インテリジェンス 武器なき戦争 :手嶋龍一佐藤優

この本は、いまから19年前の2006年に刊行されたもので、インテリジェンスについ
て手嶋龍一氏と佐藤優氏との対論を本にしたものだ。
なお、「インテリジェンス」とは「諜報活動」つまりは「スパイ活動」のことを指すよう
だ。
私がこの本の中で特に印象に残ったのは、2002年に「小泉純一郎」元首相が二度にわ
たり北朝鮮の平壌を訪問した際に調印した「平壌宣言」に関してだ。
小泉元首相の訪朝は、これにより5名の拉致被害者が帰国したことにより、一般的には大
成功のように思われているが、このとき調印した「平壌宣言」を見ると、拉致問題につい
ては何も書かれていないのだ。
別な見かたをすれば、5人の被害者の帰国によって、拉致問題は解決したとも受け止める
ことができるのだ。そして北朝鮮もそのように主張している。
これでは、その後、いくら他の拉致被害者も返してほしいといっても、北朝鮮側の「拉致
問題は解決済み」という主張は、間違いではないと言えるのではないか。
どうして、この「平壌宣言」に拉致問題を盛り込まなかったのか。
そういう意味では、この本の中で述べているように「平壌宣言」は大失敗だといえるよう
に思える。
そして、この「平壌宣言」の内容を、どの程度の日本人が認識しているのだろうか。

過去に読んだ関連する本:
一九九一年日本の敗北
国家の罠
モニカの真実


まえがき
・秘密情報の98%は公開情報を再整理することによって得られるという。
 北朝鮮に関して、控えめに見積もっても東京で熱心に情報収集活動をすれば、インテリ
 ジェンス専門家が必要とする情報の80%を入手することができる。
 ただし、それを行うためには情報に通じた案内人が必要だ。
 @「核クラブ」(米英仏露中の核保有国)は北朝鮮をクラブメンバーにしないという腹
  を固めている。 
 Aインテリジェンス・コミュニティにおいて、北朝鮮が核兵器、弾道ミサイルを手放す
  可能性はないというのが共通見解になっている。
 B「核クラブ」とイスラエルは、北朝鮮の核・ミサイル技術の第三国への移転阻止を絶
  対防衛線にしている。
  その絶対防衛線を維持するために、「核クラブ」は北朝鮮が核保有国となったことを
  認めないし、また核廃絶を最後まで北朝鮮に要求する。
 C「核クラブ」は北朝鮮との対話路線に踏み切る。
  そして対話を通じ、外圧を口実に団結している金正日政権中枢部に隙間をつくりだそ
  うとしている。 
  一部主要国のインテリジェンス機関は、この隙間を巧みに衝いて北朝鮮の体制転換を
  真剣に考え始めている。
・インテリジェンス能力は当該国家の国力から大きく乖離しない。
 国力を量る上で経済力は大きな要素だ。
 GDP世界第二位のわが日本国は、インテリジェンス能力においても世界第二位の潜在
 能力を持っている。
 ただし、その情報が内閣情報調査室、外務省、警察庁、防衛庁、財務省、公安調査庁、
 海上保安庁、経済産業省、検察庁、マスコミ、商社、永田町の情報ブローカーなどに分
 散していて、政府に集約されず、機動的に使われていないのである。

インテリジェンス・オフィサーの誕生
・しばしば「外交は武器を使わない戦争」といわれます。
 国際舞台の背後では、さまざまな情報戦が繰り広げられている。
 「インテリジェンス」とは、そうした戦いに不可欠な武器なのです。
 情報は、国家の命運を担う政治指導者が舵を定めるための羅針盤である。
・噂を耳にしていることと、それを記事に書いて一面トップで報じることとのあいだには、
 万里の隔たりがある。
 上っ面の事実を知っているだけでは、単なるインフォメーションにすぎない。
 そんなものはインパクトを少しも持たない。
 情報としての生命力は宿っていないのです。
・探求心、畏るべし。好奇心、侮るべからず。
・戦前、ドイツの新聞記者の肩書きで日本に潜入したソヴィエトのスパイ、あのリヒャル
 ト・ゾルゲ
が手記でこんなことを書いています。
 日本人から情報を取るには、「あれ、あなた知らないんですか?」と言うのが一番いい。
 日本のエリートはしらないことが恥ずかしいと思っているから、調べてでも教えてくれ
 るというんです。
・インテリジェンスの世界でリヒャルト・ゾルゲをどこのスパイと見るかというと、ソ連
 とドイツの二重スパイということになる。
 しかし、さらに国際スタンダードに照らして冷静に見た場合、そのプライオリティは明
 らかにドイツにあるんです。
 それはなぜか。
 インテリジェンスの世界というのは、二つの要素でできています。
 第一に、誰が指令を出して、誰に報告するか。
 第二に、誰がお金を払うかということです。
 ゾルゲの場合、指令を出していたのは駐日ドイツ大使館のオイゲン・オットー大使でし
 た。ゾルゲはそれに100パーセント応えていた。
 そして、ドイツ大使館からお金も受け取っている。
・ですから私は、ゾルゲというスパイにとって、メインはあくまでもドイツであり、ソ連
 のほうはアルバイトみたいなものだったと見ています。 
・ちなみに、「ゾルゲ事件」がもたらした最大の効果は、日独離反でした。
 結果から見るならば、これはイギリスの利益にかなっていた。
・結局、戦前も戦中も日本のカウンター・インテリジェンスは、ドイツを友好国と見なし
 ていないんです。 
 在東京のドイツ大使館員はもちろん、ドイツの特派員たちも監視されていた。
 タス通信のソ連人記者のほうが、よほど自由に動けるくらいでした。
・そんな中で、ゾルゲには資金だけでなく、ソースとなるような情報も十二分にドイツ大
 使館から与えられていた。
・それでは、日本側は何のためにゾルゲと接触していたかというと、これはゾルゲの手記
 にも出てくるのですが、彼を通じてドイツの情報がほしかったんですね。
 要するに、当時の日本とドイツはお互いに疑心暗鬼だったというわけです。
 日独の同盟関係があるにもかかわらず、ドイツのきちんとして情報が入っていない。
 だからドイツに関する情報を教えれば日本についてのよい情報が取れたと、ゾルゲは書
 いています。  
 その意味でいうと、ドイツは踏んだり蹴ったりなんですよ。金を払った上に、ドイツの
 情報が日本にもソ連にも抜けていたわけですから。
・それに加えて、オットー大使は妻のいれるまでゾルゲに貸してくれた。
 でも、ゾルゲが奥さんとの関係を告白したとき、オットー大使は感謝していたそうです
 よ。夫婦関係が冷え込んでいたオットーさんにとっては、妻がセックス・ヒステリーを
 起こさないように世話をしてくれるゾルゲの存在はありがたかった。
・それにしても、ゾルゲほど女性にもてた男は珍しい。
 匹敵する外国人は戦時中のフランス人特派員ロベール・ギャランくらいでしょうか。
 情報を扱う一級の人物で女性に人気の名人を僕は知らない。
・いずれにせよ愛した女性たちを最後まで守ったのがゾルゲの格好いいところであり、
 これはなかなか真似のできることではない。
 ゾルゲは「女は情報活動に向かない」とか「特に日本の女は頭が悪い」とか「アグネス
 ・スメドレーは女としての魅力がない」などと酷いことを手記に書いているんですが、  
 これは大嘘なんです。
 自分の愛した女たちを守るための、ゾルゲ最後の戦いだった。
 事実、日本での奥さんだった「石井花子」は取調べを一切受けていないんですよ。
 そこは日本の特高警察の連中もゾルゲとの約束を守っているんです。
・もしゾルゲが本当の関係を明かしたら、憲兵に拘束されるか、あるいは暗殺されていた
 でしょう。 
 石井花子も、確実に獄死していたはずです。
・だから、手記の中で協力者のスメドレーを非難している部分、あるいは日本女性をバカ
