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現在の安倍政権は、今までの政権にはみられない、非常に強権的かつ右傾的であるのは、
だれもが実感していることであると思う。しかし、そのような政治的発想は、安倍晋三
人独自のものかといえば、どうもそうではないことがこの本を読んでわかった。
もし、これらの政治的発想が安倍信三独自のものであるならば、それが支持できるものか
否かは別として、それはそれで、「なかなか骨のある政治家」だと思うのだが、しかしそ
れは、安倍信三個人独自の発想ではなく、そのほとんどが、小沢一郎時代に北岡伸一
中平蔵
飯尾潤など当時の新進気鋭の学者たちによってまとめられた「日本改造計画」が
もとになっているようなのだ。つまりは、安倍信三の政治的発想は、そのほとんどは小沢
一郎からのコピー(受け売り)ということだ。その事実を知ると、今の独善的な安倍首相
の振る舞いが、とても滑稽に見えてくる。
それにしても、全有権者のうちわずか16%〜18%程度の投票数の獲得で成立したこの
安倍政権が、特定秘密保護法、集団的自衛権行使容認に伴う安保関連法、原発再稼働、そ
して今回の外国人労働者受け入れを拡大する出入国管理法改定などなど、この国の形を変
えるような重要法案を、国会での十分な議論もせずに、数の力で押し切り次々と成立させ
てきた。そのことがよかったかどうかは、後の世代に評価にゆだねるられることになるだ
ろうが、大きな禍根とならならないことを祈るだけだ。


自由化の果てに
・日本政治の右傾化が指摘されている。とりわけ2012年12月に安倍信三が政権復帰
 して以来、その復古主義的な政治信念からに品の軍国主義化を懸念する声さえもあがる
 ようになった。過去がそのまま繰り返されるかのように案じるは単純すぎる面もあるだ
 ろう。しかし、歴史修正主義的な政治家が今や自由民主党の主流をなし、他党のなかに
 も多数見られるようになった事実は無視できない。
・他方で、日本はようやく「普通の国」へと向かう道のりを歩み出しだだけで、小泉純一
 郎や安倍が進めてきた一連の改革や政策変化は、むしろ遅ればせながらの「近代化」や
 「アップデート」にすぎないという主張もある。
・右傾化が小泉や安倍の登場で突然に始まったものとは考えないし、安倍の退場によって
 終わるものとも考えない。そのプロセスは過去30年ほどの長いタイムスパンで、展開
 してきたものである。一つには、現代日本における右傾化は政治主導(より正確にいえ
 ば、政治エリート主導)であって、社会主導ではないということである。近年になって
 右傾化を示すような指標が日本社会においても部分的に見られるようになったが、総じ
 て政界における右傾化のほうが時期も早く、振幅も大きい。一般世論がまず右に傾き、
 それを後追いして政治家や政党が右傾化したわけではない。
・憲法や教育、治安など国家と個人の関係や社会秩序をめぐる問題でも、個人の権利や自
 由が制限され、代わりに国家の権威や権限が拡張されるようになっている。外交安全保
 障政策においても、日米安保に基軸を置きつつも専守防衛に徹する平和主義と、中国や
 韓国を中心としたアジア近隣諸国との和解を志向する従来の立ち位置からの逸脱が進み、 
 歴史修正主義の主流化と海外で戦争に参加できる国への変化が起きている。
・新右派転換によって政治座標軸が右にシフトする傾向は日本に限ったことではなく、過
 去30年ほどの世界的な潮流といえることである。右傾化現象は日本だけで起きている
 のではない。 
・英国のサッチャーを例にとろう。彼女は、ケインズ主義の経済政策やベヴァリッジ報告
 を土台とした社会保障政策における戦後イギリスの「コンセンサス政治」が、人びとの
 自立心や進取の精神を奪い、道徳の頽廃と国力の頽廃を招いたとした。そして、ときに
 はフォークランド紛争や炭坑労働者ストライキ弾圧のように、軍事力や警察力を総動員
 してまで「国内外の敵」と対峙し、国営企業の民営化、ロンドン証券取引所によるビッ
 クバンなどの規制緩和、人頭税の導入などを行なったのであった。
・概して、選挙制度として小選挙区制を用いる英米によってグローバルな新右派転換は牽
 引されてきたといって間違いではない。比例代表制にもとづくヨーロッパ大陸諸国での
 右傾化現象は、相当に異なる様相を呈している。しかし選挙制度のもたらす相違は、日
 本において小選挙区制の導入が果たした役割を考えるうえで重要な論点である。
・新右派連合そのものも時を経て変容してきているが、大きく捉えて「新自由主義(ネオ
 リベラリズム)」と「国家主義(ナショナリズム)」の組み合わせによって形成されて
 いるといって差し支えないだろう。
・新自由主義は、端的にいえば、個人や企業の経済活動の自由を掲げ、そのために政府や
 社会、労働組合などによる介入や制約を排した自由市場や自由貿易を推奨した、いわゆ
 る「小さな政府」論である。 
・公共セクターの縮小や公共支出の削減、それに伴う中央政府から地方自治体、企業、家
 族や個人への権限や責任の委譲だけが、新自由主義的な政治改革や行政改革なのではな
 い。日本の便脈ではしばしば婉曲的に「内閣機能の強化」と呼ばれてきたが、ようは総
 理大臣と内閣官房(いわゆる首相官邸)への権力集中もまた極めて重要である。イギリ
 スにおいてもサッチャー以来、「自由経済」とともに「強い国家」を実現すべく、首相
 府への権力集中と首相の「大統領化」が進められてきた。
・国家から企業経済や地域社会などへの「分権」を標榜する新自由主義が、逆に国家機構
 のなかでは「集権」を推進する。その理由は、一つには、行政府の長へと権力を集中し
 ないことには、いわゆる既得権益や合意形成型の政策過程に切り込むことができないか
 らである。新自由主義改革には、国家がそれまで責任を負っていた分野から撤退し、
 「自己責任」を課す意味合いもあるゆえに、「抵抗勢力」が立ちはだかるのであり、そ
 の壁を突破できるだけの権力の集中を必然的に呼び込むことになるのである。
・もう一つは、そもそも新自由主義思想が、企業や市場による意思決定や資源配分の優越
 性を前提にしているからだ。企業が自由に経済活動できる市場を拡大しようとする以上、
 政治はその活動領域を狭められるだけでなく、企業や市場をモデルとして再構築されて
 しまう。「民間ではありえない」という公務員バッシングの常套句に表れているように、
 政府や政党、学校や医療機関なども含めた公共セクター全般も「企業のように経営され
 てしかるべき」であるという考えが広められた。無論このとき想起されている企業ガバ
