読むクスリ PART5 :上前淳一郎

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この本は、「読むクスリ」のPart5であり、今から32年前の1989年に出版され
たものだ。
私がこの本の中で面白いと思ったのは、炊飯器の話だ。炊飯器というと、日本ではご飯を
炊くためのものと決まっているのだが、世界では、いろいろな使い方をする国があると知
って、ちょっと驚いた。
この炊飯器の登場によって、おこげができることはなくなったのだが、そのおこげが美味
しいのだという人たちもいる。実際、私もおこげが好きだった。そういえば、最近はすっ
かりおこげを目にすることがなくなった。あえて、おこげができる炊飯器も開発されたよ
うであるが、いまでもおこげができる炊飯器が販売されているのだろうか。なんだか、昔
懐かしのおこげが食べたくなった。
私がこの本の内容の中で違和感をもったのが、「現代の企業社会は一匹狼の時代ではなく
なり、組織の時代になった」「偏屈なスペシャリストは邪魔にしかならない」という論説
であった。確かに、高度成長期の大量生産・大量消費の時代には、いわゆる総合職人材が
優遇され、スペシャリストに対しては否定的な考えが多かったように記憶している。当時
の時代は、そのほうが企業は効率的に回るのだということだったのだろう。
しかし、そういう時代がいつまでも続きはしなかった。アメリカでは、偏屈なスペシャリ
ストの中の天才的な人物が、マイクロソフト社やアップル社などを皮切りにして、現在で
はGAFAと呼ばれる企業を次々と創業したが、同質の総合職人材で固めてきた日本企業
からは、そういった新しい商品やサービスはまったく生まれてこなかった。現在の日本の
長期にわたる停滞の根本的な原因は、そこにあったのではないかと私には思えるのだがど
うだろうか。
この本に出てきているフィリピンへの「売春・ツアー」が盛んだったのは、1970年代
後半ころだったようだ。当時私はまだ学生だったが、そんな私でもこの売春・ツアーの話
を新聞や雑誌などで目にしたことがかすかに記憶に残っている。当時の日本は景気が絶好
調で、小金持ちになった日本のおじさんたちのあいだで団体海外旅行がとても盛んになっ
た時代だった。
しかし、どこの国にいって見聞をひろげていたのかと思っていたら、当時の日本のおじさ
んたちはタイやフィリピンで盛んに見聞をひろげていたようだ。当時、働きすぎの日本人
は欧米人から「エコノミック・アニマル」と侮蔑的に見られたが、そのほかにも「セック
ス・アニマル」でもあったようだ。
ほかに、この本に寺田寅彦氏の「茶わんの湯」の話が出てきている。これは私が先般読ん
だ、「科学者の心」(寺田寅彦著)の中に出ている話で、この本でも取り上げられている
だと、ちょっと感動した。
今年のノーベル賞の物理学賞を受賞した日本人の眞鍋淑郎氏は、東京大学の地球物理学科
の卒業生のようだ。ということは、竹内均氏の後輩でもあり、寺田寅彦の後輩でもあると
いうことになる。眞鍋氏も寺田寅彦の「茶わんの湯」を読んだのだろうか。眞鍋氏にちょ
っと聞いてみたい気がした。


つくる・世に出す
・太陽が地球の周りを回るのではなく、地球のほうが動くことは、いまでは小学生でも知
 っている。
・この「地動説」を率先唱えたのは、イタリアの物理学者ガリレオ・カリレイだった。
 十七世紀初めである。
・ところがローマ教皇庁はこれを、神を冒とくしているうえ民をたぶらかす奇矯の説だと
 して、ガリレイを宗教裁判にかけた。
・地動説を捨てる誓約を求められた彼は、心ならずもそれに服したが、こうつぶやいたと
 伝えられる。「それでも、地球は動く」
・晩年のカリレイは監視つきの生活を強いられ、死後の遺族は墓をつくることを許さなか
 った。 
・それは大昔の話、近代以降はそんな馬鹿げたことが起きるはずはない、と私たちは思っ
 ている。ところが二十世紀に入ってからも、似たような話はいくつも起きている。
・三極真空管を発明したアメリカ人リード・フォレストは、自ら受信機を組み立て、大西
 洋をへだてたヨーロッパから声を電波に乗せて、アメリカでキャッチすることに成功し
