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この作品は、今から68年前の1952年に発表されたSF小説だ。ソ連が人類で初めて
人工衛星(スプートニク)の打ち上げに成功したのが1957年だったから、その5年
前のことになる。そんな時代に、すでにこのような作品が出ていたことは驚きである。
作者はこの作品でいろいろなことを示唆している。異星人が地球に現れ、その圧倒的な高
度の科学力を前にした場合、人類はどういう状態になるのか。文明あるいは科学が進歩尽
くした究極のその先にはどんな社会が待っているのかど、この作品は単なるSF小説を越
えて哲学的な世界にも足を踏み入れているといえるような気がする。

時代は二十一世紀、米ソ間の宇宙開発競争真っ只中、ある日突然、異星人の宇宙船群団が
地球上空に現われたのだった。その異星人たちは、人類にはこの先何世紀も追いつく望み
のないほどの高度な科学を有していた。人類は、抵抗する気力をすっかり失い、その支配
下に甘んじた。
人類が、異星人と接触した場合、二つのストーリーが考えられる。その異星人が敵対的な
場合と平和的な場合である。この作品は、どちらかと言えば、後者の平和的な場合のほう
になるだろう。とは言っても、その途方もない科学レベルの差のために、人類は自ら立つ
気力を失ってしまうのだ。
人類の歴史を見れば、非常にかけ離れた文明水準にある種族間の遭遇は、たとえそれが平
和的であろうと、結局は後進種族の抹殺で終わることがほとんどだ。これが、人類と異星
人との間で起きて場合、どのような結末になるのか。想像することは比較的簡単だろう。
異星人たちは、なかなか地球人の前にその姿を現わさなかった。それは、異星人の姿が、
地球人にとっては、なかなか受け入れることができないものであったからだ。異星人が初
めて地球人の前にその姿を現したのは、最初に出現から五十年という歳月を経た後だった。
それでも、その時初めて異星人の姿を見た少なからぬ地球人たちに、大きな衝撃を与えた。
これは、異なる環境で、異なる進化の過程を経た生物は、まったく異なった姿形になると
いうことを示唆している。異星人が人間と同じような姿形である可能性は低いかもしれな
いのだ。
この作品では、二十一世紀の時代には、人類は原子力推進装置(原子力ロケットエンジン
の開発に成功したとしている。原子力推進装置は、大きくわけて二つの方式があるようだ。
一つは「核熱ロケット推進」方式。これは熱ロケットの一種で熱源に核反応を利用するも
のであり、核分裂炉または核融合炉の高熱により直接推進剤(水素など)を加熱膨張させ、
ノズルから噴出して推進する方式である。もう一つは「核パルス推進」方式。これはロケ
ットの後方で核爆発を繰り返し発生させ、その衝撃で推進する方式だ。米ソ両国で研究が
続けられてきて、一部は実用化されたとの話もあるようだが、いまだに完全実用化には至
っていないようだ。もっとも、この原子力ロケットエンジンの開発に成功したからといっ
て、この異星人のような光の速度に近い宇宙船を手に入れたことにはならないだろう。
この作品の中に、「オーバーロードの器機装置は、有形のスクリーンのような原始的なも
のではないはずだ。おそらく空間に直接に像を結ばせるのではないかと思う」という一節
が出てくる。近年では、この「空間に直接像を結ばせる」という発想は、それほど驚くべ
きものではないかもしれない。しかし、この作品が発表されたのは、今から68年も前の
1952年だ。日本でNHKがテレビ放送を本格開始したのが1953年である。その時
代において、すでにこのような空間に直接、像を結ばせるという発想があったのは、驚き
である。
また、「小型宇宙艇は、まるで地球との接触によって汚染されるのを恐れてでもいるよう
に、地上わずか数センチの空中に微妙な均衡を保って浮いていた」という一節がある。こ
れは、あの映画「スターウォーズ」に出てくる乗り物のシーンを思い浮かべさせられる。
しかし、「スターウォーズ」が出てきたのは、この作品から25年後の1977年である。
まさにこの作品は、その後に出てくるSFの基礎となっていると言っていいだろう。

この作品では、二十一世紀のおける人間社会に出現するであろう発明を二つ予言している。
一つは経口避妊薬の普及、そして二つ目は、血液分析による親子関係を確実に割り出すこ
とができる遺伝子技術だ。そしてこの二つは、二十一世紀である現在、作者の予言どおり
実現されている。
作者はまたは、自動車に取って代わる二十一世紀における人類の移動手段についても予言
をしている。それは「普通の自家用機やエア・カーには、翼というものはまったくなかっ
たし、それどころか、目に見える方向舵らしきものすらなかった。かつてのヘリコプター
のような不格好な回転翼も、いまではすっかり敬遠されていた」「しかし人類のエア・カ
ーは、ライト兄弟にも容易に理解できるだろう動力によって推進した。ジェット・エンジ
ンは、直接方式と、境界層コントロールというより微妙な方式と、両用に利用されいて、
飛行車(フライヤー)を推進させたり空中に静止させたりする役目を果たしていた」「人
類はまだ反重力の発見には至っていなかった。この秘密は異星人だけのものだった」とい
う文節で語られている。このエア・カーとは、いったいどんな乗り物なのだろうか。なか
なか想像することが難しい。そして二十一世紀の現在、人類はまだこのようなエア・カー
は手に入れていない。ただ、それらしきものが芽生えつつはあるようだ。
さらにこの作品では、二十一世紀での人間社会がどうなっているかも予言もしている。
二十一世紀の社会は、週の平均労働時間は二十時間になっているという。これは現在の労
働時間の約半分程度だ。しかも、きまりきった機械的な仕事はほとんどなく、何週間も誰
一人見回りに行かずに機械だけでやっていける完全オートメーション工場になっていると
いう。人間の役目は、故障個所を発見しあり、決定をくだしたり、新しい企画を立案した
りすることで、あとはすべてロボットが引き受けるという社会だという。SF小説にしては、
なんだか地味な話だが、確かに、現在の社会はそういう方向に向っている気がする。

ところで、異星人が乗る恒星船は、「スタードライヴ」なる推進装置で光速に近い速度を
出すという。その「スタードライヴ」なるものは、どういう原理なのかは不明である。
また、異星人の故郷は竜骨座の方角のどこかにあるという。調べてみると、地球から竜骨
座までの距離は約15光年ぐらいだと言われているが、この作品では異星人の故郷は地球
から40光年ぐらいの距離のところとなっている。この違いはなんなのか。
また、恒星船は光に近い速度で進むので、アインシュタイン相対性理論によって、恒星
船内の時間の進みは遅くなり、恒星船に乗ったものにとっては二カ月程度で到着すること
になるという。これはSFの世界ではこの相対性理論はよく使われる話しなのだが、私に
はいま一つ腑に落ちない。確かに地球から光速に近い速度で遠ざかる恒星船を見れば、恒
星船内の時間の進み具合が遅く見えるだろうことは理解できる。しかし、逆に、遠くから
地球に光速に近い速度で近づいて来る恒星船内の時間の進み具合も、同じく地球から見て
遅く見えるのだろうか。私は遠ざかる時とは逆に、その時間の進み具合は早く進むように
見えるのではないかと思えるのだ。
もちろんこれは、相対性理論からすれば間違っているかもしれないが、私にはまったく腑
に落ちない話なのだ。そもそも相対性理論においても、あくまでも「見える」と言ってい
るだけである。地球から光の速度で遠ざかった恒星船が、地球に光に近い速度で戻ってき
たら、それによってずれていた時間は、解消され元のずれのない時間に戻ると私は思うの
だが、実際はどうなんだろうか。

それにしても、この作品の結末はなんとも不可解だ。科学の世界から、なんだかいきなり、
超能力とかテレバシーとか言われる非科学的な世界に迷い込んだような感じだ。文明が超
高度に発展した究極にはそういう世界になってしまうと言うのだろうか。私にはどうにも
理解できない内容であった。

プロローグ
・ラインホールドは発射台のほうを眺めた。つづいてその視線は、まだコロンブス号の船
 体を囲繞する尖塔状の足場にそって上へあがった。地上六百メートルの高みに、入日の
 残照を受けた船首がキラキラと輝いていた。今夜は、この宇宙船の知る最後の幾夜かの
 一夜となる。コロンブス号が宇宙の永遠の陽光の中に浮かぶのも、もう間もないのだ。
・発射場のほうから、ときおりコンプレッサーの甲高い音が、あるいは工員のかすかな叫
 び声がするだけだ。この椰子の木立は、いつかお気に入りの場所となっていた。ほとん
 ど毎晩のようにここへやってきては、自分の小さな帝国を見おろすのである。この木立
 が、やがてコロンブス号が火と燃えて星空へ飛びたっていくとき跡かたもなく吹き飛ば
 されてしまうのだと思うと、彼はそこはかとない悲哀を感じた。
・ソ連という言葉から、彼はいつものように、コンラッドのこと、激動の1945年春の
 あの朝のことを思い出した。あれからもう30年以上たった。だが、第三帝国が東西か
 らの猛攻の前に崩れ去ったあの最後の日々の思い出は、けっして消えはしなかった。
 避難民の列が絶え間なく続いていた廃墟と化したプロシアの村で、手を握り合って別れ
 たときのコンラッドの疲れた青い眼を、そしてそのあごにまばらに生えた金色の無精ひ
 げを、彼はいつまでもまざまざと憶えていた。
・あれは、その後の世界に起こったすべての出来事、東西への分裂、を象徴する別離だっ
 た。なぜなら、コンラッドはモスクワへの道を選んだからだ。あのとき、ラインホール
 ドは馬鹿なかつだと思ったのだが・・・いまではそれほど確信はなかった。
・30年のあいだ、彼はコンラッドが死んだものと思い込んでいた。技術情報部のサンド
 マイヤー大佐が彼にあるニュースをもたらしたのは、わずか一週間前のことだった。    
 「たったいま私は、ワシントンからある驚くべき情報を受取ったところだ。この情報に
 よると、ロシア人はわれわれとほぼ肩を並べるところまで来ているそうだ。彼らはすで
 に、ある種に原子力推進装置を所有している。しかも、彼らがバイカル湖畔で宇宙船を
 建造中だという噂もある。それがどの程度進んでいるかはわからないが、情報部では、
 今年中には発射がおこなわれるものとみている」「向うのチームを指導している人物は
 ご存じですか?」特に答えを期待していたわけではない。ただ、訊ねてみただけだった。
 ところが驚いたことに、大佐は一枚のタイプ原稿を押してよこした。そしてそのトップ
 に、コンラッドの名があったのだ。
・「あんたは、この連中の多くをペーネミュンデで知っていたんじゃないかね?」と大佐
 は言った。「このうちで問題なのは、まずコンラッド一人でしょうな」とラインホール
 ドは答えた。「彼は天才的な頭脳をもっていた。彼に比べれば、ほかの連中はただの有
 能な技術者というにすぎない」 
・「ロシアの研究チームの連中は、自分の所の人間が暇なときに何をしているかもおそら
 くわかっちゃいまい。とにかく、月に到達するのは民主主義のほうが先だってことを思
 い知らせてやるのだ」と大佐は言った。
・タラチェアでは沈んでしまった太陽だが、ここバイカル湖畔では、まだ頭上に高かった。
 その下を、コンラッドと原子力科学省の副人民委員とは、いまゆっくりとエンジン実験
 場からもどってくるところだった。最後の轟音が湖面の彼方に消えていってからもう十
 分にもなろうというのに、彼らの耳はまだがんがん鳴っていた。「あと一カ月もすれば、
 われわれはあれを打ち上げることができる。ヤンキーのやつ、きっと歯噛みして口惜し
 がることだろう」「あなたはあいかわらず楽天家だ。あのエンジンがうまく働いたから
 といって、安心するのは早すぎます」とコンラッドは言った。
・コンラッドが本部の建物に入っていくと、衛兵が敬礼した。いまさらながら苦々しかっ
 た。ここには、技術者とほぼ同数の兵隊がうようよいるのだ。だが、これがロシア人の
 やりかたなんだし、邪魔さえしないでいてくれればべつに文句をいうこともない。物事
 は彼の望んだ方向に動いている。彼とラインホールドのどちらがよりよい選択をしたか
 は、ただ未来だけが知っているのだ。
・コンラッドが、もう最後の報告書にとりかかっていたときだ、ふいに声高に叫び交わす
 声に、彼はわれに返った。彼はデスクの前にすわったまま、このキャンプの厳格な規律
 をいったい何が破らせたのだろう、と考えてみた。それから、彼は窓辺に歩みよった。
 そして、生まれてはじめて、絶望の苦しさを知ったのである。
・ラインホールドが、砂浜にそった狭い道路に達しかけたときだった。ある種の予感、不
 思議な胸騒ぎのようなものが、彼の足を止めさせた。首をひねりながら、彼は陸から海
 へ、海から陸へと視線を走らせた。彼が空を見あげることに思いいたったのは、しばら
 く後のことだった。そしてラインホールドは知ったのだ。ちょうどこの瞬間にコンラッ
 ドが知ったと同じように、自分がこの競争に後れをとったことを。しかもその遅れが、
 いままでひそかに恐れていたような数週間か数カ月の遅れではなく、幾千年もの遅れで
 あったことを。  
・その無数の沈黙の影、ラインホールドが想像したよりもさらに何キロも高い星空を飛ん
 でいくその無数の巨大な飛行物体は、彼の小さなコロンブス号と旧石器時代人の丸木舟
 との差以上に、はるかに進んだものだった。    
・その一瞬、永遠とも思える一瞬のうち、ラインホールドが見守り、そして全世界が見守
 るうちに、その巨大な宇宙船の群は圧倒的な威厳をもって降下してきた。そして、つい
 に彼の耳にも、それらが成層圏の希薄な大気の中を通過するかすかな悲鳴のような音が
 聞こえてきた。
・生涯を賭けた仕事が一瞬のうちに潰え去っていくのを見ながらも、彼は悲しみは感じな
 かった。彼は人類を星々へ到達させるために汗を流した。そして、まさのその成功のま
 ぎわに、星が、冷ややかな、超然とした星が、逆に彼のほうへ降りてきたのだ。これこ
 そ、歴史が息をひそめる一瞬であり、現在が過去から断ち切られる瞬間なのだった。
・ラインホールドの頭の中には、ただ一つの思いだけが繰り返し繰り返しこだましていた。
 人類はもはや孤独ではないのだ。
  
