人間にとって成熟とは何か :曽野綾子

この本は、いまから12年前の2013年に刊行されたもので、成熟した人間とはどうい
う人間なのかについて論じたものだ。
内容をおおかまにまとめると次のようになるのではないかと思う。
・正しいことだけをして生きることはできない。
・努力でも解決できないことがあることを知ること。 
・権利を使うのは当然とは考えないこと(遠慮の心も必要だ)。
・問題だらけなのが人生とわきまえること。
・他人を正しく理解できる人はいないことを知ること。 
・いいだけの人生もないし悪いだけの人生もない。
もっともな主張で、私もこの本を読んで、世の中の災難、不運、病気、経済的変化、戦争、
内乱、それらのすべてを引く受け、「端然と川の中に立ち続ける」杭でありたいと思う。
そんな杭のような自立の精神を持った自由人でありたいと思った。

ところで、この本の「沈黙と会話を使い分ける」の章の中で著者は裁判員制度を決める
「司法審議会」の運営方法について触れている箇所があった。
この本の著者はその審議会の13人の委員のうちの1人だったようで、裁判員制度に興味
を持っている私は興味深く読んだ。
この審議会の運営方法について、一般市民や報道関係者の傍聴を許すかどうかについて、
意見の対立があったようだ。
この本の著者は、傍聴を入れないことを主張したようだが、「中坊公平」氏などほかの委
員から「サロン化してはいけない」という理由からオープンにすべきとの意見が多数を占
め、審議会は公開されることになったようだ。
これが相当この本の著者の気に障ったのか、この本の中で著者は「サロン化」について持
論を展開しているのだが、それがなんとも的はずれの、言い訳がましい論理展開で、読ん
でいてちょっと呆れてしまった。
この本が書かれた年から計算すると、この本が書かれたのは、この著者が82歳前後のと
きのようだが「この人、大丈夫か?」と思ってしまった。

過去に読んだ関連する本:
人間の基本
人間の分際
自分の始末
人間の値打ち


正しいことだけをして生きることはできない
・この世のことは、善でもなく悪でもなく、多くの場合、その双方の要素を兼ね備えてい
 るということだ。
 善だけの行為とか、悪だけの結果、というものはむしろきわめて稀であって、そういう
 純粋すぎる生き方・見方をする人と、私はついぞ仲良くなれなかった面はある。
・昔私はニュージーランド政府から招待を受け、あの国を見学したことがあった。
 聞きし勝る端正な国であった。
 国中端々まで整い、しかも自由主義的社会主義とさえ言えるような平等が整備されてい
 た。 
 最近もニュージーランドが、世界で最も暮らしやすい国のごく上位に上げられているこ
 とは当然だと思う。
・私はニュージーランド政府が、外国のマスコミに見せたがる完璧に道徳的な国の姿をよ
 く理解した。
 この国の姿は、世界中が、こうなるといいと思う理想の形態を既に取っていた。
・しかし私の心の5パーセントが10パーセントほどの部分が、こういう国は本当に退屈
 だと思ったことも告白しなければならない。
・人は公平、幸福、順調が何より好きだが、心の一部では、そうでもない要素も求めてい
 る。  
 つまり不公平であることは充分知りつつ、時には桁外れの豪華な暮らしや、家柄の故に
 不当に裂かれる悲恋も好きなのである。
・世の中は矛盾だらけだ。
 だからいいことだけがいいのではない。
 時には悪いことも用意されていて、その中から選ぶ自由も残されていた方がいい。
・少なくとも、社会の仕組みにおいては、いささかの悪さもできる部分が残されていて、
 人間は自由な意志の選択で悪を選んで後悔したり、最初から賢く選ばなかったりする自
 由があった方がいい。  
・紙などいるものか、と言う人の考えに私は反対したことがない。
 神がいるかいないか、誰一人として証明できる人はいないのだから。
 ただ私は、神はいるという保証もないが、同じように神などいない、と言う保証もでき
 ないものだと思っているだけだ。
・そういう場合、神の人格は人間の人格をはるかに超えたものだと思われているから、
 もし実際に死後の私たちが神を見たら、いないと言いきってしまっていると具合が悪く
 なる。
 だから私は神がいる方に賭けるのだ、といつも言っている。
・日本人に限ったことではない。
 人間社会の上に善悪の区別がはっきりしていることを信じている人を私は避けている。
 そこには人間理解の根本がないと思うからだ。
・善しか人道として許されるものはなく、したがって自分は善を追う人道の道を歩く、
 と簡単に信じ、信じているだけでなく、それをきょうれつにアピールする人も私はつき
 合えない。  
 なぜなら少なくとも私は、そんなにいいことだけをして生きようとしていないし、
 そう思う人は自己満足であって、何が社会や相手にとって正しくいいことなのかはそん
 なに簡単にはわからないことが多いからだ。
・いつも言うことだが人は皆ほどほどの生き方をしている。
 身勝手なような人も意外と他者のことも心に留めている。
 社会正義は誰でも好きなのだが、それも時と場合と程度によって簡単には決められない
 と人化に考えて悩んでいる。

「努力でも解決できないことがある」と知る
・神などいるわけがない、と言う人は、人間の力だけが可能か不可能かを決めるのであっ
 て、それ以外の力が介在するわけはない、と思うのだ。
 しかし私はそうではなかった。
 私はたくさんのことを望んだ。
 しかし最後に私がすべきことと、できることを決めたのは、私ではない存在の力が大き
 い、というのが私の実感だった。
・予期せぬことが起きるのが人生だ。
 まさに「想定外」そのものである。
 予期せぬという言い方は人間の分際から見た状態であり、神は人間の劇作家以上の複雑
 な筋立てや伏線を張った物語の展開の後に、その意図されることを示す、というのが私
 の感じである。
・人間の努力がなくていいわけではない。
 しかし努力でなにごともなし得るというわけでもない。
 そう思えることが、一人前の大人の状態だ、と私は思ってきた。
 