 た。
・ウエスタン。エレクトリック社に勤めていた彼は独立して会社を設立し、このラジオ受
 信機の製造販売を始めた。「ロンドン、パリにいる人の声が、あなたの居間にいながら
 聞こえます」
・すると地方検事が乗り込んできて、リード・フォレストは逮捕されてしまった。誇大広
 告でインチキな商売を売ろうとしている、という理由だった。検事には、大西洋の彼方
 から声が聞こえてくるなんて、想像もつかなかった。1931年、ついこの間のことだ。
・リード・フォレストはこの受難にめげず、無線電話、テレビなどに関する数百の特許を
 とり、「ラジオの父」と呼ばれた。
・二十世紀に入ってまもないころのアメリカでは、なんとか鳥のように空を飛んでみたい、
 という試みに何人もの人たちが熱中していた。
・大学教授ラングレイ氏もその一人だったが、1903年12月初め、組み立てた飛行機
 をワシントンで飛ばしたところたちまちポトマック川に墜落し、乗っていた助手があや
 うく死ぬところだった。
・新聞はこれを愚かな真似だと笑い、ニューヨーク・タイムズは社説に「科学者ともあろ
 うものが、こんなことに時間と金を浪費するなんて、馬鹿げている。人生は短い。人類
 のためにもう少し役立つことをやったらどうか」と書いた。
・熱中組の中からライト兄弟が世界初の動力飛行機を開発し、試験飛行に成功して航空時
 代への幕を開いたのは、そのわずか一週間後だった。
・いま、ライト兄弟がやったことを、愚かな真似、と笑うものは一人もいない。
・固定観念にとらわれすぎると、新しいものの価値が見えなくなる。過去の乏しい経験に
 しがみつく視野の狭さはしばしば、未来への見通しを誤らせる。その人間の弱さは、現
 代でもまったく変わっていない。

まなぶ・育てる
・建築家の宮脇壇さんの旅の車中のモットーは、こうだ。「眠るな、喋るな、本読むな」
・列車の窓から見える景色の中には、天候や地形だけでなく、時代を経て人間が繰り返し
 てきたありとあらゆる営みの集積がある。いってみれば旅とは、これまでに人間が残し
 た知恵の宝の山に分け入っていくようなものだ。
・「だから、宝の山で眠ったりするのは愚かだ。積極的に目を向けて、風景の中から人間
 の知恵をすくい取れ」というのだ。 
・「人間は、自分の見たいと思うものしか見ない。したがって、いつも、見たい、と思っ
 ている人間には多くのものが見えるが、そう思っていない人には何も見えない」
・貪欲になんでも見ようとし、見たものは忘れないためにカメラに収めていく。生涯に二
 度と見ることができないかもしれない風景だと思うと、もったいなくて眠ってなんかい
 られない。
・見てやろう精神のおもむくところ、目的地へ着くと、そこでいちばん高い建物に登る。
 「高いところに登るのは馬鹿と煙、といいますがね、登ってみてごらんなさい。目の下
 の町の都市計画が、どういう精神で行なわれているか、手にとるようにわかる。すると、
 そこに住む人たちの性格までわかってくるから面白い」
・その設計者の思想をはかることで、ここの市民や国民のものの考え方がわかり、豊かさ
 や貧しさまで一目瞭然になってくる。
・むろん、高いところからも写真を撮る。シャッターを押すことで興奮を放出する。撮影
 は写生ならぬ射精なのだそうだ。
・アメリカの大平原を走る列車では、五時間走り続けても同じ景色が続いていく。ところ
 が日本では、いま住宅地だったと思う突然畑が現われ、工場、つぎは山、海、湖と、千
 変万化する。天気まで、東京から大阪までの間には何度も変わる。
 「箱庭的風景の大集積なんですね。その間を、現代機械文明の粋を集めた新幹線が突っ
 走っていく。だからすごいのですよ」
・新幹線の沿線は、世界に冠たる景観の宝庫だ。見る気にさえなれば、これほど楽しく、
 勉強になる場所はない。 

・現代の企業社会は一匹狼の時代ではなくなり、組織の時代になった。ビジネス環境がき
 わめて複雑多岐、かつ流動的になってきているので、企業は絶えず歓呼湯への迅速な対
 応を求められる。
・そんな中では、「おれは、自分のやりたいことを、おれ流儀でやる。ほかのことは知ら
 ない」という態度をとりがちな偏屈なスペシャリストは邪魔にしかならない。むしろ、
