置かれた場所で咲きなさい :渡辺和子

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この本は、2012年に発売され、ベストセラーとなったようだ。当時、新聞などの広告
にも頻繁に登場したので、私もこの本の存在は知ってはいたのだが、今まで読んだことは
なかった。
それが、前に読んだ「昭和の怪物 七つの謎」(保阪正康著)という本や、最近読んだ
玄冬の門」(五木寛之著)で取り上げられており、特に「玄冬の門」では、この本のタ
イトルをもじった「置かれた場所で散りなさい」という言葉に感動し、この本を読んでみ
たくなり手に取った。
この本の著者は、昭和11年(1936年)2月26日に当時の陸軍青年将校らが起こし
たクーデター「二・二六事件」で殺害された当時陸軍教育総監だった渡辺錠太郎氏の愛娘
だということで、そういう関係からも大きな話題となったようだ。
著者は、36歳という異例の若さで、岡山のノートルダム清心女子大学の学長になった。
しかも同大学における初の日本人学長ということも重なり、古参職員らからはたいへんな
反発に合って、たいへんな苦労を経験したようだ。
もちろん、本人は希望して学長になったわけではなかったわけで、本人の意志とは無関係
に、まさに学長という立場に「置かれて」しまったわけだ。そんな経験の中から出てきた
のがこの「置かれた場所で咲きなさい」という言葉だったようだ。
「置かれた場所で咲きなさい」そして「置かれた場所で散りなさい」この二つの言葉で、
人生に対する心構えが、すべて言い尽くされているのではないか。私はそんな気がした。


はじめに
・置かれたところで自分らしく生きていれば、必ず「見守っていてくださる方がいる」と
 いう安心感が、波立つ心を鎮めてくれるのです。
・咲けない日はあります。その時は、根を下へ下へと降ろしましょう。
 
自分自身に語りかける
・私は三十歳間際で修道院に入ることを決意し、その後、修道会の命令で修練のためアメ
 リカに行き、修練終了後、再び命令で学位を取り、三十五歳で日本に戻りました。次の
 命令で岡山のノートルダム清心女子大学に派遣され、その翌年、二代目学長の急逝を受
 けて思いがけない三代目の学長に任命されました。三十六歳でした。
・東京で育った私にとって、岡山はまったく未知の土地であり、さらにこの大学は、初代
 も二代目もアメリカ人の七十代後半の方が学長を務めていました。その大学の卒業生で
 もなく、前任者たちの半分の年齢にも満たない私が学長になったのですから、周囲もさ
 ることながら、私自身、驚きと困惑の渦中にいました。
・初めての土地、思いがけない役職、未経験の事柄の連続、それは私が当初考えていた修
 道生活とは、あまりにもかけ離れていて、わたしはいつの間にか”くれない族”になって
 いました。「あいさつをしてくれない」こんなに苦労しているのに「ねぎらってくれな
 い」「わかってくれない」
・自信を喪失し、修道院を出ようかとまで思いつめた私に、一人の修道師が一つの短い英
 語の詩を渡してくれました。その詩の冒頭の一行、それが「置かれたところで咲きなさ
 い」という言葉だったのです。
・私は変わりました。そうだ。置かれた場に不平不満を持ち、他人の出方で幸せになった
 り不幸になったりしては、私は環境の奴隷でしかない。人間と生まれたからには、どん
 なところに置かれても、そこで環境の主人となり自分の花を咲かせようと、決心するこ
 とができました。
・いただいた詩は、「置かれたところで咲きなさい」の後に続けて、こう書かれていまし
 た。
 「咲くということは、仕方がないと諦めることではありません。それは自分が笑顔で幸
 せに生き、周囲の人々も幸せにすることによって、神が、あなたをここにお植えになっ
 たのは間違いでなかったと、証明することなのです」
・結婚しても、就職しても、子育てをしても、「こんなはずじゃなかった」と思うことが、
 次から次に出てきます。そんな時でも、その状況の中で「咲く」努力をしてほしいので
 す。 
・どうしても咲けない時もあります。そんな時には無理に咲かなくてもいい。その代わり、
 根を下へ下へと降ろして、根を張るのです。次に咲く花が、より大きく、美しいものと
