ビル・ゲイツに会った日  :吉田司

この本は、今から29年前の1996年に刊行されたもので、本のタイトルに興味をもっ
て読んでみた。
しかし、以前、この著者の本「王道楽土の戦争」を読んだ時にもそうだったが、今回も、
この著者の思考パターンと私の思考パターンが噛み合わず、本の内容をほとんど理解する
ことができなかった。
そんな中で、この本を読んでひとつだけ興味を持ったことがあった。
それは、この本の中で著者が次のような不思議な問いを発していたことである。
「これほど人間が日々の電子環境に取り囲まれ、電脳主義の勝利の事実が至るところに露
 出しているのに、その現実を写実する電脳文字が登場しないのはいったいナゼだろうか?

そこで、この問いをそのままAIに問うてみた。そしたら次のような回答があった。
「写実的な電脳文字」が登場しないのは、文字がそもそも抽象化を目的としているから、
そして視覚的な負担が増えるからだと言えそうです。ただ、将来的には文字そのものでは
なく、AIが「意味をダイレクトに映像化」するような技術が進化すれば、文字の役割が変
わっていく可能性はありますね」

これはなかなか面白い回答だと思った。
例えば、テキストデータ化した小説をAIに読み込ませると、小説がすぐに映像として出
力されてくる、という時代もすぐに来そうな気がする。
そんな時代には、小説は「読む」ものではなく「観る」ものになっているということだ。
そんな時代になると、人間はもはや「読む」ということしなくなってしまっているのでは
ないだろうか。これは人間にとって進歩なのか退化なのか。

もうひとつ面白いと思ったのは、
「日本のような長い歴史を持たないアメリカにとって国立スミソニアン航空宇宙博物館
日本でいう神社仏閣のようなものだ」とするこの著者の発想は、なるほどなかなかイケて
ると思った。
しかし、この本の著者は、ほんとうにアポロ11号司令船を前にお経をあげたのだろうか。
そんな著者の思考に、私がついて行けないのは、当然かもしれない。

過去に読んだ関連する本:
王道楽土の戦争(戦前・戦中篇)
王道楽土の戦争(戦後60年篇)


