永続敗戦論 :白井聡

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この本は、今から10年前の2013年に刊行されたものだ。
本のサブタイトルとして「戦後の日本の核心」と付されているように、戦後日本のあり様
を痛烈に批判したものだ。キーワードとなっているのは、支配層の無限の「対米従属」と
無限の「無責任」だ。
日本の社会を表す言葉を並べるならば次のようになるのだろう。そしてこれは、戦前のみ
ならず、戦後においても脈々と受け継がれているようだ。
 ・「大言壮語」
 ・「不都合な真実の陰蔽」
 ・「根拠なき楽観」
 ・「自己保身」
 ・「阿諛追従」
 ・「批判的精神の欠如」
 ・「権威と空気への盲従」
 ・「他者に平然と究極の犠牲を強要しておきながらその落とし前をつけない無責任」

日本ではいまでも、先の大戦で敗れたことを「敗戦」とは言わずに「終戦」と言い換えて
ごまかしている。これは戦争中に「撤退」と言わずに「転進」と言い換えてごまかしたり、
「全滅」を「玉砕」と言い換えてごまかしたりしていたのと同じだ。
また日本の自民党は、何かというと「戦後レジームからの脱却」を合言葉にしてきたが、
戦後70年以上経っても、いまだに「戦後レジームからの脱却」が合言葉になっている。
そしてその言葉とは裏腹に、対米従属一辺倒を続けている。つまり、いまだに米国の属国
という戦後が続いているのだ。
先般も、某首相は「敵基地攻撃能力の保有」と「防衛費倍増」を手土産に、しっぽを懸命
に振りながら、一目散にご主人様である米国大統領に駈け寄り、自国民に説明する前に米
国大統領に報告し、よしよしと頭を撫でられご満悦の姿を晒し、世界中の嘲笑の的となっ
ている。しかも、このような光景は、今となっては毎度のことで、われわれ日本人にはも
はやこのことを恥ずかしいという気持も湧いてこないのが実態だ。つまり、これが「敗戦」
を「終戦」とごまかしてきた「戦後日本の核心」なのだ。私にはこの本を読んでそう思っ
た。

ところで、この本を読んで、いままで知らずにいたことがいかの多いかということを思い
知らされた。例えば、尖閣諸島問題北方領土問題などの領土問題について、中国やロシ
アにとっては、それなりに根拠のある正当な言い分があるということだ。それを知らずに、
中国の漁船が尖閣諸島海域侵入するのはけしからんとか、ロシアが北方四島を返還しない
のはけしからんというのは、恥ずかしながら駄々っ子の主張としか言いようがないことだ
ったのだ。
また、尖閣諸島のうち、久場島と大正島の二島を米軍が射爆撃場として借りているという
話も、この本を読んで初めて知った。それなのに、尖閣諸島の主権については中立の立場
をとり続ける米国が、「尖閣は日米安保の適用範囲」と時折発するリップサービスに一喜
一憂するこの日本は、どこまでおめでたい国なのだろうかと思えた。

過去に読んだ関連する本:
昭和天皇・マッカーサー会見
在日米軍
60年安保闘争の真実 あの闘争は何だったのか


「戦後」の終わり
福島第一原発の事故をきっかけとして、日本という国の社会は、その「本当」の構造を
 露呈させたと言ってよい。明らかになったのは、その住民がどのような性質の権力によ
 って統治され、生活しているのか、ということだ。そして、悲しいことに、その構造は
 「侮辱」と呼ぶにふさわしいものなのである。
・事故の発生に際し、政府は、原発周辺住民の避難に全力を尽くさなかった。それを最も
 端的に物語る経緯は、緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム(SPEEDI)のデ
 ータが国民に公表されなかったという事実である。しかもそのデータは、国民には隠さ
 れる一方で、米軍にはしっかり提供されていた。
 民間事故調査委員会は、SPEEDIは「原発立地を維持し、住民の安心を買うための
 『見せ玉』にすぎなかったと厳しく批判している。
 開発に30年以上の歳月と、100億円いじょうの費用が投じられ、維持運営に年7億
 円の税金が費やされてきたこの装備は、実にこうした使われ方をしたのである。そして、
 この件について責任を取らされた人間は誰もいない。
・有名になった「想定外」という言葉の内実についてもあらためて思い出しておく必要が
 あるだろう。 
 2006年の国会において吉井英勝衆議院議員が「巨大地震の発生に伴う安全機能の喪
 失など原発の危険から国民を安全を守ることに関する質問主意書」を提出し、地震・津
 波による原発の全電源喪失の可能性を指摘していた。しかも、このように外部から指摘
 されるまでもなく、東京電力の側も福島第一原発における津波対策の強化の必要性を繰
 り返し検討していた。にもかかわらず、東電は事故発生当時から繰り返してきた「想定
 外」という説明を、自社による事故調査報告書においても基本的に守り続けている。
・現場の問題が集約されたかたちで見て取れるのは、事故前から原発労働における被曝各
 紙や労災隠し、給与のピンハネの温床となっていた複雑怪奇な多重下請の構造である。
 三機の原子炉が溶け落ち建屋の屋根が吹っ飛んだこの未曾有の事故現場において、この
 構造だけはしっかりと生き残っている。
・あの地震と大津波を受けて、国民の多くが労力や資力の一部を割いて被災地域や避難住
 民に対するさまざまな援助を行ったし、いまも多くの人々がそれを続けている。この巨
 大な天災がもたらした痛みを国民全体で分かち合おうという感情は、しかし、官僚機構
 にとっては、各省の権益と権限を拡大するための絶好の機会でしかなかった。
・「侮辱」の一覧は、無論事柄の一部にすぎない。政府が事故発生時の議事録は存在しな
 いという遁辞をいまだに弄していることをはじめてとして、それは無数に存在し、ゆえ
 にわれわれは「侮辱のなかに生きている」。
・アカデミズムに関して言えば、工学系諸学部と原子力関係企業・組織との利害関係がき
 わめて密接であり、その利権で結びつけられた強固な同盟が原子力利用に対するあらゆ
 る批判を組織的に封殺してきたことはいまさら言うまでもないが、事ここに至ってもな
 お原発問題をタブー視する雰囲気は、一部の大学において醜悪な全体主義を形成してい
 ると思われる。
・財界については、こちらももちろんその内実は多様であるが、その主流派が原子力をめ
 ぐる根本的路線転換の最大の生涯となっていることには、全く疑う余地がない。
 われわれが嫌というほど思い知らされたのは、「日本は政治は二流以下だが、経済は一
 流」という定説が干からびた神話にすぎなかった。
 この国の経済界を代表する人物は、建屋が吹き飛ぶ爆発が次々と生じているのを目にし
 ながら、「千年に一度の津波に耐えているのは素晴らしいこと。原子力行政はもっと胸
 を張るべきだ」と言ったのである。この国の産業がかかる人物によって代表され、指導
 されていることと、その下でわれわれは働き、日々の糧を得なければならないという事
 実、このことは重大な「侮辱」のひとつである。
 
