読むくすり PART9 :上前淳一郎

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この本は、「読むクスリ」のPart9であり、今から30年前の1991年に出版され
たものだ。
私がこの本のなかで興味を持ったのは、水平屋根の話だ。雪国における屋根の雪の問題は、
いまでも大きな悩みの種である。もし、水平屋根にすることによって屋根の雪下ろしの必
要がなくなるのであれば、非常に助かる話なのだが、いまでもなお水平屋根にする家は少
ないようだ。風洞実験では、水平屋根にしても、風で雪が吹き飛ばされてそれほど積もら
ないというが、それでも水平屋根があまり普及しないというのには、他になにか理由があ
るのだろう。ちょっと不思議な気がした。
「男の読書は、女の化粧のようなものだから」という話も興味深かった。たしかに、男は、
自分がどんな本を読んでいるかを公にする人は少ないような気がする。どんな本を読んで
いるかを知られることによって、自分の値打ちを値踏みされると恐れるからかもしれない。
もっとも、私のように自分の読んだ本を公表している人間は、値踏みされても、もはやい
っこうに構わない存在になったからだ。
テレビ脚本家の山田太一氏の話では、以前読んだ「原節子の真実」(石井妙子著)を思い
出した。映画絶頂期からテレビの時代へと世の中が大きく変わっていく中で、その時代の
流れにうまく乗り移れた人と、乗り移れずに翻弄された人。現実はやはりきびしいなと思
った。
きのこの話も興味深かった。きのこが、古来、「強精食、回春剤」として信仰を集めてき
たということは知らなかった。私もこれからは、たくさんきのこを食べるようにしよう。
しかし、もう時すでに遅しか。


ビジネスの知恵
・ラジオも自動車もコンピュータも、初めて考案したのは欧米人だった。だから当然テレ
 ビも、むこうで考え出されたものが入ってきたように、私たちは思っている。ところが、
 現在の電子式テレビジョンの実験放送に世界で初めて成功したのは、高柳健次郎という
 日本人だった。
・高柳さんは東京・蔵前にあった東京高等工業学校(現在の東工大)に学んだが、卒業ま
 ぎわの大正十年、恩師からいわれた。
 「いま流行しているものを追いかけても駄目だよ。十年先、二十年先を考えてやること
 だ。その間じっと研究を続ければ、どんな愚鈍な人間でもなにかものにできる」
・大正十年といえば、アメリカにラジオが出現した翌年だ。日本の学者の間では、それが
 話題になりはじめていた。高柳さんはまだ見たこともなかったが、関心はあり、ラジオ
 をやろうか、と漠然と考えていた。
・「この次に来るのは、なにか」そればかり考えるようになる。そうやって二年ほど暗中
 模索するうち、ふと気づく。
 「ラジオは音を電波で送るのだが、それなら目の前にある”光景”を、電波で送れないだ
 ろうか」
 無線遠視法のアイデアが浮んだのである。
・そのつもりで欧米の雑誌にあたっていくと、テレビジョン、という言葉がちょいちょい
 出てくる。どうやらこれが、無線遠視法のことらしい。
・当時欧米諸国では、鏡や円盤を使う機械式テレビの研究が主流を占めていた。ところが
 高柳さんは、試行錯誤のあげく、真空管とブラウン管を使って映像を写す電子式に到達
 した。いまのテレビの方式である。
・大正十五年十二月二十五日の夜、初めて受像機に、送信装置から送ったカタカナのイの
 文字が映し出された。外では、号外が大正天皇の崩御を伝えていた。
・しかし、せっかくの高柳さんの独創も、日本が戦争に向って走り出したために、花開か
 なかった。電子式テレビの実用化で日本は、あとから来た欧米諸国に追い越されること
 になってしまった。

・白銀の世界、といえば聞こえはいいが、そこに住む人びとにとっては屋根の雪を下ろす
 のが隠れた苦労だ。放っておくと、積もった雪で屋根が抜ける。家が潰れることもある。
 ときには屋根から雪崩が起きて、通りかかった人を圧死させる。