プロローグ(ビル・ゲイツに会った日)
・「ビル・ゲイツはアメリカの典型的なお坊ちゃんタイムに見えた。会社もまだ社員が
 11人しかいなかったが、ただ非常に先が見えている若者だなって気がした」
 1979年NECが日本初のPCを開発した時、陣頭指揮をとった「渡辺和也」が、
 その最初のPC−8001に「BASIC」(プログラム言語)を採用しようとマイク
 ロソフトを訪問した時の印象である。渡辺47歳、ゲイツ23歳。
・ゲイツが95年11月に来日した折りに、横浜での講演会の第一声は「情報化時代で世
 の中はより小さくなってきました」だったし、幕張メッセでのけじめの話も「インター
 ネットは企業の規模を次第に小さくしてゆくでしょう」だった。
・ビル・ゲイツは1955年「さそり座」の星の下で、シアトルの上流階級の家に生まれ
 た。母親のメアリーは教師。メアリーの父親は、シアトルの財力と権力をもつ、パシフ
 ィックナショナル銀行の副頭取だった。
 またゲイツの父親のほうは、ワシントン州弁護士協会の会長さんだ。
・ゲイツが初めてコンピュータを触ったのは13歳の時、1968年にシアトル一番の上
 流私立校レイクサイドスクールに全米最初の”学校コンピュータ”が、PTAの母親クラ
 ブの手で導入された時のことだ。
 電話回線でPDP−10(データ処理装置)につなぎ、命令をテレタイプで入力するマ
 シンだったが、それをよりも昼もなく学校に泊まり込んで独占使用した「不眠症のコン
 ピュータ狂」の生徒の代表がビル・ゲイツとその盟友「ポール・アレン」だった 
・この二人は7年後にマイクロソフト社を設立するのだが、とりあえずゲイツは、その
 PDP−10でまず”三目並べ”をこなし、次に”月着陸船ゲーム”のプログラムを書いて
 みた。 
・革命の舞台は、宇宙競争で活気づいたサンフランシスコのシリコンバレーだった。
 そうした国家的宇宙ビジネス契機とホットな対抗文化熱の中から、74年コンピュータ
 文化の”共産党宣言”ともいうべき「コンピュータ・リブ」宣言が発生られた。 
 「コンピュータ・パワーを人民の手に!IBM野郎を倒せ!」
 その声に応えて、世界初のマイクロコンピュータ「アルティア8800」が姿を現わし
 てきたのである。
・アルティア8800に最初に反応したのが、シアトルの「不眠症」ビル・ゲイツとポー
 ル・アレンだ。
 彼らは「以前からあったコンピュータ言語BASICをアルティア上で動くように改良
 した最初のバーションを発表」し、ただちにマイクロソフト社を設立した。
・一方、アルティア熱に刺激されたシリコンバレーでは多くのガレージ「ホームブリュー
(自家製)コンピュータ)」政策の競争が始まり、その中から76年「スティーブ・ジョ
 ブス
」と「スティーブ・ウォズニアク」の「アップル」機が誕生した。
 パソコン「ハード」革命がほとんど同時にスタートした。
 ただしジョッブスは、ゲイツのような上流階級出身ではなく、「私生児」で労働者階級
 の真っ只中で育った。
・ゲイツとジョブズは出身階級も家庭環境も正反対、革命理念も「ソフト」と「ハード」
 に分かれ、巨大IBM帝国をはさんでにらみ合うことになるが、先に”アメリカンドリー
 ム”を実現して金満家にのし上がったのはジョブズのほうである。
 ウォズニアクと「アップルU」を開発してパソコン産業界のリーダーにのし上がった彼
 は、資産1億ドルの億万長者となり、84年に有名な「打倒IBM」の名機マキントッ
 シュ
を完成させた。
・ゲイツが巻き返しを始めるのは、81年に発売されたIBM−PC機がパソコン業界の
 主流機種となったため、それを動かすゲイツのMS−DOSが自動的にOS(基本ソフ
 ト)の世界標準に収まったという「百年に一度あるかないかの幸運」に恵まれたときか
 らである。
 ただしそのジョブズを追い抜いてトップにのし上げってゆくやり口は、いかにもエグい。
 あざとい。上流階級出身だからといって、お上品とは限らない。
 例えばMS−DOSの、その「DOSの生みの親」はゲイツではない。
 シアトル・コンピュータ社の「ティム・パターソン」である。
 ゲイツはIBM用に使うことを隠して、たった5万ドルでそのDOSの所有権を買収し
 て改良しただけだ。
 そうした「将来性の高い新製品を開発した小さなベンチャービジネスの企業秘密を見せ
 てもらい、アイデアのいくとかを合法的に盗む」ことで肥え太ってきたゲイツ商法は、
 「シリコンバレーの弱い者いじめ」と業界ではすこぶる評判がよろしくない。
・だからマイクロソフト社が新たにウィンドウズを売り出した時にも、その「GUI」
 機能が、アップル社のマッキントッシュのアイコンとそっくりだと指摘されて、ゲイツ
 はこう答えたという話だ。
 「自分もジョブズもゼロックスという金持ちの隣に住んでいて、僕がテレビを盗みにそ
 の家に入った時には、すでにジョブズが盗んでしまった後だったのさ」
・85年には創立者のジョブズがアップル社から追放され、IBMもコンバックなどの互
 換機メーカーにシェアを奪われて”パソコン界の支配力”を失い、ここに「ハード優先」
 の時代は終わりを告げた。
 ビル・ゲイツを「OSの王者」とする「ソフト優先」の時代が到来する。
 「コンピュータ、ソフトがなければただの箱」という戯れ句は、そうゆうビル・ゲイツ
 の”一人勝ちの時代”のための祝祭歌なのだ。
 つまり、巨大IBM帝国に代わり、巨大マイクロソフト帝国が成立したのだ。
・かつてゲイツは、「僕が出会った人間の中で、西ほど僕に似た奴はいないだろう」と述
 べたことがあります。
 西とは、日本のソフト大手「アスキー」社長の「西和彦」のことです。
・西は日本のパソコン・ソフト・ビジネスの草分け的存在で、78年から米マイクロソフ
 ト社の副社長を兼ね、ゲイツと二人三脚で「MS−DOM]を日本に普及させるために
 奔走した。
 絶頂期には「日本のビル・ゲイツ」と持て囃されたが、86年にはゲイツと対立して決
 別。94年には世界一にのし上がったゲイツと和解したが、すでにその差は歴然として
 いた。
・海を渡って会えたのは、あの「アップル」と「アップルU」の”真の製作者”、ペテン師
 ではない”真の電脳の天才技術者”、スティーブ・ウォズニアク一人だけだった。
 ウォズはアップルを去ってから高度な遠隔操作デバイスを開発。
 いまは生まれ故郷の町にもどり、地域の学校をコンピュータ網「LAN]でつなぎ、
 子供たちにプログラミングを教える。
 「いまの子供たちは誰もがコンピュータを感覚的に使いこなすが、ある段階までしか行
 かない。深まらない。「算数」から「数学」にいくことができない。
 昔のように深く「考える」志向性がないからだ」
・シリコンバレーは、80年代後半には日本の半導体産業に押しまくられ一時不振を囁か
 れていたが、いまやクリントンとゴアの「情報スーパーハイウェイ」構想に乗って不死
 鳥のように蘇り、「パソコン」から「ネットワーク」時代への大転換の真っただ中にあ
 った。  
 とくに「ニューゲイツ」と呼ばれるインターネット関連の新技術開発者たちは、「OS
 の王者」ビル・ゲイツをすぐ後ろからピタリと追走し、「もうすぐゲイツの時代は終わ
 るよ」と言い切る不遜さに満ちていた。
 渡米前、「過去を振り返るな 未来を語れ」といっていた西の言葉が私の脳裏に鮮やか
 に蘇ってきた。
・いままではパソコン単体の使い易さが問題だった。
 だから機種はマックかIBMか、基本ソフトはMS−DOSかと悩んだのだ。
 しかしネットワーク時代に入ると、パソコンの使い易さの機能がどんなに優れていても、
 ネット上に散らばる世界中のホームページを次々とネット・サーフィンして情報をスム
 ーズに閲覧できる機能に優れていなければ、もうパソコンはパソコンたり得なくなる。
・つまりOSが威張りくさってパソコンの王者面していた時代は終わりを告げるのだ。
 いまやそのネット・サーフィンの閲覧技術分野のシェア7割を握り「事実上の標準」を
 誇っているのは、マイクロスフとではなく、ネットスケープ社の「ジム・クラーク」が
 所有するブラウザ・ソフト「ネットスケープ・ナビゲータ」なのだ。 