地球とオーバーロード(上帝)たち
・国連事務総長のストルムグレンは巨大な窓のそばに立って、見おろした。半マイルほど
 向うに、少数だが決然とした群衆が、この国連事務局ビルへ向かってゆっくり動いてい
 るのが見えた。群衆は手に手にのぼりを押し立てていた。群衆はいまや事務局に平行す
 る通りまできていた。彼がこうして見守っているのを、群衆は知っているのちがいない。
 そこここで、拳がやや意識的にふりあげられるのが見えた。が、それは決して彼に挑戦
 しているわけではなかった。彼らの怒号も、拳も、彼の頭上50キロの空に浮かぶ、オ
 ーバーロード(上帝)の宇宙艦隊の輝く銀色の雲に向けられていたのだった。
・そしておそらく、とストルムグレンは思った。宇宙人の総督カレルレンはこの一部始終
 を見守りながら、おおいに悦に入っているだろう。なぜならこの会見は、カレルレンの
 示唆なくしては絶対に実現しなかっただろうからだ。
・ストルムグレンが自由連盟の指導者に会うのはこれが初めてだった。彼はすでに、この
 行動が賢明であるかどうか迷うことはやめていた。カレルレンのやり方は、ただの人間
 の理解を遠く越えて謎めいて見えることがしばしばだったからだ。 
・「事務総長、われわれは人類の直面している危機に対して、世間一般の眼をひらかせよ
 うと努めてきた。これは困難な仕事でした。というのも、民衆の大多数は、この世界を
 オーバーロードの思いのままに管理させることに不満を持っていなかった。しかし、そ
 れでもなお、5百万人以上のもの愛国者たちが、この世界連邦計画なるものの正否はも
 ちろん、その賢明さについても、重大な疑義を抱いている者が多数いるのです。いかに
 全能のカレルレン総督といえども、ただ一片の命令書で、人類1千年の歴史を抹殺する
 ことはできないはずですぞ」と自由連盟の指導者は言った。
・「オーバーロードにとっては、この地球など、われわれの父親にとってのヨーロッパの
 何分の一ぐらいに小さく見えるにちがいない。それに、彼らのものの見方は、あえて卑
 見を申し上げるなら、われわれのそれよりずっと大人なのだ」とストルムグレンは言っ
 た。
・「わたしは必ずしも世界連邦を目の仇にしているのではない。ただ、わたしは、それは
 内から盛り上がるものでなくてはならない。外から押しつけられるものであってはなら
 ない、こう言っているだけなのです。われわれは自らの手で行く道をきめなければなら
 ない。人間の問題に、これ以上他の容喙があってはならんのです!」と自由連盟の指導
 者は言った。
・「あなたはオーバーロードが、この世に安寧と平和と、そして繁栄をもたらしたことを
 否定できますか?」「いや、それはそのとおりです。しかし彼らはわれわれから自由を
 奪った。人はパンのみにて・・・」「オーバーロードが人類開闢以来初めてわれわれに
 与えてくれたものと比較して、人類が、いったいどんな自由を失ったというのです?」
 「みずからの生活を律する自由を失いました。神のお導きによってみずからの生活を律
 する自由を」
・「百人もの司教、枢機卿、それにユダヤ教のラビたちが、総督の政策を支持する旨の共
 同宣言に署名しました。これから見ても、世界中の宗教があなたと反対の立場をとって
 いるわけだ」「それら指導者たちの多くは盲目なのだ。無意識のうちにオーバーロード
 に買収されているのだ。彼らが危機に気づいたときにはもう遅い。人類は主体性を失っ
 て、奴隷の種族となってしまうのだ」
・「もう一つ問題があるのです。われわれはオーバーロードのやり方に対して多くの疑惑
 を持っています。が、何にもまして不愉快なのは、彼らの秘密主義です」「彼が人類の
 ためになしたあらゆることにもかかわらず、ですか?」「そのすべてにもかかわらずで
 す。わたしには、どちらに腹を立てればよいのかわからないんだ。カレルレンの全知全
 能ぶりにか、それとも彼の秘密主義にか。もし何も隠すことがないなら、なぜ彼は姿を
 現わさないのです?」
・彼らの観点からすれば、もちろんそれはごく些細な行動にすぎなかったろうが、地球に
 とっては従来のどんな出来事にもまして大きな出来事だった。あの大きな宇宙船の一群
 が未知の宇宙の深淵の彼方からひたひたと押し寄せて来たとき、地球人たちは、なんの
 予告も受けてはいなかった。この日のあることは数かぎりなく小説に書かれはしたが、
 それが現実になろうとは誰一人思っていなかったのである。だがついにその日は明けた。
 いま、ありとあらゆる陸地の空に、鋭い微光を発しながらひっそりと浮かんでいる沈黙
 の妖怪は、人類にはこの先何世紀も追いつく望みのない高度は科学を象徴していた。
・6日の間、彼らは人類の存在を知った気配すら見せず、年の上空にじっと浮かんでいた。
 だが、そんなそぶりを見せる必要もなかったのだ。たんなる偶然でこんなことの起こり
 うるはずがない。彼らの宇宙船がニューヨーク、ロンドン、パリ、モスクワ、ローマ、
 ケープタウン、東京、キャンベラ等の都市の、ちょうど真上に静止するなどということ
 が!
・心ある者は、この、心臓も凍る幾日かが終わらぬうちに、すでにその真の意味を悟って
 いた。これは地球人のことなど何も知らない宇宙人の最初の試験的接触ではない。あの
 黙りこくった、微動だにせぬ宇宙船の中では、熟達した心理学者が地球人の反応を見守
 っているにちがいないのだ。その緊張が頂点に達したとき、彼らは行動を起こすだろう。
・そして6日目、地球総督カレルレンが、あらゆる無線周波を掩蔽する強力な電波を通じ
 て、全世界に向かって自己紹介したのだった。彼らは完璧な英語で話した。そのあまり
 の完璧さに、その後しばらくの間、大西洋をはさんで論争が巻き起こったほとだった。
 だが、その話しぶりにもまして人々を仰天させたのは、その演説の文句だった。それは
 どこから見ても最高の天才の作品であり、人間というものに対する完全な、そして徹底
 的な理解を示していた。
・その博識とレトリックの巧みさ、さらに、人類にとっていまだ開かれない宝庫である深
 遠な知識をちらとのぞかせては焦らすやり方が、いま圧倒的な知性に相対しているのだ
 ということを人類に納得させようと慎重に演出されたものであることは、疑いを容れな
 かった。   
・カレルレンが語り終えたとき、地球の諸国は、それぞれの不安定な独立の日々がついに
 終わりを告げたことを知った。地域的、国内的な政治権力は、まだ人類の手にあった。
 だが、国際問題のような広い分野の最高決定権は、もはや彼らの手中にはないのだった。
 議論も抗議も、すべて虚しかった。
・もっとも、世界の全国家が足並をそろえてこのような権力の縮小に従うということは、
 もちろん期待できなかった。しかし、積極的な抵抗は極端な困難に直面した。なぜなら、
 かりに攻撃が成功したとしても、オーバーロードの宇宙船を破壊することは、必然的に
 その下にある都市をも絶滅させることになるからだ。
・にもかかわらず、ある大国がそれを企てた。おそらく当局者は一石二鳥をねらったにち
 がいない。なぜなら、彼らのミサイルのねらった目標は、彼らとは非友好的関係にある
 隣国の首都上空に浮かんでいた宇宙船だった。
・その巨大な船の映像が、秘密のミサイル管制室のテレビ・スクリーンの上でしだいに拡
 大していったとき、少数の将校と技術者たちから成るその一団の人々は、おそらく、心
 が千々に乱れるのを感じたにちがいない。もしこれが成功したら、残りの宇宙船はどん
 な行動に出るだろう?それらを全部撃破したとき、人類は再び思うがままの道を歩むこ
 とができるだろうか?それとも、自分を攻撃した者に対して、カレルレンは手ひどい報
 復をしかけるだろうか?
・ミサイルが命中して爆発すると、スクリーンは急に真っ暗になった。映像はすぐに何マ
 イルも離れた空中カメラに切り替えられた。それに要した1秒のほんの何分の一かの間
 に、そこにはすでに巨大な火の玉が生まれて、太陽と見まごうすさまじい火炎が天を覆
 っているはずだった。 
・ところが、いつまでたっても何も起こらなかった。巨大な宇宙船は無傷のままもとの空
 間に浮び、大空の涯の生の陽ざしを浴びていた。ミサイルは、宇宙船を破壊しなかった
 だけではない。どうなってしまったのかしら、わからなかった。しかもカレルレンは、
 この事件の責任者たちに対してなんの報復行動にも出なかったし、その攻撃に気づいた
 様子すら見せなかった。
 彼は、軽蔑しきったように完全にそれを無視したのだ。そして、ついに行われなかった
 報復については、人間たちの気に病むがままにさせておいたのである。これは、どんな
 懲罰にもまして効果的であり、士気をくじく絶好の処置だった。責任追及をめぐって泥
 試合がくりかえされた結果、それから数週間後、その政府は瓦解した。
・オーバーロードの政策に対する消極的な抵抗もいくつかあった。多くの場合カレルレン
 は、協力を拒むことは自分自身の損になるばかりだということに気づくまでほうってお
 く方法をとった。彼が反抗的な政府に対してなんらかの直接行動に出たのは、あとにも
 先にもただ一度きりだった。 
・従来、百年以上にもわたって、南アフリカ連邦は人種抗争の中心地だった。双方の善意
 の人々がこれまで何度か両者間に和解の橋をかけようと努力してきたが、ことごとく無
 駄に終わっていた。人種差別を終わらすべき努力が功を為さないことがはっきりすると、
 カレルレンは警告を発した。それは、ただ日付と時間とを告げただけの警告だった。ほ
 かには何もなかった。人々は不安を感じた。しかし恐怖や恐慌はなかった。なぜなら、
 オーバーロードたちが、正邪の別なく民衆をまきぞえにするような暴力的ないしは破壊
 的行動に出るとは、誰も思わなかったからである。
・まさしく彼らはそのどちらもしなかった。そのかわり、警告の時刻、太陽が、ケープタ
 ウンの子午線を通過したとき不意に消えてなくなったのである。空には、熱も光も出さ
 ないおぼろな薄紫色の影だけが残っていた。宇宙空間のどこかで、なんらかの方法で、
 太陽光線は二つの交差したフィールドによって偏光され、そこを通過しなくなってしま
 ったのだ。その影響を受けたのは、直径5百キロの、完全な円形をなす地域だけだった。
・このデモンストレーションは30分間続いた。それで充分だった。翌日、南アフリカ政
 府は、白色少数民族にもふたたび全面的な公民権を与える、と発表した。
・こうした個々の事件をのぞいては、おおむね人類はオーバーロードを自然の秩序の一部
 分として受け入れた。驚くほど短期間に、最初のショックは消え、世界はふたたび常態
 に戻り始めていた。   
・もっとも大きな変化は、人々の間に瀰漫するひそやか期待だった。つまり、人類は、オ
 ーバーロードたちが姿を現すのを、その鋭く輝く宇宙船から彼らがしずしずと地上に降
 りてくるのを、いまかいまかと待ちわびていたのである。
・カレルレンはいつでも彼らを待たせなかった。突然、群衆の中から「おお!」という叫
 び声があがる。頭上の空で、銀色の泡が一つ、息を呑むほどの速さで膨れ上がるのが見
 えた。その宇宙艇が50メートルほど向うに止まると、突風がストルムグレンの服を引
 きちぎらんばかりに吹きつけた。小型宇宙艇は、まるで地球との接触によって汚染され
 るのを恐れてでもいるように、地上わずか数センチの空中に微妙な均衡を保って浮いて
 いた。
・ゆっくりと近づいていきながらストルムグレンは、いつものように、その継ぎ目のない
 金属性の船体に、つ、つっとしわが寄るのを見た。つぎの瞬間、世界最高の科学者たち
 をあれほどまでに困惑させた不思議な入口が、目の前に出現していた。彼はその入口を
 通って、船内にただ一つの部屋に入った。部屋はやわらかな照明に照らされていた。入
 口があたかも存在しなかったかのように自然に閉じ、あらゆる音と視界を遮断した。
・入口は5分後に再び開いた。動いた感じはまったくなかったが、ストルムグレンはいま、
 地上50キロの、カレルレンの宇宙船の内部深くにいることを知っていた。
・短い連絡通路の行き止まりにある小さな会議室には、ただ一脚の椅子と、ビジ・スクリ
 ーンの下にあるテーブル以外には、なんの調度もなかった。そのように意図されている
 だろうが、部屋は、それを作った生物については文字どおり何も語っていなかった。
・どこか隠れたスピーカーから、ストルムグレンのよく知っている、だが世界はまだ一度
 しか聞いたことのないあのおだやかな、つねに悠揚せまらぬ声が聞こえてきた。
・カレルレンは大きい、たぶん人間よりははるかに。科学者が彼の唯一の演説の録音を分
 析した結果、この声は機械の声であると結論したことは事実だ。だが、ストルムグレン
 は、どうしてもそれが信じられなかった。
・「世界連邦の詳細が発表されてからもう一カ月になる。わたしを認めない7パーセント、
 もしくはわたしを”知らない”20パーセントに、実質的な増加はあったか?」「いや、
 まだない。しかし、それはたいした問題じゃありません。わたしが心配しているのは全
 体的な感情、あなたを指示する者の中にさえある、この秘密主義ももういい加減にして
 ほしい、という感情ですよ」
・カレルレンはいくらか感情をこめて答えた。「わたしは、きみたちが、わたしを独裁者
 と考えるのをやめてくれればいいと思っている。私は一介の公僕だ。その立案には、な
 んら関係しなかった植民地政策を監督する任務をもつ、一人の公僕にすぎないというこ
 とを、みなに思い出してほしいのだよ」「少なくとも、そうやって正体を現さずにいる
 理由だけでも、教えてくださるわけにはいかんのですか?それがわからないばかりに、
 われわれはいらざる焦燥に駆られもするし、際限のない噂のもとにもなるのだから」
 「わたしはなんだと思われているのだろう?例のロボット説は、まだ陣地を確保してい
 るのかな?ムカデか何かだと思われるよりは、真空管のかたまりだと思われているほう
 がまだしもましだが」
・「私は下界に降りて行って、同胞を納得させなければならないのです。姿を見せなくて
 も、あなたは何も隠すことはないのだ、とね。これは易しい仕事ではありませんよ。好
 奇心というのは、人間の性質の中ででももっとも根強いものの一つですからね。あなた
 だってそういつまでもそれを無視し続けるわけにはいかない」「われわれが地球にやっ
 てきて直面した問題の中には、たしかにこれがもっともむずかしい」カレルレンも認め
 た。 
・「科学が宗教を破壊するには、ただそれを無視するだけでいい。それだけで、その教義
 を論破するのに劣らぬ効果があるものです」とストルムグレンは呟いた。

・「彼は、現存の全政治家の経歴を知っている。そして、ときおりわたしは、彼がどんな
 タネ本を使ったかわかることがある。彼の歴史と科学の知識は完璧のようだ。われわれ
 がすでにどれだけ彼から学んだか、きみも知っているだろう。それでも、一時に一つと
 いうなら、彼の智能がわれわれ人間の達しうる限界を、それほど遠く越えているとは思
 えない。しかし、一人の人間が彼のやったことを全部やるのは、不可能だ」とストルム
 グレンは言った。

・彼らがやってきた最初の年、オーバーロードの到来は人間の生活様式を予想されたほど
 の変化はもたらさなかった。彼らの影はどこにでもつきまとったが、それはごく控え目
 な影だった。地球上には、天頂を背景にキラキラと輝く銀色の宇宙船の見えない大都市
 はほとんんどなかったけれども、しばらくたつと、人々はそれを太陽や月や雲と同じよ
 うに、当然のものと考えはじめた。そしておそらく、大多数の人々は、着実に向上して
 ゆく生活水準がオーバーロードのおかげであることにも、おぼろげにしか気づいていな
 かったろう。人々は、それら沈黙の宇宙船が、はじめてこの世に平和をもたらしてくれ
 たことに気づき、漠然たる感謝の念を持つのだった。
・オーバーロードは、個々の国家や政府とは決して関係を持たなかった。彼らは国際連合
 という組織があるのを知るとすぐにそれを受け入れ、必要な無線装置を設置するよ指令
 し、そして、事務総長の口を通じて命令を伝えてきた。 
・あれほど多くの悪弊や愚行や罪悪が、こうした宇宙からの指令でことごとく追放された
 ということは、驚くべきことだった。オーバーロードの出現とともに、各国家はもはや
 互いに相手を恐れ合う必要はなくなったことを知った。それぞれの現在保有する武器が、
 星々のあいだに橋かける宇宙文明の前ではまったく無力であることを知っていた。こう
 して、人類の幸福に対する唯一最大の障害は、たちまち取り除かれたのだった。
・彼らの動機は誰一人知らなかった。誰一人、オーバーロードが人類を導いていこうとし
 ている未来を、知らなかったのである。
・人類は、多かれ少なかれ、19世紀の教養あるインド人が、英国の統治を静観しつつも
 感じただろう同じものを感じていた。侵略者たちは地球に平和と繁栄をもたらした。が、
 その代償がいくらにつくか、いったい誰が知っているのだ?歴史は安心を与えてくれな
 かった。非常にかけ離れた文化水準にある種族間の交渉は、たとえそれがどれほど平和
 的であろうと、結局は後進社会の抹殺という形で終わることがままあるものだ。とても
 太刀打ちできなそうにない敵から挑戦を受けて気力を失うのは、国家でも個人での場合
 とまったく変わらない。そしてオーバーロードの文明は、神秘に閉ざされてはいながら
 も、人類にとって古今未曾有の、最大の挑戦なのだった。
・自由連盟の支部長は会合で演説し、次のように述べた。
 「オーバーロードの行動を説明するのはしごく簡単である。その肉体的形状があまりに
 異様で、かつ嫌悪感をもよおさせるようなものであるため、彼らはあえて人類の前に姿
 をさらそうとはしないのだ」
・ストルムグレンはうんざりして紙片を放り出した。仮にこの疑義が正しかったにせよ、
 それがいったいどうだというのだ?どれほど異様な生物学的形態だろうと、いずれは受
 け入れられるものなのだ。そして、場合によっては、美しいとさえ見えてくるものなの
 だ。 

・周囲の壁は、ところどころコンクリートを塗ってあったが、おおむね裸のままだった。
 ここがどこか古い廃坑の中であることは明らかだ。確かに、牢獄としてこれ以上うまい
 場所は考えつけまい。それまでストルムグレンは、自分が誘拐されたことをさほど心配
 していなかった。何があろうと、オーバーロードのはかり知れぬ知謀が、たちまち自分
 を見つけ救い出してくれるだろうと思っていたのだ。だが、その確信はゆらいできた。
 彼の姿が消えてもう数日にもなるというのに、まだなんの気配もないのだ。カレルレン
 の力にもやはり限界がある。もし彼が、どこか辺境の地下深く埋められているとすれば、
 オーバーロードの科学のすべてをもってしても彼を探し出すことは不可能だろう。
・「われわれの動機は、はっきりしているはずだ。われわれはこれ以上の問答の無用なこ
 とを知った。そこで、何かほかの手段に訴えなければならなかった。今度こそカレルレ
 ンも、たとえどんな力を持っていても、われわれを始末するのが生易しいこではないの
 を思い知るだろう。われわれは、独立のために外へ出て戦うことにしたのだ。われわれ
 はなにも暴力的手段に訴えようというのではない。すくなくとも最初のうちは。たが、
 オーバーロードは、必ず人間の代弁者をつかわなければならない。やつらにうんと不自
 由な思いをさせてやれるのだ」
・なるほど、そしてわたしがその手はじめというわけか、とストルムグレンは思った。ま
 さしく真実を衝いていた。なぜなら、指摘したところこそ、オーバーロードの統治の唯
 一の弱点だったからだ。彼らの命令は、究極的にはすべて人間の代行者を経なければ実
 行されなかった。したがってこれらの代行者たちが、脅迫されてオーバーロードに服従
 を拒否すれば、現在の全体制は崩壊し去ることになる。もっとも、これにはほんのわず
 かな可能性しかない。なぜなら、カレルレンが遠からずなんらかの解決策を見出すだろ
 うからだ。
・誘拐の手口は、まったくみごととしかいいようがない。それだけはまちがいなかった。
 ストルムグレンは、地球上のどこにいるとも考えられる。そして、彼の行動を突き止め
 る望みは、ほとんど皆無のようにさえ思われた。にもかかわらず、なにか手を打たねば
 ならない。それも大至急だ。ファン・ライバーグは判断した。カレルレに対する彼の真
 の感情は、圧倒的な畏怖そのものだった。総督に直接打診しなくてはならないと思うと、
 彼はそれだけで畏縮した。だが、ほかに道はなかった。
・通信連絡課は巨大なビルの最上階全体を占めていた。そこには、ファクシミリの列が、
 あるものは黙りこくって、あるものは忙しげに音をたてながれ、はるか遠くまでならん
 でいる。 
・カレルレンの宇宙船のどこかにも、やはりこの大きな部屋に相当するものがあるにちが
 いない。そして、そこには、地球からオーバーロード宛に送られる通信文を集めるため
 に、どのような奇怪な姿が往き来していることか。そう思うと、ファン・ライバーグは
 背筋に微かな戦慄が走るのを覚えるのだった。    
・彼は、ストルムグレンだけが入室を許されていた小さな個室に向かって、まっすぐ歩い
 ていった。彼の指示で鍵はすでにこじあけられ、通信部主任がそこで彼を待っていた。
 「これは普通のテレタイプです。キーボードは標準型タイプライターと同じです」ライ
 バーグは説明を受けた。 
・「それほど長くはかからんと思う。すんだらまた錠をかけて、鍵は全部わたしにくれた
 まえ」彼は主任が立ち去るまで待ってから、その機械に向かって腰をおろした。これが
 めったに使われたことがないことを、彼は知っていた。なぜなら、カレルレンとストル
 ムグレンとの間の折衝は、ほとんど全部週に一度の会見の際に処理されていたからであ
 る。これは非常用回路なので、相当に早い応答が期待できた。
・一瞬ためらったのち、彼は馴れない手つきで通信文をたたきはじめた。機械が低いくぐ
 もった音をたて、暗いスクリーン上に文字が数秒間チカチカと光って消えた。それから
 彼は椅子の背によりかかって答えを待った。1分もしないうちに、機械はまた唸りはじ
 めた。いまさらのようにファン・ライバーグは、総督ははたして眠ることがあるのだろ
 うか、と思った。
・返答は短く、なんの助けにもならなかった。
  トクニ指令ナシ。スベテヲ貴下の判断ニユダネル K

・「オーバーロードとは何者か。彼らの正体を、あんたは知っているかね?」ストルムグ
 レンは危うく微笑しかけた。「それを知りたいことにかけては、わたしもあなたがたと
 まったく同じなのだ」「あんたがカレルレンと会うときの状況については、われわれも
 だいたいの概念を持っている。しかし、あんたの口からそれを語ってもらいたいのだ、
 重要なことは一つも落とさないよう注意して」
・それなら何も害はあるまい、とストルムグレンは思った。ここには鋭い頭脳がそろって
 いる。もしかすると、何か新しい事実が発見できるかもしれない。彼らは、彼から引き
 出せるものならどんな情報でも歓迎するつもりでいる。
・ストルムグレンはポケットを探り、鉛筆と使いふるしの封筒を取り出した。そして、す
 ばやく図を描いて説明をしはじめた。
 「あなたがたはむろん、一見推進装置を備えていないように見える小型宇宙艇が定期的
 に私を迎えにきて、カレルレンの宇宙船へ連れていってくれることを知っているだろう。
 それは船の胴体にはいる。そしてわたしは、一脚の椅子とテーブル、それにビジ・スク
 リーンがある小さな部屋にはいる。だいたいの見取図はこういったところだ」
・彼はその図面を老ウエールズ人のほうへ押しやった。だがその不思議な眼は、なぜかま
 ったくそのほうへは向けられなかった。それは依然としてストルムグレンの顔に釘づけ
 になっていた。そして、彼がそれを見つめ返しているうちに、その奥の深みで何か変化
 が起こったようだった。部屋はとつぜん針を落としてもわかるほど静かになっていた。
 だが、その中で、背後にいたジョーが不意にはっと息を呑む気配が聞こえた。
・とまどい、当惑しながら、ストルムグレンはじっと相手を見返した。そして、徐々に事
 の次第がわかりはじめてきた。彼はあわててその紙をくしゃくしゃに丸めると、足もと
 に投げ捨てた。いまはもう彼にも、その灰色の眼がなぜあれほど不可解に心をゆさぶっ
 たのかがわかっていた。彼の正面にいる男は、盲目だったのだ。