「もっと尊敬されたい」という思いが自分も他人も不幸にする
・学問はできても、人間を理解していない人が職場に入ると、気の毒に当人は少しも満足
 せず、周囲がことごとく不満の種で、しかも自分は、背煥と他人から実力を評価されて
 いない不幸な人生を歩み始めてしまったと思い込むようになる。
 本当にお気の毒なことだ。
 こうした不幸な人の特徴が、この頃私には読めるようになった。
 そういう人の特徴は、ことごとく「他罰的である」ということなのである。
 自分のせいでこうなった、のではなく、何でも他者が悪いのである。
・こういう人物は、しかしたぶん、意識下では恐ろしく自信がないのではないかと思う。
 今まで、学歴やその他で、世間が自分を誤解しているほどには、優秀な仕事のできる人
 間ではない、と薄々知っているのだが、その現実を正視するのが辛いから、決して自分
 の全身が映る心理の姿見の前に立とうとしない。 
・それで遮二無二現状に満足せず、自分はもっと大切に遇されて当然と文句を言うことで
 自分を支えている。
 それが劣等感の塊である証拠なのである。
・定年後、自分のしたいことを見つけていない人も、老人なのについに成熟しなかった人
 だと言っていいだろう。 
 自分の生活(掃除、炊事、洗濯など)さえ自分でできない人も、自分の生きる場がない
 ように思えて空しく感じているだろう。
 若いエリートでさえ、自分が今いる場所に、果たして自分がほんとうに必要なのだろう
 か、と疑っている人がいるだろう。
 自分を首にしても明日から代わりがあると思うと、自分の尊厳に自信が持てなくなるか
 らである。
・頑張って、不遜で、自己中心的で、評価を恐れ、称賛を常に求め、しかも現実の行動と
 しては他罰的な人というのは、世間の人が率先してお辞儀をする名門だという評判があ
 ろうと、学歴がよかろうと、出世街道をまっしぐらに走っていようと、既に地位や財産
 を築いているように見えようと、実は不安の塊なのである。
・自分の生涯の生き方の結果を、正当に評価できるのは、私流に言うと神か仏しかいない。
 だから他者に評価や称賛を求めるのは、まったく見当違いなのだ。
 ばかにされることを恐れることほど、愚かなことはない。
 もし私が本当にばかなら、もしかすると別の人が、私をばかにした人をばかだと思うか
 もしれないのだ。 
・だからそんなくだらない計算にかかずらわることはない。
 そういう人生の雑音には超然として楽しい日を送り、日々が謙虚に満たされていて、
 自然にいい笑顔がこぼれるような暮らしをすることが成熟した大人の暮らしというもの
 だ。町の英雄は、決して他人の出世や評判を羨んだり気にしたりしないのである。
 
身内を大切にし続けることができるか
・人はもともと一人では生きられるものではないのだ。
 私たちが今日ここまで生きて来られたという重い現実の背後には、長い年月にわたる数
 えきれないほどの人たちの存在のおかげがあった。
 人間関係の中には、喧嘩したという負のつながりさえ発生するものだ。
・しかし現実には、憎しみや嫌悪を持つような人間関係からでさえ、私は多くのことを学
 んだ。 
 私が、少しは複雑な精神構造の人間になれたとしたら、そうした醜い人間関係を体験し、
 それを深く悲しみながら学んで来たからだろう。
・言うまでもなく、被災者の年齢はさまざまだ。
 しかし少なくとも成人に達していたら、自分が親だけでなく、友人にも、日本という国
 家を作り続けてきたまだ会ったこともない社会のどこかで働く他人によっても育てられ、
 助けられてきたという自覚がない方がおかしい。
 大災害があったから、初めて人間は他人と常日頃から深い繋がりを持たねばならない、
 と自覚したとしたら、あまりにも幼いか、功利的だ。
・絆の基本は、家族が普段から心をかけ合うこと以外にない。
 もちろん友人も職場の人間関係も大切だが、親子兄弟のつながりを断っておいて、
 今さら「絆が大切」もないものだ、と私は思う。
・キリスト教の信仰は、自分の生は神から与えられたものだ、と思うと同時に、他人の中
 にも神がいるという認識を持つのである。
 だから都合の悪い相手を見捨てることは、神を拒否することだ、ということになるから、
 それはできない、というジレンマに苦しむ。
・この世で、最高に重要でおもしろく複雑なものは「他者」つまり「人間」で、その人た
 ち全般に対する感謝、畏敬、尽きぬ興味などがあれば、常日頃「絡んだ絆」のど真ん中
 で暮らすことになっている自分の立場も肯定するはずだろう、と思う。
 自身があってもなくても、それが人間の普通の暮らし方というものなのだ。
・今まで、自分一人で気ままに生きてきて、絆の大切さが今回初めてわかったという人は、
 お金と日本のインフラに頼って暮らしていただけなのだ。
 身近の誰かが亡くなって初めて、自分の心の中に、空虚な穴が空いていたように感じた、
 寂しかった、かわいそうだった、ということなのかもしれないが、失われてみなければ、
 その大切さがわからないというのは、人間として想像力が貧しい証拠だと言わなければ
 ならない。  
・東日本大震災から満一年を迎えるにあたって、果たして日本人は、立派にこの災難を迎
 えたのだろうか、という失望の空気が流れ始めた。
 その端的な表れは、被災地の膨大な量の瓦礫を引き受けることを拒んだ多くの地方自治
 体があったことだろう。
 瓦礫は焼却して量を減らし、かつ放射線量もキブシ区測定して、数値が安全圏に入った
 状態で引き受けてもらうというのに、それでもなお、拒んだ土地とも人もたくさんあっ
 たのだ。
・それ以前にも、被災地のものは一切元込ませないという運動がずいぶん報じられたもの
 だ。 
 被災地のナンバーをつけた自動車への嫌がらせや、慰霊のために被災地の木材で作った
 小さな木片さえ持ち込ませない、と騒いだ住民運動もあった。
・もし絆が大切だと言うなら、その心の証はさしあたり瓦礫を引き受けることだろう。
 それさえ利己的に嫌なら、自分は人に優しいとか、人道主義者だとか言わないことだ。
・今回、被災地に贈られた救援物資の中には、配る方途も限られ、しかも差し出した方が
 自分が要らないものを送りつけたという感じの無駄なものがけっこうあって、それが莫
 大な料金のかかる倉庫で何カ月間も配られる当てもなく保管されている、という光景を
 いつかテレビで見た。
・災害というものは、突然、新しい差別を生むものなのだろう。
 そこには運以外の何もないのだが、被害を免れた人は、被災者に対して優越者だという
 奇妙な構造上の錯覚を生むものらしいのである。
・絆は、わが身の便利や安全保障の意味から結ぶものではなく、のっぴきならない関係で、
 あらゆる人の周囲に本来は張り巡らされているものだ、と私は思う。
 それを日本人は、今まで気づかなかったのか、それとなく拒否して来ただけなのだ。
・絆は、自分の心の寂しさや、物質的な困窮を救ってもらうために必要な関係ではない。
 むしろ絆は、自分の周囲の人たちの、悪い運命を引き受ける覚悟をすることなのである。
・今年震災後、一年目の状態で言えば、絆とは、被災地の瓦礫を引き受けることだ。
 絆には二つの条件を伴う。
 第一は、自分に近い人の結びつきから始めることだ。
 親や兄弟を大切にすることだ。
 遠い他人にいっときの親切を尽くすことを簡単で誰でもできる。
 しかし身内の人に、生涯を賭けて尽くす決意をすることの方がずっとむずかしく意味の
 あることなのだ。
 それこそ絆の本質である。
 第二に、絆は、長い年月、継続することである。
 震災記念日やナイン化の催し物のある時にだけ、人道的な行為をすることではない。
 この世の仕事というもの、すべて淡々と長い年月日常的に継続してこそ本物なのである。
 