・斜めになった屋根に上がり、数十センチの厚さの雪を下ろすのは命がけの作業で、現実
 に毎年のように落ちて死ぬ人があとを絶たない。
・この悲劇から雪国の人たちを救う方法はないかと考えた人がいた。山形市で設計事務所
 を経営する永井秀次郎さんだ。その結論は、
 「屋根に勾配があるからいけない。屋根を水平にすれば雪は積もらないのだ」
 日本家屋の伝送に真っ向から対立する逆転の”水平思考”である。永井さんは、もう三十
 年近くこの水平屋根を提言しつづけてきた。
・風洞実験をしてみると、勾配がある屋根では、風下側に乱気流が起きて、そこにたくさ
 ん雪が積もる。斜面に雪が落ちて行くように思うが、そうではなく、かえって乱気流で
 持ち上げられて、積もりやすい。
・水平屋根では、乱気流が起きないので、積もろうとする雪を風が吹き払ってしまう。ぜ
 んぜん積もらない、というわけにはいかないが、地面の積雪一メートルのとき水平屋根
 では五十センチ。半分になる。よほど大雪でもなければ、冬の間一度も下ろす必要はな
 い。
・ふつうは、少しでも屋根に雪があるといやがるが、水平屋根ではむしろありがたい。そ
 れが保温に役立ってくれるからだ。  
・北極近くに住むエキスモーは、氷で家をつくる。そんな中になぜ住めるのかというと、
 氷が断熱材として働くからだ。
・それと同じように、水平屋根に積もった雪は”神の恵み”と考えて、そのまま断熱材とし
 て使う。
・水平屋根にはトップライトとつける。採光できて部屋は明るくなり、あの雪国の家特有
 の陰気さもなくなる。
・だが、いくらいっても、この考え方を理解してくれる人は少なかった。
・なにより、まず隗より始めてもう二十年住んでいる山形市内の自宅の水平屋根が、一度
 も潰れたことがない。間取りは普通の木造住宅だが、従来型の屋根がやられる大雪でも、
 二メートルの積雪を載せて永井家の屋根はびくともしなかった。
・ただ、豪雪地帯では、積雪の重さに耐えるため柱を強くしなければならないので、工費
 が五〜一〇パーセント高くなる。この点が泣きどころである。
 
・大都市を中心に地価が無茶苦茶に高騰し、マイホームの夢を絶たれたサラリーマンの勤
 労意欲への影響が取り沙汰されるこのごろだ。
・日本には明治このかた、不動産をまじめに考える人はひとりもいなかった。そのツケが、
 いま回ってきた。 
・日清、日露両戦争のあとの日本には、東京、大阪でやはりいまと同じような地価狂乱期
 があったという。戦勝ブームに乗って、都市の工業化が非常な勢いで進んだ。オフィス、
 工業用地の需要がふくらんで地価を急騰させ、つれて住宅地の値段もはね上がった。
・ただ、当時の都市勤労者は借家に住むのが普通だったので、一般への影響はいまほど大
 きくはなかった。しかし、この時期に、都市化が進行すれば地価が高騰する、というこ
 とに気づき、対策を立てておくべきだった。 
・ヨーロッパ先進国でも、農村の都市化とともにスパイラル的な地価上昇が起きたが、学
 者が中心になって税制を改めるなどの手を打ち、いち早く歯止めをかけた。
・日本では、なんとかしなければ、という声がなかったわけではないが、政治家も学者も
 結局なにひとつ手を打たなかった。
・その開きは大きい。日本は地価問題に関しては世界有数の劣等生だった。
・イギリスでは、土地の重要性に早くから着目して研究を重ねてきた。ケンブリッジ大学
 には二百年以上昔から土地経済学部ができている。いまでは約二十校が土地利用の研究
 をやっている。
・アメリカはもっとすごくて、短大を含めて全国に約三千ある大学のうち千以上で、不動
 産関係の教育が行なわれている。
・土地や家屋などの不動産は、いまでは国民総資産の四〇パーセントを占めている。また、
 その開発や流通をする不動産業の活動は、国民総生産の一〇パーセントを越えた。それ
 でいて、不動産をまともに扱う学問がなかったのは不思議といえばその通りで、政府の
 無策もそこに原因があったといえるかもしれない。
 
