈誓を外す特例措置なのだが、国家戦略 特区は、特例のさらに特例という扱いである。 これにより、獣医学部新設に道が開けたのは疑いようがない。 ・下村から馳に大臣が代わるこの時期、官邸と加計をつなぐ強力なパイプ役がいた。 下村とともに安倍四天王と目されてきた「萩生田光一」である。 ここから萩生田が官房副長官として、国家戦略特区の獣医学部新設にかかわるようにな る。 加計学園の加計孝太郎にとって、構造改革特区から国家戦略特区への獣医学部新設提案 の変更は、萩生田にバトンタッチする前のいわば文科大臣・下村博文の置き土産ともい えた。 ・国家戦略特別区域諮問会議は2013年、国家戦略特別区域法に基づいて内閣府に設置 された。 他の審議会と同じく、第三者の客観的な意見を取り入れるための有識者を加えた審議会 という立て付けになっている。 が、事実上、内閣府の官僚が会議を取り仕切り、ものごとを進めていく。 関係閣僚たちがその官僚の上位に位置し、さらに会議の最高位が首相となっている。 つまり首相の意向が絶大な上位下達、安倍首相肝煎り設置された有識者会議といえる。 ・具体的に国家戦略特区諮問会議の顔ぶれを見れば、それは一目瞭然だ。 議員の補佐役として実務を取引ってきたのが、内閣府審議官の「藤原豊」と内閣総理大 臣補佐官の「和泉洋人」の二人である。 その上位に位置する議員として「山本幸三」が特区担当大臣に就いている。 そして官房副長官の萩生田光一が、首相官邸の意向を伝達するパイプ役として機能して きた。 ・そうして加計学園の獣医学部新設は、それまでの構造改革特区からこの国家戦略特区制 度の下で、「国際水準の獣医学教育区」として仕切り直した。 と同時に安倍晋三は、国家戦略特区諮問会議の議長として、獣医学部の新設に関して心 強い見解を披露してきた。 鳥インフルエンザなど感染症対策の高度な獣医養成は必要だろう、と耳当たりのいい話 をし、担当大臣である山本や内閣府の官僚たちは、さしたる明確な根拠も示さず、加計 学園を擁する今治市の計画が四条件をクリア―したと主張してきたのである。 ・四条件をクリア―したかどうか、それを判断するのは、学部の設置認可をする文科省で はなく、国家戦略特区諮問会議だ。 ・見方を替えれば、内閣府は国家戦略特区制度の下で、閣議決定した獣医学部新設のため の「四条件」を持ち出せば、他の大学や自治体が引き下がり、加計学園の一校限りで済 むのだから大目に見ろ、という条件闘争に持ち込んだともいえる。 事実、それまで手を挙げようとしてきた東京農大や帝京科学大、新潟市などはことごと く計画を断念した。 ・あれほど反対してきた獣医、師会も、いつしか加計学園一校にかぎり獣医学部の新設を 認める方針に転換する。 ・2015年12月の国家戦略特区諮問会議において、正式に「広島県・愛媛県今治市」 が特区として指定された。 この時点で、加計学園による今治市の獣医学部新設のレールは、完成に近づいたといえ る。 あとは国家戦略特区諮問会議で、獣医学部の容認を正式に決定し、文科省が規制してき た告示の見直しという段取りを踏んで認可申請をしればいい。 ・ところが、あにはからんや、加計学園をはじめ、内閣府や首相官邸、今治市にとって、 計算違いの事態が発生した。 「広島県・愛媛県今治市」の特区地域指定により、全国の大学や自治体が特区申請を断 念するなか、ライフサイエンス分野の特異な京都産業大学を擁した京都府だけが、あき らめなかった。 ・慌てたのは特区構想の実務を進めてきた内閣府だった。 その半面、下村大臣が去ったあと、内閣府からずっと獣医学部の設置を迫られていた文 科省としては、抵抗の余地が生まれた。 そうして、内閣府の圧力を暗示する文科省の文書の存在が明るみに出る。 