万国の機械よ 団結せよ
・1994年4月26日は啓示的な日だった。
 まるで私たちの暮らしがコンピュータ・ゲームの機械帝国の迷路の中に迷い込んでしま
 ったかのような、不思議な事件が起こったからだ。
・その不思議な感覚を伝える”証拠”のボイスレコーダー(音声記録装置)が残っている。
 あの日、名古屋空港滑走路に「ゴーイング・アラウンダ」(着陸やり直し)の通告をし
 た中華航空のハイテク機・エアバスA300−600Rは、そのあとたちまち失速し空
 港の夜の闇に墜落炎上
。264名の死者を出したのだが、ボイスレコーダーに残された
 その墜落までの約3分20秒の操縦士たちの”声のドラマ”は、ハイテク化されたコック
 プットの内部で、飛行機の機首を下げようとする「人間」の手動操作と機首上げの姿勢
 を保ち続けようとする「機械」の自動制御とが総力を挙げて激しく戦ったことを物語っ
 ている。 
・そして「機械」の側が勝利したのだ。
 それは、コンピュータというものが単なる「電算機」や文字の変換の「頭脳もどき」や
 「無人化ロボット工場」のレベルをはるかに越え、いまや私たちの「生存の条件」を左
 右するところまで成熟しはじめている現実を改めて、鮮やかに浮き彫りにしたからであ
 る。もう一度ボイスレコーダーのあの日の会話を想い起そう。
 発信者不明:高すぎる 高すぎる
 機長   :君 オン ゴーアラウンドモード
 機長   :それを手でしっかり補助しろ
 機長   :押せ それを押せ
 不明   :押せない
 機長   :OK おれがやろう
 副操縦士 :つなぎます つなぎます
 機長   :なんてことだ
 機長   :ちきしょう なんでこんなことになるんだ
 機長   :これでは機が失速するぞ
 機長   :セット セット それをセットしろ
 機長   :大丈夫 大丈夫 あわてるな あわてるな
   「テレイン テレイン」(地表接近 地表接近)=対地接近警報装置による警報音
 副操縦士 :パワー パワー
 機長   :ああ 終わりだ 終わりだ
 副操縦士 :パワー パワー
・「押せ それを押せ」「押せない」というやりとりの中に、それまでマニュアル通りに
 従ってさえいれば平和で友好的だった神厳の「道具としてのコンピュータ」が、一転し
 て、人間を破壊に追い込む無慈悲で非和解的な力に変貌した様子が見て取れる。

・インターネットは当面”三つの方向”が考えられる。
 一つは、このインターネットは60〜70年代のベトナム戦争やソ連との核戦争に備え
 た”通信システムの軍事研究用ネットワーク”(アーバーネット)として開発され、
 軍や大学や研究所などを結ぶ情報交換網として発達したため、いわば電子的「聖職者」
 集団のネットワークという「特権性」を持っていた。
 ところが90年代に入るや「ハイパーテキスト」という概念によって電子情報が「ホー
 ムページ」化されて誰でも発進可能→閲覧可能になり、世界中の何千万の一般ユーザ
 ーも自由に参入できる「市民的」ネットワーク=WWW(ワールド・ワイド・ウェブ)
 というインターナショナル・ネットワークに「へんかく」されたのである。
 だから日本ではなにげなしに「インターネット」と呼ぶが、アメリカ電脳の聖地シリコ
 ンバレーでは「WWWインターネット」と呼び、旧来の特権的インターネットとは区別
 するのだ。「革新されたインターネット」という意味だ。
 したがって、このWWWインターネットの主要な性格は、オン・ライン上におけるあら
 ゆる「自由の公認」である。
 大企業であろうとベンチャーの小会社であろうと一切の情報差別をつけず、百花繚乱の
 「ホームページ」の看板が立ち並ぶのを喜びとするのだ。
・しかし、こうした革新的自由性ゆえに、二つ目にインターネットは、国家の権力規制や
 市民社会の性的迫害などから逃れ出る反政府やアンモラルな人々、ハッカー、犯罪者や
 電子難民の”自由と抵抗の砦”となる。
 詐欺集団の舌先三寸の商品広告はモチロン、ハッカーの”爆弾の作り方”の解説書やオウ
 ム真理教「のようなカルト教団の”世界転覆”計画やら、ネオ・ナチの”ユダヤ差別”の檄
 文などが、インターネットの裏側や暗闇に咲き乱れている。
 少年少女の全裸ヌードやレスビアン、肛門SEXや男女性器のどアップ写真、死体写真
 にスカトロうんこの山と、なんでもありのアナーキーな無法地帯になっている。
 三つ目には、そうしたアナーキーな”抵抗と自由”はすぐに国家や社会良識の気勢と介入
 を招くだろうということだ。
・それにしても、と私は思う。
 これほど人間が日々の電子環境に取り囲まれ、電脳主義の勝利の事実が至るところに露
 出しているのに、その現実を写実する電脳文字が登場しないのはいったいナゼだろうか?
 
