「安倍一強」の謎 :牧原出

この本は、いまから8年前の2016年に刊行されたものだ。
安倍政権が、「一強」と言われ、なぜこんなに長く続くのか。その謎を追い求めたものだ。
著者の結論は、「与党の自民党が一度野党に転落して、再び与党に返り咲くことによって、
与党として何をすべきかを学習したから」とのことのようだ。
だが、そう言われても、私はどうにも納得できなかった。
私はそれよりは、”安倍家三代目”、”岸信介の孫”という”政界のサラブレット”という血統
の”威光”と、どの党ともしがらみのない菅義偉官房長官の強力な人事の掌握力の2本柱に
よるものではなかったのか、と思っている。おそらく、この2つのどちらかが欠けても、
長期政権は成り立たなかったのではないだろうか。
その証拠に、第一次安倍政権は、菅義偉官房長官の存在がなかったために短命に終わって
いるし、菅政権では、安倍家血統のような威光がなかったから短命に終わった。
結局、日本の政治は、いまだ封建時代のような伝統的な家門に支配された人たちによって
行なわれているのだと思った。

過去に読んだ関連する本:
美しい国へ
安倍官邸の正体
安倍政権とは何だったのか


はじめに
・安倍政権は謎だらけである。
 アベノミクスや安保法制など個々の政策には反対も多いのに、内閣支持率は低下しない。
 閣僚辞任や自民党議員の醜聞・失言が相次ぐなど、盤石の態勢とは言えないのに、
 「長期安定政権」になると見られている。
・「一強」と言われるだけあって、安倍政権をおびやかす勢力は見当たらない。
 首相も自らを「最高の責任者」だと繰り返す。
 だが、どうも脆さがあるように見える。
 何よりも、アベノミクスによって当面の経済成長を呼び込むという以上に未来像を示し
 てくれない。
 目前の課題に全力投球といえば聞こえはよいが、いまそこにある懸案に汲々としている
 ようにも見える。
・強そうなのに、なすべき課題を十分受け止めたうえで意思決定をしているようには到底
 思えないのである。
・安倍政権の「強さ」は、自民党しかないという国民の「空気」が支えているように見ら
 れがちである。
 だが、そうではない。政権交代を経た上での「強さ」なのである。
・現在の自民党は、政権交代のサイクルの戦闘を切って政権を組織している。
 自民党は、やとう時代をくぐって、死に物狂いで与党となっている。
 自民党が必死に政権を守ろうとする。
・自民党はどういう状態にあり、どこに向かいつつあるのかを見極めなければならない。
 自民党が何を必死になって達成したかを冷静に捉えることが、将来の政権を担いうる野
 党にとっては不可欠なのである。 

国民の信頼は一瞬にして失われる?
・2014年12月衆議院選挙の結果、291議席を得て圧勝した自民党の安倍晋三総裁
 は、翌日の記者会見で次のように語った。
 「わたしたちが、数におごり、そして謙虚さを忘れてしまったら、国民の指示は一瞬に
 して失われる」
・政権の基盤は盤石ではないと首相自身が語っているにもかかわらず、一般的には、長期
 安定政権となるかのように受け取られている
 だが、政権が最重要課題と位置づけるアベノミクスも、成長戦略に即効性を期待できず、
 このまま景気が持続するのか危ぶまれている。
 しかも、財政は危機的状況であり、首相が消費増税の再延期をほのめかしている現在、
 破綻の可能性が現実味を帯びてきたように見えなくもない。
 そして、人口減には歯止めはかからず、過疎化がさらに「自治体消滅」へと至ることも
 予想されている。
・それでも安倍首相自身に健康不安などの問題が起こらない限り、政権が倒れるとは思え
 ない。盤石とは必ずしも言えない政権がどこまでも続こうとしている。
 しかも、沖縄問題への対処やNHK会長人事への露骨な介入のように、反対派への統制
 や介入は強力である。
 特定秘密保護法や安保法制関連法の制定のように、支持率を落としても決定を強行して
 いる。
・これは確かに謎である。
 安倍政権への有力な対抗勢力は当面出現する見込みはないが、政権への支持は「一瞬に
 して失われる」可能性がある。
 ところが政権は慎重に安全運転をするどころか、露骨な統制を及ぼそうとしている。
・野党が弱すぎる、安倍に代わる首相候補がいないことが問題だという答えがすぐに浮か
 ぶ。だが、そうだろうか。
・自民党が野党であった時期、2012年の総選挙に勝つまで、第1次政権で説明も不十
 分なまま内閣を投げ出した安倍を、有力な首相候補だとはだれも考えていなかった。
 野党が弱すぎるのは今に限ったことではないし、有力な首相候補がいないのは、民主党
 政権末期も同様であった。
・かつての自民党長期政権のように、政権交代なき与党は必ず腐敗する。
 また、価値観が多様化した時代に、一党が国内での社会各層の要求、幅広い国際社会か
 らの要請に応えることは不可能であろう。
・そもそも盤石ではないのに強力である政権とは「謎」である。
 安倍政権にはいくつもの「なぜ?」がある。
 一つは、最初の政権をあれほど惨めに投げ出した安倍が、なぜ復権でできたか?