 ナンスはたぶんに理想化されたものであるのが、こうして行政府の長が次第に違和感な
 く「最高経営責任者(CEO)になぞらえられるようになっていくなかで、民主統治の
 あるべき姿も変わり、首相への権力集中が進んでいった。
・「自由経済」を標榜する新自由主義と対になって新右派連合を形成したのは、「強い国
 家」を志向する国家主義であった。これは「改革」実現のためのトップダウン型の強権
 的な政権のあり方を追求するにとどまらず、市民社会に対しても国際関係においても、
 国家の権威を強めようとする保守反動勢力の「失地回復」運動でもあった。
・「日本を取り戻す」という2012年衆議院議員選挙での安倍自民党のスローガンが如
 実に表しているように、彼ら新世代の保守統治エリートたちには、未だ回復されざる
 「失地」が存在した。それは大きく二つに分類することができるが、ともにアジア太平
 洋戦争における大日本帝国の敗北の帰結として甘受せざるを得なかった「戦後レジーム」
 に起源を持つ。だからこそ、そこからの「脱却」が至上命題に掲げられたのである。
・一つ目はむろん憲法改正、すなわち「自主憲法」の制定である。長らく九条に標準を合
 わせた改憲論は、近年では西洋近代の立憲主義そのものに対する攻撃と化しつつある。
 新右派転換の過程で、日米安全保障体制や「国際貢献」を梃子に、憲法九条の制約を段
 階的に外し、防衛力強化、国債平和維持活動(PKO)参加、「非戦闘地域」への自衛
 隊派遣、集団的自衛権の行使容認と「普通の国」を目指した歩みが展開されてきた。こ
 うした動きは、対外的なものにとどまらず、国内においても国民の権利や自由を制限し
 た「戦争ができる国」へと向けた有事法制(武力攻撃事態法や国民保護法など)や治安
 立法(通信傍受法や特定秘密保護法)の整備おも伴った。
・北朝鮮による拉致被害、ミサイル発射実験、核開発などの問題や、あるいは中国や韓国
 などとの間に存在する尖閣諸島や竹島などの領土問題が、国民感情をナショナリズムの
 方向へと誘導するための象徴的事例として果たした役割は無視できない。現に国家主義
 イデオローグや安倍たちは、憲法のせいで拉致問題が起き、また拉致問題の解決のため
 には憲法改正が不可欠との主張を繰り返している。
・二つ目は歴史認識や歴史・道徳教育に関わる問題である。新右派転換が進捗するにつれ、
 抽象的なレベルで愛国心の涵養を訴えたり、「日本固有の」伝統や文化の尊重を謳った
 りするにとどまらず、実際に教育基本法が改正され、教育現場においても君が代や日の
 丸の強制が進められた。 
・また、「皇国日本」が近代化の過程で戦ったすべての戦争を自存自衛すなわち平和のた
 めの戦争と正当化する靖国史観を中核とした歴史修正主義が影響力を強めた。これによ
 り、教科書問題、靖国問題、「慰安婦」問題などが、国内論争の火種としてくすぶりつ
 づけるだけでなく、重大な国際問題へと発展していくのであった。
・儒教的道徳観に支えられた家族国家観もまた政治的な影響力を強めてきた。国民たるも
 の国家に忠誠を誓うのみならず、自ら進んで国家の意思を斟酌し追求すべきである、と
 いう教育勅語の教える「国民道徳」であった。それは、近代国家とそれに尽くす国民の
 創成を通じて前近代的な価値秩序を維持しようとした元祖・保守改革としての日本の近
 代化を下支えした、国家保守主義思想そのものであるといえる。
・新自由主義的改革の最大の受益者であり、それゆえに最も強力な推進者であるのは、グ
 ローバル企業エリートたちである。他方、国家主義的アジェンダの進展により、その権
 力の掌握をさらに強固なものにするのは、いうまでもなく保守統治エリートたち、すな
 わち世襲政治家や高級官僚たちである。
・保守統治エリートが権力を集中させるためには、戦後民主主義を担ってきた政治勢力や
 制度が邪魔となる。そして戦後民主主義を下支えしてきたのは、労働組合やその支持を
 受けた政党であり、またこれら革新勢力との階級間妥協を通じて権力を安定的に維持す
 ることを選択した55年体制における「保守本流」すなわち「旧右派」連合であった。
・こうして共通の敵を有するグローバル企業エリートと保守統治エリートの間には、利害
 の合致だけでなく、階級利益を追求する権力闘争におけるダイナックな相互補完性が見
 られる。
・新自由主義が欲望や情念を煽る「消費」文化を礼賛するかたわら、国家主義が「国民」
 とその道徳を説き、「行きすぎた」自由や個人主義をいさめ、はたまた他国との緊張関
 係を利用してナショナリズムを焚きつけて、トランスナショナルなパワーエリートと一
 般市民の間に開くばかりの階級格差から注意を逸らす、というマッチポップ的な共犯関
 係である。
・理念的な親和性と利害の合致を支えられている以上、新自由主義と国家主義は表面上の
 矛盾にもかかわらず、かえってこのように政治的には強固は補完性を示すのである。グ
 ローバル化で生活が苦しくなった一部の中小企業経営者や労働者が、ナショナリズム言
 説に誘惑される一方で、逆にまた、靖国参拝や歴史修正主義に眉をひそめる中間層が構
 造改革路線やアベノミクスへの期待から小泉や安倍を支持し続けるという現象が起きる
 のである。
・自由主義的な国際協調志向は単なるレトリックへと堕し、歴史修正主義に導かれる復古
 主義的な国家主義が前面に躍り出る一方で、自由市場や自由貿易を看板にしているはず
 の新自由主義も、事実上、「企業主義」ともいうべき偏りを覆い隠そうともせず、ひた
 すらグローバル企業の「自由」の最大化すなわち寡頭(少数派)支配の強化を追求する
 ものへと変質していった。

55年体制とは何だったのか
・東京オリンピック直後の1965年にそれまで維持してきた均衡財政が崩れて初めて国
 債が発行され、その後1975年から本格的な赤字国債の発行が始まる。その結果、税
 収を上回る歳出を国債の発行によってまかなう財政赤字体質が深刻化していったのであ
 る。こうして十分な税収をあげられないまま公共支出の増大が進むという状態が、旧右
 派連合のいわば持病として浮かび上がってきた。言い換えれば、消費税などの大型間接
 税の導入を含めた税制改革と公共支出の削減・見直しという二つの連動する課題への対
 処が旧右派連合の前に立ちはだかったのであった。
 
冷戦の終わり
・冷戦構造のなか戦後多くの西側諸国において、ともに国民政党たることを志向する中道
 右派と中道左派の政治勢力が一定のコンセンサスにもとづいた政治を展開していたわけ
 だが、階級対立の緩和を通じて国民統合を優先する政治は、社会に安定をもたらし、貧
 富の差の拡大を食い止める傾向があった。その一方で、一つには、どちらの政党が勝っ