・われわれは「無責任」に深淵を見た。われわれのうちの多くが、「あの戦争」に突っ込
 んでいったかつての日本の姿に現在を重ね合わせてみたことだろう。大言壮語、「不都
 合な真実」の陰蔽、根拠なき楽観、自己保身、阿諛追従、批判的合理精神の欠如、権威
 と「空気」への盲従、そして何よりも、他者に対して平然と究極の犠牲を強要しておき
 ながらその落とし前をつけない、いや正確には、落とし前をつけなければならないとい
 う感覚がそもそも不在である。
 これらはいまから約70年前、300万にのぼる国民の生命を奪った。しかもそれは、
 権力を持つ者たちの個人の資質に帰せられる問題ではなかった。つまり、偶発的なもの
 ではなかった。
 戦争終結後、東京裁判において、「別にそれを望んだわけではなくどちらかと言うと内
 心反対していたのだが、何となく戦争に入っていかざるを得なかったのだ」としか証言
 できない戦争指導者たちの言動を見ながら、丸山眞男は満身の怒りをもって「『体制』
 そのもののデカダンス」を指摘した。
笠井潔は太平洋戦争の経緯を概括した上で次のように述べている。
 「一目瞭然といわざるをえないのは、戦争指導者層の妄想的な自己過信と空想的な判断、
 裏づけのない希望的観測、無責任な不決断と混迷、その場しのぎの泥縄式方針の乱発、
 などなどだろう。これらのすべてが、2011年の福島原発事故で克明に再現されてい
 る」 
・前福島県知事の佐藤栄佐久は、福島第一原発の事故発生の2年前に次のように述べてい
 た。
 「2005年10月に開かれた国の原子力委員会で『原子力政策大綱』が承認され、閣
 議で国の原子力政策として決定されることとなった。
 もちろん、福島県が提出した意見はまったく反映されていない。国民の意見を形式的に
 聞いてこれまでの路線を強引に推進する。まさに日本の原子力行政の体質そのものの決
 定の仕方である。
 しかし、この大綱を決めた原子力委員並びに策定会議委員一人ひとりに、この核燃料サ
 イクル計画が本当にうまく行くと思っているのかと問えば、実は誰も高速増殖炉がちゃ
 んと稼働するとは思っていないだろうし、六ヶ所村の再処理施設を稼働して生産される
 プルトニウムは、プルサーマル程度では使い切ることはできないと思っているであろう。
 使用済核廃棄物の処分方法について具体案を持っている人もいないのである。
 しかし、責任者の顔を見えず、誰も責任を取らない日本型社会の中で、お互いの顔を見
 合わせながら、レミングのように破局へ無かって全力で走りきる決意でも固めたように
 思える。つい60年ほど前、大義も勝ち目もない戦争に突き進んでいったように」
・今次の原子力事故が何にもましてやりきれないのは、その被害がどのようなものになる
 か予測困難であるためだけでなく、あの戦争のなかであまりに多くの人々が「侮辱」の
 なかで死へと追い込まれていった。そしていまわれわれは、その「侮辱」の体制がほと
 んど無傷のまま眼前に聳えたっている様を目撃している。それはすなわち、あの死者た
 ちは全くの犬死状態に捨て置かれているということでもある。
  
・福島原発事故を受けて原子力基本法が改正された。その原子力基本法の第二条の文面が
 以下のようなものとなった。
  原子力利用は、平和の目的に限り、安全の確保を旨として、民主的な運営の下に、自
  主的にこれを行うものとし、その成果を公開し、進んで国際協力に資するものとする。
  二 前項の安全の確保については、確立された国際的な基本を踏まえ、国民の生命、
    健康及び財産の保護、環境の保全並びに我が国の安全保障に資することを目的と
    して、行うものとする。
・問題視されるているのは、今次に追加された第二項における「我が国の安全保障に資す
 ること」という文面である。
 「安全保障」の文句の挿入が核武装を志向してきた自民党によって主導されたという成
 立事情もさることながら、これは戦後最大のタブーへの突破口を明確に開くものにほか
 ならない。原子力=核技術が安全保障に関わるとすれば、常識的な見地から言って、そ
 れが核兵器の開発や装備を意味することはあまりに明瞭な道理である。
・いまこのようにして現れてきた核兵器をめぐる事態は、少しも驚くべきものではない。
 それは、「非核三原則」の下で実際には沖縄に米軍による核兵器持ち込みがなされてい
 たことが驚くべきことでないのと本質的に同じことである。沖縄の核についての密約の
 存在が公に認められたとき、われわれのうちいったい誰が、そのようなことは「想像だ
 にできなかった」と言えようか。それは、実際誰もが「薄々知っていた」ことが公式に
 認められたにすぎなかった。
・敗戦を否認しているがゆえに、際限のない対米従属を続けなければならず、深い対米従
 属を続けている限り、敗戦を否認し続けることができる。かかる状況を私は「永続敗戦」
 と呼ぶ。
・永続敗戦の構造は、「戦後」の根本レジームとなった。事あるごとに「戦後民主主義」
 に対する不平を言い立て戦前的価値観への共感を隠さない政治勢力が、「戦後を終わら
 せる」ことを実行しないという言行不一致を犯しながらも長きにわたり権力を独占する
 ことができたのは、このレジームが相当の安定性を築き上げることに成功したゆえであ
 る。
 彼らの主観においては、大日本帝国は決して負けておらず、「神洲不敗」の神話は生き
 ている。しかし、かかる「信念」は、究極的には、第二次大戦後の米国による対日処理
 の正当性と衝突せざるを得ない。それは、突き詰めれば、ポツダム宣言受託を否定し、
 東京裁判を否定し、サンフランシスコ講和条約をも否定することとなる。
 ゆえに彼らは、国内およびアジアに対しては敗戦を否認してみせることによって自らの
 「信念」を満足させながら、自分たちの勢力を容認して支えてくれる米国に対しては卑
 屈な臣従を続ける、といういじましいマスターベーターと堕し、かつそのような自らの
 姿に満足を覚えた。敗戦を否認するがゆえに敗北が無限に続く。それが「永続敗戦」と
 いう概念が指し示す状況である。
  