・ファン・ライバーグは、その後はカレルレンに連絡をとろうとはしなかった。事務所の
 仕事の多くは、機械的に続行されていた。ストルムグレンについては、いまだなんのニ
 ュースもなかった。
・”緊急時専用”の電話が鳴り始めたとき、ファン・ライバーグは手紙を口述していると
 ころだった。彼は受話器をわしづかみにすると、高まりゆく驚愕をおさえてそれに聞き
 いった。それから受話器を放り出し、開いた窓に駆け寄った。
・本当だった!カレルレンの宇宙船は、あの、永劫不変のオーバーロードの象徴は、もは
 や空になかった。彼は宇宙船の姿を求めて、見渡す限りの空をくまなく探した。だが、
 どこにもその姿はなかった。  
・そのときだった。不意にあたりが暗くなり、急に夜のとばりが降りたような感じがした
 のは・・・。北の空を、陰になった下腹を雷雲さながらに黒々と見せながら、その巨大
 な宇宙船がニューヨークの摩天楼をかすめるように低く飛んでくるところだった。怪物
 が頭上に襲いかかってきたとき、ファン・ライバーグ無意識のうちに首をすくめていた。
・オーバーロードの宇宙船が、現実にどれほど大きなものか、彼はよく知っていたつもり
 だった。だがそれを遠い宇宙の彼方に見るのと、実物が悪魔の乗った雲のように頭上を
 通り過ぎるのを見るのとは、またおのずから別のものだった・・・。
・その部分蝕が生じた暗闇の中で、彼は、巨大な宇宙船とその影とがはるか南の空に消え
 てしまうまで、凝然と身を固くして見送った。最初から最後までなんの音も聞こえなか
 ったし、空気の鳴る音すらしなかった。そして、ファン・ライバーグは、宇宙船が見か
 けは頭上すれすれの感じだったが、じつは少なくとも1キロの高度を通過したことを知
 ったのだった。ついで、ビルが、衝撃波を受けてもう一度揺れ動いた。
  
・「わたしはいささか驚いているのだ、事務総長。あんたがオーバーロードについてもっ
 と知ろうとする努力を、何一つしなかったのを知ってね」「いったい何がいいたいのだ?」
 興味をそそられたのを隠そうと努めながら、ストルムグレンは冷やかに言った。「わた
 しがカレルレンと話をする部屋からは、ただ一つの出口しかない。そしてそれは、まっ
 すぐ地球に帰る道なのだ」「彼らについて何か探り出せるような、うまい器機を考案す
 るのだ。わしは科学者ではないが、その問題を研究させることはできる。もしわれわれ
 が自由を与えたなら、あんたはその計画に協力してくれるか?」
・ストルムグレンは腹だたしげに答えた。「カレルレンは世界を一つにするために力を尽
 くしている。だから、なんであれ彼の敵を利することは、わたしはぜったいやらない。
 彼の究極の目的が何か、わたしにもわからない。しかしそれがよいものだということは
 信じている」「証拠があるのか?」「彼の行動のすべてがその証拠だ。彼の宇宙船が、
 地球の空に現われた日以来の行動全部がだ」  
・「あるはあんたの言うとおりかもしれん」と老ウエールズ人は答えた。「おそらくオー
 バーロードの動機は善意から発しているのだろう。だがそれは、彼らの標準、ときおり
 われわれの標準と一致しないでもない標準からすればの話だ。彼らはおせっかい屋なの
 だ。人類は彼らに来てくれと頼んだおぼえはない。やって来て、われわれの世界をひっ
 くり返してくれと、幾世紀にもわたって人類が守ろうと戦ってきた理想を・・・、そう
 だ、国家もだ・・・ぶち壊してくれと頼んだおぼえはない」
・「いたずらに過去にしがみついていても、なんの足しにもならないのだ。オーバーロー
 ドが地球にやってくる以前に、すでに主権国家の崩壊はじまっていた。彼らはその終末
 を早めたにすぎない。もう誰もそれを救うことはできない。そして、誰もそんなことを
 試みてはならないのだ」 
・正面の男は、身動きせず、口を開こうともしなかった。周囲の男たちも誰一人動かず、
 不自然な姿勢に凍りついていた。心の底からの恐怖に、ストルムグレンは息を呑んで立
 ち上がり、じりじりとドアのほうへ後ずさりし始めた。
・そのとき、とつぜん静寂が破れた。「なかなか名演説だったよ。だがもうよかろう。そ
 ろそろ行くとしようか」ストルムグレンはくるりと向き直ると、影になった廊下をすか
 し見た。そこ、ちょうど眼の高さに、小さなまん丸い球体が浮かんでいた。オーバーロ
 ードが使った不思議な力の正体は知る由もないが、これがそのエネルギー源であること
 は明らかた。「カレルレン!来てくれたのか!だが、いったいあなたは何をしたのです?」
 「心配ない。彼らは大丈夫だ。いま彼らは、麻痺状態、というより、もうすこし微妙な
 状態に置かれている。つまり、正常な世界よりも、数千倍遅い時間で生きているのだ。
 われわれが行ってしまっても、彼らには何がおこったのかすらわかるまい」
・ドアに向って歩きはじめたとき、彼はうきうきと心がはずんだ。金属球は、彼を通らせ
 るためにわきへ寄った。彼はそれを一種のロボットだろうと推理した。そしてそれは、
 頭上に幾重にも重なった岩の層を通して、どうしてカレルレンが彼のところに到達でき
 たかを説明してくれた。  
・金属球は、彼の背後を防護するためか、通路のもとの場所にじっと浮いていた。1分後、
 彼は通路の分岐点で待っていた第二の金属球のそばについた。入口に出るまでのあいだ
 に、彼は六度金属球に出逢った。最初彼は、このロボット球がなんらかの方法で絶えず
 彼の先へ先へとまわっているのではないか、と考えた。だが、やはりそうではなく、同
 型の球がいくつもチェーン様につながり合って、この鉱山の深層部にまで達する完全な
 回路を維持しているのだった。入口では、見張りの一団が珍妙な凍結した群像を構成し
 て、また一つの球体の監視を受けていた。入口から数メートル先の山腹に、いつもカレ
 ルレンのところへ行くときストルムグレンが乗る小型宇宙艇が停止していた。
・ピエール・デュヴァルは、ストルムグレンがなんの予告もなく彼の部屋にはいってきて
 も、すこしも驚く様子は見せなかった。彼らは古くからの友人だったし、事務総長が個
 人的に科学局長を訪ねても何の不思議なことはなかった。もちろんカレルレンも変だと
 は思うまい。仮に何かの偶然で、彼か、またその部下の一人が、この場に例の監視装置
 を向けたとしても。 
・いくぶんためらいがちに、ストルムグレンは話を切り出した。ストルムグレンが話し終
 わると、科学者は恐る恐る室内を見まわした。「聞いていなかったろうか、彼は?」と
 デュヴァルは言った。「聞けなかったはずだ。彼は追跡標識と称するものをわたしにつ
 けている。わたしの安全のためにね。だが、それは、地下では効かないんだ。わたしが
 きみの地下牢までわざわざやってきたのも、そのためだ。ここはどんな放射線も通さな
 いのだろう?カレルレンも奇術師じゃない。彼はわたしがどこにいるのかを知っている。
 だがそれ以上のことは知らないのだ」
・「そいつはなかなかの難問だ。気にいったね」彼はぽつんと言った。「よし、聞き落と
 しがあっちゃいかんから、すまんがもう一度確かめさせてくれ。いつも会見に使われる
 部屋の模様を、できるだけ詳しく話してみてくれないか。どんな小さなことも、どれほ
 ど取るに足らないように思えることも、いっさい省略せずにだ」
・「部屋は金属でできていて、広さは約八平方メートル、高さは四メートルほどだ、一メ
 ートルばかりわきへ寄ったところにビジ・スクリーンがあって、そのすぎ下にデスクが
 おいてある」ストルムグレンは、彼の知りつくしているあの小部屋を手早くスケッチす
 るとデュヴァルの前に押しやった。  
・「照明はどうなんだ。まさか真っ暗闇ですわっているわけじゃあるまい?それから換気
 は、暖房は」「天井全体が発行しているんだ。そしてわたしの見たかぎりでは、空気は
 スピーカーのある格子窓から入ってくるようだ。それから暖房だが、どこにもそれらし
 い装置はない。だが部屋の温度はいつも一定に保たれている」「それから、わたしをカ
 レルレンの宇宙船に連れて行く小型宇宙艇のことだが、いつもわたしが坐っている部屋
 は、エレベーターの箱みたいに真四角だ、長椅子とテーブルを除けば、エレベーターそ
 のものだといってもいいだろう」
・ストルムグレンは、なぜデュヴァルほどの、彼などおよびもつかない輝かしい頭脳を持
 った男が科学の世界にもっと偉大な足跡を残さないのだろう、と訝しく思った。だがそ
 のとき、いつだったかアメリカ国務省にいた友人が言った、冷酷な、そしてたぶんあま
 り正確でない批評が思い出された。「
 「フランス人は、いつも世界で最上の二流品をつくる」
 デュヴァルはおそらく、この意見を裏づける種類の男なのだろう。
・「きみはいったい、どういう根拠から、きみの言うカレルレンのビジ・スクリーンが、
 外見どおりのものだと思うのかね?」「ビジ・スクリーンのように見えるというからに
 は、むろん、われわれのビジ・スクリーンに似ているという意味なんだろう?」「それ
 自体がおかしいと思うんだよ。オーバーロードの器機装置は、有形のスクリーンのよう
 な原始的なものではないはずだ。おそらく空間に直接に像を結ばせるのではないかと思
 う。とすると、なぜカレルレンはわざわざTVシステムを使わなくちゃならんのかとい
 うことだ。どうだ、こうは考えられんかね。きみのいわゆる”ビジ・スクリーン”なるも
 のは、じつは、片側から見たときだけ透明なガラス以上の何ものでもない、と?」
・「もしきみのいうことが正しければ、わたしのやるべきことはそのガラスを割って・・」
 「素人は困ったものだな!きみはそれが手で割れるようなものだと思うのかね?まあ、
 仮に割れたとしてもだ、カレルレンがわれわれと同じ空気を刷っているとでも思うかね?
 仮に彼が塩素の大気の中で生活しているとしたら、きみたち両方にとって困ったことに
 ならないかね?」「ところで、きみは総督のところへ行くとき、たしか書類鞄を持って
 行くはずだったね? いまそこに持ってきている、それからね?」「いったい何を考え
 ているんだ。わたしにX線の装置でも持たせようというのかね?」

・ストルムグレンは書類の綴りを書類鞄の中に落とした。鞄の背は、暗いスクリーンから
 十センチと離れていないところにあった。ときおり彼の指はなかば無意識にその錠のあ
 たりをまさぐっていたが、会見が終わるまで、隠されたスイッチを押すつもりはなかた。
 いつどんなまちがいがあるともかぎらないのだ。もちろん、カレルレンが感づくことは
 絶対にないというが、先のことは誰にもわからない。
・「あなたはよくこういったね。われわれが肉体的にどれほどきみらとかけ離れていよう
 と、人類はすぐにそれになれるだろう、と。だがこれはあなたの想像力の欠如を物語っ
 ているよ。それはあるいはあなたの場合には真実であるかもしれん。しかし、世界の大
 部分はいまだに未教育の状態に取り残されて、是正するにはおそらく何十年もかかる偏
 見や迷信に毒されているのだ。このことを忘れてはいけない。もしいまの進歩の段階で、
 われわれが姿を現したならどうなるか、われわれにはわかりすぎるくらいわかっている
 のだ。だがこれだけははっきり約束できる。これはたぶんあなたにいくらかの満足を与
 えるだろう。五十年以内に、いまから二世代ののちだ、われわれは宇宙船から降りるだ
 ろう。そして人類はついにわれわれの姿を目のあたりにするだろう」
・ストルムグレンは総督の言葉を反芻しながら、しばらく無言でいた。以前ならカレルレ
 ンの声明が与えただろう満足を、彼はほとんど感じなかった。そしてほんの一瞬、彼の
 決意はゆらいだ。真実は時の経過とともにおのずから明らかになる。彼の企みは不必要
 になり、そしてたぶんあまり賢明ですらなくなったのだ。あえてこれ以上計画を推し進
 めようとすれば、それは彼が五十年後には生きていないという、きわめて自己本位な理
 由からでしかなくなるのだ。
・「おそらくあなたは、いまだにわれわれの危惧を根拠のないものと思っているだろう。
 だが、われわれは、ほかでの経験に照らしてそう信じるだけの根拠があるのだ」「では
 あなたは、人間に見られたことがあるんだ!」「そうは言わない。われわれが監督した
 のは、なにもこの惑星ばかりではないのだ」「地球には、顔においてほかの種族の来訪
 を受けたことを暗示する伝説がいくつもある」    
・喋りながら、ストルムグレンはボタンを押した。そして、それまでの恐怖が、すべて根
 拠のないものだったのを知って大きな安堵をおぼえた。カレルレンの感覚は、人間のそ
 れより特に敏感ではなかったのだ。総督はまったく何も感じていなかった。常に変わら
 ぬ声音で別れの挨拶をすると、部屋のドアを開けるための聞き慣れた合い言葉を呟いた。
・それでもストルムグレンは、警備員の視線を感じながらデパートを出る万引きのような
 気持ちで部屋を出た。背後でするすると壁が閉まるのを見届けてから、はじめて、ほっ
 と安堵の吐息を洩らした。  
・あと十二時間もすれば、全世界の人々は一人残らず、彼らの子孫たちのためになされた
 約束を知るのだ。「五十年か」「待つには長い年月だな」「人類にとってはおそらくそ
 うだ。しかし、カレルレンにとってはけっして長くはない」ストルムグレンは答えた。
 そして、このときはじめて、オーバーロードの解答の巧妙さを実感しはじめていた。彼
 らはこれで息つく暇を得た。彼らはどうしてもその余裕の必要を感じていたのだ。
・「五十年経つうちには、事態は決定的にわれわれに不利になっているだろう。われわれ
 にも独立の時代があったことを記憶している者は、みんな死んでしまう。人類は父祖か
 ら受け継いだものを忘れ去ってしまうのだ」一度は人間がそのために戦い、死んでいっ
 た言葉、もう二度とそのために死ぬことも、戦うこともないだろう。そして世界にとっ
 ては、そのほうがむしろ幸福なのだ。
・世の中には、ただ時だけが癒せるものがある。悪人は亡ぼすこともできる。だが、惑わ
 された善人ばかりは、どうすることもできない。
  
・「われわれのやったことは、一種の低出力のレーダーをつくることだった。非情な高周
 波の電波のほかに遠赤外線も使った。いや事実、どんな超人的な眼を持った生物にも、
 ぜったいに見えないはずの電磁波という電磁波を全部使ってみたのだ」「カレルレンは、
 きみを普通の照明のもとで見ているだろう?だとすれば、可視光線の範囲に関する限り、
 彼の眼はわれわれのそれとほぼ同一であるはずだ。いずれにしろ、レーダーはうまく働
 いた。きみのいうスクリーンの向こうに大きな部屋があるのが立証された。スクリーン
 の厚みは約三センチ、そしてその向こうの空間は、少なくとも十メートルの奥行きがあ
 る。向う側の壁からの反響は探知できなかった。しかし、それにもかかわらず、われわ
 れはこれを得た」デュヴァルは一枚の写真のようなものを押してよこした。それには一
 本の波状の線が浮き出ていて、それはある一カ所で、地震計にあらわれた弱い地震の波
 のようによじれていた。    
・「そのよじれがわかるか?」「うむ、これはなんだね?」「カレルレンだよ」「坐って
 いたか、立っていたか、どんな格好をしていたかはわからないが、いずれにせよ、スク
 リーンの向う側、約二メートルのところにいた」
・「つぎの問題は、そのスクリーンが通常の光をどの程度まで伝導するかを測定すること
 だった。それについてはある程度の概念を得たと思う。完全な一方透明カラスなどとい
 うのはありえないのだ。そうみえるのは、単に光の加減の問題なんだよ。カレルレンは
 暗くした部屋にいて、きみは明るい部屋にいた。そこで、今度は、それを変えてやるの
 だ!」デュヴァルは不恰好に大きな懐中電灯をひっぱりだした。その一端は朝顔形にひ
 らいていて、全体としてはラッパ銃を連想させる。
・「見かけほど危険なものじゃないよ。きみは、この先端をスクリーンに押しつけてスイ
 ッチを押すだけでいい。すると、十秒間だけ非常に強烈な光線が出るから、君はその間
 に室内をぐるぐる照らして、じっくり部屋の中を観測すればいい。その光は漏れなくス
 クリーンを通過して、きみの友人をあざやかに浮きあがらせるはずだ」
   
・ストルムグレンはが最初感じた落つかなさは、いまではとうに消えていた。カレルレン
 はいつもの癖で複雑な言い回しを駆使しながら、ほとんど一人で喋っていた。これをカ
 レルレンの才能のなかでももっともすばらしい、そしてもっとも意外なものと考えてい
 たが、いまではそれほど驚異的だとも思えなくなっていた。というのは、総督の能力の
 大部分とおなじように、これもまた純然たる知性のしからしむる結果であって、けっし
 て特別な才能ではないことがわかったからだ。思考を人間の話し言葉なみの速度に落と
 すとき、カレルレンは、どんな長い文章でもまとめられるだけの時間が持てるのだ。  
・「今後五十年間には何度も危機が訪れるだろうが、すべてうまく乗り切れる。われわれ
 の描く未来図はきわめて明確なのだ。そしていつかは、こうした困難がすべて忘れ去ら
 れる日がくる。あなたがたのように長い記憶を持つ種族でも」
・その最後の言葉がことさらに強調して云われたので、ストルムグレンは、突然はっと身
 をこわばらせた。カレルレンが口をすべらすなどということは絶対にありえなかった。
・「世界連邦の成立は、あなたはそれまで生きていてその完成を見るだろう。が変化はき
 わめて徐々にやってくるから、ついにそれが実現しても、そのことに気がつくものはほ
 とんどないだろう。そのあと、あなたがたの種族がわれわれを受け入れる心構えをする
 ためのゆっくりした準備期間があり、それから、われわれの約束死した日の到来となる
 のだ」とカレルレンは言った。
・「その日」とカレルレンは、さらに言葉をついで、「人類は心理的断絶としか呼びよう
 のないものを経験するだろう。だが、その影響が長く続くことは決してない。その時代
 の人間は、彼らの祖父たちよりも数層倍強くなっているだろうからだ。われわれは彼ら
 の生活の一部分となる。そして彼らの眼にうつるわれわれの姿は、きみたちの眼にうつ
 る場合ほど、異様ではないだろう」
・「で、そのあとは?」ストルムグレンはそっと訊ねた。「そのあと、われわれは本当の
 仕事にとりかかる」「われわれの世界を整然たるものにし、人類を文明化することは、
 単なる手段にすぎない、必ずほかに目的があるはずだ。カレルレン、いつかはわれわれ
 も宇宙に進出して、あなたがたの世界を見ることができるのですか」「そういうことも
 あるだろう」「しかし、万一その実験が失敗だったら?われわれ自身、地球上で似たよ
 うなケースをいくつか経験している。あなたがただって失敗がなかたとはいいきれない
 はずだ!」「われわれにも失敗はあった」「そんなときどうするのです?」「待つ・・、
 そして再び試みる」
・カレルレンが再び口を開いたとき、その言葉があまりに思いがけなかったので、ストル
 ムグレンは咄嗟に反応できなかった。「さよなら」
・カレルレンに裏をかかれた。もう遅すぎるかもしれなかった。だがストルムグレンの麻
 痺状態はほんの一瞬で終わった。つぎの瞬間、彼はすばやい、手馴れた動作で灯光機を
 取り出し、ガラスに押し当てていた。

