「やりがいのある仕事」という幻想 :森博嗣

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今の時代は、就職で行き詰る若者が多いようだ。大学を卒業して就職しようとしても、な
かなか自分の望むような会社に就職できなかったり、せっかく就職できても、その会社や
仕事が自分とは合わず、すぐに辞めてしまうことも多いようだ。そもそも、自分には、ど
んな仕事が合っているのかわからないと悩むことも多い。
しかしこれは、今の時代にばかりあったことではなく、もう四十年以上も前の私が就職し
た昭和の時代もあったことだった。ただ、当時はまだ、今の時代の若者みたいに、就職し
た会社を簡単に辞めるという割合が、まだ少なかっただけだった。その背景には、働かな
ければ、明日から食べて行けないというような時代背景がまだあったからだと思う。

考えてみるに、このようになってしまう原因は、子供時代からの教育の中に、「仕事」と
いうものに対する考え方や知識を養うということが、あまりに少なすぎたからではないか
と、個人的には感じている。仕事とはどういうものか、なぜ働かなければならないのか。
また、学校で勉強することは、どういう意味を持っているのか。あるいは、生きていくと
いうことは、どういうことなのか。そういった基本的なことが、子供時代から、もっとし
っかり、教育の中に取り入れていくべきではなかったのかと感じる。
自分の子供時代を振り返ると、そんなことはまったくわからずに、なんのために勉強する
のかも考えずに、ただ、その時々のテストの点数ばかり気にして過ごし、そのまま大人の
世界に放り出されたという感じがする。

こんな状態で就職しても、今までの学生時代の環境とあまりに違い過ぎるために、それに
馴染めず、戸惑い、悩み、苦悩するのは当然ではなかろうか。こうしたすぐに辞める若者
への対策として打ち出したのが、「楽しいと思うことを仕事にしなさい」「自分の好きな
ことを仕事にしなさい」などというもののようだが、しかしこれもまた、本当にその言葉
を信じて就職すると、現実は、そんなものとはほど遠いから、これまた「こんなはずでは
ない」という思いが募り、辞めてしまうことになる。これは、人生における仕事の位置づ
けや、仕事に対する価値観について、いままでの考え方を根本から変えない限り、小手先
の対策では、どうにもならないのではないかと感じるのだ。
この本は、その仕事というものに対する価値観について、改めて考えさせてくれる内容と
なっている。

「仕事によってその人の人間としての価値が決まるものではない。職業に貴賤はない」と
いうのが、筆者の主張の基本のようだ。確かに、理想的なことを言えば、そのとおりだろ
う。しかし、現実を見れば、その主張は、現実とはかなり乖離していることは否定できな
いだろう。その人の仕事によって、その人の価値が決められているというのが、まぎれも
ない現実ではなかろうか。
そもそも、仕事とは、どんなことを指すのか、という問題もある。一般的には、仕事とい
うと、会社勤めをすることを連想することが多いが、そればかりが仕事ではない。自営業
者もいりだろうし、フリーランスで働いている人もいるだろう。
しかし、そればかりだろうか。家庭の主婦はどうだろう。主婦は仕事をしていないことに
なるのだろうか。よく女性も社会に出て活躍するべきだとの主張があるが、この場合、家
庭の主婦は、仕事をしていない、という認識が先に立っている。しかし、ほんとうに、家
庭の主婦は、社会にも出ておらず、仕事もしていない、と言えるだろうか。私個人として
は、家庭の主婦も、社会に出ているし、立派に仕事をしていると思えるのだが。
家庭の主婦が、仕事をしていない、という認識にされるのは、直接、お金を稼いでいない、
というところから来るように思われるが、それでは、直接、お金を稼がない仕事は、仕事
ではないのだろうか。例えば、ボランティアなどは、仕事ではないだろうか。私個人とし
ては、それも立派な仕事だと思うのだが。

要するに、今の社会では、お金を稼げるか稼がないかが、すべての価値の基準になってい
るということなのだろう。しかし、これでは、あまりに寂しすぎる価値基準ではないだろ
うか。
仕事と趣味の違いという問題もある。同じことをしていても、それでお金が稼げれば、仕
事ということになるだろうが、もし、それが収入につながらなければ、単なる趣味という
ことにされるだろう。仕事か趣味かの判断基準は、それがお金になるかどうかということ
になるのだろう。いくらすばらしいと思えることをしても、それがお金につながらなけれ
ば、単なる趣味にされてしまう。結局、ここでも、基本的な判断基準は「お金」というこ
とになってしまうのだろう。

筆者は、これからの時代はどんな仕事が廃れ、どんな仕事が生き延びるかについても触れ
ている。インターネットの普及によって、新聞社やテレビ局などの既存のメディアはいず
れ廃れるだろうと予想している。ただ、ジャーナリズムやエンタティメントなどのコンテ
ンツを作る仕事でのソフトの面では生き延びるだろうと考えている。また、ネットで個人
同士が直接結びつくようになったから、商品を大量生産して大量販売する既存のビジネス
方法は廃れ、少数の細かい需要を拾い集めるビジネスが生き延びると考えている。
確かに、現状を見ていると、全体的にはそういう方向に向かっているような気がする。た
だ、今の中高年世代が生きている間、あと四半世紀くらいは、現状の状態が続くのではな
いかと私個人は考えている。
ゼネラリストとスペシャリストついても述べている。ゼネラリストは交替が可能なのでリ
ストラされ易くスペシャリストは交替がきかいないので、リストラされにくい、という話
は、一般的にもよく言われることである。
しかし、必ずしもすべてにおいて当てはまるとは限らないと私は思う。というのも、いく
ら交替にきかない仕事でも、時代の変化によって、その仕事自体が無くなってしまうこと
もよく起こるからである。そうなると、スペシャリストのほうが、専門的なるがゆえに、
かえって潰しがきかず、新しい環境に順応できないことが多い。その観点で見れば、ゼネ
ラリストのほうが、新しい環境に順応していけるぶん、生き残れる可能性が多いとも言え
るのではないだろうか。
これからの「AI」の時代を考えたとき、どちらが生き残れるのか、まったくわからない。
いや、どちらも生き残れないとも考えられる。一部の支配層だけが残り、あとの普通の労
働者は不要だという時代が到来するかもしれない。いずれにしても、大変な時代が到来し
そうなことだけは、確かなようだ。

人生の生きがいを仕事で見つける必要はない、と筆者は主張する。もちろん、そのとおり
だと私も思う。しかし、さらに考えてみると、それでは、仕事以外で人生に生きがいを見
つけるとすれば、それは趣味で生きがいを見つけるということなのだろうか。「仕事以外
=趣味」ということなのだろうか。それとも、仕事や趣味以外のことも考えられるのか。
例えばボランティアなどがそれに該当するのだろうか。それ以外にもっと考えられないの
だろうか。そんなことを考えると、この世の中では、なんだかとても狭くてつまらないよ
うな気もしてくる。

「人生のやりがいや楽しみというものは、人から与えられるものではない。どこかに既に
あるものではない。自分で作るものだ。自分で育てるものだ」と筆者は述べている。
まったくそのとおりだと思う。何が自分にとって人生の「生きがい」や「やりがい」にな
るのか。それは、ひとそれぞれ違う。人から教えられるものではないし、人に教えられる
ものでもない。自分自身が見つけ出すしかないのだ。
しかし、すべての人が自分でそれを見つけ出せるわけではないだろう。自分の一生の間に、
「生きがい」や「やりがい」を見つけ出すことができないまま、人生を終えてしまう人も
多いと思う。また、せっかく「生きがい」や「やりがい」を見つけ出したのに、いわゆる
「世間」がそれを許してくれず、失ってしまった人も多いだろう。多くの困難を乗り越え
て「生きがい」や「やりがい」をやり遂げられた人は、ほんとうに幸せ者である。

筆者は憲法についても触れている。「憲法は、理想であり、精神である」「社会の判断は、
民主主義だから多数決で決まるけれど、多数決であっても逆らってはいけないものが憲法
である」「憲法を書き換えるには、多数決以上の合意が必要なのだ」との筆者の憲法に対
する考え方は、非常もわかりやすく、真っ当な考え方だと思う。「現実に自衛隊があるの
だから、それに合わせて憲法を書き換えるべきである」と主張している、どこかの国の某
首相やその取巻きに、聞かせてやりたい言葉だ。


