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この本は、今から24年前の1999年に刊行されたものだ。
内容は、1997年から1998年にかけて世界のトップニュースとなったモニカ・ルイ
ンスキー
という実習生と、当時のアメリカの現職大統領であったクリントン大統領との不
倫騒動の顛末について、ルインスキー側の視点から描いたものだ。
この不倫騒動から端を発した”不適切な関係”という言葉が、巷間で大流行したことを、私
はいまだにしっかり覚えている。
とにかく、世界でもっとも強力な権力を持つと言われる現職のアメリカ合衆国大統領が、
ホワイトハウス内で若い女性の実習生と性的関係を持っていたということが、公けに暴露
されたのであるから、世界中が大騒ぎとなった。
さらにそれが、現職のアメリカ大統領が弾劾裁判にかけられるという前代未聞の状況へと
発展していく。最終的には、クリントン大統領はかろうじて大統領の罷免を免れたのだが、
この事件はアメリカの歴史にたいへん不名誉な汚点を残すことになった。
しかし、あまりにセンセーショナルな出来事であり、しかも”オーラルセックス”とか”葉巻”
とか”大統領の精液のついたワンピース”などの強烈な言葉が飛び交ったため、それらの言
葉に惑わされて、実態はどういうものだったのかは、あまり深く知ることはなかった。

この本を読んでみると、この事件は、単なるアメリカ大統領の不倫という単純な問題では
なく、当時、クリントン大統領が抱えていたほかの疑惑も絡んでおり、スター検察官とク
リントン大統領のふたつの強大な宿敵同士の権力闘争に、モニカという若い実習生が巻き
込まれた事件でもあったようだ。
確かに不倫はいけないことだ。しかし不倫は巷にあふれているというのも事実のようだ。
そして、そのいけない不倫がバレた場合、普通はその当事者やその家族など、ごく一部の
限られた人々の範囲内だけの問題で終わるのが一般的だと思う。
ところがその不倫の相手が、世界で最強の権力を持つといわれるアメリカ大統領であった
場合、それがありふれた不倫問題で終わるわけがない。モニカという女性には、そのあた
りの常識的な認識があまりにも欠如していたようだ。
その認識の甘さから、軽い気持ちで友人に大統領との関係を話してしまった。
そのことが後にたいへんな問題を引き起こすことになり、結果として、大統領との性的行
為の詳細を見ず知らずの陪審員たちの前で証言させられることになっていった。
さらには、独立検察官事務所が作成した大統領との性的行為の内容を含んだ詳細な調査報
告書を、インターネット上で広く公けに公開されるという事態にまでなってしまった。
このような事態に追い込まれた場合、普通の神経を持った人ならば、精神的にとても耐え
られるものではないだろうと思う。
とにもかくにも、そういう事態に陥ってしまった元々の原因は、モニカが大統領との不倫
を友人に話してしまったことだ。そしてその友人にはめられたことだ。
やはり、こういうことを他人に話すことは、きわめて慎重でなければならないという典型
例なのだろうと思えた。

ところで、驚いたことに、モニカの母親は4歳から16歳まで、1952年から1964
年の12年間、日本に住んでいたようだ。
モニカの母親の父親が日本に来て事業を起こしそれが成功して、モニカの母親が日本に住
んでいたときは、ずいぶんと優雅な暮らしをしていたようだ。
しかし、その父親が心臓発作で急死し、事業が立ち行かなくなり、モニカの母親はアメリ
カに戻ったという。
つまり、モニカは、間接的にではあるが、日本とまったく無縁ではなかったのだ。
このことを知って、私はふたたび驚かされた。


はじめに−大統領のとまった娘
・ビバリーヒルズの、小さなアパートの10階の部屋。
 ここが、モニカ・サミール、ルインスキーの家、アメリカ史上2回目の弾劾裁判を受け
 ることになる大統領、ビル・クリントンと情事を持った娘の新居だ。
 だが、くだんの娘は、高級娼婦とは正反対のタイプだ。
・167センチ中背、こげ茶色の豊かな髪をなでつけたヘアスタイル。
 ふっくらした唇に、小さいけれど動きに表情のある手、声は軽やかで若々しく、笑うと
 右の頬にえくぼができる。
・モニカは、じつに整然とした論理的な思考力の持ち主だが、日常生活となるとまるでだ
 めで、しょっちゅう鍵だとか買い物リストだとか、よく使う日用品を探しまわっていた。
 これまで私が会った人たちの中で、最も整理べたの部類に入るが、モニカ自身は、いつ
 もかたづけてくれるメイドがいる環境で育ったせいだと、あっさりあきらめている。
 卵をゆでるよりも、裁判における無罪証明の功罪を論じるほうが簡単だという娘だった。
・頭の点では頼りになる娘だったが、精神面ではいささか心もとなかった。  
 自信のなさと自己評価の低さを示していた。
 それと同時に、不幸な家庭事情、モニカが十代のうちに、両親は離婚している。
・モニカを知るようになって数日しか経っていなかったが、日常生活の乱雑ぶりや、体重
 のことばかり気に病む様子を思えば、大統領の精液がついた、かの有名な「ギャップ」
 の紺のワンピースがそのまま放置されていた理由も、わかろうというものだ。
・弁護士事務所の、やや狭苦しい会議室ではじめて会ったモニカは、メディアで報じられ
 た、厚かましいビバリーヒルズの小娘とは大違いの、まじめで折り目正しい娘さんだっ
 た。
 私が見たのは、利発で快活で機転がきき、絶え間ない世間の中傷にさらされてなお、へ
 こたれない女性だった。
・教養も高く、自分の人生は、コーヒースプーンの中ではなく、Eメールやコンピュータ
 のハードディスク、クロゼットのなかにあると考えていた。
・こうした条件に従って話を聞くうちに、これが、愛と裏切りと妄執に満ちた魅力的な人
 間ドラマであることが、そして、大統領弾劾をめぐる法的な論争の中で、貶められるは
 めになった人間のドラマであるおとが、はっきりした。
 素直に見れば、ワシントンに出てきたうぶで傷つきやすい娘が、世界で最も権力がある
 とうたわれながらも懐疑と欲望を抱え込んだ男に、惚れた話なのだ。
・ふたりの秘密の情事が、通りいっぺんの火遊び以上のものだったことは確かだ。2年以
 上のあいだに、20回ほどふたりで会い、その間、数えきれないほどの深夜の電話が、
 大統領からかかってきた。 
 互いの真の関係にも、互いの妄執にも向き合うことなく、女は誠実さと愛のために、男
 は欲望と嘘のために、延々と高い代価を払うことになった。
・今、その情事を振り返って、モニカは言う。
 「どちらにも責任があり、どちらもが求めたことでした。相手は結婚していたのですか
 ら、過ちにはちがいありませんが、私はまだ若かったんです。まちがったことですが、
 起きてしまった。自分ではどうにもできない状況に置かれたんです。いつふたりで話が
 できるかを決めるのは、彼。いつ会えるかを決めるのも、彼。ふたりの関係の主導権は、
 すべて彼が握っていました・・・」
・実習生と大統領というこの物語から、ひとつ言えるのは、現代のハイテク事情が、いか
 に個人ばかりか、家族という社会の基本単位を切り裂き破壊することができるかという
 ことだ。  
・性的カリスマでは定評のある、2倍以上の年齢のビル・クリントン大統領の目にとまっ
 た娘は、自分の中に相反するものをたくさん抱え込んでいた。
 頭には自信があるのに、おのれには自信がない。
 権利への意識は高いのに、自尊心は低い。
 他人には誠実で、ときには意固地なくらい忠実なのに、自己の保身には無頓着。
 危ういほどに人を信じやすく、意義ある関係を心から求めながらも、現代的な性の誘惑
 にあらがえない娘だった。
 ふたつの真剣な恋の相手が、どちらも既婚者だったのは偶然ではない。
・あの1995年の夏、並々ならぬ天の配剤により、ふたりがホワイトハウスで出会った
 とき、大統領の目にとまったのは、表向きのモニカの顔、利発で快活で楽しげで、いく
 らか押しの強そうな二十二歳の娘のほうだった。
 今もモニカは、そのときのことを、痛いほどはっきりと思い出す。
 「強烈な誘惑だったわ。ふたりのあいだに、強烈な作用が働いたの。でも、彼が他の女
 性に誘いをかけたり、目を向けたり、惹かれたりするときとあまり変わらなかったと思
 う。お互いに惹かれ合い、タイミングがぴったり合ったから、起こったことなの」

序章−裏切り者の友人
・いつも体重を気にしていたモニカは、ニューヨークの化粧品会社レブロンの公報部員と
 いう新たな職に就く前に、シェイプアップしておきたかった。
 わくわくする面白そうな仕事だったが、その新生活には、後悔も混ざっている。
 この2年間、目覚めたときから頭の中を占領し、眠れぬ夜にも心に入り込んできた愛す
 る人と、離れることになるからだ。
 愛する人とは、アメリカ合衆国大統領。
・モニカの頭は、ずっと愛してきた人、そしていまや失う運命にある人への、せつない想
 いでいっぱいになった。 
 モニカは、大統領の故郷アーカンソー州の元職員ポーラ・ジョーンズの民事裁判で、
 宣誓証言をするよう召喚されていた。
 州知事時代の大統領が性的な嫌がらせを行なったとして、ジョーンズが1994年5月
 に訴えを起こした裁判だ。
 モニカは召喚には応じたが、宣誓供述書では嘘をついていた。
 彼女にしてみれば、気根の男と情事を持ったかどうかなど、たとえその相手が自由世界
 で最も強大な権力を持った人物だったとしても、他人の知ったことではなかったのだ。
・モニカは、自分が大きな問題を抱えていることに気づいていた。
 このひと月ほど、ずっと苦しんできた悩みごとだ。
 モニカは国防総省の配属先で、秘書をしていた中年の女性と友だちになり、大統領との
 情事を打ち明けていた。
 今、その女性が、その情事を暴露するかもしれなかった。
・モニカは、知らなかったのだが、その元同僚リンダ・トリップは、じつは、1年以上も
 前から彼女を裏切り続けていた。
 モニカがうっかりしゃべったことを、自分の執筆する”政権の内幕本”に乗せる気で、
 モニカからの電話をずっと録音していたのだ。
 おまけに、右派のスパイや雑誌記者、セクハラで大統領を訴えているポーラ・ジョーン
 ズの弁護士らと共謀し、モニカをさらしものにしようとしていた。
  
ビバリーヒルズ育ちの憂鬱
・1973年夏の、ある暑い日、長い陣痛のすえに、マーシャ・ルインスキーは、自分が
 生まれたのと同じサンフランシスコの小児病院で最初の子ども、モニカ・ルインスキー
 を出産した。
 みずからも医師であるバーニーは、手を貸してくれた看護婦たちといっしょに、父親の
 誇りに満ちた眼差して、長いまつげが美しい赤ん坊を眺めた。
 バーニーは娘を、”私の小さなファーフェル”と呼んだ。
・バーニー・ルインスキーの両親は、ナチスの台頭により、しだいに高まってきたユダヤ
 人迫害から逃れるため、1920年代にドイツから逃げ出してきた。
・バーニーがマーシャ・ルインスキーとはじめて出会ったのは、まだ医学生のときで、
 マーシャは20歳、バーニーは25歳だった。
・マーシャの父サミュエル・ヴィレンスキーも、バーニーの父と同様に母国から逃げてき
 たのだ。
 彼の場合は、1930年代のスターリンの粛清下にあったリトアニアから逃げてきたの
 だ。
・1948年に、マーシャが生まれた。
 マーシャが4歳のとき、戦後の日本は市場として大いに有望だと踏んだサミュエルの決
 断により、一家で東京へ引っ越す。
 サミュエルが東京で興した貿易会社は大当たりし、そして日本の友人にも恵まれて、
 一家はコスモポリタン的な優雅な暮らしを楽しんだ。 
 一家でアメリカを離れて三年後に生まれた妹デブラにとって、不足なものは何もなかっ
 た。家には、たくさんの使用人からおかかえ運転手までそろっていた。
 ふたりの少女は地域社会にも溶け込み、日本語も流暢に話せるようになった。
・けれど、このお姫さま物語は、にわかに幕を閉じる。
 1964年、サミュエル・ヴィレンスキーが心臓発作で急死したからだ。 
 一家の事業は立ちゆかなくなり、カルフォルニアに戻って、サンフランシスコ近郊のソ
 ノマ郡にいる母方の祖母のもとに身を寄せた。
・母親のバーニスは秘書の仕事に就くが、家計を支えるのがやっとだった。
 大きな家とぜいたくな暮らしは、歴史の中に葬られた。
・マーシャはそのときのことを、とてもつらい出来事、”育った国をいくのは、たいへん
 な変化”だったと振り返る。  
・蓄えがたちまち底をついてしまったので、マーシャはコミュニティ・カレッジに入学す
 ることになった。
 2年後、おじのひとりが世話を焼き、ノースリッジにあるカルフォルニア州立大学の授
 業料を肩代わりしてくれたので、マーシャは、そこで都市学を専攻し、卒業したらすぐ
 に、都市計画の専門家になろうと考えていた。
・こうした夢は、1968年の復活祭の日、5つ年上の、もの静かな医学生バーニー・ル
 インスキーと出会ったときに、永遠のお預けとなった。
・ふたりの性格にちがい、マーシャが、愛嬌があり、柔軟で、内気だけれど型にはまらな
 い創造的なタイプなら、バーニーは、感情を表に出さない、現実的で、実際的な勤勉家
 タイプ、はとりあえずわきに置き、1969年2月、結婚式が挙げられた。
・結婚後まもなく、ふたりはロンドンに引っ越した。
 マーシャは根っからの親英派で、英国の歴史と伝統が大好きだったし、バーニーは、世
 界で一流の癌病院でやりがいのある仕事を楽しんだ。
 モニカをお腹に宿したのも、この時期だった。
・モニカが賢い子どもであることは、早くからわかった。
 歩くよりも先に片言でしゃべり、2歳になるころには、すらすら話した。
・マーシャは、娘の、粘り強いのに感情面ではもろい気質と、犠牲を払ってでも揉め事を
 避けようとする傾向があいまって、大人になったモニカの行動に表われているのではな
 いかと考える。   
・1976年、バーニー一家は、ビバリーヒルズに引っ越した。そこでは、バーニーが実
 入りのいい開業医の仕事を確保していた。
・1年後、マーシャはふたり目の赤ん坊を産んだ。
 今度は男の子で、マイケルと名づけられた・
・母のマーシャが、”マーシャ・ルイス”のペンネームで、毎月「ハリウッド・マガジン・
 リポーター」にコラムを掲載していたことから、活発な社交家というイメージでとらえ
 る人もいるだろうが、本当は、自分の時間とエネルギーを子どもたちに注ぐことに幸せ
 を感じる家庭的な女性である。それはモニカにとってもありがたいことだった。
・モニカと父は、しじゅう角突き合わせていたわけではない。
 父が趣味にしている大工仕事を、何時間も眺めていたことを、モニカは覚えている。
 決して手伝わせてくれはしなかったけれど・・・。
・子どもより自分のキャリアが気になるという、義務を忘れたビバリーヒルズの職業人と
 は、たしかにバーニーはタイプを異にしていたようだ。
 重要な出来事、例えば、スペースシャトルの第一回打ち上げとか、英国皇太子のご成婚
 とかがテレビで放映されると、バーニーは、夜中でも明け方でもモニカを起こし、テレ
 ビを観せたものだった。
・しかしまた、いつも父に認めてもらおうと努力しながら、一度も本当に認められたと感
 じたことがなく、父のささいや非難や反対意見ばかり気にとめていたと話す。
 バーニーは、彼なりの目立たないやりかたで、娘を深く愛してきたし、今も愛している
 が、モニカが願うような表情や態度は見せたことがなく、彼女の目からは十分な愛情が
 読み取れなかったのだ。
・こんなふうに心が飢えた子ども、そのうえ、自分の愛情に対して大きな見返りを求めて
 しまう子どもは、自分の願望が満たされないと、失望したり、拒否されたりと感じたり
 してしまう。 
・モニカは振り返る。子どもの頃の記憶にある父は、いつも疲れて、いらいらしながら仕
 事から帰ってくる人だった。
 日々、重病人を相手にするという、神経を使う職場につきものの冷静さが、ますますふ
 たりの関係を手に負えないものにしたのだと、今ならモニカにもわかる。
・モニカにとって、父との関係は、昔からぎくしゃくした不安定なものだったが、家族で
 口論になると、まず自分に味方してくれる母とは、固いきずなで結ばれていた。
・モニカという人間を理解する鍵が、彼女の両親のあいだの相互依存的な力関係にあるこ
 とは確かだが、だからといって、彼女の行動のすべてを三人の関係に帰してしまうのは
 あやまりだろう。
 仲間の期を引きたい、好かれたいという切なる願い、そして、その願いと結びついた体
 重への悩みが、モニカの性格と行動に与えた影響を見過ごしてはならない。
・十歳のときのモニカは、友だちができても、自分は相手にふさわしくないという気持ち
 が、しだいに相手との関わりをじゃまするようになった。
 十代の多くの女の子同様、モニカには、それがみんな太っているせいであるように思え
 た。ほっそりしているほうが、人としての価値やステータスが高いとされる世界で、運
 動向きとはいえぬその体格は、同年代の子たちより早く訪れた思春期と相まって、モニ
 カを悩ませた。みんなと同じだと、どれほど思いたくても、ぽっちゃりした体型は彼女
 をはみ出し者に感じさせ、心に大きな負担を与えた。
・モニカは、はじめて本当のボーイフレンドとなる男の子、アダム・デイヴとつき合い始
 めた。けれど、十代のふたりのロマンスは、その後のモニカの恋愛関係に見られるパタ
 ーン、怒って別れて、またどうしようもなく恋しくなるという、感情のジェットコース
 ターの様相を早くも呈していた。 
・この行動習性は、ふたりの既婚男性との恋愛関係によく表れている。
 モニカは、それについてこう語る。
 「私は、とても感じやすくて、ロマンチック人間ですが、実際的で論理的でもあります。
 そういう要素が組み合わさっているから、誰かと愛し合いたい、完璧な関係を楽しみた
 いと思っていても、その関係が”本物”かどうかは、私がまちがったことをしたときに、
 相手が怒ることでしか信じられないんです。私のしたことに腹を立てないなら、その人
 は自分の感情に正直でないか、私に正直でないかです。
 だから、そのときは、その関係を偽物だと思うでしょう。私に同意してばかりいる男性
 には、そんなふうに感じてしまうんです」
・デイヴと干戈になったのは、彼がモニカと言い争うのを嫌がり、ふたりのロマンスは本
 物なんだから”真実”だと、彼女を納得させようとしたからだった。
 その結果、モニカはふたりの関係を終りにし、そのくせ何カ月もアダムを想って嘆き暮
 らしたあとで、今度は傷と仲直りを断られたのだった。
 これもまた、頭ではわかっているのに、自分の心をうまくコントロールできないという、
 彼女の早くからの徴候だった。
・こうしてモニカが、青春時代の試練と苦難に打ち克とうとしていたとき、彼女の両親は、
 崩壊した結婚生活を、あきらめて受け入れようと努めていた。
 両親の友人たちは、もう長いこと、ふたりの性格のちがいに気づいていた。
・モニカは、両親の結婚生活の中で展開されるドラマをつぶさに見ていたが、最後の幕が
 下ろされようとしているとは気づかなかった。
・1987年9月、診療所にいたバーニーは、突然、受付係が診察室に入ってきて、急用
 で会いたいという人が来ていると告げた。
 バーニーがロビーに歩いていくと、小柄な男がせかせかと近づいてきて、「離婚の書類
 だ!」と大声で言うと、紙束を投げつけ、大あわてで走り去った。
  
