劣化国家 :ニーアル・ファーガソン

この本は、いまから10年前の2013年に刊行されたものだ。
この本の著者はイギリス生まれの歴史学者で、専門は経済・金融史のようだ。
この本の中では、主にアメリカやイギリスなどの先進国の衰退とその未来像について持論
を展開している。
この衰退する先進国の中には、もちろん日本も含まれるのであるが、同じ衰退と言っても
アメリカやイギリスの衰退に比べたら、日本の衰退はもはや末期的な領域に入っていると
言えるだろう。

この本の著者によると国家の巨額の債務を解消する方法は次の3つの方法しかないという。
 @技術イノベーションの助けを借り、また(場合によっては)賢明な金融刺激策を実施
  して、成長率を金利以上に押し上げる。
 A公的債務の大部分を不履行にし(デフォルト)、かつ民間債務は破産によって棒引き
  にする。  
 B通貨切り下げとインフレーションで債務を帳消しにする。
このうち、日本では@の方法は今までに何度も試みられ失敗しており、もはや成功するの
は夢のまた夢であろう。残された方法はAかBの方法しか残されていない。
しかし、どちらの方法を取るにしても、われわれ国民の生活は地獄になる。
でも、これもわれわれ国民がデタラメな政治家に長年にわたって政権を委ねてきたツケで
あるからして甘んじて受けるしかないだろう。

国家とはなにか。それが日本の(立法・行政・司法)の組織の総体を指すならば、現在の
日本という国家は、明らかに「劣化国家」と言って間違いないだろう。
現在の日本の政治(立法・行政)の中核をなしているのは自民党だ。その自民党が腐りき
っているということが、最近の政治資金パーティー券の裏金問題で、またもや露呈してい
る。
森友学園問題、加計学園問題、桜を見る会問題、旧統一教会問題などなど、さんざん自民
党政権の腐敗政治を見せられてきたが今回はこれらに加えてさらに、これでもかというよ
うにこの裏金問題が加わった。
長年にわたり政権の座に居座り続けてきたことにより、”おごり”が生まれ、国家権力を私
物化し、権力を濫用し、裏でデタラメなことをやっている。”何をやっても大丈夫だ”と、
完全に主権者である国民をナメてかかっているのだ。
これはもはや「劣化国家」「デタラメ国家」などの表現では足りないくらいの腐りきった
状態と言えるのではないのか。

”特捜部がんばれ”という声も上がるが、このようになってしまった国家の改革は、公的機
関に任せても無理だろう。”特捜部”だって国家権力の下にある。
やはりこれは公的機関の外からの力によらなければならないのだ。それは市民社会の団体
の力によらなければならないということだ。
要するに私たち自身が、主権者として徹底的に糺弾していかなければならないのだ。

過去の読んだ関連する本:
国家の暴走
私物化される国家
長期腐敗体制


なぜ西洋は衰退したのか
・西洋の減速に対する最近はやりの説明に、「デレバレッジ(債務の圧縮)」というもの
 がある。
 債務圧縮という痛みを伴うプロセスが、その原因だというのだ。
・なるほど今日の西洋の債務は、空前ともいえる規模までに膨れ上がっている。
 官民合わせた債務残高がGDPの250%を超えたのは、アメリカ史上まだ2度めのこ
 とでしかない。 
・1930年以降、現在のアメリアをはじめとする、英語圏のすべての主要国、ヨーロッ
 パ大陸の全主要国、それに日本と韓国のように、当初の債務の対GDPが250%を超
 えたのは、8例にしぎなかった。
・愚かにも右肩上がりの不動産神話をあてこんだ家計や銀行が、いまや必死にその債務を
 減らそうとしている。
 だが消費を抑え貯蓄を増やそうとしたために、総需要が落ち込んだ。