・松林が湖のすぐ近くまでせまっていて、波打ちぎわにはわずか数メートルの幅の草地が
 つづいているだけだった。陽気さえよければ、九十歳の年齢にも似合わぬきびきびした
 足どりでこの草地を桟橋まで歩いてゆき、そこに立って夕陽が水面に沈むのをながめ、
 それから冷たい夜気が林から忍び寄って来ないうちにある井出家まで帰る。それがスト
 ルムグレンの日課だった。この単純な儀式が彼に非常に安らぎを与えてくれる。彼は体
 力の続く限り、この習慣を続けるつもりだった。
・湖の上、はるかな西の空から、何かがこちらに向って、低く、非常な速度で飛んでいる
 のが見えた。昼夜の別なく、ほとんど一時間ごとに頭上に飛んでいる極地横断定期便を
 除けば、このあたりでは飛行機はめずらしかった。
・いま飛んでくるのは、小さなヘリコプターだった。そしてそれは、はっきりそれとわか
 る意志を見せてこちらに向かってくる。ストルムグレンは岸辺を見まわして逃げおおせ
 る見込みのないのを知った。  
・その記者の態度があまりにうやうやしかったので、ストルムグレンは軽い驚きを感じた。
 自分が世界の元老であるばかりでなく、祖国以外のところではほとんど神話上の人物に
 ひとしい存在であることを、すっかり忘れてしまっていたのだ。
・「つきさきほど、あるいささか謎めいた話がわれわれの耳に達したのです。それは、い
 まから三十年ほど前、科学技術局の技術者の一人があなたのためにある注目すべき装置
 をつくった、という話しです。  
・ちょっとのあいだ、ストルムグレンは黙っていた。心はいつしか遠い過去に立ち返って
 いた。あの秘密が発見されたことはさして驚くには当たらない。実際、いままで秘密に
 保たれていたこと自体がよほど驚異なのだ。
・「その話にはかなりの真実が含まれている。最後にカレルレンの宇宙船を訪れたとき、
 私はある種の器機をたずさえていった。総督をこの眼で見てやろうと思ってね。いま思
 えば馬鹿なことだった。だが、わたしはあのときはまだ六十歳にしかなっていなかった
 のだから」「結局それはうまくいかなかったんだよ」「気の毒だが、きみも、待っても
 らわなくちゃならんようだ。しかし、あとわずかに二十年なのだからね!」
・あと二十年。そうだ、カレルレンが正しかった。そのころは、この世界もすっかり準備
 をととのえているだろう。 
・カレルレンは彼を信頼してくれた。そしてストルムグレンはその信頼を裏切らなかった。
 あのとき、総督が最初から彼の計画を知っていてその終幕を予見していたことに、彼は
 絶対の確信を持っていた。それでなくてどうして、投光機の光の輪がそれを浮かびあが
 らせたとき、その巨大な椅子がすでに空であったなどということがありえようか?彼は
 すでに遅すぎたという危惧を抱きながらも、光をあちこちと動かしてみたものだ。そし
 て、彼の眼が最初にそれをとらえたときは、人間の背丈のおよそ二倍はあろうと思われ
 る金属のドアは、迅速に閉じようとしていた。すばやい、だが完全にすばやいとはいえ
 ぬ動きで。   
・「われわれにも失敗はあった」そうだ、カレルレン、あれは本当だった。そして、人類
 の歴史の夜明け前に一度やりかけて失敗した、あれはあなただったのか?あれは確かに
 失敗にちがいない。なぜならその影響が幾世代もの年月を越えていまだに尾をひいてい
 るからだ。それが、いまだに全人類の幼年時代につきまとっているからだ。
・だが、ストルムグレンはそこに第二の失敗はありえないことを知っていた。二つの種族
 がふたたびあいまみえるとき、オーバーロードは地球人の信頼と友情をかちえるだろう。
 地球人たちが最初に彼らを見る時に感じるだろうショックさえ、すべてをご破算にする
 ことはできないだろう。彼らとともに手をたずさえて未来へ分けいるのだ。そして、過
 去の歴史を暗く彩っていたにちがいないあの知れざる悲劇は、前史時代の薄暗い時の回
 廊の中に永遠に失われてゆくのだ。
  
黄金時代
・「いよいよ今日です!」ラジオからは、百色もの異なる声が聴取者に々言葉を語りかけ
 ていた。<ついにその日が>幾千もの新聞は同じ大見出しをかかげていた。 
・「今日だ、いよいよ今日なんだ!」やがてカレルレンの宇宙船が降下するだろう広大な
 空き地の周囲に詰めかけたカメラマンたちは、幾度もカメラを転換しなおしながら、わ
 れとわが心に言いきかせていた。
・今では、カレルレンの宇宙船が、じつはニューヨーク上空に浮かんでいるただ一隻しか
 ないことがわかっていた。そうなのだ。ほかの都市の上空にあった宇宙船は、まったく
 実在していなかったのだ。世界がそのことを知ったのは、ほんの昨日のことだった。昨
 日、オーバーロードの大宇宙船団は、朝日に消えてゆく霞のように、無へと消え去って
 いったのだ。どんな技術がそれを可能にしたかは知る由もない。だが、それらがカレル
 レン自身の宇宙船の幻像以外の何ものでもなかったことは、ほぼ確実だった。とはいえ、
 たんなる光のトリックといいきってしまえるような性質のものでもなかった。なぜなら、
 レーダーも人の目と同じく今日まで欺かれていたのだし、だいいち、宇宙船団がはじめ
 て地球の空に現れたときの、大気を切り裂かれる鋭い音を確かにこの耳で聞いたと主張
 する人々が、まだ何人か生存していた。
・「宇宙船が動くぞ!」という声が起こり、たちまち地球のすみずみまで伝わっていった。
 時速一千キロはない速度で、広漠たる成層圏の高みから、宇宙船は、ゆっくりとその広
 い平地に向かって、そして歴史との第二の出会いに向かって舞い降りてきた。 
・その厖大な重量をもろに受けたら、大地はたちまち裂け、震動していたにちがいない。
 しかし、宇宙船は、星々のあいだをここまで飛んできた力にまだがっちりと把握されて
 いた。舞い落ちる雪片よりもまだ軽く、宇宙船はそっと地面に接触した。
・地上二十メートルに聳える湾曲した船体の壁が、流れ、きらめくかに見えた。やがて、
 鏡のように滑らかな光り輝く壁面に、大きな入口が現われた。獲物を狙う猟犬の眼さな
 がらのカメラにも、その内部にあるものは見えなかった。
・全世界が、息をつめてその暗い入口を見守っていた。しばらく時が経過したのち、よう
 やく、あの稀にしか聞かれない、しかし一度聞いたら忘れられないカレルレンの声が、
 どこか隠れた装置から流れてきた。これほど予想に反した言葉は、またとなかった。
 「舷門の下に、子供たちが何人かいるようだ。そのうちの誰か二人に、わたしを迎えに
 上がってきてほしい」
・一瞬、死のような静寂があった。それから、一人の少年と一人の少女が、群衆の中から
 進み出ると、まったく自意識を欠いた動作で、舷門へ、歴史へと歩み寄っていった。
・冒険の期待に胸おどらせながら、二人の子供(どちらも六歳以上にはなっていなかった)
 は、金属のすべり台に跳びのった。そのとき、最初の奇跡が起こった。足下の群衆や心
 配げに見上げている親たちに元気よく手を振りながら、子供たちは見る見るその急な斜
 面を昇りはじめていた。といっても、脚が動いているわけではなかった。しかも、彼ら
 の身体はその奇怪な舷門に対して直角に傾いてさえいたのだった。その金属板には、そ
 れ自体の固有の重力、地球の重力をまったく無視することのできる動力が働いていたの
 だ。   
・二人の子供は、この新しい経験を楽しんでいた。そしてなぜ身体が自然に昇っていくの
 か不思議がっているうちに、頂上に達して宇宙船の中に消えてしまった。
・やがて、その巨大な入口の中に垂れこめた闇が前面に押し出されるかに見えると同時に、
 カレルレンが陽光の中に姿を現した。左腕には少年が、右腕には少女がすわっている。
 二人ともカレルレンの翼をもてあそぶのに夢中で、見守る大群衆には目もくれない。
・気絶したものがほんの数えるほどしかなかったという事実は、オーバーロードの心理学
 の、そして、彼らの慎重な準備期間のもたらした賜物といってよかった。とはいえ、理
 性が勝ってそれを追い払う前のほんの一瞬、あの昔ながらの恐怖に頬を逆なでされるよ
 うな感じを味わわなかった者は、おそらくほとんどなかったろう。
・疑う余地はなかった。皮に似た強靭な翼、短い角、さかとげのある尻尾、すべてがそこ
 にあった。ありとあらゆる伝説に巣食うもっとも恐ろしい存在が、知られざる過去の暗
 闇から、こうして現実の姿となって現れたのだ。  
    
・五十年という年月は、一つの世界とその住民たちを、ほとんど原形をとどめないまでに
 変えてしまうに足りる年月である。その仕事に必要なのは、社会工学の的確な知識と、
 めざす目標への明確な見通しと、そして力である。そしてそれらのすべてを、オーバー
 ロードは持っていた。 
・その力はさまざまな形をとっていた。しかし、いまオーバーロードによってその運命を
 支配されている人間が実感として知っているものは、まだ数少なかった。巨大な宇宙船
 に秘められている力は、誰の眼にも明らかだった。だが、そうした眠れる力の誇示の背
 後に、ほかの、もっと微妙な武器が隠されていたのだ。
・カレルレンはかつて、ストルムグレンにこう言ったことがある。「あらゆる政治問題は、
 力を正しく適用することによって解決できるものだ」と。ストルムグレンは答えた。
 「まるでわれわれの<力は正義なり>そっくりだ。われわれの過去の歴史においては、
 力を用いることは結局、何の解決にもならなかった」「いや、鍵は”正しく”という言葉
 なのだ。地球の人類はまだ、真の力を持ったことも、それを運用するのに必要な知識を
 持ったこともない。どんな問題も、効果的な対処の仕方とそうでないものとがある」
・カレルレン計算は正確だった。際者の反射的な衝撃は、またたくうちに消えた。とはい
 え、迷信にとらわれないことを誇っているくせに、オーバーロードに現実に出会えばや
 はり面をそむけずにはいられないだろう人々が、世間には無数にいた。何か奇妙なもの
 が、何か、あらゆる理性や論理を越えたものがそこにはあったのだ。中世において、人
 々は<悪魔>を信じ、それを恐れた。しかし、いまは二十一世紀だ。それとも、人間に
 は種族的記憶というべきものが、結局は実際にあったのだろうか?
・いまでは、オーバーロードもしくは同じ種族の生物が地球を訪れて古代人類と激しい衝
 突をしたらしいことが、一般に信じられていた。その出来事があったのは、遠い過去の
 ことにちがいなかった。どんな歴史書をひもといても、それらしきことが一行も記録さ
 れていないからである。  
・オーバーロードは、こうして地球人の前に姿を現すようになったとはいえ、ただ一隻残
 った彼らの宇宙船から出てくることは稀にしかなかった。おそらく、彼らの体躯の大き
 さからして、地球上ではあまり居心地がよくないことを知ったからだろう。それに、彼
 らの翼は、彼らがもっと重力の低い天体の生まれであることを示していた。また、彼は
 どこへ行くにも複雑な装置の組み込まれたベルトをしめてきたが、それは一般に、重量
 を調整するためと、仲間同士交信し合うためのものであると考えられていた。直射日光
 は彼らにとって苦痛以外の何ものでもなく、数秒以上日向にとどまることは絶対になか
 った。しばらく戸外に出ていなければならないときは、必ず黒眼鏡をかけたが、それは
 彼らに、どこか似つかわしくない印象を与えた。
・また、地球の大気は彼らにも充分呼吸できるらしかったが、それでもときにはガスをつ
 めた小型のシリンダーを携えてきて、ときおりそれを吸っては元気をつけている情景が
 見られた。   
・種々の意味で、オーバーロードの出現は、それが解決したものよりさらに多くの問題を
 提起していた。彼らの生物学的起源はいまだに謎のままだったし、その生態は尽きざる
 推理の泉であった。
・一般の人間は、オーバーロードに出会わないことをこそ望んでいたものの、彼らの地球
 に対する貢献については、充分な感謝の念を抱いていた。
・人類の精力が建設的な方面へ向けられるとともに、地球は急速に変貌していった。いま
 では、地球はほとんど文字通り一つの新世界であった。幾世代ものあいだ人類に貢献し
 てきた多くの都市が、つぎつぎと再建されるか、さもなければ、価値を失うと同時に放
 棄され、博物館の標本となっていった。
・こうした方法で、すでにかなりの都市が廃棄された結果、商工業の機構全体が一変して
 しまった。生産は大規模に機械化され、無人工場が絶え間なく消費物資を市場に送り出
 したので、一般の生活必需品は事実上無料になった。人間はただ自分の望む贅沢のため
 に働くか、それともまったく働かないかのいずれかだった。
・世界は単一国家になった。世界のどこを探しても、英語を話せない者、読み書きできな
 い者はいなかった。テレビを受像てきない地域はなかったし、二十四時間以内に地球の
 反対側を訪れることのできない者もなかった。
・犯罪は事実上姿を消した。犯罪そのものが不必要になったからであり、不可能になった
 からでもあった。誰もが満ち足りた生活をしているときに、なぜ盗むことがあろう。
 情痴犯罪は、必ずしも完全になくなったわけではなかったが、それでも稀にしか聞かれ
 なかった。人間が、以前よりもはるかに分別に富んだ、ずっと理性的な動物になってい
 たのである。    
・もっとも著しい変化の一つは、二十世紀という時代をあれほど特徴づけていた。あの気
 ちがいじみたテンポが、すっかり緩慢になってしまったことだった。生活はこれまでの
 どんな時代にもましてのんびりしてきた。大多数の者は、以前よりもずっと平和な人生
 を送れるようになっていた。
・将来のことはともかく、少なくとも現在のところは、人類が体退屈するということはな
 かった。いままで以上に徹底した教育が施行され、その期間も延長された。
・このように、肉体的成熟に関係なく、人間としての見習い期間が引き延ばされたことか
 ら、多くの社会的変革が惹き起こされた。そのうちには、これ以前の時代にすでに必要
 であったものがかなりあった。前時代人たちは、その事実に直面することを拒むか、さ
 もなければ、そんな必要性がないかのように装ってきたのだった。中でも、セックスの
 習慣というか、その在り方が、根底から変わってしまった。これまでの在り方は、二つ
 の発明によって、事実上完全に崩壊していた。その二つの発明が、純粋に人間の頭脳の
 所産であって、オーバーロードには何一つ王ところがなかったという事実は、まことに
 皮肉なことだった。
・その第一は、確実な経口避妊薬お普及だった。そして第二は、血液の精密分析によって
 子供の父親をつきとめる方法が、指紋から身許を割り出すのと同じく絶対にまちがいの
 ない方法として、世に広まったことだった。この二つの発明が人間社会に及ぼした影響
 は、破壊的とすら言えるような大きなものだった。清教徒的異常心理は、痕跡も残さず
 払拭されてしまった。
・もう一つの大きな変化は、この新しい社会が、異常なまでに高い流動性を持っていたこ
 とだ。網の目さながらに発達した空路のおかげで、どこへ行くにも、目的さえいうだけ
 ですぐに出かけることができた。二十一世紀は、一国の国民を全部自動車に乗せるとい
 う二十世紀の偉大なアメリカ人の成功を、さらに大規模にした形で受け継いでいた。
 二十一世紀は世界に翼を与えたのである。
・もちろん、文字通りにではない。普通の自家用機やエア・カーには、翼というものはま
 ったくなかったし、それどころか、目に見える方向舵らしちものすらなかった。かつて
 のヘリコプターのような不格好な回転翼も、いまではすっかり敬遠されていた。
・しかし、人類はまだ反重力を発見していなかった。この秘密はオーバーロードだけのも
 のだった。人類のエア・カーは、ライト兄弟にも容易に理解できるだろう動力によって
 推進した。ジェット・エンジンは、直接方式と、境界層コントロールというより微妙な
 方式と、両用に利用されていて、飛行車(フライヤー)を推進させたり空中に静止させ
 たりする役目を果たしていた。 
・こうして、いたるところを小型エア・カーが飛び回るようになった結果、異人種間を隔
 てた最後の垣がきれいさっぱり取り払われてしまった。
・二十一世紀は完全に非宗教的な時代だった。オーバーロードの出現以前にあった種々様
 々な宗教のうち、現在残っているのは、あの非常に浄化された一形態(おそらく、あら
 ゆる宗教のうちでももっとも厳格な戒律をもったものだったろう)だけだった。奇跡や
 神託に基づいた宗教は、例外なく完全に没落していた。
・半永久的な貸付契約のもとにカレルレンは、世界史研究財団に、一見なんの変哲もない
 テレビ受像機を貸付した。普通の受像機とのちがいは、時空の四次元連続体における座
 標を決定するための一連の精巧な装置が組み込まれている点だけだった。そしてこの機
 械は、カレルレンの宇宙船に設備された、はるかに複雑な、人間などの想像も及ばぬ原
 理でうごく機械に、なんらかの方法でつながっていたにちがいなかった。人はただダイ
 アルを調節するだけでよい。するとそこに、過去への窓が開くのだった。過去の五千年
 間の人類の歴史のほとんどが、一瞬にうちに、誰にでも手の届く存在に変わるのだ。
・しかし、この機械は、それ以上古い時代にまでさかのぼることはなかった。いくらダイ
 アルをまわしても、出てくるのは不可解な空白だけだった。何か自然の原因だったかも
 しれないし、オーバーロードの周到な検閲だったかもしれなかった。 
・そこに暴露されたのは、疑うことも否定することもできない意外な事実だった。オーバ
 ーロードの科学の力のよって、世界のおもな宗教全部の真のはじまりの姿が、ここには
 じめて明らかにされたのだった。わずか数日のうちに、人類の信仰のうちに生きていた
 種々雑多な救世主たちは、その神性を永遠に失った。容赦のない冷酷な真理の光のもと
 に、二千年の長きにわたって常に何千万もの信者を擁してきた宗教は、いずれも朝露の
 ごとく消えていった。
・人類はこうして古き神々を失った。そして、いまさら代わりに見つけねばならぬ年ごろ
 ではなかったのである。それに気づいたものはほとんどなかった。が、実は、この宗教
 の没落は、科学の衰退と時を同じくして起こっていたのだった。世界には無数の技術家
 がひしめいていたが、人類の知識の最前線を延長すべく創造的な仕事に打ち込こうとい
 うものはほとんどなかった。好奇心はまだまだ旺盛だったし、そのための余暇も充分に
 あったはずなのだが、人々の心は地味な基礎的学術研究からまったく離れていた。オー
 バーロードがもう幾世代も前に発見してしまっているにちがいない秘密を一生を賭けて
 求めるなど、どう考えても無益に思えたからだろう。
・あらゆる種類の不知や相剋が姿を消したことは、同時に、創造的芸術の事実上の壊滅を
 意味していた。素人たると玄人たるとを問わず、俳優と名乗るものは世に充満していた
 が、いっぽう、真にさく傑出した新しい文学、音楽、絵画、彫刻作品は、ここ二、三十
 年というものまったく出現していなかった。世界はいまだに、二度と還ることのない過
 去の栄光の中に生き続けていたのだ。
・だが、この事態を憂えるものは少数の哲学者以外にいなかった。人類は手に入れたばか
 りの自由を貪ることに急で、現在の快楽の先にあるものを見通していなかった。ユート
 ピアがついにここに実現したのだ。その目新しさは、まだあらゆるユートピアの最大の
 敵、”退屈”、に侵されるまでには至っていなかった。
・彼らがやって来てすでに人間の一生ほどの歳月が経過したというのに、彼らの究極の目
 的を知るものは一人としていなかった。人類は彼らを信頼するようになっていた。カレ
 ルレンたちをこれほどの長期にわたって故郷から引き離したままにしているその超人間
 的な愛他心を、なんの疑問もなく受け入れるようになっていた。もしそれが本当に愛他
 心であるならば。    

