読むクスリ PART3  :上前淳一郎

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この本は、「読むクスリ」のPart3であり、今から32年前の1989年に出版され
たものだ。
この本の中にもなかなかいいお話が載っている。この本の中でいちばん感動的だと思った
のは、編機の話である。日本の敗戦から13年が過ぎたあたりの出来事のようだが、その
ような名の知れぬ先人たちの努力のうえに、いまの日本があるのだと思うと、ほんとうに
頭が下がる思いがした。
風邪を引いたときのイギリスと日本との対応の違いも興味深かった。日本に医療は、抗生
物質などの薬を使い過ぎると言われるが、こういう根本的なところから違うんだなと、改
めて感じた。
「ふるさと運動」というのは、そういえば昔そんなのがあったなと、私の記憶の中にもか
すかに残っている。しかし、いまは「ふるさと納税」のほうが、すっかり定着しているよ
うだ。それなら「ふるさと運動」のほうは、どうなってしまったのだろうと、ネットで検
索してみると、いまでも福島県三島町の町のホームページに載っていて、まだ続いている
んだと感動した。
最後のほうのチンパンジーの「愛の逃避行」の話も、チンパンジーの世界でも人間と同じ
ようなところがあるんだなと、なかなか興味深かった。

発想のヒント
・日本では、冷房の季節が終わったと思うと、もう暖房のことを考えなければならない。
 頭の痛いことである。しかし、いまに冷暖房の分野ですごい技術革新が起きるかもしれ
 ないというのは、東大名誉教授の竹内均さんだ。
・地球物理学が専門の竹内さんは、宇宙飛行士が着ているいわゆる宇宙服を見て、考えた。
 「宇宙服というのは要するに、自分だけを冷暖房する衣服だ。みんなが、あれを着れば
 いいじゃないか」
・宇宙船内あるいは宇宙空間は、温度が激変する非常に厳しい環境だ。しかし飛行士たち
 はその服のおかげで、いつも自分だけは一定の温度の中にいる。
・それなら地球の上でも、宇宙服を売り出したらどうだろう。家全体を集中冷暖房したり、
 部屋ごとにクーラーやヒーターをつかったりするのをやめて、家族はそれぞれに宇宙服
 を着て過ごす。もちろん会社や学校でも、冷暖房は必要はなくなる。
・太陽電池を繊維にして織った布で衣服をこしらえよう。この夢の繊維ができれば、服に
 サーモスタットをつけて自分の好みの温度にセットしておく。外気がどんなに変わって
 も、服の中は一定の温度に保つことができるというわけだ。
・太陽電池の繊維を働かせるには太陽エネルギーを使うので、この冷暖房にはコストがか
 からない。一方で家庭やビルの冷暖房は全廃されるから、画期的な省エネルギーが実現
 する。
・科学者の着想はさすがにすごい、と敬服されられるが、さて凡人に気になるのは、その
 服の値段である。
・NASAは各種サイズの宇宙服三十二着をとりそろえているが、そのお値段は一着五十
 万ドル(約一億二千万円)。
 
・百円ホチキスを思いついたのは「エトナ」という従業員わずか三十五人、いってみれば
 町工場の社長海老名さんだった。
・早大理工学部を卒業して、事務器、文房具の大手メーカーに入社した。じきに社長に認
 められ、その姪と結婚する。将来の幹部の地位を約束させられたにひとしい。順風満帆
 のスタートである。
・現実に、三十歳そこそこで異例の取締役に抜擢され、工場長になる。得意の絶頂だった。
 「自分は力があるんだ、だから認められたんだ、と思っていました。あのころのころを
  思い返すと、顔から火が出るような気がするなあ」
・あの野郎、いい気になりやがって、いまに見てろ、憎しみ、陰口を叩く人たちが、実際
 まわりにはいっぱいいた。不幸なことに、青年重役はそれに気づかなかった。
・悲運は突然やってきた。昭和五十年三月、目をかけてくれていた社長が、肝硬変で急死
 したのである。五十五歳の働きざかりで。
・「周囲の態度が、がらっと変わりました。昨日まで、はい、はいと、こちらにお辞儀し
 てた連中がそっぽを向いたきり返事もしないんです」こんなにも嫌われていたのか、と
 愕然として気づいたが、ときすでに遅し。
・とても出社できる雰囲気ではない。石もて追われるような気持ちで、会社を辞めた。
 三十四歳だった。
・金がないから、机や椅子といった大物には手が出せない。かといって、サインペンのよ
 うな小物をやるには、化学知識がない。
 「ハードが売れれば、ソフトも売れるもの。それで素人にやれるもの」そんな虫のいい
 ことを毎日考え続けた。
・結局、もっとも簡単そうなホチキスしか残らなかった。これだって、ハード本体が売れ
 れば、ぱちん、と止める針がソフトとして売れる。
・よし、というので、かつての部下や取引先数人を誘って、ホチキスをつくる会社を設立
 した。資本金三百万円だった。
・「エトナ」の社名は、そのときつけた。「海老原と仲間たち」の意味である。
・なんとか設計図を引けるのは海老原さんだけ。図を描いて金型業者のところへ持ってい
 くと、いわれた。「それで、製造図面はいついただけるんですか」
・汗だくで引いた設計図は、スケッチとしか受け取られなかったのだ。
・やっと製品第一号ができそうになり、品物を卸す問屋を訪ねると、鼻先でせせら笑われ
 た。「あんたたち、頭がおいあしいんじゃないの?いまごろホチキスの業界へ割って入
 れるわけがないだろ。さっさと帰んな」
・市場調査もろくにしないのが、いけなかった。ホチキス業界は、年間需要百万個で安定