・政府と中央銀行は、そのプロセスで致命的な債務デフレーションが起きるのを防ぐべく、
 平時には前例のない規模の財政・金融刺激策をもって介入している。
・こうして公的部門の赤字支出には、経済収縮を緩和する効果はあったものの、その一方
 で、民間部門の債務超過危機が、公的部門の債務超過危機に転じるリスクがある。
・同様に、中央銀行のバランスシート(マネタリーベース)拡大は、銀行の連鎖倒産を防
 ぎはしたが、いまではリフレーションや経済成長に与える効果は逓減しているように思
 える。
・しかしいま生じているのは、単なるデレバレッジではない。
 この国でも、ヨーロッパではおなじみの這う這うで失業が陰蔽され、恒常化している。
 すなわち、健常者が障害者に分類され、二度と働かなくなるのだ。
 また最近の労働者は、同じ場所にとどまる傾向がある。
 アメリカでは昔から毎年人口の約3%が、主に職を求めて別の州に移り住んでいた。
 だが金融危機が始まった2007年以降、移住率は半減した。
 社会的流動性(社会階層間での移動)も低下している。
 上位1%の富裕世帯が国民総所得に占める割合は、1970年の9%から2007年に
 は25%に増えた。
 これらすべてのことを、デレバレッジのせいにはできない。
・財政危機に陥っているのは、なにもアメリカだけではない。
 日本、ギリシャ、イタリア、アイルランド、ポルトガルも、公的債務残高がGDPの
 100%を超えるクラブの一員だ。(日本の債務はGDPの512%)
 日本は公的債務の対GDP比率を持続可能な水準に保つのに、アメリカよりずっと苦労
 している。 
・また低成長と不平等の拡大という双子の問題に苦しんでいるのも、アメリカばかりでは
 ない。
 上位1%世帯が国民所得に占めるシェアは、1980年頃から英語圏の全域で拡大して
 いる。
・だが、それ以外の国、たとえばヨーロッパで経済的に最も成功しているドイツなどでは、
 不平等の拡大は見られない。
・途上国の一部、とくにアルゼンチンなどでは、グローバル化を伴わないまま不平等が拡
 大している。
・どんな重債務国も、債務軽減のためにとれる施策は限られる。
 原則として次の3つだ。
 1.技術イノベーションの助けを借り、また(場合によっては)賢明な金融刺激策を実
   施して、成長率を金利以上に押し上げる。
 2.公的債務の大部分を不履行にし(デフォルト)、かつ民間債務は破産によって棒引
   きにする。  
 3.通貨切り下げとインフレーションで債務を帳消しにする。
・かつてのアメリカは、無一文の家庭が一代のうちに巨万の富を築くことができる、機会
 の国として知られていた。
 だが今日、所得分布の下位5分の1の家庭に生まれた子どもが、大学を出ずに上位5分
 の1にのしあがる確率は、たった5%でしかない。
・「高知能エリート」と名づけられた人々、つまり特権的な私立大学を出て、ひと握りの
 高級住宅街の住民同士で結婚し、そこに固まって住む人たちは、新しいカーストの様相
 を強めている。
・福祉国家は、古代ギリシャ人が思い描いた民主主義のうちには入らない。
 ハチにたとえを用いれば、福祉国家は、働きバチが扶養しなければいけない「被扶養雄
 バチ」を、ますます量産しているように思われる。
 働きバチから被扶養雄バチにただ資産を移すだけのためにも、おびただしい数のハチが
 雇われている。
 そのうえ福祉国家は、公的債務という形で将来世代に重いツケを回すことで、必要資金
 を賄おうとしている。
・私の関心は、経済発展ではなく、制度の衰退にある。
 私にとって最も重大な疑問はこうだ。
 現代の西洋世界の、いったい何がまずかったのか??
