武士の宴 :野中信二

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この作品は、今から23年前の2000年に刊行された「西国城主」という本に収録され
ている作品の中のひとつだ。
内容は日本の戦史に前例がないと言われると豊臣秀吉による備中高松城の水攻めを描いた
ものだ。この秀吉側による奇抜な水攻めという戦術・戦略は有名なのだが、攻められた高
松城側の城主・清水宗治も、戦国時代の武将として非常に立派な人物だったようだ。
清水宗治は、秀吉軍と直接対決したくない毛利軍の和議の条件として、その首を差し出す
ことになる。毛利側は、秀吉軍だけならば五分と五分であったが、その後ろに控える信長
軍十万の援軍が備中に到着すれば、とても勝ち目はないと考えた。秀吉のほうは、その信
長が本能寺にて明智光秀に打たれたという報が届き、それが毛利側に知られる前に、和議
に持ち込みたいと考えた。その両者の思惑の結果として、和議の条件として清水宗治の切
腹ということになったのだ。
清水宗治は、それまで毛利の先鋒として各地で戦さ働きをしてきたにもかかわらず、それ
を評価しない毛利の冷淡さ憤りを感じたが、大国に挟まれた小国が犠牲となる悲運に思い
を馳せ、自分を頼って籠城した兵や百姓たちを救い、さらには毛利の存続のために、切腹
を決意したのであった。
しかし、もし和議の前に、毛利側にも信長く死が伝わったなら、どういう展開になっただ
ろうか。信長が死んでしまうと信長の援軍という話は消える。さらに秀吉は、毛利との合
戦などしている場合ではなくなる。清水宗治の切腹もなくなっていたのではないだろうか。
もしかしたら、毛利軍は秀吉軍に合戦を挑んだかもしれない。歴史が大きく変わっていた
可能性があるのではないだろうか。

この作品は、その清水宗治の切腹までの心境の変化が詳細につづられており、読んでいく
と最後のほうでは胸が熱くなるような感動を覚える。
現代において、国のリーダーや企業のリーダー中に、この清水宗治のような立派なリーダ
ーは、はたしてどれだけ存在するだろうか。社会が進歩したからといって、人間そのもの
も進歩したとは言えない。いや、かえって退化しているかもしれない。
最近話題のChatGPTなどのAIを頼るようになったら、人間ももうおしまいだという気が
した。

過去に読んだ関連する本:
鉄の首枷


・備中高松城は孤立している。
 備前、備中の国境の毛利の出城は、織田勢お調略、力攻めのために落城し、頼みとする
 高松城は巨大な人工湖の中に忽然とういていた。
・四方を深い沼地で囲まれた高松城を攻めあぐねた秀吉は、前代未聞の水攻めを敢行した。
 十二日間で六百三十五万もの土壌を積み上げた築堤が完成するや、豪雨が来た。数日後、
 城は陸の孤島と化した。
・高松城を飲み込んだ人工湖を挟んで、北の連山に陣取る秀吉勢と、南を本陣と構える毛
 利勢は、決戦前夜の不気味沈黙を保っていた。
・兵力は五分と五分。いつ両軍が激突するか、時間の問題となっていた。
・あきらかに毛利は織田との決戦を避けている。今対峙している秀吉軍三万でも五分と五
 分。新たな信長援軍十万が備中に到着すると、気の短い信長が相手では和議といった生
 ぬるい手はない。
 それで信長が来るまでに、我々が降参してくれることを毛利は望んでいる。そうすれば、
 毛利は、自分たちに有利な条件で秀吉と和議に移れるからだ。秀吉の方が、妥協を許さ
 ぬ信長より話がしやすいと判断したのだろう。
・毛利傘下になってから、毛利の先鋒として必死に中国各地の戦場働きをしたというのに、
 我々に対するこの冷淡な毛利の態度は許せん。
 毛利のためにこれまで戦場で生死を賭けた働きをしてきたという自負心が、毛利に対す
 る憤怒の念を募らせた。 
・が、戦国の世は感情に流されることは許されぬ厳しい時代である。おのれの家の存続の
 ためには、他のすべての物を犠牲にしても生き抜くという非情さが要求される。
 この毛利の変わり身の早さは、戦国時代の武将なら誰もが身に付けているものである。
・備前の覇者、宇喜多直家の評判は極端に悪い。一介の素浪人から美濃一国を掌中に収め
 た斎藤道三顔負けの悪逆非道ぶりで、直家は血縁者ですら殺し、念願の備前一国を手に
 入れた。 