「戦後の終わり」を告げるもの(対外関係の諸問題)
・周知のように、日本国家には三つの領土問題(尖閣諸島・竹島・北方領土)を事実上抱
 えている。 
・日本に限ったことではないが、領土問題となると人々は日ごろ見抜きもしなかった古地
 図やら古文書やらに突如として群がり、自国の主張にとって好都合な証拠を血眼になっ
 て探し始める。しかし、こうした「古反故への熱狂」は、日本の領土問題にとって本質
 的にはほとんど無意味である。なぜなら、これらの問題は、古文書の類を引っかき回さ
 ねばならないほど古い問題ではないからである。
・結局のところ、国家の領土を決する最終審級は暴力である。すなわち、歴史上の直近の
 暴力(=戦争)の帰趨が、領土的支配の境界線を原則的に規定する。日本の領土問題に
 とって、この「直近の暴力」とは第二次世界大戦にほかならない。日本社会の大半の人
 間が見落としているのは、三つの領土問題のいずれも第二次世界大戦後の戦後処理に関
 わっている。つまりこの戦争に日本が敗北したことの後始末である、という第三者的に
 見れば当然の事情である。
・このことが国民的に理解されない限り、領土問題の平和的解決はあり得ず、したがって
 これらの、それ自体は些末である問題が戦争の潜在的脅威であり続ける状態は終わらな
 い。しかし、この国の支配的権力は敗戦の事実を公然と認めることができないがゆえに、
 領土問題の道理ある解決に向けて前進する能力を、根本的に持たない。こうした状況の
 なかで、「尖閣も竹島も北方領土も文句なしに我が国のものだ」「不条理なことを言う
 外国は討つべし」という国際的に全く通用しない夜郎自大の「勇ましい」主張が、「愛
 国主義」として通用するという無惨きわまりない状況が現出しているわけである。

・そして、日本の領土問題を複雑にしているのが、サンフランシスコ講和条約に中国・韓
 国・当時のソ連は参加していないという事情である。同講和会議に中華人民共和国は招
 請されず、ソ連は共産中国が招請されなかったことを不服として条約調印を拒否、韓国
 は戦争当時日本の一部であったのだから日本と戦争することはできなかったとされて、
 参加資格を与えられなかった。それゆえ、これらの国々との戦後処理を日本は個別に行
 ってゆくことになる。

尖閣諸島問題において本質的に切実な問題が現状で存在するとすれば、それは出るか出
 ないかあやふやで開発コストがペイしうるか否か不透明な石油の問題ではなく、日中
 両国の漁民の利害の衝突である。この問題を実質的に解決するために、日本政府は、尖
 閣諸島の領有権主張を維持したまま、同海域を1997年に締結された漁業協定の適用
 外としたのであった。 
 つまり、実効支配の原則を突き詰めず、実質的に問題を「棚上げ」することを文書のか
 たちで公式に表明していた、ということである。ここまでくれば、「棚上げ」合意は、
 暗黙のものとは言えない。さらに言えば、この協定に付属している書簡の規定するとこ
 ろによれば、日本の海上保安庁巡視船が中国漁民を追い回すことさえも、協定違反にな
 りかねない。
 この協定は自民党政権(橋本龍太郎政権)下で結ばれたものであるから、事件発生当時
 の自民党が民主党政権の対応を「弱腰」として攻撃したのは、全く噴飯のものと言うほ
 かなかった。彼らは、民主党政府を攻撃する前に自民党の先輩の「弱腰」をまず非難し
 なければならなかったはずある。
・尖閣諸島問題をさらに複雑にしているファクターは、米国の存在である。米国は「尖閣
 は日米安保の適用範囲」との見解を繰り返し表明しつつも、そのコミットメントは現状
 ではリップサービス以上のものではない。というのも、尖閣諸島の帰属問題については、
 米国は「中立の立場」を取っているからである。
・仮に尖閣諸島をめぐって日中の軍事衝突が起きたとして、「尖閣は日米安保の適用範囲」
 とする米国政府の見解は、米軍の参戦を自動的に意味するものではない。
 仮に有事となった場合、「尖閣は安保の適用範囲」と繰り返し宣言している以上、米国
 大統領は議会に参戦を諮る義務を確かに負うだろう。しかしながら、政府が主権問題に
 ついて一貫して「中立の立場」を取っている問題に米国が自国民の血を流して介入する
 ことが、果たしてどれほど理解を得られるか、甚だ心許ないと言わざるを得ない。
・このように、米国が武力介入してくれるかどうかそもそも相当に怪しいのであるが、逆
 に介入が実行されることによって日本が安全になるわけでもない。
 日本国民の大半が「いざとなったとき米国が出て来さえすれば大丈夫」と考えていると
 すれば、これこそまさに平和ボケの極致と言うべき思考である。
 仮に米国が参戦を決断するとすれば、それは米国が尖閣諸島問題への中国のコミットメ
 ントを同国の覇権拡大における決定的な契機とみなし、これを相当の覚悟を持って叩き
 に出る、という事態以外には想定不可能である。これは、戦争が局地的なものにとどま
 らなくなる可能性を意味し、まことに不吉なシナリオである。