 西洋の衰退の本質を理解しない限り、単なる症状でしかないものに、いんちきな治療を
 施して、時間を無駄にするだけだという信念をもって、答えを探りたい。
 
ヒトの巣:民主主義の赤字
・私が出発点とする前提は、一般に政府にとっては、何らかの形で被統治者を代表する方
 が、代表しないよりいいという、月並みのものだ。
 その理由は、民主主義それ自体がよいものだからというだけでなく、代議政治の方が独
 裁政治よりも、大衆の意向の変化に反応しやすく、したがって独裁君主が犯しがちな恐
 ろしい間違いをしでかす可能性が低いからでもある。
・北京型の一党独裁国家に憧れるのは間違っている。
 中国に経済特別特区と一人っ子政策をもたらしたのも、この体制だったことを忘れては
 いけない。 
 前者は成功したのが、後者は大失敗で、その代償の全貌はいまだ計り知れない。
・とはいえ西洋民主主義の批判者は、わたしたちの政治制度がどこかおかしいことに気づ
 いている点では正しい。 
 いちばん目につく不調は、ここ数十年で雪だるま式に膨れ上がった、巨大な債務だ。
・問題の核心は、公的債務というしくみのおかげで、現世代の有権者が、投票権を持たな
 い若者やまだ生まれていない人たちの金を使って生きていけることにある。
・気が遠くなるような債務の金額は、すでに定年を迎えたか、定年間近な世代による、子
 や孫の世代への莫大なツケ回しにほかならない。
 将来の世代は、大幅な増税か大幅な公共支出の削減のいずれかの形で、思い負担を引き
 受けることを、現行法で義務づけられているのだ。  
・私がここでいいたいのは、世代間の社会契約をいかにして回復するかが、成熟した民主
 主義社会が取り組まねばならない最大の課題だということだ。
 しかしこれを阻む手強い障害があることも承知している。
 なかでも無視できないのは、若い人たちが、長い目で見て何が自分の経済的利益になる
 かを、よく理解していないことだ。
 たとえば公務員の確定給付型年金を維持するといった、和解有権者にとって不利になる
 ような政策でも、彼から支持を得るのは驚くほど簡単だ。
・もしアメリカの若者が、何が自分の利益になるかを心得ていたなら、全員が(小さな政
 府至上主義者の)「ポール・ライアン」のファンになることだろう。
・2つめの問題として、今日の西洋では、所得の再配分において民主政治が過大な役割を
 担っている。  
 そのため支出削減を訴える政治家は、政府から給料をもらっている公務員と、公的扶助
 の受給者という2つの集団から、きまって組織的な反対を受けるのだ。
・金融危機が、不況時の景気刺激手段として政府が赤字支出を行うことに、大義名分を与
 えてしまった。 
 それにいうまでもなく、インフラへの公共投資を財政赤字で賄うことは、幅広く支持さ
 れている。
・2011年に、ドイツをはじめとするヨーロッパ大陸諸国の指導者は、構造的赤字だけ
 に上限を設け、必要に応じて循環的赤字戦略を取る余地を残すという方法で、問題を解
 決しようとした。
 だがこの「財政協定」に関して問題なのは、ユーロ圏の政府のうち構造的赤字をGDP
 の0.5%以内に抑えるという条件を現時点でクリアしているのが2カ国しかなく、ほ
 とんどの国が4倍以上の構造的赤字を抱えている点だ。
 また経験上、構造的赤字の削減に本気で取り組もうとする政権は、必ず政権の座を追わ
 れることになる。
・現在の有権者の大多数が、世代間の不公平を拡大する政策を支持しているのは、とくに
 年老いた有権者の投票率が若い有権者よりずっと高いことを考えれば、驚くにあたらな
 いのだろう。
・だがもしベビーブーマーの放蕩のツケが、若者に不公平なだけでなく、万人に経済的ダ
 メージを与えるとしたらどうか?
 もうすでに現在の世代に重くのしかかっているとしたら?