 毛利強しと見れば、今まで敵対していた毛利と手を結び、また東から織田の勢力が中国
 地方に伸びてくると、織田方に翻り毛利攻めの先鋒を務める。
 向背常ならぬ戦国の世とは言え、直家のような節操のない男も珍しい。
・宗治は元来寡黙で温和な男であった。軍議の場でも部下の意見を良く聴く。なるだけ自
 分の意見は挟まぬよう心がけていた。部下たちの意見が出尽くした頃を見計らって、お
 のれの案を訥々と述べた。
 四十六歳という年齢にもかかわらず、戦場で眉を吊り上げ、鷹のような鋭い眼差しで全
 軍を指揮している宗治の姿は、まさに鬼神さながらであった。敵だけでなく、味方の兵
 たちも彼を畏怖した。そんな光景を見慣れている家臣たちは、彼の決断を信頼した。
 が、平生はいたって寡黙で温厚そのものといった男であった。
・鎌倉以来の武士の潔さを誇りにして生きてきた清水家にとって、敵に降参してきれと毛
 利からいわれることは、武士であることを否定されるに等しい。
・この頃の武士は、忠義という江戸時代の儒教から来る概念はまだない。自分の一族郎党
 を守るため、力の強い勢力につくということは、日常茶飯事であり、今まで傘下に入っ
 ていた勢力を裏切ることに何ら罪の意識もない時代なのである。
・毛利が織田方に比べ不利になったから、織田方に降参すれば、命まで取られることはな
 い。毛利がこのように言ってきた以上、これに従って織田方として行動することは、決
 して恥ずべき行為ではない。
毛利元就が厳島合戦で陶晴賢を破って以来、瀬戸の海は毛利のものとなった。強力を誇
 った村上水軍も牙を抜かれた野犬のように毛利に忠誠を誓った。
 その水軍の要が小早川隆景の居る三原城であった。元就の三男である隆景は、すぐ上の
 兄である吉川元春とともに、幼い毛利家の当主、毛利輝元を補佐していた。   
・秀吉との戦いの打ち合わせのため、隆景は宗治ら備中の城将たちを三原城へ召集させた。
 幼い頃から小早川家に養子に入って気苦労を重ねている隆景は腰が低い。人の気持を逸
 らさぬ気配りが、柔らかい喋り方をさせる。
・宗治より二つ年上である隆景の顔は、穏やかな慈愛に満ちた微笑が湛えられており、温
 厚そのものに看える。が、その奥底には戦国時代を生き延びた非情さと賢明さが同所し
 ていた。しかし彼は微塵もそれを態度に表さない。中国地方の覇者である元就の智の性
 格を一番強く引き継いでいた。
・高松城は四方を沼地で囲まれ、大手道と搦め手に通じる道が僅か二本、その沼地を縫う
 ように細々と走っている。それは人の背丈ほどもある茅や雑草でおおわれている沼地を
 横切っているため、慣れた者でないとわかりにくい。一人がやっと通れるような道幅な
 ので、城攻めをするとどうしても縦一列に細長くなるため、敵城に着くまでに矢、鉄砲
 の餌食となる。
 この地形を一目見た秀吉は、持久戦を覚悟した。が、迅速を要求する信長の顔を思い浮
 べると、迷った。
竹中半兵衛三木城攻めの陣中で死んでより、秀吉の相談役は、官兵衛と股肱の老臣と
 なった蜂須賀小六であった。
・野武士上がりの小六は、これまでにも一夜城で有名な墨俣城のように、人の思いもよら
 ぬ策を練った。中国の戦略、戦術を書物で読んでいる官兵衛は、相手方の調略という方
 面で、秀吉陣内にあって貴重な人材であった。
・若くから辛酸を嘗めて育った秀吉は、人間というものの本質をよく知っていた。相手を
 煽てて、その人間の智慧を吐き出させようとした。そして十分すぎる恩賞で償った。こ
 れで認められたと思った人間は、感激し、秀吉のためには死をも惜しまず一生懸命に働
 く男と化した。 


・秀吉は自分の思案が行き詰った時、必ず参謀である官兵衛の意見を聴くことにしていた。
 いつの場合も官兵衛の策は、秀吉が何日も熟考した案を遥かに越えた立派なものであっ
 た。 
・秀吉は目の前にいる禿げ上がった頭を頭巾で隠し、実際の年よりずっと老け込んで見え
 る風采のあがらぬ年下の男に嫉妬を覚えた。
 が、微塵もそれを顔には出さず、彼は褒めちぎった。同じ土俵で競うという愚行は避け、
 自身は空気のような透明な存在となり、官兵衛の頭脳が最大限に稼働できる環境作りに
 専念しようとした。
・自分が表に出過ぎると、優秀な家臣とも衝突し敵に回してしまうことを、主人信長の行
