武門の意地 :野中信二

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この作品は、今から23年前の2000年に刊行された「西国城主」という本に収録され
ている作品の中のひとつだ。
内容は、三木城の城主・別所長治の軍勢と豊臣秀吉の軍勢の戦いを小説化したもので、三
木城に籠城した長治が秀吉から兵糧攻めされ、最後には籠城した家臣や領民の命を救うた
めに別所一族が切腹するというものだ。
実は、長治は新興勢力の織田方につくか、古くから付き合いのある毛利方につくかを選択
できるチャンスはあった。時代の潮流に敏感だった長治の弟・別所重棟は織田方につくこ
とを選択した。しかし、別所家の過去の栄光が忘れられない保守的な叔父に大きく影響を
受けていた長治は、すでに斜陽が見えていた毛利方につくことを選択した。
この毛利方につくという選択が、決定的な間違いだった。この選択の間違いによって、長
治をはじめとする別所一族の滅亡が決定づけられたと言ってもいいだろう。
私はこの作品を読んで、幕末・明治維新における会津藩の松平容保を思い出した。容保も
過去の栄光にこだわり、時代の潮流を見誤り、時代の流れに抗して会津藩を滅亡に追いや
ってしまった。時代背景は違うが、長治と容保は似ているような気がした。
人間は、どうしても保守的なところがある。変化をあまり好まない。いままでの体制を維
持したいという気持ちが強い。しかし、時代の流れを見誤り、過去の栄光や体制にこだわ
り過ぎると、身を亡ぼしてしまうことがある。気をつけなければならないと思った。

過去に呼んだ関連する本:
首桶
武士の宴
鉄の首枷



・天正八年正月、この日は朝から小雪が舞い散り、昼頃になると積り始めた。
 長治は本丸天守三階の窓から、ぼんやりとその様子を眺めていた。
・城内にはもはや食べることのできる物は何もない。口に入るものならすべて食べた。貯
 えてある米はすでに底をついてから久しい。
 三木城に籠城している兵士や領民たちは、松の樹皮をはがし幹をしごいて繊維分をかき
 集め、それを蒸して食べることで、空腹を紛らわせた・。
 「これはもはや人間の殺し合う戦さではない。飢えとの戦いだ」
・父を早く失った長治は、後見人の叔父別所吉親、重棟兄弟に文武共に厳しく育てられた。
 そのおかげで幼少時より病気知らずで、風邪などひいたこともない。
・(兵糧さえ十分にあれば、決して彼らに負けはせぬものを)
 ぎゅっと口唇を噛んだ。
・兵糧不足が深刻化したのは、天正七年九月に入ってからであった。それまでは加古川を
 遡って、援軍である毛利軍が食糧を支流の三木川まで船で積み、それを三木城内へ運び
 入れていた。
 また荒木村重の花隈城へ荷を降ろし、そこから北上し、山道沿いに三木城へ食糧を運搬
 した。
・しかし摂津の荒木村重が籠る有岡城がこの年十二月に落ち、その支城尼ケ崎、花隈城が
 織田軍に包囲されてしまうと、三木城へ通ずる兵糧の道が完全に塞がってしまう。
 それでも別所氏に恩を感じている一向門徒である村人が上流より青竹の節を抜き、その
 中に米を入れたものを流し、三木川の中州、通称「釜が淵」で拾い集め、それを城内へ
 の抜け穴を通して運び込んでいたが、それもやがて秀吉軍の知るところとなり、これも
 完全に封鎖されてしまった。
・昨年秋までの一日二回の米の配給もやがて一回となり、それも兵糧が底をつき出すと、
 雑草や木の実を混ぜて嵩を上げるようになる。それでも不足気味になると、今度は大切
 な馬に手をつけた。また雀を捕えたり、犬猫も城内から姿を消し去った。ねずみすら目
 に触れぬようになる。