・先進国の成長率が、GDP90%を超える債務の山にまったく影響されないとは考えに
 くい。 
・この混乱から抜け出る方法は、2つしかないようだ。
 望ましいがあまり実現しそうにない。
 一つ目のシナリオは、改革の提唱者がリーダーシップを果敢に発揮し、若者だけでなく、
 その親や祖父母の世代を説得して、分別ある財政政策に投票させるというものだ。
 これは至難のわざだ。
・だがこのようなリーダーシップが成功する見込みを高める方法はある。
 それには、政府の会計処理の方法を変更すればいい。
 いまのやり方は、はっきりいって詐欺的だ。
 政府は正確なバランスシートを定期的に発表していない。
 莫大な債務が目のつかないところに隠されている。
 れっきとした事業なら、こんなやり方で存続できるはずがない。
・実はもっとよい方法がある。
 公的部門のバランスシートを、政府の資産と負債を対照できるような形で作成すること
 は可能だし、ぜひそうすべきだ。
 これで投資を賄うための赤字と、経常的消費に充てるための赤字の違いを明らかにでき
 る。 
・また何よりも、世代会計を定期的に作成して、現行政策がそれぞれの世代に与える影響
 を明らかにしなくてはいけない。
・こうしたことができないなら、つまり政府財政の大規模な改革ができない場合は、望ま
 しくないが可能性の高い、第二のシナリオを取らざるを得なくなる。
 西洋の民主主義国の後を追って、財政の死のスパイラルに続々と陥るというものだ。
 この悪循環は、信用の喪失に始まり、借入コストの上昇へと続く、最後に考えうる最悪
 の瞬間に、財政支出削減と増税を余儀なくあれ、終わりを迎える。
 シナリオの最終段階には、何らかの形の債務不履行とインフレーションが必ず伴う。
 すべての国がアルゼンチンのようになってしまうだろう。
・もちろん、第三の可能性はある。
 それは現在の日本とアメリカ、そしておそらくイギリスに見られるものだ。
 債務は増大し続けるが、デフレ懸念と中央銀行による国債買入、そして「安全資産への
 逃避」により、政府の借入コストは歴史的水準にとどまる。
 このシナリオの問題点は、数十年にわたるゼロ成長が避けられないことになる。
・経済問題が悪化するなか、私たちの有権者は手頃なスケープゴート探しに躍起になって
 いる。
 財政再建というつらい役目を負わされた政治家を責める。
 そればかりか、銀行のずさんな融資が自分たちの無茶な借入の元凶だといわんばかりに、
 銀行家や金融市場までも非難する。
 規制強化を叫びはするが、規制されるのは好まない。
  
弱肉強食の経済:金融規制の脆弱さ
・2007年に始まった金融危機は、まさに複雑すぎる規制に原因があった。
・大手上場銀行の幹部は「株主価値を最大化する」強力なインセンティブを与えられてい
 た。
 彼ら自身の富と収入の大部分を、自社株と株式オプションが占めていたからだ。
 これをてっとり場役実現するには、自己資本に対する事業規模を最大限にまで拡大すれ
 ばよかった。
・アメリカの連邦準備銀行(FRB)をはじめ、世界の中央銀行は、金融政策について奇
 妙な偏った見解を持つようになった。
 資産価格が急落したときは利下げによって介入すべきだが、急騰した場合は、価格の上
 昇がいわゆる「コア」インフレ(変動の激しい食品・エネルギー価格を除外した数値)
 に対する人々の期待に影響を与えない限り、介入すべきではないというのだ。
 この手法は、俗に「グリーンスパン・プット」と呼ばれる。
・要するにFRBは、アメリカの株式市場を下支えするための介入はしても、資産バブル
 を収縮させるための介入はしないということだ。
 FRBは消費者物価インフレーションだけを気にかけ、なんらかの判然としない理由か
 ら、住宅価格インフレーションには注意を払わなくてもいいことになっていたのだ。
・アメリカ議会は低所得者世帯、とくにマイノリティ世帯の持ち家率向上を目指し法案を
 可決した。 
 これは社会的、政治的理由から、望ましいことと見なされた。
 金融という観点から見れば、アメリカの住宅市場に対して、ヘッジもかけずに高額の投
 機的な一方向の賭けをすることを、低所得者世帯に促したも同然だったが、議会もこう
 した金融機関も、そこまで考えがおよばなかった。
