同調圧力 
        (望月衣塑子前川喜平マーティン・ファクラー

この本は、いまから4年前の2019年に刊行されたものだ。
現役新聞記者の望月衣塑子氏、文部科学省官庁の元官僚の前川喜平氏、そしてアメリカ人
ジャーナリストのマーティン・ファクラー氏の3氏が、それぞれ日本の記者、官僚、メデ
ィアのおける同調圧力をテーマにして、安倍・菅政権における異常政治について述べてい
る。
ひとことで言えば、安倍・菅政権は、政治権力を私物化して、アメとムチにより新聞やテ
レビを巧みに支配し、人事による恐怖支配によって官僚を長期にわたって支配してきたこ
とだ。
これはまさに安倍・菅政権による「恐怖支配」政治だったと言ってもいいのではないだろ
うか。
この本を読んで、安倍・菅政権は、われわれ一般国民から見えないところで、そこまでや
っていたのかと、あらためて恐怖を感じた。

第二次安倍政権以降のマスメディアは、政権の広報機関に成り下がってしまった感が強く
なった。テレビや新聞の報道内容が、時の政権に忖度し、政権に批判的なことは差し控え
るようになって、うわべだけの報道しかしなくなっていると感じていた。
官邸記者会見などを見ても、記者の質問が、ただ”やってる感”の質問に終始していて、見
ている者にとって、なんでもっと突っ込んだ質問をしないのかと、不満がたまる一方だっ
た。
これでは、メディアの存在意義がない。時の政権に忖度し、メディアが真実を追求するこ
とをしなければ、我々有権者は真実を知らないまま、選挙でまた、いままで通りの人に投
票することになる。もはやこれでは民主主義は成り立たない。
今日のような政治腐敗が蔓延してしまったのも、メディアが時の政権に忖度し、政治腐敗
に加担してきたとも言えるのではないか。そう考えると、メディアの責任も大きいと思う。

前川喜平さんの「下村博文」元大臣から「教育勅語には普遍的な内容も含まれるので、そ
の点に注目すれば、学校の教材として使うことは差支えない」と答弁内容を指示されたと
いう告白は衝撃的だった。なぜなら、戦前におい、教育勅語は「国家主義」や「軍国主義」
に直結していたからだ。
「自己を犠牲にして天皇および国家に奉仕しなさい」とする教育勅語を、学校の教材とし
て使うことは差支えないとするのは、日本を再度、積極的に軍国主義に向かわせることに
等しい。国のために命をささげることは美しいことだと義務教育の中で教え、一方では防
衛予算を一気に2倍に増やし、世界大有数の軍事大国にする。
これは、先の戦争の深く反省し、平和国家の道を歩んできたわが国の「国の形」を大きく
転換したということだ。
しかし、このような「国の形」の転換を、時の政権は、われわれ国民に問うたことがあっ
たのだろうか。
われわれ国民がそんな「国の形」の転換を気づかされないまま、安倍・菅・岸田政権によ
って日本は軍国主義国家にまっしぐらに突き進んでいる。このことを恐ろしいと感じるの
は私だけだろうか。

我々一般の人たちは、日々の生活に追われている暮らしのなかで、熟慮する習慣を失って
しまっているのではないだろうか。
次々に起きる事件や事故、災害、芸能人のスキャンダルなどの洪水のように流れる情報で
思考回路が停止してしまっていて、とんでもない政治が行われていても「まあ、いいか」
と軽く受け止めてしまっている。このままでは、この国は破滅の道を突き進むだけではな
いのか。もはや引き返せない状態まで突き進んでしまっているような気がしてならない。

過去に読んだ関連する本:
国家の暴走
私物化される国家
Black Box


記者の同調圧力望月衣塑子
・2019年2月のことだった。国会で国民民主党の「奥野総一郎」衆院議員が「菅義偉
 官房長官に質問していた。
 「記者会にこういうペーパーが出されているわけであります。東京新聞の特定の記者に
 よる質問について、事実誤認等があったと。この特定の記者による質問についての事実
 誤認というのは、一体どういうことなのでしょうか」
 「事実に反することを聞くなというのは、民主主義国家としてはあっちゃいけないと思
 います」
・菅官房長官は奥野議員の質問に対し、興奮して声を荒げている。
 「取材じゃないと思いますよ。決めうちですよ。事実と異なることを記者会見で、それ
 も事前通告も何もないわけですから。私だってすべて承知しているわけじゃありません
 から」
 「東京新聞に対しては9回の申し入れを行っています」
・顔を真っ赤にして語気を強める菅官房長官の様子に、同僚や幹部らはあっけにとられて
 いる。 
 ポーカーフェイスで通してきた菅官房長官が、私の質問に対してだけむきになることは、
 これまでの定例会見でも何度か目にしていたが、そのとき発していた内容が内容だけに
 体が熱くなるのを感じた。
・私の会見に臨む心持ちはまったく違う。
 政府がいう「事実」が正しいかどうか。取材や新聞、テレビなどの報道で得た情報を元
 に淡々と質問しているだけだ。
 菅官房長官の番記者(担当記者)であれば、聞きづらいかもしれないが、それならしが
 らみもない私が聞けばいい。そう思って会見で問いを発し続けてきた。 
・聞くべきことは何なのかを考えて資料を調べ、質問を練る。
 さらに専門家や取材している記者仲間の意見を聞き、時には数日がかりでひとつの質問
 を考える。
 にもかかわらず決めうち答弁をくり広げた。
・菅官房長官のこの物言いには、この少し前に問題になった官邸の「申し入れ書」の件が
 影響していたかもしれない。
 官邸の申し入れ書は、2018年12月、上村秀紀総理大臣官邸報道室長の名前で、内
 閣記者会宛てに出され、記者クラブの掲示板に貼りだされたものだ。
 上村氏は内閣府に所属する官僚であり、本来中立の立場のはずだ。 
・「選択」の筆者は、申し入れ書の意図を「望月の質問を減らせ」というふうに読み取っ
 ていたが、私には「望月を締め出せ」というふうにしか読めなかった。
・文書を出してきた上村報道室長は東大法学部出身で、内閣府の官僚だ。
 中立な立場のはずの官僚がこんな文書を書き、突きつけ、貼りだしている・・・。
 自分の行為を恥ずかしいとは思わないのだろうか。
 権力者からの圧力に抵抗することもないばかりか、開き直りともとれる態度ではないか。
 私は心底驚いた。

・記者として私がやるべき仕事はシンプルだ。
 取材し、聞くべきことを菅官房長官に淡々と聞く。そのことだけを考えて出席してきた。
・記者の仕事は何かといえば、権力者の意図をニュースに仕立てて伝えることではなく、
 権力側が隠したい、隠そうとしている事実を明るみに出すことだ。
 会見場という特殊な場所であっても、飢者に求められているのは、過去も現在も未来も
 何も変わらないと思う。 
・私が質問することに対して、「会見の場で本当のことを話すはずなどない」「あんな質
 問は意味がない」などと言われることもあるが、本当にそうだろうか。質問への不誠実
 な対応や苦々しい表情、ときに漏らしてしまう本音・・・。
 加えて官僚たちの妨害行為など、為政者や権力の中枢にいる人間の素顔や本性が見えて
 くるのではないか、と思う。
・一言一句聞き漏らすまいと、一心不乱にパソコンのキーをたたき、特に疑問に関して質
 問を投げかけることがまれな政治部の記者たち。
 なぜ活発にならないのか。
 会見を覆う静かな圧力の正体は何か。
・ひとつは会見後、菅官房長官を囲んだ取材を行うため、会見の場で侃侃諤諤やってしま
 うと差し障ってしまうことだろう。
 当の政治家からネタをとるために和を乱すことを嫌うため、どうしても同調圧力が生じ
 てしまう。
・一時期、私が会見で菅官房長官の機嫌を損ね、オフ懇をやらないということも続いてい
 たようだ。
 番記者からすれば、私のせいで官房長官に質問する機会が奪われてしまっていることに
 なる。
・それはわかるが、静かな会見を見ていると、やはり日本独特の記者クラブ、番記者とい
 う制度について向き合わざるを得ない。
 ネジが1本外れていると言われれば、それまでかもしれないが、私自身は、ほかの記者
 たちにどう思われているかを気にしてもしようがないと思う。
・神奈川新聞の田崎基記者は、こうまとめている。
 会見の場で質問を遮る妨害、さらには記者クラブに対し要請文をもってかける圧力。
 権力者によって、これほどあからさまに私たちの「報道の自由」が抑圧されたことが、
 戦後あっただろうか。
 「権力者は常に暴走し、自由や権利を蹂躙する」という歴史的経験を忘れてはならな
 い。次なる闇は、その片棒を報道の側が担ぎ始めるという忖度による自壊の構図だ。
・会見場でのやり取りは、権力者の問題だけではない。
 私たち記者側の問題だと感じるようになった。
 突き詰めれば、一人ひとりの記者がメディアと権力の関係をどう考えるかという大きな
 問題なのだ。
・記者たちが権力と対峙せず、政治家の顔色をうかがいながら接するようになれば、結果
 的に「国民の知る権利のため」という大きな役割を放棄することになり、記者の存在意
 義そのものを失うことになってしまう。
・記者クラブに加盟していないメディアにとっては取材アクセスの障壁となっている。
 各省庁などでの定例会見に参加する際には、過去の報道実績など、一定の基準を満たし
 ているかどうかチェックされるケースが多い。
 クラブ側の了解がなければ参加できず、参加できても質問を聞いているだけで質問でき
 ないなどのハードルがある。
 たとえば、出版各社などは新聞・テレビの記者クラブに加盟していないため、会見には
 原則、クラブ側の了承がなければ参加できない。
・2017年の夏以降、フリーランスの記者何人かが官邸会見への出席を要望しているが、
 許可された者はいないという。
 そのため、外国人特派員協会に所属するような海外の記者やフリーランスの記者からは、
 官邸会見は、閉鎖的・排他的との批判が根強い。
・また、記者クラブ制度は、取材相手との距離が近いことで、メディアが権力側に取り込
 まれてしまう危険性もはらんでいる。
 取材相手から情報を得なくてはならないし、お互いに顔なじみとなれば、なれ合いも生
 じる。 
 相手を不快にさせ、恥をかかせるような鋭い質問はしづらい。
 特に政治部の番記者で顕著だと思う。
・「カミソリ」の異名を持った「後藤田正晴」官房長官の会見では、クラブ員であれば、
 官房長官番の記者だけに限らず、だれもがじゆうに質問をしていたそうだ。
 現在のように事前に官房長官側に質問が渡され、官僚が作成したとみられる答弁が用意
 されているということはなく、時に厳しい質問があっても、後藤田氏はその場で臨機応
 変に応対し、自分の言葉で答弁した。
 記者が曖昧な質問を行うと、後藤田氏が質問の根拠を問い、記者が勉強しているかチェ
 ックするようなこともあったという。
・後藤田さんは、番記者には「会見では君らの背後にいる国民に向けてオレは話している
 んだ」と言っていた。
 たとえ気に入らない質問でも誠実に答えなければ駄目だと考えていたと思う。
 国家を代表して国民と対話しているという意識が後藤田さんにはあった。
 それが品格ある会見になっていた。
 内閣総理大臣の守護神ではなく、国家の守護神。
 だから首相をただ守るだけでなく、時には首相にも堂々と異論を唱えた。
 官僚出身の政治家だけに、官僚には厳しかった。
・後藤田氏は、追及が厳しくても勉強している記者を評価し、ご用聞き的な記者を相手に
 しなかった。 
・ニューヨーク・タイムズの元東京支局長マーティン・ファクラーさんは、記者クラブ制
 度の下でのジャーナリズムについて厳しい批判を続けている。
 「日本の記者クラブの報道は、(権力者側を取材する)アクセス・ジャーナリズムにほ
 かならず、権力者から一歩引いて、権力者と違うファクトを出していく”調査報道”とは
 異なります。役人たちに依存し、プレスリリースなど情報をもらえなくなるため、怒ら
 せることを避けて批判ができない」
・新聞やテレビではなく、ニュースソースをSNSやネットに頼る若者が急増した。
 既得権益化した記者クラブ制度やマスメディアの存在意義が、社会の中でも大きく問わ
 れ始めていると思う。
・私は、記者クラブ制度を廃止すべき、とまでは思わない。
 自分もこれかで恩恵にあずかり様々な取材や報道ができたと思う。
 また、最近の新聞協会賞のスクープは、クラブ記者が端緒をつかむケースが多い。
 クラブ員の信用と実績が、内部告発を受けるチャンスになっている。
・しかし、現在のように閉じられた環境の中での記者会見は、やはり問い直されるべき時
 代に来ているのではないか。 
 アメリカのホワイトハウスの会見は、参加メディアの制限はあるが、ハフポストやバズ
 フィードなどの振興メディアも自由に質問している。
 