・年の暮れに近づくと、兵糧がまったく底をつき、餓死者が増えだした。塀の下や狭間の
 下で、横たわる姿を目にすることが多くなった。動けなくなったと思っていると、いつ
 のまにか眠るように死んでいった。
 初めは年寄りや幼児の死骸が目についたが、年末から兵士にまで及んだ。多い時には一
 日に数十人のこともあった。
・「長治殿、聞かれたか、荒木殿の事を」と、吉親は声高に話した。
 「信じられぬ、あの豪気な村重殿が家臣を棄てて有岡城を逃げ出すとは」
  吉親は苦々し気に口唇をゆがめる。
・吉親とすぐ下の弟重棟とは、幼少時から長治の後見人である。別所家の今後の取るべき
 道について、二人は意見が合わなくなっていた。
 そして信長の勢力が京都から摂津、播磨へと広がってくるにつれて、その違いは敵と
 味方に二人を分かつようになった。
・重棟は信長の「天下布武の活躍ぶりを、別所家の代表として間近に見聞きしていたので、
 信長に急速に傾倒していった。播磨の田舎から一歩も出たことのない兄、吉親の見解は
 狭小だと弟の眼には映った。
・吉親は信長一辺倒に傾く重棟を危惧した。兄は慣れ親しんでいる毛利家を重視していた。
 そして今、重棟は三木城攻めの秀吉軍の一将として、兄と敵対していた。
・「有岡城の人質の無念さはいかほどでありましょうや。頼みとする毛利勢の後詰めはな
 く、城主自らが側室と茶道具のみを持って城を抜けたと知った時は」
 吉親の眼は有岡城に残された家臣たちを思い、充血している。
・「昨年の十二月でござる。信長は荒木一族と重臣の妻子合わせて三十六人を選び、これ
 らの者を京都へ送り、残りの者たちを城近くの七つ松へ運んで処刑したのでござる」
 「尼ケ崎城にいる村重殿への見せしめだな」
 「数百人の男女が追い立てられ、五十人、六十人ごとの塊りが袖から袖へと数珠つなぎ
 にされ、ひと群れごとに札がつけられ、刑場へ連れられてゆく姿は見られたものではあ
 りませぬぞ」
 「梁柱の数が足りず、残りの者は仕置人たちの手で、犬猫を殺すように突き、斬り殺さ
 れたと申しますぞ。これはもはや人間の仕打ちとは思われぬ。信長は狂人ぞ」
・「家臣を残して城を逃げた村重殿も非難されるべき人物であろうが、罪のない女や子供
 たちを犬猫の如く殺す信長の行ないは、もはや狂っているとしか思われんわ」
 「信長という男は、部下が自分の考えを持つことを許さぬ男よ。道具は人の心を持って
 はならぬのでござる。ただ主人の命令に素直に従わねば、彼は承知しない。そのくせ彼
 は平気で嘘をつき、人を利用するだけ使い切り、その道具の切れ味が鈍ってくると、平
 気で草履を棄てるように、相手を棄てる。これが信長という男の正体よ」
・長治には、村重のような成り上がり者ではないという自負がある。名門別所の部門を汚
 されたがため、信長に立ち向かった、と自分では思っている。
・武門の意地を貫こうとする別所勢の心意気を躱すかのように、信長の意を受けた秀吉は
 奇策に出た。  
 (兵糧攻め)
 城を打って出、播磨武士の強さを教えてやろうと考えていた別所勢は、今までの相手と
 勝手が違い戸惑った。
・秀吉という男は恐ろしいほど、世の中の人情世知に通じた男であった。
 武士らしい華々しい戦いがしたいと思っている相手に、得意な体勢をとらせるほど、人
 の良いところのない、食えぬ人間であった。
 真綿で首を絞めつけるように、徐々に三木城の包囲網を縮めていった。この兵糧攻めは
 力攻め以上に効果を示し始めた。
・別所勢は思わぬ内部の敵に悩まされ出した。食糧を断たれると、人間は一番醜い、弱い
 面が現われ、食べ物を奪い合うまでの浅ましい者へと変化し、人間関係が大いに軋んで
 きた。こうなると別所勢は疑心暗鬼に陥ってしまう。