まえがき
・「人生の目的は、自由を獲得するため」生きる意義の大半が仕事にあると思い込み、ス
 タート地点で自殺まで及んでしまうなんて、なんとももったいないことでしょうか。も
 っと広い世界に楽しみを見出しても良いのではないか。
・僕は、最近はほとんど仕事をしていない。大学は47歳で辞めた。作家の方は、1日1
 時間だけしか仕事をしない。あとは、ほとんど遊んでいる。毎日が楽しいから、そのと
 おり、「楽しい」と書いたりする。きっと、これまでの忙しかった日々ではなく、この
 今現在の自由で楽しい生活に憧れているだけだろう。どうすれば、早くそういった自由
 な生活を手に入れられるのか、ということだと思われる。
・たまたま、僕はこんなふうに考えて、こんなふうに生きているけれど、しかし、それが
 あなたの人生にも適用できるという保障は全然ない。適用できるどころか、応用も難し
 いかもしれない。なにしろ、僕は、僕という人間に合わせて、僕の周囲の環境に合わせ
 て、僕が生きてきた時代に合わせて、僕自身を修正しつつ今に至っている。
・僕の仕事に対する第一原理というのは、「人は働くために生きているのではない」とい
 うことだ。これは、大昔からつい最近まで、ずっとそうではなかった。「人は働くため
 に生きている」と言葉にはしないまでも、それに限りなく近い世間の認識がたしかにあ
 った。
・仕事をしていないと「一人前の社会人」と見なしてもらえなかった。数十年前までは、
 世界のどこでも働かない人間には、選挙権さえなかった。諺には、「働かざる者、食う
 べからず」なんていうものがあって、これは今でも、けっこう普通にみんなが口に出す
 常識といえる。
・僕は、働くという行為が、そんなに「偉い」ことだとは考えていない。「働きたくなか
 ったら、べつに働かなくてもいいんじゃないか」というのが僕の基本的な立場である。
 また、働いていない人を、見下げることもないし、可哀相だとも思わないし、逆にいえ
 ば、仕事の立場がどんなに偉くても、それは人間として尊敬できるというのとは別のフ
 ァクタだ、と考えている。
・そもそも、職業に貴賤はない。「偉い仕事」というのは、つまりは給料が高いとか、能力
 や人気で選ばれた者だけが就けるとか、そういった「ポスト」を示すようだけれど、そ
 の偉さは、たいていは賃金によって既にペイされているはずだ。つまり、そういう「偉
 そうな仕事」をしたら、その分の高給を得ているわけで、それでその偉さは差し引かれ
 ているはずなのだ。もし、賃金は一切いらない、というのなら本当に偉いと思うけれど、
 金をもらっているなら、それでいいじゃないですか、と僕は考えてしまう。
・下の者に命令ができる人が偉いわけでもない。命令をきく人たちは、その分の賃金を得
 ているから言うことをきくだけだし、また、命令できるのも、それは単にその場に限っ
 て通用するローカル・ルールがあるだけのことで、ようするに一種のゲームだと思えば
 わかりやすいだろう。
・若者の多くが「仕事」というもので悩んでしまうのは、それまで仕事をしたことがない
 からにほかならない。子供には、仕事のことをあまり教えない文化がある。たぶん、子
 供には「大人の世界のいやらしさ」を見せないようにしているのだろう。そのとおり、
 仕事はみんないやらしいものだ。「下賤」な行為だ。
・しかし、どうも大人は、「仕事は大変なんだ」と苦労を語りたがる。そうやって、大人
 という立場を守ろうとしているのだ。「お父さんは、こんなに大変なことをしているの
 だよ」と子供に言いたがる。実に情けないことだ、と僕は感じる。 
・仕事を恐れ、仕事に尻ごみしている原因の多くは、つまり大人の態度にあるといえる。
 「もう、これからは遊べないのだ」とか、「自分に合った仕事に就かないと人生が台無
 しになる」というプレッシャが沸き起こる。仕事というのは生易しいものではない、命
 懸けで取り組むべきもの、いい加減な気持ちではやりとげられない、と大人から散々威
 されているのである。
・僕は、二人の子供を育てた。既に二人とも三十歳近い。小さいときには、もの凄く厳し
 く育てたつもりだ。殴りこそしなかったが、テレビを見せず、悪いことをしたら、食事
 を与えなかった。おもちゃも滅多に買わなかった。小学生になったとき、勉強をするこ
 との意味を教えた。その後は、通信簿を見ず、まったくノータッチだったが、二人とも
 第一志望の大学に合格し、その後社会人になった。
・成人したあとは、もうなにも言わない。相談を受ければ、「好きにしなさい」と答える
 ことにしているし、お金が欲しいと言ってくれば与えただろう(言ってきたことはない
 が)。そして、何の仕事をしているのかもよく知らない。彼らが何をしていようと、ど
 んな生活をしていようと、生きているならば、自分の子供であるから嬉しい。仕事とい
 うものは、今どんな服を着ているか、というのと同じくらい、人間の本質ではない。

