ミカドの淑女 :林真理子

ミカドの淑女 (角川文庫) [ 林 真理子 ]
価格:748円(税込、送料無料) (2023/10/19時点)

成熟スイッチ (講談社現代新書) [ 林 真理子 ]
価格:924円(税込、送料無料) (2023/10/19時点)

私のこと、好きだった? (光文社文庫) [ 林真理子 ]
価格:712円(税込、送料無料) (2023/10/19時点)

ガラスの仮面(8) (白泉社文庫) [ 林真理子 ]
価格:770円(税込、送料無料) (2023/10/19時点)

年下の女友だち (集英社文庫) [ 林真理子 ]
価格:506円(税込、送料無料) (2023/10/19時点)

東京デザート物語 (集英社文庫) [ 林真理子 ]
価格:628円(税込、送料無料) (2023/10/19時点)

白蓮れんれん (中公文庫) [ 林真理子 ]
価格:838円(税込、送料無料) (2023/10/19時点)

綺麗な生活 (マガジンハウス文庫) [ 林真理子 ]
価格:611円(税込、送料無料) (2023/10/19時点)

美か、さもなくば死を (マガジンハウス文庫) [ 林真理子 ]
価格:586円(税込、送料無料) (2023/10/19時点)

素晴らしき家族旅行 上 (毎日文庫) [ 林真理子 ]
価格:748円(税込、送料無料) (2023/10/19時点)

素晴らしき家族旅行 下 (毎日文庫) [ 林真理子 ]
価格:726円(税込、送料無料) (2023/10/19時点)

花 (中公文庫) [ 林真理子 ]
価格:607円(税込、送料無料) (2023/10/19時点)

女はいつも四十雀 (光文社文庫) [ 林真理子 ]
価格:748円(税込、送料無料) (2023/10/19時点)

グラビアの夜 (集英社文庫) [ 林真理子 ]
価格:440円(税込、送料無料) (2023/10/19時点)

葡萄物語 (集英社文庫) [ 林真理子 ]
価格:594円(税込、送料無料) (2023/10/19時点)

美女の七光り (マガジンハウス文庫) [ 林真理子 ]
価格:559円(税込、送料無料) (2023/10/19時点)

死ぬほど好き (集英社文庫) [ 林真理子 ]
価格:495円(税込、送料無料) (2023/10/19時点)

美は惜しみなく奪う (マガジンハウス文庫) [ 林真理子 ]
価格:586円(税込、送料無料) (2023/10/19時点)

失恋カレンダー (集英社文庫) [ 林真理子 ]
価格:550円(税込、送料無料) (2023/10/19時点)

ウーマンズ・アイランド (マガジンハウス文庫) [ 林真理子 ]
価格:605円(税込、送料無料) (2023/10/19時点)

綴る女 評伝・宮尾登美子 (中公文庫 は45-7) [ 林真理子 ]
価格:770円(税込、送料無料) (2023/10/19時点)

美女に幸あり (マガジンハウス文庫) [ 林真理子 ]
価格:583円(税込、送料無料) (2023/10/19時点)

超恋愛 (マガジンハウス文庫) [ 林真理子 ]
価格:523円(税込、送料無料) (2023/10/19時点)

[

美女と呼ばないで (マガジンハウス文庫) [ 林真理子 ]
価格:611円(税込、送料無料) (2023/10/19時点)

地獄の沙汰も美女次第 (マガジンハウス文庫) [ 林真理子 ]
価格:586円(税込、送料無料) (2023/10/19時点)

男と女のキビ団子 恋愛小説 (ノン・ポシェット) [ 林真理子 ]
価格:618円(税込、送料無料) (2023/10/19時点)

いいこと考えた! 美女入門21 [ 林真理子 ]
価格:1,540円(税込、送料無料) (2023/10/19時点)

四十雀、跳べ! [ 林真理子 ]
価格:1,540円(税込、送料無料) (2023/10/19時点)

超恋愛 [ 林真理子 ]
価格:1,152円(税込、送料無料) (2023/10/19時点)

美女千里を走る [ 林真理子 ]
価格:1,320円(税込、送料無料) (2023/10/19時点)

美は惜しみなく奪う [ 林真理子 ]
価格:1,320円(税込、送料無料) (2023/10/19時点)

地獄の沙汰も美女次第 [ 林真理子 ]
価格:1,320円(税込、送料無料) (2023/10/19時点)

突然美女のごとく [ 林真理子 ]
価格:611円(税込、送料無料) (2023/10/19時点)

美か、さもなくば死を [ 林真理子 ]
価格:1,100円(税込、送料無料) (2023/10/19時点)

私のスフレ [ 林真理子 ]
価格:1,320円(税込、送料無料) (2023/10/19時点)

女の偏差値 [ 林真理子 ]
価格:699円(税込、送料無料) (2023/10/19時点)

女の偏差値 [ 林真理子 ]
価格:699円(税込、送料無料) (2023/10/19時点)

美女ステイホーム [ 林真理子 ]
価格:1,430円(税込、送料無料) (2023/10/19時点)

美を尽くして天命を待つ [ 林真理子 ]
価格:1,320円(税込、送料無料) (2023/10/19時点)

美女は何でも知っている [ 林真理子 ]
価格:1,100円(税込、送料無料) (2023/10/19時点)

我らがパラダイス [ 林真理子 ]
価格:1,980円(税込、送料無料) (2023/10/19時点)

美女は飽きない [ 林真理子 ]
価格:660円(税込、送料無料) (2023/10/19時点)

美女の魔界退治 [ 林真理子 ]
価格:1,449円(税込、送料無料) (2023/10/19時点)

女の七つの大罪 [ 林真理子 ]
価格:1,540円(税込、送料無料) (2023/10/19時点)

奇跡 [ 林 真理子 ]
価格:1,760円(税込、送料無料) (2023/10/19時点)

正妻 慶喜と美賀子(上) (講談社文庫) [ 林 真理子 ]
価格:748円(税込、送料無料) (2023/10/19時点)

正妻 慶喜と美賀子(下) (講談社文庫) [ 林 真理子 ]
価格:726円(税込、送料無料) (2023/10/19時点)

幸福御礼 (角川文庫) [ 林 真理子 ]
価格:858円(税込、送料無料) (2023/10/19時点)

食べるたびに、哀しくって・・ (角川文庫) [ 林 真理子 ]
価格:649円(税込、送料無料) (2023/10/19時点)

大原御幸 帯に生きた家族の物語 (講談社文庫) [ 林 真理子 ]
価格:682円(税込、送料無料) (2023/10/19時点)

本を読む女 (集英社文庫(日本)) [ 林 真理子 ]
価格:682円(税込、送料無料) (2023/10/19時点)

野ばら (文春文庫) [ 林 真理子 ]
価格:913円(税込、送料無料) (2023/10/19時点)

ミスキャスト (講談社文庫) [ 林 真理子 ]
価格:726円(税込、送料無料) (2023/10/19時点)

Hayashi Mariko Collection4 嫉妬 (ポプラ文庫 日本文...
価格:748円(税込、送料無料) (2023/10/19時点)

最終便に間に合えば新装版 (文春文庫) [ 林 真理子 ]
価格:660円(税込、送料無料) (2023/10/19時点)

不倫のオーラ (文春文庫) [ 林 真理子 ]
価格:682円(税込、送料無料) (2023/10/19時点)

過剰な二人 (講談社文庫) [ 林 真理子 ]
価格:682円(税込、送料無料) (2023/10/19時点)

西郷どん! 前編 (角川文庫) [ 林 真理子 ]
価格:748円(税込、送料無料) (2023/10/19時点)

女文士 (集英社文庫(日本)) [ 林 真理子 ]
価格:880円(税込、送料無料) (2023/10/19時点)

男と女の理不尽な愉しみ (集英社新書) [ 林 真理子 ]
価格:770円(税込、送料無料) (2023/10/19時点)

不機嫌な果実 (文春文庫) [ 林 真理子 ]
価格:737円(税込、送料無料) (2023/10/19時点)

結婚 (ポプラ文庫) [ 林 真理子 ]
価格:594円(税込、送料無料) (2023/10/19時点)

夜明けのM (文春文庫) [ 林 真理子 ]
価格:704円(税込、送料無料) (2023/10/19時点)

下衆の極み (文春文庫) [ 林 真理子 ]
価格:682円(税込、送料無料) (2023/10/19時点)

葡萄が目にしみる (角川文庫) [ 林 真理子 ]
価格:481円(税込、送料無料) (2023/10/19時点)

花探し (新潮文庫 新潮文庫) [ 林 真理子 ]
価格:781円(税込、送料無料) (2023/10/19時点)

みずうみの妻たち 上 (角川文庫) [ 林 真理子 ]
価格:748円(税込、送料無料) (2023/10/19時点)

みずうみの妻たち 下 (角川文庫) [ 林 真理子 ]
価格:748円(税込、送料無料) (2023/10/19時点)

野心のすすめ (講談社現代新書) [ 林 真理子 ]
価格:990円(税込、送料無料) (2023/10/19時点)

下流の宴 (文春文庫) [ 林 真理子 ]
価格:935円(税込、送料無料) (2023/10/19時点)

「美」も「才」も うぬぼれ00s (文春文庫) [ 林 真理子 ]
価格:682円(税込、送料無料) (2023/10/19時点)

秋の森の奇跡〔小学館文庫〕 [ 林 真理子 ]
価格:660円(税込、送料無料) (2023/10/19時点)

みんなの秘密 (講談社文庫) [ 林 真理子 ]
価格:671円(税込、送料無料) (2023/10/19時点)

愉楽にて (新潮文庫) [ 林 真理子 ]
価格:1,045円(税込、送料無料) (2023/10/19時点)

小説8050 [ 林 真理子 ]
価格:1,980円(税込、送料無料) (2023/10/19時点)

中年心得帳 [ 林 真理子 ]
価格:1,047円(税込、送料無料) (2023/10/19時点)

李王家の縁談 [ 林 真理子 ]
価格:1,760円(税込、送料無料) (2023/10/19時点)

妖婦下田歌子 「平民新聞」より
価格:2,750円(税込、送料無料) (2023/10/19時点)

凛として 近代日本女子教育の先駆者下田歌子 [ 仲俊二郎 ]
価格:1,650円(税込、送料無料) (2023/10/19時点)

新編 下田歌子著作集 女子の心得 [ 下田歌子 ]
価格:2,090円(税込、送料無料) (2023/10/19時点)

この本はいまから33年前の1990年に刊行されたものだ。
明治天皇を中心に据えて明治時代の宮廷の情景と、下田歌子という天才的な女性とそれを
取り巻く明治の男たちの典型的な男尊女卑の思想が皮肉を込めて描かれている。
明治の時代において下田歌子は、女性にとって”希望の星”であったのだろう。
もし下田歌子が男に生まれたならば、その才能にかなう男はいなかったに違いない。
明治の時代の男たちは、下田歌子の才能に嫉妬し、寄ってたかって引きずり下ろしたのだ。
下田歌子を「妖婦」と罵りながら、自分たちは何人もの芸妓と寝ても、それを当然のこと
としか思わないというその滑稽さに、明治時代の男たちはまったく気づかないのだ。
この物語は、天才的な才能を持つ下田歌子という女性が、明治という男の時代に流されて
ゆくという、女性たちの哀愁を描いたものかもしれない。
しかし、今の時代においても、この男尊女卑という思想は、すっかり消えてしまっている
わけではない。残念ながら今の時代においてもこの男尊女卑思想は、脈々と社会の根底に
流れている。そしてそれが、時折、そこかしこに顔を出しては女性たちから非難を浴びる。

ところでこの本の筆者は、昨年、アメリカンフットボール部などの不祥事が続く母校の日
本大学の改革を託されて、女性として初めて理事長に就任した。
しかし、その後も新たな不祥事が明らかになり、その手腕には懐疑的な見方も出ているよ
うだ。はたして筆者は、日大の男社会の中で、この作品の下田歌子のように、“令和の時
代の下田歌子”になってしまわないだろうかと、私はひそかに心配している。

過去に読んだ関連する本:
鹿鳴館貴婦人考
鹿鳴館の貴婦人 大山捨松
斗南藩(「朝敵」会津藩士たちの苦難の再起)


明治四十年二月二十三日
・これからご起床になるまでの長さを思うと、帝は大層憂鬱になられる。
 けれどもどうすることもできない。
 内裏の朝というのは、帝がお目覚めになる六時と決められているのだ。
 すべての女官の歯車が、その時から動き出す。
 お髪をとかす女、洗面のお湯を運ぶ女、そしてその女に仕える大勢の婢たちが、一分の
 狂いもないよう心を砕いている。
・そしてそういう仕組みをつくったのは、厳格な御気性で知られる帝自身なのだ。
 女たちのために帝はゆっくり目を閉じる。
 耐えがたいほどの寒さを、夢の中に塗り込めるためもあった。 
・その時、帝は女のしわぶきを聞いた。
 あたりをはばかるようなひそやかな音だったが、帝の耳ははっきりとそれをとらえた。
 「園祥子」権典侍だった。
 皇太子をおあげになった「柳原愛子」典侍は別格として、帝には現在権典侍という名の
 三人の愛妾がいらっしゃる。
 けれども御寝台の近くに侍って宿直するのは、最近では小倉文子か園祥子に限られてい
 た。
 今夜の当番である祥子は、こらえきれぬようにもう一度咳をする。
・この女も年をとったものだと、帝は祥子の顔をゆっくりと思いうかべられた。
 たっぷりとした黒髪と、やや皮肉そうな唇を持ったこの女官を、若い頃は大層可愛がら
 れたものだ。
 今のようにただ傍で休むのではなく、祥子は毎夜のように御寝台の上にあがった。
 御寵愛が深かった証しに、祥子は次々と八人の御子を生んだほどである。
・特に明治二十年の猷仁親王御誕生の時は、やっとお育ちになりそうだと宮廷中が喜んだ
 ものだ。 
 けれども翌年には、あっけなくお亡くなりになった。
 その後も御運は悪くて、明治十九年の静子内親王を含めると、四人の御子を失くされた
 ことになる。
 うまく育てば皇子の御生母さまと呼ばれた祥子のことを、帝はふと憐れにおぼしめした。
・幼い頃過ごした京都御所のありさまを、帝はお選びになる。
 お髪を稚児髷にし、縫いのお振袖というまるで姫君と同じ格好をなさったものだ。
 あの頃はお側近くに中山局が必ず控え、あれこれと帝のお世話をやいた。
 手習いの相手も、御生母さまが自らなさったのだ。
 薄い闇の中で思いをこらすと、中山局の濃い白粉のにおいが香ってくるような気さえす
 る。 
 その横には、墨を一心にする女官の室町清子、御乳人の梨木持子がいた。
・当時の宮廷は幕府によって不如意な生活を強いられていたが、それだからこそ、小人数
 ぴったり寄り添って生きていくようなところがあった。
 儲君と呼ばれた帝には、中山局以外に、たった四人しかお仕えする者がいなかったが、
 何の不自由もお感じにはならなかったものだ。
・それが今ではどうだろう。
 内裏には数えきれないほどの女がひしめいている。
 もっとも帝のお目につくところにいる高等女官の数は限られているが、それでも大変な
 人数だ。  
・帝は初めて御子を産んだ「葉室光子」の顔を思い出された。
 あれは明治六年のことだ。
 御誕生になった男の御子はその日にお亡くなりになった。
 二ヵ月後には「橋本夏子」が女の御子をおあげになったが、その方も同じで、内親王と
 称号がつかない間に薨去された。
・光子、夏子と青春時代を共にお過ごしになられた女性の顔を懐かしくおぼしめした時だ。
 帝の中に不意に浮かびあがってきて女がいた。
 やわらかい頬と、黒目がちの細い目を持ったひとりの女官だ。
・これはどうしたことだろうと、帝はいぶかしくお思いになる。
 彼女は光子や夏子と違い、純粋な女官であった。一度も寵を賜ったことがない。
 出仕したのも、三十五年も前のことである。
 その女がどうして、帝の朝の思いの中に登場してくるのか。
・ああ、そうであったかと、帝は深呼吸なさる。
 あれは十日ほど前の紀元節宴会であった。
 「伊藤博文」、「田中光顕」など高位高官が居並ぶ中、正四位の名士の彼女も臨席を許
 されていたのである。
・退出なさる時、帝はほんの一瞬であったが、最敬礼してお見送りする彼女に目をとめら
 れた。立衿のチュールレースがあまりにもたっぷりした量で、その年齢の女にはそぐわ
 ないような気がなされたのである。
・老いてくると、ささいな疑問や気にとめられたことが、心のどこかに巣くってしまう。
 そして本人も気づかないうちに、以外な大きさとなり、なにかの拍子にこぼれ落ちてく
 るものだ。
 彼女の顔が浮かんだのは、そのために違いない。
・「おひるでございます」
 祥子の声に、帝は頷かれる。
 絹羽二重の寝巻きの帝が半身を起こされると、それを合図に、祥子は「おひーる」、
 帝がお目覚めになられたと声をあげる。
 「高倉寿子」女官長や柳原愛子といった典侍のところにそれは真先に告げられる。
・身分の上下がすべてのお局の中では、ふれ言葉ひとつにも歴然とした違いがあった。
・侍医の拝診が終わると、祥子らの手によって帝は朝の身づくろいをお済ませになる。
・帝は毎朝牛乳入りのコーヒー、バターとジャムを塗ったパンをお召し上りになる。
 おからだがご立派なわりには、そうたくさんはお口に入れないのが、女官たちには残念
 だった。  
・この時、愛犬の花と六が走ってきて、帝の膝に手をかける。
 時々はお飲みになる牛乳をねだって、くうんくうんと鳴いたりする。
 帝にこのような不作法を働くのは、この者たちだけなのだが、帝は笑ってお許しになっ
 た。   
・帝の厳格な御気性はお年とともにますます強くなっていかれるようで、このあいだも御
 寝所の襖を開けにくる女官の時間が、何分か狂ったと叱られたばかりだ。
・御座所を右に出て、内謁見所に進もうとなさった帝は、ふと気が変わられてまっすぐに
 お歩きになった。
 廊下の片側は侍従の詰所や侍従の食堂が並んでいる。
 お若い頃は、ここにお気軽に姿を現して、側近たちと酒を召し上がったこともある。
・笑い声を突然お聞きになった。
 若々しいというより子どもじみたその声は実に遠慮なく、宮中では最もはばかれるよう
 な類のものであった。
 普通帝がいらっしゃる時刻に、こんなふうに不作法なことはしないものである。
・「下田歌子女史・・・」
 とその声のひとつは言った。
 「ご乱行で・・・」
 続く言葉も、宮廷には全くふさわしくないものであった。
 帝はドアをお開けになった。
 「どうしたのだ。そんなに笑って」
 予想どおり、岡崎泰光、「坊城俊良」らが中にいた。侍従職出仕のまだ十五、六の少年
 たちである。
 公卿の子弟である彼らは、ほんの子どもの時に出仕したので、多分やんちゃなところが
 残っている。  
 だが、突然帝がおでましになった驚きは彼らを完全に打ちのめしたようで、すぐにお答
 えすることもできず、かすかに震えているだけだ。
・帝は岡崎の持っているものに目をとめられた。
 新聞ということはすぐにわかったが、普段お読みになっているものとは、活字の感じが
 違っている。なにかひどく粗雑な紙質だった。
 そのまま打ち捨てておこうと思われたのだが、少年たちの発した言葉には、聞き捨てな
 らないものがあった。
 「下田歌子」「ご乱行」。
 少年たちは確かにそう言ったのだ。
・「それを見せよ」
 帝は言われた。
 手など出さなくともよい、帝がそうおっしゃたなら、それは絶対命令なのだ。
・「これは・・・」
 岡崎の声はかすれている。
 「これは下品なもので、聖上がご覧になるようなものではございません」
・「いいから、見せよ」
 平民新聞とあった。
 帝はたいていの新聞はご覧になっていたが、社会主義などという危険思想を唱えるこの
 種類のものに触れられるものは初めてだった。
・恐懼して頭を下げる少年たちをそのままに、帝は御座所にお戻りになった。
 消毒のにおいが全くしないその新聞は、ところどころに目新しい単語が並んでいる。
 その中でもひときわ目をひいたのは、「妖婦下田歌子!!」という文字であった。
・この名前を帝は感慨深くご覧になる。
 今日の明け方、あまりにも唐突にこの女のことを思い出した。
 それも何かの因縁だったのだろうかと、目をおこらしになった。
・帝のそれまでのご生涯において、これほど下品な文章は目にされたことがなかった。
 もの珍しさから、繰り返し読まれたほどだ。
 こんなものを宮廷の御座所近くに持ち込むのではないと、岡崎らを叱り、自らの手で破
 り捨てさせようと思われた。
 けれども、心にお残りになることがいくつもある。
 そこ列記された重臣たちの名前だ。
 伊藤博文と「山縣有朋」の名さえあるではないか。
・帝の前にあがると、どれほどの高官、将軍も緊張のためにからだが震える。
 けれども例外が四人だけいた。有栖川宮威仁親王と、乃木希典、そして伊藤博文と山縣
 有朋であった。 
・そんな彼らが、このようにけがらわしい新聞に下田歌子と情を通じたと書かれている。
 本当だろうか・・・。
・お怒りよりも、純粋な好奇心が起ったことに帝はご自分でも驚かれる。
 誰と誰が通じているなどという下世話な話は、帝がいちばん忌み嫌うものであったし、
 それより何よりお耳に入れる者もいない。
 だからこそ、一種新鮮なお気持ちがわく。
 もしかすると、自分が知らないところで、なにか大きな世界が繰りひろげられているの
 ではないか。
 いちばん低い世情というのは、こういうものをいうのであろうか。
・しばらく迷われた末、帝は他の新聞の間にこの平民新聞をはさんで、内裏にお持ちにな
 ったのである。  
・「お天狗さん」と帝があだ名をつけられた皇后は、細くて高い鼻をしておられた。
 透きとおるような肌で、日本の貴族が持つ典型的な切れ長の目をもっておられる。
 性格はご立派でお強い。
 もしかすると、他の面もおありになるかもしれないが、帝は女としての皇后に接しおら
 れない。つまり御寝所を共にされていないのだ。
 皇后は非常にきゃしゃな方でいらっしゃる。手首など大人の親指をみっつ合わせたぐら
 いしかおありにならない。
・「一条忠香」公が、お気に入りの側室にお生ませになった皇后は、幼い頃、滋賀の百姓
 のうちでお育ちになっていた。
 ご丈夫にお育て申し上げるためというのは体のいい言い訳で、あの頃の貴族はみんな貧
 しく、側室たちが生むたくさんの御子に、それほど金や手間はかけられてなかったのだ。
・しかし当時、富貴姫と申し上げた皇后は、ご利発なことは人々が驚くばかりで、一条公
 は手元にお置きになった後は、大層可愛がられ、自ら教育をお授けになった。
 このようにお小さい時にいろいろご苦労をされているので、皇后は人の気持ちをよく重
 んじられる。
 非の打ちどころがないほどご立派な女性なのだが、帝は未だかつてこの皇后を女性とし
 て愛したことがない。  
・明治と年号が変わった年の暮れ、十九歳で入内した皇后を初めてお抱きになった時、
 帝はこれはいけないとお思いになった。
 まるで子どものような体つきの皇后は、男性を受け入れるようにはできていないのだ。
 それ以来、帝は皇后に触れてはいない。
・御生母、中山局は帝におっしゃったことがある。
 「他の女をお側にお召しになる時は、皇后さんのつらい気持ちも十分にお考えになるの
 ですよ。それから相手の女性も、くれぐれも意向を重んじて、決して無理強いなさらな
 いように」
・帝は母君のこの教えを、最初のうちはかなり忠実にお守りになった。
 ところが、柳原愛子に対してはどうしてもと所望なさったのである。
・明治六年、御所が火事になったことがある。
 帝は、先の孝明天皇の皇后、英照皇太后がいらっしゃる大宮御所に一時お移りになった。
 そこで皇太后さまにお仕えしている愛子をお見染めになったのだ。
 すぐさま帝は皇太后にかけあって彼女をおもらいになった。
 美しいが、ややおっとりしすぎるきらいもある愛子が、その時どう答えたかは憶えては
 いらっしゃらない。
 多分、何も聞かなかったのだろうと帝は思い出す。
 母君のおっしゃった「相手の意向」など、考えもしなかったというのが正直なところだ。
・幕府がいわば軟禁状態のようにして決めた禁裏で、代々の帝がそうだったように、歌と
 蹴鞠を与えられて静かに生きのびていくのだと思われた時に、維新が始まったのだ。
 荒々しいときが終わり、気づいてみると万世を照らす大帝とも、神とも言われるように
 なった。
 怖いものなど何ひとつ無くなった時だ。
 その勢いで美しい女を何のためらいもなく手にお入れになった。
 意向などあったものではない。
 愛子の父の光愛は、娘を奪われたと怒り狂った。
・帝は目の前の皇后に、あの平民新聞とやらを見せたいような欲求にふとかられた。
 昨年正四位を授けられ、世の中でえらい女の代名詞のようにあげられる下田歌子、その
 女が妖婦と呼ばれ、伊藤博文らと何かあったように書きたてられている。
・そこことを告げたら、この怜悧な皇后は、どのようなことを言うだろうか。
 帝が気に入っておられる濃い眉はどのようにくもるのだろうか。
・帝がそれをおやめになったのは、女官もいる前で、はばかられるような言葉をおっちゃ
 りたくなかったのと、この妻がどれほどあの女を愛していたかよくご存知だったからで
 ある。
・帝はもちろん、皇后など高貴な人々は、あまり自分のお好みを言うことがない。
 ひとたびそれを口にすれば、人びとが奔走するのが目に見えるからだ。
・たくさんの女官を召しかかえる皇后は、そちらの方は特によくお考えになり、好悪の情
 は決してあらわになさらない。
 内裏の奥深く住まわれて、病院や展覧会に行啓なさる他は、外にお出かけになることも
 少なかった。 
・この皇后が、たったふたつだけ執着というものをお見せになったことがある。
 そのひとつが能であった。
 明治九年、岩倉具視公の邸にて、能をご覧になった皇后はそれからやみつきにおなりに
 なった。
・そして皇后の意外なほどおぼしめしを受けたもうひとつが、下田歌子という女性であっ
 た。
・彼女が出仕し始めた頃を、帝はほとんど憶えておられない。
 なぜなら歌子は、宮内省十五等出仕とよばれる、高等女官の中では最も下の地位だった
 からである。
・ご維新の際に、その頃帝が信を寄せておられた「西郷隆盛」は宮廷の改革に着手した。
 それによって幕末まで公卿の息女に限られていた高等女官の職も、いくらか士族の娘に
 開放するようになった。その一人が歌子だったのである。
・なんでも美濃の尊王で知られた家の娘だということだが、由緒ある家の娘たちに混じれ
 ば全く目立たない。
 帝が彼女に気づかれたのは、歌子が出仕して四ヵ月もたった頃だろうか。
 皇后のお側に、ふっくらした顔の若い娘が立っていると思われたのが最初だった。
・皇后が御題をお出しになった時、素晴らしい歌をすらすらとつくり、それからすっかり
 お気に入りになったという。
・「皇后さんは、あの者ばかりお可愛がりになる」
 という女官たちのささやきを聞く頃は、歌子はどこにでも御供するようになっていた。
・伝統的な厚化粧をした女官たちの中にあって、歌子のあっさりした化粧はかえって目を
 ひいた。
 きめこまかな肌をいかすような紅のさし方だ。
 なによりも声の出し方が違っている。
 御所言葉を喋る女官は、喉の奥で低く言葉をふるわすのが特徴だ。
 歌子ははずむように、「はい、はい」と声を出した。
・そんな彼女を皇后がどれほど好まれたかは、出仕して一年で「歌子」という名を賜った
 ことでもよくわかる。
 生涯歌の道に励めよというお言葉を聞いた時、歌子ははらはらと涙を落したという。
 だから彼女を他の女官たちが黙って見ているはずはなかった。
 呪術を使って皇后をたぶらかしただの、身分を省みず畏れ多いだの、女官たちは口々に
 怒りの言葉を吐いた。
・帝が驚かれたのは、皇后がこれらの言葉にいっさい耳をお貸しにならなかったことだ。
 おぼしめしひとつで生きている彼女たちだからこそ、女官はすべて平等に扱わなければ
 いけない。そうおっしゃり、帝の側室たちにもご配慮を忘れたことのない皇后が、歌子
 のことになるとむきになられた。
 かたくななまでに頻繁に歌子をお召しになり、お歌のお相手を命じたりなさる。
 御下賜品の衣装も歌子がいちばん多かった
・そしてさらに人々の目を見張らせたのは、出仕二年目の歌子に、御書物掛をおおせつけ
 たことだ。
 おそらく歌子の読書好きをお知りになっていたのだろう。
 聡明な若い女は、たちまちのうちに、宮内省図書寮の本を読破したらしいと人々は噂し
 合ったものだ。 
・同時に皇后は、帝との御進講の席にも彼女をお連れになった。
 当代一の国学者の「福羽美静」、漢学の「元田永孚」らが声高らかに講義を進める最中、
 歌子は目を伏せたままじっと後ろに侍っていた。
・まったく確かに利口な女だったと帝は記憶をたどる。
 よく余興に、歴史や伝説上の人物の名をあげ、それを御題として歌をつくらせると、内
 裏の女官たちなどもはや相手ではなかった。
・御進講の内容について、皇后がなにかおっしゃると、文字どおり間髪入れずにお答えす
 ることもできる。 
 幼い頃から御学問好きの皇后が、あれではなるほど、お側に置きたがるわけだと、当時
 の女官たちは口惜しさと嫉妬の混じったもの言いをしたものだ。
・日本女子教育界の重鎮といわれ、学習院のお役目をいただく自分が今日あるのは、皇后
 さまのおかげと歌子は常々言っている。それはそうに違いない。
 それにしてもあの当時の皇后のもの狂おしきは、いったい何だったのだろうかと帝はお
 思いになる。 
・葉室光子や橋本夏子に、次々に御子が生まれていた頃だ。
 歌子への異常なまでの御寵愛は、自分へのあてつけだったのだろうか。
 それとも淋しさをまぎらわすためだったのだろうか。
・帝はふとある不安にかられた。
 そしてつい皇后にこんな質問をしてみたくなられた。
 「美宮は、”乱行”という言葉を知っているか、”妖婦”はどうだ」
・多分皇后は知らないとおっしゃるだろう。
 その時の表情を思いうかべると、帝はなぜか胸はずむようなお気持ちになられた。
 明日も、あの子どもたちから新聞を取り上げてやろう。
 皇后からあれほど愛された女が、明日は妖婦となって登場する。
 そのことを皇后は全くご存知ない。
 帝はかすかに歓びに似た感情をお持ちになった。
  