・下層から這い上がり、人間という生き物の心理の襞の隅々まで知り尽くしている秀吉と
 いう男の、最も得意とする戦いになってきた。
 一日一日と体力は衰弱し、これでは敵が総攻撃をかけてきても十分に武器を振り回せな
 いもどかしさに、別所勢の士気は次第に低下していった。
・中国方面は最強の敵、毛利氏を相手に秀吉は播磨の地で三木城攻略に二年近くかかって
 いる。


・吉親は田舎の名家にありがちな誇り高い男であった。
 長治の父が三十九歳という若さで病死した。そのため十三歳の幼い城主の後見人として、
 吉親がこれまで三木城を守ってきた。外交は弟重棟に任し、彼は三木城にいて幼い城主
 の補佐に当たった。その分、世の中の激し動きに取り残された格好となった。
・次々と旧壁を打ち破り、新秩序を構築している信長を目の前にしながら、新しい時代を
 嗅ぐ重棟から見れば、兄は名門意識が強すぎる男であり、新しいものを受け入れること
 を拒む田舎者であった。 
・吉親の話ぶりから小者上がりの秀吉の力みと、別所と秀吉の不和を目にした播磨の国侍
 たちの困惑ぶりが予想された。
・(この調子だと播磨の国侍たちも遅かれ早かれ、秀吉の驕りに反発するだろう。しかし
 別所一族の長として、自らの身の振り方は慎重にしなければならぬ。ここはいくら慎重
 であってもあり過ぎることはない。自分の一挙一動が別所家の存亡の鍵を握っているの
 だ)
・長治は憤慨に耐えない吉親の顔を盗み見ながら、重棟と共に上洛した時出会った信長と
 いう男のことを漠然と思い浮かべていた。「天下布武」という旗印を堂々と天下にかか
 げ、逆らう敵を撃破して行く姿は、同じ武将として生きる者にとって羨ましいものを覚
 える。
・長治は織田軍が、天下に有名な武田騎馬隊を大いに打ち破ったことを昨日のように思い
 出す。
 三千丁もの鉄砲を三段構えにし、止む間もなく鉄砲を放つ。この戦法にさすがの最強を
 誇る武田軍団も破滅的な被害を受けた。
 長治は斬新な戦術を駆使するこの男を、驚きと憧憬の混じった気持ちで注視した。
・「天下布武」という旗印をかかげ、己れの力で周辺を斬り従えていく様子は、長治を強
 く魅了して離さないものがあった。
 が、徐々に彼の力が増大してゆき、西国に目が向くようになった時、はたして別所家は
 安泰なのかどうか。信長の怒涛のような軍勢に、播磨の国まで飲み込まれてしまうので
 はないか。 
・信長には妥協といった甘ったるい物はなかった。すべての旧壁を破壊し尽くし、その上
 に自分流の新しい秩序を作ろうとした。
・信長の勢力が西に向かった時、西国間で今まで保たれている秩序はどう変わるか。
 別所家は新興勢力の織田を取るか、今日まで親睦関係を続けてきた毛利と手を握って、
 この破壊者である信長と戦うか、苦しい選択を迫られる時が、遠からんうちに来るであ
 ろうことを漠然と思った。
・今その時が来たと思った。
 長治は昔から馴染みのある毛利を取るか、新興勢力の信長を選ぶかの岐路に立っている。
・長治は、武門の意地を貫き信長に逆らうか、傲岸無礼な信長の風下に立つ辛卯をしてで
 も、別所家の安泰をはかるか、長治の胸中は風に戦く草木のようにゆれ動いた。
・決断に苦しむ長治の心の空白を見透かしたように、加古川での軍議の模様を聴きつけた、
 毛利の勧誘の手が三木城に伸びてきた。
・律儀で売っている毛利家の甘い誘いは、まさに時宜を得ていた。
 別所に毛利の先陣をさせ、その切り取った領土はすべて秀吉のものになるという、不穏
 な噂が流れていた。その点、毛利は元就以来律儀者で通っていた。
 長治もここに到って、気心知れている毛利と手を握ることを決心した。
  