 深い専門知識はなくても、どんな仕事にも、誰とでも協力して取り組める人材が必要な
 のだ。「一匹オオカミは滑稽なターレスにすぎなせん。ターレスになるな」
・ターレスは紀元前六世紀のギリシアの哲学者で、西洋哲学の始祖とされるうえ、数学者、
 天文学者でもあった。ギリシア七賢人の筆頭にあげられるほど偉大な存在だったが、そ
 の超俗的な態度を大衆は尊敬するどころか、むしろ嘲笑した。
・ある夜ターレスは、星を見上げて天体のことを考えながら歩いているうち、溝に落ちて
 泥だらけになった。それを見た人びとは、いい気味だ、と笑ったといわれる。
・彼のように孤高で誇りに満ちた人物が尊ばれる時代もあった。現代でもそれは、一つの
 生き方には違いない。しかし大衆化時代の中では、彼ははぐれ狼でしかない。
 はぐれ狼には人脈がない。だから溝に落ちたとき誰も手を貸してくれない。
・「組織の時代には、孤高になるより、社内、社外の人脈の開拓こそ重要であり、どれだ
 け人脈を持っているかがその人の価値になります」
・では、人脈をつくるにはどうするか。明るい人間であること。暗い人は、特定の人間と
 狭く深くつき合う傾向があり、多くの人を吸い寄せることができない。明るくなければ
 人脈は広がらない。
・聞き上手であること。他人の話に、ふん、つまらない、という顔をし、自分のことなか
 り得意になってしゃべっては、コミュニケーションは成り立たない。
・人の長所を見る。苦手な相手がいたら、できるだけその人の長所を見るようにする。そ
 のうちにいやな部分が見えなくなってくる。
・便利屋になれること。同窓会の幹事を進んで引き受けたり、人のために、こまごました
 ことを嫌がらずにやる。
・行動力があること。どんな遠方の人にも会いに行く積極的な姿勢が、人を動かす。
・情報に貪欲であること。情報は人間を引きつけるマグネットの作用をする。
・そして最後に、筆まめであること。

遠い国・近い心
・日本では、電気炊飯器はどの家庭でも呼んで字の通り、「ご飯を炊く」ためだけに使っ
 ている。ほかの利用法は、まずない。
・ところが、ポルトガルへ輸出される日本製炊飯器の90パーセントは、トウモロコシ、
 ジャガイモ、あるいは貝や魚を蒸すために使われる。ふっくら蒸しあがって、非常に具
 合がいいそうだ。米を炊く人は少数派。だから輸出するときの名前は、スチーム・クッ
 カーになっている。
・アメリカへもこのスチーム・クッカーの名前で輸出される。東洋系の人たちが炊飯用に
 使うことはあるが、やはり大半が山の幸、海の幸を蒸す目的で購入される。
・東南アジアでも、必ずしも炊飯用とは限らない。マレーシアは中国系住民が多いところ
 だが、この人たちは中華料理に使う鶏を丸ごと入れて蒸す。ご飯は昔ながらの方法で炊
 くので、日本人はみな不思議がる。
・マレーシアに進出して合弁企業をつくっている日本の家電メーカーが、最新のマイコン
 式炊飯器を売り出そうと、テスト販売をやった。ところが、まるで人気が出ない。
・マイコン式は日本では好調で、すでに70パーセントはこのタイプになっている。
「初めちょろちょろ、中ぱっぱ、赤子泣くともふた取るな」の飯炊きの理想そのままに、
 炊くのだ。このきめ細かな温度と時間の調節は、すべてマイコンが自動的にやるのだ。
・日本で評判がいいからマレーシアでも、とあて込んだメーカーの思惑が外れた理由は、
 おわかりでしょう。メーカーはマレーシアでのマイコン式の発売を断念し、いまも旧式
 のをつくっている。 
・イランが米を主食にしている。家電メーカーがここへ炊飯器を売り込もうと考えたのは
 当然だった。  とこrが、どうやっても売れない。なぜなのか、駐在員たちがあちこ
 ちの家庭を回って調べるうち、奇妙な事実で出くわした。家庭でごちそうになると必ず、
 おこげを食べさせられるのだ。
・じつはイランではご飯の最上部分がおこげなのだという。こんがり焦げた部分を食べる
 のは一家の家長と決まっており、客があればとりわけ黒いところを選んですすめる。あ
 との真っ白な部分は、”残飯”で、捨てるのももったいないから家族が食べる。このおこ
