美しい国へ  :安倍晋三

安倍晋三沈黙の仮面 その血脈と生い立ちの秘密 [ 野上忠興 ]
価格:1512円(税込、送料無料) (2019/3/23時点)

新しい国へ 美しい国へ 完全版 (文春新書) [ 安倍 晋三 ]
価格:864円(税込、送料無料) (2019/3/23時点)

安倍政権とは何だったのか 時代への警告 [ 適菜収 ]
価格:1404円(税込、送料無料) (2019/3/23時点)

安倍官邸 「権力」の正体 (角川新書) [ 大下 英治 ]
価格:864円(税込、送料無料) (2019/3/23時点)

日本よ、世界の真ん中で咲き誇れ [ 安倍晋三 ]
価格:1512円(税込、送料無料) (2019/3/23時点)

みんなが聞きたい安倍総理への質問 [ 山本太郎(俳優) ]
価格:1512円(税込、送料無料) (2019/3/23時点)

THE 独裁者 国難を呼ぶ男!安倍晋三 [ 古賀茂明 ]
価格:1620円(税込、送料無料) (2019/3/23時点)

偽りの保守・安倍晋三の正体 (講談社+α新書) [ 岸井 成格 ]
価格:864円(税込、送料無料) (2019/3/23時点)

徹底解剖 安倍友学園のアッキード事件 [ 佐高 信 ]
価格:1188円(税込、送料無料) (2019/3/23時点)

安倍三代 [ 青木 理 ]
価格:864円(税込、送料無料) (2019/3/23時点)

国家の暴走 安倍政権の世論操作術 (角川新書) [ 古賀茂明 ]
価格:864円(税込、送料無料) (2019/3/23時点)

安倍政権のネット戦略 (創出版新書) [ 津田大介 ]
価格:777円(税込、送料無料) (2019/3/23時点)

激論!安倍崩壊 [ 佐高 信 ]
価格:972円(税込、送料無料) (2019/3/23時点)

保守の真贋 保守の立場から安倍政権を批判する [ 西尾幹二 ]
価格:1080円(税込、送料無料) (2019/3/23時点)

安倍“壊憲”政権と昭和史の教訓 (朝日文庫) [ 保阪正康 ]
価格:712円(税込、送料無料) (2019/3/23時点)

白金猿 ポスト安倍政権の対抗軸 [ 白井聡 ]
価格:1836円(税込、送料無料) (2019/3/23時点)

安倍政権・言論弾圧の犯罪 [ 浅野健一 ]
価格:2592円(税込、送料無料) (2019/3/23時点)

世界論 二〇一四年の要点 (PROJECT・SYNDICATE) [ 安倍晋三 ]
価格:1294円(税込、送料無料) (2019/3/23時点)

安倍官邸の正体 (講談社現代新書) [ 田崎 史郎 ]
価格:864円(税込、送料無料) (2019/3/23時点)

この経済政策が民主主義を救う 安倍政権に勝てる対案 [ 松尾匡 ]
価格:1728円(税込、送料無料) (2019/3/23時点)

検証安倍イズム 胎動する新国家主義 (岩波新書) [ 柿崎明二 ]
価格:864円(税込、送料無料) (2019/3/23時点)

「安倍一強」の謎 (朝日新書) [ 牧原出 ]
価格:842円(税込、送料無料) (2019/3/23時点)

拉致被害者たちを見殺しにした安倍晋三と冷血な面々 [ 蓮池 透 ]
価格:1728円(税込、送料無料) (2019/3/23時点)

安倍「4項目」改憲の建前と本音 [ 上脇博之 ]
価格:1512円(税込、送料無料) (2019/3/23時点)

安倍でもわかる保守思想入門 [ 適菜収 ]
価格:1404円(税込、送料無料) (2019/3/23時点)

安倍でもわかる政治思想入門 [ 適菜収 ]
価格:1404円(税込、送料無料) (2019/3/23時点)

神社本庁とは何か 「安倍政権の黒幕」と呼ばれて [ 小川寛大 ]
価格:1728円(税込、送料無料) (2019/3/23時点)

アメリカに敗れ去る中国 安倍外交の危機 [ 日高義樹 ]
価格:1620円(税込、送料無料) (2019/3/23時点)

〈徹底検証〉安倍政権の功罪 [ 小川榮太郎 ]
価格:1512円(税込、送料無料) (2019/3/23時点)

私は、現在の首相である安倍さんは嫌いではない。今まで三代の首相に比べたらクセがな
く、爽やかでスマートな感じがする。日本の首相として、外国に出しても恥ずかしくない
(今までの三代の首相は日本の首相として外国に出すのはちょっと恥ずかしかった)。
そんな安倍首相であるが、一点気になる点がある。それは、安倍首相は憲法改正にとても
こだわりを持っているということである。どうして憲法改正に、そんなにこだわりを持っ
ているのか。その安倍首相のこころが知りたくて、この本を手にとった。
安倍首相が憲法改正にこだわっている基本的な考えは、「現在の憲法は、日本の占領軍が
がつくったものである。国の骨格となる憲法は日本国民自らの手で、白地からつくりださ
なければならない。そうしてはじめて、日本の真の独立が回復できる」、ということにあ
るようだ。
確かに今の日本の憲法は、占領軍から押し付けられた憲法なのだろう。日本は二度と戦争
という暴挙に出られないように、強い縛りがかけられている。国家間紛争の解決手段とし
て戦争をしない。相手から戦争を仕掛けられても歯向かわない。日本の運命は国際諸国の
良心に委ねる。これが、平和憲法と呼ばれる今の日本の憲法で主旨であろう。だから、今
の憲法の主旨からすれば、専守防衛を唱える今の自衛隊すら、違憲とも言える。
問題は、他国から攻め込まれても反撃もせず、黙ってそれを受け入れることが、果たして
日本国民の総意なのだろうかということであろう。他国を攻め込むことはダメだが、他国
から攻め込まれたら防衛はしてもよい、というのが、どちらかというと日本国民の総意の
ような気がする。そしてそれは、今の憲法下での解釈のよって、自衛権は認められるとし
て自衛隊が存在している。ならば、あえて憲法を改正しなくても、いまの憲法のままでも、
国民の総意は満たされていると考えていいのではと思う。
そもそも憲法とは、国家の権力者が暴走しないように縛りをかけるものである。憲法改正
したいという国民の総意が出ているなら別だが、国家の権力者が、自分の都合のいいよう
に憲法を改正したいというのは、許してはならないことであると思う。安倍首相は、憲法
を改正して、アメリカの大統領の権限のように、時の政府の権限で戦争するかしないかを
決めることができるようにしたいらしいが、それはとんでもない話である。
さきの戦争の敗戦の痛手から、国家云々というとすぐに、「軍国主義だ」と言い出す人が
いたり、国旗の掲揚さえ否定する風潮が強かったが、それは明らかに過剰反応だと思う。
自分の国を愛することと軍国主義とは違う。憲法で国家を愛しなさいと言われなくても、
他国から侵略されたら、国民の多くは銃を手にして戦うだろう。でもそれは、憲法で認め
られているかどうか云々からのではないはずだ。
日本の憲法は、世界の類を見ない憲法だ。それが、他から押し付けらたものかどうかは問
題ではない。その世界に類を見ない平和憲法を、いかに上手く運用して平和を維持してい
くかどうかが問題なのではないだろうか。