・市場のゆがみに最後の層を加えたのは、中国政府だ。
 中国政府は文字どおり数兆ドル規模の人民元の介入を行い、人民元の対ドルでの上昇を
 阻止した。 
 この政策の主な狙いは、西洋市場での中国の輸出製品の競争力を最強の高めることにあ
 った。
 それに、経常収支黒字をドル資産につぎこむことを決めたのは、中国だけではなかった。
 このことの副次的な、かつ予期せぬ結果として、アメリカは莫大な信用枠を手に入れた。
 黒字国が購入した資産の大部分が、アメリカの国債や政府機関債だったため、こうした
 債券の利回りは人為的に低く抑えられた。
 住宅ローン金利は、国債の利回りに連動して決められる。
 かくして、中国とアメリカのこの奇妙な経済的協力関係は、すでにバブル状態にあった
 不動産市場をさらに高騰させるのに一役買ったのだ。
・危機のカギを握っていたのは銀行であり、その銀行は規制されていたのだ。
・デリバティブの問題がなぜ重要かと言えば、最近の金融における理論的、技術的進歩の
 ほとんどについて、その経済的、社会的価値を疑問視しているからだ。
 私は彼らほどには金融イノベーションを敵視していないが、最近のリスク管理技術に、
 いろいろな意味で欠陥があったことは認めよう。
・とく、リスク分析手法が、単純化された仮定をもとにしていることを忘れてしまった人
 たちによって、誤用された場合はなおさらだ。
 だがどんなに願ったところで、現代ファイナンスをなくしてしまうことはできない。
 書店員や図書館員の暮らしを守るために、アマゾンやグーグルをなくすことができない
 のと同じだ。  
・問題は、いま考案され、導入されつつあるような新しい規制に、将来の金融危機の頻度
 や規模を抑え、事態を改善する効果があるかどうかだ。
 私にいわせれば、その見込みはほとんどない。
 それどころか、新たな規制は正反対の効果をもたらすだろう。
・ここで論じている問題は、金融イノベーションに固有の問題ではない。
 金融規制に固有の問題なのだ。
 今回の金融危機で明らかになったように、民間部門のリスク管理モデルが不完全だった
 のは間違いない。 
 立法機関と監督機関は、いわゆる「意図せざる結果の法則」を考慮せずに行動したせい
 で、はからずも先進国世界全体で不動産バブルを煽ってしまったのだ。
・私が問いたいのは、金融市場が規制されるべきかどうかではない。
 だいいち、規制されない金融市場などというものは存在しない。
 真に問うべきは「最も有効に機能するのはどんな金融規制か」という点なのだ。
・最近では単純さより複雑さを、裁量より規制を、個人と企業の責任よりコンプライアン
 ス行動規範を好む方向に、世論が傾いているようだ。
 こうした姿勢の根底には、金融市場の仕組みに関する誤った理解がある。
 この手の意見に接すると、精神分析について述べた有名な皮肉が思い出される。
 精神分析は、心の病を治すと謳いながら、実はそれ自体が病を引き起こしているのだと。
 複雑すぎる規制は、治療法を装った病そのものだというのが、私の持論だ。
・法の支配には敵が多い。そのひとつが悪法だ。
・今回の危機が規制緩和によって引き起こされたと信じる人たちは、いろいろな意味で問
 題を誤解している。
 危機の主な原因は、まず規制だった。
 だがそれだけではなく、何をしても罰せられないという風潮も、その一因だった。
 そしてその風潮をもたらしたのは、規制緩和ではなく、処罰が行われなかったという事
 実なのだ。
・銀行にはいつの時代にも欲深い人たちが群がる。
 なんといっても銀行は、お金のある場所なのだから。
 だが欲深者が詐欺を働いたり、義務を怠ったりするのは、罪を犯しても見つからないか、
 罰せられないと思っているからこそだ。
 アメリカでは、住宅バブルとそれに端を発したもろもろの問題に荷担して刑務所送りに
 なった人たちのリストは、笑ってしまうほど短い。
 イギリスで銀行家に与えられた最も厳しい処罰は、ナイトの爵位の「取り消しと剥奪」
 だった。
・世界中のすべての細かい規制をもって、将来の金融危機を回避しようとするより、今日
 の銀行家にいまそこにある危機を意識させる方が、ずっと効果が高い。
