読むクスリ PART6  :上前淳一郎

日本のくらしの知恵事典 [ 神野善治 ]
価格:6600円(税込、送料無料) (2021/10/17時点)

切腹 日本人の責任の取り方 (光文社知恵の森文庫) [ 山本博文 ]
価格:748円(税込、送料無料) (2021/10/17時点)

思いやりのある生活 (知恵の森文庫) [ ダライ・ラマ(14世) ]
価格:682円(税込、送料無料) (2021/10/17時点)

100歳の100の知恵 (中公文庫 よ57-5) [ 吉沢 久子 ]
価格:792円(税込、送料無料) (2021/10/17時点)

老人必用養草 老いを楽しむ江戸の知恵 [ 香月牛山 ]
価格:1650円(税込、送料無料) (2021/10/17時点)

女性のための般若心経 この世をよりよく生きる知恵 [ 家田荘子 ]
価格:1650円(税込、送料無料) (2021/10/17時点)

「知恵」の発見 [ 山本 七平 ]
価格:1540円(税込、送料無料) (2021/10/17時点)

読書の腕前 (光文社知恵の森文庫) [ 岡崎武志 ]
価格:814円(税込、送料無料) (2021/10/17時点)

この本は、「読むクスリ」のPart6であり、今から31年前の1990年に出版され
たものだ。
私がこの本のなかで興味を持ったのは、航空会社が鳥対策のために考え出した旅客機のエ
ンジンの中心にあるスピンナーに目玉模様を描くというアイデアだ。私も鳥が目玉を恐れ
るという話は耳にしたことがある。鳥よけグッズとして目玉を描いた風船が今も売られて
いるようだが、果たしてその効果はどの程度あるのだろうか。わが家のベランダにも時々、
鳥がフンを残していってくれるので、もし、効果があるのならやってみたいところではあ
る。
しかし、現在、旅客機のエンジンのスピンナーに目玉模様が描いているのを目にしたこと
がないところから考えると、どうもあまり効果はなかったようだ。恐らく最初に効果があ
っても、鳥もだんだん慣れてきて効果が薄れていったのだろう。
ほかに、この本の中に越後長岡藩の「米百俵」の話が出てきていた。越後長岡藩について
は、先般、河井継之助の生涯を描いた「龍が哭く」(秋山香乃著)を読んだので、なんだ
か懐かしい気持ちで読んだ。この「米百俵」精神の話は、時々、国会の先生方も口にして
話題になるので有名な話のようだ。しかし、今の国会の先生方を見ていると、この「米百
俵」精神とは、ずいぶんかけ離れているような国会の先生方が多いように感じるのは私だ
けだろうか。