・図書室は家の幅いっぱいに奥行きを取っていたが、事実上は巨大な本棚によって六つの
 小室に分割されていた。ここには約一万五千冊の本があるはずだった。魔術、心霊研究、
 易学、精神感応、超物理学の名のもとに一括されるもろもろの捕らえどころのない現象、
 そういった類いのきわめて曖昧模糊とした問題について、これまでに出版された目ぼし
 い書物のほとんどがここの網羅されているはずだった。この論理の時代に、これは珍し
 い趣味だった。
・いまそこで、誰かが、不自然なほど薄暗い光のもとで本を読んでいた。ジーンがかすか
 にはっと息を呑んで、ジョージの手を握りしめた。この無作法は、しかし、無理もなか
 った。テレビにうつる映像を見るのと実物に会うのとは、まったく別ものだからだ。め
 ったにものに動じないジョージは、いまもすぐにこの事態に立ち向かっていた。「お邪
 魔をしたのではければ幸いですが」と彼は丁寧に言った。「あなたがいるとは知らなか
 ったものですから」  
・オーバーロードは本を置き、二人をしげしげとながめ、それからまた本を取り上げて読
 みはじめた。その動作には、非礼な感じは毛ほどもなかった。同時に読みかつ話し、そ
 しておとらくはさらにいくつかのこともやってのけるであろうオーバーロードだからだ。
 だが、それにもかかわらず、人間にとってはこの光景はひどく精神分裂症的に見えるの
 だった。
・「わたしはラジャヴェラクという」オーバーロードは穏やかな口調で言った。「わたし
 はどうも、あまり社交的なほうではないらしい。しかし、ルーパーとの図書室は、一度
 入るとなかなか脱け出せない場所だ」
・この思いがけない相客は、彼女の見たところ、一ページを二秒の割合で読破しているよ
 うだった。それでも彼が一語もあまさず消化していることは疑う余地がなかった。 
・椅子が小さすぎるので、ラジャヴェラクはじかに床にすわりこんでいたが、見たところ、
 それで結構くつろいでいる様子だった。そのため、彼の頭は床から約二メートルのとこ
 ろにあって、ジョージに、この地球外生物をつぶさに観察する得がたいチャンスを与え
 ることになった。ただ、その奇妙な、しかし決して不愉快ではない匂いだけが、彼にと
 って新しいものだった。
・ラジャヴェラクを眺めていると、無知が上に怯えきった古代人が、遠くから眺めて、オ
 ーバーロードを翼ある人と思い誤ったのも無理はないとジョージは思ったし、その結果、
 オーバーロードがあの定式化した<悪魔>の原型となったことも理解できた。
・しかし、こうしてごく近くで見ると、そんな錯覚はあらかた消えてしまった。小さな角
 はいわゆる<悪魔>の公式どおりだが、身体は、人間のそれにも似ていなかった。まっ
 たくかけ離れた進化の段階を経てきたのだろう。オーバーロードは哺乳類でも昆虫でも、
 あるいは爬虫類でもなかった。この堅い外殻だけが、彼らの身体を支える唯一の骨組か
 もしれないのだ。  
・ラジャヴェラクの翼はたたまれていたので、ジョージにはよく見えなかった。しかし、
 鱗の生えたパイプに似たその尻尾は、くるりと丸められて尻の下に敷かれていた。高名
 なさかとげは鏃というよりもむしろ大きな、平たいダイアモンドに近かった。空中を飛
 ぶとき安定をとるためのものと考えられていた。
・科学者たちは、オーバーロードが、重力の低い、きわめて濃密な大気を持った天体の生
 まれであろうという推論を下していた。 
・ジョージは、彼の手に指が七本あること、つまり、五本の指の両側にさらに指が一本ず
 つ付いていることを発見した。

・「オーバーロードがいかに高い科学水準にあるかを考えたら、彼らが心霊現象のような
 ナンセンスに興味を持つなんて考えられないよ」「ナンセンスだろうとなかろうと、彼
 らは人間心理に興味を持っているんだ。そしておれは、そうしたことについて彼らに教
 えてやれる本をちょっとばかり揃えている。ここに移ってくるちょっと前のことだが、
 ある下級のオーバーロードが訪ねてきて、おれのいちばん貴重な本ばかり五十冊ほど貸
 してこらえないかというんだ。誰か大英博物館の図書館の司書の一人から、おれのこと
 を聞いてきたらしんだな」

・どんなユートピアも絶えずすべての人間を満足させておくことはできない。物質的な面
 が改善されるにつれて、人間の視野もまた広がる。そして彼らは、一昔前なら気ちがい
 じみた妄想とし考えられなかったろう不思議な力や便利なものにも、いつか満足しなく
 なってしまう。そして外界がその持てるものすべてを与えてきたときにさえ、探求の精
 神や心の憧れは残るのだ。
・一世紀前、人類は彼らを星々へ導いてくれるはずの梯子に片足をかけていた。だがまさ
 にその瞬間、それははたして偶然だったろうか?ほかの惑星に通じるドアは、彼らの面
 前でかたく閉ざされてしまったのだ。オーバーロードが人類の活動に明確な形で制限を
 つけたことはほとんどなかったが(戦争の禁止がその唯一最大の例外だった)、宇宙飛
 行に関する研究はそれ以後事実上停止してしまった。オーバーロードの科学の威力があ
 まりに大きかったからだ。少なくともしばらくの間、人類は完全に意気沮喪し、その精
 力をほかの分野にのみ傾けていた。オーバーロードが、人類にはそのヒントすらつかめ
 ない原理にもとづいた途方もなく優れた推進方式を駆使しているというのに、いまさら
 ロケット推進を開発して何になろう。
・数百人の人間だけが、月観測所を開設するために選ばれて月世界を訪れた。彼らは、オ
 ーバーロードが貸し出したロケット推進の小型宇宙艇でただの乗客として旅をした。
 仮にオーバーロードが詮索好きな地球の科学者たちのために無条件でそれを下げ渡して
 くれたとしても、その原始的な宇宙艇から学ぶところはほとんどないことは明らかだっ
 た。 
・かくして人類は、いまだに彼自身の惑星の虜囚だった。その惑星は、百年前に比しては
 るかに住み心地のよい、だがはるかに小ぢんまりとした世界となっていた。オーバーロ
 ードは、戦争や飢餓や疫病を撤廃したが、同時に冒険をも廃止してしまったのだ。
・のぼる月が東の空を、青白い乳白色の光でいろどりはじめた。あの月面に、プラトン山
 脈の内ぶところに抱かれてオーバーロードの最大の基地があるのだ、とジャンは思った。
 補給船がそこへ出入りし始めてからかれこれ七十年以上になるはずなのに、あらゆる目
 隠しの幕が取り払われ、地球の目の前で堂々と離着陸が行われるようになったのは、わ
 ずかにジャンの生まれたことであった。五メートルの望遠鏡を通して見ると、朝日や夕
 日がそれらの巨大な船の影を月の平原に何キロもの長さにわたって投げかけているのが、
 はっきりと見てとれた。 
・いまから数時間前、そういった長大な影の一つが消えた。それが何を意味するか、ジャ
 ンは知っていた。月の上空のどこかにいま一隻の宇宙船が浮かび、その遠い、知られざ
 る故郷への旅にのぼるべく、出発に必要な手続きをとっているところなのだ。
・五十万キロの彼方でスタードライヴが発進したのだ。大きく広がった月光の中心付近か
 ら、小さな花火が天頂さして昇りはじめた。最初のうちその進み方は非常にのろく、動
 くか動かないかといって程度だったが、やがて刻々と速度をあげていった。昇るにした
 がってそれは輝きを増し、それから、突然かき消すように見えなくなった。と、次の瞬
 間、さらに速度と光輝とを増してそれはふたたび現われた。奇妙なリズムの明滅を繰り
 返しながら、天頂をさしてますます速く、いよいよ高く昇り進み、星空に揺れ動く光の
 線を描き出す。実際の距離を知れなくても、そのスピード感はおもわず息を呑むほどだ
 った。遠ざかり行くその宇宙船がじつは月のはるか彼方にあることを知っていたら、そ
 の意味するスピードとエネルギーに、人は眩暈を覚えたにちがいない。
・ジャンがいま見ているのは、そうしたエネルギーの、さして重要でない副産物なのだ。
 彼はそれを知っていた。宇宙船自体は肉眼には見えず、すでにその天翔ける光よりはは
 るかに先を飛んでいるのだ。高空を飛ぶジェット機が背後に飛行雲を残すことがあるよ
 うに、オーバーロードの恒星船も、独特の航跡を残す。スタードライヴの想像を絶する
 速度が、宇宙空間に部分的にひずみを生ずる結果だというのであった。つまり、ジャン
 がいま見ているのは、遠い星々の光が集光され焦点を合わされて見えるのにほかならな
 い。宇宙船の軌道上の条件さえよければ、いつでも見られる現象だった。これは、相対
 性原理の一つの目に見える証拠、強大な重力場にぶつかった光の屈折なのである。
・いまその巨大な、鉛筆のように細いレンズの先端は、次第に動きを鈍くしてきたようだ
 った。だがそれは、たんに遠近法のしからしむるところなのだ。現実には、宇宙船はま
 すます加速を増している。ただそれがしだいに遠ざかるにつれ、遠近の関係から距離が
 縮まって見えるだけなのだ。
・この光景はまた、ジャンだけでなく無数の望遠鏡によっても追われているはずだった。
 なぜなら、地球の科学者たちは、この推進方法お秘密をさぐろうと懸命だったからだ。
 この問題については、すでに幾多の論文が発表されていたが、オーバーロードがそれら
 を多大の興味を持って読んだことは疑いない。
・いまそれは一条のかすかな筋となって、竜骨座の中心に向かっていた。ジャンがこれま
 でに知ったところによると、オーバーロードの故郷は、どこかそのあたりにあるはずだ
 った。だが、宇宙のその一扇形区画には一千もの星があり、オーバーロードの星はその
 うちのどれであるともいえるのだ。
    
・ルーパーとは、友人たちを、完全な円形をした、小さいがどっしりしたテーブルのまわ
 りに案内した。テーブルには平らなプラスチックの蓋がついていて、それを取り外すと、
 中には黒光りするボール・ベアリングの玉がぎっしり詰まっていた。テーブルのふちが
 ちょっと持ち上がっていて、玉がこぼれ落ちるのをふせいでいる。これがいったい何の
 目的で作られたものなのか、ジョージにはかいもく見当もつかなかった。
・一同が椅子を引き寄せると、ルーパートはテーブルの下から直径十センチばかりの円盤
 を取り出し、ぎっしり詰まった玉の上においた。「この上に指をのせる、するとこれが、
 なんの抵抗もなく自由に動きまわる、というわけだ」
・テーブルの周囲には、アルファベットが一定の間隔をおいて、ただしこれといった順序
 なしに、書かれていて、そのほかに一から九までの数字が文字のあいだに適宜散らして
 あり、”イエス”とノー”と書かれた二枚のカードが、テーブルのふちに相対する位置に置
 かれていた。  
・リーパートが言った。「この仕掛けに何か超自然的なものがあるかどうかは別として、
 これが働くことは確かなんだ。個人的には、ぼくはこれには純粋に機械学的な説明があ
 ると思っている。われわれがこの円盤に手おく、するとたとえわれわれにその意志がま
 ったくなくとも、われわれの深層意識がこれの動きに影響を及ぼしはじめるんだ」
・ラジャヴェラクはこの珍無類な実験をどう考えているだろう、とジョージは思った。彼
 の反応は、原始的な宗教儀式を見守っている人類学者のそれではないだろうか?この仕
 組み全体が何もかもあまりに現実ばなれしている。ジョージは生まれてはじめて阿保に
 なったような気がした。 
・「誰かいますか?」ルーパートはが繰り返した。円盤が動いていた。それは”イエス”と
 ”ノー”と書かれた二枚のカードのあいだを、大きく弧を描いて振動しはじめた。答えは
 ”イエス”だった。円盤はそのあとすぐにテーブルの中央に戻った。
・「あなたは誰ですか?」とルーパーとが訊ねた。こんどは、文字が綴られていくのに、
 なんの逡巡もなかった。円盤は、さながら生けるもののように円盤上を駆けめぐった。
 「ワレハスベテナリ」円盤はそう綴ると、もとの平衡点に戻った。
・三十分ほどたつと、ルースのノートには様々な答えがぎっしり書き込まれていた。その
 うちのいくつかは、かなり長かった。いくつかスペルのまちがいもあったし、文法に合
 わない滑稽な文章もあった。が、それらはごくわずかだった。
・この実験全体からジョージが受けたのは、自分が何か特定の目的を持った独立した意識
 と接触しているのだという、不気味な印象だった。
・「もう一つだけ質問するとしよう。そしたらおしまいだ。きみはどうだ、ジャン?」意
 外にも、ジャンはまったくためらわなかった。まるでずっと前から質問することに決め
 ていて、いままで機会を待っていたようだった。彼はちらっとラジャヴェラクの巨体に
 目をやると、それから明瞭な、落着いた声で言った。「オーバーロードの母星は?」
・ラジャヴェラクは身を乗り出し、ルーパートの肩越しに一同の環の中を見おろした。そ
 して、円盤が動きはじめたのだ。それが止まったあとに、短い沈黙があった。それから
 ルースが、とまどったような声で言った。「NGS549672って、いったい何?」
 誰も答えられなかった。誰も答えられなかった。なぜなら、ちょうどその同じ瞬間に、
 ジョージが不安を露わにした声で言ったからだ。「誰か手を貸してくれ、ジーンの様子
 が変だ。気絶したらしい」

・オーバーロードの言語は、これまでいくつも録音されていたが、それらはきわめて複雑
 で、いっさいの分析を受けつけなかった。また、話される速度が非常に速いので、仮に
 その言葉の原則に精通した通訳がいたとしても、オーバーロードが普通に喋るのにすら
 ついていけないことは明らかだった。
・「この気絶した女は?」カレルレンがラジャヴェラクに問うた。「ジーン・モレルが通
 信の媒介者だったことはほぼ確かです。しかし、彼女はもう二十六歳です。これまでの
 われわれの経験からすると、彼女自身が<第一次接触者>であるとするにはあまりに年
 をとりすぎています。したがって、それは彼女と密接な関係にある誰かでなくてはなら
 ない。そうなればもう結論は明らかです。われわれはこれ以上手をこまねいて待っては
 いられません。ただちにこの女を<紫色部門>へ移しましょう。現在生きている人間の
 うちで、もっとも重要な人物であるかもしれないですから」
・「で、その質問をしたという青年についてはどうかね?」「彼があの場にいわわせたの
 は 単なる偶然です。彼は宇宙旅行に異常な関心を持っています。ケープタウン大学の
 宇宙旅行研究会の書記を務めていますし、この方面の研究を一生の仕事にするつもりな
 ことも確かです」
・「われわれの本拠を知らせないというのは、われわれの<作戦命令>の一部ではあるが、
 その情報がわれわれに不利に使われるとは限らないわけだ」「だが、あまり安心してし
 まわないほうがいい。人類はあれなりに小才が利くし、時にひどく執拗でもある。彼ら
 を過小評価するのは危険だ」
 
・「あのオーバーロードがどう思ったしら。ジョージ、わたしオーバーロードがこわいわ。
 もちろん悪魔だとか、そんな馬鹿げたことを言おうというんじゃなくてよ。彼らが善意
 の宇宙人であって、わたしたちのためによいと思うことをやってくれてるんだというこ
 とは、よくわかってるの。でも彼らのほんとうの目的はいったい何なのかしら?」ジョ
 ージはもじもじ身体を動かした。「そのことなら、彼らが地球にやってきたとき以来、
 みんなが考えていることさ」「いずれ時期がくれば、彼らだってきっと話してくれるよ」
 
・ジャンは、せかずに時を待っていた。急ぐ必要はなかったし、考える時間も欲しかった
 のだ。そのうえ、それ以上の行動に出るためには、まず天文台の図書館へいって、館員
 に会わなければならなかった。一週間待てばもっといい機会がめぐってくるはずだ。
 ジャンはオーバーロードが彼の邪魔をするためにとるであろう手段を恐れていたが、そ
 れに劣らず、笑いものになるのを恐れてもいた。もしこれが無謀な企てであるとすれば、
 誰にも知られてはならないのだ。
・彼にはロンドンへでかけるれっきとした理由があった。もう何週間も前から決めていた
 ことなのだ。国際天文学連合の総会に出席する代表団の一員というのが彼の肩書だった。
・ロンドンは過去五十年間に著しい変貌をとげていた。現在では、二百万足らずの市民と、
 これに百倍する数の機械によって構成されている。港としての性格はとうに失われてい
 た。というのは、すべての国がほとんどの必需品を自給自足するようになった結果、世
 界の貿易地図が完全に塗り変えられてしまったからである。  
・ジャンが機会をつかんだのは、会議が二日目に入った日のことだった。彼は急いで建物
 の案内図のある階まで降りると、めざす部屋のありかを探した。さしたる苦労もなく図
 書室を見つけ出した。そこでまず望むものを捜し出し、それからその厖大な天体観測便
 覧をとう扱ったらいいかを会得するまでに、約一時間を費やした。ようやく探索が終わ
 りに近づいたとき、彼はかすかな震えを感じた。彼は手にしていた本をその同類のとこ
 ろへ戻し、長いあいだ身じろぎもせず坐ったまま、目の前に並んだ書物の背を見つめて
 いた。だが、眼は何も見ていなかった。
・彼の頭の中はまだ混沌としていた。オーソドックスな科学をおさめた人間にとって、い
 ま彼が手中にした証拠は、そう簡単には受け入れにくかった。それが真相かどうか、も
 とより確信があったわけではない、が、たとえ可能性としても、それは充分に驚異的だ
 った。 
・「NGS549672」というのは、天文学者以外の者にとってはなんの意味もないは
 ずだ。あの厖大な天体観測便覧が完成したのはもうかれこれ半世紀も前のことだが、そ
 の存在をわずか数千の専門家に知られているにすぎない。ましてや、その中から任意に
 ある番号を選び出し、その星が天界のどのあたりにあるかを言い当てることなど、専門
 家にさえ易しいことではない。
・「NGS549672」として知られるちっぽけな恒星は、まさしく狙ったとおりの地
 点にあるのだ。竜骨座の中心部、わずか数日前に彼がその眼ではっきりと見た、あの輝
 く航跡の尽きるあたりに位置しているのだ。
・これは偶然であることはありえない。「NGS549672」は、オーバーロードの生
 まれ故郷でなくてはならない。だが、この事実を受け入れることは、彼が後生大事にし
 てきた科学主義をないがしろにするものだった。
・NGS549672については、ほとんど知られていなかった。それをほかの百万もの
 星と区別する何ものもなかったからだ。知識は力だ。そして彼は、オーバーロードの本
 拠地を知るただ一人の地球人なのだ。この知識をいかに使うか。彼にはまだわからなか
 った。 