「母はいい人で父は悪い人」
・マーシャは、あなたたちのお父さんと離婚することになったと話した。
 子どもたちには、歓迎してもらえると思っていた。
 彼らと父親のぎくしゃくした関係を見て、ふたりは父親を愛していないのだ、だから、
 父親と別れることになっても、うろたえたりしないだろう、それよりも、これで悲惨な
 家庭生活も終わり、新しい日々が始まる、三人を主役とした物語が始まると考えてくれ
 るだろう、思っていた。
 きっと、喜んでくれる、マーシャは、とんでもない思いちがいをしていた。
・マイケルは、わっと泣き出し、モニカは、たちまち気分が悪くなって、化粧室へ駆け込
 んだ。やがて、青ざめ、震えながらテーブルに戻ってくると、怒りをぶちまけて、あっ
 けにとられるマーシャをひたすら責めたてた。
・モニカのきつい言葉がこたえたマーシャは、離婚することになったのは、バーニーが診
 療所の看護婦と浮気したからだと打ち明けた。
 マーシャは今、娘の反応にあれほど驚き、うろたえなければ、ああいうあからさまな話
 はしなかったはずだと振り返る。しかし、もう取り返しはつかなかった。 
・ショックと信じられない思いで、茫然として家に戻ったモニカと弟は、父が居間で待っ
 ているのに気づいた。
 隣に腰かけたモニカは、生まれてはじめて、父が泣くのを見た。
 失敗した結婚生活のために、そして子どもたちのために、後悔の涙をこぼす父を・・・。
・モニカは思い出す。
 「本当に悲しかった。すごい衝撃で、粉々になった気がして、本当につらい瞬間、私の
 人生で最大級に悲しい出来事でした」
・1988年に離婚が成立すると、自宅はすぐに売りに出され、マーシャとふたりの子ど
 もたちは、ビバリーヒルズのアパートを転々とするようになる。
・マイケルは、父が浮気したことを知らず、父とのあいだにとても強いきずなを結んだが、
 怒りと、みじめさと、傷心を抱えたモニカは、食べ物に慰めを見い出した。
・モニカにとって最大の悩みは体重となっており、それは、男の子や学校や自分に向ける
 気持ちを萎えさせた。モニカの体重は徐々に増え始めたからだ。
・ティーエイジという年齢をむずかしくさせている心の荷を軽くするには、モニカには、
 プロの手助けと指導が必要だった。
 そこで、モニカと両親は、バーニーの主張に従ってUCLAのセラピストに会いに行き、
 その医師から、トラブルを抱えた16歳が入会できる摂食障害機関として、レイダー・
 クリニックを勧められた。
・これがターニングポイントとなった。
 セラピーはときにうんざりするものだったにちがいないが、治療を終えたモニカは、ぐ
 っとスリムになったばかりか、自分の人生と向き合っていく新たな決意を胸にしていた。
・こうして、自信もつき始め、学究心もよみがえってきたが、体重への悩みが実生活から
 消えることはなかった。 
・安心と愛情、そして心の栄養を求めるという、モニカのロマンチック精神は、一連の終
 わるとも知れない恋愛関係につながっていった。
 ビバリーヒルズ高校では、4歳年上の若者に、見込みもないのにのぼせあがったことも
 あれば、モニカを見そめた別の若者が、後には彼女の友だちを好きになるということも
 あった。
 その友だちは、典型的な痩せ型だったのだが、それ以上に、彼が”友だちのほうを選ん
 だ”という事実に打ちのめされた。
・モニカは大学生になっても、ビバリーヒルズ高校の縁覚活動に参加していた。
 もう高校の生徒ではなかったので、公演が近づいて衣装作りを手伝うときには、報酬が
 もらえた。 
・これより少し前、学校では、中年の前職者に代わって、新しい演劇指導教官を雇い入れ
 ていた。
 アンディ・ブライラー、細身で、あかるい色の髪をした当時25歳のその男の名は、す
 ぐに生徒のあいだでささやかれるようになった。
 しかし同時に、彼より8歳年上の娘のいる離婚経験者ケイト・ネイソンと、長いことつ
 き合っていることも知られていた。
 モニカは、ビバリーヒルズ高校の3年のときに、友だちの秘密の恋の相手として、彼を
 知っていた。
・ブライラーが十代の女子学生たちにちょっかいを出しているといううわさはあったが、
 モニカも、高校を卒業してから、その対象に入れられたようだった。
・1991年5月の春の晩、演し物のひとつが終わると、アンディはモニカを駐車場まで
 送ってくれた。 
 彼のやさしさに勇気づけられて、モニカは自分が人生に抱えている問題を打ち明け、彼
 が、思いやり深く話を聞いてくれる人だと気づいた。
 モニカが帰ろうとすると、アンディが、おやすみのキスをして、それから、彼女の言葉
 を借りると”わかり合った”のだが、この時点でふたりの関係がセックスまで発展するこ
 とはなかった。
 そのあとも19歳まで、モニカはヴァージンだった。
・ブライラーは、1991年10月にケイト・ネイソンと結婚し、それからほんの数ヵ月
 後の翌年2月、ビバリーヒルズ高校の公演で、モニカと再会する。
 ブライラーはモニカを口説き始め、モニカは、彼がもう結婚していることを知っていた
 が、そんなふうに気持ちをくすぐられると、大いに侍臣と元気がわいてきた。
・この新婚の指導教官は、モニカをほめそやし、口説きつづけ、あるときには、パンティ
 を脱いで置いていってほしいと、せがんだこともあった。
 こっそりと昼の時間を利用して、ふたりでモーテルで過ごし、語り合ったり、いちゃつ
 いたりしたが、最後の一線を越えるには至らなかった。
・驚くかもしれないが、1992年の12月まで、ふたりは恋人同士の関係にはならなか
 った。
 モニカがヴァージンを捧げたのは、相手の妻が妊娠したばかりの時期だった。
 彼女がはじめてセックスをした年齢は、同世代の女の子たちに比べてかなり遅い。
 実際モニカは、自分がもう少し大人になるまではと、わざと先に延ばしていた。
 若いころの性体験は、あまり楽しいものではないと、友だちから聞いていたからだ。
・数年後の1996年2月、十代のころのセックスについての会話の中で、モニカかは大
 統領にこう話している。
 結果的には、待っていてよかった。自分自身ずっと満足できたし、自分の体の反応にも
 うろたえずにすんだから、と。 
 大統領は、自分の初体験は遅かった、と答えた。
・モニカ・ルインスキーの若い人生は、たくさんの皮肉な事柄があるが、そのひとつは、
 大学で心理学を学び、人間の精神と状況について深く知的に理解していながら、実生活
 や決断に、その知識を生かせないということだ。
 例えばこれは、モニカの最もいじらしく、いらだたしい側面だと思われるのだが、頭で
 はこうしたほうがいいと思っても、言うことをきかない心のほうに引きずられて、いつ
 も反対の方向に行ってしまう。 
 だから、どんなに困った状況に陥っても、誠実でありたいという感情が、自分を守ろう
 という理性を打ち負かしてしまうのだ。
・モニカは昔から、自分の性的な体験について、家族や親しい友人に打ち明けてしまう傾
 向があり、それがやがては悲劇につながることになる。
 話を聞いたほうは、すぐに、既婚者と深い仲になることに反対の声をあげる。
・モニカは、ブライラーへの強い想いと、望みのない状況のあいだで引き裂かれた。
 1993年2月初旬、ブライラーの妻が妊娠4ヵ月のとき、モニカは情事を終わりにし
 ようと決心するが、こうも話してる。
 「つらい想いをこえて、数日後に別れ話をすると、彼は、これで気が咎めずに済むし、
 ほっとすると言ったんです。おかしな話ですけど、私はその返事に、すっかり落ち込ん
 でしまいました」  
・別れていたのも、ほんの一時期だった。
 ブライラーは、またしてもモニカに言い寄ってきた。
 学校で開かれたブライラーの誕生パーティーが終わったあと、ふたりは、観客席にある
 照明用のブースの中でセックスをした。
・1993年の春、モニカがサンタモニカ・カレッジの最終試験を受ける準備をしていた
 ころ、ふたりは、周に2、3度の割合で会っていた。
 といっても、それは会うたびに体を求め合うだけの関係で、このころにはもう、友人た
 ちもモニカの生活の中に男の存在をかぎ取っていた。
 友人たちはモニカをいたわると同時に心配して、彼との関係を終わらせるほうが身のた
 めだと、繰り返し助言した。
 ふたりの関係は終始無軌道で、妻帯者である恋人に多雨するモニカの態度は、怒りの涙
 と甘ったるい寛容とのあいだを揺れ動いていたという。
・1993年7月、アンディ・ブライラーに息子が生まれてまもなく、モニカはまた彼と
 別れた。今度は、ブライラーの側からの、たっての頼みだった、 
 気が咎めるし、いい父親になりたいというのが理由だった。
 驚くにはあたらないが、その決心は長続きしなかった。
 数週間後には、またモニカに近づいてきて、情事が再開された。
・モニカは、のちに大統領と情事を持ったときにも思い出す。
 「既婚者は気が咎めるからと言って、関係をやめようとしますけど、やはり誘惑には勝
 てないようです。必ず戻ってくるんです」

最初の泥沼不倫
・アメリカ北西岸に位置するオレゴン州、その最大の都市ポートランドは、ジーンズとス
 ニーカーの街だ。世界じゅうに広がる「ナイキ」の本社がある。
・1993年の秋、ここへ来て最初の数週間、モニカが月に就いたのかと思ったとしても
 しかたなかっただろう。ロサンゼルスとのちがいはおおきかった。
・ロサンゼルスから若い娘を引き離せても、若い娘からロサンゼルスを引き離すことは、
 むずかしいことだった。 
 学友たちが思い出すモニカの第一印象は、包み隠しのない、あけっぴろげな人、特に自
 分の体重やセックスについては率直な人、話をするときはずばり言う人、浮ついたとこ
 ろはあるけど、心根のやさしい人、というものだった。
・モニカの交際の輪は、しだいに広がり始めたが、学校ではデート相手はまだできなかっ
 た。  
 地元の男性と、ごく気楽なデートなら少しはしたが、出会いというのはめったになかっ
 た。だから、どうしてもさびしくなるときがあり、故郷の耳慣れた声が聞きたくて、電
 話に出を伸ばした。その声のひとつは、アンディ・ブライラーのものだった。
 1993年11月の感謝祭で、ロサンゼルスの家族のもとに帰ったときは、時間をつく
 って逢瀬を持った。 
・その冬のあいだじゅう、ふたりは連絡をとり続け、翌年の春休み、またモニカは彼と会
 う。そのとき、女の直感で、ブライラーが別の女性とつき合っているのではないかと思
 った。
 心が荒れ狂う悲しい再会になった。
 ことに、直感の正しさを裏づけられたときには・・・。
 あとになってわかったのだが、当時ブライラーは、モニカがロサンゼルスにいたころか
 ら知っているある少女と、親密な関係にあった。
 そのひそかな関係は、まもなく、モニカの彼への忠実さを、とことん利用することにな
 るのだった。
・その再会からいくらも絶たないうちに、ブライラーはモニカに電話をかけ、ポートラン
 ドに引っ越そうと考えている、と話した。息子を育てるには、ロサンゼルスは金がかか
 りすぎるというのだ。
 彼の決心の裏に何があったにせよ、モニカはその知らせを、うれしさと恐ろしさが混じ
 り合った気持ちで聞いた。
・1994年6月、ブライラーは、妻と子どもたちを残してロサンゼルスを発ち、仕事と
 住居を探すためにポートランドに着いた。
 当然のことが起きた。着いたその足で、彼はモニカを訪ねたのだ。
 「彼は、私に夢中でした。私を愛しているって、はじめて言ったんです。きみはすてき
 だ、心から大事な人だ、愛してるって、会ってるあいだ、ずっとやさしくて、ずっとロ
 マンチックで、心がとろけそうでした」
・それから”すてき”な5日間を過ごしたあと、ブライラーは、妻のケイトが娘の監督権を
 めぐって前夫と揉めているロサンゼルスへ帰っていった。
 しかし、数週間後には戻ってきた。
 ケイトがロサンゼルスで法律問題を処理しているあいだ、ブライラーは、仕事を探しな
 がらポートランドで夏を過ごすことにしたのだった。
・その夏の数ヵ月は、モニカがアンディ・ブライラーと関係を続けた5年間のうちでも、
 最も感情が揺さぶられて、傷つき、大荒れとなったときだった。
・ブライラーがいたおかげで、その夏、モニカは勉強が手につかなかった。
 大学院に入って、法心理学を学ぼうと計画していた彼女は、大学院の予備資格審査の対
 象となる大学院入学学力試験で高得点をあげる必要があった。
 しかし、ブライラーのことで頭がいっぱいで、満足な勉強ができず、結果的に、がっか
 りするような得点しか得られなかった。
 友だちは、彼女の態度におのずと表れる男の影に気づき、すぐにわかれるよう忠告した。
・1994年の秋、ケイトと子どもたちがブライラーのもとへやってくると、ふたりの関
 係は大きく様変わりするが、それはモニカの友人たちにとって受け入れがたい、あるい
 は、理解すらできないものだった。
・モニカは彼と別れた。今回は、ブライラーが話を切り出した。
 が、彼の妻と親しくなり、夫婦が出かける際にはしばしばベビーシッターを務め、同様
 に、彼のおじの家でも仕事を建てうだった。
・しばらくすると、モニカがブライラーの家族に向ける愛情は、彼自身に向けていた愛情
 と変わらないほど強くなった。
 自分も家族の一員のような気になって、やがてケイトを好きになり、子どもたちを愛お
しく思うようになる。   
・ケイトとの友情、子どもたちへの愛情、っして、彼女自身とブライラーのあいだの頻繁
 な衝突。ただし、この期間、ふたりは愛人関係にない。が、最後には、モニカに決心を
 固めさせた。
・1994年11月、家族とクリスマス休暇を過ごすため、ポートランドを発つ少し前、
 モニカはブライラーに長い手紙を書いて、もうこれ以上私の人生にあなたは必要ではな
 いし、友だちでもいたくないと記した。
 そのあと一度、ふたりは会って、激しい口論の末に、友だちのままでいようと答えを出
 すが、モニカは家族のもとへ向かいながら、情事は完結したと思っていた。
 残念ながら、そうはいかなかった。
・モニカが新年に戻ってきたとたん、電話が鳴った。ブライラーからだった。
 彼は、妻がポートランドを嫌がっているとか、モニカなしでは生きていけないとか理由
 をつけて、どうか友だちでいてくれと、切々と訴えてきた。
・ふたりの関係は、煮え切らない形で再開したが、モニカは依然として、彼には誰か別の
 つき合っている女性がいるのではないかという思いにつきまとわれた。
 最後には、自分の勘に従って、ロサンゼルスに住む、目星をつけていた女の子に電話を
 入れ、すべてが明るみに出た。
 モニカよりずっと若く、ずっと純情そうなその女の子は、自分が遊ばれたと思った。
 ブライラーにだまされたのだ、と。
 さらに困ったことに、妻のケイトにこのあくどいやり口を洗いざらい話してやろうと、
 真剣に考えだした。 
・ふたりで話し合った結果、モニカは、その十代の娘と話すことを承諾し、実際、話に行
 って、なんとか沈黙を守ることを受け入れさせた。
・やがて、大学卒業まで残り3カ月となると、モニカは、自分がブライラーと何かしら関
 係を持ちつづけてしまうのは、彼がふたりのつき合いかたを、まるで”ふつう”の関係の
 ようにみなして、定期的に自分に会いに来るからだと考えるようになった。
・また、自分を裏切った彼に仕返しするという、よこしまな満足感を得るために、彼の弟
 のクリスと浮気をした。
 ブライラーが、
 「あいつは絶対きみを好きにならないよ。背が高くて、痩せた女にしか興味がないから」
 と言っていた弟だ。
 モニカは、そんなことはないと証明してやったのだ。
・親友のひとり、キャサリン・オールディ・デイヴィスは、大学の最終学年のあいだにモ
 ニカをよく知るようになり、のち、モニカがクリントン大統領と情事を持ってからも、
 彼女と連絡を取り合ってきた人物だ。
・キャサリンはモニカのことをこんなふうに見る。
 「大統領との情事は、アンディとの関係と同じように、彼女には苦しいものでした。
 決して自分のものにならない男に夢中になって、普通の女でいることも、普通のデート
 をすることも、できなかったんです。彼女には、自分は愛されるほどの価値がないと思
 っているところがありました。 
 モニカは頭のいい娘です。何が起こっているのか、はっきりわかっていますが、起こっ
 ていることをコントロールする力がなかったんです。彼女の立場に立って言うなら、男
 とのあいだにそういう問題を抱えているのは、決して彼女ひとりではありません。
 賢い女性が愚かな選択をしたほんの一例にすぎないんです」
・運命の決断、ワシントンに引っ越すという話をたまたま持ち出したのは、モニカではな
 く、父でもなく、ましてブライラーでもなく、母親だった。
 マーシャには、ウォルター・ケイという、マンハッタンの羽振りのいい保険業者の友人
 がいるが、娘と話をするうちに、ケイの孫の話になった。
 その孫が、民主党への寄付者であり、ファーストレディの知人であり、元ホワイトハウ
 スの実習生だという。 
 ホワイトハウスの実習とは、きびしい選抜により選ばれた名誉ある実習生が、一定期間、
 ホワイトハウス内で無給で働くことを指す。
 マーシャは、もしモニカが実習生になりたければ、ケイに連絡して、口添えをしてもら
 えるかどうか聞いてみると言った。
・モニカは、母の申し出を考えれば考えるほど、胸がはずんできた。
 夏のあいだの6週間、ホワイトハウスで働くことは、学業を再開する前の気分転換にな
 るし、母といっしょに暮らせるという意味でも、とてもいいことに思えた。
・モニカは、提出する論文に、社会のおける”人間的特質”をより理解するためにも、政府
 内の仕事には心理学が必要であると論じて仕上げると、正式に実習生の申し込みをした。
 そして、その年の同期200人の若い実習生のひとりとして、みごと採用された。
・ポートランドを発つ前に、モニカはアンディと、涙を流しながら長いお別れをした。
 彼は、モニカのワシントン行きを誇りに思い、胸を躍らせ、応援してくれた。
 彼女のほうは、まだブライラーを愛していたが、再び会うことは、少なくとも近い将来
 にはないだろうと思った。