・三木城の別所長治と、その周辺の支城や砦の動きが頻繁になってきた。
 「半兵衛、別所の動きが少し妙だのう」
 秀吉は加古川会議での別所方の振る舞いに危惧の念をいだいていた。
 織田家から派遣された中国征伐の大将として、秀吉は名門意識をひけらかす吉親に、織
 田の権勢を見せつけて押え込もうとした。
・天正六年四月、日没に勢揃いした別所方は、秀吉軍の守備する三木城の北西にある大村
 坂の陣に夜襲をかけた。 
 前後より挟み撃ちにあった秀吉軍は、大混乱となり、鎧、刀、槍を大量に残したまま一
 目散に敗走した。 
 別所勢の夜討ちは功を奏し、三木合戦の火蓋が切られたのである。
・秀吉は敵地での戦いの不利をさとり、一時姫路の北に位置する書写山の十地坊まで本陣
 を下げた。 
 三木城の支城を各個攻撃して、樹木の枝葉から枯らしていく策を取った。 
 加古川沿いで三木城の西南方向に当たる野口城は兵三百人余りの小城である。
 書写山を降りた秀吉軍は、三木城の支城のうちで一番小さい野口城を包囲した。
 平地であるが、周囲は沼沢で、秀吉軍はこの小城を攻めあぐねた。
・秀吉は人海戦術を用いて土木作業を始めた。
 兵たちに命じて付近の雑草や青麦を刈り取らせて、沼や堀を埋め、一帯を平地にしてか
 ら、三日三晩にわたって攻めた。それでも野口城の兵の勢いは衰えない。
・秀吉は自ら三百人の馬廻り衆を率き立てて、野口城の大手門に向かう。これを見て大将
 に遅れるなと、二千の総勢が一斉攻撃になった。
・城主の長井四郎左衛門は家来を励まして大手門から打って出てきた。
 死力を尽くして戦ううちに、数に勝る秀吉軍に長井勢はじりじりと押し返され、一部の
 秀吉軍は早くも城内に乗り込んだ。
 長井の首を打たんとする味方の兵を制して、秀吉は、搦め手から逃げてゆく兵たちを許
 した。 
・秀吉は三木城の支城である、野口城の兵たちに寛大なところを見せることで、他の支城
 の降伏を期待した。秀吉は無事に野口城を占領した。三木の別所勢は、野口城のあっけ
 ない落城に後詰めをする隙がなかった。

・毛利、宇喜多の連合軍が、上月城奪還を目指して、東へ動き始めたという情報を掴んで
 た。ここで三木城攻めに固執していると、せっかく切り取った上月城を奪われてしまう。
・上月城を奪還に向かった織田軍を、毛利が大いに破り、その勢いで三木城の包囲網をず
 たずたに切り裂いてくれることを、長治は期待していた。
・毛利五万と織田五万。数回の小競り合いはあったが、全面的な戦いはお互いからはしか
 けない。こういった大軍同士の戦さとなると、先に手を出した方が不利になる。
 毛利方は上月城を遠巻きに、びっしりと蟻の這い出る隙もないように取り囲んでいる。
 織田方もうっかり手を出せず睨み合いをつづけた。
・「殿、ここまで事態が膠着してきますと、上様自身の出馬を仰がねば、埒があかぬと思
 われます」 
 「儂もそう思う」
 その夜、秀吉は側近の者を連れて、安土へ馬を飛ばした。
・「筑前、上月城を見棄てよ」
 この信長の唐突の言葉に、秀吉は一瞬我が耳を疑った。
・上月城を守るのは、尼子勝久を始め山中鹿之介を中心とする、尼子家再興を夢見て織田
 の先鋒として、上月城を死守しようとする忠臣たちである。
・「上様は彼らを見殺しになさるつもりですか」
 伏し目がちに怒声を覚悟で、恐る恐る意見を述べた。
・「是非もなし」
 信長の命令は絶対である。
・「なれど上様、もし尼子の忠臣を見棄てて、上月城を放棄すれば、世間は我らのことを
 どのように言いましょうや」  
 鋭い信長の眼差しを必死に耐えながら、秀吉はないも食い下がった。
・戦国の世に、山中鹿之介ほど忠義な男はいない。この時代、まだ儒教といった観念はな