仕事への大いなる勘違い
・自分の時間と労力を差し出して、その代わりに対価を得る行為が仕事ということになる。
 対価というのは、だいだいお金であるが、名誉とか体裁とか立場とか、そういう幻想の
 ようなものも含まれる。だが、それらを欲しがる人にとっては、すべて等しく「価値」
 なのである。「夢」という言葉を使っても良い。金よりも夢の方が奇麗に思える人が多
 いだろう。「夢は金で買えない」なんて綺麗事を言う人も多いが、どんなものでも、金
 以上では買えないのが現実ではないか。
・古来、人間の価値というのか、偉さというのか、社会的立場というのか、ようするにそ
 の人物が「何様か」ということが、その人がしている仕事でだいたい決まっていた。そ
 れくらい職業というものは、人の価値を決める重要なファクタだったのだ。
・一方では、仕事で金を稼げば、その金を使うことによって、周囲の者が潤う。言葉は悪
 いが、おこぼれをいただくような感じに見えなくもない。金が集まるところには、人も
 集まる。だから、どんな仕事をしているのか、その仕事でどれくらい稼いでいるのか、
 ということが人間の価値だと認められやすい社会が長く続いたのである。
・階級社会というものが世界のどこにでもあって、そこでは自由に職業を選択できない。
 日本でいえば、かつては武士は武士であるし、農民は農民だった。どんな仕事に就ける
 かが、差別の対象となっているわけだ。勝手に職業を変えられては、社会の秩序が崩れ
 てしまう、と考えられていた時代だった。
・数年前まで、そういう会社は世界のどこにでもあった。実は今でも、まだどこにでもあ
 るけれど、先進国では少なくとも憲法というものができて、「人は皆平等である」と定
 められた。そもそもこのように憲法というものを持ち出さないと守れないほど難しい認
 識だった証拠でもある。今では当たり前のことが非常識だった、といっても良い。
・仕事によって上下があったのと同様に、仕事をしている者は、仕事をしていない者より
 も偉かった。仕事をしている人たちだけで民主主義が行われ、議会で物事が決まったの
 だから、自分たちの立場の「偉さ」を守ろうという方向に自然になる。奴隷とか、女性
 には、偉くなってほしくない、という法律ができてしまう。だからこそ、単純な多数決
 でそのような偏った暴走が起こらないように、理想の精神というものを憲法に謳ったわ
 けである。自分たちが時には間違ったことをしてしまう、と知っていただけでも、人間
 は素晴らしい。 
・空気を読んで周囲の多数決につい流されてしまうのは、民主主義の欠点を取り入れてい
 るようなものだ。「人間の価値は仕事とは無関係だ」という憲法(理想)を自分の中に
 しっかりと持って、ときどき、これに反していないか、と認識をしなければならないだ
 ろう。世間では実際問題なかなか理想どおりにはいかないけれど、でも本当はこうなん
 だぞ、という信念を持っていることが大切だと思う。
・男女いずれであっても、自由に就職できる機会があることが大事だと思う。けれども、
 女性が男性と対等になるためには就職をして社会に出なければならない、という主張は、
 ちょっとずれているように感じる。たとえば、主婦というのは、社会へ出ていないのだ
 ろうか、という疑問もある。結局これは、「男は仕事をしているから偉い」という認識
 をベースにしているから、そう考えてしまうわけだ。本当は、男女平等と仕事は別問題
 のはず。仕事をしていても、していなくても、男と女は対等でなければならない。ただ、
 そういった誤解が生じるくらい、やはり「仕事は人間の価値を決めるものだ」という社
 会的な認識が根強かったといえるだろう。 
・金も権力も、他者を動かすことができる。たとえば、金を払えば、召使いのように命じ
 て、自分のために仕事をさせることができる。「召し使う」という言葉のとおりで、こ
 れはあくまでも仕事の関係だ。また、権力というのも、組織における人事を行うことが
 できるとか、組織の金の使い道を決定できるというように、やはり仕事を通じて他者を
 支配できる力のことだ。
・現代における大人同士の関係というのは、嫌ならば縁を切ることができる。子供も大人
 になれば、これができる。権力というのは、個人の力ではなく、その組織におけるルー
 ル上の権限でしかない。したがって、上司の命令にどうしても従えないと思えば、その
 組織を抜け出すことが可能だ。そうすれば、もう命令はその人を支配できない。子供も、
 酷い親から逃げ出せる。これが、基本的な原則である。
・そうは言っても、組織から出ると職を失うことになるわけで、それでは自分の身を滅ぼ
 すことに等しい、と考えるかもしれない。そこにあるのは「交換」である。つまり、品
 物を買うときに金を払うのと同じで、得るものと与えるもののバランスを比較する必要
 がある。「金を失っても、どうしても従えない」という判断はできるはずだ。両者のバ
 ランスを常に見極めることになる。 
・そういった基本は、誰でも知っているはずなのに、ついその中にどっぷりと浸かってい
 ると忘れてしまう。命令する人は「偉い」という印象を持って見るから、そのうち本当
 に偉く見えてくる。命令する方も、自分は偉いと勘違いしてしまう。こんなところから、
 多くの問題が生じるわけである。
・民主主義というのは会議をして多数決で物事を決める制度のことだが、そもそも会議に
 誰が出られるのかという時点で既に平等ではなかった。そこで、労働者や貧しい人たち
 は、金持ちの多数決ではなく、もっと別のカリスマを求め、独裁者を歓迎した歴史があ
 る。現在の民主主義でも、マスコミが扇動して、国民を煽っている。そんな頭に血が上
 った人たちの多数決で政治を動かすようなことがあっては困る。たしかに民主主義は理
 想的なシステムだが、このような危険な部分が欠点としてある。だから、理想や理念を
 忘れないように憲法というものが存在している、と考えてよい。
・国を動かすとか、未来を築くとか、それは個人の力によるものではない。そういう力を
 持っていると錯覚しているだけだ。権力を握っても、大きなお金を動かすのも、仕事上
 の立場、つまりルール上に成り立つものであって、個人として特に偉いわけではない。
 「俺が国を動かした」と言いたいのかもしれないが、せんぜい、「関わった」という程
 度のものにすぎない。そんなことを言ったら、ほとんどの人が国を選挙を通じて動かし
 ている。
・巨大な橋の建設に関わった人は、大根を毎年収穫する人よりも偉いわけではない。そう
 いうものに「未来」や「やりがい」があると感じさせるのは、明らかに言葉だけのイメ
 ージで錯覚を誘っている。
・もし、個々の仕事に差があるとすれば、それは賃金の高低くらいだろう。賃金の高い仕
 事は、能力が要求されたり、大きな責任を問われるものだ。高ければ高いなりにリスク
 がある。だから、それだけ神経を使う必要があって、体力的にも精神的にも消耗するだ
 ろう。だから賃金が高い。逆に、誰にでもできるものは、賃金が安くなる。
・自分の仕事にやりがいを感じている人は、それで良いと思う。そんなの馬鹿げている、
 という話をしているのではない。どんなものをどう考えようが個人の勝手なのだ。ただ、
 どうもそれが思いどおりにいかない、と悩んでいる人は、少しこういった基本的な原則
 に立ち返ってみてはどうか、という提案をしているだけである。 
・人目を気にして良い会社に入りたいとか、両親が一流企業にどうしても入れたがるとか、
 そんなプレッシャを受けている人はけっこう多い。案外、そこそこ能力があって、勉強
 もできて、エリートを目指そうとしている人の方が、この傾向が強い。そのプレッシャ
 に打ち勝って期待に応えられる人は良いけれど、そうではない人だっているはずだ。競
 争というのは、誰かが勝ち取れば、誰かが落ちる。たまたま運悪く落ちた人が、自分は、
 「人生に落ちこぼれた」と結論するのが間違っている、ということを書いているのであ
 る。
・そもそも、就職しなければならない、というのも幻想だ。人間は働くために生まれてき
 たのではない。どちらかというと、働かない方が良い状態だ。働かない方が楽しいし、
 疲れないし、健康的だ。あらゆる面において、働かない方が人間的だといえる。ただ、
 一点だけ、お金が稼げないという問題があるだけである。
・したがって、もし一生食うに困らない金が既にあるならば、働く必要などない。もちろ
 ん、働いても良い。それは趣味と同じだ。働くことが楽しいと思う人は働けば良い。
・若い人は、自由にものを考えられる軟らかい頭脳を持っているから、「遊んで暮らせる
 身分」に素直に憧れる。憧れるのはとても自然だし、できればそういう暮らしがしたい
 ものだと思うのは、人間として正常である。ところが、年寄りになると何故か、そうい
 うものの考え方に否定的だ。「そんなことを考えてはいけない」と怒る人さえいる。凝
 り固まった頭というのは、理屈も理由も、正常ささえも失われている。
・たぶん、自分が一所懸命働いて生きた人生があって、それに価値を持たせたいのだと思
 う。それは、そのとおり価値がある。立派な生き方だ。しかし、だからといって、仕事
 をしないで遊んでいる人を非難するのは、まちがいなく行き過ぎだろう。  
・親の遺産で大金を手にした人は、遊んでいれば良いと思う。その人が働いて得た金では
 ないけれど、犯罪を犯したわけではないし、正当な理由で受け継いだものだ。それなの
 に、遺産を残す親の側が、子供が仕事をしなくなることを恐れて、遺産をなかなか渡さ
 ない、なんていう話も聞いたことがある。この頃はみんな長生きをするから、遺産が転
 がり込むのは、子供が還暦になった頃、というのが平均的なところで、その年齢になっ
 て金をもらっても遅い、と僕は思ったりする。
・遺産をもらった場合も、やりたいことがあるという子供なら、楽しい人生が送れるだろ
 う。それは仕事でも良いし、仕事でなくても良い。打ち込めるものがあることが大事だ
 と思う。
・仕事が苦しい場面があるとき、「これが俺の生き方なんだ」といった気持ちで乗り越え
 てきた人は多い。そういうふうに考えて、自分を納得させたわけだ。また、忙しくてほ
 かのことができないときも、「俺は仕事に生きるんだ」という気持ちの処理をするかも
 しれない。そうしているうちに、人は、自分が仕事に打ち込めることを誇らしく思うよ
 うになる。
・「今は辛いかもしれないが」なんて言うけれど、仕事というのは基本的にずっと辛いも
 のである。また、「そのうち楽しさがわかる」などと諭したりするけれど、思い込むな
 らば、誰だってどこだって楽しさは見い出せるだろう。
・若い人がこんなふうに考えたら困る、とさえ感じるだろう。いったい誰が困るかという
 と、自分である。「そんなことで、日本はどうなる?」なんて、大局を見ているような
 振りをすることもあるけれど、そもそも日本はどうなるのか誰にもわからない。この頃
 は、どんどん抜かれてじり貧になっている。でも、今の若者の責任ではない。どちらか
 というと、「やりがいを持て」「仕事にかけろ」と言ってきた年寄りたちの読みが甘く
 て、今の日本の不況、そして企業の低迷があるのではないか。つまり、やりがいとか、
 気持ちとか、そんな精神論で仕事を引っ張ろうとしたツケが、今まさに来ているともい
 える。若者のせいにしてはいけない。
・僕くらいの年代だと、子供のときには、嫌いなものも食べなければならない、というよ
 うな「戦前の教え」がまだ残っている時代だった。給食でも、嫌いなものが食べられな
 い生徒は、休み時間になっても教室に残されて、食べるまで許されなかった。それがい
 つの間にか、そういう押し付けを子供にはしないようになった。好きなことをすれば良
 い、という基本方針になったみたいだ。 
・そうして育ったのが、今の若者だ、彼らは、嫌いなことはしなくて良い、と教えられた。
 少し我慢をしなければならないけれど、そのあとは、大きな悦びが勝ち取れると信じて
 いる。その悦びというのは、ご褒美のようなもので、周囲から「偉かったね」と褒めら
 れることだ。そういう場面で涙が出て、感動できることだ。それが、人生の生きがいだ
 と思い込んでいる。
・大学に入りのも、就職も、そして結婚さえも、スタートするときにみんなから祝福され
 る。そのときの涙と感動でもう満足しきっているし、大学の会社や結婚に対する憧れも、
 このスタート地点の祝福と感動がゴールであって、そのさきの長い時間をほとんどイメ
 ージしていない。
・もし辛いことがあれば、そのゲームから降りれば良い。それが今の若者の価値観である。
 これは、ある意味では自由だし、全面的に悪いというわけではない、と僕は思う。ただ、
 会社においては、トップ周辺の年寄りたちの価値観がまだ支配的だから、どうしてもギ
 ャップが生じることになるだろう。
・述べたかったことは、仕事で人間の価値が決まるのではない、という一点だ。これは、
 仕事を全面的に否定するものではない。なかには、仕事でその人の価値が決まる場合も
 あるだろう。全員がそうではない、という意味である。
・でも、仕事でなかったら、何で人間の価値が決まるだろうか。それは、人それぞれであ
 る。仕事以外にも、人はいろいろな行動をする。沢山のことを考える。そういったすべ
 てで、それぞれに、いろいろな方法で、社会の貢献できる。また、たとえ社会に大きな
 貢献をしなくても、幸せに生きている人だっているわけで、それも自由だと思う。つま
 りは、自分がどれだけ納得できるか、自分で自分をどこまで幸せにできるか、というこ
 とが、その人の価値だ。その価値というのは、自分で評価すれば良い。
・他者を評価するときにも、その人と自分の関係を見れば良い。自分にとって良い人だと
 感じれば、それは良い人だ。尊敬できる人、好きな人、一緒にいて楽しい人、話をした
 い人、などいろいろな価値があるはず。自分にとって得るものがあれば、その人の価値
 がそれで測れる。逆に、そういう関係でなければ、価値がない人になる。だからといっ
 て、その人を否定したり、非難するのは間違いだ。だいいち、そんな場合には、関係を
 結ぶ必要がない。無理に悪い関係を築く方がおかしい。非難したり、否定したりする以
 前に、遠ざかれば済む話である。 