 なるために。
・「置かれたところ」は、つらい立場、理不尽、不条理な仕打ち、憎しみの的である時も
 あることでしょう。信じていた人の裏切りも、その一つです。
・人によっては、置かれたところがベッドの上ということもあり、歳を取って周囲から、
 ”役立たず”と思われ、片隅に追いやられていることさえあるかもしれません。そんな日
 にも咲く心を持ちつづけましょう。
・「私は、木を切るのに忙しくて、斧を見る暇がなかった」一人の実業家が、定年後に語
 ったというこの述懐を、私は自戒の言葉として受け止めています。寸暇を惜しんで、他
 人よりもよい木を、より速く、より多く切ることに専念したこの人が、仕事をしなくて
 よくなった時に見出したのは、刃がボロボロに欠けた斧でした。木を切る手を時に休め
 て、なぜ、斧をいたわってやらなかったかを悔んだ言葉でした。
・働きにおいては、大きな成果を挙げたとしても、木を切っていた斧である自分自身が、
 その間、心身ともにすり減っていたとしたら、本末転倒ではないでしょうか。
・「大言海」によれば、「ひま」はレジャーとしての暇ではなく、「日間」、日の光の射
 し込む間と記されています。私たちの心が、働くことでビッシリ詰まっている時、そこ
 には日の光が射し込む隙間はありません。忙しさには、字が示すように、心を亡ぼし、
 ゆとりを失わせる危険が伴います。
・「働き」そのものはすばらしくても、仕事の奴隷になってはいけない。
・八十五歳の今日に至るまで、数え切れない多くの失敗も重ねましたが、委ねるというこ
 とについても、多くを学びました。その一つは、委ねるに際しては、相手を信頼しなく
 てはいけないということでした。二つ目は、委ねるということは、決して、”丸投げ”す
 ることではなく、要所要所でチェックをして、委ねっぱなしでないことを相手にもわか
 らせるということ。そして最後に、一番大切なことは、委ねた結果がよかった時は、そ
 の人の功績にするけれども、結果が悪かった時は自分が悪者になることを恐れないとい
 うことです。
・「人生は学校で、そこにおいては、幸福よりも不幸のほうがよい教師だ」といった人が
 います。つまり、現状よりもよくなる状態を”発展”と呼ぶとすれば、少なくとも人生に
 おいては、順風満帆の生活からよりも、山あり、谷ありの人生、失敗もあれば挫折も味
 わう、苦労の多い人生から立ち上げる時のほうが、発展の可能性があるということなの
 です。
・人が生きていくということは、さまざまな悩みを抱えるということ。悩みのない人生な
 どあり得ないし、思うがままにならないのは当たり前のことです。もっといえば、悩む
 からこそ人間でいられる。
・ただし、悩みの中には、変えられないものと変えられるものがあります。
・もちろん、「受け入れる」ということは大変なことです。そこに行き着くまでには大き
 な葛藤があるでしょう。しかし、変えられないことをいつまでも悩んでいても仕方があ
 りません。前に進むためには、目の前にある現実をしっかりと受け入れ、ではどうする
 かということに思いを馳せること。悩みを受け入れながら歩いていく。そこにこそ人間
 としての生き方があるのです。
・今あなたが抱えているたくさんの悩み。それらを一度整理してみてください。変えられ
 ない現実はどうしようもない。無理に変えようとすれば、心は疲れ果ててしまう。なら
 ば、その悩みに対する心の持ちようを変えてみること。そうすることでたとえ悩みは消
 えなくとも、きっと生きる勇気が芽生えるはずですから。
・ちょっと暗いといっては不平をいい、自分以外の他の人が、明るくしてくれるはずだと
 考えがちな私たちに、「心のともしび運動」がかかげるモットー、「暗いと不平をいう
 よりも、進んであかりをつけましょう」は、大切な忘れ物を教えてくれています。それ
 は、幸せを他人まかせにしてはいけない、自分が積極的に動いて、初めて幸せを手に入
 れることができるのだという真理です。便利さを求め、面倒なことを嫌いがちな現代の
 忘れ物の一つは、自分が動くこと、そして世の中を明るくしてゆこうという積極性なの
 です。
・自分が明るく笑顔でいること。それは平和を世界にもたらす力となることです。

