人間の値打ち :鎌田實

この本は、いまから7年前の2017年に刊行されたもので、人間の値打ちは何で決まる
のかを論じたものだ。
筆者は、人間の値打ちが決まるは次の七つだと結論づけている。
 ・空気に流されずに生きる力
 ・人生を楽しむ力
 ・「愛する力、愛される力」と「死に支配されない力」
 ・破壊力(突破力)
 ・稼ぐ力
 ・別解力
 ・孤独力
しかし、これらのすべてにわたって、完璧だと自信のある人は少ないだろう。
自分自身はどうかなのかと分析してみても、正直、どれも自信の持てるものはない。  
そう考えると、私には人間としての値打ちがないことになる。
そんなことを考えると、悲しくなるので、考えないことにした。
これって、人間の値打ちのうちのひとつ「別解力」かな。


はじめに
・「値打ち」ってなんだろう、と考えてみた。
 その人やその者や事柄が持っている価値。
 役に立つ度合い、あるいは役に立つ程度、と考えると、少しわかりやすくなる。
・「値打ち」と「値段」、同じようでいて、何かが違うような気がする。
 「値打ち」と言った時には、単なる値段以上の、それらが存在している意味や意義がか
 かわってくる。 
 つまり、どれだけ役割を果たしているか、ということだ。
 人間であれば、品位や尊厳という言葉につながるかもしれない。
・格差社会のなかで、自分には「値打ちがない」と思わされている人たちが増えている。
 厳しい状況で頑張っているのに、「あいつは雇っている値打ちがない」と後ろ指をささ
 れる人もいる。 
・上司からパワハラを受け、「自分には生きている値打ちがない」と思いこんで、うつ病
 や自殺に追い込まれる若者もいる。
・そして一部の勝ち組だけが「、俺たちは居売層の中で勝ち抜いてきたんだから、値打ち
 が高い」と大きな顔をしている。
 稼ぐ力は人間の値打ちに間違いなく関係しているが、人間の値打ちはそれだけではない
 はずだ。
 その「それだけではない何か」を、きちんと言葉にしたい、と思った。
・人間の値打ちとは何か、見つめ直してみたい。
 失われつつある人間の値打ちについて考えていくことで、自分が存在している意味や意
 義を見つけられるのではないだろうか。
  
人間の「値段」と「価値」について
・人によって値打ちの基準が変わるということを知っていた方がいい。
 もちろん時間とともに値打ちが変わってくることもある
 人間の値打ちは流動的だ。
 ある出会いやある出来事で人間の値打ちは変わるのだろう。
 だから面白いとも言える。
・現実問題として、人間には「値段」がつけられる。
 たとえば、いじめや過労自殺、医療ミスなどをめぐる裁判では、1億円以上の損害賠償
 を命じる判決が出ていたりする。 
 そうすると、人間の「値段」は大体1億円くらいということになるのだろうか。
・交通事故などでの死亡事故の慰謝料は、『一家の支柱」では2800万円、「母親、配
 偶者」で2400万円、「独身男女、子ども、幼児」は2000万〜2200万円など、
 被害者の家庭内での役割に応じて計算方法が変わってくる。
 これらに、精神的苦痛などの事情や加害者の悪質性が加味される。
 働き手のお父さんがいなくなってしまった分を考慮するという理屈はわかるが、大切な
 妻や母親、子どもの「値段」と差があることには、何だか違和感もある。
・この国の政治家の中には、コストでしか人間の価値を測れない人がいるようだ。
 「90歳になって老後が心配とか、わけのわからないことを言っている人がこないだテ
 レビに出てた。オイ、いつまで生きてるつもりだよと思いながら見てました」
 「麻生太郎」副総理兼財務相の発言だ。
 高齢者に、お金をため込まず「もっと消費し回してほしい」と言いたかったのだろうが、
 90歳のお年寄りに「老後」を心配させているのは、政治の責任のはずだ。
・麻生は、
 「死に態と思っても生きられる。政府の金で(高額医療)やってもらっていると思うと
 寝ざめが悪い。さっさと死ねるようにしてもらうなど、いろいろ考えないと解決しない」
 と持論を展開したこともある。
 高齢者を政府財政のお荷物だと思っているから、こんなひどいことを言えるのだろう。
 これでは「お金がかかるから長生きするな」と言われているようなものではないか。
 日本の財政が厳しいのはわかっているが、そのことばかりが価値の基準になってしまう
 のは、政治家としてどうなのか、と思わざるを得ない。
・「石原慎太郎」元都知事の息子の「石原伸晃」氏も、コストを真っ先に考えてしまう人
 のようだ。 
 胃ろうをしている高齢者に、
 「エイリアンが人間を食べているみたい」
 「この人たちの介護にお金がかかって、大変だ」などと言ってしまう。
・とんでもないと言えば、石原元東京都知事は雑誌の対談で
 「この間の、障碍者を19人殺した相模原の事件。あれ僕、ある意味で分かるんですよ」
 と発言している。
 
 この人は都知事時代にも、重い障害がある人たちの治療に当たる病院を視察した後の記
 者会見で、 
 「ああいう人ってのは人格があるのかね」
 「ああいう問題って安楽死なんかにつながるんじゃないかという気がする」
 と暴言をはいている。
・石原のような社会的立場のある人が障害者の安楽死を軽々しく口にし、「税金のムダ」
 として殺された被害者の遺族に「すべての命は存在するだけで価値があるということが
 あたりまえではない」と言わせてしまう今の日本。 
 生きているということがどんなにかけがえのないことか、根源的な命の「価値」が軽ん
 じられている。
 いったいなぜ、そんなふうになってしまったのだろう。
・行き過ぎた資本主義の世の中で、みな、自分の損得ばかりに一生懸命になっているせい
 かもしれない。 
 誰もが「自分」だけが勝ちぬくことに一生懸命になっているのだ。
・資本主義は競争社会で、自分が大事、というのが基本だが、最近はそれが度を越してい
 るように思う。 
 経済的厳しい状況が続いて皆が保守化し、自分たちさえよければいいと考える人が多く
 なった。まるで内向き競争のようだと思う。
・でも、競争社会のなかで勝ち続けられるひとばかりではない。