他愛のない会話に幸せはひそんでいる
・高齢者が増えると、悔悟の手が足りなくなる、ということはもうずっと前から眼に見え
 ていたことだ。
 ことに、高齢化が進んでいる日本などでは、今にどうにもならなくなる。
 善意があっても、老人の介護をできる元気な若い人は手薄になる道理である。
・それがわかっているのに、日本の政府はいっこうに労働移民を許さなかった。
 日本の近くにはフィリピン、タイ、インドネシアなどの他に、労働者を出したい国がい
 くらでもある。 
 それでもそれを受け容れなかったのである。
・政府の対応は、大風が吹いて木が倒れてから、やっと小枝を払ったという感じである。
 その理由が徐々に解明されてはきたが、インドネシアあたりから、家族のために覚悟を
 決めて出稼ぎに来るけなげな女性はいくらでもいるというのに、それを柔軟に受け入れ
 る制度をどうしてもっと早く有効に造れなかったかというと、それは語学の問題だとい
 うのである。 
・何か考え方が硬直しているのだ。
 昔の介護は、基本的に自宅で家族がしたものだった。
 嫁さんはこっそり手を抜き、息子は忙しくてしかもぶきっちょ、かわいい孫たちはおじ
 いちゃんおばあちゃんに優しくはしたいのだが、咳き込んだらどうしてあげたらいいか、
 正確には知らない。
・しかし皆が手さぐりでやってきて、それぞれの家庭で年寄りの最期を見送ったのである。
 介護というものは、そういうものだ。
 つまり食事と排泄と体をきれいにすることが実務だが、そのほかに大切なことは、病人
 や老人を楽しくすることだったはずだ。
・要は、介護をする人は、人間的に優しければいいのである。
 日本語で医療用語をたくさん知らなくても、車椅子を窓辺に押して行って、梅が咲いて
 いたら、「おばあちゃん、花、きれいネ」で充分なのだ。
 おばあちゃん、花、きれいネの三つくらいの単語は、日本に来て必ず一カ月くらいの間
 には覚える。
 梅という単語を知らなくても「花、何ていうの?」と聞けば、病人のおばあちゃんの方
 が「ウメ、って言うんだよ」と教えてくれる。
 そして教えるなどという機会もめったになくなったおばあちゃんの方も、若い娘さんか
 ら、「おばあちゃん、ありがと。わたし、また一つ日本語覚えたよ」と礼を言われるよ
 うなものなら、幸福感で満たされる。
 介護のために特に専門的な単語はさしあたり知らなくても、介護はできるのだ。
・最期を迎える老人の心理は、逆にもっと柔軟なものだろう。
 言葉が通じなくて少将の手違いがあっても、年寄りは、自然に愛してもらえばいいのだ。
 フィリピンやインドネシアの女性たちは、
 たいていが大家族の中で育ってきた。
 病気になっても、年を取っても、病院や老人ホームに入れてもらえる人などめったにい
 ない。 
 貧しいから医療の恩恵を受けることを当てにできないのである。
 その代わり、家族全員が代わり番こに年寄りの面倒を見る空気を子供の時からよく知っ
 ているのである。
 手をさすり、道端に生えていた雑草の花を取ってきて見せ、隣の家が買うことにした野
 良犬の子供を抱いてきて紹介し、自分がもらったおやつの端っこをおじいちゃんの口に
 含ませる。
・人間の幸福の形というものには定型がない。
 なぜなら、最期に大切なのは、心の問題だからだ。
 心の中の幸福の量と質は、厚生労働省もその供給の目安を文書では示せない。
 
「権利を使うのは当然」とは考えない
・成熟した人間というものは、必ず自分の立場を社会の中で考えるものだ。
 昔はお互いの立場がもっと曖昧模糊としていた。
 社会互助制度である健康保険などという制度もまったく知らなかったし、困っている人
 を助けるのは、マスコミなどというものもない社会の中で「そのこと」を偶然知る狭い
 範囲にいる知人だけだった。
・だからすべての援助の元は、個人の惻隠の情だけだった。
 国家も社会も、長い間、高額のお金を必要とする治療に手を貸そうなどという発想はま
 ったくなかった。 
・手をさしのべる方も控え目なら、受ける方も充分に遠慮して受けるのが当然の人情であ
 り礼儀だったのだ。
 それが人間の権利だから、堂々と受けたほうがいい、などという言葉も信条もなかった
 のだ。
・確かに不当な遠慮は要らない。不運や病気は当人の責任ではない場合も多い。
 生活習慣病は当人の責任だが、多くの感染症や遺伝的に起きる病気は当人のせいではな
 い。
 そのような不平等を超えて、だから生まれてきた以上、生きることが人間の使命である。
 そして人間は生かされて、同時に他者を浮かすことのためにも働くようになる。
・ところが最近では、受けて与えるのが人間だという自覚はまったく薄くなった。
 長い年月、日教組的教育は、「人権とは要求することだ」と教えた。
 これが人間の精神の荒廃の大きな原因であった。
・しかし少なくとも私は、「人権とは、受け与えることです」と教えられて育った。  
 最近、私の周囲を見回すと、実にもらうことに平気な人が多くなった。
 「もらえば得じゃない」とか「もらわなきゃ損よ」とか、そういう言葉をよく聞くよう
 になったのである。
 「介護もどんどん受けたらいいじゃないの。介護保険料を払っているんだから、もらわ
 なきゃ損よ」とはっきり言う。
・受ける介護のランクを決めるときには、できるだけ弱々しく、考えも混乱しているよう
 に装ったほうがいいとか、そういう哀しい知恵だけはほんどん発達する。
・昔、少なくとも明治生まれの母たちの世代には、もう少し別の美学があった。
 その当時の人びとは、今の高校二年までに当たる女学校を出ていれば高い教育を受けた
 ほうであった。  
 師範学校とか、戦前の大学を出ている女性などというのは、ほんとうの少数派であった。
 今の人たちに比べると、教育の程度はずいぶん低かったのである。
 しかし精神の浅ましさはなかった。
 遠慮という言葉で表される自分の分を守る精神もあったし、受ければ、感謝やお返しを
 する気分が先ず生まれた。
・私たちは誰もが、多くの人にお世話になって生涯を送る。
 別にお金を出してもらったり、労力において助けてもらったりしなくても、それでも私
 たちは、他者のお世話にならずに生きていくことはできない。
 社会の仕組み自体が、多くの人の存在のおかげで動いているからだ。
・お世話になっていいのである。
 他人のお世話にならずに生きていられる人などいない。
 しかしどれだけお世話になったかを見極められない人には、何の仕事もできない。
・政治はもちろん、外交も経済も学問の芸術も、すべては強烈に他者の存在を意識し、
 その中の小さな小さな自分を認識してこそ、初めて自分の分をわきまえ、自分が働ける
 適切な場を見つける。
・それができるようになるのが、たぶん中年から老年にかけての黄金のような日々
 なのである。
 肉体は衰えて行っても、魂や眼力に少し磨きがかかる。
 成熟とは、鏡を磨いてよく見えるようにすることだ。
  