・円高不況、産業構造の変化で、中小企業の倒産あいつぐころのごろだが、「倒産をそう
 いうことのせいにするのは、口実にすぎません。どんな倒産も原因はただ一つ。夫婦仲
 の悪さにあります」とおっしゃるのは「倒産110番・八起会」なる集まりの会長・野
 口誠一さん。
・夫婦仲の悪さが倒産の原因、と発見したのは、八起会を始めて四年ほど経ったころだっ
 た。会員の相談に乗っているうち、煎じつめると家庭不和、夫婦の会話のなさに行きつ
 くことに気づいたそうだ。
・では、なぜ夫婦仲が倒産の原因になるのか。
 「倒産する会社の経営者には、お人好しが多いのです。そしてお人好しほど、外づらは
 いいが、家へ帰るとワンマンになるからです」
・お人好しというのは、敵をつくるのがこわいので、誰とでも調子を合わせようとする弱
 い性格だという。弱いから、頼まれれば保証人になってしまう。味方を失いたくない一
 心で、ちょっと怪しい話にも乗り、欺される。
・そういうとき、ふだん家庭で夫婦の会話があると、「あなた、そんな保証人になるのは
 やめてください」「その話おかしいわね。詐欺よ」と奥さんのアドバイスも得られる。
・ところが外でのお人好しは、その弱さを埋め合わせるために内では威張り、奥さんに対
 して高圧的になるので、会話がない。つまり、よき助言者がいないのである。
・「そんなふうに家で威張ってる社長ほど、女がいるものなんですよ。奥さんは感づきま
 すから、仲良くいくわけがありません」
・そういう社長はまた、社員に対してもワンマンなので、相談しないから忠告してくれる
 人もない。 
・「そうでなくても、すべての人間関係の基本は家庭、とりわけ夫婦にあります。奥さん
 ともうまくやれないような人が、どうして多くの人間を使って会社の経営ができますか」
・一度倒産して再起できる人は全体の一割にすぎない。

人間は面白い
・針谷さんは、月の本代が一万円を超える読書家だ。
・仲のいい同僚が怪我で入院したので、気晴らしになる小説でも持って見舞いに行こうと
 考えた。駅近くの書店に入り、小説の棚を探すのだが、ふだん読まないので、どんなの
 がいいか、見当もつかない。
・そこで、店の奥に坐っている中年の店主に相談した。店主は顔を上げ、じろり、とこち
 らを一瞥したあとで、つぶやくようにいった。
 「男の読書は、女の化粧のようなものだから」
 それきり、そっぽを向き、本を選びに立って来てくれるでもない。
・へんな親父だな、と針谷さんは思い、仕方なく適当な一冊を買って、店を出た。
・それから数年して、結婚した。姉妹がなく、とりたててガールフレンドにも恵まれなか
 った男性というのは、結婚して初めて若い女性についていろいろな発見をする。その中
 に、奥さんが化粧するところや、それを落とすのを見られたがらない、という事実があ
 った。
・化粧はどんな女性もするのに、女にはそれを隠したがる習性があるんだな、と思った。
 その瞬間、駅前のあの本屋の親父の謎めいた言葉が、耳によみがえったのである。
 「男の読書は、女の化粧のようなものだから」
・そうか。あのときは何のことかわからなかったけど、店主がいったのはこんな意味だっ
 たのだ。 
・つまり、どんな男も本を読むが、女に化粧品の好みがあるように、男の読書にも好みが
 ある。そして、通俗小説が好きにせよ、堅い経営書を読んでいるにせよ、その好みを他
 人には知られたがらない。心の中をのぞき見されるような気がするからだ。
・針谷さんが読書家になったのは、このときからだった。「読書は男の心の化粧なのだ」
 という重要な発見をしたからだ。
・「男の顔は履歴書、女の顔は請求書」この警句を吐いたのは大宅壮一さんだ。  
・なるほど、女が化粧するのも、自分に高い値をつけるためだろう。一方、男の顔にそれ
 までの人生が彫りとなって出るものなら、どんな本を読んできたかもにじみ出るに違い
 ない。
・たくさん本を読んで心に栄養を与え、知性を磨くことだ。そうでないと、心の空っぽさ
 が顔に出る。
・月一万円ということは、一冊千円として十冊。一年間で百二十冊。もう十五年も続いて
