久しぶりに資福寺のアジサイが見たくなって訪れた。
ここは自宅から徒歩でも45分くらいの距離にある。普段の運動不足解消を兼ねて歩いて訪れた。
ここを訪れるのはもう何年ぶりだろう。前回訪れた時には、まだ東京で単身赴任生活を送っていた時だったと思う。
この資福寺は仙台の北山に並ぶ禅寺北山五山の一つと言われている。北山五山とは、光明寺、満勝寺、東昌寺、覚範寺、資福寺の五つである。
資福寺は、元々は鎌倉時代の弘安年間、米沢近郊の夏刈(山形県高畠町夏茂)に建立されたようだ。
戦国時代には、伊達輝宗が虎哉宗乙を招いて住持とし、子の政宗の教育を任せたといわれているようだ。
後に伊達氏の移封に従い、天正19年(1591年)に岩出山に、慶長5年(1600年)に仙台谷地小路(仙台市東六番丁)に、
そして寛永15年(1638年)現在地に移転したといわれている。
この資福寺の境内には1200株のあじさいが植えられているとのことで、毎年6月から7月にかけての梅雨の時期に
境内いたるところで一斉に花を咲かせるので「仙台のあじさい寺」とも呼ばれており、この時期は観光客も多い。
最近は海外からの健康客も目に付くようになり、この日も中国語と思われる言葉を話すグループが訪れていた。
もう7月中頃なので、時期的に遅かったかもしれないと思ったが、今年の梅雨は通年より気温が低い日が多く、あ
じさいの花もまだじゅうぶんきれいに咲いているものが多く、十分に楽しめた。
ところで、この資福寺の境内の一角に「千葉卓三郎」の記念碑があった。
この千葉卓三郎なる人物は、現在の宮城県栗原市出身の仙台藩士であったという。
16歳の時に戊辰戦争が勃発し、仙台藩士として出征、白河口の戦いに参加したといわれている。
明治5年(1872年)に、当時、地元の水沢県に設けられたハリストス正教の祈祷所(後の
金成ハリストス正教会)で洗礼を受けたといわれている。
明治14年(1881年)にこの千葉卓三郎が神奈川県五日市町で起草した「五日市憲法」(日本帝国憲法)が、
現日本国憲法に近い基本的人権の尊重を重視し国民の権利保障に重点をおいたものであったとして、憲法論議の際には必ずと言ってよいほど登場する。
この千葉卓三郎のお墓がこの資福寺にあることから、昭和43年(1968年)にこの記念碑が建てられたようである。
私は、恥ずかしながら、そんなことは最近まで知らなかった。
【所在地】
仙台市青葉区北山一丁目13番1号