「大統領はまなざしで、わたしの服を脱がせた」
・1995年7月、モニカは緊張しながらも、旧大統領府ビルの450号室にいる200
 人の新卒の若者たちと気楽なおしゃべりを交わしていた。
 無給の実習生として自分たちが6週間を過ごす部署が決まるのを待っていたのだ。
・新しく入った実習生たちは、ひととりの講義を受けたあとで配属先を伝えられる。
 モニカはレオン・パネッタ首席補佐官のオフィスで、文書を扱う仕事を割り振られた。
 旧大統領府ビルの93号室に自分専用の机とコンピュータが持てると知って、モニカは
 大喜びだった。
 おまけに論文が非常に優れていたため、単なる電話番やコピー取り以上の仕事を与えら
 れたのだ。
 ときには仕分けされた郵便物を、大統領執務室のある西棟まで届けることもあった。
・ほかの実習生たちとちがって、モニカは政治的野心を持っていなかった。
 というより、政治自体に興味がなかったのだ。
 ワシントンに人生の目標があったわけではなく、それは恋愛やほかの面についても同じ
 だ。 
 保守的で、すべての行動が計算された秘密主義の社会において、彼女はあまりにもあけ
 っぴろげで、自分のやりたいことを思うようにやりすぎるきらいがあった。
・どんなにささいな行動も、すべて考え抜かれてコントロールされる世界で、彼女は不注
 意に心をさらけ出し、批判を弱く、自信喪失に陥りやすかった。
 その一方で、我慢や自己抑制といった習慣を育んではこなかった。
 彼女の母親の見るところ、何よりも、世間的な処世術を身につけていなかった。
・仕事はおおむねおもしろく、やりがいも感じられた。
 まもなくモニカは、ホワイトハウスのゴシップ雀たちのあいだで、ある話題が出ると、
 がぜん会話が勢いづくのに気づいた。
 その話題の主とは、ビル・クリントンである。
 大統領は浮気者の女たらしだという評判で、女性ファンの一団がそのうわさ話に花を咲
 かせ、ホワイトハウスの誰それが浮気相手のひとりだったとか、そうではなかったとか、
 わけ知りなことを言い合うのだ。
・モニカは言葉を失った。
 「あの人たち、おかしいんじゃないかしら、と思ってました。だって、私と同じ齢くら
 いの子が、中年の男性を、かわいいとか、とってもセクシーだとか言うんですよ。ここ
 は本当に変なところ、ワシントンはいったいどうなっているのかしら、と感じました」
・しかし、その7月、はじめて生身のクリントン大統領を目にしたとき、「山ほどの女の
 子たち」が言っていることをはっきり理解したのだ。
・モニカは、言ってみれば自分たちのボスにあたるこの男を、どうしても近くで見たくな
 った。   
 その機会は7月の終わり近くにやってきた。実習生たちが大統領の出発セレモニーに出
 ることを指導官が許してくれたのだ。
・最初のときに比べて、2回目の出会いのとき、モニカはひどくがっかりした。
 ロープから乗り出している人たちおあいだを縫って歩く大統領は、ただ機械的にあいさ
 つしたり笑ったりしているだけで、集まってくれた人たちのことを考えていないのが明
 らかだったからだ。 
 モニカのいるセクションに近づいたとき、大統領はまっすぐ、彼女のほうを見つめた。
 「そのときは心に迫ってくるものが感じられなくて、期待はずれでした」
 と、当時のことを思い起こす。
・モニカは、8月の出発セレモニーにも出ることになっていたので、彼にもう一度チャン
 スを与え、ひと目見たとき思わずうっとりさせられた男の実像が、本当にそれほど魅力
 があるのか、確かめようと思った。
・彼女は母が買ってくれたばかりの淡い緑色の新しいスーツを着ようと決めていた。
 何より重要なのは、その新しいスーツが落ち着きと自信を与えてくれるということだっ
 た。
・大統領がロープで仕切られた客たちのあいだを歩いてきて、モニカのすぐ前に立ってい
 る別の実習生とその父親のところで立ち止まって言葉を交わした。
 彼らに話しかけているあいだ、大統領はぱっとモニカに目をとめ、彼女によれば、
 「最高のビル・クリントンを私に投げだしてきた感じ」
 だったという。
・「このとき、ほんの短い瞬間だったけれど、私たちは親密でセクシャルな感情を交わし
 合いました。大統領はまなざしで、私の服を脱がせたんです」
 これは決して子どもじみた幻想ではない。
 のちの密会で、大統領は、その瞬間を鮮明に覚えているとモニカに語っている。
 「いつか君にキスするだろうと思っていたよ」
 執務室にふたりで座っているとき、彼はそう言ったのだ。
・翌日、大統領と無言で交わした目と目のやりとりの余韻もさめやらぬモニカは、その日
 の午後にホワイトハウス南庭で開かれる、大統領の49歳のサプライズ・パーティーに
 急に出席が許されたと聞き、喜びで身震いしそうになった。
 昨日と同じ服を着ていれば気づいてくれるかもしれない、そう思った彼女は、車で家に
 戻ると、”幸運の緑のスーツ”にアイロンをあて、ホワイトハウスにとって返した。
・パーティーのあいだ、大統領は早くからモニカを見つけて目で追い、笑いかけた。
 もっともそのとき、”最高のビル・クリントン”を与えられたのは、彼女ひとりではなか
 ったのだが・・・
・集まった人々のあいだを彼があるく段になり、今度は前のほうに陣取っていたモニカは、
 大統領の握手と、「ハッピーバースディ、大統領」と呼びかけるという栄誉に浴した。
 それに対して、「彼が私の目お奥深くを見つめるので、くらくらした」ことを覚えてい
 る。
・大統領が先へ進もうとしたとき、腕がさりげないが不自然な動きで、モニカの胸のあた
 りをかすめた。
 歩き続けながらも彼は振り返り、首にひもでさげた身分証の名前を確かめようとしてい
 た。
 モニカがはっときづいて身分証を見ると、裏を向いている。
 大急ぎでひっくり返したので、自分が実習生だとわかるだろうと思った。
 大統領は彼女に向かってにやりと笑った。
・パーティーが終わり、客のほとんどが引き上げたあと、庭に残っているのはモニカのほ
 かに、ほんの数人となった。
 大統領がホワイトハウスに向かう途中、後ろを振り返って、モニカと目が合った。
 その絶好の機会をとらえてモニカがキスを投げると、彼も笑いながら投げ返してくれた
 のだ。 
・モニカは、自分が”ワシントン・タイプ”ではないのを知ってはいても、ホワイトハウス
 で働くことを考え始めた。
・それを決めたあと、八月半ばに再び、彼女は出発セレモニーに出席した。
 そのとき大統領が、まもなく6週間の実習期間を終える実習生グループのところで立止
 まり、話しかけてきた。
 モニカは持てるだけの勇気をふりしぼって自分の名前を告げ、2期目も残ることを、慎
 重に伝えた。
・何週間のち、モニカと数人の実習生が、旧大統領府ビルと西棟のあいだで野外ランチを
 楽しんでいると、突然、ホワイトハウスから大統領が出てきた。
 思いがけない出来事に実習生たちは驚き、あわてて立ち上がると敬意を表した。
 通りを過ぎるとき、彼はモニカに笑いかけ、お互いに手を振り合った。
・大統領との恋愛ゲームにどれほど浮かれていようと、モニカもほかの22歳の若者たち
 と同じく、将来について考えなければならない。
 1995年10月、彼女は2週間の休暇を取って資格試験を受け直し、次の年には確実
 に大学院に入れるよう計画を立てた。
 ホワイトハウスの仕事に就けなかったときのために、別の選択肢も確保しておきたかっ
 たのだ。 
・しかし、自分の招来を一番に考えなければならないと頭ではわかっていながら、どれほ
 ど努力しても、彼女はアンディ・ブライラーを忘れられなかった。
 慎重さも何もあっさり捨て去り、モニカは彼に会いにオレゴンへ戻った。
 これが大きなまちがいだったときづくのは、そのすぐあとである。
・ブライラーは、モニカがいなくなったのをいいことに、相も変わらず別の女と会ってい
 るのを、再会してすぐにモニカは感じ取った。
 数ヵ月後に、その直感が恐ろしいほど正しかったことが明らかになる。
 だがそのときは、新しい愛人がいるのをごまかそうとして、モニカとの関係を終わらせ
 たときに効果を発揮した決まり文句を繰り返すばかりだった。
 拒絶の言葉にモニカは度を失い、興奮して泣き崩れた。
 そして打ちひしがれ、沈んだ心でワシントンへと発ったのだった。
 その後、1年以上もアンディとは会わなかった。
・しかし、そんな憂鬱な気分も、母のアパートに戻った瞬間に吹っ飛んだ。
 留守電話に、首席補佐官特別顧問からのメッセージが入っていたのだ。
 議会対策局人事責任者のティム・キーティングにモニカを推薦したという連絡だ。
 しばらくして、彼女はキーティングの面接を受けた。
 数日後、会議対策局の上級職員ふたりによる面接に呼ばれたが、これは前の面接がうま
 くいったというサインだった。
・1995年11月の”復員軍人の日”を祝う休日、モニカが部屋でアンディ・ブライラー
 を想って悶々としているときにかかってきた1本の電話が、彼女の人生と、アメリカの
 歴史の流れをも変えたかもしれない。
・電話の主はティム・キーティングで、いいニュースと悪いニュースがあるという。
 いいニュースはモニカが仕事を得たことで、配属先はホワイトハウスの議会対策局の文
 書・通信担当のセクションだった。
 悪いニュースは、議会が閉鎖されそうなので、いつから働けるかわからないことだった。
・モニカは喜びを抑えられなかった。
 電話を切って興奮のあまり歓声をあげ、すぐに友人や親戚に電話をかけまくった。
・ただひとつの問題なのは、議会と大統領の対立から予算問題が行き詰まった末の議会の
 閉鎖あるいは「一時的機能停止」だった。
 これは事実上、政府が行政に金を出すのを認められないということで、ホワイトハウス
 は問題が解決するまで、最低限の職員と主要な補佐官たちだけで運営しなければならな
 い。 
 しかし、モニカは書類上ではまだ無給の実習生だったので、一時帰休を強いられた職員
 の穴を埋めるため仕事を与えられた。
・このような危機的な空気の漂うなか、大統領をはじめ、この国で最も力を持つ男女が肩
 を触れ合うようなところで、モニカ・ルインスキーは仮の仕事の第一日を始めたのだっ
 た。これは本当にめずらしい、ほとんど例外的と言える状況だった。
・1995年11月、最初の出勤日の朝、モニカは自分が仕事をする首席補佐官室に通じ
 るドアのそばで大統領を見かけた。
 彼女が「ハーイ」と声を出さずに口だけ動かすと、大統領は微笑みで「ハーイ」と応え、
 執務室に戻っていった。
・その日、いつもとちがったのは、ふだんは週に1回しか首席補佐官室に来ない大統領が、
 4回も5回も立ち寄ったということである。
・同じ日に、仲のいい職員のグループで、モニカの就職を助けてくれた首席補佐官特別顧
 問ジェニファー・パーミエリの誕生パーティーを開こうと話が決まった。
 驚いたことに、大統領もその即席パーティーに加わり、かなりの時間、モニカに笑いか
 けたり見つめたりして過ごしていた。
・しばらくのあいだ、モニカはひっきりなしにかかってくる電話の応対に追われていた。
 ラジオのトークショーで、論争好きなホストが首席補佐官の電話番号を公表し、議会が
 閉鎖されていることに電話で抗議するよう、聴取者をあおっていたからだ。
 つまり、大統領がモニカに笑顔を向けているとき、彼女のほうは、彼を口汚く罵る、い
 きり立った人々をなだめていたわけだ。
・やがて、大統領は首席補佐官室の奥の部屋へ入っていった。
 怒れる国民の電話からやっと解放されたモニカは、それを見たとき、恋のゲームで思い
 切った賭けに出ることを決めた。
 背をドアに向けて立ち、大統領が戻ってきたとき、モニカは腰に手をあてると、親指で
 ジャケットの裾を持ち上げて、ズボンの上に出ているTバックの下着のひもをちらりと
 見せたのだ。 
・これは破廉恥行為としてすっかり有名になったが、彼女にしてみれば、ふたりのゲーム
 を一歩先に進めただけにすぎない。
 一瞬のことだったが、大統領が通りすがりにうれしそうな顔をしたので、モニカは大い
 に手応えありと感じた。
・夜が近づくにつれ、大統領は前より頻繁に、モニカが仕事をしている部屋を訪れるよう
 になった。不在だとわかっている人物を呼びに来ることさえあった。
 このとき、大統領の側近たちはすべて、予算案の行き詰まりを打開するため、議会との
 交渉に連邦議会ビルにいたのだ。
・クリントン大統領はひとりでいた。
 彼はモニカを手招きして「ちょっとここへ来ないか」と誘った。
 中へ入ったモニカは、ほかには誰もいない部屋で、大統領とふたりきりなのだと気づい
 た。 
・彼は、モニカに、学校はどこだったとか、場ちがいな質問をしてきた。
 緊張で何を話せばいいのかわからなくなったモニカは、出し抜けにこう言った。
 「あの、私、本当に大統領に夢中なんです」
 彼は笑って、少しためらったあと、答えてこう言った。
 「あちらの部屋へ行こう」
・奥の部屋で、大統領は彼女のそばに立ち、腕を回してきつく彼女を抱きしめた。
 「彼をみつめたとき、自分が考えていたのとはまったくちがう人が見えたのを覚えてい
 ます。彼には落ち着きとやさしさがあり、私の心を見透かし、とても貪欲で、とても強
 引で、とても情愛に満ちていました。それから、彼が思いもよらない悲しみを抱えてい
 ることも感じたんです」 
・顔や髪に愛撫を受けながら、モニカはいたずらっぽく、前にもこんなことがあったのよ
 とささやいた。
 妻子ある男との情事のルールを知っていると言いたかったのだ。
・だが、モニカは現実を見失わず、大統領はいつものガールフレンドと「一時的機能停止」
 状態にあるだけで、今の政治危機を乗り越えたら、もとの愛人のところへ戻るだろうと
 思い込んでいた。 
・男との関係で、彼女はいつも二番目に甘んじていた。
 学生時代と同じように、ホワイトハウスでも、彼女に少しでも男性が興味を示すのは、
 気の毒と思うからか、ほかに手ごろな相手がいないからだと決め込んでいた。
 だからこそ、彼女はその瞬間だけを楽しもうと、それ以上の関係に進むことはないと知
 りつつ、大統領とのスリリングなキスをじっくり味わった。
・大統領と、正式な職員になったばかりの実習生は、そのあと、ほんの短い時間おしゃべ
 りをして、どちらからともなく仕事に戻っていった。
 しかし、いくらもたたないうちに、彼らはもっと親密な体の触れ合い興じている。
 2、3時間が過ぎた午後10時ごろ、彼が首席補佐官室のドアのところに現れ、まわり
 に誰もいないのを確かめてから、中に入ってきた。
 そのとき、モニカはすでに自分の名前と電話番号を書いてあったので、それを渡した。
 大統領はそのメモを見て、笑いながら言った。
 「5,6分したら、またジョージに部屋で会わないか」
 彼女はうなずいた。
・そわそわしながら数分間が過ぎるのを待っていたモニカは、大統領がステファノポロス
 顧問の奥の部屋へ通じるドアを開けてくれたとき、やっと安心することができた。
 部屋は暗く、彼はモニカに入るように手招きした。
 たがいに微笑み合い、すぐにキスを交わした。
 たちまちうちに火がついて、触れ合いは激しさを増し、服のボタンがはずされ、ふたり
 の手はたがいの体をまさぐっていた。
・ここで彼女は「彼のオーラルセックスをした」
 そのあいだ、大統領は議員からの電話を受けたが、モニカはそのまま彼に喜びを与え続
 けた。
・のちにアメリカ国民を驚かせたこの行為が、そのときモニカを感動させたのは、ビル・
 クリントンと彼女は、セックスの相性がぴったりだったということだ。
 彼女によれば、
 「私たちは信じられないほどぴったり合っていたんです。世間では私が屈辱を受けたよ
 うに言われていますが、そうではありません。とてもエキサイティングで、皮肉にもこ
 のとき、ふたりのあいだではじめてのオーガズムに達しました」
・彼女は天にも昇る気持ちで家へ戻ったとき、まだ大統領のコロンの残り香がかすかに漂
 い、ふたりきりで過ごした最初の夜の陶酔が彼女を包んでいた。
・モニカは母とおばを起こし、大統領が彼女にキスをしてくれたと話した。
 ふたりの女性たちにすれば、古典的な、頬にする軽いキスだと思ったので、そんなつま
 らないニュースのために叩き起こさるのは、迷惑このうえなかった。
・ふたりは彼のバスルームで”ふざけ合い”、このときはじめて、彼のシャツを脱がせた。
 「本当にすてきな瞬間でした。シャツを着ていない大統領を見るのははじめてで、彼は
 お腹をへこまそうとしていました。すごくいじらしく思えたんです。そんなことする必
 要はないわ。そのお腹、大好きよ。私はそう言いました。とてもかわいくて親しみを感
 じたというか、それまでより身近で、人間らしく見えたんです」
・大統領がふたりの関係をもう一歩進めたのもこのときだ。
 週末も仕事をする予定で、ホワイトハウスもそのときなら比較的、人が少ないと話した。
 「そのとき会いにきてくれないか」
 そう言いつつも、人目を忍ぶそんな危険な逢瀬がどうすればうまくいくのか、細かいこ
 とには触れなかった。 
・大統領との情事はちょうどいい元気回復剤となったが、それが少しでも続くかどうか、
 彼女には見当もつかなかった。
 それどころか、大統領が彼女のファーストネームを覚えているのかどうかも怪しいもの
 だと思っていた。
・11月、2回目にふたりだけで会ったとき、すでにモニカはビル・クリントンをアメリ
 カ合衆国大統領ではなく、ひとりの男として見始め、畏敬の念を持つというより、彼の
 人間らしい脆さや短所を好ましく感じている。
・同じく11月、政府の機能停止が終わりに近づいたころ、モニカは大統領執務室にいる
 秘書ベティ・カリーのところへ行き、大統領にネクタイを渡してもらえないかと頼んだ。
 モニカは学生時代、ずっとネクタイ専門店で働いていたので、ビル・クリントン大統領
 に似合うものを贈りたいと説明したのだ。ベティは快諾した。 
・数日後、ベティ・カリーにばったり出会ったとき、大統領がネクタイを「気に入った」
 だけでなく、それを締めて撮った写真をモニカにあげたがっていると聞かされ、うれし
 くて身震いした。
・12月初旬、大統領がアイルランド訪問から戻ってきた直後、モニカが西棟を歩いてい
 ると、会合のために集まった来客たちと、彼が話しているところにぶつかった。
 大統領がモニカに気づくと、
 「あのネクタイを締めた写真を受取ったかい?」と尋ねた。
 受け取ってないと答えると、すぐそこを通り過ぎた。
・その日のうちに、ベティ・カリーから、部屋に来るように電話があった。
 行ってみると、写真にサインをしてくださるから、大統領に会ってらっしゃいと言う。
 モニカが執務室に入っていくと、大統領は写真にきちんとこう書いた。
 「モニカ・ルインスキーへ、しゃれたネクタイをありがとう・ビル・クリントン」
・その午後、別れるとき彼女はこう言った。
 「あなたが大統領でなければいいと思うのは、世界じゅうで私だけでしょうね」
 
執務室での密会
・1996年1月、ワシントンを襲った吹雪は、まだ2,3日続くだろうと告げていた。
 アパートで、モニカがベッドの上に寝転がって、窓から雪を見たり、本を退屈そうにめ
 くったりしていたとき、電話が鳴った。
 男の声が聞こえてきた。モニカは、大学の友人だと思い、
 「元気?どうしているの」
 答えてベッドに寝そべり、ゆっくりおしゃべりしようと楽な姿勢になった。
 そのとき、突然、本当の電話の主がわかった。自分の耳が信じられなかった。
 大統領が家に電話してくれたのだ!
・大統領は、これから45分くらいしたら仕事に行くという。
 モニカはぴんときて、自分も行こうかと尋ねた。
 「そうしてくれたら、うれしいね」
 と彼は答えた。
・大急ぎで着替え、渋る弟をなだめすかして、ホワイトハウスまで車で送ってもらった。
 日曜日の午後、降りしきる雪の中、まったく新しい男性とのデートに向かっているのだ
 という思いが込み上げてきた。
・モニカは、自分のオフィスへ向かう。そしてふたりの情事の合図である電話の音を待っ
 た。約束どおりだった。
 モニカが酒類を持って執務室の横を通るとき、大統領がそこにいるようにして、いかに
 も”偶然に会った”と見せかける手はずになっていた。
 慎重にならなくてはいけないことを、ふたりとも十分にわかっていたが、それがかえっ
 て、秘密の会話のスパイスとなった。
 あるとき、大統領が実習生にのぼせ上がっているといううわさが広がっていると聞き、
 それから何倍も気をつけるようになった。
・書類を持っていったら、警護官のルイス・フォックスがドアの外に立っていたので、モ
 ニカの心臓は飛び出しそうになった。
 立ち話をしていると、大統領がドアを開けてモニカに声をかけ、口実をもうけて中に招
 き入れた。そしてフォックスに、彼女はしばらく中にいると告げた。
・大統領執務室での”最初のデート”は、すばらしいと同時に、風変わりな経験だった。
 「心の中は、ただの女と男として会えることにわくわくしているのに、いるのは大統領
 執務室のソファの上。なんだか、わからなくなりました」
・大統領は何か飲み物がほしいかと尋ねた。
 これは奥の部屋へ、そして彼の私室の中で最も外から遮断された場所、バスルームへ行
 こうというサインだ。   
 そこでふたりは、三十分ほど”親密な行為をおこなった”。
 それは「より激しく、情熱的になっていきました」と、モニカは述懐する。
・そのあと大統領執務室へ戻り、クリントンは自分の席にモニカはその右側にある、いわ
 ゆる”彼女の椅子”に座って、長いおしゃべりをした。
 彼女はクリントンが喫っていた葉巻について、きわどいジョークを飛ばした。
 これなどは、のちの”葉巻事件”の先触れとも言えるだろう。
・すでにモニカは、ビル・クリントンを大統領ではなくひとりの男として見ていたが、
 つねにつきまとう不安のため、自分は彼にとっていったい何のかと自問自答を繰り返し、
 深く知り始めたばかりの男の、絶えずうわさにのぼる女たらしぶりを否定しようとした。
・一月半ば、大統領からモニカの家にかかった深夜の電話は、恐怖心を刺激した。
 しばらくおしゃべりしたあと、彼がはじめて、テレフォンセックスをしようと言い出し
 たのだ。  
 モニカは緊張し、彼を喜ばせるため何と言えばいいのかわからなかった。
 終わったあとで、クリントンの評判が頭をよぎり、また人を喜ばせたいという彼女の性
 格から、もし気に入ってもらえなかったら、もう二度と話しかけてもらえず、すぐに忘
 れられてしまうのではないかと心配になった。
 しかし、彼は、おなじみとなっていた台詞で会話を終わらせた。
 「いい夢を見ておやすみ」
・1996年当時、現在のような事態になるとは誰も予想していなかった。
 しかし世界で最も有名なオフィスラブの行く末について、やがて悪意のある憶測が噴き
 出すのは避けられなかった。
 2月の電話を堺に、ふたりのあいだのムードが変わったのを、モニカはすぐに感じ取っ
 た。その日を最後に大統領から電話が来なくなったのだ。
・その日、彼が家に電話してきて、2週間ぶりにおしゃべりをした。
 会いに行ってもいいかと彼女は尋ねたが、クリントンの態度は煮え切らない。
 そこではっきりした返事のないままモニカは大統領執務室を訪れるのだが、そんなこと
 は、このときが最初で最後だった。
・大統領の署名をもらうよう見せかけるために、書類の束を用意して大統領執務室へ行き、
 ドアの外にいる常駐にシークレットサービスに入室許可をもらった。
 不安におびえ、今にも泣きそうだったモニカは、すぐに何かが変だと感じた。
 自分の席に座っていた大統領は、モニカをひとりの人間として好いているが、この関係
 には大きな罪悪感を持っていると切り出した。
 ヒラリーと娘のチェルシーを傷つけたくない、結婚生活を続けたいのだ、とも。
・クリントンはお別れに彼女を抱きしめ、これからも友人でいようと告げた。
 モニカは気をしっかり持とうとしたが、頭の中は混乱していた。
 家に帰る途中、泣いて意気消沈し、その日の終わりにふさわしいというべきか、タイヤ
 までパンクした。  
・1995年12月、モニカは親友のキャサリン・オールデイ・デイヴィスに、大統領と
 の火遊びについて打ち明けていた。
 最初、キャサリンはふたりの関係を、刺激的だが長続きするようなものではなく、モニ
 カの頭の中からアンディ・ブライラーを追い払うにはちょうどいい、くらいに考えてい
 た。
 けれど、自分で自分を痛めつけるモニカの性格を知っていたキャサリンは、時間が経つ
 につれて、だんだん心配になっていった。
・3月の日曜日、大統領が罪の意識から別れを宣言して、たった6週間で、ふたりは以前
 と同じ習慣へと戻ってしまった。 
 モニカは昼休みに書類を持って執務室へ行った。
 以前モニカの小さいころの写真を持っていったことがあり、それを見て大統領は、2歳
 の子どもにしては暗い顔をしていると批評した。
 そのときはネクタイと、書類の束の中に、エロチックでばかばかしい詩を忍ばせていた。
 ふたりはキスと激しい愛撫に溺れ、モニカは、みだらなやりかたで大統領の葉巻を湿け
 らせた。
 この密会のあと、モニカは恋に落ちたことに気づいたのだ。
・大統領との関係を見抜いたのは、ひと握りの親友たち、それに母とおばだけだった。
 同僚たちがモニカを、西棟と大統領のまわりをうろちょろする若い娘としか考えないの
 はしかたがない。 
 女性職員が大統領にお近づきになりたがるのは、それほどめずらしくない現象なのだ。
 そういう女たちは”クラッチ(男の気を引こうとする女)”と呼ばれたりするが、モニカ
 も一部の人々の目には”クラッチ”だった。
・スキャンダルの発覚で、ホワイトハウスの側近たちは、”大混乱”に陥った。
 彼らはモニカ・ルインスキーを、無垢を装って妻子ある男を惑わし、故意に大統領を罠
 にかけようとしている悪女だと決めつけた。
・3月にモニカが大統領と秘密の時間を過ごしているとき、ホワイトハウスでは彼らを引
 き裂こうとする刃が研がれていた。
 副補佐官は、大統領のそばや執務室でしょっちゅううろうろしているモニカに目をつけ、
 上司であるティム・キーティングに「彼女をここに来させないように」と言い渡した。
 そして、「なれなれしすぎる」という理由をあげて、ホワイトハウスをやめさせようと
 した。 
・1996年4月、キーティングはモニカを呼び出して、突然の一撃を浴びせた。
 ホワイトハウスでの仕事を辞めさせる本当の理由には触れず、議会対策局の文書を担当
 するセクション全体の再編成のため、解雇ではなく国防総省へ異動すると言ったのだ。
 モニカの機嫌をとるために、次の仕事は今の仕事よりずっと”セクシーなきみにふさわし
 い”とまで話したが、彼女の耳にはまったく届いていなかった。
 彼女の胸はつぶれそうだった。家に戻り、泣き疲れて眠るまで泣いた。
・モニカは解雇される二日前、モニカはアパートで悲しみに沈む、ぼんやりしていたが、
 大統領からの電話で白昼夢は破られた。
 自分のことを話すうちに涙が止まらなくなり、会いに行きたいと口走る。
 「まず、何があったか教えてくれ」
 モニカがしゃっくりをあげながら、自分を苦しめているニュースを話すと、彼は言った。
 「きっとわたしに関係があるのだろう。わかった。こちらに来てくれ」
・復活祭の日曜日だった。週末にずっと泣き続け、その午後、大統領の部屋に着いたとき、
 モニカの顔は”ぼろぼろ”だった。
 大統領のほうも、モニカが解雇されたことに驚き、何よりもあまりに急だと腹を立てた。
 「11月の選挙に勝ったら、必ずここに戻すと約束するよ」
・しかし、感情面ではおかしな密会あった。
 いつもと同じく、ほとんど決まりきったやりかたで愛撫を交わしたが、このときだけは、
 モニカが一方的に「奉仕している」ような気がして、甘美な時間を共有しているとは思
 えなかった。
・彼らの夢のような瞬間は、その前にも一度、電話で邪魔されていたが、首席補佐官が大
 統領を呼びに来て、ふたたび阻まれた。
 彼が執務室へ戻ると、モニカは見つかるのを恐れ、大急ぎで億のドアから外に出た。
 奇妙で落ち着かない一日は、満たされないまま終わった。
・この哀れな物語全体で、おそらくこれが一番の皮肉だろう。
 モニカは大統領との情事のためにホワイトハウスでの職を失い、この日から一年近く、
 大統領とふたりで会うことはなかった。
 ところが結局、体のいい免職のきっかけとなったこの情事を、彼女は不当に職を得るた
 めに利用したと非難されることになったのだ。