「官邸の最高レベルが言っている」 「総理のご意向だと聞いている」 ・文科省高等教育局では、そう記したメモを残した。 それが「総理のご意向」行政文書である。 ・文科省の官僚が書き残した一連の文書の存在が、国民の関心に火をつけたのは、衆目の 一致するところだろう。 加計学園に対する首相のえこひいきではないか。 「総理のご意向文書」によって、関係者のあいだで燻ってきたそんな疑念の輪郭が、 くっきりと浮かび上がった。 ・「まったく、怪文書みたいな文書じゃないでしょうか。出どころも明確になっていない し・・・」 官房長官の「菅義偉」は、記者会見でそう言い放ち、のちにひんしゅくを買った。 ・その政府方針に沿うかのように、二日後に文科大臣の「松野博一」が文書に関する最初 の調査結果を公表する。 私学の担当責任者七人にヒアリングし専門教育課の「国家戦略特区」の共有フォルダ― と共有ファイルを探索したが、文書の作成および共有について「ない」「記憶にない」 と回答があったという。 あげく松野は「文書が存在しない」とまで言い切った。 ・だが、前文科省事務次官の「前川喜平」のひと言が、風向きを変える。 「行政が歪められている」 事実を隠蔽しようとした政府に対し、きっぱりと言い切った。 「これらの文書は、大臣や次官への説明用として担当の高等教育局専門教育課が作成し たもので、私は同じ文書を見た。あるものをないとは言えない」 ・世間は、前川発言を森友問題の籠池夫婦の言葉より重く受け止め、信を置いた。 これが燻ってきた疑惑の薪に油を添えた。 加計学園のえこひいき疑惑は、瞬く間に燎原の火のごとく燃え広がり、盤石と思われて きた安倍政権の足元を大きく揺らした。 ・そして政府批判が高まっていくと、文科省は一転、異例の再調査を実施する。 やがて文科大臣の松野は、前回調査の7人を含む26人にヒアリングし、大学設置室や 私学行政課の共有フォルダ―と共有ファイルを調べなおしたと発表した。 それまで指摘されていた19の文化省文書のうち、14文書の存在が確認できた、と訂 正した。 ・それでもなお、残る5文書のうち、3文書は「法人の利益にかかわるため存否を明らか にできない」とし、2文書の存在が確認できなかったとも言い繕った。 念を押すまでもなく、公表できないとした「法人の利益」に関する文書とは、加計学園 が大学設置認可申請の事前相談をしたときのメールなどのやり取りなどであり、結局、 それらも後にばれてしまう。 ・文科省が再調査で認めた以上、文書が文科省の担当者によって書かれていた事実は動か しようがない。 だが、それでも内閣府や官邸サイドでは、あの手この手で首相の関与を薄めようとあが いてきた。 国会や記者会見を通じ、そのあまりのお粗末な政府の狼狽いぶりに、国民の疑念が募る のは無理もなかった。 ・一連の流れを俯瞰してみると、これは巷間で言われるような「総理のご意向」を忖度し た結果の行政のねじれではない。 第一次安倍政権で発表された獣医学部の特区構想が、第二次安倍政権で復活し、無理筋 を通しながら実現寸前までこぎ着けた。 そこにたまたま文科省の文書という蟻の穴が空き、これまで封じ込められてきた腐臭が いっぺんに漏れ出してきたのである。 ・忖度は、あくまで周囲が主体となって便宜を図るものだ。 しかし加計学園の獣医学部については、首相本人や極めて首相に近い側近たちが能動的 にかかわってきた。 そこには、忖度という言葉に隠れた不正があるのではないか。 そんな疑いを抱かざるを得ない。 内閣府VS文科省 ・2016年3月の京都府による特区申請により、獣医学部の新設候補が加計学園一校だ けでなく、京産大を加えた二校となった。 もともとしぶしぶ新設を認めてきた文科省はもとより、獣医師会にとっても、それだと 約束が違う。そうして、事態がややこしくなっていく。 ・前川喜平が文科省の先輩官僚である内閣官房参与「木曽功」の訪問を受けたのは、文科 事務次官に就任した二ヵ月後だ。 「国家戦略特区制度で、今治に獣医学部を新設する話、早く進めてほしい。文科省は (国家戦略特区)諮問会議が決定したことに従えばいいから」 ・木曽はかつての後輩の前川にそうアドバイスした。 前川はこのときまで、木曽のもう一つの千葉科学大学学長という肩書について、まった く知らなかったという。 このことが明らかになると、木曽はマスコミの取材に対し、こう弁明した。 「私は内閣府の参与として彼のところを訪問したのではなく、加計学園の事理として話 をしたのです」 ・少なくとも前川はそう受け取っていない。 後輩次官の前川にとって、内閣府の参与からの要請は圧力以外のなにものでもない。 前川はそのから権力に翻弄されていった。 ・「木曽さんのあと、しばらくして和泉(首相補佐官)さんから官邸に呼び出されました。 そこで、和泉さんが『総理の口からは言えないので、私が代わって言う』と加計学園の 話を切り出したのです」 前川はそう話した。 和泉が前川を呼び出したのが、2016年10月に入ってからのことだ。 加計学園問題にかかわった多くの官僚の中でも、和泉は最大のキーパーソンだと前川は 見ている。 ・前川は二人きりの密室で、総理の代理人を自称する和泉と会い、こう伝えられたという。 「加計学園の獣医学部設置認可を急いでほしい」 ・当の和泉は国会でこの件を問われると、微妙な言い回しで反論した。 「私は『事務次官としてしっかりフォローして欲しい』ということは申し上げました。 前川さんに『スピード感をもって取り組むことは大事だ』ということは申し上げたかも しれない」 ・文科省文書の存在が囁かれ始めた頃から、首相官邸や内閣府は、前川が文書を流出させ たと睨んできた。 その前川について、読売新聞が出会い系バー通いを報じたことがある。 「教育行政の責任者がそういった店に出入りし、小遣いまで渡していたという。到底考 えられない」 すかさず官房長官の菅が、記者会見でそうまくし立てた。 読売の記事は、前川の告発を恐れた官邸サイドからのリークだったというのが、定説の ように囁かれている。 ・出会い系バー通いの一件では、その前の2016年秋、まだ次官だった前川が官房副長 官の「杉田和博」からも呼び出され、「君、あんなところに通っているのか」と注意さ れたこともあるという。 それもまた抵抗姿勢を見せた前川に対し、「常に監視しているぞ」という脅しととれな くもない。 ・実際、前川が出会い系バーに通っていたのは事実だ。 前川自身、シングルマザーなどの貧困調査のためそこに通い、店にいる巨星に小遣いを 渡したこともある、と認めた。 普通ならとってつけたように感じる言い訳だといえる。 が、実際に前川本人に会ってそのことを聞くと、真意のようにも感じる。 少なくとも、自らの行為について妙に隠し立てはしていない。 ・加計学園や今治市にとって、学部新設のモデルとなった大学がある。 加計より一足先の2017年4月、千葉県成田市に開校した国際医療福祉大学医学部だ。 もとは福岡県の眼科医院からスタートした国際医療福祉大は1995年4月、栃木県大 田原市に保健学部を開設するとともに、関東で病院経営に乗り出し、医学部の開設を計 画してきた。 2014年に、国家戦略特区諮問会議で区域指定され、その念願の医学部開設が現実の ものとなる。 ・その国際医療福祉大医学部には、さらに前例があった。 2011年3月の東日本大震災を受け、安倍政権が震災復興のシンボルと位置付け、 肝煎り政策として宮城県に新設した東北医科薬科大学である。 震災後の特例措置ではあるが、三十年以上認めてこなかった医学部の設置をここで許し たのである。 ・加計学園は成田方式を踏襲し、獣医学部の新設を目指した。 ・「成田と違って加計学園の場合は、獣医の人材需給について他省庁は何の根拠も出さな い。なのに内閣府が高圧的で性急にグイグイ来る。しかし、農水省や厚労省を巻き込ん でこれないと手に負えない。それが文科省の立場です。それで高等教育局が困り果て、 当時は加計学園と親しいとは知らなかった萩生田さんに仲裁役を期待して相談しました。 でも今考えると、それは無理だったのかもしれません」 前川は文科省文書を改めて読み返し、中身を精査しながらそうつぶやいた。 文科省にとって、加計学園の獣医学部新設は、成田市の国家戦略特区での医学部開学よ り、いっそう無理筋に映ったよいである。 ・「官邸の最高レベルが言っている」文書によれば、加計学園の獣医学部新設について、 国際医療福祉大医学部より、さらに学部設置認可までの開校スケジュールを短縮しろ、 と内閣府から強い指示が出ていた。 ・安倍や加計がなぜそこまで急ぐのか。一年や二年遅らせてもいいのではないか。 文科省の高等教育局としては急ぐ理由がわからないので、開校時期について慎重に検討 すべきだという議論になる。 ・そんなときに登場したのが、官房副長官だった萩生田光一だ。 安倍の政策に共鳴している萩生田は、加計とも極めて近い。 野党が国会でしばしば追及してきた「加計学園の利害関係人」という指摘は決して的は ずれではない。 ・羽生田は落選期間中、千葉科学大の客員教授として月々十万円の報酬を得ていた、と国 会で認めた。 今も千葉科学大の名誉客員教授という肩書を持つ。 さすがに官房副長官になって以降は報酬を受けていないと弁明している。 が、この間、閣僚に義務付けられている兼職の届け出をしていない。 それが大臣規範に抵触するのではないか、という指摘もあった。 大臣規範では、大臣のほか官房副長官を含む副大臣らに対し、無報酬の名誉職を兼職し た際の届け出なども義務づけている。 ・首相官邸・内閣府と文科省の闘い・・・。 文科省の文書発覚以降、双方の攻防がクローズアップされてきた。 そこで官邸と内閣府が加計ありきで尻込みする文科省をねじ伏せ、行政を歪めたのでは ないか。メディアはそう指摘してきた。 ・指摘そのものは間違ってはいないだろう。 だが、そこにこだわるあまり、議論がことの本質を外しているようにも感じる。 そもそも文科省は、首相や内閣府の「ご意向」に逆らう気などなかった。 このまま獣医学部設置の許可を下ろしてしまえば、自分たちが全責任を負わなければな らなくなるのを恐れたに過ぎない。 とどのまつり、開校時期を遅らせる程度の軌道修正を試みようとしただけだ。 ・後に官邸サイドは「なぜ前川次官は現役のときに抵抗しなかったのか」と前川を責め立 てた。 対する前川は記者会見を含め、折に触れて「そこは反省している」と潔く語ってきた。 しかし、文科省はもともと本気で官邸や内閣府とやりあうともりなどなかったのである。 ・内閣府にしろ、文科省にしろ、立場は微妙に異なるが、政府全体としてとらえた場合、 曲がりなりにも特区諮問会議に集う有識者たちを説得する材料が必要になる。 つまり文科省や内閣府は、国家戦略特区諮問会議の議員たちが獣医学部新設の四条件を クリアーしたと判断した、と世間向けに説明できる状況を用意しなければならなかった。 ・そして、そこにはライバルである京都産業大学の申請という想定外の出来事があった。 加計はもとより内閣府や文科省も、京産大に出て来られては困る。 それは、加計学園一校だけならやむなし、という妥協案に傾いていた獣医師会でも同じ 思いだろう。 ・「先端ライフサイエンス研究や地域における感染症対策など、新たなニーズに対応する 獣医学部の設置」と題した原案を修正しろ、という指示が内閣府や萩生田からなされて いる。 