自民党 失敗の本質 :石破茂

この本は、3年前の2021年に刊行されたものだ。
近年の自民党の漫画のような「悪政」がなぜ続いたのか。「保守の本懐」を失った原因は
何だったのか。その「失敗の本質」について、石破茂衆議院議員、村上誠一郎衆議院議員、
内田樹氏、御厨貴氏、前川喜平氏、古賀茂明氏、望月衣塑子氏、小沢一郎議院議員の8人
の著名人にインタビューしたものを書籍化したものだ。

この本のなかで語られていることを、総合的に考えると、安倍・菅政権によって、人事権
の濫用による政治や官僚の支配、恫喝によるメディアの支配が行われ、それを「政治主導」
だと勘違したところに、主な原因があったということなのだろう。
「決められる政治」へ強くこだわったためか、安倍・菅政権では、政治に株式会社型のト
ップダウン方式を採り入れたが、しだいにおごりが生まれ「権力の濫用」や「権力の私物
化」へと発展していってしまったようだ。
政権が長期化したことによって、”おごり”が生まれることは、歴史を見るとあきらかだ。
そしてそれが突き進むと、ソ連のスターリンや中国の毛沢東のような独裁政治につながる
ことになる。
この本の書かれているような恐ろしいことが、われわれ一般の国民の目に触れない政治の
裏で行われていたことを知って、ただただ愕然とし恐怖感に襲われる。
しかし、こんな政治の腐敗を招いた最大の原因は、われわれ国民の政治に対する無関心さ
にあると言えるのではないか。
国政選挙があっても、有権者の半分近くが投票に行かない。
そうなると、岩盤支持層を持つ自民党が、有権者の3割に満たない票の獲得でも、圧倒的
多数の当選者を出すことができる。何度選挙があっても、自民党の圧倒的多数当選は変わ
らない。そして長期政権が生まれ、政治の腐敗が生まれていくのだ。
これを防ぐには、時々政権交代が起きるようしなければならない。
そして政権交代は、国政選挙で投票に行かない有権者が投票に行き、野党に投票すること
でしか起こらないのだ。”投票に行かない”ことでは、政権交代は絶対に起こらないのだ。
そのことを、われわれ有権者はしっかり認識すべきだろう。
政治が腐敗すれば、その影響を一番受けるのはわれわれ国民だ。われわれ国民の血税が、
独裁政権によって、好き勝手に使われることになる。困っている国民のところには回って
こない。そのことをいくら嘆いても、どうすることもできないのだ。

ところで、この本のなかで語られている、小沢一郎議員の「発行した国債が国内で消化さ
れている限り経済の崩壊につながることはない」とか「日本の場合、国債の95%近くが
国内で保有されているから、ハイパーインフレに陥ることはない」というような主張には、
私は賛同できない。
というのも、いくら国債の95%が国内で保有されていると言っても、その大半を日銀が
購入しているからだ。それは、すでに国内で国債を消化できる能力がす”ない”ことを意味
している。日銀が国債を購入することを止めれば、国債は一気に暴落するはずだ。
日銀の自己資本は6兆円弱であり、国債保有残高は590兆円近くになっている。
つまり日銀は、自己資本の100倍近くの国債を保有していることになる。
これは何を意味するのか。よ〜く考えたほうがいいのではないか。

過去の読んだ関連する本:
安倍政権のメディア支配
右傾化する日本政治
国家の暴走
私物化される国家
中央銀行はもちこたえられるのか


まえがき
・「自民党は、日本そのものといえる”その他大勢”の政党なのです」
・今、私たちの前の前の「与党・自民党」は、見る影もなくやせ細っている。
 「一強体制」といわれた安倍・菅政権の9年を経て、異論を許さず、議論を求めず、
 ひたすら上意下達、官邸主導で決まった物事に唯々諾々と従う”株式会社”自民党ができ
 あがってしまった。
 「冷や飯」を食う覚悟がなければ、党内で異論を唱えることさえ許されない空気が蔓延
 した。
 行政権力が官邸に集中することで、同様の空気が霞が関にも波及した。
 世の中が「ダイバーシティ」を謳っているのと真逆の事態が進行中である。
・数々の疑惑が噴出し、コロナ対応に行き詰り、総理の責任を放り出した安倍氏の求心力
 がいまだに持続していることの謎とともに、有権者は置き去りにされた。
・コロナ禍の課題山積のなか、野党の国会開催要求はことごとく退けられたのだから、
 もはや憲政など絵に描いた餅というに等しい。
 これがデモクラシーの国の「政治の姿」なのだろうか。
・「勝てば官軍」である。
 国民にも官僚にも、もはや説明は不要、「お答えは控えさせていただく」という鉄板の
 回答で、記者会見における言葉の空疎化も一気に進行した。
・それもこれも、私たちが「決められる政治」「わかりやすい政治」を「一枚岩の正当」
 に求めた結果なのではあるまいか。
・議論なき組織は、一気に弱体化する。
 民主的プロセスを放棄した社会は、あっという間に底が抜け落ちてしまう。
 私たちは今、その不都合な現実に向き合わされている。
 傍観者という便利な座席はなく、私たちは誰もが当事者として、底が抜けた社会にズル
 ズルと足を取られつつあるのだ。

時計の針を止めてしまった安倍・菅の9年間御厨貴
・55年体制以降の自民党政権において、国民に対して十分な説明をしないことが当たり
 前とされる政治文化でした。
 政権を担う自民党の中で議論していれば十分で、わざわざ外側に対して説明する必要は
 ないという考えが主流でした。
・政権交代が可能な時期に突入すると、対立する他の政党との違いを見せるためにも、
 国民に対して政策やビジョンを説明する政党・政治家が徐々に増えていきました。
・「小渕恵三」さんは、冷めたピザだ、凡人だと揶揄されて、決して弁舌にすぐ優れた人
 ではありませんでしたが、彼の電話魔ぶりがブッチホンという流行語にもなるほど、あ
 らゆる人に電話をかけまくっていました。
 言葉できちんと説明しようと、自己改革に取り組んだ人でした。
・「森喜朗」さんは、言葉の重要性を理解できていない昭和の綜理だったといえます。
 「日本は天皇中心の神の国である」発言をはじめ、その言葉が及ぼす影響や相手に与え
 る不愉快感をまったく考えず、無邪気に思ったままをしゃべる人でした。
 このたびに五輪の組織委員会でも「女性が多い会議は時間がかかる」などという不用意
 な発言があり、最終的に会長辞任に追い込まれています。
・「小泉純一郎」さんの場合、丁寧な説明を大切にしていたわけではなく、「小泉劇場」
 と表現されたように、自分の舞台の上でどれだけ国民に受けたかを、もっとも重要視し
 ていました。
 国会答弁は、彼にとって大きな舞台でしたから、勝手な発言や相手を挑発する言葉でそ
 の場を沸かせました。
 彼は、最近のテレビで頻繁に出てくる、いわゆる文字テロップ的な言葉の使い方をしま
 す。ワンプレームでパッとわかるようなメッセージを次々と発信する「ワンフレーズピ
 リティクス」で劇場型政治をつくり出すことに成功しました。
・一方で、小泉内閣では不思議な現象も見られました。
 小泉さん自身に対する支持率は50%以上を維持している時でも、彼がやろうとした政
 策についての支持率は20%程度に停滞していまいました。
 つまり、首相の個人的な人気と、経済・外交などの政策の支持率、あるいは自民党の支
 持率というのが少しずつズレ始めたのです。
 この現象は今日に至るまで続いています。  
 
・第二次安倍政権では、政権に返り咲いた当初は、アベノミクスなどの政策らしきものを
 提示して、懸命に説明をしていたし、外交政策においても彼なりの言葉で説明しようと
 はしていました。
 ところが、政権が長期化するにつれて、だんだんと説明を省略する姿勢が顕著になって
 いきます。
・「小渕優子」経済産業大臣(当時)の3億円にのぼる収支報告書の虚偽・不記載問題に
 始まり、建設会社からの現金授受により、あっせん利益処罰法違反容疑をかけられた
 「甘利明」経済再選担当大臣(当時)ら、安倍政権では現役閣僚のスキャンダルが次々
 と明るみに出ました。
 ついには、森友学園・加計学園から桜を見る会問題までが出てきてしまいます。
・ところが、安倍さんは「野党などに説明する必要性はない」と判断しました。
 選挙に勝ちさえすれば、野党の追及にきちんと対応せずとも大した問題にはならないと
 踏んだのです。完全なる「選挙至上主義」です。
・そのような安倍さんの国家軽視の姿勢に対して、実際の世論は批判的でした。
 けれども7安倍さんにとって、問題になりませんでした。
 世論がいくら文句を言ったところで、選挙をやれば勝つからです。
・もはや「勝てば官軍」ですから説明など必要ありません。
 総理総裁がそうした状態になると、各省庁の大臣たちも説明は不要なのだと思い始める。
 さらにひどいのは、その下の官僚たちまでもが説明をなおざりにするようになったこと
 でしょう。  
 そこに拍車をかけたのが菅官房長官としての「菅義偉」さんでした。
・それまでの官邸の記者会見は、記者の質問に対する政府の答弁に基づき、きちんとした
 対話ができる場でした。
 しかし、菅さんの時代からは、十分な説明もせず、上から目線の冷淡な対応が顕著にな
 りました。
 記者が重ねて説明を要求すると「もう十分説明しました」と、木で鼻を括ったような回
 答を繰り返しました。
・さらに、菅さんには中小企業のオヤジさんのようなところがあって、すべて自分の手元
 で確かめていきたいタイプの人なのです。
 人に任せられず、なんでもかんでも官邸に持ってこようとしました。
・菅さんは、反対意見を示した人に対して人事権を行使して飛ばすようになります。
 官僚は指揮命令系統がはっきりしているので、上意下達で上から言えば必ず従わなけれ
 ばなりません。
 菅さんは、この命令権と人事権さえあれば、官僚機構を操縦できると思ったのです。
・「俺がこの政策をとる。だから指示どおりにやれ」という姿勢ですから、もはや官僚に
 対しても説明はいりません。
 こうした状況が長く続き、政治の場できちんと説明する言葉が失われていきました。
・政治討論番組などでお会いしたときの菅さんも、「今をどうしのぐか」ということをひ
 たすら重視していた印象です。
 しかも、その「今」の考えについてさえも説明しようとしない。
 なぜなら、命令権と人事権を駆使して自分で決めてきたものを、いちいち説明する必要
 はないと思っているからでしょう。
 これがデモクラシーにおける政治家なのか、ということは疑問に思いました。
 その後、総理になっても、まったく同じ手法を続けてきました。
・この1年間の菅さんからは、コロナ禍はいずれ通り過ぎていくものだと考えており、
 感染の脅威を本気で心配していないような印象を受けました。
 そもそも官房長官の時にやろうとしていたのが、GoToトラベルですから。
・総理になってからも、「明かりは見え始めています」と発言するものの、どんな根拠で
 どう明るくなるのか国民にはまったくわからない。
 もともと言葉を持っていなかったために、コロナの危機的な状況のなかでますます語る
 言葉を見失ってしまった。
・国会論戦のレベルがどんどん低くなっているのは、与党だけでなく野党の責任でもあり
 ます。 
 コロナ対策についても、政府の失策は批判するものの、自分たちであればこうする、と
 いう政策論が出てこないのですから議論になりません。
 