 し、しかもシェア80パーセントを老舗のマックスが握り、残りも既存のメーカーに押
 さえられてしまっていた。
・しかし、尻尾を巻いて逃げ出す気はなかった。日本がだめなら、外国があるさ、と思っ
 た。アメリカに持っていくと、すぐ買ってくれた。「あれはやはり、たいした国ですね。
 フェアなんです。品質がよく、値段が安ければ、名もないメーカーのものでも買ってく
 れるんですから」
・目を開かれる思いがし、それ行け、と製品を送り込む。それが、どんどんはけていきは
 じめた。
・やがて針の専門家をスカウトし、二百三十枚の紙をいっぺんにとじることのできる世界
 一強い針を開発する。アメリカでその技術力が高く評価された。
・エトナのホチキスは評判になり、とうとうアメリカ政府からデスク型の注文が舞い込ん
 だ。それも六十万個。日本の年間需要の60パーセント分をいっぺんに買いたいという。
 目の回りそうな大型商談だった。
・輸出率90パーセント、アメリカで足場を固めた海老原さんは、念願の国内市場制覇を
 狙いはじめる。 
・家庭用の小型が、250円、それと同じものを200円で売るこれなら絶対勝てると思
 った。
・しかし、さんたんたる敗北に終わる。品質で負けないものを、安く売れば勝てる、とい
 うのは、あくまでもアメリカのようなオープン型市場での話。
・そこまでうまくいったから、といい気になりすぎていた。流通経路ががっちり固められ
 ている日本では、五十円ぐらいの値引きでは誰も見向きもしない。
・安い、と客の目を引くには、200円ぐらいじゃだめだ。150円、いや、なんとか
 100円にしない。
・しかし、従来の製法では100円のホチキスはどうしてもできない。発想の大転換が必
 要だ。「従来の金属部品を組み立てる方式ではなく、プラスチックで成型したらどうだ
 ろう」  
・さっそく、取引があった旭化成に相談してみた。ポリアセタールという樹脂を使えばで
 きる、と技術陣はいう。
・試作されてきたホチキスは、海老原さんを驚嘆させるに十分だった。三万回使い続けて
 もまだ平気なのだ。しかもこの樹脂の単価は、金属の三分の一ですむ。画期的なホチキ
 スの出現だった。
・プラスチックだから自由に色がつけられる。軽い、というおまけまで加わって、羽根が
 生えたように売れはじめた。
・今度こそ、とこの若い社長は読んでいる。百円ホチキスを前面に押し立てて、市場を席
 捲してしまおう、と狙っている。
・そのために、従来別売りだった針金を五十本、初めから本体にセットしておく作戦をと
 った。その五十本がなくなったら、使い捨ててもよし、また針を買って補充することも
 もちろんできる。
・たかがホチキス、などといってはいけない。ここにあるのは、マーケティング戦略から
 ハイテクまでひっくるめた、現代企業戦争の縮図である。
 
・鉛筆の胴は、たいてい六角形になっている。あれはなぜだかわかりますか。
・鉛筆を持ったと思って、指先の形だけこしらえてみて下さい。親指、人差指、中指の先
 端が寄り集まって、その間に三角形のすき間ができている。ここに鉛筆が収まることに
 なる。
・すき間は三角形なのだから、丸い鉛筆をここにはさむと、安定しにくい。指の間にぴっ
 たりくる鉛筆をつくるには、三角形にするほうがいい。
・しかし、三角形だと角が鋭すぎて触れる指が痛くなる。それに、いつも指の間に鉛筆が
 固定されたようになると、疲れてかえって書きにくい。
・そこで、角を倍にふやして六角形にした。すき間の収まりもいいし、適度に指の間でご
 ろごろ動いてくれて、書きやすくなる。
・もとは丸かった鉛筆に、昭和初期のころ加えられた、いかにも日本人らしいデリケート
 な工夫である。 
・このアイデアに気をよくした業界大手のトンボ鉛筆は、色鉛筆まで六角形にしてみたこ
 とがある。ところが、これがまるで売れず、さんたんたる敗北だった。
・色鉛筆は、きちんと細かい字を書くためではなく、図形をラフに塗りつぶしたり、絵を
 描くのに使われる。それには丸いほうがいいらしいのだ。
・過ぎたるは及ばざるがごとし。消費者のニーズをなにもかも先取りしようとすると、か
 えってそっぽを向かれる、という教訓である。
・大人も子供のよく勉強する日本では、昭和四十年代に入るまで鉛筆の需要は増加の一途
 で、ピーク時には年間売り上げ九百万グロス(約三十億本)に達した。しかし、安いボ
 ールペンやサインペンの出現で以後じり貧になり、今は八百万グロス前後まで落ち込ん
 でいる。
・それでも、これを一本ずつつなぎ合わせると赤道を五周する。いぜん日本人は、大の鉛
 筆好きな国民なのである。 
・じつは業界は、もっと需要が落ち込むのではないかと見て、いち早くボールペンやほか
 の文房具に転換した。しかし、思ったほど悪くならない。
・そのわけは電動鉛筆削り器にある。つまり、子供たちが小刀で鉛筆を削れなくなったの
 で、助かった。 
・昭和三十五年、社会党委員長浅沼稲次郎が右翼少年に短刀で暗殺される事件があった。
 これをきっかけに、危険な小刀を子供たちに持たせない、という運動が全国の主婦や学
 校の間に広がっていく。
・それを見て取って大手電器メーカーまでが、電動の鉛筆削り器の量産に乗り出し、家庭
 にも学校にも、これが備え付けられることになった。
・「このごろ子供たちは、小刀をつかった工作はむろん、鉛筆も削れなくなった」と識者
 が嘆くようになったのは、暗殺事件から数年たって小刀追放運動が完全に定着したころ
 である。
