学問と政治
       (芦名定道小沢隆一宇野重規加藤陽子岡田正則松宮孝明

この本は、1年前の2022年の刊行されたもので、2020年に起きた菅義偉政権時に
おける「日本学術会議会員任命拒否事件」を取り上げたものだ。
菅義偉元首相といえば、秋田県出身者の初めての総理大臣であり、しかも世襲議員ではな
く久々の無派閥の総理大臣であり、農家の出身で高校を卒業後、集団就職で東京に出でき
て、働きながら夜間大学を出た苦労人で庶民派。”おらが町の総理大臣”などともてはやさ
れ、当初は期待も高まった。
秋田県に縁をもつ私も、これまでの政治を変えてくれるのではと、大いに期待した。
しかしその後、集団就職で東京に出たというのは間違いで、実際には大学受験を失敗して
上京したというのが真相のようで、しかも夜間大学というのも実際は普通の昼間の大学だ
ったようだ。
それに、農家出身というのは事実のようだが、父親は町会議員、母親は学校の先生、二人
の姉も学校の先生だったようで、東北ではこういう家は地元の名士の家に入る。

そういう話はともかく、菅元首相が総理大臣に就任したのは、2020年9月なのだが、
この「日本学術会議会員任命拒否事件」が起こったのは、総理大臣に就任してまもなくの
ことであった。
私はこのとき、直感的に「この人は総理大臣になってはならない人だった」という感情を
持つに至った。それまでの期待が一気に萎んでしまったのである。

この日本学術会議会員の任命拒否は、どう弁明しようと、あきらかに憲法に違反しそして
また法律にも違反する行為であった。
それを国の最高権力者である総理大臣が、権力を振りかざして、憲法も法律もなきがごと
くに振る舞ったのだから、日本はもはや法治国家とはいえず、独裁国家とか専制国家と呼
ぶのが妥当だろう。
日本がこんな国になり果ててしまったのは、自民党一党独裁が長年にわたり続いてしまっ
た結果なのだろう。
日本の国会議員は、新陳代謝に欠け、流れが止まったドブ川のようによどみ、腐敗し悪臭
をプンプン放っていると感じる人は少なくないだろう。
もっとも、こんな状態を招いてしまったのも、われわれ国民の責任だ。
選挙のたびに、同じような顔ぶれを当選させてしまう。
その原因は投票率の低さだ。もっとみんなが、選挙の投票に行き、新しい人候補者に投票
すれば、国会議員にも新陳代謝が起こり、よどみも解消されるはずなのだ。
とにかく、ひまを惜しまず、みんながもっと気軽に投票に行くことがとても大切なのだと
つくづく思う。

過去に読んだ関連する本:
私物化される国家
国家の暴走


はじめに
・2020年10月、当時の菅義偉政権によって六名の日本学術会議会員への任命が拒否
 された。
 この事実は、現代日本に生きる私たちにとって重大な事件であった。
・政権は、何を恐れて、このような挙に及んだのか。
 学問の自由と独立を侵し、法に違背してまで、この六名の何を忌避したかったのか。
 学問の自由はどこまで守られるべきなのか。
 政治の介入はゆるされるのか・・・。
・政治決定をめぐる経緯や責任の所在は依然として明らかにされておらず、情報公開請求
 については現在も継続中である。
 事実はいまだ黒く塗りつぶされている。
・ことの本質は決して一過性のものでも、日本学術会議という組織だけに関わるものでも
 ない。   
 「ポスト真実」の時代において、学問が果たすべき役割だけでなく、権力と法の関係、
 政治と専門家の関係といった民主主義社会の根幹をなす価値観について、私たちは再考
 すべき時を迎えているのではないだろうか。