二月二十七日
・柳掌侍こと小池道子は、朝食をとる前に、御内儀の方向に御黙礼を申し上げる。
 今日の彼女は皇后の朝食をお世話するため、あと小一時もしたら、永い百間廊下を渡っ
 てあちらに行かねばならなかった。
・道子はさっそく箸を取り上げ、塩昆布を咀嚼する。
 それは思っていたよりも塩辛くない。まるみのある塩加減はおそらく京都のものだろう。
 塩昆布に限らず宮中の女たちは、京都のものなら何でも有難がる。京都出身の者が大部
 分を占めているせいもあって、
 「東京のはおいしゅうない。京都のはこないとは違う」
 というのはよく聞く言葉だ。
・お下がり品だけでは飽き足らず、保存できるものや菓子は京都から取り寄せる者が多い
 が、水戸の出身である道子には縁遠い話だ。
・下級武士の娘に生まれた彼女は、幼い頃からどんな粗食でも不平なく口にした。
 同時に食べ物の話をするのはいちばん卑しいという躾も受けた。
 宮中にあがってもう二十年以上になるが、舌をぴちゃぴちゃ鳴らすようにして、やれ朝
 掘りの筍がどうの、加茂川の鮎がどうのと話す公卿の女たちに慣れることはできない。
・「旦那さん、ほな、おしまいを・・・」
 老女に促されて道子は立ちあがる。
 彼女を旦那さんと呼ぶのは、老女の一人と針女という名の侍女三人である。
・長屋風の局といっても、そのひとつひとつの間取りは大きく、それぞれ主人と家来とで
 構成されていた。 
 掌侍である道子の局は六部屋であるが、皇太子殿下の御生母さまの柳原愛子の局は八部
 屋と身分によって大きさも違う。
 主人と家来の湯殿や便所も別々で、局のひとつは小さな家ぐらいの広さはあるだろう。
・帝と皇后の前に立つ道子は、ふつうの人間ではない。
 清らかな上にも清らかにしなければならぬ。
 大奥では腰から上をお清、腰から下をお次という。
 衣裳の着替えを手伝う際に、針女たちはどんなことがあっても、じぶんお腰から下へ手
 をつけない。たとえ指の先でもだ。
 御内儀へ入る道子の衣裳に、針女のお次に触れた手がかかったりしたら大変なことにな
 る。ふだんそれほどやかましくない道子も、これは徹底させた。
・着替えの時は、道子も針女たちも気が張っているので間違いは起こさないが、危険なの
 は部屋でくつろぐ道子に侍ったりする時だ。
 ふつう正座して手を膝に置く時も、宮中の女だったら決して掌を下向きにしない。
 不浄なお次に触れぬよう、手の甲を下に向けてそっと置く。
 指はかばうように、内側に丸める。
 もしうっかりとこれを逆さまにしようものなら、道子の怒声がとんだ。
 叱られた針女はそのまま退出させられ、しばらくは道子の前に出ることができないほど
 だ。  
・帝が表御座所にいらっしゃる午前中、皇后は御座文庫の前にお座りになり、新聞や献本
 をお読みになる。
 御学問好きの方でいらっしゃるから、それは大層ご熱心だ。
 時々は御下問もある。
 若い女官たちはまごつくことがあったが、道子はすばやくお答えする。
 もともと歌を認められて宮中に入った道子であるから、この頃は皇后のお話相手になる
 ことが多い。
・煙管に火をおつけするのも道子の役目だ。
 帝の前では決してお吸いにならないが、皇后は大変な煙草好きでいらっしゃる。
 銀の煙管に火がつくと、美しい切れ長の目を細められ、いかにもおいし気に煙をお吸い
 になった。
・この方はおひとりでいらっしゃる時の方が、はるかにのびやかで楽しそうでいらっしゃ
 る。
 道子は時々そんなことを思うことがあるが、なんと畏れ多いことかと直ちにその考えを
 ふり払う。
 帝と皇后の御仲の睦まじくていらっしゃることは、一人とて国民の知らぬ者はなく、す
 べての人々は規範とも理想とも考えているのだ。
・そういえばと道子は思い出す。
 今日は遠縁の娘、晃子が訪ねてくることになっている。
 多少軽々しいところのある晃子は、内裏にあるものは何でも珍しがり喜ぶのだ。
・少女の頭の上で水色のリボンが揺れている。
 女学生にしては高価な繻子のリボンだ。
 そういえば道子がおととい読んだ新聞に、最近リボンが大流行だということが載ってい
 た。
・女官といえば世間知らずの代名詞のように言われるが、この程度のことは新聞で見知っ
 ているのだ。  
・道子がやや誇らしげにそれを告げると、晃子はくっくっと身をよじって笑う。
 学習院に通う彼女は、そろそろ縁談もある年頃だというのにすべてが子どもじみている。
 しょっちゅうこのお局を訪れるのも、無邪気な好奇心のためなのだ。
・局には面会所もあるのだが、親しい女性の客ならば中に通すこともできる。
 それをいいことに、つてを頼って見物にくる者もいるほどだ。
 晃子もいとどここを訪れて、どうやらやみつきになってしまったらしい。
 まるで源氏物語の世界のようだとはしゃいだ声を出す。
 事実、眼の前にいる老女は、白塗りの厚化粧に羽二重に緋の袴を履き、お掻取という名
 のおそろしく派手な袿を羽織っている。
 これが寛ぐ時の普段着などとはどうしても信じられない。
・世の中の女たちとはまるで格好が違っているのだ。
 明日、学校へ行ったらこのことを教えてやろうと晃子は決心する。
 華族でも政府高官でもない実業家の娘である彼女にとって、女官の伯母を持っていると
 いうことはかなり肩身が広くなることでもある。
・「もうこんなものつけたりできないんです」
 「ほう、なぜえ」
 「乃木将軍がお嫌いだからです。普段の生活でも華美なものは一切つけてはいけないっ
 ておっしゃるんです。とにかく質素を心がけなさいって・・・」
 そして晃子は思い切ったように顔を上げた。
 「でもいいんです。私たちも乃木将軍が大嫌いだから。学習院の生徒はみんなそうです
 わ。みんな乃木将軍が大嫌いなんです」
・少女の”大嫌い”という言葉は、きいんと部屋に響いた。
 この静かな局で、これほど強い言葉をはっきりと口にしたものは今まで誰もいなかった。
・晃子の話はさらに続く。
 この月の初め、乃木将軍が学習院院長に任命されたときの演説といったらなかったと。 
 女生徒を集めてさまざまな訓示をあたえている最中、彼は、「お父っつあん、おっ母さ
 ん」と口にしたのだ。
 これには少女たちは仰天した。
・それまで彼女たちが学習院女学部長の下田歌子からさんざん聞かされていたのは、だい
 いちに雅びということであった。たとえばそれは「お父さま、お母さま」と、三つ指を
 つく娘になることであったのだ。
・歌子は乃木の演説が一通り終わった後、演壇に立って凛としてこう言ったという。
 「ただいま乃木閣下は、お父っつあん、おっ母さんとおっしゃいましたが、閣下はまだ
 新任そうそうでいらっしゃるのでなにごとも御存知ないのです。これはやはり、お父さ
 ま、お母さまとおっしゃらなくてはいけませんよ」
 この一件が歌子と将軍との間に、いささか物議をかもしだしているという。
・なにしろこれほどおもしろい話というのは、めったにあるものではない。
 もともと乃木将軍というのは女官たちに人気がなかった。
 武骨な軍人気質そのままに、すべてに融通がきかない。
 それなのにことのほか帝が深くおぼし召しているのも女官たちには気に入らないのだ。
・反対に歌子への信頼や人望というのは大変なものがある。
 なにしろ歌子というのは、この宮中の出身なのだ。
 老いた女官の中には皮肉を言うものもいたが、士族出の元女官で正四位にのぼった女な
 ど、これからも現れるはずはない。
 おまけに学習院の生徒たちから慕われ、尊敬の的になっていることは貴族に連なる者な
 ら誰でも知っていることだ。
・「でも、この頃、おかしな噂がとんでいるのを、おばさま、ご存知?」
 晃子の顔にはあきらかにつよい躊躇の色があらわれた。
 だが言い出すまいかどうしようかと迷う口元は微笑にも似ていて、それは十五歳の少女
 にはまったく似つかわしくないものであった。
 それは道子にも憶えがある。
 帝の御寝台に昨夜誰があがったかをささやこうとする女官たちの唇と同じだ。
・一瞬道子は制しようとした。
 しかし突然起こった好奇心が彼女から言葉を失わせた。
 それを道子は少女の無頓着な早口のためだと思おうとする。
・「いま学習院では大変な騒ぎです。『平民新聞』というのに先生のことがいろいろ書か
 れているんですもの」 
・平民新聞と聞いて、さすがに道子は顔色を変えた。
 世にも怖ろしい危険分子たちの集まりだということしか知らないが、「平民」という語
 感だけで道子を身震いさせるには十分なものがある。
・水戸の士族の娘として生まれた道子が、有栖川宮にお仕えするようになったのは、ひと
 えに歌を続けたからであった。
 幼い頃から歌を詠み、娘時代には「高崎正風」の門を叩いた道子にとって、歌の道に精
 進することと生活の糧を得ることとの、二つがかなうことといったら、宮仕えしかなか
 ったのだ。 
 維新の混乱で結婚などとうにあきらめていた。
・しかし道子のこの思惑はまったく当人の知らぬところで大きな展開を見せる。
 有栖川妃が皇后にこうお話ししたのだった。
 私のところに素晴らしい才女がおります。
 和歌に秀れ人物もなかなかのものでございます。
 この女を宮中に御召しになってはいかがでしょうか。
 筋金入りの尊王派だった父や兄は名誉なことだと大層喜んだ。 
・道子の宮中奉仕が決まった頃に、歌子の夫が亡くなったのだ。
 四十九日の忌明けを待ち構えるようにして、皇后は再び歌子を御召し出しになった。
 道子が出仕する半年前のことだ。
・皇后の歌の御相手にと所望された道子であったが、出仕の時にはすでに歌子が復帰して
 いた。しかも宮中での彼女の地位は揺るぎないものになっていたのである。
・「春月」という御題のもとに、その昔歌子が読んだ二首は、皇后が絶賛され、それから
 思召しが深くなるきっかけになったものだ。
 しかし、今まで誰にも言ったことがないが、道子はいまひとつこれに感心しない。
 いかにも若い女がすらすら詠んだ軽みだけが目立つものではないか。
・けれどもその後も皇后は、歌子の詠むものはすべて深く頷かれた。
 歌子は小野小町の生まれ変わりじゃとおっしゃったとも聞く。
・ここまでなら、自分より十も年下で、寵が深い女に嫉妬しているのだと自分をいましめ
 ることもできたのだが、道子の不安はさらに大きく膨れていく。
 それは決して他言することも、自分の胸の内に繰り返すこともできない種類のものであ
 った。  
・帝があまりにも自分の歌を誉めてくださるのだ。
 どうにも不自然なものを道子は感じるようになった。
 たとえば女官たちに御題をお出しになる。
 歌子の歌をお誉めになるのは皇后だ。
 するときまって帝は道子の歌をお取り上げになる。
 たくさんの御言葉もくださる。
 まことに畏れ多いことであるが、そこに帝の意図を感じるようで道子は息苦しくなる。
 皇后があまりにも歌子に御執心あそばすので、それをおいさめするためだろうかと思っ
 たことも何度かあった。
 しかしそれよりも道子が感じたのは、帝は皇后のお気に召したものに逆らってみたいの
 ではないだろうか、その道具として、自分を使っているのではないだろうか、というこ
 とであった。
・ふと道子は思った。宮中では数少ない娘であったのに、どうして歌子と自分とは心を寄
 せあうことがなかったのだろうか。
 生い立ちの話など一度も聞いたことがない。
・歌子が友としていたのは、むしろ「税所敦子」であった。
 七年前に七十六で天寿を全うしたこの才女は、数々の秀歌を詠み、宮中の女官に新しい
 風を入れたことで知られているが、彼女もまた武士の娘であった。
 歌子と敦子は常にぴったりと寄り添い、まるで親子のようだと噂されたものだ。
・歌子は道子を決して疎んじていたわけではない。
 自分の方が高い地位であったにもかかわらず、年上の道子に礼をつくした。
 時々は歌を詠み合ったこともある。
 ただ道子と顔を合わせるといつもうっすらと笑った。
・しかし今思うと、あれはたしかに拒絶だったのだ。
 同じ士族出身だからといって、生い立ちが似ているからといって、どうして手を取り合
 わなければいけないのか、あの目はそう言っていた。
・そうだ、今ならわかる。
 あの女は宮中の歌の名手などというものではなく、もっと違うものを欲していたのだ。
 そうでなければどうしてあちらは正四位、こちらは老いさらばえた女官なのだろうか。
 
二月二十八日
・いま睦子が手にしているのは、一枚の紙だ。
 「平民新聞」と人々が怖れと興味をもって呼ぶそれを、もう睦子は何度か手にしている。
 十年前ドイツ留学から帰朝し、行政法を講義する猿橋正道は、兵器でこれをうちに持ち
 帰るのだ。
 書生にあたえるのが大半だが、テーブルの上に置いたままにすることも多い。
 女学校出の才媛の妻は、それを拾い読みすることもあったが、決してそのことを夫には
 言わなかった。
 なぜなら西欧の洗礼を受けたにもかかわらず、正道は女の知識欲などというものに、
 はなはだしい嫌悪を持っているからである。
・けれども今日は違っていた。
 夕近く本郷から帰ってきた正道は、フロックコートのかくしから、この新聞を妻に差し
 出したのである。なぜか上機嫌であった。
 「飛ぶ鳥を落とす勢いの下田歌子女史に向かって、まあ大層な喧嘩をふっかけたものだ」
 「まあ、下田先生がどうなさったのでござますか」
 彼女が師であったのは、もう二十年以上前であるが、未だに睦子はそのような言い方を
 した。
・「昨年だったか、おととしだったか、学習院統合の時に、下田女史は大きな人事をした
 だろう。確か教師を数十何人も辞めさせたはずだ。それで彼らの恨みをかったと、もっ
 ぱらの評判だが・・・」
 ほら、ご覧と夫はその紙を渡してくれたのであるが、もちろん睦子がすぐに目を通せる
 はずがない。
・女中の手を借りずに夫を着替えさせ、夕食の膳を整えなければならなかった。
 夫の気まぐれな優しさに甘えようものなら、後でめんどうなことになるというのを、長
 い結婚生活で知りぬいていたからだ。
・夕食に葡萄酒を半本空けた正道は、いつものように書斎に長居もせず、すぐに寝室に入
 ってしまった。  
 そしてその後、初めて睦子は新聞を手にしたのだ。
・まず「妖婦」という文字が飛び込んできた。
 それは平凡な家庭婦人である睦子にとって、めったに触れることのない文字だ。
 一息に読んだ。おいたわしいとつぶやく。
 けれど心の奥で、「やはり」と叫ぶ自分に睦子は気づいていた。
・あの下田猛雄という人は、本当にお気の毒な方だったと睦子は思う。
 睦子が下田歌子の私塾に入学したのは、明治十五年であったが、その頃はまだ下田猛雄
 は、庭を歩くほどの元気は残っていて、あれが下田歌子先生の夫かと、睦子たち少女は、
 障子の陰から盗み見をした。
 顔が浅黒くて背が驚くほど低い。
 とうてい下田歌子の夫になるべきではないというのが、塾に集う少女たちの一致した意
 見だった。
・「あの方は、先生が初めて純潔を捧げた方だから」
 というのだ。
 この意見は、たちまち少女たちのロマンティックな想像をかき立てた。
 ほとんどが政府高官の令嬢たちだから情報も早い。
 中には歌子と同郷の、大島健一中将の遠縁の娘がいて、やや頬を赤らめながらこんなこ
 とを告げた。  
 「これはまことに畏れ多い話でございますので、ここだけにしていただきたいのですが、
 先生が下田さまとお契りになったのは、宮中にお仕えしていた時と聞いております。
 それまではお手紙だけのやりとりだったようですが、先生がお宿下がりの折に・・・・
 だそうでございすよ」
・まあ、そんなことってあるのかしらと、少女たちは悲鳴のような声をあげた。
 嫁入り前の女が、しかも禁裏にお仕えする女が、こっそりと男と一夜を共にするなどと
 いうのは彼女たちのおよそ想像の外にある。
 しかも貞淑を自分たちに説いているのは、他ならぬ下田歌子その人ではないか。
・だが一筋の乱れもなく髪を結いあげ、きっちりと縮緬の昼夜帯を締めた歌子に、そんな
 甘やかな過去があるというのは、少女たちを安堵させた。
 あれほどご立派な先生も、やはり女でいらしたのだという思いは、安易なものだったか
 らこそ、なおさら彼女たちの中に強くわき起こる。睦子もその一人であった。

・ご維新の頃、睦子はまだ三つであった。
 つらく苦しい時代のことはほとんど記憶していない。
 ただ食卓の上のものが日に日に貧しくなり大層ひもじかったことと、父親が自分の前か
 ら姿を消し、抱きあげてくれることもなくなったことをかすかに憶えている。
 次に父親が睦子の目の前に現れた時、彼は長州の下級武士から内務省の役人となってい
 た。  
 同郷の「鳥尾小彌太」子爵のひきで、出世の手ごたえをつかみ始めていたのである。
 母や兄たちと一緒に睦子は上京し、本郷に居を構えることになった。
・それまで木綿のすり切れるような着物をまとっていた母親は「奥様」と呼ばれるように
 なり、睦子自身もリボンで飾られ、お嬢さまとして育つことになる。
 けれども時代のなごりはいたるところに残っており、父母は相変わらず固く炊いた麦飯
 が好物だった。女中や書生たちの前では東京言葉を使うが、家族だけになると、訛りの
 強い長州弁が飛びかった。
・維新によって思わぬ幸運をつかんだ睦子たち家族も、生活のそこかしこに遠い過去を懐
 かしむ風がある。
 下田先生もそうなのだと、睦子はひとりかすかに頷いた。
・帝の皇后のおぼし召し深く、新宮廷で大変な力を持った先生も、心のどこかで過ぎ去っ
 たものをいとしく思う気持ちが強かったのではあるまいか。
 だからこそ、幕末の体臭をむせかえるほど強く持った下田猛雄という男に惹かれていっ
 たに違いない。  
・あれだけの器量と才を持った女なら、どんな縁談もかなっただろう。
 現に朝敵、会津の娘である「山川捨松」でさえも、フランス帰りの「大山巌」陸軍卿に
 見染められ、嫁ぐそうではないか。
 ああもったいないことだと世間の人々は噂し合うが、睦子はそうは思わない。
 小耳にはさんだ二人のなりそめといい、歌子の夫への奉仕といい、それは十七歳の睦子
 の心を打つには十分なものなのだ。
・たとえ結婚前に、女官という身分でありながら男に肌を許しても構わないとさえ考える。
 そうした男女の結びつきこそ、睦子の理想とするものであった。
・あの頃歌子の結婚が不幸なものになるであろうという予感を、多くの者が持っていたの
 ではないだろうか。  
 宮中を去った歌子の元に、政府高官たちの令嬢のめんどうをみてくれという話がもちあ
 がったのである。  
・日本古来の婦徳を教えてくれ、しかも明治という時代の意味も、しっかり娘たちに把握
 させてくれる女。
 そう考えれば考えるほど、下田歌子という女は最適であった。
 舌をまくほどの才女でありながら、その教養は日本の伝統によって支えられている。
 しかも、老父母や夫に仕えるために宮中を辞している貞女だ。
 これほどのよさというのは、まさしく男たちの願うところであった。
・睦子が通う始めた頃、猛雄はすでに寝たり起きたりの生活をしていた。
 時勢に乗り遅れるというのはまことに彼のことで、妻のひきでどこかへ勤めようとは考
 えてもいなかったらしい。 
 東京市内の警察署に出張し、邏卒に剣法を教えるという方法で明治に適応しようとして
 いた猛雄だが、この新しい時代はとうてい馴染めないものであった。
・だから彼は飲んだ。酒は若い頃から飲み続けていたから自信があった。
 だが酒が精神の鬱屈と相乗効果を持つものだと彼は知らなかった。
 結婚してしばらしくして、猛雄は血を吐いた。胃癌の前兆である。
・睦子が、桃夭女塾に通っていた頃、歌子はまさに修羅場に立ち会っていた。
 そう広くもない家の中で、日々病が重くなる夫がふせっていた。
 その病室から廊下をいくつかへだてた日本座敷で、歌子は身分ある人々の娘を相手に講
 義を続ける。  
 睦子は今思い出しても感嘆するのであるが、歌子はそれをいとも軽やかに、淡々とやっ
 てのけたのだ。
・あれはもう、明治十七年と年が変わった頃だろうか。
 そうだ、間違いないと睦子はひとり頷く。
 寒い冬の日に、新しい女教師が紹介された時だからよく覚えている。
 「津田梅子」であった。
・今なら、あああの女子英学塾のと言う者も多いだろうが、あの頃は睦子とそう年も違わ
 ぬ若い娘であった。
 ひどく顔色が悪く、淋し気なその娘はかたことの日本語を使った。
 言葉が出てこず絶句することも多い。
 それでも英語の素晴らしさと、日本で初めての女子留学生という事実とが、少女たちを
 慎み深くさせた。
 年頃の娘たちは、彼女の「で、あるですね」などという日本語にも決して笑わなかった。
 