品がある人に共通すること
・いまの時代に品などという言葉を持ち出すと笑われるだろうが、私はやはりある人が品
 がいいと感じるときには、まちがいなくその人が成熟した人格であることも確認してい
 る。
・品はまず流行を追わない。
 写真を撮られる時に無意識にピースサインを出したり、成人式に皆が羽織る征服のよう
 な白いショールなど身につけない。
 あれほど無駄で個性のない衣服はない。
 それくらいなら、お母さんか叔母さんのショールを借りて身につけた方がずっと個性的
 にいい。 
 有名人に会いたがったり、サインをもらいたがったりすることもしない。
 そんなものは、自分の教養とはまったく無関係だからだ。
・品は、群れようとする心境を自分に許さない。
 自分が尊敬する人、会って楽しい人を自分で選んでつき合うのが原則だが、それはお互
 いの人生で独自の好みを持つ人々を理解し合った上でつき合うのだ。
 単に知り合いだというのは格好いいとか、その人と一緒だと得なことがあるとかいうこ
 とでつき合いものではない。
・品を保つということは、一人で人生を戦うことなのだろう。
 それは別にお高く止まる態度をと取るということではない。
 自分を失わずに、誰とでも穏やかに心を開いて会話ができ、相手と同感するところと、
 拒否すべき点とを明確に見極め、その中にあって決して流されないことである。
 この姿勢を保つには、その人自身が、川の流れの中に立つ杭のようでなければならない。
 この比喩は決して素敵な光景ではないのだが、私は川の中の杭と言う存在に深い尊敬を
 持っているのである。  
・世の中の災難、不運、病気、経済的変化、戦争、内乱、すべてがボロ切れかゴミのよう
 になってこの杭にひっかかるのだが、それでも杭はそれらを引く受け、朽ちていなけれ
 ば倒れることなく、端然と川の中に立ち続ける。
 これがほんとうの自由というものの姿なのだと思う。
 この自立の精神がない人は、つまり自由人ではない。
・品というものは、たぶん勉強によって身につく。
 本を読み、謙虚に他人の言動から学び、感謝を忘れず、利己的にならないことだ。
 受けるだけでなく、与えることは光栄だと考えること、それだけでその人には気品が感
 じられるようになるものである。

「問題だらけなのが人生」とわきまえる
・昔私は一時期、体の不自由な人たちと、毎年海外旅行をしていた。
 車椅子の人や盲人のお世話をするには、たくさんのボランティアが要る。
 まあ、若い老年と、少し高齢の中年が、その主力だった。
 力持ちだの、明るい話題を供給し続ける人たちの、聖歌をきれいな声で歌える人だの、
 人の才能はそれぞれにすばらしいが、私が一番感動したのは、旅をしていて目立たない
 人が実は一番体力がある、という事実を見たことだった。
・グループの先頭に立ってはしゃぎながら歩く人には、時々危ない面がある。
 列から脱落しそうに遅れるので心配な人も体力がないのである。
 いつも何か働いてくれているのだが、どこにいるかわからないように振る舞える人ほど、
 気力も体力もあるのである。
 そして私は年を取ったら、群れの中で目立たない人になりたい、との時、決意していた
 のである。 
・人はいつでも、たぶん人生の最後まで、大まかな流れには流されつつ、ほんの小さな部
 分では、少し意図的に目的をもって生きる方が楽である。
 目的のない人生ほど辛いものはないだろう、と思うからだ。
・だから私は老人ホームに入って安心するという安楽を、できるだけ避けようとしている。
 老人ホームに入っても社会生活をし続けている人もたまにはいるのだが、老人ホームに
 入る目的自体が「安心して暮らせる」ということにある人が多きのだから危険なのであ
 る。
・人生では、老人にとっても若者にとっても、先進国に住む人にとっても途上国の貧しい
 暮らしをする人でも、安心して暮らせるという状況は決してないのだ。
 そのような公然たる嘘か詐欺を選挙の餌にした政治屋たちももともと嘘つきなのだが、
 それを信じた愚かな年寄りたちも、どちらも悪いというほかはない。
・人生には安心して暮らせることなどないことは、東日本大震災とそれに続く原発事故の
 結果が如実に示した。 
 いい年をして、そんな甘い夢を見ることはやめた方がいいのだ。
・人生は、常に問題が続いていて当たり前だし、不足に思うことがあって当然なのだ。
 むしろそれが人生の重さの実感だとして、深く感謝すべきなのである。
 もっとも現在の日本のありがたいところは、飢えて古事記をするようになる前に、社会
 制度がどこかで拾ってくれて生きられるようにはしてくれるのである。 
・何をその時々の目的にするかは、人それぞれで定型はない。
 しかしその目的の中には、たとえば私の現状のようにちょっとした痛みに耐え続けると
 いうことさえ含まれている、と私は感じている。
・人生の後半に、たぶん治癒は難しいと思われる病に直面したら、その病気をどう受け止
 めるかを、最後のテーマ、目的にしたらいいのだ。
 もちろん、これはきれいごとで済む操作ではない。
 途中で愚痴も言うだろうし、早く死んでしまいたいという思いにある可能性もあるだろ
 う。
 しかし苦痛や悲しみをどう受け止めるかということは、一つの立派な芸術だ。
 そしてそれを如何に達成するかは、死ぬまで亡くならない、偉大な目的になるのである。
 