学術会議会員任命拒否問題の歴史的な意味岡田正則
・第二次世界大戦以前の日本は、学術を政治に従属させることによって戦争に突き進んで
 いった。
 また、学術の側も戦争遂行に加担する役割を果たした。
 こうした歴史の反省に立って、戦後の日本は日本学術会議という国家機関を設置した。
・会員選出方法については、1983年以前は選挙による選出であったので、当選証書の
 交付で会員資格が確定していた。 
 同年の法改正で会員の選出方法が選挙制から推薦制に変更されたことにともなって、内
 閣総理大臣の「任命」という資格確定の手続が加えられた。
 この「任命」は当選証書交付の代わりであることから、形式的なものにすぎない。
 つまり総理大臣は推薦通りの任命を行う、というのが政府の公式見解であり、また国会
 答弁で確認された立法者の意思でもあった。
・2004年の改正で、学術会議自身による選考および総会議決に基づく選出と推薦とい
 う現行のコ・オプテーション方式となったが、「任命」の趣旨に変更はなかった。
 したがって、この「任命」を拒否するという内閣総理大臣の行為は、違法な権限行使と
 なるのである。 
・2015年の安全保障技術研究推進制度の導入により、国内の学術・研究機関における
 研究が、この制度によって軍事目的の研究に誘導・動員されかねない状況に対して、
 2017年の「声明」が出され、これに呼応して多くの大学等はこの制度による研究を
 受託しないこととした。
 政府は、こうした動きを阻止し、大学等をこの制度に引き寄せるために、学術会議への
 人事介入という手段を用いたのだと考えられる。
・任の命拒否は違憲かつ違法である。
 第一に、任命拒否は学術会議の独立性を侵害し、憲法の定める「学問の自由」を破壊す
 るものだ。 
・第二次世界大戦以前の日本の学術が政治に従属した結果、戦争遂行の手段にされてしま
 ったという教訓から、学問の自由を支える組織的な基盤として、それゆえ政府から独立
 した自律的な国家機関として日本学術会議を設置したのである。
 今回の任命拒否は、こうした学術会議の独立性を拒否し、学術を政治に従属させるため
 にその人事に手を出したものと言わざるを得ない。
・個人的な自由は、思想信条の自由や表現の自由に含まれるのに対して、「学問の自由」
 は、学問を担う人たちが自分たちのやってよいことと許されないことを決める自律の上
 に成り立つ自由なのである。
 憲法上の権利として保障される個人の自由ではなく、専門家の自律的な判断によって、
 その範囲や方法が決められる自由なのである。
・第二に、任命拒否は、学術会議に委ねられた会員の選考権限を拒否した点で違法である。
 日本学術会議法には、学術会議が会員候補者を選考・推薦し、内閣総理大臣がこの推薦
 に基づいて任命すべきことを定めている。  
・「推薦なのだから、その名簿に載っている人を外しても違法とまではいえないのではな
 いか」という俗論がある。
 官邸(内閣府)と内閣法制局が2018年に作成した内部文書も同様の見解をとってい
 るが、これは法令を無視したものである。
・第三に、この拒否は手続上も違法である。
 菅首相は、記者会見で「今回の任命の決定にあたって学術会議から提出された推薦名簿
 を見ていない」と明言した。 
 そうだとすると、今回の任命拒否は学術会議からの推薦名簿に基づいていないことにな
 り、違法だということになる。
 おそらく「自分は名簿を見ていないのだから、説明する責任はない」と言い逃れをしよ
 うとしたのであろう。 
・後日の国会答弁で、首相は「官房副長官から説明を受けていた」と言いつくろったので
 あるが、結局、「加藤氏以外の五人については、名前も研究業績も知らない」というの
 であるから、任命責任の基本的な前提が欠けていたことになり、その違法性は明白であ
 る。
・記者会見などで拒否理由の説明を求められた菅首相は、「総合的・俯瞰的」という言葉
 を唐突に用いるようになった。
 この言葉は2003年の総合学術会議の答申が用いたもので、今後の学術会議の活動が
 ”全学問分野を見渡す視点に基づいて行われるべきだ”ということである
 会員候補者の選考に際して学術会議自身がこうした観点を含めて選考を行ったのである
 から、「総合的・俯瞰的」な観点を根拠として首相がその選考を覆すことはできない。
・答えに窮した菅首相は、臨時国会では、「会員の多様性の確保のためだ」との説明を始
 めた。 
 しかし、六名の任命拒否は、閑斎地域の候補者の排除、女性排除、私立大所属者の排除、
 若手排除なので、かえって多様性を否定する結果となっている。
・すると今度は、「前例を踏襲するべきではないと考えたからだ」「既得権益を打破する
 ためだ」などと言い出した。
 しかし、これは違法行為を正当化する理由にはなりえない。
 会員の任命は「前例」ではなく法令に基づいて行われてきたのであるから、踏襲しなけ
 れば違法である。
 また、学術会議会員に「既得権益」と呼べるようなものは何もなく、首相が「打破」し
 たのは学術会議の正常な運営であった。
・最後には、「人事に関することなので答えられない」「個別の案件には答えられない」
 「答えられることと答えられないことがあるんじゃないでしょうか」と言って逃げるだ
 けになってしまった。 
 しかし、説明が求められているのは「人事に関すること」ではなく、任命拒否の判断基
 準であるので「答えられること」である。
 