知恵の泉は深い
・鳥好きな人は多いが、愛鳥、といわれると眉をしかめるむきも少なくない。たとえば航
 空会社。空港周辺の鳥が機体に衝突したり、エンジンに吸い込まれたりして傷をつけ、
 全日空に聞いたら年間一億五千万円もの損害が出るそうだ。
・いちばんよくぶつかるのはトビ、ついで、ツバメ、スズメ、ハト、カモメだ。
・年間の衝突件数は三百件前後にものぼる。
・こわいのはエンジンに多数の鳥が吸い込まれたときで、失速すするおそれもある。
・そうでなくても、エンジンに飛び込まれるのがもっとも痛い。エンジン内部にはファン・
 ブレードと呼ばれる羽根状の金属板がたくさんついているのだが、これに衝突されると
 わずかな傷でも使えなくなる。
・ブレードは一万二百万円。しかも、一枚だけの交換ですむことはめったにない。鳥一羽
 で何百万円にもつくのである。
・空港で空砲を撃ったり、鳥の悲鳴の録音テープを流したり、苦労してきているのが、あ
 まり効果がない。
・そこで全日空が思いついたのが、エンジンの中心についているスピンナーの先端に目玉
 風の模様を描く、という駆除法だ。
 「果樹園で、目玉を描いた風船を上げたりして鳥を追っ払っているでしょ。あれですよ」
・鳥は目玉を恐れる。庭で餌をついばんでいるスズメも、人間の目が自分のほうに向けら
 れたのに気づくと、ただちに逃げる。この習性を利用して、ナシやモモの果樹園では、
 目玉の模様を大きく描いた風船の看板を立てるようになった。
・ふん公害をまき散らすハトを寄せつけないため、壁に目玉を描いた駅もある。
・これを飛行機にも描いたらどうか、というので、主翼に四つあるエンジンのスピンナー
 に直径八十センチ、白と黒の二重偏心円を描いた。同心円でなく偏心円、つまり、黒丸
 の上に白丸を少しずらせて描くと、飛行機が滑走したり飛んでいるとき、目玉がくるく
 る動いているように見える。
・目玉が四つもある巨大な鳥がやってきた、と思ってトビやスズメのほうで逃げてくれる、
 という寸法だ。
・合計二十二機に目玉を描き、昭和六十年からテストしている。ところが、なんとその後
 一年間に、この計二十二機を通じて鳥が衝突したのはたった一度だけ。
・もしこの目玉模様に効果があるとすると、世界中の航空会社が助かる。
 
・ある企業の社長がいった。「新規のプロジェクトは早大出にやらせろ。もしヘマをした
 ら、尻拭いを東大出にやらせよ」
・私大出身者、なかんずく早大出は、新しい仕事、というと夢中で企画を立て、汗水をた
 らしてのめり込んで行くところがある。やる気にあふれていて頼もしい。
・反面、官学出身者、とりわけ東大出は、ミスを恐れてためらうことが多い。ときには駄
 目な理由ばかり並べ立てて、動こうとしなくなる。
・だから、新規プロジェクトは早大出に任せるにかぎる。ただ、猪突猛進するだけに、失
 敗やることもある。そのときには、東大出に後始末をやらせるとよい。他人のミスの原
 因など、アラを探すのはうまいからだ。
・組織の中では、大勢に逆らって、”異見”すなわち異なった異見を吐く勇気が必要だ。
 また、トップも、この異見に耳を傾ける謙虚さと柔軟さを持たなければならない。そう
 でないと職場は活性化せず、モラルは低下する。
・ただし、異見を述べるにあたって、条件が二つある。
 第一に、ひとつの事柄に対して反対を唱えるのは三回までのとどめること。三回反対し
 て自分の意見とは異なる決定になったら、その決定には潔く従う。
 第二に、自分の考えとは百パーセント逆の決定であっても、決まったからには、自分の
 意志で決定したかのごとく積極的に従うこと。しかし、これができるのは、百人中一人
 か二人しかないのが現実だ。
・この二つの条件が守れるかどうかが、その人の人間としての価値が一流か、二流かの分
 かれ目になる。 
・社員がよく辞める会社の特徴は三つある、とされる人材会社の社長がきかせてくれた話、
 「企業哲学のない会社。人事部がうまく機能していないところ、そして新製品が出ない
 企業」
・万事がうまくいっているときには、部下は上司の顔も見ない。ところが局面が悪くなっ
 てくると、必ず上司のほうへ目を向ける。だから上司は、逆境のときほど渋面をつくっ
 てはならない。ゆったり落ち着いた顔をして部下に安心感を与えるべきだ。
・人づき合いの秘訣は、「丁賞感微名」の法則だけは守ること。
 ・丁:どんな相手にも丁寧に接する。
 ・賞:相手を心から賞める。
 ・感:感謝する。
 ・微:微笑を絶やさない。
 ・名:相手を名前で呼ぶ。