自分に合った仕事はどこにある?
・犯罪とかギャンブルとか、そういう難しいことをしなくても、もっと楽で簡単で誰でも
 できる「仕事」が、世の中には沢山用意されている。少し自分を抑えて、他人に従って、
 面倒なこと、疲れること、意味のわからないことを、「しかたがないな」と思ってやる
 と、それなりに金がもらえる。そういう機会があることは、非常にありがたいことだと
 思う。
・食事をするとエネルギィが得られるから、生命活動が続けられる。これと同じように、
 仕事も、自分の時間や労力と、金という社会エネルギィを交換する。食事は好きでも嫌
 いでもしなければならない。もちろん、好きな物を食べるにこしたことはない。でも、
 好きなものばかり食べていることが、健康を維持するために最良の策とはいえない。仕
 事も、自分の好きなことで金を稼げればそれにこしたことはないが、しかし、それが最
 良とは決していえない。
・ただし、「好きだから」という理由で仕事を選ぶと、それが嫌いになったときに困った
 ことになる。人の心は、ずっと同じではない。どんどん変わるものだ。嫌いになったり、
 厭きたときに仕事を辞めてしまうのでは、効率が悪い。「好き」で選ぶことは、そこが
 問題点といえる。
・さらに大きな問題は、食べ物のように好きか嫌いかということが、仕事の場合は事前に
 よくわからない、という点にあるだろう。
・実は、自分が好きなもの、したいももの、という方向性のほかにもう一つ、選択の基準
 がある。それは、自分が向いているもの、得意なもの、というファクタだ。この好みな
 のか、それとも適性なのか、という両者は、多くの場合一致していない。
・さらに、自分の好みがよくわからないのと同様に、自分の適性だってなかなかわからな
 いものだ。
・人と話をするのが好きだ、という人は、自分が話すことが楽しいと感じている。こうい
 う人は、相手からは、よくしゃべる奴だと思われている場合が多い。一方、自分は思っ
 ていることをなかなか話せないという人は、相手に対して、よく話を聞いてくれる信頼
 できる人という印象を与えやすい。「人を騙すようなことはできない」という印象が、
 仕事ではプラスになる。営業の仕事で最も大切なのは、信頼を得ることであって、調子
 よくしゃべることではないからだ。
・人間は、自分を客観的に捉えることが不得意だ。仕事で発揮されるような能力の多くは、
 あくまでも外面的なものであって、内面的な性格はほとんど問題にならない。極端な話、
 「振り」ができるかどうかが大事な場面ばかりだ。
・またこれとは逆に、もし内面的な誠実さが相手に伝われば、どんな「振り」よりもずっ
 と効果がある。技巧的になんとかなるものが多いが、同時に、技巧的なものよりも素直
 さが一番の取り柄にもなる。
・わからないから、適当に好きなものを選べばよいかというと、その「好き」というのも、
 まったく当てにならない。どんな仕事が好きか、明確に答えられる人がまず少ない。
・若者は、まだ社会というものを十年ほどしか見ていない。しかし、会社に勤めれば、そ
 の何倍もそこにいるかもしれないのだ。その時間の長さを、もう少し考えてはどうか、
 と思う。 
・人気のある会社は、そのとき調子が良い会社だから、沢山の新入社員を採用する。つま
 り、同じ年代のライバルが多い。時間が経つほど、その条件の悪さに気づくことになる
 はずだ。一方、調子が悪い会社を選べば、その後は持ち直して良くなるかもしれない。 
・みんなに祝福されたい。みんなから羨ましがられたいという気持ちが前面にあるから、
 つい、人気のある大学、美人やイケメンの結婚相手、そして現在の人気企業を望んでし
 まう。それが自分が好きなものだ、と思い込んでいる結果である。
・そして、そういう大学に入れない、そういう結婚ができない、そういう就職ができない
 ことで、みんなから蔑まれると被害妄想して、籠ってしまったり、隠れてしまったり、
 そうでなくても後ろめたく感じたりしてしまう。  
・そのいずれも、僕はおかしいと思う。そういう価値観をまず綺麗に捨て去る方が良いだ
 ろう。それは価値観というほどのものではない、と僕は思う。自分の意志ではなく、た
 だ流されているだけの状態でしかないからだ。
・自分の人生なのだし、自分で本当に良いと思うものを信じる方が良い。信じるものがわ
 からなければ、それをよくよく考えれば良い。人から褒められたのは、これまでの自分
 が子供だったからだ。大人になったのだから、自分のことは自分で褒めよう。自分で褒
 めるためには、何が自分にとって価値のあることなのかを、まず考えなくてはならない
 だろう。それが、流されないための唯一の方法だ。
・どんな仕事をしても、金は稼げる。それが仕事の目的だ。だったら、あとは細かい条件
 が自分に適しているものを選ぶしかない。まず、交換するために、自分が何を差し出さ
 なければならないか、という条件に注目する。それは時間なのか。時間ならば、どのよ
 うな時間なのか。それが労力ならば、どのような労力なのか。そういった条件が自分が
 しようと思っている生活にとってどうなのか、ということを考える。そしてそれらの条
 件と「自分の我慢の範囲」を比較する必要がある。 
・「時代を読め」ということを言いたいのではない。その反対だ。時代のことなんか二の
 次で良い。自分の未来、自分が描く未来像をイメージすることが第一だ。時代のことは
 読めなくても、自分の未来くらい少しはイメージしよう。
・自分に投資すると言うものを意識した方が良い。といっても、これは株とか資産運用と
 か、その手の話ではない。自分に投資する、という謳い文句も実際に使われる。この資
 格というのは、僕はあまり強くはおすすめしない。司法書士とか、一級建築士とか、か
 なりメジャなものは別だ。それらは、取らなければ話にならない、というくらいの前提
 条件で、運転免許と同じレベルのものだからだ。もちろん、ないよりはあった方が優位
 ではある。
・へたな資格を取るのに比べても、学業はずっと有利だ。今は大卒なんて当たり前、これ
 からは大学院出であることが、「かつての大卒」と同じ有利さを持つだろう。今でもそ
 ういう職種は多い。今はそうではなくても、高卒の人には、大学の価値がわからないの
 と同じように、大卒の人には、大学院の価値がわからない。
・勉強に身を置く時間とうのが、人間にとって最も価値のある投資だと思う。これは、た
 とえ就職してからも忘れてはいけない。自分の時間のうちある割合は、いつも勉強しよ
 う。本を読むことが最も一般的な勉強だし、またそれ以外にも、新しいものに興味を向
 けて、なにか自分にとって 役立つものはないか、と探すこと。現在の仕事と無関係で
 あっても良い。今すぐに役に立たなくても良い。なんとなく、今まで知らなかったこと、
 知っていても時間がなくて我慢していたこと、そういうことを少しずつ自分の中に取り
 入れる。これが「投資」である。
・人生に前向きな人というか、意思の固いしっかりした人になると、自分がなりたい職業
 がまず第一であって、それに役に立つ別の仕事に先に就く。その仕事で勉強したうえで、
 最後に目標の仕事を始める。僕の友人にもそういう人間が数人いる。
・かつては、日本で就職することは、ずっと定年までその会社でお世話になる、というの
 が一般的な意味だった。これど今は、たとえ自分がそのつもりでも、それまで会社が存
 続するかどうかの方が疑わしい。まあ、十年とか、せいぜいそれくらいを目処に考えた
 方が良いかもしれない。長く続けば儲けもの、というわけである。 
・常々思うのは、人間のタイプにはだいたい二種類あって、新しいことに馴染むのに時間
 がかかるけれど、じっくり腰を据えて取り組むと、深く理解して成長するタイプと、新
 しいことに早く慣れて、すぐに戦力になるものの、厭きやすく、長続きせず、あまり成
 長しないタイプだ。前者は、長く々職場にいると力を発揮するし、後者は、仕事を転々
 としても、その場その場ですぐ役に立つ。同じ仕事の中にも、この二種類の戦力がそれ
 ぞれに必要だから、どちらが優れているというわけでもない。 
・人から給料をもらわない仕事も沢山ある。たとえば、農業がそうだし、個人でものを作
 って直接売るような職業も、決まった給料をもらっているわけではない。商売の多くは、
 自分で経営をすれば、いわゆる「自営」という職種になる。作家などは、なにかを経営
 しているわけでもないので、単に「自由業」などといったりする。
・自営というのは、簡単にできるものではないだろう。だからこそ、今の若者の「就職」
 としては暗黙のうちに範囲外になっているといえる。難しい理由は、仕事を覚える必要
 があるし、元手はかかるから、そういった条件が揃っていなければ、「やりたい」と思
 ってもすぐにできるものではない。たとえば、家業を継ぐというような特殊な場合が例
 外といえる。
・「小さくても良いから自分の店を持ちたい」という夢を持っている人もいるかもしれな
 い。すぐに実現したければ、店舗を借りて、そこでなにかを売ることになる。少し計算
 してみるとわかると思うが、ある程度の金がかかる。その分の収入が見込めるかどうか
 期待は薄い。よほどのことがないかぎり成功しないだろう。よほどのことというのは、
 目立つアイデアがあったり、優れた能力があったり、という意味だ。誠実であっても、
 また、いくら自分が好きな分野であっても無関係である。
・時代的には、今は個人の商売が、特にこれまでの形のままでは、以前よりもはるかに難
 しくなっている。条件が悪すぎる。少なくとも、ただで使える場所がある、というくら
 いの好条件でなければ、別のチャンスを待った方が良いかもしれない。
・仕事は、一応は自分にそこそこ向いているジャンルを選べるはずだから、頭を使うのか
 躰を使うのか、といった大まかな選択が最初に行われている。したがって、学校のよう
 に、自分にはどうしてもできない、ということが少ないはずだ。この計算を1分間でし
 ろとか、なにも見ずに覚えていることを答えろとか、そんなトライアル的な、あるいは
 ゲーム的な難しさというものが仕事には基本的にはない。そういうものを排除したシス
 テムが、既に確立されているからだ。誰がやっても、だいたい上手くできるように手法
 が考えられている、といえる。
・たとえば、新入社員になっていきなり営業に回され、ちっとも契約が取れない、という
 目に遭うかもしれないが、会社は、そのちっとも契約が取れない状態を、あらかじめ見
 越している。その確率を計算に入れて計画を立てている。だから、「上手くいかない」
 と新人は思い悩んでしまうけれど、それがむしろ普通だ。そうやって、「上手くいかな
 い」という思いをさせる研修なのである。そこから出発すれば、「どうすれば上手くい
 くのか」と考えるし、また上手くいいったときの達成感もある、という仕組みらしい。
・先輩の経験談を聞くのは悪いことではないが、先輩と自分は違う。まったく同じ環境で
 仕事をするわけでもないし、もちろん人間のタイプも能力も感じ方も違う。それ以前に、
 人間というのは、本当のことを言わないものだ。楽しくても「忙しく大変」と顔をしか
 める人もいれば、凄く辛いのに「やりがいがある」と人前では溌剌として振る舞う人も
 いる。
・企業に勤めたものの一年とか二年で辞めてしまった、という人が何人かいるが、彼らに
 共通しているのは、事前に「仕事が辛くて大変です」とは言わなかったこと。逆に、と
 ういう愚痴を零す人は辞めない。どちらかというと、最初のうちは仕事が楽しいとか、
 面白いという話をする人の方が、あるときあっさり辞職してしまうのだ。
・どうしてこういうふうになるのか。人間というのは、やっぱり機械のように単純ではな
 いということだろう。おそらく、良い話をする人は、「そうなれば良い」というふうに
 自分に言い聞かせている面がある。不満はあっても、良いところを見よう、楽しいこと
 を考えようとしているのだ。それでもついに我慢ができなくなってしまうから、辞める
 ことになる。
・転職というのは、悪いことではない。かつては、非常にハンディがあった。会社を一度
 辞めると、「また辞めるかもしれない信頼できない人間」というふうに見られる傾向が
 あった。日本ならではの見方である。しかし、今ではそうではない。あっさりと仕事を
 辞める人が増えた。もっと良い働き場所を見つけることも比較的簡単になった。情報公
 開がが進み、ネットなどでいろいろなことを知ることができるという環境もあるし、も
 っと言えば、ゆとりや豊かさが根底にある。両親もまだ健在だし、仕事を辞めても、す
 ぐに生活できなくなるわけでもないからだ。
・ストレスを溜めるくらいなら、あっさりと辞めてしまい、少しの間仕事をせず、ゆっく
 りと考えることも悪くないと思う。ぶらぶらと世間を眺めて生きるのも、普通はなかな
 かできない経験で面白いだろう。なにしろ、子供のときからずっと、そんな立間になっ
 たことはないはずだ。いつもスケジュールとノルマに追われる生活だっただろう。だか
 ら、のんびり時間を過ごすのも良いと思う。ただ、あまりこれが長くなると、それこそ
 生活に困ることになる。
・質素な生活ができる人は、ときどき適当に働いて、のんびり生きれば良い。贅沢な生活
 がしたい人は、ばりばり頑張って働いて、どんどん稼げば良い。いずれが偉いわけでも
 なく、片方が勝者で、もう一方が敗者というわけではない。
・人それぞれに生き方が違う。自分の道というものがあるはずだ。道というからには、そ
 の先に目的地がある。目標のようなものだ。まずは、それをよく考えて、自分にとって
 の目標を持つことだ。
・「成功したい」と考えるまえに、「自分にとってどうなることが成功なにか」を見極め
 る方が重要である。