・人類は、平和と繁栄の長い曇りのない発の午後を楽しんでいた。知性と良識の時代が
 二百五十年前、時期尚早のきらいはあれ、フランス革命の指導者たちが熱狂的に待ち望
 んだその時代が、ついにここに実現したのだ。
・もちろん、この時代にもいろいろと欠点はあった。たとえば、テレキャスターが各家庭
 で電送印刷する新聞はじつはかなり退屈なものだったが、それに気づくには、かなりの
 老人である必要があったのだ。警察を手玉にとり、抑圧された羨望である場合が多い道
 義的憤激を幾百万もの人々の胸に呼び覚ますといった類の謎に包まれた殺人事件は、ま
 ったく起こらなかった。たまに起こる殺人事件といえば、これはぜんぜん謎ではなかっ
 た。ただダイアルを回しさえすれば、その犯罪がまのあたりに再現されるのだ。こうし
 た芸当をやってのける機械が存在するというのは、最初のうち、遵法精神に富んだ人々
 のあいだにかなりの恐怖をひき起こした。このことはまた、人間心理の微妙なあやを、
 全部とはいわないまでもほとんどのみこんでいたつもりのオーバーロードたちにとって
 も、意外な出来事だった。彼らはあわてて、のぞき趣味の人間が隣人をスパイするよう
 なことは絶対に起こらないことを確約し、同時に、人間の手にあるごく少数の同種の機
 械も、厳密な監督下におかれる旨を明らかにしなければならなかった。
・週の平均労働時間は二十時間だった。だが、この二十時間は、けっして閑職という性質
 のものではない。きまりきった仕事はほとんど残っていなかった。わずか数千のトラン
 ジスタといくつかの光電管、または一立方メートルほどのプリント回路などで充分こな
 せる仕事に、わざわざ人間の頭脳を使うのはもったいないというのだ。何週間も誰一人
 見回りにいかず、機械だけで立派にやっていける完全オートメーション工場があった。
 人間の役目は、故障個所を発見したり、決定をくだしたり、新しい企画を立案したりす
 ることであった。あとはロボットが全部引き受けた。
・大部分の人々は、二軒の家を、それぞれ非常に離れた場所に持っていた。極地が開発さ
 れた結果、全人類の相当部分にあたる人々が、長い、夜のない極地に夏を求めて、六カ
 月ごとに北極と南極を往復して暮らしていた。そのほか、砂漠に住む者あり、山奥へわ
 けいる者あり、はては海底にまで進出する者もあった。
・人々がこうした酔狂にふけることができたのも、金と暇がありあまっていたからだ。軍
 備が撤廃されたことがたちどころに世界の実質上の富を二倍にし、生産の増大がさらに
 それに拍車をかけた。何もかも非常に安く、生活必需品はほとんどが無料で、かつての
 道路や水道、電気、下水などとおなじく、地域社会の公益事業となっていた。人は一文
 の金も使わずにどこへでも望むところへ旅行できたし、なんでも好きなものを食べるこ
 とができた。 
・今日では、人類の全活動のおよそ四分の一が、チェスのような完全な坐業から、峡谷を
 跳び越えるスキー・ジャンプのように死を賭したものまで、ありとあらゆる種類のスポ
 ーツに費やされていた。スポーツ以外では、多岐にわたる娯楽が最大の単一産業であっ
 た。 
・しかし、こうしていまや歩一歩と巨大な遊園地への道を歩みつつあるかに見えたこの惑
 星にも、おびただしい娯楽や気晴らしの間隙を縫うように、ときおり、ある古い、しか
 しついに答えられることのない質問をわれとわが心に投げかける者が、またいくらはい
 た。その質問では「われわれはこの先どこへ行くのだろうか?」
 
・「これまでにどのくらいの動物をオーバーロードのところにおくりました?」とジャン
 はルーパートに訊ねた。「少なくとも五十は送っているね。といっても、その中ではも
 ちろんこの像の剥製が最大だ」「こいつはあまりぞっとしない想像ですがね、彼らのコ
 レクションには、ホモ・サピエンスの剥製もだいぶまじっているんじゃないですかね」
 「もし誰かが生きた標本になりたいと志願して出たら、どういうことになるでしょうね?
 もちろん、いずれは帰れるという保証つきですが」
・それは宇宙船のキャビンのようだったが、そうではなかった。壁面は計器や器機類でび
 っしりとおおわれていて、窓はどこにもなく、ただ操縦士の前に大きなスクリーンがあ
 るだけだった。乗客の定員は六人だったが、いまはジャン一人だ。
・操縦士は船首を下に向けた。潜水艇はいま、南太平洋海盆と呼ばれる、まだ探検されて
 いない広大な広がりへ向かっていた。ほとんど何も見えなかった。潜水艇の探知機はむ
 なしく水中を模索していた。
・小さな船室はかすかに震動していた。その震動の源泉をなす力は、彼らの頭上のはかり
 知れぬ水の重圧を食い止めている力であり、同時に、人間が生きていくために必要なご
 くわずかの光と空気とを作りだしている力でもあった。    
・潜水艇は静かな降下を続けていた。やがてスクリーンに別の画像が現われはじめた。
 「あのあたりです」と操縦士が言った。「もうじき実験所が見えてきますよ」そのとき、
 一キロほど前方に、一群の球体が見えてきた。球体はそれぞれ三本脚の台の上に載り、
 相互にチューブで連結しあっていた。
・「もしオーバーロードたちさえ邪魔しなかったら、ぼくらは今頃、もう火星や金星に到
 達していたはずだ。もちろん、それ以前にぼくらは、二十世紀が開発に専念していたコ
 バルト爆弾そのほかの最終兵器によって、みずから絶滅の悲運を招いていたかもしれな
 い。しかし、ぼくらにも独立独歩でやってゆくチャンスがあってもよかったのではない
 か、と。たぶんオーバーロードには、ぼくらを子供部屋に閉じ込めておく彼らなりの理
 由があるのだろう。観測をかさねた結果、現在ぼくらはオーバーロードの宇宙船の速力
 についてかなり多くを知るようになっている。まず、発進時の加速が想像を絶するもの
 であること。そのため宇宙船の速度は一時間以内で光速に近づく。このことは、オーバ
 ーロードたちの所有する推進方式が、船のあらゆる原子に均等に作用するものでなけれ
 ばならないということを意味する。さもなければ、船上にあるものはすべて一瞬にして
 こなごなになってしまうだろう。だが、それにしても、全宇宙が彼らのものであり、し
 たがって好きなだけ加速に時間をかけることができるというのに、なぜ彼らはそんな厖
 大な加速を費やすのだろう?彼らはなんらかの方法で恒星の周囲にあるエネルギー場を
 利用することができる、そしてそのため、一つの恒星の勢力範囲内にあるうちに発進な
 り停止なりを行う必要があるのではないか、と。大事なのは、それらの船の飛行すべき
 距離、つまり、その旅に要する時間がわかったことだった。NGS549672は、地
 球を離れること四十光年の彼方にある。オーバーロードの宇宙船は光速の九十九パーセ
 ント以上を出すことができるから、その旅はぼくらの時間にして四十年が必要だという
 ことになる。さて、きみも聞いていると思うが、光速に近づくと不思議なことが起こる。
 時間そのものの速度が違ってくる。つまり、遅く経過するようになるのだ。したがって、
 地球上では何カ月にもあたることが、オーバーロードの宇宙船では幾日にもあたらない
 という結果になる。百年以上も前に、かの偉大なるアインシュタインによって発見され
 た原理だがね。そこでぼくは、スタードライヴについてぼくらの知っている事実をもと
 に、この相対性理論による既定の答えを利用して計算にとりかかった。それによると、
 地球上の計算で四十年が経過しても、オーバーロードの宇宙船に乗っている者から見れ
 ば、NGS549672への旅はものの二カ月とかからない、という結果が出た。もし
 オーバーロードがぼくをすぐ地球に送り返したとしたら、ぼくはわずか四カ月ぶん年を
 とっただけで家に帰りつくことになる。だが、地球そのものの上では、その間に八十年
 が経過しているのだ。ここまで読んで、きみはたぶんぼくがおかしくなったと思ってい
 るこ とだろう。なぜなら、オーバーロードの宇宙船にもぐりこむことは、どう考えて
 も絶対不可能としか思えないだろうからだ。しかし、ぼくはいい方法を見つけた。きみ
 は、ギリシャの兵士をトロイに送り込んだ木馬の伝説を知っているかい?」
・「酸素がいらなければほんとうに助かるんですがね」ジャンは言った。「オーバーロー
 ドはわれわれの空気が呼吸できるらしいですが、見ているとあまり気にいっているよう
 でもないし、全部彼らの空気でまかなうわけにもいかないと思います。そこで補給の問
 題が出てくるわけですが、それはナルコミサンを用いることで解決できます。この麻酔
 薬は絶対安全なものですから、これを出発と同時に注射しておいて、六週間後に目を覚
 ますわけです。目を覚ませば、もうすぐ近くまで行っているという寸法です」 
・「たぶんぼくはすぐつぎの便で地球に送り返されるだろうが、少なくとも何かは見られ
 るものと期待している。ぼくは四ミリカメラを一台とフィルムをごっそり持った。もし
 それが使えなくとも、ぼくのせいじゃない。最悪の場合でも、人類を永久に隔離病棟へ
 閉じ込めておくわけにはいかないということを証明してやれるのだ。いやでもなんらか
 の処置を取らざるを得なくなるだろう」
・はじめてそれを見たとき、しばらくの間ジャンは、いま目前にあるのが小型航空機の胴
 体としか思えなかった。そこに組み立てられている金属の骨組は、長さ約二十メートル、
 完全な流線型で、周囲には足場が組んであった。
・何もかもが、じつにおもしろかった。だが、ジャンはほかのことに気をとられていた。
 その視線は巨大な骨組の上をさまよい、彼の小部屋(エアコンつき棺桶)を隠すのに適
 した場所を物色していた。
・「骨組はだいたいできあがっているようですが」とジャンは言った。「いつ皮を張る予
 定なんです?そのためのクジラはもう捕まえてあるんでしょう?」「クジラを捕まえる
 気なんかぜんぜんないね。クジラには普通の意味での皮といったものはないんだ。二十
 センチもの厚さの脂肪の層をこの骨組の周囲に張るなんて、とてもできない相談だよ。
 そうでなくて、どこもかしこもプラスチックでこしらえあげて、あとで実物そっくりに
 彩色をするんだ」
・それならば、なにもわざわざ地球から持っていかなくても、写真を撮ったのをもとに、
 向うで実物大の模型を作ればいいのに、とジャンは思った。しかし、オーバーロードの
 補給船は帰りにはおそらくからで帰るだろうし、全長二十メートルおマッコウクジラ程
 度のちっぽけなものなど、もののかずではないにちがいない。
・「われわれの惑星には、このように巨大な生物はいない」とカレルレンは言った。「あ
 なたがたの惑星にはものすごく巨大な動物がいるものと思ってましたよ。だって、あな
 たがたはわれわれよりずいぶん大きいじゃありかせんか!」「そのとおりだ。だが、わ
 れわれの星には海がない。そして大きさに関するかぎり、陸は到底海の敵ではないのだ」
・ジャンは梯子を昇り、注意深く歯の列をよけて巨大な口の中へ入った。ジャンがエアロ
 ックの内側のドアを閉めると同時に、灯りがついた。そこは金属製の小さな円筒型の部
 屋だった。弧の小部屋にいれば、身体には何一つ感じられないことはわかっていた。ど
 んなに厖大な推進で宇宙船が動かされるにしても、その力は完全に調整されているはず
 だからだ。
・準備はすべてととのっている。彼は小型の注射器を取り出した。中にはすでに慎重に用
 意した液体が入っている。こおナルコミサンというのは、動物の冬眠研究の過程で発見
 された一種の冬眠カクテルだった。一般には、おのカクテルが人工的に仮死状態を作り
 出すという説が信じられているが、これは正確ではない。これが起こすのは、要するに
 生存過程の異常な緩和化なのだ。だから、その場合でも、新陳代謝はごく低下した水準
 で持続される。つまり、これは、生命という火を”活ける”ようなものなのだ。灰をかぶ
 せられた火は消えずにくすぶり続ける。何週間か何カ月かたって薬の効果がなくなると、
 火は再び燃えあがる。つまり、眠れるものは目覚めるのだ。ナルコミサンはまったく安
 全だった。自然は、その多くの子らを食物のない冬から守るために、もう百万年もの間
 それを使用し続けてきたのだ。
 
・「われわれの補給船の一隻が、つい先日地球をたって帰国の途についた。その船内に、
 われわれはたったいま一人の密航者を発見した」とカレルレンは言った。「その男の名
 はジャン・ロドリックス、ケープタウン大学工学部の学生だ」「この男がどんな方法で
 宇宙船に乗り込んだかは、たいして重要ではない。とにかくこういった離れ業がもう二
 度と通用しないことだけは、あなたがたにも、まだほかの密航候補者諸氏にも、はっき
 り申しあげておく」「その青年はどうなりますか?地球に送り返されるのですか?」
 「それはわたしの権限外のことだ。しかし、私の考えでは、次の便で帰って来るものと
 思う。彼にとっては、向うの生活条件は快適とはいえまい。地球とはあまりにかけ離れ
 たもののはずだからだ」
・「宇宙へお道が閉ざされていることを不満に思う者がこれまでにも何人かいた。われわ
 れがこうした政策をとったについては一つの明確な目的があるのであって、ただいたず
 らにあなたがたからその悦びを奪ったのではない。しかし、これはいささか耳障りな比
 喩で恐縮だが、あなたがたはこれまで、石器時代人のような考え方を一度として変えた
 ことがあったろうか。あなたがたが、石器時代の人間が突如として近代都市に紛れ込ん
 でいる自分を発見したときにも似た考えをしている」
・「そして、われわれが地球人類を地球に引きとめておくには、まだほかにも理由がある。
 見たまえ」同時に、乳白色の光が部屋の中央に現れた。そのいちばん外側の星よりもっ
 と遠い一点から見た渦状星雲の姿だった。
・「人間の眼がこの光景を眺めたことはかつて一度もない。あなたがたは、自分の宇宙、
 つまり、あなたがたの太陽がその一員である、銀河系と呼ばれる島宇宙を見ているのだ。
 五十万光年の彼方から」
・「あなたがたの種族は、あなたがた自身の、どちらかと言えば小さい惑星の問題を処理
 することすら、驚くほど無能ぶりを示した。われわれがやってきたとき、あなたがた人
 間は、科学がほんのわずか性急にあなたがたに与えた力のために、みずから滅亡への道
 を辿ろうとしていた。われわれが干渉しなかったら、いまごろ地球は放射能まみれの砂
 漠と化していたろう」    
・「あなたがたはいま平和な世界に住み、一つのまとまった種族となった。間もなくあな
 たがたは、われわれの助けがなくとも充分この惑星を運営していけるだけの力を持つだ
 ろう。さらに進んで、いずれはこの太陽系全体、五十個余りの衛星や惑星の管理もでき
 るようになるかもしれない。しかし、諸君は、これに太刀打ちできると本気で思うか?」
・「われわれのこの銀河系には八百七十億個の恒星がある。だが、この数字ですら、宇宙
 の無限の広がりを説明するには不充分なのだ。この宇宙に挑戦しようとするあなたがた
 は、世界中の砂漠の砂の一粒一粒をよりわけ、分類しようとする蟻と同じようなものだ
 といって差し支えあるまい。あなたがた地球の種族は、現在の進歩の段階では、とても
 この底知れぬ挑戦を受けとめることはできない。わたしの任務の一つは、こういった星
 々のあいだに横たわる力、あなたがたの到底想像もおよばないような力から、あなたが
 たを守ることにあるのだ」
・「これはつらいことかもしれないが、しかしあなたがたはそれに直面せねばならない。
 惑星はいずれあなたがたのものになるだろう。しかし、恒星は決して人類のものにはな
 らないのだ」 
・寂寞たる成層圏の高みから、カレルレンは、不本意ながら管理を命じられた世界と、そ
 の住民たちとを見おろしていた。彼は前途に横たわるすべてのことを思い、そして、こ
 の世界がいまからわずか十年ほどのちにどのように変わっているかを思った。
・彼らは、自分たちがいかに幸運であったかを決して知ることはないだろう。もうかれこ
 れ七、八十年ものあいだ人類はいかなる種族もかつて知らなかった快楽を貪ってきたの
 だ。いうなればそれは、<黄金時代>であった。だが、金色とはまた落日の色、秋の色
 でもある。そしてまた、ただカレルレンだけが、この<黄金時代>が一挙に終末まで突
 っ走ってゆく、その動かしがたい速さを知っていたのである。

最後の世代
・ベン・サロモンは決して狂信者ではなかった。が、幼年期の記憶が、彼の実践しようと
 していた哲学をある程度決定づけたということは否めない。彼は、オーバーロードの到
 来以前の世界がどんなところだったか、はっきり思い出すことができた。だが、もう一
 度そこに戻りたいとは思っていなかった。多くの善意ある知識人の例に洩れず、彼もま
 た、カレルレンが人類のためになした功績を認めるにやぶさかではなかった。だがその
 心の一方で、総督の究極の計画に対して、いまだに何か不安なものを感じてもいた。彼
 はしばしば自問自答したものだ。あれだけのはかり知れぬ知能を備えていながら、オー
 バーロードはじつは人間を理解しておらず、その結果、最善の動機から恐るべき過ちを
 犯しつつあるのではなかろうか?正義と秩序に対する愛他主義的な情熱から、彼らは世
 界を改革することを思いついた。が、それがじつは人間の魂を破壊しつつあることに気
 づいていないのではないか?
・オーバーロードの文明を目の当たりにしたショックがなくなりさえすれば、こうした憂
 うべき事態もおのずから改善される方向に向かうのかもしれないと考えていた。しかし、
 思慮ある人間ならば、そうならなかった場合のことも考えて、そろそろ保険証書を手に
 入れておくことを考える潮時だった。
・ニュー・アテネこそ、その保険証書だった。基礎が固まるまでは、二十年の歳月を必要
 とした。最初の十五年は何事も起こらなかった。すべては最後の五年間に起こった。
・過去百年間に根気よく積み重ねられた知識のおかげで、人はここまでになった。この仕
 事は、ほんの数秒間に人間の計算者一千人分に相当する仕事をやるとげることができる
 コンピュータの助け亡くしては、おそらく不可能だったろう。コロニーの設計にあたっ
 ても、こうした助けは最大限に活用されたのだった。
・そうであってさえ、ニュー・アテネの創設者たちが抵抗し得たのは、彼らの育てたいと
 願った草花がそこに花開くであろう、あるいは開かないかもしれない、土壌と気候だけ
 だった。サロモン自身もこう言っていた。「有能な人材は創り出せる。だが、天才は出
 現を待つしかない」    
・午後のけだるい静けさを破って、すさまじい音響が響きわたった。その音には、この平
 和な時代においてさえ、聞く者の血を凍らせ、激しい不安に頭の地肌まで戦慄させるほ
 どの力がこもっていた。それはサイレンの唸りだった。
・その圧迫は、ほとんど百年にもわたって、ここ、海底の奥深く蠢く暗黒の中で、徐々に
 高まってきたのだった。この海中の峡谷が形成されてからすでに地質学的年代が経過し
 ていたが、すさまじい力でねじまげられた岩盤は、新しい位置に忍従してはいなかった。
 これまでにも何回となく、はかり知れぬ水の重みがそれらの不安定な均衡を揺るがすた
 びに、岩層はうめき、身動きしてきた。そしていま、それらが再び動きはじめようとし
 ていた。
・ジェフは、スパルタの狭い海岸伝いに、岩の間の水たまりを探検して歩いていた。のど
 かな、平和に満ちた昼下がりだった。そのときだった。なにものかが浜辺ががっしりと
 つかみ、ただ一度、激しく揺さぶった。震動は一瞬の間に過ぎたから、ジェフはそれが
 自分の錯覚のような気がした。軽い眩暈を起こしたのだろう、と彼は思った。だが、そ
 のとき、不思議なことが起こりはじめた。
・水が浜辺から引きつつあった。それは、どんな引き潮よりも速かった。みるみる濡れた
 砂地が現われ、キラキラと日光をはねかえし始めた。ジェフは息をつめて見守った。戸
 惑いはしたが、まったく恐怖は感じなかった。。彼は引いていく海についていった。
 水はぐいぐい引いていき、あの古い難破船の折れたマストが空中に突き出るまでになっ
 た。
・いま、珊瑚の何百万トンもの水が、茫漠の太平洋へと流れ去りつつあった。だが、それ
 はやがて、しかもきわめて迅速に、戻ってくるはずだった。
・それから何時間かのうち、救助隊の一組が、いつもの水面から二十メートルも高いとこ
 ろに打ち上げられた大きな珊瑚のかたまりの上にいるジェフを発見した。彼は自転車を
 なくしたことで狼狽してはいたが、とりたてて怯えているふうはなかった 
・大津波が島を襲ったとき、ジーンとジョージは、その一部始終を目撃していた。アテネ
 の低地帯での損害は激甚だったが、死者は一人もいなかった。地震計が異変を予知した
 のはわずかに事件の十五分前だったが、それでも、その十五分間に、住民は一人残らず
 危険を予想される線より上に避難していた。
・奇蹟的にわが手に戻った息子の姿を一目見るなり、ジーンは手ばなしで泣きだした。波
 にさらわれたとばかり思っていたからだ。
・しかし、なぜ助かったのか。ジェフに筋道だった説明ができなかったのは当たり前だっ
 た。「確かに誰かがぼくに逃げろって言ったもん」「よく覚えてないけど、”ジェフ、
 できるだけ早く山に登るんだ。ここにいると溺れてしまうぞ”って」「男の声だったの
 か?どっちから聞こえてきた?」「ぼくのすぐそばからだよ」  
・「われわれの主たる目的は、人間の心を常に油断なく機敏にさせておくこと、そして、
 自分たちの持つあらゆる可能性を認識させること、この二点にあります。この島以外の
 ところでは、わたしの思うに、人類は主体性を失ってしまったようだ。平和もある、豊
 かでもある、が、広い視野というものがないのだ。近代社会において大切なことは、理
 想を持つ、ということです。その理想を実現するかどうかは、それに比べればさして重
 要ではありません」
・おそらくジェフは、ジョージのところへ話にくるまでに、長い間そのことを考えていた
 にちがいなかった。「パパ、このあいだ来たオーバーロードのこと知ってる?」「あの
 ね。あのひと、ぼくたちの学校にもきたんだ。それでぼく、あのひとが先生たちと話し
 ているのを聞いたんだよ。話していることはなんだかよくわからなかったけれど、でも
 ぼく、あのひとの声がわかったんだ。あれは、あの津波が来たとき、ぼくに逃げろって
 いってくれた声だよ」 
・しかるべき手順にしたがって、<監察官>は報告書を提出した。あらゆる統計や記録は、
 カレルレンの背後の目の見えぬ力の一部である、だが決して全部ではない、巨大な計算
 機の、飽くことの知らぬ記憶の中に投入された。
・彼らコロニーの住民はエリートであり、進歩の先駆者であった。彼らは、オーバーロー
 ドたちの到達している高所へ、そしてできればそれ以上のところへ、人類を引き上げる
 大役を担っているのだ。もちろん明日にもというわけにはいくまい、だがいつかは・・。
 その日がそれほど近いところにあろうとは、彼らのまったく予想しないことだった。