・ところがメーカーにとっては、この運動が時の氏神、売上げ減退を最小限に食い止めて
 くれる神風のようなものだった。
・なぜなら、電動式で、じゃあっ、と削ると、つい削りすぎて、小刀でていねいに削って
 いたころより、うんと削り方が早いからだ。どうやら、日本で鉛筆が売れるのは、よく
 書くからではなく、よく削るためらしいのだ。
 
異国にまなぶ
・イギリスには一万七千人の日本人がいて、いつ一万二千人がロンドンに集まっている。
・この在留邦人の健康管理のためにロンドン日本クラブが、市内に南北二つの診療所を開
 いた。最初にできた北診療所のほうに慈恵会医大から派遣されてきているのが、大森さ
 んだ。  
・ある日、五歳ぐらいの坊やを抱きかかえるようにした若い日本人のお母さんが、大森さ
 んのところへ駆け込んできた。
・お母さんのほうがショックを受けているらしく、顔色が変わっている。「先生、助けて
 ください。この子は殺されてしまいます」「熱があるのに、裸にされて濡れタオルをか
 けられ、そのうえ扇風機の風を吹きつけられたんです」
・坊やは風邪で熱を出した。近くのイギリス人医師のところへ連れていったら、そんな乱
 暴な治療が始まったので、びっくりして取り返してきたのだという。
・なるほど、子供が風邪をひいたときには暖かくしておくものだ、というのが常識の日本
 で育ったお母さんには、乱暴きわまりないやり方に思えたに違いない。
・しかし、冷たい濡れタオルを身体にあてて風を吹きつける、というのはイギリスでは一
 般的な治療法で、ちゃんと理にかなっている。
・つまり、早く熱を下げさせるには、身体を冷やすのがいちばん手っ取り早いのだ。
・また、こういって驚く日本人もいる。
 「盲腸の手術を受けたんです。その直後、塩風呂に入りなさい、とひとつかみ塩を渡さ
 れました。無茶苦茶です」
・日本では、傷口から細菌が入るといけないので、術後しばらくは患者に入浴を禁じる。
 だが、このイギリス流も、理屈には合っている。塩水の風呂は傷口の消毒に役立つから
 だ。どちらがいい、悪い、とはいちがいにいいにくい。要するに、国が変われば治療法
 も変わる、ということなのである。
・この二つの例からもわかるように、イギリスの医師は薬を使いたがらない。とりわけ抗
 生物質は、よほどのことがないと投与しない。ちょっと風邪を引いただけでも飲ませる
 日本とは大違いだ。
・やむなく薬を使うときには、解消したい症状に合った薬をひとつだけ選ぶ。胃の調子が
 悪いのが胃酸過多のせい、とわかると制酸剤だけ。濡れタオルと扇風機でも熱が引かな
 ければ解熱剤だけ、というふうに。
・だからイギリスには、いろいろな薬を混ぜた総合胃腸薬とか、総合感冒薬というのはな
 い。 
・国民も薬を飲みたがらない。その代わり、ふだんの健康管理にはとても気をつけている。
 たとえばお母さんたちは、一歳にならない赤ちゃんでもバギーに乗せて、外を連れ歩く。
 冬の寒い日にも、この散歩を欠かさない。できるだけ外気に触れさせて、抵抗力をつけ
 て病気を近づけさせまいとするのだ。
・赤ちゃんを大事にしすぎて結局弱い子にしてしまい、病気になると注射や抗生物質に頼
 ろうとする日本のお母さんとは、根本的に違っている。
・日本の子供を強く丈夫に育てたいと思ったら、まず母親の甘えから治す必要があるらし
 い。 
 
・アメリカ人と結婚したサンフランシスコに住んでいる松村さんは、絵の勉強をすること
 にした。もともと心得はあったのだが、いっそう磨きをかけたいと思ったからで、市内
 でもっともレベルの高いカレッジを選んだ。日本から芸大卒も勉強にくる、有名なカレ
 ッジだ。
・五十人ほどのクラスの授業は、モデルのデッサンから始まった。市のモデル協会から派
 遣された美女は、にっこり教室へ入ってくるなり、ぱっ、ぱっぱ、と着ているものを脱
 ぎ捨て、椅子にポーズをとった。
・プロだから当然かもしれないが、恥じらいもなにもない、それはもう鮮やかな脱ぎっぷ
 りだった。いざ、となれば男より女のほうが度胸がすわることは、知っている。それに
 しても、とまず驚いた。
・もっとびっくりしたのは、どすん、と椅子に坐ったモデル嬢が思い切って股を開いてポ
 ーズしたことだった。もちろん、奥のほうがまるまる見える。
・そしたら、隣りにいた二十歳ぐらいの男子学生が、恥ずかしそうに下を向いたまま立っ
 て、モデルを斜めから見るほうの席へ移っていった。
・正面の女学生たちは、表情ひとつ変えず、まっすぐモデルを見つめてデッサンを始めて
 いる。やっぱり、男のほうが度胸はないのである。
・若い女性ばかりでなく、いろんなモデルが来る。老人はステージの上の椅子でポーズを
 とっているうちに、しばしば居眠りをする。ご隠居さんのアルバイトだ。
・若い黒人男性がステージで裸になったときには、ほうっ、と感嘆の声が上がった。筋肉
 隆々とした見事なモデルだった。 
・ところがコーヒー・ブレイクになると、女学生たちがひそひそ話している。「あの男つ
 まらないわね。下半身ぜんぜん変化が起きないんだもの」
・デッサンが再開されると、女子学生たちはしきりにモデルに向ってウインクしたり、唇
 の間から舌を突き出して見せたりしはじめた。
・モデルは気づいているはずだが、いっこうに期待した変化は現われない。女子学生たち
 はいっそう挑発的になった。ブラウスのボタンを外して、胸をはだける。脚を組んでス
 カートを引張り上げ、太股をむき出す。それでも駄目だ。黒人はただ、つまらなそうな
 顔をしている。
・そのときドアが開いて、遅刻した学生が入ってきた。ハンサムな白人の男の子だった。