トランプ大統領は、1日あたり1、2回の記者のぶら下がりに応じている。
 もちろん、事前質問は一切ない
 一方、安倍晋三首相は、昨年も一昨年も、首相の官邸会見は年に4回程度。
 受け付ける質問は毎回5問程度しかない。
 説明責任を果たしているとは決していえない状況だ。
・記者クラブの会見のあり方は今後、大いに議論されることになると思う。
 特に、政府の政策判断について、政権幹部に直接、考えをただすことができる官邸の記
 者会見には、より多くの記者やメディアが参加できるようにするべきだ。
 かつてのように、もっと活発な質疑が行えるような環境を整えていくときではないか。
 それこそが、国民の知る権利の負託に応えていくための何よりもの手段だと強く思う。
・権力がメディアに対し、支配的、抑圧的になっている今こそ、記者が果たすべき役割と
 は何か、メディアはどうあるべきなのか、というそもそもの原点に立ち返っていく必要
 がある。  

・「前川喜平」さんは、本来、教育とは何かについて、次のように話している。
 「教育を通じて子供たちに伝えていくべきことは、個人や自由、平等、民主主義の価値
 や尊さであって、安倍首相が目指している統制や支配、愛国主義とは対極にあるものだ
 ろう」
・それぞれの個性を敬い、多様な人々が多様な形で、健康で文化的な最低限の生活を営み、
 生きていけるようにというのは、憲法に書かれていることで、私の感覚にも近い。
・生活保護費を3年で160億円減額にするなど、生活基盤の弱い人への支援をカットす
 る政策には私は反対だ。
 日本の社会も政治も、弱い立場の人々にこそ寄り添い、共に助け合っていくべきだと思
 う。 

・2017年5月に、元TBSの男性記者から性的暴行を受けたと、顔と名前を公表して
 告発会見に臨んだあと、「伊藤詩織」さんは予想をはるかに超えるバッシングや脅迫に
 さらされた。
 日常生活にすら支障をきたすようになり、イギリスの女性人権団体の助言もあって、
 同年夏から生活拠点をロンドンへ移している。
・伊藤さんは、こんな話をしてくれた。
 「今、性犯罪の加害者の男性について取材しています。なぜ加害してしまうのかを知り
 たい。まだ取材の途中ですが、加害者は害を加えているという意識がない人が多いんで
 す。加害者自身も自分の罪に向き合うために治療が必要なのです」
・どこまで強い人なのだろうと思わずにはいられなかった。
 圧力に屈しないことを、これほど体現している人も、そういないのではないか。
 もちろん、ここに至るまでに、私の知り得ないような苦しい思いもしただろう。
 それを超えて、自分の夢に向かって、先へ先へ進んでいく詩織さんは、本当にまぶしか
 った。  

・市井の人々は、政権のスポークスマンとなる菅官房長官に、疑問を直接ぶつけることは
 できない。
 ならば、私たち記者が少なくとも定例会見に参加できる権利を持っている以上、取材な
 どで得た情報を元に、疑問や疑念をストレートにぶつけていかなければならない。
 だれのために報道するのか。何をするために記者をしているのか。
 原点に立ち返れば、同調圧力が頭をかすめることはない。
 
組織と教育現場の同調圧力前川喜平
・日本の公務員の仕事ぶりを揶揄する言葉として「遅れず、休まず、働かず」がある。
 中央官庁に勤める国家公務員から小さな村の役場に勤める地方公務員まで、この揶揄が
 当てはまる公務員は、かなりのマジョリティーとして存在している。
・公務員は、年功序列や減点主義による人事が根強いので、世のため人のためいい仕事を
 したからといって出世することも、給料が一気に上がることもない
 一方で終身雇用が保証されているだけに、不祥事を起こさない限りは解雇されることも
 ない。
 退職後の年金も、そこそこあるから、仕事上の過失や失敗を恐れ、定年までリスクと冒
 さずに公務員人生をまっとうするのが一番いい、という思いのほうが上回っている。
・マイナス評価につながる遅刻や無断欠勤はもってのほかであり、ゆえに「遅れず、休ま
 ず、働かず」の精神が、僕の入省した1979年4月の時点ですでに存在していた。
・特に「働かず」に関しては、驚きのエピソードがある。  
 僕の同期が、ある部署に配属されたときに、上司から与えられた最初の指示が「どんな
 仕事が来ても、まずは『できません』と言うように」だった。
 断りを入れたうえで「できない理由を考えろ」というのだ。
・なまじ前向きに仕事をしていると、周囲から「お前、何をしているんだ」という視線を
 向けられてしまう。
 仕事をしないことが仕事というか、新しいことに取り組もうとしない雰囲気が、文部省
 という組織全体に蔓延していた。
・周囲から見れば特異に映る習慣であっても、その組織のなかでは当たり前であることが
 少なくない。  
 勤務初日に受けた驚きは今も鮮明に覚えている。
 勤務時間終了とともに、それまで働いていた狭い執務室に雀卓が並び、先輩たちが、い
 きなり麻雀を始めたからだ。
・国会の開催中は、毎日のように質問通告が降ってくる。
 衆参の本会議や各委員会審議などで、質問者があらかじめ質問の趣旨を政府側へ通告。
 各省の国会担当が質問者のもとへ出向き、質問予定の内容を聞き取って、大臣や局長へ
 の問いをまとめる。 
・国会法で定められたルールではなく、あくまでも国会と政府の間での慣習だ。
 通告が届く時間が遅くなれば、その分だけ官僚にかかる負担も増えてくる。
 質問が集中した部署では、職員たちが徹夜で答弁を作ることも珍しくない。
・国会答弁づくりは、実の不毛な仕事だ。
 そんな仕事をしたくない、という思いが反映された状況は、僕たちの間では「振り揉め」
 と呼ばれていた。
 省内の局同士による振り揉めはもちろんのこと、質問通告をめぐって各省間の振り揉め
 が起こることも珍しくなかった。
 「この案件はウチではありません」と難色を示すことは、どこの省でもあったと思うが、
 中でも顕著だったのは、文部省だろうと思う。
・質問通告においては、時間も限られているケースが多いため、最終的には「両局で協力
 して答弁を書いてください」とお願いしたこともある。
 すると今度は、局と局の間で、どちらが先に原案を書くかでまた揉める。
 原案を書く側とチェックする側に分かれるなかで、余計な仕事を増やしたくないという
 思いが働いた結果として、どちらの局も当然ながら「じゃあ、ウチが原案を書く」とは
 絶対に言わなかった。  
 国会開催中は、仕事が終わったときには、深夜になる日々が繰り返されたものだ。