はじめに
・私は政治家を見るとき、こんな見方をしている。それは「闘う政治家」と「闘わない政
 治家」である。「闘う政治家」とは、ここ一番、国家のため、国民のためとあれば、批
 判を恐れず行動する政治家のことである。「闘わない政治家」とは、「あなたのいうこ
 とは正しい」と同調はするものの、けっして批判の矢面に立とうとしない政治家だ。
・初当選して以来、私は、つねに「闘う政治家」でありたいと願っている。

わたしの原点
・歴史を単純に善悪の二元論でかたづけることができるのか。当時の私にとって、それは
 素朴な疑問だった。たとえば世論と指導者との関係について先の大戦を例に考えてみる
 と、あれは軍部の独走であったとのひと言でかたづけられていることが多い、しかし、
 はたしてそうだったろうか。たしかに軍部の独走は事実であり、もっとも大きな責任は
 時の指導者にある。だが、昭和十七、八年の新聞には「断固、戦うべし」という活字が
 躍っている。列強がアフリカ、アジアの植民地を既得権化するなか、マスコミを含め民
 意の多くは軍部を支持していたのではないか。
・歴史というのは、善悪で割り切れるような、そう単純なものではないのである。この国
 に生まれ育ったのだから、私は、この国に自信をもって生きていきたい。そのためには、
 先輩たちが真剣に生きてきた時代に思いを馳せる必要があるのではないか。その時代に
 生きた国民の視点で、虚心に歴史を見つめ直してみる。それが自然であり、もっとも大
 切なことではないか。 
・現在と未来に足ししてはもちろん、過去に生きた人たちに対しても責任をもつ。言い換
 えれば、百年、千年という、日本の長い歴史のなか育まれ、紡がれてきた伝統がなぜ守
 られてきたのかについて、ブルーデントな認識を常に持ち続けること、それこそが保守
 の精神ではないのか、と思っている。 
・戦後日本の枠組みは、憲法はもちろん、教育方針の根幹である教育基本法まで、占領時
 代にくられたものだった。憲法草案の起草にあたった人たちが理想主義的な情熱を抱い
 ていたのは事実だが、連合軍の最初の意図は、日本が二度と列強として台頭することの
 ないよう、その手足を縛ることにあった。
・国の骨格は、日本国民自らの手で、白地からつくりださなければならない。そうしてこ
 そはじめて、真の独立が回復できる。まさに憲法の改正こそが、「独立の回復」の象徴
 であり、具体的な手立てだったのである。
・日本が戦後、高度成長を第一目標にしてきた結果、弊害もあらわれることになった。損
 得が価値判断の重要な基準となり、損得を超える価値、たとえば家族の絆や、生まれ育
 った地域への愛着、国に対する想いが、軽視されるようになってしまったのである。
・私が政治家を志したのは、他でもない、私がこうありたいと願う国をつくるためにこの
 道を選んだのだ。政治家は実現したいと思う政策と実行力がすべてである。確たる信念
 に裏打ちされているなら、批判はもとより覚悟のうえだ。
・安全保障と社会保障、じつはこれこそが政治家としての私のテーマなのである。確たる
 信念をもち、だじろがず、批判を覚悟して臨む。 
 