 にしている部分というのは、目的合理性に基づいたものなんです。
 検察もそれをわかっている。
 だからゾルゲが提出したのは手記であって、上申書ではないんです。
 上申書は、そこに積極的な嘘はないという前提のもとに受け入れるものだから、スモー
 ク(偽装)された部分があるとわかっているものは受け取れない。 
 だから単なる手記という扱いになっています。
 ゾルゲとともにスパイ容疑で逮捕された元朝日新聞記者「尾崎秀実」のほうは上申書で
 したが。
・尾崎秀美の弁護人は、竹内金太郎という刑事弁護一筋の高名な人物です。
 「阿部定事件」の弁護人も引き受けて、裁判官に向かって「あなた方は世間というもの
 を知らない。だからくびをしめるということのいみがわからないだろうが・・・」と説
 教したような弁護士だった。
 阿部定は出獄すると、余生は金太郎先生にささげたいと、本郷の竹内邸に身を寄せたほ
 どでした。
 明治の日本が生んだ傑物です。
・ゾルゲをある程度まで使いこなしたオットー大使は、ある意味で非常に優れた軍事イン
 テリジェンス・オフィサーだったと私は思っています。 
 いくら夫婦関係が冷めていたとはいえ、自分の奥さんとセックスしている男に全幅の信
 頼をおいて情報活動を委ねというのは、なかなかできることじゃない。
 ゾルゲの使い方、二・二六事件の分析をはじめとする当時のドイツ大使館の考え方など
 を見ると、そんなにお粗末な人間ではなかったのではないかという印象を受けるんです。
・以前、「吉野文六」さん(元西独大使)から大島大使の話を聞いたことがあるんです。
 吉野さんは1941年にベルリンに赴任して、大島さんの下で仕事をしていました。
 その大島さんが、1945年になっていよいよ情勢が厳しくなってきたときに、「危な
 くなってきたので、我々大使館は南に下がる。しかし君は決死隊としてここに残れ」
 と命じたそうです。
 それで吉野さんを含めた12人がベルリンに残った。
 その後、二回ほど大島大使のところに呼ばれていったのですが、その用件というのが、
 「大使館の酒保に酒とつまみがあるだろう。こっちには何もないから持ってこい」とい
 うものだったそうです。
・そこで吉野さんが命を落とされていたら、例の沖縄密約について証言する外交官はいま
 だに現れていなかったかもしれません。 
 1972年の沖縄返還の際、原状回復の費用400万ドルを日本が肩代わりするという
 密約があったことを日本の外務省は否定した。
 が、吉野さんは認める証言をした。
 
インテリジェンス大国の条件
・二国間の条約、多国間の協定、口頭了解といった国際約束が適当なものか否かを判断す
 るいわゆる「有権解釈権」は、従来、外務省にあるとされてきました。
 具体的には、次官、条約局長、条約課長にその判断が委ねられてきた。
 これについては、外務省内にとどまらず、全盛期の大蔵省ですら認めていたのです。
 行政府内のコンセンサスだといっていい。
・対ロ支援を目指す国際協定に基づいて、イスラエルの国際会議に予算を支出できるかど
 うかについては、外務省条約局に判断が求められました。
 その結果、条約局はぎりぎり協定の範囲内で予算の支出ができるという判断を下しまし
 た。 
 そして、事務次官、条約局長、条約課長が決裁書類に署名をしています。
 「適法」と判断したこれら関係者もそれぞれ検察の事情聴衆に応じて証言しています。
・にもかかわらず、一審の判決文では「協定に違反して」と明記しています。
 なぜ「協定違反」と判断したかは、説得力のある説明がなされていません。
 検察当局の立論を安易に踏襲したのでしょう。
 外務省の有権解釈権の威力を知る外交ジャーナリストとして「異なこと」と直感しまし
 た。 
 仮に協定違反だとすれば、罪に問われるべきは担当の事務官ではなく、有権解釈を下し
 た外務省の首脳です。
 さしずめ、当時、条約局長であり、現在の事務次官である「谷内正太郎」氏です。
 このように首脳陣が決裁した基準に沿って実務を行った人間が罪に問われるなら、そん
 な国家に勤める役人など一人もいなくなってしまう。
 判決の前段が既に破綻しているのです。
・さらに言うなら、イスラエルでの国際会議は日本の国益にもかなうものでした。
 イスラエルが対ロシア情勢の収集について重要な位置にあることを、ワシントンにいた
 私くしはよく知っています
 1998年にエリツィン大統領によるチェルノムイルジン首相の更迭という機密情報を
 日本が入手したのも、イスラエル経由でした。
 だから、イスラエルで国際会議を開くことにはなんら問題ない。
 むしろ、もっと頻繁に開くべきだったと思います。
・ところが、あの時はメディアを含めて一種の魔女狩りが行われ、佐藤さんの逮捕に道を
 ひらいてしまった。 
 外務省内からも不健全といっていい情報のリークがあったのでしょう。
 
・アメリカはイラク戦争で情勢を見誤りました。
 当時、ワシントンに在勤していたのですが、わたくしはブッシュ政権のイラクへの力の
 公使には賛成でできかねました。
 ワシントンでホワイトハウスの動きをウォッチしているジャーナリストは、大統領の力
 の公使にほとんどの場合、反対するものなのです。
・なぜならば、アメリカ大統領が軍事力の行使に踏み切ると、アメリカの世論はほぼ例外
 なく圧倒的に支持します。
 政権の支持率はグーンと跳ね上がります。
 ですから政権の浮揚力を高めようとすれば、大統領はつい力の公使に傾いてしまいがち
 です。 
 伝家の宝刀をともすれば抜きがちとなります。
・しかし、かつてのベトナム戦争がそうであるように、力を行使すれば必ずどこかで毒が
 回ってくる。 
 だから、われわれ国際的なメディアは、アメリカの力の公使にはいかなるケースであれ、
 慎重のうえにも慎重を期すべしと主張すべきだと考えています。
・ブッシュ政権は、明らかに自らの力を過信してしまいました。
 アメリカが力の公使をする場合、西側同盟の意向は極めて重要です。
 国境を接するカナダや、本質的にはアメリカの意向に戦後一貫して従い、離反したこと
 がなかったドイツを、脱落させてしまっている。
 そういう状況下で力の公使に踏み込んでいったことには疑義を呈しておかなければなり
 ません。 
・ブッシュ大統領をイラクへの戦いに連れていったのは、チェイニー副大統領ラムズフ
 ェルド国防長官
らの強硬派です。
 さらに、そのなかにイスラエルの利害に寄り添うネオコン、新保守主義派と呼ばれる人
 々がいました。
・ネオコンの特質は三つ。
 一つは、民主党リベラル派からその外交・安全保障政策に落胆して、保守派に移ってき
 た人々であること。 
 二つ目は、ネオコンの大半がユダヤ人であることです。
 「ポール・ウォルフォウィッツ」前国防副長官がその代表格です。
 さらには「闇のプリンス」と呼ばれた「リチャード・パール」外交諮問会議元議長らの
 イデオローグがいる。
 そのウォルフォウィッツは、両親を除くほとんどすべての親族をアウシュヴィッツで亡
 くしています。
・彼らネオコンは、第一次湾岸戦争時からバグダッド進攻を主張していました。
 が、当時はまだ少数派にすぎませんでした。
 彼らを政権のメインストリームに押し出したのが、2001年の9.11の同時多発テ
 ロ事件でした。
 もちろん、最後の決断は大統領たるブッシュがしなければなりませんでした。
 そして、その結果責任をいま負いつつあると思います。
・表向き、アメリカがイラク戦争を仕掛けた理由は二つありました。
 一つはフセインが大量破壊兵器を隠していること、もう一つはフセインがビンラディン