「自分さえよければいい」という思いが未熟な大人を作る
・今時、「成熟」という言葉を聞いて、勲章をつけた偉い軍人とか、鼻髭を蓄えた大物政
 治家などを想い浮かべる人はめったにいないだろうが、いつの時代にも何だか理由なく
 威張っている人は、ごく身近にいたのである。
・そしてそういう人に対して、私のように生理的に反発する性格の人と、むしろなんとな
 くそういう人物に対する憧れを持つ人がいたのは事実である。
・おかしいのは、夫に社会的な地位ができると、その奥さんまで威張るケースというもの
 がいまだにあるということだ。  
・いわゆる階級というものが職場には、必ず支配層というものが発生し、その段階で、
 一段でも上に立った人は、下の階級の人に「仕えられる者」になる。
 それがまた何とも言えないほど、気分のいいものらしい。
・常識というものは、常に相手の存在を意識するところにある。
 相手はどうでもいい、と思うから非常識が発生する。
 もちろん相手はどうでもいい、相手の幸不幸なんて考えたこともない人というものは、
 いつの時代にも世間にけっこういる。
 自分の芸術は偉大なもの、自分の経営者としての腕前は絶対のもの、家庭における自分
 は一番偉くて家族は皆自分に従いもの、と思っている人は、一代前だけでなく、今でも
 よくいる。 
 そう思えば、他社の存在や考えなど全く意に介さなくなる。
 他者の存在や考えなどまったく意に介さなくなる。
 自分の医師にある中の世界だけが絶対であり、他者に迎合する必要はないと思える。
 このように「他者、あるいは外界の感覚の不在」が、未熟な大人を作るのである。
・威張る人の中には、素早く相手を見て、この人の前では威張ってはいけない、というこ
 とを見極め、きわめて気さくに謙虚に振る舞いながら、そういう相手のいないところで
 は、人が変わったように威張る人というのがいるのだという。
・私がよく知っている人で、私自身はずっと気さくで穏やかな人だという印象を持ち続け
 ている男性がいた。  
 私の知人の女性は、一度大勢の中の一人としてその人に紹介されたが、「もちろん大勢
 の人の一人でしたから、私の名前なんかお覚えにならないのは、当然ですし」と彼女は
 言っていた。
 名前を覚える覚えないではない。
 その「大物」と思われる人物は、部下たちだけのところでは、人が変わったように尊大
 な振る舞うというところを彼女に見られたらしい。
 そんな二面性があると、私は想像だにしなかったので、実はびっくりしたのである。
・威張る人というのは、一見、威張る理由を持っているように見える。
 地位が上だとか、年を取っているとか、その道の専門家だとか、それなりに理由はある
 のだろう。 
・しかしほんとうに力のある人は決して威張らない。
 地位は現世井出仮のものだからである。
 誰がほんとうに偉い人か、その優劣の差があるのかどうかは、神仏が見きわめられるこ
 とだ。
 年寄りだって弱い年寄りほど椅子に座って偉そうにしている。
・つまり総じて威張る人というのは、弱い人なのだ。
 もちろん人間は誰もがいつも強くなければならないというとはない。
 古来、弱そうだから男にもてた女性はいたのだ。
 しかし本来強くあるべき男が、地位を利用して威張るのは最低の表現で弱さをさらけ出
 すことだし、「うちの夫は銀行の動機で出世頭なの」とは、「私はクラス会で一番若い
 って言われたわ」などと言う女性には、私はどう返事をしていいかわからなくなる。
・威張るという行為は、外界が語りかけて来るさまざまな本音をシャットアウトする行為
 である。
 しかし謙虚に、一人の人として誰とでもつき合うと、誰もが私にとって貴重な知識を教
 えてくれる。
 それが私を成熟した大人に導いてくれる。
 
辛くて頑張れない時は誰にでもある
・人生には「為せば成る」のではない場合もある。
 「為せば成る」という言葉はルール通りということだ。
 積み重ねていけば、その高みは達するということなのだから、もちろんそういう人、
 そうなることもたくさんあるし、そうありたいと誰もが望んでいる。
 しかし、その決意で心を縛られることにはどこか無理がある、と私は感じている。
・人間にとって大切な一つの知恵は、諦めることでもあるのだ。
 諦めがつけば、人の心にはしばしば思いもしなかった平安が訪れる。
 しかし現代は、諦めることを道徳的にも許さないおかしな時代になった。
 いつどの時点で、どういうきっかけで諦めていいのか、そのルールはない。
 その人の心が、その人に語りかける理由しかない。
・改めて言うが、できたら諦めない方がいい。
 津波の時でも、ほんのちょっとしたことで手に触れたものを掴んだから生きた人もいた。
 上がってくる水が次第に天井に迫って、もう息をする空間がないからだめだ、と思いか
 けた後で、ほんの数センチを残して増水が止まったのを知った人もいる。
 すべてが諦めなかった人たちである。
・しかしこの世に、徹底して諦めない人ばかりいると、私はどうも疲れるのである。
 でもるだけは、頑張る。
 しかし諦めるポイントを見つけるのも、大人の知恵だ。
・諦めることも一つの成熟なのだとこの頃になって思う。
 しかしその場合も、充分に爽やかに諦めることができた、という自覚は必要だ。
 つまりそれで、自分なりに考え、努力し、もうぎりぎりの線までやりましたという自分
 への報告書はあった方がいいだろう。
 そうすればずっと後になって、自分の死の時、あの時点で諦めて捨てるほかはなかった
 という自覚が、苦い航海の思いもさしてなく、残されるだろう。

沈黙と会話を使い分ける
・1999年7月、つまりもう13年前の話だ。
 二十一世紀の司法のあり方を考える「司法審議会」という会合が、その日初めて総理官
 邸で開かれ、13人の委員のうちの1人として私が席を連ねた。
 つまりこの審議会を経て、裁判員制度が設定されたのである。
・初会合に当たって、向こう二年間続く審議会の運営方法が審議された。
 会議に一般市民や報道関係者の傍聴を許すかどうかということだ。
・その時に始まったことではないが、審議会の席に傍聴希望者を入れるということは、
 新しいやり方だった。
 私がまだごく若い時にはそうではなかった。
 だからと言って会は秘密裏に行われるのではない。
 どんな会でも、後刻座長や会長が、必ず新聞記者会見をして、その日どういう意見が出
 たか、誰がどういう所見を述べたかをかい摘んで話し、質問を受けるのが普通である。
 そのほかに、記者の世界では「ぶらさがり」というのだそうだが、よく話をしてくれそ
 うな親切な委員を待ち構えていて、帰り道とか、会議の席に入る頭とかに、廊下を歩き
 ながら個人的な質問をするのも、少しも妨げられない。
 つまり会議の内容はいずれにせよ「筒抜け」なのである。
・この席で私が、会議には原則第三者を入れないことを提唱に、当時、整理回収機構社長
 だった「中坊公平」氏はオープンにすべきだという意見だった。
 その理由として私は「不特定多数を意識すると演説になる」と説明したらしく、中坊氏
 は「国民と司法の距離が遠いことが問題なのだから、審議を国民に近づけるうえで公開
 は当然だ。サロン化してはいけない」という意見だった。
 この中坊氏の意見に連合副会長だった「高木剛」氏と主婦連事務局長だった「吉岡初子」
 が賛成している。
・こうした席の内幕を思い出してみると、たぶん私は言うだけ言って、それだけで反論し
 なかったと思う。 
 だから結果的に審議会は公開された。
 民主主義の原則に従って、私は少しも不満ではない。
 しかし常に不特定多数の人目にさらされている中で、人間が自分を発見したり、まった
 く心理的影響を受けずに発言することなどない、と今でも思っている。
 しかし運命として、審議会はそうした外界の影響を受けていいのである。
 それは社会の宿命だ。
・私は今でも、私の発言の背後のことを覚えている。
 私は、私たちの審議会は、いわば私たちの仕事場だ、と言ったのである。
 役人の執務室にせよ、作家の書斎にせよ、そこで行われていることは、普通ならかなり
 真剣な作業である。  
 無責任な第三者をそこに招じ入れてもまったくかまわない、というようないい加減なも
 のではない。
・霞が関の要職にある人が、執務室の一部をガラス張りにして音声も外部に流れるように
 しておき、常に自由に外部からそれを見守る人がいるのを許す中で仕事ができるのだろ
 うか。
 作家が、書斎の一面をわざとガラス窓にしておいて、その向こうの観察室に自由にファ
 ンを入れて、彼らの注目の中で作品を書いたりするのだろうか。
 少なくとも、私には考えられない、と思ったのである。
・中坊氏は、この審議会が「サロン化」することを恐れていた。
 公開することがサロン化を防ぐというのなら、それは少なくとも小説家の仕事場という
 ものをまったく知らない人の言うことだ。
・しかし仕事場が、「サロン化」したことなどは一度もない。
 仕事場にあるのは、いつもの静寂と、そして沈黙である。
・ひとりしかいない場所、あるいは特定の人しか入れない場所というものは、悪を醸造す
 る場所だと最近世間は思うようになった。
 しかしそんなことはない。
 人生には限度がある。
 その貴重な時間を、話の合う人としかいたくない、と思うのは自然だろう。
・考えてみると私の生活には、一年を通じてサロン的空気はまったくないのである。
 原則は一人、そして時々、ことばと思想を持つ人間としての会話が可能な少数とだけ私
 は暮らしている。  
・俳優と違って、作家には通常、他者から見られる時間というものはない。
 あるいは外界を見る時間だけである。
 私にとって唯一違うのは、講演するときだけで、これはたぶん見られているのだろうと
 思う。だから私は公園が好きではない。
 しかしその場合でも、聴衆と講演者との間には会話がないのが普通である。
 会話がないから、サロン的空気もない。
・成熟というのは、傷のない人格になることでもない。
 そういう人もいるだろうが、やはり熟すことによる芳香を指す言葉のように思う。
 ある人の背後にあるその人間を育てる時間の質が大切だ。
 私のように円満に熟さなかった例もあるが、それはそれで致し方ない。