・「薬害エイズ事件」において、当時の厚生省生物製剤課長だった官僚が退官直後に、
 業務上過失致死容疑で逮捕・起訴されたことは、すべての役人へ大きな警鐘だった。
・血液製剤の製造販売について、一定の権限をもっていた元生物製剤課長は、危険性が指
 摘されていた非加熱血液製剤の早期回収を、血友病患者から陳情されても動かなかった。
 波風を起こすよりは、そっとしておいたほうがいい、という役人全体に共通する不作為
 に対して刑事責任が問われ、患者が死亡した2つのケースのうち、ミドリ十字ルートに
 関しては、2008年3月に最高裁で有罪が確定した。
 彼は何もしなかった。何もしなかったことが、罪に問われたのだ。
・国民から信託を受けている仕事が公務員にはある。
 だからこそ、常に国民と向き合い、国民の利益を考えて仕事をする責任がある。
・組織として仕事をするなかでは、個人というものは度外視される。
 前川喜平という個人ではなく、ポストで仕事をしているわけなので、前任者を含めて、
 自分が就いたポストの先輩たちが在任中にやってきたことは、すべて自分の責任として
 引き受けなければいけない。
・また、国会答弁においても、あるいはメディアに対するさまざまな説明会などにおいて
 も、何を聞かれても対外的には所属する全員が同じことを言わなければならない。
 組織の中ではワンボイス、唯一無二の声になっていなければならない。
 すべての責任が集中するトップの大臣の下で擬人化され、ひとつの人格をもっているに
 等しいわけだから、発する声もひとつとなる。
・組織の論理とそれに基づく行動規範に外面上は従いつつも、僕としては内面において強
 い違和感を抱く場合も少なくなかった。
 たとえば、「日の丸、君が代」の扱いだ。   
・入省したときに、ある先輩から「文部省はイデオロギー官庁だ」と言われたことがある
 が、確かに「日の丸・君が代」を拒絶する余地がまったくない組織であることは事実だ。
 僕自身は、日の丸や君が代にそこまで強い抵抗は憶えていないが、それでも檀上に上が
 るときには、心のなかで「こんな布きれに対して、なぜ頭を下げるんだ」などと思いな
 がら、まさに面従腹背して敬礼した。
・面従腹背という組織の中での生き方を、事務次官として退任するまで貫くことができた
 のは、「寺脇研」さんという先輩がいたおかげだと思っている。
 沈滞した空気が充満していた当時の文部省の中で、寺脇さんは突出した存在だった。
 勤務時間を守らないというか、本当にいつ役所に来るのかわかりえず、失礼を承知で言
 えば、現在ならば処分の対象になってもおかしくなかった。
 それでも、教育行政の現場で放ち続けた強烈な個性は、今でも鮮明に覚えている。
・文部省内に存在した同調圧力は「これをしなくてはならない」という類いではなく、
 ここまで繰り返してきたように「何もしなくてもいい」というものだった。
 そうした状況で、文部省ナンバーワンの論客としても鳴らした寺脇さんが、日本の教育
 行政に必要だと信じた施策を「オレはこれを進めていく」と、まさに同調圧力を吹き飛
 ばすような行動を取ったときに、逆に周囲は何ひとつ圧力をかけられなかった。
・沈滞する組織のなかを「遅れず、休まず、働かず」で上手く回ってきたほかの役人たち
 は、寺脇さんをただ傍観するだけで何もできない。
 もちろん、「それはダメだ」と注意することもできない。   
・僕の事務次官在任期間は7か月しかなかったのだが、その間には、加計学園の獣医学部
 の新設を認めるよう官邸の「和泉洋人」首相補佐官から圧力を受けたり、文化勲章受章
 者と文化功労者を選ぶ審議会の委員を差し換えるよう杉田官房副長官から指示されたり、
 同じく杉田氏から「新宿のバー」も件で「注意」を受けたりと、決して愉快ではないこ
 とが多かった。
・福島駅前自主夜間中学での講演を終えた後に、代表を務める大谷一代さんに「次官を辞
 めたら、ここでお手伝いをさせてもらえませんか」と切り出した。
 大谷さんは二つ返事で快諾してくれたが、まだか1週間もたたないうちに僕の退任が発
 表されるとは夢にも思わなかっただろう。
 文科省を辞めてすぐに連絡を入れて、ボランティアをスタートさせた。
・僕はツイッターを利用している。
 2017年3月に、
 「安倍右翼政権を脱出し、僕は本当に1市民になった。空を飛ぶ鳥のように自由に生き
 る」 
 と書き込み、そのあとに、
 「面従腹背さようなら」ともつぶやいた。
・ツイッターに登録したのは2012年の年末。
 総選挙を経て、第二次安倍政権成立が確実になったときだ。
 教育が政治に支配される状況は、国家にとって危ないと考えてきた僕にとっては、極め
 て危険に映った。その思いを声にしたかった。
・自己紹介では「自由と平等と友愛を原理とする社会の実現を求めています」と綴った。
・役人は役所という組織のなかでポストを得ないことには、やりたい仕事もできない。
 希望してきた仕事をするためには、それができるポストに就かなければ何も始まらない。
 その意味で望むポストを与えてくる人に対しては、どうしてもある種の迎合が生まれる。
 自身の官僚人生を振り返れば、そうした状況がまさに日常茶飯事だった。
・「下村博文」大臣との間でもっとも大きなジレンマを抱いたのは、「教育勅語」の学校
 教材使用に対する見解を国会の場で求められた2014年4月だった。
 参議院の文教科学委員会で初等中等教育局長として質問に答えるにあたって、大臣から
 は、
 「教育勅語には普遍的な内容も含まれるので、その点に注目すれば、学校の教材として
 使うことは差支えない」
 と答弁内容を指示された。
 しかし、教育勅語に対して抱いていた思想や良心は、大臣とはまさに対極の位置にあっ
 た。 
・天皇絶対主義で国民には主権はないとし、自己を犠牲にして天皇及び大日本帝国に奉仕
 する(滅私奉公)が最上の美徳であるというような戦前・戦中の考え方を学校の、それ
 も道徳の教材に使えるはずがない。
 教育勅語の中に日本国憲法や教育基本法に違反しない内容などひとつもないと考えてい
 たので、大きな葛藤を抱いたまま国会答弁を迎えた。
・こんな答弁はできないとその場で断り、辞表を叩きつけるやり方もあったろう。
 しかし、その選択はあり得なかった。初等中等教育局長でいたかったからだ。
 初等中等教育局長として、やりたい仕事がたくさんあった。
 辞めてしまえば、そうした仕事もできなくなる。
 希望する仕事と強制される仕事を自分の中で折り合いをつけながらポストを確保する、
 面従腹背を貫くしかなかった。
・答弁の場では、途中までは下村大臣の指示通りに展開した。
 しかし、その後の、
 「普遍的なものがあるから、学校の教材として使うことは差支えない」
 という部分は、どうしても口にすることができない。
 何とも曖昧でわかりにくい結びとなった。
・あらためて振り返ってみれば、非常に危ない答弁だったと思わざるを得ない。
 教育勅語の教材としての使用に道を開く方向の情けない答弁だった。
・指示を与えた下村大臣によっては、かなり腰砕けの答弁に映ったのだろう。
 これではダメだと言わんばかりに、僕が答弁した直後に下村大臣はおもむろに挙手して、
 自ら答弁に立って僕に与えた指示をそのまま言い切った。
 このときの国会答弁の考え方が、現在も生きている。
 2017年3月には「憲法や教育基本法に反しない形で教材として用いることまでは否
 定されない」という答弁書を、安倍内閣が閣議決定する事態に至っている。
・政治権力による教育の支配ともいうべき状況を招く突破口を開いたのが、第一次安倍政
 権下の1006年12月に成立した改正教育基本法だった。
 教育基本法の前文がすべて書き換えられ、教育の目標のひとつに「我が国と郷土を愛す
 る態度を養う」という愛国心教育が盛り込まれた。
 そして、教育は「国民全体に対し直接に責任を負って行われるべきもの」であるという
 規定が削除されて、代わりに、「この法律及び他の法律の定めるところにより行われる
 べきもの」であるという規定が加えられた。
・「直接に」という言葉は、教育内容への政治権力の介入を排除する意味を持っていた。
 「法律の定めるところにより」という言葉が入ったことにより、法律の根拠さえあれば、
 政治権力が際限なく教育に介入できるかのように読める条文に変わってしまったのであ
 る。 
・個人としては、このような教育基本法の改正には反対だった。
 法律に根拠を持たせてしまえば、それを梃子にする形で、家庭教育を含めた教育の現場
 へ、いくらでも政治権力が介入してくるし、その結果として、権力を忖度するような空
 気が満ちあふれてくる。
・禁断の扉が開いてしまった、という危機感は第二次安倍政権になって、さらに強まった
 と言っていい。
 その象徴が2018年4月から全国の小学校で、2019年からは同じく中学校で完全
 実施された「特別の教材 
 道徳」だ。
・安倍政権は戦前へ回帰するような道徳教育を思い描いている。
 戦後70年余りを経た今日において、教育勅語の復権を望む人間が、決して少なくない
 数で政権中枢に存在しているのだ。
 教育勅語が国民主権や基本的人権を尊重する観念に反し、個人の尊厳をも否定している
 ことを考えれば、反憲法的教育の実現という危険極まりない事態が現在進行形で起こっ
 ていると言っても決して過言ではない。
・安倍政権は保守的だとよく言われる。
 しかし、保守とは従来の制度や政策の継続性を重んじ、急激な変革ではなく漸進的な改
 善を進めようとする姿勢や立場を指す。  
 その意味で20世紀後半に長く続いた自民党政権は、保守的だったと言える。
・しかし、道徳教育を例にとってもよくわかるように、立憲主義を無視し、日本全体を右
 側へ、まさにドラスティックにひっくり返そうとしている安倍政権は保守ではない。
 むしろ、右翼革命政権とでも呼ぶべき性質を持っていると思う。
 そして、その背景には、「日本会議」という反憲法的組織がある。
・強い政治権力が社会全体を国家主義や全体主義の方向へ引っぱって行こうとしていると
 き、それをまっとうな民主主義に戻すことができるのは、自ら考え判断できる国民、
 覚醒した主権者しかいない。
・政治の教育への不当な介入は、露骨な強制や実力行使によるものとは限らない。
 周囲の忖度と同調圧力によっても起きる。
 むしろ、そのようなケースの方が圧倒的に多いだろう。
・「梅雨空に『九条守れ』の女性のデモ」という俳句を、「公平中立の観点から好ましく
 ない」と公民館だよりへの掲載を拒否した、さいたま市の公民館の行動は、安倍自民党
 がつくり出した9条改憲の風潮に同調したものと言うべきだ。
 2018年12月の最高裁の決定により、この公民館の行為は、俳句の作者の利益を侵
 害したものとして、その違法性を指摘した高裁判決が確定した。
 僕に言わせれば、この公民館のとった行動は、住民の自由な学習を保障するべき社会教
 育機関としての使命に背くものだった。
・国家主権を指向する政治の影響は、学校における日の丸・君が代の指導にも、色濃く表
 れている。 
 小中学校などでの指導については、1958年に岸内閣のもとで学習指導要領が告示さ
 れたときから記述されているが、2018年4月からは、幼稚園教育要領にも「国旗、
 国家に親しむ」ということが明記された。
 保育園も同様だ。幼稚園の教育要領が変われば、保育所保育指針も連動して変わるから
 だ。
 幼稚園や保育園に預けられた幼い子どもの、初めて歌った歌が君が代になるなんて、
 悪い冗談にもほどがある。
 3歳の幼児といえども、日の丸への敬礼や君が代の斉唱を強制されない自由は持ってい
 る。
・第一次大戦後の民主主義のなかからナチスの独裁政権を生んでしまった苦い経験をもつ
 ドイツでは、選挙権が18歳以上に引き下げられた1970年代になって、「ボイステ
 ルバッハ・コンセンサス
」と呼ばれる政治教育に関するガイドラインが作り出されてい
 る。
 政府や公的機関ではなく、民間で議論が積み重ねられた末に、中立性を保った政治教育
 を実現させるための3カ条の原則が導き出された。
 教育を担う教員や学者たちが集まった町、ボイステルバッハが、いま現在に至るガイド
 ラインの名前に冠されている。
・そのひとつ目は「教員の意見が生徒の判断を圧倒してはならない」と定めている。
 圧倒とは「これが正しい」とか、あるいは「これ以外にはない」といった具合に、自身
 の見解を上から目線で強引に子どもたちに押しつけるような教育を指している。
・そのうえで「政治的論争のある話題は、論争のあるものとして扱う」ことが求められて
 る。  
 自分の見解を「先生はこう思っている」という形で、子どもたちへ伝えてもいいけれど
 も、同時に「そうではないと、こんな主張をしている人もいる」と対立軸をしっかりと
 伝えなければいけない。
・それら2つを徹底しながら、最終的には「自分の関心わりあいに基づいた政治参加能力
 を獲得させる」ことを目指して自分で考え、判断できる方向へ子どもたちを導いていく。
 ドイツのボイステルバッハ・コンセンサスに当たるガイドラインが、日本にもあってい
 いのではないか。  
・1994年に日教組が支持していた日本社会党が自民党と組んで政権をとった。
 その結果、それまで敵対していた文部省と日教組に、和解という歴史的なターニングポ
 イントが訪れた。
 対立から対話へと方針を変えた、1995年の日教組の判断は文部省にとっても歓迎す
 べきものだった。
・ところが、2006年の第一次安倍政権成立のころから状況が変わった。
 自民党がいわば先祖返りして、再び日教組を敵視するようになったのだ。
 2009年9月の政権交代で誕生した民主党政権では、文科省と日教組が再び同じ政権
 を支える関係になったが、この政権は3年あまりでひっくり返された。
 2012年12月に再登板した安倍首相が長期政権を築きあげているが、日教組や全教
 といった教職員組合を敵視する政府・与党の傾向がますます強まっている。
・安倍首相が2015年に国会で、「玉木雄一郎」議員の答弁の際、
 「ニッキョーソ、ニッキューソ」
 と口を尖らせながら野次を飛ばし、委員長に、
 「総理、もう静かに、総理」
 と注意を受けたことを記憶している読者の方も多いと思う。
 日教組は、いまや政府との間で対話も対決もできない状況に陥っているように見える。
 組合の組織率が長期低落傾向にあることともあいまって、政治的な発言を避ける姿勢は
 教育界に広がっている。
・政治への無関心あるいは政治の忌避ともいうべき風潮は、教育界以外の一般社会にも広
 がっているように思う。特に若い世代でそれが顕著だ。
 リーマンショックによる世界的な不況を肌感覚で知っている30代よりも、現在の20
 代のほうが、経済的には恵まれた条件下で働いているといっていい。
 仕事にあぶれる心配もほとんどなく、ある程度の生活を送っていける状況も、政治的な
 無関心を呼び起こし、目の前に迫っている危機を気づかなくする状況を生み出している
 と思う。 

