松島町 明治潜穴公園201903
ここは、仙台方面からだと国道45号線から国道346号線に入ってしばらく北上したところに国道346号線沿いの右側にある。
かつて宮城県中部に品井沼という東西6.5km、南北3kmにわたる巨大な湖沼があった。
元禄時代に穴川と呼ばれる排水路が完成して松島湾に排水するようになったが、それでも品井沼一帯には沼地・原野が広がったままだったという。
排水路や潜穴には土砂などが堆積して排水効果が悪く、洪水の時には鳴瀬川の流れが小川から品井沼に逆流するなど、
事態は依然として改善されないままだったようだ。
明治時代になってから、長年の懸案事項であった品井沼の更なる排水の向上を図るための調査検討が進められ、オランダ人技師による品井沼の実測が行われた。
明治潜穴工事施工にあたっては、工事続行派と工事中止派との対立の中、中止派の感情が根強く残っていたという。
明治41年10月に東宮殿下(後の大正天皇)が奥州地方を行啓なされるということを知り、当時の鹿島台村長が東宮侍従に願い出て殿下の代理人の方の視察を切望した。
ところが、驚いたことに明治41年10月13日午後、根廻上山王地内の鉄橋上にお召し列車が1分間停車し東宮殿下御自らご台覧されたのである。
当時お召し列車が停車場以外に停車することは絶対ありえないことであった。明治潜穴が完成したのは明治43年であったらしい。
その後のいくつかの干拓事業により昭和30年代に品井沼は完全に消滅することになったという。
この公園は、幾多の先人達が品井沼干拓にかけた情熱と、水害との戦いの中で生まれた高城川の歴史を、後世に伝えるため整備された公園とのことである。
下を流れている高城川増沿いは桜並木になっており隠れた桜の名所でもあるらしい。

【所在地】 宮城県宮城郡松島町幡谷泉ケ原

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