 政府はしきりに「一億総活躍社会の実現を」と叫んでいるが、バリバリ働いて、がんが
 ん稼いで、華々しく「活躍」しよう、というように聞こえてしまう。
 そんな「勝ち組」でなければ、存在する「価値」などないと、「活躍」できない人は自
 分を否定してしまうのではないかと心配になる。
・資本主義社会に生きている以上、お金は大切だ。
 だが、経済的豊かさがあれば人生の価値も高いかというと、そうではない。
 年収と幸福度の関係については、国内外で様々な研究が行われているが、結論としては、
 ある一定の収入を超えると、収入の高さは幸福度と比例しなくなる、ということになる
 ようだ。
・日本の幸福度は2013年発表の調査で43位にランキングされて以降、2015年は
 46位、2016年には前年から7つも下がった53位となった。
 2017年のランキングではわずかに上昇し、51位である。
 これは、日本の政治が国民の幸福を意識してこなかったからではないか。
 国民はよく働いているのに、このお寒い結果、腹が立つ。
 国づくりの失敗としか言いようがない。
・2016年調査では国内・地域内の「格差」についての調査・分析が新たに加わったが、
 ほとんどの国や地域で幸福度の格差が大幅に拡大しており、幸福度の格差が小さい社会
 で暮らす人々はより幸福であるということが明らかになった。
・ここが大事なところだ。
 資本主義だから当然格差があっていい。
 でも、ほどほどの格差にしておくことが、実はとても大切ではないかと思う。  
・日本はかつて「一億総中流」と言われていた。
 お金を持っている人もお金がない人も、みんな「自分は駐留の上だ」とか「中流の中だ」
 とか「中流の下」だとか答えていた。
 みんながそれなりに駐留にいると思えていた時のほうが、僕たちの国の幸福度は高かっ
 たように思う。 
・いくら持っていれば幸せになれるかは、難しい質問だ。人によって違う。
 ただ、日本では年収が1000万円くらいまでは収入と幸福度は正の相関をするようだ。
 それ以上は収入の額が伸び続けてもそれだけ幸福度が上がることはない、とも言われる。
 年収が600万円の人より1800万円の人のほうが幸福度が三倍になるわけではない。
・いくら稼ぎたいかは人によって違う。
 もちろん稼げる人間になって、年収1000万円を目標にするのもいい。
 でもどんなに高い年収を得てもそれで何か大切なものを失っていれば元も子もない。
 収入の額以上に、今の生活に満足できているかどうかということが幸福度を決めるのだ
 と思う。 
・「値打ち」というと稼ぐ力のことと思われている。
 それはそれで大切だが、もう一つ大事な「生活力」がある。
 どんな状況でもきちんと丁寧に生きていける力。
 これはバーチャルな力ではなく、リアルな力なのだ。
・人生の最大の目標は生きることを楽しみ、幸せになることのはず。
・かつて稼ぎ頭だった洗濯機もテレビも掃除機も冷蔵庫も、居間では中国や韓国や台湾の
 メーカーがつくれるようになっている。
 競争が激しくなり、壁にぶつかったとき、東芝は原発と半導体メモリ事業という二つの
 柱で生きていくことにした。  
 新しい原発ビジネスで利益を出そうということで、アメリカの原子炉メーカー、ウェス
 チングハウスを高値で買収したが、これがとんでもないババになってしまった。
 東日本大震災の原発事故により、世界各地で原発事業の見直しが進んだことは計算外だ
 ったかもしれない。 
 しかし、事故のあと、もっと早く軌道修正していれば、東芝は土俵際まで追い込まれ
 ずにすんだと思う。
 だが、東芝の経営陣は「原発事業は順調」とスタンスを変えなかった。
 結果的に、ウェスチングハウスは7000億円を越える損失を発生させることになる。
・頼みの綱の原発事業が巨額の赤字を生み出し、破綻寸前までの東芝は、最後の虎の仔で
 ある半導体メモリ事業も手放さなければならないほど追い込まれてしまった。
・なぜあれほどの対企業がここまで没落してしまったのか。
 ただ東芝叩きをしていても、その原因は見えてこないだろう。
 結局、ここ数年の東芝のリーダーたちに美意識も哲学もなかったため、儲かればいいと
 いう空気が会社を支配してしまったのではないだろうか。  
・資本主義というと「儲かればいい」というとらえ方をされがちだが、企業のトップがそ
 れしか頭にないというのでは、値打ちのあるリーダーとは言えない。
 厳しい時代だからこそ、人間は単なるモノではなく、それ以上の何かを求めている。
 そのとき問われるのは、トップの哲学だ。
・「夢無き者に理想なし、理想無き者に計画なし、計画無き者に実行なし、実行無き者に
 成功なし、故に夢無き者に成功なし」(吉田松陰
・傾きかけた企業を立て直すリーダーには、共通点があるように思う。
 自分の中のどこかに鬼、羅刹を飼っている。
 生きていくということは、やわではやっていけない。
 ましてや、社員も含めた大勢の人たちの人生を背負わなければならない会社のリーダー
 は、凄まじいほどの厳しい鬼神にならないといけないときがある。
 自分の心の中に鬼神を飼っている人は人間としてどこか本物のような気がしてならない。
・今の日本では、消費を広げる中流層が薄くなってしまい、社会にお金が回らなくなった。
 非正規雇用化を進めて、一時的に企業は利潤が上がるようになったかもしれないが、
 長い目で見れば、経済全体が沈んでしまい、ジリ貧になっているということだと思う。
 分厚い中流層は崩壊し、貧困層へと転落しかねない不安の中で、民意も大きく右に触れ
 たり、左へ触れたりしている。
・僕たちが生きている資本主義社会は競争社会だから、どうしても格差が生まれる仕組み
 になっている。 
 しかし、命に関係することは例外であるべきだ。
 教育、医療、介護については、格差を影響させてはいけない。
・国が「財源がない」と言い訳をして間に、お金のあるなしが命や介護の格差につながる
 ような状況も出てきている。 
・今、日本全国に老後破綻に近い状態の人が、200万人以上いると言われている。
 特に衣食住全てにお金がかかる大都市での生活は厳しいはずだ。
・人間の値打ちを高めるためにも、「ネアカ力」を学んだ方がいい。