・民族主義や排外主義、偏見や差別意識に基づく言動の奥には、不安や不満、漠然として
 恐怖心といった心理があるのだと思う。
 そうしたネガティブな大衆の心理につけ込み、煽り、「敵」を設定し、国家や権力に
 同化することによって安心感を持たせようとする政治手法が、いま猛威をふるっている。
・ネトウヨといわれる人たちには、実は40代、50代の人たちが多いという統計も目に
 したことがある。 
 若い世代においても、悪魔の訴えかけに踊らされているケースはあるだろうが、彼らは
 自己の思想を形成する途上にある。思想はゆらぎながら成長する。
・人間の心のなかに潜む邪悪な側面は、約30年間にわたって日本の経済・財政政策を支
 配してきた、新自由主義と呼ばれる考え方の中にも胚胎している。 
 政府による規制を可能な限り緩和・撤廃して、市場における利潤追求活動を自由な競争
 に任せれば、経済は成長し富がさらに増えて、社会全体に行きわたっていく、と考える
・新自由主義は、そもそも人間を損得勘定でしか動かない存在と考えている。
 人間は目の前にぶら下がるニンジンの数が多いほど、もっと、もっと稼ぎたいと頑張る、
 そして人間同士を分断してどんどん競わせれば、全体としていい成果が得られると考え
 ている。
・しかし、人間は損得だけで動く利己主義の固まりではない。
 ニンジンを見せられても食いつこうとしない人間もいれば、自分が手にしたニンジンを
 他人に分け与えることに喜びを見出す人間もいる。
 すべての人間が新自由主義の想定する偏った人間像に合致するわけではない。
 博愛の精神が欠けている人間ばかりになれば、人と人がつながり合った公正な市民社会
 を作ることはできない。
・大企業や資産家がさらに富裕化していくことが是認され、生じた富の行き先として描か
 れた中間層や貧困層への均霑とは逆に集中と蓄積がさらに進んでいけば、はたしてどの
 ような世の中になっていくのか。
 放っておけば、弱者が次々と食い殺され利益至上主義者同士も食らい合う弱肉強食の世
 界、たとえるならばジャングルのようなカオスが訪れてしまうだろう。
・新自由主義の根底にある人間観は、「人は自分の利益のみを求めて動く」というものだ。
 そのような人間観に立つと、人は互いに支え合い助け合いつながり合って公共の空間を
 自分たちでつくり、合意に基づいてルールを立てて、住みよい社会を形成していくなど
 ということは期待できない。 
 新自由主義からは、「市民」つぃて市民がつくる「市民社会」は生まれないのだ。
・しかし、社会には秩序が必要だ。
 人間同士が分断され競争するなかで、秩序を保ち、社会を成り立たせるためには、国家
 権力のもとで、上から秩序を与えるしかないということになる。
 権力が上から与える秩序は、同僚圧力と忖度によって増幅され、人々は自由や連帯を失
 い、上位権力のもとで委縮する。
・ところが、そういう世界は、自由を捨てた人間には案外住みやすい世界になるのだ。
 「正しい考え方」や「正しい生き方」は上から与えられるから、自分で考えずに済む。
 同調圧力をもはや「圧力」と感じなくなる。そこに全体主義が生まれる。
・さらに言えば、新自由主義と全体主義・国家主義は、相互に補完する関係にあるのでは
 ないか。   
 第二次安倍政権が誕生した2012年12月以降は、権力が官邸へ一極集中して、チェ
 ック・アンド・バランスがどんどん機能しなくなっているが、権力と富(資本)との結
 託はいまに始まったことではない。
 国家権力を支える富の集中をもたらすものが新自由主義だと考えることができるだろう。
・国民の一人ひとりが独立した精神的な自由をもち、お互いにつながり合い、重なり合い
 ながら本当の意味での公共つまりパブリックな世界を作り上げていくという考え方は、
 新自由主義の中にも国家主義の中にもまったく存在しない。
 新自由主義と国家主義が広がりつつある現在の状況に、大きな危機感を抱かずにはいら
 れない。 
・人間の最低限の条件とは、自分で考え、自分で判断し、行動できることだと思っている。
 しかし、それを満たしていない状態で、学歴だけは立派なものをもって世の中に出てし
 まっている人間が、あまりにも多いのではないだろうか。
・彼らは教科書どおりに考え、判断し、行動する。
 だから教科書にない問題に直面すると、判断と行動の拠りどころを失ってしまう。
 自分の思想や理想を持たない人間は、権力者を忖度し、権力に隷従する。
 そういう人物ばかりが、次官や局長といった責任あるポストに就いているのが霞が関の
 現状だ。 
・自分自身の座標軸を自分のなかに確立できなければ、どのような生き方をすることにな
 るのか。
 長いものに巻かれることを善と受け止め、強い権力に同化させることで自らのアイデン
 ティティーを持とうとする。
 無意識のうちに同調圧力に屈し、忖度や委縮を絶えず繰り返す。
 そうした人間が増えているのが今の日本だと思う。
 自ら考える力を育てる教育が、今こそ必要だと声を大にして、あらためて訴えたい。
・人間は独りで生まれ、独りで死んでいく。
 本来、独りぼっちの存在なのだ。 
 人間は何も持たずに生まれ、何も持たずに死ぬ。
 本来、無一物が人間の本当の姿だ。
 自分以外に頼れるものはない。
 「自帰依、法帰依」とは、自らを依り所とし法(真理)を依り所とすべしという仏教の
 教えだ。
 法を依り所とする、とは外在的な権威に盲目的に従うということではない。
 むしろ、その対極の生き方だ。
 法(真理)とは自ら悟るものだからだ。
・僕にとって「自由」とは、心を縛られないことだ。
 その意味で僕は精神的アナキスト(無政府主義者)だ。
 真に自由な人間に、同調圧力は無力である。
  