 いるから、おびただしい本を読んだ。 
・読書、化粧、酒には、共通点が一つある。どれも、毒にもクスリにもなる、ということ
 だ。

・アメリカには四つの社会階級がある。上流、中流、下層の三つのほかに、そのどれにも
 分類されないX階級というべき集団が存在するという。
・たとえば、まだ作品を発表していない作家、自称画家、売れないロック歌手などがクラ
 スXを構成する。
・この人たちはほとんど収入がなく、経済的には下層階級に属している。しかし、中流階
 級の小市民的生活を軽蔑して、独自のライフスタイルを保ち、教養の深さや才能の豊か
 さではしばしば上流階級をもしのぐ。
・昨日まで貧乏のどん底にいたかと思うと、今日は鮮やかに成功を収めて一攫千金、たち
 まち上流社会入りする可能性を秘めた人たちだ。
・「数年前アメリカの雑誌にそう書いてあるのを見たとき、そうだ、私たちこそまさにX
 階級なのだ、と気づき、それは一家の間で流行語のようになりました」とニューヨーク
 在住の画家、ロス郁子さんはいう。
・日本女子大を卒業したばかりの二十五年前、絵の勉強がしたくて単身アメリカへ渡った。
 仕送りをしてもらって画学校へ入り、画業三昧。輝かしい未来が約束されているはずだ
 った。しかし、世界中から才能ある若者たちが集まってくるニューヨークでの成功は、
 生やさしいことではない。 
・やはり画家志望のリチャード・ロス氏と結婚し、男の子二人が続いて生まれたころ、東
 京の父親が死んで仕送りは途絶え、一家は極貧の生活に落ち込む。
・二人で描いた絵を画商に持ち込むが、相手にされない。郁子さんはイブニング・ドレス
 の絵付けの仕事をして、一ドル、二ドルと稼ぎ、その日のパンを買った。リチャードは
 学校の先生になろうとするが、これも断わられ続ける。
・小学校に入った子供たちは、奨学金がもらえるのを幸い、バレエ学校に通うことになっ
 た。バレエをやろうとする男の子は少ないので、学校が援助してくれるのだ。坊やたち
 は、じき「眠れる森の美女」の小姓役などで公演に出るようになり、そのつど十ドル、
 二十ドルと出演料をもらってくる。
・そんな貧乏暮らしの中で、息子たちは素直に育ち、学校の成績も頭抜けてよかった。
・夏休みになると、おんぼろ車で一家はあちこちへ旅行した。リチャードは息子たちの勉
 強を見てやり、三人で磯を駆け回ったり、魚釣りをしたりした。つましいけれど、充実
 したバカンスだった。見てくれにこだわる中流階級には得られない、心の喜びがあった。
・夏の間に描き貯めた絵を、ニューヨークへ帰ると友人を頼って一枚、二枚と売る。やが
 て、株式相場をやっているリチャードの友人が、見るに見かねて月六百ドルの援助を申
 し出てくれた。
・アメリカには、こうした金持ちがいる。無名の新人のパトロンになって援助する。ひっ
 くり返していえば、将来有名になったときには大儲けできる、という博打である。
・郁子さんは絵画教室を開き、日本企業駐在員の奥さんたちに教えはじめ、これもおおい
 に家計を助けた。 
・雑誌のX階級の記事を一家が読んだのは、息子たちが高校生になったころだった。
 「うちはクラスXですかからね。レストランで食事するなんてことはできませんよ」
 さっそく郁子さんはその表現を息子たちに向って使うようになった。
・「お母さんが古着ばかり着ているのも、クラスXのせいなんだね」
 と息子たちはいう。
・郁子さんはほとんど洋服を買ったことがない。いつも友だちのお古をもらっていた。
 やっぱり女だから、着古したのをもらうときには、みじめな気持ちがしたものだった。
 しかし、クラスXだから、と思うと、堂々と受け取れる。
・物質的には貧しいかもしれないけれど、私たちは精神的な貴族なのだ、という意識が持
 てる。「クラスXなんだから、おんぼろ車でも頑張って乗るよ」
・優秀な息子たちはそろって奨学金をもらって大学に進み、長男がプリンストン大学で哲
 学を、次男はコロンビア大学で人類学を専攻するころになって、このX階級一家にも陽