 ても政策的に大差はなく、有権者にとって選挙を通じた政策選択の幅が狭いという不満、
 またもう一つには、公共セクターの拡大によって民業が圧迫され、市場競争を通じた消
 費者の選択の自由が不十分になっているという批判にさらされるところとなった。
・日本の場合アメリカとの安保条約を中心とした外交関係がもっとも重要であること、そ
 してまた実際国際社会におけるアメリカの発言力が強大であることから、国際協調は対
 米協調と少なからず重なるところがあり、しばしば同義にさえ理解されるが、アメリカ
 自体がしばしば単独行動主義や孤立主義に陥るように、実は必ずしも国際協調を体現し
 ているわけではない。
・新右派転換を日本に導き入れたのは、中曽根康弘であった。中曽根の「国際性」には、
 ナショナリズムの復権という意味が込められていた。中曽根の国家主義は国際協調主義
 に昇華し霧消するようなものではなく、むしろ日本が国際社会に貢献するために九条を
 中心とした憲法改正や自主防衛の強化が必要であるという論法に見られるように、その
 復権こそが求められると主張するものであった。
・中曽根個人本来の国家主義はたぶんに復古調の反動的なものである。そうした側面が、
 首相となってからも靖国公式参拝や教育改革への執念にかいま見られた。中曽根の本音
 は、戦前の「修身」を評価し、戦後定められた教育基本法について「平和とか人権、民
 主主義、そういう要素がちりばめられていて、世界的に見て類例がないほどいいこと尽
 くめが書いてあります。しかしながら、自分の国の伝統とか文化、共同体、国とか国家、
 責任義務、そうした縦を貫く背骨はほとんどもっていないのです」と嘆くところにあっ
 た。 
・靖国問題については、戦後首相として初めて1985年8月15日に公式参拝を行なっ
 たが、中国の反発を招いた結果、「我が国が平和国家として、国際社会の平和と繁栄の
 ためにいよいよ思い責務を担うべき立場にあることを考えれば、国際関係を重視し、近
 隣諸国の国民感情にも適切に配慮しなければならない」として以降の参拝を取りやめた。
・中曽根が首相に就任して最初の訪米時に「日米両国は太平洋はさむ運命共同体」と発言
 し、さらに日本を「不沈空母」になぞらえて物議を醸した際、それはソ連の爆撃機が日
 本の上空を飛行するのを阻止できるようになるまで日本の防衛力を増強する、という意
 気込みを語ったのであった。
・中曽根行革といえば、やはりその最大の目玉となったのは、国鉄(現JR)の分割・民
 営化である。「我田引鉄」と批判された恩顧主義的な政治介入の状態化などに起因する
 国鉄の慢性的な赤字体質は、まさに旧右派連合の政治の「負の遺産」を象徴しており、
 その改革過程は新自由主義改革の代表的な事例といえる。
・新自由主義改革の政治手法と並んで、以後の新右派転換の展開に大きな影響を残したが、
 国鉄改革が与えた労働運動への打撃である。国鉄における最大の労働組合は国労であっ
 たが、その国労は自治労、日教組と並んで総評のもっとも主要は労組であり、また社会
 党左派と結びつきが強く、平和運動などの政治闘争にもっとも積極的に参加してきた労
 組でもあった。つまり保守政権と敵対し、結果的に外からタガをはめる役割を担ってき
 た革新勢力の土台を構成するともいえる存在だったのである。しかし、国鉄の分割・民
 営化への反対を貫くなかで国労の組合員数は激減、その影響力は見る影もなくなった。
・中曽根政権による国鉄や電電公社(現NTT)の民営化が、労働組合の弱体化を中心的
 な目的としていたとまではいえないが、これを一つの契機に革新勢力の実働部隊を成し
 ていた官公労の力は大きくそがれ、社会党の足腰が一気に脆弱化し、革新勢力の土台か
 らの崩壊を準備したことは間違いない。
・中曽根が新右派転換を始めていたまさにそのとき、その舞台裏を仕切り続ける旧右派連
 合の政治に食い込むために、情報産業の旗手であったリクルート社の創業者・江副がな
 りふりかまわず大盤振る舞いした結果、中曽根政権の中枢を占めた自民党の主要政治家
 ほとんど全員が未公開株の譲渡を受けていたことが発覚し、さらにはトップ官僚や野党
 幹部、中曽根ブレーン学者らにまで広がった一大スキャンダルとなったのである。この
 事件で、民営化されたばかりのNTTの真藤会長や取締役らが逮捕(のちに有罪判決)
 されたこともまた、中曽根行革の一つの重要な側面を象徴的に暴きだしていた。それは
 民営化実現のための権力闘争に勝ち抜くには政界工作が不可欠であり、真藤がウラの政
 治資金を必要としていたということであった。
・小沢の新右派転換ビジョンをまとめたものといえば「日本改造計画」である。日本を
 「普通の国」に改造しようというその発想は、まさに湾岸戦争時の「国際貢献」論を皮
 切りに軍事面へと転化しはじめた国際協調主義の一つの到達点といえた。それは政治経
 済の新自由主義化を強く唱えるものであった。実際の執筆には、北岡伸一、竹中平蔵、
 飯尾潤など当時新進気鋭の学者らがあたっており、小沢個人の栄枯盛衰を超えて、小泉
 や安倍に至るまで以後の新右派転換プロセスを大きく規定していった。
・社会への同調圧力が強く、個人の自由や責任が尊重されない「同質社会」の「過剰なコ
 ンセンサス」を求める「何も決められない政治」を「日本型民主主義」とした小沢の批
 判は、次のような時代認識にもとづいていた。
 ・日本型民主主義では内外の変化に対応できなくなった。
 ・いまさら鎖国はできない以上、政治、経済、社会のあり方や国民の意識を変革し、世
  界に通用するものにしなければならない。
 ・冷戦構造の時代のように、自国の経済発展のみに腐心してはいられなくなった。政治
  は、経済発展のもたらした財の分け前だけを考えていればよい時代ではない。世界全
  体の経済や平和を視野に入れながら、激変する事態に機敏に対応しなければならない。
  世界の経済超大国になってしまったわが国の責任は、日本人が考えている以上に大き
  い。
 ・日本社会そのものが国際社会化しつつある。多くの日本人が国際社会に進出し、多く
  の外国人が日本社会に入って来ている。もはや、日本社会は、日本型民主主義の前提
  である同質社会ではなくなりつつある。
・強い政治リーダーシップを打ち立てるために小選挙区制の導入や首相官邸機能の強化・
 官庁における政治家主導などを柱とした政治改革および行政改革を小沢は提唱した。経
 済面においても「日本は素晴らしい国である」「自分たちの国を日本のようにしたい」
 と世界の羨望の的にしないと日本は国際社会でリーダーシップを発揮できないと主張し
 た。