 動から学んだ。信長流の人の使い方を間近に見ながら、もし自分が、信長の立場ならど
 う家臣と接するか、という眼で信長と家臣たちを観察し続けた。やたらと鞭を振り回す
 主人を見て、秀吉は飴を多く与える態度を家臣たちに取るようになった。
・部下は自分の器量を認められれば、身を擦り減らし、力以上のものを発揮するというこ
 とを知り抜いていた秀吉に、官兵衛はすっかり魅了されてしまい、この仕え甲斐のある
 主人のために頭脳を十二分に絞り出し、最良策を惜しげもなく披露した。
・秀吉は仏のような慈愛に満ちた顔つきで、黙りこくって官兵衛の意見を傾聴するふりを
 した。自分の才能を大いに買ってくれ、それを我が事のように嬉々として採り上げてく
 れる主人の恵比寿顔を見て、官兵衛は秀吉を主人で選んだ幸福感を味わった。
・人間の心理の襞を知り尽くしている秀吉も、守備の堅固な高松城を目の前にして、さす
 がに疲労の色は隠せなかった。
 数ヵ月もかけずに高松城を落として見せると大見得を切って安土城を退出し、高松入り
 を果たした秀吉の背中には、絶えず鷹のような鋭い目で、仕事ぶりを監視している主人
 信長の視線があった。
 名将清水宗治の一糸乱れぬ立派な統率ぶりに高松城の士気は高く、いつ落ちるともわか
 らない。  
・秀吉の心の内には常に信長という鬼が棲んでいた。鬼は秀吉の働きが鈍いと、雷を落と
 した。それは地表が稲光で張り裂けんばかりの激しさであった。秀吉だけでなく家臣た
 ちの仕事ぶりがまどろっこしい時、容赦なく落ちた。
 信長のこめかみに青筋が走り、それがぴくぴくと動き始めると、落雷の前触れであった。
 そんな時、大広間に集められた家臣たちは誰もが目を伏せ、耳を閉ざし雷が遠ざかるま
 でじっと我慢しなければならなかった。
・「殿、水攻めという策はいかがでしょうか。昔中国の古い時代に行われたことを、書物
 で読んだ記憶がありますが・・・」
 「梅雨前であり、時宜を得ているかと存じまする」
 暫くの沈僕を官兵衛が破った。
・穴のあくほど官兵衛の真剣な顔を睨みつけていた秀吉は、思わず大きくため息をついた。
 大言を吐き、それを遂行するのが秀吉の行き様であった。小者から成り上がるには、命
 を張っての自己主張を実践するしか他に方法はない。今まで何度かこの手で信長に食ら
 いついてゆき、自分の足場を固めてきた。十分な勝算があった場合より、死を覚悟した
 危険な賭けがほとんどであったと言ってよい。幸福の女神にも微笑まれ、三万という大
 軍を任せられる地位にまでのし上がった。
 その秀吉でさえ、官兵衛の水攻めという雄大な策には感嘆せざるを得なかった。
 百八十八町歩という湿原に満々と水が湛えられ、その中央に孤立した高松城の姿を懸命
 に思い描こうとした。
・眠っていた子供が急に目を覚ましたように、秀吉の頭の中に目まぐるしく回転し始めた。
 仮に実現すれば、毛利はこれを助けんとして動員でき得る限りの兵士を根こそぎ高松へ
 引き連れてくるだろう。短期決戦の好機を見のがすはずはない上様のことだ。十万を超
 す兵士を総動員して、疾風のように高松へ駆けつけられるであろう。そうなれば湖に浮
 かんだ高松城を挟んで、織田、毛利の一大決戦がこの地で行われよう。中国総司令官た
 る儂の面目は大いに立ち、前代未聞の水攻めを成し遂げた儂の名は後世まで語り継がれ
 るだろう。 
・「よし、許す。官兵衛、水攻めを何としても成功させよ。梅雨に入るまでが勝負だぞ!」
 「そちにすべてを任す。虎之助、弥九郎、佐吉らにも手伝わせて後学とさせよ」
 
・静まり返っていた高松城の南の城下で大きな槌音が響き出したのは、五月八日のことで
 ある。高松城の城兵が手をこまねいて見ている間に、横一線に丸太の木組みが建ち始め、
 たちまち筵、戸板などの一大遮蔽壁が出来上がった。
 延々一里にわたる巨大な建造物が完成した。工事着工よりわずかに二日間という突貫工
 事であった。
 高松城内では、その裏で何が起こっているのか皆目見当もつかなかった。
・「自重せよ。自重せよ」
 猪突猛進の武将相手なら却って戦いやすいが、あくまで決戦を避け、相手を包囲し味方
 の兵の消耗を少なくし、敵の兵の心理を揺さぶり、その間隙を突いてくる秀吉のような
 男は曲者だ。三木城や鳥取城の例もある。焦りは禁物だ。ここはどうあっても毛利の援
 軍が着くまでは自重することだ。