 かった。侍は自由に行動することが許されており、家臣が主人を選ぶ時代であり、平気
 で主人を変えることは当たり前であった。自分の一族郎党が生き延びることが、一番大
 切な時代であったのである。
・そんな時代にあって、落ち目になった主家尼子家を決して見棄てるようなことをせず、
 尼子家再興に阿修羅のようになって執念を燃やす鹿之介の気概は、戦国期の華ともいわ
 れ、彼の名は全国に鳴り響いていたのであった。
 秀吉は、鹿之介の高潔な人柄を大いに気に入っていた。
・「山中鹿之介ほどの者、むざむざ殺すには惜しい男でござりまする」
 「今は上月城の後詰めで空しく日々を送っている暇はない。三木の別所勢が勢いを盛り
 返さぬうちに、三木城を一刻も早く落とすことが先決だ。すぐさま上月を引き払え。わ
 かったな、筑前」 
 
・「何と、上月城を織田は放棄したと」
 長治は思わぬ事態の成りゆきに、驚きの声を上げた。執拗な信長のこと、ここは一大決
 戦も辞さないと思っていたからだ。
・「それで毛利はどうした。退却する織田勢を蹴散らして、こちらの後詰めに向かったの
 か」 
 「何、毛利軍は織田の後追いもせずに、のこのこと安芸がもどったというのか」
 長治も吉親も落胆ぶりを隠せない。
・「叔父上、織田勢五万、近いうちにこの三木城へ押し寄せてくると考えねばなりますま
 い。彼らは、このまま何もせずにのこのこと尾張、美濃へ帰るとは思われませぬ」
 目を閉じて天を仰いだ吉親は、苦り切った顔をして口唇をかんだ。
・彼らの予想通り、東へ戻ってきた織田軍は、津波が小さな島々を飲み込むように、三木
 城の支城を次々とまるで虱潰しのように落としていった。
・織田軍はいよいよ大挙して別所氏の居城、三木城へと迫った。
 織田信忠以下家臣たちは、後のことは、秀吉に任せて引き揚げた。秀吉は一気に勝負せ
 ず、まず三木城の北東に位置する平井山に本陣を構え、包囲網を厳しくし、外部との連
 絡を断ち、食糧攻めをする態度に出た。
・別所軍八千に対して秀吉軍は二万人の布陣であった。平井山を中心として、秀吉軍の包
 囲網はじわじわと別所軍の心理状態を圧迫してゆく。
・天下取りに消極的な毛利にあって、この時期は久々に上洛の希望が叶いそうな勢いであ
 った。何事にも思慮深い小早川隆景に似合わず、この機をついて三木城兵と協同して、
 秀吉軍を挟み撃ちにし、その勢いをかって、別所軍と一つになって京都に攻め上り、信
 長を追っ払う案を、隆景は主張した。 
・熱血漢の兄、吉川元春はすぐにその気になった。 
 しかし本家の輝元は、ここにきて急に慎重な意見を吐いて二人をがっかりさせた。
 「秀吉の陣容も意外に堅固であり、我らの勢いを持って三木城の後詰めをしても、必勝
 は期しがたく思われます。それよりも兵糧を用意してから出直しても遅くはないでしょ
 う」
・結局、毛利が上洛する唯一の機会は、これで消えた。
・三木城の食糧確保の道はますます細ってゆく。
 徐々に支城を落とされ、翌年天正七年二月になると三木城は裸城となった。秀吉本陣は
 三木城から一里も離れていない平井山頂にある。
・天正七年二月、軍議が開かれた。
 長治の父親と共に三好勢、尼子勢との戦さの経験のある吉親は、慎重な戦いぶりを主張
 した。 
・強硬な意見を吐いたのは、足軽大将の久米五郎という荒武士であった。年は吉親より若
 いが、気が荒く武者働きは別所家中でも知れ渡っている豪の者であった。
 大声で自説を叫ぶ久米の勇ましい案は、それまで沈みがちになっていた兵たちの興奮を
 引き起こした。
・形勢不利な立場にある時には、過激な案が最上であるかのように映ることがある。