アメリカ電脳「魔方陣」の中を行く
国立スミソニアン航空宇宙博物館の館内を二、三時間ウロウロすれば、山のような膨大
 な展示物を通してスミソニアンが私たちに語ろうとしているのは、結局、ただ「ふたつ
 の物語」にすぎないのだということがわかってくる。
 ひとつは、鉄道の大地から飛行機の大空へ、飛行機の大空からロケットの宇宙へと、
 「新しいフロンティア」をアメリカが雄々しく拡大してゆく物語である。
 でもそこには、雄々しいというよりは、生か死か、常に絶え間なく処女地を追い求めて
 暮らさねばならなかった欧州移民(=浮浪者)出身の開拓農民の飢餓精神が丸見えにな
 っていて、哀しい。
 ふたつには、この博物館は「西部活劇」の延長線上にある「宇宙活劇」の劇場だと思え
 ば手っ取り早いという話である。
 悪玉ソ連を蹴散らして月世界に「星条旗」を樹立したアメリカの、宇宙征服の「正統性」
 への賛歌に満ち溢れているのだった。
 すなわちスミソニアンが私たちに提示してやまないものは、「アメリカは間違っていな
 い」という信念の披瀝なのだ。いつも正しく戦い抜いてきたという・・・。
 そう、それほどまでに彼らは歴史の始まりの時期に、この国の大地の精霊たちと不条理
 な戦をしたのである。
 銃を持った征服者たちの呪われた、不安な魂(=強迫心理)がここにも幻視されるのだ
 った。なんて可哀想なアメリカ!
・結局ここは、そうした可哀想なアメリカ魂を癒す慰安所、魂鎮めのための礼拝所なので
 ある。日本でいえば神話と伝説を貯め込み、民族主義的な魂の拠所となっている神社仏
 閣のようなものだ。その「科学技術」版だと思えばいい。
 だからこそあんな風に、米軍人団体がスミソニアン「原爆展」を「軍国日本に同情的す
 ぎる」と猛反発するのだ。
 それは例えば、日本の”靖国神社”で「真珠湾展」(リメンバー・パールハーバー)や
 「南京虐殺展」を開くに似ている。
 そうなったら日本でも右翼や民族主義、軍人恩給などの団体が猛反対しないワケがない。
・そうかぁ、ここは神社仏閣だったのかぁ。
 人垣をかきわけ、キラキラ輝くアポロ司令船コロンビア号の宇宙カプセルの前に進み出
 る。紫色の表紙の「般若心経」を一冊取り出した。そして大音声でお経をあげはじめち
 ゃったのある。  
 ヤジ馬が集まりだし、ピーピー口笛ではやす奴、写真を撮る輩も出る。
 大男の警備員たちも止めに来ず、遠くからニヤニヤ笑って見守っている。
・こんなアホなパフォーマンスをやったため、ここに「三つ目の物語」が登場してきた。
 というのも、お経をあげている時、宇宙の無限の暗闇を一人ぼっちで飛び続けるアポロ
 の孤独で不安な姿が、チラリと頭の中をよぎった気がしたのだ。
 それがお経をあげたことに対するアポロからの答礼だと私は信じ、近寄って挨拶がわり
 にアポロの機体を両手で抱いた。
 すると、強化ガラスを通してカプセルの内部に何かが視えた。
 なにか大事なものが幻視された気がした。
・想えばいまから25年前、その飛行士のアームストロング船長らは月面の「静かの海」
 に降り立ち、「われら全人類を代表し、平和のうちにここに来た」と宣言したのだった。
 アメリカのすべての白人は彼らを「人類の英雄」として迎え、逆にハレムの黒人は「白
 人どものサル」とこきおろした。  
 しかし、当時の日本のマスコミには困難報道もあった。
 「今度の計画の主役はあくまでもコンピュータであって、人間はつけ足しです」
 実際にはアポロエンジン点火も軌道修正もすべてNASAの管制塔にあるIBM360
 −75型
という挺大型電算機十台によった操作されていたからだ。
 アポロの船内にも超小型電算機九台が搭載され、飛行士は管制センターからの指示に従
 って動くだけ。
 おまけに彼らは睡眠時間から心臓の脈拍数に至るまで、生理や心理を完璧に記憶・分析
 され、コンピュータに監視され続けていたのだった。
 つまりここに視てくる宇宙飛行士の姿は「英雄」でも「サル」でも「つけ足し」でもな
 い。
 @NASAから送られてくる電脳情報に取り囲まれ、情報に誘導される「情報化人間」
 A電子情報機器なしには行動も判断もできない「端末人間」
 Bシミュレーションの繰り返しで出来上がった「マニュアル人間」
 そう、アポロとは、電脳電子の情報が逃げ場なく人々の暮らしを取り囲み、環境化して
 生存条件を左右するような、この”私たちの時代”の始まりだったのである。
 
デジタルファンタジー日本
・アメリカは、あの広大な国土と多民族性では艘電脳漬けにしようとしてもどうしても仕
 切れない部分が大量に残る。
 その結果、あの大陸は極度に電脳化される一方で、依然として悠々たるアナログ大国な
 のである。
 かえってアナログの旧人類たちが幅をきかせ、「電脳が創造的であろうがなかろうがお
 かまいなく、米国民のあいだには一般的にコンピュータ恐怖症が拡がっている」
・そう、わが国の「パソコン不適応症」世代の代表たる「団塊の世代」がいま、デジタル
 世界からの首切りを恐れて一斉に首を縮こまらせているなんて現象は、日本特有の出来
 事ではないのか。 
・心しなければならないのは、日本が狭い孤立的な島国であること、つい最近まで単一民
 族的な「近代マインド」を形成していたこともあって、ひとたびこうした「官武一途庶
 民に至るまで」の提灯行列的な流行現象が起きると、反対や逃散の異議申し立てが非常
 にしにくい精神土壌が発生することだ。
・つまり、デジタル万歳!の提灯行列はいつの間にか時代遅れの”アナログ征伐”のための
 ”御用御用!”の御用提灯に変わってしまうことだ。
 かつて高度成長や日本列島改造の工業的”金ピカの未来”が、急激で画一的で国民熱病的
 な”農村征伐”を展開して結果、公害ニッポンが生まれ、わが国は「工業化文明の最悪の
 見本」(=公害被害の人体実験)となった、あの”忌まわしい時代”を忘れてはなるまい。
・ワシントンにあるユダヤ人の「ホロコースト(大量虐殺)博物館」の双方向な疑似体験
 システムをいま日本に被爆地ヒロシマがそっくりそのまま導入する計画が進行中だとい
 う。
 ホロコースト博物館は、世界中からユダヤ民族虐殺に関する記録文書や地図、写真、
 さらに生存者の証言ビデオや記録映画、ニュース、当時はやった音楽など多彩なデータ
 が集められ、すべて「圧縮」デジタル化される。
 見学者は会場の展示物を見ずとも、端末モニターの前で、端末モニターの前で、その音
 声と動く映像の膨大なデータベース(=情報の海)を自由に検索し航海しながら、当時
 のナチス・ドイツの不気味で熱狂的な政治情勢や民情の中に没入してゆける、画期的な
 マルチメディアの学習システムだった。
・戦争を知らない「若い世代に共鳴作用を起こす方法」として、このアメリカの「疑似体
 験」システムが最適だというのだが、こうした戦争悲劇の物語を電子継承する場合、
 もっとも問題となるのがそのデータベースの中身である。
・そのデータベースがもし一方的な戦争”被害者”の視点(例えばユダヤ人の正義史観)
 で、浅薄な”平和主義”を宣伝る類のデータで構成されちまえば、それはもう立派な一個
 の「情報操作」となるからだ。
・いま私たちのまわりにある”語り部”の物語や当時の証言記録、資料、映像フィルムや出
 版物などの山のようなアナログ情報を取捨選択肢、デジタル転換してデータベースを作
 る人はいったいどんな思想の持ち主なのだろう。
・なぜなら、戦後日本の”被害者平和主義”についていえば、それはこれまでにも重大な
 情報操作の犯罪を続けてきたからだ。
 戦後の日本人はひとり一人の戦争責任(=アジアへの加害)を頬被りして逃れたが、
 それにとどまらずヒロシマの原爆惨禍を”特化情報”化して戦争被害者に変身し、
 子供たちにもそういう類に”平和教育”を施し続けた。
・アナログ・データの世界ですら、こうである。
 これが取捨選択されて、さらに先鋭化してデジタル処理され、疑似体験の双方向で「若
 い世代に共鳴作用を起こす」としたら、どうなるのよ。目も当てられない。
 加害を被害と偽るこんな「情報操作」平和主義の下で、これからの電子博物館や電子図
 書館のデータベースが運営されてはたまらないのである。
  