自立する国家 
・国家が他国の国民を拉致することなどありうるのか。最初私は半信半疑だったが、調べ
 ていくうちに、北朝鮮の犯罪を信じざるを得なくなった。国家の主権をおかす犯罪が公
 然とおこなわれていたのに、私たちはそれを放置していたのだ。
・被害者の家族は長い間、孤独な戦いをしいられてきた。日本で声をあげれば、拉致され
 た本人の命が保証されないと脅され、個別にツテをたどって情報を集めるしかなかった
 のだ。外務省は一貫して、「外交努力はしているのだから、静かにしてほしい」という
 態度だった。国に見捨てられた彼らは、悲痛な思いで立ち上がっているのだ。私たち政
 治家は、それにこたえる義務がある。 
・私を拉致の問題の解決にかりたてたのは、なによりも日本の主権が侵害され、日本国民
 の人生が奪われたという事実の重大さであった。工作員が我が国に侵入し、我が国の国
 民をさらい、彼らの対南工作に使ったのである。にもかかわらず、外務省の一部の人た
 ちは、拉致問題を日朝国交正常化の障害としてしかとらえていなかった。相手のつくっ
 た土俵の上で、相手に気に入られる相撲をとってみせる。従来から変わらぬ外交手法、
 とりわけ対中、対北朝鮮外交の常道だった。
・企業の駐在員をはじめ、海外で活動する日本人はたくさんいる・犯罪者やテロリストに
 対して、「日本人に手をかけると日本国家は黙っていない」という姿勢を国家か見せる
 ことが、海外における日本人の経済活動を守ることにつながるのである。
・北朝鮮に対する経済制裁の目的のひとつに、政権中枢の周辺や、党、軍に入る資金を止
 めるというのがある。政権を倒す決定打にはならないまでも、化学変化を起こす可能性
 が十分にあるからだ。北朝鮮では、軍や党、特殊機関などが海産物のとれる海岸を管理
 し、一般の人たちが収穫したアサリ、ウニ、シジミなどを日本に輸出し、外貨を稼いで
 るといわれている。稼いだ外貨は人民に回ることはなく、軍を潤すだけなのだ。経済制
 裁をおこなうと、支配階級が困窮するより前に庶民が飢えてしまうという批判があるが、
 アサリの輸出が止まれば、軍や党の外貨稼ぎができなくなるから、むしろそのアサリが
 庶民の口に入る可能性が高くなる。 
・北朝鮮では国民を三つの階層に分けている。上位に位置するのが、金正日委員長に忠誠
 を誓う核心階層。つぎが、一般の労働者や商人、手工業者が属する中間の動揺階層で、
 日本からの帰国者はこの層に入る。そして、反動分子や、一部の日本からの帰国者、植
 民地時代の地主家族や官吏の子孫などが属する敵対階層である。この敵対階層は、金正
 日委員長からもっとも嫌われている地位の低い人たちで、成績がよくても高等教育は受
 かられず、朝鮮労働党員にはなれない。もちろん人民軍にも入れないので、農村や炭鉱
 などで重労働に従事するしかすべがなく、生活はひどく困窮している。したがって、最
 初に飢えるのは彼らで、脱北するのは、おおむねこの層の人たちである。
・しかし、いまや生活の困窮は、中間層である動揺階層にまでおよんでおり、制裁は効果
 を発揮しやすい状況になっている。貿易、送金の停止や船の入港禁止は、権力の中枢に
 確実に打撃を与えることになる。  
・「慎重派」が決まってもちだす理屈がある。経済制裁に踏み切った場合、相手の報復を
 受ける覚悟があるのか、また、相手がどう出てくるのかについての綿密な計算があるの
 か、というものだ。一見もっともらしく聞こえるが、覚悟が必要なのはこちらではなく、
 北朝鮮のほうなのである。あなたたちが誠意ある回答を示さなければ、日本は最終的に
 は経済制裁をしますよ。生活が苦しくなるし、政権がゆらぐかもしれない。これを受け
 て立つ覚悟があなたたちにありますか。日本のほうがそう彼らに突きつけているのであ
 って、けっしてその逆ではない。
・彼らはまたミサイルの試射をおこなう可能性がある。しかしミサイル攻撃をする可能性
 は、きわめて少ない。なぜなら、日本をミサイル攻撃すれば、安保条約によってアメリ
 カがただちに反撃するからである。 
・経済制裁自体が目的ではない。本当の目的は彼らに、政策を変更しなければ、ただで
 さえ困難な現在の問題を解決することはできない、と認知させることにある。 
・ソ連の日本侵攻の脅威について、「不幸にして最悪の事態が起これば、白旗と赤旗をも
 って、平静にソ連軍を迎えるより他ない。先の終戦時に米軍を迎えたようにである。そ
 してソ連の支配下でも、私たちさえしっかりしていれば、日本位適合した社会主義経済
 を建設することは可能である。アメリカに従属した戦後が、あの時徹底抗戦していたよ
 りずっと幸福であったように、ソ連二従属した新生活も、また核戦争をするよりもずっ
 とよいにきまっている。」というような考えを持つ有識者もいる。
・安全保障について考える、つまり日本を守るということは、とりもなおさず、その体制
 の基礎である自由と民主主義を守ることである。外国では少なくともそう考える。とこ
 ろが日本では、安全保障をしっかりやろうという議論をすると、なぜか、それは軍国主
 義につながり、自由と民主主義を破壊するという倒錯した考えになるのである。 
靖国問題というと、いまでは中国との外交問題であるかのように思われているが、これ
 はそもそも国内における政教分離の問題であった。最高裁判決で、「社会の慣習にした
 がった儀礼が目的ならば宗教的活動とみなされない」という合憲判断がくだされて以来、
 参拝自体は合憲と解釈されているといってよい。
・政府としては、「戦没者の追悼を目的として、本殿または社頭で一礼する方式で参拝す
 ることは、憲法の規定に違反する疑いはない」と、参拝は合意という立場をくずしてい
 ない。 
・一国の指導者が、その国のために殉じた人びとに対して、尊崇の念を表するのは、どこ
 の国でもおこなう行為である。また、その国の伝統や分化にのってった祈り方があるの
 も、ごく自然なことであろう。 
・靖国参拝をとらえて、「日本は軍国主義の道を歩んでいる」という人がいる。しかし戦
 後の日本の指導者たちが、近隣諸国を侵略するような指示を出したことがあるだろうか。
 他国を攻撃するための長距離ミサイルを持とうとしただろうか。核武装をしようとして
 いるだろうか。人権を抑圧しただろうか。自由を制限しただろうか。民主主義を破壊し
 ようとしただろうか。 