・一方、遮蔽壁の裏側には秀吉軍の主立つ武将たちが集められていた。彼らは官兵衛から
 水攻めの策を聞かされて胆を潰した。
・「どう思われるか、弥九郎殿は」
 官兵衛傍らで黙って聴いている若者に尋ねた。
 弥九郎は堺の薬問屋で堺衆の一人である小西隆佐の息子で、堺商人の父親の関係から、
 秀吉がゆくゆくは水軍の将にしようと期待している一人であった。その後小西行長と名
 乗る。
 「高松城の天守にまで水をやろうとすれば、堤の高さは約四間は必要でしょうか、官兵
 衛殿」
 顔に似ず、明瞭な頭脳を持つ若者らしく、論理的な物言いをする。
・近郷の村々への立て札と兵士たちの達しが効いたのか、翌日から続々と百姓たちの大軍
 が備中高松城下を目指して集まり始めた。
 近郷はおろか、備前、播磨、備後からもお国言葉丸出しで、目当ての報酬のことを大声
 でわめきながら備中高松を目指す。
・苦労人の秀吉は、信長の気持が鏡のようにわかる。仕事に対する報酬欲しさ顔を、信長
 が一番嫌うということを知っている。実子に恵まれない秀吉は、信長の第四子の於次丸
 を自らの養子に迎え、野心のないことを示した。  
・野良着を身に付けた百姓たちが各武将の班ごとに分かれ、乱杭用の材木を山から伐り出
 す組、杭を打ちつける組、土俵にいる俵や縄を作る組、土俵作りの組に手分けして築堤
 の作業が始まった。秀吉得意の分担作戦である。早く仕上げた組には特別の報酬が待っ
 ている。武将の監督の下に、百姓たちは報酬欲しさに競争しながら働く。一日中働きづ
 めでは、疲労も募って能率が上がらぬので、官兵衛は二交替、三交替制を取り入れた。
 少しでも多く稼ごうと百姓たちは死に物狂いで働く。
 工事現場は夜も真っ昼間のように篝火が皓々と灯る。目の色を変えた百姓たちの猛烈な
 働きぶりで、築堤工事は十二日間という信じられない速度で完成した。
 

・秀吉の強運を暗示するかのように、翌日から地面をたたきつけるような凄まじい大降り
 となり、濁流は完成したばかりの築堤にぶち当たり、高松城を取り囲む湿原へと流れ込
 んだ。集中豪雨は数日間続いた。
・三の丸が水面から姿を消した。毛利の援軍が姿を現したが、増水した長良川を挟んで築
 堤を守備している秀吉軍と対峙したまま動こうとしない。
・水嵩は日毎に上昇しており、兵士たちは丸太組の急造の井楼の上か樹々の枝に、板や戸
 板を並べそこへ寝泊まりした。
・人間だけでなく動物たちも生きんがため、上へ上へと狂奔した。居場所を失った蛇、鼠、
 いたちなどが床の上に平気でやって来て、いくら追い払っても首を傾けて上がってくる
 ため、女、子供は気を失うほどであった。
・二の丸は建物の屋根、櫓の二階部分がかろうじて姿を残し、本丸は隅櫓の二階、天守は
 二階、三階の水没を免れていた。
・城兵は毛利の援軍、百姓五百を入れて総勢五千五百人。傷ついた兵、老人・女子供を優
 先的に櫓に入れ、残りのほとんどが屋根の上や樹々の梢にしがみついている。
・軍議が本丸三階で連日行われた。
 宗治は座上終始沈黙を守っていた。胸の内は後悔と屈辱で煮えたぎっていた。  
 毛利の援軍を当てにして、城兵を水の中に閉じ込めてしまった自分の戦術を恥じた。
 褌一丁になって樹々の梢にぶら下がっている兵たちのぶざまな姿は、自分の無能を見せ
 つけられている気がした。今まで毛利の先兵となって、数々の目覚ましい武功を立てて
 きた勇猛果敢な彼らの様子を見てきた宗治にとって、部下に強い誇りを持っている分だ
 け、自責の念を禁じ得なかった。
・信長が名門武田氏を討ち果たしたという情報は、水の中で孤立している宗治の耳にも達
 していた。三万人をかき集めるのが精一杯の毛利にとって、信長が率いて来るであろう
 十数万とも知れぬ新たな大軍を相手に、勝てる確率は万に一つもない。
・今ここで信長が来る前に兵力対等の秀吉軍と戦い、万一勝っても、信長の大軍ともう一
 勝負打たねばならぬ。
 今まで毛利の支配下にいた国人衆の多くは毛利から離れ、織田に鞍替えすることは目に
 見えている。それよりは信長が来る前に、領土割譲といった政治的な駆け引きで和議を
 結び毛利家存続をはかるだろう。
 山陽道のことは小早川隆景の領域である。あの賢明な隆景が父元就から受け継いだ毛利
 王国を、信長と覇を競うといったことで潰してしまう愚行はするまい。