・「これからの女性の花形職業は、バーやクラブのホステスです」
・電話が普及しはじめた明治のころ、女性にとって憧れの的は電話交換手だった。それだ
 けに採用条件は厳しく、良家の子女しか選ばれなかった。しかし、自動交換機の出現で
 花形職業の座を降りる。
・ついで脚光を浴びたのは、バスの車掌さん。きりりとした制服姿が男性客の目を楽しま
 せた。しかしこれもワンマンバスの登場で衰えた。
・そのあと、断然人気職業にのし上がったのがスチュワーデスだ。しかし空飛ぶホステス
 への羨望も、このごろは下降ぎみになってきた。早朝・深夜の勤務がきつく、不規則で
 デートもままならないのが嫌われるらしい。
・すなわち、いかにも女性らしいサービスをする職種は、もう女性の憧れの職業ではなく
 なったのである。 
・そうでなくても、タバコ屋に看板娘はいなくなり、代わって冷たい自動販売機が鎮座し
 ている。
・銀行の窓口の美人はキーボードとディスプレイの陰にかくれ、自動支払機からお札だけ
 が出てくる。
・つまり、男と女の間の、街での健康で人間的な触れ合いが、コンピュータとロボットに
 よって駆逐されようとしているのだ。
・自然、繁盛するのはバー、クラブ、ホステスこそ間違いなく近未来の花形職業、という。
・コンピュータ時代になればなるほど、「人間が人間に対してする」サービスが高価にな
 るという。 
 
・マツダ社長の山本健一さんは、かつて同社のロータリー・エンジン開発を手がけた技術
 者社長であった。 
・東大第一工学部を昭和十九年に卒業した山本さんは、川西航空機に入社し、海軍戦闘機
 「紫電」の足回りの設計を担当した。
・翌年、つまり終戦の年に、海軍技術中尉として茨城県土浦の海軍第一航空廠で兵役につ
 く。  
・戦局は絶望的な時期で資材も不足し、思うように作業がはかどらない。そんなある日、
 一人の徴用工士官からこっぴどく制裁を受けている現場を山本中尉は通りかかった。
 なにが理由かわからないが、あまりひどい様子なので、割って入った。「待て、こいつ
 のことはおれに任せろ」
・徴用工にきいてみると、仕事のやり方で注意を受けたとのこと。殴ったって能率があが
 るわけでもあるまい、と思いながら放免してやった。
・八月十五日の終戦。士官たちは異様に緊張した。進駐してくる米軍は、必ず士官以上を
 連行し、処罰するだろう。「そのときには、潔く切腹するのだ」相談がまとまり、切腹
 の作法を習った。
・腰の短剣出腹の皮を切る。それはいいのだが、海軍だから短剣しかない。首をはねる介
 錯ができない。仕方がないので、腹の皮を切ったあと各自青酸カリをのむことにした。
  航空廠には工業用青酸カリがいくらでもあった。
・「全員武装解除して故郷に帰り、日本国の復興に力をつくせ」結局、そういう命令が出
 て、切腹は沙汰やみになった。
・しかし山本さんは、故郷広島が原子爆弾で全滅したことを聞いていた。たぶん両親は生
 きていないだろう。安否を気にしながら残務整理をしていたある日、恰幅にいい中年男
 性が訪ねてきた。「挺身隊員としてこちらへ参っておりました娘が、たいへんお世話に
 なりました。つきましては、お礼に一献差し上げたく存じます。拙宅へおいでいただけ
 ませんでしょうか」
・しめた、これは腹いっぱい飯を食わせてもらえる、と山本さんは二つ返事で承知した。
 約束の夜出かけてみると、挺身隊員だった娘さんが和服に盛装して出迎え、お酌をして
 くれる。顔は覚えていないが、田舎にはもったいないような美女だ。
・すっかりいい気持ちになったころ、父親が居ずまいをただし、真顔になった。「かねが
 ね娘から、中尉様は立派なお人柄の方を聞かされておりました。これは一人娘でござい
 ますが、よく出来た子でして、女学校を出ております。いかがでしょう、一緒になって
 やっていただくわけには参りませんでしょうか」
・つまり、中尉を好きになった娘が父親に話し、婿養子の打診になったのだ。これからど
 うやって生きていくか、思い悩む日々が続いていた矢先だけに、この魅力的な申し出を
 断るまでには数日かかった。
・しばらくして、今度は若い男が訪ねてきた。着物姿で山本さんの前に膝をつき、時代劇
 の中で見るような仁義を切って挨拶をする。さて、顔はどこかで見た気がするが、誰だ
 っただろう。
・「中尉殿、その節ははずかしめを受けておりますところ助けていただき、ありがとうご
 ざんした」なんと、士官に制裁を受けていたあの徴用工ではないか。
・「私は、じつは地元の極道でござんして」「あの折りの中尉殿の侠気には、ほどほど感
 じ入りました。組に戻りまして、さっそく親分に話しましたところ、なんとか組の若頭
 としてお迎え申し上げてご指導願えないか、とのことで、私めが参上いたしました」
・広島の両親は無事との電報が来て、山本さんは郷里へ帰った。東洋工業に入社し、マツ
 ダと社名をかえた同社の社長になるまでの四十年は、決して平坦だったわけではない。
 しかし、あの土浦での数カ月ほど、いろんなことがいっぺんに起きた時期はなかった。
 