ナショナリズムとはなにか
・「君が代」が天皇制を連想させるという人がいるが、この「君」は、日本国の象徴とし
 ての天皇である。日本では、天皇を縦系にして歴史という長大なタペストリーが織られ
 てきたのは事実だ。ほんの一時期を言挙げして、どんな意味があるのか。率直に読んで、
 この歌詞のどこに軍国主義の思想が感じられるのか。 
・一つを選択すれば、他を捨てることになる。なにかに帰属するということは、そのよう
 に選択を迫られ、決断をくだすことのくりかえしである。結果的になにを選択すること
 になろうと、帰属するということは、決断するさいの基準をもつということである。そ
 れは、自らの生き方に自信や責任を持とうという意識のあらわれでもある。身の処し方
 と言い換えてもよいが、そういう人の人生には張りがある。反対に、帰属を拒む人間の
 人生が、どこか無機質で、艶がないと感じるのは自己認識を避けようとするからではな
 いか。自らの人生をかけて帰属するのだから、その対象が組織であれ、地域であれ、ひ
 とは、それを壊さないように、愛情をもって守ろうとする。愛着はそうして生まれる。
・若者たちが、自分たちが生まれ育った国を自然に愛する気持ちを持つようになるには、
 教育の現場や地域で、まずは、郷土愛を育むことが必要だ。国に対する帰属意識は、そ
 の延長線上で醸成されるのではないだろうか。 
・日本で国民国家が成立したのは、厳密に言えば明治維新以後ということになるが、それ
 以前から、日本という国はずっと存在していた。そこに住む人たちは、共に生き、とき
 にあい争うことはあっても、お互い排他的にならずに新しい文化を吸収しつつ、歴史を
 つくってきた。その意味では、日本人は、自然で、おだやかなナショナリズムの持ち主
 だといえる。 
・日本人が日本の国旗、日の丸を掲げるのは、けっして偏狭なナショナリズムなどではな
 い。偏狭な、あるいは排他的なナショナリズムという言葉は、他国の国旗を焼くような
 行為にこそあてはまるのではないだろうか。 
・戦後の日本社会が基本的に安定性を失わなかったのは、行政府の長とは違う「天皇」と
 いう微動だにしない存在があってはじめて可能だったのではないか。ほとんど混乱なく
 終戦の手続きが進められたことも大きかった。そしてそれは、国民の精神的な安定に大
 きく寄与してきた。事実、天皇はお国民とともに歩んできたのである。
・世界を見渡せば、時代の変化とともに、その存在意義を失っていく王室が多いなか、一
 つの家系が千年以上の長きにわたって続いてきたのは、奇跡的としかいいようがない。
 天皇は「象徴天皇」になる前から日本の象徴だったのだ。
・天皇が他の国の国王とちがうのは、富や権力の象徴ではなかったという点だろう。
・そうした天皇の、日本国の象徴としての性格は、いまも基本的に変わっていない。国家、
 国民の安寧を祈り、五穀豊穣を祈る。天皇には数多くの祭祀があり、肉体的には相当な
 負担だが、今上閣下はほとんどご自分でおつとめになっていると聞く。
・わたしたちは、いま自由で平和な国に暮らしている。しかしこの自由や民主主義をわた
 したちの手で守らなければならない。そして、わたしたちの大切な価値や理想を守るこ
 とは、郷土を守ることであり、それはまた、愛おしい家族を守ることでもあるのだ。
 
