生きる意味を問う :三島由紀夫 (私の人生観) |
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この本は、いまから40年前の1984年に刊行されたもので、三島由紀夫が東京の陸上 自衛隊市ヶ谷駐屯地で自決したのは1970年だから、その14年後に刊行されたことに なる。 この本はエッセイ集に分類されるようで三島由紀夫の思想の全体像をこの一冊にまとめた もののようで、「私の人生観」というサブ・タイトルがついているのだが、本のタイトル と内容とにはちょっと乖離がある気がする。 また内容については、文章全体でおいて言い回しがかなり理屈っぽく、いったいなにが言 いたいのか、何を言わんとしているのか、私にはよく理解できないところが多かった。 ひと言で感想を言うとすれば、まるで戦前の皇統派の軍人のような思想の持ち主のように 感じられた。 こういう思想の持ち主にとっては、戦後の時代は、生きる意味を見出せない時代だったの かもしれないと私には思えた。 過去に読んだ関連する本: ・美徳のよろめき ・憂国 |
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私の文学 ・小説家になりたくてなれるものではない。 大抵後で考えれば自分で仕方なしになったという感じを持っている。 ただ美しい意味で考えられた作家芸術家という概念では本当の文学は生まれないという ことが後でわかるだろう。 ・なぜ自分が作家にならざるを得ないかをためしてみる最も良い方法は、作品以外のいろ いろの実生活の分野で活躍し、その結果どの活動分野でも自分がそこに会わないという ことがはっきりしてから作家になっておそくはない。 ・一面から言えば、いかに実生活の分野でたたかれきたえられてもどうしても汚れること のできないある一つの宝物、それが作家の本能、つまり詩人の本能とよばれるものであ る。 ・始めから汚れることの純粋さは本当の純粋さではない。 そこで諸君がもし、作家になり芸術家になろうとするなら、私はむしろ諸君が実生活の ほうへ無理にでも進めていくことが将来作家になるにも必要だと思う。 ・小説家はまず第一にしっかりした頭をつくることが第一、みだれない正確な、そしてい たずらに抽象的でない、はっきりした生活の裏づけのあることが必要である。 何もかもむやみに悲しくて、センチメンタルにしか物事が見られないのは小説家として 脆弱である。 ・さて日本では作家が実生活の裏付けを持つということは実際問題としてなかなかむずか しいものである。 ・近時イギリスでは貴族の身分を捨てて炭鉱夫になり、作者の名を名乗らずにまったく匿 名で小説を発表し、非常に認められている新進作家もあるそうである。 ことに現代フランス作家では何か実生活の経験を経ないで作家になった人のほうがかえ って少ないと言ってよい。 ・それが日本では森鴎外以外ほとんどそういう作家は見ない。 それは一つには日本の職業が個人生活の自由を尊重せず、個人生活ぜんぶをいろいろと 職業的に束縛してしまうような組織を持っていることにもよるが、また一面、日本人の 体力やエネルギーの不足ということもあろう。 森鴎外のように驚くべき少ない睡眠時間で、忙しい軍務と、文学的生活とを両立させた ような例は日本人の誰でも望めるようなことではなく、私自身の経験によっても役所勤 めをして、帰ってきてから夜小説を書くことははなはだしい体力の消耗であって、どち らの仕事にもマイナスになるような気がした。 ・そういう日本特有の制約のいろいろある中で、なお私が作家志望の方々を実生活のほう へゆくことをおすすめするのは、その両立し得ないような生活を両立させようとギリギ リのところまで努力することが、たとえそれが敗北に終わろうとも小説家としての意志 の力を鍛える上に、また芸術と生活との困難な問題をギリギリまで味わうために決して 無駄ではないと思うからである。 ・さて日本の作家生活というものは決してある人たちが憧れるような楽しい者でも豊かな ものでもない。 底では小説家はマラソン選手のように体力を最高度にすり減らされ、休養も与えられず、 またゆっくり本を読んで勉強する時間も充分与えられず、芸術家にとって一番大事な (ボンヤリして何もしないでいい時間)というものはまるっきりなく、まるで意地汚い 子供が母親の留守に戸棚の隅々までお菓子を探し回って歩くように自分の中から、汲み つくせる以上にたくさんの小説を作り出さねばならぬ。 ・作家は絶えず消耗を強いられ、また日本独特の発表のシステムの弊害も手伝って、外国 の作家のように一作一作自分を育てきずきあげていくことは難しい。 ・その中でいかにしていい作品が書けるかはむしろ単なる偶然に委ねられている感がある。 長い準備と綿密な調査との上にたてられた大建築のような小説がうまれにくいのもこの ためである。 もしこれから作家になろうという人は、こういう様々な制約をくぐってそれと闘いなが ら自分の文学を育てていくという辛い困難な道を覚悟した人でなければならぬ。 はやりの小説に便乗しようとか、誰それの作家の真似をしてやろうとか、まして、お金 を儲けるためであるとか、そういう目的で文学を始める人は困ったものである。 ・作家にとっては或る世俗的な動機も立派な作品を生むもとになることもあるが、根本の 心がけはけっして単なる世俗的なものであってはならぬ。 ・パルザックは毎日十八時間小説を書いた。 本当は小説というものはそういうふうにして書くものである。 詩のようにぼんやりインスピレーションのくるのを待っているものではない。 このコツコツとたゆまない努力のできることが小説家としての第一条件であり、この努 力の必要なことにおいては芸術家も実業家も政治家もかわりないと思う。 なまけものはどこに行っても駄目なのである。 ・ある画家から聞いた話だがフランスに行って絵描きが何を学んでくるかというと、毎朝 必ずキャンパスの前にきちんと座って仕事を始める習慣だそうである。 この単なる習慣が日本に帰ってきてから非常な進歩のもとになるということは日本人の なまけもの気質と考え合わせて面白いことであると思う。 ・重要なことは、エロスが知恵と無知の中間におり、自ら知恵を持つゆえに知恵を求めな い神と、無知なるが故に知者になりたいとも思わぬ無知者とのちょうど中間にいて、自 分の欠乏の自覚から、知恵を愛しも求めている存在だということである。 ・エロスは欠乏の自覚のゆえに、善きもの、美しきものを愛し、その永久の所有、すなわ ち不死にあずかるために、肉体の上でも心霊の上でも、美しきものに接して、その美し きものの中に生産し生殖しようとする。 ・無知者は、自ら美しくもなく、善くもなく、聡明でもないくせに、それで自ら十分だと 満足している。 自ら欠乏を感じていないから、その欠乏を感じていないものを、欲求するはずがないの である。 作家の二十四時 (健康履歴書) ・子供のころは弱く、よく自家中毒賞および扁桃腺肥大にかかった。 中学前半までよく病気をした。 その後戦争がはじまり、物資が不自由になるにつれだんだん病気をしなくなり、学校で やらされる海軍体操がたいへんよく利き、行軍などで落伍したことがない。 耐久力はできてきたが、見かけは最低だった。 ・二十代に、文士になってから、もっぱら胃痛に悩んだ。風邪はあまりひかなかった。 ・三十代に入り、ここで体をがっちり作らねば一生損をすると思い、ボディ・ビルをはじ め、胃がすっかり丈夫になり、全然病床につくことがなくなった。 (日常の健康法) ・十分な睡眠、未だかつて睡眠薬というものを使ったことがない。 床に入れば、よほどのことがない限り、間もなく眠りに入る。 しかし、就眠儀式があり、左を下にして床にはいり、二、三分のち、右へ寝返って眠る。 ・自分のベッド、自分の枕が大切。 もっとも私の睡眠時間は午前五時ごろから午後一時ごろまでのほほは八時間で、過去十 何年の習慣だから治らない。 ・一年を通じ、十二月だろうが、一月だろうが、快晴なら、裸で、庭のテラスで朝食をと る。鳥肌が立ったって、かまうことじゃない。 風邪は疲労から引くものであって、寒さは風邪とは関係がない。 ・朝食は、ハーフ・グレイプフルート、フライド・エッグス、トースト、ホワイト・コー ヒー等。 朝食は午後二時ごろ。午後七時か八時に昼食。 週に最低三回は360グラム見当のビフテキを欠かさない。 つけあわせには、じゃがいも、とうもろこし、それからサラダを馬のごとく食べる。 ・夕食は、軽い茶漬け風のもの。仕事前だから、あまり重いものは食べない。 ・酒は家ではほとんど呑まない。外でもお付き合い程度。 酒は日本料理なら日本酒、西洋料理なら葡萄酒。カクテルは悪酔いするからあまり呑ま ない。 ビールはあまり呑み過ぎると、睡眠を妨げるから好まない。 運動のあとの酒は、おいしいに決まっているが、たちまち全身に回って眠くなり、夜の 仕事の妨げになるから、運動のあとは概してレモン・スカッシュ程度。 ・酔い過ぎたあとは、熱い番茶をガブガブ呑んで、急速に酔いをさまし、仕事にかかる。 ・注射は大きらい。薬も原則として飲まない。 ・風邪らしいときは、大厚着をして、薬缶に一杯、熱い番茶をガブガブのみ、全身を発汗 して治す。 ・お腹をこわしたときは、壊した瞬間に忘れることにし、ビフテキだろうが、何だろうが、 平常と同じものを食べる。 すると、あくる日には治る。 ・頭痛はかつてしたことなし。 ・仕事が私の健康法の核心をなすもの。 自分の体力以上の仕事を決して引き受けず、自分のペースを乱さないこと。 ・一人の人間の生活に、趣味と必要の大きな落差が、ほうぼうにちらばっていて矛盾に充 ちているというのも面白いし、私はそれで行きたいと思う。 どうせ日本人の生活はみんなチグハグなんだから、自分の生活のチグハグさなんぞ、 気にかけていられない。 ・ただ、衣食住のうちでも、住だけは、必要かつ十分、機能的にして無装飾、というのが 私の趣味である。 しかし目下の私の住がこの理想とチグハグなおかしな家であることは、訪問客の皆認め られるところだろう。 ・私はもともとラテン・アメリカの家が好きである。 白い壁の室内、タイルの床、おそろしいほど高い天井、フランス窓、熱帯植物。 ・このごろ、新しいビルなどでも、どんな壁の色が仕事の能率を上げるかとか、疲労度を 増すとか、研究が進んでいるようだが、私は人間の神経は、壁の色によって左右される ほどヤワなものであるはずがない。いや、あるべきではないという考えである。 ・また、椅子一つでも、むやみに快適な角度や柔らかさが重要視されているようだが、 私は背の直立した固い椅子ほど、健康に良い、という考えである。 ・日本人の美学は、金ピカ趣味を失ってから衰弱してきた、というのが私の考えである。 したがって、私の室内装飾は、金ピカ趣味一点張りになった。 ・「三島由紀夫が見合結婚するなんて、彼もやっぱり普通の男に過ぎなかったのね」とあ る女性がうそぶいていたと知らせてくれた親切な友人があるし、別な友人はまた、僕く らい誤解されやすい存在は少ないと云った。 ・世の中には完全に誤解されていながら、絶邸に誤解されていないというふうに世間に思 われている人もたくさんいる。 社会の大半の人はそうだということもできるだろう。 ・あの人は磊落で面白い人だ、気分のいい人だ、と言われ一生過ごした人が、実はとんで もない反対の性格の持ち主であったということもありうる。 僕という人間は磊落かと思うと神経質、神経質なのかと思うと磊落に思われたりする。 正反対の両方が世間に丸出しになった点で、一番あけっぴろげなのだといえるかもしれ ない。 ・今度僕が結婚することがわかると、人はそれぞれの誤解の上での僕の結婚を考えるらし い。 僕はそれについて説明を加えたり、注釈をつけたりする気持ちはない。 しかし僕の読者が抱いてくださるごく素朴な疑問については、僕はお答えしなければな らないと考えている。 ・まず僕の結婚については、親孝行とは何とか云われているようだが、母の体が弱ってき たというのが直接の原因ではない。 かねて僕には、結婚についてのひとつの妙な考えがあった。 というのは、自分が若いという意識を持っているうちに結婚しなければいけないという ことである。 僕ももう三十三、あと二、三年たったら若いという意識が全然なくなってくるだろうと 思うと、それが恐ろしかった。 世の中には四十男、五十男が好きな女もいる。 しかし、僕はそういう女と結婚したくはない。 だからかりにも青年のうちに結婚しなければいけないと思っていた。 ・僕がもう一つ恐れたことは、四十までも五十までも独身でいて結婚する人はいくらでも いるけれども、男が四十近くまで独りでいると、何か不思議なデカダンな味がでてくる ということだった。 ・男で四十ぐらいの独り者は、おしゃれはおしゃれなりに、身なりを構わない人は構わな いなりに、なにかデカダンな感じがする。 だから僕はそういう感じになりたくないと思っていた。 ・今度二、三回見合いをしてみて、見合というものの成否はその場の空気でだいたいわか るものだと思った。 その場の空気でどんな顔をするかによってわかってしまう。 もちろん永い将来のことは結婚してみなければわからないけれど・・・。 しかし人間のことがわかるという人がいたとしたら怪しいものだ。 第一印象とか、ちょっとした感じでたくさんではないか。それ以上分けれと言っても無 理だろう。 ・僕が見合の第一前提条件として家庭の事情を重んじた。その意味で芸術家の娘を選んだ ことはよかったと思う。 収入の高低というのとは別に、収入とか金とかに対する観念がそれぞれの職業によって 違ってくるものなのだ。 とにかく目の前で主人が徹夜して、ハアハア息を切らせて書いて、それがもとになって 生活している家と、ドテラを着て、朝から酒を飲んで、株が上がった下がったと言って いる中にスルスル金が入ってくる主人の家とでは、生活全般の観念がおのずから違って くる。金に対する考え方が違ってくる。 ・僕は自分が見合結婚をしたということは、僕の特殊事情だということを強調したい。 恋愛結婚をしたい人はしたらいいと思う。 僕は見合結婚論者でも、恋愛結婚論者でもない。 僕の特殊事情として言うならば、恋愛というものをみんなはロマンティックに考えるけ れども、おのずから選択が限られていて、自分の手の届く範囲でしかできないことを僕 は知っている。 ・僕は波瀾とかトラブルとかが世の中でいちばん嫌いなたちだ。 仕事の触るような波瀾やトラブルを避けるためには、すべてレセ・フェール(放任主義) にする以外、生きられない。 昔気質の文士、それから最近では太宰治とか坂口安吾とかいう破滅型の文士の生き方と、 僕の生き方の違うところだ。 ・彼らはすべて観念で動いている。生活というものはすべて観念だと思っている。 ところが僕は生活に観念を持ち込まないという主義だから、すべてレセ・フェールであ る。 僕が太宰ぎらいなのは生活に観念を持ち込んだということだ。そういうことが文学的な ことだと思っている風潮が嫌いなのだ。 ・バルザックのそばにいた秘書が、ナポレオンの地位とバイロンの名声を合わせていま自 分にくれると言っても、小説家にはなりたくないと云ったそうだ。 バルザックのそばにいて、夜中にコーヒーをガブガブ飲みながらやるあの生活ぶりを見 ていたのでは、小説家にはなりたくないと思うのも当然だろう。 作家というものは、多かれ少なかれそうしたものを持っている。 僕の生活だってそうなるのではないかと思うし、その点、少なくとも精神生活の中では、 安吾さんの生活とぼくの生活とそんなに隔たったものとは思えない。 やはり同じ時代に生きている文士だし、僕の中にも太宰的要素だってある。 しかし、太宰や安吾のように外側からもそれが見えてくるというのは、いかにもいやだ。 ・僕の生活は演技だと人は云うだろうけれども、まあ世間に向かって演技しているのか、 自分に向かって演技しているのか、ほんとうのところわからない。 でも演技をしまいと思ったら、全然生きていけないだろうと思う。 生きていくために、最小限度の要求が演技であってもしようがないと僕は思っている。 ・僕が結婚したら、大変いいご亭主に見えるだろうとすでに云われている。 しかしシャイネンする(ふりをする)だけでいいのではないか。 人間には精神だけがあるのではなく、肉体がなぜあるかというと、神様が人間はなかば シャイネンの存在だとしているということを暗示していると思う。 ザイン(存在)だけのものになったら、シャイネンが本当に要らない人間になる。 ・それならもう社会存在も放棄し、人間生活も放棄したほうがいい。 どんなに誠実そうな人間でも、シャイネンの世界に生きている。 だから僕がいちばん嫌いなのは、芸術家らしく見えるということだ。 芸術家というものは、本来シャイネンの世界の人間じゃないのだから、芸術家らしいシ ャイネンというものは意味がない。 それは贋物の芸術家にきまっている。 芸術家らしいシャイネンといえば、頭髪を肩まで伸ばして、コール天の背広を着て歩い ているというのだろうが、そんなは贋物の絵描きにきまっている。 ・僕は文学がわかるような顔をする女は女房には持ちたくないと日ごろから云ってきた。 自分の作品だって読まない方がいいくらいだ。 しかし、だんだん読むようになるのはしようがないし、読ませまいとして鍵をかけたと ころで本屋で買って読んだら仕方がない。 しかし批評だけは絶対にしてもらいたくないと思っている。 最後の譲歩として、読んでもいいけれども、いいとか悪いとか云うなと今から云ってお くつもりである。 ・たとえ外で僕の作品を愚策だと云われても僕はちっともこたえないが、家の中で悪口 を云われるのは困る。 ・世の中には家庭的なわずらわしさに平気な人間もいるようだが、僕は煩わしいことを全 然避けて暮らしたいと思う。 そういう意味では女房から見れば冷たい亭主に見えるかもしれない。 僕にとって、仕事がすべての中心だから、普通の社会観念の損得というものは超越して しまう。 明らかに損だと思われることであっても、仕事の上でプラスになると思えば、損であっ てもいいのじゃないかという気になる。 普通の社会人と一番違うのはその点ではないだろうか。 ほんとうに自分をいたわりたいために、喜んで損をする、それが芸術家というものだろ う。 ・僕は普通の人がトラブル(もめ事)をエンジョイ(楽しむ)するあのやり方というもの を真似することはできない。 訴訟問題の好きな訴訟狂、時間をかけ、金をかけてゴタゴタして戦うあの楽しみは僕に はわからない。 見方によれば人生の大部分はトラブルを楽しみ能力がなければ楽しめないものらしいか ら、そういう意味で僕は社会人として一人前じゃない。根本的に欠けたものがあるのか もしれないと思っている。 ・僕は女房に対して多くを望まない。 しかし作家の妻としてどういう態度であったらいいのか、という問題については既に話 し合っている。 僕自身の見聞したことからいっても、作家の女房として思わしくないような人にならな いよう、これは女房教育の基本条件としている。 