ハート・ツー・ハート
・幕末から維新のころ越後長岡藩は、牧野家の家老河井継之助が先頭に立って官軍に刃向
 い、三度町を焼かれて敗れた。
・牧野家は取り潰しは免れたものの、賊軍の汚名を着せられ、七万四千石もらっていたの
 が二万四千石に減らされてしまった。石高をいっぺんに三分の一に減らされたのでは食
 べていけない。
・そこへ、分家の三根山藩から戦火見舞いとして、米が百俵送られてきた。食うや食わず
 の藩士たちは、これでしばらくしのげる、と喜び、百俵がどう配分されるか、固唾を呑
 んで見守っていた。
・ところが、大参事の小林虎三郎は、言った。「米は配分しない。売り払い、その代金で
 学校を建てる」
・藩士たちは憤り、抜刀して大参事のもとへ押しかけた。
・若い日に佐久間象山のもとで学び、当時四十三歳の虎三郎は、畳に突き立てられた刀を
 前に説いた。「百俵を八千五百人に配分して、どれだけになるか。一人あたり四、五合、
 一日か二日で食ってしまうだろう。あとにはなにも残らないではないか」
 「このたび長岡藩が戦って敗れ、食う米にもこと欠く事態になったのは、先の見える人
 物がいなかったからだ。国が興るのも滅びるも、つまりは人だ。したがって、その人を
 育てるために、この米百俵は使う」
・人さえ育てていくなら、いまの百俵が千俵にも万俵にもなる、という遠大な長期計画で
 ある。 
・明治三年、長岡の坂之上町に国漢学校が建てられ、学問と武道の教育が始まった。のち
 に洋学局と医学局が併設されて、それぞれ長岡中学(現在の長岡高校)と長岡病院にな
 る。
・長岡中学は、多くの学者や実業家を輩出している。もっとも有名なのは、海軍元帥山本
 五十六
だ。