・この宗治の確信は当たっていた。
 高松城と別のところで、秀吉と毛利との水面下の駆け引きはすでに始まっていた。
 毛利の外交は秀吉とも親しい「安国寺恵瓊」が受け持った。
・ニ、三カ国差し出しても、まだ毛利は煮、三カ国残るのである。今は生き残ることを考
 えるべきである。  
 陶、尼子氏といった強敵を様々な調略で倒した元就は、戦国時代きっての英雄であった。
 その息子、元春、隆景とも世の戦国武将としては上出来である。が、時代は昔と違う。
 数十万という兵力を動員できる信長という天才の出現が、戦国を終らせようとしている。
 この時代のながれには逆らうことはできない。
 恵瓊は信長の天下はまず間違いないと睨んでいる。
 
・強気の秀吉方に激震が起こった。六月三日の夜であった。
 官兵衛が右足を引きずるような格好で本陣を尋ねて来た。よほど急いできたらしく、呼
 吸が荒い。
 「少々内々の事で申し上げたき儀がござる。そなたたちは座をはずしてくれ」
 近習の者たちが立ち去ったのを確認して、官兵衛は懐に忍ばせていた油紙に包まれた手
 紙を秀吉に差し出した。
・何気なく目を通していた秀吉の表情は急に一変し、天を仰いだ。顔面が蒼白となり、全
 身がわなわなと震え出した。
 「何たる事ぞ。あの上様が明智日向のために・・・」
 秀吉は官兵衛が見ているのも構わず、しゃくり上げた。大粒の涙を手紙の上に落としな
 がら号泣し始めた。
・手紙は信長の家臣、長谷川法印宗仁からの密書であった。
 六月二日の払暁、明智日向が反逆して、信長の本陣としている本能寺を急襲して、信長
 を討ち取り、次いで信忠の宿所二条御所を襲って彼を討ち取ったことが書かれていた。
・まったく青天の霹靂であった。全生涯を支配していた信長という絶対的な存在が消滅し
 たことは、秀吉という個人の存在が急に消失してしまったに等しい衝撃であった。
・茫然自失といったところが今の秀吉を支配している感情のすべてであった。
 すると今度は激しく光秀に対する憤怒が胸に満ち始めた。
 涙が干からびたと思われるほど泣いてしまうと、徐々に悲しみといった感情が頭をもた
 げてきた。   
・その一方で部下を道具としてか見ずに、鞭を振り上げ、部下を酷使し続けてきた信長に
 反逆した明智の心境もわかるような気がしてきた。
 やがて悲しみや怒りといった感情が薄らいでくると、いつも頭を圧しつけられていた重
 圧が取り除かれて、頭の中が急に軽くなった気がした。
・「殿、御運の開けさせ給う時が来たのでござる。よくさせ給え」
 秀吉は心の大黒柱を失った打撃がからまだ完全に立ち直っていないかのように、茫洋と
 した顔つきであったが、この官兵衛の言葉を聞くと一瞬ギョッとした風に官兵衛を見上
 げた。 

・さすがの恵瓊も信長の死までは予想できなかった。
 あれほど強気な姿勢をとり続けてきた秀吉が信長出馬したと聴くや、急に態度を豹変さ
 せた。
 (よほど信長が恐ろしいと見える)
 この時、恵瓊は毛利外交僧として致命的な誤りを犯した。
・「毛利家安泰のこと、間違いござらぬか」
 恵瓊は念を押した。
 「秀吉の命に代えても誓おう。だが、宗治の首はどうしてももらわねば儂の立場上の格
 好がつかん」 

・宗治は軍師の舟が城に到着したとの知らせを受けた時、毛利が和議のことで来たと直感
 した。自分の首のことで双方事態が進展せずに頭を痛めているといったことは、まった
 く知らない。
・「実は和議の話が拗れてのう」
 「和議が・・・」
 「はなはだ申し上げにくいことでござるが・・・・」
 刺し貫くような宗治の鋭い眼光をまともに受けて、恵瓊は思わず視線を外した。
 「何でござる。この儂に腹を切れとでも言われるのか」
・恵瓊は政治的な人間である。武士の面目とか名誉とかいった信念には薄い男だ。だから
 宗治という、自分とはまるで価値観の異なる武将を説得することに多少の抵抗感があっ
 た。それに毛利家臣でもない宗治に、毛利を代表して腹を切ってくれと頼むことの虫の
 良さも、毛利の軍師としての後ろめたさを覚えていた。
 それが宗治の方から切腹という言葉を切り出してくれて、肩の荷が降り、心まで軽くあ
 った。 
・「切ってもらえるか。それは大いに助かる。今毛利が立つか立たぬかは、其許のお心ひ