・阪神大震災直後の日本人の姿について、
 「日本の被災者はあわてず、冷静に行動している」と評価する声が韓国出ている。
 「略奪などの事件も起こらず、市民が協力して救助活動にあたっている」KBSテレビ
 「72年前の関東骰震災で韓国人を虐殺した民族とは思えたい」KBSテレビ
 「絶望の中でも日本人は超人的ともいえる規律を世界に示している略奪も、騒乱も、
  パニックもない」(フィリピン紙)
  「この事態に日本人はどうしてパニックにならないのだと不思議がっていた」(仏の
  国営放送)
・関東大震災の時は、「朝鮮人が反日の暴動を起こす」という「流言飛語」が人心を動揺
 させ、東京自警団による見境なしの朝鮮人虐殺を生んだ。
 朝鮮を植民地にしていた日本人の優越感が逆転して、下手すりゃこっちが殺されるとい
 う恐怖心に変わったためだといわれている。
 今回はそうした死活的「流言飛語」が飛ぶほどの、すなわち”人殺し”までやってのけね
 ばならないほどの事情が、とりあえず日本人の側にはなかった。
・それよりもなによりも、「被災地上空を飛んでいるのは報道ヘリだけ」という光景に象
 徴されるように、東京という「電子情報化社会の管制塔」から圧倒的なスピードと物量
 で、「情報の包囲網」が炎上する神戸に向けて飛んだ。
 大震災被害の全貌を把握し、分析し、解説する「電子の網の目」が投げ込まれたのであ
 る。
 そして、地震直後から朝もなく夜もない「電子タイム」の24時間テレビで送り出され
 た現場の映像情報やスタジオ解説が、国民の常識的判断の根拠を作り人心不安の拡大を
 抑え込んだというわけだ。
・つまり、焼け野原から人心撹乱の「流言飛語」が立ち上がる暇さえ与えなかったのであ
 る。そう、電子・電脳の「情報化社会」が危機管理本部となって国民の先頭に立ち、あ
 らゆるものを鼓舞し、無能な政府を??咤激励し続けたのだ。
 「情報」が「国家」だった。
・だから、はっきり言って、韓国などの反応は甘過ぎるのだ。
 東京という情報中枢が健在だったから「流言飛語→人心パニック」の世界が封じ込めら
 れただけで、これが東京大震災でも起こってその情報管制塔群がすべて瓦解したら、
 ”人殺し”まではどうか知らないが、あの”犯罪予備軍”視されている不法滞在の外国人た
 ちが東京自警団によって襲撃されないと誰が保証できようか。
・つまり、世界中の人々が不思議がったパニックのない日本人のお行儀の良さは、ひとつ
 にはいまの日本が異常なほど「情報」に管理されやすい電子・電脳体質を持った国だと
 いう事情から生まれているのであって、決して関東大震災当時の人種差別心理を克服し
 ているわけではないのだ。
・またこの時に、「自粛」や「謹慎」、「歌舞音曲の禁止」という国民的「同一の行動」
 の姿をとって「情報」による危機管理の体制が確立した。
 つまり「同一のテーマ、同一の情報」→「同一の行動」へと、日本人の映像情報体質
 (=電子・電脳体質)は進化したのである。
・「情報」が「国家」を叱りつけ、鼓舞している日本的「危機管理」の姿を思い出すのだ。
 今日はダメでも明日にはきっとおっとりが刀で救援隊がやって来るはずだと。
 東京という情報管制塔が破壊されない限り「人心パニック」は起きない。 
 なぜなら日本人の身体の中にはすでにそういう納得に仕方をさせる電子「情報」体内時
 計(=危機マニュアル}が一個ずつセットされているからなのだ。
・天皇陛下御夫婦が被災地を訪れ避難所暮らしの人々を激励されたというので、天皇さま
 が行くぐらいだから治安も余震も絶対安全なんだと思って、翌日のこのこ出かけて行っ
 た。
 先兵としては最も遅い参戦である。なにしろ地震発生から二週間もたっている。
・私が見たのは当然、働哭する”悲しみの街”ではない。
 街は、逆に、非日常の破壊のドラマに高揚していた。
 ”元気組”や”愉快組”の人たちで賑わって見えた。
 元気組の一等賞は、右翼と暴力団である。
 右翼は日教組大会そっちのけで三ノ宮駅前にずらりと終結。
 街宣車を十数台ならべて”お助けテント”を張っていた。
 道行く人に、さあさあおでんにおにぎりなんでも無料で持って行けと気前がよいが、
 「一人一殺」と吐露のスローガンが書いてあるテントでは近寄るのさえちょっと恐い。
 暴力団のほうは元町に陣取る山建本部。
 飲料水の無料放出テントを開き、夜になると神戸自警団に変身する。
 窃盗が多いから町を夜回りして”職質”するんだと。
 「市民の皆さんからも感謝されています」と、ニッっと笑う。
 暴力団がニコッとすると、こらまたとても恐い。