・なぜ今回、政府は学術会議の人事に介入しようとしたのであろうか。
 歴史学者の加藤陽子氏は、今回の任命拒否問題の核心には、政府側が人文・社会科学を
 「科学技術・イノベーションの振興」という国家的な戦略に組み込もうとする動機があ
 ると指摘している。
・元学術会議第一部長で法学者の小森田秋夫氏は、これに加えて、官邸による人事支配の
 拡大という背景があることを指摘している。
・2012年に成立した第二次安倍政権は、政治権力の暴走を抑制するしくみを人事支配
 の拡大によって破壊してきた。
 ・内閣法制局経験のない外交官をその長官に任命するという慣行無視の人事
 ・人事院の権限の削除(中央省庁の幹部人事の支配)
 ・最高裁判官候補者の名簿差替えの要求
 ・日本銀行やNHKの人事への介入
・対象とされたのはいずれも、政府の施策に対する批判を含めて政府から独立した立場で
 見解を示さなければならない機関であるが、従前の慣行を無視して、その人事が政府へ
 の従属の手段として用いられようになってしまった。
・学術会議の場合には、学術会議法の歯止めがあるにもかかわらず、今回の任命拒否によ
 って政府はこれを破壊しようとしているのである。
・そして、公文書官吏については、森友・加計・桜などの事件で、文書の陰蔽、改ざん、
 廃棄などが官邸の指示の下で行われた。
 政治が行政を支配下に組み入れ、さらに社会団体と学術まで支配をおよぼそうとしてい
 るのが現状だといえる。   
・このような動きと並行して、全国の国公立大学が人事を通じて政府に従属する事態が進
 んでいる。
 学外委員が半数を占める学長選考会議によって、その意向を体するような者が学長とさ
 れ、大学運営がトップダウン型に変質しつつある。
 そうした中で、大学にとって必須の自治的な意思決定は抑圧され、運営の中枢を握った
 これらの者によって大学の「私物化」が進行しているのである。
 
・一方、「イノベーションの創出」は、各国共通の課題でもある。
 人々の社会的な関係がグローバル化する中で、世界各国は、”国家のいわば生き残り戦
 略”として企業活動に対する規制を緩和して、人間の生活・生存の基盤そのものを利潤
 追求の対象に組み込む施策をとるようになった。いわゆる「新自由主義」である。
・しかし、「イノベーションの創出」が結局は人間の生活基盤を利潤追求の対象にするも
 のであるとすると、人々はさまざまな形でこれに抵抗せざるをえない。
 消費者運動や環境保護運動、社会保障施策を求める運動、ジェンダー平等や性の自己決
 定の尊重を求める運動、世界規模での公正な取引と労働者保護を求める運動なのである。 
 少子化や過労死、あるいは難民問題への対応策も、こうした脈絡の中で考えなければな
 らないだろう。
・それを国家の側からコントロールしようとすれば、学術への政治の介入は必然となる。
 近年の世界の国々において「法の支配」が経済社会に対しては機能しているものの、
 政治・行政に対して機能しなくなりつつあることは、これと軌を一にしている。
・学術への政治の介入は、現実にはイノベーションをかえって押しつぶしてしまう結果を
 もたらす。 
・”選択と集中”という介入の方法が用いられる場合でも、本当に新規なものは選択の枠か
 ら外れることがほとんどなので、学術のなかで試みられなくなってしまい、新規なもの
 は生まれない結果となる。
・こうした状態を打開する途は、国策のための学術の管理や、”選択と集中”ではなく、
 人類社会と将来世代のための貢献・寄与、という途だろう。
 自由な発想と世界に開かれた学術のあり方こそが、真の意味での「イノベーションの創
 出」につながるのである。

・任命拒否をめぐっては、公正さの外観の代わりに行政組織内部の問題という外観によっ
 て、社会からの反発が抑えられている。
 つまり、政府はこの問題に特別職国家公務員の任用問題および行政機関の組織改革問題
 という外観を与えることにより、学術への介入を正当化しようとしているのである。
・加えて、政府は、学術会議をあたかも政策決定機関であるかのように演出することによ
 って、学術への介入であることを覆い隠そうとしていると思われる。
・個人を引き立ててみせしめにする構造には、学術を担う人々に対して委縮効果を生じさ
 せるだけではなく、介入の原因が個人の側にあるかのような誤解を生じさせることも可
 能である。
 こうした誤解の結果、報道関係者らは任命拒否の対象者に対して「任命拒否に心当たり
 はあるか」と質問するように仕向けられたのである。

・2021年4月、法学者と弁護士1162名は、内閣官房と内閣府に対して任命拒否の
 根拠等に関する情報公開を請求した。
 また同日、任命拒否の対象とされた6名もこれらの機関に対して任命手続に関わる自己
 情報の開示を請求した。 
・情報公開請求に対して、内閣官房は「文書不存在」、内閣府は一部の事務文書を黒塗り
 で開示したものの根拠に関しては「文書不存在」という理由で不開示の決定を行なった。
 また自己情報開示請求に対して、内閣官房は同じく「文書不存在」、内閣府は「存否応
 答拒否」という理由で不開示の決定を行なった。
・内閣官房は「文書不存在」と決定したが、
 「外すべき者(副長官から)R2.9.24)」と手書きされた文書から明らかなとお
 り、内閣官房副長官が任命拒否に関わる文書を取得して、使用していたことじゃ確実で
 ある。 
 この副長官は、おそらく105名の会員候補者全員を調べた上で、「外すべき者」を選
 び出したのである。

・審議会は、単に専門家の知見を政治の場で活用するという役割だけでなく、その知見を
 基準として政治の場での判断を検証するという役割も担っている。
 また、専門の立場を通して市民を代表するという役割も期待されている。
・したがって、審議会などへの専門家の選任にあたっては、その基準と手続きを明確化す
 ることが必要であろう。 
・今回の学術会議会員の任命拒否は、明確な基準と法定の手続きに基づく選任を恣意的に
 よって覆すものであり、この点でも許されないものである。
 