・「北方領土」と呼ばれる国後島・択捉島・色丹島・歯舞諸島がソ連邦の実効支配下に置
 かれるようになったのは、1945年8月9日にソ連が対日戦争を開始し、日本のポツ
 ダム宣言受諾(8月14日)と降伏文書調印(9月2日)の後にも軍事行動を続けたこ
 とによる。
 ソ連は結局、9月5日まで当時の日本領への侵攻を続け、南樺太、千島列島全島ならび
 に色丹、歯舞までを占領した。こうした行動は、戦争終結時の混乱発生の可能性という
 状況を差し引いたとしても、到底正当化され得ない侵略行為であった。
・だがしかし、サンフランシスコ講和条約には、
 「日本国は、千島列島並びに日本国が1905年9月のポーツマス条約の結果として主
 権を獲得した樺太の一部及びこれに近接する諸島に対するすべての権利、権原及び請求
 権を放棄する」 
 と記載されている。この条文は、戦後日本の領土画定の原則から明確に逸脱するもので
 あった。
・なぜなら、南樺太は日露戦争の結果として日本がロシアから獲得したものであり、これ
 が日本から失われることは原則にかなっている一方で、千島列島は1875年に締結さ
 れた樺太・千島交換条約によって平和裡日本領土へと編入されたものだからである。
 それにもかかわらず、時の吉田政権は、この条文を呑んでしまった。
・その事情は、ヤルタ密約の存在、米国がソ連による千島列島の実効支配を暗黙裡に容認
 したがゆえに、原則からこのような逸脱が生じたと見るべきであろう。
 ここで何よりも重要なポイントは、日本が千島列島を放棄することに同意した、という
 事実である。 
・日ソの国交回復は、1956年の日ソ共同宣言を待って図られることになる。
 それは「戦勝国」と「敗戦国」との立場の絶対的違いを思い知らせる厳しい内容を持っ
 ている。
 それはつまり、日本としては、戦後の対日処理の原則から逸脱している千島列島のソ連
 への編入という現状に対して、異議を申し立てる権利を放棄するということを意味する。
 日本は現状に対して何ら抗議できない道理なのであるが、ソ連はいわば「勝者の寛大」
 によって歯舞諸島と色丹島を日本に返してあげる、という論理構成も見て取れよう。
 領土に関してこれで手打ちとなれば、平和条約を結ぼうではないかというわけである。
・日ソ共同宣言は、日本は歯舞諸島と色丹島以外の島々をすべて諦めるということにほか
 ならなかった。こうして日本にとって厳しい条件を、時の鳩山一郎政権は呑まざるを得
 なかった。言い方を変えれば、鳩山政権は、領土の面で犠牲を払ってもソ連との関係改
 善を図ることを志向したのであった。
・しかし、ここにおいて、世に言う「ダレスの恫喝」が行われる。
 当時の米国務長官ダレスが、ソ連と交渉していた重光外相に向かって、
 「この条件に基づいて日ソ平和条約締結へと突き進むならば、米国は沖縄を永久に返さ
 ないぞ」
 という主旨の発言を行い、介入したのである。
・このようなダレスの強硬な介入の意図は、次の二点にある。
 (1) 北方領土問題が日ソ間で解決することを妨げ、日本人の非難の目がアメリカの沖縄
   占領に向かわないようにする。  
 (2) 日本にソ連に対する強い敵意を持ち続けさせ、日本がソ連の友好国になったり、ま
   たは中立政策をとったりすることなく、同盟国としてアメリカの側にとどまらせる。
・かくして日本は、「沖縄をとるか、北方領土をとるか」という苦しい選択を迫られた。
 日ソ共同宣言の線で平和条約締結に進むなら、返還されるのは歯舞・色丹の二島にすぎ
 ないのであるから、沖縄をとるか歯舞・色丹をとるかという選択である。
 同時に、このどちらの島をとるかという選択は、冷戦構造の世界における同盟者として
 米国をとるかソ連をとるかという選択でもあった。
 してみれば、北方領土問題は、まさに解決されないことが好都合な問題にほかならなっ
 た。
・ソ連が崩壊し新生ロシアとなってからも、ロシア政府は「日ソ共同宣言が領土交渉の基
 礎となる」旨を繰り返し表明し、1993年の「東京宣言」をはじめとして日本もこの
 原則に対する同意を与えている。
 それにもかかわらず、歯舞・色丹以上のものを要求し続けるという態度は、駄々っ子同
 然のそれであると言うほかない。問題は、この当然の道理を日本国民の大半が理解でき
 ておらず、駄々っ子の主張を自明的に正当な要求と思いなしている、という異様な状況
 である。
 この要求を貫徹するためには、究極的には、千島列島の放棄を約したサンフランシス講
 和コ条約を否定・破棄しなければならない。しかし、日本社会はそれを直視しようとは
 しない。ここに「敗戦の否認」がある。
・日ソ共同宣言は日本の窮状につけ込んだ苛酷で正義を欠いたものであった、という日本
 国民の感情を拭い去るのはむずかしいかもしれない。無論、ソ連の対日参戦から日ソ共
 同宣言に至るまでの行為には、道義的に非難されるべき事柄が多々ある。
 しかしながら、多くの日本人が見落としているのは、こうした横暴は、ソ連にとっては、
 い本のシベリア出兵に対する報復の要素を持っていた、という事情である。日本が総数
 で7万人以上の兵力を投入したこの軍事行動は、歴然たる内政干渉であった。
・国家の行動というレベルで日ソ両国の行ってきたことを振り返るならば「どっちもロク
 でない」としか評論のしようがない。一般的に言って、国家の振りかざす「正義」なる
 ものが高々この程度のものであることは、何度でも肝に銘じられるべきである。
 