 そうした恐い元気組に対抗して、壊れたセンター街の傍らや公園の脇に共産党や
 「幸福の科学」が焼きそばテントやうどんテントを設営している。
・神戸はいまや天下御免の無銭飲食の街である。
 だって夕方、元町センター街の大通りを歩いてみなよ。
 突然、意味もわからず強引に、“おむすびセット”を手渡されるから。
 キリスト教の宣教師の一団が道行く人に手あたり次第に夜のお弁当を押しつけているの
 だが、冷たいおぎにりならもうたくさんと逃げ回る市民が多いのには、笑ってしまった。
 食糧があふれているのだ、この街は。
 こんな不思議な被災地って、世界中にあったもんじゃない。
・ともあれ、天皇家のお見舞い行脚は大成功だった。
 芦屋や西宮の避難所体育館のなかでは、後に女性週刊誌が、村山首相のたった三時間の
 おざなり見舞いや田中真紀子長官の「ハイヒール慰問」とは”まったく違う”と称賛した。
 美智子さまの「モンモノの励まし方」が次々に展開された。
 「普段着」ひざつき」「抱き合い」「握りこぶし」の四点セットとそのガッツ・ポーズ
 は、阪神地区に大きな感動を呼び起こしたという。
 「ある知人の北欧の外交官が、『あれが日本の危機管理の最後の手段か』と尋ねてきた」
 と。
・そう、今の日本にはテレビメディアを先頭にした電子情報システム(=電脳社会)と天
 皇「制」があれば、村山内閣なんかいらないのである。
・それじゃその肝心要の電脳社会のほうは震災でどうなったかというと、これがまったく
 お話にならない。
 東京電脳の健在ぶりに較べて、阪神電脳のもろさは眼を覆わんばかりなのだ。
 阪神地区の各企業のコンピュータ網はズタズタに寸断され、危機管理どころか危機を一
 途に拡大させた。
 さらに、銀行・証券などの金融機関は資金をやりとりする動脈のオンライン・システム
 が軒並み破壊され、阪神地区の約450店舗が休業に追い込まれた。
 マルチメディア時代の花形と目されていた都市型CATVは、ケーブルテレビ神戸を先
 頭に六局すべてがストップ、停波した。
 「兵庫県の有事の神経系統である防災通信システムは完全に沈黙」して、一度も作動せ
 ず、人々の失笑を買った。
・でも、高度な情報「管理」社会の到来によって本当に「人心の安寧」が得られるのかと
 いうと、そうでもない。  
 いともいとも今回のように情報が人心恐怖に勝つとは限らない。
・なぜなら、電脳ネットワーク社会はそれ自体、手触りのない、実感の少ない「サイバー
 スペース」制に依拠して成り立っているから、誰も確信をもって情報の信憑性を保証す
 ることができないのだ。 
・その結果、かえって「流言飛語」に振り回されて社会不安や株価暴落などの「電子パニ
 ック」を連発する。
 例えば今度の震災ではパソコン通信がとても有効だったという話がある。
 ニフティサーブの「電子掲示板」には被災者の安否を問う情報や被害報告が3千件も書
 き込まれ、インターネットでも安否確認の電子メールが飛び交ったという。
・ところがこの電子掲示板や電子メールってのは、国家や権力からの規制を受けないとい
 うアップル以来のアメリカ小型電脳革命の伝統に立っていたり、「学術情報が互いの信
 頼関係にもとづいて贈与交換される」慣習の上に成立したから、基本的には誰でも何で
 も好き勝手に書き込める”自由区”になっている。
 だから、ウソ、デマ、冗談、詐欺、外国人排撃のニセ情報が流れ込んでも、誰もそれが
 ウソがホントか判断がつかない。
 まったくの「流言飛語の世界」と化す可能性が極めて高いのだ。
・また最近でも「米大手パソコンメーカーのアップルコンピュータにソニーが敵対的買収
 を行なうという偽電子メール」が送られ、両社が「偽物、詐欺行為だ」と否定声明を出
 す騒ぎになっている。
 人々がマルチメディアやパソコン一人一台のネットワークに頼って生活するようになる
 と、危機管理どころか、かえって「流言飛語」に振り回される危機が増大しちゃう。
・彼のビル・ゲイツでさえ、
 「電子時代の到来でプライバシーが脅威にさらされると心配している人は多いと思う。
 私も心配している。世界のコミュニケーションをすごく簡単にしているのと同じデジタ
 ル技術で、傍受や覗き見が簡単にできるからだ。(それに)電子メールでは、結果的に
 誰が読むか、受けた人がどのくらいそれを保存しているかわからない。電子メールを送
 った人が想像もしない人に転送されたり、何年も保存されて一瞬に呼び出されたりする」
 と語っているように、ネット社会では、相手側の顔が見えない、心が読めない、偽名が
 使える、不安で疑心暗鬼な世界なのだ。 