 二つは、その安倍の2度目の政権がなぜ3年以上続いているのか?
・「安倍一協」の裏には野党には政権担当能力がないという見立てがある。
 外交から内政課題にかけて混乱に次ぐ混乱を重ねた民主党政権はあまりにひどかった。
・安倍首相についていえば60歳前後の人間がそう簡単に変わるだろうか。
 事実、今なお安倍首相の国会での発言には、ヒートアップして聞くに堪えないものが折
 に触れて登場する。 
 一国のリーダーとして未熟ぶりは相変わらずだという見方もできる。
・民主党政権の混乱は目に余ったが、第1次安倍政権の醜態は民主党政権と大差はなかっ
 た。その後の福田康夫、うの各政権は一体、何をしたのだろうか。
 とりわけ格差是正があれほど言われながら、まともな対策を出せなかった。
 年金、財政再建という課題については、むしろ民主党の野田佳彦内閣のほうが適切に対
 応したとさえ言えるのではないだろうか。 
・いくら野党が当面弱体だとはいえ、自民党も将来野党に転落しないとは限らない。
 事実、もしアベノミクスが崩壊すれば、まず間違いなく自民党は与党から蹴落とされる
 であろう。
 そのときの破綻状況が深刻であれば、自民党が政権に戻るには、気の遠くなるような年
 月が必要となるかもしれないのである。

政権交代で何が変わったのか?
・小泉政権下、政治主導の舞台となった経済財政諮問会議では、出席した大臣が官僚のペ
 ーパーを読み上げると、首相から叱責された。
 官僚主導からの脱却はこのときから真剣に試みられた。
 それと比較すれば、安倍政権の閣僚が自分の言葉で発言しているとは言い難く、政治主
 導とはほど遠い。
・とはいえ、省庁官僚といえども、かつての自民党時代ほど唯我独尊のポーズをとれなく
 なった。  
 官僚バッシングがつづいたことも一因だが、官邸による政策のコントロールがかなりの
 程度機能しているからでもある。
 言うまでもなく、それは大2次安倍政権下での内閣人事局の設置により、省庁幹部の人
 事権を官邸が握ることで、さらに強化されているのである。
・「官邸」とは、首相とそのチームと捉えることができる。
 具体的には、官房長官や首相秘書官を中心に、官僚やアドバイザーを交えて政策のアイ
 ディアを練る。
 自民党幹部は基本的に「官邸」に協力的で、これいい内心の思惑がどこにあるかは別に、
 公明党も従っているという構図である。
・「安倍一強」「官邸主導」が成立しているメカニズムは、一軒謎だが、この二つはとも
 に、首相や官房長官を中心とするチームの組織化が、ほかと比較して優位にある点から
 説明できる。
 何よりも官邸は、各省庁の大臣を中心とするチームよりも明らかに強靭である。
 換言すれば、各省の側では、大臣、副大臣、大臣政務官のいわゆる「政務三役」を巻き
 込んだ組織化が進んでいないのである。
 だから、霞が関では「最強」とされる財務官僚であっても、大臣や副大臣を頼りにでき
 ず、官僚だけで官邸に抵抗しようとしてもはね返されてしまう。
・2009年の政権交代は大胆な改革を盛り込んだマニフェスト選挙の結果、民主党が大
 勝したという劇的なものであった。 
 これに対して2012年のそれは、前政権との部分的な政策連合と民主党の分裂が重な
 る中、公約はむしろ大胆な変化は一部の経済政策にとどめて、自民党は大勝したのであ
 る。
・それ以降、マニフェスト選挙はすっかり影をひそめたように見える。
 自民党も「嘘つき」といわれることを避けるために、選挙での公約は穏当なものにとど
 め、メディアの注目を集める目玉の新規の政策はあまり設けないようにしている。
 集団的自衛権の解釈変更にしても、選挙での公約の中では一項目に掲げられてはいるが、
 公約の中心として声高に主張されはしなかった。
・そのため、集団的自衛権が閣議決定されたり、それに基づく安保法制関連法案が立案さ
 れたりした後になって、こうしたやり方は民主的な手続きとはいえないという批判の声
 が上がったが、あとから批判されるマイナスよりも事前に言質はとられないことを重視
 し、抑えた表現で公約に記載するという方式を採用したと言えるであろう。 
・こう考えると、現在の安倍政権の弱みも明らかになる。
 自民党はマニフェスト選挙に、いまだかつて成功していない。
 安倍政権は民主党の自滅という敵失と、民主党政権の最後の政策的成果を継続すること
 で、政権浮揚に成功したに過ぎない。
 だとすれば、安倍政権が政策に行き詰り、政権を投げ出すことが将来あったとき、そこ
 から再生するのは、現在の民進党以上に時間がかかる可能性がある。
 
菅官房長官仕様の「官邸」
・政治改革、規制緩和、地方分権改革、省庁再編、司法制度改革、道州制改革などかつて