 が当たり始めた。
・リチャードは、マンハッタンの真中にあるリンカーン・センターの、長さ五十メートル
 もの壁に大壁画を描く仕事を得た。この長い壁画は、いまではリンカーン・センターの
 名物になっている。
  
・昭和三十二年、早大教育学部を卒業した青白い秀才がいた。東京・浅草育ちの文学青年
 で、教師になって夏休みの間に小説を書き、芥川賞をとって一躍文壇にデビューするこ
 とを夢見ていた。
・ところが、東京都の教員採用試験の日を間違えて、行ってみたら試験は終わったあと。
 やむなく、たった一つ残っていた映画会社松竹の、助監督採用試験を受けた。
・当時、映画撮影所はもっとも花形の職場で、たいへんな競争率だった。合格するとは、
 青年は思っていなかった。それより、大学の映画研究会なんて大嫌いで、映画をつくり
 たいなどと考えてみたこともない。それが、どうしたはずみか、受かってしまった。
・松竹大船撮影所には、木下恵介小津安二郎といった大御所がいて、神様のようにあが
 められていた。 
・一方で、大島渚吉田喜重篠田正浩山田洋次などいわゆるヌーベルバーグの若い世
 代が台頭してくる。日本映画界の絶頂期である。
・かつての文学青年は木下監督の下で助監督として、なにも知らない映画づくりの勉強を
 始めた。 
・すでにテレビは出現していたが、一般家庭に普及するまでにはなっていなくて、街頭に
 置かれていた。人びとはその周りに群れ、色がついていない野球や、プロレスリングの
 中継に熱中した。
・その街頭テレビに、口をあんぐり開けて我を忘れている人たちの顔が、愚か、というよ
 り惨めに見えた。あの頃の映画人は、テレビを蔑視するどころか、頭から問題にさえし
 ていなかった。
・ところが青年は、ひょんなことからテレビにかかわりを持ち始める。大学の同級生だっ
 た恋人が、なんとテレビ局のアナウンサーになったのだ。
・いまのテレビ朝日の前身だったが、デートのために局へ行くと立派な建物で、ホテルの
 ロビーのようにぴかぴかしている。
 「こんなきれいなところで、いいものがつくれるわけはない」
 と青年はつぶやいた。
・映画のスタジオは汚く、雑然としていて、そういう雰囲気がまた、映画人の誇りでもあ
 った。  
・ところが、入社の翌年、昭和三十三年をピークに、映画人口のとめどない減少が始まる。
 口をあんぐり開けた惨めな大衆が主導権を握って、テレビ時代が来たのだ。
・それでもまだ青年はテレビを相手にしなかった。台詞はいいかげんだし、演技の稽古も
 ろくにやっていない。なにより、セットのやすっぽいのが嫌だった。
・しかし、結婚した彼女、和子さんは子供が生まれてアナウンサーをやめ、斜陽の映画会
 社の給料ではやっていけなくなる。背に腹はかえられない。彼は撮影所の禁令に反して、
 こっそりテレビドラマの脚本を書きだした。そして、やがて撮影所をやめ、テレビドラ
 マに専念するようになっていく。
・映画とテレビはぜんぜん違うメディアなんだ、較べちゃいけない、ということにあの当
 時は、気づけなかった。 
・映画では一つの言葉にも、その物語全体を左右しかねないほど重要な意味を持たせる。
 観客は暗がりで全神経を画面に集中しているから、それができる。
・ところがテレビは、明るいところで食事をしたり、おしゃべりしながら見る。台詞を全
 部聞いているとは限らないから、一つの言葉にあまり意味を持たせすぎると、話の筋が
 わからなくなる。演技にしても、どんなに凝ったところで、通じない。テレビの画面に
 集中して見るわけじゃないから。セットは実物が安っぽくたってかまわない。ブラウン
 管にはそれらしく立派にきれいに映るのだ。
・妙な誇りが邪魔をして、偏見で目が見えなくなっていたのだ、と気づいたら、テレビド
 ラマが書けるようになった。
・「岸辺のアルバム」や「ふぞろいの林檎たち」で知られるテレビ脚本界のいまや大御所、
 山田太一さんの述懐である。
 
・群馬・桐生に、きのこずくめのホテルがある。その名も「ホテル国際きのこ会館。洋室