 つまり彼らに、生殺与奪の権限を持つ当局の意に背けば、刑務所行きになるかもしれな
 いという危機感をもたせるのだ。
・「マクロ健全性」のある規制や「景気循環抑制型」規制といった、無駄に複雑な規制を
 起草して疲れ果てるより、バジョットの世界に立ち戻ろう。
 そこでは規制をただ遵守するより、個人が分別を持って行動することが望ましい道とさ
 れたが、それは当分が強力で、重要な規制が成文化されていなかったからこそだ。
 
法の風景:法律家による支配
・「法の支配」とは、正確には何を意味するのか?
・問題は、国家にその力をいかに濫用させないかだ。
 つまり、国家の力を抑制する必要がある。
・弁護士自身が既得権益化してしまっている。
・どんな政治制度も、主に組織化された利益集団によるレントシーキング行動のせいで、
 時とともに硬化する。
 これが、今日アメリカで起きていることなのかもしれない。
・かつてアメリカ人は、自国の体制が世界の基準を定めると、誇らしげに豪語することが
 できた。  
 アメリカそのものが法の支配なのだと。
・ところがいま見られるのは、法律家の支配という、似ても非なるものだ。
 連邦議会において弁護士が不釣り合いなほど多くの議席を占めているのは、偶然ではな
 い。
 現在上院議員に占める弁護士の割合は、最も高かった1970年代初めの51%にこそ
 およばないが、それでもまだ37%だ。
 下院議員に弁護士が占める割合も現在24%と高い。
・制度がその内部に(立法機関にも、規制機関にも、また法制度そのものにも)、腐った
 ものを多く抱えているのであれば、どうやって改革すればよいのか?
・改革は、公的機関の外からやって来なくてはならないということだ。
 それは市民社会の団体から来なくてはならない。
 要するにわたしたち自身、つまり市民の手で始めなくてはならないのだ。  

市民社会と非市民社会
・市民社会の真の敵は科学技術などではなく、国家と、「ゆりかごから墓場まで」という
 魅力的な約束、だったのだ。
・世界中の賢明な国々が、国家による教育の独占という時代遅れのモデルから抜け出して、
 教育を本来の居場所である市民社会に戻している。
・北欧の国々には、いまも昔ながらの福祉国家の伝統があると、多くの人が誤解している。
 だが実際のところ、国家による教育の独占を厳密に守っているのは、フィンランドだけ
 だ。 
 この国の成功は、私の法則を証明する例外だ。
 これに対してスウェーデンとデンマークは、率先して教育改革を進めている。
 スウェーデンでは地方分権化とバウチャー制度を柱とする大胆な計画が功を奏して、私
 立学校の数が急増している。
 デンマークの「フリー」スクールは独立的に運営され、政府から生徒数に応じた補助金
 を受けるが、しかるべき結果を出せる学校は、独自に授業料を徴収し、資金を調達する
 ことを許されている。
 現在デンマークの生徒の約3人に1人が私立学校に通っている。
・イギリスの問題は、私立学校が多すぎることではない。
 少なすぎるのが問題なのだ。
 アジアの若者が、イギリスやアメリカの同年代に比べて、標準テストではるかによい成
 績をあげる理由を教えよう。
 マカオ、香港、韓国、台湾、日本では、生徒の4人に1人が私立学校で教育を受けてい
 るのだ。
・かつて活気に満ちていた西洋の市民社会が衰退状態にあること、またそれが科学技術で
 はなく、国家の過剰なうぬぼれによるものだ。
・私たち人間は、複雑な制度の格子のなかで暮らしている。
 そこには政府がある。市場がある。法律がある。そして市民社会がある。
 この格子は驚くほどうまく機能していて、すべての制度が互いを補足し、補強し合って
 いた。 
 だが現代の制度は、たがが外れてしまっている。
・真に自由な社会の基本原則に立ち戻ることが、私たちの課題だ。
 
大いなる衰退論からの示唆
・今日にアメリカ社会は、ほとんどの指標で、1920年代末と同じくらい不平等だ。
 別の言い方をすると、過去35年間の経済成長がもたらした恩恵の大部分が、超エリー
 ト層の手に渡ったことになる。
・1933年から1973年までの間に、下位99%の平均所得は4.5倍に増えたが、
 1973年から2010年までの期間を見ると、逆に減っている。
・いったい何が起きているのか?