 率いるアルカイダと組んでいるということです。 
・しかし、二つ目の話が最初から大嘘だというのは、ちょっとでも中東やイスラムの歴史
 を学んでいればわかる。
 というのも、ビンラディンたちの目的はイスラム原理主義の帝国をつくることで、そこ
 に民族や国民国家の意識はありません。
 一方、フセインはイラク人による大国民国家をつくることを目指しており、これは基本
 的に民族主義の亜流です。
 だからフセインはビンラディンの仲間をたくさん殺しているし、ビンラディンにとって
 フセインは打倒の対象だった。
 しいて共通点を挙げれば両者ともアメリカとぶつかっていることだけで、それ以外は全
 然つながらない。
 だからフセインとアルカイダが組んでいるなんていうのは、子供でもわかる大嘘なんで
 す。
 ところがアメリカは、イラクを叩く大義名分が必要だったから、それを意図的にくっつ
 けた。
・ネオコンのもう一つの要素は、彼らはニューヨーク市立大学出身のトロツキストグルー
 プなんです。
 学生時代から世界革命の思想を持っています。
 現在もその思想は変わっていません。
 ただし、それはマルクス主義に基づく世界共産革命ではなくて、世界自由民主主義革命
 なんです。
 つまりネオコンというのは、独裁者や悪い奴はやっつけて、普遍的なひとつの理念で世
 界を統一していこうという革命家たちなんです。
・だからこそ、イラクにも軍事力でアメリカ流の民主主義を押し広げようとする。
 「義を見てせざるは勇なきなり」というわけでしょう。
 押しかけられる側からは、まことにもっておせっかいで、たまったものではない、とい
 うことになりますが。
・旧ソ連がハンガリー人民共和国やチェコスロヴァキア社会主義共和国に軍事介入したと
 きも、「これは侵略ではなく、同志的な援助を差し延べているのだ」という大義名分が
 ありましたが、今はそれと同じことをアメリカがやっている。
・大半のアメリカ人は、自分たちの国は丘の上に燦然と輝く民主主義国家だと信じていま
 す。 
 その自由の理念が正しいならば、それを世界に、とりわけ独裁政権下にある人たちにあ
 まねく伝えなければ・・・。
 そうして伝道者のような使命感に駆られてしまうのでしょう。
 軍事力をもって他国を侵略し、主権国家を転覆させているという意識がそもそも希薄な
 のです。
・これは普遍主義的なものの考え方の特徴で、自分が世界一だと思っている人は、その感
 覚こそが世界の常識だと思ってしまい、それを世界中に善意で押しつける。
 市場原理主義も、ネオコンの自由民主主義革命路線と一緒だと私は見ています。
 要するに自由や民主主義、市場原理主義といった価値は絶対に正しく普遍的なので、
 力の世ってこれらの価値を移植することが最終的に人類全体のためになると考えます。
 私はこれを一種の世界革命思想として据えています。
・ここは世間でやや誤解されているところなんですが、例えばロシア人は謀略で嘘をつく
 ことがあります。イギリス人もやる。
 だから、もしイギリス人が「確証がある」と言い、ロシア人がそれに話を合わせていた
 ら、私は最後まで疑います。
 しかしアメリカ人というのは、病的なほど嘘をつけないんですね。
 嘘に基づいた行動を取ってはいけないということが、DNAに刷り込まれている。
・だから、フセインとアルカイダが組んでいるというような大嘘をつくときに、アメリカ
 人にはどこかぎこちなさがある。
 アメリカの政策当局者もこの話は大嘘だとわかっているが、これを口実にサダム政権を
 叩き潰すのがアメリカの国益と考えた。
 しかし大量破壊兵器については、まったく正直に彼らは「ある」と思っていたと思うん
 です。
 アメリカが悪意をもって情報操作をしたという説は、誤りです。
 アメリカのこともインテリジェンスのこともわかっていない人間が、そういうことを言
 う。 
・つまり大量破壊兵器の有無については、アメリカのインテリジェンス能力に問題があっ
 たということです。
 その意味で、事態はもっと深刻です。
 情報のキャッチボールの中で狂いが生じたんです。
 アメリカが最初から取った情報ならば、アメリカ人は実証的なところがありますから、
 ダブルもしくはトリプルで裏を取っていたでしょう。
 それなら、かなり信頼できる情報だといえます。
 しかしフセインがウランを入手したという情報は、そもそもイタリアの情報機関が入手
 したものでした。
・これについては、日本人の分析で非常に優れたものがあります。
 当時、朝日新聞の「外岡秀俊」欧州総局長(現・編集局長)と西村陽一北米総局長(現・
 政治部長)の二人が共同検証をしているんですよ。
・そのイタリアが、あいだにイギリスを挟む形でアメリカと情報のキャッチボールをした。
 あいだにイギリスを挟んで情報をやり取りしているうちに仮説が事実のように見なされ、
 その誤った事実に基づいて新たに情報が追加されていった結果、あのようなことが起き
 たのではないか、というのが彼らの分析です。
・私自身、入口がイタリアだという時点で、これは危ういと思っていました。
 イタリアの情報機関というのは、ピンポイントでは独壇場とも言える強さを持っている
 んです。
 それは二ヵ所半あって、一つはイタリアに亡命コミュニティがあるアルバニア、二つ目
 はかつて植民地だったリビア、最後の半分はエチオピアです。
 この三カ所に関しては強い。
 しかし逆にいうと、それ以外の場所に関する情報でイタリアから超ヒットが出てくるな
 んてあり得ないというのが、業界の常識なんですよ。
 しかも戦後しばらくイタリアには対外情報機関が存在しなかった。
 創設されたのは1970年代の後半ですから、歴史も浅い。
 したがって、根っこがイタリアだというだけで、かなり怪しげな話であることは間違い
 なかったんです。
 アメリカも、普段なら眉に唾を付けて聞いたところでしょう。
・人間は自分の手段や目的に合わせて物事を把握しようとするんです。
 当時のアメリカも、大量破壊兵器がどこかにあるはずだと、念力でも眼力でも見つけ出
 そうと思っていたものだから、イタリアからの情報も普段の感覚で取り扱えなくなって
 いたんでしょう。 
 しかもイタリアはイタリアで、その情報源が自分たちであるにもかかわらず、あるとき、
 「アメリカもわれわれと同じ情報を掴んでいるらしい」と思って、ドイツやスペインに
 「アメリカからこんな情報が来ているが、それについて何か知っているか」と聞いて回
 ったりしたんです。
・ともあれ、アメリカ政府は結果的に「イラクには大量兵器がある」と判断しました。
 CIAやDIAをはじめ、インテリジェンスを握っている当局があそこまで強くその事
 実を示唆している以上、「あるかもしれない」と思っていました。
・イラク戦争では、ワシントン支局から戦後初めて正式な従軍記者を出しました。
 社の上層部には「従軍こそが安全な戦争取材の方法だ」といって説得したのです。
 が、戦争に安全などあるはずがない。
 だから従軍させた記者に万一のことがあれば現場の責任者として直ちに辞職すると決め
 ていました。 
 ですから、当然、最悪の事態に備えていました。
 生物化学兵器が使われるかもしれないと覚悟していました。
 大量破壊兵器が「ない」という前提には立っていませんでした。
 そういう意味でも、大量破壊兵器はあるかもしれないと考えていたのです。
 大量破壊兵器が存在しないことが明らかになった今の時点で「なかったじゃないか」と
 批判するのは簡単です。
 しかし、その尻馬には安易に乗りなくないという気持ちがあります。
・イラク戦争が起きる前、イスラエルとロシアの連中からこういう説明がありました。