百聞は一見にしかず
回教徒は四人まで妻を持てることはよく知られているが、最近は経済的な事情や女性の
 地位の向上で、だんだん窮屈になってきた。
・マレーシアでは女性の法務大臣が出現して、コーランの規定を尊重はするが、そこに現
 代的なタガをはめるという、うまい法律をこしらえた。
・つまり、男性は第二夫人以下を持てるけれども、その場合には第一夫人の同意が必要、
 ということにしたのだ。 
・自分の名前が書けない女性もいるので、その場合には承諾書に拇印を押してサイン代わ
 りにしてもいい。
・この法律が成立した日の地元に新聞に、漫画が載った。やせた夫が承諾書を持ち、いぎ
 たなく眠っているデブ女房の手の親指から、こっそり拇印をとろうとしている。ところ
 が女房もさるもの、両手の親指にしっかり包帯を巻いて寝ていた。
・回教徒については、年一回の断食月もよく知られている。期間中は日の出から日没まで、
 水も含めていっさいの飲み物、食べ物を口にしてはならない。
・ただし、朝起きて歯を磨いているときに血が出たり、のぼせて鼻血が出たりすると、そ
 の日は断食しなくてもよい。というより、血は不浄なので、聖なる断食に参加できない
 のである。同じ理由で、女性は生理日には断食に加われない。
・この期間は、太陽が出ているうちにセックスしてもいけない。これも不浄なのだ。
・じつは断食期間中でも、みな三食きちんと食べる。日没と同時に食べ、真夜中にまた胃
 袋を満たし、夜明け前に三食目をしこたま腹に詰め込む。つまり、昼夜食べる時間が逆
 転するだけのことなのだ。
 
・「私の祖先は、メイフラワー号でアメリカへ来たんです」というのが、アメリカ人にと
 って最高の毛並み自慢である。 
・アメリカは階級のない社会だ、といわれるが、じつはWASP、つまり白人で、アング
 ロサクソンで、新教徒でなければ上流社会には入れない、とされる。
・メイフラワー号で1610年アメリカへ来たのは、イギリスの新教徒たちだった。つま
 りWASPであり、しかも新大陸を開拓して建国の基礎をつくったのだから、子孫が自
 慢したくなるのも無理はない。
・ひまなアメリカ人が、メイフラワー号で来た新教徒の子孫がいま何人ぐらいいるか計算
 してみた。わずか百八十トンのメイフラワー号に乗ってきたのは、百一人あるいは百二
 人だったことがわかっている。
・単純に百人で、五十組のカップルだったとする。この人たちがみな、四人ずつ子供を生
 み、さらに二世が同じように子供を作り・・・というふうに数えていく。
・そうすると、現在は十八世代目になり、一組のカップルの子孫がざっと六万五千人。
 五十組で三百二十五万人になっている。それでも二億を越えるアメリカ人口に占める比
 率は、一・五パーセントにすぎない。
 
流れゆく日々
・江戸時代に越後長岡藩を領していたのは牧野家だった。この殿様の下で貧しい水呑百姓
 だったはずの家からのちに、田中角栄という総理大臣が出る。そういえば、元首相はそ
 の盛んなころ、マキノホープという名の競走馬を持っていた。
・東京慈恵会医大助教授の加藤さんが、牧野家歴代のうち、四代忠寿から十一代忠恭まで
 の八人の殿様の遺骨を調査した。
・その結果いろいろ面白いことがわかったが、まず、どの殿様も手足の骨が細い。
 「色白でのっぺりした、やさ男だったでしょうね。武道の鍛錬など、やっていなかった
 はずです」
・加藤先生は戦国時代の武士の骨を調べたことがある。その骨は太く、しかも表面に筋線
 がはっきり残っていた。つまり身体を鍛えたので骨と筋肉がよく発達し、はち切れそう
 な筋肉が骨にまで食い込んで跡を残したのだ。
・そこへいくと平和な江戸時代の殿様は楽で、お城にごろごろしては、「よきにはからえ」
 と毎日を過ごしていたのだろう。
・つぎに、どの殿様も歯並びが悪く、しかも出っ歯だ。「これは明らかに、幼いころから
 大切にされすぎて、固いものを食べなかったせいです」
・柔かいものしか食べないと、力を入れて噛む必要がないので、上あご、下あごの骨が発
 達しない。あごが狭くなる。
・歯並びが悪いのは越後の殿様に限らなかったようで、五人の徳川将軍を調べた結果も、
 同じだったそうだ。 
・「骨が細く、柔かいものしか食べない。これはまったく現代っ子と共通しています」