 正論である吉親の策は、急に色あせたものに見えた。
・「よし、秀吉の首は儂がもらいうける」
 末弟の猛々しい小八郎の声で、決定した。
・吉親は苦々しい顔で久米を睨み、「戦さというものは議論通りにゆかんものぞ」と言お
 うとしたが、興奮してしまっている軍議の雰囲気に口をつぐんだ。
・小八郎は長治と年が離れた末弟である。向こう気の強い小八郎を、長治はかわいがって
 いた。小八郎も気難しい叔父よりも、長治に懐いていた。
・先陣は吉親が率いる二千五百人。また後陣の大将は別所小八郎治定に七百余人を連れて、
 平井山を目指した。
・小八郎の獅子奮迅の活躍はあったものの、数に劣る三木勢は多く討ち取られ、半町あま
 りも押された。  
・引き揚げの合図の法螺の音が、戦場の空気を悲しげに響かせた。
 味方の敗走兵たちを守りながら、小八郎は取って返し、敵兵に囲まれ逃げそびれている
 味方を救いつつ、三木城大手門を目指して退却し始めた。
・その時、秀吉軍三百あまりが彼を見つけた。
 「大将ともあろう者が、敵に後ろを見せるとは卑怯なり」と大声ではやす。
 この時、長治が危惧した小八郎の血の気が沸騰した。
・「卑怯者呼ばわりされて、逃げる訳にはゆかん。別所小八郎の死に様をよく見ておけ」
 これだけ言うと、小八郎は、馬の手綱を引き絞って、迫ってくる敵の中へ駆け入って、
 十文字槍を振り回す。数十名がなぎ倒された。  
・秀吉方はその鬼神の働きに恐れをなし、ただ遠巻きにしているだけで、誰も刀をつけな
 い。これを見た秀吉の郎党樋口太郎は、馬を小八郎にとって駆け寄せ組みついて、小八
 郎が馬から落ちたところを首を掻き切ってしまった。
・討たれた別所勢は八百名余り、負傷者一千以上。籠城以来の大打撃を受けた。
・六月に、秀吉軍の軍師竹中半兵衛の死を知るが、今となれば彼の死ぐらいで戦いに変化
 があろうことはない。 
・二月の大敗以降、城内では食糧不足が続いて、一日二食の食事が一度になり、それでも
 米が不足してきたので、雑炊に麦や雑草の木の実が混じった。その雑炊も途絶えがちに
 なる。


・天正八年一月、秀吉は鷹の尾城を攻めたてた。ここは長治の弟彦之進友之がいる。
 別所勢は必死に防戦するが、秀吉は兵力に物をいわせ次々と新手を繰り出し、休まず猛
 攻を加えた。
 兵糧不足で力の入らない兵たちは、それでも奮戦した。心は逸るが、食糧不足からくる
 疲労で、日頃の戦さ働きができぬ。しだいに追い詰められ、殺されるよりはと、三十六
 人が輪を作り自害した。残りの兵たちは、後方の本城へ引き揚げた。
・鷹の尾城を落とした秀吉軍は、今度は城郭続きの新城へと殺到した。別所勢はここでも
 飢えと疲れのため、刀槍を振り回す元気はなく、ただ櫓の下、塀の陰に伏し倒れている
 者が多かった。わずかに鉄砲を撃ち、矢を射て応戦するのがせいぜいであった。
・三木城はもはや本丸、二の丸を残すのみとなる。 
 秀吉軍は一気に落そうと逸りに逸り、北方にある本丸の大手門の攻撃を開始した。
 絶食続きと、夜を日に継ぐ激しい戦闘の連続で、兵たちの気力も体力も、日に日に衰え
 てゆくばかりであった。
・ここに到って本丸の大広間では、最後の軍議が開かれた。
 「叔父上、事ここに到っては、二つに一つしか我々の取るべき道はござらん。最後の一
 兵となるまで戦い、城を枕に討ち死にするか、我々が切腹して家臣の命を助けるかでご
 ざる」
・長治はこれまで自分のために命を犠牲にし、飢えと疲労で動けぬ身体を投げ出してくれ
 る家臣の戦いぶりに、湧き出る涙を、抑えることができなかったのである。
 自分の下手な戦さの采配のために、多くの忠臣や何の罪もない領民を殺したことを、心
 の内で詫びた。
