この福澤神社は、あまり目立たない住宅地の片隅に、ひっそりある神社なのだが、
仙岳院と深い関係がある神社のようだ。
というのは、仙岳院に「小萩観音」というのがあるのだが、その物語に出てくる、
石塚民部守時と「小萩」という女性が、
藤原秀衡の三男、和泉三郎忠衡の5歳の女児護り、
守時の弟である加美郡色麻村の清水寺観円のもとに身を寄せたが、平泉の滅亡後、守時は出家し仙台に移った。
しかし、まもなく守時も忠衡の娘も亡くなった。
残された小萩は、現在の東照宮の近くに一堂を建て、忠衡の娘の護持仏の十一面観世音菩薩を念持仏としてまつり、
その冥福を祈ったという場所が、この福澤神社だということのようなのだ。
なお、そのとき私は、「小萩」という女性は石塚民部守時の妻だと思っていたのだが、この福澤神社の由緒を読むと、
「小萩」という女性は和泉三郎忠衡の乳母だったということだ。
この福澤神社の神殿・拝殿は、慶長年間に
片倉景綱によって造営されたが、火災に遭い、
現代のものは明治に再興されたものだということらしい。
また、この境内には多くの境内社があるのだが、鳥居をくぐって左側にあるのが「小萩明神」らしい。
「小萩」はこの地で詠んだという歌が残っている。
『雨も降れ 風の吹くをもいとはねと 今宵一夜は 露無の里』
しかし、その歌を刻んだ石碑があったのだが、残念ながらすでに半分欠け落ちて失われていた。
それにしても、800年以上前の話が、こうして現在まで伝え継がれて残っているのだから、すごいなと思った。
【所在地】
仙台市青葉区宮町4丁目9ー12