・かつて安倍さんが「小選挙区で戦うのは大変だから、地盤が安定していない若い人は、
 政策のことなど一切考えるな。選挙に勝つことだけを考えておけ。政策については、選
 挙の心配のない長老が全部考える」とはっきり言っていました。
 候補者たちは言われるままに、自分の地盤とつながりをつくる努力もせず、後援会活動
 にもあまり力を入れずに議員になってしまいましたから、有権者に向けて語る言葉を持
 っていません。
 安倍さんから「説明する必要はない」と言葉を奪われてしまったのです。
・かつての自民党議員は危機に直面した時、党内で反対勢力をまとめ党作新を目指す会を
 つくるなど、党内運動が活発でした。
 しかし、選挙至上主義が広がるにつれて、反対派も賛成派も党内運動ができなくなって
 きています。 
 これは政党として末期的な状態です。
・共産本部には資料室があり、そこにはおよそ13万冊の蔵書が揃っています。
 そのほか、今話題の出来事を理解するには、この本を読むように、この雑誌や論文を読
 むように、といった具合に、常に党内で学びを共有しています。
・一方、僕が自民党本部へ行った時、「図書館はありますか」と聞いたら、何ですかそれ
 は、という対応でした。
 何か閲覧できるような本はありますか、と聞いたら、最初はないと言っていましたが、
 あったあったと出してきたのが党の機関紙でした。
 自民党の議員に本を読んで勉強するなんてことを求めるのは無理だ、と党員が言ってい
 たほどです。
・ドイツやイギリスなど政権交代がある国では、与党政権が敗れて野党になる時、表向き
 は「残念だ」と言うけれども、心の底では喜んでいる政治家も少なくありません。
 なぜなら、政権を運営している時はしがらみでいろいろな連中に使われていたけれども、
 野党になれば、切ってもいいしがらみはどんどん切ることができるからです。
 与党の時にはできなかった政策転換が、野党になったことで可能になるというプラス面
 もある。
 新たな政策を組み立てて、再び政権交代を目指すのです。
 日本でも、民主党政権が発足した時、自民党議員たちがつくってきた歴代の補助金を全
 部切ることができると、影では喜んでいた省庁がありました。
・日本が危機を乗り越えてきた時には、必ず政治が思想や哲学を持っていました。
 「吉田茂」さんの場合は、軍隊を持たない国家として経済発展を優先するというビジョ
 ンがありました。 
 「岸信介」さんの場合は、日米安保改正をテーマに掲げ、「池田勇人」さんの場合は、
 所得倍増を打ち出します。
 つまり、国家が歴史に沿いながら、それぞれ政策や哲学を打ち出してきたのです。
・これだけ政治家の人材が枯渇しているのは、たぶん近代政治史上初めてのことです。
 「リクルート事件」の時も、次世代を担う政治家がいました。
 自民党にこうした次の世代がいなくなったのは、間違いなく安倍政権以降です。
・安倍さんが再選された時から、時計の針は止まっています。
 まるで元老のように安倍さんがいまだに力を持っていて、元綜理の麻生さんが今でも副
 総理の座にいる。このような
 二階さんも、5年もの長きにわたり幹事長として時計の針を止めてきた。
 結局、長老支配が続いている限り、今の自民党に新しい時代を切り拓くような若手は出
 てこないでしょう。  
・自民党が自己改革を目指すならば、これまでのように2世、3世議員が当然のように後
 援会を引き継いで選挙にすぐ勝つようなやり方を改めるべきです。
・公募ではろくな人材は集まらないという意見もありますが、そうした新しいことでもや
 らない限り改はしない。
 公募制でとにかく候補を募ってみれば、時間はかかっても今までの世襲議員とは違う人
 たちが必ず入ってきます。 
・日本は大きな災害に見舞われ続けてきたこともあり、地域のため、社会のためといった
 視野で仕事をしている人が増えています。
 NPOや地域社会で活動している人が課題を解決しようと突きつけていくと、必ず政治
 の題にぶつかります。
 政治がきちんと機能していないから、民間の団体がいくら頑張っても問題が根本的に改
 善しないという例がいくつもある。
 こうした現場の実態を知るNPOや、地域社会で活動する人たちが、政治の世界に乗り
 込んでいけばよいのです。
・現実にある問題を解決するのが政治です。
 どんなに政治以外の分野で頑張っても、政治にしか解決できない問題に直面します。
 つまり、政治を変えなければ、本質的に日本は何も変わらないということです。
  
「選挙=市場の信任」だと錯覚した”株式会社”自民党内田樹
・2021年8月6日の広島での平和記念式典でのスピーチが象徴的でした。
 菅さんは丸々1ページ、核廃絶に向けた日本の立場を示す約120字のの原稿を読み飛
 ばしてしまい、結果的には意味の通じないセンテンスを発語してしまいました。
・僕が一番驚いたのは、そうした「意味をなさない言葉」を平然と読み続けた点です。
 普通、無意味なセンテンスを発してしまったとき、気持ちの悪さを感じて言い淀んでし
 まうものです。 
 しかし菅さんは、意に介する様子もなく堂々と読み切った。
 普段も官僚がつくったメモをただ読んでいるだけで、その日も同じだったのかもしれま
 せんが、意味のない言葉を口にしても気にならない、非常に強い「無意味耐性」を持つ
 人だと感じました。
・政治家にとって一番大切な能力は、国民に言葉を届かせる力です。
 これまでの出来事をどのように評価して、これから何をすべきか、届く言葉で語ること
 が不可欠なはず。 
 雄弁でなくとも、「私の気持ちを理解してほしい」という真率な思いがあれば、言葉は
 伝わります。
・でも、菅さんはそもそも国民に言葉を届かせる気がなかった。
 「言葉を届けること」より「言質を取られないこと」のほうを優先した。
 これは、政治家としては致命的なふるまいだと思います。
・小泉さんもしばしば言葉が空疎でした。
 「人生いろいろ、会社もいろいろ」とか、「自衛隊が活動している地域が非戦闘地域だ」
 とかありました。
 でも、彼の場合、詭弁を弄しているときには、ごまかしているという自覚はあって、顔
 にやましさが浮かんでいました。
・でも、安倍・菅の二人は、嘘をつくことに対するやましさをまったく感じさせない。
 ただ言葉が泣かれていくだけで、ためらいがない。
 そこに違いがあると思います。
・安倍・菅からは「ぜひ自分を支持してほしい」と懇請する気持ちが伝わってこない。
 賛否の判断に迷っている国民の袖を掴んで、自分のほうに引き寄せるという気が感じら
 れない。
 自分の支持者から拍手喝采されることはあてにしているのでしょうけれども、自分の反
 対者や無党派層を説得して、一人でも支持者を増やそうという気概がまったく感じられ
 なかった。
・選挙をしても、国民の約5割は投票しない。
 だから、全体の3割の支持を受ければ選挙では圧勝できる。
 今の選挙制度でしたら、3割のコアな支持層をまとめていれば、議席の6割以上を占有
 できる。
 だったら、苦労して国民の過半数の支持を集めるよりも、支持層だけに「いい顔」をし
 て、無党派層や反対者は無視したほうがむしろ選挙基盤は盤石になる。
 そのことを、この9年間に彼らは学習したのです。
・敵と味方に分断して、味方には公費を費やし、公権力を利用してさまざまな便宜を図る。
 反対者からの要望は「ゼロ回答」で応じて、一切受け付けない。
 それが安倍・菅的なネポティズム(縁故主義)政治です。
 森友学園、加計学園、桜を見る会、日本学術会議、すべてそうです。
・ネポティズムというのは、発展途上国の独裁政権ではよく見られます。
 長期にわたって独裁的な政権を維持した国ではどこでも独裁者とその取り巻きが公金を
 私物化し、公権力を私的に利用していました。
 けれども、どの国でもある時点で、民主化闘争が起きて、公的なリソースはその政治的
 立場にかかわらず国民に等しく分配されなければならないという考えが常識になった。
 それが近代民主主義です。
・しかし、安倍・菅政権では、開発途上国のようなネポティズム政治への逆行が進んだ。
 普通はありえないことです。
 ネポティズム政治を続けていれば、社会的公正が損なわれ、統治機構に対する国民の信
 頼が傷つき、国際社会における地位の低下をもたらす。
 つまり、国力が低下する。
 そんなことは誰でもわかっているはずなのに、安倍・菅政権はあえて後進国の統治形態
 を目指した。
・普通、こんな政治が続けば国民は怒りを感じて、選挙で野党に投票して、政権交代を目
 指すはずですが、日本ではそれが起きなかった。
 現政権から「いい思い」をさせてもらっている支持層は、自己利益を確保するために投
 票に行くけれども、何を言っても、何をしても、まったく政治に意見が反映されないと
 いう無力感に蝕まれた人たちは、投票に意味を感じなくなって、投票さえしなくなった。
 その結果、投票率が50%を切り、有権者全体の4分の1を超えるくらいの支持を固め
 れば選挙に圧勝できるという「必勝の方程式」が完成した。
・安倍さんの見果てぬ夢は「大日本帝国の再建」です。
 ただし、一つだけ条件がつく。
 それは「アメリカが許容する範囲で」ということです。
 アメリカの「お許し」を得て、大日本帝国的な統治システムとイデオロギーを復活させ
 ること、それが安倍晋三の野望です。
・ただ、問題は日本が太平洋戦争でアメリカの若者たちを16万5000人を殺した「旧
 敵国」だということです。
 大日本帝国の軍事的再建をアメリカは自国の安全保障上、絶対に許しません。
・もう一方で、米軍は日本の自衛隊を米軍指揮下で自由に運用したいと思っているし、ア
 メリカの軍事複合体は在庫で余っている兵器を日本の自衛隊に売りつけたい。
 だから、限定的には軍備を拡充することを許すけれども、米軍のコントロール下での活
 動しか認められないという条件は譲らない。
・その結果、安倍さんの「大日本帝国再建計画」は「アメリカの許諾を得て、アメリカ以
 外の国と戦争する権利」を手に入れるというきわめてねじくれたものになっています。
 その権利さえ手に入れれば、国際社会でもっと「大きな顔」ができると思っている。
 日本が中国や韓国や北朝鮮に侮られているのは「戦争ができない国」だからだと彼は思
 い込んでいます。 
・憲法を改正して、「アメリカの許諾さえあれば戦争ができる国」になれば国際社会での
 地位が高まると彼は信じている。
 でもそれは、日本は主権国家ではなく、アメリカの軍事的属国にすぎないということを
 国際社会に向けて改めてカミングアウトすることにほかなりません。
・「日本はアメリカの属国だぞ」と大声で宣言することによって、国際社会から崇敬の念
 を抱かれ、隣国から恐れられると本気で思っているとしたら、かなり思考が混乱してい
 ると言わざるを得ません。
・その一方で、国民の基本的人権を制約して、反政府的な人は徹底的に冷遇し、弾圧する
 ことについては、安倍・菅政権はきわめて熱心に取り組み、見事な実績をあげてきまし
 た。 
 それは、この点については、アメリカの許諾が不要だからです。
・「対米従属を通じて対米自立を果たす」という「ねじれた」国家戦略を戦後の日本は選
 択しました。
 それ以外の選択肢がなかったのだから仕方がありません。
 まず徹底的に対米従属する。
 そして、同盟国としてアメリカから信頼を獲得する。
 しかるのちにアメリカからある日「これまでよく仕えてくれた。これからはもう一本立
 ちして、自分の国は自分で差配しなさい」と「のれん分け」を許される・・・・という
 シナリオを戦後日本人は夢見てきました。
・ですから、まことに不思議なことですけれど、「もっとも対米従属的な人が、もっとも
 愛国的な人である」という図式が戦後日本では成り立ってしまいました。
・これに対して菅さんには、そもそも実現したい幻想的なビジョンがありません。
 就任して最初に挙げたスローガンが「自助、共助、公助」でした。
 国民に向かって、「自分のことは自分で始末しろ。手が足りなかったら周りを頼れ。
 国にはできるだけ頼るな」とまず公言するところから仕事を始めた。
 国民に向かって、「できるだけ国に仕事をさせるなよ」と言ったわけです。
・普通、政治家になるのは国民のために何か「よきこと」をしたいからですが、菅さんは
 別に実現したい政治目標がなかった。
 興味があるのは、権力者の座にたどり着くことだけだった。
 そのための裏工作や恫喝は得意でしたけれど、政権の座に上り詰めてから、やりたいこ
 とは何かと考えたら「できるだけ国民のためには仕事をしたくない」というのが一番や
 りたいことだったということに気がついた。
・自民党はある時期から「政党は株式会社のように組織化されるべきだ」と思い込む人た
 ちが多数派になりました。  
 トップに全権を委ねて、トップは自分のアジェンダに諸手を挙げて賛成してくれる「お
 友達」や「お気に入り」を重用して、反対意見を述べたり、懐疑的な態度を取る人間を
 政治家でも官僚でも遠ざけるようになる。
 そうして9年たったら、上から下まで「イエスマン」ばかりで占められるようになった。
・トップダウンの政体では、失政についての説明は常に同じです。
 それは「政府の立てた政策は正しかったが、『現場』の抵抗勢力がその実施を阻んだの
 でうまくいかなかった」というものです。
・スターリンのソ連も毛沢東の中国も、世界中の独裁政権の言い訳は常に同じです。
 システムは完璧に制度設計されていたが、システムの内部に「獅子身中の虫」がいて、 
 正しい政策の実現を阻んでいる。
 すべての失敗の責任は、この「反革命分子」「売国奴」「第五列」にあるというもので
 す。
 だから、失政のあとには「裏切者」の粛清が行われるけれども、システムそのものは手
 つかずのまま残る。
・今日の日本も同じです。
 コロナ対策でも、「厚生労働省の政策は正しかったが、医療機関や国民が政府の言うと
 おりにしないので、うまくいかなかったとおい」話になる。
 そこから導かれる結論は「だからもっとシステムを上意下達的に再編すべきだ」という
 ものです。 
 憲法を変え、法律を変え、政府の命じることに逆らう医療機関や市民に罰を与える仕組
 みをつくれば、すべてうまくいくということを言う人がいますが、それは失敗した独裁
 者が必ず採用する言い訳です「。
・いろんな政党があっていいんです。
 有権者は選挙のたびに自分の判断で投票する。
 地方選挙と国政選挙で、違う政党に投票したってかまわない。
 有権者はどんなことがあっても一つの政党を支持すべきである。
 だから政党は単一の方針を貫徹すべきだという発想は幼稚すぎると思います。
・立件民主党がふらふらしてどうも信用しきれないと批判する人がいますけれど、立憲民
 主党は「ふらふらする政党」なんですよ。
 それが持ち味だから、それでいいじゃないですか。
 「常に、あらゆる政策判断について正しい政党」の出現なんて期待すべきではありませ
 ん。   
 どんな政党だって間違えます。
 間違えたあとに「あれ、間違いでした」と正直に認める政党だったら、僕はそれで十分
 誠実だと思います。
・敵か味方か、正義か悪かという単純な二項対立でしか政治を理解できないのは、市民的
 成熟度が低いことの証左だと思います。
 コロナでも、ワクチンを打つべきか、打たないほうがいいのか、マスクをつけるべきか、
 外すべきかというようなことが議論されていますけれど、そんなことは、本来科学的マ
 ターであって、イデオロギーの問題じゃないし、まして人格の問題でもない。
・今までわかっているエビデンスに基づいて、科学者は暫定的な知見を示す。
 それなら「これくらいのことまではわかっていますから、こんな感じでふるまってくだ
 さい」という大筋の合意形成くらいはできる。
 それなのに、感染症の専門家でない人たちが、自分でネットでかき集めた情報に基づい
 て、「こうあるべきだ」と断定する。
 これはまことに非科学的で幼児的な態度だと思います。
 予見不能のふるまいをするウイルスによる感染症なんですから、わからないことについ
 ては「わからないので、科学者の総意に従う」という節度を保つべきだと思います。
・どうもこの30年ほど「ボタンの掛け違い」があったということを認めればいい。
 あらゆる組織は株式会社をモデルにして再編すべきだとしてきたことが日本の没落の原
 因だということに気がついて、「それはもうやめよう」ということに自民党内の誰かが
 言い出したら、僕はその人を支持します。
・これからの日本は長期にわたる「後退戦」を余儀なくされます。
 人口はどんどん減っていくし、経済も停滞する。
 大切なのは、そういうときでも「愉快に過ごす」ということだと思います。
 そういうときだからこそ、快活である必要があるのです。
 暗い顔をしていたんじゃ知恵は出ません。
 後退戦で求められるのは、「いかに負け幅を小さくするか」「いかに被害を最小化する
 か」です。
 「どれだか勝つか」「どれだけ儲けるか」を考えるときだったら知恵も出るけれど「負
 け幅を小さくする」というような不景気な話じゃ知恵も出ない、という人もいると思い
 ますけれど、申し訳ないけど、そういう人は「後退戦」には向きません。
  