・このまま籠城を続ければ、三木城を支えてくれた歴戦の勇士も、しがない雑兵の手にか
 かって果てるか、馬蹄に駆け散らされるのは目に見えている。
 (この拙い戦いの責任はこの儂にある)
 飢餓で体をふらつかせながら、それでも最後の力をふりしぼって必死の防戦をしている
 彼らの戦いぶりに、思わず涙が溢れてきた。
・食糧さえ満足にあれば、播磨武士の意地を十分に示せたものを。しかしよくぞこんな飢
 餓地獄の三木城で、秀吉に一泡吹かせてやれたものよと、彼らの後ろ姿に両手を合わせ
 て感謝した。
・長治まで、綿々と十四代続いた東播の守護職という犯しがたい名誉の座。秀吉ごとき百
 姓あがりの男の軍門に降ることは、累代の武門の名を汚すことであり、末代まで汚点を
 残すことになり、先祖への顔向けができない。
・だが、自分を頼って三木城に集まってきれた支城の城主や兵たち、領国の民たちの死に
 物狂いの戦いぶりをみるにつけ、長治の心はしだいに変わっていった。
 武門の意地といった身勝手なもので、ここに集まってくれた者たちを、道連れにするこ
 とは許されないことだ。このたびの戦さの責任は城主である儂にある。
・一年十カ月という長期の籠城にひるまず、一人として裏切りもなく、忠義をまっとうし
 て、城を死守してくれた将兵や非戦闘員でありながら、不利な戦いに最後まで協力を惜
 しまなかった婦女子や庶民のことを思えば、城主一族兄弟が城中において腹を切り、共
 に戦ってくれた兵たちや領民の命を救ってやることが自分の務めだ、と思うようになっ
 ていた。 
・吉親は、長治の揺れる心を見透かしているかのように、睨むように言い放った。
 「よもや、城兵の命に代えて、腹など召そうなどと申されますまいな」
 落ち込んだ眼窩の奥からのぞく鋭い眼光は、なお激しい闘争心を失ってはいない。
 戦場での勇猛果敢な頼り甲斐のある吉親は、今の長治には疎ましかった。
 吉親の強い闘争本能、部下を凌駕する肉体的強靭さは、武将として非凡なものであった。
 しかし、その才のみ片寄っていることは、彼にとって、いや別所家にとっては迷惑なこ
 とであったかもしれない。 
・「城を枕に討ち死にすることは、徒に士卒の命を損ずるばかりか、敵軍の馬蹄に踏み散
 らされることは必然であり、末代までの嘲笑を招くことになりましょう。それでは自分
 を慕って籠城してくれた将兵や領民のことを思えば、哀れである。ここは不肖の城主で
 ある、自分のために戦ってくれた彼らの命を助けてやることこそが、城主たる者の取る
 べき最善の道であろうかと思います」
・長治はどんな言い訳をしても、今のこの自分の気持ちを、戦場で死ぬことが武士の誉れ
 と思い込んで生き抜いてきた吉親に、納得させることは難しいと思った。
・吉親は長い間無言で立ち尽くし、まじまじと長治を見ていたが、髪で覆われた鍾馗のよ
 うな顔がやがて悲しそうな表情に変わると、ぽつりとつぶやいた。
 「儂は城主ではない。城主はそなただ。長治殿の思うようになさるがよろしかろう」
・この時、長治は長年自分を心から父親がわりとして、武将は強くあらねばならぬと、育
 ててくれた叔父を裏切った罪悪感を持った。
・長治は軍議の座に残ってる、弟彦之進の意見を求めた。
 彦之進の考えは長治の重いと同じで、ここまで自分たちに尽くしてくれた者たちを救っ
 てやることであった。 
・「つらい役ではあろうが、秀吉へ書状を届けてはくれぬか」
 二人きりになると長治は、彦之進に和議の手続きを頼んだ。
 彦之進はさっそく側近の宇野右衛門を使者として、秀吉の元に居る叔父重棟へ使いを出
 した。
・長治は一刻も早く、彼らに事の推移を知らせてやるために、城中の将兵、領民一同を残