・冬が深くなるにつれ、猛雄の病室からいなり声が聞こえてくるようになった。
 それは教室となっている座敷にまで伝わってくる。
 まるで老人のようにしわがれた声だが、武術で鍛えた人だけに力はこもっていた。
 睦子だったら、とても居たたまれないと思うのだが、歌子は眉ひとつひそめるでもなく、
 「ごめんあそばせ」とすばやく立ちあがった。
・「看護婦さんがついていらっしゃるけど、気むずかしくいらして、先生でないと駄目な
 んですって」 
 後に残された少女たちは、そんなことをささやき合った。
 「お下の世話も、先生がなさるそうですよ」
 中の一人が、いかにも感にたえぬように言い、まあという叫び声があちこちで起こった。
・これほどの不幸の中にいても、歌子の心は躍っているように見える。
 夫の病さえも楽しんで、うきうきと忙しさの中に酔っているようなのだ。
 例えば先ほどの「ごめんあそばせ」と言う時の腰の浮かし方は、まるで祭りに呼ばれた
 時の小娘のようではないか。
・けれども、そんなことを考えたりしたのは、桃夭女塾の中で、おそらく睦子一人だった
 ろう。 
 他の少女たちは、時には涙ぐんで歌子の貞淑さを讃えた。
 そして皇后さまの寵を得た才女に教えを受けることの幸福を確かめ合うのだ。
・自分も彼女たちのように無邪気なままでいられたらどれほどよかっただろうかと睦子は
 唇を噛む。
 手本とも理想とも思っていた歌子と猛雄が実はそのような夫婦ではない。
 複雑で不思議な関係だと気づくのは、自分の身の不幸をわが指でなぞるような作業なの
 だ。  
・あの頃の自分はさぞ暗い目をした娘だったろうと睦子は思う。
 内務省の役人となった父は、出世の階段を勢いよく上り始めた。
 時を得て、その早さは小気味よいほどだった。
・そしてその頃から父は権力や金、何よりも自信によって好色さえ繁殖させていった。
 新橋の芸者を落籍させ、家を持たせたのは、睦子が桃夭女塾に入った年である。
 その後も父の無軌道ぶりは止むことなく、次の年には睦子と同じ年の小間使いに手を出
 した。 
 これにはたいていのことを耐えていた母も涙を流したものだ。
・相手の娘というのは、父の出身地である村か来ている。
 かなりの豪農の娘で、嫁入り前の行儀見習いとして小学校校長の推薦つきだったという。
 親に申し訳が立たないと泣き狂う母に父は居直った。一生涯めんどうをみるというのだ。
・それから家の離れが彼女の住まいとなった。
 妻妾同居である。
 明治初期のあの頃でも、それはかなり珍しかったのではないだろうか。
 妾を持つ男たちは多かったが、家の中に入れる男の話はあまり聞いたことがない。
・桃夭女塾に入った少女たちがまず驚かされることは、伊藤博文、山縣有朋など今をとき
 めく高官たちが足しげくここを訪れることだ。
 桃夭女塾がまだ名前もついていない頃、伊藤夫人や山縣夫人は歌子に教えを乞うたとい
 う。 
 だからその夫たちがここに来ることがあってもそれほど不思議ではない。
 特に伊藤博文については、政府の重要人物として、歌子に女子教育の今後を相談してい
 るのだという説がもっぱらだった。  
・塾生たちは伊藤閣下と歌子との交流を誇らし気に思っている。
 しかし、他の少女たちよりはるかに敏感な睦子は気づいてしまった。
 伊藤の歌子を見るそれは、父親が愛妾のお里を見る目と全く同じなのだ。
・普段の食事の時には、お里は姿を現さないが、正月や先祖の祥月の際などは、準家族と
 して扱われる。
 といっても家族と同じ場所ではなく、やや離れたところに膳はしつらえてあり、しかも
 父の給仕をしながらである。
 やい茶がぬるい、飯のよそい方が遅いと、父は家族の手前、文句ばかり言っているが、
 女を見る目は独得のものがあった。
・口では強がりを言っても、我執にも似た強い所有の優越感が、表情のいたるところにに
 じんている。 
 睦子はもちろん生娘であったが、こうした家庭で育ったせいか、男女の愛欲については
 耳ざとく、目ざといところがあった。
 自分が近づいていくと、会話をやめてしまう女中たちの動作がどれほどすばやくても、
 睦子は空気に残っている言葉の端々から、さまざまなものを嗅ぎとることができた。
・伊藤博文はもとより、その好漢ぶりが喧伝されている人物である。
 伊藤夫人が元芸者だったことはたいていの者が知っている。
・伊藤が座敷に入ってくると、少女たちはいっせいに頭を下げる。
 すると伊藤は、元々豪放磊落で知られる人だから、少女たちに気さくに声をかける。
 お前たちは立派な家庭夫人となり夫を助けるのだと言ったり、下田先生のような立派な
 女性に教わって果報者だなと、口にすることはたいてい決まっていた。
・そんな時、睦子は思わず歌子の方を盗み見する。
 歌子はかすかに微笑んでいた。
 それは決して得意なそれではない。どこか遠くを見ている。
 病室の方かと思ったが違っていた。
 その視線は障子越しに庭の緑をさしている。
・「下田先生は、伊藤閣下のことをお好きではないんだ」
 睦子は確信を持つ。
 ではそれならば伊藤の傍若無人の表情はどうしたことだろうか。
 睦子はここで混乱してしまうのだ。
・おかしなことに、伊藤が訪れている時は、猛雄の声は聞こえなかった。
 日に何度も届く「おおい」という哀し気な声は、ぴたりとやんだ。
 時の実力者の前に、病いも身をひそめているのだろうかと睦子は考えるのだった。
・冬がすぎ、春がきても猛雄は生き続けていた。
 もう病床から「おおい」という声は聞こえなくなった。
 お悪くなったのだろか。それとも気候がよくなって、体が持ち直したのだろうかと塾生
 たちは噂し合ったが、歌子の凛とした態度は質問を許さないものであった。
・五月のあの日のことを、睦子はよく憶えている。
 親戚の娘が婚礼をあげ、正式な披露宴の後で女たちだけの宴が張られたのだ。
 普段は夜間で出かけることは許されない睦子であったが、母親もいることでもあり夜遅
 く築地の邸を辞した。 
・あれは明石町の、外国人居留地のあたりだろうか、教会の三角屋根が、黒々としたポプ
 ラをつき刺すようにそびえている。
 それを俥の中から見ていた睦子は、あっと声を上げた。
 橋の上で通り過ぎた俥は確かに歌子のものだ。
 「ちょっと待って」
 車夫に声をかけて止めさせた。母親も幌の中から首を出している。
 「お母さま、いま、ご覧になった?」
 「ええ、下田先生のお俥でしたね」
 女がひとりで出歩く時間ではないこともあったが、遠ざかる歌子の俥は、いかにもあた
 りをはばかるように急ぎ足で、睦子は何度も振り返る。
・「こんなに遅く、どこへお出かけになるんでしょう。ご主人がお悪いというのに」
 その時、隣の俥の婆やと母親とが、奇妙な目くばせをしたのを、睦子は見逃さなかった。
 それは幼い時から、何十回、何百回と見ている目くばせであった。
・先生は男のところへ会いに行くのだ。それも相手は伊藤閣下だ。直感的に思った。  
 二人のことは世間ではかなりの噂になっているらしいことも初めて知った。
・猛雄が息をひきとったのは次の日の朝である。
 喪服に着替えた歌子は、塾生たちに次のような訓示を垂れた。
 「女というものは常に夫に先立たれる覚悟をしなければなりません。昔の武士の妻なら
 ば、後を追うことも美徳とされたでありましょうが、これからの女は家を守り、子を育
 て、死んだ人に対して貞淑を誓えばよいのです」
 中にはすすり泣く塾生もいたが、睦子はひとり、机の下でこぶしを握りしめていた。
・いまは四十すぎた睦子であるが、あの日のことを思うと新しい怒りがわく。
 そしてあの黒いつぶらな目をしていた猛雄を心から哀れだと思う。
 自分の妻の愛人が訪れている時、病床でどれほど歯を喰いしばって耐えていたのであろ
 うか。  
 妻が愛人のところへ会いに行っている間、猛雄は無念のうちに息をひきとったのだ。
・睦子は和紙の便箋を取り出した。
 宛名は平民新聞殿とした。
 「伊藤侯爵と歌子女史は、その昔も確かに関係がございました。当時のことをはっきり
 とおぼえております」 

三月三日
・今日が雛祭りだということを、藤公は桃のかおりで知った。
 どこで調達してきたのだろうか。今年はまだ少し早い桃の花を、妻の梅子は花瓶に山盛
 りに生けている。
 孫の愛子の初節句でもあった。
・賢夫人の誉高く、日頃はつつましい生活をおくっている梅子が、家族のこうした行事と
 なると惜しみなく金を出した。
 おそらく幼い自分に芸者に売られた梅子は、端午の節句や雛人形といったものにも憧れ
 続けていたのではあるまいかと藤公は思う。
 嫁の里からという慣習を無視してまで自分で整える。
・朝食の膳は粥に梅干しであった。
 今太閤と呼ばれる藤公であったが極めて粗食である。
 何度も洋行をしているにもかかわらず日本食を好み、肉などはまず食べない。
 ただひとつの贅沢は葉巻である。
・その葉巻をゆらしながら、藤公は別棟を出、洋館の方へ向かう。といってもたいした距
 離ではない。   
 そもそも滄浪閣自体が、壮大なお邸などというものからはほど遠いものであった。
 十二年前、この地に出現した洋館に、大磯の人々は目を見張ったものであるが、とてつ
 もない安普請だということは、誰の目にも次第にわかってきた。
・とはいうものの、一階の藤公の書斎はさすがに立派にしつらえてあった。
 伊藤博文の名前から藤公と呼ばれるこの部屋の主人は、藤の花をしるしの文様にとして
 使うことを好んだ。
・テーブルの上には、東京から運ばれてきた新聞類が積み重なっている。たいていのもの
 はその日にうちに届けられるが、中には一日遅れのものもあった。「平民新聞」もその
 ひとつである。
 政治家としてもちろん大きな情報源を持っていた。何人かの部下に命じて、自分に関す
 る記事はどんな小さなものも見逃さず収集させる。
 特に平民新聞は、「妖婦下田歌子」の連載が始まってからというもの、ずっと熱心に目
 を通していた。
・よくもまあ、これだけでたらめを書けるものだという思いだ。
 歌子は陸奥宗光、松方正義らとも関係を結び、井上毅の求婚を退けたとなっている。
 「平民新聞」といえば政府を攻撃する過激さで知られているが、この桃色加減はどうし
 たことであろうか。
・その気になりさえすれば、この連載を中止させることなど造作もないことであるが、公
 はもうしばらく様子を見てみようと決めていた。
 内容は政府の核心を突いたものではなく、女相手のらちもないものである。名前が出て
 くるがこの程度のものは、公にとって蚊に刺されたほどのこともない。
・公は決して頑迷な性格ではなかったが、世のほとんどの男と同じように、女などものの
 数に入れていないところがある。いとおしんだり庇護してやる対象ではあるが、同等の
 仲間意識など持つことなどありえない。
 ところが歌子だけは、振り払っても振り払ってもその感情は確かに公の中に存在してい
 るのだ。 
・歌子を利用したこともあるし、また利用されたこともある。いくつかの秘密も共有して
 いる。そして歌子は一介の下級女官から、正四位を授けられた身の上になっている。
 こうした関係は、他の男たちと全く同じであることを公は認めざるを得ない。
 だからこそ公は、歌子にほとんど抵抗できないのである。
・あれはもう三十年以上前のことだ。
 宮中の三十代の公と、二十歳になるかならないかの歌子は初めて出会ったのである。
 美濃の田舎から出てきた若い娘に、最初は何の興味も抱かなかった。
 あの若い女官はなかなかの器量だと、男たちが評定を上げることがあったが、公として
 は公卿出身の透きとおるような肌の女たちの方がはるかに好みにあった。
・しかしすぎに公は、歌子に注目せざるを得なくなる。
 皇后が異例とも思えるほどの深いご寵愛をお見せになったからだ。
 歌の道に励めよと歌子の名を賜られたり、どんな時にも歌子をお連れになるようになっ
 た。  
 上の方のおぼしめしが深くなれば当然のこととして、宮中に出入りする者たちは歌男を
 疎略には扱えない。
・あの頃、帝も皇后も若く、そして宮廷も若かった。
 革命直後の奔放な雰囲気の中、男たちは禁裏の女たちにも気軽に声をかけた。
 女たちも老女官の目を気にしながらもそれに答える。
 藤公が歌子のことを「この女、使える」と思ったのはその時である。
・ともかくずばぬけて頭がよい。幼い頃から植えつけられたらしい旧式な尊王の思想は、
 実利家の公には名なら感興を起こさないこのであったが、それより公を惹きつけたのは
 歌子の人間を読む深さである。
 瞬時のうちに相手が望むことを読みとり、それにかなうようにふるまうことができる。
 これこそ、「周旋屋」と陰口を叩かれながらも、政治の第一線に躍り出た藤公が最も大
 切にしている才能であった。
 「こんな世の中だ。男だったらいくらでも立身出世がかなったであろうに」
 と公はかえすがえす残念に思った。
・人間を読む力だけではない。志の高さ、言い替えれば本人も自覚していない野心という
 ものも歌子は身につけていて、男ならぜひとも部下にしたいほどの人材である。
・しかし、待てよと公は考えをめぐらす。
 歌子が女であったということは、この場合幸いなことではないだろうか。
 女だからこそ歌子は帝と皇后のお側にお仕えすることができ、後宮の奥深く住まうこと
 もできる。
・だからこそ公は歌子に賭けようと思った。
 宮中において若い彼女を恭しく扱い、さまざまな賛辞を投げかけることなど、公にとっ
 ては何でもないことであった。
 そんな公の心中に気づかぬ歌子ではない。何もまだ実行していないうちに、二人は共犯
 者のような笑みをかわすようになった。
 二人の仲が取り沙汰されるのは今に始まったことではない。明治十年代に入ろうとして
 いる、ずっと昔の頃からである。
・歌子が自分の好意を寄せてくれていたのは確かであるし、そもそも初めて関係を持った
 のは青山ではない。深川の料亭であったはずだ。
 寝なくてもよかったのであるが、ふとしたはずみから寝てしまった。
 それが当時の公の正直な気持ちである。
 寝ていない女というのは、公にとってどうにも居心地が悪い。
 歌子のことを大した女だと思い舌を巻くことがあったとしても、公のなかに尊敬や友情
 などという言葉は浮かんでこない。
 そういうものは男が男に対して抱くものであって、男が女に感じるものではないのだ。
・そもそも寝ていない女と、どうして長時間ゆっくり語ることができるだろうか。
 相談などということができるだろうか。
 だから手っ取り早くことを運ぶために、公は歌子と寝た。
 それだけのことだ。
 二人の関係は歌子が宮中を退いてからで、それもほんの数回にしかすぎない。

・女官時代の歌子に、公は肉欲を感じたことはない。
 何より皇后という方がいらっしゃったし、あの頃の歌子は聡明さがむき出しになってい
 る感じで、色気などとはほど遠かった。
 公にとって、いつかは使おうと思うサイコロのような存在といっていい。
・ところが公自身も力を得て、これから歌子を宮中の中で盛り立ててやろうと思った明治
 十二年、歌子は突然結婚すると言い出したのだ。
 裏切られたような感情が胸をかすめたものの、まだまだ伊藤が歌子を見捨てなかったの
 は、皇后が非常に歌子の辞去を惜しまれていたと聞いたからである。
 それに結婚相手は貧しい剣客という。
 どうせ長くは続くまい、もし離縁ということになっても歌子ならいくらでも使い道はあ
 る。
・その頃、公は帝、皇后両殿下から、わが国の女子教育というものについて御下問を受け
 ていた。
 早急になんとかいたしましょうと答えながら、公は歌子のことを思い浮かべた。
 あの女なら役立つかもしれぬ。
 つまらぬ男に嫁いだりせず、もう一度こちらに戻って来いといらだつような思いになっ
 たものである。
・ところが事態はかたちを変えて、次第に公の思惑どおりにかたちを整えていく。
 離縁どころか、歌子の夫は死病にとりつかれていくのだ。そして歌子は公に抱かれる。
・公の色好みはあまりにも有名であるが、公にも言い分がある。
 決してこちらが無理強いしたことはない。
 女たちが向こうから近づいてくるのである。
 馬丁百姓の顔とさんざん言われる公であるが、若い頃は持ち前の愛敬とまめな行いでか
 なりもてたものだ。 
 壮年となってからは公の権力に惹かれて、女たちは秋波を送ってくる。
 自分は女たちの願いをかなえてやっているだけだ。
・宮中に居た時分は皇后に畏れ多くてそんなことは到底できなかったが、いま女盛りの歌
 子は、なるほど熟れ時である。
 たまに桃夭女塾を訪れると、何かの拍子に目が会うことがある。
 結婚してから頬のふくらみが取れたが、かえって美しいうりざね顔になった。
 大きくはないが黒目がちな瞳は公に媚びているようにも、何かを訴えているようにも見
 える。それは今まで何十回と公が女たちから目にしてきたものである。
・試しに誘ったところ素直に料亭にやってきた。
 食事が終わりかけた頃、手首を掴んでもそう抵抗しなかった。
 隣りの部屋の襖を開ける。
 女将に言い含めておいたとおり、絹布団がふたつ並べて敷かれてあった・・・。
・公が歌子とそう馴じまなかったことに深い理由はない。
 抱いてみてひどくつまらなかったからである。
 もろより素人の女であるから、男を喜ばす技など持っているはずはない。
 それを差し引いても、公はかなり興醒めした。
 水揚げをしてやる生娘でも、男の首に手をまわしたり、せつなそうに鼻をならすやわら
 かさは持っている。
 ところが人妻の歌子は淡々と男にからだを預けるのみなのだ。
 夫に抱かれたことが何回もないのではないかと公は訝しく思ったものだ。
・それでもただ一度きりにしなかったのは、公の優しさというものであった。
 宮廷を退き、夫が病いという苦境に立っている女に、なんらかの誠意を見せなければ寝
 覚めが悪い。最後の方は同衾するよりも、あれこれ語り合って励ますことの方が多くな
 った。 
・そう案じることはない。そのうちに儂がなんとかいいように考えてやろうと公が言うと、
 歌子はありがとうございますと繰り返す。
 そして、その後で、いつかは桃夭女塾を拡げ日本の女子教育のためにつくしたいと力を
 込めて話すのだ。
 なまめかしい密室で、国家の、わが国においてはと真顔で言う女を公は初めて見た。
・歌子は公の中の引き出しにどうにも分類できない女であった。
 寝てみたが変化が起きるわけでもない。
 だからこそ公はますますいらだち、歌子のために尽力してやる結果になった。
 それがもう二十年以上続いている。
・明治十七年、寡婦となった歌子を、再び宮中に戻れるようにしたのもそのひとつだ。
 もちろん皇后のおぼし召しもあったが、本格化した華族女学校設立案と歌子を結びつけ
 るようにしたのは公の力である。  
・辞令が下りた日は、夫の四十九日であったから、五十日前まで歌子は寝たきりの夫に仕
 える不遇な妻だったということになる。
 それがあっという間に人目をそばたてるほどの大出世だ。
 もちろんこの異例の人事にさまざまな噂がたったが公は素知らぬふりをした。
・女は好きであるが女に溺れることはない。
 寝た女と、仕事をさせたい女とはまったく別ものである。
 歌子の場合はたまたまそれが重なっただけであるが、どれほどのことがあろうか。
・だいいちまわりを見渡しても、歌子ほどの女はいないのだ。
 女子を教えるということは桃夭女塾で立証済みである。
 時々訪れて公は観察していたが、歌子の立ち振る舞いは非の打ちどころがないものであ
 った。  
 男だったら政治家にしたいと思う歌子であったが、この女はむしろ生まれつきの教育者
 かもしれんと公は思うようになった。
・明治十八年に華族女学校は開校される。
 昨三十九年に学習院に統合されるまで、それは歌子のものであった。
 「教授兼学監」として彼女は奮闘する。 
 いくつかの講義と受け持ち、自ら教科書も書いた。
 中でも人々を驚かせたのは、袴の発明であろうか。
 この袴は最初の頃大層もの珍しがられたが、明治四十年の現在では、日本全国どこの女
 学生もこのかたちの袴を身につけている。
・全く大した女だと、公は歌子の成功を素直に喜んだ。
 もとより素直な人柄の公は、歌子が華族女学校の重要人物になるにつれ、関係をすっぱ
 りと断っていたのである。
 そればかりではない。二人きりで談話の機会を持つことがあっても、そのことはほのめ
 かしもしなかった。同じ目的を持つ協力者として意見を交わすのみだ。
 こういう男と女の関係は公にとって極めて新鮮なものである。
 ところが、この均衡を破ったのは、なんと歌子の方だったのである。
・「飯野吉三郎」という男の名前を聞いたのは、いったいいつ頃であっただろうか。
 歌子と同じ美濃の岩村町の出身で、今は青山隠田に住む祈祷師である。
 二年ほど前、公は歌子のたっての願いでこの男と一度会ったことがある。
・上京して小学校の教師をしていたというのだが、ある日すめらぎの道に目覚め、皇室の
 繁栄ひいては日本国のために立ちあがる決心をしたという。
 天照大神を祀り、霊筆をしたためるこの男を、公は最初からうんさんくさいものとして
 見た。   
 公は昔から占いや神がかりといった類のものを嫌悪していたからである。
・「この方は日露戦争の勝利を予言していたのです」
 歌子の口からそんな言葉が出た。その後も彼女は熱っぽく喋り続ける。
 早口になる歌子の顔は、熱っぽい艶を持っていて、この女は幾つになったのだろうかと
 公はふと思いをめぐらす。
 初めて関係を持った頃、確か二十七か二十八のはずだったから、かれこれ五十近くなる
 のであろう。 
 そんな年齢の女が、自分よりはるかに年下の男の手柄をこんなふうに喋る。
 二人の関係はおのずとわかるというものだ。
・「あの男は、下田教授の情人なのか」
 ひと足先に飯野が帰った後、公はふざけてそんなことを尋ねた。
 すると「はい」とまったく悪びれずに歌子は答えた。
 「あの方はわたくしにとって神さまのような方ですわ。日本を救ってくださる本当に素
 晴らしいお方です」 
・「わたくしは早くから寡婦となりましたので、これでもたくさんの誘惑がございました。
 たいていの男の方は、これこれのことをしてやるから言うことを聞けとおっしゃりまし
 た。私はそんな言い方が我慢できず一度もいうことを聞いたことはございません。あの
 方はわたしくに、これこれのことをしてやるとはおっしゃらない初めてのお方です。そ
 れどころかお威張りになって、これこれのことをせよとおっしゃるのです」
・これは体を許した男にだけ通じる皮肉というものである。
 藤公にそれをさりげなく口にする歌子にはもちろん目的があった。
 「あの方を引き立ててあげてくださいまし」
 歌子は言った。
・これは無視しようとすればできないことのない相談ごとであった。
 事実この二年間というもの、公は飯野のために何ひとつしてやっていない。
 しかし最近になってまた執拗となった歌子の願いを、きっぱり断わるのは公にとってあ
 まり気のすすまない仕事であった。  
 断るからには理由をあれこれ並べたてなければならない。
 飯野がどういう男かはっきり立証しなければ歌子という女は納得しないであろう。
・とにかく彼女があの男に深入りすることをさせてはならないのだ。 
 すぐにでも人を使って飯野のことを調べさせよう。
 ひどく焦っている自分に公は気づいた。
 あの女にどうしてここまでしてやらねばならぬのか。
 公はいつも自分に問いかけ、そしていつも答えが出せないでいた。
 