 ネアカは「自分はここにいていいんだ」という自己肯定感を高め、前に進む力を与えて
 くれる。
・生来のネアカは、日本人には少ないのではないかと思う。
 まじめな日本人の性格は、どうやら遺伝的なことが関係しているようだ。
・「しあわせホルモン」と呼ばれることもあるセロトニンは、自分を幸せにするホルモン
 だ。 
 セロトニンが不足すると、うつ病になりやすくなったり、攻撃的になったりするが、
 このセロトニンを体内に取り込むセロトニントランスポーターというたんぱく質がある。
 この遺伝子の型が欧米人と日本人とで大きな違いがある。
 日本人の7割がセロトニンを取り込みにくいSS型という、不安を感じやすく、慎重に
 なりやすいタイプだそうだ。
 欧米人ではこの型は2割以下しかおらず、逆にLL型というセロトニンを多く取り込む
 タイプの型の持ち主は三人にひとりの割合でいる。
 このLL型遺伝子を持っている人は、楽観的すぎるほど不安を感じにくく、リスクがあ
 るほどチャレンジに燃えるが、日本人ではわずかに3%しかいない。
・遺伝的にネクラになりやすい性質を持っていても、意識することで変えていくことはで
 きる。 
 笑ったり感動したりという行為はセロトニンを分泌させる。
 突き抜けたネアカにはなかなかなれなくても、ネアカ力を育むことで人間の値打ちが上
 がり、人生はどんどん面白くなっていく。
 
・今、時代は大きく変わろうとしている。
 急速なスピードで進化するAI(人工知能)の存在は、「人間を越えていくのではない
 か」という一種のおそれを芽生えさせている。
 少し前まで「人間には勝てない」と言われていた将棋や囲碁でも、あっという間にトッ
 プ棋士がAIにかなわなくなった。
・本当にAIが「人間以上」のものになったとき、僕たち人間の「値打ち」はどこにある
 のだろうか。
・そんな時代こそ、人間の値打ちが問われてくる。
 今以上に面白い人間が出てくるような気がする。
 早過ぎることはない。今からAIにはできないような生き方を始めればいいのだ。
 優れたAIがつくられればつくられるほど、やさしく、想定外にあったかく、強く、
 破壊力のある人間クサイ人間になってやる、と自分に言い聞かせている。
・AIは、大量の情報を効率的に処理し、最適化する。
 技術が進めば進むほど、これからの世の中は、効率が重視されるようになっていくだろ
 う。 
 だが、「意味を理解できない」AIが導き出す「最適」な答えが、人間が求めるものと
 同じとは限らない。
・いいことも悪いこともする、どうしようもない失敗もしてしまう、それが人間という厄
 介なイキモノだ。 
 AIよりずっと効率が悪い。
 それでも、覚えた「正解」以外の「別解」をいくつも見つけ出せるのは人間の強みであ
 る。
 人間が生きていくなかでは、合理的に解決できないことがいくらでもある。
 そんなとき、自由な発想でどうハードルを飛び越えるのか、そこに人間の値打ちが出て
 くるのではないだろうか。
・一見、成功した人ほど値打ちが上がるように思えるが、失敗を繰りプロセスがなければ
 成功は生まれない。
 と言うことは、失敗が多いことが値打ちにつながることもあるわけだ。
・今、人間は進化の旅の途上で途方に暮れているように見える。
 行き過ぎた強欲な資本主義の中で、自分さえよければいい、勝ち組になればいい、とい
 うやり方が幅を利かせている。
 格差社会は、そうした利己的な追求が行き詰まり、壁にぶち当たっていることの表れだ。
・人間の価値が見えにくい時代だからこそ、人間クササの復興が大事。
  
「働くこと」「愛すること」と「生きる価値」
・人間は、思わぬことで自分の存在意義を見失ってしまうこともある。
 日本では四人にひとりが一度は自殺を考えたことがあるという。
 実際には死に至らなかったとしても、それだけ追い詰められた経験を持つ人が多いとい
 うことだろう。
・だが、人間は絶望したとき、この二つがあれば生きていくことができる。
 一つは働く場があること、もう一つは愛する人がいることだ。
・人間にとって、働くということは、単にそれでお金を得るということ以上に、もっとも
 わかりやすい形で今の資本主義社会のなかで自分が存在している意味が見える。
 人間の値打ちも、いい働きのなかでつくられていくものだ。
・今の日本では、「働くこと」の意味が見えにくくなっているのかもしれない。
 生き生きと働くことができなければ、社会が元気になるはずもない。
 そんな日本の現状を突きつけたのが「電通」の問題だった。
・資本主義社会のなかで「もっともっと儲けよう」と働いているうちに、僕たちは時間感
 覚をマヒさせてしまったようだ。
 「24時間戦えますか」という栄養ドリンクのコマーシャルがあったが、働き詰めの生
 き方が素晴らしいと、どこかで洗脳されてしまっているのかもしれない。
・そんな価値観に加え、今の日本では長時間労働が当たり前という職場が少なくない。
 医療界もそうだが、慢性的な人手不足が続き、少ないスタッフに負担が集中してしまう
 ため、長時間働き続けなければ仕事が終わらない、という悲鳴があちこちであがってい
 る。
・2015年のクリスマス、電通の新入社員だった「高橋まつり」さんが電通女子寮の四
 階から飛び降り自殺し、彼女が月100時間以上の残業を日常的に行っていたことが問
 題になった。  
 過労死ラインの目安は月80時間の残業と言われている。
 高橋まつりさんは生前、ツイッターで
 「もう四時だ。体が震えるよ・・・しぬ」
 「がんばれると思っていたのに予想外に早くつぶれてしまって自己嫌悪だな」
 「はたらきたくない。一日の睡眠時間2時間はレベル高すぎる」
 などと投稿していた。
 こうしたツイッターによって、深夜帰宅が続き、土日も休めない過酷さが明らかになり、
 高橋まつりさんの自殺は過重労働によるものだったとして、労災認定を受けた。
・高橋まつりさんに限らない。
 長時間労働を含む過酷な労働で疲弊し、心が折れてしまう人が後を絶たない。
 高橋まつりさんの過労自殺によって長時間労働是正の声が高まり、政府は罰則付き上限
