私がマッキンゼーを辞めた理由 :石井てる美 |
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この本は、いまから11年前の2013年に刊行されたものだ。 この本の著者は、東大大学院を出てマッキンゼーという会社に入ったが、一年半で辞めて お笑い芸人の道に進んだ特異な人生を歩んでいる人物だ。 東大大学院を出たというと、一般の常識からすれば、将来が保障されたようなものだが、 それがどうして、対極ともいえるお笑い芸人の道に進むことになったのか。とても興味深 い内容だった。 この本を読んで私が感じたのは、これはやはりひとつの悲劇であったといえるのではない かということだった。 もし、この本の著者がマッキンゼーという会社に入社しなかったならば、著者がお笑い芸 人になるなどということは絶対になかったことだろう。著者が、マッキンゼーに入ったば っかりに、仕事のうえで心身ともに極限まで追い詰められ、人格崩壊や自死の瀬戸際にま で至ったのだ。 そういう極限の状態のなかにいた著者に、天からスルスルと降りてきた一本のクモの糸の ようなものがお笑い芸人の道だったのだろう。著者にとってお笑い芸人の道というのは、 地獄から救ってくれた”命の恩人”のようなものなのだろう。 もし、このお笑い芸人という道がなかったら、おそらくこの著者は今はこの世には存在し ていなかったのではないかと私には思える。 私はこの本を読んで、2015年に自殺した高橋まつりさんのことを思い出した。 高橋まつりさんも東大を卒業して電通に入社したが、過労死ラインを大幅に越えた長期間 労働により心身ともに病み、入社から1年も経たずして自殺に至ってしまった。 おそらく、高橋まつりもこの本の著者と同じような状態になってしまったのではないかと、 私は想像している。 高橋まつりさんの場合は、長時間労働が原因の労災認定がされ、また電通は労働基準法違 反罪で裁判にかけられ罰金刑に処せられている。そして、この事件が働き方改革のきっか けとなった。 この本の著者の場合は、2008年から2009年にかけてであり、このような長時間労 働については、企業も一般社会もまだまだ甘い認識しか持っていなかったときだ。長時間 労働で心も体もボロボロの状態になっても、「それは自己責任」という認識がまだまだ社 会の一般的な認識であったのだと思うと、高橋まつりさんのようにならずに済んだのは、 ほんとうに幸運だったと思う。 そういうことを考えると、この本の著者の体験は、ほんとうに貴重な体験であり、企業で 働くビジネスパーソンにとって、常に心の留めておくべき体験談だと思える。 過去に読んだ関連する本: ・働きすぎの時代 ・潰れない生き方 ・「やりがいのある仕事」という幻想 |
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はじめに ・逃げるようにして早々とマッキンゼーを去った私が今さらマッキンゼーの問題解決手法 を説くなどという勘違いも甚だしいことをするつもりは毛頭ありません。 しかし、「マッキンゼーを辞めてお笑い芸人になる」という、当時の自分からしても恥 ずかしくて人にも言えない、嘘のような、人生最大の勇気を要した決断は、実は、マッ キンゼーで教わった問題解決スキルなくしてはできなかったものです。 ・私の決断の最後の一押しをしてくれたのは他でもない、「即断、即決、即行動」という マッキンゼーで培われたマインドセットでした。 私はこの考えを、ビジネスから自分自身の人生へと応用しました。 「どうしたら人生後悔しないか?」と自分に問い、「お笑い芸人になる」という強烈な 仮説が生まれた以上、仮説を検証するべく即行動するしかなかったのです。 ・散々周囲から「もんたいない」と言われてきました。 「もったいない」の定義は人それぞれです。 しかし、私にとって本当にもったいないのは、お金やステータスを手放すことではなく、 やりたいことに挑戦せず一度しかない人生を終えてしまうことでした。 たとえそれが、他人から言わせれば俄には信じがたいようなことであっても。 ・本当にやりたいことのためには、他人の目なんか気にしている場合ではありません。 気にしていたら、何もできません。 ・とはいえ、私にとってこの「決断」は、ものすごく孤独で、ものすごく勇気と精神的な エネルギーを要する七転八倒のプロセスでした。 やはり、決断が決断だけに、自分の決断を肯定して欲しいあまり、決断や行動を促す、 いわゆる「自己啓発本」にもすがろうとしましたが、著者本人が当事者としてリスクを とっている本にはなかなか出逢いませんでした。 マッキンゼーと私 ・東京大学→東京大学大学院と進んで私には、就職活動の軸が3つありました。 ・自分が成長できる会社であること ・国際的な仕事ができること ・自分の頭や足を使って全うに価値を創出して、世の中に貢献できること ・自分の性格上、特に具体的にやりたいことがあるというよりは、なんでもそこそこ興味 を持って楽しんでやれる自信とその根拠があったので、先の3つの条件さえ当てはまれ ば、どの会社でもいいと思っていたし、実際の面接でも志望動機としてそのように伝え ました。 ・ちなみに就職活動のハウツー本を読むこともなければ、改めて自分分析をしたり誰かに エントリーシートを添削してもらったりということもしませんでした。 学生時代、勉強からサークル活動、海外でのインターシップまで、充実した生活を送っ ていたので、面接で何を訊かれても自分の経験と結びつけて自分の言葉で説明する自信 があったのです。 ・私が就職先としてコンサルを初めて意識したのは、フィリピンでのアジア開発銀行にお けるインターシップ中です。 そこでは、フィリピンの首都マニラの自動車による大気汚染の原因を突き止め、それの 解決策が社会制度上どのくらい実現可能か、という研究をしていました。 ・「ん?これってまさにコンサルがやっていることなのでは。これなら私にもできそうだ! むしろフットワークが軽い私に向いているのでは!」 と思うに至りました。 ・「私にもできそうだ」という言い方をした背景としては、私は東大に文科三類という文 系の枠で入ったものの、大学3年次に工学部へ理転したので、「自分は文系でも理系で もない」といコンプレックスがどこかにあったのです。 しかしコンサルなら、文系や理系の専門知識が問われないどころか、私が理転して大学 院まで進学できたという経歴は「新しい環境にも適応して努力してパフォーマンスを発 揮できる」というアピールポイントとして働きました。 コンサルタントは常に留まることなく新しい世界への挑戦を求められるからです。 ・受かることは全く想定していない。 まさに「記念受験」のノリだったので、緊張することもなく等身大の自分のまま臨めま した。 最終面接では、面接官であるベテランのコンサルタントから口頭で問題が出されてその 場で考えて答えていくというケース・インタビューも含まれるので、1時間ほどに及び ます。 私には「ある自動車メーカーの国内での年間の新車販売台数を推定せよ」といういわゆ る「フェルミ推定」と「美容院の売り上げを上げるにはどうすればいいか」という課題 が出されました。 ちょうど自動車に関する研究をしていたおかげで勘が働きやすかったことや、美容院と いう身近なテーマが出題されたことはラッキーでした。 ・面接が終わる頃には顔にも脳にもびっしょり汗をかいていました。 味わったことのないやりきった感やら爽快感に浸りながらも、「何せあのマッキンゼー、 もう二度とここに来ることはないだろうな」と思い、帰り際に、「いい経験になりまし た。ありがとうございました」とさえ言っていました。 ・ところが、思いがけない「内定」の連絡が来ます。 研究室の指導教授や大学の友人など周囲の反応は「世界最高峰のすごい会社から内定を もらったのだから、行かないわけにはいかない」というものでした。 ・仲のフランス人の友人までも、「マッキンゼーに行って、たとえやっていけなくても、 どこへでも転職できるんだから、内定をもらった以上は絶対に行くべき」という反応だ った。 ・正直に言って「いやぁ、ちょっと過大評価されたんじゃないかな・・・」と心配になり ました。 私は自分がそんな頭がキレる人ではないとわかっていました。 ・ただ”誰もが憧れるマッキンゼー”から内定をもらってとても嬉しかったのも事実です。 大学時代にそれなりに努力を積んだ自信があったので、報われたような気にもなりまし た。 ・そもそもマッキンゼーは誰にとってもストレッチ、つまり背伸びをして成長し続けるこ と、を要求される会社だと言います。 入社面接のときも「『できない』ことをやっとのおもいで『できる』に変えていくとい うチャレンジの連続だ」と説明を受けました。 ・次第に、せっかく内定をもらえたのにチャレンジしないで無理と決めつけるのは早いの ではないか、文系から理転したときも頑張った結果どうにかなったように、マッキンゼ ーでも努力すればどうにかやっていけるに違いないと考えるようになりました。 ・こうして、自分の身の丈には合わない会社だと感じつつ、また、実は本命だった商社へ の未練を少し持ちながらも、このときは心から納得してマッキンゼーに行く決心をし、 早々と就職活動を打ち切ったのです。 ・結局のところ、当時の私は、学生の人気企業ランキングの上位の会社から受けるような、 マジメで、レールから外れることを自分に許さない、典型的なプライドの高い東大生で した。 ・今から思えば「流されていた」のでしょうが、当時はそんな進路選択に疑問を持つこと なく、世間でよしとされる枠の中で生きることが現実的な人生だと思っていました。 そして、画一的なものさしのうえで競争をし、「目指すべきはそのトップ集団」という 価値観のもとに生きるようになっていました。 マッキンゼーというステータスの権化のような超一流企業に受かった以上、行かない選 択肢がなかったのです。 それが良いとか悪いとかいうことではなく、当時の私はそういう価値観の持ち主でした。 ・実際に入社して感じたのは、マッキンゼーとは「100m走のスピードでフルマラソン を走るような会社だ」ということです。 マッキンゼーのクライアントは大企業ばかり。 その大企業が抱える難題を多額のフィーをもらって解決しなくてはいけないわけですか ら、必然的に仕事量は多くなり、ものすごい質とスピードを要求されます。 ・しかし、会社の中では特別なことが行われているわけではありません。 もちろん、会ったこともないような優秀な人が多いのは事実です。 仕事内容の吸収も速ければ、成果を出すのも速い。 そんな要領のいい人たちが、ただひたすらマジメに全力疾走しているだけなのです。 決してやらされているのではなく、仕事が好きで、マッキンゼーで叩き込まれる仕事術 を駆使してギリギリまで頑張っている・・・私の目にうつるマッキンゼーとはそういう 集団でした。 ・入社初日こそ同期で飲み会を開きましたが、翌日からの研修では帰りが12時近くにな る日々。 研修は1ヵ月で終わり、さっそく5月には航空会社の戦略プロジェクトに配属され、連 日夜遅くまで働く日々が始まりました。 ・噂どおり、プロジェクト加入一日目からアウトプットを求められました。 既に始動していたプロジェクトに途中から加わったのですが、プロジェクトの内容を頭 に入れる時間も、先輩からじっくり一対一で指導を受けるような時間も当然ありません。 溺れないように見様見まねで何とかしがみつくのみでした。 ・頭がキレキレのコンサルタントが激論を交わし猛烈なスピードで仕事を進めていくわけ ですから、気おくれや空回りすることも多々あり、仕事量も多く、帰りが明け方になる こともしょっちゅうでした。 ・マッキンゼーでは新入社員であろうと、”バリュー(価値)を提供すること”を求められ ます。 「マッキンゼーは一般的な会社の3倍のスピードで成長する」とよく言われるのですが、 それもそのはずです。 効率的に猛スピードで仕事を進める「インテンシティー(密度)と入社直後からの長め の「労働時間」を掛け合わせれば、「なるほど、こりゃ3倍にもなるね」と同期の子と 話したのを覚えています。成長するだけの負荷が誰にでも、否が応にもかかるのです。 ・同じ年に商社に就職した大学時代の同級生と話をすると、新人として宴会や接待をする 飲み屋を探すのに奔走しているとのこと。 それを聞いて、なるほど、早く成長したかったらコンサルはいいと言われるゆえんがわ かった気がしました。 ・コンサルタントの仕事は、まず「イシュ―」と呼ばれる”解決すべき問題”を特定し、 その問題に対する解決策の「仮説」を先に立てます。 その仮説が正しいか、さまざまな情報をもとに検証し、仮説が間違っているとわかれば すぐに書き替えるという、強烈な「仮説思考」のもとに進められます。 ・このとき、仮説を検証するための情報を集めるのも、分析するのも、早くて速い。 仮説が間違っているとわかった瞬間、それまでそれなりに注いだ労力を惜しむこともな く、バッザリと捨てるのも早い。 限られた時間内でより精度のいい解に近づかなければいけないわけですから、このサ イクルをできるだけ速く回すことが求められ、結果的にすべての行動がスピーディーに ならざるを得ません。 ・この仮説思考のいいところは、「仮説が間違ってたな」とわかれば、即書き替えればい いだけだというところです。 私のケースに当てはめると、「芸人になるのは違った」とわかれば、やめてすぐにまた 他の生き方を探せばいいだけのことだと気づきました。 そう思うと挑戦への気持ちが楽になり、また挑戦しない理由が見当たらなくなりました。 ・マッキンゼーでは「レバレッジしろ」ということもしょっちゅう言われます。 「レバレッジ」とは、てこのこと。もともとは小さい力で大きな物を動かすという意味 で、金融業界でも頻繁に使われる言葉です。 これがマッキンゼーでは、「人の力を活用せよ。人に頼める部分はどんどん頼むべき。 自分じゃなくてもできることは、自分でやる必要はない」という文脈で日常的に使われ ていました。 ・マッキンゼーでは「バリュー」にこだわるし、いつでも「バリューを出せているか」と 自分の問うことが求められます。 どんなアウトプットもバリューが伴っていないと意味がありません。 ・この「バリュー」とは詰まるところ、結果的にクライアントに喜んでもらえるかどうか、 に尽きると思います。 マッキンゼーではよく誰かの興味をぐっと引き寄せられることを「刺さる」と言います。 最初にチームのマネージャーに見せたときにはダメ出しをされました。 でも、私にはそれがクライアントが欲しがっているものだという確信があったので、 そのままプレゼンをした結果、クライアントには見事に「刺さった」のです。 そうなるとマネージャーはもうそれ以上チャートの改善を促してくることはありません。 チームの上司が何と言おうと、最終的にクライアントが喜ぶ、驚く、感動するかどうか が全てなのだなと悟りました。 ・マッキンゼーの仕事は、いつも仮説を念頭に進められますが、その際「スタンスを取る」 ことが求められます。 「ポジションを取る」とも言われていましたが、主張を強くはっきりさせる、というこ とです。 その仮説を持っている間は、「たぶんこうです」「どちらもあまり変わりません」では ダメで「こうするべきです」と、反証されない限りは強く自分の意見を持ち続けるべき なのです。 そうすることで賛否両論の意見が出やすくなり、一気に議論が加速するからです。 ・マッキンゼーのコンサルタントのポジションは、6つのポジションに分かれています。 それぞれのポジションごとに3、4年の期間内に昇進が求められ、それが達成されなけ れば出て行かざるを得ない。 出社したら自分のデスクがなくなっていたというような突然の”肩たたき”があるわけ ではありません。 ただ「昇進するか、さもなければ去れ」というルールがあって、成長を続けて昇進でき なければ、これ以上自分はここに居られないということが次第にわかってきます。 ・昇進できそうかどうか、つまり成長しているかどうかは、プロジェクトごとと半年に一 回の評価システムで明確にわかるようになっています。 明確な4、5段階別の評価が返ってくるのです。 その評価次第では、もう次のポジションには上がれそうにないから別の道を探そう、と いうことになります。 もちろん、評価に関係なく自分のやりたいことを他に見つけて辞めていく人や、昇進す るための評か基準に納得がいかずに出て行く人など、マッキンゼーを卒業するときの理 由は人によってさまざまです。 ・また、先ほどの紙で受け取る評価とは別に、マッキンゼーは日常的に口頭やメールでフ ィードバックをしまくる文化が根付いています。 半日に一回とか一日の終わりに、「今日はここが良かった。ここはもっとこうした方が いい」などと面と向かって上司に言われるのです。 自分の何が良くて何がダメなのかをその場で直接言ってもらえることは成長のためには とても有り難いことですが、心情的にはなかなか穏やかでいられるものでもありません。 ・マッキンゼーでは、会社員とはいえ、仕事は与えられるものと考えていてはいけません。 週に一回、新たな人員を募集しているプロジェクト一覧が社内メールで送られてきて、 プロジェクトに入っていない状態の人が、やりたいものに応募するという社内入札制度 があります。 