 らず本丸の広場に集めた。
 集まってきた者たちは、飢えと戦闘の疲労で、立っているのがやっとである。立てない
 者はお互いに肩を貸し、城主の方に顔を向けた。思わず長治の双眼より、熱いものが溢
 れてきた。
・「二年間にわたる籠城御苦労であった。皆の者よく頑張ってくれた。長治厚く礼を申す。
 儂の拙い采配にもかかわらず、皆が持ち場を堅固に守ってくれたお陰で、ここまでこら
 れたのだ。兵糧が尽き、飢えとの戦いであったが、皆、心を一つにして良く尽くしてく
 れたと感謝している」 
 「勝敗は時の運。恥ではない。明日別所家の主立つ我らの切腹に代わり、皆の衆の命は
 秀吉が助けてくれることを約束してくれた。我らのために、三木城に籠城してくれた汝
 らのことを、儂は忘れることはないだろう。今後は、勇敢な播磨武士の誇りを失うこと
 なく、堂々と生きてくれい。今夜は、秀吉から過分の差し入れを頂いた。今晩は無礼講
 である。思う存分、酒をやってくれい。肴も存分にあるぞ」
 広場は嗚咽と号泣で溢れた。
 長治は双眸から頬に伝わる涙を、拭おうともしない。
・長治は宴の後、二の丸から妻子を本丸の自室へ呼んだ。籠城してから顔を見ることもな
 かった妻の照子は、丹波の波多野秀治の妹である。十六の年、一つ年上の長治の元に嫁
 いできた。以来六年、四人の子供を成していた。子は五歳の竹姫を筆頭に、虎姫四歳、
 千代丸三歳、竹松丸二歳。
・「そなたにも世話になったな。お互いに明日は見苦しくない最期をな。短い生涯だった
 が、儂はそなたと夫婦になれて心底嬉しかったぞ」
 「明日は我ら一族は、浄土の仏身となろう。後世もまた夫婦でありたいものだ」
 照子は眼に涙を滲ませたまま、黙って頷いた。 
・まず叔父山城守吉親の妻が、長治らに一礼した。
 守り刀をすらりと抜き放ち、男児二人、女児一人を引き寄せ、刺し殺し、返す刀を取り
 直して、辞世の句を唱えた。
 胸を押しくつろげ、乳の下をぐっと刺し貫き、更に咽に突き立てた。時に二十六歳。
・次は長治の妻の順である。
 膝に乗せた乳児たちを引き寄せ、次々と刺し殺し、辞世の一首を詠む。
 照子の視線が、長治の視線と交差した。慄然とした美しい眼であった。
 小袖の胸を押しくつろげ、父の下を二刀刺し通し、男子に劣らぬ健気な最期を遂げた。
・彦之進の妻もこれに続く。十七歳の新妻であった。
・次々と別所家縁りの者たちが消えてゆく。
・吉親は一旦は長治との約束を承服したものの、その場になると自分勝手な振る舞いをし
 始めた。彼は自分の首を信長の前に晒すことを、快しとはしなかった。
 気が狂ったかのように、恐ろしい形相で暴れ出し、今にも一人で秀吉本陣へ斬り込みそ
 うな勢いであった。
 止めに入る家臣を振り切り、吉親は馬に飛び乗り、敵味方の区別なく、当たるを幸い、
 なぎ立て切り立て、駆け回る。
・秀吉方の軍勢はこれを見て、約束を違えた吉親を四方より取り巻いて、打ってかかった。
 彼は死に物狂いに、敵と味方に包まれながら、切り立て回ったので、討手の多くが手傷
 をおった。吉親はそのまま山際まで駆け抜けた。
 「播磨武士の腹の切り様、後学せよ」
 そう叫ぶや、馬の上で腹をかき切り、俯けとなって自害した。
・長治は友之と二人で、妻子一族十人の死骸を大庭まで一人一人、抱き抱えるようにして
 一カ所へ寄せ、蔀戸を打ち砕いて火をくべた。
・介錯は家老の三宅治定が行う。
 左腹に短刀を深々と突き刺すや、横一文字に切り通し、更に片手を添えて十文字に腹を
 切った。
 最後の力をふり絞り、治定が切り落とし易いように首を前へ差しのばした。その瞬間、
 長治の脳裏に昨夜別れを惜しんだ将兵たちの安堵と哀愁を帯びた顔が浮かんだ。