 規制を含む「働き方改革」の実行計画をまとめた。
・しかし、短銃に残業時間を減らしても、問題の本質は見えてこないと思う。
 電通の問題を議論するときに「100時間」という残業時間の問題よりもっと大切なも
 のを見落としてはいけない。  
・僕たちが生まれてきたのは幸せに生きるためのはず、仕事はその力を与えてくれるもの
 のひとつだ。
 働くことを通じて自分が成長できたり、知らない世界を学べたり、そして目標に到達で
 きた達成感を得られたりすることも仕事の大きな要素である。
 しかし、仕事に支配されてはいけない。
・労働時間はルールどおり改善をしなければならない。
 でも、次官だけの問題ではないことを僕たちは理解しないといけないと思う。
・仕事をするうえで、自分がやっていることに誇りを持てるということは非常に大切だ。
 もし自分仕事に充実感があり、生き生きと働くことができるのであれば、おそらく心が
 折れるようなことはないのだと思う。
・高橋まつりさんのツイッターで、長時間労働を嘆くツイート以上に気になるのは、上司
 から言われたという言葉の数々だ。
 「君の残業時間の20時間は会社にとって無駄」
 「会議中眠そうな顔をするのは管理ができていない」
 「髪ボサボサ、目が充血したまま出勤するな」
 「今の業務量で辛いのはキャパがなさすぎる」
・新入社員だった彼女の仕事ぶりには未熟なところがあったかもしれない。
 しかし、どんなベテランであっても、いつも120%のパフォーマンスができるわけが
 ない。 
 野球の一流バッターでさえ打率は3割、つまり10回のうち7回は失敗している。
 7回失敗したからといって、選手を責める人はいない。
 もし、ちょっといい仕事をしたときに「決行すごいじゃないか」と評価してくれる人が
 いたら、彼女が死を選ぶことはなかったのではないか。
 締め付けないと働かないというのでは、まるで奴隷制度みたいだ。
・「取り組んだら放すな、殺されても放すな、目的完遂するまでは・・・」
 電通の四代目社長がつくった「鬼十則」と呼ばれる行動規範は、時代錯誤もはなはだし
 い。 
 指導者や部長の若手に対する「君の残業時間の20時間は会社にとって無駄」
 という言葉は「、まつりさんの問題ではなく、上司と会社の働かせ方、考え方に問題が
 あることを示している。
・政府の「働き方改革」について、経営者側からは「厳しい規制は企業の競争力を削ぐ」
 という懸念も出ているようだ。
 労働組合のナショナル・センターであるはずの「連合」も、政府の意に沿うような動き
 をしており、働く人のための「働き方改革」ではなく、雇用する側に都合の良い「働か
 せ方改革」の方向で議論が進んでいるのではないかと心配だ。
 連合は労働者のための組織なのに、一部幹部は経営者みたいな発言をしている。
 人間の値打ちと働くことは密接に関係しているのだから、もっとしっかりしろよと言い
 たい。
・全部が24時間戦う働きアリ集団になる必要はなのだ。
 組織は一枚岩になろうと努力する。
 でも一枚岩になったときは要注意だ。
 そこから一時的にはいい成果をあげるだろうが、人間の組織はもろい。
 必ずほころびが出てくる。
 本当に強いのは、異分子がいてなかなか一枚岩になれない組織。
 むしろ一枚岩になろうとするがなれないところにパワーが生まれるのだと思う。
・自分で選んだという事実が大事で、ここに大切なヒントがあるような気がする。 
 「選ぶ」という行為は人間の値打ちを育てる可能性がある。
 子どもを育てるときも、できるだけ明確に本人が意識するように選ばせていく。
 そこで、その行為をあやふやにしない。
 「お前はそう選ぶのか」と、本人が選んだことを確認しておく。
 ほんの少しだけだと思うが、自分の選んだその後の行動は、その子の人生を実りある生
 き方へと変えていくのではないか。
 「自由」であることと「選択」は、人間の値打ちに影響するのではないかと思う。
 
・人を恋すること、人を愛することは、とても面倒だ。
 それでも、人を好きになることは、すてきなことだ。
 失恋したとしても、かつて人を愛したことがある人や、今、人を愛している人はそのこ
 とを実感していると思う。
・恋愛だけでなく、親子の間に流れる慈しみの感情も、何でも話し合える友だちとの絆も、
 みんな愛のかたちだ。
 心をもって人間にとって、愛することは生きいく上で欠かせない。
 だから人間の値打ちの大事な要素のひとつになるのだ。
・結婚しないことも、子どもをつくらないことも、その人の価値観だからそれはそれでい
 い。 
 でも、幸せになりたいなら、愛することをおそれてはいけない。
 スマホやネットでつながっているだけでは、孤独を癒すことはできない。
 
困難な時あらわれる人間の「値打ち」
・人間の心は弱い。震災のような大きな試練がふりかかれば、ショックで元気がなくなっ
 てしまうのは自然なことだと思う。
 そんな弱さを支え合いながら前に進むためには、地域とのつながりや人間と人間とのあ
 たたかなつながりがあることが大事なのだ。
 震災や災害に負けない、そんなつながりを自らつくっていくことも、人間の値打ちのひ
 とつだ。
・今、多くの日本の若者たちが壁にぶち当たっている。
 日本で奨学金による自己破産は1万件、と言われる。
 人生のスタートで破産はあまりにも悲しい。
 貧困から脱出するために必死に勉強して大学に進学しても、非正規雇用では経済的に厳
 しく、奨学金を返済できない。
 この壁をどうすれば壊すことができるだろうか。
・個人の責任と言うことで片づけてしまうには、あまりに困難な問題だ。
 若者たちが将来に明るいビジョンを以って学べるような仕組みを社会全体でつくる必要
 がある。  
・その一方で、若者たちには、人生の面白さを理解するためには大学に行くことがすべて
 じゃない、ということも知ってほしい。
 スティーブ・ジョブスなんて、大学に半年通ったところで「意味がない」とすぐに辞め
 てしまった。
・今は大学全入時代だという。
 たしかに教育は自分の置かれた環境から脱出するための大事な武器になる。
 でも、学歴だけで人間の値打ちは決まらない。