現代日本と軍事研究(日本学術会議で何が議論されたか)加藤陽子
・日本学術会議任命拒否事件。図らずも筆者は任命されなかった六人のうちの一人となっ
 た。
・筆者は主として次の二点を新聞に寄稿した。
 @首相が学術会議の推薦名簿の一部を拒否するという前例のない決定を何故したのか。
  この決定の背景を説明できる決裁文書は存在するのか。
 Aもし仮に、最終盤で「止めた政治主体」がいるならば、その行為は「任命」に関して
  の裁量権の範囲を超えた対応だ。
・「止めた政治主体」は「杉田和博」内閣官房副長官であった。
・2017年3月に学術会議が幹事会決定として発表した「軍事的安全保障研究に関する
 声明」に問題の根幹があるとする見方がある。
・2020年10月に下村博文自民党政調会長がインタビューで「軍事研究否定なら行政
 機関から外れるべきだ」と語っていたことも想起されよう。
 先のインタビューで下村氏は2017年声明を「軍事研究」を否定したものとして理解
 していた。  
・2017年の声明の内容はいかなるものだったのだろうか。五連からなる。
 ・第一連:学術会議が1950年に「戦争を目的とする科学の研究は絶対にこれを行わ
      ない」とし、67年に「軍事目的のための科学研究は行わない声明」を発し
      た経緯を思い、「大学等の研究機関における軍事的安全保障研究、すなわち、
      軍事的な手段による国家の安全保障にかかわる研究が、学問の自由及び学術
      の健全な発展と緊張関係にある」ことを確認し、過去の二つの声明を継承す
      る。
 ・第二連:科学者コミュニティにとっては、研究の自主性・自律性・公開性を担保した
      健全な発展が最も重要だが、この点で軍事的安全保障研究には、政府による
      研究活動への介入の懸念がある。
 ・第三連:防衛装備庁の「安全保障技術研究推進制度」は、政府による研究への介入と
      いう点で問題が多い。研究の自主性・自律性・公開性を尊重した民生分野の
      研究資金の一層の充実こそ求めるべきだ。
 ・第四連:大学等の各研究機関は、軍事的安全保障研究と見なされる可能性のある研究
      について、その適切性を目的・方法・応用の妥当性という観点から、技術的
      ・倫理的に審査する制度を設けるべきだ。また学協会等において、学術分野
      の性格に応じたガイドライン等を設定することも必要だ
 ・第五連:研究の適切性をめぐっては、科学者・各研究機関・学協会・科学者コミュニ
      ティが、社会と共に真摯な議論を続ける必要がある。科学者を代表する機関
      としての学術会議は、議論に資する視点と知見を提供するよう率先して検討
      を進めたい。

・学術会議が「誰を代表しているのか」、その正当性はどこにあるのかという問題
 選挙ではない会員選出方法をとる現在の学術会議で声明を出す場合の正当性、また産業
 界に多い研究者をも包含する代表性は、いかに獲得されるべきなのかが問われた。
・学術会議が科学アカデミーとして代表性を獲得しているのは、「他にいかなる組織とも
 違う構成原理に基づいている」からだと「吉川弘之」学術会議元会長はいう。
 そして、その構成原理は、
 @同等性
 A自律性
 B透明性
 C包含性・多様性
 D学術の俯瞰性
 E開放性
 F規範性
 G組織の記憶
 の八項目によって支えられているとした。
・日本学術会議というのは、科学者の社会における代表なんです。科学者の代表ではなく
 て、社会における全科学者の責任を集約する一つの主体だというふうに考えるべきだと
 いう。 
  