あとは料理が下手であろうが、裁縫ができなかろうが、女房に過大な要求はしないつも り。 家事がどうしてもうまくいかなかったら、それも可愛いじゃないかとさえ思っている。 ただ対外的なことに対してだけは、僕は決して寛大にならない。 もちろん悪妻だって新聞に女房の悪口が。出たりするようなことはない。 しかし世間はもっとこわいところで、女房に対して決して寛大ではない。 世間は見ている、それを知ってもらいたいと思っている。 ・作家の妻はどういう形で夫に協力するか。 これは人によっていろいろで、一概に云えないところだろう。 しかし、僕は結局、作家というものは、女房に最後まで理解されないものだろうし、 それでいいのだと思う。 事実そんな理解がなくても、作家は生きてゆかねばならないと僕は信じている。 ・永井荷風はあのとおり、フランス式人生観に徹して、金より他に頼るものなしと大吾し たのはよいが、医者に出す金さえ惜しんで、野たれ死に同様の死に方をした点で、いつ も金に結びつけて考えられている。 一方、谷崎潤一郎は出版社から巨額の前借を平然としながら、死ぬまで豪奢な生活を営 み、病気になれば国手の来診を乞うた。 ・潤一郎は商人で、荷風は侍であった。人生観の大体がそうであった。 ある人はそう言いたかったのに違いない。 それが証拠に、荷風は一切借金をせず、人との約束は潔癖に守ったが、潤一郎は、死ん だときに帳尻が合えばいいという考えで、借金も財産のうちと考えていた。 ・潤一郎は晩年にいたるほど、一見円転滑脱になり、誰にでもびっくりするほど腰が低か ったが、荷風は晩年が近づくほど、猜疑心が強くなり、しかもさしで会えばおそろしく 丁重であった。 ここらに両氏の都会人らしい共通点がうかがわれ、かつ、その現れ方こそちがえ、両者 の人間ぎらいは実に徹底したものであった。 潤一郎は、自分をほめてくれる人間しか寄せ付けず、荷風は、そういう人間でさえ遠ざ けた。 潤一郎は、おひいきの有名女優にだけはやさしかったが、荷風も無名のストリッパーに だけはやさしかった。 物として扱える人間だけが好きだったのである。 ・どうも小説を長い間書いていると、こういうふうな人間ぎらいになるものらしい。 もちろん、人間ぎらいでは、実業家などがつとまるはずはなく、潤一郎の精神がいくら 商人型だと云っても、会社の一つも持てば、早速つぶしてしまったに決まっている。 ・私が、だんだん荷風型に近くなる徴候は、いろいろと見えている。 お金の点では、まだ吝嗇になっていないつもりではあるが、同業の文士の顔を見ること が、だんだんいやになってきている。 文士の出そうなバアや料理屋は、勤めて避けて歩いている。 私だって二十代のころは、文士付合いを面白がっていた時期もあるのである。 しかし今では、文士ほど、人の裏を見る、小うるさい存在はないと思うようになってき ている。 これは多分、自分もそうだから、という理由にすぎまい。 自分が明瞭に見えてきたので、文士一般が耐えられなくなってきたのであろう。 ・むかしから人の好悪の激しいほうであったが、年齢とともに、それがだんだん我慢なら なくなった。 人はこういう傾向を老年の兆候だというが、必ずしもそうではない。 ただ、若いうちは、なにぶん自分に社会的な力が乏しく、人に頼って生きて行かねばな らないから、打算と好奇心が一緒になって、イヤな奴とも付き合っているけれども、次 第に社会的な力が具わってくると、今まで抑えていたものが露骨に出てくるだけのこと であろう。 ・何がきらいと言って、私は酒席でみだれる人間ほど嫌いなものはない。 酒の上だと云って、無礼を働いたり、厭味を言ったり、自分の劣等感をあらわに出した り、また、劣等感や嫉妬を根に持っているから、いよいよ威丈高な笠にかかった物言い をしたり、なにぶん日本の悪習慣で「酒の上のことだ」と大目に見たり、精神鍛錬の道 場だぐらいに思ったりしているが、私には一切やり切れない。 酒の席でもっとも私の好きな話題は、そこにいない第三者の悪口であるが、世の中には、 それをすぐご本人のところへ伝えにゆく人間も多いから油断がならない。 私は何度もそんな目に会っている。 要は、酒席に近づかぬことが一番である。 酒が呑みたかったら、別の職業の人間を相手に呑むにかぎる。 ・何かにつけて私がきらいなのは、節度を知らぬ人間である。 ちょっと気をゆるすと、膝にのぼってくる。顔に手をかける。頬っぺたを舐めてくる。 そして愛されていると信じ切っている犬のような人間である。 女にはよくこんなのがいるが、男でもめずらしくはない。 荷風がこんな人間をいかに嫌ったか、日記の中に歴然と出ている。 ・われわれはできれば何でも打ち明けられる友達がほしい。 どんな秘密でもわかつことのできる友達がほしい。 しかしそういう友達こそ、相手の尻尾もしっかりつかんでいなければ危険である。 相手の尻尾を完全につかんだとわかるまで、自分の全部をさらけ出すことは、つねに危 険である。 それだけ用心しても、裏切られる危険はつねに潜在している。 ほんとうの心の友らしく見える人間ほど、実は危険な存在はあるまい。 というのは、いくらお互いに尻尾をつかみあっていても、その尻尾にかけている価値の 大小の差はつきものだからである。 ・私が好きなのは、私の尻尾をつかんだとたんに、より以上に節度と礼譲を保ちうるよう な人である。 そういう人は、人生のいかなることにかけても聡明な人だと思う。 親しくなればなるほど、遠慮と思いやりは濃くなってゆく、そういう付き合いを私はし たいと思う。 親しくなったとたんに、垣根を破って飛び込んでくる人間は嫌いである。 ・お世辞を言う人は、私はきらいではない。 うるさい誠実より、洗練されたお世辞のほうが、いつも私の心に触れる。 世の中にいつも裸な真実ばかりを求めて生きていると称している人間は、概して鈍感な 人間である。 ・お節介な人間、お為ごかしを言う人間を私は嫌悪する。 親しいからと言って、言ってはならない言葉というものがあるものだが、お節介の人間 は、善意の仮面の下に、こういうダブーを平気で犯す。 善意のすぎた人間を、いつも私は避けて通るようにしている。 私はあらゆる忠告というものを、ありがたいと思って聞いたことのない人間である。 ・どんなことがあっても、相手の心を傷つけてはならない、ということが、唯一のモラル であるような付き合いを私は愛するが、こんな人間が殿さまになったら、家来の諌言を きかぬ暗君になるにちがいない。 人を傷つけまいと思うのは、自分が傷つきやすいからでもあるが、世の中には、全然傷 つかない人間もずいぶんいることを私は学んだ。 そういう人間に好かれたら、それこそえらいことになる。 ・誰それがきらい、と公言することは、ずいぶん傲慢な振る舞いである。 男女関係ではふつうのことであり、宿命的ことであるのに、社会の一般の人間関係では、 いろいろな利害がからまって、こうした好悪の念はひどく抑圧されているのがふつうで ある。 ・第一、それほど、あれもきらい、これもきらいと言いながら、言っている手前はどうな んだ、と訊かれれば、返事に窮してしまう。 たぶん確かなことは、人をきらうことが多ければ多いだけ、人からも嫌われていると考 えてよい、ということである。 男らしさの美学 ・私は日本で革命を成功させる一番いい方法は、日本の政界、財界、文化界のおえら方、 いわゆる支配勢力を全員数珠つなぎにして、全裸で、銀座を歩かせることだ、と主張し ているが、その醜悪さに民衆は、自分たちを支配している権力の実態を直ちに知るだろ う。 この世を支配しているのは美ではない、ということを端的に知るだろう。美の革命が即 座に起こるだろう。 ・そもそも東洋における男の服飾とは、肉体を隠蔽し、権力を誇示し、裸にしてみれば誰 も同じ肉体に、ムリヤリ階級差を与えるところに生まれた。 起こりはインチキとゴマカシである。 男は支配のためにはどんなインチキでも敢行する動物である。 ・そして困ったこと、本質的に矛盾のあることは、権力ないし地位が、単に抽象的なもの ではなく、肉体を媒介にせねばならぬ、ということなのである。 ここに服飾の必要が生まれた東洋では、上層階級の服装ほど、肉体の線をあらわにしな いものが選ばれ、支那の影響を受けた公卿の服装はその代表的なものであった。 男が服装において、肉体の線を出せば出すだけ、権力ないし地位の威厳と抽象性が弱ま ると考えられた。 この考えは、いまだに鞏固で根強いものであるから、西洋から背広が輸入されても、 なお、背広は、生地の高価と仕立代の高価ではかられ、東洋的な服装観念で、ゴマカシ の仕立技術が高度に発達したのである。 ・ところで、西洋の男の服装の観念は、これとは根本的に違っていた古代ギリシャの文化 が根本にあり、裸体の美しさが、人格的精神的価値と結びつけられた伝統はなかなか消 えず、背広の仕立さえ、この精神は連綿と受け継がれている。 もちろん、西洋諸国でも、肉体が醜くなった人たちの仕立によるゴマカシは発達してい るが、特にイギリスのような、男子服飾の本家で、肉体の端整が留意されたことは非常 なものだった。 ・服飾が先か肉体が先かという考えになると、今でも日本人は大部分「服飾が先」と考え ていることは明白で、「肉体が先で、それに合うように、着るものを考える」という考 えは、少数意見のように思われる。 ここに西洋人の考えとの根本的相違がありながら、大多数の日本人は、西洋人の服装で ある背広に執着しているのである。 これはおかしなことだと云わねばならない。 ・日本人の伝統の欠点は、胴長で足が短く顔が大きくて平面的なことだった。 