・大学に行かなくても、起業して、大卒のサラリーマンが一生かかっても成し遂げられな
 い立派な業績を上げる人もいる。 
 松下幸之助は小学校中退だし、政治家でいえば、田中角栄も高等小学校卒、今で言う中
 卒だった。
 ベストセラー作家や売れっ子漫画家、活躍するアーティストのなかには、大学に行かな
 かった人も少なくない。
・いい大学へ行くためにいい高校へ、いい高校へ入るためにいい中学へ、あるいは中高一
 貫校へと試験を突破し、人生の正解を見つけるために、その場しのぎの受験技術を学ば
 されていく。
 でも、それにどんな価値があるというのだろう。
 社会に出れば、いろいろな状況の下で正解も変わっていく。
 だから、「別解力」を身につけないといけない。
 必要なのは、聖下威力じゃなくて「別解力」だ。
 「別解力」は人間の値打ちを決めるときにとても大事になる。
・もちろん頭がいいほうがいいだろう。
 でも、頭がいいことだけが人間の価値をつながるわけじゃないし、いくら成績が良くて
 も人生が成功するとは限らない。  
・頭がいい、勉強ができるというのは、人生を生きていくうえで十分の一ぐらいしか役に
 立たない。
 あとの九割は、たとえば決断する力だったり、持続する知からだったり、あるいは相手
 の気持ちになれる力、友だちをつくる力、楽しむ力、勇気を奮う力、友だちを裏切らな
 い力・・・今、成績が良くなくても、残りの十分の九は自分の意志でどうにでもできる
 し、この十分の九がしっかりしていれば、けっこうおもしろい人生を送ることができる。
・学歴もそうだが、一度ダメになるとすぐ、僕たちの社会はレッテルを貼りたがる。
 たとえば、風俗店で働く若いシングルマザーは世間で後ろ指をさされたりする。
 僕の実の両親は離婚をしたみたいだ。まだ赤ん坊だった僕は捨てられた。
 しかし、風俗店で働くシングルマザーは子どもを捨てていない。 
 子どもを捨てないで育てるということは、それだけで値打ちのあることだ。
・本当は、風俗店で働かない子供を育てていけないという社会がおかしいはずなのだ。
 辛い状況に耐えきれず、子どもを虐待してしまう親もいるなか、風俗店で働くシングル
 マザーたちは、厳しい生活に追われながらも、がんばって働き、必死に子どもを育てて
 いこうとしている。
 そして、自分も生きようとしている。
 なんて人間の値打ちの高い、すごい人たちだろう、と思う。
・風俗で働く人は30万人にも上るそうだ。
 何となく始めた女性も多いと聞いた。
 シングルマザーだけでなく、生活に困っている若い女性たちが風俗店で働くことも増え
 ている。 
 時には住む場所や託児所などが用意され、短時間でほかのバイト以上に稼ぐことができ
 る風俗店は、彼女たちのセーフティネットになっているのだ。
・今の日本では、それまで普通に社会生活を送っていた人が、リストラなどで急に生活が
 苦しくなったりする。 
 ひどいときには住んでいた家から追い出され、ホームレスになってしまうということだ
 ってあり得る。
 生活保護を受けることになって、「情けない」「自分はダメな人間だ」と思ってしまう
 人もいる。
・でも、そんなことで人間の値打ちはなくならない。
 厳しい状況に陥ったときには、むしろ自分の値打ちを高めるチャンスだ。
 そこからどう這い上がるか、そこに人間の値打ちが出てくるし、人生もおもしろくなっ
 ていく。
・病気や年をとったことで体が不自由になり、今までできたことができなくなる。
 それは生きていれば誰にでも起こり得ることだ。
 「自分は役立たずになってしまった」なんて、嘆かないでほしい。
・人間の値打ちの基準はひとつじゃない。
 そして、自分の値打ちを決めるのは自分自身だ。
 辛い状況に置かれたときこそ、「別解力」を使って発想を大きく転換する必要がある。
 僕に人生も「別解」で大きく変わった、
 自分の人生を考えるときも、正解を目指さなくていいと思ってきた。
・人間が人間的であるためには、与えられた環境を否定する行動がなければならない。
 自然と調和して生きる動物と違い、僕たち人間は環境を変えていく生き物なのだ。
 「別解は」、正に環境を変えていくための新しい条件を作り出していく力になるものだ
 と思う。
・認知症をおそれている人が大勢いる。
 がんや心臓病よりも認知症になりたくないという人は多い。
 認知症を「緩慢な死」と表現するジャーナリストもいる。
 今日の朝、ご飯を食べたかどうかがわからなくなる
 病気が進行すると、食事や排泄が自分でできなくなる。
 家族の顔も、自分自身が誰かもわからなくなる。
 意思も感情も失われる。
 人間が壊れていく・・・。
 本当にそうだろうか。
・僕はたくさんの認知症の患者さんを診てきたが、実際、認知症だから何もできない、
 ということはできない。
 認知症はおおむねまだら状に障害を起こしていく。
 まだら状になった記憶のなかでも、患者さんの人格は失われないし、本人もそのことを
 知っている。 
・認知症になると、二重の偏見によって生きる力を奪われていく。
 まず、社会の偏見。自分が認知症だと伝えた途端、周囲の対応が違ってくる。
 認知症でも人それぞれ症状や理解力が異なるのに、病院の医師や看護師でさえ、「どう
 せ言ってもわからない」と決めつけて、通常ならされるはずの説明をしてくれなかった
 りする。
・医療や介護の空間でも、認知症になった人間の値打ちを的確に把握できる人たちがいる
 一方で、間違った判断をして、値打ちのない人と思いこんでいる病院や施設もある。
 そんな社会の偏見にさらされているうち、自分自身も「自分は何もできない存在だ」と
 思わされ、もう一つの偏見が自分のなかでつくられていく。
 そうやって自分の生きる価値を見失い、どんどん無気力になっていってしまう。
・認知症の人たちを「緩慢なる死」へと追い込むのは、そんな自分自身と社会の二重の偏
 見なのだ。  
 認知症になったら安楽死したいというのも、この偏見からきていると言えるだろう。
 
人間の「価値」ってなんだろう
・「自分さえよければいい」という「オレオレ」は強欲な資本主義を助長させ、格差社会
 を作ってきた。