 その男子学生がすぐ前に席ととるのを見たとき、黒人モデルの目が、きらっ、と輝いた。
 無表情だった顔が、媚びるように和んだ。
・そして、その瞬間、松村さんも女子学生たちも、はっきり見たのである。彼の下半身に
 初めて変化が起きるのを。 

・シンガポールは美しい街で、最近は豪華なマンションの建築ブームだ。日本企業の駐在
 員が部屋探しに困ることもない。
・ベッドルームが三つに、十五畳もあるリビングがついた素晴らしいマンションが、日本
 より安く借りられる。
・ただひとつ気に入らないのは、どれも台所が小さいことだった。部屋の豪華さに較べて、
 いかにも炊事しにくそうに狭いのだ。
・いくら見ても、申し合わせたように貧弱な台所ばかりだ。とうとう家主に言った。
 「申し分ない部屋です。ただ、女房のためにこれだけはなんとかなりませんかね」
・家主は不思議そうな顔をした。「だけど、奥さんが台所で料理をつくるわけじゃないん
 でしょう」  
・驚いた。じゃ、誰が料理をするというのだろう。まさか、メイドを雇える身分と思って
 いるわけでもあるまいに。
・ないものは仕方がない。マンションの一つを借り、狭い台所にぶつぶついいながら自炊
 生活を始めた。 
・やがて仕事にも生活にもなれてくるにつれ、ひとつの発見をした。オフィスのOLたち
 が、両親のいる自宅から通勤しているのに、朝食は家でとらず、出勤途中のキャンティ
 ーンで食べてくるのだ。
・キャンティーンというのは、大きな食堂のようなところで、ビルの中にあったり、屋外
 だったり、市内のどこでも見られる。
・広場にずらっとテーブルが置かれ、そのまわりに屋台のように小さな店が並んでいて、
 中華料理やカレー、果物、ジュースなどを売っている。食べたいものを買うと、テーブ
 ルに持ち帰る。
・早朝から深夜まで賑わい、市民はここで食事したり、おしゃべりしたりして過ごす。
・OLたちにたずねてみた。「なぜ、って、それがここの習慣ですから」「父も兄も、家
 では朝食べません。キャンティーンです」「夕食は、家族みんなで出かけますよ。だっ
 て、そのほうが家で料理をつくるより安いくらいなんです」
・三食家族が家にそろって、という習慣がない。家ではめったに料理しない。したがって
 広い台所は要らないのだ。
・狭い台所での自炊をやめ、朝からキャンティーンへ通うようになった。そのうち気づい
 たのは、女性客が多い、ということだった。
・シンガポールでは女性の地位が高く、結婚しても外で働く人が少なくない。家庭にこも
 ってしまう女性はむしろ例外だ。だからキャンティーンがはやり、台所の重要性はます
 ます薄くなっていく。
・やがて日本からやってきた奥さんは、部屋は気に入ったが、やはり台所の狭さに眉をひ
 そめた。
・家主と交渉して台所を広げ、快適に働けるように改造した。ところがしばらくすると二
 人は、「広げなくてよかったね」と顔を見合わせて苦笑するようになった。
・奥さんはご主人に連れていかれたキャンティーンのファンになり、家で料理するより、
 外食に出かけたがるようになったからである。
 
・「ぼくの家は、この冬までに完成するよ」「来年はぼくも、いよいよ新築しようと思っ
 ているんだ」本田技研のベルギーでの現地法人に勤める山田さんは、転勤してきて間も
 ないころ、ベルギー人の部下たちが話し合っているのを耳にして、ほほえましい気持ち
 のさせられたものだった。 
・ここでも日本と同じように、マイホームを建てるのがサラリーマンの夢になっているの
 だ。それにしても、話し合っているのは二十七、八歳の若者たちだ。日本に較べれば恵
 まれているなあ、とこっちへ来る直前やっと東京郊外に家を持ったばかりの山田さんは
 思った。
・ある日の退社時刻も近くなったころ、急に片づけなければならない仕事を持っていた山
 田さんは、若い部下のひとりに声をかけた。「きみ、すまないが少し残業をしてくれな
 いか」しかし、きっぱり断られてしまった。「だめです。ぼくは家を建てはじめていま
 すから」
・ベルギーでは、ごく一部のエリートを除いて、一般のサラリーマンやOLは決して残業
 をしない。退社時刻がくるとさっと帰り、家族や友人との生活を大事にする。それは承
 知のうえで、やむなく頼んだのだが、やはり断られてしまった。それにしても「家を建
 てているから」とは、なんと変わった断りの文句だろう。日本じゃ理由にならないなあ、
 と腑に落ちない気持ちで思った。
・つぎの日曜日、ようやく現地での生活にもなれてきた山田さんは、郊外へ散歩に出かけ
 てみた。 
・小ざっぱりした住宅街の一角の空地で、セメントを練ったり、煉瓦を積んだりしている
 親子連れがいる。若い夫婦と、小学校へ上がる前の子供が二人だ。
・「家づくりごっこかな。それにしては本格的だな・・・」そう思いながら近くまで行っ
 て、驚いた。作業衣で煉瓦を積んでいるお父さんは、残業を断ったあの部下ではないか。
・「あっ、きみ、なにをしているの?」「なにって、家を建てているんですよ」部下は額
 の汗を拭って笑った。  
・そうだったのか。山田さんは、愕然として気づいた。家を建てる、とここで若いサラリ
 ーマンがいうとき、それは大工さんに頼んで新築するのではなく、こうやって自分たち
 一家だけで煉瓦を積み、屋根を乗せることを意味しているんだ。
・だから、残業なんかしていられない。仕事が終わると飛んできて、暗くなるまで二、三
 時間作業をする。そして週末は一日中。