この基準から外れた日本人が多くなっているがやはり西洋人から見れば、相対的にこの 欠点は際立っている。 こういうシガを隠すために発明された服装が美しいことは言うまでもないが、現在みら れるもので、最も美しい男の服装は剣道着である。 袴に、黒胴と垂れをつけた姿ほど、日本男児の美しさを見せる物はない。 日本人の体格の欠点がすべて隠されているからだ。 これも、「肉体が先、服装が後」という考えから生まれたものではなく、おそらく機能 上自然にそうなって、西洋の男の服装原則に適合したのである。 かくて日本人にとって、背広は日本的服飾観念、剣道着は西洋的服飾観念に属するとい う逆説が成立する。 ・これでは、いつまでたっても、東は東、西は西である。 東西揆を一にした男子の服装というものがあるだろうか。それは軍服である。 軍人は何より肉体的職業であり、肉体の鍛錬がすべてに先行するから男の肉体の基本的 条件はすべて最高度に発達せしめられている。 軍服の仕立は、東西を問わず、体にフィットさせた特殊な技術を要し、従って、背広と 違って、誰でもなんとか格好がつくというわけにはいかない。体の線の崩れてしまった 男には似合わないのである。 ・われわれ男性は子供のころから、卑劣さやウソつきや裏切りや怯惰は、すべて女々しい ことと教えられているので、さて一人前の男になって、男の世界にも、いかに卑劣さや ウソつきや裏切りや怯惰が多いことを知って、一応びっくりするが、もうそのころには 女性を性的に征服することを憶えているから、自分が社会的にも生理的にも、女に対す る優越者だということを今さら疑わない。 そこでさんざんウソをつきながら、「俺も男だ」ということになるのである。 ・男というものは、もしかすると通念に反して、弱い、脆い、はかないものかもしれない ので、男たちを支えて鼓舞するために、男性の美徳という枷が発明されていたのかもし れないのである。 そうして正直のところ、女は男よりも少なからずバカであるから、卑劣や嫉妬やウソつ きや怯惰などの人間の弱点を、無意識に軽々しく露出し、しかも「女はか弱いもの」と いう金科玉条を盾にとって、人間全体の寛恕を要求してきたのかもしれない。 ・われわれが日常見聞するところでも、自身や火事のような大事の場合に、あわててしま うのは男のほうで、クソ落ち着きに落ち着いてしまうのは女のほうである。 これたたぶん、女のほうが男よりも出産というような「自然」のおそるべき脅威と、 付き合いなれているからであろう。 ・われわれ男性は少年時代から、女よりもはるかに自由な自我の世界に住んでいるが、 そのくせ持ち前の社会的適応性から、かえって女よりも盲目的な服従に陥ることが多い。 わが国特有の親分子分関係はもちろん、軍隊や全体主義はかかる男、それも社会的にま だ一人前にならない青少年の服従に心理を、うまく利用したものである。 男が一方ではおのれの自我の貴さに誇りを持ちながら、一方では全体のために容易に自 己放棄を行うのは、生殖の用が済むとたちまち死滅する雄蟻の本能に似たものが残って いるのかもしれない。 ・そこでそれを延長させ、男が生殖の作用の先に自分の役割と使命を見出し、雄蟻の夭折 の宿命から免れるように努めたのは、男性自身の努力の結果であった。 男性は性的存在理由の先に己の存在理由を見出さねばならず、人間の作った種々の文化 的価値は、男性のこの要求から生じたのである。 ・女にはもともとこういう要請がなかったから、今日も女は日常的現実性に足踏みしてい るのが多く、形而上学の世界とは縁がない。 社会を作ったのも男であるから、それを円滑にするために男はユーモアを発明し、自我 を適宜に調整することをおぼえた。 今でも、女性には、著名な女性においてすら、ユーモアの欠如と、つまらないのべたら の自己主張は、一種の特色をなしている。 男は、冗談のつもりでいったことが、女性の烈火の怒りを買う結果となり、いつも閉口 しているのである。 ・男といえども、いつも反省はしており、もっと男の世界が立派になることをのぞんでい ることは、まちがいない。 ただ困ったことに男性の道徳は、どうしても男性たる誇りを裏づけにしているから、 男がもっと善くなるためには、ウソつきや嫉妬や卑劣さや怯惰が女性特有の美徳である ことを女性自身から強く主張して、その結果、男がそれに反した行動をとることによっ て、大いに威張れなければならない。 女が威張っているアメリカでは、男性の短所ばかりが、それだけ発揮されているのであ る。 ・もともと私は、青年の外面は好きだが、内面はきらいであった。 外面についていえば、私は人間は真っ逆さまに転落して醜くなってゆくものだと信じて おり、老人の美しさというものを一切認めない。衰退がどうして美しいはずがあろうか。 ・一方、青年の内面と云えば、これは私自身が知悉している。 たえざる感情の不均衡、鼻持ちならぬ己惚れとその裏返しに過ぎぬ大袈裟な自己嫌悪、 誇大妄想と無力感、何の裏づけもない自恃と、人に軽んじられはせぬかという不安と恐 怖、わけのわからない焦燥、わけのわからない怒り、・・・要するに感情のゴミタメで ある。 青年の知的探求欲というものは、こういう泥沼から自分を救い出したいという無意識の 衝動なのである。 これは私自身が、私自身の青年時代について、よくよく承知していることである。 ・私は本質的に青年嫌いだった。 私が文士になってから、ほぼ二十年間、私の生活は、文学青年を避け続けてきた。 ・ところが、一年足らず前、私に革命的な変化を起こさせる事件があった。 忘れもしない、それは昭和四十一年十二月の、冬の雨の暗い午後のことである。 「林房雄」の紹介で「論争ジャーナル」編集部の萬代氏が訪ねてきた。 私はこの初対面の青年が訥々と語る言葉をきいた。 一群の青年たちが、いかなる党派にも属さず、純粋な意気で、日本のゆがみを正そうと 思い立って、固く団結を誓い、苦労を重ねてきた物語を聞くうちに、私の中に、初めて 妙な虫が動いてきた。 青年の内面に感動することなどありえようのない私が、いつのまにか感動していたので ある。 私は萬代氏の話におどろく以上に、そんな自分におどろいた。それからあとはご承知の どおりである。 ・考えてみると、私は青年を忌避しつつ、ひらすら本当の青年の出現を待っていたのかも しれない。 そして青年を忌避するという私の気持ちの裏には、生得の文学青年ぎらいもさることな がら、青年に関わることの不安と恐怖がわだかまっていたのかもしれない。 なぜなら、青年に関わることは、ただちに年長者の責任を意味するからである。 極端なことを言えば、城山における西郷の覚悟を意味するからである ・一、二年前から、ミリタリー・ルックの流行を横目で見ながら、私は「今に見ている」 と思っていた。 男にとって最高のお洒落である軍服というものを、およそ軍服には縁のないニヤけた長 髪の、手足のひょろひょろした骨なしの蜘蛛男どもが、得意気に着込んで、冒涜のかぎ りを尽くしているのが我慢がならなかった。 ・軍服を着る条件とは、仕立のよい軍服のなかにギッチリ詰まった、鍛えぬいた筋肉質の 肉体であり、それを着る覚悟とは、まさかのときに張命を捨てる覚悟である。 ・自衛隊に一ヶ月みっちり体験入隊をして、心身共に鍛えた大学生の集まりであるわれわ れの「楯の会」では、その一ヶ月の卒業祝に、この制服を贈ることにしている。 まず中味を調え、次に征服というわけだ。 女が美しく生きるには ・一癖あり気な女性というものは、やはり魅力のあるものである。 何を考えているのかわからない。というのが、もっとも私の弱点に響く魅力である。 何を考えているのかわからない。という風に見えるのは、往々、何も考えていないし、 習慣として何も考えていない。ということでもあるが、われわれ精神労働者にとっては、 何も考えない人間ほど神秘的に見えるものはないのであろう。 ・だいたい、倦きあない玩具というものはない。メカニズムが一定しているからだ。 そこへ行くと、人間ほど倦きない玩具はなかろう。 男と女でははっきり肉体のメカニズムがちがっているし、お互いに倦きない玩具になり うる条件がそろっている上に、精神のメカニズムは、それぞれの肉体に応じて、複雑な 了解不可能な型を、それぞれ千差万別に成立させている。 それぞれの型はお互いに不可解であるが、不可解ということを気にしてみようともしな い型もある。 そういう型同士の結びつきは無事平穏というべきで、不幸はいつも、認識欲の旺盛な、 そうしてともすると恋愛関係にまで、それを持ち込む認識狂というような型から生ずる。 私は明らかにこの型に属している。 ・こういう型の特性は、自分の認識欲を満足させるために、というよりは、認識欲が容易 なことでは満足されない。 できれば永遠に満足させられないですむために、ますます了解不可能な型を探し回るこ とである。 それはまた、あんまり対象のメカニズムが簡単すぎることに思い悩み、多くは思い過ご しから一人芝居を演じ、一方ではその無償の苦悩を享受する型である。 ・こういう型の男は敗北者であるけれど、また時には、勝利者にもなってみたい希望を感 じる。 それに適した女を探して、しばらく仮想の幸福が続く。しかしそれは永く続かない。 女が自分に拝跪し、意のままになることは、了解不可能の壁が崩れてしまったことを意 味する。 ・芸者というものは、旦那に向かって最後まで、「好き」という意思表示をしてはならな い。 また、間男を作っても、たとえ間男と同衾しているところを旦那に発見されても、死ん でもその事実を否定しなければならない、と云われているのは、男一般に認識欲の盲点 を衝いたものであろう。 ・もし盲目的に惚れていれば、認識欲はいつもこの盲目の意志に忠実であるから、たとえ 目の前で女が他の男と同衾しているのを見ても、もしや按摩でもしてもらっていたので はないか、という別の認識が生じ、見事な理路整然たる推理がその認識から生ずる。 こういう極点では、疑うことと信じることとは一致してしまう。 ・こんな次第で、私の好きな女性の型は白痴に近づくが、まるっきりの白痴というものも メカニズムがあらわに見えて面白くない。 ・世にいわゆる知的な女性とは、実は言葉の本当の意味で知的でも何でもなく、それが私 にとって魅力がないのは、概して彼女たちが美しくないためでと、頭の中に無機質の知 識がいっぱい詰まっているだけで、ユーモアを解すること甚だ浅く、本質的にまるっき りの白痴だからでもあろう。 ・しかし教養もあり頭もよい女性のなかで、私の心を惹く例外は、全力を挙げて贅沢と遊 びとに熱中し、頭の中の知識のことなどは、おくびにも出さない女性である。 こういう女性となら、戦いが成立する。たいへんに頭の要るゲームが成立する。 ・実際にこういう女性は持ち前の自尊心と贅沢になれた生活から、めったに物喜びをしな いものであるが、この点で似ているのは生活程度は決して高くないのに、生来無感動で、 容貌や体にばかり自信を懸けている女たちである。 張り合いのない女ほど男にとって張り合いのある女はなく、物喜びをしないという特性 は、愛されたいと思う女の必ず持たねばならない特性であって、こういう女を愛する男 は、大抵忠実な犬よりも不愛想な猫を愛するように生まれついている。 メリメはつくづく巧いことを言ったもので、「女と猫は、呼ぶときに来ないで、呼ばな いときに来る」のである。 ・冷たさの魅力、不感症の魅力にこそ深淵が存在する。 物理的には、物を燃え立たせるのは火だけであるのに、心理的には、物を燃え立たせる ものは氷に他ならない。 そしてこの種の冷たさには、不思議と人生の価値を転倒させる力が潜んでいて、その前 に立てば、あらゆる価値が冷笑され、しかも冷笑される側では、そんな不遜な権利が、 いったい客観的に見て相手に備わっているかどうかを、検討してみる余裕もないのであ る。 ・こんな苛立たしい魅力も、しかし心を息ませないから、実は魅力のご本尊の自負してい るほど、永続きはしないものである。 私は結局いつもの自分の自尊心の問題に立ち返り、自尊心の要求を、多少とも塩梅する 羽目に陥らねばならない。 ・ありがた迷惑なほどの女房気取りも、時によっては男の心をくすぐるものである。 こういう女性のなかには、どんなに知識と経験を積んでも、自分でどうしても乗り越え られないある根本的な無知が住んでいて、その無知が決して節度ということの教えを垂 れないから、いつも彼女自身の過剰な感情のなかでじたばたしている。 ・憐憫と云っては強すぎるが、こういう女性を眺める男の心には、いつも実験科学者の安 楽な好奇心が潜んでいる。 こういう女性は、全く計算なしに自分の全存在を押し売りしているので、ふとした朝の 接吻に口が臭かったり足の爪の手入れが悪かったりする些細な理由で、自ら墓穴を掘る のであるが、そういうことがない限り、相手の過剰な感情というものは、こちらの心を 安息にみちびくふしぎな力を持っている。 男はいつも閉口した、苦笑をおびた表情でそれに対処するが、時々感嘆を以って眺める のは、一日に千度も繰り返す愛の言葉が、実は彼女自身にも計量の不可能な己惚れと、 わかちがたく結びついていることである。 ・恋愛では手放しの献身が手放しの己惚れと結びついている場合が決して少なくない。 しかし、計量できない文学的数字の過剰な感情のなかに閉じ込められている女性という ものは、旗で想像するほど男をうるさがらせてはいないのだ。 それは過剰の揺籃に男を乗せて快くゆすぶり、この世の疑わしいことやさまざまなこと から目をつぶらせて、男をしばらく高いびきで眠らせてしまうのである。 ・この世にはいろいろな種類の愛らしさがある。 しかし可愛気のないものに、永続的に愛情を注ぐことは困難であろう。 美しいと謂われている女の人工的な計算された可愛気は、たいていの場合挫折する。 実に美しさは誤算の能力に正比例する。 ・われわれが美人を射止めるときは、必ずその誤算を狙い、誤算に便乗するわけであるけ れど、同じ誤算がいつかは鼻につく原因になるのである。 そこで問題になるのは、こういう誤解のなかにも可愛気を発見するほど、われわれが寛 大であるかどうかということであろう。 残念ながら私にはその寛大さが欠けている。 ・可愛気は結局、天賦のものであり天真のものである。 そしてこういうものに対してなら、敗北する価値があるのだ。 ・何かわれわれの庇護したい感情に愬えるものは、おそらく憐れっぽいものではなくて、 庇護しなければたちまち汚れてしまう、そういう危険を感じさせる或るものなのであろ う。 ところが一方には何の危険も感じさせない潔らかさや天真さというものもあり、そうい うものは却って私を怖気づかせてしまうから妙である。 ・少女時代に、女性はまず美しく生きようと思いはじめます。 これは少年も同じことですが、少年の場合は、まず第一に自分の醜さに目覚めてから、 その醜さに耐えられずに、自らをあざむいて、美しく生きようと思いはじめる。 ところが少女はちがいます。 思春期の女学生というものは、生毛が生えて、肌がどす黒くて、鼠の仔のようなのが大 多数であって、幼年時代の美しさをいったん完全に失ってしまうのが常ですが、そのさ なかにおいて、女まず(少しも自分の醜さに目ざめることなしに)美しく生きようと思 いはじめるのです。 ・一体こんな奇想、こんな法外な考えは、どこから生まれてきて、少女の頭にとりついて、 そこに巣喰うのであろうか? これはまったく、修道院の尼僧の頭に殺人の考えを巣食うようなふしぎである。 もちろん理由の一斑には、性的無知ということもある。 ・このごろは性教育が普及して、少年少女の読む娯楽雑誌には、性問答が必ずついており、 これを隅から隅まで読めば、年頃相応以上の性知識が得られるようになっているが、 処女の性的無知というのことは、これでいくら勉強したって払拭されるべくもない。 なぜなら女性の性知識とは、観念を通過せずに、純体験的でしか会得されないようにで きている性質のものであって、処女の性的無知とは、認識論上の問題ではなく、現象論 的問題に他ならない。 だから「男は不潔だわ」という生理的な考えは、「性交は自然の本能による行為です」 などという精読本知識と何の関係もないのであります。 ・一方、このごろは十代のズべ公も大いに輩出し、いったん処女を失うと、闇雲に男に身 を捧げるような、アフロディットの申し子たちがふえてきました。 しかし彼女たちも、美しく生きていることには変わりがありません。 すべての男の「醜い獣欲」によって生じた犠牲なのであり、その獣欲が醜ければ醜いほ ど、対象の特質は「美しい」ということにしかない。 ・よくある例ですが、こうして性的に「堕落した」少女が、潔癖な少年に恋をするときに は、困った問題が起こる。 少年が錯誤から少女の愛を受け入れ、あとで少女の性的堕落に気づくときも、はじめか ら少女の性的堕落を知っていて醜い不潔なものとして断然彼女の愛を拒絶するときも、 「お前は汚い」 「お前は売女だ」 「お前は不潔だ」 という罵倒に直面しなければなりません。 ・これは実に微妙な瞬間だ。 少女はそう言われた瞬間に、自分の醜さを発見するしないかの瀬戸際にいる。 しかし人に指摘されてしまったことは、本当のところ、発見とは言えない。 だから彼女が、愛する少年に沿うと決めつけられて、爾後、自分のことを「汚い売女だ」 と自己限定してしまおうが、それは醜さを発見したことにはならない。 彼女がそうして見出す次の方法は、「汚い売女」としていかに美しく生きるかという、 必死の自己是認でしかない。 そして多くの世上のロマンスに見るように、次々と男に身を委せつつ、彼女は彼女を拒 み罵倒した少年への愛のみに生き、つまり結局美しく生きるのです。 ・「お前は汚い」「お前は売女だ」と言われた瞬間に、少女には自分の醜さをもう少しの ところで発見しそうになりながら、その発見を避けてしまう微妙な本能がある。 先を越されたのだからもう発見とは言えない。 そこでまるで逆のものを発見する契機へそれをもってゆく。 つまり彼女は自分の「美しさ」を発見するのであります。 ・結婚した女たちは、性的なものをみんな昇華したような顔をしている。 これは真赤な嘘で、結婚したからこそ、彼女たちは性の何たるかを知ったのですが、 同時に彼女たちは、性愛の専門家のような女たちに対する公然たる敵になる。 そういう女たち一般は、良人を央にしてのライヴァルであるから、坊主憎けりゃ袈裟ま で憎いのたとえ通り、そういう女たちを憎むのあまり、彼女たちは性一般を憎むような 顔をしています。 美しく生きるということは堅気の奥さんとして生きることであり、それは性というもの を、男のようにまず醜さとして発見できず、完全な天下御免の美の証明として発見する 生活様式なのであります。 ・こうして大半の女は、社会的風習と法律によって、自分の醜さの発見を避けることを選 びます。 それがつまり結婚というもので、爾後、彼女たちは、風習、慣例、法律、などすべて他 人のすでに制定した秩序が、いつも彼女を究極のところで救い、醜さの発見の機会から 遠ざけることに自信を持ちます。 ・少なくとも戦前までの日本の法律は、女性の地位を不当に貶めるものであった。 