 イスラエルの連中は、大量破壊兵器が見つかってほしいと思いながら、それが存在しな
 いことも予想している。 
 というのも、イラクがフランスと技術提携して原発をつくろうとしたときに、イスラエ
 ルは国際法無視の空爆を行ってそれを叩き潰しているんです。
 サダムも馬鹿じゃないから、そのときの教訓を覚えている。
 大量破壊兵器を国内に置いておくような下手なことは絶対にしない。
 しかしアメリカにはイラクを叩いてもらったほうがいい。
 相すれば泥沼化して解決しないから、ずっとアメリカがいることになる。
 今の状況では永遠に中東で紛争が続くことが、われわれの生き残りにとってプラスであ
 る・・・というのがイスラエルの言い分です。
・しかも彼らは、相手がイスラムである以上、穏健派だろうが過激派だろうが関係ないと
 言います。 
 エルサレムがイスラエルの首都であることは、どんなに世俗化したイスラム教徒でも絶
 対に認められないことだ。
・それが、アメリカのネオコンと地下水脈で結びついているわけです。
 だから、ブッシュ大統領が「なぜイラクに行ったのか」考える時、石油の利権といった
 一見もっともな、しかし浅はかな理由では到底説明できないのです。
 神の啓示を受けていった、としか言えない側面があるように思います。
 だが、大量破壊兵器があるというわかりやすい理由を安易に掲げてしまったブッシュ政
 権の側に誤りがあったと思います。 
・イラクにおけるアメリカのつまずきは、ロシアの対日外交にも影響を与えています。
 プーチン政権は東アジアにおけるアメリカの動向をかなり真剣にウォッチしていますか
 ら、イラク戦争以降はアメリカの東アジアでのプレゼンスが軽くなり、日米同盟が空洞
 化の兆しを見せていることに気づいている。
 そのため北方領土問題をはじめとして、全体として日本に強気に出ているように感じま
 す。
・ロシア人というのは「力の論理」の信奉者なんですが、その力には「頭の力」も含まれ
 ている。 
 その頭の力を含めた日本の基礎体力が弱くなってきているという認識を持っていますか
 ら、いくらでも小馬鹿にしてくるわけです。
・ロシアを知らない人は、民主党政権のほうがアメリカの用語ではリベラル、西欧の用語
 では社会民主主義的な雰囲気があるからロシアとうまくいくように思っているんですが、
 これは大きな間違いです。
 民主主義のスタンダードをロシアに求める点では民主党のほうが厳しいので、むしろ共
 和党政権のときのほうが米ロ関係はいいんです。
・2001年9月11日に4機の旅客機が米本土に激突したことによって、アメリカとい
 う巨大タンカーの進路がへし曲げられていくわけですね。
 それ以前は冷戦期と同じ核抑止戦略を踏襲していたアメリカです。
 その世界戦略が、ほとんど一日にして変わってしまった。
 それ以降は、もしアメリカ本土を狙うような脅威があれば座して待つことなく、先制攻
 撃に打って出る。
 しかし先制攻撃にあっては、フランスやドイツといった主要な同盟国にも相談を持ちか
 けない。国連決議も要らない。
 そういうユニラテラリズム、つまり一国行動主義に大きく傾いてしまったわけです。
・ブッシュ政権にこのように舵を切らせるためのドライビング・フォースこそネオコンで
 した。
 実は、このネオコンの根っこにあるアメリカのキリスト教右派は、一見ユダヤ人とは距
 離があるように思えますが、そうではありません。
 キリスト教右派の主たる資金提供者は驚いたことにイスラエルの右派勢力なんです。
 ネオコンとイスラエル右派。両者は非常に近い間柄なのです。
・現実のイスラエル国家が口にする論理というのが、ある種の人々にとってはとても魅力
 的に響く。 
 「われわれはホロコーストで600万人が死んだ。我々はこの教訓から、全世界に同情
 されながら死に絶えるよりも、全世界を敵に回して生き残ることを選ぶ」
 これが今でもイスラエル人のコンセンサスだと思うんですが、9.11以後、この言葉
 はかなりアメリカ人の琴線に触れたんじゃないでしょうか。
・不思議なことに、現ロシア大統領のプーチンはサンクトペテルブルクの副市長時代に二
 度もイスラエルに行っているんですよ。
 それも、移民関係の特殊な機関を通じて訪ねている。
 「ナティーフ」という政府機関です。
 ナティーフは「道」という意味のヘブライ語で、旧ソ連からユダヤ人を逃がす「道」を
 つくるという含みがあります。
 1948年にイスラエルが建国されたときに、世界で二番目、つまりアメリカの次にイ
 スラエルを承認したのはソ連なんです。
 だからシオニズムとソ連の関係は、最初は悪くなかったんです。
 しかし、いろいろとねじれが生じてきて、築地国交を断絶した。
 そのときイスラエルがソ連圏全体に作った不思議なネットワークが「ナティーフ」です。
 これはモサドとは全く別の秘密機関です。
・ユダヤ人のソ連からの出国問題が、アメリカ議会で法律になって実を結び、冷戦を終わ
 らせる重要な布石になったのです。 
 有名な「ジャクソン・ヴァニク法」がそれです。
 当時のソ連に最恵国待遇をたえる法案のアメンドメント・付帯条項に、ユダヤ人を出獄
 させる項目を埋め込ませるという、天才的なアイディアを、かのレーガン政権の懐刀、
 「リチャード・パール」が考えつきます。
 こうしてユダヤ人の出国に道を開いたのでした。
 この法律がなければ今日の「リクード」はなかったかもしれません。
・その法案の立役者であるスクープ・ジャクソン上院議員は安全保障の専門家です。
 歴代の国防長官や国務長官が対ソ交渉に臨む時には、彼の意に逆らっては軍縮交渉がで
 きないと言われたほどの実力者でした。
・そして実は、このスクープ・ジャクソンの弟子が、ネオコンの巨頭であるポール・ウォ
 ルフォウィッツと、ネオコンのイデオローグであるリチャード・パールでした。
 パールはレーガン政権の国防次官補として米ソ軍縮交渉を取りまとめた人物であり、
 冷戦を終わらせたのはこの人だともいっていいほどの存在です。
・ただし、その二人の師匠にあたるジャクソン上院議員はユダヤ人ではない。北欧系です。
 第二次世界大戦でヨーロッパの戦場を視察し、ドイツのブーヘンヴァルト強制収容所が
 解放される現場に立ち会います。 
 そこで虐殺の惨劇の跡を目の当たりにします。
 スクープ・ジャクソンは、「時には力の行使をして悪を自ら倒さなければならない」
 という思想に目覚め、それ以来、力の信奉者になったといわれています。
 全体主義体制に対する厳しい対決者となったのです。
 その二人の弟子がブッシュ大統領をイラク戦争に連れていったのですから、歴史は何と
 奥深いのでしょう。
・1989年のベルリンの壁崩壊を、プーチンは壁を守る側で見たわけです。
 自分たちが守ってきた秩序が崩れていくのを嘆きながら、当時、KGB国家保安委員会
 のドレスデン駐在機関長だったプーチンはソ連軍の出動命令を待っていた。
 ところがモスクワからは明確な指令がない。
 もう、わが体制は終わりだ・・・と絶望した人間です。
・そのプーチンが東独から戻ると、母校であるサンクトペテルブルク大学の副学長になり、
 さらにアナトリー・サプチャークという急進改革派の市長に登録されて副市長になる。
 そこで彼は対外関係を担当するんです。
 ソ連崩壊後のサンクトペテルブルクにはユダヤ人が多かったんですが、彼らはプーチン
 の出国許可サインがないと出られなかった。 
・1990年代半ばに二度にわたってイスラエルを訪問したプーチンは、そのときから親
 イスラエルになっていきました。
 たとえばチェチェン問題が起きたとき、当時ロシア首相だったプーチンはそれを「イス