 ・国民を守っている行政制度や諸々の規制にしても、どれだけ国民のためになっている
  だろうか。かつてはともかく、今日の社会では非常に疑わしいといわざるをえない。
 ・海外から見ると、終身雇用制や年功賃金制は、人びとを企業に縛り付ける道具にすぎ
  ないと映ってしまう。協調的で長期的な関係を重視する経済や社会の仕組みは、第三
  者である海外の企業や個人には、入り込み難い社会でしかない。かつては素晴らしい
  と思えたシステムが、時代の変化とともにその欠陥ばかりが目立つようになってきた
  のである。 
・外交安全保障分野においては、「アメリカとの共同歩調こそ、日本が世界平和に貢献す
 るための最も合理的かつ効率的な方策なのである」とし、従来の「専守防衛戦略」から
 「平和創出戦略」へと転換することを提唱した。当時アメリカに次ぐ世界第二位の経済
 大国であった日本の役割は「国連を中心としたアメリカの平和維持活動に積極的に協力」
 することとの考えにもとづき、「国連待機軍」の創設を主張したのであった。
・小沢は、自民党「国際社会における日本の役割に関する特別調査会」に会長に就任、政
 権与党内の国際貢献のあり方をめぐる議論をリードした。憲法の前文には「国際社会と
 強調し、世界の平和秩序維持と世界経済の繁栄のために努力する」という「積極的・能
 動的平和主義」の理念を謳ったものであるとの議論が展開された。
・したがって現行憲法においても「国際協調の下で行われる国際平和の維持・回復のため
 の実力行使は否定すべきものとは考えられない」と論じ、こうして憲法九条に新たな解
 釈をほどこせば、国連が国際社会の平和秩序の維持のために、実力行使も含めた措置を
 担保する集団的安全保障の枠内での国連軍への日本の参加が可能になるのではないか、 
 というのが小沢調査会の主張であった。
・従来の「消極的平和主義」ないし「一国平和主義」を独善と糾弾し、民主的に選ばれた
 政治家が主導して憲法解釈を変更し、「積極的平和主義」に転じることこそ日本国憲法
 の前文が掲げる国際協調主義である、というロジックを最初に提示したのは小沢だった
 のである。 
・なお。このとき小沢の「日本改造計画」のゴーストライターとして外交安全保障箇所を
 担当し、そこでは小沢の国連中心主義に沿った論考を示した北岡が、国連は万能ではな
 いので集団安全保障の議論だけではもの足りず、集団的自衛権や日米安全条約にももっ
 と踏み込むべきだったという趣旨のコメントを寄せていたのは興味深い。北岡は、のち
 に安倍信三のブレーンとして集団的自衛権の行使を容認する解釈改憲を引っぱっていく
 ことになる。
・日本のあるべき国際貢献のかたちが外交安全保障分野で焦点となり、内政面でそれを下
 支えするにはどのような政治改革や行政改革が必要なのか、活発な議論と激しい政争が
 展開された。そのなかで小沢は間違いなく「最右翼」、もっとも有力であり、またもっ
 ともタカ派の位置、を占めていた。その国際協調・国連中心主義の中核には、明らかに
 国力や国権の強化、国威の発揚を追求する、ある種の国家主義(ナショナリズム)があ
 り、国連軍への参加構想などはついぞ実現しなかったものの、平和維持活動を手始めに
 自衛隊の海外派遣が進められていく端緒を開いた。国内的には、首相への集権による政
 治リーダーシップの強化を訴え、そのための小選挙区制導入を推進したのである。 
・政治改革の論議にしても、選挙制度改革ありきではなく政治資金規正の強化こそが重要
 という声も少なからず聞かれ、また選挙制度を改革するにしても、穏健な多党制を志向
 する立場から小選挙区比例代表併用制や中選挙区連記制なども提案、検討されていたの
 であった。しかしながら結果的には、流動的な連立政治でのかけひきを小沢が制し、党
 内でさえ異論の少なくなかった自民党案に大幅に譲歩するかたちで小選挙区比例代表並
 立制が1994年に与野党で合意され、政治改革四法が成立したのであった。
・新右派転換の流れのなかで考察したとき一番重要なのは、保守本流の小渕派が担った政
 権であったにもかかわらず、民主党にくさびを打ち込み、公明党を呼び込むために不可
 欠であった自由党をつなぎ止めるために、周辺事態法を含めた新ガイドライン関連法、
 通信傍受法(盗聴法)を中心とした組織的犯罪対策三法、国旗、国歌法などを次々と成
 立させたことであった。
・小渕はまた橋本から引き継ぐかたちで、労働者派遣法を改正し、派遣労働の非対象業務
 を限定列挙するネガティブリスト方式に改め原則自由化した。人材ビジネスや財界主導
 の雇用柔軟化、非正規化が本格的に始まったのである。  
・しかしひたすら自民党の補完勢力に徹して政権の旨味にありつこうという公明党と、自
 民党を壊そうとばかりに次々と難しい「改革」要求を突きつけてくる自由党の双方との
 連立には無理があった。小沢が連立離脱を切り札に再三ゆさぶりをかけてくるなかで、
 ついに「真空総理」は破裂したかのように病に倒れて死去、自公を中心とした新しい連
 立枠組みで森が五人組(青木官房長官、森幹事長、野中幹事長代理、亀井政調会長、村
 上参議院議員会長)による密室協議の結果公認と決まった。
・宏池会では宮澤の後を河野と加藤紘一が争い分裂、寡頭が宏池会会長に就いたが政権枠
 組みの転換にはじき出され、森政権の混迷のなか2000年11月に「加藤の乱」に失
 敗し、名門派閥の無残な分裂に至ってしまった。何よりも決定的だったのは、かつて自
 社さ時代に加藤とタッグを組んだ野中が、橋本、小渕、森と政権がつづくなかで自自公
 の担い手となり「影の総理」と呼ばれるまでの力をつけていたのが、今度は幹事長とし
 て聖和会(森派)会長の小泉とともに森総理を守り、加藤の乱を完膚なきまでに鎮圧し
 たことであった。

「自由」「民主」の危機
・不人気を極めた森義朗が辞意を表明し総裁選が行われると、森派会長として政権を支え
 ていた小泉がメディア旋風を巻き起こし、橋本、麻生太郎、亀井静香を破って当選した。
 80%にも達した内閣不支持率が、一夜にして支持率約80%へと反転するほどに無党
 派層の態度に急激な変化が見られたのである。
・これには二つの伏線があった。一つめは、反面教師としての森とその選出方法である。
 五人組による密室の談合という、ソ連のクレムリンまがいの非民主的で不透明なプロセ
 スのもとで首相として選出されたことにより、森政権には最後まで民主的正当性の点で
 疑問がつきまとった。内閣支持率が一桁にまで落ち込み、保守本流に人財が払底したな
 か、自民党が起死回生に人気浮揚策として、最大限に視聴者参加型の幻想を振りまく仕
 掛けで総選挙を実施したのであった。 