三月七日
・「親愛なる梅・・・」
 大山侯爵夫人は、ペンを走らせた。
 それはひらがなと英語が混じった、はなはだ奇妙な手紙であった。
・夫人よりも日本語に苦しんでいるのは、手紙の相手、「津田梅子」で、彼女はいまだに
 こみ入った会話になると英語が飛び出してくる。
 慣れない日本語を使い、本人に言わせると「理解するのに非常に骨が折れる」日本人を
 相手に奮闘してきたこの何年間は、どうやら梅子の健康を蝕んでいたらしい。
 女子英学塾がやっと軌道に乗り始めた頃から、梅子は不眠とぜんそくに悩まされるよう
 になった。 
 夫人の勧めに従って、古巣のアメリカに旅立ったのは、今年の一月のことである。
・女子英学塾同窓会会長として、あるいは校資募集委員会会長として、大山夫人に対する
 生徒たちの人気は大変なものがあった。
 日露戦争の凱旋司令官の妻という立場でありながら、夫人には尊大なところがまったく
 ない。 
 持ち前の行動力ですばやく人びとを組織し、女子英学塾の発展のために力を尽くしてい
 るさまは、素直に生徒たちの胸をうった。
・そのうえ夫人の美しさといったらどうだろう。
 「大山捨松」という名は、昔からハイカラ美人のように言われてきたが、中年をすぎた
 今でも衰えてはいない。
 西洋女のような背の高さと姿勢のよさがまず目立つ。
 額にカールをたらした独得の髪型も華やかな顔を引き立てていて、若い娘たちは夫人の
 姿を見かけるたびにため息をついた。
・「久子の結婚生活も、非常にうまくいっています。彼らは聡明なうえに愛し合っている
 ので、私は何も心配していませんが、予想以上の成果があがっている様をみるのは、喜
 ばしいことです」  
 昨年の暮れに式を挙げたばかりの四女の消息も夫人は記す。
 母親譲りの素晴らしい美貌と聡明さを持った彼女は、若い男爵と幸せな結婚生活をおく
 っている。
 梅子相手だと、日本独得の「謙遜」や、もってまわった言いまわしをせずに、家族のこ
 とを伝えることができた。
・「このことをあなたにお知らせしていいものかどうか、私はとても悩みました」
 ここから完璧な横文字に変わる。
 若い頃から、人に知られたくない会話や手紙をしたためる時は、英語を使うというのが
 夫人と梅子との間にいつのまにか出来上がったならわしである。
 「私があの方を中傷したり、あの方の不幸をよろこんでいるなどとは、どうぞ思わない
 できださい。いま日本では、ちょっとした出来事が世間の話題になっています。特に彼
 女をよく知る人々の間では、この噂がもちきりです。私は最初、全く知らなかったので
 すがイワオが新聞を持ってきて私に見せてくれました。イワkは、私とあの方がとても
 親しいとなぜか信じ込んでいるのです。
 そこに書かれている文章は、例によって象形文字のような日本語で書かれていたので、
 私はほとんど読むことができませんでした。イワオが私のために読んでくれたのですが、
 その途中、私は何度か”神さま”とつぶやきました。そんなものを楽し気に読む夫さえ
 厭わしくなったといったら、どういう内容かあなたにもおわかりいただけるでしょう」
・苦しんでいるのは梅子だけではない。
 二十数年前のあの頃、自分とて行き場のない焦りと悲しみに眠れない夜が続いた。
 十年間のアメリカ留学から帰ってきた夫人は、すぐさま自分が「おんな浦島」というこ
 とに気づき、呆然としたものだ。
 女子留学生を送り込んだ開拓使制度などすでになく、政府の間でも冷ややかな空気が漂
 っていた。 
 男なら帰朝者というだけで、いたるところから引く手あまただというのに、女の学士さ
 まともなると誰もがおじけづく。
・政府高官との結婚は、いってみれば捨松夫人が考え抜いた末の「国家のための就職」だ
 ったのである。   
 あの時、梅子は、目にいっぱい涙をためて言ったものだ。
 「ステマツは本当にあの方を愛しているのですか。ステマツには、他にふさわしい男性
 がいっぱいいるはずです。こんな結婚を神がお許しになるはずがありません」
・確かに大山巌はずんぐりした中年男だった。
 十八歳も年上で、しかも三人の娘がいるやもめだ。
 そんな男性を愛することができるのかと詰問されて、こちらも涙ぐんでしまった若い日
 を捨松夫人は思い出す。
・だがこの結婚は、考えていた以上の幸福を夫人にもたらした。
 武骨な外見からは想像もできないような繊細さを大山は持っていたのだ。
 彼は、若く美しく、しかも日本で望む限る最高の知性と教養を持ったこの妻をこよなく
 慈しんだ。  
 フランス留学経験によって、女性をどう扱うべきかをきちんと知っていた男だったのだ。
・そのうえ当時、参議であり陸軍卿であった彼は権力と富を手にしていた。
 捨松夫人はつくづくわかったのである。
 この日本において夫の地位は、そのまま附属物である妻の地位なのである。
 そしてはからずも夫の名声は、捨松夫人に大きな翼を与えてくれた。
 現金なもので時の政府は、職を得ようと努力する独身の「山川捨松」には見向きもしな
 かったというのに、「大山巌夫人」にはしきりに熱い視線を送ってくる。
・やれ皇后に海外事情をご説明せよ、あるいは通訳をせよというたびたびの申し出があっ
 た後、捨松夫人は宮内卿伊藤博文から次のような相談を受けた。
 「わが国の女子教育の発展のため、宮内省直轄の女学校をつくりたい。そのために力を
 貸してもらいたい」
・その頃、夫がヨーロッパ視察旅行に出かけていて留守中であること、また自身も妊娠し
 ていることを打ち明け、捨松夫人は即座に辞退した。
・伊藤博文は時の権力者であると同時に、捨松夫人にとって数少ない”昔なじみ”である。
 夫人が十二歳で渡米した時、伊藤も使節団の一員として同じ船に乗っていた。
 その縁で帰国後も、なにくれとなく捨松夫人や梅子のことを気づかってくれた人間であ
 る。 
・日本の女子教育のために働く。
 それこそ自分がずっと考えていたことではないか。
 この国の女性の地位の低さは、目を蔽いたくなるほどだが、いずれは自分が救ってやる
 ことができるかもしれぬ。
 こうして夫人は女学校設立のための準備委員を拝任した。
 この委員はもう一人いて、それは下田梅子という女性だと、伊藤博文は夫人に告げた。
・捨松夫人が華族女学校設立の準備委員だったと今は知る者はほとんどいない。
 華族女学校といえば下田歌子、下田歌子といえば華族女学校と、あまりにも彼女の印象
 が強いからであろう。 
・だが当時、夫人は歌子と一緒にさまざまな会議にも出席した。
 いくつかの意見書をつくったこともある。
 だからこの「平民新聞」の記事がいかにでたらめかということは知っているつもりだ。
・「どうして私はあんなに鈍感だったんでしょう。どうして梅の悩みを推しはかっている
 ことができなかったのでしょう」
 「あなたが何も言わなかったことに対し、私はもっと頭を働かさなければいけなかった
 のです」
・下田歌子という女性の名前はもちろん知っていた。
 当代きっての才媛ということ以上に、捨松夫人とはもっとも深いかかわりがあった。
 親友梅子は、彼女の私塾に英語教師として一時期身を寄せていたからだ。
・帰国した当時、梅子の身の上の頼りなさは、とうてい捨松夫人の比ではなかった。
 十二歳という一応もの心ついてから渡米した夫人と違い、幼くして祖国を離れた梅子は、
 ほとんど日本語が喋れなかったのだ。
 そんな梅子を案じて、伊藤博文公は梅子を桃夭女塾に紹介した。
・梅子は英語を教え始めたのだが、そこでのおとはいっさい捨松夫人にも話そうとしなか
 った。 
 心配する捨松夫人が執拗に質問を重ねると、やっと次のようなことを口にした。
 「生徒たちに教えるよりも、むしろ下田夫人に教える時間が多いかもしれないわ」
・なんでも歌子は、英語に対して大変な意欲を燃やしているという。
 伊藤博文や井上肇といったような留学経験のある男性と同じように喋りたいというのが
 悲願らしいが、なぜかあまり上達しないと、梅子は口ごもった。
 「とても頭のいい方なのに不思議なの。うまくいえないけれど、あの方の体質や教養の
 歴史といったものが、英語や西洋を拒否しているようなの。そんな気がして仕方ないわ」
・とうやら歌子と梅子はそりが合わないらしいと感じたものの、そうたいした問題ではな
 いと捨松夫人は判断した。
・そりが合わないといえば、梅子と自分は日本人すべてとそりが合わないのではないか。
 家族を別にすれば、この自分とて毎日人に会うのが苦痛であった。
 口にすることと考えることが全く違う人々。
 些細な決定に何日間もかける人々。
 彼らの頭の中を推理し、先まわりして考えることで、帰国後の日々は暮れてしまったよ
 うな気がする。
・梅子と思う存分、英語で喋り合う時が、捨松夫人の唯一心の休まる時といってもよかっ
 た。 
 梅子と自分とは、日本でたった二人だけの変わった人種だと思うことさえあった。
 そんな時、二人はてをじっと握り合って聖書の一節を唱えたものだ。
・梅子、梅子、なんて可愛い娘。
 その昔「アメリカ号」で横浜から出発した時、八歳の梅子はひしと自分に抱きついたま
 ま離れようとしなかった。
 あの時から捨松夫人は、この娘を一生守り続けてやろうと決心したような気がする。
 だからこそ新しく設立される女学校の教授に、梅子をと奔走したのだ。
・明治十八年十一月、華族女学校開校式のことを捨松夫人はよく覚えている。
 皇后の行啓ありということであたりは異様な緊張に包まれていた。
 各親王妃も居並ぶ中、やがて御馬車が到着し、袿姿の皇后がお出ましになる。
 二人が衝撃を受けたのは、皇后に従う異様さである。
 真白く塗り固めた肌、てらてらと光る京紅・・・。
 平安時代そのものの袿姿は、捨松夫人も着たことがあるが、女官たちがまとうと古代の
 死人の衣裳のように見える。
 参内した時は、皇后の薄暗さでそれほどは感じなかったが、こうして午前中の光の中、
 彼女たちを眺めるのは、苦痛さえ伴う。
 それは捨松夫人にとって、遠く不思議な国ニッポンなのである。
 夫人よりも慣れていない梅子など、さらに驚きは大きかったのだろう。
 さすがに皇后が退出された後だったが、
 「ホワイト・ウオールズ」
 とぶやいたものである。
・今思えば開校式の印象は、さまざまな前兆だったに違いない。
 二人の女の大きな夢は、やがて大きな失望に変わる。
 華族女学校のほとんどの生徒が、この「ホワイト・ウオールズ」の予備軍だと知るのに
 時間はかからなかった。
・まず彼女たちは姿勢が悪い。
 おそらく邸の奥深く住み、陽にもあたらないためだろうが、青白く生気のない表情をし
 ている。  
 教師の言うことは一応聞くが、自分からはまず発言しようとはしなかった。
 新興貴族の娘たちも大勢いるが、大半は京都から来た由緒ある家の令嬢たちで、一様に
 ちんまりとした目鼻立ちをしている。
 彼女たちのよく似よった細い目や小さな口元を見ていると、捨松夫人はまるで一列に並
 んだ雛人形を眺めているような気がした。
 率直な強い意志を持って、学問に取り組んでいたアメリカの同級生たちと比べるべくも
 ない。
・が、下田歌子は、こうした娘たちに大層満足しているようなのである。
 漢語と和歌、そして源氏物語に基づいた彼女の教育方針は、アメリカの名門女子大学で
 学位をとった捨松夫人にとって、極めて不可解なものであった。
 異論を唱えたいことは山のようにあった。
 が、捨松夫人は戦おうなどとはまったく考えなかったと言っていい。夫の地位というも
 のもあったし、どうあがいても自分や梅子がこの国で主流になれるとは考えられなかっ
 たからだ。
・それより何より、大切な梅子がとりたてて不満も言わず歌子の下で働き始めている。
 彼女にとってやっと見つけた職場である。
 荒波を立てるようなことはしたくなかった。
 梅子がどのような思いで勤めていたかを知るのは、それから十数年たって、新しい学校
 をつくりたいと打ち明けられた時である。
 「もう精神的に限界です」
 梅子ははっきりと英語で言ったのだ。
・それにしても歌子という女性の、身のこなしのしなやかだったことと捨松夫人は思い出
 す。  
 それは生きる姿勢においてである。
 捨松夫人から見れば旧態依然とした、幕末の遺物のような女性であるのに、政府が新し
 くことを始める時は、女性の第一人者として必ず彼女が重要な役を担う。
 そして歌子はらくらくとそれをこなしてしまうのだ。
 古い倫理と新しい風俗。
 この二つは歌子の中でまったく矛盾しないようなのである。
・鹿鳴館のことにしてもそうだと、捨松夫人はかすかに唇を噛む。
 今や名流女性として揺るぎない地位を築き、多くの人々の尊敬を勝ち得ている捨松夫人
 であるが、一部には「大山捨松」と呼び捨てにし揶揄する者がいるのも事実だ。
 それはすべて鹿鳴館が原因であった。
・捨松夫人が結婚した年は同時に鹿鳴館時代の開幕でもあった。
 外務卿井上馨によってつくられたこの外国人接待所では、毎日のように夜会が開かれ、
 着飾った政府高官やその夫人たちがダンスに興じた。
 といってもまともに踊れる者など数えるほどで、男性だったら留学経験者、女性なら捨
 松夫人、梅子、そして一緒に海を渡った瓜生繁子ぐらいだったろうか。
 それでも時間が経つにつれ、人びとはダンスを習い始め、マナーということも少しはわ
 かり始めてきた。 
・しかしそれが後々まで庶民のひんしゅくと怒りをかうとは、いったい誰が考えただろう
 か。 
 何年か後、捨松夫人に起こった、大きな不幸の原因のひとつもここにある。
 作家の手によって、彼女は世の中にさんざんいたぶられるのだ。
・仮装舞踏会、ファンシーボールなどというものは、爛熟したヨーロッパ社交界でこそ行
 われるものなのだ。地味な学究生活をおくったアメリカではめったに聞かない。
 人に言ったことはないが、それこそ噴飯ものの出来事は山のようにあった。
 そしてようやく鹿鳴館において、そうみっともない事件は起こらなくなった矢先、ファ
 ンシーボールというではないか。
・そうでなくても政府の急激な欧化政策に反対する声は高まっている。
 先日なども舞踏会に出かける途中、刀を持った国士風の男に道をさえぎられたことさえ
 ある。普通のパーティーでさえ許せない彼らなのだ。
 政府閣僚、夫人たちが奇をてらった仮装で入場するさまはどのように見えるだろうか。
・案の定、広間に足を踏み入れると、ファンシーボールという優雅な名前とはほど遠い乱
 痴気騒ぎが始まっていた。人々は自らの仮装に、いつもよりはるかに昂っていたのであ
 る。 
・中でもおどけていたのは軍医総監「高木兼寛」で、衣を重ねた大僧正姿まではよかった
 のだが、酔って踊りながら、一枚一枚脱ぎ捨てるではないか。
 「まあ、おやめあそばせ」
 ルーマニアの花売り娘の格好をした伯爵夫人が嬌声をあげると、それを合図のようにし
 て女たちは悲鳴混じりに逃げまわった。それを追いかける高木は、とうとう最後の一枚
 をとる。
・白いフンドシが近づいてきたので、捨松夫人はあわてて目をそらした。
 その時、歌子の姿を見たのである。
 歌子は笑っている。下着一枚になってふざけまわる高木を見て笑っているのではない。
 夜会に集う人々すべてをながめながら、彼女は笑っていたのである。
・それはあきらかに憫笑というものであった。 
 後になり、その夜会は歌子が考えついたものだということを聞いた時、捨松夫人はさら
 に強い確信をもった。
・歌子は西洋のことなど何も知らないのだ。
 こっそり梅子に教えを乞うぐらい、彼女は何も知らない。
 それなのにファンシーボールなる風俗をどこかで聞きかじり、伊藤博文を使って実行さ
 せた。 
 その貪欲さに、捨松夫人はぞっとするような思いになった。
 そして同時に、歌子が自分の梅子に、どれほど複雑な思いを抱いていたかを知ったよう
 な気がする。
・あれから後、捨松夫人に降りかかった多くの災難はすべてこのファンシーボールに端を
 発しているといってもいいのだ。

・ちょっと郵便局に行ってきますからね」
 捨松夫人が声をかけると、隣の部屋にいた小間使いが驚いてとんできた。
 「とんでもございません。私が行ってまいります。私で用が足りなかったら、書生さん
 の誰かに・・・」
 「いいのよ。ついでに買ってきたいものがありますから」
 手紙だけならともかく、英学塾のこまごまとした報告書も送らなければならない。
 郵便局では英語で宛先と書類を書かされる。捨松夫人でなくてはらちがあかないのだ。
・向こうから四、五人の男たちがこちらに近づいてくるのが見える。
 捨松夫人は狼狽のあまり立止まった。
 誰なのか遠くからでもわかる。
・捨松夫人は気さくに一人で出歩いたことを、心の底から後悔した。
 よく探せば、英語のできる書生の一人や二人はいるのだ。どうして彼らに頼まなかった
 のだろうか。  
・「これは、これは、奥さまではありませんか」
 「稲田の神さま」こと「飯野吉三郎」は、目ざとく夫人を見つけ、大きな声で呼びかけ
 たのだ。 
・飯野はわざとらしいほど丁寧な言葉を使った。
 背の高い捨松夫人も見上げるような大男で、かたちのよい口元は美しい髯でおおわれて
 いる。
 ひと目見ただけで人は圧倒され、逆らうことなど出来なくなってしまう風貌だ。
 そんな男が体の優位さを生かして告げる「御神託」など。捨松夫人は頭から信じていな
 かった。
 アメリカで最高の教育を受けた捨松夫人からしてみると、どうして夫が彼の言うことな
 ど信じるのか腹が立って仕方がない。
・過去の一度だけ、捨松夫人はこの男にすがったことがある。
 今から十年近く前、「徳富蘆花」という作家が「不如帰」と名づけられた小説を新聞に
 連載した。 
 結核に侵された若い妻と、その夫との悲劇は日本中の人々の涙を絞ったものだ。
 それはあきらかに大山巌侯爵の長女、信子をモデルとして描かれていた。
 そして意地悪な継母として登場してくるのは、他ならぬ大山捨松夫人だ。
・あの頃、気丈な夫人も死んでしまいたいと苦しむ日々が続いた。
 嫌がらせの手紙が舞い込み、好奇心とあざけりの視線がとんだ。
 それは鹿鳴館の花とうたわれ、欧化生活を勧めた女性第一人者としての大山夫人に対す
 る世間の仕返しである。
 どうしていいのかわからないままに、夫人は「神さま」の祭壇の前に座ったのである。
・そしてこの「神さま」が歌子の恋人だと知ったのはつい最近のことだ。
 あのファンシーボールを主催した歌子は、捨松夫人を間接的に陥れた。
 そしていま「神さま」を使って通せんぼをしている。
   
三月九日
・よく腫れた午後であった。医学博士「三島通良」は、車夫に命じて不忍池のたもとで降
 りた。
 四十過ぎて幡羅、博士は俳句をひねるようになっている。
 仕事ばかりではからだによくございません。なにか趣味をもってゆったりなさいませと
 いう、妻の言葉に従ったのだ。
 最近では、仲間うちの句会にも行く。
・博士は池に沿ってゆっくりと歩き始める。
 あたりを見わたす。春の陽気に誘われて、上野の杜にやってきたのは博士だけではなか
 った。 
 はっぴを着たままの職人が、子どもを肩車にして歩いている。その傍をやや足早に行く
 のは、どこかの若おかみであろう。丁稚をひとり共につれ、用足しに行く風情である。
・不躾な博士の視線を感じたのか、女は流し目ともいえないほどの角度で、顎をかすかに
 もたげた。
 咎めるような目の動きは、ほんの一瞬であったが、博士の前で艶に止まった。
 若い時から好男子で知られた博士であったが、中年になってからはそれに威厳と自信が
 加わり、なかなかの風采だ。
 女はつうっと視線を元に戻したが、口元をわずかにゆるめ、小さな糸切り歯を見せてく
 れた。 
・この通りすがりの女の好意に、すっかり気をよくした博士は足取りも軽く、精養軒の建
 物をくぐる。
 医学博士にして、わが国の小児医学界で重要な地位を占める博士は、今日の会でもいち
 ばん上座におさまるべき人間である。
 あまり早めに行っては、下の者たちが落ち着かないであろう。
 そうかといって、博士は遅刻を好まない。
 ちょうどぴったりに姿を現すというの習慣だ。
・「大日本私立衛生会懇親会様御席」という、おそろしく長い紙がかかった扉を押した時
 だ。さわめきがさっとひいたのがわかった。
 それは到着した博士に敬意をはらって、というのではない。
・その証拠に人々の唇の端には、しのび笑いや、卑しい言葉のなごりがくっきりと残って
 いる。 
 博士はこれほどまでに無礼な振るまいにあったことがなかった。
・憮然としながら、用意された上座に腰をおろした。しかしまだ、博士は自分が噂されて
 いる本人だと気づかない。
・おかしな雰囲気を感じ始めたのは、ソップを飲み終え、鶏の冷製が運ばれてきた頃だっ
 たろうか。  
・食前に配られたボトルワインに、やや顔を赤くした男がつぶやくように言った。
 「三島先生は、よっぽど東北地方がお好きと見えますなあ・・・」
 遠慮がちな笑いは下座の方から起こり、やがて部屋全体にひろがっていった。
 あきらかに自分は侮辱されているのだ。
 しかし博士はその意味も原因もわからぬ。
 掌をぎゅっと握って、あたりを睨みつけるのが精いっぱいだった。
・「失敬じゃないか。いったいどういうことだね」
 ロビイのところで博士は、友人の横川博士を呼びとめた。
 彼は博士と同じく、東京帝大の医学部に、講師として籍を置いている。
 「何が起こったんだか、私にはわからないよ。君、説明してくれたまえ」
 「いやあ」
 横川博士は困惑と憐愍の入り混じった表情で、博士の視線を避けた。 
 「君も大変な目にあったねえ・・・」
 とだけつぶやく。
・しかし博士は、相手の唇に哀し気な微笑が浮かんだのを見逃さない。
 こんな笑いが浮かぶ場合といったら、女の問題しかないではないか。
 「なんだい、横川君、はっきり言いたまえよ」
・「君と下田歌子女史のことだ」
 あっと叫んだ瞬間に、煙草が床に落下していった。
 どこかで下田歌子が叩かれていると小耳にはさんだことはあるが、それと自分が関係あ
 るとは、今の今まで考えたこともなかった。
・横川博士はそそくさと背を向けた。
 ひとり残された博士は折り畳んだ粗悪な紙を見る。
 まず「平民新聞」、そして次に「情夫三島通良」という文字が目に飛び込んできた。
・どういうふうにして家に帰ってきたのか、ほとんど憶えていない。
 出迎えた妻と書生たちは、博士の真青な顔にすっかり驚いてしまった。
・「床をのべてくれ」
 博士はあえぎながら言った。
 寝巻に着替えるやいなや、布団に倒れこむ。
 目を閉じても、さっき読んだばかりの忌まわしい文字が、頭の中で渦を巻いて博士を襲
 う。     
・それはもう十数年も前の出来事である。
 帝国大学大学院に在籍していた博士が、文部省の命により、学校衛生事項取調嘱託とな
 った頃である。
 その関係で、当時華族女学校学監であった歌子と初めて会った。
 その頃の彼女の美しさを、博士は未だにはっきりと憶えている。
・歌子は博士よりちょうどひとまわり上だから、すでに三十七、八になっていたのではな
 いだろうか。 
 世間だったら中年の部類に入れられて見向きもされない年齢であるが、歌子はみずみず
 しい肌と姿態を持っていた。
 それどころかあたりをはらうような気品と威厳は、若い女にはとうていありえないもの
 で、若い博士はいっぺんで魅了されてしまったのである。
・あれが日本一えらい女といわれる下田歌子だ。
 皇后陛下が大層気に入られて、華族女学校をまかせた女だと世間の声は入っていたが、
 二十五歳の博士は、自分の若さと情熱に、まず己が酔ってしまった。
・その頃からさまざまな縁談が持ち込まれていたが、釣書に描かれたとおりの、普通の若
 い女などまっぴらだと思う。
 高い場所にいる得がたい女を手に入れてこそ男だと、あの頃博士は本当に信じていた。
 そして思いを打ち明けると歌子は意外なほどあっけなく陥ちた。
 自分の腕の中で、眉を苦し気に寄せる歌子の顔を初めて真上から見たとき、博士は若者
 らしい勝利感と幸福を感じたものだ。
 力と名声を持った年上の女は、苦学してここまできた自分への褒美ではないだろうか。
 そんな考えがふと頭をかすめた。
・そしてこの褒美の愛らしさ、たおやかさといったらどうだろう。
 外で強い力をふるっている女ほど、閨の中では少女のようになるということを博士は発
 見した。 
 下ぶくれの色白の顔から想像していたとおり、歌子のからだはどこもやわらかく輝いて
 いた。それはちょうど果実が腐る寸前の熟しきった危うさを持っていて、まだ女をそれ
 ほど知らない博士は夢中でむさぼりついたものだ。
・「わたくしは本当に淋しゅうございました。お国のためにと思い、女ひとりの身で今ま
 で頑張ってまいりましたが、それは、それは、つらいことが多うございました」
 薄暗がりの中の声はねっとりと甘く、華族女学校の講堂で生徒相手に教えを説く時の歌
 子とは全く別人である。
 そしてこんな声、こんなふうな腕のからませ方を知っているのは自分だけだと博士は思
 い、幸福をますますつのらせていったのだ。
・昔、全身全霊を賭けてあの女を愛した。
 本気で結婚を約束したこともある。
 若者の多くが持っている、青春の思い出というものだ。
 それがどうして、このようなひどい仕打ちを受けなければならないのだろうか。
 「平民新聞」の文字が再び博士を襲う。
 信じられないことに、そこには博士が女にあてた艶書が掲載されていたのである。
・明治二十五年に、博士は各地の小学校の、衛生環境の実態を観察するために、東北地方
 へ出張したことがある。   
 手紙はその時のものに間違いない。
・しかし、どうして歌子に宛てた手紙が、こんなふうに公開されているのだろうか。
 怒りや驚きを通り越して恐怖すらわく。
 博士は渾身の力を込めて、やっとの思いで起き上がった。
 「だいじょうぶでございますか」
 妻がおろおろしながら、博士の肩に羽織をかける。
・まだ東京には珍しい電話であるが、歌子のところにはやはりあった。
 ふらつく体をひきずるようにして、博士は電話室へ入った。
 「永田町を頼む。新橋局の3344だ」
 電話には老いた下婢が出て、下田先生はお出かけですと告げた。
・こうなったら仕方ない。明日にでも偽名を使って、学習院のほうへ電話をしよう。
 博士は焦る気持ちをやっとのことでなだめた。
・胸を押さえながら電話室の扉を開けたとたん、突然明るい色彩が目に飛び込んできた。
 今年十歳になる二三子が、橙色の銘仙を着て、廊下に佇んでいたのだ。
 このあいだ肩揚げをとったばかりだというのに、急に娘らしく見える。
 父親譲りの大きな目が哀し気だった。
・「お父さま、おかげんがわるいんですって?お母さまが心配していらしたわ。だいじょ
 うぶ?」   
 「ああ、平気だ。ちょっと疲れただけだ」
 博士は無理に笑いをつくって、ひとり娘の頭を撫でた。
 何と美しい娘だろうかとつくづく思う。
・医学博士の父親と、名門の出の母親を持つ娘。
 貧しかった少年時代の自分を思い出すにつけ、この娘のためだったらどんなことでもし
 てやろうと博士はいつも決心する。
 博士はもう一度娘の顔を眺めた。黒々とした瞳が、ふとあの女に似ているような気がし
 たが、あわててその考えをうち消す。
・精養軒で、「平民新聞」を手渡されて以来、診察も講義もいっさい休んでいる博士は、
 寝間と電話室を往復する。
 永田町の歌子の自宅と学習院へ、かわるがわる一時間おきに電話をするためだ。
 が、どちらも歌子は外出中と告げるのみで、一向にらちがあかない。
・ぐったりと横たわっているところに、妻の千代が声をかけた。
 「学習院の下田先生から、お電話でございます」
 妻はもう何ごとか気づいているようだ。
 が、今の博士に妻の心など思いやる余裕はなかった・
 ものも言わず立ち上がり電話室へ向かう。
・「下田でございます。お久しゅうございます」
 女の声には優雅な京訛りがある。
 これも若き日の博士をとろけさせたものであった。
・「あれを読みましたか」
 挨拶もそこそこに博士は言った。
 「あれというのは、何でございましょうか」
 相手が平然としているので、博士は世にもけがらわしい新聞の名を口にしなければなら
 なかった。
・「平民新聞ですよ。あなたの大変な醜聞が載っている」
 「愚かな者が愚かなことをしているだけでございます。わたくしは、ああいうものをい
 っさい読まないようにしておりますので」
 「あなたはそれでいいでしょうが、こちらは困る」
 「私の立場はどうなるのですか。私が以前あなたに差し上げた手紙が、堂々と載ってい
 る。これを説明していただかなければ、困るじゃありませんか?」
 「あの手紙のことは、わたくしも存じません。だいいち受け取った憶えがないのでござ
 いますもの」
 「すると何ですか。あの赤新聞の書いてあるとおり、郵便夫が中身を抜き取って、今ま
 で保管していたということですか。法治国家でそんなことがあるはずはない。馬鹿々々
 しい」
 そして同じような繰り言をねちねちと博士は口にしたが、歌子はあくまでも「わかりま
 せん」「存じません」と答えるのみだ。
・「それでは前向きに、善後策というものを考えようではありませんか」
 「あなたの力をもってすれば、あの赤新聞を封じることなどわけはないはずです。伊藤
 公にお願いできませんか。あの方だったら、こんなことぐらい、赤子の手をひねるよう
 なものでしょう」 
 ところが受話器の向こう側は沈黙が続いている。
 もしかすると歌子は忍び笑いをしているのではないか。
 なぜだかわからないがそんな気がした。
・「どうしたのですか」
 「いいえ、どうもいたしません。ただ、あなたさまから、そのようなことをお聞きする
 とは思っておりませんでしたので」 
・これは痛烈な皮肉というものである。
 受話器を置いた後も、博士はしばらく歩けないほどであった。
・「あなたを、伊藤から守る。僕はあの卑劣な男を一生許さない」
 十五年前、博士はこの言葉を何度口にしたことだろうか。
・恋人となった直後、歌子はあなたに謝らなければならないことがあると打ち明けたこと
 がある。  
 それは伊藤博文との関係であった。
 病身の夫を抱え、私塾を開いていた頃、歌子は伊藤に犯されたというのだ。
 それも騙しうちに合うかたちでだ。
・当時、一介の医学生だった博士にとって、内閣総理大臣の伊藤はあまりにも大きな存在
 である。けれどもそれは恋になんという甘美な味をそなえてくれたことであろうか。
 わが国一の権力者が所望する女を、自分のものにしたという喜びは、若者の心に当然わ
 いてくるものであったし、巨大な敵に立ち向かうのだという闘志も快い、あの頃は毎日
 が、冒険と熱血の日々だったのではないだろうか。
・自分たちは決して愛欲にのみ溺れていたわけではないと、博士は思う。
 この国の子どもたちの未来について、夜を徹して語り合ったこともあった。
 それまで博士は、世の当たり前の男として、女というのは家事をさせ、寝間でいとしむ
 ものだと考えていた節がある。
 自分の理想や夢を語る女は、歌子が初めてでそして最後だった。
・すでに新聞を読んでいたらしい妻は、この記事が出た日に、二三子を連れて家を出た。
 秋田県知事をしていた老父のところへ身を寄せるという。
・妻の置手紙を、博士は寝間で読んだ。
 傍にひかえていた書生のひとりは、博士が突然歌を歌い出したのに驚いた。
 博士が強度の神経衰弱で入院したのは、それからしばらく後のことである。

三月二十四日
・飯野吉三郎は目を固く閉じている。
 家で彼がこのような表情になると、書生たちは神宣が下ったのだろうかとひれ伏すので
 あるが、それは思い過ごしというものだ。
 「穏田の神さま」といわれる飯野でも思いにふけるということもある。
 それも困惑のあまり、さまざまな策略を練っているところだ。
・昨夜も歌子に泣かれた。
 この半月というもの彼女はすっかりやつれたようだ。
 まるで娘のようにふっくらした頬がそげ落ちて、そこに陰気な影ができた。
 その影をゆがめるようにして歌子は悲鳴に似た声をあげる。
 「えーい、口惜しい。こんなことってあるだろうか」
 「あんな獣のような奴らに馬鹿にされている。私は恥ずかしくて恥ずかしくて、もう外
 を歩くことはできませんの。ああいっそのこと、あいつらを殺して私も死んでしまいた
 い」
 「らちもないことを」
 飯野は豪快に笑った。
 今はこうすることが目の前の女をいちばん慰めることだと知っていたからだ。
・「平均新聞などというものは、たかだか三千だか四千だかの赤新聞ではないか。まとも
 な人たちはこわがって手を触れんもんだよ。いったい誰が読んでるっていうんだね」
 「それがもうみんな知っているのですよ」
・激すると歌子は口調には美濃訛りが出てくる。
 京訛りの言葉は努力して彼女が身につけたものだが、美濃の訛りは歌子の本来の言葉だ。
 歌子と吉三郎の故郷の言葉でもあった。
・「学習院に行っても宮中に参内しても、みなの私を見る目が違うのです。私はまったく
 意にも介さぬふりをして平静を装っているけれど、それがどんなにつらいことかおわか
 りですか、鉐さん」
・鉐さんというのは吉三郎の幼名である。
 歌子の本名も鉐という。
 歌子は飯野の十違いの姉と幼なじみだったから、彼女が子どもの頃に「せき、せき」と
 呼ばれていたのを、飯野はうっすら憶えている。
・初めて枕を共にしたとき、二人は運命とか因縁などという言葉を何回かつぶやいたもの
 だ。
 年はひとまわり以上も女が上である。
 しかし二人は故郷が同じのうえに、名前まで同じなのだ。
 こうなったのはあらかじめ神が決めたことだと男が言えば、そうですものと女が答える。
 そして髪を乱したまま、再び男にとりすがってきたのは、もう半年近く前になるだろう
 か。
・後に飯野のことを”日本のラスプーチン”と陰口を叩く者が出てきたが、それはあたって
 いないこともない。
 若い時分、飯野はキリスト教から女を尊ぶ真似をすることを学んだ。
 そして英語を習った際に、性技というものを耳学問として仕入れた。
 微に入り細にわたった女の裸体画など、西洋の医学書や他の学術書にいくらでも出てく
 るのである。
・だいたい日本の男で、女を歓ばせようなどと考える者が何人いるだろうか。
 自分の性欲さえ満たせば、相手の女が何をして欲しいかなどと考えたこともない男がほ
 とんどではないか。
・飯野は違っていた。血気はやる若者だった頃、学んだことの復習と称して吉原へよく出
 かけたものだが、そのたびに自分が格段の進歩を遂げていることがわかった。
・語学や運動だとわかりにくいが、性の、単純でこの楽しい進歩といったらどうだろうか。
 飯野はたんねんに女のからだに愛撫を加える。
 足の指を一本一本丁寧になめていくと、最後には吉原の女でさえねじれた声をあげたも
 のだ。 
・床の中で、女たちは快楽のとどめをさしてもらいたくて、苦し気に泣き声をたてる。
 それを自分は救ってやる。
 これが善行でなくて何であろうか。
・歌子は五十を過ぎていた。
 若い頃さんざん男たちに讃えられた白い肌も艶を失い、白墨のように粉じみたものにな
 りつつある。
 そんな歌子を飯野は根気よく調教した。
 ある夜、歌子はすすり泣きとも、動物の叫び声ともつかない声を出して後、絶頂感を生
 まれて初めて味わったと告白したものである。
 老いを目前にそれを知った女の欲はすさまじかったが、飯野は誠意をもってそれに応え
 てやった。
・伊藤博文よりよかったかという言葉を、飯野はぐっと呑み込んだ。
 歌子の醜聞はいくつか耳にしていたのが、そんなことは言わないほうがはるかに得策と
 いうものだろう。
 