 財政的な要因や国際統合、情報通信技術の役割、財政政策の影響に焦点を当てる、狭い
 経済的視点からの説明ではらちが明かない。
・いち歴史家して言わせてもらえば、今日の非西洋世界にとっての真のリスクは、革命と
 戦争だ。
 当然起こりうる事態といえば、これらをおいてほかにない。
 革命が起きるのは、食料価格の急騰と、若年層の多い人口、中流階級の隆盛、破壊的な
 イデオロギー、腐敗した旧態依然の体制、弱体化する国際秩序が組み合わさったときだ。
 これらの条件は、今日の中東にすべて揃っている。
 それにもちろん、西洋がつけた「アラブの春」という誤解を招くレッテルの陰で、イス
 ラム革命がすでにかなり進行している。
 懸念すべきは、これほどの規模の革命のあとには、必ずといっていいほど戦争が起きる
 ことだ。
・「スティーヴン・ピンカー」は、人類の歴史には暴力の減少という長期的傾向が見られ
 ると、楽観的にいうが、戦争の発生率にそのようなパターンは見られない。
 地震と同じで、戦争が起きそうな場所はわかっても、いつ勃発するか、どれほどの規模
 になるのかはわからない。
・情報の量と速さが増すことは、それ自体よいことではない。
 知識は必ずしも解決策にはならない。
 またネットワーク効果はつねに正とは限らない。
 1930年代には科学技術が大いに進歩した。
 だがそれは大恐慌を終わらせはしなかった。
 大恐慌を終わらせるには、世界大戦が必要だったのだ。
・対武装勢力戦に疲れ果て、「フラッキング」によって豊富な化石燃料が利用可能になっ
 たことに気づいたアメリカは、中東地域での40年にわたる覇権を急いで終わらせよう
 としている。 
 この真空を埋めるのは誰なのか、また何なのかはわからない。
 核武装したイランなのか?それとも新オスマン主義のトルコ?ムスリム同胞団の率いる
 アラブ・イスラム主義者だろうか?
 誰であり、流血なしにトップに躍り出ることはできない。
・国家が定常状態に達するのは、その「法と制度」が衰退し、エリートによるレントシー
 キングが、経済と政治のプロセスを支配することだ。
 これこそが、まさに今日の西洋世界の分野で起きていることだ。
・公的債務は、古い世代が、若者やまだ生まれぬ者たちにツケを回して暮らす手段と化し
 た。  
 規制が機能しなくなった結果、体制の脆弱性は高まるばかりだ。
 活気ある社会では革命を起こす力を持つ法律家も、定常状態の社会ではただの寄生虫で
 しかない。
 そして市民社会は、企業の利益と大きな政府に挟まれた、単なる無人地帯になり果てて
 いる。
 これらをすべてひっくるめるためたものが、私が大いなる衰退と呼ぶものだ。