 声高に叫ばれた改革を訊かなくなって久しい。
 第2次安倍政権は、そうした統治機構の抜本的改革には興味がないようである。
・政治改革から道州制改革といった統治機構の抜本改革は、政府の行動ルールを全面的に
 刷新するため、改革に要するコストはきわめて大きい。
 コストの甚大な改革に着手しないことで、安倍政権は、目前の案件に集中できている。
 突発的な事態が起こったとしても、全力で危機管理に専念できる。
 このように、安倍政権は、大改革から日々の案件に関心を転じて円滑な運営を心がける
 ことで安定政権を志向している。 
・そして、こうした安定政権を目指すために必要であったのが、官邸すなわち内閣官房の
 改革であった。
 統治機構の全般的な改革と比べれば微調整の改革であるが、政権の運用には決定的な意
 味を持ってきたのである。
・内閣官房改革の流れは二つの系列に分かれている。
 一つ目の系列が、国家安全保障局・内閣人事局の設置のように、官邸に意思決定を集中
 させるものである。
 二つ目の改革の系列は、閣議議事録公開や特定秘密保護法の「監視機関」の設置のよう
 に、透明化を図るものである。
・第2次安倍政権は、官邸を中心に少数の閣僚で処理する態勢を組んだ。
 それは当初から構想されていたというよりは、アベノミクスを当面の政策に掲げて政権
 を着実に始動させるためには首相・官房長官・財務大臣・経済財政担当大臣を中心とし
 たチームが有効であり、他方で外交・安全保障では首相・官房長官と少数の外務・防衛
 官僚とで政策を検討する必要に迫られたためである。
 そのかなめは首相と官房長官とこれを支える秘書官など少数の官僚集団とならざるを得
 なかった。
 統制の道具が人事であり、第2次安倍政権下の公務員制度改革による内閣人事局を通じ
 た各省幹部人事の一元化は、官邸による各省への強力な統制力となった。
・民主党政権が政と官の関係を各省ごとに分けてとらえ、政務三役と官僚集団との対抗関
 係として位置づけたとすれば、第2次安倍政権では、官邸内で首相・官房長官とこれを
 補佐する官僚集団が、各省の官僚集団と統制する体制を作り上げつつある。
 ただし、各省では旧来の自民党長期政権と同様、官僚集団が大臣を政策面で主導してい
 る。各省と大臣の関係だけをとらえれば、官僚優位となりそうだが、双方が相当程度官
 邸の統制を受けている。
 政治主導下官僚主導下ではなく、省レベルの官僚主導を官邸が主導する。
 それが、現在の「官邸主導」の内実である。 
・菅官房長官は、気分的な上下が明らかに見てとれる安倍首相を支え、政権運営を安定化
 させてきた。
 菅は、秋田県出身で高卒で上京し、苦学して大学を卒業後政治家との係累がない中で、
 横浜市議会議員を経て衆議院議員となった。
 近年の自民党政治家には珍しいセルフメイド・マンである。
・だが、たたき上げの政治的経験の故であろうが、菅は、その時々で担ぐ政治家を替えて
 いる。
 1998年の総裁選では梶山静六を支持し、2009年の「加藤の乱」では加藤紘一
 ともに森喜朗内閣の不信任案採決に欠席し、2006年の総裁選挙では安倍を支持する。
 2012年の総裁選挙で再び安倍を支持するまで、さまざまな政治勢力に荷担した菅は、
 特定派閥への帰属意識も、特定個人への忠誠も持っていない。
 むしろ状況にお対応して、変化を呼び起こす勢力を組織しようとする政治家なのである。
・菅の特徴は人事への関心である。
 公務員制度改革への関心と、組織の長の馘首への強い賛同こそ、その後の菅の下地とな
 った。 
 菅は特定の政策へのこだわりを捨てている。
 変化を起こすための制度改革と人事介入こそが菅の持ち味であった。
・菅の関心は、人事院との対決よりは、各省幹部人事に官邸が正面から関与できる体制を
 構築することであった。 
・菅の統制は政治家にも及んでいる。
 第1次安倍内閣では、とりわけ政治資金スキャンダルの中で閣僚の失言が多かった。
 これに対し、菅は、失言が生じるたびに早めに官邸から修正を心がけた。
 2014年2月、アメリカ政府が安倍首相の靖国神社参拝に対して「失望した」と声明
 を発表した際、衛藤晟一首相補佐官は、「むしろ我々のほうが失望した」という挑発的
 なコメントを発した。このとき菅は、衛藤を強く叱責したという。
・菅は、閣僚と各省、関係機関を人事と叱責を通じて押さえ込んでいる。
 安倍内閣では他にこうした調整を進められる人・組織は、党・官僚機構を通じても見当
 たらない。 
 従って、今や菅に集中的に情報が流入し、これを菅が捌いている状況である。
 特定の政策に強い関心を持たないことで、情報の出入りが停滞しないのは、この体制の
 特徴である。