・「偉いなあ。すごいことだよ。これは」「べつに偉くなんかありませんよ。男は二十七、
 八になると、誰でも自分で建てるんですから」
・「男の子はお腹の中に煉瓦を持って生まれてくる、ってベルギーではいいますの」セメ
 ント練りを手伝っていた奥さんがいう。「こうやって父親の仕事を見て家づくりを覚え、
  大人になったら煉瓦を取り出して、自分で建てるようになるんです」
・むろん、日本とベルギーでは、地価や地震の有無など、いろいろ条件は違う。しかし、
 がつがつ残業して頭金を貯め、齢をとってからやっと一軒持つのと、残業しないで安い
 材料を集め、若いうちに自分の手で建てるのと、どっちが幸せなのだろう、とつくづく
 山田さんは考えた。
 
ふれ合い
・男でも女でも、お見合いせ断った相手のことを、人前で話すべきではない。それは、男
 と女の関係のもっとも初歩的なルールのようなものだ。このルールが守れない人は、結
 局たいていの人間関係に失敗する。ぺらぺらしゃべるから危なくてしようがない、と見
 られてしまうのだ。
・しかし、一方で、迷いに迷ったあげく断った見合いの相手は、長く心に残る。どうして
 もその人のことを、他人に話してみたくてたまらなくなることがある。
・「女房には悪いけど、いまでも私は、あのときの女性と結婚すべきだったかもしれない、
 と思うことがあるのですよ」ハンブルクのレストランで、海軍会社の駐在員T氏は話し
 だした。 
・歳十歳近く、両親や親戚、上司から、お見合いの話が持ち込まれるようになる。T氏は
 条件をつけた。国際感覚があり、英語が話せ、できれば海外生活の経験がある女性をと。
・やがて親戚から紹介されてお見合いした女性は、すらりと背が高く、息をのむような美
 人だった。一流女子大の英文科を出て秘書をしている。父親がアメリカに勤務していた
 ので、高校の途中までむこうで暮らしていた。条件にぴったりだ。
・デートが始まる。会うたびにますます、素晴らしい女性だ、とT氏は思うようになって
 いった。一つこちらからいうと、それにつながる話が十ぐらい返ってくる。それも、本
 の受け売りではなく、自分の考えを理路整然と語る。精神的にもきちんと自立した、理
 想的な女性だった。
・しかし、デートが重なるにつれて、妙ないら立ちをT氏は覚えるようになっていった。
 なにひとつ不足はない。しかし、どこか、しっくりこない気がする。結婚して一緒に生
 活していくうえで、なにか欠けているものがあるように思えて仕方がないのだ。
・夏の初めのある日、二人は新宿の高層ビル最上階にあるレストランでデートした。窓際
 の席から、空を赤く染めて大都会のむこうに沈んでいく夕陽が見える。
・「きれいですね」思わず見とれて、T氏はいった。しかし女性は、ちら、っとそちらを
 見たきり、なにもいわない。なぜ夕陽が珍しいんですか、といいたそうだ顔をしている。
・「これだ」その瞬間T氏は思った。欠けている、と感じ続けていたものを、やっと見つ
 けた気がしたのである。 
・つまり彼女は、自分のこと、自分の考えていることについては、雄弁なまでにしゃべる。
 身ぶり、手ぶりを交え、表情も豊かに。だが、相手の感情については、共感の表情さえ
 示さない。あたしはあたし、と衝立をつくり、相槌ひとつ打って見せるでもない。
・「つまり、おれが求めているのは相槌だったんだ。いまあなたと同じことを感じていま
 す、ということを見せてくれる気持ちがほしかったんだ。」
・勝手な言い分かもしれない。だが、新婚生活に男が求めるのは結局、知的な会話でも、
 バタくさい雰囲気でもない。感情を共有でき、フィーリングが一致すること、そのほう
 が、顔立ちの美しさや知性より大事なのではないだろうか。
・T氏は考え、悩んだ。あるときは、彼女の美しさと知性は捨てるにはもったいなさすぎ
 る、と思い、つぎの日にはそれを否定した。そして、返事をせかされるままに、この見
 合いの話を断ってしまった。
・それからしばらくして、T氏は別の女生と知り合った。美人ではないし、英語もできな
 い。むろん外国生活の経験もない。”条件”からすると、この前見合いした女性にははる
 かに劣る。
・会話も知的とはいえない。口数が少なくて、こちらが十いううちに一つしか話さない。
 それでも、この女性とデートしていると、不思議に気持ちが落ち着くのだった。
・「じっとこちらの話を聞いていてくれるんです。そして、ときどき優しい笑顔で相槌を
 打つ。それが、とても感じがいいんです」
・言葉は少ないが、お互いに気持ちが通じていることを感じとることができるのだ。
・今度の女生と、T氏は結婚した。二人の子供が生まれ、幸せな日々がやってきた。
・数年後、T氏はハンブルクへ赴任した。家族を連れて。
・「忘れていたあの見合いの女性のことを思い出したのは、こっちへ来てからでした。と
 いうのは、女房のやつ、ドイツ人のパーティに出てもしゃべれないのはむろん、買物に
 も行けませんでしたから」
・理想に反して、日本的な女生と結婚したばかりに、パーティでは肩身の狭い思いをする
 し、奥さんの買物にもついて行かなくてはならない。「しまった、とじつは思いました」
・だが、奥さんはじき買物になれた。ドイツ人を自宅に招いて、パーティを楽しむように
 もなった。言葉は不自由でも、笑顔と心づくしの手料理で十分もてなうことはできるの
 だ。
・「女性の順応性は、男よりはるかに上ですね。女房がてきぱきやり始めるのを見て、こ
 れでよかったのだ、とぼくもようやく安心しました」
・T氏は、見合いした美女のことを思い出さなくなった。
 