明日に向かって生きる
・まず考えるということ、次に感じる余裕を持ち、その後に行動という順序こそが、「一
 人格」としての生き方なのです。
・チャームポイントとしての笑顔から、他人への思いやりとしての笑顔、そしてさらには、
 自分自身の心との戦いとしての笑顔への転換は、ほほえむことのできない人への愛の笑
 顔であると同時に、相手の出方に左右されることなく、私の人生を笑顔で生きるという
 決意であり、主体性の表れとしての笑顔でした。そして、この転換は、私に二つの発見
 をもたらしてくれました。その一つは、物事がうまくいかない時に笑顔でいると、不思
 議と問題が解決することがあるということです。もう一つの発見は、自分自身との戦い
 の末に身についたほほえみには、他人の心を癒す力があるということです。
・人間の価値は、何ができるか、できないかだけにあるのではなく、一人のかけがいのな
 い「存在」として「大切」なのでり、「宝石」なのだ。
・宗教というものは、人生の穴をふさぐためにあるのではなくて、その穴から、開くまで
 は見えなかったものを見る勇気、励ましを与えてくれるものではないでしょうか。
・私が一番つらかったのは、五十歳になった時に開いた「うつ病」という穴でした。この
 病のつらさは、多分、罹った者でなければ、わからないでしょう。私は、自信を全く失
 い、死ぬことさえ考えました。信仰を得てから三十年あまり、修道生活を送って二十年
 が経つというのに。
・入院もし、投薬も受けましたが、苦しい二年間でした。その時に、一人のお医者様が、
 「この病気は信仰と無関係です」と慰めてくださり、もう一人のお医者様は、「運命は
 冷たいけれども、摂理は温かいものです」と教えてくださいました。この病気は、私が
 必要としている恵みをもたらす人生の穴と受けとめなさいということでした。そして私
 は、この穴なしには気付くことのなかった多くのことに気付いたのです。
・かくて病気という人生の穴は、それまで見ることのできなかった多くのものを、見せて
 くれました。それは、その時まで気付かなかった他人の優しさであり、自分の傲慢さで
 した。私は、この病によって、以前より優しくなりました。他人の弱さがわかるように
 なりました。
・目標を立てることは易しくても、達成への道のりは険しく、倒れることもあるでしょう。
 でも、歩き続けること、倒れたら立ち上がって、また歩き続けることが大切なのです。
 
美しく老いる
・老醜という言葉が示すように、とかく老人は醜く、弱々しく、哀れなものと考えられが
 ちです。特に今の日本のように、若さをよいもの、強さを望ましいものと考えがちな世
 の中には、それらの価値を喪失したものとして、老いを軽んじ侮る傾向があります。
・老いることが美しいとは、正直にいって思いません。ただ、確かに、若い時には考えて
 いなかった一日の重さ、かつて、できていたことが、できなくなった自分の弱さをいや
 というほど知って、他人に頭を下げる謙虚さを、いつしか身につけるようになりました。
・何かを失うということは、別の何かを得ることでもあります。若い時には、できたこと
 ができなくなる。それは悲しいことだけでは必ずしもなくて、新しい何かを創造してゆ
 くことなのです。今日より若なる日はありません。だから、今日という日を、私の一番
 若い日として輝いて生きてゆきましょう。
・自分らしく生きるということ、時間を大切に過ごし、自分を成長させていかなければな
 らないのだ。肉体的成長は終わっていても、人間的成長はいつまでも可能であり、すべ
 きことなのです。その際の成長とは、伸びてゆくよりも熟してゆくこと。不要な枝葉を
 切り落とし、身軽になること、意地や執着を捨ててすなおになること。他人の言葉に耳
 を傾けて謙虚になることなどが「成熟」の大切な特長でしょう。
・成長にも成熟にも、痛みを伴います。自我に死ぬことを求めるからです。一粒の麦と同
 じく、地に落ちて死んだ時のみ、そこから新しい生命が生まれ、自らも、その生命の中
 に生き続けるのです。
・一生の終わりに残るものは、我々が集めたこのではなく、我々が与えたものだ。
・悩みは、嫉妬に似ていると私は思います。初めは小さかった悩みも、そこにばかり目を