反憲法政治の転換を小沢隆一
・私を含む六名の学術会議会員への任命を拒否した菅義偉前首相は、内閣支持率が低迷す
 る中、2021年9月に自民党総裁選への不出馬を表明し、政権を投げ出しました。
 私たちへの任命拒否に始まり、憲法53条に基づく野党の臨時国会召集要求を拒否した
 まま政権投げ出しは、この政権が、徹頭徹尾、憲法と世論に背を向けて政治を進めてき
 たことを象徴しています。
・「コロナ対策に全力をあげる」などと言っても、人々の命とくらしを守るための展望を
 示さない以上、何らの説得力もありませんでした。
 安倍政権時を含め人事権を駆使しながらの憲法破壊や法治主義の歪曲、権力の私物化の
 行き着いた先が、党役員人事の手詰まりによる「降板」とはなんとも皮肉なものです。
・その後、岸田政権内閣が成立しました。
 その岸田氏は、総裁選のさなかに、早々と「任命拒否を撤回しない」との見解を表明し、
 内閣発足後もその態度を継続しています。
・私たちに対する任命拒否は、日本国憲法が保障する学問の自由を大きく損ねるとともに、
 会員の任命の手続きを定めた日本学術会議法に反する違法なものです。
・学術会議は国費によって運営される国の特別の機関として設立されました。
 その目的は、「わが国の科学者の内外に対する代表機関として、科学の向上発達を図り、
 行政、産業及び国民生活に科学を反映浸透させること」とされ、
 日本学術会議は、独立して・・・職務を行う」と、独立性を明記することによって、
 学問の自由に基づいた学術研究の成果をもちより、政治権力に左右されない独立の活動
 によって、政府と社会に対して政策提言を行なうことをその職務とすることになりまし
 た。   
・菅前首相は、私たち6名の任命を拒否した際に、会員の学問の自由の侵害には当たらな
 い、学術会議の独立性を侵すものではないとしましたが、これは、学問の自由の意義を
 見誤るものです。
・菅政権や自民党は、今回の任命拒否問題を契機としつつ、それを「棚上げ」して、学術
 会議のあり方に介入しようとしました。
 岸田政権においても、この点での動きに警戒が必要です。
・菅前首相による私を含む学術会議会員候補6名の任命拒否は、国会審議などを通じて、
 その道理のなさが浮き彫りになってきました。
 菅前首相は、国会での答弁で、任命拒否の理由として、「民間出身者や若手が少ない」、
 「出身や大学に偏りがみられる」などと言い出しましたが、これらは、学術会議自体の
 この間の改革努力によって、是正されてきているのです。菅前首相がなぜか口にしない
 会員の男女比もしかりです。  
・支離滅裂な理由を次々と持ち出す菅前首相の態度は、法治主義に反するものであり、
 議会制民主主義を愚弄するものとして断じて許されません。
・菅前首相は、国民固有の見地とされている「公務員の選定・罷免権」を持ち出して自己
 の任命拒否の正当化をはかっています。 
 この国民固有の権利の具体化は、国民を代表する国会の権利であり、その国会が定めた
 日本学術会議法は、会員の選定・罷免の実質的決定を学術会議に委ねています。
 首相にはこの法律を「誠実に執行」する義務があります。
・今回の任命拒否は、これまで「首相の任命権は形式的なもの」、「任命拒否は想定され
 ていない」と説明してきたものを、「学術会議の推薦のとおりに任命する義務はない」
 と勝手に法解釈を変更して行ったものです。
・学術会の会員人事への介入は、安倍政権時から画策されてきました。
 そして、憲法解釈、法解釈の勝手な変更による政治の暴走、人事権の行使による強権支
 配は、安倍政権下で際立ってきました。
 それは、2015年の安保法制の強行、その前年の集団的自衛権容認の閣議決定、それ
 に先立つ内閣法制局長官人事によって先鞭がつけられました。
 そして今、「攻撃的兵器は持たない」とする従来の政府方針をかなぐり捨てて、
 「敵基地攻撃能力」の保持が狙われています。
・法の支配の破壊と人事権を使った強権支配は、平和と民主主義、そして憲法にとって重
 大な脅威となっているのです。  
 今回の各術会議会員の任命拒否問題を、こうした安倍政権から菅政権へと引き継がれた
 反憲法的政治のなかに位置づけることが必要です。
・2021年10月開催された国家安全保障会議で、岸田首相は、「防衛力の強化に向け
 て敵基地攻撃能力の保有も含め、検討するように指示」しました。
 学術会議の会員任命問題への姿勢を含め、岸田政権は、安倍政権から菅政権の反憲法政
 治を引き継ぐ姿勢が顕著です。
・学問の自由を侵害する憲法違反の政治から、憲法に基づく政治への転換が求められてい
 ます。 