・特定秘密保護法の制定過程で浮上したのが、閣議と閣僚懇談会の議事録の公開である。
 これは地味ながら重要な改革である。内閣史始まって以来の一大転換である。
・公文書官吏の観点からは、最長30年で国の重要な歴史的な公文書は、国立公文書館に
 移管されなければならない。 
 ところが、これまでは最重要の公文書というべき閣議の正式な記録は作成されないもの
 となってきた。
 備忘録としてのメモがあるが、それは閣僚の事後チェックを経た正式な記録とはされて
 いなかった。
 各省の官僚は大臣の発言を確認するために、出席していた事務方の内閣法制局長官、
 内閣官房副長官に問合せいたのである。
・これに対して、第2次安倍内閣は情報公開の観点から、閣議から3週間後をめどに公式
 の議事録を作成して公表した。 
・それにしても、そもそも閣議と閣僚懇談会とは何か。
 これまで議事録が作成されていないために、よく知られていない制度となっている。
 閣議の議事が「形骸化」されており、事実上閣議とは「サイン会」に過ぎないといった
 指摘は、かなり前からされていた。
・新しい公開の手続きの中では、「発言内容は、事前に官僚が文書で用意」しており、
 「議事録も、内閣総務官室がこれらの文書をつなぎ合わせて作っている」とも指摘され
 ている。 
・公開から2年近く経過した2016年2月、日本経済新聞は取材をかねて官房長官記者
 会見で、閣議議事録の意味について問いただした。
 菅官房長官は、過去に閣議では自由発言がなされたこともあったが、現在は閣僚発言は
 事前登録しており、「目的を果たしている」と明言した。
 つまり、議事録公開によって、かくりょうはつげんをとうせいしているというのである。
 閣議議事録を丁寧に分析すれば、権力への監視の手段となりうる。
 他方でこれを防ぐために官邸は大臣の発言を事前にチェックしている。
 それは官房長官の影響力行使の一手段でもあった。
・2014年1月、アメリカのNSCをモデルにした国家安全保障会議が設置された。
 旧来の安全保障会議を引き継ぎながら、首相、官房長官、外務、防衛の4大臣会合を定
 例的に開催し、日常的に安全保障政策について少数閣僚で審議することが目指された。
 放映の基本方針の策定や防衛大綱の策定など旧来の安全保障会議の機能は9大臣会合が
 継承し、その他に重大緊急事態に際しては、首相と官房長官、事態の種類に応じてあら
 かじめ首相に指定された大臣による緊急事態大臣会合が開催される。
・菅官房長官は記者会見で「詳細な議題や発言者、発言の概要は、後世に必要なので、
 きっちり記録している」と述べている。 
 しかし、議事録が「発言の概要」を記録するだけでは心許ない。
 国家安全保障会議本体については、「4大臣会合には議事録がなく、議事要旨のかたち
 で記録されている。重要政策の検討過程が将来どこまで検証可能か、はっきりしない」
 と指摘している。
・他方、「関係者の多くが降下を上げたと指摘するのが2014年3月のロシアのクリミ
 ア半島編入に端を発したウクライナ情勢への対応だ。防衛省・自衛隊はロシア軍の展開
 を分析し、軍事的観点からロシアの狙いを解説した。外務省はロシアとウクライナの停
 戦合意など関係各国のよる交渉の真意を説明し、北方領土交渉もイランだ、米欧より一
 歩引いた日本独自の対露制裁につなげた」という。 

安保法制という混迷の政策転換
・2012年12月の政権発足から2015年9月の安保法制関連法の成立まで、プロセ
 スを振り返ると謎が多い。
 まず、首相、閣僚、官僚の発言が統一的ではなかった。
 当初の首相の記者会見と実際の法制の説明とが食い違い、首相と防衛省との発言の間に
 も差があった。
 準備が不足し、政治家が原案を理解できないという事態だけならば、政権交代が状態と
 なった国では珍しくない。
 だが、官僚として憲法解釈の変更を進める小松内閣法制局長官は、病気が進行するなか、
 国会の議場外で激しく議員を面罵し、結局は闘病のため辞職することとなった。
・安倍首相は国会審議中に質問者に異例のヤジを飛ばして陳謝した。
 さらに衆議院憲法審査会では、法案審議とは別の議題で審議が行われる中、野党議員か
 ら一連の安保法制の合憲性を問われた3人の参考人全員が違憲との見解を唱えた。 
 うち1人は自民党推薦の参考人であったため、院内外が驚いた。実に奇妙な光景が続い
 たのである。
・当初から、内閣法制局ひいては政府が憲法解釈を変更することが、いかなる意味で可能
 かが明らかではないままであった。
 この解釈変更手続きは憲法学者を中心に立憲主義に反するという批判が根強い。
・しかも国会に提出された多数の法律は複雑な構成をとり、相互の関係を理解するのは容