 げを上手につくれるかどうかで、嫁のよしあしが決まる。
・駐在員は、日本の炊飯器が売れない理由を納得し、本社へテレックスを打った。
 「おこげができるやつを開発せよ」
 開発された”おこげ炊飯器”は、イラン、イラクでベストセラーになった。
・中近東であまり好評なので、日本でも売ってみよう、とメーカーは考え、”かまど炊き
 風”と銘打って店頭に並べてみた。数年前のことだ。ところが、そうとは知らず買った
 奥さんたちから、苦情が殺到するようになった。
 「ご飯の底のほうが黄色く変色してしまうのよ。欠陥品だから取り換えてちょうだい」
 団地育ち、かまどを知らない若い奥さんたちは、おこげを食べたこともないのだ。
 あまり苦情が多いので、メーカーは一年ほどでこのタイプの国内向け製造販売をやめて
 しまった。
・フィリピンやインドネシアへ赴任する駐在員にとっては、炊飯器はもっとも重要な生活
 道具だ。というのは、米を主食にする地域だけにメイドはご飯を炊けるが、炊き方がま
 ったく違う。鍋に米と水を入れ、フタをせずに煮る。やがてぶつぶつ粘り気のある泡が
 吹き出てくると、これをすくい取って捨て、また水を入れる。再び煮立ってくると泡を
 捨て、水を入れ・・・と何度も繰り返すので、粘り気のない、ぱさぱさのご飯ができあ
 がってしまう。
・現地のかなり上流社会の人でも手づかみで食べるのは、日本のご飯のように粘って手に
 くっつくことがないからだ。 
・日本人の口には、このぱさぱさしご飯がどうしても合わない。砂でも噛んでいるような
 気分になる。だからご飯だけはメイドに任せず、どうしても自分で炊く必要があるのだ。
・ところがこのごろは、フィリピンでもインドネシアでも、日本製炊飯器がぼつぼつ売れ
 るようになってきた。現地の人の中にも近代的職業にたずさわる忙しい人たちがふえ、
 のんびり水を注ぎながら米を煮るわけにはいかなくなってきたのだ。
・イタリア人はシンのあるご飯を好む。炊くときにフタを少し開けて蒸気を逃がし、十分
 蒸らさず生煮えの状態で火を消すのがコツだ。イタリア向けに、シン入りご飯用の釜も
 開発されている。
 
・いまから数年前、フィリピンへの日本人観光客の数は年間三十万人近かった。しかもそ
 の八五パーセントは中年男性、いわゆるセックス・ツアーである。
・マニラの繁華街には「ジャパニーズ・クラブ」と呼ばれる”置屋”が二十五も軒をつらね、
一軒に百人から二百人の女性たちがそろっていた。
・飛行機で着いたツアー客は、空港からバスに分乗してまっすぐ置屋へやってきて、女性
 たちが胸につけた番号で指名する。あれはおれが指名した、いやおれのほうが先だ、と
 戦場のような騒ぎだったそうだ。
・ともかく指名がすんでペアができあがると、肩を組んでバスに乗り、ホテルへ行く。ひ
 と騒ぎすんだころには次の飛行機が着いて、またぞくぞくバスがやってくる。
・この置屋システムができる前は、もっとひどかった。ホテルのロビーに女性たちが勢ぞ
 ろいしている。さすがに胸に番号をつけるわけにはいかないので、バスから降りた中年
 男性たちはロビーへわれがちに駆け込み、奴隷売買さながらのつかみ取りをやった。美
 女には二人も三人もしがみついて、ラクビーみたいになる。あまりのあさましさには白
 人観光客のクレームが相つぎ”お見合い”だけは別の場所でやることになった。
・あらゆる種類の中年男性が日本からやってきた。いちばん多かったのは国会議員の後援
 会の面々だ。とくに選挙前は、置屋はこの人たちで貸切りのようになった。
・ついで、有名企業の小売店招待、ふだん電気製品などを売ってくれている店の親父さん
 の慰安旅行だ。数がまとまれば、国内の温泉に招待するのとほとんどコストは変わらな
 かったといわれる。
・意外に多かったのは警察と学校の先生の団体だが、現地の日本人たちが憤ったのは遺骨
 収集団だった。ここで死んだ戦友の霊を慰めるために、とやってきたグループは一夜開
 けると あたりはばからずしゃべり立てる。「ゆうべはよかった。しかし、戦争中はタ
 ダだったよなあ」
・ちなみに、女性の値段は五百ペソから千ペソ(現在の交歓レートは一ペソ約九円)だっ
 た。このうち、女性の手に入るのは三分の一。あとは、日本のヤクザがからんでいるこ