・福田寛さんと信夫人が、サンフランシスコに編物教室を開いて二十五年たつ。まさか、
 四半世紀もこんなことをやるようになるとは、夢にも思っていなかった。
・ここで生まれた二人の子供たちは、どちらもカリフォルニア大学を卒業して社会人にな
 った。いまの生活にも夫婦は十分満足し、そろそろ楽隠居を考えないでもない。
・長いようで、あっという間に過ぎてしまった気もするアメリカ生活だが、もしあのとき、
 「やってみなさい」とひとりの女性からいわれなかったら・・・。
・結婚したばかりの二人が船で初めてサンフランシスコへやってきたのは1958年。
 寛さん三十三歳、奥さんが二十五歳だった。
・まだほとんど日本企業の駐在員などいないころだったが、通産省の尻押しで日本編物機
 械協会から派遣された二人には、重大な使命が課されていた。
・毛糸を機械で編む、いわゆる編機は、そのころアメリカにはなかった。日本から輸出が
 始まっていたが、アメリカ人のディーラーには使い方がわからない。
・そこで、編機の先生の資格を持っていた信さんが、ディーラーに教育する。一方、編機
 をつくる会社に勤めていた寛さんは、販売されたものの修理を担当するのだ。
・「編機をアメリカに根づかせる大事な時期です。頑張ってください」と励まされて、送
 り出された。英語がほとんどできなかった二人は、悲壮な決意で船に乗った。いまから
 すると信じられない話だが、二人は輸出振興という国策の人身御供になったようなもの
 だった。
・二年間、あちこち飛び回りながら、異郷で悪戦苦闘した。しかし、どうしても売れない。
 自動車もテレビも、まだほとんど輸出されていない時代だ。日本の工業製品には、粗悪
 な安物のイメージがはびこりついていた。編機も同じように見られる。おまけに、アメ
 リカ人になじみのない機械なので、なおいけない。
・とうとう通産省と協会は、輸出をあきらめることにした。二人に送られてきた手当ては
 打ち切られ、「店を畳んで、すぐ帰れ」の指示がきた。福田さん夫婦は荷物をまとめ、
 まさに日本に帰ろうとしていた。
・そこへ、近くに住むイボンヌという奥さんが訪ねてきた。信さんと仲よくなっていて、
 編機を面白がり、ひまがあればいじりにやってきていた三十代の女性だった。
・「それは、あなたたちが悪いんじゃありません。アメリカ人のほうが間違っているので
 す」「編機の面白さに気づいていないのです。もうひと踏んばりするんです。いまやめ
 るなんていちばん愚かよ」「ノブ、あなたは、とてもいい腕を持っています。ここで教
 室を開いて、個人相手に教えたら、きっと成功します」「ヒロシ、あなたは編機の修理
 と、マネジャーをやるのです。教室に腰をすえていればいいのよ。これまでみたいにア
 メリカ中飛び回らなくても」
・「やらないうちから、できない、と決めてしまっている。なぜそうなんですか。やって
 みなさい!とにかく、一年やるのです。それで駄目だったら、そのとき日本へ帰ればい
 いじゃありませんか」
・二人はためらった。自信がない。日本へ帰れば、また元の生活ができる。言葉の不自由
 さでつらい思いをしなくてすむし、なにより、おいしいご飯と味噌汁がある。
・帰りたい。しかし、この国に来たからには、尻尾を巻いて逃げ出さずに、少なくともも
 う一年「やってみる」べきだろうか。
・「さあ、教室を開くのにかっこうの家を見つけてきましたよ」二、三日して、イボンヌ
 がやってきた。あちこち探し回った彼女は、二階建ての家をひとりで借りてきてしまっ
 たのである。「一階が教室。二階は住宅で、そこに赤ちゃんを寝かせておけば、ノブは
 いつでも様子を見に行けるでしょ」
・アメリカの女性は、なんて行動的なんだろう・・・二人があっけにとられている間に、
 イボンヌは生徒を七人も集めてきた。教室を開かないわけにはいかない。
・午後二時間。月謝はとらず、好きな日に来て、そのつど編機の使用料とレッスン料とし
 て何ドルか置いていく。 
・日本と違って、編機の扱い方のイロハから教えられるのを、アメリカの女性はいやがる。
 いきなり、なにか作ろうとする。実際的なのだ。そして、作っているうちに機械に習熟
 し、スーツやパンタロンが編めるようになっていく。
・「娘が結婚することになったのよ」と真っ白なウェディング・ドレスを編み上げる人も
 出てきた。
・教室の噂が広がって、しだいに生徒がふえはじめた。一人ずつレッスンの曜日を指定し
 ておかないと、教室に入りきれなくなった。
・それでも追いつかず、午前中のクラスもつくることになる。大忙しだ。
・四十歳以上の、子供に手がかからなくなった奥さんが断然多い。しゃれた趣味だし、お
 しゃべりもできる。それに実益がある。人気が出る条件がそろっていた。
・一年たった。生徒は百人を越え、福田家には少なくない貯金までできていた。 
・「せめてお礼に」と夫婦はイボンヌをチャイナタウンの中華料理店に招待した。勇気を
 出させてくれたイボンヌに、二人は何度もお辞儀を繰り返しながら、笑いと涙で顔をく
 しゃくしゃにした。
・教室は年ごとに?盛を続けていった。毎年暮れ近くになると夫婦は、それまで通ってき
 てくれた生徒にあてて、欠かさずにクリスマス・カードを出した。
・ある年とうとう、カードは一万通を越えた。「申し訳ないけど、もう出せないな」二人
 は額を寄せて相談し、クリスマス・カードの打ち切りを決めた。一万通となると切手代
 だけで二千ドル(五十万円)になるのだ。
 
・横浜に住み、イトーヨーカ堂に勤めている鈴木哲男さんが母から新聞を見せられたのは