「言論空間」の機能不全が自民党を脆弱化させた石破茂
・「こんな人たちに負けるわけにはいかない」
 2017年7月の東京都議選最終日、秋葉原駅前での応援演説の最中、「安倍やめろ」
 コールを繰り返す人々に向けて放った安倍首相の一言は、安倍一強体制が陥った傲慢さ
 を如実に反映していた。
・「こんな人たち」も国民であり、野党勢力も国民の信託を受けた「国民の代表者」であ
 る。
 が、「決められる政治」という勇ましいメッセージとともに、異論を排除し、時に行政
 手続きさえ歪めて物事を「前身」させてきた安倍政権以降、そんな原則論はすっかり影
 を潜めてしまった。

・野党がダメだから消極的支持としての自民党、という選択で選ばれた自民党は決して強
 くありません。
 自民党がいいから自民党、という選択でなければいけないのです。
・ところが、きちんと有権者と向き合おうとしなくても、「あんな野党には任せられない」
 とさえ言っていれば、消極的な支持が得られる状態が続きました。
 そして、「おかしいなあ」と内心は思ったとしても、上の言うことを「おっしゃるとお
 りでございます」と「動いていれば、自分の地位は安泰で、いずれ順番が来ればポスト
 がもらえる、と。
 そういう雰囲気は、やがて組織を蝕んでいくと私は思います。
・私は幹事長を2年、地方創生担当大臣を2年拝命しました。
 2015年に安全保障関連法などが審議されたあたりから、政策の進め方において、少
 しずつ、安倍総理が正しいと思う政治の姿と、自分が正しいと思う政治の姿にズレが生
 じてきている気がしていました。
・その後、森友・加計学園問題、桜を見る会の問題などが噴出してきたわけですが、あの
 時の自分の違和感には理由があったのだろうと思っています。
 とくに、地方創生大臣というのは、国家戦略特区担当大臣でもありましたから、加計学
 園の問題は所掌の範囲でした。
・国家戦略特区として獣医学部の開設を認めるためには、既存の獣医学部では対応できな
 い何かが必要だろう、という議論でした。
 それはまさしく以下の状態に備えるような、未知のウイルスや菌による人畜共通感染症
 や、兵器に転用されるおそれのある生物・化学剤の研究などが想定され、今までにある
 獣医学部では対応できず、親しく創設しなければならない、という条件であって、それ
 を満たしているのではあれば認めましょう、という定義を含めて、閣議決定したわけで
 す。
・ですから、私は加計学園の獣医学部開設について、いいとか悪いとか言っているのでは
 ないのです。
 閣議決定した条件を満たしているのであれば認可する、満たしていないのであれば認可
 しない。それだけです。
 で、当初その条件のもとでの新設はかなり厳しいという状況にあった。
 国家戦略担当大臣が私から次に方に代わった。
 その後、認可された、ということです。
・しかし、せっかく認可され新設された加計学園の獣医学部が、今回のコロナウイルス対
 応において、研究を発表されたり、あるいは治験を実施したり、治療薬やワクチンの研
 究を進めたり、といった活動をされているという報道を私は寡聞にして知りません。
 まさしく未知のウイルスへの対応が迫られる、このような危機的状況に対応すべく開設
 したのではなかったのでしょうか?
 やはりこういった疑問には、丁寧な説明が必要です。
・これまで、何年もかけて議論し、正式な党議決定を行い、選挙公約に掲げてきた選挙制
 度改革の変更を、総務会内部だけで決めるべきではない。
 そうした思いで議論を重ねてきた。
 結果として下野という苦しい状況があったわけですが、どのような状況においても、物
 事を決める時には、きちんとした民主的プロセスを軽んじてはいけません。
 ところが、今の自民党においては、そうした議論がほとんど起こりません。
 かつては侃々諤々、2時間、3時間の総務会もザラでしたが、今は誰も何も言わない。
 発言するのは、村上誠一郎さんと私ぐらいだったのじゃないでしょうか。
 正論であればあるほど、言うと角が立つという感じですからね。
・きちんとした議論もなく、納得も共感もなく、きちんとした手続きを踏まないで決めた
 物事というのは、その時はいいとしても、長期的には組織が脆弱になっていくこという
 ことだと思います。
 自民党が自分たちでやったことで自分たちが潰れていくのは本来しょうがない、自業自
 得でしょう。 
 しかし、自民党が潰れてしまっては、いかに自業自得だとしても、日本のためにはなら
 ないと私は思っています。
・自民党は日本そのものといえる政党だからです。
 いい加減さも含めて、「その他大勢」の政党なんですよ。
 日本国民から、特定のイデオロギーや特定の宗教、労働組合などの組織に属している人
 を除いた、「その他大勢」が自民党なのです。  
・そして、自民党を支えているのは地方組織です。
 国会議員があり、都道府県議会議員があり、市町村議会議員があり、という地方組織を
 きちんと持っている。
 野党はそこが弱いんです。
 自民党に代わる党がないからこそ、自民党はいい政党でなければいけない。
 野党がダメだからといって選ばれる自民党に価値はありません。
・私は9条だけが憲法の論点だとはまったく思っていないのですが、9条については全面
 改正すべきと言っています。
・国の独立を守るのが軍隊で、国民の生命や財産、公の秩序を守るのが警察。
 同じ国家の実力装置であっても任務が違う。
 そして国の独立を脅かす対象が出てきたら、戦わなければならないけれど、その時は国
 際法に則ってやるべきだと。
 そこまではおおよそ共通の理解が得られるかと思います。
・その先、わが国の最強の実力集団であるところの自衛隊は、司法、立法、行政できちん
 とコントロールしなければ民主主義は崩れてしまう、と。
 であるならば、国会で制服自衛官が答弁することもなく、どうやって立法によるコント
 ロールができるんだと私は思うわけです。 
・また、戦場において守られるべき法秩序は一般社会におけるそれとはまったく異なる。
 だから、国際法や自衛隊法に基づく専門的な裁判所を、最終審ではなくとも設けなけれ
 ば司法によるコントロールが効くことにはならない、ということをお伝えして初めて、
 きちんとした議論ができるんです。
・今、「自衛隊は軍隊ではない、なぜなら必要最小限度だからという」解釈で、この国の
 防衛は成り立っています。 
 しかし、そんなまやかしをいつまでも言っているから、国際社会での理解も得られない。
・同じ敗戦国でも、ドイツは、日本とはまったく逆で、個別的自衛権は行使しないことと
 しています。
 ナチスドイツの反省として、ドイツの国益のみで軍事力を行使してはいけない、と。
 ですから、他国と協調する集団安全保障、いわゆるNATOですね、ドイツ国軍はそれ
 しか参加しない。
 日本と真逆です。
・護憲派も改憲派も、どのような国防のあり方を目指すのかという基本に立ち返ることで、
 きちんとした対話が可能になるはずです。
 ところが、そうした言論空間が不在のまま、国の安全保障の根幹に関わることがなし崩
 し的に決まっていく。
 この状況は危険でしょう。
・徹底した議論のないまま、権力者に付き従えというのは私にとっては大問題です。
 この国は国民主権である以上、政治の側が説得する努力を放棄してはいけないのです。
 国民を信じない政府というのは、やがて国民によって倒されると思っています。
・実際のところは、例えば憲法9条について語っても票にはつながりません。
 パーティー券だって売れやしません。
 下手をしたら右翼と間違えられます。
 ですが、軍隊の本質とは何か、国民の軍隊であり続けるには何が必要か、それを主権者
 たる国民に自分事として議論してもらわなければ、国の安全保障というのは究極的には
 担保できないのです。
・政治家に必要なのは、たとえ自分の損になっても、公のために正しいことが言えるかと
 いうことに尽きるのではないかと思っています。
 それができなければ政治家なんか辞めたほうがいい。
 金を儲けたいのであれば、ビジネスマンになればいいし、真理を探求したいだけであれ
 ば、学者になればいいと思います。
・消費税というのは逆進性がありますから、格差の広がった社会においては、所得の高く
 ない人には、大きな負担となって、格差と分断をさらに広げてしまう作用がある。
 資本主義社会の行き着く先は格差と分断で、それを修正するために福祉国家という概念
 が出てきた。 
 そうであるならば、消費税の持つ構造的問題をいかに解決していくか、ということを含
 めた、新しい分野を考えるのが政治でしょう。
・真実を見つけようとすると、苦しいことがたくさんあります。
 原発ゼロと言いきるのは気持ちがいいけれど、どうやったら原発ゼロが実現できるのか。
 核のない世界は結構なことだけれども、核を持っている国に対してどのように抑止力を
 持つのか。 
 核がない世界、原発のない世界を実現するという理念に向けて、七転八倒しながら、解
 を見つけ出す努力を続ける。
 そうやって
 必死に見つけた解も、世の中に受けないことが多い。
 むしろ嫌われる。
 でも、それを語る勇気を持たなければならないと思っています。
・保守とは何かというと、私は寛容性だと思っています。
 相手の主張を聞く耳を持ち、受け入れる度量を持つ寛容性が保守の本質であって、いわ
 ゆる右寄りの主張が保守だとはまったく思いません。
・リベラルの本質も寛容性にあるはずです。
 どちらも、相手の言うことを聞く寛容性、受け入れる度量、あるいは受け入れられない
 のであれば、なぜ受け入れられないのかを、お互いに納得いくまで説明する努力。
 それこそが、保守とリベラルに共通する本質ではないでしょうか。
・「何のために国会議員になりたいのか。カネのためか。先生と呼ばれたいからか。いい
 勲章をもらいたいからか。そんなヤツはここから去れ。勇気と真心を持って真実を語る。
 それ以外に政治家の仕事はない」(渡辺美智雄
・「藻谷浩介」さんは、菅総理が原稿を読まれることについて、”愛の告白をするときに、
 原稿を棒読みにする者はいない”と指摘していた。
 たしかにそのとおりで、相手に愛を伝えたい時に原稿を棒読みしません。相手の心に届
 きませんから。