 に泊ると壁、和室には襖に、大きなきのこの絵が描いてある。浴衣、丹前もきのこ柄。
 大風呂浴槽の真ん中にきのこの置物。このホテルを経営しているのは森産業。 
・しいたけの人工栽培で教科書に載った人物に、森喜作という博士がいた。京大農学部在
 学中の昭和初め、卒業論文を書く調査のため九州・大分の山村を訪れた森青年は、切り
 並べられた木の前にひざまずき、山に向って祈る老農夫と孫娘の姿を見た。
・なにをしているのか、との問いに、農夫は答えた。
 「しいがけが出るよう、お祈りしておりますのじゃ。出なければ、この子が村を出て行
 かねばならんでな」 
・貧しい山あいの農家にとって、現金収入をもたらすしいたけの栽培には強く魅力があっ
 た。反面、それは危険な賭けでもあった。榾木を買うには借金しなければならない。そ
 れを湿った日陰に並べても、しいたけ胞子が飛んできてくっついてくれなければ、収穫
 はない。借金だけが残った娘は売られ、首を吊る人も出る悲劇が、しばしば繰り返され
 た。
・農夫と孫娘は、偶然の胞子の飛来を願い、榾木に向って頭を下げていたのだ。
・なんといたましいことだろう。胸を打たれた青年は、偶然に頼らない、確実なしいたけ
 栽培の研究に生涯を捧げる決心をする。
・「森家の秀才坊主は狂ってしもうた」郷里の桐生へ帰って研究に没頭するうち、町の人
 びとから嘲笑され、気味悪がられさえする。だが、昭和十八年、博士はついにしいたけ
 胞子の純粋培養に成功し、人工栽培を可能にした。
・博士は十年前に世を去ったが、”きのこ慈父”をたたえる銅像が、大分と桐生に建ってい
 る。
・その森さんが、きのこ類の研究にために創立した森食用菌蕈研究所が、いまの森産業の
 母体になった。バイオテクノロジーをビジネスにしたわけである。
・ホテルの隣りには、「財団法人日本きのこ研究所」があり、周囲の山はエノキダケやヒ
 ラタケなどの栽培試験地になっている。
・ただ、さすがの森博士も、日本人がいちばん好きなまつたけの人工栽培の夢は実現でき
 なかった。これだけはいまも、山に祈るしか方法がない。
 
・古来きのこは、その形のせいか、洋の東西を問わず、強精食、回春剤」として信仰を集
 めてきた。
・西欧諸国のキリスト教徒が、イスラム教徒の討伐のために十一世紀末に行なった第一回
 の十字軍遠征には、大量の乾燥きのこが荷車に積まれていた。これは医薬品としての意
 味もあって、負傷兵や病人に優先的に与えられたが、ずる賢い兵士たちは仮病を使って
 それを手に入れることに熱心だった。
・このとき十字軍は兵力数十万の大軍で、しかも往復に三年の歳月を要したため、数千頭
 の牛、羊のほか、五千人の売春婦を連れていた。彼女たちの乗った幌馬車が、えんえん
 と続いたといわれる。
・乾燥きのこを入手した兵士たちは、幌馬車へ通う前に忘れずにそれを食べたのだそうだ。
・ところがあまりに道中が長くて乾燥きのこのストックが底をつき、兵士たちはきのこ狩
 りを始めた。その結果、毒にあたって数千人が死んだといわれている。
・きのこを求める男の執念や恐るべし。歴史上の人物では孔子、芭蕉、詩人のアポリネー
 ル、文豪トルストイなどが、毒きのこでひどい目に遭っている。
・古代ギリシア人もきのこ好きだったが、その毒の恐ろしさをよく知っていて、まず奴隷
 に食べさせた。 
・中世ヨーロッパには、絞首台の下にだけ生えるという白い毒茸があって、魔女狩りに使
 われた。これを食べてあたらない女は魔女、とされて火あぶりになった。食べさせられ
 たが最後、毒にあたって死ぬか、処刑されるかしかなかったことになる。
・現代でも毒茸にあたって落命する人は少なくない。 
・ところで、三年にわたる遠征から十字軍が帰るとき、五千人の売春婦のほとんどが子供
 を連れていたそうだ。 
 
世界をつなぐ
・日本人がイタリアへ来て面食らうのは、ここには順番がない、ということだ。銀行の窓
 口、タクシー乗り場、公衆トイレ、どこでも、行列をつくって順番を待つ、という習慣