日米同盟の構図
・1941年の日本の真珠湾奇襲攻撃は、アメリカ外交に決定的な変更をせまることにな
 った。いまや孤立主義を捨て、自分たちの信じる独立宣言や憲法にうたわれたアメリカ
 の価値観を世界に広げなければならない。理想主義の追従が、はっきりと外交に持ち込
 まれたのは、このときからである。
・自由と民主主義を広げようという使命感に加え、アメリカは、一国で世界の軍事費の
 40パーセントを占めるという比類なきパワーを持っている。
・人間は生まれつき自己中心的で、その行動は欲望に支配されている。人間社会がジャン
 グルのような世界であれば、万人の自然の権利である私利私欲が激突しあい、破壊的な
 結末しか生まれない。そんな「自然状態」のなかの人間の人生は、孤独で、貧しく、卑
 劣で、残酷で、短いものになる。だから人々は、互いに暴力を振るう権利を放棄すると
 いう契約に同意するだろう。しかし、そうした緊張状態では、誰かがいったん破れば、
 またもとの自然状態に逆戻りしかねない。人間社会を平和で、安定したものにするには、
 その契約のなかに絶対権力を持つ怪物、リヴァイアサンが必要なのだ。このリヴァイア
 サンこそがアメリカの役割であり、そのためには力をもたなくてはならないという。
・ケネディ大統領は就任演説で「我々に好意を持つ者であれ、敵意を持つ者であれ、すべ
 ての国をして次のことを知らしめよ。我々は自由の確保とその勝利のためには、いかな
 る代償も支払い、いかなる負担も厭わず、いかなる困難にも進んで直面し、いかなる友
 人も助け、いかなる敵とも戦う」といった。
・アメリカは、「なんびとも生まれながらにして平等であり、誰でも生存と自由と幸福を
 追求する権利を神から与えられている」という理念を信じる個々人の、合意のうえでつ
 くりだされた国である。だから、かれらが正統だと考える民主主義とは、そこに住まう
 個々人が納得して決めた権力や制度であって、それ以外の方法でつくりだされたシステ
 ムは無効だと考えるのだ。
・占領軍のマッカーサ最高司令官は、敗戦国日本の憲法を制定するにあたって、天皇の存
 置、封建制を廃止すること、戦争を永久に放棄させることの三つを原則にした。とりわ
 け当時のアメリカの日本に対する姿勢が色濃くあらわれているのが、憲法第九条の「戦
 争の放棄」の条項だ。  
・「国家主権の発動としての戦争」「紛争を解決する手段としての戦争」はもとより、
 「自国の安全を守るための戦争」まで放棄させようとしたのである。また、戦力を保持
 することはもちろん、交戦権すら認めるべきでないと考えた。
・日本国民の安全と生存は、諸外国を信用してすべてを委ねよ、というわけである。
・独立国として、占領軍から押し付けられたものではない、自前の憲法をつくるべきであ
 る。また、国力の応じた最小限度の軍隊をもつのは当然で、自衛隊を軍隊として位置づ
 けるべきだ。
・戦後日本は、軍事費をできるだけ少なく抑え、ほかの投資にふりむけてきたきたらこそ、
 今日の発展がある。
・西ドイツは、東西統一までに三十六回も基本法(憲法)を改正し、そのなかで徴兵制の
 採用や非常事態に対処するための法整備までおこなっている。 
・戦後西ドイツの初の首相は「健全な感覚を持つドイツ人ならばすべて、みずからのふる
 さと、みずからの自由を守ることは、避けられないきまりごとであるはずです」と述べ
 た。 
・ひるがえって日本の戦後はどうだったろうか。安全保障を他国にまかせ、経済を優先さ
 せることで、私たちは物質的にはたしかに大きなものを得た。だが精神的に失ったもの
 も、大きかったのではないか。
・日本では、安全保障について考えることは、すなわち軍国主義であり、国家はいかにあ
 るべきかを考えることは、国家主義だと否定的にとらえられたのである。それほど戦前
 的なものへの反発は強く、当時の日本人の行動や心理は屈折し、狭くなっていった。  
・自国の安全のための最大限の自助努力、「自分の国は自分で守る」という気概が必要な
 のはいうまでもないが、核抑止力や極東地域の安定を考えるなら、米国との同盟は不可
 欠であり、米国の国際社会への影響力、経済力、そして最強の軍事力を考慮すれば、日
 米同盟はベストの選択なのである。 
・私たちが守るべきものとは何か。いうまでもなく国家の独立、つまり国家の主権であり、
 私たちが享受している平和である。具体的には、私たちの生命と財産、そして自由と人
 権だ。もちろん、守るべきもののなかには、私たち日本人が紡いできた歴史や伝統や文
 化が入る。それを誇りと言い換えてもよいが、それは、ほかのどこの国も同じで、国と
 国との関係においては、違う歴史を歩んできた国同士、お互いに認め合い、尊敬しあっ
 て、信頼を醸成させていくことが大切なのである。 
・我が国の自衛隊は、専守防衛を基本にしている。したがって、たとえば他国から日本に
 対してミサイルが一発打ち込まれたとき、二発目の飛来を避ける、あるいは阻止するた
 めには、日本ではなく、米軍の戦闘機がそのミサイル基地を攻撃することになる。言い
 換えればそれは、米国の若者が、日本を守るために命をかけるということなのである。 
 だが、条約にそう規定されているからといって、私たちは、自動的に、そうするものだ、
 そうなるのだ、と構えてはならない。なぜなら命をかける兵士、兵士の家族、兵士を送
 り出すアメリカ国民が、なによりそのことに納得していなければならないからだ。その
 ためには、両国間に信頼関係が構築されていなければならない。
・現在の政府の憲法解釈では、米軍は集団的自衛権を行使して日本を防衛するが、日本は
 集団的自衛権を行使することはできない。このことが何を意味するかというと、たとえ
 ば、日本の周辺国有事の際に出動した米軍の兵士が、公海上で遭難し、自衛隊が彼らの
 救助にあたっているとき、敵から攻撃を受けたら、自衛隊はその場から立ち去らなけれ
 ばならないのである。たとえその米兵が邦人救助の任務にあたっていたとしても、であ
 る。
・双務性を高めることは、信頼の絆を強め、より対等な関係をつくるあげることにつなが
 る。そしてそれは、日本をより安全にし、結果として、自衛力も、また集団的自衛権も
 行使しなくてすむことにつながるのではないだろうか。
・国連憲章五十一条には、「国連加盟国には個別的かつ集団的自衛権がある」ことが明記
 されている。集団的自衛権は、個別的自衛権と同じく、世界では国家がもつ自然の権利
 だと理解されているからだ。いまの日本国憲法は、この国連憲章ができたあとにつくら
 れた。日本も自然権としての集団的自衛権を有していると考えるのは当然であろう。権
 利を有していれば行使できると考える国際社会の通念のなかで、権利はあるが行使でき
 ない、とする論理は、果たしていつまで通用するのだろうか。行使できるということは、
 行使しなければならないということではない。それはひとえに政策判断であり、めった
 に行使されるものではない。 
・軍事同盟とは、ひとことでいえば、必要最小限の武力で自国の安全を確保しようとする
 知恵だ。集団的自衛権の行使を担保しておくことは、それによって、合理的に日本の防
 衛が可能になるばかりか、アジアの安定に寄与することになる。またそれは結果として、
 日本が武力行使をせずにすむことにもつながるのである。
・憲法第九条第二項には、「交戦権は、これを認めない」という条文がある。これをどう
 解釈するか。どこの国でももっている自然の権利である自衛権を行使することによって、
 交戦になることは、十分にありうることだ。明らかに甚大な被害が出るであろう状況が
 わかっていても、こちらから被害が生じでからしか、反撃ができないというのが、憲法
 解釈の答えなのである。たとえば日本を攻撃するために、東京湾に、大量破壊兵器を積
 んだテロリストの工作船がやってきても、向こうから何らかの攻撃がない限り、こちら
 から武力を行使して、相手を排除することはできないのだ。
・湾岸戦争では、クウェートに侵攻したイラクに対して国連決議による多国籍軍が派遣さ
 れたが、憲法上の制約から軍事行動のとれない日本は、参加しなかった。そこで、代わ
 りに、と申し出たのが百二十億ドルという巨額の資金援助であった。しかし、湾岸戦争
 が終わって、クウェート政府が「ワシントン・ポスト」紙に掲載した「アメリカと世界
 の国々ありがとう」と題した感謝の全面広告のなかには、残念ながら日本の名前はなか
 った。このとき日本は、国際社会では、人的貢献ぬきにしては、とても評価されないの
 だ、という現実を思い知ったのである。ところが、日本と同じように軍事力の行使に厳
 しい枠をはめられているため多国籍軍に参加できなかったドイツは、停戦成立後、ただ
 ちに人道支援の名目で掃海部隊の派遣を決めていた。人的貢献の意味をわかっていたの
 であった。 
・国際平和協力業務には、大きく分けて、停戦状況や武装解除の監視、放棄された武器の
 収集や処理などの「平和維持活動」と、輸送や補給、あるいは道路や橋の補修といった
 「後方支援」がある。
・国際協力を行うかどうかという国会審議のとき、我が国では必ずといっていいほど出る
 のが、自衛隊の海外派兵は禁じられているのだから、自衛隊と切り離した、文民を主体
 とする別の組織をつくるか、どうしてもというなら、軍事行動をともなわない民生部門
 に限る、という議論である。 
・武装解除が完全の行われていないなか、各国が平和の実現に向けて、危険と背中合わせ
 になりながら汗を流しているのに、武力行使は憲法で禁じられているからといって、日
 本だけが中断や撤収をすることができるだろうか。憲法という制約を逆手にとって、き
 れいな仕事しかしようとしない国が、国際社会の目に、ずるい国だと映っても不思議で
 はない。 
・外国の軍隊では、当然のこととして認められていることが自衛隊では認められない。外
 国の軍隊の基準が、国際法の範囲内で「これはやってはいけないが、ほかはよい」とい
 うことを決めたネガティブリストであるのに対し、自衛隊の基準は、「ほかはだめだが、
 これだけはしてもよい」というポジティブリストである、とよく言われるのは、日本は
 憲法の拘束がきつく、政策判断の余地がほとんどないためである。