 昭和五十年春、入社間もない二十六歳のときだった。母正子さんが手にしているのは、
 郵便受けに入れられたダウン紙で、「故郷のない都会のみなさん、ふるさとへ来ません
 か」と書いてある。
・”ふるさと”は福島県大沼郡三島町。
・正子さんは、じつは新潟県小出市生まれだった。だから、その町へ行ったことはないが、
 どんなところかおよその見当はつく。山のふところに抱かれるように、田畑が広がる。
 きれいな小川が流れ、牛がのんびりと牧草をはんでいるだろう。
・「おまえが子供のころから、帰る田舎がなくてかわいそうだ、と思っていたんだよ。故
 郷のつもりで、いっぺんこの町へ行ってみない?」
・正子さんが横浜へ出てきて結婚して間もなく、郷里の両親は亡くなった。小出とは縁が
 切れてしまっている。 
・哲男が生まれてじき夫とも死別し、それからは母一人、子一人の横浜暮らし。夏になる
 と、まわりの親子は田舎へ帰るのに、母子には”ふるさと”と呼べるところがなかった。
・タウン紙によると、三島町は「特別町民」を募集していた。年会費一万円払うと、特別
 町民の資格を得ることができ、町の施設を利用したり、民家に泊まったりできる。つま
 り”ふるさと”が年一万円で買えるのだ。
・三島町がこのアイデアを思いついたのは、過疎化が進行して淋しくなってしまった町に、
 なんとか賑やかさを取り戻したい、と考えたからだった。
・山菜だけは日本一の宝庫、といわれるが、産業もなく、年々何百人もの若者が都会へ流
 れ出ていってしまう。とくに若い娘さんがいなくなった。農林業の後継者たちは嫁がも
 らえない。
・「ひょっとして、都会生活にいやになった娘さんたちが遊びにきて、ここの静けさが気
 に入り、居つくようになってくれればいいのだが」そんな願いも、あった。
・三島町が全国で初めてやった「ふるさと運動」は、大ヒットになった。この年、なんと
 八百人の都会の人たちが特別町民として登録されたのだ。
・町はいっそう運動に力を入れ、特別町民のために場場をつくったり、高原の大木にロー
 プを  かけてブランコをこしらえてり、施設づくりに大わらわになった。
・三島町の成功はセンセーションを巻き起こした。全国で百に近い町や村が「ふるさと運
 動」のアイデアを採り入れようとしはじめていた。
・「えっ!?こんなところに人が住んでいるのかな」それが駅を降りたときの哲男さんの
 正直な印象だった。都会しか知らない目には、あたりが荒野のようにしか映らない。
・泊めてもらうことになっている堀内家は、さらに淋しい町はずれの田んぼの中に、ぽつ
 んとあった。しかし、昔ながらの農家の縁先に坐ってみると、不思議に気持ちが落ち着
 いてくる。静かだ。空気がうまい。
・庭のむこうの木に、みたこともない淡い紫色の花が咲いている。「あの花、なんですか」
 「あれかね、桐の花だよ」花を眺めてこんあに気持ちを動かされるなんて、初めてだ。
・母も喜んでいる。ほんとうに哲男さんは、都会生活の喧噪とあわただしさの中でたまっ
 た垢が、そぎ落とされていくような気がした。
・おばあさんを含めた五人家族と一緒に大きな食卓を囲んで、ご飯を食べる。初めから親
 戚づき合いだ。山菜が唯一のご馳走だけれど、これがうまい。何杯でもご飯をお代わり
 する。 
・夜は村の祭りのことや、古い民話を、家族が話して聞かせてくれる。新鮮で、心が和む
 ような気がした。  
・「なんだか、生まれ変わったような気がするな」一泊して名残り惜しみながら帰る汽車
 の中で、母子は話し合った。
・続いて八月、九月と、二人は堀内家へ一泊旅行をした。あまり印象が強烈で、行かずに
 いられない気持ちになっていた。 
・村じゅうが親戚みたいなところなので、あちこちの家を訪ねて、ご馳走になったり面白
 い話を聞かせてもらったりする。この田舎の”社交”がまた楽しい。
・そんなとき、母子を案内してあちこち連れていってくれるのは、堀内家のトシ子さんだ
 った。 
・トシ子さんは兄と一緒に農業を手伝っている。にこにこして、おとなしいが、しっかり
 した働きものだ。笑った顔が、あの桐の花みたいにきれいだな、二十歳のトシ子さんの
 ことを、哲男さんはそんなふうに意識しはじめていた。
・横浜へ帰ってきた哲男さんは、”ふるさと”へよく電話をするようになった。「なんだか
 様子がおかしいな」堀内家では両親や兄がひそひそいい合うようになった。
・横浜では正子さんが、ははあ、とうなずき、なるべく電話の話を聞かないように気を使
 いはじめた。  
・十二月初めのある日、例によって電話をかけた哲男さんは、飛び上がらんばかりにびっ
 くりした。「トシ子はな、昨日町で車にはねられて、入院しとります」
・そのまま家を走り出た哲男さんは、上野駅へ駆けつけて夜行に乗り、三島町へ行った。
 幸い軽い打撲でじき退院できたが、この情熱的な行動が、二人の結びつきを決定的にし
 た。 
・年が明けてあらためて堀内家を訪ねた哲男さんは、かしこまりながら正式に申し入れた。 
 「トシ子さんお嫁にいただけませんか」
・頭を抱えたのは役場である。若者の流出に歯どめをかけ、あわよくば都会の娘さんに嫁
 にきれもらって、と考え始めた運動だったのに、逆に娘を一人さらわれてしまったのだ。
・「嫁さん泥棒だな、こりゃ」町の人たちは降って湧いたような話を祝福しながら、苦笑
 をまじえて噂しあった。ともかくも結納をすませ、その年の秋二人は東京でめでたく結
 婚式をあげた。 