自由闊達な議論がなくなれば、民主主義は容易にファシズム化する村上誠一郎
・率直に言って、安倍・菅政権は、自民党のすばらしいところを全部壊してしまったとい
 えます。
・今や党幹部に意見する人間、官邸の意に反した発言をした人間は人事で登用されません。
 そのために党内から自由な議論が消えてしまった。
・自由な議論を封殺するような空気が蔓延してしまった。
 その理由は明白で、すべて官邸主導になってしまったからです。
 本来、政策決定のプロセスというのは、官僚も政治家も、さまざまな意見を自由に出し
 合うべきなのです。 
・例えば官僚からA案B案C案と具体案を出してもらって、それを最終的にわれわれ政治
 家が判断すべきであるところ、ここ数年は常に官邸の言うとおりの政策になってしまい
 ました。
・内閣人事局が人事権を行使して官僚からの意見を封じ込めました。
 一方、政治家に対しては選挙の公認とポストの人事権で、党執行部に対する党内の批判
 も抑え込みました。
・それがもっとも端的に表れたのが、閣議決定によって法解釈を変更し、強引に押し通し
 た東京高検検事長の定年延長問題でしょう。
 当時の検事長・「黒川弘務」さんを検事総長にしたいがために、完全に法律をねじ曲げ
 ようとしたわけです。
 このようなことが許されるわけがないと思います。
・衆議院の予算委員会で、人事院の「松尾恵美子」局長が、
 「検察官に国家公務員法は適用されないとする解釈は現在まで続いている」
 と一度は答弁したのを、数日後に
 「”現在まで”という言葉の使い方が曖昧だった」
 と撤回させられた。
 官邸からの圧力があったことは容易に想像できます。
・さらには、苦しい答弁を続ける彼女に向かって「帰れ、帰れ!」と声をあげたのが閣僚
 席に座っていた外務大臣(茂木敏充)でした。
 私はそれを見た時、本当にびっくりしました。
 官僚が良心の呵責に苛まれていた時に、あのようなことを言っていいおのかと思いまし
 た。
 自民党は、ここまで変容してしまったのかと愕然としました。
・強引に法律の解釈をねじ曲げて、改正法案をあとから提出しました。
 それに対して党の総務会で最後まで反対したのは、結局、私一人だけでした。
 そして、法案がそのまま国会に提出されてしまったわけです。
 が、ご存じのように元検事総長やマスコミも、これは大問題だと取り上げて、世論の反
 対の声が巻き起こって、廃案になりました。
 ここは民主主義が、かろうじて機能した結果でしょう。
・自民党から議論が消えてしまったのは、やはり小選挙区制になったことが大きいと思い
 ます。  
 それまでの中選挙区制では、それなりに広い選挙区で当選者も複数いたわけです。
 中選挙区では、みんな自分で組織をつくり、支持者とともに選挙区で戦ってきました。
 ところが、小選挙区制になって何が起きたか。
 党の公認と比例名簿の順位、これらすべてを党の執行部に握られてしまった。
・しかも、比例名簿の順位も能力などの客観的な基準があればいいですが、非常に恣意的
 で、執行部に対する忠誠心で決まってしまう傾向があります。
 こうした選挙システムでは、執行部がよほど公平に対応しない限り、全体主義的な組織
 に変容してしまいます。 
・党幹部の独裁が強まるにつれて派閥も弱体化しました。
 これにより、新人の育成や政策の立案といった、それぞれの政治家が足腰を鍛えるチャ
 ンスが失われました。
 さらに公的助成金、党の資金、そして官房機密費といった資金もすべて、党幹部と総理
 総裁に一極集中しました。
 選挙とポストと資金を握られたら、政治家はもはや喉元を抑えられたも同然です。
 言いたいことを言えなくなってしまいます。
・つまり、「安倍一強」などといわれてきましたが、このシステムがある限り、安倍さん
 であろうが誰であろうが「一強体制」はできてしまうのです。
・そもそも、正しくないことを間違っていると言わなかったら、国会議員になっている意
 味がないのではないですか。  
 ポストのために、間違っていると思いながら忖度したら、政治家として責任を果たさな
 いことになります。
・2014年、安倍政権は憲法の解釈を閣議決定で変更し、集団的自衛権の行使を容認し
 ました。
 私はあの時、集団的自衛権に強く反対しました。
 なぜならば、もしも台湾を巡って米中の緊張が極度に高まり、米中戦争が勃発したら、
 台湾には米軍基地がありませんから、日本の沖縄か岩国から米軍が出撃することになる
 でしょう。
 そうなれば、自動的に集団的自衛権に巻き込まれてしまう可能性があります。
 集団的自衛権の行使容認を主張していた議員たちは、この危険性を認識していたのでし
 ょうか。
・最近はGoToキャンペーンやオリンピック開催等、みんながイエスマンになってしま
 い、慎重な議論が起きるはずもありません。
・それまでの自民党は、難しいポストで一生懸命汗を流した人を人事で登用するという流
 れがあったのです。 
 ところが今や、お友だちか同じイデオロギーの人か、総理一族かイエスマンしか登用し
 なくなりました。
 広島選挙区の「河井克行案里」夫妻を見てもわかるとおり、忖度していれば他候補の
 10倍もの政治資金とともに議員の椅子が用意されるし、閣僚のポストももらえるわけ
 です。
 そのような状況で誰が真面目に仕事をする気になりますか?
 結局、安倍・菅政権は、自民党のよき伝統を破壊してしまったのです。
・このままでは、政治家を目指すよい人材が永田町に来なくなるのではないか、という危
 機感があります。 
 一人でも、正しいことは正しい、間違いは間違いだと言い続けてきたのは、自民党にも
 多様な意見があると、みなさんに想ってもらえるのではないかという思いからです。
 しかし、永田町は小選挙区の下、この20数年間でどんどん劣化してしまいました。
 官僚も内閣人事局による人事の運用で忖度官僚が蔓延していきました。
・これらのために、永田町と霞が関に、まともな人材が来なくなったら、政治と行政は誰
 がやるのか、という危機感しかありません。
 そんな状況を加速させてしまったのが、権力の行使(人事権の行使)は抑制的であるべ
 きという基本を無視した安倍・菅政権だったのです。
 このままでは、日本がダメになってしまうのではないかと私は心底心配しています。

・現憲法は、アメリカの押しつけ憲法だという人もいますが、日本人だけで最初からあの
 ような憲法をつくることができたでしょうか。
 平和主義、主権在民、基本的人権の尊重が、きちんと練り込まれた憲法を制定できたこ
 とは、戦後日本にとって、非常に重要な意味を持つと思います。
 ただ、天皇制を残すことと引き換えに米国を尊重することが外交の基本となってしまっ
 た。
 それが今も大きな問題として残っています。
・一方で、財政、金融、社会保障制度の枠組みをいかに持続可能なものにしていくかとい
 う内政における喫緊の課題は、安倍政権下では完全になおざりにされてしまいました。
・対米外交といっても、ほとんど内容のないもので、矛盾が生じようもなかったのではな
 いでしょうか。  
 トランプ大統領が来日した際は、国技館の相撲観戦に招待していましたが、天皇陛下で
 さえも2階の御在所で観戦されるというのに、トランプ大統領のためにマス席を買い占
 めさせていました。
 一体何をやっているのかと思いました。
・米国は、対日赤字をどう減らすかということが最優先課題なわけですから、そこで日本
 は、相手の要求のままに「イージス・アショア」、F35などの武器を買わされ、次は
 農産物を買わされつつあります。
・今、世界は二酸化炭素削減を謳って、電気自動車を積極的に推進しています。
 ですが、この本当の目的は、日本の自動車産業の競争力を弱めることです。
 ガソリン自動車は必要な部品も多く、高度なテクノロジーが求められていました。
 ところが、電気自動車というのは、部品も少なくて、どこの国でも生産できてしまう手
 軽さがある。  
 その意味で、日本の自動車産業の優位性が骨抜きにされようとしているのです。
・このように、安倍さんが戦略なき外交を展開している間に、日本の国益はどんどん失わ
 れてきたのではないでしょうか。
 対ロ外交でも、北方領土に取り組んでいるようでしたが、「2島返還」という無駄な譲
 歩をしてプーチンに利用されただけでした。
 拉致問題についても、何も進展がないままに終わっています。
・コロナ禍でも、戦略のなさが露呈しました。
 ダイヤモンド・プリンセス号の船内での感染拡大ばかりに気を取られて、2020年の
 春節の時に中国からの観光客を大勢入国させました。
 経済効果(爆買い)を優先させたため、初動で大失敗したといえます。
・さらなる大失敗は、菅氏と二階氏が主導したGoToキャンペーンによって、感染拡大
 を招いたこと。
 これも経済を優先させた結果です。
・オリンピックを、なんとしてでも開催して人気を挽回したいという大前提があり、その
 政治的思惑に合わせて政策を行ってきたため、危機管理が十分にできませんでした。
 1年以上たった今も、重傷者用のベッドの確保が十分できずに次々と自宅で亡くなられ
 ています。  
・官僚の知識や経験や能力をうまく使うのが本来の政治主導ですが、菅氏は官房長時代か
 ら人事で官僚を抑え込もうとしてきました。
 本来の政治主導とは違う趣旨で官僚に言うことを聞かせてきました。
 内閣人事局によって、官邸が人事権を広く掌握したことで、官僚は官邸の望む政策に迎
 合せざるを得なくなった。
・オリンピックに固執し続ける官邸に対し、感染対策にフォーカスするような選択肢を提
 案することは、官邸の意向に楯突くことです。
 ゆえに官僚の側からは言い出せません。
 結果として、経済活動の優先政策に転換せざるを得なくなり、各省庁はその対応に合わ
 せるしかありませんでした。
・安倍政権以降の、この仕組みの弊害は明らかです。
 官僚の専門知識を生かそうという謙虚さを持たず、官邸の意のままに官僚を動かそうと
 するだけの官邸主導は、もはや失敗しか生みません。
 人事で抑え込んでしまうと、官僚は正論も本音も言えなくなってしまうわけですから、
 結果として、有為な人材ではなく、言うことを聞く人材ばかりが優遇されていく。
 優秀な人が能力を発揮するのではなく、官邸の言うことを聞く人間ばかりが重宝がられ
 ることで、政治家と官僚のバランスが完全に崩れて機能しなくなっています。
・当時の安倍政権において、森友学園の文書改ざんや、加計学園の獣医学部開設において、
 「総理の意向」が働いた疑惑、あるいは「桜を見る会」という公的行事の私物化など、
 数々の疑惑が噴出していました。
 とくに森友問題においては近畿財務局の方が亡くなられています。
 数十年前であれば、財務大臣や官房長官が即辞任するような事態です。
・ところが、改ざんの指示をしていた「佐川宣寿」財務局長は、あろうことか国税庁長官
 へと出世していきました。
 最終的に彼は、森友問題の責任をとって辞任しますが、刑事事件を問われることもあり
 ませんでした。 
 結果として、安倍氏は肝心なことは何も明らかにしないまま、首相の座から降りてしま
 いました。
 そして、後継者に菅氏を据えることで、責任追及から逃れようとしたわけでしょう。
 「桜を見る会」問題においては、公職選挙法違反などで告発された安倍氏は、不起訴と
 なりましたが、検察審査会から不起訴不当とする議決が出されましたから、東京地検特
 捜部の再捜査と判断の行方が重要です。
・アベノミクスでは、財政出動と金融緩和、そして成長戦略ということを掲げたわけです
 が、コロナ対策における財政出動で財政は破綻寸前。
 金融緩和はGDPの80数%まで国債を引く受け、出口戦略がみつからなくなりつつあ
 ります。成長戦略はいまだに何も出てきていません。
 アベノミクスは、官製相場によって円安株高にしただけで、結果として日本全体の産業
 の競争力を弱体化させてしまいました。
・何よりも、社会保障と財政と金融が独立して機能していたのが、どれかが破綻したら、
 すべてが破綻するという状況になりつつあります。
 今や、名目GDPに対する国と地方を合わせた借金の残高はGDPの250%になって
 います。  
 戦後のハイパーインフレを起こした第二次世界大戦中と同じような状態に近づいていま
 す。
 このままの状態にしておけば、日本の財政は完全に行きづまります。
 持続可能な社会保障制度というものを設計し直さなければ、次世代は生き残れません。
 しかし、いまだに党内では、アベノミクスの継承などと無責任なことを言う総裁選立候
 補者がいます。
・なぜ政治家は、党の執行部や官邸に対して、これほどまでに委縮してしまうのか。
 政治家として、正しいと思うところがあったら、少数でも正論を言わなくてはならない。
 