テレフォンセックスの日々
・真剣で熱を帯びた会話は深夜まで続いた。
 1970年の夢渦巻くオックスフォード大学で、人生の階段を上がろうとしている24
 歳のローズ奨学生にふさわしい討論の場だった。
・顎ひげをはやしたビル・クリントンは友人のマンディ・マークと話していて、その夜は、
 セックスと政治の問題が最初の話題にのぼった。
 議論の的は、1969年に起こった、民主党の若い選挙運動員メアリー・ジョー・コペ
 クニの悲惨な死のことだった。
 マサチューセッツ州上院議員、民主党の大統領選有力候補と広く目されていたエドワー
 ド・ケネディの運転する車が、チャパキディック島で橋から転落したとき、泥水の中に
 沈んだ女性である。(チャパキディック事件)
 この事故で彼の大統領への望みは絶たれた。
・学生時代にキャピトルヒルで働いたことがあり、政治の世界の二重基準を強く感じてい
 たクリントンは、セックスと権力の関係について思いをめぐらし、自分なりの意見を固
 めていた。彼は友人にこう語っている。
 「政治に関わると、男は権力と大きな自負心を手に入れるから、女に対しても傲慢にな
 る。ぼくは絶対にそうならないようにしたいんだ」
 これはやや意外なコメントである。
・ロールスクールを卒業して政治家としての土台を固めると、彼の気さくな魅力と、女性
 に対するカリスマ性の風評はどんどん大きくなっていった。
 だから、1996年4月に、失意の中にあったモニカ・ルインスキーがホワイトハウス
 を去ったとき、大統領がプレイボーイだといううわさが本当ならば、そのまま何もせず、
 そのエピソードに幕を引いてしまっても不思議ではなかった。モニカが国防総省へ追い
 払われたのだから、クリントンは晴れ晴れと、次の実習生でも誰でも、好みの女性に気
 を移してもよかったのである。 
・そうしなかったところが、この男と、そしてふたりの関係のしらざる一面であり、若い
 日にオックスフォードで述懐したような彼の誠意だった。
 それから一年半にわたってクリントンはモニカに会い(ふたりきりでは一年近く会って
 いなかったが)、電話をかけ、彼女のことを考えている。
・それに対して、強迫的な気持ちになり嫉妬にかられ、興奮しやすくなっていたモニカは、
 アメリカ合衆国大統領との不倫を、ほかの人との関係と同じだと思っているようにふる
 まった。
 自分にはそうする権利があるという思いが高じて、クリントンの無言の献身を当然のご
 とく求めていたのだ。
・”クリントン=ルインスキー”、スキャンダルの数ある皮肉のひとつは、性的な関係につ
 いてスター・リポートが、ご親切にも、猥雑な詳細を延々と説明しているにもかかわら
 ず、結局、彼らの関係は中途半端のまま最後までいかず、不完全だったということだ。
 感情の深いところまで通じ合ってはいたが、成熟した十全の性的関係を結ぶには至って
 おらず、モニカはそれにいらだち始めていた。
・都合よく切れ捨てられるセックスフレンドとして利用するどころではなく、50歳の大
 統領がこの20代の前半の娘に執着したのには、もっと深い思いがあったようだ。
 何カ月も経つうち、モニカもまた、公人としての仮面の下に隠された彼の真の姿、疑念
 にさらされ罪悪感に苦しめられる欠点だらけの人間、それでいて感情に乏しく、傷つき
 やすい孤独な男を理解するようになった。
 かつてさびしさを紛らわすために夜中までサキソフォンを吹いていた政治家が、今度は
 受話器を握りしめてモニカ・ルインスキーに電話せずにはいられなくなっていたのだ。
・クリントンに面と向かって「キッド大統領」と呼びかけ、怒っているとき「いやなやつ」
 と悪態をつく、この生き生きとした議論好きの女の子と一緒に過ごし、話をしたくてた
 まらなかったように思える。  
 クリントンは、モニカを見ていると、母のヴァージニアを思い出した。
 その母は、残念ながら、クリントンが再選を果たすのを見ずに、1994年に乳癌で亡
 くなった。
 「きみは母のように溌剌としている」
 と、彼は言っている。
・どれほど互いに惹かれ合っていたとしても、情事とその悲惨な結末を通じて、モニカは
 大統領の感情的、性的な不安に振り回され、多くのことを犠牲にした。
 ふたりの関係をリードするのは、ビル・クリントンで、モニカはいつもそれに従って、
 電話がかかってくるのを今か今かと、じっと待っているだけだった。
 このような状況で、モニカの愛は脅迫的な形となり、起きているあいだはもちろんのこ
 と、夢の中でも彼女を悩ますようになった。
 主導権を取りたがる若い女性にとって、この関係は手に余るもので、彼女はすっかり消
 耗して、もともとの不安とノイローゼを悪化させた。
・しかし現実には、彼女を救い出す魔法はなかった。
 スター・リポートには彼女が性的に進んだ女性のように描かれているが、実際のモニカ
 には、この種のロマンスに対処できるほどの器量はなかったのだ。
 事実、経験不足と未熟さが、あとに続く災難を招く一因となった。  
・不義のロマンスを続けていけるという、はかない望みが打ち砕かれたのは、1996年
 4月、国防総省のオフィスに入ったときだった。
 そこはホワイトハウスとは対照的で、モニカの心は沈んだ。
・席についた瞬間、ここは自分のいる場所ではないとわかった。
 政治には多少なりとも関心を持てたが、国防についてはまったく興味がなく、延々とテ
 ープを聞いて記録する仕事は、退屈きわまりなかった。
 まわりにはモニカのようなタイプも、同じ年代の職員もいなかった。
 その後の6カ月間、モニカは歯を食いしばって苦行に絶えながら、約束どおりホワイト
 ハウスに仕事が見つかったという大統領からの電話を待ち続けた。
・だが、当時のモニカの生活がひらすら禁欲的で、大統領にだけ操を立てていたと思うの
 はまちがいだ。  
 例えば一時期、彼女はある男性とデートしていた。
 名前は”トーマス”としか明かしていないが、国防総省に勤めていた。
 いかつな顔ながら魅力的な年上の男性で、出会ったのは1996年のボスニア出張のと
 きだった。
 その旅行から帰ったすぐあと、モニカは彼とデートし、そのとき彼の家に泊っていかな
 いかと誘われた。
 しかし大統領からの
 電話があるかもしれないと思って、それを断った。
・国防総省のトーマスとのロマンスが始まり、モニカ自身、満足していたときでさえ、大
 統領からの電話があるのではないかと、しじゅう気にしていた。
 また大統領に向かって、ライバルができたのよ、とからかわずにはいられなかった。
・1996年秋、トーマスとの3カ月の短い恋が終わった。
 皮肉にも、彼がほかの女性と会っていたからだ。
・そして1996年10月、ふたりの関係が終わろうとしていたとき、モニカは自分が妊
 娠していることに気づいた。
 シングル・マザーには絶対になりたくなかった。
 子どもを持つ前に、円満な人間関係を何としても築いておきたかったからだ。
 だから、つらかったが泣く泣く中絶手術を受ける決心をした。
 東海岸では適当な医者が見つからず、また手術費用の支払いのことでトーマスと口論に
 なり、結局おばのデブラから金を借りなければならなかった。
 トーマスは病院まで付き添ってくれると約束していたが、ふたりのあいだがぎくしゃく
 していたので、モニカはひとりで行くことにした。
・中絶、仕事についての不安、ホワイトハウスへ戻る望み、大統領との苦悩に満ちた関係、
 そしてワシントンでの孤独、すべてが重なり合い、モニカは階段をころげ落ちていくよ
 うだった。
 この悲しみと、孤立と、憂鬱にさらされていた時期から、リンダ・トリップの暗い影が
 モニカの人生を支配し始めたのである。
・かつてアメリカ人のほとんどが、リンダ・トリップの名をしらない時代があったなど、
 今ではとても信じられない。
 こんにち、モニカとビル・クリントンの関係を暴露し、大統領をついに弾劾裁判に追い
 込んだのが、彼女の陰謀だったことは誰でも知っている。
 だがその動機となると、よくわからないというのが本当のところではないだろうか。
・1950年に生まれ、ニュージャージーで子ども時代を過ごしたリンダ・トリップは、
 モニカが体重を気にしていたのと同じように、容姿のことで悩んでいた。
 14歳ですでに身長が170センチ以上あったのだ。
 背の高さ、広い肩幅、そして不格好な鼻のために、バスケットボール選手のガス・ジョ
 ンソンにちなみ、同年代の友人たちは”ガス”という辛辣なあだ名を彼女につけた。
 モニカと同じく、彼女も両親の離婚による精神的トラウマを経験している。
 さらに、離婚による慰謝料で妹は大学に行けたのに、自分はその恩恵に浴せなかったと
 いう事実が、リンダの不満に拍車をかけた。
 いずれにしても、そこそこの成績しか取れなかったリンダは、秘書専門学校入学に甘ん
 じるしかなく、卒業後じきに軍人ブルース・トリップと結婚して2児をもうけた。
・夫は順調に出世街道を進んで中佐まで昇進し、リンダも陸軍基地で秘書の仕事を得て家
 計を助けた。
 彼女は厚く信頼され、最高機密部隊であるデルタ・フォースで働くようになった。
・1990年から4年間、彼女は政治の最前線に身を置き、共和党のジョージ・ブッシュ
 政権下で、ホワイトハウス報道課の秘書として働き、ゴシップや張り巡らされた陰謀の
 話にいきがいを見出していた。
・1993年1月、民主党のビル・クリントンが大統領に就任して、トリップの世界は変
 わった。
 クリントンが引き継いでから、トリップの目には、ホワイトハウスの服装、品行、規律
 が地に落ちたように見えた。
 それに対する憎悪は、彼女の意地の悪いたくらみや、情報をリークする熟練の腕に勝る
 とも劣らなかった。
 同僚たちは彼女を、表面的には親切だが、支配的で、執念深いところがあると評し、邪
 魔する者には法的措置も辞さないと脅すのを見ている。
・1993年、ホワイトウォーター事件の処理を担当していた大統領次席法律顧問のヴィ
 ンス・フォスターが銃で自殺。
 その調査で、部下のトリップは、同僚の秘書がアルコールの問題を抱えていたと調査官
 に告げた。 
 彼女は、フォスターの最後の姿を見ていたことで、ちょっとした時に人になった。
 トリップは当時のうわさ話に一役買い、ヒラリー・クリントンに近づきすぎ知りすぎた
 という理由で、誰がフォスターに手を打ったかといった話を、陰でささやいていた。
・夫とは20年連れ添ったあと1990年代に離婚、ビル・クリントンとその政策すべて
 を嫌う保守勢力にとって、このうえない人材となった。
 リンダ・トリップは、自分の利益を最優先し、自分がいつも正しいと考え、自分を一番
 大切にしていたが、それと同時に倫理的なあやまりには激しい義憤を感じるタイプで
 あった。 
・トリップは陰ではクリントン政権をあしざまに批判していたが、人前では忠節を装い、
 大統領の特大の写真を机の上に置いていた。
 彼女とモニカが最初に口をきくようになったのも、大統領に対するこの大げさな忠義の
 証がきっかけだった。
 のちには、ホワイトハウスのポストを追われてきたという共通の事実が、ふたりをぐっ
 と近づけることになった。
・1996年11月、クリントンは、アメリカ合衆国大統領に再選された。
 モニカは、その週末中、クリントン大統領からの電話を待ってきたけれど、電話はかか
 ってこなかった。
 がっくりと意気消沈して、モニカは国防総省の仕事をただ機械的にこなし、6カ月のあ
 いだ抱いてきた夢は打ち砕かれたのだと、自分に言い聞かせた。
 それまでのモニカの人生で、最もみじめな時期だった。
・選挙から何日も経たないころ、モニカが国防総省のカフェテリアに行くと、そこでリン
 ダ・トリップを見かけた。  
 丸裸で見捨てられたようにぼろぼろだったモニカは、トリップの鼻にかかった甘ったる
 い声を聞くと思うだけでたまらなかった。
・彼女は腰をおろすや、おなじみのおしゃべりを始めた。
 「ねえ、絶対に誰にも言わないで、私は彼と付き合っていたけど、それも終わってしま
 ったの」
・それこそリンダ・トリップがほしがっていた台詞だった。
 「やっぱり!そうだと思ったわ!彼が好きそうなタイプだもの」
・あれほど用心深く情事の秘密を守ってきたモニカだったが、トリップの魔力に引き込ま
 れたように前の年の出来事を振り返った。
 トリップは、興奮を隠さず、「まだ終わってなんかいないわ」と言い切った。
・トリップに話をしたのは、友人だと思っていたからだ。
 しかし事実は、やさしく罠のほうへとおびきよせられ、知らず知らずのうちにクリント
 ンを捕らえる餌にされていたのだ。
 
”幼いビルと幼いモニカ”
・皮肉にも、1996年のクリスマスが近づくころ、モニカはある程度の落ち着きを取り
 戻していた。
 偶然の出来事と彼女自身の不在によって、男たちとの関係が逆転した。
 めずらしく彼女が主導権を握れたのだ。
・大統領が12月初めにかけてきた電話では、いつになく、長く楽しいやりとりを交わし
 た。
 国防総省のトーマスとの夏のロマンスが終わってしまったことさえ話した。
 ただ中絶については口をつぐんでいた。
 ここでもめずらしく、ホワイトハウスへ来てほしいという誘いをモニカは断っている。
 ロサンゼルスからポートランド、ハワイをまわる旅行のため、翌日の朝早く出発しなけ
 ればならないと話した。
 そのまま真夜中まで話し続け、最後には大統領が居眠りを始めた。
 大統領とのデートは実現しなかったが、モニカには、ポートランドにもうひとつ、人と
 会う約束があったのだ。その相手はアンディ・ブライラー。
・ポートランド滞在の計画を練っていたころ、ブライラーは何度も電話をしてきて、本当
 に来るのか知りたがった。
 それまでの役割が完全に逆転したわけだ。
 またモニカのほうにも、アンディとふたりだけで会いたい理由があった。
 中絶での精神的、肉体的な苦痛を経験してから、モニカは男性との行為に不安を感じて
 いた。 
 もし寝るのなら、自分がよく知っている安全な相手、彼女が悩んでいたらそれをわかっ
 てくれる男にしたいと思っていた。
 それで、ポートランドにいるあいだに、アンディ・ブライラーと、これっきりのつもり
 でベッドをともにしたのだ。
・そういうこともあって、そのときのモニカは人間関係に満足していた。
 それに自分がきれいになったという自信を持っていた。
 ハワイで日焼けしたし、体重も減っていた。
 実際にこのころは、かつてなく痩せていて、大統領も、もちろんそれを見逃さなかった。
・1997年2月、トリップはモニカに、クリントンの行動パターンを知るため、大統領
 と会ったり電話で話したりした日付を、日記を調べて確認し、ふたりの関係を細かく思
 い出すべきだとせっついた。
 大統領と取り合った連絡を、表にまとめてみなさい、とまで言った。
 今ではそれが、トリップ自身のよこしまな目的に利用するためだったとわかる。
・クリントンのためらいは2月の行動によく表れている。
 大統領は関係を終わらせようとしながらも、感情的、精神的にモニカに引き戻され、罪
 の意識が彼女への欲望と闘っていた。
 政治家であり夫である部分が、男であり愛人である部分と衝突していたのだ。
・2月初めに、彼らは自分たちのロマンスについて、電話で長いこと話し込んだ。
 このときもまた、関係を終わらせなければならないと切り出し、彼女を傷つけたくない
 と言った。
 これはモニカの精神的な弱さを知ったうえでの思いやりだろう。
 しかし会話を続けるうちに、結局はテレフォンセックスになってしまい、また電話する
 と約束して受話器を置いた。
・秘書のベティ・カリーからが電話をかけてきて、その週に予定されている、ラジオ演説
 に招いてくれた。
 ラジオ演説には、ほかに6人しかいなかったがモニカはそのあいだじゅう、あとで大統
 領とふたりきりになり、ずっと前からの約束どおりに会って抱擁できるかどうか、不安
 におののいていた。
・録音が終わって写真を一緒に撮ると、大統領がモニカに、渡すものがあるから秘書の部
 屋に行くようにと告げた。
 あいにく大統領付きの職員で、ボスの時間の過ごしかたにうるさいスティーヴ・グディ
 ンもそこにいた。
 秘書のカリーに聞いたところ、グディンは、大統領が実習生とふたりきりにならないよ
 う通告していたという。
 だからしばらく待ったあとで、秘書がモニカを大統領執務室から私室のほうへ通してく
 れたときには驚いた。
 秘書はふたりを残して、その場を離れた。
・大統領とふたりきりになるのは、10カ月ぶりのことだった。
 書斎に入るとモニカは言った。
 「こっちに来て、キスして」
 彼はいつもとちがって、楽しみを長引かそうとするように彼女を押しとどめた。
 「待て、待て、少し我慢するんだ」
・ロマンチックな雰囲気に包まれて、彼らはバスルームへ、奥の部屋の隔絶された場所へ
 と移り、”たわむれ始めた”。
 およそ1年ぶりのキスをしたあと、彼は体を離して言った。
 「よく聞いてくれ、大事なことなんだ。私たちは本当に気をつけなければならない」
・しかし愛撫の手は止まることなく、より濃密になっていった。
 オーラルセックスの最中に大統領がモニカを押しのけると、彼女は最後までしてあげた
 いと言った。 
 しかしクリントンは
 「きみに溺れたくない、きみも私に溺れてほしくないんだ」
 とつぶやき、ふたりは抱き合った。
 このとき大統領は抱擁をやめようとはせず、はじめてモニカの前で果て、少量の精液が
 紺のワンピースに飛んだ。
 モニカにとってこれは、新しい段階をしるす出来事で、完全にひとつになれる日が近づ
 いていると思われた。  
・その夜、モニカは夕食を外で食べた。
 そのあとでルーズな彼女らしく、紺のワンピースをそのままクロゼットにかけておいた。
 しみがついていることに気がついたのは、次にその服を着たときだ。
 生地についたその小さなしみが、大統領のものかどうか、はっきりわかっていなかった
 ので、彼女はネイサとキャサリンに、もし彼のせいからドライクリーニング代を払って
 ほしいわと冗談を言った。
・モニカは彼の生々しい夢を見た。
 驚いて目を覚ましてテレビをつけると、クリントンが転倒して膝にひどい怪我をしたと
 いう。
 これは不思議な偶然であり、感情的に高ぶったモニカは、やはりふたりは精神的なきず
 なで結ばれていると感じた。
・破れていたネクタイを交換するという口実で、やっと大統領に会えたのは3月だった。
 大統領はいきなりキスを求めてきた。それはすぐに、より親密な触れ合いになったが、
 まだ松葉杖をついていたので、ロマンチックというよりは滑稽なシーンだった。
 モニカはオーラルセックスで、大統領を最後まで導いた。
 そしてこのときふたりははじめて、性器を「挿入せずに」接触させた。
・大統領とモニカが話しているあいだに、彼はまた、用心しなければならないと強く言っ
 た。  
 ふたりが関係を持ち始めてからずっと、モニカは誰にも話さないし、彼が不利になるよ
 うなことは決してしないと誓っていた。
・約束の5月、モニカがいつものように、プレゼントを持っていった。
 大統領執務室へ通されるとクリントンが待っていて、ふたりでダイニングルームへと移
 り、モニカはそでプレゼントを渡した。
 そして奥の書斎に入り、”ふざけ合う”のをモニカは待っていた。
・このときクリントンが突然、口を開いた。
 何かおかしいと思ったモニカの直観は正しかった。
 大統領はもうふたりの関係に喜びを感じない、だからこれで終わりにしたいと言ったの
 だ。 
 自分にとっても、家族にとっても正しい行為ではなく、神の目にも正しい行いとは認め
 られないはずだと告げた。
 続けて既婚の男が婚姻外の関係を持ったために受ける苦しみと悩むに触れた。
 そして妻と娘のチェルシーがすぐそばのホワイトハウスのプールで泳いでいるときに、
 自分の心にある激しい苦しみを吐露し始めた。
・これまでずっと、人が知らない生活を、嘘とごまかしに満ちた人生を送ってきたと大統
 領は言った。 
 幼いころは親に嘘をついていた。
 頭がよくて自分の行動の結果をわかっているにもかかわらず、誰も知らないのをいいこ
 とに、その隠された生活を続けた。
 誰も真実のビル・クリントンを知らなかった。
 29歳で結婚してからも、秘密の人生は続いた。
 浮気の数がどんどん増えていくにつれ、クリントンは人を欺く自分の才能ばかりでなく、
 自分自身さえ欺けることを、しだいに恐ろしく感じるようになった。
 40歳を迎えたころは結婚生活もうまくいかず、自分や他人に対する態度にもうんざり
 し、宗教的なしつけと生来の性格とのあいだでもがくことにも、ほとほと嫌気がさして
 きた。
 ヒラリーと離婚し、政治の舞台からも永久に退いてしまおうかとも考えた。
  