 ラム原理主義による国際テロリズムだ」と明言しましたよね。
 米英はそれを否定していましたが、これはロシア側の主張が正しかった。
 これはイスラエルの知恵ですよ。
 チェチェンと中東のつながりやアルカイダの流れに関して、イスラエルが正確なデータ
 を流していた。
 プーチンにとっては死活的に重要だったチェチェン問題で彼を助けてくれたのが、実は
 イスラエルなんです。
・もうひとつ不思議な話があって、2000年の終わり頃から、ロシアとイスラエルが
 「近いうちに、アメリカと軍事同盟を結んでいる国で、今までと違った形のとんでもな
 いテロが起きるんじゃないか」ということを言い出しました。
・世界貿易センタービルの地下で起きた爆破事件の話などを引き合いに出しながら、ビン
 ラディンとアルカイダの流れが欧米でテロを起こす可能性を言及した。 
 ですから私は、9.11の事件が起きたとき、これは決して負け惜しみではなくて、
 「起きたか」という感じでしたね。
・2000年の大統領選挙以前はまだクリントン政権ですが、そのとき一度だけ9.11
 を防げたかもしれない最大のチャンスがあった。
 オサマ・ビンラディンはアルカイダの組織と共にスーダンにいたのですが、スーダン政
 府がそれを抱えきれなくなって、最初はサウジアラビアに引取りを打診にしました。
 しかし王制を危うくしかねないとサウジに断られたため、次にアメリカに持ちかけた。
 ところがクリントン政権は、オサマ・ビンラディンを引き取って身柄を拘束する法的な
  根拠がないと断ってしまいます。
・このクリントン政権が持っているインテリジェンスと、同じ時期にモスクワのプーチン
 が持っていたインテリジェンスの深さには、かなりの差があるといわなければなりませ
 ん。
 中東情勢に精通した人材を各地に送り込んで長期的なインテリジェンスを積み重ねてき
 たイギリスあたりと較べても、アメリカはヒューミント、工作員による情報活動の分野
 で大きく後れを取っていると思います。
・インテリジェンスや情報力というのは、自分の弱いところをできるだけ隠して、強いと
 ころを実力以上に強く見せる技法です。
 したがって、軍事力が圧倒的に強い国には情報力が育ちにくい。
 情報力に頼らなくても、最終的には軍事力で何でも解決できてしまいますからね。
 その場合、情報の有無は、解決にかかるコストがどの程度かという違いにすぎない。
 と事がイスラエルのような小さな国が情報の判断を誤ったら、それこそ国家が亡くなっ
 てしまいます。
 だから情報にものすごく敏感になり、情報力を真剣に育て、慎重に判断していくことに
 なる。
 アメリカも、ソ連と張り合っていた時代は情報力を重視していましたが、冷戦終了で世
 界唯一の超大国となってからは無意識のおごりが生じて、情報の力を弱めている。
 
ニッポン・インテリジェンスその三大事件
・日本という国家がこれから国際政治の嵐の中を生きていこうとすれば、卓抜したインテ
 リジェンス・オフィサーを擁して戦い抜くほかはない。
 だが、現実を見渡すと、そのような人材は見当たらない。
・戦後だけ見ても、1980年代あたりまでは、日本政府もかなりスクープ性の高いイン
 テリジェンスのヒットを放っていたのですから。 
 なかでも特筆しておくべきは、冷戦下のモスクワで、英国のSISや米国のCIAを出
 し抜いて、優れたインテリジェンスを連発したことです。
 ちょうど、安倍晋三首相の父上、安倍晋太郎さんが外務大臣だったころのことです。
・とりわけ1984年2月、当時のソ連最高指導者だった「アンドロポフ」の死去を世界
 で最初に掴んだのは大きかった。 
 当時の日本は、ユーゴスラヴィアから良質のインテリジェンスを取っていたのです。
 情報を取っていたのは、元外務省欧亜局長の「東郷和彦」さんなんですよ。
 ニュースソースは、科学アカデミーの東洋学研究所の研究員だった。
・しかし、東郷さんの次の人がやりすぎてしまった。
 その科学アカデミーの研究員に会おうとしたときに、外交特権を持っているにもかかわ
 らずKGBに拘束されるんです。
 そして自発的な国外退去を勧告される。
 おそらく、状況の変化を見誤ったんでしょう。
 東郷さんの頃は当局の承認を得ながら情報を流していた相手が、ある時点から日本の懐
 に入ってしまった。 
 だからソ連当局も見逃せなくなったわけです。
・1991年の第一次湾岸戦争勃発の際、テヘランから打電された超弩級のインテリジェ
 ンスが「斎藤邦彦」電でした。
 アンドロポフ死去の報を世界に先駆けて伝えた東郷和彦電に匹敵するクリーンヒットで
 す。 
 湾岸戦争の開戦前夜、多数のイラク軍機が編隊でイラン領内に飛来したという情報を、
 在テヘラン日本大使館がいち早くキャッチしたのです。
 クェートに侵攻したサダム・フセイン軍に対して、国際社会は結束して無条件で撤退す
 るように求めていました。
 しかし、イラク軍は、そうした声に耳を貸そうとせず、戦争が始まろうとしていました。
 そのまさに前日、おびただしいイラク空軍機が、アメリカ軍のレーダーに捕捉されない
 よう、超低空でイラン領に入ってきたのです。
 イラクは、少し前までイランと長期の戦争を戦っていました。
 にもかかわらず、イラン政府は、イラク軍機を大量に受け入れたのでした。
・翌日から戦争に突入しようとしていた米軍にとっては、まさに青天の霹靂でした。
 戦略を根本から見直さざるを得ないような緊急事態です。
 もし、イランという大国が、背後にあってイラクを支援し、そこを宿営地としてイラク
 軍機が飛んでくれば、米軍を中核とする多国籍軍は、背後を衝かれることになってしま
 う。 
・さて、問題はこの重大情報をどうさばいたか、です。
 なみの大使なら、あまりの情報に、震えあがって、自分で動こうとするでしょう。
 裏を取って打電しようと考えるのです。
 しかし明日にも戦争が始まるという状況です。
 そんなことをしている余裕はない。
 そんな方法もない。
 信頼すべき情報源がそう言っている、という事実があるだけです。
 インテリジェンス活動の難しさは、情報を入手するだけでなく、それをいかに扱うかに
 あります。
 結果的に斎藤大使はそれを直ちに打電したのです。
 それは、ホワイトハウスにも伝えられました。
 そうするには本当に度胸が要ったと思います。
・斎藤大使は、日頃から大使館員やその情報源の信頼性についてきちんと把握し、「こい
 つが持っているこの情報源は大丈夫だ」という判断を下していた。 
 そのうえで、国益のためには裏が取れなくても報告しておくべきだと考えたんですね。
 このあたりは、やはり斎藤さんの偉大なところだと思います。
 
・その一方で、日本のインテリジェンス能力の脆弱性を露わにした事件も挙げておかなけ
 ればなりません。
 1983年に起きた「大韓航空機撃墜事件」がそれです。
 ただし、世間的には、いまだに一種の成功物語として語り継がれています。
 あるノンフィクション作品では、自衛隊が傍受した通信記録をもとに、日本政府が情報
 を駆使して、大韓航空機の撃墜を頑なに否定するソ連当局を追い詰めたと描かれていま
 す。
 しかし、これは虚偽に満ちたストーリーといわざるを得ない。
 当時、官房長官だった「後藤田正晴」さんが書き上げた筋書きの部分がある。
・1983年9月1日に、ニューヨーク発ソウル行きのKAL007便、大韓航空のジャ
 ンボ機ボーイング747がソ連領空を侵犯して、サハリンのモネロン島沖上空で戦闘機
 によって撃ち落とされた。
・そのとき、撃墜を示すソ連側の交信を稚内で傍受したのは、調別、つまり調査第二課二