権力に酔った「官邸の暴走」が招いた茶番政治前川喜平
・第二次安倍政権以降、「強すぎる官邸」の意向が行政のプロセスを、きわめて不公平な
 形に歪めたことが発覚した。
 2017年5月、加計学園の獣医学部の新設において、「総理のご意向」文書が本物で
 あることを証言し、行政が歪められた実態を告発したのが、「前川喜平」氏だ。
 この告発と前後して、前川氏の「出会い系バー」通いを読売新聞が社会面で大きく報じ
 ている。
・この官邸からのリークが疑われる露骨な前川つぶしに歩調を合わせるように、前川氏を
 「地位に恋々としがみついた」と人格攻撃した菅義偉官房長官(当時)だったが、のち
 に文書は文科省が作成した本物であることが判明する。
・「あったものをないとは言えない」という前川氏の告発は、森友学園、桜を見る会問題
 とともに、安倍政権の足元を大きく揺さぶった。
・小泉政権下において、徐々に「政治主導」の傾向が強くなってはいましたが、それでも
 まだ各省それぞれに主張し、官僚も言いたいことが言えたのです。
 そして、その主張にきちんと耳を傾ける政治家も少なからずいました。
・その意味で立派だったのが、文科大臣や自治大臣を歴任した「保利耕輔」さんです。
 「義務教育費国庫負担制度を廃止しろ」という議論になった時、保利さんは総務省と文
 部科学省、両方の役人からそれぞれの言い分を丁寧に聞いていました。
 そして、自分の頭で熟慮した結果、「義務教育費国庫負担金はなくすべきではない」と
 いう結論に至ります。
・内閣人事局が、安倍・菅政権の官僚支配をつよめたのは、事実だと思います。
 内閣人事局によって、中央省庁の部長・審議官以上の600人を超える官僚の人事を一
 括管理するようになりました。
 その結果、局長以下の中堅官僚にも官邸の意向を忖度する文化が広がったということは
 いえるでしょう。  
・しかし、制度の問題以前に、霞が関の官僚集団が”私兵化”してしまったのは、菅さんと
 いう個人に負うところが大きいと思います。
 「自分の言うことを聞く人間だけを取り立ててやる。言うことを聞かない人間は飛ばす」
 という人事が繰り返し行われた。
 彼が長きにわたって官房長官のポストにいたという事実が大きいと思います。
・「ふるさと納税」の問題点を指摘した総務省の「平嶋彰英」さんの左遷人事の影響は大
 きかったでしょう。 
 ふるさと納税は、当時総務大臣を務めていた菅さんの肝煎りで2008年に創設されま
 した。
 2014年、官房長官となっていた菅さんは、ふるさと納税の控除の上限を倍増するよ
 うに指示を出します。
 これに対し、当時、自治税務局長だった平嶋さんが懸念を示したのです。
・そもそも、返礼品目当てのふるさと納税というのは、どう考えてもおかしい制度だった
 のです。 
 管制通販のようなことになってしまうのは明白でした。
 第一、課税最低限以下の生活をしている人には何の恩恵もありません。
 高額所得者ほど、ふるさと納税で食費が浮きますよ、というような逆進性のある制度で
 あるうえに、地方税体系も大きく歪めていた。
・そういった状態を危惧して、平嶋さんは「このまま拡大するのはいかがなものですか」
 と異を唱えたわけです。
 しかし、真っ当な政策論を唱えた平嶋さんが、2015年に自治税務局長から自治大学
 校長に飛ばされます。
 この平嶋さんの左遷は、霞が関に知れ渡りました。
・平嶋さんは報道陣の取材に対し「私は意見を言ったけれども、最終的には菅さんの意思
 には従った。それでも左遷された」と発言しています。
 「異論を言うと更迭される」という評判が広まって、次第に官僚も新しい政策を出さな
 くなっていったのだと思います。
・菅さんは結局、政治主導の実現ではなく、自分の権力を維持・拡大することしか頭にな
 かったのではないかと思います。
・加計学園問題は政治主導ではなく、政治権力の私物化です。
 行政の筋を曲げて、安倍さんが自分の友達のために特別に獣医学部をつくれるようにし
 てあげたという非常にわかりやすい話です。
・2017年5月、「総理のご意向だと聞いている」という2016年の内閣府の発言を、
 文科省が記録として内部文書にしていると朝日新聞がスクープしました。
 その後、萩生田官房副長官(当時)が「総理は平成30年(2018年)開設とおしり
 を切っていた」と文科省の高等教育局長に伝えた文書が残っていたことも明らかになり
 ます。
 「加計学園に獣医学部をつくらせろ。しかもそれは2018年4月まででなければいけ
 ないんだ」
 ということまで安倍首相は注文を付けていたのです。
・まともに審査していれば、京都産業大学が選ばれていた可能性が高かったでしょう。
 京都大も学部新設を準備していて優れた計画を持っていました。
 鳥インフルエンザ研究で実績がありましたし、ノーベル医学生理学賞を受賞された山中
 伸弥教授が所長を務める京都大学iPS細胞研究所との連携も計画にありました。
 再生医療の技術を獣医学の世界に応用するという構想です。
 国際的な競争力という点で見れば、むしろ京産大のほうが条件を満たしていた可能性が
 あると思います。 
・ところが、京産大が関心を示しているという情報は前からありましたが、具体的な獣医
 学部新設の計画を出してきていて、政府の特区ワーキンググループがヒアリングまで行
 っているというような事実は、文科省も農水省も知らされていませんでした。
 つまり、内閣府の中だけでヒアリングして、そこでつぶしてしまったわけです。
 その間、京産大を排除するための条件が内閣府によって加えられました。
・石破さんが担当大臣を務めている間は、進展がありませんでした。
 しかし2016年8月の内閣改造で担当大臣が「山本幸三」さんに交替すると、一気に
 許可に向けて動き出しました。
 加計学園は2007年から構造改革特区制度を使って獣医学部の新設を15回も申請し
 ていたのですが、すべて門前払いされていました。
 しかし、2015年以降は国家戦略特区での新設を目指すように方針転換しています。
・この知恵を指したのは、「和泉洋人」首相補佐官だと私は考えています。
 和泉さんは特区制度の隅から隅まで知っている方なので、方針転換を助言されたのでは
 ないでしょうか。 
・「今井尚哉」さんは、「自分が影の綜理だ」というような気分だったのではないでしょ
 うか。
 日本を動かしているのは俺だ、くらいの思いがあったように思います。
 エネルギー政策においても、福島原発事故の反省など、どこえやらで、原発輸出で日本
 の経済を成長させようと考えていました。
 これはすべて失敗しましたが。
・「長谷川榮一」さんは、対ロ外交も担当し、安倍・プーチン会談を30回近く実現させ
 ています。 
 私も長谷川さんに「ロシアの大学と日本の大学の協力関係をもっとつくるように」と指
 示されたことがあります。
 安倍さんがモスクワでプーチンに会う時、国立大学の代表者を一人連れて行きたいから
 誰か選んでくれと言われ、東北大学の総長に行ってもらったこともありました。
・外務省そっちのけで官邸主導の外交をやっていましたが、対ロ外交は完全に失敗だった
 と思います。
 首脳会議を繰り返すことで、北方四島が今にも返ってくるかもしれないという幻想を世
 の中に振りまきましたが、結局、プーチンは北方四島を返す機など全然なかったことが
 明らかになりました。
 外務省は、本当に苦々しく思っているでしょう。
・今井さんや長谷川さんには、「自分たちが国を動かしている」という思い上がりのよう
 なものがあったように感じます。
・現場を向いて仕事をしている人ではなく、官邸を向いて仕事をしている人のほうが人事
 で採り立てられるため、現場にはそぐわない、あるいは現場が混乱するようなことを平
 気で押しつけてくるのです。
・2020年2月、安倍さんの突然の要請で決まった全国一斉休校は、まさに世紀の愚策
 といえるのではないでしょうか。
 今井さんの思いつきに、安倍さんが「いいじゃないか」と乗っかった。
 それに対して、文部科学省がはっきり「ノー」と言えなかったのが問題でした。
・2020年2月、文科省の「藤原誠」事務次官が官邸に呼ばれて、安倍さんから「全国
 一斉休校をやろうと思っている」と聞かされます。
 すると彼は「私もやったほうがいいと思います」と言ってしまったのです。
 しかし、その2日前、文科省は専門家の意見を聞いたうえで、まとめた方針をすでに出
 していました。
・しかし、その方針が打ち出された2日後に、総理大臣がいきなり「一斉休校」を言い、
 藤原事務次官は、文科省として出した方針を主張することもなく、あっさりと迎合した
 のです。
 おそらく担当課は相当に悔しい思いをしたはずです。
 専門家の意見を聞いて方針をつくって、連絡文書まで出しているのに、簡単にひっくり
 返されたわけですから。
・あの時点では、1人の感染者のいない都道府県がいくつかありました。
 東京都でも、島しょなど感染者が出ていなかった地域もありました。
 それにもかかわらず全国一斉に休校するなど、どう考えても合理性に欠ける政策です。
・当時の萩生田文科大臣も、さすがに官邸に行って「ほんとうにやるんですか」と直談判
 したほどです。
 それでもやはり押し切られてしまいました。
 事務次官も率先して官邸に迎合しているわけですから、まともな政策が通用せず、官邸
 の思いつきがストレートに現場に悪影響を及ぼしてしまった状況でした。
・かつて自民党は「権力は暴走する危険がある」ということを、常に意識しながら権力を
 行使していたと思います。
・日本は戦争をしてはいけないという確固たる信念を持った政治家が、自民党の中にもた
 くさんいました。  
 しかし、戦争を知らない世代が増え、自民党の政治家も変質してきたのだと思います。
 それは軍事面だけでなく、個人の権利、尊厳を虐げるような方向で権力が暴走すること
 の怖さを知っている政治家が減ったともいえます。
・歴史を学べば「権力の行使は抑制的でなければならない」ということがわかるはずです。
 権力を握るものは、恐れを知っていなければいけない。
 そのためにも、自分自身を批判する勢力を認めなければいけないのです。
・政権は、歴史や学問から謙虚に学ぶ姿勢を持つべきです。
 歴史を学べば権力に対する恐れが当然生まれるはずだと思うのですが、安倍さんや菅さ
 んは、きちんと勉強していなかったのかもしれません。
・最終的に、官僚は政治家に従うべきです。
 官僚主導は、あるべき形ではありません。
 国民主権である以上、国民に選ばれた政治家が責任を負い、権限を持つというのが、正
 しい民主主義でしょう。
 しかし同時に、官僚が専門性に基づいて自由に意見を言える環境は確保すべきです。
 