 易ではなかった。
 メディア自体が理解に苦しみ、受け手への説明もまた苦しんだ。
・国民の理解が進まない中、政権は強い反対に直面するたびに局面打開を図ったが、手探
 りで進めたというべきである。
 変更内容を首相はじめ閣僚が明確に理解していない事態が続いた。
 その結果が、2015年9月に大規模なデモが国会議事堂を取り巻く中で成立した安保
 法制関連法であった。
・安倍の「美しい国へ」の本で着目すべき点は「どこか」という言葉である。
 「左翼」や「地球市民」を唱える人々に対して「どこかうさん臭い」「どこか無機質」
 「どこか不自然」と繰り返されるからである。
 政敵を猛然と攻撃するのでも、決然と切り捨てるのでもない。
 言語化不能な猜疑心が、奥底でよどんでいる。
 そして読み進めると、突然、著者は「闘う」「批判を覚悟で臨む」と唱えている。
・感覚が論理化されず、立ちすくんでいるかと思えば、敵が何たるものかを論理的に説明
 し得ないうちに唐突に「闘う政治家」宣言するのが「美しい国へ」の特徴である。
 それは、どこから見ても準備不足の状態であるにもかかわらず、突然、「首相の指示」
 が表明される当時の政権の姿と通底している。
・だが、もやもやとした疑念と唐突な「闘い」の開始という特徴は、当時としては一面で
 素人くさく、他面で初々しくもあった。
 新鮮さには政治のアマチュアリズムとして国民から歓迎される要素が含まれていた。
 そのためか、第1次安倍政権は、良質とは言い難いアマチュアの動員という一種のポピ
 ュリズムによって専門家を攻撃することで、世論を味方につけるという戦略をとろうと
 した。
 安倍内閣では「美しい国」というあいまいな目的の下で、アマチュアリズムが百家争鳴
 状態を作り出した。
・組閣当初の安倍首相は、改憲と解釈変更を同時に掲げた。
 しかし、憲法を変えるならば、憲法解釈を変更する必要はない。
 また憲法解釈の変更で済むならば、憲法を変える必要はない。
 憲法9条について集団的自衛権の解釈変更が可能ならば、9条を改正しなくても当面の
 問題には対処できるはずである。
 つまり、この二つは同時に推進しようとすると、どちらかが不要になる関係に立ってい
 る。
・しかし、改憲するという姿勢を政権が続けるときに、憲法が変わるかもしれないという
 予想が国民の間に広がる。
 そのときに解釈変更の幅は広がりうる。
 その意味では、解釈変更を実現するには、憲法改正に言及する必要がある。
・安倍首相にとっての不満は、戦後長らく憲法改正が不可能な状態が続いたことに向けら
 れている。 
 そこでは違憲の疑いのある制度改正もまた不可能であった。
 現行憲法の解釈機関として内閣法制局が、違憲の疑いのある制度改正をすべて阻止し得
 たのである。
・政府のよる改憲のポーズは、憲法をより柔らかくし、政府の選択の幅を広げていく。
 集団的自衛権の解釈変更が閣議決定に至ったのは、選挙で圧倒的な議席を得た自民党を
 中心とする政権が会見を主張し続けることで、憲法解釈の幅を事実上広げたためでもあ
 った。
・内閣法制局は、設置法上は内閣に置かれる組織であり、主任の大臣は内閣総理大臣であ
 る。
 その自立性は、法制上の性格によるものではなく、法制上の意見を内閣に述べるという
 機能にもとづいている。
・安倍政権は、内閣法制局長官の交代による解釈変更を目指した。
 事実、吉國・元長官も、集団的自衛権の解釈変更は必要であり、「誰か法制局長官が一
 人辞表を出す格好でやればいい」と述べている。
・内閣法制局という機関の役割自体、それまであまり報道の全面に出ることはなく、国民
 からの認知度は決して高くなかった。
 さらに憲法解釈の変更はどのように行うことができるかについて国民的合意がない中で、
 政権は閣議決定という形式を選んだ。
 解釈変更の閣議決定を具体的な法案にまとめる過程でも、当初想定された事例と法案と
 の間で齟齬があるかないか微妙な判断を必要した。
 つまり、憲法解釈、自衛隊法、・周辺事態法などの関連法律の解釈について、当事者の
 間で明確な合意がどの程度あるかが定かではなかったのである。
 こうして首相・閣僚・官僚間で見解の相違が表面化するたびに混乱が生じた。
・2014年1月末に小松法制局長官が病気治療を開始した。
 そして治療のかたわら業務を処理しようとする長官の資質が問題となった。
 審議中や審議後、議員に高ぶる感情をぶつけたり、携帯電話を見て答弁するなど、政府
 が前例のない憲法解釈変更を行う責任者として適格とは言い難くなったのである。
・にもかかわらず、政府としては長官を更迭しなかった。
 異例の長官人事を行ったがために、更迭すれば任命責任が問われる状況でもあった。