 部別室と呼ばれる陸上自衛隊の電波傍受機関でした。
 かつて調査部第二課別室(調別)と呼ばれていたところです。
・このチームが、「領空侵犯した大韓航空機を撃つ」というソ連軍機の生々しい交信を傍
 受し、テープに録音した。決定的な証拠です。
 この交信記録を防衛庁を通じて当時の後藤田官房長官、中曽根総理に伝えました。
 後藤田官房長官は、これは門外不出の最高度のインテリジェンスだと考えたはずです。
 とこが驚くべきことに、アメリカのレーガン政権は、「この決定的な証拠を国連でも
 明らかにし、ソ連側を追い詰める」と日本政府に伝えてきたのです。
・日本の電波傍受機関が取ったインテリジェンスをアメリカが公表する。
 この情報に後藤田官房長官は愕然とします。
 日本側は了解を与えていないはずだ。
 そもそも日本の最高度のインテリジェンスだ。
 いくら同盟国とはいえ、なぜアメリカに航進テープが渡っているのか、と。
・かつての調別の施設はもともと米軍のものを引き継いだので、そこにはアメリカの将校
 も同居していたんです。  
 つまり稚内のあった「調別」の電波傍受機関は、アメリカ軍の下請けと化していたので
 す。
 取った情報のすべてがアメリカ側に自動的に流れるシステムができていた。
 これは主権国家にあるまじきことです。
・そこで後藤田さんはリカバリーショットを打った。
 急遽、記者会見を開いて、その内容を公表しました。
 当初は公表する意志がまったくなかったのですが、国家の財産を横流しされ、アメリカ
 が勝手に使ってしまうのに対抗して、アメリカ側より30分だけ先んじて発表した。 
 それが後に「インテリジェンスを使って縦横な対ソ情報戦略を繰り広げた」と高く評価
 される背景となります。
・実態はそんなうたい文句とは程遠いものでした。
 主権国家として恥ずかしいかぎりです。
 本来なら、アメリカに情報を勝手に使われた経緯を明らかにし、今後の教訓としなけれ
 ばいけないのです。 
 ところが、それをたくみに覆い隠してしまった。
・あのとき、日本がソ連の交信を傍受していた事実がわかったことで、ただちにソ連側は
 周波数を変更してしまった。 
 新しい周波数を割り出すために日本はかなりの歳月をかけなければなりませんでした。
 周波数を変更しただけではありません。
 小藤田さんが、通信が暗号ではなくパイロットの「生の言葉」だったことまで明かして
 しまったために、それ以降、ソ連は生の言葉を一切喋らないように変えちゃったんです。
 傍受する側にとっては、こっちのほうがキツい。
 たとえば「攻撃する」は「624番」といった具合に符号を決められ、しかもそれが毎
 日変わるような手法にされると、いくら傍受しても意味がわからないんです。
 暗号と違って、符号は解読がほとんど不可能ですから。
・それほど大きなダメージを日本に与えてしまったにもかかわらず、この「作り話」が仕
 立てられていった。 
 ノンフィクション作家の取材に備えて、日本が主体的な情報活動を行ったように見せか
 けるために、あらゆる関係者と口裏合わせをしたのです。
 「おまえはこう言え」と役割を割り振り、みんなが後藤田さんの振り付けどおり取材に
 答えた。
 取材する側は、この後藤田一流のディスインフォメーションにいとも簡単にやられてし
 まいました。
・「インテリジェンス」という言葉は日本語に翻訳するのが難しいですが、その本質を一
 番よく表しているのは、戦前の陸軍参謀本部が使っていた「秘密戦」だと思います。
 その「秘密戦」を、当時は四つの分野に分けていました。
 一番目は積極「諜報」。これがポジティブ・インテリジェンスですね。
 二番目はカウンター・インテリジェンスを意味する「防諜」。
 三番目が「宣伝」。
 四番目が「謀略」です。
 後藤田さんがジャーナリストに対してやったのは、この「宣伝」と「謀略」を合わせた
 秘密戦なんです。
 しかし、宣伝と謀略は潜在的もしくは顕在的な脅威に対して行うものであって、自国民
 を対象に行ってはいけない。つまり、ターゲットを間違えているんです。
・ところが、そんな後藤田さんが新聞のインタビュー記事で「謀略をやってはいかん」と
 言っているのだから面白い。
 彼は自分が某役をやっているという自覚がないんです。
 おそらく大韓航空事件のときも、日本の政府を守るためにはそうせざるをえないと考え
 ただけで、謀略という発想はなかったと思います。
  
日本は外交大国たりえるか
・日本の対韓外交が壁に突き当たっているのは、対北朝鮮外交が隘路にはまってしまった
 ことの裏返しです。
 小泉純一郎前首相は北朝鮮を二度にわたって訪問しました。
 だが、それは到底成功だったとはいえない。
 「平壌宣言」を肯定的な文脈で引用した外国人に一人として会ったことがありません。
 国際的には誰にも認められていない宣言です。
・いずれにせよあれは明らかな取引文書です。
 素直に読めば、
 「北朝鮮が拉致問題を解決し、大量破壊兵器の開発をしないと約束するならば、日本は
 おカネを出します」
 という取引です。 
・問題は、あれが取引文書であることを日本人が理解しているかどうかです。
 その取引の内容を国民が支持しているものかどうか。
 その基本的なコンセンサスについての国民的な議論、それはつまり国会で議論するとい
 うことですが、そう言った手続きを十分踏まえたのか。
 外務省の中でも、外交の専門家たちがコンセンサスを持ってやったかどうか。
・戦後の日本外交を良くも悪しくも支配してきたのは条約局です。
 条約官僚は、国際条約など国際的な約束の解釈や運用については絶大な権限を持ってき
 ました。 
 冷戦期には、外交案件でしばしば国会の予算委員会が止まりました。
 外交案件の場合、与野党攻防の最後の拠りどころ、いわばゴールキーパーは、内閣法制
 局ではなく外務省条約局でした。
 だから条約局長には、その時々の最強打者が送り込まれていました。
 ところが、「平壌宣言」には条約局がほとんど関与していません。
・私が見るところ、日本が積極的に関与して朝鮮半島に平和をつくりだそうというのが平
 壌宣言の基本哲学です。 
 そして、私はこの基本哲学そのものが間違いだと思う。
 朝鮮半島が平和であろうが戦争であろうが、日本にとっては、一般論として戦争より平
 和がよいという以上の意味はありません。
 なぜわれわれが北朝鮮と取り組まなくてはならないかというと、朝鮮半島に平和をもた
 らす必要があるからではなく、拉致問題が存在するからでしょう。
 拉致問題は日本の人権が侵害されたのみならず、日本国家の領域内で平和に暮らしてい
 た日本人が北朝鮮の国家機関によって拉致さえたという、日本国の国権が侵害された事
 件です。
 日本人の人権侵害と日本国家の国権侵害を原状回復できない国家というのは、国家とし
 て存在する意味がない。
・平壌宣言が示す取引は、目的と手段が逆転していることが問題なんです。
 目的は拉致問題の解決で、それ以外のことは手段でなければいけない。
 ところが平壌宣言は、「拉致問題と大量破壊兵器の問題が解決すればカネを出す」とい
 う手段によって、日朝国交正常化を果たし、朝鮮半島に平和を実現することが目的なん
 です。
 当時の小泉首相は、日朝国交正常化と拉致問題が切り離せない関係になっているなら大
 丈夫だとおもったのでしょうが、外務官僚が作った文章はそういう構成にはなっていま
 せん。
・平壌宣言の主要な骨格は、まず日朝間で国交正常化をし、北朝鮮に経済協力をするとい
 う点です。
 その国交正常化の前提条件として、恪の問題と拉致の問題が取り上げられなければなり
 ませんでした。