「うまみのある大人」は敵をつくらない
田中真紀子文科相(当時)は、その発言からだけみると、たぶんマスコミにもてはやさ
 れる才能はある人のようにみえる。
 しかし政治家には向いていない。職業の選択を誤ったのだろうと思う。
・私のような素人でも、虚偽の名前で日本に入国した金正日の嫡男・金正男をあっさりと
 釈放した時には、呆れて信じられないくらいだった。
 この一枚のカードをゆっくり使うだけで、少なくとも拉致問題は今とはちがった展開を
 見せていただろう。 
・日本では、政治家には向かない人が、政治家になりたがる。
 野田総理(当時)は、誠実な方だと思うが、ほんとうに人を見る眼がない。
 大臣のポストには適当でない器を平気で使う。
・戦後の教育は、「皆、平等」で「為せば成る」なのだから、その道に適さない人も、
 希望があればその道に進んでいいということになる。 
 自分に向かない道に入ったら自他ともにうまくいかなくて、当人も不幸、社会も迷惑を
 蒙る、というふうには教えない。
 意図がよければすべてよし、とされてしまうからだ。
・ついでに言うと、小説家は、性格は円満でなくてもいいが、人を見る眼だけは非常に素
 早くないとだめな職種だ。 
・その田中文科相が、平成二十五年度に大学の新設を予定していた秋田公立美術大学
 札幌保健医療大学、岡山女子大学の三大学の申請を一時、却下した。
・実は論理的には、私は今回ばかりは田中文科相の考えに賛成なのである。
 そういう人はかなりいるらしい。
 日本では、誰もが大学に行きすぎる。
 勉強が好きでもなく、卒業までに基礎的な知識も身についていないような青年までが大
 学に行く。 
 こんなもったいないことはないし、世界的にみても、そんな贅沢が簡単に許される国ば
 かりではない。
・今回の申請の中には、美術大学が一校入っていて、それを知った途端、私は「芸術の大
 学なんか要らないのに」と心の中で思ったのである。
 しかしこの学校は既に前身となる短大を持っていて、それを四年制に移行する計画だっ
 たと知り、それならそういうものか、と考え直しもした。
・もちろん私は大臣の経験などない。
 ただ日本財団の会長として十年近く働いたので、その時の経験でものを考えている。
 私が1995年に日本財団の会長に就任した時には、まず七百億円に近い年間予算のう
 ち、広報の予算にかなりの大鉈を振るった。
 マスコミの世界と、途上国援助の実態なら少しは知っていたから、こんな大金を効率の
 悪い広報誌や、恐ろしく高価なテレビコマーシャルに払うことはない、と思ったのであ
 る。 
・一つの組織を整理するということは、実はかなりむずかしいことなのである。
 組織という人格のないもなら、すぐに破壊できる。
 しかし、組織には必ず人間が付属しているからだ。
・いきなり外部からやって来た私からみると、黙っていても、人件費の一部は安定しても
 らえるにもかかわらず、その年、それに見合うだけの研究をすることによって、あきら
 かに社会に貢献しているともみえない組織がたくさんあったのである。
 私は当然、「そんな甘い話は、やめていただきましょうよ」という感じであった。
・その頃、こういう天下りお役人の引き受け先で、ほんとんど何も研究成果らしいものを
 あげていない財団などの出先機関を整理すべきだという機運は社会にもあった。
 だから私の働いていた財団だけが、風当たりの強いのを覚悟の上で、その予算上の再編
 成をするという必要もなかった。  
 「今年は新生を許可しない」旨の通達をすれば、それは可能だったのである。
・しかし私は最初から、急激な「取りつぶし」をしてはいけない、と反射的に感じたので
 ある。 
 どんなにその組織で働く人が無能な怠け者でも、その人の家族は、彼の収入によって生
 きている。
 彼の娘や息子は、父の収入で、将来の計画を立てている。
 だから、急に、その人の生活が成り立たないような処置は取ってはいけない。
・私はそれらの半分半眠しているような団体に、大体三年後を目安に、人件費などの経費
 援助を打ち切る通行をした。
 今年急にゼロにするのではなく、三年間に次第に額を減らして、その現実を実感して準
 備をしてもらう。 
 存続が必要な団体であれば、その間に必ずどこかから別の援助の口が見つかるだろう。
・その時に私の心にしきりに浮かんだのが、人間はみんな、「ひび割れ茶碗」だ、という
 思いがあった。 
 私のような年のものは、ことにその思いが深い。
 わたしはまあ、今のところ、軽い膠原病が出ているだけで、これは直接的な死に繋がる
 病気ではないというのだが、現実に無理な生活をすると、死んでしまうような病気を持
 っている人はよくいる。
・そうでなくても、どの家庭も、どこかに弱い人を抱えているものだ。
 一見まとものような家庭でも、お父さんが不眠症で深刻な精神状態だったり、お母さん
 の母親が徘徊老人だったり、息子が下宿先で火事を出したり、妹が交通事故に遭ったり
 している。
・人生はそういうことがあって普通なのだ。
 だから急な生活上の、ことに経済的変化は、出なくてもいい病人や死者を出すことにな
 りかねない。
 壊れるまで行っていなかった家庭が急に崩壊し、正常にみえた神経が突然ぶち切れたり
 する。
 だからどの家庭も家族も、多かれ少なかれ「ひび割れ茶碗」なのだ。
 それでもまだ水は漏っていない。
 しかし卓上に置く時、少しそっとしてやるほうが長持ちする。
・今回、大学設置を検討する審議会を通っていた三つの大学の新設決定を、田中文科相は
 一人で即座に否定し、その後再び炬火の方向に妥協した。
 あまり思慮のある人とは思えない。
 それらの学校は、長い時間をかけて必要な書類は揃えて何回も文科省に足を運んで、
 役所の意向も確かも、お金も時間もかけて校舎・教員その他を揃え、パンフレットを作
 り、学生の募集を始めた。
 進学を希望する学生もそれなりに針路と将来を計画した。
・民主党のやることはいちでもよく似ている。
 マニフェスト通りにするからというので、それまで何百億とかかった「八ッ場ダム」の
 建設を中断した。  
 関係者はまさに振り回され、膨大な経費が無駄になる、という図である。
・一般的に新設大学も、「もう要らない」時期が来ているなら、それはその方向に向かえ
 ばいい。 
 しかしその処置は緩やかにやるのが、人間の叡智というものだ。
 すでにあるダムの設置に向かって多額の投資をしていたなら、そのダムだけは完成させ
 て、後続の計画を取りやめるのが妥当だ。
・論理は正しいのだが、その間のうまみに欠ける人というものは世間に多い。
 田中文科相はまさにその一人だったのであろう。
 役人がよってたかって正論を曲げさせた、とご当人は思っているかもしれないが、
 「ひび割れ茶碗」を割らない方法などというものは、規則書にも書かれていない。
 しかし単純な人間性によって本能的にわかっているのか普通なのである。
 それは決して、長いものに巻かれることもないし、正義を曲げることでもない。
 むしろ正誤を通すための初歩的な生活の技術、つまり成熟した大人の判断によるものな
 のである。 