・新富座のやや裏手あたりに、錦絵を売る店がある。
 その隣りの二階家に大きな看板がかかっている。
 「平民新聞社」と描かれたそれは見事な草書体であったが、なぜかしら見る者に不安を
 あたえる。
・「頼もう」
 飯野は玄関で叫んだ。
 飯野の声を聞きつけて、一人の若い男が姿を現した。
 すり切れた袴に、角帽をかぶっている。
 社会主義の温床ともいえる早稲田大学の角帽だ。
 素人の寄り集まりがよく新聞などつくるものだと、飯野は舌打ちしたいような思いにな
 る。
・「私は飯野吉三郎という者だ。幸徳伝次郎殿にお会いしたくてやってきた。あらかじめ
 手紙を差し上げておいたのでおわかりだと思う」
 こういう時には大声を出すに限る。
 若い男は驚いてただちに引っ込んでしまった。
・それにしてもあたりの汚らしさといったらどうだろう。
 畳の上にそれぞれの小机をおいているのがまるで江戸時代の寺子屋のようだ。
 書き損じた紙や、灰皿の中に溢れている吸殻などで、畳の上を歩くのがはばかれるほど
 だ。襖や障子もあちこちが破れている。
・「掃除をする女はいないのだろうか」
 飯野が思わずあたりを見わたした時だ。縞の銘仙を着た女が、すすっと前を横切った。
 この部屋にふさわしい、だらしない着つけをしている。
 「平民新聞」の女というのは、それだけで興味をそそられる。女の横顔に粘っこい視線
 をあてた。
 色が白いだけが取り柄の平凡な顔立ちである。
 美しい女ではないと、すぐに女から視線をはずそうとした時だ。
 女が不意にこちらの方に顔を向けた。
 睨んでいるというのではない。子どもが好奇心のおもむくのままに直物や動物を凝視す
 る。そんなふうに女は飯野を見つめたのだ。
 重たげな一重瞼から発せられる目の光は大層強くて、飯野も一瞬たじろいだものだ。
 それにしても飯野がここにいることがわかって前を横切っていくのだから、いい度胸を
 している女だ。
・平民新聞は慢性的な資金難で、よく新聞が発行できるものよという声を聞いたことがあ
 るが、どうも本当らしいと飯野は思った。
 やがて襖が開き、男が姿をあらわした。写真で見たとおりの髭を生やしているので、す
 ぐに幸徳とわかった。
 だが彼の貧相で頼りない様子に、飯野は化かされているのではないかと疑ったほどだ。
 幸徳伝次郎(秋水)といえば、世間でおそれられている社会主義の首領であるが、ひど
 く痩せたからだと青白い顔は、およそ革命家が持つものではなかった。
 大変な切れ者だという声はよく耳にするが、これなら薄汚いただの中年男ではないか。
・「今日、私がどうしてここに伺ったかはよくおわかりでしょう」
 「はて、飯野先生のような方が、うちにいらっしゃる理由といわれても困ってしまいま
 すな」
 「理由はある。これですよ」
・飯野はかくしから何日分かの平民新聞を取り出し、それを机の上に音をたてて置いた。
 「そちらの方でもう一ヵ月近く、ある婦人の身辺にわたってまで人身攻撃をしている。
 これは一体どういうことなのか」
 「ある婦人って、下田歌子のことですね」
 「『妖婦下田歌子』の連載が始まってからというもの、大変な反響がありましたね。こ
 れは我々の読書にとって、非常に興味深い問題のようですね」
・ついにたまりかねて飯野は怒鳴った。
 「あなた方はいったい、下田先生をなんとこころえているのか。下田歌子先生なくして、
 この国の女子教育はありえないといわれている方だ。しかも・・・」
 「畏れながら、皇后陛下におかれましては特別の御寵愛をくだされているとか。あなた
 方はそのような下田先生を、いったいなんと心得ているのか」
・幸徳はやっと喋り始めた。
 「絶対平和の大御神が、どうして戦争の仕掛人児玉大将の守護神になったのだろうかと
 首をひねってしまいますよ。そもそも私たちの新聞の大きな目的のひとつは、民衆のそ
 うした迷信を破ることにありましてね。考えてもごらんなさい。私はまだ三十代で昔の
 ことは知らないが、今から四十年前、江戸と呼ばれたこの町で、天皇のことなど口に出
 す人がいましたか。みんな公方さま、公方さまだったはずです。京都のはずれにえらい
 人がひっそり住んでいることは知っていましたが、誰も気にかけちゃいませんでした。
 それが明治になってからこっち、政府は学者まで総動員させて、数々の神話をつくりあ
 げている。あなたのような方まで現れて、こりゃわが国の皇室は当分安泰というもので
 しょう」
 「もともと天皇などといっても、神でも何でもない。九州のどこかの豪族に、ちょっと
 力と勇気のある者がいて、殺戮を繰り返しながら中央に上がってきた。ただそれだけの
 ことじゃないか・・・などと物騒なことを言う同志は多いのですがね。あははは・・・」
 幸徳は体に似合わない、大きな笑い声をたてた。
 あきらかに飯野をからかっているのだ。
・「そういう危険なことは、たとえ冗談にしても、口に出さない方がよろしいですぞ」
 「私は争いごとをどうも好かん。またあなた方のように前途ある若者たちが、年中行事
 のように獄中を行ったり来たりするのをかねがね残念に思っている。こう見えても私は、
 キリスト教を勉強したし、廃娼運動に身を投じたこともある。世間のひとほど、あなた
 方を嫌っていないつもりだよ」
 「そりゃ、有難いことですなあ」
 幸徳はいかにも感に堪えぬような声を出した。
・「この件は私にうまくおさめさせてくれないか。あなた方の面子が十分に立つようにす
 るつもりだ。それにまことに失礼だが、いささかの金の用意もある。これを応援費とし
 て寄付させてもらうつもりだよ」  
 「これど『妖婦下田歌子』はとても人気がある。うちの看板記事なんです。途中でやめ
 たりして読者が納得してくれるものでしょうかねえ・・・」
 「だまらっしゃい。こちらが下手に出たと思って、つけあがるとは何事だ」
 ついに飯野は叫んだ。我慢するにもほどがあるというものだ。
・「まあ、そんなにいきりたたないでくださいよ」
 「あなたが皇室絶対主義を唱えるというのならそれでいい。あなたの自由というもので
 す。だが、こちらにも見せたいものがある」
 やがて飯野の前に、これから出る平民新聞の見本紙が置かれた。
 「妖婦下田歌子」の二十六日からの分だ。
・「下田歌子といえば年俸三千百円の、女じゃ日本一の給料とりだ。その下田さんが年が
 ら年中ピイピイしている。うちには毎日のように借金とりが来て責め立てるっていう話
 知ってましたか」  
 飯野は思わず首を横にふってしまう。歌子は週に二度ほど、御神宣を聞きに来るという
 名目で飯野の邸にやってくる。
 情を交わすのは、飯野の神殿近く、奥まった部屋でだ。
 あれほどの女だから、書生たちの前でも堂々とふるまっているが、さすがに帰るときは
 闇にまぎれるようにして門を出ていく。
 その俥は定紋付きの立派なもので、お抱えの車夫もいたはずだ。
 とても金に困っていたとは思えない。
・「いいですか。下田女史の住んでいる永田町の邸は、華族女学校の寄宿舎なんですよ。
 皇室の藩屏たる華族のお嬢さま方がお住まいになるところだ。ところがお嬢さまは一人
 も住んでいない。下田女史が悠々と一人で暮らしていらっしゃる。これは皇室に対する
 詐欺っていうもんじゃないですか」
・「天下の下田歌子女史が、かつて弟の放蕩のために、赤い札をくらっていたんですよ。
 考えてみりゃおかしい話ですよな。下田女史の給料っていうのは、陛下からいただくも
 んだって聞いていますがね。それが右から左へ流れて、弟が吉原で女郎を抱く金に消え
 てしまう。これが不敬じゃなくて何でしょうね」
・飯野は押し黙った。
 彼が歌子と深い仲になったのは最近のことで、昔の差し押さえのことなど全く聞いてい
 なかったのである。
・飯野にとって歌子は、皇室といちばん近い才色兼備の女である。
 自分の夢を分かち合う相手でもある。
 この自分を帝の近くにお召しになり、役立てていただけないものであろうかと飯野は語
 ったことがある。
 そんな時、励ましてくれたのは歌子であった。
 「もうちょっとお待ちくださいまし。私が折りを見て、きっといいようにいたします」
 と受け合ってきれたとき、飯野はどれほど嬉しかっただろうか。
 その歌子が大変な借金を負っていたとは・・・。
 思わず飯野は唇を噛む。
・「そうそう、聞くのを忘れていた。あなたは下田女史のいったい何なのですか。私たち
 の新聞は正確さを自慢しておりますのでね。噂だけでは、あなたとのことも一年分の連
 載ができるぐらい書ける。だけどそれでは、わざわざいらしてくれたあなたに失礼でし
 ょう。ねえ、歌子女史のこと、教えてくださいよ」
 「黙れ、黙れ」
 ついに堪忍袋の緒が切れた飯野は、こぶしをふりあげて叫んだ。
 「なんという不敬な奴ら、お前たちは遠からず大逆の罪であの世界行きだ」
  
・憤懣やるかたないというのは、こういうことを言うのではないだろうか。
 白装束に着替え、神殿に額ずいても飯野は平静さを取り戻せない。
 さきほどから怒りのあまり、からだが小刻みに震えているのだ。
・幸徳側はすでに飯野のことを調べ上げているのだ。
 「あなたは下田女史のいったい何なのですか」
 という言葉はすべてを語っていた。
・しかしそれにしても歌子が差し押さえを受けていたとは・・・。
 今日はあの女のために恥をかきにいったようなものではないか。
 一蓮托生の相手と誓い合ったからには隠しごとをされては困る。
 早く帰っていろと言っていたのにもかかわらず歌子はまだ家にいない。  
・居ても立っても居られなくて、何度目かの電話をかけようと飯野が立ち上がったときだ。
 「先生、お客さまがお見えでございます」
 小間使いの一人が廊下で待っていて頭を下げた。
 一週間前に口入屋を通じて雇った十五歳の少女だ。
 近いうちに飯野のものになるだろう。
 この家では十人以上いる小間使いのすべてに飯野の手がついている。
・彼女のまだ固そうな尻を見ながら廊下を歩いて、信者を待たせる座敷へ入った。
 下座には「奥宮健之」がかしこまって座っている。
 幸徳よりはるかに年上で、もう五十をすぎているのではないだろうか。
 自由民権運動から社会主義へと、世の”祭り”を転々としてきたような男だ。
・平民新聞に歌子の連載が始まってから、手づるを頼んで内部の者を一人紹介してもらっ
 ていた。やってきたのはからだのしんまで青くさい初老の男だ。
・今の社会主義者のままだときっと内部から崩れていくに違いない。
 自分はもっと現実との融和を図り、穏健な思想組織にしたい。
 今のままでは入獄、極刑も増えるであろう。
 自分は現体制と社会主義者たちとの接点となり、多くの悲劇を救いたいなどと、わけの
 わからぬことを言いながら、飯野から小遣いをせびっていく。
 
三月三十一日
・女官との間に、帝は何人かの皇子をおつくりになったが次々と薨去されて、皇太子がた
 った一人だけお育ちになった。
 しかも皇太子は生まれつき大層からだがお弱い。
 大帝とも英雄とも讃えられる帝だが、やはりお血筋のことをお気にかけていらしていた
 に違いない。
・そうだ。やはりあの時の下田歌子の発言は正しかったのだ。
 両陛下の命を受けて、「佐佐木高行」もその選定にかかわっていた頃、彼は下田歌子に
 尋ねたのだ。
 教える立場から見て、華族女学校の中で、これぞと思う姫をあげよと。
 歌子はきっぱりと答えた。
 「畏れながら、皇太子殿下におかれましては、必ずしもご壮健とは言えませぬ。妃選定
 にあたっては、おからだがお丈夫ということがまず第一かと思われます」
 そして歌子が真っ先に名を挙げたのは「九條節子」であった。
・そうなのだ。いまこの方が妃殿下として自分の前に座っているのは、下田歌子の功が大
 きい。そしてそのことを妃殿下は十分に知っていらっしゃるはずだ。
 そろそろ彼女のことを切り出さなければならない。
 伯爵はかすかに身構える。
・まことに非礼なことであったが、伯爵は苛立ち始めていた。だが御進講の時ならいざし
 らず、彼が会話の主導権を持つことはできない。
 「ところで」や、「そういえば」などと言って、話の方向を自分が意図する方へ持って
 いくことは不可能なのだ。 
 御下問があったことだけにお答えするうちに、時間はぎりぎりと過ぎていく。
・おおい、佐佐木、下田先生はお元気か。私はこのところずっと会っていないが」
 伯爵は安堵と共に舌なめずりしたいような気分になった。
 待ちに待ったチャンスがやっとめぐってきたのである。
・「そのことでございますが、下田教授は最近心痛のあまり、家に引き籠っていると聞い
 ております」  
 「なに、心痛。それはいったいどうことなのか」
 妃殿下と宮たちは顔を見合わせた。
・やはり何も御存知ないらしい。さすがに話が話だけに、こうした上つ方に女官たちも何
 も申し上げられなかったのだ。 
・家僕の一人が、「平民新聞」の切り抜きをわざわざ小田原まで届けてくれたのは、もう
 二週間以上も前のことになる。
 たった一行だけであるが、伯爵の名が出ていたとひどく心配していた。
・「こんな年寄りに今更どんな艶聞がたつというのだね」
 伯爵は笑って家僕をお返しになったが、その時、新聞をまとめて何日かごとに持ってく
 るようにと命ずることは忘れなかった。
 話の内容はらちもないことばかりである。しかもそれがまるで、記者が自暴自棄でも起
 こしているかのように、日ごとひどくなるばかりだ。
・これは一週間前の「平民新聞」の記事であるが、何度も華族女学校の文字が出てくる。
 孫娘がここで学んでいる伯爵にとって、不愉快極まりない内容だ。
 そんなことよりも、この中で描かれている歌子ときたらどうだろう。まるで淫売宿の女
 将ではないか。こんなことを一ヵ月も続けられていて、よく歌子は我慢できるものだと
 伯爵は感嘆のため息が出る。
・自分のところに駆けつけてくるでもない。
 泣きごとの電話や手紙もよこさない。
 伯爵が歌子を評価しているのは、こういうところなのだ。
・土佐で七十石という貧しい武士の家に生まれた伯爵は、それこそ水をなめるような暮ら
 しをして生きてきた。 
 自分の才覚だけを頼りに江戸に上り、明治維新を戦い抜いた彼を支えていたものは、徹
 底した尊王の思想である。
 この日本を天皇にお還し申し上げる日まで、絶対に死ねぬと何度つぶやいたことだろう。
・歌子に会ったとき、伯爵はなんと自分と似た女だろうと感動したことを憶えている。
 くるおしいまでの皇室への情熱が、豊満なからだから溢れ出そうであった。
 たいていの女はこのような情熱を、自分の身の中でもとあますあまり、次第に消滅させ
 てしまうのであるが、歌子は違っていた。
 その思いをきちんと整理し、理論化できる非常に珍しい女なのだ。
・常宮、周宮お二人の、御教育に関する意見書など素晴らしいものだった。
 伯爵はさまざまな場面のたびに、歌子を推薦し、彼女もよくそれに応えた。
 二人三脚のようにして、両宮の成長をお助け申し上げた。
 いま彼女が傷つき、二度と立ち上げれないようになったら、それは皇室にとってどれほ
 ど大きな損失であろうか。   
 自分の案じているのはそのことなのだ。
・さまざまに申し上げたいことは山のようにあったが、伯爵はごく簡単にかいつまんで事
 の次第を妃殿下と宮にお話した。
 「下田教授はあれだけの才智がある人だけに、敵も多いのでございます。教授のするこ
 とを快く思っていない者たちが、危険思想の新聞を陰で操っているのでございます」
・「まあ」
 二人の宮は顔を見合わせてごらんになった。
 今まで御殿の奥深く、なんの波風にもあたったことのない宮たちには、少々刺激が強す
 ぎたようだ。  
 しかも相手は、宮たちがよく知っている女性である。
 二人の目は好奇心のあまり、さらに大きく開かれた。
・「佐佐木、私もその平民新聞とやらを読んでみたいものだ」
 「とんでもございません」
 即座に申しあげた。
 「殿下たちがご覧になるものではございません」
・その時だ。妃殿下が突然おっしゃった。
 「私たちはどうしたらよいのだろう」
 「下田先生にはお世話になった。あれだけの女性が、世の攻撃に耐えているというのは、
 どれほどつらいことだろうか」
 しみじみとした口調である。
 「下田先生のような女性は、めったに現れるものではない。それがそれほどいかがわし
 い新聞に名前が載るなどというのは、学習院のためにもならないことではないか」
・妃殿下の中にもよみがえってくるさまざまな思い出がある。
 妃殿下は名門九條の四女としてお生まれになった。
 御生母は「野間幾子」といって、当主のお側近くにお仕えしていた侍女のひとりである。
 高貴な方が、側室を持つのはあたり前だし、生まれてくる子どもも平等に扱ってもらえ
 るが、それでも身分の高い正妻から生まれるに越したことはない。
 妃殿下は自分が正妻の腹でないことを、心のどこかで気にかけておられた節がある。
 異母兄弟たちは何人もいらっしゃったし、九條公とその妻の、娘に対する扱いはそう重
 たいものではなかったのである。  
 長じて自分が皇太子妃候補のひとりだと聞かされたとき、妃殿下は一瞬まさかとお思い
 になった。
・華族女学校の中では、伏見宮親王の第一王女禎子女王が妃殿下になられる噂が専らだっ
 た。女王は大層美しい方であった。真っ白い肌に、黒目がちの瞳がちんまりとおさまっ
 ていた。
・その頃華族女学校に通う車夫たちから、自分が「九條の黒姫さま」というあだ名をつけ
 られたと聞いて、妃殿下はひどく胸を痛められておられた。
 確かに妃殿下は、色の浅黒いしっかりしたご体格なのである。
・劣等感などというものをお持ちになるとは、姫はあまりにも気高いお生まれであったが、
 それでも悲しみはつのる。
 華族女学校の中で、禎子女王をご覧になるたびに、胸がことりと音をたてるのを、姫は
 どうすることもできなかった。
・乳母や侍女たちから、華族の姫君らしからぬお振舞いが多いと常日頃言われ続けていた
 ことも原因している。
 自分がどこがどう変わっているのだかまったくわからない。
・幼い頃から昆虫や小さな動物が大好きであられた。
 とんぼの動くさまや、水すましがはねる様子はいくら眺めても見飽きるということがな
 い。 
 それよりも姫の心を引いたのは、春、桜の大木にうごめく毛虫であった。
 これがいつか蝶になるのかと思うと、その不思議さに心が吸い込まれるような思いにな
 ったものだ。
・こんな自分がどうして皇太子妃候補にあげられたりするのだろう。
 身のほどもないことと人は陰で笑っているのではないか。
 「黒姫さま」と呼ばれて以来、いささかかたくなになっている姫は、そんなことまで思
 われるようになっていた。
・ところがある日、父君の部屋に呼ばれ、こう言い渡されたのだ。
 「ただいま、婚約の御裁可がくだされた。そなたさんは東宮妃になられるのですよ」
 そして九條公はこうもおっしゃった。
 「今回の御婚約には、たくさんの者たちの尽力があった。特に下田歌子の赤心は憶えて
 おかれるように」
・妃殿下は賢明な方でいらっしゃるので、なぜ今日、佐佐木伯爵がここに来たのかすぐに
 おわかりになった。
 下田歌子のために力を貸してくれと、この老人は訴えようとしているのだ。
・だからこうおっしゃる。
 「わたしがことを動かすことはできないよ。私にはそんな力がない。けれども皇后さん
 に申し上げることぐらいはできる」
 「ありがたいことでございます」
 伯爵は、深く頭を下げたので、彼の策略は居合わせた人々に知らしめる結果となった。
 けれども妃殿下も宮も、それを決して不愉快なことにお思いになられなかった。
 「いいえ殿下が皇后さんにおっしゃるには、あまりにも物々しすぎます。私どもの方か
 らごんすけさんに言って、皇后さんにお伝えしてもらったらいかがでしょう」
・ごんすけさんというのは、宮たちの母君、権典侍「園祥子」のことである。
  