メディアの同調圧力マーティン・ファクラー
森友学園問題をきっかけとして、日常生活のなかで頻繁に見聞きするようになった言葉
 に「忖度」がある。
 一気にホットワード化した日本語だが、実は直接対応する英単語が存在しない。 
・外国人には摩訶不思議に感じられる「忖度」だが、映画やテレビドラマを含めた日常生
 活でよく使われるスラングのなかに似たようなものがある。
 そのひとつが「Kiss ass」だ。
 おっべかを使う、ゴマをする、あるいは媚へつらうといった行為を揶揄するときに用い
 られる。イエスマンを揶揄する単語としても、意味が通じるだろう。
 すべてがアメリカ社会では軽蔑される行為であり、もちろん批判の目を向けられる。
・アメリカのメディアが迎えた戦後のもっとも大きな危機は、ベトナム戦争だった。
 アメリカ軍の戦死者は約5万8千人を数え、450万人を超えるベトナムの民間人も巻
 き添えとなって死亡。
 アメリカ軍の上空から散布された毒性の強い枯葉剤は、21世紀の今も深刻な影響を残
 している。 
 しかし、この戦争をアメリカ世論は、戦禍が拡大していった1960年代の半ばまで、
 肯定的に受け止めていた。
・北ベトナムをソ連と中国、南ベトナムをアメリカが、それぞれ支援している状況下で、
 東南アジア地域を共産主義から守るという大義名分が、アメリカ国民の目には正義に映
 っていた。 
 1965年に行われた世論調査では、65%ものアメリカ国民がベトナム戦争を支持し
 ている。
・その背景として、当時のメディアの報道姿勢があげられるだろう。
 アメリカ政府や軍から出される情報をそのまま本国へ伝えていたからだ。
 この戦争は、本当に必要なのか、と疑問を投げかけるメディアは皆無だった。
・ある意味で同調圧力に支配されていたといえるかもしれない。
 ゆえに権力側に必要以上に寄り添う、過度なアクセス・ジャーナリズムに傾倒する取材
 方法から脱却できないままベトナム戦争を報じていた。
・アメリカ軍の成果ばかりが伝わってくる状況に、実際の戦況は違うのではないかと声を
 あげたのが若きジャーナリストたちだった。
 彼らは1年以上にわたって、ベトナム共和国に滞在。激戦が繰り広げられていた最前線
 まで足を運んでは、反政府組織、南ベトナム解放民族戦線のゲリラ攻撃の前に、アメリ
 カ兵の死傷者が急増している偽らざる現状を伝えた。
・また当時のアメリカを代表するアンカーマンだったCBSのウォルター・クロンカイト
 は、それまでの自主規制を打ち破ることを決意し、現地から送られてきた悲惨な映像を
 そのまま「CBSイブニングニュース」でオンエアする。
 そのなかには味方であるはずのベトナム共和国の農家をアメリカ軍が焼き払う光景や、
 共産ゲリラがサイゴンの町中で射殺される非人道的な瞬間も含まれていた。
・当然ながらアメリカ国内の反響はすさまじく、アメリカ兵がそんなことをするはずがな
 いと、ニューヨーク・タイムズやCBSには抗議の電話が殺到した。
 リンドン・ジョンソン大統領からは、名指しされる形で「祖国の裏切り者」と糺弾され
 た。それでも信念を抱いた彼らは屈しなかった。
・時間とともに真実が伝わっていき、1967年に入ると、世論はわずかながら戦争不支
 持派が逆転。全国各地で反戦デモも繰り広げられるようになる。
・迎えた1968年3月、地震のベトナム政策が過ちだったと事実上認めたジョンソン大
 統領は、次期大統領選に出馬しないことを表明。
 翌年1月にはベトナムからの名誉ある撤退をスローガンに掲げた、リチャード・ニクソ
 ン大統領が就任した。
・ベトナムから帰国後にUPIからニューヨーク・タイムズへ転職したシーハン記者は、
 ベトナム戦争で展開されたアメリカの軍事行動に関する事実が詳細に綴られたベトナム
 機密報告書、通称「ペンタゴン・ペーパーズ」のコピーを極秘裏に入手。
 1971年6月からニューヨーク・タイムズの1面で緊急連載を開始した。
・アメリカ国防総省が作成した約7000ページに及ぶ最高機密文書では、トルーマンに
 始まり、アイゼンハワー、ケネディ、そしてジョンソンに至る4人の歴代大統領のもと
 で、ベトナム政策に関して瀬府が虚偽の説明を積み重ねてきた軌跡がすべてつまびらか
 にされていた。  
・特に衝撃的だったのが本格的な軍事介入へのきっかけとなった1964年8月の「トン
 キン湾事件
」に関する記述だった。
 二度にわたるアメリカ海軍と北ベトナム軍の軍事衝突のうち、二度目が自作自演の捏造
 だったことが判明。
 北ベトナムへの大規模な空爆による死傷者のうち、実に8割が民間人だったことも明ら
 かにされている。
・ベトナム戦争が終結していない状況を重く見たニクソン大統領は、国内の安全保障に多
 大なる脅威を与えるとして、記事の差し止め命令を求める訴訟を連邦地方裁判所に起こ
 した。
・一審と控訴審を経て迎えた連邦最高裁判所における上告審で、政権側の訴えは却下され
 た。
 国民の側に立ったジャーナリズムがホワイトハウスのプレッシャーをはねのけ、国民の
 知る権利が認められた画期的な判決として現在にも語り継がれている。

・21世紀を迎えて間もなく、アメリカのメディアは再び大きな危機を迎えた。
 ジュディス・ミラー記者が同僚のマイケル・ゴードン記者との連名でスクープを打った
 のは2002年9月だった。
 「フセインは原子爆弾の部品調達を急いでいる」
 情報源として「複数のブッシュ政権高官」と記されていた特ダネは、イラクのサダム・
 フセイン大統領が1991年4月の湾岸戦争終結時に国連安保理決議として採択された
 大量破壊兵器の廃棄合意を反故にして、核兵器開発へ向けた動きを極秘裏に活発化させ
 ていると指摘。
 証拠としてイラクがウラン濃縮用の遠心分離機に用いられる、特殊なアルミニウム製チ
 ューブの購入に動いていることを明らかにしていた。
・ニューヨーク・タイムズのスクープとタイミングを同じくして、ブッシュ政権のチェイ
 ニー
副大統領、ライス国家安全保障問題担当大統領補佐官、ラムズフェルド国防長官
 異なるテレビ番組に出演。
 イラクが間違いなく大量破壊兵器を保有していると明言し、ブッシュ大統領も国連総会
 における演説で、イラクが核兵器保有に躍起になっていると世界へ警告を発した。
・発言の根拠とされたのは、いずれもミラー記者のスクープであり、出し抜かれたホワイ
 トハウスのほかのメディアもこぞって、イラクに大量破壊兵器が存在すると報じた。
 結果として、世論は戦争肯定へと誘導されていき、2003年3月のイラク戦争へとつ
 ながった。 
・国連での合意がないままイラクへの攻撃を開始してから3週間もたたないうちに、アメ
 リカ軍は首都バグダードを制圧、フセイン政権は事実上崩壊し、同年12月に逮捕され
 たフセイン大統領は約3年後に処刑された。
 しかし、肝心の大量破壊兵器は見つからず、2004年10月にはアメリカが派遣した
 調査団が「イラクに大量破壊兵器は存在しない」という最終報告を提出した。
・問題視されていたアルミニウム製チューブも、既存のロケット砲に用いられていたと結
 論づけられた。 
 つまり、ミラー記者のスクープは誤報だったことになる。
 しかも、大量破壊兵器に関する情報のほとんどはイラク人の亡命活動家で構成された反
 政府組織、イラク国民会議のアハマド・チャラビ代表からリークされていたことも明ら
 かになった。
・フセイン政権の転覆を狙っていたイラク国民会議は、アメリカの中央情報局(CIA)
 の支援によって結成され、チャラビ代表は、ネオコンと呼ばれたブッシュ政権の中枢を
 担う新保守主義勢力とつながっていた。
 つまり、両者の利益にかなう記事をミラー記者に書かせるように、誤った情報が意図的
 にリークされていたことになる。
・社内だけでなく、世間からも激しい批判を浴びるようになったミラー記者は、2005
 年に退社を余儀なくされている。 
・ミラー記者は非常に優秀で、ホワイトハウスで取材するジャーナリストのなかでもアク
 セス能力(権力者や有力者の懐に入る能力)が特に秀でていて、権力側から寄せられる
 信頼も厚かった。
 ゆえにスクープも多かったが、そこに落とし穴があったと言わざるを得ない。
 さらなるスクープを狙いすぎるあまり、アクセスする対象者との距離を必要以上に縮め
 てしまった。
・私はアクセス・ジャーナリズムそのものを否定しない。
 取材内容や相手によっては、もちろん有効な取材方法となる。
 ただ、あまりにも偏りすぎてしまえば、批判的な視点と客観的な判断力が失われ、リー
 クされた情報に対する裏づけ作業も甘くなってしまう。
 つまり、アクセス過程で隙を見せ、権力を握る側に巧みに利用されてしまうのだ。
・この人は、なぜ特ダネを教えてくれるのだろうか。
 アクセスに成功したときでも、前のめりになることなく、思考回路を冷静に保ちながら、
 別の角度からちょっと異なるストーリーを組み立ててみる。
 こうした作業が、場合によってはジャーナリストに警戒心を抱かせ、相手の思惑に気づ
 かせることになる。 
・メディアの活況ぶりは、実は2017年1月に就任したドナルド・トランプ大統領の強
 硬かつ高圧的な姿勢と密接に関係している。
 政権に対して批判的なメディアのアクセスを次々と断ち切ってしまった結果として、ニ
 ューヨーク・タイムズやワシントン・ポストをはじめとするメディアは、調査報道を介
 して権力を監視するメディア本来の役割をよりアグレッシブに担うことで勝負をかける
 道を選んだ。

・日本の場合、批判的なメディアが権力へのアクセスを遮断されたケースや見える形の罰
 なども、公的にほとんどなければ、権力者からツイッターなどで執拗に個人攻撃を受け
 るケースもあまり見受けられない。
・2014年12月二施行させた特定秘密保護法が、ジャーナリストや内部告発者に適用
 された事例も発生していない。
 誤解を恐れずに言えば、権力側からジャーナリストたちにかけられるプレッシャーを比
 べれば、アメリカの方が10倍、いや100倍は強いのではないだろうか。
 中国やロシアは推して知るべしだろう。
・たとえるなら天国のように感じられる日本のメディアの状況だが、実はアメリカとの共
 通点がひとつだけある。
 特に新聞業界が極めて深刻な危機に直面しているという点だ。
・新聞不況に拍車がかかっている状況にあることは、言をまたない。
 若い世代の新聞離れも長く指摘され、このままならばアメリカと同じ状況、経済危機や
 倒産ラッシュという事態を迎えても何ら不思議ではない。
・大変危機的な状況だと思う。
 新聞各社も、人件費や経費の大幅な削減を打ち出しているが、それでも日本の新聞社か
 らは、なぜか深刻さが伝わってこない。   
 本当の意味での危機をまだ迎えていないのだろう。
 なぜなら、それまでは副業的な位置づけだった不動産事業が、いやま新聞出版事業を上
 回って収益の柱になっているからだ。
・多角的な経営を展開する巨大グループの一部に新聞出版事業があると考えれば、新聞不
 況が下げ止まる兆しを見せなくても、危機感は芽生えないだろう。
・長く日本のメディアを見てきて強く感じることは、調査報道の対極に位置するアクセス
 ジャーナリズム、つまり権力者からいかに情報を得るかの方に、あまりにも重きが置か
 れ過ぎてる点だ。
 アクセス・ジャーナリズムの危うさに気づかず、取材対象者との円滑なコミュニケーシ
 ョンをキープしておくのが当然、いったい何が悪いのかと、問題意識さえ抱いていない
 ように思えてならない。
・アメリカにはイラク戦争へと至る過程で、アクセス・ジャーナリズムに盲目的に頼り切
 り、結果として開戦への口実を作ることに手を貸してしまった苦い経験がある。
 厳しい言い方になるが、21世紀初頭のアメリカのメディアと同じ思考状態のまま、日
 本のメディアは令和という時代を迎えてしまったことになる。
・権力者へすすんで身を任せる、と表現しても決して過言ではない日本のアクセス・ジャ
 ーナリズムで、いまでも印象に残っているのは、準大手ゼネコンの西松建設をめぐる汚
 職事件が政界に波及した偽造献金事件だ。 
・当時の野党第一党、民主党の「小沢一郎」代表の公設第一秘書が政治資金規定法違反の
 疑いで東京地検特捜部に逮捕され、小沢代表の資金管理団体、陸山会事務所の家宅捜査
 が行われた以降、小沢代表を貶めるかのような記事が連日のように誌面に躍った。
 東京地検からリークされた情報であることは明白だった。
・おりしも自民党の麻生政権への支持率が著しく低迷していた。
 政権交代が起こりうるのでは、というタイミングで野党第一党の代表をめぐるネガティ
 ブな情報があふれていたのはなぜなのか。
・与党自民党の「二階俊博」経済産業大臣、「森喜朗」元首相も献金を受け取っていたの
 に、メディアからはほぼ何も問われていなかった。
・当時の政治部記者たちは、東京地検へのアクセス権に頼り切り、必要以上に距離を詰め
 てしまい、取材を行う際に必要不可欠となる緊張感も欠いていた。
 権力側に上手くコントロールされた結果、政権の道具と化して都合のいい記事を書かさ
 れてしまった。
 アクセス・ジャーナリズムの怖さがこの過程に凝縮されている。
・東日本大震災および東京電力福島第一原発事故の後にも、メディアがアクセス・ジャー
 ナリズムに躍らされる。
 当時すでに福島第一原発の原子炉が、重大事故であるメルトダウンを起こしていると疑
 われる事態が生じていた。 
 しかし、当時の民主党政権は「メルトダウンはない」の一点張りで、経済産業省の記者
 クラブでも政府や東京電力の説明を鵜呑みにして、疑うことなくそのまま報じるだけだ
 った。
 果たして、事故から約2か月が経った後に、すでにメルトダウンを起こしていたことが
 ようやく明らかにされる。
・震災発生直後から測定が開始されていた緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステ
 ム(SPEEDI)による放射性物質の拡散状況予測に関するデータも、政府は公表を
 拒み続けた。
 そして、4日後の3月15日になって読売新聞が地震でシステムに不具合が生じ、拡散
 予測が不可能になっていると大々的に報じた。
・所管する文部科学省のリークを受けたと思われるこの特ダネは、結果として誤報となっ
 た。  
 実際には、さまざまな予測試算が行われていて、とてもではないが一般には公開できな
 い、という判断のもとで陰蔽されていた形となる。
 SPEEDIが稼働している事実を最初に報じたのは、新聞ではなく同19日発売の週
 刊誌AERAだった。
・政府がようやくデータの一部分を公開したのは同23日。
 目に見えない脅威のもとで多大な数の国民が被曝の危険にさらされたことへの怒りは、
 在日米軍や在日アメリカ大使館へは震災発生直後からデータが提供されていた事実の発
 覚と相まって、増幅されたことはいうまでもない。
  