派手な印象だけの9年、過ぎてみれば「焼け野原」状態に古賀茂明
・第二次安倍政権以降、菅政権までの9年間は「忖度政治」の時代であった。
 強権をちらつかせ、官僚人事を意のままにするなかで、官僚自らが「官邸のご意向」に
 沿うように行動し始めた。
 このような忖度によって、安倍晋三氏は森友学園、加計学園、桜を見る会という幾度も
 続いた危機を脱し、菅義偉氏は念願の東京五輪開催をコロナ感染爆発の真っ只中で実現
 した。
・菅さんはもっと「改革」という言葉が好きで、自分は改革の伝道師だと思っている節が
 あります。
 とくに「守旧派官僚」と戦う姿勢を取ることが大好き。
 自分の言うことを聞かない官僚を「守旧派官僚」とレッテル貼りをして潰すわけで、
 官房長時代からふるさと納税の問題点を指摘した官僚を飛ばしたり、首相就任後には、
 携帯電話料金の改革と言って値下げを行ったりしました。
 しかし、携帯電話料金の改革は、NTT族議員にとっては痛くかゆくもないような代物
 でしたし、同じインフラである電話料金については、まったく手をつけなかった。
 経産省の原子力利権は、安倍さんに加えて「甘利明」元経産相ら原子力ムラの利権だっ
 たからです。
・第二次安倍政権・菅政権では、行政改革、公務員制度改革もまったくといってよいほど
 進展はありませんでした。
 なぜ改革しないのかというと、やはり利権が絡んでくるからです。
・「内閣人事局」もつくりはしましたが、本来の目的とはかけ離れた使い方しかできませ
 んでした。 
・長年「官僚主導はおかしい。政治主導にするべきだ」といわれてきましたが、実は政と
 官は混然一体となっています。
 とくに自民党の議員は、大半が族議員です。
 何らかの利権を持っていて、いずれかの省の官僚と深いつながりがある。
 だから、官僚を敵に回すことは、族議員を敵に回すことになり、自民党の首相も閣僚も
 通常、なかなか突っ込んだ行革はできないのです。
 小泉さんは、かなり突っ込んで官僚や族議員と対峙しましたが、安倍・菅氏をはじめと
 する歴代自民党政権は、その部分には踏み込めませんでした。
・本来、上に立つものの倫理観は、「李下に冠を正さず」でなければなりません。
 しかし、安倍政権の大きな特徴のひとつは、疑われるからやめよう、恥ずかしいからや
 めようというように、従来の倫理観によって歯止めがきいていたことを、臆面もなくや
 ってしまう点にありました。 
・「桜を見る会」などは、まさのその代表例で、すごい額の公金を使って、お友達を多数
 呼び大騒ぎをするなんてことは、今までの政治家は恥ずかしくてできなかった。
 法律に反しなければ、捕まらなければ、何をしたってよいという地に堕ちた倫理観こそ
 が、この政権の本質でした。
・桜を見る会は、実は法律違反の疑いが非常に強いのですが、「法に触れなければ何をし
 てもいい」という倫理観が、さらにエスカレートして、「法に触れないようにうまくや
 れ」、そして、「捕まらないように証拠を隠せ」ということを「佐川宣寿」財務省財務
 局長(当時)が嘘八百をつき通したのも、「捕まらないようにうまくやる」「捕まりそ
 うになったら証拠を消す」ことを強いられた結果だったといえます。
・法に触れないようにうまくやることができる、都合のよい人材で人事を固めることも平
 然と行われました。
 始まりは内閣法制局長官の交代人事でした。
 当時は、集団的自衛権の是非が焦点となっていましたが、従来の解釈を踏襲して違憲だ
 とした長官を更迭し、合憲だとする官僚にすげ変えてしまった。
 その衝撃は、官僚の世界では非常に大きなものでした。
・事の本質は、より公明正大さが求められる内閣法制局長官人事ですら、首相の一存で変
 えてしまったということです。   
 内閣人事局の成立前かのことですから、人事局の成立で官僚支配が始まったというのは、
 まったくの間違いです。
 内閣人事局の発足は、「俺の言うことを聞かないヤツは飛ばしてしまうぞ」という恐怖
 感を官僚に与える、象徴的な効果を持っていたにすぎません。
・政権後期には、ついに検察庁人事にまで介入していき、「捕まらない」ための布石とし
 の検察庁法改革案を提出するところまでエスカレートしていきました。
・通常、「官邸の意向」といわれる場合、総理の意向なのか、官房長官の意向なのか、あ
 るいは秘書官や補佐官の意向なのか、はっきりしない場合が多く、ともあれ官邸の誰か
 の意向だから、ある程度尊重しなければと官僚は考えます。
 しかし、第二次安倍政権においては、「今井尚哉」総理秘書官(政務担当)の影響力が
 突出して強く、今井秘書官の意向、すなわち安倍総理本人の声ともいえるほどでした。
・とくに今井秘書官の場合、安倍さんが逆境にある時に、一緒に温泉に行くなど、非常に
 濃厚な個人的関係を長年深めており、安倍さんのために命を懸ける存在だったと言って
 も過言ではありません。
・「安倍昭恵」さんにも、経産省の自分の部下を秘書としてつけて関係を固めるほどでし
 た。
 その一方で、政策に関しても、専門の経済政策だけでなく外交政策にまで、総理に対し
 て広範な影響力を持っていました。
 彼の強い支配力のもと、それぞれの官邸官僚が関係省庁に深く介入していたいのです。
 彼は、歴代でもっとも力を持った官邸官僚でした。
・「和泉洋人」総理補佐官は、民主党政権時代から官邸中枢に居続けている人物で、菅さ
 んの官房長官時代からの側近です。
・官僚にとって菅政権は、第二次安倍政権とは別の意味で恐ろしい存在です。
 すなわち、菅さんが何に関心を持っており、どこが攻撃の標的になるのか、さっぱり読
 めないのです。  
・安倍さんの場合、憲法改正など熱を入れている分野が非常に明確で、その分野の「官邸
 の意向」には100%従わなければならない。
 逆に経済政策などには、それほど強いこだわりがないので、官僚の言いなりに事が運ぶ
 可能性が高かったわけです。
・しかし菅首相は、就任当初にまず「逆らったらクビだ」と官僚全体に脅しをかけておい
 て、具体的にどこに圧力をかけるのか言いませんでした。
 誰かにちょっと「こういう改革を進めてはどうか」という話を聞きかじって、じゃあや
 ってみようかということになる。 
 驚いた官僚が抵抗すると、「俺に任せろ、やっつけてやる」と勇んで出てくるわけです。
 官僚としては不意打ちに近い形で攻撃されるので、そういう意味での恐怖感は安倍政権
 時以上にあったのではないかと思います。
・安倍政権になってからは、きちんとした反論ができなくなります。
 まず安倍さんが、テレビ局や新聞社のトップを抑えました。
 安倍さんは、頻繁に会食して、すぐに携帯電話の番号を交換します。
 するとトップは「総理から電話がくるんだ」などと舞いあがってしまう。
 ジャーナリズムの矜持など、あったものではありません。
・次に菅官房長官が、いわゆる有識者とか各社の幹部・コメンテーターなどを迎える。
 これまた朝食会、昼食会、そして夜の会合と、とにかくいろいろなに声をかけていまし
 た。  
 彼は「いつも勉強させてもらっています」と低姿勢に出るものだから、それでみんなコ
 ロッと転向してしまうんです。
 「菅さんって実際に会って話してみるといい人だ」と。
 有識者でも、雑誌ではそれなりに厳しいことを言うけれど、テレビでは絶対に言わない、
 言えない。
 とくに「安倍」という名前は出さないという人が結構いました。
・今やトップが安倍色に染まり、上司が菅シンパになってしまったら、逆に「お前、こん
 なことを書いて本当に大丈夫なんだろうな」と部下に対して圧力をかけてくるようにな
 ってしまった。 
 政権に嫌われて情報が取れなくなることも考えたら、慎重にならざるを得なくなってし
 まうわけです。
 社内での自分の立場もありますからね。
・政権側も最初は、こうしたあからさまな圧力のかけ方が、そこでうまくいくとは思って
 いなかったでしょうね。 
 でも実際にやってみると、想像以上にメディアは弱かった。
・2015年1月、ジャーナリストの「後藤健二」さんがシリアでイスラム国(IS)の
 人質となっていたことが明らかになりました。
 これに対し、安倍さんはわざわざ中東に出かけて行って、「ISと戦う周辺諸国に、2
 億ドルの支援をする」と表明。
 IS側はこれを宣戦布告と受け止め、結果、後藤さんは見殺しにされてしまった。
 安倍さんの大失態だったわけです。
・官僚の最大の弱点は、想像力とクリエイティビティがないということです。
 受験戦争を勝ち抜いてきた人が集まっていて、テストでは優秀だけれども、白紙に絵を
 描けと言われたらお手上げ、というのが官僚です。
 不測の事態に対して「今までにない方策」を構築することが苦手なのです。
・政治家にしても、経験、実力ともになく、あるのは族議員の利権だけ。
 結局、旅行業界と昵懇な「二階俊博」幹事長に流されるままに「GoToトラベル」を
 始めてしまったりする。 
 現実への対応より変なしがらみ・利権への配慮のほうが優先されるのです。
・安倍政権が出した具体的なコロナ対策は、ほぼゼロでした。
 唯一打ち出したのが、学校の一斉休校。
 あれは今井秘書官のアイデアで進められました。
 「やっている感」を出すのが一つの目的でしたが、もう一つの目的は、当時問題視され
 ていた検察庁法改正問題から、国民の目をそらすこと。
・休校に対する批判はいくら出てもいい、むしろ好都合だというわけです。
 彼の目論見は見事に的中し、日本中、ハチの巣をつついたような大騒ぎになった。
 桜を見る会問題や、それに関連する検察庁法改正問題などは、ワイドショーからすっか
 り姿を消してしまいました。
 そのような形でしか、対策らしい対策は出てこなかったのです。
・バトンを引き継いだ菅さんは、安倍さん以上に頑固でした。
 あれだけ批判されても「GoToキャンペーン」を再開しようとするなど、絶対に誤り
 を認めない。
 ぶれないと言ったら聞こえはいいですが、彼の場合は「頑固」の域に達していたと思い
 ます。
・1年後の五輪を何とか成功させて総裁選、それだけに最後の最後までこだわり続けた。
 感染予防対策は、とにかく緊急事態宣言とワクチンの一本槍。
 どんなに情勢が変わってもぶれない頑固さが、最後には仇となって退陣に追い込まれた
 のだと思います。
・安倍・菅の9年間は、派手なことをやっている印象だけはありましたが、実際は何もか
 もがほとんど進んでいないんです。
 端的に言えば、経済成長の芽となる産業・企業がまったく育っていない。
 儲かるビジネスが全然生まれず、労働者に高い給料が払えない。
 だから、結婚できない若者が増えて少子高齢化にも歯止めがかからず、このままいけば
 日本は終わる。
 そういう危機的状況に立たされています。
・儲かっているといわれているような企業でも、実態は海外で稼ぎ、もう日本の企業では
 なくなっているというケースが大半です。
 半導体も、一部を除いては、ほぼ壊滅状態で、アメリカ、中国、台湾の争いに後塵を拝
 しています。
 日本は部品などの下請けで生きていくしかない、「下請け大国」としての道しか残され
 ていないが、その下請け産業も大手は海外進出を拡大している。
 そんなきわめて厳しい状況です。
・もしコロナ終熄が実現すれば、「強制貯蓄」といわれる富裕層・中流層の貯金が一気に
 市場に流入し、半年間くらいは好景気が続くかもしれません。
 しかしそのあとになってみると、日本が置いてきぼりになっている状況が如実に表れて
 くる。 
・悲しい、ことに希望を見出せる要素がほとんどありません。
 「いっそ早く破綻してしまったほうがいい」という意見が出てくるのも無理はないくら
 いに状況は厳しい。
・ただ、日本人は、苦しい状況に耐えるということにとても長けています。
 そのことがいつも、裏目に出ていると私は思います。
 東日本大震災があっても、耐えきってしまい、結局、何も変えられなかった。
 耐えて耐えて耐え忍んで、乗り切ってしまう。
 その先に待っているのは緩やかな衰弱です。
 じわじわと落ちていって、気づいたら大変なことになっている。
・夢から目覚める、ということがまずは大切なのかもしれません。
 希望的観測に基づき、艱難辛苦を乗り越えて希望の明日を妄信することが、どれほど危
 険なことなのかを、われわれは東京オリンピック後のコロナ感染大爆発という「失敗」
 で十二分に味わいました。
 安倍・菅政権が残した失敗を無駄にすることなく、「目覚め」のための反省材料とする
 こと。まずこれが一つです。
・もう一つは、いかに戦争に巻き込まれないかということです。
 ある意味、それが一番大事なことだと思っています。
 なぜなら、今の日本には、戦争をできる力も、経済的余力も、まったくないからです。
・いま非常に関心を集めている「台湾有事」。
 「台湾大好き、中国大嫌い」という人が日本にはたくさんいて、万が一中国が台湾を攻
 めて、一番頼りにしているアメリカが台湾のために戦っているという状況になったら、
 日本も台湾を助けなくてはという流れになると思います。
 しかし、この戦争に巻き込まれれば、中国から日本にミサイルが飛んでくるかもしれま
 せん。
 それだけは絶対に避けるべきです。
・今は、どうやって自衛戦争をするかを議論するのではなく、そうした事態をいかにして
 避け、その間に、経済復興と国民の生活の再興に全エネルギーを注力するかが死活的に
 重要です。
 それが、経済的に日本の安全保障にもつながるはずです。