「現在、広域的に獣医師系養成大学等の存在しない地域に限りにおいて獣医学部の新設 をかのうとする」 ・この「広域的に獣医師系養成大学等の存在しない地域」という表現の意味するところが、 まさに四国・今治市を指す。 獣医学部新設を計画していた京産大は、同じ関西圏の大阪府立大学に獣医学類がるため、 必然的に特区の審査対象から外れるのである。 「京産大外し」といわれたこの修正を文科省に支持したとされる萩生田に、疑いの目が 向けられるのも無理はなかった。 ・内閣府および文科省の特例告示が公布されたのは2017年1月4日のことだ。 慌ただしく、加計学園だけが手を挙げた。 仕上げは、国家戦略特区諮問会議の議長として首相の安倍自らがそれを認定したのであ る。 ・加計学園問題を野党が追及している通常国会のさなか、一枚の写真が注目された。 萩生田のブログに2013年5月10日付でアップされていたバーベキュー風景の写真 である。 写真ヒ登場するのは三人。自然に囲まれ、缶ビールを手にしながら談笑しているのが、 姉晋三と萩生田光一、二人に挟まれ、加計孝太郎が笑顔で写っている。 ・「今治市の獣医学部が加計学園だと知ったのは、2017年1月20日」 閉会中審査の初日に、衆院の答弁で安倍晋三が発したこのひと言が、ひときわ大きな波 紋を呼んだ。 さすがにそれはあり得ない。まさに墓穴を掘ってしまった格好だ。 延期された学部の設可 ・「誠実に説明責任を果たす」 加計学園問題の国会閉会中審査がおこなわれる日を前にし、安倍晋三は心にもないそん な言葉を口にしなければならなかった。 丁寧に説明すれば、そこにはほころびが生じるのは、当の本人がいちばんよくわかって いたのではないだろうか。 事実、矛盾の生じるのを恐れるかのように、いつものように野党の追及をのらりくらり とかわし続けた。 ・「文書は破棄した」 「記憶にない」 答弁に立つ関係閣僚や高級官僚がそう連発し、説明しようにも記憶力が乏しいかのよう な演技を繰り返した。 もっとも、そんな政権与党に対し、責め立てる野党側も決め手に欠いた。 国会のやり取りは、政府の煮え切らない姿勢を国民に印象付けようと躍起になってきた だけのようにも感じた。 ・忖度という流行語に象徴されるように、野党側が追及してきたのは首相の直接の失態で はない。 実際、取材していくと、首相と加計のあいだには、きな臭い足跡がいたるところに散見 されるのだが、国会の追及ではそこにはなかなか届かない。 ・大きく野党側が沸く瞬間があった。それが安倍首相のひと言だ。 「今治市の獣医学部を設置する事業者が加計学園だと知ったのは、1月20日の事業者 選定が初めてです」 これかで今治市が獣医学部新設の特区申請をしていることは承知していたが、そこが加 計学園だとは知らなかったという。 ・「たまたま加計氏が総理の友人だったが、もともと申請は(今治市から)出されていた」 問題が浮上した当初から、官房長官の菅をはじめとした官邸サイドはそう安倍を庇い、 安倍首相は自らも、ついこのあいだまで以下のように答弁していた。 「(加計学園の獣医学部計画は)国家戦略特区に今治市が申請した(2015年6月の) ときに知った」(6月5日) ・さらに6月16日の参院予算委員会では、 「構造改革特区に申請されていたことは承知していた」 ・繰り返すまでもなく、構造改革特区申請の際は、ずっと事業者として加計学園が記載さ れてきた。 第二次安倍政権発足後は、文字どおり安倍が本部長の任についてきたため、どのような 事業者が特区申請をしているか、知らないほうがおかしい。 ・7月の集中審議でそこを突っ込まれると、 「あれは急な質問だったんので混乱した」 あらかじめ質問主意書を提出していたのに、それはおかしい。 ・実際、これまでの国会答弁でも、特区の事業者が加計学園を前提であるかのように、安 倍自身がこう囁いてきた。 「友人だから認めてくれ、なんて訳のわからない意向が通るわけがない」 ・にもかかわらず、この期におよんでさすがにここまで食言を用いるとは、野党側も想像 できなかったのではなかろうか。 というより、国会のテレビ中継を見ている誰もが唖然とした。 首相の答弁をまともに信じる者はいなかっただろう。 ・2012年12月の第二次安倍政権発足以降、安倍は加計孝太郎と14度も会ってきた ことが指摘された。 つまり本人が、会食やゴルフを繰り返していたからだ。 国家戦略特区の獣医学部申請が大詰めを迎えていた2016年の7月以降だけで6回と、 ゴルフや会合が集中している。 ・集中審議の初日に、民進党の「大串博志」はそこを突っ込んだ。 「これらの中で、一度も加計理事長との間で、獣医学部新設を願い出ていることが話題 にも上らなかったのでしょうか」 「(加計とは)政治家になるずっと前からの友人関係であります。しかし、彼が私の地 位や立場を利用して何かを成し遂げようとしたことは一度もなかったわけであります」 「彼はチャレンジ精神を持った人物であり、時代のニーズに合わせて新しい学部や学科 の新設に挑戦していきたいという趣旨の話は聞いたことがございます」 「彼もこれまで様々な学部学科を創ってきたわけでございますが、そういうことも含め て具体的にいま何を創ろうとしている、今回であれば獣医学部を創りたい、さらには今 治市にといった話は一切ございませんでした」 ・「食事代は我が払ったのですか」 「私がごちそうしたこともあるし、先方が支払うこともある。友人関係ですので割り勘 もある。何か頼まれてごちそうされたことはない。気の置けない友人関係なので」 ・「国家公務員には倫理規程があります。権力関係にある人と食事をしてもいけない。 申請者と一緒に食事、ゴルフをしてかつお金を払ってもらったのは大問題です。だから 『1月20日まで知らなかった』と言っているのではないですか」 ・野党の追及は、決定打に欠けるのだが、それでも内閣支持率は急落し、安倍に対する信 頼は地に落ちていく。政権はかつてない窮地にたたされた。 ・国会閉会中審査の直前という絶妙なタイミングで、朝日新聞や週刊文春が日本獣医師会 の議事録を報じた。 地方創生担当大臣「山本幸三」が2016年11月に日本獣医師会を訪れた。 その際に、山本は獣医師会の幹部にこう伝えた。 「四国は、感染症に係る水際対策ができていなかったので、獣医学部を新設することに なった。四国に決まりました」 ・このときは、まだライバルの京都産業大学を擁する京都府が国家戦略特区に申請してい た。その段階であったにもかかわらず、四国の加計学園に決めた、と特区の担当大臣が 獣医師会に伝えてきたことになる。 この獣医師会の議事録のおかげで、内閣府が強引に加計を選んだ疑いがますます強まっ たのは間違いない。 ただし、それが決定打かといえば、それほどでもない。関係者のあいだでは「加計あり き」など、公然の事実だからである。 ・「獣医学部は一校だけではなく、二校でも三校でもつくる」 加計ありき批判をかわすかのように、安倍はそう言い始めた。 政権延命の末 ・2017年9月、各紙が衆院の解散、総選挙をいっせいに報じた。 「安倍晋三首相は、臨時国会召集から数日以内に衆院を解散する方針を固めた」 突然の決まった衆院の解散に対し、もちろん野党は猛反対した。 森友・加計隠しの大義なき解散。その指摘どおりというほかない。 臨時国会開催を待ち望んでいた野党に対し、安倍晋三が先手を打ったともいえる。 ・唐突な解散に対し、東京都議選で圧勝したばかりの「小池百合子」は、待ってました、 とばかりに、国政政党「希望の党」の旗を挙げた。 