 とつにかかっている。いじらしい五千の城兵の命を救うためにも、一勘考してくだされ。
 お願い申す」
・これだけ言ってしまった後、再び視線を宗治の方に向けると、宗治の目は疑いをまった
 く知らない幼児のような清らかな光を放っていた。
 堪らず恵瓊は視線を落とした。
・「宗治にはもとより切腹を恐れるものではない。毛利のため一命を棄てることに喜びを
 感じこそすれ、毛利を憎む心はさらさらござらぬ。唯一つ、自分の死が無駄死になるこ
 とがないか、それのみ心にかかる点である」
 鋼鉄ような強い光を、その澄み切った目は秘めていた。
・「そのことは安心めされい。毛利家存続のことはすでに筑前より言質を取り付けておる」
 再び視線を宗治に戻すと、宗治の表情は温和な笑みで満たされていた。
・「自分は元々城に籠った時から、堅く死を決している。自らの首が織田、毛利両家の御
 入魂の礎になるとあれば、わが欣びこれにまさるものはない。いつでも喜んで左様仕る
 覚悟ゆえ越前殿に伝えて欲しい」
 宗治の爽やかな笑顔が恵瓊の心を暗くした。
・切腹は四日巳の刻と決まった。
 六月四日巳の刻宗治切腹という噂は、城兵に誰からとはなく漏れ伝わっていた。宗治を
 迎える兵たちはさすがに悲嘆にくれる様子は隠せず、宗治と目を合わせると感謝の意を
 示す者や、うずくまって泣き伏す者もいる。また、今までの籠城の際の張りつめていた
 緊張の糸がぷつりと切れて茫然自失して、座り続ける者もいた。
・娘婿の大炊助は大いに不満であった。
 「何故、我々を見捨てた毛利に義理立てして舅殿は腹を切らねばならぬのか」
・宗治は訥々と話す。
 「秀吉軍と対峙してここまで毛利が来ているのに、一戦することもなく我々を見殺しに
 する毛利を儂も憎く思う。その毛利のために腹を切ると思うと無念である」
 「我ら大国に挟まれた地方領主の生き様は厳しい。今まで毛利の先兵として数限りなく
 武功を重ねてきた。だが毛利自身勝ち目がないと判断すると、彼らは戦を避けて和議を
 結ぼうとし、我々小国領主を犠牲にしても自国の存続姿勢を取ろうとする」
 「大国に挟まれた弱小の我々は、常に彼らの犠牲となる運命にある」
・「ならばこそ、舅殿も維持を張り通して毛利の言い様に逆らっては」
・「そうなれば、我らを頼って籠城してくれている五千五百人の兵や百姓たちは水死せね
 ばならぬようになる」
・「「儂も十分熟考した。しかしものは考えようである。清水宗治という男がこの世に生
 きていたという証しを、後世に残す、願ってもない晴れ舞台がやってきた、と思うよう
 にしたのだ。清水家にとってこんな名誉なことは又とあるまい」
 宗治は微笑した。
・「それに儂が切腹することによって毛利は救われ、儂は毛利に大きな恩を売ることにな
 る。そして儂は秀吉に勝つことにもなるのよ」
・「秀吉は儂に備中、備後を与えるという餌で我々を釣ろうとしたが、儂はこれを断った。
 今度は和議の条件として、儂の首一つのことで和議の交渉が難航した。毛利・織田が戦
 うか戦わずに済むかは、今や儂の首一つにかかっているのだ。こんな愉快なことが又と
 あろうか。たかが備中の一領主の意向に天下の織田・毛利の両家が儂の顔色を窺い戦々
 恐々としているのだ。戦国に生まれ育った男として、これほどの感激が又とあろうか」
・「わかりました。舅殿。我々は嬉々として腹を切りましょうぞ。何卒この不肖の婿めも
 道連れにしてくだされ」
 「それはならぬ。二人して心地良げに腹を切れば、残された者たちの面倒は誰が見るの
 だ。婿殿は心苦しいだろうが、後に残って家臣たちのために働いてくれ。毛利も儂が腹
 を切ることで、我々の一族の面倒は後々まで見てくれよう。それをその目でしっかりと
 見届けてくれ」
・大炊助が本丸を退出すると、入れ替わりに、末近左衛門が入ってきた。末近は毛利から
 派遣された目付であった。清水勢の監視役として、高松城に入ってきた。
 清水勢との必要以上の昵懇は許されず、立場的には宗治と対等、援軍を率いて城の籠っ
 ているので、合戦の際には宗治の指揮下に入るという微妙な立場に立つ男であった。
・「宗治殿のお供をさせて頂きたい」
 「そなたがご自害とは何事でござる。ここを逃れなされたとて、人の嘲るべきこともご
 ざらぬ。ただ急ぎ帰られて、この有様をしかと隆景殿へ申し上げてくだされ」