 それでも結局5月には、小松は自ら辞任を申し出、新長官は、かねてから法制次長とし
 て本来長官になると目されていた横畠裕介が就任した。  
 憲法解釈変更の作業途上での交代は驚きであった。
・すでに、横畠は、法制次長として首相が集団的自衛権の行使の必要性を訴えた記者会見
 に先立って、「限定容認論」を取ることを進言した人物であるとも報道されていた。
・菅官房長官は、「新長官はまさに適材適所の人事だ。政府としては全く心配していない」
 と発言し、横畠もすでに衆院予算委員会で「解釈を変更するのが至当だという結論が得
 られた場合、変更が許されないというものではない」と答弁している。 
・集団的自衛権の解釈変更問題は、閣議決定だけではあまりに抽象的であった。
 立法作業の結果を確認しないと、解釈変更が何を意味するのかが明らかでなかった。
 決定が抽象的であり、その内実が未定であるというパターンは、第2次安倍政権の施策
 全般に当てはまる。
・安倍首相の信条に沿った施策といえば、アベノミクス関連の政策、国家安全保障会議の
 設置、特定秘密保護法の制定、国家公務員制度の改革関連法による内閣人事局の設置な
 どがあげられる。
 だが、いずれもとりあえずは制度の骨格を作成したにとどまり、それがどう運用される
 のかは当初から見通せず、運用しながら具体化を進めるという過程を経たのである。
 「なぜ必要かという議論を十分にせず、とにかく必要だからやる、足りない部分はあと
 から考えればいいという発想になっている」
 政権は鳴り物入りで法律を作成し、国会通過を果たすが、準備が足りず、施行上の諸問
 題への対応には不備があった。
・かくして国会審議は混乱した。
 とくに閣議決定後に開かれた国会閉会中審議での首相の発言内容は、かつての国会審議
 での発言とずれが生じ、記者会見でも病妙に異なっていた。
・「最後はいつも『国民の命と平和な暮らしを守るため』。テープの再生を訊いて入りみ
 たい」 
 というのが、首相に対する国会審議の傍聴者の批判的なコメントであった。
 会議を傍聴した映画監督の森達也は、「メディアは整えた形で見せてしまう」が、
 「政治家に対して、市民はわからないことはわからないとシンプルに問いつづけること
 が大切だ」
 と述べた。
・政治学者の五野井邦夫は、こう政権を批判する。
 「安倍さんは、集団的自衛権行使容認を選挙でも首相してきたと言いますが、前面に打
 ち出した説明はなく、国民の支持を得た政策でもない。8割近くの有権者が納得してい
 ないという世論調査結果もある。説明を怠っている側に問題があるのです。政治が国民
 の疑念の声を無視することは許されません。今日首相は『中傷的な問題だから国民に説
 明が難しい』と言った。本当にそうでしょうか」
・安保法制への反対が盛り上がったのは、衆議院憲法審査会で自民党が推薦した長谷部恭
 男・早稲田大学教授を含む参考人の憲法学者の3人全員が、これを意見と述べたことに
 端を発している。  
・以後、安保法制が「立憲主義」の破壊であるとの認識から、憲法学者を中心に、反対す
 る知識人の意見表明が強まっていく。
 特に「安全保障関連法案に反対する学者の会」が1万1218人の共同声明を発表し、
 うち150人以上が記者会見に出席して発起人である益川俊英・京都大学名誉教授を中
 心に政権への抗議アピールを行ったのは、象徴的であった。
・菅官房長官が記者会見で、「『違憲じゃない』という著名な憲法学者もいっぱいいる」
 と発言したことも日に油を注いだ。
 憲法学者のうち合憲派、違憲派はそれぞれ何人いるか調べようと、新聞各紙はアンケー
 ト調査を実施した。
 朝日新聞は、回答した122人のうち、違憲104人、合憲2人との結果を報道した。
 一般的な傾向は違憲派が圧倒的多数であった。
・日米関係を専門とする村田晃嗣・同志社大学学長は、
 「多くの安全保障専門家は、今回の法案にかなり肯定的な回答をするのではないか。
 学者は憲法学者だけではない」と述べた。
・そもそもの問題は、安倍政権自体が彼らの言う安全保障上の具体的な政策課題について、
 これまで議論してこなかった点にあった。
 安保法制関連法案が政権内部で議論されていたもっと早い段階で、こうした声明を出す
 べきではなかったかと感じざるを得ない。
・要するに、一般への浸透度は「違憲論」のほうがはるかに深い。
 まず、平和と戦争のイメージが、法案への反対、賛成とそれぞれ張り付いているのが大
 きい。
 さらに、憲法の平和主義は小学校以来、多くの人が聞かされてきた内容であるのに対し、
 東アジアの安全保障上の脅威などと言う話は、ほとんどの人にとってなじみが薄い。