クリントン大統領のふたつの顔
・警告も、拒絶も失望さえもことごとく無視して、モニカは、どんな仕事でもいい、ホワ
 イトハウスに戻れるなら、大好きなあの人のそばにいられるなら、と夢を見続けた。
 しかも、そのことを大統領が知っていたという。
 「私は大統領にはっきり言いました。いつだって大事なのは、仕事があることより、私
 の人生の中に大統領がいることだと」
・必要なら、地位の低い、ゆえに収入の少ない仕事でもかまわない。大金を一度も手にし
 たことのないモニカにとって、給料の安さは些細な問題ではないけれど、覚悟はできた
 いた。 
・5月下旬、大統領がモニカとの関係を断ち切る少し前、待ち望んでいた就職の機会が訪
 れた。
 ホワイトハウスにある国家安全保障担当事務所の業務。つまり、国家安全保障会議顧問
 のサンディ・バーカーを補佐する仕事だ。
 おまけに、大統領専用機に乗れるかもしれないという特典までついている。
 モニカは夢中になった。
・面接は、大統領との悲しい別れからちょうど1週間後だった。
 大統領は以前から、モニカがホワイトハウスへの就職をいつ申し込むか、自分か秘書に
 教えるようにと、何度も念を押していた。
 モニカは大統領が発する一語一句に疑いすら抱いたことがなかった。
 モニカにとって、大統領の言葉は、どんな出まかせであっても、約束と同等の意味を持
 っていた。 
 こうした安心感に包まれ、モニカは大統領執務室に電話をかけたが、あいにく大統領も
 秘書も不在だった。
・国家安全保障会議の最初の面接のあと、モニカはホワイトハウスの人事担当副部長マー
 シャ・スコットに連絡を入れた。
 モニカのホワイとハウスへの異動についてはスコットが取り組んでいる、と大統領から
 言われていたのに、スコットの部下の話では、上司はモニカのことなど何も聞いていな
 いという。モニカはショックを受け、うろたえた。
・不安と不幸を引きずりながら、ワシントンでひとり、さびしさを募らせ、孤独をかみし
 めるうち、自分を励ましてくれるひとりの人間に救いを求めるようになったとしても、
 べつに不思議ではない。その人の名はリンダ・トリップ。 
・ふたりの女性は、大統領の電話やメッセージの言葉を徹底的に分析し、討論を重ねた。
 トリップは、モニカのホワイトハウス復帰が遅れているのは大統領のせいなのだから、
 責任を取ってもらうべきだ、とモニカをそそのかした。
・1997年6月、トリップにけしかけられ、大統領宛てにぶっきらぼうな短い手紙を送
 った。 
 大統領が私のホワイトハウス復帰を真剣に考えているなら、私に仕事を与えるように取
 り計らうべきです、という文面だった。
 手紙の効果があったらしい。ほどなく、マーシャ・スコットが電話をよこし、自分は手
 術後、仕事に戻ったばかりで”見落とし”があったと、不手際を詫びた。
・数日後、モニカはスコットのオフィスへ出向いた。
 面接のあいだ、スコットは、大統領との関係、そして、ホワイトハウスを辞めて理由に
 ついて、多くの質問をぶつけてきた。
 それに対して、モニカは、”根も葉もない”噂だといい、大統領とは友人として親しくし
 ていたのに、ホワイトハウスの上級スタッフ、なかでもエヴリン・リーバーマンが、
 モニカの態度を”不適切”であると感じたからだ、と説明した。
・スコットはまた、国防総省より給料が安く、責任ある業務や特典の少ないホワイトハウ
 スに、どうしてそんなに戻りたいのか、興味を示した。
・面接を2回受け、最終選考まで残ったものの、モニカは就職できなかった。
 スコットに電話を入れ、不合格の理由を聞き出そうとしているうちに、モニカはひどく
 腹を立て、取り乱した。
・面接が終わったあと、モニカは人事担当のスコットに、”感情むき出しの”礼状を送った
 が、その手紙は、スコットの最も恐れていた心配をふたたび呼び覚ます結果となった。
・6月、リンダ・トリップに励まされ、モニカは大統領本人に、就職の相談をしたいので、
 ぜひ会ってほしいと懇願する自筆の手紙を送った。
 注目すべきは「自分自身を使い捨てか、使い古しの、取るに足らない存在に感じます」
 というくだりで、これはリンダ・トリップがつけ加えたものだった。
・翌日、モニカは秘書のベティ・カリーに電話をかけたが、大統領は忙しくて会えない、
 と言われた。  
・大統領に手紙を送ってから、モニカは2,3日やきもきしていた。
 やがて、怒りが頂点に達する。
 7月の朝、モニカは目覚めるなり、大統領に思いのだけをぶちまける手紙を書こうと決
 心した。   
・その手紙を特大サイズの封筒に入れ、ホワイトハウスの北西門でベティ・カリーに手渡
 した。数時間後、ベティが電話をよこし、翌朝、ホワイトハウスに来るようにと告げた。
・執務室から出てきた大統領は、冷ややかな目でモニカをじろじろと眺めてから、中へ入
 れるように合図した。 
 ふたりが奥の書斎に入ろうとしたとき、ベティがモニカの視線をとらえ、
 「いいね、泣かないこと」
 と言って、ふたりきりにした。
 ふたりはいつもの場所に座った。
・そして大統領は責めるような声で話し始めた。
 「きみに言っておくことが三つある。ひとつは、アメリカ合衆国大統領を脅迫すること
 は違法行為だ。ふたつ目は、きみが送ってきた手紙だ」
 大統領がその先を言う前に、中身を読んだかどうか尋ねると、第一段落を読んだだけで
 捨ててしまった、という答えが返ってきた。
 それから三つ目を指摘しないまま、大統領は厳しい口調で説教を始めた。
 大統領に対してああいう物言いをすべてきではない。私はモニカの力になろうとしてい
 るのだ。ああいう感傷を文書に残すべきでない。モニカは恩知らずだ、とまくしたてた。
・モニカも負けじと応酬した。
 大統領の欠点を並べ立て、特に職を見つけてくれなかった点を激しく非難した。
 そこまできて、ベティの警告もむなしく、モニカの目から涙がどっとあふれた。
・クリントンはすぐにかけ寄って、モニカを抱きしめ、髪を撫でながら、
 「お願いだから、泣かないで」
 と言った。
 モニカは大統領の肩に顔をうずめ、その身を預けていたが、窓の外を庭師が歩いている
 のに気づき、ふたりはその場を離れた。
 バスルームの近くへ行き、大統領はドアに背を持たせたまま、モニカの打ちひしがれた
・体を抱きしめて言った。
 「きみや私のような、胸に炎を抱えた人間に対して、どう反応すればいいかわからない
 人々が、世の中にはたくさんいる。われわれは俊敏に、情熱的に物事に取り組むが、と
 きとして怒りにわれを忘れてしまう。感情を抑えることを覚えないと、他人をすくませ
 るだけだ。私なら君を抑しきれるが、ベティに無理なんだよ」
・ふたりが話しているあいだも、大統領はモニカを抱きしめたまま、ロマンチックに、し
 かも欲情をたぎらせて、愛撫を繰り返した。
・モニカは、それまでほとんど話題にしなかった大統領の結婚生活について話し続けた。
 「よけいなお世話かもしれないけど、あなたと奥さまは、普通の人じゃ理解できないレ
 ベルでつながっているんでしょうね。深いきずながあることは疑いようもないけど、奥
 さまは冷たい目をしているように思えるの。あなたは家庭の温かさを求めているようだ
 し、お嬢様が唯一の宝じゃないかしら。愛情が豊かで、愛情を必要としているあなたは、
 愛を与えられて当然だわ」
・それから数日後、モニカと大統領は、マドリッドで開かれたNATOの会議で再び顔を
 合わせた。国防総省から派遣されていたモニカは、アメリカ大使公邸で催されたレセプ
 ションで、大統領とまなざしを交わした。
 ハンガリー、ウクライナ、ブルガリアまでまわる、あわただしいヨーロッパ諸国訪問を
 終え、モニカは疲労と時差ぼけを引きずりながら帰国した。
 すると、ベティ・カリーから電話があり、ホワイトハウスで大統領と会うようにと指示
 された。  
・モニカはあさはかにも甘い期待を抱いていた。
 マドリッドでの官能的まなざしによって、いったんは情事に幕を下ろした大統領の決心
 が揺らぎはじめたのではないか、と思い込んだのだ。
 幻想はすぐに吹き飛んだ。
 大統領はよそよそしく、他人行儀で、そのうえ、腰の痛みを訴え続けていた。
・これといった前置きもなく、大統領はずばりと、例の”同僚”とはリンダ・トリップの
 ことかと尋ねた。 
 モニカはそうだと答える。
 そのあと大統領はモニカに告げた。
 モニカしか知り得ない事実を、モニカがトリップに教え、それをトリップが記者に話し
 たのだろう、と大統領は言った。
 モニカはその事実を認めたが、嘘もついた。
 秘書のベティ・カリーから聞いた話だとトリップには言ってある、と話したのだ。
・だが、この日を境に、モニカはリンダ・トリップに対して用心深くなった。

・数日後、またもやひどい仕打ちを受ける。
 9月の第一週に、”むかつく女”とモニカが呼んでいる人事担当のスコットから電話が
 あり、ホワイトハウスにモニカの働く場所はないと言われたのだ。
・この衝撃の知らせを受けたあと、心の痛みがほんのわずか和らいだのは、秘書のベティ
 ・カリーから、紙袋いっぱいのみやげを手渡されたときだった。
 中には、大統領がマーサズ・ヴィニャード島から買ってきてくれた木綿のワンピースが
 入っていた。  
・今や、ジェットコースターが急降下していた。
 モニカは押し寄せる憂鬱の波にまたしてものみ込まれてしまった。
 ベティ・カリーに電話しては、職探しのことで大統領と話をさせてほしい、大統領と会
 わせてほしいと懇願する。
 そのたびにベティは、大統領は手が離せない、大統領は会議中だとはぐらかした。
・ここまでくると、モニカのホワイトハウス復帰への野望は、何がなんでも果たしたいと
 いう欲求に支えられ、まるで専門職へのゴールを目指すかのような密度の濃いものにな
 っていた。 
 そしてもちろん、何よりも、ただ大統領のそばにいたいという抗しがたい想いがあった。
・この切迫した時期、モニカがあらゆる支えや慰めを必要としているときに、友人であり、
 よき相談相手でもあるリンダ・トリップの態度が、どういうわけか、いきなり180度
 変わってしまった。
 10月の初めから、敵意をむき出しにして、議論を吹っかけるようになり、ホワイトハ
 ウスへの復帰を励ましてくれたころとは打って変わって、モニカに断念するよう、強引
 に自説を押し付けてきたのだ。
 モニカはワシントンを離れるべきで、大統領はどこか別の街にモニカの仕事を見つけて
 やるべきだわ、とトリップは言った。
 モニカは、親友だと信じていたこの人のこの変貌ぶりに驚きあきれ、深く傷ついた。
・トリップの背信行為が本格化したのは、8月、大統領とその愛人たちについて、”内幕
 本”を書くつもりだとモニカに告げてからだ。
・1997年3月、クリントンとモニカとの関係をイシコフに最初にほのめかしたのもト 
 リップだった、 
・1997年10月、トリップはひそかに、友人からの電話の録音を開始した。
 こうすることにより、さまざまな出来事を独立した証拠として扱うことができる。
・ずっとあとになって明らかになったのだが、リンダ・トリップは本当に”内幕本”を出
 すつもりでいて、モニカには書かないで言っておきながら、モニカと大統領との情事の
 詳細を入れる予定だった。
・一冊の著書。ただし、これを書いている時点では、もしかすると、トリップはそれ以外
 の動機があるかもしれない。
 学校や家庭での軽視や侮辱に対する積年の恨みを晴らすとか、嘘つき呼ばわりして就職
 の邪魔をしたホワイトハウスに対して一矢を報いるとか、言いたいだけ言って、ひどく
 落ち込む、彼女の大嫌いな娘を懲らしめ満足感にひたるとか・・・。
・リンダ・トリップの目からから見れば、モニカ・ルインスキーは、富裕階級に生まれた
 という最も重い罪を犯してはいないだろうか?モニカは若く、きれいで、教養があり、
 性的に開放されていて、洗練された裕福な両親の愛を受け、思いやりのある友人たちに
 支えられ、大物たちから後援を受けていた。
 そういう人間たちすべてに、誰が支配者なのかを見せつけてやらなければならない。
 とりわけ、モニカに・・・。
 
「誰だって就職のときは力添えしてもらうわ」
・モニカは大統領に、謝罪と仕事のふたつを要求していた。
 大統領は、「私の人生を台なしにするのに力を貸したと認める」べきだと、トリップと
 の電話で言った。
 「もし、妻子ある人とふたたび関係を持ちたくなったら、しかも相手が大統領だったら、
 私を撃ち殺してね」
  
・その週末、ほかの選択肢を考えているうちに、国連で働きたいとは思っていないことに
 気がついた。
 あまりにも国防総省に似た環境だからだ。
 就職先の希望リストを大統領に送るとき、国連に監視ては気持ちが変わり、むしろ、自
 分が挑戦したくなるような、興味や関心の持てる公報関係の仕事に就きたいと書き添え
 た。
・遅かった。今度だけは、大統領もすでに行動を起こしていて、ただちにモニカを国連本
 部の職に就かせるよう、ベティ・カリーに伝えてあった。
・その結果、10月下旬のある週末、「リチャードソン大使からです。お待ちください」
 とモニカに告げる電話の女性の声に、あわてふためくことになるのだった。
・戸惑いながらも、やや迷惑に感じたモニカは、ベティ・カリーに電話して、自分の就職
 物語がここにきて歪曲されていることを大統領に伝えたい、大統領がモニカを国連で働
 かせようとしているのが気がかりだ、と話した。
・面接を控えたモニカの神経は、リンダ・トリップとの”奇妙な”会話で、さらにいっそう
 高ぶった。  
 国連大使との面接が、ウォーターゲート・ビル群にある大使のスイートルームで行われ
 ると聞かされ、トリップは火のように怒った。
 「私が生きているかぎりは、あのホテルの部屋へは行かせないわ!連中はあなたを罠に
 かけようとしてるのよ!」
 保護者の鑑、トリップが言った。
 相手の機先を制するためにも、面接はホテルのダイニングルームで行われるよう、モニ
 カのほうから要求すべきだと繰り返し説いた。
・モニカは友人のしつこさが尋常でないと思ったが、その動機までは疑ってみなかった。
 実際、トリップにしつこくねばらせたのは、モニカと大統領のふたりの名誉を傷つける
 目的があったのだ。
・記者のひとりを手配して、ホテルの客を装わせ、ダイニングルームに座らせておくつも
 りだった。
 その飢者が、モニカとリチャードソン大使が一緒にいるところを目撃すれば、大統領が
 みずからの立場を悪用して、恋人に政府関連の仕事を斡旋しているというトリップの主
 張を立証することができるだろう。
・モニカの周囲の人たちは、大統領がモニカのために尽力するのは、当然のことだと感じ
 ていた。 
 モニカは大統領との情事が原因でホワイトハウスの仕事を失ったのだから、それに1年
 もはぐらかされてきたのだから、大統領は道徳にかなったことをして、モニカの別の勤
 め口を見つけてやるべきだ。
 「大統領がモニカの職探しに力を貸してくれるのは、フェアで、筋の通ったことだと、
 わたしたちはみんな思っていました」
 と、おばのデブラは言う。
・その年トリップは、モニカに励まされて、長期ダイエットを行ない、モニカの大きめの
 服がぴったり合うところまで、減量に成功した。
 そこで、祝いの意味を込めて、モニカは、トリップを自分のアパートに招待し、”でぶ
 のクロゼット”とモニカが呼ぶ衣装だんすから服を選んでもらうことにした。
 ワードロープを点検しながら、トリップに似合いそうな服を取り出していたとき、モニ
 カは友人に、大統領の精液がついた今や悪名高き紺のワンピースを見せてしまった。
・そのワンピースを記念品として、あるいは証拠品として、保管していたわけでもないし、
 保管を勧められたわけでもない。着られなくて、2月以来着ていなかっただけだ。
 モニカの体重な常に大きく変動していて、次のその服を着ようとしたとき、ボタンがき
 とんとはまらなかった。
 無頓着でだらしがないのに、お金のことには几帳面なモニカには、それをただちにクリ
 ーニングに出す理由がみつからなかったのだ。
・しかし、11月までに、モニカの体重もその服を再び着られるまで減っていたので、
 サンフランシスコにいる父親の家族とともにする感謝祭のディナーに着ることにした。
 今度こそ、クリーニングに出さなければならない。
・そこで、モニカは人生最大のへまをやらかしてしまった。
 モニカはリンダ・トリップにその予定のことを話した。
 いつかそのワンピースがきわめて重要な補強証拠になるかもしれない、と思ったトリッ
 プは、なんとかしてモニカに気持ちを変えさせようとした。
 トリップは、強く、さらに激しく、ワンピースをそのままにしておくよう、モニカに忠
 告した。  
 貴重な証拠を失う可能性を目の前にして、トリップは、そのワンピースをビニール袋に
 入れて保管しておくよう、モニカにしつこく忠告した。
 なぜそうしなければならないかモニカが困惑をあらわにすると、トリップは不気味な声
 で言った。
 「私の頭の奥にうごめく恐ろしい予感よ」
・モニカにはそのワンピースを記念品にするつもりがまったくなかったので、どうも納得
 がいかない。 
 すると、トリップは方針を変えてきた。
 その後、再びオフィスで雑談をしていたとき、トリップが再び、例の服を着る計画をあ
 ざ笑ったが、今度は、モニカがあのワンピースを着ると、すごく太って見えるから、ほ
 かのにしたほうがいいと提案したのだ。
 子どものころから体型のことを気にしているモニカは、友人のアドバイスを聞き入れ、
 あのワンピースをクロゼットにしまっておくことにした。
・しかし、この問題はこれでは終わらない。
 同じころ、モニカはトリップとさらに奇妙な会話をしている。
 オフィスで談笑していたときのことだ。
 トリップが、お金に困っているので、昔の服を売って現金に換えることにしたという。
 友だちがその日トリップが着ていたスーツをほしがっているから、モニカのアパートへ
 行って、代わりに着るセーターとスカートを貸してほしいと頼む。
 モニカがトリップと一緒に行こうとすると、トリップは、その申し出をはねつけた。
 モニカの手を煩わせるまでもないので、ひとりで行くと言い張る。
 モニカが異論を唱えると、トリップはますます強情になった。
 モニカが、自分の住まいに他人をひとりで行かせるのは、気分のいいものではないと言
 えば、トリップは、自分を信頼していない証拠だとモニカをなじる、
 結局、トリップが横柄に自分の要求を取り下げ、モニカは茫然としながらも、また仕事
 に戻ったのだった。 
・モニカは、スキャンダルが発覚してはじめて、トリップの魂胆に気がついた。
 つまり、トリップとゴールドバーグが”冗談”で、モニカのアパートから精液がついた
 あのワンピースを盗み、情事の証拠として使うことを計画していたと報じたときだ。
 