これからの仕事
・情報というのは真に受けない方が身のためである。なにしろ、情報を流しているのはほ
 とんどがマスコミだし、またそれ以外の発信源のものも、結局は自分たちの立場を維持
 したいという力学に基づいて、情報を作るからだ。
・「現代を見ろ」「周囲を把握しろ」「空気を読め」とまっしぐらの視線では見誤るばか
 りだし、当然ながら、隠れている本質は見えない。仕事をしていると特に、「現在」と
 いうものを正しく把握する必要がある。これから仕事を選ぼうという人も、与えられた
 情報を鵜呑みにせず、申し越し世の中の流れを、高いとことからぼんやりと眺めてもら
 いたい。
・思い出してもらいたい。今のこの社会は、大量のエネルギィに支えられている。人間が
 辛い労働から解放されたものもそのおかげだし、異常なまでに増えた世界の人口を許容
 しているのも、エネルギィを使って策もちを穫っているからだ。しかも、そのエネルギ
 ィの元となる資源は無限にあるわけではない。二酸化炭素や、放射能漏れの事故もあっ
 て、使えばそれだけリスクは大きくなる。エナルギィ問題の解決には、なによりも人口
 の増加を抑制することが大切である。
・そんな不安を抱えた社会で普及したのが、インターネットだ。ここ二十年くらいのこと
 である。産業革命に匹敵する大革命といえるだろう。
・このネットの普及によって、人間の社会は大きく変わろうとしている。もう変わったも
 のも多いけれど、まだしばらくは過去の習慣から抜け出せない。人間は一度覚えたこと
 に縋り、一度取り入れた手法に拘る。だから、大きな変化に関しては世代が変わるのを
 待つことになるだろう。具体的には四半世紀(二十五年)くらい。つまり、本当に変え
 わるのはまさにこれからだと予想される。 
・まず、従来型のマスコミが最もダメージを受けるだろう。それはもう誰の目にも明らか
 で、新聞社やテレビ局は大きく傾くはずだ。既得権によってこれまで充分に稼いだのだ
 から、あとは引き際をどうするか、という問題に直面している。同じようなもので、出
 版関係もかなり危ない。残るのは半分以下になるだろう。ようするに、「メディア」と
 呼ばれているものの大半がリセットされる、ということだと思う。
・一方、コンテンツを作り出す仕事は滅びることはない。新聞もテレビも、危ないのは新
 聞社とかテレビ局というハードであって、ジャーナリズムとか、エンタティンメントを
 創造するソフト面では、まだまだ生き延びられる。これからは、メディアではなくコン
 テンツの時代だと思ってまちがいない。
・さらに、ネットで個人同士が直接結びつくようになったことから、仕事はメジャからマ
 イナにシフトする。大勢を一度に相手にして、商品を大量生産して儲けるという方向性
 は既に過去のものだ。少数の細かい需要を拾い集める、という商売が形になる。
・ジェネラルな仕事は、その組織の中で他の部署へ移されたり、頻繁に転勤があったりす
 る。そうやって、ジェネラルな経験をさせる、という意味もある。日本人は、変な平等
 意識のようなものに囚われているから、特別な立場に誰かを長く立たせることを避け、
 できるかぎりシェアしようとする。長く々部署にいると、馴れ合いも生じるし、不正も
 発覚しにくいので、交替させるメリットはある。しかし、そもそもそうやって人が入れ
 替えられるというのが、非常にジェネラルだということ。 
・ジェネラルな職種は、このように人の交換ができる。ということは、リストラされやす
 いという意味になる。そのかわり、他の会社でもすぐに働けるかもしれない。ある程度
 大きな会社になると、トップに上がるのはジェネラリストが多い。全体を把握している
 ことが要求されるからだろうか。
・スペシャリストは、その部署にとって、なくてはならない人材だから、その仕事がある
 かぎり、リストラされる心配はない。問題は、その人の跡継ぎを育成しなければならな
 いことで、企業にとってはこれが頭の痛い問題になる。だから、誰にでもできるように
 マニュアル化しようとして、コンピュータを使ってデジタル化する。そうやって、スペ
 シャルなものをテクノロジィで補おうとするのが最近の傾向で、これはやはり人間の仕
 事を減らす方向になる。それでも、マニュアル化できないよりマイナなものがあって、
 やはりスペシャルな人間というのは必要だろう。
・ある組織の中では、スペシャルなものをデジタル化しようとする。それがスペシャリス
 トの仕事になる。また、デジタル化を売り込もうとするようなビジネス(たとえばソフ
 ト開発など)では、ある程度メジャなものをさきにターゲットにするだろう。そうでな
 いと効率が悪い。これが、ジェネラルなものがデジタル化の対象になる、という理由だ。
・個人の商売はどんどんマイナになる。たとえば、今までの酒屋はいろいろな酒を揃えて
 いないと商売にならなかったが、これからはある特殊な酒だけを売ったほうが良く、ほ
 かの店にはないオリジナルなものに特化する。そのかわり、世界中を相手にして、その
 特別なものを売るようになる。
・これからは、店は一つあればよい。そこで何でもすべてが買えるのが理想だ。それがネ
 ット販売の常識になる。つまり、この店がすることは、手続きをすること、取引の信頼
 を保障することだけだ。あとは、スペシャルでマイナな個々の商売をいかに選択して統
 合するか、というシステムの問題になる。 
・僕は、最近とても不便なところへ引っ越したけれど、買い物は世界中からしている。ど
 こからでもあっという間に届く。近頃は、日本の国内なら送料無料というのも当たり前
 になったみたいだ。どうしてそんなことができるか、と考えたが、つまり、運送会社と
 いうのは、一つの荷物を運んでも十個の荷物を運んでも、あまり労力は変わらないから、
 荷物が増えれば増えるほど効率が高くなるということだろう。
・一般の人は、家から出かけないで、品物だけを運送業者が運ぶという方が効率が良い。
 店に出向くよりも、ネットで注文した方が楽だし、欲しいものがすぐ見つかる。という
 ことは、いくら品揃えを売り物にして巨大な店を構えていても、ネット販売にはかなわ
 ないということだ。したがって、どの業種でも、大型店はどんどん不要になるだろう。
 将来的にはきっとそうなる。
・ちなみに、田舎に住んでいると、どうしても自動車が必要だけれど、これだけなんでも
 ネットで買えるようになれば、その自動車もいらないのではないか、と思えてくる。ど
 うしても必要なときだけ、レンタカーをネットで注文して、自宅の前まで届けてもらえ
 ばよい。
・僕はまだ自分で車を運転しているけれど、年寄りになるとかなり危ない。早めに運転を
 諦めた方が安全だ。都会の人は、鉄道があるから便利にどこへでも行けるけれど、あれ
 も、歩く距離は相当なもので、やはり年寄りには難しい。
・仕事をする年寄りも多い。昔よりも高い年齢で働ける人が増えた。若者の仕事を奪って
 いるのではないか、という指摘もある。しかし、若者が働いて、年寄りは休んでいた方
 が良い、という理屈もないわけで、働ける人が働けば良い、というだけのことだと僕は
 思う。
・省エネルギィの観点からいえば、人口の増加を抑制し、できるだけ都心部に集まってい
 る方が効率が高い。子供をどんどん増やそうという希望も、また、田舎で悠々自適に暮
 らすという指向も、いずれも贅沢なものと考えた方が良い。
・趣味も生活も、どんどん個別化し、多様化して、みんなが同じことをしなくなる。それ
 が未来の基本だ。趣味や生活だけではない。しだいに思想や価値観もバラエティに富ん
 だものになっていくはずだ。
・商売というのは、破格に儲かるものと儲からないものがあるように見えるが、それは一
 時的なアンバランスにすぎない。儲かるものには人が集まって、やがてそれほど儲から
 なくなる。もうこの商売では儲からないとわかると、今まで儲かっていたことを宣伝し
 て、その商売自体を売ろうと考える。本当に儲かる商売ならば、ノウハウを公開したり、
 人を集めて指導したりしない。教えないこと、知られないことが、儲かる状態を続ける
 最善の策だからだ。したがって、この種の宣伝に踊らされないように気をつけた方が良
 いだろう。
・商品が売れて売れて困る、生産が追いつかないほどだ、というときには宣伝などしない。
 宣伝費を使う必要がない。そういうときには、次の商品を開発することに専念した方が
 得策だろう。もし商品の売れ行きが落ちてきて、品物が余っている状態ならば、これは
 宣伝する価値がある。値段を下げることも効果がある。したがって、「最近はよくこの
 宣伝を見るね」というものは、「売れていないのだな」と受け取ればまずまちがいない。
・どこかの観光地では村おこしのイベントがある、とニュースで伝えられていれば、その
 観光地がじり貧だということである。客が押し掛ける人気スポットだったら、そんなニ
 ュースは流れてこない。 
・この「広告」という商売も、もうこれからは縮小されるはずだ。これまで、あまりにも
 儲け過ぎた。「宣伝に金をかければ売れる」という幻想を作って広めていたのだが、少
 しずつ、「宣伝してもさほど売れないじゃないか」ということがわかってきた。ネット
 を使えば、個人でもかなりの宣伝ができるようにもなった。個人の商売であれば、それ
 ほど大勢を相手にする必要もない。今までだったら、店の前を通りかかった人にしか知
 ってもらえなかったものが、今は、捜している人の方からアプローチしてくる時代であ
 る。
・広告の中も、コンテンツを作る仕事は残るだろう。ようするに創造的な作業は、いつま
 でも機械化が難しく、人間によるスペシャルな仕事として、将来も存続する。もうこう
 いった仕事しか残らないのではないか、というのが未来のイメージである。
・きっと、「自分ができる」仕事というものを、多くの若者がもの凄く狭い範囲でしか見
 ていないだろう。それに加えて、「自分が好きになれそうな」仕事とか、「みんなが憧
 れそうな」仕事とか、「やりがいが見つけられそうな」仕事とか、気の遠くなるような
 遠い幻を追っているように見える。足許を見ず、望遠鏡を覗いて遠くばかり見ているか
 ら、オアシスだと思って喜んで行き着いても、その場に立つと周囲と同じ砂漠だったり
 するのである。