 「オレオレ」の自分中心の利己的な人間は、一方で少しだけ利他的な存在になることで
 社会をつくりあげ、進化してきた。
 つまり、両方のバランスが大事ということだろう。
・人間の心のなかはまだら状だ。天使もいれば悪魔もいる。
 まるごと全部、善なるものになればいいが、「悪」をゼロにすることは難しいかもしれ
 ないと思う。
 すべてが善なるものになったらすごいが、そんなことはまずあり得ない。
 それに、おもしろくない。
 人間の心が善なるものだけになったら文学は生まれてこないだろう。
 心のなかに邪悪な妄想がある。
 これはこれで、とても大切なことのように思う。
・だからそ、天使と悪魔のバランスをどうとっていくかというところに、人間の値打ちが
 出てくる。  
 僕自身、自分のなかに悪と善があることはよくわかっている。
 邪悪な妄想もあふれている。
 だから、自分のなかにある悪が暴れて非人間的にならないように努めてきた。
 どれだけ「悪」を少なくし、「全」を大きくしていけるか、そのためには、心のなかに
 いるケモノをコントロールしていくことが必要だ。
・僕たち人間の脳には、食べたい、眠りたい、セックスしたいという、生き残り、子孫を
 残すための本能が刻み込まれている。
 これをつかさどる視床下部は、爬虫類以上の生物に備わっているので、爬虫類脳と言わ
 れる。 
 爬虫類脳が暴走すると、自分さえよければ、と相手のことを考えなくなる。
・ドストエフスキーは「人間の心のなかにはケモノがいる」と言っているが、人間である
 以上、誰の心のなかにも、本能が突き動かすケモノが住んでいる。
・邪悪なケモノに引きずられそうになる弱さを自覚し、それと戦えるものも人間だ。
 いつ爆発するかわからないケモノが暴れ出さないように、自分の心に呼びかける術を持
 っているかどうかが、その人の価値となる。
・ここで大事なのは、悪を持っていてもいいということだ。
 暴れ過ぎない悪があることによって、人は強くなることもある。
・今、日本の政府は道徳教育を強化しようとしている。
 宗教を信じている人が少ない日本では、教育でもっと道徳心を養う必要があるのだとい
 う。
 確かに、教育や宗教で道徳心が強まることはあるが、道徳の始まりは教育や宗教ではけ
 っしてない。 
 道徳教育は一歩間違えると、権力を握った人たちがその権力を守るための道具にしてし
 まう可能性がある。
・戦前行なわれた道徳教育では、国家に従わない者や国家のために働かない者は非国民、
 非人間扱いされた。
 ひどい話だが、当時、たいした反対はなかった。道徳教育の力である。
 しかし、そんな人間を従順にさせる「道徳」は真の道徳とは言えない。
・権力を握って人にとって「扱いやすい道徳的な人間」は、それほど「値打ち」が高いと
 は思えない。 
 僕が「人間の値打ち」を感じるのは、自分のなかにあるわずかな差別感情も減らそうと
 する人や、権力が間違ったときにNOと言う人だ。
・ひとりひとりの人間として、僕たちにとって一番大事なことはなんだろうか。
 まずは生き抜くことが大事だ。そのために必要なのは「寛容」だと思う。
 砂漠では他者と必要な水を分け合い、食べ物を分け合う。
 それは生き抜くために必要な鉄の掟なのだ。
・自分と違う考え方をする人や違う宗教、あるいは違う民族に対して寛容でいられるかど
 うかが、国家間においても、ひとりひとりの人間が生きていくうえで大事なことだと思
 う。 
 もし異質な他者の存在を認めることができれば、差別は生まれず、おそらく戦争も防げ
 るだろう。  
 学校でも大人の社会でも、ちょっと変わった人がいてもその人を排除したりいじめたり
 せず、寛容でいられるかどうかが大切なのだ。
・今の日本で「寛容」が薄れているように思えるのは、経済的に苦しい時代が続いて、
 その中で生き抜かなければならないストレスが大きいからかもしれない。
 まるで椅子取りゲームのように、自分が椅子に座るために誰かを一斉に叩いてスケープ
 ゴートにする、という空気が強まってしまっている。 
・バッシングする側には、おそらく大きな不安や孤立感があるのだろう。
 だから、多数の側になることで、安心感を得たいのだろともう。
 そうやって大勢で一緒になって誰かを叩けば、その間は、すっかりした気分を味わえる
 かもしれない。
・けれども、バッシングは叩かれる側の人間を傷つけ、貶めるだけではなく、むしろ叩く
 側の人間の価値を奪う行為だ。
 バッシングする側は、叩くことによって自分が存在している意味を見つけようとしてい
 るわけだが、それは逆に自分の価値を下げることにつながる。
・世界はどんどん壁をつくろうとしている。
 そして心の分断化も起き続けている。
 そんな時代だからこそ、僕たちの人間の値打ちが問われている。
 壁をつくる人がいれば、壁を壊す人が必要なのだ。
 分断の壁をつくる流れが強まれば強まるほど、勇気をもって統合や融和に心血を注ぐ人
 が現れなければならない。
 人間の値打ちはこの壁をどれだけ壊していくことができるか、というところにも表れる。
・だが残念なことに、今のところ壁は高くなる一方だ。
 僕たちの世界は宗教、民族、国家、価値観などの違いで分断され続け、そのなかから暴
 力や悲劇が生まれ続けている。 
 「壁」は今、世界全体が抱えている課題と言える。
 
自分の「価値」を決められるのは人間だけ
・自由に生きる。
 人生を自己決定しながら生きていく。
 これは、僕が一番大切に考えていることだ。
 自分の値打ちを高めるためにも必要なことだと思ってきた。
 自由に自己決定しながら生きていくためには、服従しない生き方が大事だ。
・事実を事実として受け入れる。発言する勇気を持つこと、それが服従しない生き方につ
 ながっていく。 
 「和して同ぜず」と言うが、それぞれの違いを認めて一緒にやっていくことと、違いな
 ど存在しないかのように皆同じに振舞うことは、まったく異なるのだ。
・日本では、「空気を読む」のはいいことだ、と考えられている。
 「あいつは空気が読めない」と言われれば、それは悪口である。
 確かに、空気を読むことは処世術としては必要なのかもしれないが、時に、空気を読ま