 「それがしも宗治殿とともにこの城に籠っておりますからには、あなたがもし敵に一味
 されるようなことがあれば、毛利からの監視役として宗治殿と刺し違えて死ぬ覚悟でご
 ざいました。それが毛利への忠誠をいよいよ貫かれ、堅固に城を死守なされています宗
 治殿の姿を見るにつけ、その忠義の心にそれがしは胸を打たれました。それ故、貴殿が
 腹を切られる時は御迷惑でも、一緒にそれがしも腹を切ろうと前々から思っておりまし
 た」  
・宗治は末近のその強固な意志を体全体で受け止めた。そして彼をこの決意に追い込んだ
 ものを感じた。
 許しを得られねば、今すぐここで腹を切ろうとしそうな切迫した表情であった。その視
 線を逸らさぬ真剣な眼差しに、宗治は頷いた。
 「よかろう。冥土の旅も多いほど賑々しくておもしろかろう」
 一瞬凍りついたような末近の表情が緩んだかと思うと、目から大粒の涙がこぼれた。
・末近は宗治に詫びたかったのだ。自分は毛利の目付として高松城に籠っていた。水攻め
 にあって、遅ればせながら駆けつけてきた毛利の援軍三万は高松城の目と鼻の先の距離
 に対峙したが、一向に動こうとはしなかった。
 人造湖に孤立している兵たちは、毛利の援軍が動く時を今や遅しと心待ちにしていたが、
 前方の山稜にはためく旌旗の群は一向に動こうとはしなかった。
 籠城兵たちの期待はやがて失望になり、さらにはそれは増悪へと変わった。増悪に満ち
 た彼らの目は、目付として籠城に加わっている末近に向けられた。
 末近は毛利の援軍が秀吉軍へ突入してくれることを祈り続けた。が、毛利本陣は一向に
 動く気配はなかった。末近は動けぬ訳を自分なりに理解しようとした。
・秀吉は水攻めの高松城を囮にして、毛利三万軍の動くその瞬間を、鷹の目のような鋭さ
 で虎視眈々と狙っているのだ。
 小早川隆景の合戦の采配が振られた瞬間、元就が調略で築き上げた血と汗の結晶である、
 毛利王国の崩壊が始まるのである。
 秀吉軍三万でも持て余しているのに、武田家を亡ぼした十万とも二十万とも知れぬ信長
 率いる大軍が、中国を目指した京を発したという噂は末近も耳にした。
 武力衝突を避け、政治力で御家の存続に奔走する毛利本家の考えが、ようやく末近にわ
 かってきた。
・籠城している清水勢たちはそれらの事情を知らず、毛利の煮え切らない態度に怨嗟の声
 を上げた。
 宗治はとげとげしくなっている高松城内で、孤立している末近の心の葛藤を知っていた。
 今ここで宗治一人腹を切れば、残された清水勢の者たちは、生涯毛利を怨むことになる
 だろう。
・末近は毛利の不義理を一身に背負い、自分一人が毛利の代表となり、我ら清水家の者に
 詫び腹を切るつもりだ。これで毛利家とわが清水家の関係も、末代まで憂いのないもの
 となろう。

・皆にやや遅れて兄、月清が本丸三階に顔を現した。
 「上等の酒のようだなぁ。酒の香が部屋に籠っておるわ」
 「うまい、腸にしみ込む。これで儂は何も思い残すことはない。妻子とも今訣れを済ま
 せてきたところだ」
 「兄者、またれよ。某一人、総軍の命に代わって自害つかまつる約束をしたのです。何
 も兄者までもが自害なされるいわれはありませぬはず」
 「そなたは天性、我が家を継ぐべき器を持っていたほどに、父上に向かって堅くお断り
 を申して家督をそなたに譲ったのだ。某がもし家督を相続していたなら、今日秀吉を引
 き受け自害するのは、わが身の上のことであった。これを思えば、どうしてそなた一人
 に自害させて、某一人がのめのめと後に残っておられようか」
・宗治は兄月清がこの時ほど兄らしく、頼もしく映ったことはこれまでの生涯で一度もな
 かった。  
 何の相談もなく家督をさっさと弟の自分に譲り、出家三昧している兄を羨ましく、身勝
 手者と口惜しく思ったこともあった。
・「先に生まれたからには死ぬのもまた先に死のう。そなたは我が自害の様を見終わって
 から、心静かに腹を切られよ」
 この兄らしい言葉を聴いた宗治は、心の中でかっと熱くなるものを感じた。
 「兄者、儂は嬉しい」
 「我が本心を明かせば、兄者と共に腹を切りとうござった。かの別所の者のように」
・三木城の別所兄弟が城兵の命と引き換えに立派に切腹したという話は、ここ備中高松ま
 で知れ渡っていた。  


・宴の後、宗治は白井与三左衛門を見舞うべく、小舟に松明の火をつけ小姓一人を引きつ