スター独立検察官の登場
・トリップは日ごろ、モニカと大統領との関係をぜったい誰にも話さないと言っていたの
 で、モニカは最初、なんの心配もしていなかった。
 それよりもまず気になったのは、トリップがもし証言台に立ったら、今の職を失いかも
 しれないということだった。
・トリップが最初の爆弾を落とした。
 トリップはモニカと大統領との関係を詳細に書いて、それを封筒に入れ、封をして、ベ
 アに渡したという。
 そして、トリップが死んだ場合、それを開封してほしいと頼んだそうだ。
 モニカは恐怖に襲われた。
 「あれが、彼女の口から聞いた、今までで最もショッキングな発言でした。それはもう
 怖くて、この女性は、本当に危険だと思い始めたんです」
・トリップの2回目のミサイルはすぐに発射された。
 トリップがモニカに言った。
 「もし聞かれたら、私、話すつもりよ」
 モニカは唖然とし、今度はおびえた。
 そして、トリップがいつも友人を信頼し、友人を守っていたことを思い出させた。
 けれど、トリップは硬い表情で、その場に立ったままこう言った。
 もし、ほかに大統領と関係を持った女性を知っているかと聞かれたら、その人の名前を
 告げないわけにはいかない。なぜなら、もし、その人を知っていることを拒否したら、
 もしくは言いそびれたら、自分は偽証罪に問われ、刑務所に入れられるかもしれないか
 ら。
・12月、午前2時半ごろ、モニカは電話で起こされた。
 聞き慣れた声がした。大統領だ。
 いつも変な時間に電話をしてくるのだが、今回はモニカもびっくりした。
 ヒラリー・クリントンの日々の行動はニュースで追いかけているし、この日、大統領夫
 人がワシントンにいることも知っていた。
 大統領は夫人がいるときは、めったに電話してこない。
 これはきっと重要なことにちがいない。
 大統領は心配でうろたえているような声だった。
 前置きなしにいきなり言った。
 「話すことがふたつある。ベティの弟が交通事故で死んだ」
 ベティ・カリーはその年、妹を亡くしていて、母親は入院している。
 モニカは泣き崩れてしまった。
 大統領は、朝になったら彼女に電話してほしいと言った。
 それから、二番目の悪い知らせのベールがはがれた。
 「今日、ポーラ・ジョーンズ訴訟の証人リストを見たら、きみの名前が載っていた。
 リストにきみの名を見たときは、心臓が破裂するかと思ったよ」
 証人リストに名前が載ったからといって、自動的に召喚されるわけではないが、モニカ
 はひどくあわてた。
 しかし、大統領はリスクを軽く扱って、モニカが召喚されることはまずないだろうと言
 った。
・もし召喚されたらどうすればいいのかモニカが尋ねると、宣誓供述書に署名して、宣誓
 証言を避ければいいのだという。
 万一、召喚さえた場合は、秘書に連絡するように、と大統領は言った。
・大統領からの深夜の電話が悪い夢としたら、本物の悪夢は、二日後の1997年12月
 に始まった。 
 メッセージを受取ったとき、モニカは恐れおののいた。
 電話の向こうの声が言う、
 「私は、ジョーンズ対クリントン裁判で、あなたに交付される召喚状を持っています」
・モニカは、国防総省の地下鉄の入り口で礼状送達史から召喚状を受け取り、バックに書
 類を押し込むと、ぼうっとなったまま、その場を立ち去った。
・大統領への連絡方法は、ベディ・カリーを通す以外には知らなかった。
 弟の死を悼んでいるときに、ベティを煩わせることはできない。
 絶望のなか、公衆電話にかけ寄り、ヴァーノン・ジョーダンに電話を入れた。
・電話口で泣き続けるモニカに、なんの話かさっぱりわからないとぶつぶつ言っていたジ
 ョーダンがしまいにはいらだち、その日の午後に事務所に来るようにと告げた。
・さらに悪いことには、モニカがジョーダンの事務所に着いたとき、ジョーダンはぶっき
 らぼうで、同情のかけらもなかった。
 その召喚状は特に問題なく、ごく普通の礼状のようだという。
 それでも、おそらく弁護士が必要だろうと、ジョーダンは、ワシントンの辣腕弁護士の
 フランク・カーターに電話して、モニカのために面会の約束を取ってくれた。
・そのときのモニカは、ジョーダンが自分と大統領との関係をどの程度知っているか、見
 当もつかなかった。
 電話のときには、ジョーダンは手がかりになるようなことは言わなかった。
 彼は、無遠慮に尋ねた。
 「重要な質問がふたつある。君は大統領とセックスしたのか?それは大統領のほうから
 求めてきたのか?」
 モニカは短く「いいえ」と答え、もしジョーダンが本当のことを知っているなら、モニ
 カが証人として持ちこたえられるかどうか、テストしただけなのではないかと思った。
・モニカが本当に知りたかったのは、ひとりの人間としてのトリップだった。
 その機会がやってきたのは、次の日の夜、トリップの家でクリスマスパーティーが開か
 れたときだ。 
 ほんの数人しか来ないのに、冷蔵庫には食べ物と飲み物がぎっしり詰まっていた。
 いつも金に困っていて、仕事に行くためのバス代にも事欠いていたいはずなのに、奇妙
 な話だ。
 先月はたしか服を売って現金に換えたと言っていたのに、最近は新しい服に湯水のごと
 く金を使っている。
 トリップに急に金が入ったというのも、モニカには不思議だった。
・しかし、トリップと話しができたのは、そろそろ帰ろうかというときだった。
 ふたりはモニカの車の中に座り、トリップは、大統領からの贈り物の提出を要求してい
 る召喚状を読んで、特に、”帽子のピン”のところでは、わざわざ声を出して言った。
 そして、いったい誰がジョーンズ弁護団にこんなことをさせたのかと、驚きと疑いをあ
 らわにした。
 帰り際に、カーター弁護士との打ち合わせが済んだら、電話をちょうだい、そうすれば、
 戦略について話し合えるから、と念を押した。
・その日遅く、仕事に戻ったモニカは、好天のときだけの友だちが頼りにならないことに、
 やっと気がついた。
 ペンタゴンの裏通りでリンダ・トリップに再び会ったとき、
 「モニカ、嘘をついてなんで言わないでね。あなたのことを聞かれたら、私は言うわ」
 と告げられたのだ。
・心配と不安でいっぱいだったが、モニカはまた、ポーラ・ジョーンズが金のために大統
 領を告訴して、自分のプライバシーを守る権利より、告訴する自由を優先させたことに、
 重苦しん憤りを感じていた。
 「大統領と私が何をしようと、ほかのひとには関係ないことです。私は一度もいやがら
 せを受けたことはありませ。私が職を失ったのは、大統領の恋人だったからです。結果
 的には、大統領との情事が、私の就職の可能性を、助けるというより、阻みました。
 実際、私の経験は、性的嫌がらせに関するポーラ・ジョーンズの主張を真っ向から否定
 したんです」
・モニカは怖かった。
 これまでこんなに怖い思いをしたことはない。
 特に、モニカが大統領との情事を第三者に話していたという事実を、大統領が知ること
 に恐れを抱いていた。
 トリップに黙っていてもらえるなら、どんな手段でもとるという覚悟でいた。
・心の底には、ずっと大統領のことがあった。
 リンダ・トリップにふたりの秘密を打ち明けたと、彼に告白すべきかどうか、何度も何
 度も考えた。  
 結局、言わないでおこうと決意したが、まもなく彼に会うのだと思うと、その決意もぐ
 らついた。 
・ホワイトハをバディウスで大統領執務室に通されると、そこでしばらく大統領とベティ
 とともに、犬のバディをかまって遊んだ。
 バディはまるで運動場にいるように、絨毯の上を走り回った。
 奥の書斎で大統領とふたりきりになると、バディはしきりに鼻をモニカの脚のあいだに
 突っ込んでこようとする。
 モニカは冗談を言った。「ご主人様よりお上手ね」
・プレゼントをすべて渡すと、大統領は彼女がいちばんほしがっているもの、キスをした。
 それは奥の書斎での最後の抱擁ではなかったが、彼らの2年間にわたる情事の、熱情と
 罪を集約していた。
 抱き合っているとき、モニカがうっすら目をあけると、クリントンは目を見開いて、窓
 の外を見ていた。
 怒って彼を押しのけ、
 「キスをしたくないなら、しないで」
 と、ぴしゃりと言った。
 彼はモニカをなだめて、答えた。
 「ちがう、ただ心配で、誰も見ていないか確かめたかっただけだ。こんなことをしては
 いけないと、自分に言い聞かせながら、それを曲げてきみにキスするのは、心が痛むん
 だ」
・このときはモニカが主導権を取った。
 「こっちへ来て」
 と、彼をバスルームへと導き、目を閉じるよう強く言った。
 そして、感情あふれた、情熱的ですばらしいキスを交わしたという。

・かつて自分ことを”魔女並みの感受性の持ち主”と自慢していたトリップは、ある霊媒師
 のお告げに従って行動していた。 
 その霊媒師がトリップに、あなたの友人のひとりが、あなたがこれから口にする言葉の
 ために危険に陥ろうとしていると告げたと言う。
 しかし真相はちがっていた。
 トリップは弁護士カービー・ベアをくびにしていたのだ。
 なぜなら彼が、大統領の弁護士ボブ・ベネットを訪ねて、ジョーンズの事件で和解する
 ように忠告するとトリップを脅したからだ。
 トリップとゴールドバーグがほしかったものは、和解ではなく、本で暴露する物語だっ
 た。
・筋書きどおりに物事を運ぶため、トリップはモニカとの関係ではいつも優位に立った。
 モニカが、宣誓供述書にまだサインしていないと言うと、トリップは、
 「就職先を手に入れるまでは、決して宣誓供述書にサインしてはだめよ」
 と忠告した。
 トリップの機嫌を取るために、モニカはそれに同意した。
・トリップがこの点をしつこく繰り返したのは、あとで大きな意味を持つことになる。
 というのも、モニカが沈黙を保つ見返りに就職口を手に入れ、ジョーダンと大統領が、
 司法妨害をする目的で隠蔽工作に一枚加わったと証明することだけが、スター調査が司
 法権を拡大していく唯一の手段であり、最終的にスターに、大統領を弾劾する主張を打
 ち立てさせることになるからである。
・モニカは何を知り、何を疑っていたにしろ、トリップの妙な回れ右、すなわち心変わり
 に猜疑心を抱いたのは正しかった。
 今にも独立検察官が関与しようとしていたこの時期に、それはあとから見れば、モニカ
 を陥れるための陰謀のように胡散臭いところがある。
 というのもトリップが、誰かとの会話を、その人物の気づかないうちに、そしてその人
 物の了解を得ずに録音することは、メリーランド州の州法に違反する行為であると気づ
 いたのは、はるか前のことだったからだ。
 したがってトリップの”保険証書”、トリップの高潔さと誠実さを証明する例の録音テー
 プは、身を守ってくれるどころか、彼女を刑務所送りにする危険性さえあった。
 トリップの以前の弁護士カービー・ベアはこの違法な録音に気づいて、”かんかんにな
 り”、すぐにやめるように言ったという。
 トリップは、弁護士の忠告に従うどころかくびを切り、代わりにジェームズ・ムーディ
 を雇ったのだ。  
・トリップはと独立検察官事務所の双方の主張によれば、1998年1月、トリップが事
 務所に電話をかけ、応対した捜査官に、大統領はポーラ・ジョーンズ事件で召喚された
 ある政府女子職員と男女関係になり、大統領とヴァーノン・ジョーダンはその職員に、
 情事のことで嘘をつくように指示したと語った。
 そしてまた、その話しを裏づける会話を録音した20時間のテープを持っていると付け
 加えたのだ。
 同じ電話でトリップは、その職員がすでに偽りの宣誓供述書にサインをしたことも告げ
 た。
 ところが、その後モニカに会ったトリップは、ヴァーノン・ジョーダンが勤め先を確保
 してくれるまで供述書にサインをすべきでないと、繰り返し強い調子で勧めたのである。
・生まれてはじめて、リンダ・トリップは世間の注目を浴びた。
 独立検察官事務所に電話をかけて一時間も経たないうちに、6人の独立検察官とFBI
 捜査官が話しを聞くために、トリップの自宅に押しかけたのだ。
 彼らのこの熱の入れようは、スター事務所が、モニカと大統領の情報をすでにつかんで
 いた、からだということがあとで判明した。
・トリップはその夜、事情聴取を受け、知っているすべてのことを、洗いざらい話した。
 しかし、いくらテープの裏づけがあっても、どうやら言葉のうえでの裏切りだけでは十
 分ではないらしかった。 
 トリップは検察官事務所の要求に応じ、今度モニカに会う際には小型マイクを身につけ
 ることになった。 
 そうすれば独立検察官事務所はふたりの会話を盗聴し、テープに録ることができる。
・独立検察官の出現によって、トリップの物語は別の飛行便で運ばれることになった。
 これはもはや、”内暴本”を書いて金儲けをするための、個人レベルの裏切りではなくな
 った。 
 それは大統領を罠にはめるための陰謀に変わったのだ。
・1998年1月時点で、4年の歳月と国民の血税を4万ドルつぎ込んでも、スターの調
 査は何の成果も得ていなかった。
 そんな時にかかってきたトリップの電話は、まさに独立検察官事務所にとって棚からぼ
 たもちというわけだった。 
 もしその申し立て内容と証拠がしっかりしたものなら、スターはついて、大統領の犯罪
 の証拠をつかんだことになる。ホワイトウォーター事件とはかけ離れた問題ではあった
 が。
 スターの部下の検察官たちは、ヴァーノン・ジョーダンがモニカに職を見つけてやった
 というトリップの話に、特に関心を持った。
 というのもホワイトウォーター事件の中で、元司法副長官ウェブスター・ハベルに支払
 われたとされる口止め料に関する調査をする際に、ジョーダンの名がひょっこり浮かび
 上がっていたからだ。
・スターが調査の範囲を広げてたければ、そのたびごとに法的な承認を得る必要があった。
 それで彼は、ホワイトウォーター事件とモニカ・ルインスキーを結びつける何らかの証
 拠を見つけ出さなければならなかった。
 ヴァーノン・ジョーダンこそスターに、怪しげな土地取引に関する現在の調査と、大統
 領の”堕落した”情事を結びつけることを可能にする、くさびのような存在だった。
・もし大統領が沈黙の見返りに、ジョーダンを通じてモニカに職を見つけてやったと証明
 されれば、大統領は権力の濫用で有罪になるだろう。
 この権力の濫用はスターの観点からは、弾劾に相当する罪なのだ。
 しかし、テープから浮かび上がる1997年秋のモニカの生活は、現実の生活を大きく
 ゆがめた像だった。 
 人にあやまった印象を与えかねないそのモニカ像に、リンダ・トリップは劇的な粉飾を
 加え、ケネス・スター独立検察官は一連の出来事の本当の姿ではなく、あやまった姿を
 伝えられる結果となった。
・盗聴器を服に忍ばせて、リンダ・トリップは1998年1月、ペンタゴン・シティのリ
 ッツ・カールトン・ホテルで、モニカとランチをともにした。
 トリップは若い友人をキスで迎えた。
 ホテルの上階の部屋で、独立検察官事務所の捜査官たちが、一語一句聞き漏らさないよ
 うふたりの会話を盗聴していることを知りながら。
・それはだらだらと、3時間もかけた、長くて、しらけたムードの漂うランチだった。
 そのあいだにリンダ・トリップはモニカに、大統領との情事を一部始終語らせた。
 モニカは計画通り、トリップが化粧室に立った際に、テープレコーダーを隠し持ってい
 ないかバッグを改めたが、もちろん何も見つけられなかった。
 マイクも送信器もトリップの服の中に隠されていたからだ。
・ふたたびモニカは、トリップが知りたがっていると思うことを話してやった。
 新し仕事のことは実際よりかなり控えめに説明し、ヴァーノン・ジョーダンと大統領に
 ついての果てしなく続く質問に、当惑を覚えながらもひとつひとつ答えたのである。
・会話の大半が嘘と誇張から成るこのランチのあいだ、モニカは気づかぬうちに、自分で
 自分を罪に陥れた。
 ホテルの上階で盗聴している検察官たちは、即座にこれは、調査の範囲を拡大する許可
 を願い出るのにうってつけの事件だと気づいた。
 決定的だったのは、モニカがトリップに、ヴァーノン・ジョーダンが勤め先を見つけて
 くれるまで、宣誓供述書にサインをするつもりはないという嘘を繰り返したことだ。
 盗聴している検察官たちにとってこれは、大統領が自分の情事の相手に便宜をはかるた
 めに、ジョーダンの力を借りて権力を濫用したことの証拠だった。
・モニカはトリップとのランチに、頭が混乱したばかりか、いらいらさせられた。
 トリップはモニカの味方につくどころか前言を翻し、モニカが宣誓証言で何を話すつも
 りかというテーマのまわりを飛び跳ねていた。
 3時間のあいだ、トリップはずっと愛想がよく、陰謀好きなところをのぞかせ、思いや
 りにあふれていた。
 自分がモニカを案内しているこの道の、行き着く先は独房かもしれないということに、
 気づいていたにちがいない。
・トリップの振る舞いに苛立ち、疲れ切って、モニカはついにこの一貫性のない友人にど
 う対処するか、決心した。
 もし、トリップの宣誓証言で罪を負うことになれば、自分は大統領とお関係をひとこと
 も話したことはいと証言内容を否定するか、さもなくば、それは自分がでっちあげたこ
 とだと主張しよう。そうして罪をかぶろうと。
 しかし、もはや遅すぎた。
  
愛する男をとるか、母親をとるか
・モニカ・を1012号室に導くことになった一連の出来事は、トリップが、モニカとの
 会話を録音した非合法のテープを、週の初めにスターの部下たちに渡したことに始まっ
 た。
・次にトリップは盗聴器を身につけてモニカと昼食をとり、ふたりの会話を独立検察官た
 ちに聞かせた。
 そしてついには、ジャネット・リン司法長官が、スター検察官の捜査権限を、ホワイト
 ウォーター事件のみならず、大統領とモニカ・ルインスキーの秘められた関係まで拡大
 することを求め、1998年1月の金曜日の午後、この要求が三人の判事のよって認め
 られるに及んだのだった。
・ご面倒ですが下記のリンクからご覧いただけたら幸いです。
・ホワイトウォーター事件とモニカとの接点は、どちらの事件にも大統領の友人であるヴ
 ァーノン・ジョーダンが関与していることだった。
 スターは、ジョーダンと大統領が共謀して、モニカに就職を斡旋する見返りに、ジョー
 ンズ事件で偽りの宣誓供述書を書くように指示したと言い、これは正義を踏みにじる行
 為であると主張した。
 スターの考えるかぎり、ここが大統領にとっての不利な点であり、クリントンによる悪
 行の証拠を固めるには、トリップと同じく、モニカにも協力の同意を取り付けることが
 不可欠であった。
・1012号室の中、自分の運命が、この先ずっと、ただ泣きわめき、自分で自分を抱き
 しめることしかできないものになってしまうのだと、憤りながらも認め始めたのだ。
 「刑務所に行かなくてはならないのなら、そうしよう。大統領を守るために。彼を裏切
 れるはずがない。密告するなんて私にはできない」
 自分が敬愛する男性の人生を破滅させてしまうかもしれないと思うと、罪の意識にのみ
 込まれてしまいそうだった。
・刑務所にも行かず、自分の”ハンサムさん”を守ることもできる手だてを探して、当初頭
 に浮かんだ唯一の方法が、自殺することだった。
 「刑務所に行くのは耐えられないと思いました。そこを出るときには年老いてしまい、
 誰も私と結婚しようとは思わないでしょう。結婚すると、新たに家庭を持つこと、この
 喜びを味わうことができなってしまうなんて、人生の終わりです。だから、自分の命を
 絶つ以外に逃げ道はないと思いました。死んでしまえば情報も消え、私のせいで大統領
 を困らせることも、傷つけることもなくなるでしょうから」
・しばらくするとエミックが説明を始めた。
 もし捜査に協力するなら、隣の部屋に行き、エミックの同僚たちに、大統領との関係に
 ついて供述しなければならない。
 しかも洗いざらい話さなければと念を押された。
 さらに、何本かの電話を、それも傍受できる電話をかけるか、さもなければ盗聴器を身
 につけて、ベティ・カリーやヴァーノン・ジョーダン、できれば大統領とも会って話を
 してもらうと言われた。 
・再度、協力についての説明があった。
 依頼どおりのことをすれば、判事にかけあって減刑もできる。27年から、そう、5年
 くらいに、だがそれも、あくまで即時の協力をすればの話だった。
・それまでのあいだ、リンダ・トリップは、目の前で年下の友人が打ちひしがれてゆくの
 を冷ややかに見守っていた。
 その姿こそ、モニカを怒り狂わせる最大の元凶だった。
 「傷を負わせてやりたいと思いました。獣みたいに、あのひとの皮膚を切り裂いてやり
 たかった」 
・ようやくトリップが部屋から連れ出されると、代わりに女性のFBI捜査官がその席に
 ついた。 
 女性捜査官はそこにいるあいだ、ひと言もしゃべらなかった。
・午後のあいだずっと、正気を取り戻すたびに、弁護士に連絡させてくれと何回となく頼
 み続けた。 
 しかし、フランク・カーターは刑事事件でなく、民事専門の弁護士だから、今回の事件
 ではあまり役に立たないだろうとも言われた。
 モニカは、それなら彼に刑事専門の弁護士を紹介してもらうと食い下がったが、カータ
 ーが疑念を抱くことになるから認められないとも言われた。
・あらゆる識者が指摘しているように、捜査側のやりかたは、明らかにアメリカ国民とし
 てのモニカの権利を侵害するものであった。
 そのうえこの男たちは、特に、大量の殺人者やギャングたちの扱いのほうに慣れている
 FBI捜査官たちは、感じやすく、おびえていて、しかも法の手続きにも、自分の権利
 についても明るくない若い女性を利用していたのだ。
 大統領でさえ、大陪審に提出したビデオによる宣誓供述の中で、検察側は、おとり捜査
 中、モニカをまるで”重罪犯”のように扱ったと非難した。
・10時間のあいだ、モニカはひとりで、都合9人の武装したFBI捜査官とスターの部
 下たちと過ごしたのだ。
 だが、脅され続け、時に菅甘言で気をひかれても、モニカは断固として男たちの要求を
 はねつけた。 
 盗聴器をつけたり、電話での会話を捜査官たちに聞かせたり、そんなことで愛する人と
 友人たちを裏切るような真似はできない。
・法曹界で”殺し屋”と呼ばれているベネットが奥の手を出してきた。
 「われわれは君の母親も告発するつもりでいることを忘れないほうがいい。母親のした
 ことを、娘が話してくれたおかげだよ。一部始終、テープに残っているんだ」
・この震えあがるような宣告が、最もむごい形でモニカを板ばさみにすることにした。
 愛する男をとるか、母親をとるか。
 またも涙がこみあげてくる。
 すすり泣きながら、部屋にひしめいている検察官と捜査官に、自分の運命を選ぶことは
 できても、母親を傷つけるような決定はくだせないと話した。
・前日リンダ・トリップから手に入れた、モニカに関する情報を武器に、ポーラ・ジョー
 ンズの弁護士たちは、宣誓証言に現れた大統領を待ち伏せていた。
 これは致命的だった。
 ジョーンズの弁護士による反対尋問に、大統領は、誓ってモニカとの関係を否定した。
 次に弁護側から
 「あなたはモニカ・ルインスキーと性的な関係を持っていましたか」
 と質問された。
 クリントンの答えは、彼の政治生命を封印しかねないものだった。
 「モニカ・ルインスキーと性的関係を持ったことは一度もない。性行為をしたこともま
 ったくない」
・情事の全容がひも解かれるにつれ、ことを大きく左右したのは、”性的関係”の厳密な
 定義、あるいは、そのような定義のもとでは、通常の挿入に対してオーラルセックスが
 どう位置づけられるか、という問題だった。