日本とアジアそして中国
・社会主義あるいは共産主義の究極の目的はなにかと言えば、「結果の平等」、つまり人
 民が力を合わせて貧富の差のない、平等な社会をつくろうというものだ。 
・中国は1978年に、それまでのイデオロギー第一主義から経済を優先させる改革開放
 路線へと舵を切り、経済は次第に伸長していった。市場経済を徹底させる大号令を発
 し、先に豊かになれる人(地域)から豊かになり、豊かになった者は、貧しい層(地域)
 を導いていかなければならいとい「先富論」を提唱した。 
・かつては農民や労働者しかなれなかった共産党員に、資本家もなれるようになった。社
 会主義の柱のひとつである「結果の平等」のかわりに「競争原理」を導入することによ
 って、大きく経済発展をとげたのである。
・しかし、急速な市場化は、必然的な効率の悪い国有企業の整理やリストラをともわざる
 をえない。その結果、失業者が増大することになった。また市場化は、急速に発展する
 沿岸部と内陸部のあいだの地域格差、とりわけ都市と農村の格差をひろげてしまった。
・都市住民の所得は、農民のおよそ6倍という指摘もある。中国の全人口の70パーセン
 ト9億人は農民である。「だれも平等な社会」を実現するという共産主義の理想とは、
 経済は急成長したものの、多くの貧しい人たちの疑問は、日増しに膨らんでいると言わ
 れる。  
・もうひとつ中国にとって頭の痛い問題に、急速な工業化による環境汚染がある。エネル
 ギーを石油や天然ガスにシフトしようと努力しているが、それでもまだ需要の約7割が
 石炭で、このため二酸化硫黄の排出量は、世界最大である。
・都市部の生活ごみは爆発的に急増し、内陸部の耕地の土壌も劣化がはげしい。
・国民を豊かにするための経済成長を急げば急ぐほど、いっぽうで理想と現実との乖離が
 広がっていく。力強い経済成長を持続させる大胆な政策を推し進めるとき、国民を引張
 ていく精神的な目標が必要になる。残念なことに「反日」が、そうしたベクトルのひと
 つになったと指摘する人は多い。 
・私たちはこれまで、戦後日本の民主主義の歴史を、欧米に向け、いや、世界に向けてき
 ちんと説明してきただろうか。日本は、60年にわたって自由と民主主義と基本的人権、
 そして法律の支配の下で、謙虚に国づくりと国際貢献に励んできた。その間、好戦的な
 姿勢など一度たりとも示したことはない。それなのに、国家間でなにか問題が起きると、
 かつての戦争に対する負い目から、じっとこらえて、ひたすら嵐の過ぎ去るのを待つと
 いう姿勢をとってきた。その結果、ともすると、あたかもこちらに非があるような印象
 を世界に与えてきたのである。たとえば、日本は過去の歴史の過ちについて中国に謝罪
 していないではないか、とよく言われるが、ほんとうのところは、正式に20回の謝罪
 をしている。中国の経済発展に役立っているODAによる中国への援助は、借款を含め
 ると3兆円を超えている。 
・日本の隣国である中国と友好的な関係を保つことは、私たちにとって、経済上はもちろ
 んのこと、安全保障上もきわめて重要である。
・いま経済において、日本と中国は切っても切れない「互恵の関係」にあるのは論をまた
 ない。日本は中国に投資することによって、安価な労働力を手に入れ、製品をつくり、
 競争力を高めている。いっぽう中国は、日本の投資によって雇用を創出し、日本からい
 わゆる半製品を輸入し、それを製品化して輸出し、外貨を獲得している。  
・これからの日中関係を安定させるためには、できるだけ早く両国の間に、政経分離の原
 則をつくる必要があろう。市場経済を選択肢、WTOに加盟すると、どの国もグローバ
 ルな市場におけるフェアな競争が担保されなければならない。WTOの協定には、「加
 盟国の貿易政策および貿易慣行について、いっそうの透明性を確保し、並びに理解を深
 める」ことを前提に、「関税その他の貿易障害を実質的に軽減」すること、また「国際
 通商における差別的待遇を廃止するための相互的かつ互恵的な取り決め」として、「関
 税その他の課徴金以外のいかなる禁止または制限を新設し、また維持してはならない」
 とある。 
・政治問題を経済問題に飛び火させない、あるいは政治的な目的を達成するために経済を
 利用することはしない。お互いに経済的利益を大切にし、尊重するのである。
・日本では、多くの国民が反日デモに不快感を示していたにもかかわらず、中国国旗に火
 を放つような若者もいなかったし、衆をたのんで中国大使館に押しかけることもなかっ
 た。日本に滞在する中国人留学生たちがいじめられたという話もまったく聞かなかった。
 反日デモが暴徒化したとき、「日本人は冷静にならなければならない」と叫んでいた評
 論家がいたが、私は「あなたこそ冷静になりなさい」といいたかった。
・日本人は、昔から道徳を重んじてきた民族である。儒教から礼節を学び、仏教の禅から  
 は自らを律する精神を、そして神道からは祖先を尊崇し、自然を畏怖するこころを学ん
 できた。寛容なこころは、日本人の特質のひとつである。
・たとえ国と国とで摩擦が起きようと、相手の国の人たちには、変わることなく親切に、
 誠実に接する。それこそが日本人のあるべき態度だし、私たちが目指そうとしている国
 のありかたに重なる。
・これから中国とは、経済的にはいま以上に密接な互恵関係が築かれるにちがいない。し
 たがって、中国の留学生たちには、ほんとうの日本をもっと知ってもらいたい。ほんと
 うの日本を知る中国の学生が増えれば、日本に対する理解も深まるはずだからだ。その
 ためにも今後は、留学生の受け入れ枠を思いっきり広げ、日本で勉強したいという中国
 の若者たちをもっと受け入れる努力をすべきだし、日本における就業機会をふやす努力
 が必要だ。 
・国が違えば歴史や文化も違ってくる。両国間に問題があるからといって、それをすべて
 波及させるということは、どうだろうか。お互いの違いは違いとして尊重することも必
 要ではないか。 
・私は日韓関係については楽観主義である。韓国と日本は、自由と民主主義、基本的人権
 と法の支配という価値を共有しているからだ。これはまさに日韓関係の基盤ではないだ
 ろうか。 
・私たちが過去に対して謙虚であり、礼儀正しく未来志向で向き合う限り、必ず両国関係
 は、よりよいほうに発展していくと思っている。
・私たちが目指すのは、日本へ行って仕事がしたい、あるいは投資をしたい、と世界の多
 くの人たちに思われるような国、いいかえれば、だれにでもチャンスのある国であり、
 能力を活かせる国だ。