・インターネットの他に、こうした「流言飛語」性に極めて弱い電子社会の体質を見事に
 浮き彫りにしているオン・ライン共同体が、もうひとつある。
 それが、「電子パニック」(=電子マネーの大量移動による株価暴落、通貨不安などの
 経済恐慌)の世界、すなあち「電子情報資本主義」の国際金融取引所の世界である。
・現在の投資システムは、一定の株価以下に下落すれば瞬時に株を売り払うようにプログ
 ラミングされてますから、世界中が分秒を争って株を売る。
 株を買う人がいなくなる。
 売る人ばっかりになっちゃえばドーンと株価が下がって、大暴落になる。
 ブラック・マンデーのときも、そう。
 ちょっとした間違いでも電脳情報の画一化、スピードに乗って、あっという間に全世界
 が同じ方向に動いて行ってしまうという、非常に、そういう電脳社会なんですね。
 流言飛語に極めて弱い。
・「ある高官の発言」がウソかホントかを確かめる時間の余裕さえ与えない、電脳スピー
 ド社会のモーレツな情報不安の時代がやって来たのだ。
 これまでの人間の体感的な「五感」能力では到底その機械スピードについてゆくことが
 できない。

・95年6月、私はまたものこのこ今度は化学防護隊が所属する大宮駐屯地の自衛隊化学
 学校まで出かけていったのである。
 マスコミに毒ガス処理の訓練風景を初公開するという”自衛隊PR”の一環だった。
 
・その日はちょうど、あのドライバー一本で全日空ジャンボ機を乗っ取ってしまった銀行
 員によるハイジャック事件
が起きた日だった。
 化学学校の地下食堂で昼食をとっていると、突然お昼のテレビニュースで「オウム教徒
 の犯行か?」というアナウンスと共に、札幌自衛隊も緊急出動のため待機しているとい
 う情報が飛び込んできた。
・私はおもわず「えっ」と声を上げた。
 自衛隊が銃をもってハイジャック犯鎮圧に乗り出したら、それは戦後初の「治安出動」
 だからだ。
 60年安保の時だって、自衛隊は治安出動していない。
 そういうと、隣に座っていた陸自の広報部の人が困惑しきった顔で、「いや、これはあ
 くまで災害支援の延長ですから・・・」 と否定した。
 しかしハイジャックが「災害」ではなく「治安」の範疇に入ることは明らかではないか。
・「治安」か「災害」かで私たちは言い争ったが、要するに彼らは自衛隊の過剰な武力性
 (=戦争能力)が国民の眼の前にむき出しになり新事態の展開を極度に恐れているのだ
 った。また世論の袋叩きにあうのではないかと。
・考えてみれば、私などが昔反戦運動で警察・機動隊相手に医師や火炎瓶を投げて街頭デ
 モをやっていた頃には、三派全学連(=新左翼)のリーダーたちから、「自衛隊を街頭
 に引っ張り出したら、闘争は勝ちだ」とよく教えられたものだ。
・自衛隊が銃をもって人民を弾圧(=武装鎮圧)する血なまぐさい実態を国民の眼の前に
 引き出せたら、世論は反戦派の味方につくだろうという論理である。
・しかしあの瞬間、オウムがらみで自衛隊が緊急出動したとして、それを非難できた国民
 がどれだけいただろう。
 歌手の「加藤登紀子」がハイジャック機から救出された時、夫の「藤本敏夫」(新左翼
 「社学同」の元委員長)でさえテレビの前で「無事でよかった」と安堵の胸をなでおろ
 すしか能がなかったではないか。
・「・・・自衛隊派遣については・・・防衛庁の判断で『要請を待たないで部隊等を派遣
 できる』と決めた・・・派遣の是非の判断基準は具体的に記述されておらず・・・・」
・それはさらに「災害」から「治安」へと危機管理領域の拡大につながり、やがて例えば
 サリン、例えばハイジャックなどの鎮圧行動のために自衛隊が鎧胄の武者姿で町中を闊
 歩してもだれも奇異には思わない「軍民融合の時代」を呼び出すだろう。
・軍民棲み分けで成り立ってきた「禁中」自衛隊の時代は終わったのである。
 「普通の国」(=軍事解禁)はまだ出来上がるが、少なくとも役に立たない「夢の軍隊」
 を、役に立つ「危機管理時代の申し子」に仕立て上げることには成功したのである。
 近い将来「日陰者」ではい自衛隊が日本各地のお天道さまの下を大手を振って闊歩する
 日が来るってわけだ。
・しかし、PKOという既成事実を積み重ねるだけでは決定的に足りないのだ。
 なぜなら自衛隊は、実は「普通の国」の「普通の軍隊」ではないからだ。
 「日本軍の占領による脅怖、彼らは人間の首を斬り落として橋の上にさらしものにしま
 した。シンガポールが中世の暗黒の時代に戻ってしまったようでした。日本は、『普通
 の国』ではありません。非常に特別です。それを忘れない方がいい」(シンガポール上
 級相)  
・そう、だから自衛隊がせめて「普通の国の軍隊」に衣裳替えするためには「不戦の誓い」
 が必要なのだ。
 「戦争責任を痛感し、二度と侵略戦争は起こさない」というあの「不戦決議」は自衛隊
 がアジアの大道を歩むための最低限の免罪符として、どうしても必要なものだったのだ。
 