・日本ならではのシステムと言っていい記者クラブという存在に、ジャーナリストとして
 日本で仕事をするようになってから何度も驚かされてきた。
 たとえば2003年、私は東京支局の特派員として金融や財政、貿易、外交などの取材
 にあたった。
 あるとき、就任したばかりの日本銀行の「福井俊彦」総裁の記者会見が開かれ、私もぜ
 ひとも取材したいと日本銀行広報部へ連絡を入れた。
 出席を申し込むと、帰ってきたのは意外な言葉だった。
 「私どもではなく、記者クラブの許可を取ってください」
・幹事社の担当記者に連絡を入れると、記者クラブ加盟社ではないという理由で、いきな
 り断られた。
 思わず閉口したが、そうですかと、黙って従うわけにもいかない。
 経済大国日本でこのようなメディア対応があるのかと食い下がると、ある条件つきで出
 席を許可された。
 それは福井総裁へ質問をしないことだった。
 質疑応答に加わることなく、ただ傍聴しているだけの記者会見に、何の意味があるとい
 うのだろうか。
・日本の場合は、総理大臣をはじめとする政府高官の記者会見において、質問を事前に通
 告する習慣が定着している。
 アメリカではありえないことだ。
 たとえばトランプ大統領の記者会見では、何をぶつけてもいい。オバマ前大統領も同様
 だった。
・自分が取材を受けるケースを思い浮かべた場合、こういうことを聞きたいと事前に言わ
 れていれば、考え方を整理しておくうえで助かると思う。
 質問を事前に提出すること自体は悪くないと思うが、目的が質問をコントロールする、
 答える側にとって都合の悪い質問を除外することだとすれば、悪しき習慣だと言わざる
 をえない。
・実際、菅義偉官房長官の定例会見を含めて、日本の政府高官の記者会見は、判で押した
 ような質疑応答になっている。
 質問する側の例外が東京新聞の望月衣塑子記者だ。
 記者として当たり前の仕事をしているだけにしか見えないが、その望月さんが浮いてい
 るという状況が、今の日本メディアの状況を物語っている。
・アクセス・ジャーナリズム(権力者から直接情報を得る手法)はアメリカにも存在する
 が、これまでも何度も繰り返してきたように、必要以上に依存度が深まれば、さまざま
 な弊害が生まれる。
 当局の発表を伝えることがよしとされれば、必然的に受け身の姿勢を招いてしまう。
 発表相手のアジェンダをしっかりと読み解かなければ無意識のうちに利用され、権力側
 にとって都合のいい情報だけを垂れ流す存在に成り下がってしまう。
・何よりもさまざまなチャンネルにアクセスできる状況を既得権益ととらえて、それを独
 占した状態をキープしたいがために、記者クラブそのものが閉鎖的な体質を持ちやすく
 なる。  
 必然的に忖度や同調圧力が色濃く飛び交う雰囲気となり、情報源にストーリーを決める
 権利を暗黙の了解のもとで譲ってしまう。
 半ば談合的に生み出された記事に、果たしてどのような価値があるのだろうか。

・2014年5月、朝日新聞特別報道部が大々的に報じた調査報道が、大きな波紋を広げ
 た。
 東京電力福島第一原発事故が発生した当時の所長で現場で陣頭指揮にあたっていた吉田
 昌郎氏が政府事故調の聴収に応じた際の記録で、約3年間にわたって非公開とされてき
 たいわゆる「吉田調書」のコピーを極秘裏に入手した。
・約400ページにわたる文書のなかで特別報道部が注目したのは、福島第一原発に詰め
 ていた所員の約9割にあたる約650人が、吉田所長が待機命令を出していたにもかか
 わらずに現場から撤退。
 結果として事故対応が不十分になった可能性があると言及されていた点で、見出しには
 こんな文字が躍っていた。
 「原発所員 命令違反し撤退」
・しかし、朝日新聞は約4か月後の9月になって、誤った記事だったとして、このスクー
 プを取り消している。 
 さらには記事を書いた特別報道部のエース的存在、木村英昭、宮崎知己両記者をデスク
 とともに処分し、特別報道部を後押ししていた木村伊量代表取締役社長も騒動の責任を
 取る形で同年末に辞任した。
・個人的には誤報ではなかったと、いまでも考えている。
 未曾有の事故が収束する気配をみせない、命の危険と背中合わせにある状況下で、吉田
 所長による待機命令が現場へ正確に伝わっていなかった。
 撤退したのは事実だが、パニック状態にあったとしても不思議ではない所員たちの行動
 には確固たる意志が伴っていなかった。
・指揮系統が混乱をきたしていない状況に言及した、吉田所長の証言を紙面で取り上げな
 かった点は落ち度となるかもしれないが、それでも内容的にはおおむね正しかった。
 本来ならば見出しのなかの「違反」を撤回したうえで謝罪すべきだった。
・そもそも調査報道とは、高いリスクを伴うものだとわかっていたはずだ。
 それなのに新聞社が責任を取るのではなく、現場で奔走した飢者をスケープゴートにす
 る形で事態を乗り切ろうとした。
 記事の全面取り消しを含めて、新聞社が取る対応として大いなる過ちがあったと言わざ
 るをえない。 
・吉田調書に関する記事を取り消す約1か月前のこと。
 1980年から1990年代前半にかけて紙上に掲載した、太平洋戦争中の済州島など
 で千人を超える若い朝鮮人女性を慰安婦にするために強制連行したとする「吉田清治
 氏の証言に基づいてた記事16本を取り下げると突然発表した。
・日本軍の命令を受けたとされる「吉田証言」は史実ではないのではないかと、すでに
 1995年の時点で吉田氏本人が主張を織り交ぜた創作であることを認めていた。
 同年末にもさらに2本を追加で取り消した朝日新聞社は、あたかも「吉田証言」以外の
 慰安婦報道までもが誤報だったというイメージを世の中へ与えてしまった。
・直後から激しい批判が浴びせられ始めた。
 ほかにも「吉田証言」を基にした慰安婦記事を掲載していた新聞が少なくなかったが、
 そのなかで朝日新聞だけに批判が集中した背景には「日本のイメージを大きく傷つけた」
 などと、ことあるごとに朝日新聞を名指して非難している安倍晋三首相の発言も大きい。
・第二次政権を発足させてから原子力発電所の輸出をトップセールスしてきた安倍首相に
 とって、特別報道部が原発に懐疑的な世論を喚起するようなスクープを立て続けに発表
 していた朝日新聞は、不倶戴天の敵といってもよかった。
 慰安婦報道記事の取り消しで委縮していたところへ、追い打ちをかけるかのように、8
 月下旬になると「吉田調書」記事を誤報だとする反論が他紙に掲載された。
・読売新聞や産経新聞も「吉田調書」のコピーを入手し、それを基にした記事で朝日新聞
 を徹底的に攻撃する。
 吉田所長の貴重な証言を、福島第一原発で何が起こっていたかという、人類の未来にと
 っても重要な事実を解明する調査報道の基にするのではなく、窮地に陥ったライバル紙
 をさらに貶めるために利用したのだ。
・どこも読者の方を向いて仕事をしていない。
 読者は白けた目で見ているのに気づかないのか。
 むなしさだけが伝わってくる対立の図式に、ジャーナリズムのアイデンティティーが欠
 けていると思わずにはいられなかった。
・日本人の記者が使命感や倫理観に欠けているとは思わないが、どちらかと言えば新聞社
 の社内における縦のつながりの方が強いのだろう。
 ただ、メディア同士の横の連携が弱いほど、イデオロギーによって分断されやすくなる。
 安倍政権は読売新聞などを介してそうした隙を巧みに突き、結果としてメディア全体を
 弱体化させている。
・朝日新聞は特別報道部に属していた記者の数を、いきなり半分ほどに減らしてしまった。
 これは何を意味していたのか。
 骨抜きにされた特別報道部のあり方に失望した記者の何人かは、退社する道を選んでい
 る。
・安倍政権や同業他紙、そして世論から非難の集中砲火を浴び、読者から寄せられていた
 信頼も著しく失墜。発行部数も激減していく危機のなかで、生き残るためには高いリス
 クを伴う調査報道を捨て、再びポチに戻ることを朝日新聞は選んだ。要は当局側に飼い
 慣らされた、居心地のいい記者クラブのなかで、従来のアクセス・ジャーナリズムに重
 点を置く報道が得策だと判断したことになる。
・テレビの弱体化に拍車がかかったターニングポイントは、総裁特別補佐だった自民党の
 「萩生田光一」筆頭服幹事長が2014年12月の総選挙前に、在京テレビキー局の官
 邸番記者に手渡した編成局長と報道局長宛の文書だった。
・A4判の紙一枚のなかに公平中立や公正という言葉が、何度も登場していた。
 解散総選挙へ向けて偏向的な報道とならないことを求めた文書は、要は政権与党が不利
 益を被るような報道を禁じるものであり、報道の自由を踏みにじる弾圧に等しいものだ
 った。  
・安倍首相の意向を受けたものなのか、あるいは側近中の側近である萩生田氏の忖度だっ
 たのかはわからない。
 ただ、さらに驚かされたのが、文書を介してかけられた圧力に批判の声をあげるどころ
 か、無抵抗で屈してしまったことだ。
 重大な問題として受け止めていなかった、と言った方がいいかもしれない。
・2016年2月には当時の「高市早苗」総務大臣が、政治的公平性を書く放送を繰り返
 すテレビに対する電波停止の可能性に言及した。
・実際、第二次安倍政権が誕生してからは、権力側に批判的なスタンスを取っていたキャ
 スターが次々と降板している。
 いずれのケースも左寄りであるとか、ポピュリズムに立っていたわけではない。
 畏縮や忖度とは対極に位置する公正な姿勢が、政権与党にとって目障りに映った結果だ
 ったのだろう。
・新聞は読者の、テレビは視聴者の側を向いていない。
 ジャーナリズムが本来の役割、つまり権力の監視役を果たしていない状態が続けばどう
 なるのか。
 すでに生まれているのは私たちの未来に直結する、本来は面白いはずの政治に対する無
 関心だ。
・日本は生活水準がある程度高く、日々のなかで不自由さをあまり感じない国といってい
 い。
 そうした状況が長く続いてきたことと相まって、権力側の意見を忖度するような報道に
 直面しても、思考回路が停止した状態のまま「まあ、いいか」と軽く受け止めてしまう。
 熟慮する習慣が身についていないから、無意識のうちに圧力に屈してしまうことも少な
 くない。