アメとムチの支配に踊らされたメディアの責任望月衣塑子
・安倍・菅政権の大きな特徴のひとつは、アメとムチによってメディアコントロールを加
 速させたことになる。
 政権とメディアが癒着した時、民主主義は完全に機能を停止する。
・2004年当時、自民党の大物議員たちが日歯連から迂回献金を受けていたという疑惑
 に対して特捜部が動いていることが明らかになったのですが、そのうちの一人が元官房
 長官の「野中広務」さんでした。
 闇献金を受け取っているというウラが取れたから、本人にあたってこいということにな
 り、新米の特捜担当記者だった私が京都にその日の夜に行かされまして。
 すっかり夜も更けてから、大きくてドーンと立派なハイヤーが自宅前に停まったので、
 取材の趣旨を運転手の方に伝えたところ、後部座席にいた野中さんが「横に乗れ」と。
 こちらが「聞きたいのは「金を受け取ったか」という話でした。
 もちろん献金の受け取りについては否定はしていましたが、新米記者が東京から訪ねて
 きて夜遅くまで待っていたということに一定の理解を示してくれました。
 ”お前はお前の仕事をしているんだなという対応です。
 その時に、疑惑の相手ながら、ちょっと器が違うなあ、と思いました。
・菅さんですが、自分を批判し厳しく追及してくる度量の違いというのも、もちろん感じ
 るのですが、最大の違いは歴史認識です。
 2015年8月、菅さんは、官房長時代に、故・「尾長雄志」沖縄県知事(当時)と、
 普天間基地の移転先を巡って集中協議していましたが、この時に翁長さんに向かって、
 「私は戦後生まれだから、歴史を持ち出されても困る」
 と言ってしまいました。
・菅さんは、いくら戦後生まれとはいえ、4人に1人が亡くなった沖縄戦、そして銃剣と
 ブルトーザーによる県民の土地接収という悲惨な歴史があって、その延長に米軍基地を
 はじめ沖縄の現在の状況が、その後も続いているという理解が何もないことに驚きまし
 た。   
・あらゆる外交も内政も、歴史の積み重ねがあって今がある。
 そのあたり、菅さんの認識の甘さと弱さが、そもそもの前提としてあるように感じてい
 ます。
・自民党の総裁選時、自民党の青年局と女性局が総裁選の対談会を開催しましたが、菅さ
 んだけ手元の紙をずっと見て答えているわけです。
 岸田さんも石破さんも、そんなものを持たずに答えているのに。
 主催側の女性局長が「三原じゅん子」さんでしたから、三原さんが事前に出てくる質問
 内容を菅さんに教えていたのではないか。
・菅さんは官房長官時代は、番記者を相当巧みに手なづけている感じはありました。
 目をかける範囲も広くて、地方紙の人もうまく手なづけていたと聞きました。
 例えば、ある地方のメディアに、その地域のJRの社長人事の情報だとか、その地方特
 有の大きいネタを、個別に呼び出してぽろっと教えたりするらしいです。
 あらゆる情報を持っているので、そのメディアが欲しがるであろう情報を時々少しだけ
 出してあげる、というような「アメ」をうまく使っていたのだと思います。
・2015年、テレビ朝日の「報道ステーション」が、辺野古基地問題や、武器輸出、
 シリアのイスラム国(IS)による日本人人質事件の検証など、安倍政権に対してかな
 り批判的にやっていた頃ですが、菅さんは番記者たちの囲み取材の時に「あの内容は、
 いいのか。放送法違反じゃないか」と、暗にテレ朝批判だとわかる形で記者たちの前で
 しれっと口に出していたようです。
・安倍政権になる前も、たしかに官邸から秘書官や政治部を経由して番組に苦情が来るこ
 とはあったそうです。
 でも、当時は首相も官房長官もころころ変わっていましたし、「こんな苦情を言ってき
 たよ」とか、と笑えるような空気だったそうです。
・それが、第二次安倍政権以降、秘書官から電話が入ったりすると、笑い事ではなく、夜
 の反省会議を開かないと、といった感じに空気がビリビリと変化していったと聞きまし
 た。  
 安倍政権が長期化するにつれて、そこのプレッシャーがどんどん強くなっていったと思
 います。
・2016年2月の衆議院予算委員会で、「高市早苗」総務大臣(当時)が、放送事業者
 が「政治的公平性」と欠く場合は電波停止命令もありえるんだ、という発言をしました。
 政権側が、堂々とテレビに対する圧力を公言するようになってきたのです。
・2019年12月、「報道ステーション」が「桜を見る会」の問題を取り上げた時、
 「世耕弘成」幹事長が、自分の発言の切り取り方が意図的だと批判してきたのですが、
 それを受けて、翌日にはテレビ朝日の報道局長が幹事長室に謝罪に行き、その夜の放送
 中にアナウンサーが謝罪するという異例の対応をしてしまいました。
 完全にメディアと権力のパワーバランスが逆転してしまったという状況でした。
・菅政権での「加藤勝信」官房長官が、同じようにアメとムチでメディア支配をしてきた
 かというと、そういうことはまったく聞こえてきませんでした。
 割と真面目な方なのではないでしょうか。
 あからさまに圧力をかけるようなことには、自身の内に恥じらいがあるのではないでし
 ょうか。  
・安倍政権のタガの外れ方は、2015年の安保法制の時に加速したと思います。
 あの時、強引に安全保障法制改定法案を採決したことで、一時期、内閣の支持率が30
 %台まで落ちました。
 ところが、しばらくすると何事もなかったかのように支持率はV字回復したわけです。
 あそこで、国会を軽視しても政権は維持できる、というような民主政治を否定するよう
 な経験値を得てしまいました。
 そういった安倍政権の長期にわたる国会軽視を見てきましたから、菅さんは自分の政権
 でも同じ手法を再現した、ということだと思います。
・菅さんが官房長官の時は、事前に質問を出させていましたから、一応それには答えてい
 ました。 
 でも、すべて官僚が用意した言葉なので、何一つ自分の言葉ではないような感じがして
 いました。
・官房長官の記者会見で事前に質問を出すことは、絶対条件ではありません。
 でも、菅さんの時は、ほぼ貫徹されていたと聞きます。
 そして、加藤官房長官になっても、それが引き継がれているそうです。
・菅さんが官房長官時代の記者会見では、徐々に報道室長が「次で最後の質問です」とい
 った強引な打ち切りをやらされるようになっていきました。
 総理になってからは、内閣広報官に、記者に対して「名前を名乗ってください」と何度
 も言わせていたようです。
 異様なことをやらされているとわかっていても、その理不尽さを官僚は甘んじて呑まな
 いといけない。
 そんなことやめていいと、菅さんが一言いえば終わることだと思うのですが、言わない
 からやめられない。 
 おかしいと思っている官僚やメディアは、きっとたくさんいると思うのですが、声があ
 げられないという状態のように感じました。
・森友・加計学園問題が明るみに出て、ジャーナリストの「伊藤詩織」さんの性暴力被害
 が、もみ消されるというような事件まで明らかになってきて、世の中は過熱しているの
 に、官房長官の定例記者会見は、まるで別世界のような緊張感のない状態だった。
 何を聞かれても、菅さんは「ご指摘には当たらない」「問題ないと思われます」と返し
 て、記者からの「更問い」もなく、それきりということの連続でした。
・2度目の官邸記者会見の時は、元文部科学事務次官の「前川喜平」さんのこと、そして
 伊藤詩織さんのことについて何度も質問を重ねました。
 加計学園の獣医学部新設に関する「総理のご意向」文書の存在を前川さんが告発する直
 前、「出会い系バー通い」を読売新聞がなぜか社会面の漫画横の2番手扱いで報じたが、
 その記事が出る前日、和泉洋人補佐官が会いたがっていると前川さんに連絡が入ってい
 る。それと前後して読売からも取材の連絡が入っている。
・伊藤詩織さんに関しては、元TBSワシントン支局長の「山口敬之」氏に準強姦容疑で
 の逮捕状が出ていたのに、直前に菅さんの元秘書官であった「中村格」刑事部長から現
 場に連絡が入り、逮捕が執行される予定の当日に急きょ取りやめになったという経緯な
 どについて尋ねました。
・菅さんの返答は「まったく承知していない」、中村さんからの事前の相談についても、
 「わるわけない。そんなもの」と退けましたが、その顔からは、それまで浮かべていた
 かすかな笑みが消えていました。
・実際、菅さんは定例会見が終わったあと、通常であればぶら下がりで数分囲んだりする
 ものなのですが、私とバトルをやらかしたあとは、イライラして「今日はぶら下がりな
 し!」と言って通り過ぎてしまうこともあったようです。
・一方で、安倍前首相はじめ官邸サイドに食い込んでいる読売新聞などは、私が記者会見
 でワーワーやっていても、逆に何も文句を言いませんでした。
 定例の記者会見なんて別のどうでもいい、我関せず、という空気がありました。
 別ルートでちゃんと官邸から情報がもらえるんだろうな、という余裕を感じました。
・菅さんが総理就任後に呼びかけた2020年10月の「パンケーキ懇談会」にはびっく
 りしました。
 総理官邸の記者クラブには幹事業務をやる19社があり、社によっては複数人登録して
 いるので、当時は58人の番記者がいました。
 菅さんは、その全員と会いたいと言ってきたそうです。
 これに対して、「菅さんってすごい、自分たち一人ひとりの顔を覚えようとしてくれる
 んだ」と、感動した記者もいたようです。
・しかし、パンケーキ懇談会の2日前、首相が学術会議の会員候補のうち6名の任命を拒
 否した問題が出てきました。
 ところが、これについてはぶら下がり会見もほとんどやらず、
 「法律に基づいて適切にやってます」
 などと話しながら去っていくような状態でした。
 「杉田和博」官房副長官が6名の除外に関与したと言っていますが、最終的には首相が
 任命権を持っているのですから、説明責任を果たさないのはおかしいです。
 