いや、法律全体が男性の発明した詭計であって、女性を囚われの身にするための檻であ った。 ・しかし、私は、法律よりももっと広大な社会的慣習、旧慣習そのものに、女性的諸力を 見るものである。 それは歴史の奥深くまで続いていて、ついには土そのものにつながっている。 これらの網目が、究極のところで、女性を、「醜さの発見」から救うのです。 このごろの流行の言葉を使えば、「実存の発見」から救うのです。 ・中年以上の女性は、今までの半生で、ついぞこうしたものの発見に馴らされてこなかっ たので、もう永久に自分の醜さにおいて発見することはできない。 女性が真にそのおそるべき本質を露呈する年齢に達して、彼女たちは、ますます美しく 生きていることを信じて疑いません。 彼女たちはあらゆる古い慣習の保持者としての、あるいはその犠牲者としての、自分の 美しい生き方を信じています。 ・教養が、美しく生きてゆくのに役立つと考えている一群の女性がいます。 そんなことがあるものでしょうか? 女性のための教養と呼ばれているものには、みんな偽善の匂いがあり、美しくない教養 ははじめから排斥されているので、真黒な白粉というものがないように、それらはいく ら塗りたくっても顔が真っ黒になったりする心配がない。 彼女たちには、黒い教養というものが存在することが、永久にわからないのです。 ・女性たちは、世間の認可ずみの、古くさい、危険のない教養が大好きだ。 古典音楽の知識、十九世紀までの小説、なまぬるい恋愛映画、ほんの少し進歩的な政治 思想、台所向きの経済概論、それから恋愛論、こういうものが、今日、女性の教養と呼 ばれるものの一覧表ですが、これを総動員して、美しく生きようとしている女性たちの 群れを見ると、私は心底からおぞ気を慄かずにはいられない。 そういう傾向は、文化をなまぬるく平均化し、言論の自由を婦人側から抑制し、一国の 文化全体を毒にも薬にもならないものにしてしまう怖るべき原動力であります。 アメリカという国のあの文化全体における婦人の害毒をつらつら考えると、私は怖ろし くなる。 ・このひろい東京、ひろい日本、いや世界中で、あらゆる女性が美しく生き、あるいは美 しく生きようとしていることは、絶望的なことである。 美しく生きることを諦めてしまったようにみえる不器量な老嬢でさえ、男に比べれば、 はるかに「美しく生きている」のであります。 ・おそらくそれは、女性が男性よりも確実に存在しているということの別のあらわれに他 ならないのであろう。 醜さというものは、存在の裂け目だからである。 ところで芸術は美の創造だといわれるが、このような存在の裂け目からしか生まれてこ ない。 女性が芸術家として不適任なのはこの点にあります。 芸術上の創造行為は存在そのものからは生まれてこない。 自ら美しく生きようと思った芸術家は一人もいなかったので、美を創ることと、自分が 美しく生きることとは、まるで反対の事柄である。 ・女の友情は男の友情と違って、将来仕事上の協力とか、利害関係で結ばれる可能性が少 ないために、たんに結婚前のはかない感情的な交際であることが多く結婚後はクラス会 で年に一、二回顔を合わせる以外はほとんど、学校友達同士の交際は絶えてしまうもの と思ってよい。 おそらく友情というものを女性は夫から初めて学ぶのではあるまいか。 老夫婦の間の友情のようなものは、友情のもっとも美しい芸術品である。 ・女学校でSと呼ばれる同性愛的友情は、友情の模型というよりは、恋愛の模型である。 もし、愛する第三者が現れると彼女たちは自分たち同士がライバル同士であることを見 出すだろう。 しかし、一面から云えば友情と恋愛を峻別することは愚かな話で、もしかすると友情と 恋愛とは同一の生理的基礎に立つものかもしれない。 ・ごく大さっぱに考えると、女の友情は男の友情よりもヒステリックで、うつろいやすく 神経的で、理性の基礎を欠いてたものが多いように思われる。 ・友情というものは、涙であるよりもまず、人生の最初において他の人間を正確に判断し 得たという理性的な喜びなのであるが、少なくとも女学校的友情は、判断以前の情緒に 過ぎないことが多いように思われる。 ・小さなリボンや、ピンや、小さなカードや封筒などからなる、小さな陰謀、ちっちゃな 裏切り。 何度なく繰り返される離反と仲直り、これは男同士の通常では見られないところの女同 士の友情独特の恋愛のオサライ的形式である。 ・彼女はそういう女同士の付き合いを通じて男は女を裏切るものであるという、抜きがた いドグマ、ないしは教養を、さずけられるのである。 ・私といえども、世の小説の読者の過半数がご婦人方だということは知っている。 そういう忠告を受けても、私は本当のことを書かないわけにはいかない。 大体私は女ぎらいというよりも、古い頭で、「女子供はとるに足らぬ」と思っているに 過ぎない。 女性は劣等であり、私は馬鹿でない女(もちろん利口馬鹿を含む)にめったに会ったこ とがない。 事実また私は女性を怖れているが、男でも私が最も怖れるのは馬鹿な男である。 まことに馬鹿ほど怖いものはない。 馬鹿な博士もあり、教育を全く受けていない聡明な人もたくさんいるから、何も私は学 歴を問題にしているのではない。 ・こういうと、いかにも私が、本当に聡明な女性に会ったことがない不幸な男である、 という風に曲解して、私に同情を寄せてくる女性がさっと現れる。 こればかりは断言してもいい。 しかしそういう女が、つまり一般論に対する個別的例外の幻想にいつも生きている女が、 実は馬鹿な女の代表なのである。 ・私の浪漫派ぎらいはまったく女ぎらいから来ている。 めそめそしたもの、お涙頂戴、失恋自殺、孤独の押売り、こういうものはすべて女性に おもねるもので、芸術の堕落である。 ・実際芸術の堕落は、すべて女性の社会的進出から起きている。 女が何かつべこべいうと、土性骨のすわらぬ男性芸術家が、いつも妥協し屈折してきた のだ。 あのフェミニストらしきフランスが、女に選挙権を与えるのをいつまでも渋っていたの は、フランスが芸術の何たるかを知っているからである。 女性代議士などは、縄でつないで東京湾へ放り込んでしまうがよく、世間へ顔を出せる 女は、古代ギリシャのように、教養のある娼婦だけで十分なのである。 ・道徳の堕落もまた、女性の側から起こっている。 男性の仕事の能力を削減し、男性を性的存在に縛りつけるような道徳が、女性の側から 提唱され、アメリカの如きは女のおかげで惨憺たる被害を蒙っている。 悪しき人間主義はいつも女性的なものである。 男性固有の道徳、ローマ人の道徳はキリスト教によって普遍的な人間的な道徳へと曲げ られた。その時道徳の堕落がはじまった。 道徳の中性化が起こったのである。 一夫一婦制度のごときは道徳の性別を無視した神話的こじつけてである。 女性はそれを固執する。人間的立場から固執するのだ。 女にこういう拠点を与えたことが、男性の道徳を崩壊させ、男はローマ人の廉潔を失っ て、ウソをつくことをおぼえたのである。 男はそのウソつきを女から教わった。 キリスト教道徳は根本的に偽善を含んでいる。 それは道徳的目標を、ありもしない普遍的人間性ということ、神の前における人間の平 等に置いているからである。 これに反して、古代の異教世界においては、人間たれ、ということじゃ、男たれ、とい うことであった。 男は男性的美徳の登場について道徳的責任があった。 なぜなら世界構造を理解し、その構造に手を貸し、その支配を意志するのは男性の機能 だからだ。 男性からこういう誇りを失わせた結果が、道徳専門家たる地位を男性をして自ら捨てし め、道徳に対してつべこべ女の口を出させ、ついには今日の道徳的瓦解を招いたものと 私は考える。 一方から言うと、男は女の進出のおかげで、道徳的責任を免れたのである。 ・誰でも男の子なら覚えのあることだが、子供の時分に、女の子の意地の悪さとずるさと 我儘に悩まされ、女ほどイヤな動物はないと承知しているのに、色気づくことからすっ かり性欲で目をくらまされ、あとで結婚してみて、また女の意地の悪さとずるさと我儘 を発見するときは、前の記憶はすっかり忘れているから、それを生まれて初めての大発 見のように錯覚するのは、むだな苦労だと思われる。 ・動物は概してそこのところをもっとうまく処理している。 人間ももっと交尾期がきちんとしていればよかったのだ。 ・私が大体女を低級で男を高級だと思うのは、人間の文化というものが、男が生殖作用の 余力を傾注して作り上げたものだと考えているからである。 蟻は空中で結婚して、交尾ののち、役目を果たした雄がたちまち斃れるが、雄の本質的 役割が生殖にあるなら、蟻のまねをして、最初の性交のあとで男はすぐ死ねばよいので あった。 ・(なべての動物は性交のあとに悲し)というのは、この無力感と死の予感の痕跡が残っ ているのであろう。 が、概してこの悲しみは、女には少なく、男には甚だしいのが常であって、人間の文化 はこの悲しみ、この無力感と死の予感、この感情の剰余物から生まれたのである。 従って芸術に限らず、文化そのものがもともと贅沢な存在である。 芸術家の余計者意識の根源はそこにあるので、余計者たるに悩むことは、人間たるに悩 むことと同然である。 ・男は取り残される。快楽のあと、妊娠の予感もなく、育児の希望もなく、取り残される。 この孤独が生産的な文化の母胎であった。 したがって女性は、芸術ひろく文化の原体験を味わうことができぬのである。 文化の進歩につれて、この孤独意識を先天性に持った者が、芸術家として生まれ、芸術 の専門家になるのだ。 