竹島問題については、サンフランシスコ講和条約において日本が放棄した領土のなかに
 竹島は含まれないのであって、この点において北方領土と竹島問題は大いに異なる。
・サンフランシスコ講和会議への代表派遣を封じられた韓国は、このようなかたちで領土
 問題の処理を不服とし、1952年に「李承晩ライン」を宣言し竹島をそのなかに入れ
 ると、1954年には竹島に駐留部隊を派遣、実効支配を開始した。
・1965年に日韓基本条約が締結されたが、同条約においては竹島問題は明記されず、
 事実上「棚上げ」されて今日に至っている。  
 ただし、日漁業協定では、竹島問題は「暫定水域」として規定され、操業面においては
 日本側が実質的に譲歩する結果となっている。
・このように、日本が抱える三つの領土問題のうち、竹島問題は、第二次世界大戦から切
 り離されて行われた軍事行動によって現在の事実上の境界線が定められたという点で際
 立っている。 
・竹島問題への日本政府の対応においてほかの二つの問題と異なっている点は、この件に
 ついてだけは国際司法裁判所への提訴を積極的に打ち出しているところにある。国際司
 法裁判所への提訴は紛争当事者の両国家が同意しなければ、これを実行することが基本
 的にできない。韓国側はこれを拒んでいるので実行されていないわけである。
 このことは一見、日本側の「公正な」態度と韓国側の「不誠実な」態度を意味している
 ような印象を与える。
・これまで見てきたことから明らかなように、尖閣諸島に関しては日本側が実効支配を保
 っている以上、「領土問題は存在しない」との立場を貫くことが有利であり、北方領土
 については、日本の国後・択捉に対する要求ははっきりと無理筋である。
 これに比して、李承晩ラインが一方的に宣言されたという歴史的経緯に照らせば、竹島
 問題は日本にとって有利な判決が見込めるかもしれない。
 だが、三つの問題のうち、竹島問題については日本側の主張に優位性が予想されるがゆ
 えに、この問題のみを国際司法裁判所の場に持ち込もうとする姿勢が、広範な国際的理
 解を得られるはずがないのである。
  
北朝鮮問題については、日朝国交正常化交渉が頓挫していることよりも異常なのは、日
 本にとっての、北朝鮮問題における最重要課題が、同国の核兵器とミサイル開発の問題
 よりも、拉致問題に置かれているかのごとき雰囲気が醸成されたことである。
 確かに、拉致被害は重大な問題であり、それが当事者にもたらした痛苦は測り知れない。
 だが、北朝鮮は同様の犯罪行為を合計10数カ国いじょうの人々に対して行ったと見ら
 れており、特に韓国人や中国人で拉致された人数はそれぞれ3桁にのぼると見られてい
 るにもかかわらず、韓国や中国はこの問題を公式に取り上げていない。その理由は、拉
 致が度し難い所業であることは当然ではありものの、それ以上に核兵器とミサイルの問
 題がより深刻なものとして受け止められているからである。
・「拉致問題の解決なくして日朝の国交正常化はあり得ない」、これが日本政府の立って
 いる立場である。だが、このことはわかり切っているにもかかわらず、なぜ北朝鮮は、
 「拉致問題は解決済み」との見解を繰り返し掲示するのであろうか。
 興味深いのは、北朝鮮の拉致問題への見解が数度にわたってぶれている一方で、同国の
 日朝平壌宣言への姿勢は全く揺らいでいない、という事実である。
・つまり、北朝鮮は平壌宣言を非常に重要視している。その理由は、平壌宣言は国交正常
 化とともに経済援助についても定めているのであるから、要するにカネの問題である。
・平壌宣言において、日本が国交正常化の後に実行すると約している経済援助は過去の植
 民地支配に対する事実上の賠償金である、ということである。このことは、経済援助へ
 の言及に先立って「痛切な反省と心からのお詫び」が述べられていることから明らかで
 ある。
・平壌宣言を北朝鮮の側から見た場合、それは、それぞれにとって都合の悪い過去の出来
 事(日本にとっては植民地支配、北朝鮮にとっては拉致事件)をお互いに認めて謝罪し、
 水に流す。そしてそれを基に国交の樹立へ向かう、ということである。
・無論、両国の解釈の間で齟齬が起きるのはこの点においてである。日本側にしてみれば
 拉致問題の北朝鮮による認知と謝罪は問題の出発点であるほかなかった。これに対し、
 北朝鮮側は、この宣言をもって同問題が原則的に解決されたとみなしていた節がある。
・2004年に横田めぐみの遺骨のDNA鑑定が行われた結果、日本政府が「当人のものでは
 ない」と結論した際に、金正日は「小泉は男ではない」と言ったという。つまり、彼ら
 にとって日朝平壌宣言の本質が両国家にとって都合の悪い過去をそれぞれ認めて「水に
 流す」ことであり、小泉首相がそれに署名して同意した以上、その後に「水に流した」
 問題についてとやかく言うのは「男らしくない」ということである。
 北朝鮮側の言う「平壌宣言の原点に戻る」との主張は、双方同意して過去を「水に流し
 た」ことを認めよ、ということにほかならない。
・「五人生存、八人死亡」という北朝鮮側の通告が日本社会にもたらした衝撃のために、
 平壌宣言後の日本政府は優先順位を入れ換えた。ゆえに、北朝鮮側の「平壌宣言の原点
 に戻れ」との主張は、宣言当時の姿勢に戻って優先順位を元に戻せ、という要求でもあ
 る。そしてこの主張は、いかに不愉快であろうが、全く根拠なきものであるとは言えな
 い。 
・日本政府の行ったプライオリティの変更はきわめて重大なものであったが、外務省をは
 じめとする当局は態度変更を行った事実を説明していない。さらに言えば、外務省は、
 かかる重大な姿勢の変更を実行した以上、「日朝平壌宣言は破棄する」と公式に通告し
 なければ、筋が通らないのである。
安倍晋三首相は、自民党本部で開かれた憲法改正推進本部の会合で、北朝鮮による拉致
 被害者の横田めぐみさんを引き合いに出して
 「こういう憲法でなければ、横田めぐみさんを守れたかもしれない」
 と改憲の必要性を訴えた。
・安倍首相の発言の非論理性・無根拠性は、悲惨の一語に尽きる。なぜ憲法第九条がなけ
 れば拉致被害を防ぐことができたと言えるのか、そこには一片の根拠もない。
 この発言の無根拠性を自ら意識していないのだとすれば、首相の知性は重大な欠陥を抱
 えていると判断するほかない。
 逆にそれを承知でこうした発言を行っているのだとすれば、首相の姿勢の本質は、被害
 者の救済を目指すものではなくこの問題の政治利用にこそある、とみなさざるを得ない。
  