信念を語る政治家はなぜ自民党から消えたのか小沢一郎
・コロナ禍でのオリンピック開催という不運が安倍・菅政権を直撃したというより、自分
 たちがオリンピックにしがみついたというべきでしょうね。
 コロナ対応を真っ先に徹底してやります、だからオリンピックは8年後に回してほしい
 とか、当初、いくらでも打ち出せる方策はあったはずなんです。
・何よりもまず、全員無料でPCR検査をすべきでした。
 地方公共団体や労働組合、産業別団体などの組織を動員すれば可能だったはずです。
 そこで、重症の人と重症でないけれど陽性の人を、それぞれ隔離すればよかった。
・それが、オリンピックありきで検査を増やそうとしませんでした。
 オリンピック利権を優先したために、決断を下せなかった。
 こういった無責任体質は何もこのオリンピックだけではありません。
 そして、責任を取りたくないから誰も何も決めない。
 このところの政治はずっとそうでしょう。
・全会一致をよしとするのは、聖徳太子以来の日本の民主主義のスタイルでもあります。
 この全会一致の文化は、平穏無事な時には、誰も傷つかない、とてもいい手法です。
 しかし、何かことが起きたときには、きちんとビジョンを示して誰かが責任をもって決
 めなければならないのですが、この全会一致スタイルでは、そうした意思決定が非常に
 難しくなる。
 戦前の戦争がそうでしょう。
 誰が決めたというわけでもなく、なんとなく仕方がない、仕方がないといって止められ
 なくなっていきました。
・国民のいい加減さも露呈しました。
 過半数がオリンピック開催に反対していたのに、いざ始まったら、メダルがどうだとか、
 やってよかっただとか、すっかり浮かれているのだから話になりません。
 自分自身の価値判断の基準はどこにあるのでしょうか。
 その時その時の状況に流されて情緒的になってしまう。
 とても危ういと思います。
・ずっと同じような無責任体質が続いてきたと思います。
 とはいえ、かつては古きよき時代、右肩上がりの高度成長の時代でしたから、多少いい
 加減にやっていてもボロが出ないで済んだというだけです。
・税収を右肩上がり、高齢化も緩やかで、外交政策においても、冷戦構造のなかでアメリ
 カの庇護の下、順調にやっていけましたから、多少の矛盾や失敗も表面化せずに済みま
 した。
 所得は上がるし経済は拡大する。
 だから、政治家がしょうらいのビジョンだの青写真だのを示さなくてもなんとかなって
 きたのです。
・ところが冷戦が終わって独り立ちを求められたとたん、さまざまな矛盾が一気に表面化
 してきて、内政外交ともに行き詰ってしまった。
 その果てが、コロナ禍における無策ぶりだと言っていいでしょう。
・そもそも本来、政治の役目というのは、国民生活、命を守りことでしょう。
 東京にいる人だろうが、どこの地方に暮らす人だろうが、誰であっても一定レベルの生
 活を守っていけるようにすること。
 その意味では、日本のかつての政治理念は、公平平等に主眼を置いていたんです。
・ところが、これが一気に変質してしまったのが小泉政権以降でした。
 自由競争第一、市場原理第一、優勝劣敗という新自由主義的な考え方が蔓延し、強いも
 のが勝ち残ればいい、となってしまいました。
・国際競争力のある強い企業や生産性の高い産業が伸びていけば、そこの儲けの一部が国
 民にも滴り落ちてくるだろうという理論で、それまでの政治の哲学をひっくり返してし
 まいした。
 ところが、そんなしずくは一向に滴り落ちることがなく、企業が大幅に内部留保を増や
 しただけでした。
・でも、この新自由主義の勢いは止まらなかった。
 すべてが競争第一のなかで進んでいき、非正規雇用が一気に増加して雇用が不安定化し
 てしまいました。
・さらに、少子高齢化は大変だ、財政規律を重んじなければいけない、という掛け声とと
 ももに、増税などで国民の負担は増える一方、給付は削られた。
 企業も生産性の低いところはどんどん倒れています。
 競争力の強い企業だけが優遇されて史上空前の利益を上げている一方で、国民所得はど
 んどん減少していった。
 みるみるうちに格差が拡大し、きわめてアンフェアな社会になってしまいました。
・実際に、日本の貧困率は非常に高くなっています。
 さらに深刻なのは、貧困状態にある人たちが、自分たちは貧困であるという意識を持っ
 ていないため、問題を認識していないことです。
 あるいは、口では不平不満を言うのだけれども、選挙行動では自民党に入れてしまうと
 いう消極的な現状追認。
 あるいは投票にすら足を運ばない。
 これでは民主主義は成り立たないのです。
・日本国家に金がないなんていうのは嘘なんです。
 財務省を筆頭に「財政規律」ということを言い続けるものだから、世の中は、そのこと
 だけが頭にインプットされてしまって、とにかく日本の財政は危ない、金がないのだと
 思い込んでいます。
・日銀をみてください。
 今もまだ何十兆円もの規模でジャブジャブと市場にお金を流しているでしょう。
 お金がないなんていうことはないんです。
 それをどこに流すのかが問題なのです。
・財政赤字を補填するための赤字国債は、財政法上認められていません。
 そのため特例法によって特例国債として発行しています。
 でも、そもそもなぜ赤字国債はダメだということになっているのか。
 それは、戦前、膨らむ軍事費の調達をすべて赤字国債で賄ったことへの反省からきてい
 るわけです。
 軍需産業は再生産をしないから、いっとき軍需景気でよくなったとしても、そこから先
 はありません。
 ところが戦前の日本は、いっときの景気で行け行けドンドンになり、破綻の道を走って
 いくことになりました。
・そういった反省から、赤字国債には一定の制限がかけられているわけです。
 しかし、発行した国際が国内で消化されている限りは経済の崩壊につながることはない
 といわれており、実際に日本の場合、95%近くが国内で保有されています。
 だから暴落して、ハイパーインフレに陥るおそれも、今のところはないのです。
 
・このままいくと、日本の人口は、恐ろしい勢いで減少していきます。
 ところが、自民党にはそれでいいじゃないかという意見がある。
 「小泉進次郎」環境大臣はかつて、「将来に悲観的な1億2千万人の国より、未来に楽
 観的で自信を持つ6千万人の国のほうが強い」などと発言していました。
 僕には、にわかには信じられない発言です。
・ダメになる地方はダメでいいということは、政治を放棄することです。
 今、政治に必要なのは、少子高齢化を克服するための大胆な政策です。
・何かというとみんな「金がない」と言う。そこから抜け出せない。
 ですが、僕は政府を見てみろと言いたいんです。
 政府は財政規律も何もない、いくらでも使っているじゃないか、と。
 使い方を間違っているのが大問題なのです。
 ところが、財務省のマインドコントロールはものすごくきつい。
 ここに縛られてしまうと、本当に必要な政策が大胆に打ち出せなくなってしまうのです。
・今こそ、日本の政治の基本を思い出せと私は言いたい。
 仁徳天皇の逸話にあるように、もっとも優先すべきは「民のかまど」です。 
・しかし、そんな社会を招いてしまったのは、有権者自身なんですよ。
 国民も考えなくてはいけません。
 本来の政治主導というのは、官邸が人事で抑え込んで官僚に言うことを聞かせる、とい
 うようなことを意味しません。 
 国民主導というのが本来の政治主導ですよ。
 それを主権者が忘れてはいけません。
・ところが、こんな状況になってなお、「お上主導」の意識が抜けない人が少なくないで
 しょう。 
 最終的には、「お上」が決めたことに従うしかないんだと思考停止してしまう。
 しかも、その「お上」といって頭に思い浮かべているのは、政治家ではなく官僚です。
 自分たちが選んだ代表ではなく、霞が関のお役人たちが決めてくれるものだと思ってい
 る。
・だから、ズルズルと泥沼にはまり込んでいくと、誰も正すことができないまま、戦前の
 日本のように、いくところまでいってしまうのです。
 厳しいようですが、その責任は主権者たる国民にあります。
 誰かのせいにして逃げていては、民主主義は機能しなくなります。
・安倍・菅政権は、官僚制の打破といって内閣人事局で官僚人事を支配したわけですが、
 人事を直接政治家がいじるのは、あまりいいことではありません。
 もちろん、すべて官僚に任せるというのは政治主導のあるべき形ではありませんから、
 官僚の仕事を厳正にチェックして、おかしな部分を是正することは重要です。 
 しかし、あとは当たり前の人事を当たり前にやっておけばいい話なんです。
・ところが、あいつは俺に盾突くようなことを言ったとか、あいつの発言は気に入らない
 といった感覚で官邸が官僚の人事に手を突っ込んだものだから、秩序も規律も完全に乱
 れてしまいました。 
・2020年10月に表面化した学術会議の任命拒否も大問題です。
 承認された105名の候補者のうち、あえて6名の学者を政府の判断で任命拒否した。
 「総合的、俯瞰的」と言って判断の理由を明確にしていないけれど、要は、あいつの主
 張が気に入らないからダメだということで拒否したわけでしょう。
 その6名の主張が気に食わないからといって、なぜ政府が学問の領域に口を突っ込んだ
 のか。
・このような暴挙を放置していたら、公共の福祉のためだという詭弁を弄して批判者を摘
 発するような事態につながりかねません。
 異論の排除を許したら、民主主義はめちゃくちゃになってしまいます。

・すぐ、小選挙区制度が政治家をダメにしたと短絡的に言う人がいますが、それはものを
 知らなすぎると思います。
 イギリスは、日本でいうなら明治期以降、ずっと小選挙区制度でやってきています。
 国民投票などで改正も検討されましたが、イギリス国民は小選挙区制度の維持を選択し
 ました。
・肝心なのは国民自身の民主主義の成熟度です。
 小選挙区制度が政治家の劣化の原因だなというのは、短絡的にすぎるでしょう。
・多様な議論が自民党から消え失せてしまったのは、政治家本人の資質の問題でしょう。
 選挙において党本部のコントロールが厳しいから、自分の意見が言えないという指摘は
 当たらない。
 なぜなら、党本部に関係なく自分の選挙区では票が取れるという人たちも口をつぐんで
 いるからです。  
 選挙に強い人たちも議論をしようとしなくなっている。
・自分が何をしたいのか。
 そうした語るべき信念がある人は、意見をきちんと言うはずです。
 それは政治家の資質の問題であって、選挙制度の問題ではありません。