 れ、大手矢倉まで出向いた。
 白井は四月の合戦で左の股を撃たれ、その病状が思わしくなくここ二、三日高熱をだし、
 矢倉で臥していた。
 宗治が幼少の時から、戦さに明け暮れること四十数年。すべての戦さで生死を共に暮ら
 してきた無二の者である。最後に一目会って後事を託したいと思ってやってきた。
・「これは殿、わざわざのおこし痛み入ります」
 「いよいよ明日でございますな。明日は殿の晴れ舞台、それがしの瞼には殿の凛々しい
 姿が浮かんでおります」
 「殿と共に生き、楽しき生涯でござりました」
・与三左衛門は最後の力をふりしぼるように、腹の前にかけていた陣羽織を払いのけた。
 「なに、腹を切ることなど、いとも易きことよ」
 直垂はぐっしょり
 どす黒い色に染まっている。
・宗治は思わず息を飲み込んだ。
 「早まったことを。後事をそなたに頼もうと思っていたのに・・・」
 与三左衛門は薄れる意識と必死に戦っていた。
・与三左衛門は震える手で直垂を左右に開いた。皺腹は横一文字に大きく切り裂かれてお
 り、その切り口から腸がのぞき、鮮血が板間にしたたっていた。
 「殿、切腹などかように易いこと故、仕損じをおそれることなどござらん。明日は毛利・
 織田軍六万人もの晴れ舞台でござる。立派に華々しく飾られませ」 
・与三左衛門はここまで言うと急に力尽きたかのようにぐったりとうなだれ、息をぜいぜ
 いはずませながら目を閉じて、首を打てというように首をつき出した。
 
・身の周辺の整理が済んだ今、気にかかるのはやはり家族のことである。
 小早川家に人質としている嫡子源三郎に遺書をしたためた。
 しばらく瞑想した後、辞世の句を書いた。
  浮世をば今こそわたれ武士の名を高松城の苔に残して
・命を張った戦場では不思議と無心になれるものの、今日限りの命となったこの瞬間に思
 い出されるのは家族の事であった。
 未練がましいと自分の心を叱咤するが、そうすればするほど、愛しい我が子の顔が脳裏
 に浮かんでくる。  
 親鳥に庇護から離れた、よちよち歩きの小鳥である子供の将来への不安が、地面に水が
 滲みてくるように宗治の胸を占めた。
・巳の刻が近づいて、宗治は仏間から出て、本丸の広場に集まっている重臣ならびに親類
 縁者に最期の暇乞いをした。
 どの顔にも自分たちの身代わりとなって腹を切ってくれる宗治への、感謝と哀悼の入り
 混じった複雑な表情が浮かんでいた。
・家臣一同、出発しようとする宗治らに向かって大声で叫び、深々と頭を下げた。
 すでに舟上にあった宗治は、胸から熱いものがこみ上げてきて、あやうく涙が溢れそう
 になった。彼らへ何度も何度も軽き頷き、不器用に手を上げては降ろす動作を繰り返し
 た。 
・わしの拙い采配のため、水攻めという恥を後世に残してしまった。許せよ。自分が立派
 に腹を切ることが、彼らに十分に報いることになるのだ。
・舟が約束の蛙が鼻の先までくると、そこには検視役を乗せた一艘の舟が待っていた。
 「筑前守家臣、堀尾茂助にござる」
 茂助の顔にはここまで持ちこたえた名将への、畏敬の念が浮かんでいた。
 茂助は秀吉からの美酒、佳肴を差し出した。
・宗治は秀吉の本陣に向一礼した。
 さっそく樽酒をすくい、盃を回しながら一献やる。
・北の山々の秀吉の陣、南の毛利陣の六万もの熱い視線が、湖上の宗治らに注がれている。
 月清はかねての約束通りまず南の毛利軍、次に北東の秀吉軍に目礼を送り、肌脱ぎや
 「やっ」と声を上げると一気に腹を切った。
 介錯人の高市之充がすかさずその猪首を切り落とした。
・続いて宗治が、作法どおり十文字に腹を掻っ捌いた。高市之充も落ち着いて宗治の首を
 落した。
・三人目の末近は高松城へ顔を向け、城に向かって深々と頭を下げた。その動作には末近
 の思いの内が表れていた。
 へたな節回しであったが堂々と謡い終わって腹を切った。
・その舟にはあと四人の者たちが乗っていた。介錯人の高市之充と舟頭役を買って出た清
 水一族の難波伝兵衛。それに二人の僧。
 難波は同様、追腹を切り主君の後に従った。
 その後、高市之充は宗治、月清、末近三人の首を首桶に入れ、検視役の堀尾茂助へ手渡
 した。
・夕刻より織田軍は撤兵を始め、六日の午過ぎには高松から消えた。
 これより「中国大返し」が始まったのである。