電脳ベトナムのSF的(未来)
・ベトナムには、真の近代化を阻む「三つの亡霊」が住んでいるのだと指摘する。
 亡霊のひとつは「植民地主義」である。
 あまりに長い間、日仏米の連続収奪にさらされたために”外国人を見たら泥棒と思え”
 式の疑心暗鬼がハノイの政府をおおっている。
 つまり外国への全面的問題開放が進まない。
 「投資だけちょうだい」という物乞い主義の問題開放が見え見えなのだ。
・ふたつめは、古びた妖怪「共産主義」である。
 みんなが平等で貧富の差がないことがベストという思想が行き渡っているため。弱肉強
 食の競争市場経済がわからない。財閥も生まれない。
 財閥の存在がないと、外資資本が安心して大型投資する先がないというのである。
・おまけにアメリカという”酒井骰級の資本主義”に軍事勝利しちまったために、憲兵と陸
 軍の「勝ち組」の戦国時代的価値観がこの国の政治、経済、思想を支配し、経済活性化
 のための”反対意見”が少しも起こらないというのだ。
・これども、ホーチミンの夜の底をトボトボ歩き出すと、「もうひとつのベトナムの貌」
 が現れる。
 宝くじ(国営)の辻売りで媚を売る、薄汚れたパンツをはいた六つくらいの女の子。
 飯店の残飯の山をあさる主婦。コミを食う小娘。
 泣きたくなるような貧しさが街の底から浮かび上がってくる。
 いったいベトナム解放の革命とは何だったのか?私は唇をかむ。
 私は”ベトナム反戦”の世代だ。
 これがあの「人民の正義」を掲げたベトナム社会主義の正体なのかと。
 誰もが貧しいだけなら、許せもしよう。
 しかし、次のような話、これはいったいなんだ。
・95年4月にベトナムを訪問したシンガポールのリ・クアン・ユー元首相は、ハノイの
 高官連を前にしてこう苦言を呈したという。
 「ドイモイ(刷新)はこのまま行けば、失敗に終わる。あまりに官僚たちの汚職がひど
 すぎて、三年先は外国資本はみなベトナムから逃げ出すだろう」
・ホーチミンの日本料理店の店長もこう語った。
 「ベトナム戦争後、共産党幹部にご褒美として”土地の使用権”が配給されたんです。
 われわれ外国人はその土地を五年契約で借りて店を経営しているんですがね。小さな許
 可ひとつもらうにもワイロワイロでね。ワイロなしには何も進まない。おまけに店が流
 行ったりすると、一方的に土地契約を解除して、自分の息のかかったベトナム人にその
 店を経営させるというあくどいやり方をする。だから、ここでは外国人は事業に成功す
 ればするほど危なくなるんですよ」  
 そう、この国はいまアジア的社会主義というよりは、「北の勝ち組」封建領土主義の集
 まりにすぎない、と思われてくるのだった。「ドイモイ(刷新)」が聞いて呆れると。
・この国では誰であれ一人一枚の番号、名前、顔写真入りのIDカードを持たされるとい
 うのだ。 
 どこに外出するにもそのIDカードの形態が義務づけられ、警察に提示を求められた時
 にカードを持っていないと大目玉をくらう。
 場合によっては逮捕される。
 警察はそのカード番号で内務省電脳の個人データを呼び出し、その場でたちどころにそ
 の人間の身元調査がでてきてしまうという。
 その話を聞いて、私は一瞬頭が混乱した。
 「それって、国民総背番号制なんじゃないの?」
・すると韓国人の林さんが、なに番号制ならベトナムより韓国のほうが進んでいるよと威
 張った。 
 韓国では94年「実名システム」という金融・戸籍の総番号化がスタートしたのだとい
 う。
 「韓国人はIDカード、みんな持ってる。そのカード番号で、もう全部わかるんですよ。
 財産、いまいくら銀行に貯金があるか。車何台、家族何人、奥さんは誰か。不動産どの
 くらい、土地転売していくら儲けたか。むかし軍隊の兵役でした良いことも悪いことも、
 もうもう全部、コンピュータ番号打ちさえすれば、田舎のポリスボックスにまでたちま
 ち知れ渡ってしまう」
・完璧な「国民総背番号制」らしい。
 プライバシーの侵害だという反対世論はなかったのかと聞くと、金持ち連中の不正な蓄
 財、汚職ワイロのブラックマネーを取り締まる”絶好の電子システム”だと国民の大多数
 が賛成したというのだった。
 「軍人大統領の時代は、金持ちと役人が手を握って”腐敗追放”できなかった。いま民間
 の大統領になって、10パーセントの金持ちよりも90パーセントの普通の人の意見が
 通るようになった。
 みんな公平に監視され公平に課税される。これ本当の民主主義よ」
・私は呆気にとられた。
 民主主義とは本来国家的管理に抵抗する市民原理、「個人の自由」を意味するものでは
 なかったか。 
 しかるにいま韓国の人々は、電脳による国家の「公平なる監視」の中に民主主義の真髄
 を見出だそうとしている。
 「アジア的電脳浄土」の一端を垣間見た気がした。
・考えてみれば、それはなにもベトナムに限った電子現象ではない。
 最近「東南アジアを中心『飛び越し情報化』という現象が起き、中国でのポケベルの普
 及台数はすでに日本を凌駕している」と述べている。
・私はこう推理するのだ。例えばベトナムの旧宗主国・フランスなどの応酬先進「植民地
 主義」は何百年もの間アジアの領土と人民からの収奪を繰り返した結果、その支配には
 一定のルールとある種の紳士的マナーが身についた。
 または現地人との混血によって生活や習慣の融合が進み、支配の露骨さが眼に見えにく
 くなった。  
 いまベトナムの路地の屋台で売られている庶民のパンは、みなあの長形のフランスパン
 の物真似だといったふうに。
・つまり先進「植民地主義」とは、スマートで「ソフトな支配」なのだ。
 それに較べて、明治以後アジアの後進「植民地主義」として帝国列強の仲間入りした日
 本などの場合、植民地経営のノウハウもマニュアルも何も持っていないから、ただガム
 シャラな軍事的恫喝と強姦と人民虐殺を繰り返すしか能がなかった。
 後進「植民地主義」とは、露骨で野蛮でダサい「ハードな支配」なのだ。
・ナニ帝国列強の苛酷な収奪にないほどの差もない。
 しかしその帝国主義の暴力性はむしろ遅れてやって来た後進「植民地主義」の中に最も
 露骨に、誰の目にも明らかに映し出される。
 後進国の物真似の中にこそ、その主義の本質がもっとも見事に花開くといってよい。
・「植民地主義」についていえることは、「電脳主義」のついてもいえる。
 アジアにおける電脳最後進国のベトナムこそ、電脳という”管理マシン”の本質(=人
 間番号制)を最も露骨に体現しているのだ。
 彼らは遅れてきた「電脳主義」だからこそ、先進「電脳主義」ニッポンより野蛮で、
 同時に本質的=未来的なのだ。