 がない。
・銀行は日本のように番号札をくれるわけではないから、窓口には人が輪になって群れて
 いる。タクシー乗り場や公衆トイレの前にも、列ではなく輪ができる。
・それじゃ、われ先にと争って混乱するか、というとそうでもなく、不思議なルールが輪
 を支配していて、けっこううまく行っている。
・輪ができているところへ来た人は、まず、先着の人数を素早く勘定し、服装や顔立ちの
 特徴をつかんで頭に入れる。そのうえで、後から来る人に怠りなく注意を払う。誰か来
 たら、オレのほうが先だぞ、と目で牽制するのを忘れてはならない。
・だから、一つの輪の中ではお互いにじろじろにらみ合って、牽制しっこになる。無言の
 ままにらみ合いが、えんえんと続く。初めて経験する日本人には異様で、とても輪の中
 に入っていけない。
・イタリア人同士は、なれていて、「あたしが先よ」「わかってるわよ」とことらも目で
 合図を返して、きちんと秩序が保たれている。
・それでも、時にはずるい奴がいて、先の人を追い越して窓口へ出たり、タクシーに乗ろ
 うとすることがある。たちまち、正当な権利を持つ人との間に言い争いが起きる。殴り
 合いにはならないが、派手なジェスチュアとともに大声でまくし立て合う。結果はたい
 てい、声と身ぶりの大きいほうが勝つそうだ。
・役所や銀行の窓口では、もう一つ割る込みがあって、コネを持つ人が優先される。この
 イタリア独特の縁故主義には、誰も文句をいわない。
・窓口嬢の友だちとか、その家族の知り合い、となると、にらみ合いの輪に加わることな
 く、まっすぐ窓口へ行ける。二時間待つところが、十分ですむ。
・ほかの人が文句をいわないのは、自分たちもどこかの窓口に縁故を持っていて、そこで
 はうまくやってもらっているからだ。 
・だから、この国で待たされずに能率よく事を運ぼうと思ったら、いつも行く窓口の女生
 と早く仲良くなることだ。
・二時間待っていても、途中で終業時間が来ると、窓口は、ばたん、と閉められて、翌日
 回しになる。そんな目に毎日会っていたら、仕事にならない。
・では、どうやって窓口嬢と仲良くなるか。ありとあらゆる社交術を応用するのだ。まず、
 こんにちは、と挨拶し、着ているものをほめる。ジョークをいって笑わせる。言葉がだ
 めなら、にっこりウインクを繰り返す。ともかく、こちらの顔と名前を売り込むことだ。
 照れたり、引っ込み思案になったりしてはいけない。
・しかし、知らない相手、とりわけ若い女性にお世辞をいうのが、日本の男性のおそらく
 世界中でいちばん下手だ。 
 
広い世間で
・「旅の恥じはかき捨て」といういい方が、いまでも日本人の間に残っている。それは、
 中世日本では、道で起きたことはその場だけで処理する、という社会的習慣があったか
 らだという。
・はるかに道をへだてた旅先でのことは、あとからうるさく問わない。だからいくら不始
 末をしでかしてもよかった。人斬りも道の上で起きると、その場ですんだことにし、仇
 討ちに発展させないのが暗黙のルールだった。
・さらに、一人歩きの女性に道で出会ったら、連れ去ってもかまわなかった。美人を路上
 でさらうのは公認され、犯罪にはならなかったのである。ただ、武士がやった場合には
 「御成敗式目」で軽犯罪程度に扱われたが、お坊さんなどは大目に見られた。
・それは、あんまりだ、と思う人もあるだろう。しかし、女性のほうで辻取りに会うこと
 を半ば期待しながら一人歩きした、ということも考えられる。中世の女性は、とにかく
 おおらかだったからだ。
・女たちは、神社や寺へ参詣に行く、という口実で、しばしばひとり旅に出た。市女笠を
 かぶり、掛けだすき、わらじばき、といういで立ちだった。
・旅に出れば、不特定の男女が集まってくる市がある。そこは”色好みになりうる場所”
 で、性のアバンチュールが期待できた。
・神社や寺に祈願のため日夜籠もりきりになれば、見ず知らずの男に混じって寝る。いい
 例が鎌倉時代に「とはずがたり」を書いた二条という女性で、貴族の娘でありながら諸