・もう一つは、メディア化されたポピュリズム政治の失敗した先例としての「加藤の乱」
 であった。その結果、政治腐敗のイメージのつきまとう旧竹下派支配が続いたうえに、
 経済失政で退陣したばかりの橋本が派閥の力を背景に再登板するかに見えたなかで、本
 当はつい先ほどまで森政権を支えていた小泉が突如「改革の旗手」としてクローズアッ
 プされた、「加藤の乱」の失敗で行き場を失っていた「民意」のマグマが小泉にはけ口
 を見出したかのようであった。むろん、ロゴス(理性)よりパトス(情念)に訴えるパ
 フォーマーとしての小泉の天性の才能がそこにはあった。もともと「政策は支持しない」
 とうそぶきながら清和会の留守を預かる長として森政権を守りつづけていたのが、舌の
 根も乾かぬうちに改革者として絶賛を浴びるというように、小泉には、論理破綻を飾ら
 ぬ本音に見せかけ支持に換える、独特の「明るいシニシズム」があったのである。
・中曽根の臨調以来、三次にわたる行革審、そして橋本の行政改革会議などにおいて、し
 ばしばNHK、日本経済新聞、読売新聞など報道機関のトップ級が委員として政策過程
 に参加するようになっており、総じてマスコミは「改革派=善玉」「抵抗勢力=悪玉」
 の二元論を含意する報道を行うようになっていた。ましてや小泉の総裁選での勝利は、
 マスコミが小泉の改革派イメージを盛りたてて派閥の陸額を打破して達成されたのであ
 り、小泉はメディアとりわけテレビがつくり上げた総理の要素があった。
・従来の中選挙区制では、自民党から異なる派閥に後押しされた複数の候補が競い合って
 いたがゆえに党としてのまとまりが欠き、政党間の政策ベースではなく個々の政治家に
 よる利益誘導ベースの選挙となる傾向があったわけだが、同時にそのことが自民党内に
 言っての多様性を生み、議論を活性化させていた側面があった。 
・しかし小選挙区制では自民党の公認候補は一人に絞られることになり、派閥の力が弱体
 化し、代わりに党中央の総裁・幹事長が公認と政治資金について強大な裁量権を手にす
 るようになったのである。
・小泉はまた政権当初の絶大な人気を背景に、派閥の領袖への相談もなく、各派の次世代
 クラスを直接登用し競わせることにより、首相の求心力を高め、派閥をさらに弱体化す
 ることに成功した。なお、こうして小泉に取り立てられた中堅若手のほとんどが、歴史
 修正主義者を数多く含む国家主義的傾向の強い政治家たちであったことも見落とせない。
・小泉はさらに、小渕がネガティブリスト化した派遣労働の規制をいっそう緩和し、製造
 業でも解禁に踏み込んだ。この結果、1985年では16%だった非正規雇用の割合が、
 2005年までには倍の33%にまで悪化した。こうして、小泉政権期とほぼ重なる
 2002年から2008年の間73カ月に及ぶ戦後最長の好景気となり、2006年に
 企業は当時の過去最高益を記録したが、労働者の賃金が上がることはなかったのであっ
 た。
・トップダウンで「抵抗勢力」を追い詰める改革の旗手としての小泉の人気浮揚効果のほ
 うが、改革の実質的な成果以上に明確に表れたといえた。その究極が2005年の「郵
 政解散」であった。小泉劇場のクライマックスとなったこの選挙において、小泉が郵政
 民営化を単一争点とする「女性刺客」対「抵抗勢力」の構図でメディアジャックするこ
 とに成功し、公明党をくわえた連立与党で3分の2を超え、自民党単独でも300議席
 に迫る圧勝に導いた。小選挙区制では自公合わせて49%の票で75%の議席を得ると
 いう、多数派ならぬ「少数派支配」装置としての小選挙区制の効果がフルに発揮された
 結果であった。
・小泉はこの総選挙を郵政民営化についての国民投票と言い切っていたが、賛成は自公の
 候補のみで他はすべての政党が反対であったことを考えると、現実には国民投票であっ
 たならば否決に終わっているところが、実際には総選挙での圧勝だったわけである。
・国内で進行する格差社会の現実から国民の目を逸らすもう一つのトリックとして作用し
 たのが、小泉の靖国参拝で煽られた国家主義や対中感情の悪化であった。もともと小泉
 には首相就任以前(あるいは以後)に靖国参拝にこだわった形跡があるわけではない。 
 国家主義者である亀井と連携するために突如「公約」として毎年8月15日に必ず参拝
 すると言い放ったのが始まりであった。
・実際、小泉は議員や大臣としてのキャリアのなかで外交安全保障についてこれといった
 強い関心を持っていたとはいえず、首相となるまで靖国問題がどれほどまでに中国や韓
 国の反発を招くのか十分に理解していなかったかに見える。参拝は「心の問題」でとや
 かくいわれる筋合いはないと開き直った小泉であったが、その心情はむしろ浅薄なもの
 であった。小泉政権おいて北東アジア外交が戦略性を欠いた行き当たりばったりのもの
 であったことを覆い隠せるものではない。
・田中角栄や大平など旧右派連合のリーダーたちが推し進めてきたアジアとの和解、そし
 てさらに中曽根以降の新右派連合のリーダーたちでさえ掲げてきた国際協調主義の一環
 としての歴史問題への取り組みを「ぶっ壊す」ことは、保守本流の系譜の穏健派を分担
 あるいはパージし、清和会など保守傍流に多い復古主義的な国家主義者たちを一翼とし
 て自民党内の新右派連合を再構成するには絶大な効果があったのである。郵政民営化に
 おいて最終的に小泉は亀井や平沼らと決裂したが、竹中らの構造改革路線をアメリカな
 どの多国籍企業に国富を売り渡すものと嫌悪する国家主義者たちも、靖国参拝について
 は小泉に喝采せざるを得なかったのであった。
・石原都政下にあった東京都においては、2003年7月に養護学校での性教育に対して
 一部都議が政治介入する事件が起きたが、さらに10月、式典などでの日の丸掲揚と君
 が代起立・斉唱を都立学校教職員に義務化する通達が出され、多くの教員らが処分を受
 ける事態となっていった。
・安倍の急速な出世は、北朝鮮によるらち被害問題の展開とも切り離すことができない。
 冷戦期に社会的反響の希薄だった拉致問題が急速に注目を浴び始めるのは、北東アジア
 情勢が流動的になった1997年頃からのことで、とりわけ2002年9月の小泉電撃
 訪朝と日朝平壌宣言以降、「特に朝鮮半島や中国に対しては、常に加害者としての内省
 を迫られ続けていた日本が、戦後初めて「被害者」の立場となったことに勢いを得た、
 どこか鬱屈感と歪みを伴った「反北朝鮮ナショナリズム」が燃え盛り、対北朝鮮強硬派
 として成らした安倍の人気はうなぎ上りとなったのであった。
・こうして徹頭徹尾「被害者意識」に裏打ちされた安倍やその盟友たちポスト冷戦新世代