仕事の悩みや不安に答える
・「仕事は楽しいものだ」「仕事を好きにならなくてはいけない」という幻想を持ってい
 ると、ちょっとした些細なことが気になって、「なんとかしなければ気持ちが悪い」と
 悩んでしまう。僕が、相談を受けるものの多くは、これだった。
・つまり、苦労と賃金を比較するというよりは、理想と現実を比較しているのである。さ
 らに分析すると、その理想というのは、勝手に妄想していたものだし、また、現実とい
 うのも、よく観察されたものではなく、勝手に思い込んでいるものにすぎない。これで
 は、妄想と思う込みのギャップで悩んでいるようなものだ。夢と勘違いを比較している
 のと同じといえる。
・何故、辞めたり、部署を換わりたいと考えるか、その理由はほとんど一つである。いわ
 ゆる「人間関係」という問題だ。これ以外に、人間が抱える問題はないといっても良い
 くらいである。世の中の人というのは、とにかく人間関係以外では悩まないといっても
 過言ではない。
・ほとんどの問題は、実は「客観的なものの見方」の欠如から生じている。自分の悩みを
 もっと一般論として捉え、自分から切り離したうえで答えを出すことが、ときには重要
 となる。
・問題がどこにあるのかは明らかで、最初に抱いた希望や夢が、非現実的だったというこ
 と。希望を持って仕事に取り組むという幻想を持っていた。そんな希望や夢が誰にも必
 ずある、と思い込んでいたのだ。誰かが騙したというよりも、自分で自分を騙していた
 といえる。
・一生騙され続けている人も多い。会社の上層部には本当に、そうやって人生を切り抜け
 てきた人が沢山いるだろう。それでも、たまたま時代が良く、運も良く、見かけ上の成
 功を得た人もいる。
・「仕事に夢を持て」というその考え方は、貧しかった昔の価値観から来るものであって、
 誰にもいつでも常に正しいというわけではない。
・人生の生きがいを仕事の中に見つける必要はどこにもない。もちろん、仕事に見つける
 こともできるかもしれない。それと同じように、仕事以外にも見つけられる。好きなこ
 とをどこかで見つければ良い。
・仕事は一日の中でも沢山の割合を占めるから、その時間を少しでも楽しみたい、と考え
 るのは人情というもの。
・でも一方では、仕事をしているからこそ、自分の好きなことができる。「これを我慢す
 れば、あれができる、あれも買える、あそこへも行ける」と考えるしかない。「交換」
 をときどき思い出そう。仕事の基本は、その「交換」になる。
・仕事以外で、本当に楽しいこと、人生を捧げられるような対象を見つけたら、毎日が楽
 しくなるし、その毎日を支えるものとして、仕事だって楽しく思えるようになるだろう。
 一言で言えば、「楽しくてしかたがない、なんて仕事はない」である。
・人生の選択というのは、どちらが正しい、どちらが間違いという解答はない。同じこと
 を同条件で繰り返すことができないからだ。ああしておけば良かったとか、あれがいけ
 なかったという反省をしても、それらはこれkらの時間で別の形で取り戻すしかない。
 過去をやり直すことはできないのだ。
・仕事関係に限らないが、いわゆる「悩み相談」「人生相談」「進路相談」などにくる人
 の多くは、意気揚々とはしていない。どちらかといえば、落ち込んでいる状態だ。これ
 は当たり前のことで、そんな状況をかんとか改善したいから、他者に縋ったくるわけで
 ある。そして、気持ちが沈滞しているときには、理想的にというか、人情的にというか、
 ようするに、「励ましてもらいたい」という無意識の欲求が高まっている。
・相談と言いながら、何が良くて何が悪いのかという倫理や意見を聞きたいのではなく、
 ただ「頑張れ」「大丈夫だ」「君ならばできる」と応援してほしいのである。