他人を理解することはできない
・私の知人に、すばらしい中年の美女がいる。
 服装の趣味もいいし、会話にも深みがある。
 知らない人は、その人を「昔、モデルさんをなさっていた方ですか?」などと言う。
 しかし私の知るところ、彼女は地味な会計事務所で働いているうちに結婚した。
 二人の子供ができたところで夫の浮気が発覚し、それと同時に彼女の心理に変化が起き
 た。
 夫に魅力を感じなくなってきたのである。
・子どもを連れて離婚した後、元夫は子供たちの養育費も生活費も送って来なくなった。
 どうやって暮らしていいかわからない。
 彼女は二人の子供を連れて、住み込みの寮母になった。
 どういう組織の宿舎かわからないが、掃除も食事の支度も何でもやった。
 とにかくそういう職場なら、幼い子供といつも一緒にいられる。
 下の子供は寮の廊下でおもちゃの自動車を走らせて大きくなった。
・今その子供たちも成長して、彼女は独立して別の会社を作って働くようになった。
 その姿が、私たちが見るその女性なのである。
 あの方モデルさんだったのかしら、と遠めに彼女を見かける人が言う姿である。
 人間は他人の苦労や過去の経歴など、ほとんど何も知らずにものを言う。
 知らないことは致し方ないのだが、その自覚がないのは困る。
・最近、災害がある度に働いてくれるボランティアという行為が根づいたことは、ほんと
 うにいいことだ。   
 しかしその多くが、一方的に善意の押し売りであり、その効果の最大のものは自己満足
 である。
 そう言うと怒る人がいるだろうが、いても別に不思議ではない。
 「私は人のためにしているの」と信じる人が大多数だ。
 「これは私が時間つぶしにやっているんですから」とか「昔、姑とどうしても折り合い
 ませんでね。その時の辛い思いを少しでも償おうと思って、ボランティアをやらせても
 らっているんです」と言った人がある時いたが、むしろその方がほんとうにボランティ
 アという行為を正当に認識している、と私は思っている。
 ボランティアは自分の心にむかってやるのである。
 しかしもちろん被災者の多くは優しい人たちだから、少しでも助けられた方は、
 「ありがとうございました」と礼を言うのが普通である。
・困難の中に楽しさもおもしろさもあるという単純なことさえ、平凡な暮らしを望み続け
 れば理解することができない。 
 要人深いと言うより、小心な人の生涯は、穏やかだという特徴はあるが、それ以上に語
 る世界を持たないことになる。
 だからたぶん、そういう人は、他人と会話をしていてもつまらないだろう。
 語るべき失敗も、人並み以上のおもしろい体験もないからである。
 話しのおもしろい人というのは、誰もがその分だけ、経済的、時間的に苦労や危険負担
 をしている。
 人生というのは、正直なものだ。
・世間からどう思われてもいい。
 人間は、確実に他人を正しく評価などできないのだから、と思えることが、たぶん成熟
 の証なのである。
 それは、自分の中に、人間の生き方に関する好みが確立してきたということだ。
 大きな家に住んでいる人が金持ちだとか、肩書の偉そうな人がほんとうに偉い人だとか、
 信じなくなることだ。
 そのついでに、相手に自分を本当に理解してもらおうとする欲望もいささか薄くなるこ
 とでもある。
 繰り返すことになるが、もちろん私たちは理解したいし、理解してもらいたい。
 しかし私は他人をほんとうに理解できるとは思わずに生きてきた。
 
甘やかされて得することは何もない
・日本の女性が、外見的にも幼くて、つまり貧弱で、とうてい成熟した女性のふくよかさ
 を持っていない、と感じる人は最近多くなった。
 誰もが同じような痩せた体つきをしている。
 AKB48のような子供っぽい芸のつたなさや仕種を好むようになったという人もいる。
・このグループが初めて登場して間もなくの時、私の知人がちょうど年末年始でもあった
 のでおもしろいことを言ったのを、私はヒ案でも覚えている。 
 「どのチャンネルを回しても、幼稚園生のお遊戯みたいなのなばかり見せられてうんざ
 りだったわ。うちに孫のお遊戯褒めるだけで手いっぱいで、とてもテレビの番組まで楽
 しむ余裕はないのよ」
 私はその言葉に笑いこけたのだが、これはなかなか深遠な意味を持っていたのである。
・AKB48については、その企画者は利口な人だと言わなければならない。
 AKB48の場合は動機が不純だ。
 一人の芸では、到底観客の期待に応えられないから、数を揃えて見せれば、若さという
 素材だけで金になる、という計算が見え見えである。 
・誰も言わないけれど、私はビーチバレーという競技にも、発案者の不純を感じる。
 私はバレーも大好き、ビーチバレーをするのも筋肉を鍛えるのに非常にいいと思うけれ
 ど、あのビーチウェアで観客を前にビーチバレーをさせるには、いやらしい意図がある
 と思っている。
 つまりセックスをスポーツに加味して売り物にしているのだ。
 その淫らな意図を意識しないというのは、どこかに嘘があるとしか思えない。
 もしそうでないというなら、服装を替えればいい。
 つまり私は自分の娘や孫にだけは、あの服装の故にビーチバレーだけはさせたくないの
 である。
・現在のAKB48の歌も踊りも、素人に近い。
 素人でもいいからAKB48になりたい見たいという人もいるのはわかっているが、
 そこにこそ不純の動機もある。
・AKB48のダンスをお遊戯と言い捨てた人は卓見だと言うほかはない。
 つまり現在の社会には、達者でない芸、一人前とは言えない教養、成熟していない精神
 が、あらゆる形で平気で存在できるようになったのである。
・もちろん、どんな人でも存在できることは悪い状況ではない。
 世界の社会主義的政治体制を持つ多くの国は、日本のように自由ではない。
 生活のさまざまな部分に眼には見えない足かせのような規制が設けられており、自由に
 研究も事業も表現もできないという国がたくさんある。
 それを思えば、売れればいい、金になりさえすればいい、と言って許される国というも
 のは、決して悪くはないのだ。 