四月四日
・夜、休もうとしても腰がしくしく痛み出して眠れないことがある。
 老女に言いつけて腰を揉ませるのだが、どうもかんばしくはなかった。
 月のものがおあがりになる前兆ではないかと老女の種は言って、あれこれ苦い薬をすす
 める。
 宮中の奥深く、代々女たちに伝わってきたさまざまな薬を、種は魔法のようにすぐさま
 取り出すのである。
・「旦那さんは、およわさんでいらっしゃるから、毎日飲まなああきまへん」
 種はいとおしげに、長年仕えた女主人の背に手を置く。
 帝との間に八人の御子をあげたとは思われないほど祥子のからだは華奢である。
 細い骨にうっすらと肉がついて、これこそ高貴な女人のからだであると、種は触れるた
 びにうっとりする。 
・昼でも薄暗い後宮の中、陽をあびることのない祥子の肌は病的なまでに白い。
 それでいてぬめりとした艶があるのは、湯殿で自分が糠袋を使って、一心に磨いて差し
 上げるためだと種は信じている。
・本当に、うちの旦那さんぐらい、美しい女の人がおいでになるやろうかと種は思う。
 お若い頃の帝の寵を賜った女人は多いが、今でも御寝台に侍ることができるのは、祥子
 と小倉文子の二人だけである。
・早蕨の典侍こと、「柳原愛子」などは、皇太子の御生母であるが、局の中では影が薄い。
 もともとおっとりすぎるきらいがあって、帝のお召しもなくなったこの頃では、局の中
 でひっそりと過ごされることが多いようだ。
・「種・・」
 突然祥子は言った。
 「下田先生の話を知っているか」
 「なんや、よからぬ噂がたっているようやな」
 「へえ、旦那さんにお知らせするのが、なにやら憚れるようなことでしてな」
  祥子と歌子が親しいことは、後宮では誰でも知っていることだ。
 「下田はんのことは、針女の端々まで知ってますな。寄るとさわるとそのことばかりで
 ございます」
・世間から隔離されていると思われがちな後宮であるが、来客は意外とある。
 宮廷の奥深く、帝のお住まいに連なるところを見たいものだと、家族縁者はもとより、
 見知らぬ者までつてを頼って局を訪れるのだ。特に中元や歳暮の時などは、いつもは静
 かな後宮も、人のざわめきが絶えない。
 おそらく歌子の噂は、こうした人々が持ち込んで来たものと思われる。
・「新樹の典さんが、今度のことでどんなに喜ばれるやろ」
 女官長の名を出し、祥子は大きなため息をついた。
・女官長、「高倉寿子」は今年六十七歳になるが、その勢力たるや、同じ典侍と名のつく
 柳原愛子の比ではない。 
 後宮独得の厚化粧を今も守り、びっしり伸びた背筋で袿姿になると、あたりをはらうよ
 うな威厳がある。
・頬骨と、大きすぎるひと皮目がやたら目立つ今の顔からは想像しづらいが、その昔は大
 変な美貌で知られていたという。
 明治の御代になる前からお仕えし、まことに畏れ多いことであるが、少年だった帝に、
 性のお導きを申し上げたのは、この高倉寿子であるということは、後宮では定説になっ
 ている。
・あの頃、帝は女たちのものであった。うっすらと化粧をほどこされ、歌をよんで恋をな
 さった。
 その帝を、男たちが突然連れ去ってしまったのである。
 帝はやがて髭をたくわいられ、絹の着物を脱ぎ捨ててしまわれた。
 別人となられ軍服をお召しになり、強い声で命令なされる。
 人々はそんな帝を英雄と仰ぎ見るが、昔の女官たちは淋しさを禁じ得ない。
 心のどこかで、帝を遠い場所に連れていった男たちのことを憎んでいる。
・特にその中の一人、伊藤博文と寿子は許すことができないのだ。
 見るからに卑し気な顔をした、下級武士の成り上がり者は、こともあろうに宮廷改革に
 乗り出したこともある。 
・種ははっきりとあの日のことを憶えている。
 大西郷と呼ばれ、国民に大層人気があった西郷隆盛が、まず改革に乗り出した時、寿子
 は猛烈な勢いでこれには向かったものだ。
 数百年も続いたこのお局の習わしを変えられるものなら変えてごらんなさいましと、大
 見得をきったと伝えられている。
・だがさすがの大西郷もたじたじとなったこの改革を、後に引き継いだ伊藤博文は実に老
 獪なやり方でなしとげてしまう。
 それまで公卿の女だけで占められていた女官を、士族出身でも優秀な者があれば採用す
 るというのもそのひとつであった。
・こうして送り込まれたのが歌子と「税所敦子」であった。
 長く島津家に仕えていた敦子は、五十一歳と年齢がいっていたこともあり、その穏やか
 な人柄と歌の実力とで後宮に認められていく。
 七年前に七十六歳という高齢で亡くなったが、今でも敦子を慕う女官たちは多い。
・ほんの入れ違いに出仕した祥子であったが、歌子の”伝説”はどれほど聞いたことであろ
 うか。十五等出仕という、いわば番外のお末であったにもかかわらず、歌子はわずか二
 年で権命婦へと昇進していったのだ。
 それより何より、他の女官たちの目をそばたてたものは、皇后の歌子に対するご寵愛の
 深さである。 
 歌子という名前を賜ったばかりでなく、かた時もお離しにならない。いつのまにか両陛
 下の傍には、いつも歌子が侍っているようになった。
・帝のお手がついたという噂が流れたのは、その頃だったはずである。
 それを聞いたとき、祥子はすぐに高倉寿子のしわざだと思った。
 気にくわぬ相手を失脚させようとする時の、いつもの寿子のやり方なのである。
・後に祥子の生んだ御子が、次々と薨去なさった時、こんな話がまことしやかに伝わった
 ものだ。  
 「園家は代々、雅楽と神楽のおうちだけれど、四代前に狩猟の大層好きな方がおいやし
 た。御子が亡くなられるのは、殺生の祟りというものでしょう」
・後宮ではらちもない迷信ほど伝わりやすい。
 わが子をなくした悲しみの中にいた祥子は、この噂を聞いて口惜し涙にくれたものだ。
・ほどなく歌子は結婚を理由に、後宮を辞したが、あれは噂を気にして、両殿下に迷惑が
 およばぬように考えたのではないかと祥子は思っている。  
 しかしそのまま歌子は消えはしなかった。
 祥子も驚くような復活をするのである。
 五年後夫を亡くした歌子は、特別御用掛として再び出仕し、華族学校設立の任にあたっ
 たが、もちろんこれらのことが寿子にとっておもしろいはずはない。
・彼女が歌子に再び襲いかかったのは、もう十二年も前のことになるだろうか。
 祥子はその現場を見たことはないが、他の女官たちの話では、寿子が徳大寺侍従長らを
 集め、なにやらひそひそ話し合っていたという。
 そして寿子は大っぴらにこんなことを言い始めた。
・「おそろしいことや。下田歌子はんは。欧州へ行って耶蘇教にならはった。耶蘇教のお
 人が宮中に堂々と出入りするなんて、こんなことがあるやろか」
・歌子が耶蘇教信者かどうかというのは、かなり大きな嫌疑となり、皇后も新米なさった
 はずである。
 しかし、やがて伊藤博文が間に入り、うまく歌子の身の潔白を証明したという。
 憎い伊藤博文と歌子の結託に、寿子はさぞかし、歯ぎりししたいような思いになったに
 違いない。
・それにしてもと、祥子は再び種に言えない言葉を胸の中でつぶやく。
 今度のことは、すべて皇后さんがおつくりになった火種というものではないだろうか。
 宮廷の女官といっても、所詮は籠の中の鳥だ。
 ほとんどは局の中で追いさらばえていく。
 高等女官の中にはめったにいないが、行儀見習いの感が強い針女の中には、時々縁談が
 まとまって辞めていく者がいる。
 その時の嫉妬といったらすさまじい。
 しばらくは無言の嫌がらせや、憎悪の視線が続く。
 それが怖ろしいばかりに、たいていの者は病いと偽って宿下りをするのである。
・針女たちは旦那さんである高等女官への奉仕ひと筋に、高等女官たちは両陛下のお顔の
 色をうかがいながら暮らしている。
 いわば後宮の女たちのすべてを握っているのが、陛下の言葉ひとつ、指をおさしになる
 方向ひとつなのである。 
・それをよくご存じでいらっしゃるから、どちらの陛下も決して分けへだてをなさること
 はなかった。
 いつも気をお配りになり、皆が公平に喜ぶことをなさる。
 それなのに皇后は、歌子に対してだけは、常ならぬご振舞いをなさるのだ。
・夫に死別した元女官を、再びお召し抱えるになるのも異例のことだし、歌子をひきたて
 て、ついには学習院の女学部長までになさった。
・こちらは権典侍と言って、公式の場にはいっさい出ることができない身の上だ。
 内親王の御生母ということで多少持ち上げられてもらえるが、それも後宮内に限られて
 いる。  
・立場が違うといえばそれまでだが、同じ女官という運命を歩きながら、自分と歌子とは
 何と違っていることだろうか。
 あちらは宮廷勤めを大きなばねとして、違う世界へ羽ばたいていった。
 そこへいくと、こちらは全くの世間知らずのまま、局の中で一生を終えるのだ。
 せいぜいが寿子のようになり、後宮をたばねるかである。
・その時、ふとある疑問が、祥子の中にわき起った。
 自分は本当に歌子のことを好いているのだろうか。
 もし本当に好いているならば、歌子が内親王たちの御養育掛に決定したと聞かされた時、
 一瞬よぎった嫌悪はいったい何だったのだろうか。
 当初はそう親しくしていたわけでもないのだが、気がつくと歌子にいつのまにか友情を
 結ばれていた。 
 そして今や、彼女についてあれこれ言えぬほど、さまざまなしがらみで、かんじがらめ
 にされている。そんな気がして仕方ない・・・。
・いや、いや、少し考えすぎたと祥子は首を横に振る。
 歌子との結びつきを論じる前に、内親王からの要望を、早急になんとかしなければなら
 なかった。 
 皇后とお会いする機会は確かにある。いってみれば夫の愛人でもある小菊の権典侍を、
 皇后は折に触れお呼びになり、話し相手をお命じになることもあるのだ。
・こんなところが皇后のお人柄と人々は感じ入るのであるが、祥子はすべて見透かされて
 いるのだと感じることがある。
 ここ数年、祥子は帝の御寝台の傍で夜伽をしても、その上にのぼったことはない。
 おそらく皇后は、そのことをご存知に違いない。
 もう自分のことを女として見ていない皇后から、また近いうちにお召しがあるはずであ
 る。
 その時に歌子のことを切り出してみよう。
 あの方は歌子のことになると、目の色が変わっておしまいになる。
 歌子の今の苦難をお知りになったら、必ず救いの手を差しのべるはずだった。
・けれどもそのことを自分が本当に望んでいるかどうか、さきほどから祥子は考えている。
 これは種にも言えないことであるが、心のどこかで、歌子の活躍に反発している祥子が
 いる。
 学習院の女学部長というが、そもそも貴族の女子の教育を、どうして歌子にまかせなく
 てはいけないのだろうか。 
 いくら学識が深いからといっても、たかだか田舎の士族の女ではないか。
 公卿の女たちとは格が違う。
 そのうえ、歌子は、自分がお生み申し上げた内親王方の、御教育まで手がけているのだ。
 これはまるで、公卿の女より、武士の女の方が上というものではないか。
・いやそんなことを言うてる時ではない。
 「常宮さんのためにも、早くなんとかしなくてはならない」
 口に出してああ、そうだったと祥子はおおいに自分を悔いる。
 今は歌子に対する自分の感情に、かかわりあっている時ではない。
 歌子は二人の内親王を教育申し上げた女である。
 彼女への侮辱は、そのまま祥子の大切な娘たちへの侮辱なのだ。
・「これは極秘のことでございますが、お母上ゆえに特別に」と言って、歌子がこっそり
 耳打ちしてくれたところによると、常宮の婚約が、近々正式に決まるらしい。
 二十歳という年齢になった「常宮昌子」内親王のことを、祥子はずっと前から案じてい
 た。 
 内親王と結ばれるなら相手は宮家、そうでなかったら五摂家に限られるのであるが、ざ
 っと見わたしたところ、昌子と釣り合うような男子はどの家にもいない。
・このままでは尼になり、どこかの門跡になるより他ないのではないだろうかと、祥子は
 やきもちした。
 母親といっても、何をする立場でもないだけに、なおさら苦しみはつのる。
 昌子内親王の後には、十八歳の房子内親王も控えておられるのだ。
 しかし歌子によると、帝や宮内大臣が討議した結果、北白川宮能久親王の庶子であられ
 る恒久王に新しく宮家を設立させ、そこに昌子内親王がお輿入れする由決定したという。
・そうだ、もうじき嫁ぐ娘に、汚点をつくってはならないと祥子は決心する。
 これは歌子のためではない。
 二人の娘のために行うことだと考えると、気分もずっと晴ればれする。
・「そや、新樹の典さんを、喜ばせるようなことをしたらあかん」
 「そうですとも」
 種は力を込めて言った。
 種も寿子のことを許すことはできない。
 旦那さんである祥子にも黙っていたが、寿子に対して種はいくつもの深い恨みがある。
・なんでも昔針女として雇った女の中に、刺青をした者がいたそうで、後宮中大騒ぎにな
 ったという。
 それを確かめる意味でも、新しく入った針女たちは、裸になって踊らなければならない。
・それは節分の夜であった。すっかり片付けられた御膳所に、新規の針女たちはずらりと
 並ばされる。
 身につけているものといったら、腰に巻いたものひとつだが、羞恥のために肌がほてっ
 て全く寒くはない。 
 女たちが踊りだすと、一方に控えていた先輩の針女たちが、桶やたらい、薬缶を叩きな
 がらはやし立てる。
・「はれ、新参舞いを見いさいな、新参舞いを見いさいな」
 この合い間に、古手の女たちは新しく入った女たちの身体検査をするという仕掛けであ
 る。
・種は屈辱と怒りで、目に涙がじにんできた。
 お末の仕事をする針女といっても、宮中に出仕しようというからには、皆それなりの家
 庭の娘である。
 種の家はもともと公卿の衣装を扱う商人であったが、遷都に伴い、東京へ出てきたのだ。
 維新のごたごたで、既に二十代の後半になっていた種を父親は心配し、つてを頼って宮
 中出仕の話を探し出してきてくれたのである。
 「中にいるのは、身分の高いえらい女の人ばかりや。よう仕えていろんなことを習って
 きいや」
・そのえらい女の人たちが、後ろの方で新参舞いを御簾ごしに眺めていたと聞いて、若い
 種の衝撃は大きかった。
 平安の時代から抜け出したような優雅な女たちが、同性の裸踊りを見て笑っていたとは、
  なんという仕打ちだろうか。
 いっそのこと、家の戻ろうと何度も思ったが、すぐの辞職は家の恥になると父親に説か
 れた。
・しばらくして、十三歳の祥子が入内し、その部屋付きになった時、種はこの方こそ自分
 が待っていた方ではないかと思ったことがある。
 公卿の姫である祥子は、たっぷりした髪のまるで京人形のような美しさだった。
 何も知らないまま、権典侍となり、帝の御寝室へ向かう若き日の祥子がいじらしく、種
 は自分の人生と重ね合わせたりもした。
・その頃から寿子は、御寝室での差配を握り、女人を指名するのは帝ではなく、典さんだ
 と人々はささやき合った。 
・仲間の針女は、種にそっと耳うちしたものだ。
 「新樹の典さんは怖いお人え。自分が気に入らん権典侍さんにやや子ができると、廊下
 に蝋を塗るんえ」
・その噂が本当かどうかはわからなかったが、「葉室光子」と「橋本夏子」というお人の
 話は聞いた。
 明治六年、帝の初めての御子はその日のうちに薨去なさった。
 そして葉室光子という若い母親も四日後に息をひきとったのである。
・そして二ヵ月後、橋本夏子という十六歳の少女が内親王をお生みになったが、この御子
 もし死産で、夏子も翌朝亡くなっている。
・種が後宮に勤めだしてからも、「柳原愛子」が二人の御子を、「千種任子」が二人の内
 親王をそれぞれ亡くしているのだ。 
・それから二日後のことである。
 表から退出した祥子に、おかい取りを着せながら、種は言った。
 「今日は典さんが、大変なご機嫌だったそうですよ」
 なんでも帝から打ち菓子の御下賜があったそうで、それを局の家来たちにおすべりとし
 て与えながら、寿子ははしゃいでいたそうである。
・どうして帝が菓子を寿子にあたえたのか、祥子は合点がいかない。
 祥子が知っている限り、最近の祥子に対してのおふるまいは、極めてそっけないもので
 あったからだ。 
・寿子にしても高齢ゆえに、お食事のお世話やこまごまとしたことのために、表に出るこ
 とは少なくなっている。
 帝と寿子の接点はほとんどなかったはずだ。
 その寿子が打ち菓子を賜るほど長時間、帝の前にいた。
 これは祥子に暗い予感をもたらした。
・もしかすると寿子は、あのことを帝のお耳に入れたのかもしれない。
 陛下もよくご存知の下田歌子、あの者の世評をお聞きになりやしたか・・・。
 寿子のあの低い京言葉を、祥子は聞いたような気がした。
・歌子の噂を帝がお聞きになる前に、皇后にお話申し上げようと思っていたのに、もしか
 すると遅すぎたかもしれないのだ。
 慎重にことを運ぼうと考えていた矢先、あの戦略家の寿子はとうに何か計画を進めてい
 たに違いない。
 寿子だったらさりげなく、しかも悪意を込めてあのことを、帝のお耳にいれることはや
 りかねなかった。急がなければならない。
 
四月七日
・院長室に夕闇がしのび込もうとしていた。
 この頃になると、乃木希典将軍の左の義眼はかすかに痛み出す。
 おそらくすでに暗くなった手元を、右眼で必死に見ようとしているからだ。
 しかし将軍はなかなか電燈をつけようとはしない。
 軍人たるもの、薄闇の中でも書見ができねばというのは彼の信条で、生徒たちにも実行
 させている。 
 今年との一月、将軍が院長に就任して以来、学習院の生徒たちは電燈をつける替わりに、
 大きく窓を開けろと言われ続けていた。
・いま将軍の目の前には、もうじき移転することになっている北豊島郡高田村新校舎の設計
 図が置かれている。 
 これを眺めるのが、最近の将軍の何よりの楽しみであった。
・それは将軍の発案による簡単な西洋室であった。
 将軍が寄宿舎を純西洋式にすると宣言した時、まわりは大いに驚いたものである。
 日本こそ第一等国であると信じ、近頃言われるような和魂洋才などという風潮を何より
 も忌み嫌う将軍があるが、家屋に関しては西洋にやはり一歩も二歩もゆずらなくてはな
 らないと思う。
・将軍は家に帰っても、寝る時でさえ軍服を着続けると嗤う者がいるが、ドイツの軍人た
 ちを見るがよい。彼らは自宅の居間にいても、軍服に威を正しているのだ。それも西洋
 室だから可能なことである。
・将軍はここで、学習院の生徒の顔を思い浮かべる。
 彼らの青白い肌といったらどうだろう。まるで女のようではないか。
・華族制度が確立されて二十余年、その子弟たちは将軍にとって初めて目にする新しい種
 族である。
 生まれた時からおかいこぐるみにされ、靴を履くにさえ大勢の召使いたちがつく。
・いちいち制服を脱がせたわけではないが、制服の下に絹の襟巻をつけている者さえいる
 という。
 大名華族ならいざしらず、彼らの祖父や父は、みな粥をすすっていた貧乏公卿ではない
 か。
 そうでなかったら、将軍のように、困窮を質素と言いくるめられて生きてきた下級武士
 だ。
・人間というものが、これほどまでにたやすく奢侈になれるものかと将軍は驚くことがあ
 る。
 嘆かわしいというよりも、この老いた将軍はひたすら哀しかった。
 軍人と華族といえば、帝の藩屏となるべき者たちではないか。
 帝自ら御質素を旨とされ、国民に範をたれてくださろうとしているのに、これをお助け
 する者たちが、贅をつくし、軟弱になり下がろうとしておる。
・四日前のことだ。隅田川上流において端艇競漕会が行われ、皇孫であられる、「迪宮」、
 「淳宮」の両殿下も見物にいらっしゃった。 
 来年学習院にお入りになることが決まっている七歳の迪宮殿下は、制服姿の生徒たちを
 珍し気にご覧になったものだ。
 そのお姿のご立派だったこと。
 当然といえば当然であるが、将軍はこれほど気品に満ちた聡明な少年を見たことがない
 と思った。
 帝の血をひき、いずれは日本をお治めになる方である。
 命に代えても立派に御養育申し上げなければと、将軍は再び心に誓う。
・それにしても帝の自分に寄せてくださる御信頼の篤さといったらどうだろう。
 「乃木は二人の息子を失くしたから、その替わり、わしがたくさんの子どもを授けよう」
 とまるで冗談のように潤達におっしゃったが、お心のうちは読めている。
 大切な皇孫殿下が学ばれる学習院を任せるということは、その皇孫殿下を任せるという
 ことなのだ。 
・将軍は本来軍人なので、教職者たちがよく抱く、子供たちへの無邪気な愛情というもの
 とは縁が薄い。
 将来、皇室を盛りたてるための大切な子どもたちだと思うからこそ情と使命感がある。
 少しずつ着手し始めた改革も、迪宮殿下をお迎えするための準備といっていい。
 それにしても急がなければならなかった。
 この学習院にみなぎっている、いかにも貴族学校然とした華美な空気を排し、冬の掃き
 清められた廊下のような、凛とした学び舎をつくらなければならないのだ。
・三月の半ば頃からであろうか。「久保田譲」の使者が新聞の切り抜きを運んでくるよう
 になった。 
 最初その封筒を開けた時、将軍は思わず舌打ちしたものだ。
 なんと平民新聞といって、危険思想を持つ奴らがつくっているものではないか。
 将軍にとって、指を触れただけでも身が穢れそうなしろものである。
 久保田が電話で、学習院に関する重要なことだから、ぜひ目をお通しいただきたいと念
 をおさなかったら、おそらく将軍はその切り抜きをただちに焼き捨ててしまったに違い
 ない。
・それを読み始めると、はたして学習院女学部長、下田歌子の醜聞であった。
 前にも、二、三度伊藤博文伯爵との噂を小耳にはさんだことはあるが、酒席を忌み嫌い、
 噂も卑しいもとする将軍の前では、それもごく淡い世間話のようにして通り過ぎていっ
 ただけだ。
・しかし、この切り抜きには、将軍の知らないさまざまな歌子がいた。
 美濃の出身で宮廷勤めしていたことまでは知っていたが、一度結婚していたことや、多
 額の負債に追われていることなどは初めて聞くことばかりだ。
 過去をあげつらわれ、稀代の悪女のように書かれているが、どこまで本当のことなのか
 将軍にはよくわからない。
 どうせ社会主義者たちがやったことだ。すべてでっち上げに違いないと思う時もあるし、
 それにしてはいやに生々しい事実にいきあたることもある。
 出てくる男たちの名も、将軍のよく見知った連中ばかりであるが、このことに関しては
 深くかかわるまいと決めていた。
・この庶民の揶揄と憎悪に満ちた声といったらどうだろう。
 帝のまわりにいる者、すなわち学習院関係者は、世の尊敬と憧憬とを集めなくてはなら
 ぬ。またそうであると確信していた将軍にとって、これらの文字は、顔にいきなり汚物
 を投げかけられたような気がする。
 例の旅順攻撃の際、人々からぶつけられた罵倒と小石によって、将軍は庶民というもの
 の怖さを多少知っているつもりだ。
 あきらかに、これはよくないことの前兆であった。
・だが、こまめにこうした切り抜きを送ってくる久保田の真意を、将軍は図りかねている。
 元文部大臣といってしまえばそれまでだが、彼の頻繁さには、どこかうきうきとした様
 子が見られるのだ。  
 もしかすると、桂が彼に命じて何かを画策しているかもしれない。
 だが、そうした推測は、将軍のいちばん苦手なものなので、何の目的でというところま
 では発展しないのだ。
・「それで院長はどうお思いなのですか」
 「どう思うとはどういうことか」
 「ですから下田教授のことですよ。このまま教授に女子部を任せるのか、それとも否と
 なさるか。院長のお心次第ではありませんか」
・これには少なからず将軍は驚いた。
 歌子を辞めさせるなど、今の今まで考えたこともなかったからだ。
・確かに将軍は下田歌子という女性が苦手であった。
 この四日に学習院女子部では、卒業証書授与式がとり行われたのであるが、その際歌子
 は白い宮廷服を身につけていた。
 さすが日本でいちばんえらい女性よと、出席した父兄の中からも感嘆のため息がもれて
 いたのを将軍は見ている。
 だが彼女の宮仕えをしていたことの証のような厚化粧は、将軍にとって我慢できないも
 のであった。
 ぽってりと赤く紅をつけた唇が、将軍に昔戯れた女たちを連想させる。
・乃木将軍といえば高潔の上、質実剛健の代名詞のように世間から言われているが、将軍
 とて生まれ落ちたときからそうだったわけではない。
 結婚前後の頃は、酒乱とささやかれるほど飲み、しばしば女たちを抱いた。
 あの頃将軍も若く、そして軍人とみれば安く抱かせてくれる女たちもいくらでもいたの
 である。 
・ドイツ留学に赴き、将軍が別の生活信条を持つようになるのは、それからしばらくたっ
 てからのことだ。
 ある時から酒席も、藩閥に加わることもいっさい避けてきた将軍であるが、最近はそれ
 に求道者のようなおもむきが加わるようになった。
 今度の戦で、二人の息子を失った将軍にとって、もう怖れることは何ひとつない。
・息子たちが生きていれば、多少とらわれるものがあったかもしれぬが、これからは妻の
 静子と二人金も名誉もいっさい拒否して暮らしていくつもりだ。
・歌子は、こんな将軍の静謐な生活に、時折入り込んでくる強烈な色彩である。
 他の女なら避けることができたかもしれぬが、彼女は女学部長である。
・打ち合わせや会議の際、顔を合わせるたびに、将軍はいささか居心地が悪い。
 別に西洋香水をつけているわけではないだろうが、念入りに完璧な化粧をした歌子から
 は、いつもよいにおいがする。
 時たま相手に念を押すとき、歌子の視線は、流し目ともいえないほどの角度で揺れる。
 これがどうも将軍はまともに受け止めることができない。
・しかし、苦手というのと、嫌悪というのとは別の感情である。
 なによりも歌子は、皇后の御寵愛を昔からいただいている身ではないか。これだけでも
 歌子は、将軍にとって不可侵の存在なのである。
・時々こんなことを考えることがあった。
 帝が誰よりも信頼を寄せている将軍、そして皇后が誰よりも愛されている歌子。
 この二人で力を合わせて学習院を盛りたてていけと、帝たちはお考えになっているので
 はないだろうか。
 その思いつきは、神話の一節のようで、将軍はかすかに気に入っている。
 自分とひき比べ、歌子が多少役不足だと思うことはあるが、今の日本であれより上の女
 はいないのだから仕方ない。  
 そんな将軍にとって、歌子を辞職させることはおよそ想像外のことなのである。
・「こうお考えになったらいかがでしょうか」
 この男、昔から口がなめらかな男だったなと思いながら、将軍は久保田の声に耳を貸す。
 「来年、皇孫殿下が学習院に御降学されます。そしてそのお妃になる方も、いずれは女
 子部で学ばれるはずです。今やその方々の御教育も院長殿下に任されているのではござ
 いませんか」 
・この言葉には少なからず、将軍は動揺した。
 未来の帝、未来の宮たちの妻になる少女たちは、すべて学習院女子部にやってくる。
 当然といえば当然すぎる話で、将軍もこれについて思いをめぐらせたことが何度もある。
 しかし、このように突然他人から指摘されると、その事実は将軍をうろたえさせるに十
 分なものがあった。
 「そんなことはわかっておる」
・女子部に行くたびに、将軍の目をひくのは、華族の少女たちの顔色の悪さである。
 本院の少年たちも相当ひどいが、表に出る機会が少ない分、少女の方がさらに白い。
 その白い顔をひきたてるように、彼女たちは繻子のリボンや、絹の着物を身につけてい
 る。中に紫色の振袖をまとったものもいて、これには将軍も目をむいたものだ。
 紫といえば、昔から高貴な人のみ許される色だったではないか。
 それを十三、四の小娘が、意もかいさぬ風に長い袂をひるがえしているのだ。
 名前を尋ねなかったが、いずれにしても名門の娘であろう。
 もしあのような少女が、将来迪宮のお妃にあがり、そして皇后になったらと思うと、将
 軍はあらためてことの重大さがしみじみと思われるのだ。
・また将軍は、あの時のことを忘れることができない。
 それは部下にも妻にも言うことができない恥辱というものである。
 院長就任の際、将軍は女子部で短い演説をした。
 華やかに着飾った六十人の少女たちを目の前にしたとき、敵国の大将にさえ動じなかっ
 た将軍が、妙に緊張してしまったのである。
 「お前たちは、皇室を拝し奉り、お父っつぁん、おっ母さんも大切にしなくてはならん」
・そのとたん、しのび笑いが少女たちの間からさざ波のように起こった。
 そうでなくとも彼女たちは、将軍の長州訛りや時代がかった様子にさきほどから笑いを
 こらえていたのだ。  
 いくつものリボンが揺れるのが、檀上からもはっきりとわかった。
・「あなたの言われるまでもなく、わしにはわしの考えがある」
 「だが、わしひとりで決められるものではない。十分に時間をつくして結論を出したい」
 将軍は最後には威厳を持った声を出した。
 
・将軍は書斎で本を読んでいた。もちろん当節流行の自然主義文学などというものではな
 い。
 ああしたものを退廃的と将軍は決めつけ、大層憎悪していた。
 学習院の高等科の中にも、集って小説を書いたりする者がいるということだが、まった
 く由々しきことだと将軍は思う。
 男は漢籍と、日本古来の思想書に目を通せばよいのである。
・いつのまにか、学習院という場所は将軍の活力の源となっている。
 最近、寝ても起きても考えることといったらそのことばかりだ。
・日露戦争で多くの兵士と、二人の息子を亡くした将軍にとって、今さらこのような生き
 甲斐が自分に与えられようとは思ってもみなかった。
 これもすべて帝のおかげだと、意外にも涙もろい将軍は、時折熱いものが目にこみ上げ
 てくる。 
・それにひきかえ、哀れなのは静子かもしれないという意識が、将軍の胸をかすめること
 があった。 
 もともとおとなしい女だったのだが、最近ますます無口になった。
 他の上流夫人たちのように外に出歩くこともなく、着物をつくるわけでもない。
 この家でひっそりと暮らしている。
 来年から自分が学習院で寝起きするようになったら、親戚の者でも呼ぶように言ってみ
 よう。
 将軍は長年連れ添った妻が、ふと不憫になる。
・その静子がドアの向こうから遠慮がちに声をかけた。
 「お客さまでございます」
 「誰だ」
 「飯野吉三郎さまとおっしゃって、大山閣下の紹介でいらしたそうでございます」
・そういえば、大山巌から以前聞いたことがある。
 穏田に非常によくあたる祈祷師がいて、戦さの結果をぴたりと言ったというのだ。
 そうした人間は、もとより将軍が忌み嫌うものである。
 しかし、大山と名前を出したからには会わないわけにもいくまい。
 将軍はしぶしぶと立ち上がった。
・「これはこれは乃木閣下・・・。御高名はたえず伺っております。お目通りを許してい
 ただけるとは、私はなんと果報者でありましょう」
 男はいきなり床にはいつくばって頭を下げた。
 「いいから椅子に座りなさい」
 「いや、結構でございます、今日、わたくし飯野吉三郎は、この一命に賭けて、閣下に
 お願いの義があってまいりました」
・こういう大げさな言い方は、彼ら独得のものだと将軍は思う。
 だが、次に男の口から出た名前は意外なものであった。
 「もれ伝え聞くところによりますと、閣下は下田歌子教授に、辞職を促しておられると
 いうのは本当でございましょうか」
・将軍の眉がかすかに動いた。
 相手の出方がわからぬうちは感情を決してあらわにしない。
 これは長年の軍人生活で将軍が身につけたものである。
・「近頃、危険思想の輩が女史を陥れようと、全く出鱈目を新聞に載せております。まさ
 か閣下ともあろう方が、こうした下劣なものをご覧になろうとは思いませぬが、もしこ
 ういう者たちに惑わされ、女史をお切りになるようなことがありますれば、必ずや現在
 の薩長政治に災いが及びでありましょう」
 「ほう、それはまたどうしてか」
 「私ごときが言わずとも、聡明な閣下におわかりでありましょう。桂太郎閣下、田中光
 顕閣下などは、女史を決して快く思っていないのであります」  
・桂太郎と意味あり気に発音されるのが、将軍には不愉快だった。
 彼と将軍との不仲は、世間で取り沙汰されることが多い。
 愚直といっていいほど潔癖な将軍に対し、同じ長州閥といっても、綜理をつとめ、政界
 に絶大な勢力を持つ桂は、あまりにも歩む道が違いすぎた。
・「いわば女史は、長州出身の皆さまとお親しく、女ながら要を勤められた方、畏れなが
 ら皇后のご寵愛も深くておられる。そういう人物を、今なぜか長州の男たちが寄ってた
 かってひきずり下ろそうと画策している・・・」
・将軍はよく動く男の口を見ながら、先ほどからある質問を発したいという欲求でうずう
 ずしてきた。  
 「お前は下田教授のいったい何なのだ」
 情人だ、という確信を持った時、将軍はさまざまな謎が解けたような気がした。
 あの濃い口紅、「閣下」といってこちらを見つめる視線、そうだ。やはりあの女はそう
 いう女だったのだ。
 暗い底知れぬものを感じた自分はやはり正しかったのだ。
 