 とが多い置屋と、旅行代理店がポケットに入れた。
・あまりのことに日本の新聞が、「恥を知れ」と大きくこのツアーを取り上げるようにな
 った。国会でも問題になりはじめた。現地の日本人たちは、怒るのを通り越してあきれ
 た。後援会の団体を送り込んで票を集める手段に使った議員たちが、いまさらなにをい
 うか、と。
・マニラで長くカトリック司祭をつとめる西本さんは、とりわけこの問題に心を痛めてい
 る日本人だった。現地の女性たちが好んで日本人の相手をしているのではないことを、
 神父はよく知っている。
・スペイン統治時代が長かったせいで、いまでもマニラ市民の九四パーセントが洗礼を受
 けた敬虔な信者だ。だから、市民どうしの間では売春は厳しいタブーで、ほとんど職業
 として成り立ってこなかった。 
・それを職業にしたのは、札束を懐に詰め込んだ日本人だ。若い女性たちは、貧しい家族
 に食べるもの、着るものを与えるために、地獄へ落ちる道を選んだのである。
・「カトリックの教義に忠実な女性ほど、神が説く自己犠牲の気持ちが強いのです。です
 から、家族のために進んで身を沈めようとします」その証拠に、ここではその種の女性
 は、家政だからといって着飾ったり、外車を乗り回したりはしない。そっくり家族に送
 金して、つましい暮らしを続けていく。
・この現実が、西本神父にはつらかった。彼女たちにそういう選択をさせているのが同胞
 の日本人だ、ということは、もっとつらかった。
・そこへ出たのが日本の新聞報道であり、国会での議論である。
 「これは、いかん、ますますひどいことになる」
 世の裏を知りつくし、人間心理の洞察にたけた神父は、直感した。記事や論戦は、事態
 の解決にはなんの役にも立ちはしない。むしろ火に油を注ぐだけだろう。
・「この道、通り抜け禁止」と立札があると、人は、ははあ、ここは抜けられるのか、と
 知って、かえって通ろうとするものがふえる。それと同じで、新聞で初めてマニラは面
 白いところと知り、一段とツアー客がふえるに違いないのだ。
・しかし、悲しいかな金も力もない。三十万の巨大な軍団に、立ち向かえるわけがない。
 それでも知恵は出るものだ。やがて西本さんたちは、金と力がない、ということを逆手
 にとったゲリラ作戦を思いついたのである。
・じつは、しばらく前から神父たちは、市内の公立小学校に楽器を贈る運動を始めていた。
 現地の日本人から浄財を集めて寄付し、すでに楽団を持つ小学校が生まれていた。この
 運動は、ずっと続けるつもりだった。そして、楽団がたくさんできたら、日本の小学生
 楽団を招いて交歓演奏会をやろう。運動は、NIPCEP計画(日比子供交歓プログラ
 ム)と名づけられていた。
・「この子供楽団に頼んで、日本のおじさんたちの前で演奏してもらうんだ」それが、神
 父とそのゲリラ隊員がツアー軍団に対して立てた計画だった。西本さんたちは毎夜手分
 けして、日本料理店やホテルのバーなどへ出かけて行くようになった。
・ホテルの部屋でしばらく時を過ごした日本の中年男性と現地娘のカップルが、長い南国
 の夜にそなえて腹ごしらえし、あるいは飲んでふざけ合っている。
・ゲリラ隊員は声をかける。「お楽しみのところ、申し訳ありませんが、もっと楽しいこ
 とに参加しませんか」男たちは必ず乗ってくる。「じつは募金活動をやっていて、小学
 生の演奏会があるのです」
・相手は興味を失った顔になる。たいていが、ポケットから五ドルか十ドルつかみ出し、
 早くむこうへ行け、とあごをしゃくる。
・翌朝、約束の時間に、神父が運転する車が玄関前に着く。しかし、演奏会への参加者は
 一人もいない。それでも毎晩続けるうち、一人、二人と気まぐれな参加者が出てくるよ
 うになった。
・小学校へ行く。先生が授業を中断して楽団員を集め、スペインの行進曲やフィリピン民
 謡の演奏が始まる。自分の孫くらいの学童たちが、おぼつかない手つきで、それでも懸
 命に楽器を鳴らしている。愛らしいメロディが、多少ぎこちなくはあるが、教室いっぱ
 いに広がる。
・それを見、聞いているうちに、男たちの目がだんだん赤くなってくる。うなだれてハン