人生と仕事の関係
・どうして今までは、仕事がそんな人生の重要な要素となっていたのか。一番の要因は
 「貧しさ」だと思う。貧しさにもいろいろな意味があるが、文字どおり生活に窮するよ
 うな状態のことだ。明日食べるものがない。どうやってこれから生きていくのか、とい
 う状況下では、生きていくことと仕事をすることが、ほとんど等価に扱われる。
・第二次世界大戦で無条件降伏した日本では、それまで国民が持っていた価値観が崩壊し
 てしまった。国のために生きる、天皇陛下のために命を捧げる、ということが「生きが
 い」だと信じていた人は数多い。もちろん、多くの日本人は、無条件降伏する日に初め
 て劣勢を知ったわけではない。どうもおかしいというくらいには考えたはずだ。これど
 も、周囲では大勢が亡くなり、毎日爆弾が落ちてくるような非常事態においては、個人
 的な楽しみに生きがいを見出すというようなライフスタイルは、とてもおおっぴらには
 できなかっただろう。
・戦争に負けたことで、日本人は大きな生きがいを取り上げられてしまった。このさき何
 のために生きていけば良いのか、と不安に思った人も多かっただろう。しかし、終戦の
 日から、もう爆弾は落ちてこなくなった。皆殺しにされると心配していたのに、アメリ
 カ人もそれほど怖くないことがわかった。少しずつ街は修復され、仕事ができるように
 なる。常に死を覚悟していた生活に比べれば、日々普通に仕事ができることは、どんで
 もない幸せだと感じられたはずだ。
・そうしているうちに、世界情勢が日本に味方して国内は好景気になった。死に物狂いと
 いうほどではないとしても、一所懸命になれるものが、まるで神様から与えられたよう
 に、前の前に現れた。それが仕事だったのだ。
・ビジネスマンは、「企業戦士」などと呼ばれた。仕事は戦いだ。戦争には負けたけれど、
 ビジネスでリベンジする、というようなモチベーションが確かに存在した。敗戦から、
 もうすぎ七十年になるから、戦前の教育を受けた人は、仕事のトップには残っていない
 だろう。しかし、親がそういう教育を受けたという世代になると、まだほとんど残って
 いる。
・仕事は戦いだ。男は戦士だ。戦うからには命懸けで臨むべきだ。それが人間の生き方で
 あって、そうでない者は、臆病者で怠け者で脱落者だ。生きていく資格はない。少し極
 端だが、そんな価値観である。
・企業にとっても、このような考えを持っている社員は、それこそ「戦力」としても頼も
 しい。たとえば、スポーツだってそうだ。「気合を入れろ」「気持ちの問題だ」「自分
 を信じていけ」というような精神論が、非常に広範囲にまかり通っている。
・勝ち負けがないものには、興味さえ示さない人もいる。賭け事が好きだとか、「あいつ
 をぎゃふんと言わせたい」とか、とにかく闘争心を煽って、物事に取り組もうとする、
 そういう時代だったのである。 
・学校というのは、そもそも軍隊を基本としたものだ。集団で生活し、規則を守り、同じ
 ことを同時にする。会社も軍隊型式の方が統制を取りやすい。命令に従う兵隊のような
 社員の方が迅速にプロジェクトを進めることができる。そういう戦士を育てるために、
 そもそも学校というものが作られた歴史がある。
・以前に比べれば、個人の自由を尊重する世の中になった。個人の尊厳を守ること、その
 理想は人類の合意なのだ。
・面接に臨む若者は、仕事に対してやる気があるところを見せる。「やりがいのある仕事
 がしたい」と言葉では語るだろう。しかし、そもそも、「やりがい」というものがどん
 な概念なのか、若者たちはまだ知らない。知らないのに、言葉だけでそう言って、気に
 入ってもらおうと振る舞っているだけなのだ。そして、振る舞いっているうちに、自分
 でも、言葉だけで「そういうものがあるはずだ」と信じ込んでしまう。
・これが、「仕事のやりがい」という幻想に関して生じる問題の根源だ。その言葉を使っ
 ているうちに、個人個人がそれぞれ、勝手に夢を見ているだけなのである。「やりがい」
 というのは、他者から「はい、これがあなたのやりがいですよ。楽しいですよ、やって
 ごらんなさい」と与えられるものではない。そんなやりがいはない、というくらいのこ
 とはわかるだろう。ところが、今の子供たちは、すべて親や学校から与えられて育って
 いる。ゲームもアニメも、他者から与えられたものだ。ほとんどの「楽しみ」がそうな
 のだから、「やりがい」もきっとそういうふうに誰かからもらえるものだと信じている。
・「やりがい」というのは、変な言葉である。たとえば、食べがいがある、といえば、そ
 れは簡単には食べられないもの、ボリュームのあるものを示す。「やりがい」に似た言
 葉で、「手応え」というものがある。これも同じで、簡単にはできない、少し抵抗を感
 じるときに使う。 
・手応えのある仕事というのは、簡単に終わらない、ちょっとした苦労がある仕事のこと
 である。同様に、やりがいのある仕事も、本来の意味は、やはり少々苦労が伴う仕事の
 ことだ。 
・本当に素晴らしい仕事というのは、最初からコンスタントに作業を進め、余裕を持って
 終わる、そういう「手応えのない」手順で完成されるものである。この方が仕上がりが
 良い、奇麗な仕事になる。ただ、こういう仕事ができるようになるためには、沢山の失
 敗をして、自分の知識なり技なりを蓄積し、誠実に精確に物事を進める姿勢を維持しな
 ければならない。さらに、時間に余裕があるときには、勉強をして、新しいものを取り
 入れ、これはなにかに活かせないか、ここはもう少し改善できないか、と常に自分の仕
 事を洗練させようとしていなければならない。この自己鍛錬にこそ、手応えがあり、や
 りがいがあるのだ。
・物事を成し遂げたり、小さな成功があったときに、すぐにお祝いをして、酒を飲んで、
 酔っぱらって大騒ぎをする。それが、仕事の楽しさ、やりがいだと勘違いをしている光
 景をよく見かける。こういう宴会では、みんなが笑顔になっているし、自分も楽しい思
 いができるかもしれない。そういう休息は、必要なものともいえる。しかし、それは仕
 事ではないし、ましてやりがいではない。甚だしい誤解だ。酒を飲んで酔っ払っている
 ときに、仕事のアイデアの一つでも浮かぶだろうか。人間関係が酒の席で築けるなんて
 言うけれど、酒の席で壊れた人間関係の方がずっと多い。
・おそらくは、戦後の成長期のビジネスマンたちは、こういったところでしか遊ぶことが
 できなかったのだろう。これが、彼らの趣味だったのだ。したがって、その趣味に人生
 のやりがいを見つけたというだけのこと。それを勘違いして、「これが男の仕事だ」と
 思い込んでしまい、それを後輩にも教えようとしている。そういう人がまだ残っている
 のである。   
・人生のやりがい、人生の楽しみというものは、人から与えられるものではない。どこか
 に既にあるものではない。自分で作るもの、育てるものだ。子供の頃にその育て方を見
 つけた人は運が良い。なかには、せっかく見つけたのに、大人や友人たちから、「そん
 なオタクな趣味はやめろ」と言われて、失ってしまった人もいるだろう。そう、やりが
 いとか楽しみというものは、得てしてこのように他者から妨害される。周囲が許してく
 れない、みんなが嫌な顔をする。もっと酷い場合には、迷惑だと言われてしまう。でも、
 自分はそれがやりたくてしかたがない。このときに受ける「抵抗感」こそが、「やりが
 い」である。その困難さを乗り越えることこそ、「楽しみ」の本質だと僕は思う。
・子供のときには、経済力がないし、場所も自由に使えないし、時間だって制約があるだ
 ろう。だから、やりたくてもできないことは多かった。でも、大人になったら、なんで
 もできるようになる。
・人気のある会社に就職し、人も羨む美形と結婚し、絵に描いたような家庭を築き、マイ
 ホームを購入して、という生活を送っている人でも、人生のやりがいを見つけられない
 人が沢山いる。
・最も大事なことは、人知れず、こっそりと自分で始めることである。人に自慢できたり、
 周りから褒められたりするものではない。自分のためにするものなのだから。
・やはり、現代人が最も取り憑かれているものは、他人の目だろう。これは言葉どおり、
 他人が実際に見ているわけではない。ただ自分で、自分がどう見られているかを気にし
 すぎているだけだ。 
・現代人は、この「仮想他者」「仮想周囲」のようなものを自分の中に作ってしまってい
 て、それに対して神経質になっている。そのために金を使い、高いものを着たり、人に
 自慢できることを無理にしようとする。いつも周囲で話題にできるものを探している。
 その方法でしか、自分がたのしめなくなっている。
・金を使えば、仮想他者の評価が一時的に手に入るかもしれない。実際には、そういう幻
 想を自分で抱くだけだ。そしてそのあには、無駄に使った金や時間おツケが待っている。
 そこで、自分はいったい何を楽しみに生きているのか、と気づくのである。
・僕が言いたいことは、自分の価値観で判断をすれば、収入が多かろうが少なかろうが、
 その中で充分に楽しめるということ。そして、もしどうしてもそれ以上のことをしたか
 ったら、別の仕事を始めれば良い、ということだけのことである。 
・そもそも僕は、誰かが楽しんでいるのを見て、あれがやりたいと思ったわけではない。
 僕には、同じ趣味の友達がほとんどいない。最近、少しできてきたけれど、自分の趣味
 でサークルに入ったりしたこともない。趣味というのは、友達を作るためのものではな
 いし、友達がいないと楽しめないものでもない。誰かと競うものでもないし、勝ち負け
 を争うものでもない。ただ、純粋に自分が楽しくてしかたがないのだから、それで充分
 なのである。
・作業の分担は、社会的に見てもいえることで、その人が向いている仕事をした方が、社
 会として効率が良い。やりたいことや、好きなことで選ぶよりも、自分に向いている仕
 事を選択する方が合理的だということだ。それが、社会のためにもなるし、ようするに
 社会貢献ということだと考えて良い。自分の好きなことばかり選んでいて、ちっとも仕
 事が上手くいかない、という人は、少し考えてみても良いだろう。
・「今の仕事がどうしても嫌で、とにかく死にたいくらい落ち込んでいる」という人は、
 その仕事を辞めれば良い、と僕は思う。実際に、そういう相談を受けたら、「辞めたら」
 と答えるだろう。仕事は辞めても取り返しがつく。もしこれが、「どうしても死にたい」
 という相談だったら、「もう少しあとにしたら」と答えるだろう。死ぬことは、取り返
 しがつかないからだ。 
・「希望する仕事に就けない」と悩んでいる人は、とりあえず、できる仕事をすれば良い
 と思う。バイトでも良い。どんな仕事でも、恥ずかしいことはない。恥ずかしいと自分
 で思っているから、悩んでしまうのだ。どんな仕事をしているかなんて、誰にも関係な
 いことだ。誰を意識して悩んでいるのか、と考えた方が良い。
・結局のところ、「どうだっていいじゃん」と自分に言ってあげられる人が、一人前の立
 派な社会人になれるのではないか。   
・「元気を出したら」なんて馬鹿なことは言わない。元気で解決できる問題というのは、
 そもそも大きな問題ではないからだ。そうではなく、「元気なんか無理に出さなくても
 良いから、ちょっと元気のある振りをして、ちょっと笑っていり振りをして、嫌々でも
 良いから仕事をしてみたら?それで金を稼いで、あとでその金を好きなことに使えば良
 い。それが君の人生かも」と言ったら、身も蓋もないだろうか。
   