世間は、東京都知事でありながら政党党首になる小池に対し、非難ではなく、政権奪取 を狙うその思い切りのよさを讃えた。 ・だが、それも束の間だった。 新党を立ち上げたわずか四日後、記者会見の席上、小池は合流を目指した民進党議員の 扱いを問われた。 憲法九条の改正や安保法制に反対する左派系の議員たちといっしょになるのか、という 質問だ。 そこで彼女は思わず口にした。 「排除しないということはありませんで、排除いたします」 本音なのだろうが、あまりに傲慢な「排除」発言である。 希望の党はあっけなく失速した。 ・そしてすっかり勢いを失った小池に対し、逆に安倍が息を吹き返した。 「大義なき解散」と野党から攻め立てられた安倍派、総選挙に踏み出した自らの決断を、 「国難突破解散」と命名する。 ・いかにも付け焼刃の発想だが、安倍はかまわず、街頭演説でも北朝鮮のミサイル問題や 消費増税の使い道変更の話題に終始し、聴衆に訴えた。 選挙期間中、いっさい森友・加計問題に触れない。 それは大敗した都議選の終盤、秋葉原で演説した際の出来事に懲りていたからでもあっ た。 「安倍やめろ」 「安倍帰れ」 プラカードを掲げてそう叫ぶ聴衆に対し、負けん気の強い当人がついやり返した。 「こんな人たちに負けるわけにはいかないんです」 ・「希望の党という選挙目当てのよくわからない政党を応援しなくてはいけない。それは 有権者に対する裏切りですから、離党を決意しました。小池さんはブレーンの小島敏郎 さんが突然築地市場問題の私案を発表したり、職員や我々都議会議員にはわからない意 思決定が続いてきた。都民ファーストの代表や役員人事も極めてブラックボックスでし た」 小池の立ち上げた地域政党「都民ファーストの会」から離脱した「音喜多駿」に尋ねる と、そう嘆いた。 身内からも信頼を失った小池率いる希望の党の失速は自明だったといえる。 ・総選挙では、フラフラだった安倍政権が息を吹き返し、衆院全議席の3分の2を超える 議席を獲得した。 ・加計学園の場合、予想できたことではあるが、特別国会の幕が開いた翌日、設置審の専 門委員会が開かれ、そこで獣医学部新設許可の答申を決定した。 意図的かどうかはさておき、政府側にとっては、米大統領トランプ初来日のドサクサに 紛れた認可方針決定という絶妙なタイミングだ。 ・8月段階で設置審は「学生の実習計画やライフサイエンス分野の獣医師養成に課題があ る」とし、「認可判断保留」にしたとされる。 それが予定どおり11月に認可された。 なぜ認可されたのか。理由について設置審の議事録もなく、具体的な議論などはいっさ い非公表で、国民の目や耳には伝わらない。 ・加計学園の獣医学部新設は、従来の私学設置とはまったく事情が異なる。 国家戦略特区という特別枠で進められてきた総理大臣の友人の新たなビジネスである。 なぜ、あそこだけが特別扱いされるのか。 そんな単純明快な疑問に答えず、認可審査の模様さえ伝わらない。 それ自体が異常、というほかなかった。 ・加計学園の本質は何か。 大義なき解散とまで非難されながら、ときの総理大臣がそうせざるを得なかったのは、 政権の命取りになるかもしれないという危機感のあらわれだろう。 それだけ苦しかったとい裏返しにほかならない。 ・しかしこの間、加計問題の疑惑がどこまで解明できたか、といえば、残念ながらほとん ど進展がなかったともいえる。 真摯に、謙虚に、丁寧に説明すると言葉は躍るが、当事者たちはどこまでいっても説明 できない。 ・ただし、仮に加計孝太郎や安倍昭惠が口を開けば、展開は一般に変わる。 もっとも、キーパーソンは彼らだけではないと感じる。 安倍の側で仕え、加計からの裏献金を示すような物的証拠まで出てきた下村博文。 その下村に代わって文科省に圧力をかけてきた萩生田光一などは、真っ先に浮かぶ。 |