・何よりも日本の社会を2つに分断させる大きな問題が、すぐ目の前まで迫ってきている。
 大きな問題とは、言うまでもなく憲法改正だ。
・安倍首相はすでに2017年の段階で、先の戦争への反省から生まれた平和憲法の象徴
 となる9条を改正項目として明言している。
 戦争の放棄と戦力の不保持がそれぞれ明文化された9条1項と2項を残したまま、新た
 に追加する3項で自衛隊を明文化する案は、1項と2項を空文あるいは死文化させる矛
 盾が生じる。
・これが本格的に国会で議論されるようになったとき、日本にどのような状況が生まれる
 のか。
 長く棚上げされたまま終戦から70年以上が経過している。
 あの戦争をどのように評価するのか、という問題に国民全体が向き合わざるを得ないだ
 ろう。
・2009年8月の総選挙における大勝で自民党を下野させ、政権交代を実現させた民主
 党の「鳩山由紀夫」首相は、就任直後にアメリカの「年次改革要望書」を廃止した。
 年次改革要望書は、日本が拒否できない内政干渉リストとも呼ばれ、アメリカは約15
 年にわたって要望のほとんどを通す形で日本の規制を緩和させてきた。
 こうした状況を変えるべく、鳩山首相は年次改革要望書廃止をアメリカ依存からの脱却
 と、対等な日米関係を構築する第一歩とすると謳っていた。
・政権与党として何をしたかったのかが、いまひとつピンとこなかった民主党だが、日本
 が取るべき戦略的な立場に関しては、自民党政権時代とは明らかに一線を画していた。
 アメリカから自立し、韓国や中国を含めた東南アジアに接近する取り組みは、日本の右
 派とアメリカの猛反対にあったが、実際には日本の官僚たちに潰された。
・後に鳩山氏本人から聞いたことだが、アメリカのオバマ政権は冷静だったというか、鳩
 山政権に対して反対の立場を取っているわけではなかったという。
 足を引っ張ったのは、民主党が掲げた脱官僚に反対する動きであり、官僚のアジェンダ
 (台本)に操られたメディアが執拗に繰り広げた民主党批判だった。
・自民党が政権を再び奪った2012年12月以降は、第二次安倍政権のもとでアメリカ
 に依存する戦後体制がより強化されている。
 そのなかで防衛費は年々増強され、2018年末に閣議決定された防衛計画大綱や中期
 防衛力整備計画では、海上自衛隊最大の護衛艦いずもを改修して、アメリカから大量購
 入した垂直離着陸が可能なF35B戦闘機を搭載できる事実上の空母とすることが定め
 られる。
・専守防衛を掲げてきた自衛隊だが、たとえば海上自衛隊の規模は世界で三本の指に入る
 と評価されている。
 いつの間にか実質的な軍事大国といってもいい状態へと変わってきている一方で、戦争
 の悲惨さや残酷さを語り継ぐ世代が少なくなってきている。
 
・アメリカやヨーロッパとは異なり、日本では企業をはじめとするさまざまな組織のなか
 に、家族の絆にも似たウエットな関係が持つ込まれる手法が定着している。
 強い仲間意識のもとで、お互いを支え合う構造に居心地のよさを覚えるほど、自分なり
 の倫理観を貫きながら行動することが難しくなる。
 和を乱す、信頼できない人間というレッテルを貼られてしまうからだ。
・自分が何をしたいのか。何をすることが正しいのか。
 ただ何となく生きるのではなく、強い覚悟と自尊心を貫けば、望まない圧力に呑み込ま
 れることもない。
 そのためにも、正確で公正な情報を届けてくれる、信頼に足るメディアを自分自身で選
 び、確保してほしい。
 
座談会 同調圧力から抜け出すのは
・日本では戦後が長くなるにつれて、エディアが大きな試練に直面する機会がなくなり、
 その結果として記者の存在理由が問われなくなってきたと思うんですよね。
・アメリカのメディアにはベトナム戦争、湾岸戦争、記憶に新しいところではイラク戦争
 と苦々しい経験や失敗例がいくつもあります。
 先輩たちが味わわされたものを教訓として、生かしながら、ジャーナリストたちは状況
 によっては団結して、お互いをサポートし合いながら、力関係でいえば圧倒的に強い権
 力者に対して物事を言っています。
・自民党のかつての大物議員がある雑誌の対談で、第二次安倍政権になってから、安倍首
 相がテレビ局や新聞社の会長や社長をはじめとする幹部と会食する回数が、異様といっ
 ていいほど増えたと指摘していました。
・メディアは権力をチェックする存在ですから、これまでの歴代自民党総理は、総理とな
 った瞬間に、どこかメディアと距離を置くようにしていた、 
 それが安倍政権になって変わってしまった。
・首相の一日の動きを伝える新聞の「首相動静」でも「都内料亭で4時間、〇〇テレビの
 会長、△△新聞の社長と総理が会食」と報じられれば、当然ながら現場で取材するその
 会社の記者たちは、「あれ、うちのトップがこんなに長時間会食している」と、萎縮し
 ます。 
 メディアの立ち位置としてはずれ始めている、権力側に取り込まれているように見えて
 しまっています。
・トランプ大統領とニューヨーク・タイムズの会長、社長が4時間も会食をしていたら、
 これはもう一大スキャンダルですよ。
 メディアに求められるのは独立性であり、信頼性ですよね。
 権力の番犬という使命に照らし合わせれば、メディアのトップが権力者と会食するなど
 といった関係を作れば、視聴者や読者のために報道していないのではないか、という疑
 念を抱かれてしまいます。
・2016年2月、当時の「高市早苗」総務大臣が衆院予算委員会で、電波法に基づく電
 波停止(停波)に言及したことがありました。
 「放送事業者が極端なことをして、行政指導をしてもまったく改善されずに公共の電波
 を使って繰り返される場合に、まったくそれに対して何も対応しないということは約束
 するわけにはいかない」 
・いわゆる停波発言ですが、電波を管理されているテレビ局にとっては、総務大臣が言葉
 にした時点で脅しに感じたと思います。
 これまでの総務大臣は、わかっていてもしない発言でした。
 安倍政権として、意図的に高市大臣が発言したと感じました。
 こういうことを発言しても構わないんだという権力側の意識が露わになったようにも感
 じます。
・しかし、電波法及び放送法の精神に反しているとして抗議したのは、当時はTBSの執
 行役員だった「金平茂紀」さん、毎日新聞特別編集委員の「岸井成格」さん以外は、
 「田原総一郎」さん、「大谷昭宏」さん、「青木理」さん、「鳥越俊太郎」さんと、
 いずれもフリーの方々でした。
 なぜ民放連として、まとまって抗議することができないのか、と思わずにはいられませ
 んでした。
 
・僕はある大新聞から不愉快な目に遭わされたことがあります。
 新聞が政治権力の手先になったのではないか、と思われるような動きです。
 政治権力のプロパガンダのために使われる大手メディアというものが実際に現れてしま
 ったとすれば、日本は極めて危険な状況にあるのではないでしょうか。
 行き着く先は、1939年代のドイツになるのではないか、という懸念を抱かざるをえ
 ません。
 非常に憂慮すべきだと思います。
・現在のテレビや新聞にしても、権力寄りなのか、あるいは権力を批判する側に立ってい
 るのかという点で、はっきりと色分けされている。
 二極化と言えば聞こえはいいけれども、政権の発表することをそのまま報道するのは、
 果たして本当にメディアと呼べるのでしょうか。
・前川さんの体験で言えば、読売新聞で報じられるかなり前の段階で、「杉田和博」官房
 副長官(当時)に呼び出さて注意を受けていますよね。
・まだ事務次官に在任中だったときに、杉田官房副長官から「君は役人にはふさわしくな
 い場所に出入りしているようだね」と突然言われたんですよね。
 続けて「そこに女子高生はいるのか」と。
・僕が否定すると、今度は「君の立場ではそのような場所に出入りするのは控えたほうが
 いい」と言われたので、その場では「わかりました」と言って帰ってきました。
・もっとも、首相官邸側が、なぜあのようなことを知っていたのか、という疑問は当然な
 がら残りました。
 何かしらの組織が僕に関する情報を上げてきたからこそ、杉田官房副長官から注意を受
 けたのですからね。  
・ただ、僕の個人的な行動をチェックしていたのが、内調の略称で呼ばれる内閣情報調査
 室だったのか、あるいは警察だったのか。
 加計学園の獣医学部新設の件に関して、僕が記者会見を開く直前にスキャンダル化され
 かけ、しかも紙面化された情報が首相官邸発だったと思わざるを得ない状況を考えると、
 首相に直結している内調が動いていたという疑いはもっていますけど。
・新聞やテレビでは扱えないような野党議員や官僚の下ネタを、週刊誌などに対して官邸
 側からリークするという話は、噂では聞いたことがありました。
 ただ、前川さんの報道に関しては、読売新聞と同じようなネタが週刊新潮にも掲載され
 ました。週刊新潮のほか、週刊文春も同じネタを官邸側からもらったと聞いています。
 ただ週刊文春は「このようなネタは聞いた。しかし、これは書かないので、加計学園の
 疑惑について教えてほしい」と逆張りしたと聞きました。
 週刊新潮は読売と同じようなネタをベースに書いたものの、いずれも前川さんを”破廉
 恥”ネタで叩くには決定打にかけるような記事だったと思います。
・とはいえ、官邸側が、権力態勢を維持するために新聞を含めたさまざまなメディアを使
 いこなし、政権に対して批判的な発言をする人間の芽を摘もうとしているわけですよね。
 メディア側もひと役買っているかと驚き、怒りを覚えずにはいられません。
・僕自身、1回だけ内閣情報調査室に関わる仕事をした経験があります。
 そのとき知ったのは、内調というのは、実は公安警察と一体だということでした。
 内調の幹部というのは、みんな警察庁出身者で、いってみれば警察の出先なのです。
 警察と一体になって仕事をしているんですね。
 内調の組織自体がすべての情報機能を持っているわけではなくて、警察と連携すること
 で、その機能を維持しているというのがわかりました。