・ところが、「平壌宣言」には、核ミサイルの問題は一応書かれていますが、拉致の問題
 はまったく書かれていない。
 これほど重要な拉致問題を、「平壌宣言」に明記させることができなかったにもかかわ
 らず、小泉首相は「平壌宣言」を発表してしまった。
 そのツケが、いまミサイル発射と核実験という形で出てきている。
 拉致問題にも進展がない。
 ノドンやテホドンが発射された段階で、日本政府は、「平壌宣言」を破棄すべきだった
 のです。
・われわれ外交の実務にたずさわった人間は、一つに病気にかかるんです。
 「失敗っていえない病」という病気。
 この病気にかかると、どんなミスを犯しても、なんとかしてそこから日本の国益をプラ
 スの方向に持って行けないかと考えてしまう。
 だから、外務官僚は誰も平壌宣言が失敗だと指摘しない。
・しかし、これまでの日朝交渉は、日本側が目標とした成果がほとんど挙がっていません。
 客観的に見れば、明らかに失敗でしょう。
 小泉訪朝後には、「藪中三十二」さんと「佐々江賢一郎」さんが交渉に行きましたが、
 その直後に、「横田めぐみ」さんの遺骨が偽物とわかった。
 あの一件で露呈したのは、要するに日本の外務省は北朝鮮側の内在的論理を汲み取れて
 いないということです。 
 北朝鮮の外務省と人民保安省の関係を、正確に理解できていない。
 人民保安省をコントロールできるはずがない北朝鮮の外務省と交渉して、約束を取り付
 けたつもりになっていたわけです。
 非常に初歩的な、公開情報をベースとする交渉相手の組織の認識すらできずに、準備不
 足で行ってしまった。
・朝鮮中央通信、労働新聞、民主朝鮮をきちんと読み、北朝鮮のインテリジェンス機関に
 ついて書いたアメリカ、イギリス、韓国、ロシアの専門書をひもとけば拉致問題につい
 ては人民保安省と交渉しなくてはならないということがわかるはずです。
 しかも、当事者だった藪中さんは異動になって、責任を取っていない。
 「田中均」さんも外務省を辞めて評論家になってしまった。
 こんな外務省は、組織として終わっているといわざるをえません。
 絶大な権限はあるんだけれど、責任は負わない。
 官僚というのは、放っておくとそうなってしまう。
 責任を取らせるには、政治が手を突っ込まないかぎり無理なんです。
・注目すべきは、「X55」というウクライナ製の巡航ミサイルです。
 ウクライナ政府は、X55がイランと中国に少なくとも6基ずつ流れたことを認めてい
 る。 
 未解明ですが、そのうちのいくつかが、最終的に北朝鮮に流れている可能性がある。
 別ルートもありますから、北朝鮮に渡っている可能性はさらに高い。
 
・インテリジェンスの世界は情報を外に漏らさないのが原則ですが、しかし自分がやって
 いることについて、仮に現時点で嘘をついたとしても、後世に対しては絶対に嘘をつい
 てはならない。
 そのためには記録を残しておかなければいけない。
 それが国家や歴史に対する責任なんです。
 ところが今は、記録なしのメチャクチャな外交が行われている。
・太平洋戦争の末期、ヤルタ会談の密約、つまりソ連の対日参戦という重大情報を、当時
 のスウェーデンのストックホルムに駐在していた「小野寺信」少将が掴みました。
 ポーランドの亡命政府に連なるユダヤ系の情報源から入手したのです。
 そして小野寺武官は、この情報を百合子夫人を電信官にして日本に打電しました。
 夫人は外出するときには、帯に挟んで暗号の乱数表を常に持ち歩いていたそうです。
 金庫に入れておくと留守中に踏み込まれるおそれがあったからです。
 ヤルタ密約の極東条項も、その乱数表を使って打電した。
 ところが、その極秘情報を受け取ったという記録が日本側のどこを探しても見当たらな
 い。
 その内容があまりにも衝撃的であり、日本の将来にとって悲観すべきものであったため、
 誰かが握りつぶしたのでしょう。
 こんな愚かなことを二度と繰り返させてはいけない。
・同盟とは苛烈なものです。
 有事に同盟の相手に後ろ姿を見せてしまえば、安全保障の盟約は、そこでたちまち死を
 迎えてしまう。
 日本はアメリカを支持せざるを得なかったと思います。
 ただしアメリカが力の行使をするにあたっては、その最終的な意思決定に共同参画する
 仕組みを持っていなければいけません。
 それがなければ、日本国内に「わが国はアメリカの51番目の州なのか」というような
 不健全なナショナリズムを生むことになる。
 日本の政治指導者は、アメリカの意思決定になんとしても影響力を確保しなければなり
 ません。
・日米軍事同盟なんですから、意思決定に参画するのは当然でしょう。
 その上で、最大の貢献をする。
 しかし軍事同盟国として戦争に参加する以上、日本もアルカイダやサダム・フセインの
 イラクに攻撃されるのを覚悟しなければいけない。
 それは、あるいみで本望なんですよ。
 あんな連中と価値観を一緒にしないんですから。
・いずれにしろ、「二つの椅子に同時に座ることはできない」。
 これはロシアの諺ですが、まったくその通りなんです。
 そして、ここはアメリカの椅子に座るしかないという基本路線さえ明確にしておけば、
 アメリカとはいかような取引もありえたと思うんです。
 ところが現実には、どっちの椅子に座っているのかはっきりしない。
 アメリカを支持する一方で、アラブ諸国にもいい顔をしたがるわけです。
 そうやって二つの椅子に座っているようなフリをしながら、結局イラクに軍隊を出して
 しまった。 
 ところがその軍隊の出し方もどっちつかずで、非戦闘地域にしか派遣しないという。
 じゃあ非戦闘地域とはどこかと聞けば、自衛隊が派遣されるところだと首相が答弁する。
 自衛隊はどこに行くかというと、非戦闘地域に行く。
 こんなトートロジーを認めちゃダメなんです。
 そうやって完全に論理が破綻したまま、その場の神経反応的な賭場の感覚で日本はイラ
 ク戦争に対応してしまった。
 政治家には、そういう面があってもいいかもしれません。
 しかし外務官僚の支え方はちょっと弱かったように思います。
 
ニッポン・インテリジェンス大国への道
・イスラエルの分析専門家にとって一番の課題は、敵が本当に攻めてくるか否かを見極め
 ることだったんです。
 もっとも、1967年の6日戦争(第三次中東戦争)でイスラエルはアラブ諸国をコテ
 ンパンにやっつけていましたから、そう簡単には攻めて来ないだろうとは思われていま
 した。
 ところが1973年の10月6日は、どうも様子がおかしかった。
 その日は、ユダヤ教で年に一度のヨム・キプル(贖罪の日)という重要な祭日だったん
 ですね。
 ユダヤ教の最大の休日で、その日は信号機も動かないし、空港も全部閉鎖になる。新聞
 も出ない。エレベーターはすべて各階に止まりになり、非は一切使ってはいけない。
 そんな日に攻撃を仕掛けたら、大宗教戦争に発展するのは間違いありません。
 それはアラブ側も十分に承知しています。
・ところがアラブ諸国の軍隊が、イスラエルの国境に集ってきた。
 当然、イスラエルの政府機関は情報を分析しました。
 その結果、「モサド」だけが「入ってくる」と判断したんですね。
 ヨーロッパで100を超える確定的な兆候を得たんです。
 モサドの長官は、その報告を首相に上げました。
 ところが「ゴルダ・メイヤ」という女性首相は、アマン(軍事情報部)が上げてきた
 「入ってこない」という報告のほうを採用して、総動員体制を取らなかったんです。
 しかし実際にはモサドの報告通り、アラブ連合軍が国境を越えて攻めてきました。
 対応の遅れたイスラエル軍は緒戦で大打撃を受けてしまったわけです。  