戦後の「国体」としての永続敗戦
・戦後日本で長らく熾烈な論争の対象となってきた問題として、昭和天皇の戦争責任の問
 題がある。戦争終結後の米国内には天皇の戦争責任を厳しく追及すべきという意見もあ
 ったが、結果的に訴追はなく、退位もなく、象徴天皇制への移行ということで片はつけ
 られた。要するに天皇の戦争責任はほとんど不問とされたわけだが、このようにすでに
 結果が出ている上で天皇の政治的な戦争責任の「本当の」有無を「論証」しようとする
 行為は、政治的には無意味であり空しい。
・結局のところ、天皇の免罪は米国側の都合によって決定された事柄にほかならない。こ
 れもまたすでに明らかにされているように、天皇の地位に対して劇的な変更を加えるこ
 とが米国による対日占領政策の妨げになると判断されたゆえに、訴追も退位の勧奨も実
 行しないと決定されたのである。
・要するに、占領軍は、天皇の戦争責任の「本当の」有無を検討することに基づいて対応
 を決定したのではない。そのようなものはいかようにも論証可能であることは、その後
 の日本社会における膨大な議論が皮肉にも示している。
 かくして、昭和天皇の戦争責任を問わなかった米国の政策が「善かったか悪かったか」
 という道徳的な問い自体が、無意味なのである。国家の政策は、ましてや外国に対する
 占領政策は、道徳とは根本的に無縁である。
・安全保障問題では、今日的問題として、仮に尖閣諸島において日中軍事衝突が起きた場
 合に米国がどのように振る舞うか、ということが最重要の問題として立ち現れている。
・尖閣諸島の一部を米国は軍事施設として借り上げているのだから、本来的に言えばこの
 騒動にすでに巻き込まれているのである。それにもかかわらず、尖閣諸島の帰属につい
 て米国は「中立」である。言うなれば、米国は「誰のものだかわからない」ものを平気
 で借りているという状態である。
    
・親米保守の陣営にあっても、従属関係を潔しとせず、対米関係における日本の主体化の
 必要性を強調してきた論者は数多くいる。いわゆる、日米関係における「イコール・パ
 ートナーシップ」の主張である。しかもそれは、たんなる理念的命題ではない。それは、
 戦後日本政治のメインストリームの主張である。
 1960年の安保改定を強行した岸信介も、掲げていた目標は「真の独立」であった。
・日本が米国の属国にほかならないことを誰もが知りながら、政治家たちは日米の政治的
 関係は対等であると口先では言う。
 このことは、一種の精神的なストレスをもたらす。一方で「我が国は立派な主権国家で
 ある」と言われながら、それは真っ赤な嘘であることを無意識の水準では熟知している
 からである。 
・そもそも「主権」とは何を意味するのであろうか。
 それが仮に、自国の安全保障を全く自国だけの力で行う能力を意味するとすれば、第二
 次世界大戦を経た後、そのような力を維持し得たのは米ソの二国だけであった。
・米国の世界戦略に日本が全面的に付き合わなくて済んだのは、「押し付け憲法」たる平
 和憲法とソ連のプレゼンスを背景として社会主義政党の有力さゆえであり、日本の保守
 勢力が米国に従順であったからではない。
 歴代の自民党政権が、米国から難題を振り向けられたとき、要求をかわすために平和憲
 法と社会党の強力さを対米交渉の際の頼みの綱としていたことは、周知の事実である。
・日本の戦後民主主義は、冷戦の最前線を韓国・台湾等に担わせることによって生じた地
 政学的余裕を基盤にして成立可能となったものにすぎなかった。
・象徴天皇制と同じように、日本の戦後民主主義体制もまた米国の国益追求に親和的なも
 のとして初期設計されたものにすぎず、主体的に選び取ることができたものではない。
・保守勢力における「戦前的なるもの」を代表する安倍晋三は、第一次政権時代に歴史認
 識問題をめぐって、米国の「虎の尾」をすでに踏みかけた、というよりも踏んでしまっ
 た。すなわち、2007年の訪米時に従軍慰安婦問題をめぐる歴史認識を追求され、謝
 罪と弁明を重ねざるを得なかったのである。
・さらにこの問題は、安倍が2012年に第二次安倍政権を発足させるとともに、従軍慰
 安婦問題についての「河野談話」ならびに植民地支配と侵略についての「村山談話」に
 対する見直し、新見解の提示を打ち出したが、これに対し、米国の有力メディアが機敏
 な反応を見せて厳しい批判を加えるに至っている。
  