積極的にやりたいものがあれば、プロジェクトを担当しているパートナーやマネージャ ーに個人的に連絡を取って話を聞きに行ったり、やりたい理由や情熱を伝えたりして、 プロジェクトに入れてもれえるようにアピールしないといけません。 ・このように、入社後も常に”社内就職活動”を続けなくてはいけません。 しかし、優秀で社内に評判が広まれば、黙っはていてもプロジェクトの方から声がかかる ようになります。 ・マッキンゼーの人事評価のいいところは「絶対評価」だという点です。 組織にありがちな相対評価ありません。 比べられる対象はあくまで、過去の自分や評価基準となる理想の成長カーブ。 全員が成長したと見なされれば全員がビジネスアナリストからアソシエイトに上がれる し、規準に達しなければ全員が昇進できないということもシステム上は起こりえます。 ・ポジション争いの概念がないので、同期はライバルではなく、仲間です。 ライバルはともすれば折れそうになる自分自身だなとよく感じたものです。 ・ちなみに2008年に入社した新卒の同期は私を含め20人で、今もマッキンゼーで働 いている、又は現在留学しているがマッキンゼーに戻る予定がある同期は6人です。 ・マッキンゼーでよく飛び交っていた言葉の一つに「PMA」というものがあります。 要するに、「どんなときもポジティブに!」ということです。 どんなに気が遠くなりそうな大変なときも、まずは「できる!」と前向きに思い込むと ころから始まる。 ポジティブでないと大きな力は発揮できないし、人の心を動かすこともできない。 ここまでくるともう精神論です。 ・何か無理難題が降りかかってきても、できない理由を並べるのではなく、まずは「でき る」ありきで考え、そのためにはあと何が必要か考える、という前のめりのスタンスな のです。 ・もう一つは、プレッシャーにいちいち反応していたらきりがないということがあります。 決められた時間内で圧倒的なアウトプットを求められることのプレッシャー、いつも評 価されていることのプレッシャー、コンサルタントは常にたくさんのプレッシャーを抱 えながら働いています。 組織の性質上、きついことをストレートに言われることもしょっちゅうです。 いい大人がクライアントに頭ごなしに怒られたりすることもあります。 でも、一晩寝たらけろっと忘れる。 そのくらいでないと、まさしく心臓がいくつあっても足りず、コンサルタントを続ける ことはとてもできません。 ・こうしたメンタルのタフさが私には決定的に足りませんでした。 マッキンゼーに簡単な仕事はありません。 最初は「できなくて当たり前」なのに、私は査定されているというプレッシャーを受け て、常にビクビクしていました。 ちょっと失敗したり、上の人から注意されただけでも、「もうダメだ」と落ち込んでい ました。 同期や先輩でもすごく優秀な人に聞くと、一様に言うのは「怒られてもぜんぜん気にな らない」「嫌なことがあっても一日寝たら忘れる」ということです。 「別に自分の居場所はここだけじゃないと思っているから」なんていう先輩もいました。 できる人は打たれ強さが違います。 言い換えれば「鈍感力」「スルースキル」があるとも思います。 ・私はこう見えても実は、根はかなりネガティブです。 あらゆる状況に対して「いつも最悪を想定しておけば大丈夫だろう、期待に届かなかっ たときに落ち込まなくて済む」という考え方のもとで生きるようになっていました。 自分は危機管理のつもりでしたが、不確実な未来に対して、むやみにネガティブに構え る根拠もどこにもありません。 ならばポジティブに理想とする未来を先に想定して、そこにたどりつくにはどうしたら いいか逆算して、前向きにできることをやっていくべきだとようやく考えられるように なりました。 ・ビジネスもお笑いも生もので、基本的には”不確実な未来”を扱います。 設計したことがそのまま正確に再現されるといったように、精密機械を設計しているの ではありません。 そんな世界では、まずポジティブに考えること、「できる!」「ウケる!」と思い込む ことから生まれる爆発力にはすさまじいものがあるのだと思います。 ・クライアントの前でプレゼンをするときは、自信を持っていないと話になりません。 自信がなさそうでモジモジしたり、話がふわふわしている人に言われたことを、クライ アントが納得するわけがない。 「この人はこの提案によほど自信があるんだな。それならばやってみるか」と感じても らうところが、価値提供の最低条件です。 ・ビジネスの世界にそもそも「絶対」は存在しません。 そんなことを追求していたら何も動けません。 まずは強引にでも仮説を立てて、今でき得るベストを尽くして仮説の精度を高め、ブレ ずに、自信を持って推し進めることしかないのです。 私の決断 ・新しいプロジェクトが開始しました。 それまで一緒に働いていた日本人の先輩が抜け、ドイツから新しくマネージャーが来て、 クライアント先で二人きりの日々が始まったのです。 ここから私の歯車が完全に狂っていきました。 ・私にとっての最後となるクライアントプロジェクトが始まりました。 普通は私のようなビジネスアナリストの隣に、アソシエイトというポジションが一つ上 のコンサルタントがいて、適宜アドバイスを仰ぐことが可能です。 ところがそのプロジェクトはドイツ人のマネージャーとの二人体制。 何をするにも二人きりで、日本語ですらよくわからない内容を英語で理解して進めなけ ればなりませんでした。 ・わからないことだらけの毎日。 わからなくても訊ける相手もいない。 もはやどこがわからないかもわからない状態になっていき、完全に負のスパイラルに突 入してしまいました。 仕事をする上で何よりストレスを左右するのは、労働時間でも、仕事内容でもなく、誰 と働くかだと痛感しました。 そのマネージャーとは仕事をする上でまったく馬が合わずストレスフルな時間が続きま した。 ・普段はとても温厚な人です。 ドイツに一時帰国する時に交際相手におみやげを買いたいからと言うので、六本木のド ン・キホーテを楽しく案内したこともありあます。 しかし、人間関係と仕事のやり方が合う合わないは話が違います。 とにかく仕事の進め方が合わず、私は精神を削がれる毎日、向こうも相当イライラして いたと思います。 ・そのマネージャーはとても優秀な”ハイパフォーマー”。 アウトプットを出すのがとても速くてまさにプロフェッショナルの鑑のような人でした。 それだけに、素早く仕事が呑み込めない私へのいらだちは一層募ったのでしょう。 次第に「メール一本打つのに何分かけているの?」といった調子で日々の一つ一つの行 動に対してものすごく細かくコントロールしてくるようになりました。 ・「全く意味が不明だ!」と私が計算した数字を見て強い口調で罵倒されたこともありま した。 そこまで言われたら、「合っているのにな・・・」と思っても何も答えることができま せんでした。 実際に私が正しかったと後から言ってきたのですが、なんだかもう完全に参ってしまい ました。 ・ランチの夕食も取らない。そんな時間があるなら、少しでもプロジェクトの内容を頭に 入れようと、昼の時間もずっと資料を見つけていました。 誰より自分がチームメンバーとしてまったくパフォーム(機能)していないのはよくわ かっていたので苦しくて焦る一方でした。 こうして精神的に相当追い詰められてボロボロになっていきました。 ・やっとの思いで平日を終えて週末を迎えても、日曜の午後になると呼吸が乱れ始めまし た。 今から思えばこれが過呼吸と呼ばれるものなんでしょう。 いわゆる「サザエさん症候群」は夕方に憂鬱になるのですが、私の場合は昼下がりには 体が反応していました。 月曜以降のことが心配でどこかへ出かけてもまったく楽しむことができませんでした。 完全に「病んで」いました。 冷静に見れば、こんな状態が続くのは明らかにおかしいのですが、感覚が麻痺していた のです。 ・この頃、心臓にきゅーっと締め付けられるような痛みが走って夜中に飛び起きることも 何度かありました。 循環器の病院に行って心電図を取りましたが、異常なし。 2万円近くする診察料を払い、病院に行っただけで貴重な週末が終わる虚しさ。 ・もちろん、チームの外の先輩に何人か相談もしました。 「”マネージャーと二人でクライアント先に常駐”、というのと、”全て英語のプロジェク ト”、という初めてのことを同時に二つやってはダメだよ」と言ってくれる先輩もいまし た。 それでも、「私もここで逃げてはいけない。やらなきゃ、追いつけるようにがんばらな きゃ」とさらに自分を追い込んでしまいました。 ・本当はもっと深刻な次元で困っているということを打ち明ければよかったのでしょうが、 弱音を吐くのは逃げたがっている人みたいに見えるのではないか、とどこかで虚勢を張 っていたのかもしれません。 ・当時の私が完全に異常な状態に陥っていたのは明らかだし、冷静に考えればそこから抜 け出す方法はいくらでもありました。 コンサルの世界は”言った者勝ち”のところもあるのだから、「今後の成長のために別の プロジェクトにチャレンジしたい」とかなんとかそれらしい理由をつけてスタッフィン グに訴えることもできました。 ・マッキンゼーは誰にとっても「できなくて当たり前」。 そもそも懐の広い会社で、一つ失敗したらすぐサヨウナラなんて無慈悲なことは決して してないし、救済ネットもいくらでもありました。 ただ、「助けてください」と顔の書いてあるわけでもないので、黙っていても誰も気づ いてくれません。 自分を守るために積極的に動くべきだったのに、もう完全に思考停止状態でした。 ・人生を振り返れば、私は中学に入ってからそこそこ勉強するようになり、「頑張れば必 ずいいことがある」を信条に生きるようになっており、挫折からも遠ざかっていました。 自分が大して高い能力がある人間ではないということはものすごく理解したつもりでし たが、受験、進学、就職、いろんなことがたまたまうまくいき、どんなことも「頑張れ ばどうにかなる」と闇雲に思い込むようになりました。 それがいつしか歪んだプライドを生み出しました。 社会でよしとされるエリートの枠の中でも、トップ集団にいるのを是とするようになっ てしまいました。 「既定路線」を驀進、「レールから外れることを許さない」「浪人や留学すらいやだ」 「1年だってムダにしたくない」という画一的な定規の上で完璧なキャリアを求める人 間になっていたのです。 ・こうして完璧主義になっていたこともあり、マッキンゼーでも「最低3年は頑張らない と」と思っていました。 もっと言うと、「最低3年は居たことにしないと」かもしれません。 経歴上も「3年勤めたなら格好がつく」という暗黙の共通認識があった気がします。 ・「3年居続ける」だけでもとても難しいのが、マッキンゼー。 「よく会社辞める遊記があったね」と言われることがあります。 おそらく「レールから外れるのは難しい」という前提での発言なのでしょうが、私にと ってマッキンゼーはそこに居続けるほうがよほど大変な場所でした。 当然ですが「じっと我慢さえしていれば時間が過ぎる」ような仕事は一瞬もないし、ど んな状況でも主体的に成果を出さないといけません。 ・完璧主義をはき違えた私は、常に査定されているという、プレッシャーを越えた恐怖に おののき、「ちょっとでもうまくいかなかったらもうすべてオシマイだ」とビクビクし ていました。 今思えば、評価や小さなミスなんて気にせず、もっとのびのびとやればよかったのです が、「マッキンゼーでも完璧なキャリアパスを築いていくんだ」という自分への縛りが 強すぎた結果、小さな失敗にも怯えていつも小さく縮こまっていました。 うまくいかなくて当たり前、失敗しないなんてことがあるわけない場所なのに。 ・「頑張ればなんとかなる」で生きてきた私にとって、生まれて初めての「頑張ってもで きない」という挫折でした。 そもそもの頑張り方すら間違えていました。 それでも思考停止に陥っていた私は、「できないことはないはず」「頑張らなきゃ」、 そんな”マジメ”病の呪縛に囚われ続けていました。 ・しかし、もう限界が来ていました。 どこかに消えてなくなりたいと心が悲鳴を上げていました。 そんなとき、3月末で同期が一人会社を卒業することになりました。 その連絡がメールで来た瞬間「ああ、こういう道もあるんだな」とふと心がラクになっ たのを覚えています。 ・ただし、この期に及んでも、「辞めるという選択肢に気づいた」のではなく「同期で辞 める第一号にならなくてよかった」などという歪んだプライドからの安堵でした。 本当に健全なプライドがあれば、いつ会社を辞めようが、人にどう思われようがどうだ っていいことです。 先に卒業した同期は、周りに流されず、自分の芯をしっかり持った人でした。 ・4月、桜の花びらが舞う出社の道すがら、たびたび「車が轢いてくれたらいいのに」と 思いました。 もう会社の中では八方塞がり。 だからどこか日常の文脈と関係ないところに逃げ出したい。 かと言って自分から逃げるのは許されない。 電車に飛び込むのだって自分から逃げたことになる。 でも車が轢いてくれたら周りから「あいつやっぱり逃げたな」って思わらずに同情を買 いながら今の状況から抜け出すことができます。 「こんなに辛いならいっそ死んでしまったほうがラクだな。それだって自分から死ぬわ けにもいかない」このように、心身ともにかなり憔悴しきっているにもかかわらず、 「体裁」にがんじがらめになっている自分がいました。 歪んだプライドとは本当に厄介なものです。 ・さすがにそこまで追い詰められた私は、ある日、自分から助けを求めることを試みまし た。 社内の産業医に電話をすれば健康相談ができたので、今日こそ思い切って電話をかけよ うと決めていました。 しかし、分刻みでマネージャーから指示を出されていたので、結局数分の電話をかける ことすらできませんでした。 「この逃げ道も許されないんだな」と思ったものです。 仕方なく、薬局で市販されている緊張を抑える漢方薬を飲んでみましたが、ただ頭脳の 感覚が鈍くなってぼーっとするだけで、ますます何も考えられなくなるという悪循環で した。 ・5月半ば、プロジェクトのパートナーから「もう君も3カ月近くいたからそろそろ抜け ようか」と言われたのです。 ついに出ました。解放宣言です そのパートナーは私がまったくパフォームできていなかったことを知っていたに違いな いのに、面と向かってそれを指摘することもなく、来週から新しい人が入るから、とだ け伝えてくれました。 ・ようやくプロジェクトから解放されて一旦気持ちは落ち着いたものの、「もうこの会社 にはいられない。もうムリ。壊れる。でも逃げ道がない。どうしよう。消えたい」と思 っていました。 「でも、どうにかしないと。どうにか・・・・」 ・この頃、会社を休み始めた大学の同期がいました。 私と同じように追い詰められた結果、体調を崩したのです。 曰く「せめて2年はいたことにしたいから」とのこと。 自分に重ね合わせたその姿を客観的に見て思いました。 病んで休むくらいなら辞めればいいのに、と。 でもそれができないのです。 「東大出ていい会社に入ったのに1年しかいなかったとなると履歴書に傷がつく」 私も同じ呪縛の持ち主だったので、その気持ちは痛いほどわかりました。 私自身もあんなに精神を蝕まれてもなお、見栄や体裁に囚われ、辞めるという選択肢を 考えなかったのだから。 ・でもこのあたりから、歪んだプライドにしがみついていた私の意識は次第に変わってい きました。 そして、あるとき会社が入っているビルの前を歩きながら思いました。 「ちょっと待てよ。生きるために仕事をしているのであった、仕事のために生きている わけじゃない。そもそも私の人生なのに、なにもやりたいこともやらずに死にたくなっ ているんだろう。バカじゃないの。なに『マッキンゼー』だからって振り回されている んの。あくまでこの人生の主役は自分。自分が人生のハンドルをガツンと握っていくら でも好きなようにしたらいいじゃん」 ・この瞬間、ようやく歪んだプライドが消え去り、「人としてのプライド」「そもそも人 が何と言おうと自分のやりたいことに突き進める自分のプライド」が復活して、「世の 中の”いいとされるもの”に振り回されて、病んでいる場合じゃない。私は好きなこと をするんだ!」と思えるようになったのです。 ・本当にやってみたかったこと・・・と考えたときに「お笑い芸人」が唯一、明確に頭の 中に浮上しました。 ただ、あまりにも「突拍子もない、非現実的、リスクの塊、非常識、ありえない、恥ず かしい、そんなことできるわけない、イタい、なにバカなことを言ってるんだか・・・」 それまでの人生を考えると、およそそのレールの先には存在し得ない選択肢だったので 最初はこんなことを思いました。 ・お笑い芸人はずっと「生まれ変わったらやりたい」「人生がもう一つあったらやりたい」 と思っていました。 小さい頃誰もがサッカー選手や野球選手を夢見るのと同じで、私にとっての「お笑い芸 人」は夢の職業でした。 ・ただ、そんな「夢みたいなこと」は、現実の人生で本業としてやるのはいけないことだ とずっと思って生きてきましたし、ちょっと本気でやろうかなと思うことも一度もあり ませんでした。 ・しかし、一連の経験を踏まえて、死は自分が思うよりずっと近くにあることを強烈に感 じ、「人生が長い」という前提が間違っていたことに気づきました。 「死んだほうがラクだな」と感じるまで追い詰められていた私にようやく、「でも、ど うせ死ぬんだったら、その前に最後に本当にやりたかったことをやろう」という次のス テップへのヒントが降りてきたのです。 