・内調に関しては、私も非常に驚いた報道に接したことがありました。
 首相に最も食い込んでいるとされるあるテレビ局の元ワシントン支局長から、準強姦の
 被害を受けたとジャーナリストの伊藤詩織さんが、名前と顔を出して告発会見を開いた
 その日に、詩織さんの代理人弁護士の上司と、安倍政権を厳しく追及していた野党の女
 性議員がつながっていることを刷牝チャートが、インターネット上でものすごい勢いで
 拡散していったんです。
・しばらくすると、なんと内調の職員が、そのチャートを作成して政治部記者に配布して
 いた、と週刊新潮が報じました。
 詩織さんが検察審査会で行った不起訴を不当とする申し立てを、背後で野党が画策して
 いるかのように連想させるチャートであり、首相にとって面白くない話を、違う方向へ
 もっていこうとする意図を感じずにはいられませんでした。
・私はその後、伊藤さんにインタビュー取材をしていますが、そこでわかったのは、彼女
 には政治的な思惑などないということです。
 性的な被害を受け、わらにもすがる思いで、友人から聞いた「法テラス」に電話をかけ
 たそうです。 
 そのときに、たまたま取り次いだのが代理人弁護士その人だったそうです。
 その事実を知って、たとえようのない怒りが込み上げてきましたし、菅官房長官の定例
 会見に乗り込んで、この件を直撃しようと決意させたきっかけにもなりました。
・今の安倍政権でもっとも怖い部分は、本来は中立であるべき機関の職員が、権力の私兵
 と化している点です。
 伊藤詩織さんが準強姦の被害を受けたと告発した件でも、一度は発行された元テレビ局
 員に対する逮捕状が、執行直前で停止させられていますよね。
 起訴されなかったことを含めて、どうしても不思議に思いますよ。
・こうなると警察も検察も、もしかすると裁判所までもが政治権力に支配されているでは
 ないか、と勘繰ってしまいますよね。
 本当に法治国家なのかという疑問を抱くレベルにまで危機が迫ってきていると思わざる
 を得ません。  
・内調が、さまざまな情報をどのような手段を介して収集して、何に対して使っているの
 かは、まさにブラックボックス状態でまったくわからない。
 本当に公益のため、あるいは国民のために内調が活動しているのかどうかも含めて、
 だれもチェックできない状態ができあがっています。
・内調は首相直結の組織であり、いったい何を報告しているのか、どのような指示を受け
 ているのかが、霞が関のなかにいる人間でさえもわからないのです。
 そういった組織へと変貌を遂げてしまったのです。
・内調の調査目的を綺麗に表現すれば、要は「国家体制を守るため」ということになるん
 でしょうけど、ならば国家体制とは何なのでしょうか。
 国家体制イコール政権になってしまっているのではないか。
 政権を守っているのが内調なのではないか、という疑念をぬぐうことはできないですよ
 ね。
・間接的な圧力を介して役人を思うように動かす術に関しては、飴と鞭を上手く使い分け
 るという点で、いまの権力者は非常に長けていますよね。
 個人的な情報をつかんでスキャンダル化することも鞭と呼べると思いますけど、役人に
 対してはあまり使わない手段ですよね。
 僕の場合も事務次官を辞めた後に使われているので。
・役所のなかで仕事をする、イコール、権力の下で権力に従いながら仕事をするというこ
 とですから、役人にとってもっとも効果がある飴と鞭は人事だと思います。
 各省の事務次官や局長、外局の庁の長官などの幹部の人事は、内閣人事局が一元管理す
 ることになっており、官房長官を議長とする人事検討会議の了解を得た上で閣議にかけ
 ることになっています。 
 各省幹部の任命権事態は従来どおり各省大臣にあるのですが、官房長官が了解しないと
 人事ができません。
 官房長官の周りには副長官、秘書官、補佐官といった官邸官僚がいて、各省に目を光ら
 せています。
 そうした情報に基づいて、官房長官からは往々にして、具体的な人事へのダメ出しや口
 出しが行われる。
 結果として、実質的な人事権が官邸に映ってしまったわけです。
・各省大臣はしょっちゅう交代しますが、菅さんは第二次安倍政権で一貫して官房長官の
 ポストにいますからね。 
 今や霞が関の幹部人事はすべて、菅さんの手中にあるといえます。
 こうして、人事権は完全に官邸が握っているといっていい状況ですので、官邸権力に迎
 合する、あるいは忖度する役人は出世するし、反対する役人は間違いなく潰される。
 反対しないまでも、距離を置こうとするだけで退けられてしまうんです。
・2018年10月の文科省人事は、そうした構図が象徴されていました。
 官邸と距離をお拘置していた、次期事務次官に一番近い所にいた幹部職員が退官したんで
 す。 
 そして、その職員を飛び越える形で事務次官に就任したのが、官邸の言うことはもう何
 でも聞く、という人物でした。
 官邸の力に頼って事務次官のポストを獲得したといっていいでしょう。
 同じような次官人事がほかの省でも起こっています。
 何であの人が、と思われるような人事が行われています。
・森友学園の土地取り引きをめぐり、公文書を改ざんしたことを苦にして自殺された近畿
 財務局の男性職員がいました。
 男性職員が自殺された件を初めて聞いたときには、痛ましい思いを抱かずにはいられま
 せんでした。 
・彼は組織の中における自分の仕事に対して、強い使命感と責任感をもって臨んでいたん
 だと思います。
 その意味で彼自身のアイデンティティーは組織と一体化していたのだと思います。
・ところが、彼が正義だと信じる方向とまったく逆のことを組織がしている。
 そうした矛盾がわかったときに、組織に対して非常に強い忠誠心をもっていたゆえに、
 自分の居場所がなくなってしまったと感じたのではないでしょうか。
・自殺された職員の元同僚を含めた財務局のOBの方々がテレビ東京のカメラの前で、実
 名で顔を出して真相の究明を求め、財務大臣を批判した告発は、視聴者の大きな反響を
 呼び、結果として他社のほとんどが後追い取材をしています。
・彼を知る近畿財務局OBは、
 「自分がやりたくないことをやらされ、理に反し、正義感の強い彼は耐えられなかった
 んだと思う。なぜ、彼が自殺をしなければならなかったのか。麻生太郎大臣は、政治的
 責任さえとらず大臣に居座り続けており、ありえない」
 と厳しく批判していました。
・日本のメディアは、いわゆる同調圧力に弱いと言われてることや、横並びだという批判
 も、もちろんわかっています。
 それでも一人ひとりの記者が勇気を振り絞って、自分のできることをやろう、おかしい
 ものは、はっきりとおかしいと言おうと立ち上がれば、萎縮する空気が漂うなかでもメ
 ディアは変わる。記者の思いは必ず連鎖していくと思っています。
 記者が勇気をもって、声を上げ、報道を続ける限り、希望は抱けるし、社会はそうやっ
 て少しずつ、変わっていくんだということを、さまざまな立場の記者たちの取材や報道、
 市民の方々の奮闘の日々、実ながら学ばせてもらっています。
・無批判で権力に従ってしまう人間や同調圧力に流される人間がつくられてしまったこと
 に関しては、やはり、これまでの教育がよくなかったのではないかと思っています。
 社会は自分たちが作るという気概が希薄というか、与えられるものという意識のほうが
 強いというか、与えられた社会がある程度満足できるものだったら、考えることをやめ
 てしまう事態が実際に起こっているわけですから。
・ただ、権力が政権に一極集中している現状を考えると、いまこそ国民の一人ひとりが批
 判的な精神を持たなければいけない。
  
・若者も大人も、みんながそれぞれ所属している職場などの場所があり、集団のなかでと
 りあえずはこうしなくてはいけない、何かに合わせないといけない、といったことはた
 くさんあると思う。
 それでも一方では、自分のなかでこれだけは大切にしていきたい、これだけは伝えてい
 きたい、あるいは自らが声を出すことで変えていきたい、と思えるものが必ずあるはず
 なんですよね。
・たとえ周囲からいろいろなことを言われたとしても、今の自分がどのように行動してい
 けばいいのかを、自分自身の内なる声に耳を澄ませながら探し当てていく。
 最終的には他人がどう言うか、どう評価するかでなく、自分自身が一番納得できるやり
 方を見つけてほしいですね。
 
あとがき
・「安倍一強体制」は、安倍首相が自民党総裁選で3選を果たし、さらに盤石なものとな
 るようにみえる。
 官僚や記者の間には、「物言えば唇寒し」「出る杭は打たれる」といった重い空気が漂
 っているようにも感じていた。
・現在の日本社会では、組織のトップは上司が「白い」ものを「黒」と言えば、周囲はそ
 の方向に沿った見解や情報を発信しがちである。
 しかし、それは自分の良心に従った行動だろうか。
 組織の決定だから、会社の上司が言うから、親が言うから・・・と、いろいろな言い訳
 を自分自身にしていることはないだろうか。
・もし自分の判断に少しでも疑問を感じたときには、自分で考え、判断し、別の行動に移
 していけばいい。
 周りから白い目で見られたとしても、考え抜いた末での判断なのだ。
 自信をもっていいと思う。
・人は死の間際に「他人の期待に沿うための人生ではなく、自分がやりたいことをやって
 おけばよかった」と悔いるのだという。
 周りに合わせて自分の信念を曲げたり、時間を犠牲にしたりすれば、いつまでも悔いは
 残ってしまう。  
・行動した先に何があるかはわからない。
 ハレーションや対立も起こるかもしれないし、孤立すれば苦しいだろう。
 でも、自分の気持ちに正直に従えば、公開もしないはずだ。