四月十三日
・「穏田の行者」と呼ばれる飯野吉三郎の住居は、三千坪の宏大な日本家屋である。
 ここはある男爵の邸であったのだが、いつのまにか彼のものになりつつある。
 ついでに飯野は男爵の娘さえ手に入れているのであるが、その経緯は誰も知らない。
 一説によると、飯野に心酔した老男爵がすべてを差し出したことになっているのだが、
 近所の者で本気にする者はいなかった。
・その飯野の邸の呼び鈴を、夜遅く押すものがあった。
 「どなたですか」
 下女の声に、男は低く答える。
 「奥宮だ。早く開けてくれ」
 下女は「奥宮健之」の顔をよく知っている。
・座敷に通しながら、下女は飯野の奥二階の寝室の方に目をやる。
 いつもながら起きている時間なのであるが、晩酌を多めにすごした飯野は、不意に傍に
 いた女の手をとり、寝室へと入っていったのだ。
 「先生ったら、腕が痛とうございます」
 女は抗う真似をしながらも矯正をあげる。
 その様子を本妻の源はちらっと見ていたが、また何ごともなかったように、膳のものを
 片づけ始めた。 
・ここに勤め始めて三ヵ月経つが、下女はこの家の人間関係がまだつかめていない。
 奥さまの源がいるし、その傍には小さい奥さまと呼ばれる若い娘がいる。
 その他にも主人の寝室に侍る女たちも多い。
 ふだんは女中のような仕事をしていても、朝、飯野の寝床から出てくる女たちは四人は
 いただろうか。  
 もう少し器量がよければ、自分もあの中の一人になるのだろうかと、下女はそんなこと
 を思ったりすることもある。
・「先生、お客さまでございます」
 誰だ、という飯野の声と、鼻にかかった女の声とが同時に聞こえた。
 「奥宮さまがお見えでございます。なんでも至急おめにかかりたいそうでございます」
 十分後に座敷に現れた飯野は、情事のなごりを微塵も顔に残してはいない。
 それはあまりにも日常的であるために、女のからだを離れるやいなや、彼のからだから
 はただちにひややかさをとり戻すのだ。
・「先生、平民新聞の廃刊がきまりました」
 「なに」
 「本当ですとも。今日東京地裁の判決が下りましてね。
 新聞は発行禁止、発行人石川三四郎は禁固六ヵ月と決まりました」
・三月に掲載された「父母を蹴れ」という論文が世の秩序を乱すと告訴されたのであるが、
 そんなものはただの難癖というものだ。
 政府が社会主義者たちの手綱を急に強く引き締めたいと考え始めたというのは、誰の目
 にもあきらかだった。
・「これで安心しているわけじゃやない。「幸徳秋水」という男から目を離さないでくれ。
 これからも何かあったら、すぐわしのところへ知らせてくるのだぞ」
 「もちろんですとも」
 どんと胸を叩く真似をする奥宮が決して卑しく見えないのだが、飯野には不思議だった。
 現代の社会主義を憂れい、本来のあるべき姿を取り戻すために、自分は内部から改革し
 たいなどと熱っぽく語っていたのは最初のうちだけで、今では体裁などかなり捨ててい
 る。幾ばくかの金とひき替えに、「平民社」の情報を置いていくのだが、どうしてもた
 だのたかり屋には思いえないのだ。
 彼はある目的のために、自分に近づいているのではないかと、時々そんな気さえする。
・それにしても危ないところだったと飯野は思う。
 この連載があと一週間続いたら、おそらく自分のところまで筆は波及したに違いない。
 歌子との醜聞のみならず、過去まで活字になったかもしれぬ。
・今でこそ政界、財界の連中から「穏田の行者」などと言われ、占いを乞われる身である
 が、飯野には一年間の囚人生活の経験がある。その昔、催促に来た白木屋の店員に、金
 がないと居直ったことが原因である。  
 多少睨みをきかしたところ、ただちに脅迫事件となってしまったのだ。
・宮中と教育界に権力をふるう下田歌子と、前科のある怪僧。いかにも平民新聞の喜びそ
 うなネタではないかと、飯野は珍しく自虐的なことをつぶやく。
・平民新聞を潰したのは、いったい誰だったのだろうか。
 それはやはり伊藤博文ではないだろうか。
・「わたくしは伊藤さまとは、何の関係もございません」
 と歌子はよく言うが、飯野は全く信用していない。
 伊藤のみならず、何人もの権力者たちと歌子は肌を合わせただろうと思っている。
 しかし、どの男も自分のような歓喜は与えられなかったはずだ。それは自信がある。 
 歌子のからだは、長い間きちんと弦をはじいてもらわなかった楽器のようなところがあ
 った。  
 そして根気ある名人であるところの飯野が、指先に力を込めると、たちまち楽器は奏で
 始めた。そしてそれもとめどないほど豊饒な音を出した。
・五十を過ぎたといっても、歌子は若くみずみずしい。
 そして官能を表現する多くの言葉を持っていて、それは飯野には喜ばしいことであった。
・故郷が同じ歌子は、美濃言葉で、ああ気持ちがよいと訴える。
 そこには気取りもてらいもなく、飯野は十いくつ上のこの女がいとおしくなることさえ
 あった。  
 おそらく歌子は、多くの男たちに乞われるままに、自分のからだを機械的に投げ出して
 きたに違いない。
 そうかと言って、歌子の口から女であることの恨みは出たことはなかった。
 ただ繰り返し聞かされる自慢話がある。
 「伊藤さまはよくおっしゃったものです。下田歌子ほどの人格と学問を持っていたら、
 いつでも大臣になれたものをと。下田歌子が男に生まれなかったことは、国家にとって
 大きな損失だったとおっしゃってくださったのです」
・男に生まれていれば、大臣にもなれるものをという述懐は、歌子の正直なものだったろ
 う。 
 しかし女に生まれたからこそ、権力のある男の庇護の元にここまでこれたという現実が、
 歌子の純粋な自意識の前を遮ぎる。
 そしてこの二つは、歌子を時々揺り動かすのだ。
・「考えてみれば可哀そうな女よな」
 飯野もよく理解できないままに、よくこの安易な言葉を口にする。
 そうすると世の男たちがたいていそうであるように、女に対するいとおしさがますます
 つのるのであった。 
 世間では偉い女、賢こい女の代名詞のような歌子が、自分だけに見せる弱さと可愛らし
 さ。
 そんな女に、ひとときの快楽と、さまざまな希望を与えてやるぐらいが何であろうか。
・少女の頃から、儒学者の祖父たちから叩きこまれたものは、宮廷勤めするようになっ
 てもまったく変わらない。
 それどころか、さらにははっきりとした輪郭をとるようになっている。
 「初めて宮廷にあがって、陛下をこの目で拝した時、わたくしは気が遠くなりそうにな
 りました。錦絵で見たとおりの、いいえ、もっと美しくご立派な方がそこにいらしたの
 です・・・」 
 歌子がそんなことを言うのを、飯野は聞いたことがある。
 これは何人もの人々に言われることであったが、飯野は大層帝に似ているという。
 「あんたから、その怪しげなところを取れば、畏れ多くも陛下にそっくりじゃ」
 と口にする者さえいるぐらいだ。
 これは当然、飯野の自慢の種になるところであるが、これをはっきり歌子の前で聞くの
 ははばかられた。
 「わしは本当に、陛下に似ているだろうか」
 などと尋ねれば、歌子は顔色を変えて否定するに違いない。
 しかし飯野は、歌子が自便に固執し、身をまかせているのは、そのことが原因ではない
 かと思う時がある。
・が、それにしてもとにかく、朗報を一刻も早く歌子に知らせなくてはならないだろう。
 飯野はさっそく電話室に入り、交換手に歌子の電話番号を告げる。
 開口いちばん飯野は言った。
 「いや、平民新聞のことだが、あれごときを潰すのにやけに時間がかかった。あちこち
 手をまわして、やっと廃刊ということになったよ」
・ところが歌子の反応は意外のなものであった。
 「知っておりました」
 冷たく言いはなつ。
 ということは、既に情報が彼女の元にもたらされたということだ。
 やはり黒幕は伊藤博文かと、飯野は思いをめぐらす。
・飯野が感嘆する中のひとつに、歌子のこんな一面がある。
 いったん床を離れるやいなや、飯野のからだからはさっと汗がひき、女のにおいをはじ
 きとばすような空気が、ただちに彼の身をつつむ。
 それが冷たくてせつないと女たちは悲しむのであるが、歌子にもまったく同じことが言
 える。   
・どれほど甘い声をたて、時々は激しくあえいでも、身を起こして襟元をかき合わせると
 歌子は確かに「下田歌子」に戻る。
 満足していた証拠をいくつもとらえたからいいようなものの、そうでなかったらすべて
 のことが演技と思われるような歌子の態度であった。
 そしてこれにあうと、飯野はあきらかに卑屈になるのであった。
・「しかし、よかった、よかった。これであなたも明日はどんな記事が載るだろうかと悩
 まされる必要はないのだ。そうとも、これにて一件落着」
 彼が大好きな芝居の声色めいていった時だ。
 歌子はきっぱりと言った。
 「けれども、失ったものは二度と戻りません」
 それがどういう意味を持つのか飯野が知ったのは、それからしばらく経ってからである。
・夜明け少し前に、飯野は井戸へ行き、冷たい水を頭からかぶり斎戒沐浴する。
 歌子に電話をした後、気分がたかぶってもう一人女を抱いた。
 ”すえの”と言って、小さい奥さまと呼ばれる女だ。
 男爵の娘で、華族女学校に通っていたものを、飯野が力を込めてひっさらっていったの
 だ。  
 彼の本妻の源は、明治女学校の卒業生である。
 飯野の好みは学があって美しい女だ。
 学があるからこそ床の中でおもしろい反応をするというのは、飯野の論理であった。
・井戸水を浴びた後、彼は直衣にあらため、神殿に額ずく。
 こうして精神を集中させ、神が下りてくるのを待っているのだ。
 手には一本の筆を持っている。「霊筆」といって、さまざまな予言が、彼の指を借りて
 降りてくるひとときだ。
 「えい」と念じた後、つぶやきとも小さな悲鳴ともつかぬ声が出、筆はするすると動く。
・「前途多難」「変事来る」と霊板の上に、文字が浮かびあがった。
 飯野の肩はがっくりと落ちる。
 普段彼は、自分の行末を占うことを否としているのであるが、今日は歌子を霊筆に伺っ
 てみたのだ。 
・”変事来る”・・・」
 飯野はこの言葉を、うまく解釈しようと骨を折った。
 しかし他人のことならばいくらでも予言し、脅し、おだてることができる飯野なのに、
 これに関してはお手上げであった。
・この後、飯野は彼にしては実に珍しい方法をとる。
 駆け引きをする相手ではなく、率直に質問できる人間のところへ教えを乞いに行くこと
 にしたのである。  
・行先は九段の「大島健一」大佐の家である。
 邸内を覗くと、大島は竹刀を振り上げ、書生に稽古をつけてやっているところであった。
 飯野を見つけると「やあ、来たか」と笑う。いかにも軍人らしい白い歯であった。
 それは二十年前、上京したばかりの飯野が、居候として彼のところにころがり込んだ頃
 からと、ほとんど変わっていない。
・大島にかかっては、「穏田の行者」もまるで小僧のような扱いを受ける。
 兄の親友である大島を頼って上京して以来、飯野は八つ年上の彼に頭が上がらないのだ。
 とはいうものの、山縣有朋、児玉源太郎の秘蔵っ子と言われ、長州軍閥の俊才とうたわ
 れる大島は、もちろん朴訥だけの男ではない。
 児玉大将に飯野を引き合わせたのも大島である。
 お互いに利用し、利用され合ってという共犯関係が生まれ始めたのは、そう最近のこと
 ではない。   
・出勤前の軍服姿となった大島と飯野は、差し向かいで朝の膳を囲んだ。
 麦飯に味噌汁、漬け物といった今をときまく大佐にしては、大層粗末なものである。
 この特徴は飯野や歌子にも共通していた。
 豪壮な邸に住むようになっても、彼らは食べることに決して奢らない。
 なにしろ米などろくに取れなかった山間の村の出身なのだ。
 つつましい生活のなごりは、舌にだけなぜか執拗にこびりついている。
・「下田先生もお気の毒なことをした。統合の際に華族女学校の教師を何人か処分しただ
 ろう。そいつらが恨んで、新聞をたたきつけているそうではないか」
・「それで山縣公らは、なんとおっしゃっているのか」
 突然、大島は低く笑った。
 「何がおかしんだ」
 「いや、怪僧だ、神さんだなんて言われるお前が、十の小僧のように思い詰めた顔をし
 たからそれがおかしいんだ」
 「そんな軽口は言わないでくれ。わしたち三人は岩村を出た時から、ずっと一緒にやっ
 てきたじゃないか。わしも下田先生にお世話になり、そのお返しにいささかなりともお
 役に立ってきたつもりだ。いま下田先生が大変な目にあっている。ここでなんとかひと
 頑張りするのが、わしら同郷人のつとめではないのか」
・「ああ、そりゃそうだとも」
 大島は急に厳しい表情になる。
 そのとたん、飯野はあるひとつの情景を思い浮かべた。
 大島は自分にさまざまな人間をよく引き合わせた。
 あいつは将来きっと役に立つ人間だからうまくあつらえと何度か囁いたものだ。
 同じことを歌子にしなかったと、誰が断言できるだろうか。
 あの男の願いを断ってはいけない。
 あの男を怒らせると得にはならないよ・・・・
 そうした中に山縣公がいたとしても何の不思議もない。
 平民新聞をすべて信じているわけではないが、彼との件も歌子は噂されたことが何度も
 ある。 
 山縣公のいかつい顔と、歌子のふっくらとした白い顔が重なる。
 嫉妬ではないが、利用できそうなことは確かめておいた方がいい。
・「なあ、山縣公は何と言っているのか」
 もう一度飯野は念を押す。
 「もちろん、わしには何もおっしゃらない。けれど山縣公の胸の中で、下田先生に対す
 る気持ちが変わってきているのは確かではないかと思う」
・ある午後、山縣公の元に、歌子から手紙が届いたという。
 いつもなら何という見事な手跡、この流れるような文章はどうだ、などとまわりの者に
 いう山縣が、吐き捨てるようにこう言ったという。
 「ふん、牝ダヌキがまた何か企んでいやがる」
・「乃木将軍はどうなのか。今度のことについてどう思ってらっしゃるのか」
 「閣下が、平民新聞などというものを読むと思うか」
 「佐佐木高行公はどうか」
 「ましてやあの爺さんが読むはずはない」
・「まことに畏れ多いことではあるが、陛下の御心はいかがなのだろうか。誰か陛下のお
 耳に届けた者がいるのだろうか」
 「ただの軍人のわしにわかるはずはないが、一説によると皇后陛下が大層胸をいためて
 いらっしゃるという話である」
 「なに、皇后陛下が平民新聞をお読みになったのか」
 「いや、二人の宮がご嘆願なさったという話だ。下田先生が苦境に立っているとな・・」
・「なあ、女っていうのは可哀想なもんだなあ」
 不意に大島は言った。
 「わしだってお前だってそうだが、あのまま御一新がなかったら、一生あの岩村で暮ら
 しただろうよ。水呑み百姓と大差ないような暮らしをしてな。それがたまたまこっち側
 に勝が来て、急に運が向いてきた。今のところ世の中のうまいところは、長州と薩摩で
 山分けだ」 
 「だけど男は女に、絶対に分け前をやらない。中には下田先生みたいに頭のいい女もい
 て、男の四人分も五人分も、うまいところを掠めていってしまう。だけど今度は男たち
 が黙っちゃおかない。みんなして寄ってたかった分け前を返せと言いやがるんだ」
・「陛下が急に、乃木将軍をお召しになったという話だ」
 乃木将軍は帝第一の寵臣であるからして、そんなことは珍しくもなんともない。
 しかしその際傍にお仕えする者の中には、「歌子」という名前を何回か聞いたものがい
 るという。 
・大島は急に立ち上がりかけた腰をうかした。
 表情に困惑と驚愕とが走ったのがわかった。
 もう一度まじまじと飯野を見つめる。
 「お前・・・・いや、なんでもない」
 「お前、そうやっていると、陛下にそっくりだな」
・とんでもないと手を振りながら、飯野はふっと歌子のある顔を思い浮かべる。
 床の中で歌子はよく薄目をあける。
 左手は飯野の髭に触れる。
 そのとたん唇に現れる、あの快楽の表情はいったい何なのだろうか。
 「陛下は、子どもの頃見た錦絵より、さらに美しく立派な方」
 なまめかしい歌子の声も、耳に蘇る。
  
八月二十六日
・まだ十分に明るい湯殿の中は、つつましやかな湯気が立ち、伊藤公の白い老いたからだ
 は、ちょうど魚の腹のように見える。
 もうじき六十六になる公であったが、こうした昼風呂の贅沢さを求めるほどからだは頑
 強だ。
 先ほどふと思いついて女将に言いつけ、風呂を沸てさせたところだった。
・湯につかり、酒をちびちびと飲んで、その後女を抱く。
 今日は帰国して初めての休日なのだ。
・「御前、ごめんくださいませ」
 その時、湯殿の戸が開き、今夜抱くはずになっている当の女が入ってきた。
 十六になったばかりのお雛である。
 おそらく女将に言われてきたのだろう。湯殿の入り口で静かに三つ指をつく。
 「よろしかったら、お背中を流させてくださいませ」
 色はそう白くないが、黒目がかった瞳に、初々しい愛らしさがある。
 これなら女将が力を込めて言うはずだ。
 「御前に女にしていただこうと思いまして。韓国からお帰りになるのを、今か今かと首
 を長くしていたのでございますよ。そりゃあ、いい子でございますから、ぜひ可愛がっ
 てくださまし」
・この花柳界で伊藤博文に水揚げしてもらった妓は価値があがる。
 それを知っているから、公も無下には断れない。
・緊張しているのだろうか。お雛は不作法なほど勢いよく戸を閉め、その音にあっと小さ
 な声をあげた。   
 裸足で一歩一歩踏みしめるようにして、すのこの上を歩いてくる。
 浅黒い若い肌だ。水滴さえ寄せつけないように、皮膚が張り切っている。
・その時、公はまことに不思議な連想をした。
 畏れ多いことに、皇太子妃のことを思い出したのである。
 肌が抜けるように白い皇后に比べ、皇太子妃はぴちぴちした色の持ち主でいらっしゃる。
・「もう少し、お色が白かったら、どんなにお美しいかわからないのに」
 などという者もいるが、公は皇太子妃の少年のようなお顔立ちや、聡明なご性格を大層
 好ましく思っていた。  
 また妃の方も何かにつけ、「伊藤、伊藤」とお呼びになることが多い。
・その皇太子妃から、内々のご伝言をいただいたのは、四日前のことになる。
 折り入って話があるから、目立たぬように時間をつくってくれないかということであっ
 た。 
・妃の相談ごとが何か、公にはわかっている。
 下田歌子のことをお聞きになりたいのであろう。
 彼女に対し執拗な攻撃を加えていた。平民新聞が、四月のある時、突然廃刊になった。
 これは公のしわざだという意見が一般的だという。
 下田歌子と公が、長い間愛人関係だったというのは、多くの人々が知っていることだ。
 おそらく歌子が泣きついてきたのだろうと人が言っていると聞き、公は苦笑したものだ。
・いずれ何とかしようと思いながら、韓国へ渡った公を待っていたものは。公に対する巨
 大な反発と憎しみであった。 
 自分は韓国のためを考えてことをすすめているのだ。
 いずれ韓国の民衆もこの気持ちを理解してくれるに違いないなどと人にも言い、自分に
 も言い聞かせてきた公にとって、彼らの抵抗は意外さと同時に非常な怒りを感じるもの
 であった。
・親日派の李綜理の家が焼打ちににあい、数千人もの人々が宮殿の前に座り込んだ。
 この身も無事に日本に帰れるのだろうかと危うい思いをしたことさえ何度もある。
・こうした由々しき問題が起こっているというのに、日本の女たちは、醜聞の行方につい
 て取り沙汰しているらしい。
 いくら聡明な方といっても、皇太子妃もやはり女であったかと公は少々がっかりする。
 女たちはいつも自分の足元しか見ないものだということは前からわかっていたが、今度
 のことで一層はっきりした。
 自分たちの男が世界を見つめ、少しでも日本の国益になることを思索しているというの
 に、指導者の妻たる女たちといったらどうだろうか。
・公は長年連れ添った梅子のことを、ふと思い出す。
 おととい大磯の自宅を出る時だった。
 「下田先生はどうなるのでしょうか」
 不意に尋ねてきたのだ。
 公は一瞬あてこすりを言っているのではないかと思った。
 しかし、妻はそういう女ではない。
 もう少し若い頃、芸者を連れて帰ると、次の日は土産を用意してきちんと挨拶するよう
 な女だ。
・「下田教授がいったいどうしたというのかね」
 ようやく態勢を整えた公が、こう聞きなおすと、梅子はやや悲し気に目を伏せた。
 「世間ではいろいろなことをおっしゃる人がいます。なんでもいま学習院では先生のお
 立場がとても悪くなっていると聞いております。いったい下田先生はどうおなりになる
 のでしょうか」
・妻が真剣な目をしていることに驚かされた。
 これは単なる皮肉やほのめかしというものではない。
 女たちは歌子のことになると、なぜかいきり立つ。
 これは最近、公が発見したことのひとつだ。
・妻もそうであるが、普段沈着でいらっしゃることで有名な皇后や皇太子妃でさえ、なぜ
 か態度をおかえになってしまう。
・公はふと思いついて、しゃぼんの泡だらけになった若い妓の手を握った。
 「お前は、下田歌子を知っているか」
 「いいえ、申し訳ございません」
 女の言葉には、遠い北の国の訛りがあった。
 「私は何も知らない”ぼんくら”でございますから・・・」
 「いいさ、いいとも」
 公はさらに女の手を強く握る。
・「ホウキの伊藤博文」と言われ、まめに女たちを抱いたのは五十代の頃だ。
 医学博士の「北里柴三郎」、セメント会社の「浅野総一郎」の三人で、水揚げする妓の
 数を競ったことさえある。   
 しかし七十に手が届こうとする今は、からだよりも心の方が萎えてしまう。
 おびえて泣きじゃくる若い娘をなだめながら、時間をかけてじわじわとほぐすという作
 業は、今の公には確かにつらい。
・女将にどう言い含められているのだろうか
 お雛はきちんと両手を揃え、姐さん芸者に囲まれておとなしく座っている。
 その健気さが、かえって公ににぶい圧迫感をあたえるのだった。
・襖を開け、女将がつつっと身を寄せてきた。
 「下田先生からお電話でございます」
 この料亭には何度か歌子を呼んだことがある。
 離れの座敷に、枕を二つ並べてもらったこともないとはいえない。
 ともあれそれは昔のことで、この何年か公と歌子は男女の仲から遠ざかっている。
 正直言って歌子は、抱いても少しもおもしろくない女だった。
 男に応えようとする心が、水揚げするお雛ほどもない。
・その歌子が、いま怪僧と愛人関係となり、毎晩情痴にふけっているという噂をよく聞く
 が、公ははなから疑っている。
 あの女が男に溺れるなどということはありえないのではないだろうか。
 怖ろしいほど才があり、怜悧という言葉が実にぴったりする・・・などということをひ
 つとひとつ挙げているうちに、いつのかにか歌子を微妙に避けている自分に公は気づく
 ことがあった。  
・それがいつの頃からかは公は思い出せない。
 もしかすると歌子の醜聞が連日新聞を賑わすようになった時からかも知れぬ。
 自分もさんざん新聞に叩かれた身であるが、そういうものに載る人間を、公の本能は基
 本的に避けようとしているのだ。
・「下田でございます。どうもお久しゅうございます」
 「いま近くからかけております。これからそちらへ伺ってもよろしゅうございましょう
 か」 
 「どうしてもお会いしたいことがあるのです」
 歌子はきっぱりと言った。
・座敷に戻ってから、公は侍っていた芸者たちに、悪いが少し席をはずしてくれるように
 頼んだ。
 芸者たちは何事もなかったように、またにぎやかに出て言った。
 お雛もあわてて頭を下げようとする。
 「お前はもう少しここにいろ」
 「酌をする女がいなくなる。しばらくここにいなさい」
・二人きりになると、彼女の緊張はさらに強くなったようだ。
 「あのう・・・」
 「さっき知らないと申し上げましたが、下田歌子という方の名前なら聞いたことがあり
 ます」   
 「下田歌子という方は、日本でいちばんえらい女の人なのでしょう。私の祖母が、時々
 言ったことがあります。お前も一生懸命勉強して、下田歌子さんのようなえらい女の人
 になるんだって・・・」
・「もうじき、その日本でいちばんえらい女の人がここにやってくる。そうしたらお前は
 どうするのだ」
 「あのう、日本でいちばんえらい男の肩がここにいらっしゃるのですから、日本でいち
 ばんえらい女の人がここにいらっしゃっても、そうおかしいことはないような気がしま
 す」
・「ふっふっふ・・・・」
 公は笑った。 
 なんとも言えない可笑しみが胸にこみ上げてくる。
 ずっと以前、目の大きく勝気な少女を水揚げした夜のことを思い出した。
 彼女はいま目の前にいるお雛とは別の意味でおもしろかった。
 はきはきとものを言い、公をやり込めようとするのだ。
 「川上貞奴」として有名になったその女のことは、今でも公の楽しい記憶のひとつにな
 っている。
 えらい男の人がいるのだから、えらい女の人が来てもおかしくない。
 小娘の今の言葉で、歌子との対面の重苦しさが、かなり救われたような気がした。
・「ご連絡をずっとお待ちしていたのですよ」
 「伊藤さまは、わたくしが本当に困っている時に、少しも助けてはくださらない」
 「知ってのとおり、わしは韓国統監でな。五日前に帰ってきたばかりだ」
・この言葉に公は精いっぱいの皮肉を込める。
 「わたしくしが本当に困っている時」だと。
 この女はいったい何を考えているのだろうか。
 いっぺんでもいいから聞かせてやりたいものだ。
 宮殿前の広場に集まった群衆の声高な叫びをだ。
 韓国人は激しい気性の者が多いと聞いていたが本当にそうだった。
 女とて大きな罵り声を上げる。
・自分は彼らのために随分と力をつくしてきたつもりだ。
 陛下の御心に沿って、無礼な行いはしないように、彼らの気持ちを推し計るように努力
 した。 
 しかし、日本からやってきたこっぱ役人どもが、すべてわしの思いを踏みじにってしま
 った。
 人々は伊藤博文殺せとわめいているらしい。
 そうして怒声の中をどうやってかいくぐって脱出したか・・・。
・まあ、いい、女にわかるはずはない。
 女はどんなえらい女と呼ばれても目先のこと、自分の利益しか考えようとしないのだ。
 それもまた可愛いものではないかと、公はふと思い直し、杯を再び手にした。
・途中で公はかなりめんどうくさくなってきた。
 全く目の前にいる女は、陛下のお言葉を聞かなかったのだろうか。
 駅からまっすぐ帰朝報告に公は参上したのであるが、帝は大層喜ばれ、その労をねぎら
 ってくださった。 
 長めのお言葉を賜わる間、自分は頭を垂れ、涙ぐみながら聞いた。
 そんな人間に向かい、
 「わたくしが困っている」とは、まったく何様だというのだ。
・「ああいう赤新聞の記事など、人はみんな忘れてしまう。いつまでもくよくよしていら
 っしゃるのは、かえって下田教授ともあろう方がと世間から言われてしまいますぞ」
 「けれども、新聞は失くなっても、人の記憶というのは残ります」
 「わたくしはあれで、ふしだらな女、腹黒い女という烙印を押されてしまったのでござ
 います。あれから、人がわたくしを見る目が違います」
 「それは考え過ぎというものでしょう」
 「いいえ、わたしくしにはわかります。一度かぶってしまった泥は、もう落ちることは
 ないのです。それに、あの新聞がデタラメだとわかっていても、それを利用する人がい
 るというのは確かなことでございましょう」
 「ほう、それは誰だというのですか」
 公の思いはもはや極限まで達そうとしていた。
 こうした女の繰り言に、いつまでつき合わされるのだろうか。
・「いらっしゃいます。それはたとえば乃木院長などはそのお一人でしょう」
 「院長はわたくしがお嫌いなのでございますよ。それは見ていてよくわかりますわ。わ
 たしくという存在が邪魔で目障りなのでしょう」
 「ほう、それはまたどうしてですかな」
 「わたくしが生徒に人気があるからでしょう」
・公はふと、二十数年前のことを思い出した。
 宮中を退いた後、この女は市井の片隅で、貧乏武芸者の妻として生き始めたのだ。
 運の悪いことに、この夫はすぐに大病にかかってしまうが、ひたすら看病する女がいじ
 らしく、公は塾を開くことを勧めたのだ。
 水を得た魚というのは、まさにこのことを言うのではないかと思うほど、女は張り切り
 始めた。
・「男の方はずるうございます」
 「女に何ひとつ分けてくださろうとはしない。たまたま、なにか与えてくださると、そ
 れをすぐに取り上げようとするのですね」   
 「分けてくれないと言うが、下田教授は学習院女子部長でいらっしゃる。女としては最
 高の地位と俸給だと思うが、これ以上何をお望みなのか」
 「女学部長にはれても、学習院院長にはなれませんわ」
 「本当にそんなことを考えているのか」
 「いいえ、まさか。そんなことできるはずはありません。だから女は損だと言っている
 のですよ。ねえ、あなた・・・」
・突然呼びかけられたお雛はぴんと飛び上がった。
 「あなたは会津の娘ですね」
 「え、ええ・・・」
 「言葉をふた言、三言聞けばすぐにわかります。うちの学校にも会津出身の者がいます
 からね。けれどそんな娘は特殊で、たいていの会津の者は、食うや食わずの生活をしい
 ているものです」 
・「でもォ、私は何も知りません。私が生まれた時は、もうさむらいもやめてましたし・
 ・・」 
 哀れなお雛はすっかり怯えている。
 会津の娘が、長州閥の親玉の寝首を狙っているように思われるのを怖れているのだ。
・「そうでしょう。あなたが生まれた頃は、会津は土地を取り上げられ、辺境の寒い場所
 に追いやられていたでしょう。けれどもあなたの父親たちは言わなかったですかね。長
 州や薩摩に生まれていたら、今頃いくらでも栄耀栄華がかなっただろうとね」
 「女はいつまでたっても会津でございますよ。ただそれに生まれたというだけで、寒い
 遠いところに追い払われてしまいます。お願いでございます。伊藤さまのお力をもって、
 なんとかわたくしが今の職に踏みとどまれますように」
・「下田教授らしくもない」
 「あなたはずっと女学部長でいられますよ。そして存分にお働きになればいい」
 「いいえ、いいえ、今度のことでわたくしの夢は壊れてしまうかもしれないのです」 
 「女学部長をずっと続けるのが、下田教授の夢というのか」
 「いいえ、わたくしの夢は、いつか宮中に戻ることでございます」
 「いいえ、いつか、いつかでございますが、わたくしは女官長として宮中に戻りたいの
 でございます」
・これには少なからず公は呆れた。
 女官長といえば典侍であり、両殿下のお側近くにお仕えすることになる。
・「はい、それがわたくしの夢でございます。わたくしは両殿下、特に皇后さんには特別
 のおぼし召しをいただいております。あの御心をいただかなければ、今日のわたくしな
 どなかったのでございます」 
・夫が亡くなり、歌子はありきたりの寡婦になるはずだった。
 それなのに特別の辞令が皇后からおりたのである。
 それは宮中御用掛として、もう一度参上せよというものであった。
 華族女学校なるものをつくる。
 その基礎を皆で考えるようにと、皇后は公にもおっしゃったものだ。
・「それなのに、わたくしは皇后さんの御恩に何も報いていないのでございます。わたく
 しの夢は、皇后さんが、”これ”とおっしゃったら、すぐに”はい”とご返事申し上げる場
 所に侍ることでございます」
・さきほどまで落涙したことを忘れ、歌子は突然恍惚とした表情になる。  
 その時、公は気づいたのだ。
 ”あのお方”というのは皇后のことではない。
 歌子は帝のことしか考えていないのだ。
・長身の、美しい髭をたくわえられた帝の、その英邁なお態度やお顔は、世界中で話題に
 なっている。 
 日本が近代国家になるために、天がつかわした神だとどこか外国の新聞に書いてあった。
 もちろん日本の国民だったら誰でも帝を崇拝している。
 敬愛しているといった場合の方がいいだろう。
 けれどこの女の、呆けた表情といったらどうだろうか。
 追いつめられ、直訴をした結果、歌子は隠しに隠しておいた別の顔を見られてしまった
 かのようだ。 
・再びある場面が公の前を通り過ぎる。
 この女がつまらぬ武芸者と突然結婚すると言い出す前の頃だ。
 歌子に帝のお手がついたという噂がかけめぐったのだ。
 当時の彼女は、歌よみの才女といわれ、大層目立つ存在だったから、宮中の男たちも耳
 をそば立てた。
・そういえばあの女の、ふれなばおちんという態度はどうだろう。
 あれならば帝も、つい御心を動かされたかもしれないなどと男たちはささき合ったもの
 だ。
 しかし噂が広がる前に、女は宮中を去った。
 そして皇后の歌子への異常ともいえる御寵愛は今日まで続いている。
 皇太子妃をはじめとする多くの女性たちが、歌子を気にしているのは、もとはといえば
 皇后の御心をはかってのことなのだ。
・「この女は、いったいどうなっているのか」
 まったく新しい焦だちが公を襲う。
 これはこの二十数年間、からだの中にくすぶっていたものだ。
 「お前はその昔、帝と寝たのか、どうなのか」
・しかし、この質問はひとたび発したら、雷が落ちて天罰が下る類のものであった。
 すべての疑問はとけるだろうが、どうしてこの言葉を発することができるだろうか。
 あまりのわずらわしさに、公は思わず立ち上げる。
 お雛が青ざめた顔でうつむいている。
 少女の手を公は乱暴にとった。
 焦だちは、まっすぐ粗野な衝動につながる。
 今だったらこの少女との破瓜の儀式を、やりとおせるような気がした。
 