日本学術会議会員任命拒否事件の現段階松宮孝明
・2020年10月、当時の菅政権は、105名の任命を義務づける法規定に反して、
 日本学術会議の新会員を99名しか任命しなかった。
 この「日本学術会議会員任命拒否事件」からほぼ1年が過ぎたとき、この違法状態を作
 り出し放置した菅政権が倒れ、2021年10月に岸田政権が発足した。
・その岸田政権では、同年10月に「松野博一」官房長官が記者会見において、そして岸
 田文雄総理大臣が国会答弁において、この「任命拒否事件」は菅義偉前総理大臣が最終
 判断したものだとして任命に関する一連の手続きは終了しているという認識を示した。
・このことによって、岸田政権は菅政権が作った違法状態を継続させ続けているのである。
 しかも会員の任期が6年であることから、「手続きは終了」どころか、この問題は最長
 で2026年まで継続し得ることになる。
・ところで、任命拒否を正当化するために持ち出された法解釈は、驚くべきものであった。
 それは、内閣老リ大臣は国民の代表からなら国会の指名を受け、内閣を代表しており、
 その内閣は行政権を掌理するのであるから、内閣総理大臣は会員の任命権者として学術
 会議に人事を通じて一定の監督権を行使でき、また公務員の選定・罷免権は国民の権利
 であるから、任命権者である内閣総理大臣は、日本学術会議法による推薦通りに任命す
 べき義務があるとまでは言えない、というのである。
・憲法の条文をきちんと読めば、憲法15条1項は「あらゆる公務員の終局的任免権が国
 民にあるという国民主権の原理を表明したもの」にすぎないことが明らかである。
 これは、どの憲法の教科書にも書いてあることである。
 憲法15条1項は、決して、内閣総理大臣は自分が任命する公務員を好き勝手に選べる
 ことを根拠づける規定ではない。
・このような問題を理解しないで憲法15条1項を公務員選任の「一般条項」、つまり具
 体的な内容を持たない要件を定めた規定として用い、意に沿わない公務員は任命しない
 とか、やめさせるといった態度を政権が採り続けるなら、さらに懸念すべきことが浮上
 する。 
・というのも、形式上内閣総理大臣ないし内閣が任命する役職は、学術会議の会員にかぎ
 らず、多数あるからである。
 一般の裁判官も、裁判所の名簿にもとづいて内閣が任命する。
 そこで、このような「一般条項」を持ち出したら、裁判官についても自分たちの意向に
 沿った人間でないと任命しないということもできることになる。 
・ちなみに、検事総長については、2020年5月に、政権の威光に沿った人物を任命す
 るための検察官法の歪曲が、世論の厳しい批判を受けて頓挫したことは、記憶に新しい。
 その後、国家公務員法、検察庁法の改正は、内閣の裁量による定年延長を否定している。
・形式的には文科大臣が任命する国立大学の学長についても、同じ懸念がある。
 それは、学長の権限強化と一体になって、大学の運営を独裁的なものにする恐れがある
 からである。 
 現に、旭川医大では、独断専行の上、数々の不祥事を起こしたとされる学長に対し、学
 長選考会議が数々の問題行動を認定し、文科大臣に解任を申し出たと報じられている。
・このような「一般条項」を持ち出すのは、公務員の人事を通じて全権を内閣総理大臣に
 集めると言っているのに等しい。 
 このような解釈は、ナチスドイツの全権委任法にしてしまうものである。
 これは民主主義および法治国家の危機でもある。
・ちなみに、昨今は、コロナ禍に対する政権側の対応の不備を、憲法に緊急事態条項がな
 いせいにする論調が聞かれる。
 しかし、緊急事態条項は、ワイマール憲法下のドイツにいて、まさに全権委任法を制定
 する根拠となったものである。

・他方、「任命拒否事件」の背景には、政権による一貫した学術軽視の姿勢があるとみて
 いる。
・2020年10月に6名の任命拒否が明らかになったあと、学術界だけでなく、法曹界、
 映画界、文藝・芸術界などから、政府および総理の対応を批判する大きな声があがった。
 しかし、それでも当時の菅総理は、菅総理の下にはすでに6名を除外した名簿しか届い
 ていなかったのに、「総合的・俯瞰的」に判断したとか、加藤陽子氏という女性候補者
 も排除しつつ、女性比率が低いとか、特別の大学への偏りがあるとかいった理由になら
 ない理由を挙げた。
・しかし、他方で菅総理は、排除された6人の会員候補のことは名前もほとんど知らなか
 ったと述べているのである。
 このように、菅総理は自己矛盾の答弁を繰り返すだけで、批判の声を受けてその態度を
 改めようとしなかった。
 
・1950年の「戦争を目的とする科学の研究には絶対従わない決意の表明(声明)」に
 見られるように、学術会議は、その創立のときから、研究者が軍事研究を強いられたと
 いう戦争の反省のうえに立って作られた組織である。
 筆者には、軍事研究に反対するのは、この会議の思想的存立基盤のように思われる。
 その理由は、日本では科学者がみな戦争に動員されたという苦い経験にもあるが、あわ
 せて、軍事研究に突っ込んでいくと、科学者自身が悲劇にまきこまれるということもあ
 ると思う。
・ところで、最近は「敵基地攻撃能力」という言葉が盛んに聞かれるようになった。
 米中の対立の中でアメリカと軍事同盟を結んでいる日本では、緊張関係のいかんによっ
 て大学も含め、総力を挙げて軍事研究をせよということかもしれない。
 2017年の学術会議「軍事的安全保障研究に関する声明」は、日本の科学技術の軍事
 に総動員したいと思っている、今の政権には、目障りな存在なのかもしれない。
・「任命拒否事件」の論点ずらしであろうか。
 この「事件」の後追いをするかのように、政府や自民党の中で「学術会議のあり方」が
 論じられるようになってきた。 