私は芸術家志望の女性に会うと、女優か女声歌手になるのなら格別、女に天才というも のが理論的にあり得ないということに、どうして気がつかないのかと首をひねらざるを えない。 ・あらゆる点で女は女を知らない。 いちいち男に自分のことを教えてもらっている始末である。 教師的趣味の男がいっぱいいるから、それでどうにか持っているが、ちょうど眼鏡を額 にずらし上げているのを忘れて、一生懸命眼鏡を探している人のように、女は女性とい う眼鏡をいつも額にずらして忘れているのだ。 こんな歯がゆい眺めはなく、こんな面白くも可笑しくもない、腹の立つ光景というもの はない。 私はそんな明察を欠いた人間と付き合うのはごめんである。 うっかり付き合ってごらん、あたしの眼鏡をどこに隠したのよ、とつかみかかってくる に決まっている。 もっとも女が自分の本質をはっきり知ったときは、おそらく彼女は女ではない何か別の ものであろう 反革命宣言 ・私は何とか政治に参加したくないものだと考え続けてきた。 戦時中軍の言論弾圧がはなはだしくなったころ、私は少年で何ら直接の被害は受けなか ったが、あとから事情を知って、職業的文士はさぞ辛かったろうと同情した。 一方には谷崎潤一郎氏のように、発禁処分を受けても傲然たる芸術家の矜持を持して、 美的世界を一歩も踏み出さなかった人もおり、一方には岸田國士氏のように、自ら敵地 に踏み込んで、自分の一身で洪水を受け止めようと考えた人もいた。 しかし私に言わせれば、結果的にはどちらも成功しなかった。 谷崎氏の文学世界はあまりに時代と歴史の運命から超然としているのが、かえって不自 然であり、岸田氏の失敗はもとよりである。 それぞれ結局別の形で自分の文学を歪められたのである。 ・報道班員にされた作家もたくさんあった。 しかし人が戦争をしているところへ行って、小説用のメモをつけているというのは、い かに決死的であっても、私には何だかおかしな行為に思われる。 ・報道写真家の客観性というものに、今でも私は説明しがたい疑惑を抱いている。 それぞれの作家の事情はあったろうが、要するに、同じ立場に置かれたら、私は谷崎氏 にもなりたくなく、いわんや岸田氏にもなりなくなく、報道班員には死んでもなりたく ないと考えたのである。 当時をかろうじて生き抜いた先輩の作家は、こんな私の考えを甘いと言って笑うにちが いない。 ・ともあれ私は自分独自の方法をとろうと決心した。 何もこの太平無事の世の中に、そんな決心をする必要はなかろうと人は言うだろうが、 私は私なりの直観で結審の必要を感じたのである。 ・ひょっとすると、こんな私の決心は1960年の安保闘争を見物した時からかもしれな い。 あの議事堂前のプラカードの氾濫に、私は「民主主義」という言葉一つとっても、言葉 とその概念内容の乖離、言葉の多義性のほしいままな濫用、ある観念のために言葉が自 在にけがされ犠牲に供される状況を見たのである。 文士として当然のことながら、私は日本語を守らねばならぬと感じた。 私は不遜にも、自分の文学作品のなかに閉じ込めた日本語しか信用しないことにした。 牧畜業者が自分の牧場のなかの牛しか信用しないように。 ・1969年の今、私が政治に参加しないという方法論はほぼ整った。 私は精神の戦いにだけ私の剣を使いたい。 しかしその戦いに際しては、谷崎氏の道も、岸田氏の道も、報道班員作家の道も、歩ま ないですむ準備ができたのである。 私はこれを私なりの小さな発明だと自負している。 ・日本とは何か?思えば日本ほど若々しい自意識にみち、日本ほど自分は何者かとたえず 問い詰めている国家はない。 今や再びその問いが激しくなり、詰問の調子を帯びてきている。 ・しかし私は、1960年代は平和主義の偽善があばかれていった時代であり、1970 年代はあらゆるナショナリズムの偽善があばかれていく時代だと考える。 日本は何か、という最終的な答えは、左右の疑似ナショナリズムが完全に剥離したあと でなければ出ないだろう。 ・安保賛成も反共も、それ自体は、日本精神と何のかかわりもないことは、沖縄即時奪還 も米軍基地反対も、それ自体は、日本精神とかかわりのない点で同じである。 そしてまたそのすべてが、どこかで日本的心情と馴れ合い、ナショナリズムを錦の御旗 にしている点でも同格である。 ・「反共」の一語をとっても、私はニューヨークで、トロツキスト転向者の、祖国喪失者 の反共屋をたくさん見たのである。 私は自民党の生きる道は、真のリベラリズムと国際連合中心の国際協調主義への復帰で あり、先進工業国における共産党の生きる道は、すっきりしたインターナショナリズム への復帰しかないと考える。 真にナショナルなものは、そのいずれにも本質的に欠けているのである。 ・真にナショナルなものとは何か。 それは現状維持の秩序派にも、現状破壊の変革派にも、どちらにも与しないものだと思 われる。 現状維持というのは、つねに醜悪な思想であり、また、現状破壊というのは、つねに飢 え渇いた貧しい思想である。 自己の権力ないし体制を維持しようとするのも、破壊してこれにとって代わろうとする のも、同じ権力意志のちがったあらわれ方に過ぎぬ。 ・権力意志を止揚した地点で、秩序と変革の双方に関わり、文化にとって最も大切な秩序 と、政治にとって最も緊要な変革とを、つねに内包し保証したナショナルな歴史的表象 として、われわれは「天皇」を持っている。 じつは「天皇」しか持っていないのである。 ・中共の「文化」大革命に決定的に欠けている要因はこれであり、かれらは高度な文化の 母胎として必要な秩序を、強引な権力主義的な政治的秩序で代行するという、方法上の 誤りを犯した。 文化に積極的にかかわろうとしない自由主義諸国は、この誤りを犯す心配はない代わり に、文化の衰弱と死に直面し、共産主義諸国は、正に文化と政治を接着し、文化に積極 的にかかわろうとする姿勢において、すでに文化を殺している。 ・われわれの1970年代は、その幕が上がる前から、消炭のような福祉国家と、放火犯 のような社会主義国家と、二つの岐路に迷っている。 それに困ったことに、いくらでも迷う暇があるほど、われわれは富んでしまったのだ。 真にナショナルな選択は、そのいずれにも幻滅した後でなくては来ないだろう。 ・明治維新が、尊王、攘夷、佐幕、開国の、それぞれ別方向のイデオロギーを紛糾させて、 紛糾しきった収拾のつかない混乱のなかから、かろうじて呱々の声を上げたように、 1970年代は、未曽有のイデオロギー混乱時代をもたらし、そのなかでまた、数々の 仮面がはがれ落ちてゆくであろう。 ・すでにその兆しはいたるところに見えている。 最近私はひとりの学生にこんな質問をした。 「君がもし、米軍基地闘争で日本人学生が米兵に殺される現場に居合わせたらどうする か?」 青年はしばらく考えたのち答えたが、それは透徹した答えであった。 「ただちに米兵を殺し、自分はその場で自刃します」 ・これはきわめて比喩的な問答であるから、そのつもりできいてもらいたい。 この簡単な答えは、複雑な論理の組み合わせから成り立っている。 すなわち、第一に、彼が米兵を殺すのは、日本人としてのナショナルな衝動からである。 第二に、しかし、彼は、いかにナショナルな衝動のよる殺人といえども、殺人の責任は 直ちに自ら引き受けて、自刃すべきだ、と考える。 これは法と秩序を重んずる人間的倫理による決断である。 第三に、この自刃は、拒否による自己証明の意味を持っている。 なぜなら、基地反対闘争に参加している群衆は、まず彼の殺人に喝采し、彼のイデオロ ギーの勝利を叫び、彼の殺人行為を彼らのイデオロギーに包み込もうとするであろう。 しかし彼は直ちに自刃することによって、自分は全学連学生の思想に共鳴して米兵を殺 したのではなく、日本人としてそうしたのだ、ということを、彼ら群衆の保護を拒否し つつ、自己証明するのである。 第四に、この自刃は、包括的な命名判断を成立させる。 すなわちその場のデモの群衆すべてを、タダの日本人として包括し、かれらを日本人と 名付けるほかはないものへ転換させるであろうからである。 ・私がファッシズムに興味を抱いたのは、左翼系の某誌が私をファッシスト呼ばわりして からであった。 大体、左翼の人は「ファッシスト」と呼ぶことを最大の悪口だと思っているから、これ は世間一般の言葉に翻訳すれば「大馬鹿野郎」とか「ひょうろく玉」程度の意味であろ う。 ・共産党よりももっと口の悪い私の友人は、「お前も今までペデラストにすぎなかったが、 ファッシスト呼ばわりされれば、はじめてのイストに昇格したんだから、大したもんだ」 なんぞと云う。 ・私は大体、ファッシズムを純粋に西欧的な現象として、主にイタリーのその本家とドイ ツのナチズムとに限定して考えるのが、本筋だと考えている。 ・パーム・ダットによると、ファッシズムとは、窮地に追い詰められた資本主義の最後の 自己救済だというのである。 そしてそれが 権力を握るにいたるティピカル(典型的)な過程は、まず共産党が議会 の議席の過半数を占め、ゼネ・ストを指導し、正に革命の勃発寸前というとき、社会民 主主義者たちの裏切りによって、革命が挫折する。 その好機を狙って、ファッシストが資本家の後援によって登場し反共テロを開始し、 一方、社会主義的偽装によって民心をとらえる。 そしていったん政権を掌握すると、社会主義的理念は名のみにとどまり、独占資本の後 盾になり、今までの無思想の暴力行動に、神秘主義的ファッシズム哲学を以って、事後 の理論づけを行なう、というのである。 ・日本のいわゆるファッシストは、インテリゲンチャの味方を持たなかった。 