 換言すれば、憲法と比べると、安全こう言われたところで、保障について基礎知識を身
 につける機会は、多くの
 国民にはあまりないのである。
・それはまた、日本の新聞・テレビが、とりわけ冷戦終結後の戦争の現実に肉薄していて
 こなかったためでもある。
 振り返ってみれば、1990年代以降、湾岸戦争、コソボ空爆、アフガン戦争、イラク
 戦争など一連の戦争を、日本のメディアはどう伝えただろうか。
 イギリスのBBCやアメリカのCNNが、戦地の悲惨さをむごたらしい映像とともには
 っきりと伝えてきたのに対し、日本のメディアは戦争というものの真の姿を根本から報
 じないまま今に至っている。
・政府の合憲論の基礎に砂川事件の判決がある、とする高村正彦・自民党副総裁は、衆議
 院憲法審査会において参考人から『違憲」との指摘を受けたことについて、
 「最高裁の判決の法理に従って、何が国の存立を全うするために必要な措置かどうか、
 ということについては、廷々の憲法学者よりもわたしのほうが考えてきたという自信は
 ある」
 と述べた。
 本人のの自信のほどは十分理解できるにしても高村の解釈を万人が受け入れるとは到底
 考えられない。
・問題が根深いのは安全保障論である。
 中国の台頭にともない、冷戦終結後、いったんは低下したかに見えた日本周辺における
 安全保障上のリスクが高まりつつあることは、よく考えればうなずける。
 だが、それがどのようなものであり、憲法解釈を変更したり、憲法そのものの改正に向
 かうだけの根拠のある事態かどうかについては、まだごく少数の専門家が、「何も知ら
 ない」市民に託宣をたれていると見られても仕方のない構図が、そのままだからである。
 
政権雄性格を変えた2014年総選挙
・2014年11月の安倍首相による解散の表明は、当初国民を驚かせた。
 その理由が不明だったからである。
 マスメディアはその意味をめぐって混乱した。さまざまな「なぜ?」が乱れ飛んだので
 ある。
・安倍首相としては、解散によって、増税による一層の経済的隊を招き、世論の支持によ
 って党内の不満を抑えるという効果を目指したことはほぼ間違いない。
・解散は首相の専権事項であるという憲法第7条の解釈は政治慣行としては定まっている
 としても、「なぜ年末の忙しい時期に解散したのか?」といった「なぜ?」は人びとの
 間にわだかまった。 
・これまでの例から想定される衆議院の解散時期は、政権が一定程度実績を上げてそれへ
 の評価を問う場合か、政権が袋小路に追い込まれたときである。
 ところが2014年の解散は、そのいずれでもなかった。
 そのためか、「なぜ解散するのか?」という問いが繰り返し投げかけられた。
 これを投じは「解散の大義」はどこにあるのか、という問いとして表現された。
 解散に明確な意味を与えられずに選挙戦に突入したからである。
・安倍首相は「アベノミクス解散」と名づけたが、野党は「大義亡き解散」と批判を強め
 た。 
 安倍首相は、衆議院解散後の記者会見で、解散を「アベノミクス解散」と名づけ、
 「アベノミクスを前に進めるのか、止めてしまうのか、それを問う選挙だ」と述べた。
・そもそも、なぜ安倍首相は、このような解散を決断したのであろうか。
 「行き詰った状況を一気に打開する『リセット』を狙ったものだ」とのみからもだされ
 た。  
・2014年12月14日の衆議院総選挙の結果は、自民党が291議席と解散前の議席
 をほぼ維持した。
・選挙後には党に対する「官邸主導」、党内派閥の中での細田派すなわち「安倍派」優位
 という権力構図が浮かび上がってきた。
 やはり小選挙区制の導入後、自民党では総裁への権力集中が進んでおり、それこそが政
 治改革の一つの目標であったとみることもできる。
 
安倍首相の言葉と野党党首の言葉
・安倍首相には不規則発言や意味不明な発言も多く、安倍「話法」として今なお批判の的
 である。
 一方でコントロールされた発言もあり、他方で安倍「話法」なる不可解な発言も飛び交
 う。それもまた「謎」というべきである。
・安倍首相の発言には、不特定多数を相手とした記者会見などの発言と、国会論戦での発
 言がある。 
 前者はスピーチライターによるコントロールの産物ともなりうるが、後者は特定の相手
 の批判をどう封じるかが問題となる。
 安倍首相の場合、相手が党首の場合はこれを言い負かそうとしてときに感情的になり、
 一議員である場合にはヤジなどの不規則発言がついこぼれだす傾向にある。
・そもそも安倍首相は、第一次政権で、コミュニケーションが空回りし、「空気を読めな
 い」政治家して政権を崩壊に導いたとみなされていた。 
 いくつかの発言を見るかぎり「空気」を十分読んでいる都は今なお言い難い。