少子国家の未来
・人口が九百万人ほどのスウェーデンとちがって、一億二千万人以上が生活し、しかもこ
 れから未曾有の超高齢化社会に突入するという日本では、超高福祉国家は、実現不可能
 である。かといって、バスタブに沈むほどの小さな政府にすべきでもない。
・生活保護というのは、憲法でいう「最低限度の生活」を保障するための制度だが、その
 運用はたいへんむずかしい。その人が本当に生活に困っているかどうか、厳密に審査を
 しないと、給付費が財政を圧迫するだけでなく、本人の自立につながらないからだ。な
 かには、働けるのに働けないふりをして不正に受給しようとする者もいる。だからとい
 って審査を厳格にしすぎると、札幌の餓死事件のように、悲しいできことも起きかねな
 い。 
・国は、そのときの豊かさに応じた社会保障の仕組みをつくる。血のかよったあたたかい
 福祉をおこなうのが行政サービスの基本であることはいうまでもないが、身の丈に合わ
 ない大盤振る舞いはできないし、また、してはならない。なぜなら、給付の財源は、国
 民から徴収した税金と保険料だからである。 
・私は、小さな政府と自立した国民という考えには賛成だが、やみくもに小さな政府を求
 めるのは、結果的に国を危うくすると思っている。国民一人ひとりに対してあたたかい
 眼差しを失った国には、人は国民としての責任を感じようとしないからだ。そういう国
 民が増えれば、確実に国の基盤はゆらぐ。 
・日本人が世界一長生きであることは喜ばしいことだが、そう喜んでばかりもいられない。
 人口構成が変わらないなかで寿命が延びていくならよいが、若い世代などんどん減って
 いくからだ。いまの現役世代が3.5人で1人の高齢者を支えている計算だが、このま
 まいくと、2025年には、2人で1人の高齢者を支えることになる。 
・「結婚しない理由」は、「出会いがないから」が一番多い。これは男女とも同じだった
 という。出会いの場があって、少し背中を押してあげるようなことができればいいと思
 う。結婚したいと思っている男女が多いのであれば、民間がおこなうお見合い事業の信
 頼性を高めるなんらかの工夫、たとえば認証制度があっていいのではないだろうか。 
・出生率を上げるための対策はむろん大事だが、それと同様に大事なのは、未曾有の少子
 化社会が到来することを前提として、それでも日本人が活力と豊かさを失わない道はど
 こにあるのかを考えることだ。 
・少子社会では何が起きるのか。経済の分野でいえば、労働人口が減ることによって、生
 産力が落ち、同時に消費需要も減って、経済規模が縮小することが心配される。そこで、
 人口が減っても生産力が落ちない方法を模索しなければならない。まず第一に、これま
 で労働力としてあまり活用されてこなかった女性や高齢者の能力を活かし、労働力の現
 象を補うことだ。 
・年金というのは、ざっくりいってしまうと、集めたお金を貯めて配るというシステムだ。
 だから、加入しているみんなが「破綻させない」という意識さえ持てば、年金は破断し
 ないのだ。日本人の過半数が「もう年金はやめよう」といわないかぎり、このシステム
 は継続するのである。そこが、会社経営の破綻とは根本的に違うところだ。
・国民が支払った保険料の一部は、積立金としてプールされる。そんなわけで、日本には
 厚生年金と国民年金をあわせて総額百四十五兆円にのぼる年金積立金がある。これは五
 年分の年金給付をまかなえる金額だ。 
・集めたものを支払うだけなのに、なぜこんなものがあるのか。公的年金は、自分の積み
 立てたものを、将来自分の受け取る方式(積立方式)ではない。現役世代の払った保険
 料で、そのときの高齢者の給付をまかなうという、世代間の助け合い方式(賦課方式)
 である。したがって、本来は積立金をもつ必要はないのだが、日本を含め賦課方式を採
 用している国の多くが、世代間の保険料負担の格差をならすために積立金をつくって、 
 それを運用しているのである。
・運用が黒字になるように最善を尽くすのは当然だし、年金という性格上、安全運用を心
 がけてポートフォリオを組まなければならない。年金積立金の運用というのは、本来、
 二十年、三十年といった長いスパンで利益が出るように計算されているもので、一年ご
 とに結果をうんぬんすべき性格のものではない。したがって、たとえば同じ時期の、投
 資信託など他の投資と比較して、年金積立方式の運用だけが劣っているのであれば問題
 だが、みんなが損をしているときにある程度損をだしているなら、ことさら問題視する
 理由はない。たとえばバブル崩壊後はだれもが損をしたのだから、当然、年金の運用も
 一時的に赤字になった。ところが、運用が赤字になると「なにをやってきたのだ。責任
 者は誰だ」と騒ぎ出す人たちがいる。
・賦課方式は、人口構造上、若い世代の層が厚く、高齢世代が少ない時代には都合がよか
 った。だが、人口構成が逆ピラミッドになるにつれて、無理が出てきた。おまけに高度
 成長のときに、給付水準を上げてしまったために、若い世代の負担はさらに重くなって
 きた。 
・年金は保険料方式ではなく、全額税金にすべきだ、という声もある。保険料方式では、
 どうしても未納者が出てしまい、強制的に取り立てることがなかなかできない。その点、
 税方式なら、国が払うのだから、もらえなくなる心配はないし、税金だから厳しく徴収
 できる、という理論である。 
・もし今年から全額税金になったらどうなるか。たとえば現在六十歳の人は、四十年間保
 険料を払ってきた。いっぽう、いま二十歳の人は、これからいっさい保険料を払わずに、
 将来は年金が受け取れる。当然、給付は足りなくなる。さて、その年金の財源はなにか。
 それは、消費税を上げるしか方法がないのである。いまよりおそらく四〜五パーセント
 上げなければならないだろう。
・税方式のほうが将来の給付に対する不安が少ない、というのもほんとうではない。保険
 料というのは、決まった目的以外に使われることがない、完全に閉じられた収入だ。し
 かし税金にすると、その時々の国の財政状態に左右されてしまう。バブル崩壊のような
 ことでも起きれば、たちまち税収が減って、払いたくても払えなくなることがある。