日本のハイカラなインテリゲンチャは、日の丸の鉢巻や詩吟や紋付の羽織袴にはついて いかなかった。 ・私は「自由世界」という言葉をきくたびに噴き出さずにはいられない。 本来相対的観念である「自由」なるものが、このような絶対的な一理念の姿を装うてい るのは可笑しいことである。 絶対主義のこういう無理な模倣のおかげで、今日世界をおおうているのは、政治におけ る理想主義の害悪なのである。 ・暴力と残酷さは人間に普遍的である。 それはまさに、人間の直下に棲息している。 今日店頭で売られている雑誌に、縄で縛られて苦しむ女の写真が氾濫しているのを見れ ば、いかにいたるところにザーディストが充満し、素知らぬ顔でコーヒーを呑んだり、 パチンコに興じたりしているかがわかるだろう。 同様にファッシズムも普遍的である。 ことに二十世紀において、いやしくも絶望の存在するところには、必ずファッシズムの 萌芽がひそんでいると言っても過言ではない。 ・二・二六事件を肯定するか否定するか、という質問をされたら、私は躊躇なく肯定する 立場に立つものであることは、前々から明らかにしているが、その判断は、日本の知識 人においては、象徴的な意味を持っている。 すなわち、自由主義者も社会民主主義者も社会主義者も、いや、国家社会主義者ですら、 「二・二六事件の否定」というところに、自分たちの免罪符を求めているからである。 この事件を肯定したら、まことに厄介なことになるのだ。 現在ただいまの政治事象についてすら、孤立した判断を下し続けなければならぬ役割を 負うからである。 ・もっとも通俗的普遍的な二・二六事件観は、今にいたるまで、次のようなジャーナリス トの一行に要約される。 「二・二六事件によって軍部ファッショへの道がひらかれ、日本は暗い谷間の時代に入 りました」 ・二・二六事件は昭和史上最大の政治事件であるのみではない。 昭和史上最大の「精神と政治の衝突」事件であったのである。 そして精神が敗れ、政治理念が勝った。 幕末以来つづいてきた「政治における精神的なもの」の底流には、ここにもっともモラ ディカルな昂揚を示し、そして根絶しにされたのである。 ・勝ったのは、一時的には西欧的立憲主義政体であり、つづいて、これを利用した国家社 会主義と軍国主義とのアマルガムであった。 私は皇道派と統制派の対立などという、言い古されたことを言っているのではない。 血みどろの日本主義の矢折れ刀尽きた最期が、私の目に映る二・二六事件の姿であり、 北一輝の死は、このついにコミットしえなかった絶対否定主義の思想家の、巻き添えに された、アイロニカルな死にすぎなかった。 ・二・二六事件を非難する者は、怨み深い戦時軍閥への怒りを、二・二六事件なるスケイ プ・ゴードへ向けているのだ。 軍縮会議以来の軟弱な外交政策の責任者、英米崇拝家であり天皇の信頼を一身に受けて いた腰抜け自由主義者「幣原喜重郎」の罪過は忘れられている。 この人こそ、昭和史上最大の「弱者の悪」を演じた人である。 また、世界恐慌以来の金融政策・経済政策の相次ぐ失敗と破綻は看過されている。 誰がその責任をとったのか。 政党政治は腐敗し、選挙干渉は常態であり、農村は疲弊し、貧富の差は甚だしく、一人 として、一死以て国を救おうとする大勇の政治家はなかった。 ・戦争に負けるまで、そういう政治家が一人も現れなかったからこそ、二・二六事件の正 しさを裏書きしている。 青年が正義感を爆発させなかったらどうかしている。 ・しかも、戦後に発掘された資料が明らかにしたところであるが、このような青年のやむ にやまれぬ魂の奔騰、正義感の爆発は、ついに、国の最高の正義の容認するところとな らなかった。 魂の交流はむざんに絶たれた。 もっとも悲劇的なのは、この断絶が、死にいたるまで、青年将校たちにも知られなかっ たことである そしてこの錯誤悲劇のトラーギッシェ・イロニーは、奉勅命令下達問題において頂点に 達する。奉勅命令は握りつぶされていたのだった。 ・二・二六事件は、戦術的に幾多のあやまりを犯している。 その最大のあやまりは、宮城包囲を敢えてしなかったことである。 北一輝がもし参加していたら、あくまでもこれを敢行させたであろうし、左翼の革命理 論から云えば、これはほとんど信じがたいほどの幼稚なあやまりである。 しかしここにこそ、女子供を一人も殺さなかった義軍の、もろい清純な美しさが溢れて いる。 この「あやまり」によって、二・二六事件はいつまでも美しく、その精神的価値を永遠 に歴史に刻印している。 皮肉なことに、戦後二・二六事件の受刑者を大赦したのは、天皇ではなくて、この事件 を民主主義的改革と認めた米占領軍であった。 ・左翼がいう、日本における朝鮮人問題、少数民族問題は欺瞞である。 なぜなら、われわれはいま、朝鮮の政治状況の変化によって、多くの韓国人をかかえて いるが、彼らが門田にするのはこの韓国人ではなく、日本人が必ずしも歓迎しないにも かかわらず、日本に北朝鮮大学校をつくり、都知事の許可を得て、反日教育をほどこす ような北鮮人の問題を、無理矢理少数民族の問題として規定するのである。 ・反革命は、革命行動の単なる防止ではない。 反革命は革命に対して、ただ単なる否定をもって立ち向かうものではない。 なぜなら、暴力否定は容易に国家否定に傾くからである。 反戦平和のスローガンが、ただちに暴力行動を意味することを、三派全学連は新宿動乱 で交流の前に証明し、それによって公衆に、反戦平和という言葉の欺瞞を白日のもとに さらけ出すという貢献を残した。 ・われわれ反革命の立場に立つ者は、ただちに国家権力、およびその武装集団である自衛 隊の力を借り、あるいは警察の力を借りて革命勢力を弾圧し、自分はぬくぬくとプチ・ ブルジョアの生活を守ろうとしているものであってはならない。 そのような無関心な大多数の大衆社会の成員を、反革命のために立ち上がせるには、多 くの戦術的顧慮が必要である。 そして、最終的には、無関心層の自らの生活だけは守りたいということを、精神的な後 盾にしなければならないが、そのような後盾はよほどの危機のときでなければ、一か、 二かの選択によって現れない。 ・一般大衆は、革命政権の樹立が、自分たちの現在守っている生活に、将来どのような時 間をかけてどのように波及してくるかについてはほとんど知るところがない。 彼らは、現在の目の前の問題としては、いつもイデオロギーよりも秩序を維持すること を欲し、ことに経済的繁栄の結果として得られた現状維持の思想は、一人一人の心の中 に浸み込んで、自分の家族、自分の家を守るためならば、どのようなイデオロギーも当 面は容認する、という方向に向かっている。 そして、秩序自体の変質がどういう変化を自分たちに及ぼすのか、という未来図を彼ら の心から要求することは、ほとんど不可能である。 人々はつねられなければ痛さを感じないものである。 ・しかし、われわれ反革命の立場は、現在の時点における民衆の支持や理解をあてにする ことはできない。 われわれは先見し、予告し、先取りし、そして、民衆の非難、怨嗟、罵倒をすら浴びな がら、彼らの未来を守るほかないのである。 ・さらに正確にいえば、われわれは彼らの未来を守るのではなく、彼らがなお無自覚であ りながら、実は彼らを存在せしめている根本のもの、すなわち、わが歴史・文化・伝統 を守るほかはないのである。 これこそは前衛としての反革命であり、前衛としての反革命は世論、いまや左も右も最 もその顔色を窺っている世論の支持によって動くのではない。 われわれは先見によって動くのであり、あくまで少数者の原理によって動くのである。 ・しかし、われわれは民主の現在ただいまの状況における安価な感傷的盲目的な心理に阿 諛追従して、それを背景にし、あるいは後盾して行動するのではないから、当然のこと である。 ・われわれは新宿動乱で、モッブ化がどのような動きをするかつぶさに見た。 あのモッブ化は日本の何物かを象徴している。 あのモッブ化こそは、日本の、自分の生活を大切にしながら刺戟を期待し、変化を期待 する民衆の何物かを象徴している。 ・政府にすら期待してはならない。 政府は、最後の場合には民衆に阿諛することしか考えないであろう。 世論はいつも民主社会における神だからである。 われわれは民主社会における神である世論を否定し、最終的には大衆社会の持っている その非人間性を否定しようとするのである。 ・では、その少数者意識の行動の根拠は何であるか。それこそは、天皇である。 われわれは天皇ということをいうときには、むしろ国民が天皇を根拠にすることが反時 代的であるというような時代思想を知りつつ、まさにその時代思潮の故に天皇を支持す るのである。 なぜなら、われわれの考える天皇とは、いかなる政治権力の象徴でもなく、それは一つ の鏡のように、日本の文化の全体性と、連続性を映し出すものであり、このような全体 性と連続性を映し出す天皇制を、終局的には破壊するような勢力に対しては、われわれ の日本の文化伝統を賭けて闘わなければならないと信じているからである。 ・われわれは、自民党を守るために闘うのでもなければ、民主主義社会を守るために闘う のでもない。 もちろん、われわれの考える文化的天皇制の政治的基礎としては、複数政党制による民 主主義の政治形態が最適であると信じるから、形としてはこのような民主主義政体を守 るために行動するという形をとるだろうが、結局目標は天皇の護持であり、その天皇を 終局的に否定するような政治勢力を、粉砕し、撃破し去ることでなければならない。 |