・それから、もう十年近い。二人の間には三人の子供が生まれた。お正月、春の山菜とり、
 夏休み、年に何回も鈴木家の一家六人は故郷へ帰る。
・ふるさと運動は、ずっと続いている。じつは役場は心配していたのだが、幸いなことに
 この十年間、花嫁として盗まれた娘っ子はトシ子さんのほかにはいない。

時のはざまに
・犬のとって最大の喜びは、なんだと思いますか。餌をもらうことでも、走り回ることで
 もない。主人と一緒にいて、主人の喜んでもらうのが、犬にはいちばんうれしいのであ
 る。だから、犬をしつけるときには、教えたことがやれるようになるたびに、「よし、
 よくやった」とほめてやるだけでいい。
・ほめてやれば、主人が喜んでくれていることを知って、教えられたことを忘れなくなっ
 ていく。 
・イルカに魚をやって芸を教えたり、馬をニンジンで釣って走らせるようなことは、犬の
 場合にはする必要がない。そういう動物は、犬しかいない。だからこそ、人間と犬との
 間には、不思議な一体感が生まれる。
・よく訓練された盲導犬になると、一緒に歩いている主人が、「お腹空いたなあ」と思っ
 ただけで、いつも行くレストランの前でぴたりと止まる。「あ、今夜はナイターのラジ
 オ中継があるんだ。早く帰って聞きたいな」そう主人が考えると、盲導犬はただちに急
 ぎ足になる。
・つまり、人間と犬は、精神的なつながりを持つことができる。
・歩道に、ちょうど人間の頭がひっかかる高さに木の枝が張り出しているとしよう。むろ
 ん犬は、その枝の下を楽にくぐり抜けることができる。だが盲導犬は、その枝をちゃん
 とよけて歩いていく。主人の頭がひっかかる、という判断力があるのだ。
・人間から訓練を受けた結果である。それにしても犬は、感情だけでなくて、鍛えればこ
 うした理解や判断力を持つことができるようになる。そして、自分のしていることに誇
 りを持ち、どんな場合にも嬉々として仕事をする。
・それなのに最近の世間一般の犬には、ただご馳走をもらってぷらぷらしている失業犬の
 ようなのが多い。しつけもできていなくて、うるさいばかりだ。主人のほうで、かわい
 い、あるいは、かわいそう、という気持ちが先に立ち、いけない、と教えることができ
 ていない。
・悪いことをしたら、叱らなければいけない。体罰も必要だ。一般の家で飼う犬の場合は
 「坐れ」「待て」「伏せ」「待ちなさい」「いけない」の五つを完全に教えておけば、
 困ることはない。
・イギリスでは、犬は家族の一員だ。家の中に住み、人間と同じものを食べ、家族として
 のしつけをうける。そのしつけの範囲なら、どんなことをしてもいい自由が犬にはある
 が、範囲を逸脱したときには厳しい罰をうける。
・犬を連れてバスに乗るときには、子供の料金を払う。これは、法律的にも犬が家族の一
 員と認められているしるしである。
・イギリスには、家族の番犬として犬を飼う、という考え方はない。むやみにひとにほえ
 ないよう、厳しくしつけられている。だから、道を通る人が突然ほえかかられてびっく
 りするようなことはない。
・番犬というのは、倉庫などにいる職業犬のことだ。これは、不審な人間を見つけたら警
 告できるように、専門的な訓練をうけている。
・ましてイギリス人にとって、犬はペットではない。ペットというのは、ウサギとかハツ
 カネズミとか、子供が飼うもののことだ。
・大人が飼う犬はあくまでも家族で、家族であるからには飼う側に責任があることを、イ
 ギリス人はきちんとわきまえている。  

・動物の世界では一般に、オスのほうがセクシーで、積極的に性を誇示している。孔雀の
 優美で豪華な羽根、鹿の立派な角、ライオンの堂々たるたてがみなどがその例だ。ヒト
 のメス、すなわち女性が、豊かな衣裳で飾り立て、セックスアピールをふりまいて男心
 をかき乱す、というのは、動物界の常識に反する、きわめて稀なケースである。
・チンパンジーのメスは、四つんばいになっときに突き出た尻に性器があるが、発情する
 とその性皮の部分が異常なまでに膨らみ、顔ほどの大きさになる。風船玉みたいな膨ら
 みは美しいピンク色を帯び、いやでもオスの関心をひきつける。
・つまりチンパンジーの場合も、少なくとも発情期にはメスのほうが性を誇示し、それに
 よってオスの欲情をかき立てるのだ。 
・実験室での研究では、排卵は発情期の最終日付近に起きる。すなわち、発情の初期の段
 階は、妊娠の可能性はほとんどない。
・ということは、発情初期のころメスたちは、本来の目的である生殖を離れてセックスし
 ていることになる。 
・オスを誘惑し、解放された性をエンジョイするあたり、翔んでいるヒトのメスと似てい
 る、といえなくもない。さらに興味深いことに、不妊期のメスは求愛してくるどんなオ
 スとも交尾する。ときには、まだ成熟していない子供とさえ交わる。
・いままで母親のおっぱいを人でいたチビオスが、つぎの瞬間には隣りにいるおばさんと
 一人前の真似をしたりするのだ。
・しかし、このフリーセックスの傾向も、排卵期になるとぴたりと止まる。メスはいい寄
 ってくるオスたちを追い払い、群れの中でいちばん強いオスを選んで、その子を宿すた
 めに交尾する。
・ただし、メスのほうがどうしても、いちばん強いオスを気に入らないことがある。そう
 いうときメスは、好きなオスと二頭だけで、二十〜百頭いる群から抜け出し、森林の彼
 方へ愛の逃避行をする。
・一緒に逃げるオスは、中年から初老の場合が多い。力では若いオスにかなわなくなって
 いるが、かつてプレイボーイだっただけに女心をつかむのがうまいのだろう。