松島町 おまん地蔵2019
元禄時代に仙台藩がおこなった品井沼干拓は、現在では黄金の波を織りなす美田となっているが、
その蔭には潜穴工事に従事した農民の数多くの犠牲と苦難が秘められている。
「元禄潜穴」完成後の享保11年(1731年)に、第一回目の穴払い工事(土砂出し工事)が行われた。
その際に、工事は、人夫頭の見込み違いにより大損をしてしまい、人夫賃の支払いができなくなってしまったという。
そこで、悪だくみを企てた人部頭は、工事が出来上がった日に、潜穴の中程に人夫たちを集めて慰労の祝宴を開いたという。
美人で唄の上手な「おまん」という娘も、乞われてその座に加わっていたという。
人夫たちの酔いがまわったところを見計らって、穴頭の締め切り土俵を一気に切って水を流した。人夫たちは急激な濁流に押し流されて溺死した。
「おまん」も人夫たち同様、濁流に中で16歳という花の蕾の短い一生を閉じた。
これを哀れんだ「おまん」のおばが慰霊のために地蔵を建てたのが、この「おまん地蔵」だといわれているようだ。
今の時代ばかりでなく、いつの時代にも、悪だくみをする輩はいたようだ。
そして、その犠牲になるのは、弱い立場の人ばかりというのも、いつの時代も変わらないようだ。

【所在地】 宮城県宮城郡松島町根廻蒜沢25

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