・「かつての敗戦の責任をこの国は対外的にも対内的にもほとんど取ってこなかったので
 はないか」という批判は、いままで数限りなく繰り返されてきた。
・永続敗戦のレジームの主役たちの全員がこうした事情に対する認識を一切持ち合わせて
 いない、というわけではない。
 例えば、石破茂自民党幹事長は、憲法改正による自衛隊の国軍化と日本を集団的自衛権
 の行使が可能な国家とすることが自らの政治家としての信念であると語っており、これ
 が「戦後レジームからの脱却」の具体的内容である、と述べている。
・日本社会の大勢にとって、「絶対平和主義」は、生命を賭しても守られるべき価値とし
 て機能してきたのではなく、それが実利的に見て便利であるがゆえに、奉じられてきた
 にすぎない。してみれば、米国の世界戦略に適応するかたちで着々と解釈改憲が進行し、
 対米従属の構造が清算されるどころか深度化してきたのは、至極当然の成り行きであっ
 た。
・思考停止が最も顕著に現れるのは、核兵器をめぐる議論における「唯一の被爆国である
 日本は・・・」というクリシェ(常套句)である。このフレーズは、「いかなるかたち
 でも絶対に核兵器に関わらない」と続くことに決まっている。
・そもそも「唯一の被爆国である日本は・・・」の先に「いかなるかたちでも絶対に核兵
 器に関わらない」と自動的に続けるのは、左派や平和主義者だけでなく、永続敗戦の構
 造の中核を占めてきた連中でもあること、言い換えれば、この言葉は、主流派権力の言
 葉でもあることの意味を認識する必要がある。
・非核三原則についての国会決議を繰り返しながら、「沖縄密約」を米国と取り交わし、
 あまつさえ、核武装について西ドイツに話を持ちかけることまでしていたのが、この国
 の政権(佐藤栄作政権時)であった。
非核三原則や「唯一の被爆国」であることの強調が一体何のためになされてきたのかは、
 ほとんど考えるまでもなく理解できる。ここには真剣なものなど何ひとつ存在しない。
 彼らが唯一真剣に取り組んでいたのは、国民を騙すことだけであった。
・問題は、日本の保守政治勢力の主流派が、日米同盟の必要性・基地の必要性・核の傘の
 必要性を国民に納得させる義務を放棄してきた、というところにある。
 そして、この義務を実行する代わりに、嘘と欺瞞の空中楼閣を築き上げることをこの国
 の権力は選んだ。 
 それはある意味では全く合理的な選択である。なぜなら、敗戦の責任から逃避し続けて
 きた連中とその後継者たる彼らには、国防への責任を云々できるわけがなく、そもそも
 資格がないからである。それゆえ彼らは、「核兵器はあまりに残酷であるから嫌だ」と
 いう国民に浸透した感情を、この空中楼閣を支える柱として選んだ。
・かくして、日本社会の持つ核兵器への反対の信条は、ただ漠然と「核兵器は残酷だから
 嫌だ」という程度の根拠しか持たないものであるほかなくなった。
 それは、記憶の風化も相俟って、経済的繁栄が衰退へと向かう過程で崩れ落ちることに
 なるであろう。仮に、戦後の日本経済が長期の停滞を強いられ、国民の窮乏が続いたな
 らば、日本人の核兵器に対する態度はどのようなものになり得たか、想像してみればよ
 い。平和主義が経済的成功によって支えられてきたということの第二の意味は、ここに
 ある。
・それでは、「貧しい日本」が帰って来たときに、一体何が露わなかたちで姿を現すのか。
 それは、あの敗戦を経ても、それを否認することによって生き残ってきたもの、すなわ
 ち「国体」であるほかないだろう。
 われわれは、ポツダム宣言受諾に際して戦中の指導者層が譲らなかった条件が、「国体
 の護持」であったことをいま一度思い起こさなければならない。
 
・永続敗戦をめぐる政府と社会の構造は、戦前における天皇制の構造に実によく似ている。
 明治憲法において「天皇は神聖にして侵すべからず」と規定されているが、このような
 「現人神としての天皇」は、大衆を従順に統治させ、かつ積極的に動員に応ずる存在に
 するための装置であった(天皇機関説)。
・しかし、大正を経て昭和の時代を迎え、大衆の政治参加が増大するにつれて、その統治
 術は崩壊へと突き進む。
 統帥権干犯問題に典型的に見られるように、元勲が世を去った後の政党政治家たちは、
 パワー・エリートの一翼をなす存在であるにもかかわらず、大衆向けの論理に自らが絡
 め取られてゆくのである。  
 その結果、政党政治家よりも軍部のほうが十全に「天皇新政」を体現しうる勢力として
 国民の期待を集めることとなり、政治家たちは自ら墓穴を掘る。
・戦前のレジームの根幹が天皇制であったとすれば、戦後レジームの根幹は、永続敗戦で
 ある。永続敗戦とは「戦後の国体」であると言ってもよい。
・それは、「敗戦」という出来事の消化・承認の次元において機能している。
 敗戦の意味が可能な限り希薄化するよう権力は機能してきた。「戦争は負けたのではな
 い、終わったのだ」、と。そのことにもっとも大きく寄与したのは、「平和と繁栄」の
 神話であった。これを補完するのは、対米関係における永続敗戦、すなわち無制限かつ
 恒久的な対米従属をよしとするパワー・エリートたちの志向である。
 岸信介は「真の独立」と言い、佐藤栄作は「沖縄が還ってこない限り戦後は終わらない」
 と言い、中曽根康弘は「戦後政治の総決算」を掲げ、安倍晋三は「戦後レジームからの
 脱却」を唱えてきた。
豊下楢彦は、きわめて重大な仮説を提起した。それは、1951年の安保条約は「戦勝
 国と敗戦国との圧倒的な格差を背景として、米国の利害が日本に押しつけられたものだ
 った」という広く共有されながらも漠然としたものにとどまっていた歴史認識を、大き
 く更新する仮説である。
 豊下の一連の研究は、サンフランシス講和条約と同時に調印された日米安保条約が、あ
 からさまな不平等条約となった理由を追究することによって、象徴天皇制というかたち
 での天皇制の存続と平和憲法という戦後レジームの二大支柱はワンセットである、とい
 う従来からそれとなく意識されてきた統治構造の具体的成立過程を明らかにするもので
 あり、その過程における昭和天皇の「主体的」行動の存在を説得的に推論するものであ
 った。 
・豊下が十分な説得力を持って推論しているのは、当時の外務省が決して無能であったわ
 けではなく、安保条約が極端に不平等なものとならないようにするための論理を用意し
 ていたにもかかわらず、結果として日米安保交渉における吉田外交が、通説に反して、
 拙劣なものとならざるを得ないかった理由である。
 それはすなわち、ほかならぬ昭和天皇こそが、共産主義勢力の外からの侵入と内からの
 蜂起に対する怯えから、自ら米軍の駐留継続を切望し、具体的に行動した形跡である。
・昭和天皇個人の戦争責任が問題なのではない。歴史的事実の探求とは別に、責任の有無
 は政治的にいかようにも「論証」しうる。また、あの戦後の天皇の全国巡幸の光景に表
 れているように、国民の多くが、昭和天皇が敗戦後も天皇であり続けることを進んで受
 け容れたのである。
 したがって、真の問題は、「国体」と呼ばれる一個のシステムの意味と機能を考えるこ
 とにほかならない。それは、アメリカを引き込むことによって、敗戦を乗り越え、恒久
 的に自己を維持することに成功した。
 安保体制の確立を経て、ポツダム宣言受諾の条件であった「国体の護持」の究極的な意
 味合いとは、米国によってそれを支えてもらう、ということにほかならなくなった。
・戦争指導者たちは、8月15日以前には、まっしぐらに悪化する戦況にもかかわらず、
 国民に向かって「本土決戦」「一億火の玉」による最終的勝利を絶叫していた。
 ところが、8月9日にはソ連の対日参戦と2発目の原爆投下を受けて、ついにポツダム
 宣言受諾が「御聖断」によって決定される。これによって本土決戦は回避された。日本
 人の多くは、この決断が遅きに失したとはいえ、さらなる悲惨を回避させたという意味
 で、とにもかくにも下されてよかった当然の判断であると考えている。
 だが、戦争終結へと向かう判断がこの時点でなされなければならなかった必然性など、
 全く存在しない。戦争の帰趨という観点から見れば、勝敗はとうに片がついていた。
 確かに、この時点で戦闘が終わることにより、死に追いやられる人数は抑えられた。
 しかし、兵士たちにひたすら玉砕することを強いていた当時の軍国指導者層が、犠牲者
 の数を抑えることそれ自体に本質的な関心を抱いているはずなどなかった。
 つまり、降伏の決断は、より多くの国民の生命を守ることを意図したものなどでは、さ
 らさらなかった。 
・それでは、なぜ本土決戦は回避されたのか。複数の証拠が示すところによれば、これ以
 上の戦争継続、本土決戦の実行は、「国体護持」を内外から危険にさらすことになると
 いう推測ことが、戦争終結の決断をもたらしたものにほかならなかった。
 現に、盟邦ナチス・ドイツは、「本土決戦」を実行し、最終的に総統は自爆、政府その
 ものが粉々に砕け散って消滅するというかたちで戦争を終えた。日本に置き換えれば、
 それは国体そのものの消滅である。
・本土決戦の準備段階で、大本営は軍を二つに分けることを決めていたという。本土内で
 の連絡が途絶され、統一的士気を執ることが不可能になると予測されたからである。
 もはやいかなる中央からの命令もなく、各部隊は独自の判断で戦闘行為を決定するとい
 う状況が予想された。「それは組織的な「国体」の否定、つまり革命に通じてしまう。
 天皇制支配層が本土決戦に危惧したのもこの点にあった」。
・仮に本土決戦が決行されていたならば、さらなる原子爆弾の投下が行われ、天皇は皇居
 もろとも消滅したかもしれない。途方もない数の人命が失われ、それでもなお、戦闘を
 止める命令を発する主体もなくなる以上、非組織的なゲリラ闘争は際限なく続き、北か
 ら侵入したソ連軍は本土四島まで達したことだろう。
・このような事態が避けられたことと引き換えに、日本人が国民的に体験しそこなったの
 は、各人が自らの命をかけても護るべきものを見だし、そのために戦うという自主的に
 決めること、同時に個人が自己の命をかけても戦わないと自主的に決意することの意味
 を体験することだった。 
米内光政海軍大臣は、原爆投下の報に接して「天佑」だと語ったと言われるが、原爆の
 衝撃が本土決戦の回避を促し、ひいては革命の可能性を核の炎によって焼き尽くすこと
 ができたのであればこそ、それはまさしく「天佑」だったのである。
 