・学問の自由にとっては、「何を学問するか」は現場に任せた方がよい。
 後に大きな成果をあげる研究というものは、最初はどんな成果につながるかわからない
 ことが多い。
・ところが、今の日本の科学技術政策は、そうではなくて、何を研究するかを上から判断
 する「選択と集中」路線を突き進んでいる。
 「選択と集中」に象徴される国、文科省、CSTIの政策に、地方国立大をはじめとし
 て、わが国の大学はあえいでいる。
・それにもかかわらず、自民党元幹事長の甘利明氏は、「日本の大学のランクは落ちてい
 る。国の補助金を待っているだけの受け身の大学ばかりだからだ」「その改革をすると
 ころには研究費を積み増す」という発言をした。
 これは、研究というものをあまりわかっていない発言である。
 実は、少額を幅広く配分する研究種目のほうが、論文数および高注目度論文数は高い。
  
ポスト真実の政治状況と人文知芦名定道
・「ポスト真実」という言葉は、ドナルド・トランプ米・前大統領ら右翼ポピュリストと
 言われる政治家の影響が拡大し、フェイクニュースの氾濫によって、現代政治の言説に
 おいて真実と虚偽との境界線がきわめてあいまいなものとなった事態を表現する言葉と
 して登場した。
・それは、「世論の形成において、客観的な事実よりも感情や個人的な思い込みへの訴え
 がけのほうが影響力を発揮している状況」を意味する。
・つまり、「ポスト真実」とは「客観的な事実」の危機、すなわち民主主義の危機にほか
 ならない。  
 なぜなら、「嘘は、客観的事実だけでなく、道徳や人権への意識も弱体化させます。嘘
 が公共圏に広がると、民主主義の条件は破壊され、全体主義の運動の台頭につながる」
 からである。
・2020年10月に、日本学術会議推薦の6名の会員任命拒否が発覚してからしばらく
 の間、デマに継ぐデマ、ウソに継ぐウソが、有力政治家、マスメディアの解説者、評論
 家(専門家)から飛び出した。
 「日本学術会議は中国の軍事研究に協力している」
 「アメリカやイギリスでは学術団体は政府から財政支援を受けていない」
 「学術会議会員になると年金がもらえる」
 「学術会議は2007年以降、政府に答申を出しておらず活動が見えない」
 などなど。
 まともな討論を回避して説明責任を果たさないのも「ポスト真実」の典型である。
・日本学術会議問題は、現代日本が置かれた政治状況、つまり、顕在化した「ポスト真実」
 というべき事態を映し出している。
 それは、新型コロナウイルス感染拡大に対する政府の対応にも現れている。
 もちろん、この点における評価は様々であると思われるが、政府のコロナ対策から、
 現代社会において真実・事実の把握がいかに困難であるかを痛感した人は決して少なく
 ないだろう。 
・ウソをつきそれを開き直り、説明を拒否する政治は、全体主義への道、ナチズムに見た
 ものである。
 また、事実こそが民主主義の基盤であるとすれば、日本学術会議問題は日本の民主主義
 が危険水域に入りつつある、ということにほかならない。
・真実が語らられないところで、どうして正常な投票行動が可能だろうか。
 自己責任を語るのならば、その前提である情報公開をまじめに行うべきだろう。
  
・「アメリカやイギリスでは学術団体は政府から財政的援助を受けていない(のに、日本
 学術会議は多くの税金を使っている)」
 「学術会議会員になると年金がもらえる」
 「学術会議は2007年以降、政府に答申を出しておらず活動が見えない」
 といったデマ・ウソは、日本学術会議が無駄な税金を使っており、会員は仕事もしない
 のに経済的に優遇されているという主張を含意している。
・これらのデマのうちたとえば、「アメリカやイギリスでは学術団体は政府から財政的支
 援を受けていない」については、次のような欧米のアカデミーの事例が指摘されねばな
 らない。
 「歴史ある英国ロイヤル・ソサエティが公開している財務表をみると、一見、国費が投
 入されていないようにみえる。しかし詳しく確認すると、全収入のうち9割が実質上は
 政府機関からの助成金で構成されていることがわかる。やはりアメリカの事例を含め、
 おおよそ6割から8割近くが政府からの助成と考えてよさそうだ」
・また、「日本学術会議は中国の軍事研究に協力している」とのデマは、日本学術会議は
 仕事をさぼっているだけでなく、実は政治的に危険な存在であるとのメッセージを含意
 するものであろう。
 そこには中国をめぐる政治的意図が現れている。
 「ポスト真実」の政治状況下では、デマはでたらめに発生するのではなく、そこには意
 図が隠されている。 
 それで利益を得る人は別に存在するはずである。
 