 ない生き方も大事なのだ。 
・日本人は空気を読むのがうまい分、無言の同調圧力に屈服しやすい。
 特に今の日本は、それを政治がうまく利用している。
 物事を曖昧にしながら徐々にある方向に光明に持ち込もうとしているのだ。
・人間として失いたくない者や守りたいものに対しては、自分で判断すること、責任を取
 ることを手放してはいけない。 
 人間は、ホロコーストのように、絶邸してはいけないことにも簡単に服従してしまうイ
 キモノだという意識を持ち続けていきたい。
・人間の値打ちは、みなが慣れ切ってしまったよどんだ空気を、新しい時代の空気に入れ
 替えることにある。
 空気に負けず、空気をかき回すパワーを持つことが大事なのだ。
・自分で自分自身を肯定できる何かは、その人だけのもので、他人と比べられない。
 大事なのは、自分の物差しだ。
 比べない力を持っている人は、自分の物差しを持っている人だと思う。
・ただ、今のようにネットが発達し、簡単に手に入る情報ばかりを目にしていると、膨大
 な情報を追うばかりになってしまい、自分の物差しをつくるということが難しい。
 一つの物差しだけで判断して、「自分はダメだ」「他人より劣っている」と思ってしま
 うのではなく、いろいろな物差しがあるということを知ってほしい。
・そのことを教えてくれるもののひとつが本だ。
 僕は、IT時代だからこそ本を読むことが大切だ、と思っている。
・本のなかには、自分の生き方を変えていくような言葉がある。
 本を読んでいて、思わぬ力を持つ言葉と出会うことがあるが、そんな言葉を糧にするの
 は、人間の値打ちを高めることにつながるはずだ。
・「文明がもたらしたもっとも悪しき有害なものはババァ」
 元東京都知事・「石原慎太郎」の言葉だ。
 彼の理屈では「男は80歳、90歳になっても生殖能力があるが、閉経した女が生殖能
 力を失って生きているというのはムダで罪」なのだそうだ。
・生殖能力を失っても女性はなぜ長生きをするのか。
 多くの動物が繁殖という大きな目的を遂げるとほぼ同時に命を終えるのに対して、ヒト
 のメスは生殖機能を失っても長生きする。
 しかも、元気に高齢期を生きる、というところが非常にユニークだ。
・「おばあさん」は文明がもたらしたわけではなく、原始時代、ヒトが家族というコミュ
 ニティをつくって集団で生活を始めたときから、次世代の育児サポートという大切な役
 割を担っていた。  
 存在する値打ちがあるからこそ、閉口後も女性は「おばあさん」として、長生きをして
 いくのだ。
・地域医療の医師として高齢者に関わっていたときから、気になっていたことがある。
 おばあさんは活力にあふれて長生きしているのに、おっさんやおじいさんはどうも元気
 がない。
 おじいさんに特徴的なのは「ぐだぐだと同じことを言う病」や、「粘着型説教病」だが、
 その遠因は「おっさん病」にかかりやすいという弱点があることだ。
・「おっさん病」は難治性だ。一度かかってしまうと、なかなか治らない。
 有名大学を卒業して一流企業に入社したが、偉くなるのに足踏みしている人に多い。
 「デリカシーが足りない症候群」、また、せっかく高級官僚になったのに、国民のため
 に働かず、一強のために「忖度過剰症候群」にかかっていることに気がつかないのも
 「おっさん病」の初期症状。
 IQが高い。記憶力は抜群。なのに、「記憶にありません」と厚顔無恥に言える。
 記憶喪失症の仮病も「病」のひとつだ。
 こういう人たちが徐々に「聞く耳持たない病」という本格的な「おっさん病」になって
 いくのだ。
・家事、孫の世話、畑仕事から介護まで、年をとっても多くの役割を担っているおばあさ
 んに対し、おっさんやおじいさんは仕事をやめると名刺やポジションなしでどう生きて
 いいのかわからなくなってしまう人が多い。
 仕事のつきあいがなくなると、人間関係も一気に狭まり、孤独に耐える生活を送るとい
 うことになりがちである。
・近所づきあいなどでコミュニケーション能力を普段から鍛えているおばあさんと違い、
 おっさんは知らない人に気軽に話しかけるのが苦手だ。
 生活力もなく、妻であるおばあさんに頼りきりになってしまうので、配偶者に先立たれ
 ると余命が短くなる傾向がある。
 しかし、おばあさんは夫に先立たれたからといって、特に死期が早まるということはな
 い。むしろ、より自由になって生き生きする人が多い。
・2016年12月、孫や他人の世話をする高齢者は長生きするということを、スイスの
 バーゼル大学を始めとする五つの大学とひとつの有名研究所が共同研究として発表した。
 孫の世話をしなかった祖父母グループ、孫の世話をした祖父母グループ、子供や孫はい
 ないが他人の世話をしたグループなどに分類して調査したところ、血縁の有無にかかわ
 らず、他者の世話をした高齢者は、世話をしなかった高齢者より長生きであることが分
 かった。
・おっさんも人のために生きることをもっと考えてほしい。
 孫の世話もいいが、他人の子供の面倒を見ることが、おっさんの役割かもしれない。
 男は自分の子供を育て終えたら、困難のなかで生きている他人の子供に、ほんの少し手
 を差しのべることで、自分も元気になる。生きている意味が見えてくる。
・おばあさんのように役割を担い、老後も価値ある生き方をしていくために、男性は中年
 期から準備が必要だ。
 名刺がない丸裸の自分になっても生きていけるよう、自分がどんな役割を果たせるのか
 探していけと、自分にも言い聞かせている。
・ニーチェは「脱皮しない蛇は滅びる」と言った。
 滅びたくないなら、あえて自分を変える勇気が必要だ。
 何歳になっても遅すぎること言うことはない。
・今、時代は混とんとして先が見えにくい。
 これまで信じてきた自分の価値がなくなってしまったように見えるときもあるだろう。
 でも、それは脱皮するチャンスだ。
 「ダメな自分」「弱い自分」を素直に見つめることができれば、また新しい自分を見つ
 けることができる。
 壁にぶつかっているときでも、今までの自分を否定しなくていい。
 自分に合わなかったギアからギアチェンジすればいいのだ。