 だが1年間で政権が終わった前回とは異なり、一過性の発言として切り抜けており、
 それ自体が政権の特徴となっている。
・首相自身は「空気を読めない」にもかかわらず、政権の発する言葉が政治の基礎を形作
 っている。 
 安倍首相の言葉に応じる形で、ほかの政治家の言葉を拾い上げる記事が登場している。
・2015年2月、西川公也農水相が辞任した。
 地元企業の顧問に就任しており、その企業から献金を受けていながら、以前にこの企業
 が補助金交付通知を受けていたことは知らなかったという答弁に疑問が付されられたの
 である。
 また砂糖の業界団体からも献金を受けていたが、この団体も国の補助金交付決定通知を
 受けた後に献金をしていた。
・西川農水相は国会で厳しい質問を受けて、自ら辞任を決めたという。
 だが、そのやり取りの中で、安倍首相が首相として異例なヤジを飛ばした。
 「日教組はやっているよ」
 というヤジである。
・首相の一連の「日教組」発言は繰り返されてきた。
 ヤジの後、首相は答弁で、
 「日教組は補助金を受けている」
 「教育会館から献金をもらっている議員が民主党に入る」
 「神本(美恵子)元文科政務官は日教組の地方組織にパーティー券を購入してもらって
 いる」 
 と発言したのである。
・結局首相はヤジと答弁の根拠を何ら示さず、質問の答える前に陳謝した。
 当然のことながら、識者を含めた新聞の論調はこうした安倍首相を厳しく批判した。
 作家の吉永みち子は「あのやりとり、大人じゃない」
 政治評論家の森田実は「事実誤認であり、より悪質だ」
 と手厳しい。
・ジャーナリストの安田浩一は、
 「議論の文脈を無視して『日教組』『左翼』『売国奴』となじって反論を封殺するのは、
 ネトウヨの常套手段。首相のヤジはネトウヨにこびっているのではなく、本人がネトウ
 ヨ的な感性の持ち主であることを示している」  
 とする。
・安倍首相は、その前からよく言えば強気、悪く言えば感情的な答弁が目立っていた。
 安倍首相は「イスラム国」による人質事件で首相演説の批判をされた後、
 「質問は、まるでISIL(ISの別称)に対して批判をしてはならないような印象を
 我々は受けるのでありまして、それはまさにテロリストに屈することになるんだろうと、
 こう思うわけであります」
 という発言が物議を醸したとする。
 その他「ムキになる」答弁をあげ、「ぴしゃりと批判を封じようとする『話法』気にな
 る」と毎日新聞は疑問を投げかけている。 
・安倍流「話法」なるものの最大の難点は、売り言葉に買い言葉のように、質問者の命題
 を否定しにかかるだけの答弁の単調さである。
 「危機感が少なく、反省すべきは」と問われて、「その批判は当たらないと、はっきり
 申し上げておきます」という答弁には工夫がなさすぎる。
 それを補うための感情表現が、ムキになっているように見えるのである。
 
野党が政権を奪い返す条件
・安倍政権が盤石でないのに、なぜ、ここまでたどり着いたのかという問いについては、
 自民党が一度野党に転落した後、与党に返り咲いたという政権交代のサイクルをなぞっ
 たのだというのが答えである。
・与党自民党が野党に転落することによって、与党として何をすべきか学習したからであ
 る。しかも今のところ自民党以外に、野党に転落した党が選挙で過半数議席を獲得して
 再び与党になるという過程を経験した政党はない。
 その意味で自民党は現在、政権交代のフロントランナーなのである。
 与党になったものの、政権交代前の与党経験だけでは政権を運用できない。
 現政権をめぐって生ずる出来事が前代未聞であるのは当然であり、「謎」のように見え
 る現象のいくつかは今後起こりうる政権交代にとって先例となる可能性が高いのである。
・なぜ衆参で過半数議席を占めていながら国会審議では年々変転するのだろうか。 
 その理由は、安保法制関連法の制定という官邸主導による政策転換の中に明瞭に現われ
 る。
 安倍首相は第1次政権から掲げた集団的自衛権の解釈変更を、第2次政権において法制
 化までこぎつけた。
 なぜこのような争点にこだわり続けるのか、は謎である。
 首相が国会答弁で自らヤジを飛ばすなどの異様な行動に出るのもまたそうした謎を倍加
 する。
・政権はひとまず首相の意向を盾に、内閣法制局長官人事を異例の形で進めることで法制
 局自体に発想の転換を促し、与野党間の中立的調整者から政権の助言者へと役割を転換
 させた。
 だが、国会審議の場で、まだ法制局は円滑な答弁を果たしているとは言い難い。
 解釈変更の困難さが浮かび上がる。
 そのため、国民の理解は得られておらず、政策転換の方向性について政権は暗中模索を
 繰り返しているのである。