マスコミ攻撃におびえて
・母と娘がどれほどおびえていたかがよくわかるのは、ふたりがテレビを観ていたときの
 話だ。
 今や悪名高い、あのしみのついた紺のワンピースのことを、マーシャはそのときはじめ
 て知った。
 まことしやかに語られるその服の話を聞いて、娘のほうを向き直り、尋ねた。
 「そのワンピース、今どこにあるの?」
 モニカが答える。
 「ママ、あの服は、ほかのいろいろなものと一緒にニューヨークの部屋のクロゼットに
 入れてあるのよ・・・」
・今になってみれば、マーシャかモニカ、あるいはニューヨークのアパートに入れる誰か
 が、さっさとそのワンピースを片づけ、処分しなかったことが不思議に思えるかもしれ
 ない。
 だが、それには単純な理由があった。
 そのときのふたりは恐怖のあまり、遠出したり、アパートを離れたり、電話をかけたり
 することさえできずにいた。
 FBI捜査官に監視され、尾行されてはたいへんだと思っていたからだ。
 いつ逮捕されてもおかしくないと信じ込んでいた。
 恐怖に身がすくみ、最悪の証拠品をクロゼットに放置しておいたために、ワンピースは
 歴史に確固たる地位を占めることになったのだ。
・モニカと母親は、カーテンが引かれ、ありとあらゆる報道陣に囲まれたウォーターゲー
 ト・ビルの中、薄暗い世界の住人であり、かかってくる電話はどれも、よい知らせか悪
 い知らせのどちらでしかなかった。
 ふたりは決して外に出ようとはしなかった。
 アパートの管理人から、ふたりの部屋のバルコニーを見張るテレビカメラが、建物を取
 り巻いていると聞かされていたからだ。
・マスコミは、活きのいい獲物にむらがるピラニヤさながらに、モニカと母親、そして家
 族の人生をしゃぶり尽くした。
 ロサンゼルスの郡庁舎の外で、報道陣がルインスキー夫婦に離婚に関する書類を狂った
 ように奪い合いさまは、最も道徳心に欠けたものと言えるだろう。
・モニカは、政治的信条のぶつかり合いという十字砲火の中におかれて、活力を吸い取ら
 れていった。  
 彼女を救おうと、この危険地帯に飛び込む者は誰もいなかった。
 モニカを助けたくなかったわけではなく、友人たちは、召喚状を受け取ることを恐れて
 いたのだ。
 共和党は彼女を姦婦とすげすみ、民主党は大統領の地位をおびやかす女と非難を浴びせ
 た。
 性をもって喜びとやすらぎを得ようとしたモニカは、アメリカの道徳を敵に回してしま
 ったのだ。
・一方で、ヒラリー・クリントンの仕事に対する敬意を払っているリベラルなフェミニス
 トたちは、女であることを利用した者がたどる当然のなりゆきだと、モニカの一件を片
 づけてしまった。
 アメリカの精神構造、特にメディアの底辺を広く流れる女性蔑視の風潮が、無慈悲なさ
 げすみとともに、モニカの体重と嗜好とスタイル、そしてビバリーヒルズ育ちという経
 歴に嘲笑を浴びせた。
・モニカとビル・クリントンの性的関係という図式は、トーク・ショーのホストやお笑い
 芸人や、スキャンダルを追うことに血道をあげるインターネットのサイトにとっては、
 天からの授かりものだった。
 ”モニカ”という名前そのものが、失われていく道徳規範をあらわす常套句になってしま
 った。
・クリントンの政策顧問であったモリスは、6カ月前、売春婦と関係を持ったことが知ら
 れたあと、行政職を退いていたが、大統領に向かって、ルインスキーの記事を”十代の
 精神年齢を持つ女性の浮かれたおとぎ話”として攻撃する声明を発表するつもりだと言
 い、続けて、モニカは国民に対して”大いなる謝罪”をしなければならないと言った。
 モニカの”でっちあげた話”という主題を練り上げて、記者会見を開くつもりでいたのだ。
・モリスを鎖から解き放つ前に、大統領は、慎重にやるようにと伝えた。
 もしこれがおおごとになると、モニカがスターに協力する可能性も出てくるからだ。
 クリントンは、モニカと敵対したくはなかった。
 露骨なかけひきだった。
 モニカが愛した、傷つきやすく人間らしい大統領はもう存在しなかった。
 そこにいるのは、生存を賭けて立ちまわる、法と政治の執行者なのだ。
・真実と、そしてモニカ・ルインスキーが、この戦争における第一の犠牲となった。
 暴露記事が発表されるや、ホワイトハウスは即座に”偽り、否定し、延期する”という戦
 術をとったのだ。
 妻に対し、そして内閣と有力な民主党員に対し、クリントンは不倫疑惑を否定したが、
 これはホワイトハウス側の反論の指針を決めるものとなった。
・大統領は、最高顧問のひとりで、のちに上院に対する証言をすることになるシドニー・
 ブルーメンソルに、モニカは自分にセックスを強要しようとしたストーカーだと、前も
 って話してあった。  
 この話は、大統領にのぼせあがって感情を乱したモニカのほうから、誘いをかけたらし
 いといううわさになって、たちまち人々のささやき交わすことになった。
 ほどなく、”ストーカー説”が国民のあいだに定着する。
・主要な新聞にはじめてスキャンダルが報じられてから5日後、ついに、このキャンペー
 ンの第一弾がホワイトハウスのルーズヴェルトルームで行われた。
 カメラ、そしてアメリカ国民を前にして、クリントン大統領は指を突き出し、こう言っ
 た。
 「私はあのご婦人、ルインスキーさんと性的関係を持ったことはありません。私は今ま
 で誰にも、そして一度も嘘を言ったことはありません。一度たりとも。今回の申し立て
 はまちがいなのです。私はアメリカ国民のため、職務に戻らなければなりません」
 この台詞が、後々まで大統領につきまとうようになる。
・真実を知る人のほとんどが、国民に向かって嘘を言う大統領の姿を、怒りと驚きを胸に
 見つめていた。 
 モニカ自身は、複雑な気持ちだった。
 「大統領が否定してくれてよかったと思いました。もし疑惑が真実だとしたら、大統領
 は辞職をまぬがれないだろうと、誰もが言ってましたから。彼には辞めてほしくなかっ
 た。でも、”あのご婦人”と言われたときには、とても傷つきました。私と距離をおいた
 こと、それにあの冷たさは、どれほど彼が怒っているか、直接私に訴えかけてくるメッ
 セージだったんです」
・大統領が国民に向けた話を終えると、ファーストレディーが舞台に立った。
 ルインスキー事件に関する証拠審理のため、連邦大陪審がワシントンで召喚されたその
 日、ヒラリー・クリントンはテレビ番組「トゥデイ」に出演した。
 彼女は番組の中でスターを”政治的な動機に支えられた検察官”であり、”悪意に満ちた”、
 ”邪悪な心”を持つ、”極右派の陰謀集団”のひとりだと断じた。
・のちに別れることになった、アンディ・ブライラーと妻のケイトは、マスコミに自分た
 ちの話を売り込もうと努めていた。
 モニカと家族、それに友人たちが恐る恐る見守る中、ブライラー夫婦は、ポートランド
 とロサンゼルスの誰もが持っているモニカ像とは大幅に異なる肖像画を描いてみせた。
 夫婦の話で、公的なモニカのイメージはついて、ブライラー家に”侵入”した前科のある、
 既婚の男が好みの、セックスに狂ったストーカーとして定着してしまった。
・モニカは”手練手管にたけ”、大統領の”ひざ当て”となるべくポートランドからワシント
 ンに出ていった若い娘、として描かれた。
 ふたりは、モニカに事実をゆがめる癖があるとすぐにわかった、とまで言っている。
 ホワイトハウスの”高級官僚”とオーラルセックスをしていると自慢げに話し、大統領だ
 とは決して言わなかったが、いつもその男を”クリープ”と呼んでいた。
 モニカはワシントンで中絶したことがあり、その子の父親が大統領であるとほのめかし
 ていたと言った。  
・モニカの不運につけ込んだのは、このふたりだけではない。
 はじめてのボーイフレンド、アダム・デイヴは、一時、テレビのゴシップ番組でひっぱ
 りだこで、マスコミに登場するたびに、モニカについての話をどんどん過激なものにし
 ていった。
 あるインタビューでは、モニカがセックスのあいだ、ベッドに手錠でつながれるのを好
 んだと語った。
 ふたりが恋人同士でなかったにもかかわらずだ。
 驚いたことに、彼の母親は、テレビの出演料で息子がブラジル旅行に行けたと、まるで
 祝ってくれといわんばかりの手紙をモニカに送ってきた。
・非難と、悪意に満ちた仮設と、まったくの嘘という高波にのみ込まれそうになりながら、
 モニカの船を率いるビル・ギンズバーグも、はじめのうちは老練な腕前で船を操縦しみ
 せ、テレビでも際立った印象をつくりあげていた。
 何週間も経つうち、モニカは、この船長がテレビの出演回数を減らし、もっと事件のこ
 とに時間をさくべきだと感じ始めた。
  
引き裂かれたルインスキー一家
・モニカが、性道徳と忠誠心、それに信条を問われて罰を受けているころ、彼女を裏切っ
 たリンダ・トリップは、スターの部下たちから大事に扱われ、安全な住まいをあてがっ
 てもらい、政府から受けていた年俸8万ドルもそのまま給付されることになっていた。
・モニカの弁護に関して、マーシャは一番の弱点であったし、本人も、リッツ。カールト
 ン・ホテルの1012号室から立ち去るとき、召喚状を渡された瞬間から、自分は娘を
 追い詰める武器として、ケネル・スターに利用されているのだと悟っていた。
・父の家でテレビを観ていたモニカは、体を震わせた。
 ワシントンでの大陪審で、宣誓証言をするために歩いていく母の姿が目に入ったのだ。
 まったくの不意打ちだった。
 一日目の証言はうまくこなしたように見えたが、二日目以降、動揺を隠せず、見るから
 に取り乱していた。
 実際マーシャは、証人席で倒れてしまい、看護婦が呼ばれて、車椅子が持ち込まれたの
 だが、結局、介護なしでなんとか歩いていた。
・宣誓証言を回避するための闘いに敗れたマーシャは、文字どおり地雷源の中を歩いてい
 る気がした。
 何としても娘を傷つけたくはなかったが、真実を話さなければいけないということもわ
 かっていた。
 例えば、検察官から、しみのついた紺のワンピースはどこにあるのかと尋ねられたら、
 答えなければならない。
・第一日は乗り越えたが、二日目は、裁判所に着いた時点でもう取り乱していた。
 その日の朝、自分のことを、娘と大統領のロマンスをたきつけたビバリーヒルズの厚か
 ましい立身出世主義と書きたてた悪質な記事を読んだ。
・母のそばにいようと、ワシントンに戻ったモニカは、まったく別人を前にしたように感
 じた。マーシャはすっかりショックを受けていた。
 絶え間なくすすりあげ、娘のなぐさめも役に立たなかった。
・青ざめ、陰鬱な表情で裁判所を出ていくマーシャ・ルインスキーの姿に多くの人が胸を
 痛めた。  
 母親の証言で娘を突き崩そうというスターの戦術も、そのことで傷手をこうむった。
 ホワイトハウスの意を受けた、”ママを列車の前に放り出せ”というそのやり口を、ギン
 ズバーグ弁護士は、マーシャに対する”拷問”だと非難し、”荒っぽいやりかたでいくぞ、
 とモニカたちに知らしめる意図を持ったもの”だと指摘した。
・スターたちが、弟を苦しめ、父を悩ませ、母を破滅寸前までおいやっているあいだも、
 モニカはぼんやりと立ち尽くすしかなかった。
 そのうえ、友人たちが独立検察官事務所からの召喚状によって大陪審に引きずり出され
 ていくときも、なすすべもなく見つめるしかなかった。
 スターたちは、母と娘のきずなを利用するだけでは飽き足らず、友情の限界をためそう
 としていたのだ。 
・モニカは、母親と一緒に毎日テレビの前に座っていた。
 親しい友人や、モニカが気にかけていた秘書のベティ・カリーのような人たちが、法廷
 に向かって歩いていくのを見ると、体がすくみ、動けなかった。
 召喚された人たちがこのスキャンダルを知って、自分のことをなんと言うか、どう思っ
 ているか、モニカには知るよしもない。
 悲観主義が顔を出し、モニカは、きっとみんな自分のことを軽蔑しているだろうと思っ
 た。
 情事のこと、捕まったこと、あるいは大統領の地位を混乱のふちへ追いやったことで。
 だが、何より軽蔑に値するのは、多くの人をこういう騒ぎに巻き込んでしまった愚かさ
 だろう。
・モニカが秘密を打ち明けた友人のうち、いちばんはじめに大統領が葉巻をどう使ったか
 を公表したのが、ネイサだった。
 彼女の記憶によると、
 「証言の途中で、突然、汗が噴き出してきました。ああ、この部屋じゅうにいる知らな
 い人たち、私の友だちと大統領のセックスが原因で、その友だちを刑事訴追しようとし
 ている人たちに、私は話かけるんだわって、自覚したからです」
・”スター帝国”に入り込ん者が、たちまちアメリカン・ドリームの暗い部分を目にしてし
 まうというのは、意味深いことである。
 白人で、裕福で、中流階級に属し、寛大で、法律を遵守するモニカの友人たちや家族は、
 政府や司法制度、そしてマスコミを相手にしたとき、自由の力を実現することは非常に
 難しいことだと思い知らされた。
  
目立ちたがり弁護士
・突然、メディアの前に新たなスーパースターが躍り出た。
 カルフォルニアの無名の弁護士ビル・ギンズバーグは、ワシントンに来て数週間も経た
 ないうちに、全国的な有名人にのしあがったのだ。
 ギンズバーグも脚光を浴びて有頂天だった。
・ギンズバーグはモニカの父親代わりを自任しながら、大統領へのモニカの深い思慕をま
 ったく理解していなかった。 
 自分が放つ不適切な、そしてしばしば性的なニュアンスの発言が、モニカの心の傷をま
 すます深め、一般大衆のひんしゅくを買っているということも、まったく察していなか
 った。
・2,3週間もしないうちにビル・ギンズバーグはモニカとその家族の目に、法律上でも
 気持ちの上でも、そして経済的な意味でも、家族の中の敵と映るようになった。
 モニカの目の前で、重圧のために家族が崩壊しとうとしているのに、弁護士のほうは、
 スポットライトを浴びる新しい生活を心から楽しんでいた。
 ギンズバーグのワシントンでの作戦本部があるコスモス・クラブの外には、連日レポー
 ターが詰めかけ、その日の収穫をギンズバーグがとうとうと述べるのを待ち構えていた。
 ギンズバーグの演説はいくともコピーされ、繰り返し放映されたが、彼に対しては、メ
 ディアの世界でも普請に眉をつりあげる者が何人もいた。
・大衆の前でいくら騒いでみても、ワシントンではよそ者にすぎないギンズバーグが対峙
 しているスター独立検察官の本性は、ベルトウェイ環状線のしぶとい暴れ者だった。
 頭に血がのぼってすっかりわけがわからなくなったブラッドハウンドのふりをしながら
 も、そのじつスターは、モニカに食らいついたまま離れようとしなかった。
・ルインスキー一家は、金に糸目をつけない人間を相手に法律上のポーカーゲームをして
 いるようなものだった。賭け金はすぐに底をついた。
・弁護士としても法律学者としても名高いアラン・ダーショウィッツは、のちに著書で、
 スターを、
 「大統領執務室の中での、男と女の安っぽい出会いを、憲法上の権利の危機に変えた」
 と激しく非難したが、その彼でさえ、ギンズバーグには懸念を覚えた。
 いくらその主張が正当なものでも、ギンズバーグはやりすぎたとダーショウィッツは言
 った。
 彼はルインスキーの家を正式に訪ね、ギンズバーグを放り出して、経験豊富なワシント
 ンの弁護士と”一から出直す”よう忠告した。
 バーニー・ルインスキーもようやく、自分の弁護士が何の役にも立っていないことを認
 めた。
・実際、ギンズバーグの思慮のない言動は、役に立たないどころのものではなかった。
 ギンズバーグはモニカに電話で、カルフォルニア弁護士会報から何か書いてくれと依頼
 があったと告げた。
 モニカは、自分の名前がこれ以上ひとり歩きするようになると、訴追免責を手に入れる
 チャンスをふいにするのではないかという不安を感じた。
 ギンズバーグが下書き原稿を読んで聞かせたとき、モニカはいちばん恐れていたことが
 現実になったのに気づいた。 
 ギンズバーグが読み上げる。
 「さて、独立検察官殿、あなたのおかげでわたしたちは、大統領のペニスにキスをした
 のがファーストレディーだけでないことを知りました」
・モニカは仰天した。
 「ビル、こんなこと書かないで!死んでもいや!そんな下品でおぞましい文章、生まれ
 てこのかた見たことがないわ」 
・決して反省したわけではないが、モニカの言わんとしていることに気づいて、ギンズバ
 ーグは表現をやわらげ、論文がいつ掲載になるか渉外担当のジュディ・スミスに知らせ
 ることを約束した。
 しかしこの顛末は、さっそく周囲に漏れていた。
・今や起訴は目前で、しかも自分の弁護士は大衆のあざけりの的でしかない。
 モニカは、早急に手を打つ必要を感じた。
 家族会議が再び開かれ、モニカの事件を引き継ぐ意思のある弁護士の簡単なリストの作
 成を、ビリー・マーティンに任せることが決まった。
 新しい弁護団のメンバーは、冷酷無比なベルトウェイ環状線の内側の連中を相手に、う
 まく立ち回ることができる百戦錬磨の弁護士であるべきだという点で家族の意見は一致
 した。
・公式発表のちょうど30分前、ジュディとモニカはギンズバーグに、彼の弁護士として
 の役目は終わったと告げた。 
 ギンズバーグは怒り狂った。
 あれほど世話になっておきながら恩知らずな人間とモニカを非難し、具体的な内容は口
 にしなくても、十分不気味なニュアンスをこめて、自分自身と家族、それに自分の事務
 所を守るために打つべき手は打たしてもらうと脅迫した。
・マーシャの見解は、おおむね深い洞察にあふれている。
 「ギンズバーグは、メディアの注目を受けて堕落した代言者なにです。メディアに注目
 されて、彼は弁護士としての自分の役割を見失ってしまいました。ギンズバーグにとっ
 ては、モニカを守るよりメディアの炎をあおるほうが大切だったのです。私たちの目標
 が訴追免責であることは、最初から最後まで変わりませんでした。だってモニカは、検
 察側と私たちの両サイドにとって、いけにえの仔羊にすぎないことがはっきりしていま
 したから。ケネス・スターへの嫌悪に目がくらんで、ギンズバーグは目標が見えなくな
 ったのです。とどめの一撃は、モニカが大統領と性的関係を持ったことを事実上認めた、
 スターへの公開質問状でした。あれは受け入れがたいものでした」
・弁護士の交代劇は、プロらしくスマート、かつ迅速に、そして今度ばかりはメディアへ
 のリークもなく進んだ。 
 静かに控えるモニカの前で、スタインとカチャリスが手早く発表をすませ、そのニュー
 スは全国紙の見出しに躍った。
・これまでの2、3カ月のあいだにモニカを裏切ったのは、彼女が信頼し、愛していた人
 ばかりだった。
 これとはまったく対照的に、モニカがあまりよく知らない人たち、あるいはあまり顧み
 なかった人たちの中にこそ、輝ける高潔な士はいた。
 アパートのドアマンは、モニカの家から出たごみ袋を、ジャーナリストたちがあさろう
 とするのを阻止してくれた。
 駐車場の係員は、モニカの動向を耳打ちしてくれれば、5千ドルを差し出すという新聞
 記者の申し出をはねつけた。
 モニカは、こういった人々の心遣いに、心から感謝している。
・赤の他人でさえ、モニカに対して深い同情と理解を示した。
 世界じゅうから、何千通もの支援と激励の手紙が届いた。
 「あなたはこのスキャンダルにいっさい責任はない」
 という101歳の女性からの手紙に、モニカは大いに慰められた。
・スウェーデンのある男性は手紙の中で、モニカとその家族が味わっている深刻な恐怖に
 深い理解を示した。
 「ふと気づけば合衆国の、とてつもない巨大な権力と対峙しているなんて、これほど恐
 ろしいことがほかにあるでしょうか」 
 と、彼は書いている。
 