 カチを取り出すものもいる。 
・こんな、けがれのない子供たちがいる国へ、娘みたいな女が目的でおれはやってきた。
 なんて情ない、ひどい旅行に参加したことだろう・・・彼らは必ず思うようになるのだ。
・彼らはあらためて百ドル、ときには二百ドルと金を出し、楽団の持つ小学校をもっとふ
 やしてください、といった。予期以上の効果だった。
・「この人たちは、二度とセックス・ツアーに参加することはないだろう」西本さんたち
 ゲリラ隊員はうなずき合った。 
・それを伝え聞いた日本の楽器メーカーが、まとめて楽器を贈る、と西本さんにいってき
 た。しかし断った。より大きな目的は、日本の中年男性たちを”改心”させるところに
 あるのだから。
・そのうち、ほんとにツアー軍団の数が減ってきた。それも急激な減りようで、二十五あ
 った置屋が、たった四軒になってしまった。
・べつに神父たちの作戦が成功したからではない。因果応報、というか、日本人がからん
 だ殺人事件が相ついで、マニラは危ないところ、という暗いイメージを与えてしまった
 のだ。
・そして1983年のアキノ暗殺事件が、決定的に日本からの観光客の数を減らした。
・いま、フィリピンを訪れる日本人は年間十五万人、ピーク時のほぼ半数だ。しかも、そ
 の多くはリゾート地のセブ島へ直行し、かつてのような目的でマニラを訪れる男性はほ
 とんどいない。
・だが、基本的な問題が解決したわけではない。代わっていまは、フィリピン娘たちが日
 本のバーやクラブへ働きに来る。”ジャパ行きさん”の数は四万とも、五万ともいわれる。
 東京や大阪ではさいて珍しくもなくなったので、地方の小都市にいることが多い。
・彼女たちはひたすら働き、稼ぎを親元へ送る。地獄へ落ちていることを知りながら、あ
 くまでも自己犠牲に徹しようとする神の娘たちである。
 
時は流れ・人はめぐる
・東大名誉教授で地球物理学の竹内均さんは、福井県大野市で生まれた。旧制大野中学に
 進学した均少年は成績抜群、開校以来の秀才とうたわれたが、たまたま二年生のとき、
 寺田寅彦の「茶わんの湯」という随筆を兄に借りて読んだ。
・寺田寅彦は物理学が専門の東大教授だったが、夏目漱石門下の文人としても知られ、科
 学者の目で見た味わい深い随筆を数多く書いた。
・漱石の「吾輩は猫である」に登場する寒月君や「三四郎」の野々宮君は、この人がモデ
 ルといわれる。 
・「茶わんの湯」は、もとは大正十一年、少年向けの雑誌「赤い鳥」に書いたものだった。
・読みはじめた均少年は、その文章にしだいにひきつけられていった。まず湯の表面から
 立ち昇る白い湯気のことが書いてある。この湯気は、熱い水蒸気が冷えて無数の小さな
 滴になったもので、雲や霧と同じものなのだという。
・春さき、夜来の雨で濡れた土にぽかぽか陽が差すと、一面広く湯気が立つ。湯気は垣根
 のすき間から吹き込む冷たい風にぶつかって渦をつくり、ときには竜巻のような柱にな
 って、地上何メートルもの高さにまで昇っていく。
・陸地が暖められると、大規模な水蒸気が立ち昇る。そのあとへ冷たい気団が吹き込んで
 きて、巨大な渦ができる。その結果、雷が鳴ったり、雹が降ったり、お天気は大荒れに
 なる。
・そうだったのか・・・。茶わんの湯という身辺のなんでもないものの観察から、気象の
 謎がすっかり解かれている。そのことが少年には、目を洗われるように新鮮だった。
・学問とは、なんと素晴らしい謎解きだろう・・・。均少年は感動した。そして思った。
 自分も大人になったら、この寺田先生のように自然の謎解きをやろう、と。
・秀才少年は、いっそう勉強に励むようになった。螢の光、窓の雪、いつも本を読んでい
 る。そのころの勉強への熱中ぶりは、いまでも大野の町に伝説として残っているほどだ。
・中学を一年早く終えて高校へ進学し、念願通り東大へ入って地球物理学を専攻するよう
 になる。そのときには寺田先生は世を去っていた。だが、その直系の孫弟子として竹内
 さんは東大教授となり、地球物理学の世界的権威といわれるようになった。
・自分の一回限りの人生は、これ以上ないほど充実し、幸福だった、と竹内さんは思う。
 そしてそれは、少年の日に読んだ短い随筆のおかげだった。