 やっていると、どんどん雪だるまのように膨らんでいく。そして、転がりながら小さな
 悩みさえもくっつけて、自分ではどうしようもないほどに大きくなっていく。そうなる
 前に、もう一度客観的に自分自身を眺めてみることです。これまで持っていたものを失
 う。それは悲しいことです。しかし失ったものばかりを嘆いていても前には進みません。
 ふがいない自分としっかり向き合い、そして仲よく生きていくことです。
・悩みとは人それぞれのもの。いくら相手に打ち明けたところで、全部をわかってもらう
 ことはできない。開いてから打ち明けられたとしても、わかってあげられないもどかし
 さを感じることがあります。結局、自分の悩みは、自分自身が向き合っていくしかない
 ように私は思います。そして言い尽くせない悩みは、自分ひとりでお墓まで持っていく。
 それもまた人生ではないでしょうか。
・人間は生きている限り、多くの悩みから逃れることはできません。その悩みは大小さま
 ざま。時が解決してくれるものもあれば、どんどん大きくなっていくものもあるかもし
 れません。それでも人は生きていかなくてはならない。絶望の中にも一筋の光を探しな
 がら、明日を生きていかなければなりません。
・神は決して、あなたの力に余る試練を与えない。いかなる悩みにも、きっと神さまは、
 試練に耐える力と、逃げ道を備えてくださっている。
・老いるということにおいて、一番大切な仕事は、ふがいなくなった自分を受け入れ、い
 つくしむということだと気付きました。してあげていた自分が、してもらう自分になる。
 謙虚さが必要になりました。
・老いは、悲しいことばかりではありません。それなりに恵みがあります。持ち時間も体
 力も、気力さえも確実に減ってゆくのだとすれば、いきおい何もかもではなく、本当に
 大切なこと、必要なことを選んでするようになります。老いは人間をより個性的にする
 チャンスなのです。人間関係にしても、徐々に、量から質へと変わってゆきます。
・迷うことができるのも、一つの恵みです。ナチスの収容所に送られた人々には、迷うこ
 とは許されませんでした。すべてが命令による強制であり、人は、選択する自由、つま
 り、迷う自由を剥奪されていたのです。

愛するということ
・父が1936年2月26日に62歳で亡くなった時に、私は9歳でした。事件当日は、
 父と床を並べて寝んでいました。70年以上経った今も、雪が縁側の高さまで積もった
 朝のこと、トラックで乗りつけて来た兵士たちの怒号、銃声、その中で死んでいった父
 の最期の情景は、私の目と耳にやきついています。
・「おれが邪魔なんだよ」と、母に洩らしていたという父は、戦争にひた走ろうとする人
 々にとってのブレーキであり、その人たちの手によって、いつかは葬られることも覚悟
 していたと思われます。その証拠に、2月26日の早朝、銃声を聞いた時、父はいち早
 く枕許の押し入れからピストルを取り出して、応戦の構えを取りました。
・死の間際に父がしてくれたこと、それは銃弾が飛び交う中、傍で寝ていた私を、壁に立
 てかけてあった座卓の陰に隠してくれたことでした。かくて父は、生前可愛がった娘の
 目の前1メートルのところで、娘に見守られて死んだことになります。昭和の大クーデ
 ター、2.26事件の朝のことでした。
・人間は決して完全にわかり合えない。だから、どれほど相手を信頼していても、
 「100%信頼しちゃだめよ、98%にしなさい。あとの2%は相手が間違った時の許
 しのために取っておきなさい」といっています。
・人間は不完全なものです。それなのに100%信頼するから、許せなくなる。100%
 信頼した出会いはかえって壊れやすいと思います。
・「死は盗人のように来る」と、いわれている通りで、年齢、性別、地位、財産などとか
 かわりなく、私たち一人ひとりは、いつか必ず、死を迎えねばならないのです。
・「人は、生きたように死ぬ」ともいいますが、これは必ずしもそうではなく、生涯を弱
 者のために尽くした人が、理不尽としか思えない死を遂げることもあります。それなら
 ば、いい加減に生きてもいいのではないかというのも、一理ありますが、反対に、わか
 らないからこそ、ていねいに生きることもできるのです。