エピローグ
・いまから7年ほど前、始めてベルリンを訪れた。
 前方に何やら巨大なモニュメントが聳え立っているのが視界に入ってきた。そのモニュ
 メントが何とも異質な雰囲気を発している。すなわちベルリンにいるはずなのにそこに
 「ソヴィエト的なもの」が突っ立っていることが、遠目からでも感じ取られたからであ
 る。碑文がロシア語で刻んである。
 「1945年、この地でわれわれはファシストどもを蹴散らした」
 衝撃だった。あの戦争に負けたということが何を意味するのか、私は思い知らされずに
 はいられなかった。
・戦争終結から60年以上経って、自他ともに認めるヨーロッパの中心ともなってもなお、
 種殿ど真ん中に「お前たちは負けた」と書き込まれた巨大施設を置き続けなければなら
 ない。それがドイツという国家が敗戦の結果を抱え込んだ宿命なのである。
・これを見たとき、ドイツと日本という二つの敗戦国で量的には等しく流れたはずの戦後
 という時間の質的違いを、顧みないわけにはゆかなかった。
 東京のこれまたど真ん中には、A級戦犯が「護国の鬼」「神」として祀られる施設(靖
 国神社)が堂々と立っており、そこへ参ることが政治家の公約になる。われわれはその
 ような国に暮らしている。 
・ドイツがEUの中核国という地位を占めるに至ったのとは対照的に、日本が近隣諸国と
 の間で領土問題、歴史認識問題等々で軋轢の火種を消し去ることができず、アジア地域
 での指導的立場を占めることが決してできない理由を、私はこのとき氷雨に震えながら
 はっきりと悟ったのである。
 
あとがき
・「物事の順序」を守らなければ積極的な結果が出るはずがない。
 「戦争責任」という概念には、いくつかの層がある。かつてカール・ヤスパースはそれ
 を、「刑法上の罪」「政治上の罪」「道徳上の罪」「形而上的な罪」という四つの層に
 分類した。
・この整理にあてはめてみれば、戦後日本で実行されたのは、「刑法上の罪」と「政治上
 の罪」をごく部分的に追及することであったにすぎない。
 勝てるはずがないとわかっていた戦争に「何となく」突っ込み、自国民の生命をまるで
 顧みることなく、自国を破滅の淵に追いやった指導層の責任。
 「負けたことの責任」という最も単純明快な責任さえも、実に不十分な仕方でしか問わ
 れなかった。
・日本国民の犠牲や不幸に対する責任すらまともに追及することのできない社会が、より
 高度に抽象的な責任を引き受けられるはずがない。
 戦争責任のイロハのイを飛び越えて、一挙に高度な次元における責任追及へと進む議論
 が、いまこの国と社会が抱えている問題の適切な解決に資することができるとは、私に
 は思われない。
・容易に共感を醸成しやすい自国民への責任すら満足に追及できない社会は、共感度が薄
 くなりがちな他国民への責任の問題に本来的な意味で取り組む能力を持たない。歩くこ
 とすらまだできていないのに走ることはできない。