・結果的にはアラブ連合軍を追い出すことができましたが、国家を存亡の危機に陥れてし
 まった責任を取って、ゴルダ・メイヤ首相は辞任。
 戦争に勝ったにもかかわらず首相が辞任するというのは、世界の戦史上でも非常のまれ
 なケースです。
・そしてイスラエルはこの苦しい経験から、まったく新しい役職をつくりました。
 それが「悪魔の弁護人」です。
 中世の魔女裁判では魔女の弁護を担当する人がいたそうで、そこからヒントを得て作ら
 れました。
 その役割は、首相に提出されたレポートに対して、どんなことでもいいから「これはダ
 メだ」と難癖をつけること。
 アマンをリタイヤした「軍事上号の神様」と呼ばれるようなスタッフが三人か四人しか
 いない少人数の部屋なんですが、彼らはありとあらゆる情報にアクセスすることができ
 るんです。
・この「悪魔の弁護人」制度が始まって以降、イスラエルの首相は大変なんですよ。
 「これしかありません」という答申を受けても、必ず「その当審を採用したら失敗しま
 すよ」という紙が来る。
 そうやって、首相に考えさせるんですね。
 
・1996年の台湾海峡危機のときのことでした。
 この時、中国は台湾島をすっぽりと射程に入るような形で四発のミサイルを発射しまし
 た。
 もちろん台湾側も大規模な備えに入り、米国のクリントン大統領は原子力空母ミニッツ
 を含めた二個の空亡機動部隊を台湾海峡周辺に送り込んだ。
 しかし、当時、台湾の総統だった「李登輝」は、中国が放ったミサイルが空砲であるこ
 とを知っていたのです。
 従って、すべての采配は空砲だというインテリジェンスを前提に行われ、中国側の脅し
 に屈することはなかったいいます。
 その一方、台湾の軍当局が羽音に驚いて軽率な軍事行動を取るようなこともさせなかっ
 た。
・では、なぜ李登輝がそうした一級の情報を得ていたのか。
 李登輝はあらゆるインテリジェンスを総合して最終的に判断を下す能力を持っていたの
 ですが、その中に中国の最高指導部にアクセスできる重要な情報源を抱えていたのです。
 電話や電報の傍受もしていました。
 共産党中央政治局の最高度の書類を見ることのできる情報源、つまり極秘の工作員を抱
 えていたのです。
・しかし、これはまさに命懸けの仕事でした。
 というのも、それから三年後に、その情報をもたらした工作員は、中国の公安当局の手
 で処刑されてしまいました。
 中国は中国で、「李登輝はなぜ空砲だと知っていたのか」と疑問を抱き、政治局の周辺
 にいた「モグラ」の摘発に全力を挙げたのでした。
 それを探るために、命懸けであらゆるトラップを仕掛けたに違いありません。
 そして、ついに見つけ出し処刑した。
・ここで銘記すべきは、いかに優れたインテリジェンスであっても、優れた政治リーダー
 が使いこなしてはじめて価値があるということです。 
 すべての責任は自らが負うという覚悟がなければなりません。
 そういう政治指導者がいなければ、インテリジェンス機関などどんなにたくさん作って
 も国家のかじ取りに生かすことはできません。
・国家の舵取りに役立つ情報を提供するのがインテリジェンスの重要な柱です。
 それを受け取る政治指導者の資質が極めて重要だと繰り返し申し上げました。
 しかし現実は悲しいかな、インテリジェンスを政治の舵取りに役立てる機能が恐ろしく
 脆弱です。 
 例えばアメリカのブッシュ政権は、イラク戦争に際して、「サダム・フセインは大量破
 壊兵器を持っている」「そのイラクは、水面下でアルカイダとつながっている」という
 インテリジェンスを日本側に提供し、武力行使への支援を求めました。
 残念なことに、当時も今も日本政府は、そのアメリカ樹法の真贋を独自に判断するイン
 テリジェンスを全くと言ってもいいほど持ち合わせていません。
・しかし現在はブッシュ大統領もCIAもDIAも、「アルカイダとイラクは関係がない」
 「大量破壊兵器もなかった」ということを認めている。
 イラク戦争の開戦当時とは、事実関係が180度変わってしまった。
 ところが日本の与党の責任者は、いまだに開戦前に外務省の課長補佐クラスが書き上げ
 た国会答弁を繰り返し口にしている。
 なぜ、外交当局を呼んで叱責しないのでしょうか。
・日本政府が、アメリカの対イラク武力行使を支持するにあたっては、第一次湾岸戦争時
 の国連決議にサダム・フセインが累次にわたって違反をしていることを最大の根拠とし
 て使っています。 
 従って、国連決議を新たに取りつけることにアメリカが失敗したにもかかわらず、アメ
 リカの武力行使は正当化しうる、という理論で構成されています。
 典型的な条約官僚の作文なのです。
 これが最終的な総理答弁にもなっています。
・しかしアメリカの同盟国である日本が、こんなに表層的な理屈でアメリカの力の行使に
 支持を与え、こと足れりとしていてはいけません。
 情勢がイラク戦争開始当時とは大きく異なってきている。
 いつまでも国連決議にしがみついていてはいけません。
 このあたりが、日本外交の最も悪いところです。
 条約官僚の世界では通用する。
 しかしながら、国際社会ではまったく通用しない。
 国家の舵取りに有益なインテリジェンスを誰も政治家に提供せず、使い捨てにしている。
 嘆かわしい現状です。
・安全保障分野では日米同盟の強化が必要なものの、ことインテリジェンスに関しては、
 米国に依存しない独自の能力を高めるるべきだと考えています。
 やはりアメリカの同盟国である英国を見ても、インテリジェンスの面では常に米国に負
 けまいとして研鑽を積んでいます。 
 もちろん、アメリカと対決せよと言っているわけではありません。
 こちらが質の高いインテリジェンスを持っていてこそ、相手からも相応のものを引き出
 せるのです。
・しかし、現状はそうなっていない。
 たとえば日本は98年の北朝鮮のテホドン打ち上げ実験を契機に独自の情報衛星開発計
 画を進め、03年に情報収集衛星を打ち上げました。
 このとき、米国は打ち上げ自体には同意したものの、衛星の解像度の精度については自
 国と同等のものを認めませんでしたね。
・衛星の打ち上げに関しては、外務省内でも賛否両論がありました。
 日本が独自のスパイ衛星を持てば、アメリカに対して、「われわれはあなた方の情報を
 信用していませんよ」というメッセージを送ることになりかねないと懸念したからです。
 たとえこちら側はそんな意図を持っていなかったとしても、その行動を国際社会がどう
 評価するかは、まったく別問題ですからね。
 したがって、ことは同盟の根幹にかかわるというのが、私の認識でした。
 アメリカよりもスペックが劣るとはいえ、衛星はおもちゃではありません。
 核装備に次ぐほど重い意味を持つ行為です。
 しかし、当時の政治指導部はそういう認識を持って判断を下していたとは、とても思え
 ませんでした。

・戦後のアメリカでは、バルト三国出身の方々が非常に重要な役割を果たしていました。
 それゆえにソ連に併合された後も、ワシントンにはバルト三国の大使館が存続していた。
 もちろんソ連から兵糧は来ない。ためにアメリカが秘密資金を出して支え続けていまし
 た。
・「杉原サバイバル」の存在も重要ですね。
 ナチス占領下のポーランドからリトアニアに逃亡し、在カウナス日本領事館領事代理だ
 った「杉原千畝」が発給した「命のビザ」によって救われたユダヤ人が、全米各地にい
 る。
 あの「モリカ・ルインスキー」さんの叔父さんも杉原サバイバルの一人で、したがって、
 杉原千畝さんがいなければクリントン政権を揺るがしたモニカ・ルインスキー事件も起
 きなかったわけです。