十一月八日
・その夜の帝に、眠りはなかなか近づいて来ようとはしなかった。
 帝は記憶がおありになる。
 この前のつらく長い戦争の最中、帝から眠りを奪い、それとひき替えに不安の苦悩を植
 えつけていったものだ。
 「もう戦は終わったのだ」
 帝は声をお出しにならないひとり言をおっしゃった。
 そうご自分に言い聞かせることは、帝にとって祈りになっている。
・「戦は終わったのだ。それも勝利したのだ」
 確かめるように帝は強くそれをお思いになる。
 戦争の終わりからもう三年もたっていたが、帝は何度でも繰り返したいような気分にな
 る。 
・わが国のような小国が、ロシアに勝てるとは、いったい世界の誰が予想しただろうか。
 大国のたび重なる挑発に耐えに耐え、そしてやっと応じた戦いであった。
 負ければロシアの属国になると重臣たちに言われなくても、帝は十分にわかっていらし
 た。
・それが奇跡のような勝利となったのだ。
 これもみな乃木の働きではないか。
 帝は闇の中でかすかす微笑された。
 このお気に入りの将軍のことを考える時、自然と唇がゆるまれるのを、帝は自分でも気
 づいておられた。 
・愚直なまでに誠実な老人は、帝を愛するあまり時々滑稽な所業におよぶ。
 あれはいつだったろうか。
 帝はおりからの風邪にお加減を悪くし、お寝みになっておられた。
 もとから帝はお耳がよくきくところがおありになったが、その時も女官にこんなことを
 おっしゃった。
 「いややってくるのは乃木であろう」
 確かめて見に行った女官がそうだとお答えすると、帝は得意気にこんなふうにおっしゃ
 った。
 「そうであろう。あの者の玉砂利を踏む音はすぐにわかる」
・見舞いに訪れた乃木は女官からこの話を聞くと、大層恐縮してしまった。
 帰り道、帝が耳をおすましになっても何の音もしない。 
 「将軍は玉砂利を踏む音が、お耳を煩わしたのだろうと、靴を脱いで帰っていったので
 ございます」
・女官の言葉に帝は声をたててお笑いになった。
 臣といわれる者は何人もいるが、帝をこれほどお喜ばせ申し上げることができるのは、
 乃木希典ただひとりである。
 しかも本人は、自分がどうしてそのような事態を招くのかまったくわかっていない。
 困惑のあまり哀し気に視線を落とすのみである。その様子が、またおかしみを誘った。
・まったく乃木ほど可愛い男がいるだろうかと帝はお思いになる。
 それはもう理屈でも何でもない。
 日露戦争の旅順攻撃の折、何人かの重臣たちが帝に奏上申し上げたものである。
 乃木将軍の無能ぶりはもうわかりきっております。
 こうしたやたらに兵を失くすより、どうか将軍を更迭なさってください。
・その時、帝が決して首を縦にお振りにならなかったのは、ただ乃木を失うのが怖くてい
 らっしゃったからだ。  
 乃木の職を解いたら、決して生きてはいまい。
 あの男のことだ、きっと腹を詰めるに違いないとお思いになると、帝はそれだけで浮足
 立ってしまわれた。
・すべての国民が崇める帝は、すべてに沈着でいらっしゃるばかりでなく、私心というも
 のをお持ちにならない。
 多くの臣を分け隔てなくお使いになる。
 その帝が、ただひとつ理性を失ってしまわれるのは乃木将軍であった。
・維新前、帝のまわりには何人もの貴族たちがいた。
 何百年も前から帝にお仕えすることを生業としてきた家の子孫たちである。
 そして明治となってからは、帝は以前とは比べものにならないほど多くの臣たちに囲ま
 れた。 
 皆、帝のために命を楯にして戦ってきた男たちである。
 中には伊藤博文のように、からだ中に刀傷のある者さえいる。
・しかしどちらにも帝は、乃木ほどの愛情をお感じにならない。
 人をいとおしく思う気持ちは、これほどまでに理不尽で、自分の信条さえ狂わせるもの
 だろうかと驚かされることさえある。
・その乃木が、いま大層困った立場にあると、帝がお聞きになったのは、いったいいつ頃
 からだったろうか。  
 学習院院長としての彼の前に、大きく立ち塞がる者がいるというのだ。
 その者は、学習院の女学性を扇動し、院長の乃木を愚弄するように仕向けているとさえ
 言う。
 なぜならその女は、己の不道徳な生活を棚に上げ、乃木が自分に好意を持っていないと
 信じているからだ。
・その女の名前は下田歌子という。
 昔から帝にとって大層馴染みの深い名前である。
 初めて帝の御前に歌子が現れた時、彼女はほんの小娘で、しかも身分の低い女官であっ
 た。
 それがあれよ、あれよという間に階段を上りつめ、いまでは学習院女性部長として、わ
 が国の女子教育界の頂点に君臨しているのだ。
・歌子のことを思い浮かべられるとき、帝の中で皇后の姿はいつも対になっている。
 帝にとっての乃木将軍が、まさしく皇后における歌子なのだ。
・言うまでもなく皇后は、非の打ちどころのないお人柄で知られている。
 ご聡明であられるばかりでなく、すべての者たちに等しく情をおかけになる。
 その皇后が、こと歌子のことになると目の色が変わるのだ。
・今日のことにしてもどうだろう。
 皇后のあのすがるような眼を思い出すにつけ、帝の頭の中の真珠はますます大きくなる
 のだった。
・帝は公爵になったばかりの伊藤博文を御座所にお呼びになったのだ。
 帝はこの老いた総監も決してお嫌いではない。
 時々その磊落さをお叱りになることがあるが、彼の忠義さは誰よりもよくわかっていら
 した。
 この男がいなかったら、おそらく革命は十年も二十年も遅れていたに違いない。
 共に嵐を乗り切った”戦友”であると、伊藤には格別のお親しみを感じていらっしゃる。
 だが、それは乃木将軍と比較のすべもないことであった。
・この男は昔からそうだったと帝は思い出される。
 維新の最中、そして後もさまざまな難局に立った時、彼は片方の掌をあちら側に無防備
 に開け、そして片方で何かを奪おうとする。
 あの頃、彼と共に戦ったたくさんの男たちは、明治という時代を見ることなく死んだが、
 彼だけは生き長らえ、そして公爵という地位にまでついた。
 死んだ男たちは、両方の掌を開くか、あるいは両方で何かをもぎ取ろうとしていたのだ。

・いつものように二人揃って昼食をとられた。
 帝と皇后は別々のテーブルであるが、同じものを召し上がる。
 まるで雛人形のようにと形容される皇后のお口は大層小さく、完璧に紅で描かれている。
 その唇が動いで、食物を咀嚼されるさまは、奇跡のような感情を人にもたらすのだ。
 その皇后は、お箸をお持ちになったまま、何度も何度も帝の方をご覧になる。
 それが何故なのか既に帝にはおわかりになっていた。
・皇后は歌子のことをお聞きになりたいのだ。
 おそらく今日、帝が伊藤公をお召しになったことを、どこかからお知りになったに違い
 ない。  
・歌子のことは、ここ半年ほど宮廷内の大きな話題のひとつだ。
 中でも人々の耳をそばたてたのは、
 「下田先生は大層あちらのことがお好きで、恋人なしではいられないそうでございます。
 終に乃木将軍に横恋慕なさり、それがかなわないために、お怒りになったそうです。
 それからですよ、将軍と先生との仲がお悪くなったのは」
・乃木将軍といえば、学習院院長であり、日露戦争を勝利に導いた英雄である。
 片や下田歌子も女たちの偶像だったといっていい。
 最下等の女官から出発して、今や日本でいちばんえらい女といわれるまでになっている
 のだ。 
・後宮において、噂はいったん火がつけられると、くすぶってなかなか消えることはない。
 今や婢の類までこのことを口にしているありさまだ。
 もちろん皇后のところまで、この醜聞は届くことはない。
 けれどもごく本質的な骨子だけは皇后は知っておられる。
 畏れながらとお耳に入れる者がいたからだ。
・園祥子といえば、権典侍として帝の寵を受けた方である。
 二人の内親王もお上げになった。
 だがお心映えのすぐれた皇后は、いわば夫の愛人といえるこの女性と、長年親しくつき
 合ってこられた。 
・「わたしのいちばん信頼する女性」として、下田歌子を御養育係に推薦なさったのも、
 皇后だ。
 園祥子は言葉を選び、選び、こんなふうに説明をした。
 「
 下田教授はお気の毒でございます。女でありながら高い地位にあがったため、なんとか
 ひき下ろそうとする方々がいるのでございます。このままだと学習院女学部長を辞める
 という噂がひろがっております」
・そしてこの後、祥子は声を一段と低くした。
 「畏れながら、下田教授は内親王方の御養育係でございます。教授がもし、学習院を罷
 免ということになりますれば、二人の宮さん方も、大層お具合いの悪いことになります
 まいか」 
 最後は母親の声になった。
・帝はこんな女たちのやりとりをご存知ではない。
 皇后の、この訴えるような目はなんだろうとご覧になる。
 だが皇后は何もおっしゃらない。
・やがて所在がなくなった帝は、自らお話しなさる。
 もともと気さくなお人柄でいらっしゃるのだ。
 最近凝っていらっしゃる蓄音機で、よく琵琶の曲をお聞きになるのだが、機械で聞く方
 が随分うまい、へたがわかるものだとおっしゃり、給仕に侍っていた女官たちは皆笑う。
 先ほどから、手が着物に絶対つかぬよう、上向きにして軽く握るという、奇妙な姿勢を
 とっている女たちだ。 
・その時、皇后が突然おっしゃった。
 「今日、お上は伊藤をお召しになったと聞いております」
 「伊藤は下田教授のことをどう言っていたのでしょうか。伊藤は下田の味方なのでしょ
 うか」  
・これには少なからず、帝は驚かれる。
 皇后が女官たちの前で、この質問を発したことについてではない。
 寝室まで人が侍るお二人の生活は、当然すべてが曝け出されている。
 そういう中で当たり前に育った高貴なお二人である。
 帝が息を呑まれたのは、皇后が今までこのような直接的な言い方をなさったことは一度
 もないからだ。
 「お上もご存知のように、下田は忠心篤く、学も才もある人間でございます。どうぞら
 ちもない噂にお耳をお貸しあそばせぬように」
・その時、帝の目を射たのは、皇后の後ろに立っていた何人かの女官たちであった。
 何も聞こえぬように慎ましく目を伏せているものの、彼女たち例の握られた指は、先ほ
 どより強く内側に折られている。
 緊張と心の動揺を隠すかのように、親指の根元に強い線ができている。
 「とうか下田先生をお救いくださいまし、お救いくださいまし」
 と
 その指は訴えているかのようだ。
・どうして下田のことになると、女たちは夢中になるのだろうか。
 いぶかしくお思いになる帝に向かい、さらに重たい布を被せるように、皇后はこんなこ
 とをおっしゃった。 
 「今までわたくしがお願いごとをしたことがあるでしょうか。どうか下田のことは、お
 上のご配慮を賜われますように・・・」
 最後は祈りのようにつぶやかれた。
・やっと気づいた。
 あれは皇后の精いっぱいの抗議というものではなかっただろうか。
 帝は若い頃結ばれた、この美しくて賢い后を大事にされておられたが、お二人の間には
 御子がお出来にならなかった。
 このため、帝は何人かの女性をお側にお召しになったのだ・・・。
・というのは言い訳に過ぎず、あの頃の帝はすべてに力が漲っておいでになった。
 自分の力で、自分の世に革命が成功したのである。
 京都の一角で、いわば軟禁状態におかれていた帝は、ある日を境に、神とまで呼ばれる
 ような存在になられたのだ。 
・帝は次々と女たちを手に入れられた。
 皇太后付きの女官を見染め、奪うようにして連れてきたことさえある。
・「今までわたくしが、お願いしたことがあるでしょうか」
 という皇后の言葉は、あのことを指しているのだ。
 四十年間、ひたすら帝に仕え、何ひとつ愚痴も、かすかなあてこすりさえも言わなかっ
 た自分ではないか。 
 その自分が、生涯たったひとつの願いごとをしている。
 それをかなえてくれと皇后はおっしゃっているのだ。
・皇后は・・・女たちはと言いかえてもいい。
 明治など少しも望んでいなかったのではないか。
 後宮はたえず無言の不満が渦巻いている。
・女たちはあの禁裏の世界の中で、永遠に生きたかったのだ。
 歌を詠み、香を楽しみ、そしていくつかの秘密の恋をする。
 その中で帝は常に主役であられた。
 うっすらと化粧をなさり、女言葉で優美にお喋りになる。 
・ところがどうだろう、たくさんの男たちが、帝を向こう側に連れていってしまったでは
 ないか。
 ある日突然軍服をお召しになり、黒々とした髭を生やされ、そして女たちの手の届かな
 いところへ行ってしまわれたのだ。
・だから女たちは、帝に政治を教えた革命などというものを憎んでいる。
 そして革命を行った男たちは、さらにさらに憎んでいる。
 そうした男たちが、いま自分たちの仲間である下田歌子をひきずり落そうと企んでいる。
 だから女たちはいつになく身構えてしまうのだ。
・女たちのことなど気にかけまいと帝は、御自分に言いきかせる。
 だが、あの粘りつく視線はどうであろうか。
 「伊藤は下田の味方なのでしょうか」
 あのせつない言い方ときたらどうであろうか。
・そのことについて、帝は伊藤公とほとんど話し合ってはいない。
 ただ今日、別れ際に帝はこんなふうにおっしゃった。
 「学習院女学部長のことについては、いろいろ言う者がいるが、それは乃木にすべて任
 せよと思う」
・公は”御意”という替わりに、深々と頭を垂れた。
 いつもは傍若無人に振る舞うこの長老にしては、殊勝なほどの態度で、帝はそれをしん
 からの肯定と受け取った。
・それにしても乃木は、今回のことをどう思っているのだろうか。
 あれの息子を、日露戦争で二人も死なせてしまった。
 学習院はその心を慰めるため、帝が彼に賜ったものである。
 乃木がもしあの女が居てやりづらいというならば、ただちに辞めさてもいい。
 乃木のためなら、何でもしてやろうと帝は決心なさる。
・この世でたったひとつ信じられるものがあるとすれば、それは乃木のあの哀し気な目で
 はないかと帝はお思いになる。
 それは革命や謀略とはいちばん遠いところにいる人間の目だ。
 純粋に自分を慕ってくれる目だ。
 あれを曇らせるようなことをする者は、たとえ下田歌子であろうと許すことはできない。
・帝はもう忘れかけておいでだった。
 帝がまだ若く、そして歌子が若く美しい女官だった頃、ほんの気まぐれに歌子をお召し
 になろうと考えたことがある。
 ところがそれを先回りなさるかのように、皇后はすかさず歌子を自分の元におかかえに
 なってしまわれた。  
 異常ともいえるご寵愛はその時から始まっている。
 そして帝が乃木をひきたてるようになられたのも、ほぼ同じ頃だ。
 
・乃木将軍は歌子の顔を思い浮かべる。
 これが最後にとっておいた、最大の難問題であった。
 歌子の醜聞について、非難の火の手が上がり始めたのは、学習院の父兄たちよりも、む
 しろ政府高官たちであった。
 反伊藤派ばかりではなく、中には伊藤と親しい者たちもいる。
 伊藤と親しいということは歌子と親しいことに他ならず、将軍は彼らと歌子とが談笑し
 ている場面を何度も見たことがある。
・彼らは決して政治的立場をとろうとしない将軍の心を読んで、こんなふうな言い方をす
 るのだ。 
 「学習院といえば、将来帝の藩屏となる者たちを育て、守るところだ。女子部は、それ
 らの妻となり、母となる女を育てるところではないか。そこで”長”がつく者に、よか
 らぬ噂が立っているということは、すなわち帝の御名に傷がつくことだ」
・将軍にとって、これらの言葉はただわずらわしい一言につきる。
 ひいては歌子の存在自体がわらずらわしかった。
 苦手ではあるが、積極的に憎んだり嫌ったりしていない。
 そもそも老将軍に、女を憎むなどという芸当ができるわけはなかった。
・しかし期限は迫っている。
 おととい出仕した将軍に、帝はこうおっしゃったものだ。
 「女学部長について、乃木はどう思っているのか、正直なところを聞かせてみよ」
 それについて将軍は、もう少し時間をくださいと申し上げた。
 ことは一教師の更迭といった簡単な問題ではない。
 政治や人々の思惑がさまざまにからみ合い、いつしか奇怪な様相を帯び始めているのだ
 このことはいくら世間知らずの将軍でもわかる。
・歌子を罷免すれば、おそらく皇后が黙ってはいまい。
 後宮の女官たちの力も、見逃せないものがある。
 それより何より重大なことは、学習院女子部における歌子の人気と実力であった。
・先月行われた女子部の運動会を将軍は思い浮かべる。
 袴をつけ、襷をかけた女生徒を指揮するのは、歌子自身であった。
 女が徒手体操をやるのかと将軍は目をむいたものであるが、青空の下、少女たちが伸び
 伸びと手を上げるのは、そう悪くない光景であった。
・「さあ、みなさま、元気に深呼吸あそばせ」
 と声をふるう歌子は、優し気な威厳に満ちていて、女生徒でなくとも心ひかれてしまい
 そうな様子であった。
 テントの中でそれを眺めていた将軍は、深い感慨にうたれたものだ。
 この学校はまさに歌子のものではないか。
 生徒たちの表情を見ればすぐにわかる。
 みな彼女に命令されることに嬉々としている。
・嫉妬ではなく、将軍は感動した。
 これほどまでに立派な女が、今までいただろうか。
 女といえば妻と、昔馴染んだ芸妓たちしか知らぬ将軍にとって、人々の先頭に立ち、
 指揮している女は確かに驚愕に価するものであった。
・けれど将軍はさらに思う。
 歌子はこれ以上いったい何を望んでいるのか。
 何を手に入れようとしているのだろうか。
 手に入れようとしても、所詮は女だ。権力をうまく使うことができないに違いない。
・妻の静子を見ていても、女というのはつくづく哀れで弱いものだと思う。
 世の大勢というものが少しもわかっていないのだ。
 静子は二人の息子を失くしたばかりの頃、毎日泣いていた。
 表向きは「名誉なことでございます」と頭を垂れていたが、一人きりになると涙をたえ
 まなくこぼしていたものだ。
・女には歴史の流れというものがまったくわかっていないらしい。
 息子の死などというものは、日本の国が大きく動き出す時には、別のさまざまな意味を
 持つ。  
 それなのに静子は、「息子が死んだ」という事実しか頭に入ってこないのだ。
・まったく女は何もわかっていない。
 維新の際に、女がいったいどんなことをしたというのだ。
 おろおろ泣き叫ぶか、自分の喉に刃を向けた。
 せいぜい志士を匿ったり、密書を届けたりするぐらいだ。
 誰も男たちのように、刃を持って戦おうとはしなかった。
・革命も、歴史もみんな男たちのものではないか。
 男たちを軸に、この世の中は廻っているのだ。
 だから取り残された女たちは、それを恨みに思い、男たちの足をひっぱることばかりす
 る。
・こんなことは今まで誰にも言ったことがないが、将軍は皇后という方が不満である。
 もっともあれだけ偉大な帝には、どんな女性がいても不満であるが、それでも皇后には
 歯がゆい思いをいくつかしている。
 世間ではあれほどお美しくて聡明な方はいないと言っているが、皇后はそもそも御子を
 お生みになれないではないか。
 石女の女など、いったいどんな価値があるというのだ。
 それに帝のなさることをご覧になる、あの冷ややかな視線といったらどうだろう。
 世間の人がどう思おうと、自分は見抜いてしまった。
 雅なお顔の下に、とても固いものを秘めていらっしゃる方なのだ。
・それが証拠に、あの方は信じられないようなひいきをなさる。
 歌子に対する尋常ではないご寵愛は、今でも語りぐさになっているではないか。
・そうだ。歌子は女だ。
 女がよくここまでやってこれたと思うものの、歌子も皇后がそうであられるように女な
 のだ。  
・将軍が、台の上に立つ歌子の顔を思い浮かべた時”復習”という復讐が、ナイフのように
 胸を走った。
 そうだ、気を付けなければならない。
 女たちはいつか復讐を遂げるつもりなのだ。
 この革命で夫からなおざりにされ、子どもたちを失くしてしまった女たちは、きっとい
 つか何かを始めるだろう。
 世の中から置いていかれた恨みを、きっとどこかで遂げるはずだ。
・そう、やっとわかった。こう奏上すればよいのだ。
 下田歌子の行状に問題があるのではない。
 学習院の重職には、女より男の方がふさわしいから、彼女を辞職させる。 
 こう考えると何とすっきりすることであろうか。
・その時、将軍はかすかに思い出した。
 何日か前、休暇で帰った将軍に、静子はこう言ったのだ。
 「下田先生はどうなるのでしょう。あなたの力でどうにかならないものでしょうか」
 まったく女は馬鹿だとつぶやいた時、そのことのご褒美のような、安らかな眠りが将軍
 に訪れたのだった。
  学習院教授兼学習院女学部長下田歌子に非職を命じたるを以って、華族女学校創設以
 来の勤労を表し、天皇・皇后、御紋付花瓶一對及び金二千五百圓を賜う。