 の復古的国家主義は、皇国日本が近代化する過程で戦ったすべての戦争は(国を安んず
 る)ため(安国/靖国)すなわち平和のため、自存自衛のための戦争であったとする
 「靖国史観」の「被害者意識」と完全な一致を見たわけである。 
・安倍の祖父・岸信介は、学生時代に北一輝の国家社会主義の影響を受け、戦前、商工省
 の革新官僚として統制経済を指揮し、満州国経営にあたった。戦後もまた、公職追放解
 除直後に社会主義者らとの連携を模索し、右派社会党への入党を打診したほどであり、
 保守合同路線に転じてからも当面は憲法改正や防衛力増強よりも、「計画性」の枠内で
 の「自由競争」、「福祉国家の実現」、生産力の増強のための労使協力などを重視した
 のであった。
・安倍は若手の頃厚生族といわれたわりには、第一次政権でホワイトカラー・エグゼンプ
 ション(「残業ゼロ」法)の導入を画策し、年金記録問題を軽視して民意の離反を招い
 たほどに、国民統合の物質的な内実を担保するための社会経済政策への関心は薄かった。
 「戦後レジームからの脱却」を急いだ安倍はわずか1年の在任期間で、教育基本法を改
 定し「我が国と郷土を愛する」態度を養うことを教育の目標に盛り込み、防衛庁を防衛
 省へと格上げし、改憲プロセスを可能にするために国民投票法を制定し、教員免許更新
 制を導入して教育の政府統制を強化、さらには集団的自衛権行使容認に向けた検討に着
 手したのであった。
・「湾岸戦争トラウマ」をきっかけとする国際協調主義の軍事転化以降、安全保障政策の
 目的が日本という国民国家の防衛から市場経済秩序の維持へとシフトしていった。はっ
 きりいってしまえば、安全保障が守るとする対象が国民国家からグローバル企業に変わ
 っているわけだが、これを覆い隠すためにことさらにナショナリズムの扇動が行われる
 ようになったことを見逃すことはできない。
・「美しい国へ」と安倍が邁進するあまり、失われた年金記録の問題や格差社会問題への
 対応をないがしろにしていたことや、国家主義者としては安倍の兄貴分ともいえる盟友
 の衛藤晟一を含む郵政造反組の復党を許したことにくわえ、閣僚らの事務所費問題や失
 言が相次ぎ、安倍は急速に支持を失っていった。こうして迎えた2007年参議院選挙
 の結果は、民主党が初めて自民党から非選議席を含めて参議院第一党の席を奪う圧勝と
 なった。自公連立与党を合わせても過半数に大きく届かない「ねじれ国会」の再来とな
 ったのである。
・当初安倍は、歴史的な惨敗にもかかわらず続投を決意し、内閣を改造、国会を開会し所
 信表明演説を済ませたが、代表質問を直前に控えた段階で突如、辞任を表明し入院して
 しまった。首相臨時代理も置かなかったことから約2週間、日本の総理大臣が事実上不
 在になり、愛国者を自称する安倍にしては国家の危機管理の観点からもあまりにお粗末
 な末路であった。あまりの失態に、この時点で安倍が5年後に政権復帰を果たすことに
 なると思った者はいなかっただろう。
・第一次政権の幕をあれだけの失態で閉じた安倍が、驚くべき復権を遂げたのは背景には
 二つの要因があった。一つ目は、新右派転換が貫徹したとさえいえる議会自民党が、野
 党としてさらに右傾化していたという事実であった。自民党内で旧右派連合を支えてき
 た比較的穏健でリベラルな「保守本流」の宏池会と経世会の系譜はすでに見る影もなく
 弱体化し、代わって「真・保守」を自称する新右派連合が主流を成すようになっていた
 のである。その代表例が、第一次安倍政権の崩壊後、中川や平沼が中心となって設立し
 た「真・保守政策研究会」を前身とし、民主党政権成立後、中川の落選、死亡を受けて
 安倍が会長となった「創生 「日本」」であった。もう一つの要因は、政治改革以来追
 求されてきた「政治の自由化」すなわち有権者の政権選択が可能となる競争的な政党シ
 ステムが、民主党政権の挫折とともに崩壊したことであった。2012年の総選挙で自
 民党の圧勝以上に衝撃的だったのは、民主党が2005年の郵政選挙での惨敗時の半分
 にしかならない57議席と壊滅的な大敗を喫したことだった。そのスケールはともかく
 としても、自民党が勝利することは野田の解散総選挙の決断前から明白であり、9月の
 総選挙の段階で自民党はすでに国民の人気が高い総裁を選ればなくてはいけない理由は
 なかったのである。このため一般党員の投票で石破にほぼダブルスコアの大差をつけら
 れ2位に甘んじた安倍が、議員票の力で逆転勝利を収めることができたのである。
・オルタナティブとして育ったはずであった民主党が有権者に忌避されつづけ、多党乱立
 状態のなかうんざりした有権者が投票所に向かわなければ、積極的な支持を獲得せずと
 も自民党は勝ちつづけることができる政治システムができあがったのである。選挙制度
 が異なるとはいえ、参議院選挙でも同じように小選挙区が自民党に有利に作用し、自公
 連立与党は2013年、戦後3番目に低い投票率で大勝、「ねじれ」の解消に成功した。
 また2014年に突如安倍が解散総選挙を仕掛けたときも、戦後最低記録を大幅に更新
 する2.7%の投票率のなか、自公連立与党で3分の2を維持する圧勝を再現した。
・実際のところ、棄権者も母数にいれた全有権者のうちどれだけの人が比例区で自民党な
 いし自民党の候補者に入れたかを計算すると(絶対得票率)は2012年、2013年、
 2014年の3回の国政選挙で16%から17.7%の間でほとんど動いておらず、こ
 れは森政権での2000年衆議院選挙での16.9%、小泉が民主党に後れをとった
 2004年参議院選挙の16.4%、第一次安倍政権がつまずいた2007年参議院選
 挙の16%、麻生で民主党に政権を奪われたときの2009年衆議院選挙の18.1%
 とほとんどかわらないのである。つまり自民党はおよそ6人に1人の有権者しか積極的
 に支持を受けていないのであるが、有効な対抗勢力が存在しない今や、自公合わせて衆
 議院で3分の2、参議院で過半数を確保できるのである。右傾化した有権者が安倍の再
 登板を渇望した、というわけではなかったことは、投票率と自民党の得票数の低迷に表
 れている。またそれは第二次安倍政権の内閣支持率が比較的高いレベルで推移している
 にもかかわらず、各種世論調査における特定秘密保護法、集団的自衛権、消費税増税、
 原発再稼働など個別の重要政策についての有権者の態度が政府の方針と見事なまでに乖
 離を見せる傾向にも表れているといえるだろう。
・安倍にとって幸いだったのは、官僚制や財界、そして産経・読売など保守系のメディア
 が民主党政権にこりごりで二度とそのようなことが起きないように政権を全力でバック