「死ぬか、今芸人をやるか、だったら芸人になるしかない」 ・大事な決断は気持ちが冷静なときにするべきだと言います。 私のように崖っぷちの状態でこんな一大決心をするなんて、決してオススメできるもの ではありません。 でも逆に、これくらいの「タガが外れた」ような精神状態でないと、およそこのまとも でない決断はできなかったと思います。 ・お笑い芸人に挑戦して、後悔することは絶対にない、という確信がありました。 必ず成功してやるんだとか、そこまでは考えていませんでした。 人生というチャンスは本当に一度きりです。 その貴重な一度のチャンスをつい数日前手放してもいいと心から思っていました。 でも幸いにも、実際には手放さずに済みました。 だったら、一旦死んだものと思って、そして夢見ていた二度目の人生を手に入れたとで も思って、ずっとやりたかったことを本当にやればいいじゃないか、と思うに至ったの です。 ・芸能界に縁もゆかりもない私にとって、そこはまさに正体不明の怖いイメージの世界で した。 でも、どんな最悪のシナリオが待っていようと、「今なら死ぬのも全然怖くない」と心 底感じた私にはどうってことないし、どんなことになっても死ぬよりはお笑い芸人やっ て生きているほうが絶対にいいし、何も怖がることはないではないか、と思ったのです。 ・そして、幸いにも何があっても家族と大事な友達が離れていくことはないだろうと思え ました。 人生で絶対に失いたくないもの、私にとってそれは家族と友達だったので、ならば「も う何も失うものはない」という境地に至りました。 ・考えれば考えるほど、芸人にならない理由が見当たらなくなっていきました。 そのうち逆に「どうしてあんなに縛られていたんだろう。自分の人生なんだから、好き にやればいいじゃないか。 やりたいことのために他人の目なんか気にしている場合じゃない。 ・当時、25歳が終わろうとしていました。 挑戦するにしても、「こりゃ違った」と思って引き返すにしても年齢的に遅すぎるとい うこともない、と思えました。 ・さっそく母に報告しました。 母はさすがに「もう少し頑張ってみたら?」とは言いませんでした。 日曜日に会って食事をしても過呼吸になっている私を見て、「これはもうダメだな」と 悟っていたようです。 むしろ、「人生は本当に一回だから、気になることがあるならばやればいいじゃない。 お笑いがダメでも、あんただったらどうにでもなると思うよ」と背中を押してくれまし た。 ・姉にもメールで「マッキンゼーを辞める、お笑い芸人になる、ダメなら英語の塾講師に なる」と連絡をしました。 姉は外資系のIT系の会社で何年もバリバリ働いていたので、私が1年ちょっとで辞め ることにしたなんて言ったら怒られるかな、と思ったのですが、返ってきたのは「楽し く生きたほうがいいよ、やりたいことがあるなら幸せだよ、精神病んでまで仕事するこ とないよ。精神病むと回復するのに時間かかるからそうなる前に気づいてよかったね。 応援してるよ〜」というものでした。 厳しい社会で何年も揉まれているひとは違うんだな、と思い、涙が止まりませんでした。 ・家族は私がどんな選択をしようと私を信じて、私の味方でいてくれる。 それは本当に本当にありがたくて心強いことでした。 ・仕事で追い詰められ、死を意識したということと別に、大学時代の友人の死にも大きな 影響を受けました。 すぐそこに普通にいた友人が、亡くなってしまうと、もうこの世では、絶対に、二度と 会えない。 世の中のたいていのことは取り返しがつくけれど、「死」だけは唯一不可逆。 死んでしまってはすべてがおしまいだし、やり直せない。 私もそれまでは自分の人生の終わりは想像もつかなかったし、60年後の遠い未来に用 意されているもの、今は無関係の得体のしれないものと思って生きてきました。 ・でも、死が近くにあるということを理解した以上、いつまでも守りに入った生き方をし ている場合ではありませんでした。 中学生のときから10年以上それなりに勉強も頑張って、高校、大学、大学院、コンサ ルティング会社、と進んできました。 それは実にラクな決断でした。 すべて人生のオプションを広げる選択肢で、何も「捨てる」必要がなかったので、勇気 の要るようなことはなかったのです。 将来のために、勉強して、頑張って、人生に保険をかけて、できるだけリスクの少ない ほうへ。 ・でも、「将来のため」っていったいなんのためだったんでしょう? 私はその先に心からやりたいことがあるわけでもないのに、レールの上に乗っていれば、 あとで困ることはないだろうと、ずっと流されて生きてきたのです。 可能性を狭めないように生きてきたつもりが、逆に本当にやりたいことから自分を遠ざ けていたのだから、皮肉なものです。 ・決断がときに困難なのは、何かを手にする代わりに「過去に手に入れてきたもの、今手 にしているもの、将来手に入れられたかもしれないもの」を失うリスクがあるからです。 自分が本当にワクワクすることに近づこうと決断をして、それらをやむを得ず手放そう とするとき、人は「もったいない」と言います。 ・でも、人間は最後にはみんな必ず死んですべて終わってしまう。 「もったいないから」と、レールの上でオプションを拡大し続け、それで死ぬときまで 本当にやりたかったことに挑戦できなかったら、こんなにアホらしいことはありません。 ・実際にシフトできたのは、死をとても身近に感じるという得がたい経験のおかげでした。 持っていたものを捨てるのも、まったく新しい世界に足を踏み入れるのも怖かったし、 こんなに勇気の要ること人生でなかったというくらい勇気が要りました。 でも、一度最も怖いはずの「死ぬような思い」をしたおかげで、「死ぬわけじゃあるま いし」と思えるようになったのです。 ・私はいわゆるガリ勉タイプでも天才タイプでもありませんでしたが、中高時代にそれな りにちゃんと勉強をしたおかげで東大に入ることもできました。 そのおかげで将来の可能性が広がりました。 でもずっと「自分の人生を生きていない、そこはかとない違和感」がありました。 ・東大工学部への進学もマッキンゼー入社も、どの段階も自分の意思で「やりたこと」を もとに選択してきました。 しかし、それはあくまでも社会的に「良し」とされる枠の中で考えているに過ぎなかっ たのです。 「こうしたい」のではなく、「こうあるべき」という、世間一般で「良し」とされるこ とが私の中でも「正解」になっていたのです。 ・こうして、いつのまにか画一的な価値基準に流されるようになっていましたが、厄介な のは、その基準に則って生きれば、手にする給与も社会的評価もあまりにも”オイシイ” ようににほんの社会ができているということです。 私自身もそんな「エリート人生」も悪くないと思って生きていました。 ・自分の生き方への疑問が決定的になったのは、社会で出てからです。 自分に余裕があると、「マーケティングを勉強したい」「戦略の本を読まなきゃ」など とビジネスについて学びたい気持ちが強くなるのですが、仕事に忙殺されると、それど ころではなくなってしまうのです。 日々を生きるのが精一杯でビジネスのことなんてどうでも良くなってしまう。 結局、本当に心の底から「ビジネスのことを勉強したい」と思っているわけではないの です。周りに流されているだけなのです。 ・きっと本当に賢い人は、「頑張っていても自分のやりたいことに近づかない」と感じた 時点で、軌道修正できるのでしょう。 しかし私は、大学での勉強やそれまでの世界がそんなに嫌ではなかったし、何より世界 的に「良い」「すごい」と評される場所にいたので、自ら環境を変えるなんてできなか ったのだと思います。 「このまま目の前のことに夢中になって流されているうちに過ぎていくんだろうな」と 思っていました。 ・「お笑い芸人をやってもいいんだ」の次は「マッキンゼーを辞めてもいいんだ」と自分 を説得するのが大変でした。 プロジェクトを抜けビーチの仕事をこなす日々で、私は「その仕事を続ける3つの条件」 に突き当たりました。 コンサルタントらしく、きれいに3つ条件が出そろいました。 この中の一つでも当てはまれば、マッキンゼーを辞めないで居続けるべきだと思ったの です。 ・好きかどうか ・人より得意か ・その先に目標があるか ・「好きかどうか」 これは、言い換えれば「たとえ給料が低くても好きだからやっていられるか」という意 味もこもっています。これはNO。 本当にこの仕事が好きだという社員を何人も目の当たりにすると、いくら「自分がこれ を判断するのが時期尚早だとしても、NOであることに間違いなさそうでした。 ・「人より得意か」 そんなに好きじゃないかもしれないけれど、人より得意で人より少ない労力で同じ給料 を得られる。 稼ぐにあたってコストパフォーマンスがいいかどうか、ということになります。 これは間違いなくNOでした。 自分より優秀な人しかいない会社で、自分がコンサルティングで抜きんでるには、よほ どの情熱ややる気が必要でしたが、消耗しきっていた当時の私には、もはや現実的では ありませんでした。 「コンサルティングという仕事が向いている人」を目の当たりにして、私がこの先大き くコンサルティングが得意になってステップアップできるとは到底思えなかったのです。 ・「その先に目標があるか」 そこで歯を食いしばって働き続けることが自分の理想の将来につながるか、ということ です。 会社に入ったら必ずいろいろな苦労があります。 それがその先の自分が目指しているゴールにつながる苦労なら、我慢すべきだと思いま す。 でもそうではなく、自分のその先の幸せが待っているわけでもないのに、ただ会社を辞 めるわけにはいかないという理由で我慢してしまってもまったく意味がないと思ったの です。これに対しても私の答えはNOでした。 ・他にも、「辞めていいんだ」と思える理由がありました。 それは、自分の頭脳もメンタルもマッキンゼーに耐えうるものではないということをイ ヤというほど実感したことです。 ・さらに、学生時代まではくそマジメな努力もある程度反映される面もあったので良かっ たのですが、マッキンゼーは違いました。 評価されるのはあくまで「結果」。 唯一の取り柄である「ちゃんとマジメにやる」はいとも簡単にはねのけられました。 せめて頑張るための目標があれば良かったのですが、私はそのレールの先に夢や目標を 持つことがどうしてもできそうにありませんでした。 ・また、マッキンゼーは常に”本気”が問われる会社でした。 「仕事だから」という以上の理由、たとえば「好きだから」とか、「目標のために成長 したいから」、がないとこなせるような仕事ではありません。 「お金を払ってでもそこで働きたい人がいるべき場所」と先輩が言っていたとおり、 中途半端なモチベーションで居続けられる会社ではなかったのです。 厳しい環境に身を置き、常に”本気”を問われることで、いや応なく私も「本当にやりた いことは何だろう」と真剣に考え始めるようになったのだと思います。 ・それから最後に、私にとって大きなポイントだったのは、結局マッキンゼーは終身雇用 の会社ではない、ということでした。 大半が三年前後で卒業していく会社で、自分も入社当時は「三年くらいは絶対にここで 頑張ろう」と思っていました。 でもしだいに、投げやりに言ってしまえば、「どうせすぐに同期もほとんどいなくなる し」に代わってしまいました。 ・そして6月中旬、半年に一回の査定が返ってきました。 「このままじゃマズいですよ」というマイナス査定でした。 「まあそりゃそうだよな」・・・この結果を見て、以前の私なら「またちゃんと評価し てもらえるようにリカバリーしなきゃ」と思ったでしょうが、開き直って強気になって いた私は「私はあんなに頑張ろうとしていたのに、頑張れなかった環境が悪い」などと イロジカルなことを感情的に思いました。 さらに、次のプロジェクトのあとまた査定が入るからと告げられると「そんなのもうた まったものじゃない!」と心の中で半ば逆ギレ状態になり、この瞬間にそれまで張り詰 めていた糸がぷつりと切れ、本当に辞めようと決心がついたのでした。 ・それにしても、あんなに致命的にチームメンバーとして機能できなかったと思ったのに、 意外にも「一発アウト」ではなく、リベンジする猶予をくれていました。 今から思えば、マッキンゼーは思い切りチャレンジをさせる分、失敗にも寛容だし、 またいくらでも取り返すチャンスはあったのです。 ・多くの先輩も一度はマイナス評価をもらっても、投げ出さずに歯を食いしばって盛り返 して在籍し続けていたのです。 今ならわかりますが、私は挫折を知らない、打たれ弱く、それでいて変にプライドの高 い人間に知らず知らずのうちになっていたのだと思います。 ・数日間考える期間をもらいましたが、その数日間に考えたのがまさに、イシューに基づ く仮説思考でした。 「このまま人生終わってしまうのかな」とそこはかとない違和感を持って生きていた私 にとってのイシュ―は「どうしたら人生後悔しないか」、そしてそれに対する解として、 ものすごく強い仮説として「ずっとやりたかったお笑い芸人に挑戦する」がほぼ真とし て存在していました。 ・仮説が間違っていたとわかれば書き替えればいいだけのことです。 お笑い養成所に行くという検証作業をして、「やっぱり間違ったな」と思えば引き返せ ばいいだけのことなのだ。 だからもう何も躊躇せずにすぎに行動しよう、と考えました。 ・理屈っぽく言いましたが、実際には、早く吹き荒れる嵐から脱出しないとマズい、とし っぽを巻いて逃げて、お笑いの世界を何も知らないまま脳天から突っ込んだようなもの です。 実際のコンサルティングの現場ではものすごく慎重に行われるイシューの分解や優先順 位付けや分析における検証は完全に抜け落ちています。 ・「マッキンゼーを辞めて芸人になる」この行動自体はとてもシンプルなものです。 会社に辞表を一つ出して、お笑い養成所に入学すればいいだけのこと。 でもそれにはそれまで生きてきた中で最大の勇気とエネルギーが必要で、決断に至るま でのメンタル面でのプロセスは自分にとってえげつないほどの葛藤や苦しみを伴うもの でした。 ・それまで人生の大半を過ぎしてきた世界の秩序をぶち壊さなくてはならなかったので、 今思うに、自分を脱洗脳してお笑いの世界にいるという新しい人生に慣れる、つまり体 だけじゃなくて心も新しい世界に引っ越すのに、3年近くはかかった気がします。 決断のその先へ ・生まれ変わったらやりたいと思っていたお笑い芸人ですが、いざ本当にやってみたら想 像以上に大変なことも、良かったことも両方たくさんありました。 ・2009年10月に、お笑い芸人の養成所に入学しました。 会社を辞め、それまでの人生で積み上げてきたものをすべて捨てる覚悟で入学したもの の、早くも2010年の年が明けないうちに「自分はどうやらお笑いのセンスがないよ うだ」ということに気づいてしまいました。 ・それでも「こんなんだったら最初からやめておけばよかった」とは一切思いませんでし た。 ずっと夢のままで終わるであろうと思っていた世界に実際に挑戦できたことやその上で の心からの納得感を掴めたことは、とても大きな人生の収穫であり、「やらない後悔」 を一つ潰すことができた経験でもありました。 ・ただ、そうだとしても、これは相当なダメージでした。 「お笑いをやりたいのにネタが書けない」、お客さん投票で票が入らない。これほど求 められていないなら、やり続けても意味がないのではないか」マッキンゼーのときとは 違い、本当にやりたいことをやった上での躓きだったので、本当の挫折でした。 どうしたらいいのか途方に暮れました。 厳しい世界であることや才能のないことが痛いほどわかり、「これで気が済んだだろう から、もとの世界に戻りなさい」というお告げなのかなとも思います。 ・よく言われる「若いうちの失敗は取り戻せるから、挑戦するなら若いうちに」という言 葉は、なんと的を得ているのだろうと思いつつ、このときを含めて、転職サイトを必死 に眺めていたことは一度や二度じゃありません。 ・お笑い養成所の卒業式で社長が「この世界はとにかく続けることです」と念を押してお っしゃいました。 そのときは「続けさえすればいい。簡単なことだ」と思ってしました。 ところが、この「お笑いを続ける」だけのことが、想像以上に大変でした。 これがそれまでの人生で味わったことのない、マッキンゼーで追い込まれたときとまた 違った種類の怖さや苦しさなのです。 ・私はそれまでも「先が見えない方がワクワクする」と言って人生を選択してきました。 しかし、それはあくまでも社会的に安全な枠に囲われた中でした。 お笑い芸人になってからの「先が見えない」というのは、真っ暗な森の中、勇気とエネ ルギーを出して道なき道を歩き続けなければなくてはいけない、そこまでしてもその先 に何の光もないかもしれない、そういう「ハイリスクでローリターンかもしれない」と いう怖さです。 ・これは気の持ちようで、希望さえ持っていられるならば、どうってことはないのですが、 落ち込んだり、弱気になったりしたときには厄介でした。 ネタを考える気にもならなくてフリーター同然の日々を送った時期もあります。 ・大学の同級生を見ると、性能のいい日本車に乗って整備された高速道路を決められた目 的地に向かってスムーズに走っているように見えました。 片や私は収入も保障もない、ローンも組めない惨めな身分。 