あとがき
・現代の若者は、温かさ」まで人から与えられもらえるものだと期待している。なにもか
 も、自分に向かって訪れるものだと信じている。だから、そういうものが自分いやって
 こないと、相手が悪い、周囲が悪い、社会が悪い、国が悪い、経済が悪い、運が悪い、
 時代が悪いということになってしまう。  
・たとえそれらしい原因を見つけても、解決の方法を見出すことはできないだろう。自分
 のことならなんとかなるが、相手や周囲や社会や国や経済や運や時代は、自分の努力で
 は変えられないからだ。  
・情報化社会において人は、自分の思うとおりにならないのは、なんらかの情報を自分が
「知らない」せいだ、と解釈してしまう。必死になってネットを検索するのも、また、友
 達の話や、たまたま耳にしたことを簡単に信じてしまうのも、「知る」ことで問題が解
 決できると信じているせいだ。  
・検索できるものは、過去に存在した情報だけだ。知ることができるのも、既に存在して
 いる知見だけである。しかし、自分の問題を解決する方法は、自分で考え、模索し、新
 たに編み出さなければならないものなのである。  
・自分の生き方に関する問題は、どこかに解決策が書かれているはずがない。検索しても
 見つかるはずがない。どんなに同じような道に見えても、先輩の言葉が全面的に通用す
 るわけでもない。自分で生きながら、見つけるしかないのである。
・憲法というのは、現状がどうあれ、現実的に難しくあっても、とにかく理想を掲げたも
 のだ。その「精神の尊さ」を、まず人間は知らなければならない。たとえば、憲法に戦
 争放棄を謳っていても、実際には軍隊を持っている国もあるし、また、ずいぶん昔から
 人間は平等だという憲法を持っていたのに、つい最近まで人種差別があって奴隷制が認
 容されていた国もある。いうまでもなく、日本のアメリカだ。
・社会の判断は、民主主義だから多数決で決まるけれど、多数決であっても逆らってはい
 けないものが憲法である。憲法を書き換えるには、多数決以上の合意が必要なのだ。そ
 れが、「理想」であり、「精神」というものだろう。
・自分に対して、そういう理想や精神を持っている人はとても強い。周りがなんと言おう
 と、時代がどうであろうと、自分が正しいと決めた理想を守る。実現が難しくても、少
 しでもそこへ近づこうとする姿勢、それが「人の強さ」だろう。     
・なんとなく、意味もわからず、「仕事にやりがいを見つける生き方は素晴らしい」とい
 う言葉を、多くの人たちが、理想や精神だと勘違いしている。それは、ほとんどどこか
 の企業のコマーシャルの文句にすぎない。そんな下らないものに取り憑かれていること
 に気づき、もっと崇高な精神を、自分に対して掲げてほしい。それは、「人間の価値は
 そんなことで決まるものではない」という、とても単純な常識的な原則である。