・次に問題にしたいのは、任命拒否を行ったにもかかわらず、その実質的な説明を拒否し
 ている政権である。
 日本学術会議法に照らした任命拒否の違法性、あるいは違憲性は別にしても、「ポスト
 真実」の政治状況の混迷を深めた責任は小さくない。
・政治が説明責任を果たさない中で、マスメディアをはじめ、一般には、「6名が例外な
 く安保法制や特定秘密保護法、共謀罪法案などの安倍政権下の政策に異議を唱えた人物
 であることから、政権批判を問題視したのではないか」と推測されているようだ。
・これは、真実の一端を捉えていると言うべきだろう。
 確かに、6名それぞれの主義主張が問題にされたというのは、その通りかもしれない。
 しかし、それがこの問題の核心であろうか。
・おそらく、日本学術会議問題の核心に迫る手がかりは、問題とされたのが6名の主義主
 張というよりも、日本学術会議自体にあった点に認められる。
 それは、今回の任命拒否が突然起こったものではなく、すでに進行中であった事態、た
 とえば、2016年会員の補充人事の際に、官邸は候補者3名のうち2名に難色を示し、
 2017年秋まで3名欠員の状況であったことからもうかがい知ることができよう。
・20世紀末から今日に至る日本の歴代政権は、軍事研究が日本の将来の浮沈に関わると
 判断を下したのではないだろうか。
 なぜなら、一連の動きをめぐる政権の判断は、軍事研究をめざす強い意志がうかがえる
 からである。それは憲法改正の問題とも連動している。

政治と学問、そして民主主義をめぐる対話宇野重規
・任命しない理由を説明する責任は内閣にある。
 その内閣が明確な理由を示さないのに、こちらであれが理由だろう、これが理由かもし
 れないといっても意味はないだろう。
 それどころか、有害ですらあると思う。
・それは、「忖度」につながるから。
 こんなことを言ったからいけないんだ、そんなことをすれば任命を拒否される理由にな
 るんだ、とみんなが思えば、他の研究者にとって委縮効果を持つ。
 政府の見解と違うことをいえば、後でトラブルになると思えば、誰も批判的な意見を口
 にしなくなる。 
・そういう意味では、政府は理由をはっきり示さないほうが効果的なのかもしれないね。
 みんな疑心暗鬼になって、勝手に「忖度」をするようになるから。
・もちろん、学問の自由にとっても深刻な影響がある。
 研究者は自分の専門に対しては忠実であるべきだけれど、何かに忖度して発言をするよ
 うになれば、それは学問への冒涜になる。
 仮に時の政権とは異なる見解であっても、自らの学問的信念に基づいて、発言すべきこ
 とは発言すべきだと思う。 
・民主主義にとっても、多様な意見が重要だと思う。
 どんなに正しくても一人の独裁者に政治をすべて委ねるのではなく、多くの人が発言す
 るのが民主主義の真骨頂だと思う。
 批判に開かれ、多様な意見が認められるからこそ、一時的に世論が判断を誤っても、時
 間がたてば振り子のように自己修復できる。
・逆に権力の側もまた、特定の考えを正しいとし、それ以外の考えを否定することは、厳
 に慎まなければならない。
 今回の任命問題についても、自分たちの基準で研究者のあり方を一方的に裁断すること
 は許されないと思う。 
・民主政治の下でも、やはり質の高い統治は必要だ。
 なぜそのような政策を採用したか国民に理解できるように説明すること、それが間違っ
 た場合に責任を取ること、国民の多様な声にしっかりと応答すること。
 これは民主政治のリーダーにも同様に求められる。
・民主主義の土台にあるのは「政治」だ。
 「政治」にとって大切なのは、公開による透明性だ。
 みんなに関わることは、力による強制や利益誘導ではなく、公の場所でみんなできちん
 と議論して決める。この原則がまず重要だ。
・日本の政治改革だって、一部の官僚や族議員たちが裏ですべて決めてしまい、国会の場
 ではその結論だけが承認されるという事態を克服しようとしたものだったはずだ。
・きちんとした「政治」があって、初めてその上に「民主主義」が成り立つ。
 大切なのは、政治的意思決定の場から排除された人々が声を上げて、参加を拡大してい
 くことだ。  
 参加があるからこそ、政治を自分のものとして感じられる。
 何を言っても無駄だとみんなが思えば、民主主義は死んでしまう。
・でも残念ながら、外から見ていると、日本の現実はその逆を行っているように思えてな
 らない。  
 政治的決定をしているのは、権力を持った一部の高齢男性であり、女性や若者、そして
 日本に暮らす外国人の声が政治に反映しているとは、とても思えない。
・東京五輪・パラリンピックの組織委員長だった「森喜朗」元首相の発言に対し、「わき
 まえない女」という言葉がSNSで飛び交った。
 権力を持った人たちにとって耳の痛い発言は控えるのが「わきまえる」ということなら、
 それは少数派の意見の排除に他ならない。
 何か日本の現状を象徴する出来事だった。
  
・何か今の日本では「責任」というと、とても嫌な言葉だよね。
 でも、社会の一隅であっても、そこに主体的に関わり、自分自身で参加して決めたこと
 だからきちんと責任を取るというのは、けっして悪いことばかりではないと思う。
・自分はこの社会から排除されているし、自分の居場所なんてどこにもない。
 だから責任も取りようがない。
 もし多くの人がそう思っているなら、そのような社会は健全ではない。
 民主主義が機能しているとも思えない。
 それぞれの人が、それぞれの仕方で社会に関わり、自分なりの生き方をしていける社会、
 それが民主主義の社会だ。