人はどのように自分の人生を決めるのか
・親もいる中学生が」「援助交際」をして、そのお金でブランドもののハンドバックを買
 っていても、家の中で気がつきもしないのか、問題にもならない社会は、それだけで深
 く病んでいる。
 そういう社会は、基本的な倫理観、精神的な潔癖感、個人的な矜持のすべてが欠けてい
 て、「流行と大多数」が個人の思想の位置を決めるようになる。
 友だちが皆しているんだからカンニングをしても当たり前。
 お金がなくてどうしても欲しいものがあれば万引きをすればいい、という空気が濃厚に
 あって、それらのものは、どんなに些細なものでも人間失格なのだ、などと言えば、
 何を頭の固いことを言ってるのよ、と笑われそうな空気なのである。
・人間何をしたって自由なのよ、したいようにすればいいのよ、という発想は実は根本的
 にまちがいなのだと大人たちは言わなくなったのだ。
 それは自由のはきちがえ、もっとはっきり言えば、教養のなさ、人間失格の条件なのだ
 が、いつのまにかずるずるとその程度のことは「今の時代仕方がない」という形で、
 市民生活の間に浸透してきた。
・ほんとうに人の一生というものは、最後の最後までわからない。
 「団塊の世代」が最近ではもう六十路を歩むようになった。
 彼らもまた、人には思いがけないようなさまざまな人生の結論があるらしいということ
 が、現実のものとして見えて来ているだろう。
 同級生で成績も就職先の社会的評判も、出世競争でもトップを走っていたように思われ
 る友人が、体を壊して五十歳前後で死んだり、再起不能の病気にかかったりすることは
 よくある。
 あるいは、才色兼備のいい妻をもらったように見えた人が、その妻がまだ六十歳になる
 前から知的能力に衰えを見せ、長い老後をずっとその世話をして暮らさねばならなくな
 るようなケースを決して珍しくはないのである。
・長く生きるよさというのは、こういうどんでん返しが現実にあることを確実にこの眼で
 見られることだと言うべきかもしれない。
・結論は簡単に出ない。
 評価も単純にはつかない。
 人間は、どれほども自分の眼の昏さを知って謙虚になるべきだ、ということがひしひし
 と感じらえるのである。   
・しかし私が最近感じているのは、そうした結果論ではない。
 私が問題として眺めてみたいのは、人間はどのようにして自分の人生を決めようとして
 いるのか、ということだ。
 現代は個人が選択の自由をとことん得ている時代だと見られているが、実は個人はその
 自由を評価してもいないし行使してもいないのではないか、と思うことがよくあるのだ。
 
不純な人間の本質を理解する
・いいだけの人生もない。
 悪いだけの生涯もない。
 ことに現在の日本のような恵まれた状況では、そのように言うことができる。
 それでもなお、多くの日本人が不平だらけなのだ。
・もし人生を空しく感じるとしたら、それは目的を持たない状況だからだと言うことがで
 きる。 
・たとえば高齢者に多いのだが、朝起きて、今日中にしなければならない、ということが
 何もない。
 だからどこへ行ったらいいのか、何をしたらいいのかわからない。
 どうして時間をつぶそうかと思う。
 時間というものは皮肉な「生き物」で、することがたくさんある健康人にとっては素早
 く経っていくものなのに、することのない人や病人には、きわめてのろのろとした経過
 しないものなのである。
 絶対時間というものは果たしてあるのだろうか、と思うくらい心理的なものだ。
・年齢にかかわらず、残りの人生でこれだけは果たして死にたいと思うこともない、とい
 う人は実に多い
 諦めてしまったのか、もしかすると、目的というものは偉大なものであるべきだ、と勘
 違いしているからか、どちらか私にはよくわからない。
・私の目的は、多くの場合、実に小さい。
 そしてそれを果すと、私は満足と幸福で満たされる。
・現在の日本人は、まずまず食べられるから不幸なのだ。
 その人が今日食べるものにも事欠くような状態なら、何か半端仕事でもしてお金を稼が
 ねばならない、という切羽詰まった思いになり、その緊張も一つの救いになるのだが、
 今日の日本で普通に見る高齢者は、どうやら食べることはできる。
 雨の漏らない家もあって、死ぬまで住んでいける。
 しかし、目的がない、という状態なのだ。
 この虚しさほど辛いものはない。
 退屈というものは、死ぬほど苦しいものだ、と言った人さえいた。
・人間は誰でも、自分に関することをもっとも重大事だと考える。
 しかし他人のこととなるとそれほどでもない。
・たいていの人間は極限に立っていない。
 たいていの人は中間地点で生きている。
 普通に暮らしているがちょっとした
 「病気もち」という人はざらにいるし、病人でもまだ青春真っ只中で恋をしている人も
 いる。 
・私たちは先天的にも、運命的にも常に中間の地点に立つようになっているのだ。
 私たちはいいばかりの人手もなく、絵に描いたような悪人でもない。
 よくて悪い人間なのだ。
 他人もまた同じだ。
 あの人もこの人も、似たりよったりなのだ。
・大人にならない人は、この宿命的な不純で不安定な人間性の本質がよくわからないだけ
 なのだ。  
 私たちは相手と決定的に違うこともなく、決定的に同一になれるわけでもない。
 違って当たり前なのだ。
 だから対立したこと、思想や政策について、は、次の選挙で争って勝てるものなら、
 そうすればいいが、そうでなかったら、無視して我が道を進むことなのである。
・それより大切なのは、そんな細かいことを忘れるために、一人でもいいし、友達や家族
 とでもいい、楽しくお茶を飲むことだ。
 大切なことは、お茶を入れて、すべての些細な対立は、強靭な大人のこころで流してし
 まえるかどうかなのだ。