 アップする構えをとったことであった。また現実に、民衆党であれ他党であれ、対抗勢
 力が見当たらないことは、それ自体、自民党の内外から安倍政権に対しての批判が出に
 くい雰囲気を醸成する効果を伴った。傷跡のまだ生々しい大震災と原発事故も、当面は
 民主党政権の対応の不備をあげつらうことで歴代の自民党政権や安倍政権が責任を免れ
 る言説が広く流布していた。
・第二次安倍政権のメディア戦略の最大の武器となったのが、「三本の矢」「アベノミク
 ス」「異次元の金融緩和」といった新しいフレーズで、これらにより報道を政権ペース
 でフレーミングしていくことに成功した。硬軟取り混ぜたメディア対策の陣頭指揮を担
 うことになったのは、郵政選挙で自民党のメディア戦略を担当し第一次安倍内閣で広報
 担当の首相補佐官を務めた世耕弘成内閣官房副長官、小泉の懐刀だった飯島内閣官房参
 与、そして安倍の参謀にして第一次内閣で総務大臣の経験がある菅内閣官房長官であっ
 た。
・安倍らにとって最大の標的は、かねてからNHKと朝日新聞グループであることは明ら
 かで、産経や読売グループなどと一体となって、あたかも「慰安婦」問題そのものが朝
 日の捏造であったかのような印象操作に総力を挙げて取り組み、朝日を弱体化させた。
・アベノミクスの最大のポイントは、橋本行革で実施された「財金分離」の一環として打
 ち立てられた日本銀行の独立性を事実上撤回し、政府と直接連携し2年で2%のインフ
 レ目標を「公約」に掲げた黒田東彦を総裁に据え、大規模な量的・質的金融緩和に乗り
 出し、円安・株高を仕掛けたところにあった。 
・野党時代にすでにメディアを使った生活保護バッシング・キャンペーンにいそしんだ自
 民党らしく、物価上昇を政策目標とし消費税増税を実施しつつ過去最大規模の生活保護
 費削減へと生活扶助基準の切り下げが進められている。
・安倍らにとって第一次政権で積み残した政策課題の筆頭が、集団的自衛権の行使容認を
 含めて、憲法の課すさまざまな制約を無効化することであった。
・国家安全保障会議、特定秘密保護法、集団的自衛権のいずれをめぐっても共通している
 のが、対米追従路線を徹底させ、国内では立憲主義の縛りを外してでも首相とそのスタ
 ップを中心とした行政府のごく少数の統治エリートたちだけで国家の安全保障に関わる
 重大な意思決定を行う仕組みをつくることに邁進してきたということである。
・閣議決定をもって個別的自衛権と重なる集団的自衛権を極めて限定的に容認しただけで
 あるという弁明がいかに空疎なものであるかは、明らかである。個別的自衛権発動の要
 件をなしていた「我が国に対する急迫不正の侵害があること」というものが、ようは日
 本が攻撃を受けたかどうかという相当程度客観性の高い事実認定にもとづいていたのに
 対して、憲法が明確に武力行使を禁じている日本が攻撃されていない事態でも「我が国
 の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福の追求の権利が根底から覆される明白な
 危険がある(いわゆる存立危機事態)と国家安全保障会議において判断すれば武力行使
 が可能になったわけである。そして「小さく産んで大きく育てる」というようにいくら
 でも拡大解釈が可能な曖昧な要件認定の前提をなす情報は、当然、特定秘密保護法の対
 象となりうるわけである。日米などのグローバル企業が活動する「市場経済秩序」が揺
 らぐような事態をもって「存立危機事態」もしくは「重要影響事態」とみなすことは十
 分に可能だろう。一旦アメリカの要請を受けた日本政府が判断を下し臨戦態勢に入れば、
 そうでないと証明する証拠や事実を国会の野党や市民社会の側で提示することができる
 とは考えにくい。
・立憲主義や主権在民の大原則にもとづく民主統治が、タガの外れた寡頭支配にとって代
 わられつつあるというほかない。対米追従路線のなかで国民を排除してごく一部の統治
 エリートが重大な意思決定をしかねないという意味で、地方と国政両レベルの選挙で再
 三明確に辺野古移転反対の沖縄の民意が表明されているのを無視して、度外れに強圧的
 な手法で安倍政権が工事を推し進める普天間基地移転問題は、その象徴的な先行事例と
 いえるだろう。
・小泉や第一次安倍政権と重なったブッシュの下でアメリカは右傾化を進め、イラクなど
 中東に「自由」「民主」を拡散できると夢想しかえって国力を弱め、その後さらにサブ
 プライム住宅ローン危機、そして2008年のリーマンショックに端を発した世界金融
 危機で衰退を印象づけた。それは対共産主義の勝利に酔いしれた自由民主主義が、ライ
 バルを失い独善に陥り、瞬く間に劣化していったかのようであった。
・2011年秋から冬にかけて「ウォール街を占拠せよ」を合言葉に資本主義経済と代議
 制民主主義の破綻を告発する「オキュパイ(占拠)運動」が、ニューヨークのみならず
 全米で前代未聞の大きな盛り上がりを見せたことは記憶に新しい。グローバル資本主義
 の総本山ともいうべきアメリカにおいて、自由市場経済の実態がグローバル資本による
 寡占支配と大多数の市民の搾取にすぎないとする言説が大きな反響を呼んだのである。 
・法人税の基本税率は、1984年に43.3%に上げられたが1990年では37.5%、
 その後も漸次下げられ、民主党政権の2012年に25.5%にまでなった。取得税の
 最高税率にしても、1980年半ばに70%だったものが段階的に下げられ2007年
 までには40%になっていた。同時進行であった消費税増税や格差社会批判などへの考
 慮から、安倍政権下の2015年より課税所得4000万円超について45%に引き上
 げられたが、総じて富裕層やグローバル企業の海外流出を避けるために課税強化を避け
 るのはもちろん、いっそうの減税が必要だとする声が主流を占めている現実に変わりは
 ない。安倍の、日本を「世界で一番企業が活躍しやすい国」にしたいという意思表明が
 そのことを示している。
・もともと「強い国家」を権威のよりどころとし、その規定する価値秩序に社会を従属さ
 せる近代化の伝統が強い日本であったが、新右派転換を通じて、首相官邸を中心とした
 行政府への権力集中が進展した。そしてひとたび政党システムのバランスが崩壊すると、
 国家権力にタガをはめ個人の自由を守る立憲主義の原則さえ攻撃の対象となる事態が生
 じている。
・民主党の崩壊によって「政治の自由化」が一気に「反自由の政治」に暗転すると、九条
 に焦点を絞った従来の改憲運動とは明らかに異なる「壊憲」ともいうべき立憲主義その
 ものに対する攻撃が顕在化した。それは再三司法が「違憲状態」との判断を示している
