ここは、山元町の最南端にあたるところで、江戸時代には外国船を監視する目的であった仙台藩の唐船番所があったという。現在は公園になっている。
高台になっており、頂上付近に設けられた東屋からは、天気のいい日には北は牡鹿半島、南は福島県の鵜ノ尾崎まで見渡すことができるという。
この唐船番所は正保3年(1646年)の設置から明治2年(1869年)の廃止まで220年余りの間設置されていたが、
外国船が通ることは皆無だったようだ。
ただ、たった一度だけ、元文4年(1739年)に三隻の外国船が牡鹿半島網地島(あじしま)沖に現れたことがあったとのことだ。
なお、仙台藩にはこのような唐船番所が五箇所あったと言われている。
・気仙郡八ヶ森唐船番所(三陸町綾里字石浜) :観光困難
・本吉郡泊浜唐船番所(歌津町泊崎) :観光困難
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牡鹿郡鮎川唐船番所(牡鹿町鮎川) :観光可能
・桃生郡大浜唐船番所(鳴瀬町宮戸) :観光可能
・亘理郡磯浜唐船番所(山元町磯浜) :観光可能
また、ここには志賀潔頌徳碑というのがあった。
これは、この地に移り住んだ赤痢菌発見者で世界的な細菌学者である志賀潔氏(仙台市出身)の功績を讃えて建立されたもので、
同氏の語「自ら信ずる所篤ければ、成果自ら到る」が刻まれている。
なお、志賀の銅像が仙台市の勾当台公園にあり、墓所は同市青葉区北山の輪王寺にある。
ただ、現在は、ここまで来る県道38号も、下に見える港周辺なども、あちらことらとまだ復興工事の最中であった。
【所在地】
宮城県亘理郡山元町坂元字浜谷地44-1