教育の再生
・1983年、アメリカでは、レーガン大統領が「危機に立つ国家」という報告書を発表
 して、教育改革の旗を掲げた。60年代からすすんだ教育の自由化は、学力の低下をま
 ねき、享楽主義を蔓延させていたからだった。この反省から、規律を重んじる教育をお
 こなうと同時に、ゆとり教育の反対の教育、いわば、詰め込み教育への転換をはかろう
 としたのである。いま、日本のゆとり教育は反省を迫られているが、それもそのはずで、
 じつは日本がお手本にしてきたのは、かつての60年代のアメリカの教育だったのであ
 る。占領行政の影響により伝統的価値観を否定する傾向の強い日本をよそに、皮肉なこ
 とにアメリカのほうが逆に伝統に回帰するようになってきたいるのである。
・日本の子供たちの学力の低下については、私はそれほど心配していない。もともと高い
 学力があった国だし、事実いまでも、小学生が九九をそらんじて言えるというのは、世
 界のトップレベルに近い。問題はモラルの低下のほうである。とりわけ気がかりなのは、
 若者たちが刹那的なことだ。若者が未来を信じなくなれば、社会は活力を失い、秩序は
 おのずから崩壊していく。   
・教育は学校だけで全うできるものではない。何よりも大切なのは、家庭である。だから
 モラルの回復には時間がかかる。ある世代に成果があらわれたとしても、その世代が親
 になり、つぎの世代が育つころにならなければ、社会のモラルは回復したことにならな
 いからである。   
・レーガン大統領は、学校教育の立て直しと同時に、家族の価値の立て直しをすすめた。
 このとき、レーガン大統領がアメリカの理想の家族そして掲げたのが、日本でもテレビ
 でおなじみになった「大草原の小さな家」である。   
・いくら少子化対策によって育てやすい社会をつくっても、家族はいいものだ、だから子
 どもが欲しい、と思わなければ、なかなかつくる気にはならないだろう。 
・努力が正当に報われるためには、競争がフェアにおこなわなければならない。構造改革
 が目指してきたのはそういう社会である。既得権益を持つ者が得をするのではなく、フ
 ェアな競争がおこなわれ、それが正当に評価される社会なのである。
・競争が行われれば、勝つ人と負ける人が出る。構造改革が進んだ結果、格差が現れてき
 たのは、ある意味で自然なことであろう。このとき大切なのは、セーフティネットの存
 在である。人は誰でも失敗する可能性があるし、不幸にして病気になることもある。そ
 ういうときの保障がきちんと手当てされていなければ、再挑戦が不可能になる。 
・努力が報われる社会を目指すというのは、決してアメリカのまねをすることではない。
・もうひとつのポイントは、格差が固定されないようにすることである。勝った者が新し
 い既得権益を手にしたり、負けた者が再挑戦を許されないような社会になるのは、絶対
 に防げなければならない。 
・経済的に豊かになることが人生の目的ではないし、正規雇用されなければ不幸になるわ
 けでもない。人間にとって大事なのは生きがいであり、働いがいである・ニートの若者
 たちが働かない、あるいは働けない理由のなかには、「自分に向いた仕事が見つからな
 い」「自分が何に向いているのかわからない」というのがある。生まれたときからモノ
 に囲まれた育った彼らは、父親たちの世代のように経済的に豊かになることを「希望」
 だとは思っていない。
・私たちが進めている改革は、頑張った人、汗を流した人、一生懸命知恵を出した人が報
 われる社会をつくることである。そのためには公平公正、フェアな競争がおこなわれる
 ように担保しなければならない。競争の結果、ときには勝つこともあれば負けることも
 あるが、それを負け組、勝ち組として固定化、あるいは階級化してはならない。誰もが
 意欲さえあれば、何度でもチャレンジできる社会である。