屈辱のスター・リポート
・モニカは新しい弁護団と5日間にわたる打ち合わせを行った。
 その結果彼女が、風見鶏的略奪者という世間一般のイメージとはほど遠く、世慣れてい
 ないにしても頭の切れる、ずば抜けて信頼性の高い、率直な証人であるということが証
 明された。
 しかしこれまでのところ、モニカ側はそれをスターに納得させることができなかった。
 独立検察官事務所とモニカの弁護団とのあいだで開かれたミーティングで、スター検察
 官補ボブ・ビットマンは、モニカを偽証罪と司法妨害の罪で告発する見込みが非常に高
 いと強調した。
・モニカとその家族が心底喜び合える瞬間が訪れた。
 メリーランド州検事が、リンダ・トリップがモニカの承諾なしに電話を録音したのは、
 州法違反にあたるのではないかと見て、調査を開始したと発表したのだ。
 ルインスキー一家はこのニュースに大喜びした。
・スターは大統領に大陪審で証言するようにという召喚状を提出し、歴史に名を残すこと
 になった。  
 今スターに必要なのは、世界で最も権力を持つ男を取り調べる前に、検察の第一証人に
 なる可能性のある人物から、ありったけの情報を集めることだった。
・安堵のために、モニカは高い代償を払わねばならなかった。
 実刑判決は免れたものの、彼女はそれよりもっと残酷で容赦のない罰を受けていた。
 系統だった法律上のプロセスがひとつ、またひとつと進み、それにつれてモニカの人間
 としての尊厳と自意識は、一枚一枚皮をむくように、ゆっくりとはぎとられた。
 最終的にモニカは、歴史上最もひどい屈辱に耐えた女性となったと言っても過言ではな
 いだろう。 
・モニカ・ルインスキーをおとしめる作業は7月に始まった。
 彼女はその日、FBIが彼女アパートをはじめて家宅捜査した際に見逃した、大統領か
 らの贈り物をすべて提出しなければならなかった。
 なかでもいちばん大きな意味を持っていたのは、1997年2月、モニカが大統領との、
 あの性的接触の際に身につけていた紺のワンピースを検察側に引き渡したことだ。
 ワンピースはFBIの研究所に運ばれ、DNA鑑定を受けることになった。
 鑑定の結果、その紺のワンピースは、他の証拠とは一線を画し、大統領がモニカ・ルイ
 ンスキーと性的関係を持ったことの決定的証拠となった。
・第三者の多くは、モニカがなぜそのワンピースを捨てて、証拠隠滅してしまわなかった
 のか、あるいは少なくとも、免責取引に合意する前に汚れを洗い落としてしまわなかっ
 たのか、疑問を感じている。
・モニカは言う。
 「私はそれを引き渡すことについて、ずいぶん長い間悩んだんです。いっそ洗濯して、
 『ワンピースはこれです。でも洗っちゃったわ』って。だけど、誰かに見張られている
 という妄想が絶えず頭から離れませんでした。うそ発見器にかけられる可能性があり、
 そんなことになれば証拠に手を加えて法律を破ったことが検察側にわかってしまう。そ
 して司法妨害で告発されて、免責特権を失うことになっていたでしょう」
・連日の質疑応答は長く退屈で、身悶えしたくなるほどばつの悪いものだった。
 大統領との親密な行為について質問されたときは、とりわけそうだ。
 質疑応答が進んで、2、3日たち、ふたりの女性検察官が、大統領との関係の性的な面
 に関して細かな質問を始めると、モニカの屈辱は本格的なものになった。
 大統領がモニカの下腹部にパンツの上から触られたとき、それはモニカにとってオナニ
 ーと同じ結果になったのかと尋ねられたとき、モニカは泣き崩れ、部屋を出て気持ちを
 落ち着かせなければならなかった。
 この反対尋問はモニカの記憶に、苦しいばかりでなく、露骨で不快な経験として残った。
・検察官たちから、どういう質問をすれば大統領の意表をつけると思うか、生活のつまら
 ない細部まで検察側が握っていることをわからせ、平静を失わせられると思うかと相談
 されたときも、モニカは、性的関係を尋ねられたときと同じぐらいに動揺した。
 彼女にはとても答えられなかった。
 真実は話すけれど、大統領を弾劾する検察官たちを手伝うつもりはまったくない、とモ
 ニカは応じた。    
・きびしい質疑応答の1週間がすぎて、8月、モニカは大陪審の前に出廷することになっ
 た。
 23人の大陪審の陪審員の前に立ったモニカはついて、ヴァーノン・ジョーダンが就職
 活動に関与した細やかないきさつのみならず、大統領との情事の模様を細やかに語った。
 彼女がビル・クリントンと持った性的関係の赤裸々な叙述が法廷の関心をさらったのは、
 当然のことだった。何よりそのために大陪審は召集されたのだから。
 陪審員たちにわかりやすいように、そしてまた、モニカが証言の中で親密な性的接触を
 詳しく説明するはめになるのを避けるために、独立検察官たちは、主な出来事を一覧表
 にまとめていた。
 その表にはいくつもの項目がもうけられ、そのひとつ、”性的関係”の項目に”オーラル
 セックス”と書かれ、横にはモニカがホワイトハウスで大統領と肉体的な親密な接触を
 持った日付が列挙されていた。
 それはモニカにとって、屈辱的であると同時に胸をかきむしられる経験となった。
 一覧表の無味乾燥な言葉が、情事にいたったさまざまな感情を、徹底的に歪曲したので
 ある。
・大統領の証言が、ついに舞台の前面に押し出されてきた。
 モニカが大陪審で証言を終えた今、大統領への圧力はますます大きくなった。
 モニカが法廷で証言した日の数日後、大統領はホワイトハウスからテレビ画面を通して、
 大陪審の前で尋問を受けるだけでなく、その後、国民に向けた談話を発表する予定であ
 ることが明らかにされた。
・心の奥底でモニカは、彼が何カ月も前にふたりの関係を認めていればよかったのにと思
 っていた。もしその時点で関係を告白し、謝罪していてくれたら、ふたりともこんな圧
 力にさらされずにすんだはずではないか。
 しかし告白しない道を選んだからには、彼はその報いをこれから受けなくてはならない。
 モニカが独立検察官事務所に協力し、その結果、検察側が大統領に不利な証拠をたくさ
 ん手に入れたことを考えると、モニカは胸が痛んだ。
・その夜、大多数のアメリカ人と同じように、モニカは、かつて結婚したいと思った男の
 言葉に、大いに失望させられた。
 4時間以上にわたって、スターとその6人の検察官補たちと大陪審の前でわたり合い、
 疲労困憊して動揺を隠しきれない大統領は、人を説得する話術が最大の武器となるはず
 にもかかわらず、自分のふるまいを、現場をおさえられた大統領ほどには後悔していな
 いという印象を大衆に与えた。
 テレビを観た多くの人々は、嘘をついたことを大統領が心底から悔いていないこと、モ
 ニカが受けた扱いにいたっては、わびる気持ちがみじんもないことを感じ取った。
・そのテレビ演説で、いまだ保留中の大陪審の前で宣誓証言をした最初の現職大統領は、
 大衆をあやまった方向に導いたことをはじめて認めた。
 しかしながら、ポーラ・ジョーンズ裁判で行った証言については”法的に正しい”こと
 を強調したのである。
 大統領はまた、モニカ・ルインスキーと”不適切”な関係を持ったことを告白し、こう
 続けた。
 「私は、この問題に関する私の公けのコメントと沈黙が、みなさんにあやまった印象を
 与えたことに気づいています。私は妻を含めて、国民のみなさんをあやまった方向に導
 きました。そのことを深く後悔しています」
・しかしこの4分間にわたる演説は、後悔と謝罪の言葉というよりむしろ、自分の行ない
 を必死に取り繕おうとする、自己弁護の言葉にすぎなかった。
 終わりごろになってようやく、いくばくかの正直さがスピーチに輝きを与えた。
 それは、自分の私生活に踏み込んだケネス・スター検察官を非難し、4年間にわたる調
 査を終わりにするよう求めた結びの部分だった。
・そのテレビ演説を観て、モニカは泣いた。
 彼は政治家で、大統領でしかなかった。
 モニカの愛をあれほどかきたてた男、ビル・クリントンの姿は影も形もなかった。
 「どうしてあんな男に、あそこまで心を奪われたのかわかりません。あまりに独り善が
 りで、自己中心的でした。私は、彼がきっと私のことを認め、かんらかの形でそれを示
 してくれるものと思っていました。私のことを善良で聡明な人間だと称え、私をつらい
 目にあわせている者を、すぐその行為をやめるようにと、世間に向かって言ってくれる
 ものと期待していたのです」
・二度目の大陪審への出廷の際、モニカは大統領の宣誓証言に異議の申し立てをするとい
 うより、陪審員の質問に答えるために召喚された。
 モニカは以前に比べてはるかにリラックスし、法廷にいることで妙に気分が高揚してい
 ることに気づいた。
 そのころには、法廷で見かける顔や法廷での手順にかなり詳しくなり、そのうえ、感情
 を切り替える能力も身につけていたのだ。
・モニカはこの日の出廷を、やきもきちして待っていた。
 この日の一問一答に、ひょっとしたら起死回生のチャンスがあることを知っていたのだ。
 しかしどれほど気をしっかり持とうとしても、その日経験した、純然たる屈辱に耐える
 ことはできなかった。 
 彼女の性衝動や性格、日ごろのおこない、精神状態までもが、23人の見ず知らずの他
 人の前にあらわにされた。
 弱点がひとつ見つかれば、あるいはうっかりへまをしたり、馬鹿な発言をひとつすれば、
 ここぞとばかりにそれが俎上にのせられた。
 陪審員の質問は、耐えられないほどばつの悪いものであり、情け容赦のないものだった。
 それまでに大統領がセックスで葉巻を使ったことは?彼はあなたの胸を触ったのか、そ
 れとも性器に触ったのか?それは服の上からか、それとも肌に直接触れたのか?無駄な
 努力と知りながらモニカは、わずかに残された自尊心を保つために目を閉じて答えるこ
 ともあった。
・プライベートな性生活に関する質問以上にモニカをまごつかせたのは、彼女が何年も苦
 しめられてきた性格上の欠点や弱点、短所について、宣誓供述をさせられたことだった。
 モニカが一番苦手とした陪審員は、中年のアフリカ系アメリカ人女性で、モニカに強い
 不満を抱いているらしかった。
 その陪審員は、大統領との情事が嘘から生まれたものなのに、どうしてモニカは、ふた
 りの関係を真実と真心にあふれたものだったと語ることができるのだと、過酷な質問を
 放った。
 「あなたは若く、はつらつとしている。そんなあなたがなぜ、手に入れる資格のないも
 の、手の届かないものを追いかけ続けたのか、わたしにはどうしてもわかりません」
・それはとてもむずかしく、そしてモニカの胸にこたえる質問だった。
 もっと自分を律する必要があったことを認め、既婚男性と性的関係を持ったことについ
 ては特に後悔しているとモニカは述べた。
・賢い女性でも愚かな選択をすることがある。
 「それは私が直面した中でも、最も手ごわい質問でした。まるで、世間の前に素っ裸で
 立っているような感じがしました。どうぞ見てくださいって、弱点のすべてをさらけ出
 して」と、モニカは振り返る。
・モニカは、7カ月にわたる証言拒否のすえに、ようやく自分の正当性は立証されたと感
 じた。 
 モニカにとって心の慰めはただひとつ、これでやっと独立検察官や大陪審やFBIと縁
 が切れたという安堵感に浸れることだった。
・その夢は、はかなく破れた。
 大統領が大陪審に対して行った宣誓証言の中の発言のために、モニカは独立検察官事務
 所から、ふたりの性的関係について宣誓のもとに証言するようにという要請を受けたの
 だ。 
・要求はそれだけではなかった。スター独立検察官は、大統領にいつ、どこで、なぜ、
 どのようにオーラルセックスを行なったのかという経緯をはじめ、それ以外の性的関係
 についても詳しくモニカが語る様子をビデオに録画することを望んだ。
・ビデオテープによる証言は小さな子どもが関係する裁判、特にレイプや性的虐待に関す
 る裁判でよく用いられる。
 しかしその場合、ビデオによる証言は、関係者のみが集まった非公開法廷で再生され、
 外部にその内容が漏れることはけっしてない。
 ところが、スターが報告書と、段ボール18箱分の証拠物件を議会に提出すると、細か
 な点にいたるまでほとんどすべてのことが公表されたのだ。
・スターのセックス・ビデオも、ひょっとしたら一般に公開されたかもしれない。しかも
 公開されれば、それがベストセラーになるのはまちがいないと考えると、モニカは目の
 前がまっくらになった。
・スターが議会に報告書を提出した。
 間髪を入れず、大統領の弁護士デイヴィッド・ケンドルが報告書に反論し、こう述べた。
 「これは個人攻撃であって、弾劾の規準を満たしていない。報告書の、みだらで根拠の
 ない申し出は、大統領に恥をかかせ、当惑させ、政治的に損害を与えることを狙ったも
 のに過ぎない」 
・9月、大統領はふたたび公開の意を示してフロリダの聴衆に語りかけた。
 「私はみなさんを失望させました。家族を失望させ、この国を失望させました。しかし
 私はあやまちを正そうとしています。そしてもう決してこういうことが起こらないよう
 決意しています」  
・その2日後、下院がスター・リポートをインターネット上で公開するよう求める決議を
 行うと、罪を深く悔いるクリントンは、ホワイトハウスで行われた祈祷朝食会でこう述
 べた。
 「いくら言葉を尽くしても、私が犯したあやまちを消すことができません」
 しかし彼はその場で、家族や友人や同僚に対してだけでなく、モニカやその家族に対し
 ても、はじめて謝罪の言葉を口にした。
・モニカはのぼせあがったストーカーに過ぎず、彼と関係を持ったというその主張にはほ
 とんど根拠がないと政策顧問に語った。
 あの闇に閉ざされた日々から、大統領もよくここまできたものである。
 当然のことだが、モニカはこの遅まきの謝罪を”一日遅れの一ドル不足”と感じた。
・大統領は証言の中で、スターの検察官補たちがモニカをまるで”重罪犯”のように扱った
 と抗議した。  
 モニカは、彼が大統領としてではなくひとりの人間として語ったと信じている。
 さらに大統領は、リンダ・トリップが「モニカを背後から刺した」ことを非難し、自分
 の政敵が資金を流しているいんちき事件と評したポーラ・ジョーンズ裁判に、モニカが
 巻き込まれていくのを見て「胸がはりさけそうだった」とつけ加えた。
・しかし政治家としては、モニカとの関係の、性的であると同時にロマンチックな面をな
 かなか認めようとはしなかった。 
 彼は、モニカと”不適切な親密なふるまいと性的な悪ふざけ”にふけったことは認めたも
 のの、自分が理解している定義の範囲内では、その好意は性的関係にあてはまらないと
 異議をとなえた。
・大統領が味方についたことと、その後悔の言葉は、モニカの魂に鎮痛剤の役目を果たし
 たが、何をもってしても、どんな人間でも、スター・リポートがモニカの感情に与えた
 深くおぞましい傷を癒すことはできなかった。
 リポートの全文がインターネットで公開されたとき、それを目にしたモニカは恐怖の声
 をあげて、調書をスクロールして、ひとくだりごとに文句を言った。
・モニカが恥ずかしがるのも、まったく無理のないことだった。
 リポートは、例の葉巻をめぐる一件も含めて、そのあまりに詳しい性的な描写と、最も
 個人的でプライバシーにかかわる資料をもとにしているために、猥雑な読物になってい
 た。 
 そのうえ、モニカはその時点ではまだ知らなかったが、極秘の面接として内容を伏せら
 れるはずだった彼女の”セックス”の宣誓証言が、2、3週間後には全面的に公開される
 ことになっていた。
・テープが一両日中にも公開されると知り、そしてそれがどれほど胸の痛みを引き起こす
 かを考えて気が変になりそうだったモニカは、睡眠薬を飲んでその日一日をベッドと過
 ごすつもりだった。
・モニカの恐れていたとおり、スター・リポートによっても、そしてトリップのテープに
 よってもいちばん深く傷つくことになったのは、彼女が最も愛する人たちだった。
 いちばん悲しい結果のひとつは、いちど癒されたかに見えた父娘の不和が、ふたたび再
 燃したことだった。

結論ーこれはわたしの魂と肉体の物語
・近ごろモニカはクリントンを、ひとりの男としてより政治家として、しかもモニカと国
 家に嘘をついた政治家として見るようになった。
 「あまり誠実でない人だとわかっていたけど、去年の一連の出来事で、思っていた以上
 の大嘘つきだと知りました。今わたしの目に彼は、四六時中嘘をつきどおしだった、自
 己中心的な男と映っています。そのことにとても腹が立ち、くやしさを感じます」
・助けを必要としているときに自分を捨てた大統領のやりかたに深い憤りを覚えているの
 と同様に、モニカはリンダ・トリップとその一味、つまりモニカと大統領を裏切った者
 たちにも激しい嫌悪を感じている。
・怒りと手を携えてやってくるのは、自分の家族や友人だけでなく、大統領とその家族、
 とりわけチェルシー・クリントンの苦悩と心の痛みの原因となったことへの、圧倒的な
 罪の意識だ。
 3年前に、人目を忍ぶスリルに満ちた情事として始まった関係が、現職の合衆国大統領
 に対する、前代未聞の弾劾裁判として幕を下ろしたことを、モニカはいまだに信じられ
 ず、まして受け入れられずにいる。
・1998年12月半ば、党に忠誠を誓った議員たちのぎりぎりの過半数を得て、議会が
 クリントンの弾劾を決議したとき、モニカは自分を責めた。
 「ほんとうに彼には悪いことをしたと感じました。泣きに泣いたんです。とてもみじめ
 でしたし、現実になろうとしていることが信じられませんでした」
・モニカは、もしリンダ・トリップに秘密を打ち明けたりしなければ、この一連の破滅的
 な出来事は決して起こらなかったはずだと自分に言い聞かせ、大統領の苦難をひとえに
 自分の責任とする。
 しかし、大統領はポーラ・ジョーンズ裁判とスターの大陪審の前で行った宣誓証言によ
 って、みずからの権威の失墜に手を貸していたのだから。
・弾劾のニュースに耐えきれず、モニカが悲しみに沈んで一日をベッドで過ごしているあ
 いだ、アメリカ国民は下院が大統領の弾劾を決議する一方で、その当事者が最高指揮官
 として国の軍隊に、イラクへの空爆命令を下すのを、茫然として見守っていた。
・歴史に残るクリントン大統領の、上院での裁判は、モニカの心に不安と罪悪感をかきた
 てたばかりか、証人を喚問すべきかどうかという議会の議論に、また新たな怒りを覚え
 た。
 証人の喚問は、クリントンの敵対者がなりふりかまわず願っていることだった。
 毎日モニカは、商人として喚問されるのではないかとおびえ、上院のきびしい訊問をう
 ける自分の姿が、ゴールデンタイムのテレビに生中継される姿を想像して、戦々恐々と
 していた。
・下院の訴追委員たちとホワイトハウスの弁護団による、思わず引き込まれるような司法
 論争のあと、弁護団のひとり、そしてクリントン一家の親しい友人であるデール。バン
 パースが、議会に、そして国民に、この人間悲劇のスケールの大きさを思い起こさせる
 役目になった。
・90分間の閉会の辞の中でバンパースは、スターのホワイトウォーター事件に関する調
 査が始まってから5年間、クリントン一家が眠れぬ夜を過ごしてきたこと、膨大な弁護
 士費用に苦しめられていること、そしてとりわけ、ルインスキー・スキャンダルが表ざ
 たになったことで生じた、感情面でのマイナスの余波について語った。
 この調査は”夫婦の関係、父娘の関係”に大きな緊張を強いたと彼は続け、大統領と娘チ
 ェルシーとの信頼関係は、もはや崩壊したも同然であるとつけ加えて、こう結んだ。
 「この問題には、調和あるいはバランス感覚が完全に欠如している。告発および処罰は、
 この問題にまったくふさわしくない」
・感情面で大きな代償を支払い、生活をことごとく破壊されたうえでモニカが手にした名
 声は、彼女ばかりかその家族や友人たちに、経済的な面でも過酷な出費を強いた。
 その支払いはいまだに続いている。
 この年俸4万ドルの事務職員は、昨年一年間、自分の家族と友人たちの生活が踏みにじ
 られ、食い物にされるのを黙って見ているしかなかっただけでなく、100万ドル相当
 弁護士費用を背負い込んだのだ。
・ふたりの強大な宿敵どうし、クリントン大統領とスター検察官の権力闘争に、モニカの
 運命はひとつの駒として利用された。
 そのうちのひとりのために、モニカは胸が張り裂ける思いを味わい、残るひとりは、彼
 女の心を破壊しようとした。
 油断がならないのは後者のほうだ。
 今でもモニカは、独立検察官がこの瞬間にも訴追免責を取り消し、彼女を刑務所送りに
 するのではないかと、絶えず脅えている。
 独立検察官がモニカを、容赦ない支配のもとに置いていることはまちがいない。
 
若さという愚行の代償
・日本でもモニカ・ルインスキーとクリントンをめぐる”事件”を知らない人はいない。
 ”不適切な関係”という言葉は、流行語になった。
 しかし、ほとんどの日本人は、モニカ・ルインスキーにつて、ホワイトハウスの元実習
 生、大統領のストーカー、葉巻、大統領の精液がついたワンピースなど、センセーショ
 ナルで断片的なことしか知らないのが実状ではないだろうか。
 テレビのインタビューや本の印税で、四百万ドル近く稼いだなどという報道が先に入っ
 てきた日本では、よけいに、若いのにふてぶてしい女という印象がもたれているような
 気がする。
・しかし、モートンが描くモニカ・ルインスキーは、堅実なユダヤ人家庭に育った、頭の
 回転が速い有能な女性で、セクシーさを売り物にする妖婦じみたところはまったくなか
 った。
 いったい彼女はどんな悪いことをしたのかという疑問も湧いてきた。
 確かに妻子ある男性と関係を持ったのは、責められるべきかもしれない。
 しかし大陪審という公の場に引きずり出され、性的な行為を不特定多数の人間の前でさ
 らされる必要があったとは、とても思えない。
・モニカ・ルインスキーに関する報道は、狂乱の体を示していた。
 また法的にも彼女は切迫した立場に追い詰められていく。
 FBIに追及され、自殺も考えたという述懐も、あながち大げさなものではないだろう。
 それはすべてアメリカ合衆国大統領と関わってしまったがために起こったことである。
 その一点さえ除けば、モニカは平凡な、中流階級のアメリカ人と言える。
・ビル・クリントンも不思議な人物だ。
 偽証強要と司法妨害で弾劾裁判まで受けながら、大統領の職にとどまり、おそらくその
 まま任期をまっとうするだろう。
 NATO軍のコソボ空爆、コロラド州の高校での銃乱射事件など、アメリカ国内外で大
 きな問題が立て続けに起きている。
 その最高権力者としては、もう不倫問題になど関わっているどころではないかのように、
 精力的な政治活動を続けている。
・もともとクリントン大統領は、政治家としての手腕はともかく、私生活においては、あ
 まり立派な経歴を誇ってはいなかった。
 多くの女性と浮き名を流し、セクハラ疑惑もつきまとう。
・しかし、モニカが語るクリントン像を読んで、私は唸ってしまった。
 ひとことで言うなら「モテる男はやはり違う」ということだろうか。
・ルックスや社会的地位などは、一時的に女性を惹きつけるかもしれないが、その気持ち
 は持続させるのは、まったく別のものだと痛感したのだ。
 殺人的に忙しいはずの公務の合間をぬって電話をする。
 贈物をする、プレゼントされたネクタイを印象的な場面で締めるといった、まめな行動。
 モニカの不満をきちんと聞いてやる忍耐力。
 そして「少年のような」と表現される、無防備な可愛げ。
 「よくここまでできるものだ」と感じた読者も多いのではないだろうか。
 モニカといっしょにいるときに、クリントンが涙を見せるくだりがあるが、表向きの顔
 がタフで強い男であるほど、ふと見せる弱さに女性がほだされるのは、洋の東西を問わ
 ないようだ。
 それにしても、私生活のスキャンダルが政治家の命取りとなるアメリカで、政治家とし
 て生き残り、おまけに離婚もしていない運の強さにも驚くばかりである。
 運、度胸、「ある種の」誠実さといったものを持ち合わせていたからこそ、生き残った
 ともいえるかもしれないが・・・。
・しかし、モニカのほうは、大統領ほど世慣れていなかった。
 彼女の不幸は、本人も言っているように、”若く、未熟だった”人間が、一国のリーダー
 に関わってしまったことだろう。
・若さは、一面においてはすばらしい。
 エネルギーにあふれ、人生のある時期しか持ちえない、きらめきを発している。
 けれども、その貴重なエネルギーを、ばかばかしく、くだらないことに使ってしまうの
 も、また若さゆえである。
 青春時代を振り返れば、誰でもひとつやふたつ、人に言えないようなことをやってきて
 いるだろう。 
・私は、たとえ今、二十歳に戻してやろうと言われても、ノーと答えると思う。
 人を傷つけたり、自分が傷つけられたり、あんな不安定で苦しい時期は、一度でじゅう
 ぶんである。
 しかし、若いうちの愚行は、たいていの場合、自分と、ごく限られた人の胸にしまわれ
 る。
・それを法という正義のもとに公衆の面前に引きずり出され、みずから語らなければなら
 なかったのが、モニカの悲劇だった。
 本人や家族の苦悩は、愚行の代償としては、あまりにも大きい。