・セカンドだめならローに変えてみる。あるいはローから思い切ってトップに入れてみた
 ら、違う世界が開けるかもしれない。
 どんどんギアチェンジすることで、人生はもっと面白く、深いものになる。
 一度だけの人生だ。最終コーナーを回るまで、自分の値打ちを高めながら、そうやって
 自由に走り抜けていけばいいのだ。
・僕の夢は「金貸し」になることだ。
 夢を持っている若者たちに無担保で融資し、応援したいと思っている。
・今日本に800万軒以上あるという空き家は可能性の宝庫だ。
 貧困で困っているシングルマザーが子育てしながら働けるようにシングルマザーシェア
 ハウスをつくる。
 風俗を抜け出した女性が経営者になるのもいい。
・もうひとつの空き家で、まず午前中はモーニング・カフェを開き、コーヒー一杯の値段
 で朝ごはんが食べられる名古屋のモーニングサービス方式で、おいしい朝食を提供する。
 ひとり暮らしのお年寄りだけでなく、ひとり暮らしの若者もやってくればしめたもの。
 世代を超えた交流のなかから、おもしろいことが始まっていくかもしれない。
・モーニングの時間が終わったら、今度は「認知症カフェ」に早変わり。
 認知症カフェは全国に700あり、認知症を発症した人がそこへ通うことで症状が緩和
 することもあると言われている。   
・夕方からは「子ども食堂」にして、貧困のために食べにくる子も、両親が共稼ぎで夜遅
 くまで帰ってこないから来るという子も、みんな受け入れる。
 認知症カフェの参加者のなかには認知症でも料理はできるという女性もたくさんいるか
 ら、彼女たちが子ども食堂の料理を作ることだってできるだろう。
 煮物が得意なばあちゃんが恵まれない子供たちのためにおいしい煮物をつくれば、生き
 る張り合いにもなる。  
 そして夜は大人が楽しめる居酒屋を開く。
 こんなふうに空き家を多機能に活用できるチェーン店を経営することも可能だと思う。
・死んだらおしまい、という言葉があるが、どんな人にも必ずしはやってくる。
 死をどう乗り越えるかは、とても大切なことだと思う。
 死を恐れないで激しく生き抜くのも人間の値打ちになるし、死を受け入れて、感謝を述
 べて亡くなるのも人間の値打ちのひとつだ。 
・資本主義社会で生きている僕たちにとってお金は大事だ。
 だからおカネをどれだけ稼げるかというのは、人間の値打ちを決めるものとして外せな
 い。
 でも、それだけで人間の値打ちが決まるわけではない。
 それには七つの「カタマリ」がある、と思いに至った。
・第一のカタマリは、空気に流されない生き方。
 それを支えるものは、品位、美意識、尊厳。
 役割をどれだけ果たしているか、社会や組織に貢献しているかが大事。
 真実を見つめる力があることも、人間の品格や美意識にかかわってくる。
 よどんだ空気に負けないで生きること。
 社会を腐敗させないように声を上げ、行動を起こすことも、人間の値打ちに関係する。
・第二のカタマリは人生を楽しむ力。
 遊び心・ファンキー・自由・自己決定だ。
 どんな困難でも、それ自体を楽しみと思える人は生きる力が強い。
 自分で決定しながら楽しく生きている人は、それだけで人間の値打ちが高い。
・三番目は愛と死。
 愛することができる。愛されることができる。愛を受け入れることができる。
 愛を生み出すためには、「共感力」、愛を持続するためには「包容力」が大事。
 「死」に支配されず、命の最期にゼロになることをおそれない。
 どんな死に方をするかは人間の値打ちに影響する。
・第四は破壊力。
 壁を壊す力だ。
 この力をつけるためには「決断力」や「持続力」、「勇気」が必要。
 人生には一度や二度、必ず壁にぶつかることがある。
 壁は突破すればいい。
 壊してもいい、飛び越えてもいい、壁を迂回してもいい。
 戦い方はいくつもあるのだ。
 壁にどう立ち向かうかは経験と知恵だ。
 人間の値打ちには経験も知恵も関係してくる。
 ときには相手の身になって、ここは小さな一撃で風穴を開けるだけいいと考える。
 壁を完璧に破壊するデストロイヤーになるばかりが壁を壊す方法ではない。
 そんなふうに考えられる「洞察力」も人間の値打ちに関係する。
・第五のカタマリは稼ぐ力。
 働いてそれなりの報酬を得られる力を持っている人の値打ちは高い。
 決断する力や持続する力はもちろん、独創的かどうか。
 愛される力を持っているかどうか。
 相手の気持ちになれる力があるか。
 社会に幅広くつながるための、いくつものネットワークを持っているか。
・第六は別解力。 
 和して同ぜず、人と比べない生き方が大事。
 大きな仕事を成功させるためには、別解力が必要。別解力のある人は名刺で生きない。
 ひとつの価値観にこだわらず、いろいろなモノサシを自分の中に持っている。
 別解力を支えるのは、疑う力。真実を想像する力。
 本当に正解はひとつか、常に疑うようにしていると、別解力を発揮しやすくなる。
 そのとき大事なのは、批判を受け止める力だ。
 別解を探すということは、答えはひとつではないことを認めること。
 違う答えに対して「寛容」になること。
 寛容は人間の値打ちに関係する。
・七番目のカタマリは孤独を怖がらない力。
 孤独を怖がらない力を持つと怖いものが少なくなり、死もおそれなくなる。
 突然死も孤独死も怖くない。
 まわりに家族や好きな人がいようといまいと、死ぬのは結局、一人仕事。
 孤独を怖がらないところから生き生きとした生が始まる。
・「冒険こそ私の存在理由」とピカソは言っている。
 あなたのなかにも、僕のなかにも冒険する心がある。
 それが僕たちの存在意義だ。
 人間というイキモノは冒険心をもとにして「出アフリカ」に成功した。
 その末裔が僕たちだ。
・様々な人間の値打ちは冒険のなかから生まれてくる。
 男も女も、若者も家族を養う働き盛りの人たちも定年を迎えた人たちも、生きている限
 り冒険し続けることで価値がる生き方をすることができる。 
・冒険するためには、ほんのちょとの勇気と体力、そして気力が必要だ。
 「冒険なんて無理」と思うあなたは、気がついていないだけ。
 心のどこかに、冒険に飛び出す勇気が必ずあるはず。