「そんな安全な道が保障されているのに、そりゃこんないばらの道をわざわざ選ばない よな・・・」と、東大まで出てお笑い芸人になる人がほとんどいない理由を身をもって 知りました。 ・「とにかく続けること」は裏を返せば「続けること自体が難しい」ということです。 実際に多くの人が養成所を卒業するとやめて行ってしまいます。 あの言葉にはこんな意味が隠れていたのか、と痛いほど納得したのでした。 ・ところが、続けている限り、良い意味で何があるかわからないのもまたこの世界。 本当にやめようとした矢先、初めてのテレビ出演が決まり、ネタも少しはウケるように なり、事務所にも所属させてもらえるようになりました。 これは本当に幸運なことでした。 そして、マッキンゼーのときの学びと同じで、すぐにうまくいかないからと言って必要 以上に焦る必要はないんだと実感しました。 それまで大学にしても、マッキンゼーにしても、1、2年で目に見えて大きく変わる世 界にいましたが、「こっちは15年やってんだぞ」という先輩の言葉を聞いて、それま での時間間隔を改めて、腰を据えて息切れしないようにやろうと思うようになりました。 ・ネタを創るのが「苦手」だということに変わりはないので、どうしても人よりは時間も かかるし精神的にもだいぶ遠回りしているように思うこともあります。 よく見聞きする「人は得意分野でしか勝てない」という戦略論から考えたら、すごく非 効率なことをしているし、まるでマッキンゼー的ではありません。 でも今となっては「とにかく続けることが大事」の言葉通り、早い段階で芸人の自分を 見限らなくて本当に良かったと心から思っています。 ・「この先いい意味で何があるかわからない。やればやるだけ、ゆっくりだけれども、じ りじりと限界を押し広げることができる。絶対にムリと思っていたものも形になってい く。120%にまた0.1%近づく・・・」今はそんなことを思いながら日々を過ぎし ています。 ・私の人生観を変えた言葉に、「君はまず自分が何者でもないことを知りなさい」という、 お笑い養成所の先生から言われたものがあります。 自分だけの力では何もできないことを自覚することから始まる、ということです。 ・会社を辞めてお笑い芸人の養成所に入って、肩書も学歴も無くした状態で舞台に立って 裸一貫で勝負をしなくてはならないとき、「自分には本当に何もないんだな」「目の前 の人ひとりを喜ばせることすらできないんだな」と、心の底かがえぐられるようにわか りました。 自分がそれまで「東大の学生です」「マッキンゼーに勤めています」という肩書や所属 でアイデンティティーを保てていたことに、「恥ずかしながら人生でこの時初めて気づ きました。そういう肩書、つまりはほとんどが自分の力ではなく運や環境によって、た またまもたらされたに過ぎない肩書、を持つことで「自分はちょっと特別だ」「他の人 とは違う」みたいな勘違いを恥ずかしながらしていたことも、認めざるを得ません。 ・自分が何者でもないことを知らないと(つまり、自分を正しく知らないと)、謙虚に正 しい努力ができないと思うのです。 当時27歳、年齢的には遅かったかもしれませんが、それまでいきてきた狭い世界を脱 したことによって人生ですごい大事なことにやっと気づくことができました。 もし気づかなければ、私は危うく自分では何もできないくせに”エリートづら”して一生 を終えるところでした。 「自分が何者でもないこと」「無力で非力な存在にすぎないということ」に気づけたの は、私にとって大きな財産です。 ・私は今お笑い芸人をやっていて、すごく納得してやりたいことに挑戦できている喜びを 感じています。 でもだからといって、大学を出て就職せずにそのまま芸人になっていれば良かったとは まったく思いません。 これは結果論でしかないのですが、マッキンゼーを経たからこそ今の自分があるし、ま た、自分なりに得てきた感覚がたくさんあります。たとえば、以下の4つほどがありま す。 ・一つは、20代で会社員をやるという人生経験ができたことによる納得感です。 まずはそういう「王道を経験すること」で初めて「王道から外れること」ができたのだ と思います。 また私の場合は、マッキンゼーで自分より圧倒的に優秀な人を目の当たりにして、”エ リート街道の先頭を走ること”を心から納得した上であきらめることができました。 何か踏み出したいことがあるけれど、「普通こういうものだから」という世間の認識に 縛られて動けないという人は、まずとことん「普通」をやってみればいいと思うし、や りたいことがたくさんあって困っている人はどれかに絞ろうとするのではなく、欲張っ て全部やろうとするのもありだと思います。 ・二つ目は、「どこの世界も変わらない」と思えることです。 どんな会社でも多かれ少なかれ理不尽なことはあるし、これはどの世界でも一緒なんだ と体験的に思えるのです。 むしろ実際に入ってみたお笑いの世界は、正当に実力が評価される、想像よりずっとク リアな世界でした。 ・三つ目としては、状況は自分が思っているほど悪くないとわかったことです。 マッキンゼーの時も、私は自分だけができていないと思い込んで焦っていましたが、実 際には、周りには見えなくても、案外たくさんの同僚が悪い評価をつけられ、それでも 水面間際でひっしにもがいて這い上がっていました。 仕事が向いていないと思っているのは私だけではなかったのです。 逃げてしまうことは簡単です。 けれど、逃げてしまったら本当に自分には何も残りません。 もっと強気で構えていてもいいんだと、思えるようになりました。 ・四つ目としては、マッキンゼーという、誰に護られるわけでもなく自分がリーダーとな って仕事でも人生でも道を切り拓いていくことを求められる環境に身を置いたことで、 レールを降りて、周りに流されることなく我が道を進んでいこうと腹を括れたことです。 自分の人生を自由にコントロールする切符を手にしたような感覚です。 ・決断するというのは往々にして、一つの道を進むことを決意することと同時に、もう一 方の道に進むことをあきらめることになります。 それまで長年持ち駒として温めて持っていた多くの可能性、それまでなんとか手に入れ ていたもの、何かしらそれまでの自分を支えてきれていたものを捨てるということが伴 うのです。決断において厄介なのはその点です。 ・すべてを手に入れられるなら、本当はそれが一番幸せです。 逆に捨てるだけのものがあるから迷うのです。 選択肢が多いというのは煩わしいものです。 ・おそらく、一歩踏み出して新しい世界に行くワクワク感より、それまで持っていたもの を失うリスクが怖くて、手にしているものにしがみつこうとしてしまうのだと思います。 ・私は大学→マッキンゼーと進んで、もちろんいいこともたくさんありましたが、自分が 心からワクワクする幸せに近づいている感覚を持てませんでした。 その先そこに居続けてもこの違和感は拭えないだろう、ということには確信を持ってい ました。 そして、保証はないけれど、ほんとうにやりたかったことに挑戦すれば、その感覚に近 づけるに違いないと信じて、決断しました。 ・実は高学歴の人ほど、人生においてハイリスクの決断がしやすいのではないでしょうか。 「学歴があるのにもったいない」ではなく、「学歴があるからどうにでもなる」のです。 勉強をしてきた分いろいろな問題解決能力も比較的高いだろうから新しい道でも成功し やすいだろうということもそうですが、単純に保険がきくという点も大きいと思います。 ・勉強していい大学に入って、いい会社に入って・・・それが幸せなら最高です。 けれどその人生が「ワクワクしない」と思ったり、他にやりたいことがあったとするの なら、ぜひ勇気を出して一歩踏み出してほしいと思います。 たとえ失敗しても、いくらでもやり直すことができます。 またアルバイトなり再就職すればいいだけのことです。 ・「夢がない」とか「やりたいことがわからない」という学生がいたら、「勉強だけはち ゃんとやっておこう」とアドバイスします。 勉強は自分の将来の選択肢を広げる手段であり、自分がやりたいことを見つけるための 近道です。 そして良くも悪くも、勉強しておいた方が有利になるように世の中はできています。 ・私は本当の自分の軸に従って生きるまでに少し遠回りをしてしまいましたが、歪んだプ ライドを捨てたときに、「いつか再就職するとしても有名企業じゃなきゃ」などという レベルはとっくに超越しました。 おかげで、ハローワークにも通い、今やっている翻訳のアルバイトも見つけることがで きました。 今は、こだわらなければ、どんな仕事をしてでも生きていけると思っています。 ・自分の人生をリードするのは自分です。 