 にもかかわらず「一票の格差」を放置、低迷する投票率で議席上の多数を有した時の政
 府が自在に憲法改正を提案できるようにしようという96条先行改正の試みであり、9
 条の事実上の無効化をもたらしかねない解釈改憲であった。
・自民党の「日本国憲法改正草案」では、「緊急事態」条項の創設のほかにも、基本的人
 権が「公益及び公の秩序」によって制限されるものとなり、20条の政教分離規定につ
 いても形骸化し首相らの靖国神社公式参拝を可能にするような仕掛けが盛り込まれてい
 る。
・日本会議を母体とする「美しい日本の憲法をつくる国民の会」が明文改憲へ向けた草の
 根キャンペーンを展開しはじめており、今後さらに学問の自由や知る権利を制限するよ
 うな官民一体となった言論統制が強まっていく恐れが高まっている。
・2013年末に安倍政権が決定した「国家安全保障戦略」はその「基本理念」として
 「国際協調主義を基づく積極的平和主義」を掲げたが「国際社会の平和と安定及び繁栄
 の確保にこれまで以上に積極的に寄与していく」と述べるだけでおよそ理念と呼べるよ
 うな定義はない。それもそのはず「安全保障と防衛力に関する懇談会」の座長として
 「国家安全保障戦略」の作成にあたった北岡伸一さえ「積極的平和主義とは、消極的平
 和主義の逆である。消極的平和主義とは、日本が非武装であればあるほど、世界は平和
 になるという考えである」と述べていることからわかるように、はっきりいってしまえ
 ば、「日本が武装していけばいくほど、世界は平和になる」という歯止めのない「夢見
 る抑止論」にすぎないからである。
・日本のさらなる右傾化はライバル他国のさらなる右傾化を惹起することになり、こうし
 た際限なき競争はそもそも「普通の国」とはいったい何なのかという疑問を呼び起こさ
 ざるを得ない。日本はすでにアメリカに迫る高い貧困率を記録しており、軍事費も例年
 イギリスやフランスと肩を並べるレベルにある。これは「普通」なのか、まだ「普通」
 でないのか、すでに「普通」を超えたのか。
・構造改革路線の支持者たちは、せいぜい小泉の靖国参拝に眉をひそめるただけで、多く
 の場合は黙認ないしは歓迎さえしてきたし、安倍による集団的自衛権の行使容認を含む
 安保法制の整備と日米同盟の強化への賛同者たちは、立憲主義をないがしろにする進め
 方には見て見ぬふりをするか、やむにやまれぬと受け入れてきた。こうして、旧右派連
 合と革新勢力が対峙した55年体制に終止符を打った新右派転換が、さらなる進展を遂
 げるなかで、新右派連合の政財官界エリートによる寡頭支配へと変質していったのであ
 る。
・新右派連合に対抗するどころか、抑制する政治勢力を欠き、立憲主義をはじめとした自
 由民主主義の根本ルールや制度さえ大きく歪められだしたとう点で、日本政治の右傾化
 は国際比較の観点からも深刻である。日本がまだ戦争に直接参加していないのは事実だ
 が、その準備は権威主義的な政治手法で憲法を壊すようにして進められており、ひとた
 び日本が戦争をするようになったとき、はたして自由民主主義国家として体裁を保って
 いられるのか、強い疑念を抱かざるを得ない。

オルタナティブは可能か
・日本の民主政治にとって歴史的な一大事の政権交代が実現したとき、歓喜のあまり噴水
 に飛び込む支持者やクラクションを鳴らして街を巡る車がみられたわけではなかった。
 歴史的な「民主化」の瞬間というにしては、その主役、すなわち民主化を担った市民た
 ちの姿はどこにも見えなかったのである。「柔らかい支持」が動き、低迷していた投票
 率が一時的に回復したのは事実だが、新しい政権党を支える民衆的基盤の交代ないし拡
 大においては見るべきものがなかった。
・「政権党交代」と呼ぶほうがふさわしいのは、民主党の推進した政治の自由化が確固と
 した民衆的基盤を欠いたことのほかに、従来の政権党であった自民党が現実には政権の
 すべてではなく、その一部をなしていたにすぎなかったからである。
・自民党が下野したのちも、民主党の体現する政治の自由化に抗いつづけた政治権力の筆
 頭は、いうまでもなく「政治主導」によって最も直接的にその地位を脅かされることに
 なった官僚制であった。
・新自由主義にしても国家主義にしても、実際には既に看板倒れになっており、トランス
 ナショナルなエリートによるグローバルな寡頭支配が国民国家を空洞化している現実が
 覆い隠せなくなると、今後、反米復古主義によって日本をさらに「取り戻そう」の声が
 右傾化に拍車をかけていくだろう。言い換えれば、このままオルタナティブのないまま、
 新右派連合の暴走が続くようになると、右傾化の次なるステージは、対米追随路線で抑
 えきれないところまで復古主義的な国家主義の情念が噴出するようになることである。
・企業主義や利己的な欲望や情念の追求を正当化するドグマに堕ちた新自由主義は、実は
 自由主義でも何でもないものであり、むしろ新自由主義改革がもたらした政治経済の寡
 頭支配は、暴力や貧困、格差など、こんにち個人の自由や尊厳を脅かす最大の要因とな
 っている。 
・リベラルを自任する都市中間層が、公務員バッシングや生活保護バッシングなどの安直
 な新自由主義プロパガンダに乗じて晴らす鬱憤や情念の半分でも、現在の対米追随や企
 業支配がいかに自分や自分の家族を不幸にしているのかを冷静に分析する思考に割くよ
 うになったなら、政治のあり方は大きく変わっていく。
・グローバルな寡頭支配の拡散に抗うということは、気の遠くなるほど大変なことだが、
 根気よく運動の裾野を広げて政治や経済の失われたバランスを回復していくほかにない。  
 数多いとはいえないが、民主党などに踏みとどまり、個人の尊厳のために闘っているリ
 ベラル勢力は、縮まることなく理想を語り、積極的に進歩的な価値を発信し、グローバ
 ルな市民社会との連携を深めていかなくてはならない。
・かつては相互に競合したような運動体が、「戦争させない・九条壊すな!総がかり行動
 実行委員会」などのように過去の経緯を乗り越えて積極的に共闘する局面が増えてきて
 いる。キリスト教や仏教、新宗教などの反戦平和運動の取り組みも盛んになり、日本弁
 護士連合会や「明日の自由を守る若手弁護士の会(あすわか)」などもめざましい活躍
 を見せている。
・新右派転換が時間をかけて壊してきた自由民主主義の諸制度を立て直すとともに、リベ
 ラル勢力が新自由主義ドグマと決別し、左派勢力が自由化・多様化をいっそう進めるこ
 とによって民衆的基盤を広げたとき、はじめてリベラル左派連合による反転勢力が成果
 を挙げることになるだろう。
・道は険しく、時間は限られているが、負けられない闘いはすでに始まっている。