 国をひとり旅し、奔放な性遍歴を重ねたといわれる。
・中世の日本女性のおおらかさは、外国人の目にも驚きであったらしく、十六世紀後半に
 日本に滞在したポルトガル人宣教師ルイス・フロイスは「フロイスの日本覚書」の中で
 書いている。
 「日本の女性は処女の純潔をなんら重んじない」
 「娘たちは両親と相談することなく、一日でも、また幾日でも、ひとりで行きたいとこ
 ろに行く」
 「日本の女性は、夫に知らさず、自由に行きたいところに行く」
・日本側の最近の研究でも、これらの点についてのフロイスの記述は信憑性が高いことが
 裏づけられてきているという。 
・だから、日本の女性は性的にしいがけられた存在だった、とばかり思い込んでいると、
 女性史を見誤る結果になりかねない。
・最近の翔んでいる女というのも、べつに新人類ではなく、昔に戻っただけ、という。
・性の面に限らず、荘園の管理者に女性が何人もいることがわかった。平安から室町にか
 けてのころ、すでにキャリア・ウーマンがいたのだ。
・また、妻たちが夫を離縁する例も少なくなかった。ただ、その場合でも、離縁状は夫が
 書いた。重婚は禁止されていたから、法的に離縁状が必要で、書く義務は夫のほうに課
 されていたのだ。
・だから古文書だけを見ていると、いつも男が勝手に離縁し、女は泣く泣く従わされてい
 たように思ってしまうが、現実には、男が書かされていたケースも多かった。
・フロイスも、ヨーロッパと違って日本では妻のほうが離縁する、と記している。

・「中年にさしかかったら、よく脳を洗うようにしなさい」
・人間中年になると、毎日十万個ずつ脳細胞が新手いくとされる。脳の細胞は百四十億あ
 るから、十万くらいなんでもないようだが、これは残そう、とか、こっちは死んでもか
 まわない、と選択できないのが困る。
・たとえば、ばったり会った友人の顔を覚えているのに、名前がどうしても思い出せない、
 ということがよくあるのは、名前を記憶していた細胞が死んだからだ。
・せっかく若いころから記憶をインプットしてきて、再生のきかない大切な脳細胞が、な
 ぜ中年過ぎると死ぬのか。いわゆる脳動脈硬化症のせいだ。その結果、血の流れが少な
 くなって、栄養の届かない細胞から死んでいくのだ。
・それなら、脳の血の流れを多くしてやれば、あたら細胞を殺さず、みずみずしい記憶を
 保てることになる。 
・そのためにはどうするか。身体を動かす、つまり運動をして、全身の血液の流れを速く
 することだ。そうすると脳にも自然にたくさんの血液が流れていく。
・脳の若返りにもう一つ必要なのは、ストレスだ。ストレスは悪者扱いされているが、適
 度のストレスなら、その処理のために脳が考え始める。すなわち、休んでいた回路が働
 き出す。これが脳をいつも若く保つコツだ。
・ただし、くよくよ気を使いのはいけない。脳の”情”の部分の使い過ぎは、血圧が上がる
 ばかりで、身体に悪い。”知”の分野で考えることで、脳は賦活される。
・世の中にはときどき、あの野郎に恨みを晴らさなければ気がすまない、などと思い続け
 ている人がいるが、ああいうのはいちばんつまらないことだ。そんな”情”の部分でこだ
 わっても、相手をどうすることもできない。こちらが消耗するだけだ。要らないことは
 忘れて、もっと楽しいことに頭を使いことだ。
・定年ボケというものがあります。あれほどなさけないことはないと思います。まじめな
 会社人間だった人ほど、定年になるとボケる。会社から与えられる仕事がなくなると、
 何をしていいのかわからなくなり、ぼんやり日を過ごしてほとんどボケる。
・他人が決めた定年にどうして従うのですか。自分の人生の定年は自分で決めなさい。会
 社の定年が来る前に新しい人生のテーマを決めておき、それに全力でぶつかって行きな
 さい。趣味でも旅行でもなんでもいい。
・「踊る阿呆に見る阿呆」という阿波踊りの文句は、なかなかいいところを衝いていて、
 同じ阿呆ならやっぱり自分で踊らなければ損なのだ。