うまくいかなくても、誰かが責任を取ってくれるわけじゃないし、誰のせいにしてはい けません。 いわば100%自己責任。 ・でも逆に、自分の責任の範囲でなんでも好きにやっていいのです。 だったら、自分が好きなように思い切り冒険しながら生きればいいじゃないかと思うよ うになりました。 「主体的に自分で操る人生」「やりたいことに挑戦する人生」は夢があって、先の展開 にワクワクして、今の人生が心から楽しいと感じています。 ・「自分が人生の主役になる」ということは自分の価値基準をしっかり持つことから始ま ります。 私は自分のやりたいと思う事、つまり「お笑い」に絶対的な価値があると信じられるの で、たとえどう思われても誇りを持って挑戦することができます。 会社の仕事だけが尊いわけではない。 ・自分の感覚に正直になって価値基準が強固になると、世間でもてはやされているステー タスや価値観が本当にどうでもよくなり、生きていてラクになりました。 他人からバカにされていると感じるときでさえも、さほど気にならなくなります。 「マッキンゼーを辞めるなんてもったいない」と何度言われてきたかわかりませんが、 いくら世間の評価が高くても自分にとって不要なものを捨てるのはもっていないことで もなんでもないのです。 そんなことより、一度の人生でやりたいことをやらずに死んでいくことの方が、よっぽ どもったいない。 ・そして、ここでものすごく大事なのが、自分は自分と割り切って、「自分を人と比べな い」ということです。 人と比べたらきりがないし、相手が誰であろうとこれをするといやな気持にしかなりま せん。 これは人生で絶対にしてはいけないことの一つだと思います。 比べる相手は昨日までの自分だけでよいのです。 自分の信念に従って生きているという自信があれば、焦ることも減っていくでしょう。 ・やはり、周りやその世界の常識と違うことをすることは、他人からどう思われるかわか らないし、前例もないからこの先の想像もつかない、という意味で怖いし勇気が要りま す。 でも、人と違うことを恐れていては、自分の人生は手に入りません。 ・ましてや今は社会全体が”右肩上がり”とはいかない先行き不透明な時代。 かつてのようにみんなが同じ方向に進んで経済成長を求める時代は疾うに終わっていま す。 行き場が定まらない閉塞感漂うこれからの日本では、ますます道から外れる勇気が求め られると思います。 「人と違うこと」をする気概や能力が評価される時代がくるのではないでしょうか。 ・自分だけの価値基準を持つべしとは言ったものの、いつなんどきもブレない基準を持ち 続けるのは至難の業です。 人は自分が思う以上に、日々自分が暮らしている場所や周囲の人から影響され、知らず 知らずのうちに”同調バイアス”がかけられ、流されているからです。 自分のいる環境が、自分の求める価値基準ややりたいことを揺るがしそうならば、まず はなるべくそこから遠ざかるべきです。 ・そして、自分のやりたいことがやりやすくなる環境にどんどん入っていき、その世界の 流れている空気に自分を染めることです。 私が会社を辞めた頃、マッキンゼーの同期から「同じ目標をもった人とつるんだ方がい いぞ」と言ってもらい、その通りだなと思いました。 今も、一人でいるときより芸人仲間と一緒にいるときの方が、いとも簡単にモチベーシ ョンが上がます。 ・そして、ここでも大事なのが、決して自分と違う目標軸を持つ人と比べないことです。 たとえば、私だったら大学やマッキンゼーの友達と今も遊ぶことはあっても、絶対に自 分の境遇とは比べないようにしています。 ・預金残高なんかを比べた日にはひとたまりもありません。 会社を辞めたばかりの頃は、「平日の昼間に家にいる」というそれまで非常識だったこ とを自分になじませるところから始まりましたが、それだって会社員の友達と比べたら、 やっていられません。 ・なので、もし何か新しいことに挑戦したいと思う人は、自分の夢にマイナス影響を与え そうな場所から離れ、似たような目標をもつ人が集まる場所に積極的に近づくことをお 勧めします。 ・いろいろな人がいろいろなことを言ってきましたが、心から応援してくれた上での言葉 なのか、自己防衛から否定してきているだけなのかはすぐにわかります。 私は、人から言われることは少なからず気になってしまいます。 なので、否定から入る人には、他人を批判することでしか自分の世界を守れないんだな と悟って、まず自分から近づかないようにしてきました。 ・世の中ほよど他人に迷惑をかけるのでなければ「こうでなきゃいけない」ということは 一つもありません。 人生を俯瞰して振り返ると、誰しもが「どうして当時はあんなことを気にしていたんだ ろう」と今になればどうでもいいことがたくさんあると思います。 私も決断のときは近視眼的になって一人大げさに考えて、どうでもいいことを考えて苦 しんでいました。 考え方一つを変えるだけで、多くのことがどうにでもなるのだと今は思っています。 ・決断が「怖い」と思うとき、物質的・金銭的に何かを失うことの恐怖以上に、「他人の 目」「周りからどう言われるか」に耐えられないと思っている人が多いのではないでし ょうか。 「伊賀泰代」さんのお言葉ですが、「人は自分が思うほどあなたのことを見ていない」 のです。 時間こそかかったものの、私も最近はまったく他人の目が気にならなくなりました。 そもそも自分の小さな失敗のことなど誰も覚えていないのです。 ・良くも悪くも人生というチャンスは一度きりです。 何もせず、恥ずかしい思いをしないでいても人生はそのうち終わります。 でも、何かに挑戦したい人は「他人の目」を気にしている場合ではありません。 たとえ、どんな恥ずかしい思いをしても、いつかはみんな死んでしまいます。 そもそもその前にみんな他人の失敗など忘れるのです。 そして、何より自分が信じるものに挑んている瞬間は、不思議と自分自身が他人のこと が気にならなくなります。 ・人生という一度のチャンスをものにするためには、自分から動かないと始まりません。 「自分にだけ何がいいことないかな」と言いながら漫然と日々を少しているうちは絶対 に何も起きないし、じっとしていてある日突然何かが変わるわけでもありません。 短期的にも長い目で見ても、状況を変えたいと思ったら自分で動き出すしかありません。 ・私たちは日々、現状維持バイアスがかかっています。 誰にとっても昨日と同じ今日が続くほうがラクだし、それでも日々は顔色を変えず穏や かに過ぎていきます。 そういい人生を送りたいという人もいます。 でも、「何かを変えたい」と思ったら、多少のリスクを取ってでも行動しないといけま せん。 ・いざ実際に行動に移してみて「予想通りにはならなかった」「思っていたのと違った」 ということはよくあることです。 他人から見たら「失敗」と映るかもしれません。 そんなときは、 「やってみたけど、仮説がズレていた。修正する」 とキリっと言ってみましょう。 なんだか一気に失敗の臭いが消え去りませんか。 ・決断したということはスタートラインに立てたことに過ぎず、すべてはそこから始まる のです。 決断には、それを自分の中で正解にしていく覚悟が含まれます。 決断そのものには正解も不正解もありません。 どんな選択もそのあと自分で正解にしていけばいいのです。 おわりに ・正直に言うと、会社員時代にはマッキンゼーという安定とは無縁の会社に入ったことを 後悔したことがなくもないですが、結局はマッキンゼーのおかげで本当にやりたかった ことに飛び込めたので、総じて何も後悔していません。 むしろ、我ながらよくぞあんな大胆は決断をして、やりたいことに挑戦したと誇りに思 っています。 人生にはどんな経験にも意味があって、すべてはいい方向に進んでいると思える自分が います。 ・私に普段の生活は、月に一度の事務所主催のお笑いライブに向けてネタを創ることが基 本です。 衣装・道具・音源なども当然自分で揃えます。 あとは、他のお笑いライブへの出演、先輩芸人のライブの手伝い、ライブ観覧、テレビ・ インターネット・ラジオ番組への出演やそれに向けたオーディション・打ち合わせ、 雑誌や新聞の取材などで、残りの時間は主に翻訳と家庭教師のアルバイトをして収入を 補っています。 ・一番よく訊かれる収入に関して言えば、芸人としての年収は、マッキンゼー時代の一ヵ 月分の給料にも届いていません。 でも、世の中には給料もよくて仕事も楽しいという器用な人もいますが、そもそも仕事 というのは大変なことや苦しいことを耐える代わりにお金がもらえるという側面があり ます。 そう考えると、夢だったことに挑戦できていて楽しいことも多くのこの仕事をしている 今は、会社員時代ほどの給料を手にできなくても至極当然だなと思うわけです。 |