・パピットの愛称で呼ばれているジェニファ・アン・グレッグスンは、あおむけに寝て、
 かたく眼を閉じていた。眼が見えるようになってからまだいくらもたっていなかったが、
 彼女はもう二度と眼をあけることはないはずだった。光のない深海の底に棲む生物にと
 ってと同じように、まったく無用のものと化していたからだ。
・ある説明のつかない発育のいたずらから、彼女には、またその短い嬰児期に見られた反
 射作用の一つがまた残っていた。かつて彼女を喜ばせた玩具のがらがらは、いまはその
 ベッドの中で、複雑な、絶えず変化するリズムで鳴り続けていた。ジーンを眠りから呼
 び醒まし、子供部屋へ飛んで行かせたのは、その奇怪なシンコペーションだったのだ。 
 だが、彼女に悲鳴をあげさせ、ジョージに救いを求めさせたのは、音ばかりではなかっ
 た。
・それはその光景だった。なんの変哲もない色鮮やかながらがらが、ひっきりなしに鳴り
 響きながら、ほかのあらゆる物体から、半メートル以上も離れた空間に浮いていたのだ。
 そして、ジェニファ・アンはと見れば、そのぷくりと肥った指をかたく握りしめ穏やか
 な寝顔に満足しきった微笑を浮かべているのだった。
・彼女のスタートは後だったが、進歩は急テンポだった。いまに兄をも追い越すようにな
 るだろう。なぜなら、彼女の場合は、それまで学んだことを頭から拭い去って、最初か
 ら出直さなければならぬようなことが、ほとんどなかったからである。
・「われわれはこれを<全面衝突>と呼んでいます。じつはわれわれはこれを待っていた
 のです。地球にやってきて以来ずっとです。これが、いつ、どこで始まるかを予想する
 方法は、まったくありませんでした」「歴史をふりかえれば、空間と時間を超越したか
 のような不可思議な力を持った人間が、かなり出現しています。しかし彼らは、その力
 を理解してはいなかった。しかし、たった一つですが、示唆に富んだ類推がありました。
 あなたがたの文献中に、繰り返し現れてくるものです」  
・「いったい何が原因でこうなったのです?そして、この結末はどうなるのです?」とジ
 ョージは訊ねた。「それは教えられない。しかし、この宇宙にも多くの種族がいます。
 そのうちのあるものは、あなたの、もしくはわたしの、種族が歴史の舞台に登場するず
 っと以前に、すでにこうした力を発見していたのです。彼らは、あなたがたが彼らの仲
 間入りをするのを待っていた。そして、そのときがきたのです」
・「おそらく、ほかのほとんどの人類と同じように、あなたもわれわれを主人とみてきた
 のではないかと思います。しかしそれはちがう。われわれは常に、義務を、上から課せ
 られた義務を遂行する管理人でしかなかった。その義務は、定義しにくいものです。あ
 るいはこう考えるのが一番いいかもしれない。われわれは難産に立ちあっている産婆の
 ようなものだ、と。」ラジャヴェラクは口ごもった。「そうです、われわれは産婆です。
 しかしわれわれ自身は石女なのだ」
・その瞬間、ジョージは自分が大きな悲劇に相対しているのを悟った。それは到底信じら
 れないことだった。が、なぜかその通りに違いないという気がした。その偉大な力と才
 能にもかかわらず、オーバーロードは進化の袋小路に追い込まれているからだ。ここに、
 偉大にして高貴な、ほとんどすべての点で人類を凌駕する種族がいる。だが、彼らに未
 来はない。そして彼らはそれを知っているのだ。
・ジェニファは、まだ完全に発育しきってはいなかったけれども、その眠るさなぎの時期
 においてさえ、すでに周囲の物体を移動させて、自分の世話をさせるだけの力を備えて
 いた。ジーンはたった一度だけ、ジェニファに食物を与えようとしたことがある。だが
 それは成功しなかった。ジェニファが、自分の好きなときに、独自の方法で栄養を摂取
 することを好んだからだ。なぜなら、冷蔵庫の食物が、絶えず、ゆっくりと、確実に消
 えていっていたからだ。だが、ジェニファは、一度も寝台を離れなかった。
・ジェニファとちがってジェフは、物体に対する異常な支配力は持っていなかったようだ
 った。これはおそらく、ある程度成長しているためにその必要が少なかったせいだろう。
・ジェフとジェニファが最初だった。しかしほどなく、それは彼らだけではなくなってい
 た。瞬く間に世界各地に蔓延する伝染病のように、変態は、全人類に波及していった。
 十歳以上はほとんど影響を受けなかったが、それ以下で変態をなぬがれるものはほとん
 どなかった。     
・それは文明の終焉であり、太古から人間がそのために苦闘してきたものすべての終末だ
 った。わずか数日のあいだに、人類は未来を永遠に失ってしまったのだ。なぜなら子供
 たちを奪われると、どんな種族でも、たちまち失意のどん底に陥って、生きようとする
 意志も完全に破壊されてしまうからだ。
・だがここには、一世紀前にならばあったであろう恐怖はなかった。世界は完全に麻痺し
 ていた。大都市は死んだように静まりかえっていた。ただ、必要不可欠な産業だけが、
 その機能を果たし続けていた。それはあたかも、この地球という惑星が、ついに存在を
 終わったすべてのもののために喪に服し、哀悼の意を表しているかのようであった。
・そしてこのとき、いまはもう忘れ去られた過去の時代に一度だけしたように、カレルレ
 ンは、人間への最後の呼びかけに立ったのだった。
・「わたしの地球における任務は、まもなく終わろうとしている。来訪百年を経て、ここ
 にようやくわたしは、わたしの任務の内容をあなたがたに明かすことができるのだ。わ
 れわれには、あなたがた人類に隠しておかねばならないことが多数あった。地球に来て
 からの年月の半分を、あなたがたの目から隠れて過ごしたのもそれである」
・「われわれが人類に隠していた最高の機密は、われわれが地球に来た目的であった。ち
 ょうど一世紀前、われわれは人間の世界に現われ、人類を自滅から救った。しかし、そ
 れがどんな自滅であったかを知る者もなかった。われわれが、核兵器その他の人類がせ
 っせと兵器庫に貯蔵していた物騒な玩具を禁止したことによって、物質的な絶滅の危険
 は取り除かれた。おそらくあなたがたは、それが唯一の危険だったと考えていたであろ
 う。だがそれは決して真実ではなかった。人類の直面していた最大の危機は、それはま
 ったく性質を異にしていた。しかも、これに関していたのは、地球人類ばかりではなか
 ったのである。
・多数の世界が、これまで原子力開発の十字路にさしかかり、災厄を回避して、平和な安
 定した文明を打ち立てることに成功し、しかも、その後、彼らのまったく知らなかった
 ある力によって、完膚なきまでに叩きのめされた。地球人類は、二十世紀にいたってこ
 の力を得、それを真剣に検討しはじめていた。われわれの行動が必要になったのはその
 ためだった」  
・「二十世紀の百年を通じて、人類は徐々に深淵へと引き寄せられつつあった。それも、
 そうした深淵が存在することすら感づかないままに、一歩一歩そこへ近づいていたのだ。
 この深淵を越えるには、ただ一つの橋しかない。これまで独力でそれを発見した種族は
 ほとんどいなかった。あるものは、ぬきさしならぬ羽目に立ち到らないうちに引き返し、
 危険と成功のいずれをも避けた。その結果彼らの世界は、いわゆる<極楽島>に似て、
 努力なき充足の世界となり、宇宙史においてそれ以上の役割は果たさなかった」
・「だがこれは、決して地球人類の運命、あるいは地球人類の幸運、にはならなかったで
 あろう。地球人類は、そうなるがためにはあまりに活動的であり過ぎた。地球人類は遮
 二無二破滅の淵に突進し、場合によっては、他の種族までもその巻き添えにしていたろ
 う。なぜなら地球人類は、独立では決してその橋を発見できなかっただろうからである」
・「われわれが来る前の何世紀かに、人類の科学者たちは物質世界の神秘のヴェールを取
 り除き、人類を蒸気エネルギーから原子エネルギーへと導いた。あなたがたは迷信を背
 後に置き去った。<科学>だけが人間の真の宗教となった。そしてこれは、ほかのあら
 ゆる信仰を打ち破った。われわれがやってきたとき、わずかに生き残っていたものもす
 でに瀕死の状態にあった。科学はすべてを説明できると考えられていた。その領域に入
 れられない力は一つもなかったし、最終的にそれで説明できないことも一つもなかった。
 宇宙に起源については、あるいは永久にわからなかったかもしれないが、それ以後に起
 こったことは、すべて物理法則にしたがっていると考えられた。
・「それでも人類の神秘主義者たちは、われとわが謬見に目を曇らせながらも、真実の一
 部を見きわめていた。この世には、霊魂の力、さらに霊魂を超越した力、というものが
 存在する。地球人の科学は、これを自己の枠内に持ち込むことができなかった」
・「あなたがたの文献を見ると、古今を通じて無数の不可能な現象が報告されている。ポ
 ルターガイスト、テレバシー、予知、あなたがたはこれに、いろいろと名をつけた。が、
 説明することはできなかった。科学ははじめ、これを無視しようとしていた。いや、五
 千年前の証明があるにもかかわらず、その存在を否定しようとさえした。しかしそれは
 存在するのだ」   
・「二十世紀の前半になって、ごく少数の科学者たちがこの問題を調べはじめた。彼らは
 知らなかった。が、彼らはじつはパンドラの箱の錠をこじあけようとしていたのだ。彼
 らが解放したかもしれない力は、原子力のもたらすどんな災厄をもしのぐ危険なものだ
 った。なぜなら、物理学は地球を破壊することぐらいが関の山だが、超物理学は、破壊
 行為をほかの星にまで及ぼすことができるからだ」
・「そこでわれわれは地球にやって来た。いや、派遣された。われわれは地球人類の発展
 を全面的に妨害した。とりわけ力を注いだのは、超自然現象についての真面目な研究を
 抑止することがった」 
・「われわれは、こうしたあらゆる潜在力、あらゆる目に見えぬ力を、持っていないのだ。
 いや、持っていないばかりでなく、理解することも、われわれにはできないのだ。われ
 われの知力は地球人のそれをはるかに凌いでいる。だが、地球人の心の中には、つねに
 われわれを当惑させ、悩ます何かがあった」
・「われわれは二つの異なった進化の両極端を代表しているのだ。われわれの精神力は発
 達の極限に達した。そして、現在の形態では、地球人類のそれも、また限界に達してい
 る。しかし、地球人は今後、まだ次の段階に飛躍する余地を残している。そしてこれが、
 われわれのあいだに横たわる根本的な相違なのだ。われわれの潜在能力はすでに枯渇し
 てしまった。が、地球人のそれはいまだ開発されていない」
・「われわれは地球の保護者であって、それ以上の何ものでもない。おそらくあなたがた
 は、しばしば、いったいオーバーロード種族は、宇宙の階級制度の中でどの程度の位置
 を占めているのだろうか、と考えたにちがいない。そうだ、ちょうどわれわれが地球の
 上に在るように、われわれの上にはまたほかの何ものかが在って、それ自身の目的のた
 めにわれわれを手足のごとく動かしているのだ。それが何ものか、われわれはまだ知ら
 ない。幾世代にもわたってその道具として働き、敢えて反抗することもしなかったのだ。
・「繰り返し繰り返し、われわれは、われわれ自身の限界を超える術を見出す道はないも
 のかと切なる望みを抱きながら、その助成のために派遣された各種族の変化の過程を見
 守ってきた。しかし、われわれが垣間見られたのは、真実の朧な輪郭に過ぎなかった。
 地球人は、その名称の皮肉さには気づかずにわれわれを<オーバーロード(上帝)>と
 呼んだ。もしこの筆法を借りれば、われわれの上に在るものは、<オーバーマインド
 (上霊)>とでも呼べるだろうか」
・「オーバーマインドはさらなる発展を、その力と知恵とを全宇宙に及ぼすことを計画し
 ている。いまそれは、多数の種族の集団となっているだろう。もちろん物質の束縛から
 は、とうの昔に脱却しているにちがいない」
・「地球人が前に経験した変化は、いずれもおびただしい時日を費やした。だが、今度の
 それは精神のメタモルフォーゼ(変態)であって、肉体のメタモルフォーゼではない。
 進化の基準からいえば、これは極端に急激な変化、いや、ほとんど瞬間的な変化とさえ
 言えるだろう。しかもそれは、すでに始まっているのだ。あなたがたは、ホモ・サピエ
 ンスの最後の世代となるという事実に直面しなければならないのだ」
・「あと数年のうちに、この変化は完了する。そして人類は、真っ二つに引き裂かれてし
 まう。しかも、そこから引き返す道はないのだ。そして、あなたがたの知っているこの
 世界には未来もないのだ。地球人類の希望や夢は、ここにすべて潰えたのだ。地球人類
 は後継者を生んだ。だが悲しいかな、地球人は、みずからの後継者を理解できないのだ。
 事実、彼らは、現在のあなたがたの知っているような形での心を持たない。あなたがた
 が無数の細胞集団の総計であるのに対し、彼らはただ一個の実在となる。あなたがたは
 彼らを人間とは思えなくなるだろう」
・「ところでもう一つの問題は、用がすんだのちのあたがたがを、つまり新人類の遺族た
 ちを、どう処理するかということだ。抹殺、おそらくこれがもっとも簡単な、そしてた
 ぶんもっとも慈悲深い方法だろう。だが、わたしにはそれはできない。残された年月を
 いかに過ごすか。それはあなたがた自身の決定すべきことだ。ただわたしとしては、人
 類にその余生を平和に過ごしてもらいたいと、自分たちが無駄に生きてきたのではない
 ことを認識しつつ送ってもらいたいと思っている」
・現在よりも将来に望みをかけていた者たちや、人生の生き甲斐のすべてを失ってしまっ
 た者たちは、もうこの世にとどまることを望まなかった。彼らはそれぞれの性格に従っ
 て、一人で、あるいは友人たちとともに、この世に別れを告げた。
  
・ジーンがゆっくりと彼に向き直り、頭を彼の肩にもたせかけた。彼はジーンの腰にまわ
 した。かつて感じていた愛が、遠い山脈から返って来る木霊のように、かすかに、だが
 明瞭によみがえってきた。いまはもう、云っておくべきことをいうには遅すぎた。彼の
 感じた後悔は、かつての背信に対してよりも、むしろ過去の冷淡さに対して感じたもの
 だった。  
・やがてジーンは静かに言った。「さよなら、あなた」そして彼の背にまわした腕に力を
 こめた。ジョージはそれにこたえる時間はなかった。しかし、その最後の瞬間さえ、彼
 女がどうしてそのときのきたおことを知ったのか不思議に思って、軽い驚きを感じた。
・足もとの深い岩間で、そのウランの一片は、ついに成就せきない結合を求めてぶつかり
 あいはじめていた。そして、島は夜明けを迎えるために身を起こした。
  
・オーバーロードの宇宙船は、竜骨座の中心をつらぬく輝く流星の尾となり、かつての航
 跡をたどって飛来しつつあった。外惑星間で、宇宙船はすでに激烈な減速を開始してい
 たが、それでも火星を通過するころは、まだ優に光速の何分の一かを持続していた。や
 がて、太陽をとりまく強大な重力場が徐々にその惰力を呑み込んでいくと、背後百万キ
 ロにわたって、行き場を失ったスタードライヴのエネルギーが天界を火で彩った。
・ジャン・ロドリックスは、いま帰途にあった。八十年前に出た地球へ、六カ月だけ年を
 とって帰ってきつつあったのだ。今度は、彼はもう秘密の小部屋に身をひそめた密航者
 ではなかった。彼は三人の操縦士(なぜこんなに何人も必要なんだろう?)の背後に立
 って、操縦室を圧倒する巨大なスクリーンを見入っていた。いまそこに映っているのは
 さまざまな絵模様だったが、彼にとっては、それらの色も形もまったく無意味だった。
 これらは何かを伝達するデータで、人間の設計した宇宙船なら、計器の列の上に現れる
 ものなのだろうかと、彼は想像した。
・彼はいま、この帰郷を喜んでいた。この数カ月の間に、彼は成長していた。多くのもの
 を見、遠い旅をし、そしていまは、住み慣れた世界を恋しく思っていた。いま彼ははっ
 きりと理解していた。なにゆえにオーバーロードが地球を星々の世界から閉め出したか
 を。彼が瞥見してきた文明の中でなんらかの役を果たせるようになるには、人類の前途
 はなお遼遠だったのだ。 
・畢竟、人間は、彼はこれを受け入れることを拒んだが、片田舎の動物園でオーバーロー
 ドという飼育係に養われているただの劣等動物でしかないのかもしれない。
・たぶんそれが、あのとき、ジャンが出発にあたって、ヴィンダーテンがあのどうにでも
 とれる曖昧な警告を発したとき、言おうとしたことではないだろうか。そのオーバーロ
 ードはこう言ったのだった。「きみの惑星では、きみが出てきてからずいぶんいろんな
 ことが起こっているかもしれないよ。あるいは、きみ自身にも自分の世界だとは思えな
 いかもしれない」   
・オーバーロードは、予想したとおり彼を好意的に遇してくれた。往路の旅については、
 彼は何一つ知らなかった。例の薬が切れて彼が姿を現したときには、宇宙船はすでにオ
 ーバーロードの太陽系に入っていたのだ。彼はあの奇妙な隠れ家から這い出して、酸素
 ボンベが不必要なのを知ってほっとした。空気は濃く、重かったが、呼吸に困難は感じ
 なかった。
・そこは宇宙船の巨大な、赤い照明のほどこされた船倉だった。小一時間かかって彼はよ
 うやく操縦室への道を見つけ、乗組員に自分の存在を告げにいった。彼らがいっこうに
 驚かないので、ジャンは首をひねった。彼らは巨大なスクリーンを見つめるか、制御盤
 の無数のキーを操作するか、ただ黙々とそれぞれの仕事を続けていた。宇宙船が着陸態
 勢に入ったのを知ったのは、そのときだった。というのは、スクリーン上にときどき一
 個の惑星の姿が、そのたびに大きさを増して、閃くのが見えたからだ。
・やがて、三人のオーバーロードがいっせいにシートから立ち上がったので、ジャンは旅
 が終わったのを知った。そのうちの一人が彼を手招きしてついてくるように命じた。
・巨大なドアがジャンの火を噴くばかりに熱っぽい視線の前で開いていくあいだ、オーバ
 ーロードたちは重々しくこちらを見つけていた。これは、ジャンの生涯最高の瞬間だっ
 た。いまこそ彼は、見慣れた太陽ではない別の太陽に照らされた世界を、人類として最
 初に見おろそうとしているのだ。
・巨大な建物も、先端に雲を隠した高塔の林立する都市も、想像を絶した機械も、こうし
 たものならば、彼は驚かなかったろう。だが、彼の目に入ったのは、ほとんどまったい
 らな平野だった。それが不自然なほど近い地平線にまで広がっていて、その間には、数
 キロほど向こうに別の三隻の宇宙船が見えるだけだった。
・一瞬、ジャンは、失望が大波のように襲ってくるのを感じた。それから、思わず肩をす
 くめた。宇宙空港がこうした人里離れた無人の地にあることは、当然予想してよいこと
 ではないか。    
・そのとき、あるものが彼の眼を射た。それは途方もなく大きな、そのくせ、ウエファー
 スのように薄い一個の三日月で、まるで太陽のそばにおかれた巨大な弓のような中天に
 懸っていた。彼は思わず足をとめ、じっとそれを眺めていた。しばらくそうしていてか
 ら、彼はようやく旅がまだ完全に終わったわけではないことに気づいた。あれがオーバ
 ーロードの世界なのだ。ここはその衛星で、宇宙船の発着を操作する基地にすぎないの
 だ。
・オーバーロードは彼を一隻の宇宙船に導いた。地球の定期旅客機とたいして変わらない
 小さな宇宙船だった。その旅はあまりにもあっけなく終わり、彼はしだいに拡大してく
 る球体を、ほとんど何も観察する暇がなかった。これほどの近距離でも、オーバーロー
 ドはスタードライヴの一種を使用しているらしかった。
・オーバーロードはだれ一人英語を解さなかった。意思の伝達は事実上不可能だった。ジ
 ャンは、異種族と交渉を持つことが生易しいものではないのを思い知らされて、いまさ
 らながら苦々しい思いを噛みしめた。奇妙なことに、指話法もまったく通じないことが
 わかった。それは、この方法が、多分身振り手まね、表情、態度などに頼っていたため
 で、オーバーロードと人間との間には、これらの点で相通ずるものが何一つなかったの
 である。
・ヴィンダーテンがやってきたのは、ジャンがそろそろ絶望しかけたころだった。彼の英
 語は極端に下手で、しかもおそろしく早口に喋る。だが、しばらくいっしょに過ごすう
 ちに、彼はめざましい勢いで上達していった。何日か経つうちには、とくに専門的な語
 彙を必要としなければ、彼らはどんな問題でもほとんど不自由なく話せるようになって
 いた。
・彼の時間の大半はオーバーロードの科学者たちとの面接に費やされた。科学者たちは複
 雑な器械を持ち込んでは、わけのわからないテストをしようとする。ジャンはそうした
 器械類を極度に警戒したが、一種の催眠装置を用いての一連のテストの後には、数時間
 も頭が割れるように痛んで困ったものだった。どうやら科学者たちは、彼の精神的、肉
 体的限界に気づいていないようだった。彼が一定の間隔をおいて眠らなければならない
 ことを、彼らに納得させられたのは、相当に時日を経てからのことだった。
・彼はときおり、それもごく短時間だけ、彼らの都市を眺めることができたが、それでわ
 かったのは、そこを歩くことが、彼にとっていかに困難な、かつ危険なことか、という
 ことだった。 
・道路というものは事実上どこにも存在しなかったし、地上の交通機関もいっさい見当た
 らなかった。ここは、飛行の可能な生物の、重力を気にする必要のない生物の住処だっ
 た。部屋の唯一の入口が、壁のかなり上についているのを発見しても、かくべつ驚くに
 あたらないのだった。翼を持つ種族の心理は、地球生まれの生物のそれとは根本的にち
 がったものだった。
・オーバーロードが、ゆっくりと力づよく羽ばたきならが、都市の塔のあいだを飛んでい
 るところは、本当に不思議な眺めだった。それに、彼には一つの科学的な疑問があった。
 この惑星は大きい、地球よりも大きい。にもかかわらず重力は低い。また、ここの大気
 がどうしてこんなに濃密なのだ。それもジャンには疑問だった。
・彼はこの点をヴィンダーテンに質問し、そしてなかば予想していたとおり、ここがオー
 バーロードの生まれた故郷の惑星でないことを知った。彼らはどこかほかの、もっと小
 さな惑星で発達し、その後、この惑星を征服したのだった。そして大気のみならず、そ
 の重力も改造したのだった。 
・オーバーロードの建築は、あまり機能的すぎて寒々とした感じすらした。もし中世の人
 間がここを訪れて、この赤い太陽に照らされた都市とそこに住む生物を見たら、<地獄>
 に来たと思ったかもしれない。
・ジャンはまた、オーバーロードの世界が、彼の耳には聞くことのできない音で満ちみち
 ているのを感じた。ときおり彼お聴覚は、ある種の複雑な、リズミカルな音のパターン
 をとらえることがあった。 
・その都市はそれほど大きくはなかった。最盛期のロンドンやニューヨークよりは、はる
 かに小さかったろう。ヴィンダーテンの説明によれば、この惑星にはおなじような都市
 が数千も散在して、その一つ一つが、おのおの何か特別な目的のために設計されている
 ということだった。 
・まもなくジャンは、起居していた殺風景な小部屋の外へ出してもらえるようになったが、
 ヴィンダーテンがまず連れて行った場所の一つに、博物館があった。この博物館は、そ
 の建てられている地層をべつにすれば、地球もざらにありそうなものだった。というの
 は、博物館に行くには、長い時間がかかったのだ。はかり知れない長さを持つ垂直の円
 筒の中を、ピストンのように動く大きな台に乗って、徐々に降りていくのだ。このメカ
 ニズムには目に見える操縦装置は何もなく、下降の始めと終わりに強い加速感があった。
・それにしても、とジャンは思った。これでは、この惑星の内部は、掘鑿によって穴だら
 けになっているだろう。なぜ都市の規模を制限して、外へ広げず、地下に延びなければ
 ならないのだろう?これまた、永久に解けない謎だった。
・ここには、無数の惑星からの収集が、ジャンの想像もできないほど多くの文明の業績が、
 集められていた。
・ヴィンダーテンが彼を促して、床を走る細い帯状のものの上に注意深く乗せた。はじめ
 てそれを見たとき、ジャンは頭から装飾用の図案だと思っていた。だが、すぐに、この
 世界には装飾と名のつくものはいっさいなかったことを思い出した。と、まさにそのと
 き、何か目に見えぬ力が軽く彼をとらえ、前方へ引っぱりはじめた。彼は巨大な陳列ケ
 ースの前を、時速二十ないし三十キロの速度で運ばれていた。ここでは歩く必要がなか
 ったのである。  

・いま彼は家路に向いつつあって、それらの驚異も、恐怖も、そして謎も、すべては背後
 に遠ざかった。いま乗っている宇宙船は、往路と同じ宇宙船らしかった。といっても、
 まさか乗務員まで同じではなかったろう。いかに長寿とはいえ、一往復何十年もかかる
 恒星間旅行に、オーバーロードが喜んで家を離れるて出て行くとは思えなかった。
・相対性理論の時間膨張原理は、いうまでもなく両様に作用する。オーバーロードは往復
 に四カ月を要するだけだが、それでも帰国したときには、ほかの仲間たちはみな八十歳
 も年長になっているのだ。 
・宇宙船は、巨大な毬果のように影の半球へまわっていった。三日月が痩せ細り、燃える
 火の弓となり、やがて一つ大きくまたたいて消えていった。眼下は一面の暗黒と夜だっ
 た。世界は眠っていた。
・ジャンは奇妙なことに気づいたのはそのときだった。いま眼下には陸地があった。だが、
 あのまたたく灯火のレックレスはどこにいったのだ?かつて人間の都市であったあの燦
 然たる光彩は、どこに行ってしまったのだ?その影の半球には、どこを捜してみても夜
 をはねかえす火花は一つとして見えなかった。かつて無造作に星々に向かって振りまか
 れていた幾百万キロワットもの電光は、跡かたもとどめず姿を消していた。あたかも人
 類の到来以前の地球を見おろしているような感じだった。
・これは彼の期待していた帰郷とはちがった。彼はただ、息を呑んで見守るよりほかなか
 った。そのうちに、未知なるものへの恐怖が身内に湧きあがってきた。何かがあったの
 だ。何か想像もつかないようなことが。
・彼は現実の着陸については何一つ見なかった。ふただび映像が現れたときには、彼はす
 でに地上にいた。遠くに大きな建物が見栄、機械が動き、そして一群のオーバーロード
 がこっちを見守っていた。   
・巨大なドアの開く音がした。彼は待ちきれなかった。無言の巨人たちは、操縦室を駆け
 出ていく彼の姿を、寛容とも無関心ともつかぬ目つきで見送っていた。
・カレルレンがそこに立っていた。ほかのオーバーロードたちからやや離れて、荷箱を満
 載した大きな運搬車のかたわらに。「きみを待っていた」とカレルレンは言った。
・「最初の五年間は、彼らの中にはいっても安全だった。だが彼らはもはやわれわれを必
 要としなかった。われわれの仕事は、彼らを集め、彼ら自身の大陸を一つ与えてやった
 ときに終わっていたのだ」とカレルレンは言った。
・「これはきみにとっては悲しいことかもしれないが、しかし、きみの人間としての標準
 は、もう通用しないことを忘れてはいけない。きみは人間の子供を見ているのではない
 のだ」とカレルレンは言った。
・彼らは何か、複雑な儀式舞踏をやっている未開人のように見えた。真っ裸で、不潔で、
 もつれた髪は眼にまで垂れ下がっていた。ジャンの見たところでは、彼らはみな五歳か
 ら十五歳までの年齢に見えたが、それがみないっせいに同じ速度と正確さをもって動き
 まわっているのだった。そして、誰もが、周囲には完全に無関心だった。
・ジャンは彼らの顔を見た。彼は乾いた唾を呑んで、顔をそむけようとする自分を必死に
 押えなければならなかった。彼らの顔は、死人の顔よりもなお空虚だった。これに比べ
 れば、オーバーロードのほうがまだしも人間らしかった。
・「きみはもう存在しないものを捜しているのだ。いいか、彼らはきみの身体の個々の細
 胞ほどの個性も持ち合わせていないのだ。だが、結びつけて一体になると、きみなどよ
 りはるかに偉大なものになるのだ」とカレルレンは言った。
・「おそらくわれわれのいわゆるオーバーマインド(上霊)は、自己の存在の中に彼らを
 完全に吸収する前段階として、いま彼らを訓練し、一個の単位につくりあげようとして
 いるのだ」  
・これが人類の終焉なのか。ジャンは思った。これが人類の終末なのか。いかなる予言者
 も予見しえなかった終末。楽観主義と悲観主義とをともにしりぞける終末。
・にもかかわらず、この姿は妥当なのだ。ジャンは底知れぬ広がりをもった宇宙を見てき
 た。そして、宇宙が人類のための場所ではないことを知った。今こそ彼は悟った。かつ
 て彼を星々へ誘った夢が、その究極の分析においていかに空しいものであったかを。
・なぜなら、ほかでもない、星々に通ずる道は二つに分かれていたが、そのいずれも、人
 間の希望や恐怖を少しでも斟酌してくれるようなゴールへはつながっていなかったから
 だ。  
・その一方の道の果てにオーバーロードがいる。彼らはその個性、その独立の自我を確保
 した。彼らは自意識を持ち、”わたし”という代名詞は彼らの言語の中ではまだ意味を
 もっている。彼らはまた感情をもっている。その中のすくなくともいくつかは、人類の
 それとも共通した感情でさえある。だが彼らは、逃れようにも逃れられない袋小路に追
 い込まれているのだ。彼らの知力は、人類のそれの十倍、いやおそらく百倍にも匹敵す
 るだろう。だがそれも、最終の決算には、なんの影響も及ぼすことはないのだ。彼らは
 人間と少しもちがわず無力であり、まったく同じように圧倒されている。千億の太陽か
 ら成る銀河系の、そしてさらに千億の銀河系なら成る大宇宙の、想像を絶した複雑さに。
・そして、もう一方の未知の果てには何があったか?オーバーマインドだった。その正体
 は何かは問うまい。ただ彼らは人類に対して、人類がアメーバーに対して持つに等しい
 関係をしか持っていない。無限の可能性を持ち、死をも超越した彼らは、これまでにど
 れほどの期間、どれほどの種族を吸収し続けてきたのだろう?それもまた、欲望を持つ
 のだろうか?それもまた、おぼろげに感じとりながらも決して成就できぬ目標を持って
 いるのだろうか?いまそれは、人類がこれまでかかって達成したものを、すべて自己の
 存在の中に引き入れてしまった。だが、これは悲劇ではない。成就なのだ。 
・「地球人類は、われわれがその神化を見守り育てた五番目の種族だ。そしてわれわれは、
 その都度少しずつ多くのことを学んでいくのだ」とカレルレンは言った。
・「あなたがたの種族が初めて地球にやって来たとき、いったいどんな手違いがあったの
 です?なぜあなたがたは、われわれ地球人類に恐怖と邪悪の象徴と見なされるようなこ
 とをしたのです?」とジャンはオーバーロードに訊ねた。
・「かつてその謎を解いたものはいない。そして、いまはあなたにも、われわれが話さな
 かった理由がわかってもらえるのだろう。じつは、そのような衝撃が人類に与えられた
 ことは、ただ一回しかないのだ。そしてその出来事は、歴史の夜明けにではなく、まさ
 しくその終末にあったのだ」  
・「一世紀半前、われわれの宇宙船が地球の領空に侵入したときが、われわれ両種族の初
 めての出会いだった。もちろんわれわれのほうではそれ以前から地球人を観察してはい
 たが、実際の出会いはそのときが初めてだったのだ。ところが地球人は、われわれがひ
 そかに予想していたとおり、われわれの姿からあることを思い出し、われわれを恐れた。
 だがそれは厳密にいえば記憶ではなかったのだ」
・「あなたは、時間というものが地球人の科学の類推よりもはるかに複雑なものであると
 いう証拠を、すでに充分もっている。つまり、その記憶とは、過去の記憶ではなく未来
 の記憶、地球人類がすべての終焉を知らされる、その最後の年月のそれだったのだ。わ
 れわれはできるだけのことはした。が、それは安易な終熄ではなかった。そしてその終
 熄のときにいあわせたがために、われわれは地球人類の死と同一視されることになった
 のだ。そうだ、まだそれが一万年も先のことだった時代からだ!これは記憶と呼ぶべき
 ものではない、予兆と呼ぶべきものだ」 
・彼が帰りついたとき、地上にはまだ、ここ十年間、おなじようにごく少数の人間が残っ
 ていた。しかし彼らは、見苦しい生に執着している敗残者でしかなかったから、彼らが
 しだいに姿を消していっても喪失感は感じなかった。
・地球には、去っていった子供達に代わるべき子供が生まれなかった。ホモ・サピエンス
 は絶滅したのだ。 
・みずから命を絶つ道を選ばなかった者たちは、前にも増して熱狂的なスポーツに、しば
 しば小規模な戦争と見分けがつかなくなるほどの気ちがいじみた自殺的スポーツに、忘
 却をもとめようとした。人口が急激に元素湯していくにつれて、生き残りの人々は一カ
 所にかたまるようになった。敗軍が最後の退却にかかるとき、戦線を縮小していくよう
 に。
・その最後の一幕の緞帳が永遠におりきる直前には、英雄的行動と献身的行為のスポット
 ライトが照らされたかもしれない。あるいは、蛮行と利己主義の喧騒のうちに終わった
 かもしれない。そのフィナーレが絶望のうちに終わったか、それともあきらめのうちに
 終わったか。
・彼は何か見馴れた光景を見て心を休めようと、月を見あがた。月の面には、あの昔なが
 らの、親しみあるいくつかの海が見えていた。彼は一人遊びをする幼児のように、しば
 しのあいだ、<チコ>クレーターを捜すことに夢中になっていた。だがやっと探しあて
 たそれが、彼をとまどわせた。思っていたより月面の中央線から遠いところにあったの
 だ。そしてそのとき、彼は、<危難の海>の暗い楕円形が、まったく影も形もなくなっ
 てしまっていることに気づいたのだった。月がいま地球に向けている面は、生あるもの
 の黎明以来この地球を見おろしてきた面ではなかった。月は自転をはじめていたのだ。
・「われわれにとってもこれ以上地球にとどまることは危険だ。彼らは依然われわれを無
 視し続けるかもしれない。しかし、われわれはそれに賭けるわけにはいかない。装具の
 積み込みが終わりしだい、われわれは出発する。たぶん二時間か三時間のうちに」とオ
 ーバーロードは言った。 
・スタードライヴの発する閃光がしだいに薄れ、やがて火星軌道の外側のどこかで消えて
 いった。あの道を通って、とジャンは思った。ぼくは、地球上に生まれ、そして死んで
 いった無数の人間たちのうちからただ一人、宇宙へ旅したのだ。そして、もはや二度と
 あの道を旅する者はないのだ。
・世界は彼のものだった。だが、彼にはもうなんの興味もなかった。いまだにここに憩う
 ている例の存在を恐れてもいなかった。その出発にあたって起こるだろう想像もつかな
 い大きな余波の中で、自分がなお起き残れるだろうとは、ジャンはまったく期待してい
 なかった。
・それでいいのだ。彼はやりたいことは全部やった。それに、この空虚な世界で、無意味
 な生涯をだらだらと送るなどということは、とうていやりきれたものではない。何事も、
 有終の美を飾らなければ意味はないのだ。